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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2010年代

『 ガール・イン・ザ・ミラー 』 -やや変化球な双子スリラー-

Posted on 2020年2月21日2023年2月9日 by cool-jupiter

ガール・イン・ザ・ミラー 50点
2020年2月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:インディア・アイズリー ミラ・ソルビノ ジェイソン・アイザックス
監督:アサフ・バーンスタイン

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ジャケットとタイトル響きだけでTSUTAYAから借りてきた。どう考えても『 ガール・オン・ザ・トレイン 』を模している。パッと見でクソホラーだなと分かるが、Sometimes, I’m in the mood for garbage.

 

あらすじ

マリア(インディア・アイズリー)はカナダの内向的な高校生。友人はいるが、ベストフレンドというわけではない。プロムに行くような相手もいない。ある時、偶然にも自分には死別した双子の片割れがいると知った時から、マリアは鏡の中にアイラムという自分と同じ姿かたちをした少女を見るようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

インディア・アイズリーの、この不思議な美貌よ。母オリビア・ハッセーと同じく期間限定の美なのだと思われるが、いわゆる薄幸の美少女から魔性の女までを見事に演じ分けていた。日本だと小松菜奈の雰囲気が少し近いだろうか。マリアとアイラムの関係は、おそらく日本でJovianだけが名作だ傑作だと騒いでいる月森聖巳の小説『 願い事 』の美音子とエレーヌのようである。ヘレン・マクロイの小説『 暗い鏡の中に 』や高野和明の小説『 K・Nの悲劇 』並みの面白さなので、古本屋などで見つけたら是非購入されたし。

 

Back on track. 双子、特に一卵性のそれは常にアイデアの源泉になるようである。本作ではマリアとアイラムの関係が、実のところ何であるのかは明示されない。それが心地よいのである。アイラムを超自然的な存在と見なすか、それともマリアが自己暗示で作り上げた人格と見るのか。その解釈は受け手に委ねられている。冒頭のエコーのシーン直後のマリアの登校シーンをよくよく観察してみよう。非常に細かい伏線が張られていたことに、後から気づくことだろう。

 

古いスケート場のシーンは良かった。カメラアングルも低く、まさに疾走している感覚を味わうことができ、ホラーの原点である追う者と追われる者の間の緊張感と恐怖が盛り上がった。また、裸体を惜し気もなく晒してくれたインディア・アイズリーに拍手。蒼井優や夏帆も、どうせならこれぐらいやってほしい。クソホラーではなく、ちょっとした変化球スリラーである。雨の日の暇つぶしに最適だろう。

 

ネガティブ・サイド

一部のシーンが不自然につながっている。あるいは、セリフに妙なところがある。だいたい、寝起きにいきなりマリアが完全メイクアップしているというのはどうなのか。父親もその顔を見て「ぐっすり眠れたようだな」はないだろう。せっかくオリビア・ハッセーの娘をキャスティングしながら、これはもったいない。素材の味をもっと素直に引き出してやれば良いのにと思う。

 

スケート練習を父親のクリニックに行くからと断り、「明日ね」とリリーらに約束しながら、次の日の放課後もまた父親のクリニックに行くというのはおかしくないか。Jovianの見間違いだったのだろうか・・・

 

一番の不満は、自分をイジメてくる同級生へのリベンジ方法があまりにも直接的だったことである。途中、誰もいない更衣室におびき寄せるまでは良かった。ああいう男にリベンジするなら、リベンジポルノではないが、脱がせたところに最大の屈辱と苦痛を味わわせてやればよいのだ。せっかく蟹をバリバリとかみ砕くシーンを入れているのだから、いじめっ子の男性自身も噛み切ってやればよかったのだ。それでこそ本物の魔性の女だろうに。

 

総評

タイトルはミステリ映画『 ガール・オン・ザ・トレイン 』をパロって(原題はLook Awayだが)いるものの、中身のテイストはホラー映画『 キャリー 』に近いものがある。ただ、色々な要素がどれもこれも中途半端なのである。逆に言えば、どういったジャンルの作品としても無難にまとまっているとも言える。COVID-19で外出する気にならないという向きは、自宅で鑑賞してはいかがだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a good night’s sleep

劇中では A good night’s sleep is essential. という風に使われていたが、実際には get a good night’s sleep という形で使うことも多い。同僚や部下が目の下にクマを作っていて、夜はぐっすり眠れたか?と言いたくなったら“Did you get a good night’s sleep?”と言おう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, インディア・アイズリー, カナダ, スリラー, 監督:アサフ・バーンスタイン, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ガール・イン・ザ・ミラー 』 -やや変化球な双子スリラー-

『 スノーピアサー 』 -階級社会の打破と脱出-

Posted on 2020年2月14日2020年4月20日 by cool-jupiter

スノーピアサー 65点
2020年2月11日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:クリス・エヴァンス ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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『 パラサイト 半地下の家族 』がアカデミー賞を席捲したのには、びっくりした。確かに相当に面白い作品だと感じた(75点をつけた)が、自分としては大穴的に『 ジョーカー 』が作品賞まで獲ると勝手に思っていた。この快挙を祝福すべく、シネマート心斎橋へ。ここは韓国映画推しの劇場で、2019年11月か12月の時点でポン・ジュノ特集を決めていた。劇場支配人の慧眼、恐るべしである。

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あらすじ

地球温暖化を止めるために人類は大気中にCW-7という薬品を散布した。結果として、予想以上に気温が低下し、地表は氷に覆われた。人類はスノーピアサーと呼ばれる列車の中でかろうじて生き延びていた。その列車の前方には上流階級が住み、後方には下層社会が形成されていた。後方車両の住人カーティス(クリス・エヴァンス)は仲間と共に前方車両へ反旗を翻すが・・・

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ポジティブ・サイド

WOWOWで放映されていたのを観たことがあったので、二度目の鑑賞になる。アカデミー賞受賞監督の作品という先入観を持って鑑賞しているわけだが、なかなかに凝った作りであると感じる。

 

まず、絶滅寸前の人類が、地下や海底、あるいはスペース・ステーションなどではなく、列車に暮らしているというのが面白い。我々も日頃から電車には乗るわけだが、電車には優等列車や優等車両というものがある。新幹線のグリーン車に日常的に乗るという人は、決してマジョリティではあるまい。一般庶民にして勤め人である我々は、満員電車で押し合いへし合いしながら奇妙な連帯感を育む。そうした我々の生活の究極の延長線上にあるのが、スノーピアサーの世界である。何をどうしたって、クリス・エヴァンス演じるカーティスを応援したくなるではないか。

 

こうしたディストピアもので思い出されるのは『 ソイレント・グリーン 』である。人口が爆発した世界とは対照的に、こちらの世界では人口が数百のオーダーにまで減ってしまっているが、いずれにしても頭を悩ませるのは食糧生産と管理である。『 ソイレント・グリーン 』もなかなか衝撃的であったが、こちらもかなりショッキングである。だが、見方を変えれば非常にリアリティのある設定とも言える。昆虫食は人類の人口爆発を支えるポテンシャルを秘めているし、あるいは人口が極限的に減ってしまった時にも、手間が家畜ほどにはかからないとも考えられる。似たような極限状態を描いた作品には『 白鯨との闘い 』がある。どこまで行っても人間の本質は、Homo homini lupusなのかもしれない。

 

人類最後の砦となるものが塔だとか迷宮だとか地下の要塞であれば、爆破するなどの破壊的な強硬手段も考えられるが、半永久的に走り続ける列車なので、爆破してしまうと先頭車両に置いて行かれてしまう。なので、一車両ごとに律義に攻略していかねばならない。これも設定の妙である。その扉を一つ一つ開けていくソン・ガンホ演じるナムグン・ミンスが良い味を出している。これほど美味そうに、かつ気だるい感じで煙草を吸うのは、石原裕次郎ぐらいしか他には思いつかない。また、眼の奥にただならぬ力を感じさせる顔面の表現力はアジア随一であろう。

 

反乱は成功するのか。先頭車両には何が待ち受けているのか。『 Vフォー・ヴェンデッタ 』のジョン・ハートは、やはり正義を標榜した悪役が似合う。

 

本当は60点だが、ご祝儀で5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

スノーボール・アースとなってしまった説明はそれなりに納得がいくものの、何故スノーピアサーという列車が走っているのか。そもそも何故そんな列車の建造が計画され、世界を一周するような線路が敷設されたのか。そのあたりの説明が不足していた。ましてやスノーピアサーが運行を開始して、たった17年である。これが走り始めて100年も経っていたなら、もはや何故、どのようにしてスノーピアサーが走り始めたのかは歴史以前のこととして受け止められるが、17年というのはいかにも短い。このあたりはキャラクター同士の人間関係というものもあり、なかなか設定が難しかったのかもしれないが、何らかの説明が必要であるとは感じた。

 

COVID-19が収束を見ない状況だからかもしれないが、後方車両の人間たちはあの衛生状態では長く生きられないだろうと思われる。一度でも何らかの感染症がアウトブレイクしてしまえば一網打尽だろう。閉鎖環境であっても病人は発生するし、異所性感染のリスクも常に存在するのである。

 

後は仏像にこだわる日本人というのが面白くなかった。もちろん、日本は朝鮮半島を植民地にして多くの文物を奪っていったわけだが、グローバルな視点からジャパン・バッシングをしたいのなら、妙な精神世界を持っているという特徴よりも、徹底的な集団同調主義かつ日和見主義に描いた方が面白くなったはずである。

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総評

祝日ということを差し引いても、いつも以上の客の入りだった。シネマート心斎橋の席が8割以上埋まっているというのは初めて見たように思う。それだけアカデミー賞4冠のインパクトは大きいのだろう。本作も標準以上の面白さを備えた佳作であり、ポン・ジュノ監督の問題意識の萌芽が色濃く反映された痛烈な現実批判映画でもある。格差に対しては二通りの対処がある。1つには、格差を生む構造そのものをぶち壊すこと。もう1つには、自分が「持たざる者」から「持てる者」にとって代わること。本作の結末が示唆するのは何か。それは、レンタルや配信でお確かめ頂きたい。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How’s it hanging?

How is it hanging?とは言わない。必ずHow’s it hanging?という短縮形で使われる。Hello. や What’s up? と同じ意味で、よりカジュアルな言い方である。ほぼ男同士のしゃべりでしか使われない。その意味はこのフレーズを直訳してみた時に、itが何を指すかを考えてみれば分かるはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, SF, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, ソン・ガンホ, フランス, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 スノーピアサー 』 -階級社会の打破と脱出-

『 テルアビブ・オン・ファイア 』 -秀逸なブラック・コメディ-

Posted on 2020年2月12日2020年9月27日 by cool-jupiter

テルアビブ・オン・ファイア 70点
2020年2月11日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:カイス・ナシェフ
監督:サメフ・ゾアビ

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イスラエル・パレスチナ問題にはそれほど詳しくないものの、基本的な知識さえあれば楽しめるし笑える作品である。『 判決、ふたつの希望 』や『 エンテベ空港の7日間 』のように、中東やイスラエル関連のストーリーにはシリアスなものが多いが、中にはこのような愉快な作品もあるのである。

 

あらすじ

人気ドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」。その制作現場で発音指導をするパレスチナ人青年サラム(カイス・ナシェフ)は、毎日イスラエルの検問所を通っている。ある日、検問所の主任アッシに呼び止められたサラムは、自身を「テルアビブ・オン・ファイア」の脚本家だと偽ってしまう。ところが、ひょんなことからサラムは本当に脚本担当に出世してしまう。困ったサラムは、毎日検問所でアッシからヒントをもらうようになり・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianがイスラエル・パレスチナ問題を本当に意識するようになったのは、高校生の時おラビン首相暗殺のニュースだった。確か中3ぐらいの時に『 JFK 』をビデオ2巻で見て、「本能寺の変よりスケールでかいことが、ほんの数十年前に起きてたんだなあ」と呑気な感想を抱いていた後のことだったので、イスラエル首相の暗殺のニュースとその後の識者による解説や新聞記事で、問題の根の深さを知った次第である。前提となる知識にこれぐらいあれば望ましいのだろうが、「片方が片方を占領して揉めている」という理解があれば十分であろう。

 

本作の面白さの第一は、作り手と受け手の温度差である。パレスチナ人制作のドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」のプロットをイスラエルの軍人であるアッシに相談するという逆転の発想である。めちゃくちゃ乱暴に例えると、英国統治下のアメリカが、独立戦争前夜のドラマや戯曲を作るのに、英国軍人にアドバイスを求めているようなものである。そして英国人のアドバイスに従って作ったドラマが、アメリカ人に好評を博すということである。もしくはGHQの統治下にあった日本が、太平洋戦争前夜にアメリカにスパイを送り込むドラマを作り、そしてそのドラマのプロットのアドバイザーにアメリカ人を据える。そして、アメリカ人好みに作られたドラマが日本人に大ウケするということである。この一見するとありえないような馬鹿馬鹿しさが面白い。発想の勝利である。

 

本作の面白さの第二は、兎にも角にもアッシというイスラエル軍人のキャラ設定にある。我々は軍人というと、融通の利かない石頭であると考えがちである。しかし、このアッシという男は、軍人の目から見てもリアリティあるドラマに仕上がるようにと、非常に的確でリアリティのあるアドバイスを送る。特に機密文書の在処や、それを保管しておく場所の鍵、その鍵をどうやって手に入れるのかetcについての議論は、漫画『 ゴルゴ13 』的であった。それが本当かどうかは別にして、リアリティが濃厚に感じられるということである。『 シン・ゴジラ 』的であるとも言えるかもしれない。このアッシはまた、家族や恋愛関係においても、非常に有益なアドバイスをサラムに送る。そのサラムはどうやら母子家庭で、父親はどこに?という疑問や、サラム自身のちょっとした特徴に関する疑問が、終盤のシリアスな展開で鮮やかに紐解かれる。そこで初めてアッシという男が、サラムにとっての家父長的な意味での父親、つまりユング心理学的な父親であり、同時に人生における positive male figure の役割も果たしていたことが分かるのである。それはすなわち、イスラムの神アッラーにイスラエルの神ヤハウェに共通する属性である。彼らは同じ神を違う角度から見ている・・・というのは考えすぎか。一つ言えるのは、アッシの言動が物語を強力にドライブするという存在であるということである。彼の言う「愛し合う者たちが行うことは何か?」という問いへの答えは、多くの独身および既婚者の、特に男性(日本では)を頷かせ、また震え上がらせることであろう。既婚男性諸君は今からでも遅くないのでアッシの忠告を実践に移すべし。これから結婚しようかという諸賢には、結婚生活の最初からアッシの中高を実践されたし。恋人がいるという男性は、付き合うまでは必死に彼女を口説いたことと思うが、付き合いがスタートしてしてからは、やはりアッシのアドバイスを忠実に実行せねばならない。余裕があれば『 ハナレイ・ベイ 』の吉田羊のアドバイスも聞いておくべし。アッシの助言と村上春樹の助言に、人類普遍の真理を見ることができるだろう。

 

Back on track. 面白さの第三は、イスラエル側の市民の反応である。もっと言えば、アッシの家族の反応である。アッシの母や妻は当然ごとくイスラエル人であるが、アラブ系の女スパイとイスラエル軍の将軍とのロマンスを手に汗握って見つめる様子である。これも適切ではない例えかもしれないが、日韓関係は歴史の時々で悪化を見てきた。今も関係は決して良くない。だが政治的な関係が良好ではなくても、その他の関係までもが悪化するとは限らない。日本には今日もキムチや焼肉を食べ、韓国映画や韓流ドラマを観て、K-POPを聴いている人が少なくとも数十万人、多ければ数百万人はいるはずである。イスラエルとパレスチナも、市民レベルでは似たような関係であると推察されるし、またそうあって欲しいと願うし、そうあるべきだと信じている。そうした、ある種の能天気とも言える市民レベルのリアクションは、本作のようなブラック・コメディが言葉そのままの意味で悪い冗談にならないためにも必要である。

 

面白さの第四は、主人公サラムのビルドゥングスロマンである。金もない、恋人もいない、借金はあるというダメ男のサラムが、脚本家という職を得て、借金を返し、かつて好いた女性マリアムとの距離を再び縮めては広げ、広げては縮めていく過程は、全世界の男性を勇気づけるはずである。特に日本では、いわゆる氷河期世代の男性の共感を呼びやすいのではないか。サラムがドラマの登場人物の口を借りて、マリアムにメッセージを届けることには二重の意味がある。一つは、彼は決してマリアムのことを諦めたわけではないということ。もう一つは、アッシという良い意味で悪い意味でも父親的存在のアドバイスで仕事をこなしていたはずが、いつの間にか独力で仕事ができるように成長していっているということである。脚本も務めたサメフ・ゾアビ監督が、パレスチナの若い世代にエールを送っているかのようである。パレスチナを離れ、パリやニューヨーク、東京でも仕事ができるかもしれない。そう夢想するサラムと現実路線のマリアムの対話には、インド映画の『 ボンベイ 』のヒンドゥーとイスラムの夫婦のような言い難い難しさがある。

 

現実の人間関係とドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」が不思議にリンクしながらも、結末は文字通りにすべてを吹っ飛ばす。ここに来てストーリーは一気にブラック・コメディからギャグ漫画の域に到達する。ここにもおそらく二つの意味がある。一つは、商業的な理由でイスラエル・パレスチナ関係を終わらせたくないという人々がいることをユーモラスに批判しているということ。もう一つは、映画というフィクションの世界では夢を見てもいいでしょう?ということである。これが果たして結末にふさわしいかどうかは、観る人によって解釈が分かれるだろう。しかし、笑ってしまう結末であることだけは保証する。

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ネガティブ・サイド

冒頭のシーンで、できれば簡単な静止画もしくは映像付きでイスラエル・パレスチナ問題の説明があれば親切であったと思う。ドラマ撮影のシーンをそのまま導入に使うというのも悪いアイデアではないが、メタな展開を見せることそれ自体は観客の大部分はすでに知っているのだから。

 

また個人的な要望になるが、サラムとマリアムの恋愛未満の関係の描写をもう少し見てみたかった。本作は97分であるが、105分ぐらいに拡大しても誰も文句は言わないだろう。サラムの家庭環境やマリアムの実家の店での買い物シーンをもうちょっと拡大もしくは丁寧に描写することは十分に可能だったはずである。

 

冒頭のシーンからずっと不思議に思っていたことだが、テレビドラマの脚本家というのは、通常ならドラマのエンディングのスタッフロールでその名がしっかりと確認できるはずである。別にドラマの放送まで待たずとも、その場でスマホでドラマの公式サイトを検索して調べることもできたはずである。アッシがちょっと間抜けでお茶目な軍人さんという設定であれば、こうしたご都合主義的な展開もありなのかもしれない。しかし、終盤にサラムがイスラエルとパレスチナを隔てる壁の存在に打ちのめされる無言のシーンが存在する。その圧倒的にリアルな壁の存在とずさんなIDチェックが、どうしてもJovianの中では両立しなかった。

 

総評

政治風刺の色が濃いが、専門的な知識はなくても楽しむことは可能である。日本と近隣諸国の関係を投影して鑑賞してもいいし、サラムという主人公に自分の人生を重ね合わせて鑑賞することもできる。と同時に、観終わってすぐにイスラエル・パレスチナ問題について勉強したくもなるだろう。鑑賞後に「あー、面白かった/つまらなかった」という感想だけで終わる作品は多いが、「これはもっと調べてみなければ」という行動変容を起こさせる映画はそんなに多くはない。本作は、その数少ない一本だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t give a shit.

『 アップグレード 』でも紹介した表現。「そんなもん知るか、コノヤロー」のような意味である。この後に5W1H S + Vのような形が続くことが多い。

I don’t give a shit what you think.

あんたがどう思っても私には関係ねーんですよ。

I don’t give a shit where they live.

あいつらがどこに住もうと、どうでもいい。

心の中で“Boss, I don’t give a shit what you think about me.”と思う頻度が高くなってきたら、転職活動を始める時期が近付いていると考えてよいかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イスラエル, カイス・ナシェフ, ブラック・コメディ, フランス, ベルギー, ルクセンブルク, 監督:サメフ・ゾアビ, 配給会社:アットエンタテインメントLeave a Comment on 『 テルアビブ・オン・ファイア 』 -秀逸なブラック・コメディ-

『 人生、ただいま修行中 』 -看護師の卵に光を当てた異色ドキュメンタリー-

Posted on 2020年2月9日 by cool-jupiter

人生、たたいま修行中 75点
2020年2月8日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:看護師の卵たち
監督:ニコラ・フィリベール

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2019年にシネ・リーブル神戸で上映していたのを見逃したが、塚口サンサン劇場のおかげでキャッチアップ。何を隠そう、Jovianは大学卒業→就職→退職→内定取り消し→看護学校入学→看護学校中退→再就職→現在に至る、という経歴の持ち主である。看護学校には2年ちょい通っていたが、体を壊したのと他にも諸々あって辞めてしまったが、本作を観て I genuinely felt redeemed.

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あらすじ

フランスはパリ郊外の看護学校。そこには年齢や性別、人種などが異なる学生たちが看護師になるべく学んでいた。彼ら彼女らは、座学、実技を学び、看護実習を経て、教師らとの対話を持って、成長していく・・・

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ポジティブ・サイド

本作は

1.座学と実技
2.病院実習
3.学校で教師と共に実習を振り返る

の三部構成になっている。Jovianは冒頭のシーンから、言葉そのままの意味でスクリーンに引き込まれてしまった。血圧測定に挑む看護学生が動脈の位置を探り、マンシェットを巻き、聴診器を肘当たりに当てて、エアを送り込み始めたあたりから、ザワザワとしていた周囲の医療スタッフが一斉にシーンと静まったからである。まさに看護学校の空気である。初回にバルブ調整を失敗し、一気に空気を抜いてしまうのは、多くの看護学生が通る道である。また、その学生が収縮期血圧を聞き取れなかったのに対し、指導スタッフがそれを読み取っていた、というのも「看護学生あるある」である。また看護倫理に関わる講義の内容は、Jovianが学んだものとまったく同じであった。余談として、映画では触れられていなかったものの、看護の世界で学んだSOAP記録方式や14の基本的ニーズの考え方は、職業人としてMECEを意識する際の大いなる助けになっている。特にSOAP方式は語学学習に悩む人に適切なカウンセリングや学習コンサルテーションを提供する際に非常に重宝する思考ツールになっている。

 

Back on track. 看護学校で繰り広げられる座学や実技の演習には、キラキラとした青春の輝きなどはない。日本と違ってフランスでは、看護学生というのはある程度酸いも甘いも嚙み分けた人間、20代後半以上の者が通っているようである。このことが、個人的なredemptionにつながってきた。本作にはナレーションもBGMもない。製作スタッフからのインタビューに答えるような形での独白も挿入されてはいない。徹頭徹尾『 サウナのあるところ 』と同じく、人が心情を素直に吐露する瞬間を収めることに努めている。それが非常に心地よく映る。映画というのは基本的には100%作為が働いて作られるものであるが、ドキュメンタリー映画の登場人物や台本通りに動く役者ではない。だからこそ出せる味というものがあり、本作にはその“味”が随所で濃厚に出ている。

 

病院実習の場面も看護学生あるあるのオンパレードである。初回の実習というのは症状がかなり軽い、あるいは退院目前の方の問診程度であるが、Jovianは確か4人組で行ったと記憶している。そして、その4人が4人、思い思いに自分のしたい質問を患者さんにぶつけてしまい、深い情報、欲しい情報は誰も取れなかった。あの時は自分の実習のことを考えてしまい、患者さんの容態や気持ちについて考えていなかった。その余裕がなかったのではなく、そうすべきであるということ思い至っていなかった。シチュエーションは全く違うが、急変した患者さんにわらわらと群がり、口々に質問を投げかける実習生たちに10年以上前の自分の姿を見た。そして心の底から「頑張れ!」とエールを送ることができた。「何やってんだ、このボンクラ!」と普段の自分なら思いそうなところで、肯定的な気持ちになれた。看護学校中退を黒歴史だとか人生の汚点だとは思わないが、肯定的に思えたこともなかった。本作によって、過去の自分に対してポジティブに向き合えた気がした。思いがけない収穫だった。この章で個人的に最も首肯したのは、「白衣の有無について」だった。学生であろうとプロであろうと、白衣を着ている限り頼りになる人、あるいは人によっては「敵」と見なしたりすることもある。本作には出てこないが、小児科の患者、つまり小さな子どもは時々そういう態度をとるし、症状の軽い整形外科の喫煙患者などもその傾向がある。白衣で心を開く人もいれば、白衣によって心を閉ざす人もいる。これはその他多くの仕事にも当てはまるかもしれないと思う。また、Jovianは看護師の母の勤める病院で血液検査を受けたことがある。その時に母の同僚の看護師さんが採血するにあたって、「あら、どっちの血管で取ろうかしら!」と言った後、思いついたように「学生さーん!!」と実習生を呼んで、練習台にさせられた。良い思い出である。同じように、患者さんは実習生に対して優しく接してくれているのを見て、癒された。「俺は注射が大好きだぜ!」と笑っていいのかどうか分からないジョークを飛ばす患者も登場する。もしも採血の時に学生を呼ばれたら、それはあなたの血管が非常に太く、見やすく、練習に適しているからである。どうか看護師の卵に寛大に接してあげてほしい。

 

教師と共に実習を振り返る最終章では、多様性についての温かな眼差しがあった。「自分は技術屋で事務仕事はしてこなかった。採血や注射はいいが、書類仕事は勘弁してほしい」という男子学生や、「自分は頭を使って色々考えることはできたが、他の学生やスタッフとうまくコミュニケーションが取れなかったし、患者の心にも寄り添えなかった」という、やはり男子学生に大いに共感した。そして、そんなある意味で不器用な男たちに「色々な看護師が存在して良いのだ」というフィードバックを与える教員に、Jovianは赦しを与えられたように感じた。Redemptionである。漫画『 おたんこナース 』の最終話と同じく、多様性を許容する土壌と度量がフランスにはある。伝え聞くところによると日本の看護学校は大昔から、知識、器用さ、寄り添う心のすべてを学生に求めるようである。Jovianは自分で言うのもアレだが知識面は問題なかったが、寄り添いの心と手先の器用さに当時は難があった。そのことを教員に責められもした。受け持ちの患者さんが急変し、緊急手術になったと泣いていた学生を怒鳴りつける教員などもいたのである。泣いても解決にならないのは確かであるが、しかし、死にそうになっている人に対して動揺し、涙を流してしまうという感性は決して否定されるべきではないはずだ。十人十色という多様性を肯定することわざの意味を考えるべきであろう。本作に出てくる教員の一人が言う「自分の感性を受け入れれば、それは仕事の妨げにはならない」という言葉は、多くの看護学生への励ましになるだろうし、ドロップアウトしたJovianのような人間にとっては福音にも聞こえる。

 

看護師というと白衣の天使だとか何だとか言われるが、実際には苦悩する血肉のある人間なのである。学生ならば尚更である。そうした学生と教員、指導現場のスタッフとのやりとりをほとんどありのままに切り取った本作は、ドキュメンタリーとしては異色であるが、人間の根源に迫っているという意味では王道である。

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ネガティブ・サイド

一部のテクニカルタームは一般人にはさっぱりであろう。というか看護学校中退のJovianにもよくわからない話が時々あった。カジュアルであろうとディープであろうと、通常の映画ファンにはわかりづらい場面が多いかもしれない。特に頭で場面場面を分析しながら観るスタイルの人には疲れる映画だろう。

 

また、当然至極ではあるが、スペクタクルなカメラワークなども存在しないし、視覚的に訴えてくるような演出もない。BGMすらない。つまりは、シネマティックではないということである。そのためかどうかは分からないが、Jovianの嫁さんは前半は船を漕いでいた。

 

また特定の登場人物にフォーカスしていないので、感情移入しづらいかもしれない。彼ら彼女らの名前も一切明らかにされないので、シーンごとに入り込めないと、非常に傍観者的な気分にさせられるだろう。

 

総評

エンターテインメントではないが、上質なドキュメンタリーである。看護師の卵たる学生や本職のプロの看護師、それに医療従事者、さらに教育者や親やサラリーマンなども、本作からは多大な示唆を得られるだろう。人と人との対話や交わりに関して、非常に inspirational な作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語会話レッスン

Oui, s’il vous plait

英語では“Yes, please.”、日本語では「はい、お願いします」となる。学生が教員「に実際に手本を見せようか?」と言われて、“Oui, s’il vous plait”と返すシーンがある。“Non merci”とセットで身につけておきたいフランス語の基本的表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, ドキュメンタリー, フランス, 監督:二コラ・フィリベール, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 人生、ただいま修行中 』 -看護師の卵に光を当てた異色ドキュメンタリー-

『 デンジャラス・バディ 』 -やや凡庸な女刑事バディもの-

Posted on 2020年1月27日2020年1月28日 by cool-jupiter

デンジャラス・バディ 55点
2020年1月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サンドラ・ブロック メリッサ・マッカーシー
監督:ポール・フェイグ

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嫁さんが借りてきて、一緒に観た。まあ、普通の出来ではないだろうか。真犯人はこの二人のどっちかだろう、と迷っている最中にヒントが。まあ、ミステリではないので謎解き要素を求めなければ、そこそこ楽しめるはず。

 

あらすじ

敏腕FBI捜査官のアッシュバーン(サンドラ・ブロック)は上司の昇進に伴って、空いたポジションを得ようと意気込むが、その上司からボストンの事件を担当するに命じられる。そこでは粗野で乱暴な女刑事マリンズ(メリッサ・マッカーシー)とコンビを組むことになってしまった。水と油の二人は果たしてバディとして認め合って、事件を解決できるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

劇場公開2014年の作品であるが、アラフィフのサンドラ・ブロックが胸元をかなり露出し、悪玉にお色気作戦で近づき、そしてバディ役であるメリッサ・マッカーシーに酒場その他の猥談で完敗を喫するのだから面白い。サンドラ自身も、こういう映画を大ヒットさせようとはあまり思っておらず、気分転換にたまには映画製作を気軽に楽しもうというノリでいるのではないか。そう思えるほどに脚本はぺらっぺらである。次の展開が見え見えである。だが、それで良いのである。アッシュバーンというキャラもどこかで観たキャラ要素の寄せ集め。美人で頭脳明晰な腕利き刑事。しかし男には縁がなく40代で独身。Single cat ladyをしているが、肝心の猫はお隣さんの借り物。吉田羊とテイラー・スウィフトを足して二で割ったようではないか。

 

バディ役を努めるメリッサ・マッカーシーは『 ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン 』をテアトル梅田で観た記憶がある。そして『 ゴーストバスターズ(2016) 』でも。レベル・ウィルソンと渡辺直美とフランシス・マクドーマンドを足して三で割ったようなキャラである。美貌はないが、勘の良さと腕っぷし、そして正義感と報われない家族愛とセックス・フレンドを持っているという、アッシュバーンとは正反対のキャラ。こういう二人を組ませようというのは、作ったような話でリアリティはない。だからこそ、逆に安心して観られるのである。

 

アッシュバーンとマリンズが互いを人間として認め合えるようになるため二つのクラブが重要な役割を果たすが、これらのシークエンスは誠にユーモラスである。我々が笑うのは、たいてい意味や認識にずれが生じている時だが、アッシュバーンの服装をマリンズが強制的に変えてしまうところに、ニヤリとさせられてしまう。決してエロティックな意味ではなく(それもないことはないが)、服をビリビリと破いてしまうことで、逆に男っ気のなさが際立ってしまうからである。このあたりから、この一風変わった女刑事たちが本格的な凸凹コンビに見えてくる。そして、次なるクラブのシークエンスで、凸凹コンビはバディとなる。酒というのは人間関係の潤滑油にも燃焼材にもなるが、酔っぱらった女二匹の乱痴気騒ぎは、確かに観る側をして彼女らを応援したくなる気持ちにさせてくれる。

 

事件の解決の仕方も明快だ。アッシュバーンに男はいりませんよ、というビジュアル・メッセージである。陳腐ではあるが、死線を共に潜り抜ける経験は「血よりも濃いものを作ることがある」(B’zの“RUN”)のである。

 

ネガティブ・サイド

ドジでお茶目なアッシュバーンが序盤から中盤にかけてどんどん冴えてくるのが、ちょっと不満である。敏腕であることは十分に伝わる。ただ、バリバリに仕事ができる女刑事ではなく、どういうわけか事件を解決できてしまう不思議ちゃん的なキャラが面白さの源泉なのだから、その設定を崩してはダメである。終盤でそのおっちょこちょいのダメ設定が復活するが、流血ネタにする必要はあったのだろうか?また仮にも警察官であればハイムリッヒ法ぐらい知っているのではないかと思うが。

 

マリンズのファック・バディが一人だけしか出てこないのも不満である。ファックの相手は10人中9人が黒人だというなら、黒人のバディも出すべきだ。そうすることでアッシュバーンとマリンズの女の艶のコントラストがくっきりと浮かび上がってきたことだろう。それによってアッシュバーンがマリンズ相手にシャッポを脱ぐのもスムーズになっただろうと思われる。そうしたシーンがないと、麻薬のディストリビューターの黒人男が追いかけて痛めつけるシークエンスが一種の弱いものイジメに見えてしまう。

 

また、内勤の黒人刑事も色々な情報を渡してくれるが、結局は主役の女性二人の引き立て役になってしまっている。サポート役ではなく引き立て役である。彼に警察官らしい見せ場を作ってほしかった。

 

総評

基本的にコメディであって、サスペンスやミステリ要素を期待してはいけない。とにかくメリッサ・マッカーシーのパワフルなパフォーマンスと、サンドラ・ブロックの微妙にずれた変なおばさんっぷりを楽しむ映画である。まあ、典型的なrainy day DVDだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Same page

縁の下の力持ちポジションの黒人捜査官のセリフである。正しくは“We are on the same page.”だが、略してsame pageとなっている。be on the same page = 同じページにいる = 共通の認識を持っている、という意味である。外資系企業の会議では“Are we on the same page?”や“I believe they and we are on the same page on this deal.”というように使われているはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, コメディ, サンドラ・ブロック, メリッサ・マッカーシー, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:エスピーオーLeave a Comment on 『 デンジャラス・バディ 』 -やや凡庸な女刑事バディもの-

『 ハルカの陶 』 -元・備前市民によるやや甘口かつ辛口レビュー-

Posted on 2020年1月27日2020年10月18日 by cool-jupiter
『 ハルカの陶 』 -元・備前市民によるやや甘口かつ辛口レビュー-

ハルカの陶 70点
2020年1月25日 プラット赤穂シネマにて鑑賞
出演:奈緒 平山浩行 笹野高史
監督:末次成人

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Jovianは岡山県備前市伊部に8年住んでいたことがある。まさに伊部駅から高校へ通学していたし、映画にはJovianの実家があった場所も一瞬だけ映ったし、実家そのものも映った(というか身バレ上等で書くが、スナックがずばりそれである。あそこは昔、焼き肉ハウス「ジャン」という店でJovianの両親が経営していた)。またほんの数年前までは毎年1~2回は帰省していた土地である。それなりに最新の状況も見聞している。なので、好意的にレビューしているところもあるし、かなり厳しめにレビューしているところもある。

 

あらすじ

東京でOLをしていたハルカ(奈緒)は偶然に目にした備前焼の大皿に心を奪われてしまった。そして、その作者である若竹修(平山浩行)に弟子入りするために、岡山家備前市伊部を訪れたのだが・・・

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ポジティブ・サイド

劇中登場人物たちの岡山弁はまあまあ上手い。程度の低い邦画では、むちゃくちゃな関西弁が幅を利かせていたりするが、『 ちはやふる 』における福井弁のように、地方の方言に対するリスペクトを欠かさない映画監督はまだまだいる。こうした作り手は大切にしたいし、こちらもリスペクトしたい。

 

ハルカが備前焼に惹かれるようになるまでを一瞬で描き切るのも潔い。生まれ育ちがどうで、交友関係がどうで、こんな仕事をしていて、今はこんな日常を送っています、というような描写をほとんど全部省いてしまうことで、我々観る側もハルカと共にまっさらな状態で備前焼の世界に入っていくことができる。備前焼というのはメジャーな世界ではメジャーだが、全国規模で考えれば全くもってマイナーな陶器であり、芸術であろう。だからこそ、描くべきは備前焼の世界であって、ハルカというキャラクターの背景はノイズになる。だからそぎ落とした。末次監督のこの判断は正解である。

 

ハルカの師匠となる若竹修の造形も良い。真に迫っている。職人というのは往々にして、気が乗らないと仕事をしないし、逆に興が乗ってくるといつまでも仕事をしている。その姿は時に神々しくもあるだろう。ハルカのスイッチが本格的に入ってしまったのにも納得ができる。少し例は違うが、Jovianは実際に窯出しされてすぐの作品を作家(同級生の父)がポイっとその場で投げ捨てるのを見たことがある。芸術家の美意識というのは、普通の人間とは異なるのである。その点でハルカが若竹修(の作品)と波長が合ったという事実が、ハルカは東京で没個性的に生きていたのだという背景情報を補足してくれている。Aを描くことでBを明らかにするという、大人の手法である。それにしても、この若竹修を演じた平山浩行には感じ入った。おそらく彼のキャリアの中でベストのパフォーマンスではないか。心の鎧を脱いだ瞬間に流す滂沱の涙は改悛の涙であり、子ども返りの涙であり、恐怖や不安から解放された安堵の涙でもあった。近年の邦画の男泣きの演技の中では白眉であろう。

 

そのハルカを陰に日向に支える人間国宝の榊陶人(笹山高史)も良い味を出している。イメージ的には金重陶陽か藤原啓だろうか。岡山弁もかなり練習しており、また作務衣が異常によく似合っている。ハルカにとっても修にとってもpositive male figureを体現しており、彼の存在が物語のリアリティを一段高めている。

 

ハルカが菊練りやろくろの実演に悪戦苦闘するところも好感が持てる。やってみれば分かるが、ろくろを回して形を作る時には、指の腹を使わないとあっという間に粘土がペラペラになってしまう。そのことを師匠の修や同世代の弟子練習から教わるのではなく、野良仕事に精を出す「宮本のおばあちゃん」なるキャラから間接的に教わる描写が秀逸である。一か所に集中するためには全体像を見なければならない。そうした気づきを直感ではなく、人との関わりから学ぶ様が心地よい。ハルカが妙な土ひねりの才能を発揮したりしないところが良いのである。そんなハルカだからこそ修や陶人、その他の備前焼作家の卵たちとの交流や衝突がリアルであり説得力を生んでいる。

 

小ネタだが、伊部小学校の校長室に過去の小学生の優秀作品が飾られているというのは確かにJovianも聞いたことがある。細かいところをしっかり取材しているのは素晴らしい。これは原作者のディスク・ふらい氏の取材力を褒めるべきか。また修が「備前焼は用の器」と言い切る言や良し。実際は茶器やマグには使えるし、一部の和食を盛り付ける平皿や大皿にも使えるが、直火や高熱に弱い、表面がざらついているのでパクついて食べるような料理には使いづらい。だが、直火に弱いところや釉薬を使うことなく表面が滑らかな備前を作ろうと奮闘する若い世代がいるのも事実。Jovianの同級生も若干名が新生面を切り拓こうと奮励している。若竹修というキャラクターに、そうした気概を見出すことができたし、小山ハルカというキャラクターにそうした未来を託せるような気がした。備前のことを肌で知っているJovianにこのように言わしめるのだから、本作品のクオリティは高いと判断してもらってよい。

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ネガティブ・サイド

残念ながら大きな粗もいくつかある。最大のものは時計の示す時刻。午前8:00前に車で飛び出した修が、駅についてみると11:15とはこれいかに。修の窯から伊部の駅は、車なら5分ほどのはずだが。撮影や編集の時点で誰も気づかなかったのか。ありえない。こういう時はCGで時計盤を修正してもよいのだ。

 

また伊部周辺の地理の描写がめちゃくちゃである。一部のブログ記事やレビューに、「伊部でロケをしていて、町並みの描写は実際のものに忠実」というような解説が見られるが、残念ながらかなりテキトーな記述であると言わざるを得ない。関西人に分かりやすく説明するとしたら、「ハルカは大阪から京都に行こうとした。大阪を出発したハルカはまずは新大阪に着き、そこから尼崎、伊丹を経て、高槻へ。高槻から交野を経て、京都に着いた」というような移動をしていたりする場面がある。ただ、これは地元民や地元をよく知る人間以外にはネガティブとはならないだろうが。

 

備前焼は「土と火と人が作る」というセリフが語られるが、土と火へのフォーカスが不足していると感じた。備前焼の材料となる土は粘土とも呼ばれ、伊部の田んぼだった土地の地下深くから掘り出されることが多い。小ネタになるが、山陽新幹線を新大阪―岡山間に通すとき、基礎工事で伊部の土を掘り返したとき、地元の住民はこれ幸いとばかりにその土を回収したと言われている。単なる土が黄金のような価値を持っているのである。そうした良質な粘土を生む土地、その元となる田んぼの描写が欲しかった。火も同様である。プロの作家はその目で炎の様子を見て、顔に水膨れを作りながら、窯の番をする人もいるのだ。炎の大きさや色合い、それによって生まれる熱風の流れ、だからこそ登り窯という独特の窯が生まれたのだという説明的な映像演出も欲しかった。

 

全体的にハルカ/奈緒にカメラが寄り過ぎであると感じた。奈緒というキャラクターも大切であるが、漫画という媒体では困難で、映画という媒体で可能なこと、色鮮やかに、さまざまな角度から、事物の変化を見せることである。土の粘り気や炎を揺らめき、小川の流れや田んぼ、畑、山などの土地や、備前焼の作品そのものを、もっと画面に映し出してほしかったと思う。

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Jovian所有の備前焼の一部

 

豆知識

店頭販売もしている窯元の人間は、若竹修とまではいかないが、不愛想な人間が多い。これは彼らは商売の売り上げの3割~5割を年に二日開催される備前焼祭りで稼ぐ、そしてもう3割~5割をお得意様相手の通販で稼ぐからである。畢竟、一見さんや旅行客にはぶっきらぼうになる。残念ながらこうした傾向は事実である。もしも備前を尋ねて「愛想がない人が多いな」と感じたら、「偏屈な職人だからしょうがない」と気持ちを切り替えて頂ければ幸いである。

 

本物の備前焼のとっくりは、あの程度では割れないし、折れない。

 

陶人の娘が苦悩しているのは非常にリアルである。Jovianの小学校の一つ上の学年には金重陶陽の親戚の孫にあたる生徒がいたようだが、彼は頑なに土ひねりはしなかったそうである。プレッシャーのためだろう。

 

『 哲人王 李登輝対話篇 』で少しだけ紹介した閑谷学校も本作では一瞬だけ映っている。瓦が全部備前焼で出来ているというユニークな特徴があるので、備前焼に興味のある向きは備前観光のついでに寄ってみても良いだろう。

 

備前焼は武骨な感じがしてちょっと・・・と敬遠する向きには播州赤穂の雲火焼きを紹介したい。備前焼が1000年の歴史を伝えるものなら、雲火焼きはここ数十年の間に“復活”した、現在進行形で進化中の陶器である。播州赤穂は塩と忠臣蔵だけの土地ではないのである(と、こっそり兵庫県もアピール)。

 

総評

備前焼をフィーチャーした作品というのは、この原作漫画以外にほとんど無いのではないか。せいぜい漫画『 美味しんぼ 』で2、3度取り上げられたぐらいだろう。そんなマイナーな文物を題材にした作品が映画化されるのだから、邦画の世界もまだまだ捨てたものではない。役者陣もなかなかに頑張ってくれている。土地や備前焼の周辺へのフォーカスが甘いと感じられるが、これはかなり厳しめの評価だと思っていただきたい。是非とも多くの人々に観て頂きたい作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

apprentice

「弟子」の意である。『 スター・ウォーズ 』世界におけるジェダイやシスは師=masterと弟子=apprenticeの関係が基本となっている。とにかく、弟子とくれば英語ではapprenticeが第一変換候補である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 奈緒, 平山浩行, 日本, 監督:末次成人, 笹野高史, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 ハルカの陶 』 -元・備前市民によるやや甘口かつ辛口レビュー-

『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

Posted on 2020年1月20日 by cool-jupiter

仮面病棟 65点
2020年1月19日に読了
著者:知念実希人
発行元:実業之日本社

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『 神のダイスを見上げて 』が結構読みやすかったので、本作(小説)も購入。現役医師が病棟を舞台に描くだけあって、臨場感もプロットの妙も、こちらの方がかなり上であると感じた。

 

あらすじ

外科医・速水秀悟は先輩の代打で当直バイトのため、田所病院に入った。その夜、ピエロの仮面をかぶった男が病院に押し入り、「この女を治せ」と腹部に銃創のある女性を連れてきた。ピエロは自らを金目当ての強盗だと言うが・・・

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ポジティブ・サイド

グイグイと引き込まれた。330ページ弱と、小説としては標準的な長さだが、2時間ちょうどで一気読みできた。帯の惹句の【 一気読み注意! 】という文言は本当である。

 

また医師が書いているだけあって、病棟の構造や患者の設定にリアリティがある。それも海堂尊の作品に共通して見られる、医師や医療従事者、官僚などが専門用語を使ったり、倫理観を戦わせたり、徹底した手洗いやオペの手技に悦に入っているような描写ではない。一般人にも十分に理解できるような語彙を使ったり、情景描写を行ったりしている。一方で、治療の場面などはスピード重視。専門的な語彙を存分に駆使しながらも、やはり海堂作品にやたらと見られる、ルー大柴的(日本語とカタカナ語のちゃんぽん)な言葉の使い方をしていないので、専門用語(数は多くない)も漢字から意味がスッと理解できたり、その後に続く動詞が平易であるので、何を行っているのかというイメージを脳内に描きやすい。なかなかの書き手である。

 

ジャンル分けすれば、ミステリ、サスペンス、シチュエーション・スリラーだろうか。この田所病院には「館」的な趣がある。そして、それは全く荒唐無稽ではない。おそらく本職の医師や看護師らコ・メディカルであれば、田所病院各階フロア図を見て何かに気づくことであろう。天狗になるわけではないが、Jovianも本文を読み始める前にピンときた。これは漫画『 おたんこナース 』のとあるエピソードから病院独特のシステムがあることを学んでいたからである。また同じく漫画『 スーパードクターK 』を読んだことがある人なら、とある闇のビジネスについてもピンとくるかもしれない。日本の社会構造が目に見える形で変わってきている今、こうした問題はいつか本当に起こるかもしれない。

 

数少ない登場人物、病院という閉鎖空間、時間にして一日足らず(実際は数日だが、事件そのものは一日足らず)という極めて短い時間でありながら、ミステリ要素も社会派要素も込められていた。小説の映画化ではないが、韓国映画『 ブラインド 』を日本式に換骨奪胎して成功させた『 見えない目撃者 』のような、ミステリとサスペンスの両方を貪欲に追求するような作品である。また、映画化に際して、永野芽郁の下着姿が拝めるかもしれない。これは知念実希人先生の隠れたグッジョブかもしれない。読むならば、次の日が休日の夜にすべきである。

 

ネガティブ・サイド

このピエロの犯人像には感心しない。詳しくは言及できないが、普通に考えれば速水よりも先に病院の構造上のある秘密に気がつくはずである(映画のトレイラーは盛大にネタバレを含んでいるので注意!)。また、ある程度大きな病院には地下に発電施設などがあることが多いが、この病院には地下室はない。うーむ。ストーリーが十分にアングラだからだろうか。

 

ひとつ不自然に感じたのは、あるキャラクターのある言動である。怪しいのはセリフそのものではなく、そのセリフを言う相手である。ヒントとしてあからさま過ぎる。

 

「もしかしたら・・・、いえ、先に確かめてきます」 

↓ 

死体として発見される 

 

のような現実世界では不自然極まりないがミステリ世界では全う至極な展開は構築できなかっただろうか。また、順番が前後するが、犯行の構造が『 神のダイスを見上げて 』とそっくりである。こちらを読んだ人なら、真相に一気に迫れるかもしれない。これは知念実希人の癖なのだろうか。

 

総評

あわよくばシリーズ化も狙えたかもしれないが、それをあっさりと放棄するエンディングは個人的に好感触であった。ダークヒーローというのは、マイノリティだからかっこいいのである。誰もかれもがダークヒーローになる必要はない。映画化に際しての不安材料は、トレイラーにある「国家の陰謀」なるナレーションである。そこまで話を大きくする必要はない。その点、小説版はコンパクトにまとまっている。映画はさらにもう一捻りを加えてくるのは間違いないと思われる。それが吉と出るか凶と出るかは分からない。吉3:凶7ぐらいの確率だろうか。非常にリーダビリティの高い作品なので、3月の映画公開前に一読をお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

clown

ピエロというのはフランス語で、英語では clown と言う。『 ジョーカー 』を思い浮かべてもらうのがちょうどいい。日本ではあまり見ない存在であるが、clown aroundという熟語は覚えておいて損はないかもしれない。「道化師のごとく、ふざけた真似をする」の意である。ただし、必ずしも顔をペイントしたり派手な衣装を身にまとったりする必要はない。飲み会などで同僚たちのバカ騒ぎが過ぎるときに、心の中でつぶやくとよいだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, シチュエーション・スリラー, ミステリ, 日本, 発行元:実業之日本社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

『 スティーブ・ジョブズ(2016) 』 -稀代の奇人のbiopic-

Posted on 2020年1月18日 by cool-jupiter

スティーブ・ジョブズ(2016) 50点
2020年1月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マイケル・ファスベンダー
監督:ダニー・ボイル

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Jovianの大学の図書館や寮のPCはある時期までマッキントッシュ一辺倒だった。中にはWindowsを熱心に推す先輩や同級生もいて、派閥抗争の様相を呈することもあった。当時はIEとネスケのブラウザ戦争が決着して数年という時代で、新しい何かを求める空気があったように思う。その新しい何かをもたらした男、ジョブズが死去して10年近くが経つ。あらためて映画でジョブズを振り返るのも良いかもしれない。

 

あらすじ

スティーブ・ジョブズ(マイケル・ファスベンダー)は新作マッキントッシュのプレゼンテーション前のあわただしい時間を過ごしていた。「ハロー」と発話するはずのPCが発話しない。「何としても直せ!」と部下に詰め寄るジョブズ。そこに認知していない娘リサとその母親クリスアンが訪れて・・・

 

ポジティブ・サイド

スティーブ・ジョブズについては生前から色々なことが報じられてきた。だいたいコンピュータ産業(現IT産業)で一旗揚げられる人間は偏屈な geek であると相場は決まっている。そしてジョブズはまさにその通りの人物であった。本作は、ジョブズの背景などには極力迫ることなく(この映画を観る人は、かなりの程度知ってるでしょ?的なスタンスで)、ジョブズの転機となった三つのプロダクト・ローンチのプレゼンの舞台裏を、超高速会話劇で描いている。なのでテンポは素晴らしい。サクサクと進んでいく。

 

また、セリフに次ぐセリフでドラマを動かしていく一方で、肝心な部分は映像で伝えてくる。幼い娘リサがマッキントッシュを使って線画を描くところが、その好例である。ジョブズのビジョンは常に、「直感的に使えるもの」、「子どもや老人でも手軽に使えるもの」だったことはよく知られている。その通りに、未就学児童のリサがマックを使えたということに感銘を受けるジョブズは、大人や親としてはどうかと思うが、ビジョナリーやアントレプレナーとしては素晴らしい。本作sはそうしたジョブズの欠落した人格の中に多大な能力や天才性を、実に巧みに浮かび上がらせている。

 

本作は、これまで経営者としてフォーカスされることの多かったジョブズの、家庭人(?)としての顔を浮かび上がらせた。ジョブズがいかに夫としても父親としても不適格な人間であるかを浮き彫りにすることで、彼の人間的な臭さと言おうか、もっと言えば娘に対する不器用すぎる接し方(それを愛情と呼ぶこともできるかもしれない)を前面に出すことで、頭のネジの外れた短気で吝嗇のテックナードという人間像が虚像に見えてくる。なんとも不思議であるが、それゆえに愛すべき嫌味な男という、ジョブズの人間性が際立っている。マイケル・ファスベンダーの面目躍如である。

 

ネガティブ・サイド

スティーブ・ジョブズやアップル、マッキントッシュに関する背景知識がある程度ないと、ストーリーに入っていくことができない。冒頭のコンピュータ産業の黎明の部分を、もう1~2分伸ばして、もう少しintroductoryなオープニングにできなかっただろうか。

 

ジョブズ以外のアップルの主要な登場人物たちが、とても味わいのあるキャラクターに描かれている反面、最後の最後にはジョブズの引き立て役にされてしまっているのが気になった。同じスティーブの名を持つウォズニアックを、小さな親切大きなお世話をする人間に描いてしまう(そう映った)のは、うーむ・・・ 本当の意味でコンピュータ産業を“前進”させたのは、ウォズニアックのはずだ。ジョブズはアントレプレナーでビジョナリーであった。それは間違いない。だが、時代を変えるようなプラグラマーやエンジニアではなかった。経営者 > 現場の人間 のような描き方は、小市民かつ平社員のJovianには刺さらなかった。

 

この作品は人間ジョブズの一面を捉えてはいるが、あくまで一面である。おそらくジョブズの歴史的評価も、2040年代や2050年代に定まってくるのかもしれない。ジョブズが執着した「コンピュータも芸術作品であるべき」という信念や、直感的に使い方が分かるプロダクトを作るという情熱の源については触れられない。そうした視点からのジョブズ映画も今後は作られてくるのだろうが、本作単体を見たとき、 biopic としての奥行に欠ける点は否めないだろう。

 

総評

天才というのは往々にして奇人変人狂人である。なので、彼ら彼女らのbiopicは上手く作れば面白くなるし、調理法を間違えると好みが大きく分かれてしまう。本作は、そういう意味ではかなり好みが分かれる作品に仕上がっている。日本は出る杭を打つか、引っこ抜くかしてしまうので、天才を描いた物語は存外に少ない。だが邦画の世界も、もっと真剣なbiopicを作るべきであると考える。中村哲先生とか、絶対にやるべきだと思うのだが。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll give you that.

「それは認めよう」の意。thatは、その直前の内容を表している。

Kei Nishikori is a fantastic tennis player. I’ll give him that.

のように、you以外を据えて使うことも可能な表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, マイケル・ファスベンダー, 伝記, 監督:ダニー・ボイル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 スティーブ・ジョブズ(2016) 』 -稀代の奇人のbiopic-

『 ザ・レポート 』 -愛国とは何かを問う-

Posted on 2020年1月18日2020年8月29日 by cool-jupiter

ザ・レポート 70点
2020年1月17日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:アダム・ドライバー
監督:スコット・Z・バーンズ

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遅ればせながらAmazon Prime Videoにsubscribeした。動画配信サービスはNetflixやHuluやUstreamなど、色々あって迷ったが、まずは通販で慣れ親しんだAmazonを選択。余裕が生まれれば、Netflixにも加入してみたいと考えている。まあ、アナログ人間なので、近所のTSUTAYAにも足繫く通い続けるとは思うが。

 

あらすじ

ダニエル・ジョーンズ(アダム・ドライバー)は、米上院議員のファインスタインの下で、CIAの行ってきた拘留および尋問に関する調査を行う。資料の山から判明したのは、CIAが「強化尋問テクニック」と呼ばれる拷問を行っていたということ、そしてその事実がひた隠しにされてきたということだった・・・

 

ポジティブ・サイド

9.11の余波は留まることを知らない。あのテロ事件によって、戦争とは国家間で行われるものではなく、国家ではない集団と国家の間でも起こりうるものだと認識されるようになったからだ。そして、戦争ほど非人道的かつ違法/不法な行為もないと思う。本作は、“戦時下”のアメリカにおける正義と愛国の意味を厳しく問うている。

 

拷問を「強化尋問テクニック」と言い換えるのは詭弁であり詐術である。まるで旧日本軍が撤退を「転進」と、全滅を「玉砕」と言い換えたのと同じである。拷問は拷問で、許されるものではない。戦争を錦の御旗にして暴走するCIAを、我々は本当ならば他山の石とせねばならない。しかし、日本では警察の取り調べすら、なかなか可視化されない。さらに、CIAによる文書やデータの隠蔽、さらには削除が行われていることも示唆されている。どこかの島国は何事も米国の20~30年遅れで行う傾向があるが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』で描かれたベトナム戦争時代のアメリカと同じような隠蔽工作が今も堂々と行われていることに唖然とさせられる。

 

真実を追求するのに効果を持たない拷問を、なぜにCIAは継続して行ったのか。そこに愛国心の罠がある。本作の劇中でも、とある女性キャラクターが「私たちは愛する国を守りたいから」拷問・・・ではなく、強化尋問テクニックを使っていると主張する。それに対してアダム・ドライバー演じる主人公ダン・ジョーンズは「僕も同じだ」として、愛国心ゆえにCIAの調査をしていると答える。愛国とは何か。国を愛することである。では、愛するとはどういう営為なのか。CIA局員たちは国家と自分を同一視する。自分の身が可愛い。自分の身を守りたい。偏狭な自己愛である。ダン・ジョーンズの愛国心は異なる。自分の理想とする国家像があり、国家がその姿になっていなければ、国家がそあるべく厳しく働きかける。どちらが健全な愛国心であるかは火を見るよりも明らかである。精神を国家に従属させる輩が昨今の日本の言論空間にも跋扈しているが、愛とは美しいものであり、同時に厳しいものでもあるはずだ。我々はそうした心構えを持たなければならない。心からそう思う。

 

それにしても、『 マーターズ 』とまではいかないが、繰り返される拷問の数々はショッキングである。普通の神経であれば、人間をそこまで痛めつけることに躊躇を覚えるはずである。そうならないのは、CIA側に負い目があるからではないか。すなわち、次のテロの情報が欲しいというのは建前で、9.11を阻止することができなかったという心理的なトラウマを、誰でもいいから痛めつけることで、癒したかったのではないか。『 新聞記者 』で描かれた日本の内調も狂っているが、CIAはもっと狂っている。作中で上院議員に「裏切者として」言及される『 スノーデン 』だが、ダン・ジョーンズはエドワード・スノーデンというよりも、『 JFK 』のジム・ギャリソンである。愛国とは、国の間違いを正す勇気を持つことである。愛国無罪は愛国ではなく、売国である。本作のメッセージを現代日本は真摯に受け止めなければならない。

 

ネガティブ・サイド

『 スノーデン 』でも『 ビリーブ 未来への大逆転 』でも、このようなbiopicの最後には本人が登場するものであるが、本作ではダニエル・ジョーンズその人は登場しない。残念である。しかも、演じるアダム・ドライバーが本人と似ても似つかない。アダム・ドライバーは今、最も旬な俳優であるが、もう少し容姿が似た役者をキャスティングできたのではないか。

 

制作国はイギリスであるが『 アンロック 陰謀のコード 』では主人公はCIA局員にして尋問のスペシャリストである。こうしたエキスパートが現在、CIAにいるのかどうかも知りたかった。退役軍人が歪んだ愛国心を振りかざし、付け焼刃ですらない知識を元に、「強化尋問テクニック」を生み出し、CIAがそれを採用するというのは、歴史の汚点である。その汚点が修正されたのかを我々は知りたいのである。

 

総評

Amazon Prime Videoでしか視聴できないようだが、こういった作品こそ日本の提供会社・配給会社は劇場公開できるように努力すべきである。「アメリカって怖いな」という感想にとどまってはならない。愛国心とは何か。正義とは何か。人権とは何か。問われているのはそれである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

see the light of day

字義どおりに「日の目を見る」の意である。

It’s a shame that his achievement hasn’t seen the light of day.

I’ve waited a long time for my debut book to see the light of day.

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, Amazon Prime Video, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, サスペンス, 伝記, 監督:スコット・Z・バーンズLeave a Comment on 『 ザ・レポート 』 -愛国とは何かを問う-

『 神のダイスを見上げて 』 -世界の終末+ヤングアダルト+ミステリ-

Posted on 2020年1月17日 by cool-jupiter

神のダイスを見上げて 50点
2020年1月15~16日にかけて読了
著者:知念実希人
発行元:光文社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200117163505j:plain
 

Jovianは世代的に終末ものが好きである。そして、このジャンルでは、佳作は量産されるが、傑作は生まれにくい。当たり前である。世界滅亡を描いて、だれもかれもが喝采を送ることができる作品など、そうそうは生まれない。だからこそチャレンジし甲斐のある分野であるとも言える。

 

あらすじ

直径400kmの超巨大小惑星が、あと5日で地球に最接近する。世界各国の政府は「衝突はしない」と発表しているが、それを疑う人間も多い。そんな中、高校生の亮の姉、圭子が殺害された。ほかに家族のいない亮にとって、圭子は“世界そのもの”だった。ダイス衝突によって一瞬で蒸発などさせない。犯人はこの手で殺してやる。亮はそう、固く決心し犯人を追うが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200117163527j:plain
 

ポジティブ・サイド

ミステリにおける常道、すなわち最も犯人っぽくない者が犯人である、というセオリーをちゃんと外してくれている。この著者はわかっている。ミステリファンは、読む前に犯人を当ててやろう、少なくとも犯人の属性を絞り込んでやろう、と意気込む生き物なのである。まず表紙カバーの女の子は除外する。あらすじから、天文学同好会やカルト集団「賽の目」の関係者も除外する。そして読み始めた。序盤から中盤にかけて「まあ、コイツが犯人だな」と感じられた。そして外れた。ミステリとしてはありふれた変化球であるが、Jovianは思いっきり空振りを食らってしまった。

 

クラスの禁忌とされる四元美咲もなかなかに良い感じである。とはいっても、綾辻行人の『 Another 』の見崎鳴のような存在ではない。ちょっとアングラでダークな女子である。物語は亮と美咲の関係性の発展をメインのプロットにしないのは清々しい。こちとら、セカイ系の作品は、ゼロ年代にそれなりに食べ散らかしたのである。

 

世界が滅亡する時、自分はだれの傍らにいたいのかと考えることは重要である。哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーは、ヘーゲル的な形而上学世界を批判した。同様に、我々は絶対的な世界を普段は意識することなく、我々自身の属する“生活世界”に生きている。その“世界”とは、人によっては会社であり、家庭であり、学校であり、また一個人でもありうる。だが、そうした“世界”の崩壊は、それこそ世界そのものの終わりに近いインパクトを与えることもある。会社をリストラされても、それを家族に告げられず、毎朝、ちょっと遠くの公園に出勤するオジサンを、誰が笑えるだろうか。

 

星が降ってくる物語としては、『 君の名は。 』よりも『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』のテイストに近い。また、“世界”=一個人に押し込めてしまう世界観は『 火口のふたり 』のそれに近い。この辺の作品を楽しめたという人なら、この小説も楽しめるように思う。

 

008ページでの映画『 アルマゲドン 』への言及にニヤリ。本作は、映画化するとしたら105分のアニメーションになるだろう。

 

ネガティブ・サイド

小惑星が落下してくる直前で、警察のマンパワーも治安維持に回されるのも詮無いことであるが、ミステリ要素に関してはもう少しフェアプレーが必要だったと感じられた。検死まではしないにしても、膣に裂傷がないかどうかぐらいはルーペで調べるものだ。その有無で犯人の属性がかなり絞られる。Jovianも帯に「全裸で胸にナイフを突き刺された」とあることから、怨恨?強姦?計画的?などクエスチョンマークをかなり頭に並べた状態で読み始めた。しかし、欲しい情報、あるべき情報はなかった。純粋なミステリ作品ならば、これはアウトである。ジャンル混合作品としても、アンフェアである。

 

主人公の亮というキャラクターの頭が悪すぎる。男子高校生というのはその程度なのかもしれないが、それに付随して刑事たちまで頭が悪すぎる。

大学構内で真夜中に殺人事件発生 → 第一の容疑者は高校生 

いくら無理やりにでも事件を解決したい事情があるにせよ、これは酷過ぎる。どう考えても、その大学の関係者が実行犯だろう。冤罪でもなんでも構わないからホシを挙げたいという気持ちは理解できる。世界が滅亡する瞬間、小さな子どもの側にいてやりたい。親として自然な欲求であり、願望だ。だったら大学の同級生や職員、警備員などを無理やりワッパにかければ済む話で、高校生の亮(いくら死んだ姉の通っていた大学での出来事はいえど)を容疑者にする必然性はない。この刑事の存在で、物語からリアリティが吹っ飛んでしまっている。

 

また2023年を舞台にしているが、直前までダイスが地球に激突するかどうかが判明しないという設定にも無理がある。政府が真実を公表しないという疑念は理解できる。しかし、現実に小惑星が地球との衝突コースに乗ったら、あるいはその可能性が少しでもあれば、天文学者のネットワークが絶対に検知するはずである。ましてやダイスは直径400kmという、準惑星セレスの半分近い大きさ。これほどマクロな天体の動きがシミュレーションできないのはおかしいし、政府が虚偽の発表を繰り返したとしても、どこかの天文学者が絶対に真実を公表するはずである。ところが作中では天文学者は影も形も存在しない。そんなアホな・・・

 

総評

一種のジュブナイル小説として読むのが正しい。純正のミステリや純正のSFだと考えると、ドツボにはまる。ただ、シリアスな考証がほとんどないため、読みやすさは普通のミステリやSFよりも格段に上がっている。まさに高校生、大学生向けの作品だろう。世界の終末をテーマにしたシリアスなSFを読みたい向きには『 僕たちの終末 』をお勧めする。この著者の作品では『 仮面病棟 』が映画としてもうすぐ公開される。Amazonでポチッたので、そちらも読了次第、レビューをしてみたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Laters.

作中で四元美咲が何度か言う「またね」である。普通は“See you later.”と言うが、“Laters.”と later に s をつけるのがミソである。カジュアルな表現で話し言葉としても、メールやチャットなどでも使う。ただ、ビジネスの場では使うのを避けたい。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 発行元:光文社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 神のダイスを見上げて 』 -世界の終末+ヤングアダルト+ミステリ-

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