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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:アスミック・エース

『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』 -POVの火付け役-

Posted on 2020年6月1日 by cool-jupiter

ブレア・ウィッチ・プロジェクト 60点
2020年5月31日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヘザー・ドナヒュー マイケル・C・ウィリアムズ ジョシュア・レナード
監督:ダニエル・マイリック エドゥアルド・サンチェス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200601232726j:plain
 

ウィルスやゾンビ以外にメジャーな超自然的存在(supernatural beings)といえば、やはり魔女だろう。『 ウィッチ 』のような傑作も生まれている。だが、本作の価値はPOVをメジャーなものにしたことだろう。

 

あらすじ

ヘザー(ヘザー・ドナヒュー)、マイク(マイケル・C・ウィリアムズ)、ジョシュ(ジョシュア・レナード)の3人は大学の課題としてドキュメンタリーを撮ることにした。そして、ブレアの魔女、ブレア・ウィッチについての映画を撮ろうと地元の人間にインタビューをする。そして3人は魔女のいるとされる森に踏み入って行くが・・・

 

ポジティブ・サイド

これは確か大学生の頃に同じ寮に住んでいた先輩が近所に出来たばかりのTSUTAYAで借りてきたんだった。そう、5~6人で一緒に観たと記憶している。確かアメリカ人OYR(One Year Regular=1年だけの留学生)が前年にアメリカで異例のヒットをしたとか何か言っていたんだったか。2000年か2001年のことでまさにインターネットの黎明期と発展期の間だった。国際基督教大学生だった自分たちは普通に英語のサイトにもアクセスしていて、まさにThe Blair Witch Projectのホームページを見て、「え?ヘザー・ドナヒューって本当に行方不明なの?」とか、「なるほど、アメリカでは子どもから若年層で行方不明者が出ると、牛乳パックに尋ね人情報が貼られるのか」と社会勉強になった覚えがある。

 

はっきり言って、オチを知っている状態で観ると本作は面白くも何ともない。ただし、まっさらな状態で鑑賞した当時は、今にもジャンプ・スケアがあるのではないかとビクビクしながら観ていたのを覚えている。鬱蒼とした森には何かがある。そうした予感を抱かせる描写は『 ウィッチ 』にしっかりと受け継がれている。

 

また、『 イット・カムズ・アット・ナイト 』(拍子抜け作品だったが、COVID-19が猖獗を極めていたタイミングで鑑賞すると、また違った感想になっただろうか)と同じく、邪悪な超自然的な要素が忍び寄ってきたとき、最も恐るべきは他者となる。人間同士が最も怖い。そうした、ある意味で人間存在に普遍的な弱さや醜さ、邪さをしっかりと捉えているとこもポイントが高い。

 

廃屋のシーンは鳥肌ものである。Jovianは初回に観て、さっぱり意味が分からなかった。一緒に観た先輩や同級生の面々も同じだったようだ。先輩がTSUTAYAに返しに行く前に、もう一度観たいと言って、その場でsecond viewingをしたと記憶している。そして、冒頭の街の人たちのインタビューを聞いて凍り付いた。まさに身も凍る思いがした。すべてはクライマックスのある瞬間のための演出だったわけである。

 

POVのホラーという新生面を開拓した本作であるが、おそらく現代の映画ファンの鑑賞には耐えないだろう。だがそれは、一昔前の野球選手を見て、「現代に比べると大したことねーな」という感想を抱くのと同じである。すべては積み重ねられており、それが進歩につながっているのである。

 

ネガティブ・サイド

81分と短い作品だが、こうした作品こそ70分ちょうどに短縮できないだろうか。Jovianは映画の長さとして2時間弱を推奨する者だが、このような一発勝負のモキュメンタリーは、伏線を回収する際の鮮やかさが肝になる。観客の記憶にいろいろなものがしっかりと残っているうちに勝負のタイミングを持ってきてもよかったのではないか。

 

不満のもう一つは、ヘザー以外の男性二人のキャラが立っていないこと。ベタだが、マッチョ系とインテリ系にしてしまっても良かったのではないか。「動物でも幽霊でもぶちのめしてやるぜ」みたいな脳筋男と、不可解な現象でも無理やり科学的に説明してしまうような頭でっかちのコンビが対立していく過程の方が、よりサスペンスが生まれたはずだ。

 

これを指摘しては元も子もないが、1990年代後半にあれだけ長時間撮影できるようなハンディカムは存在しなかったし、大容量バッテリーの登場もまだだった。ヘザーがあらゆるものを撮影・録画したがるのは迫真性があったが、現実的ではなかった。

 

総評

古典と言うにはまだまだ新しいが、それでも本作は一種の古典である。POVやファウンド・フッテージものの先駆的作品で、映画(に限らずエンタメ・フィクション作品)において最も大切なのはアイデアであることを世界に知らしめた功績は大きい。そういえば当時は寮のみんなでホラー映画を観るのが何故か流行っていた。『 リング 』や『 催眠 』、『 オーディション 』など。ファウンド・フッテージではなくファウンド・テープものだと中井 拓志の小説『 レフトハンド 』もイージー・リーディングの傑作だった。映画館もfully operationalにはまだ遠い。自分の青春時代である90年代後半の作品も、もう少し頻繁に渉猟してみようか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pleasantly surprised

「嬉しい驚き」の意味である。これもよくあるコロケーション(共に使われることが多い語の組み合わせ)である。I was pleasantly surprised to hear that the Oscar went to Parasite. のように使う。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 1990年代, C Rank, アメリカ, ジョシュア・レナード, ヘザー・ドナヒュー, ホラー, マイケル・C・ウィリアムズ, 監督:エドゥアルド・サンチェス, 監督:ダニエル・マイリック, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:クロックワークス, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』 -POVの火付け役-

『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

Posted on 2020年5月5日2020年5月5日 by cool-jupiter

her 世界でひとつの彼女 70点
2020年5月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス スカーレット・ジョハンソン ルーニー・マーラ
監督:スパイク・ジョーンズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200505180420j:plain
 

人との物理的な接触を減らせと言われて久しい。実際にJovianも減らそうと試みている。一方でオンライン飲み会など、新しい形の関係が模索されている。そこで本作を思い出した。ハンズフリーでスマホで誰かと話す人々を街中で見かけるのは最早当たり前である。だが、その通話の相手が人間でなくなる時代は、案外すぐそこまで来ているのではないだろうか

 

あらすじ

手紙の代書屋セオドア(ホアキン・フェニックス)は妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と離婚協議中。そんな時、サマンサと自身を名付けた新型OSとの対話に、セオドアは少しずつ没入していくようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

少し進んだ都市、少し進んだ建築、少し進んだゲーム、少し進んだPC。時代や場所を敢えて特定しないことで、そうした現実の少し先にあるかもしれない世界がリアルに感じられる。そう、リアルが本作のテーマである。特に人間の感情のリアル。リアルであるということは、事実である、本当であるということ必ずしもイコールではない。いや、事実という言葉も、定義が難しい。事実であるかどうかは、実体があるかどうか、と言い換えるべきかもしれない。

 

非人間との関係、その行き着く先の一つであるセックスはますますリアルになりつつある。『 ブレードランナー2049 』をある意味で先取りした本作は、あらゆるものがセックス・オブジェクトになりうる時代を非常に力強く予感させてくれる。テレフォン・セックスの極まった形と言おうか、セオドアとサマンサのセックスは実に感応的である。官能的ではなく、感応的なのである。

 

セオドアの仕事が手紙の代書屋というところがいい。口下手な男だが文章を物すのは上手い。極端なのだ。コミュニケーションの様態は4つ分類される。すなわち、

1)Real Time – Real Space (例 会話)

2)Real Time – Not Real Space (例 電話)

3)Not Real Time – Real Space (例 伝言メモ)

4)Not Real Time – Not Real Space (例 手紙)

である。セオドアの仕事はもっぱら3)か4)に分類される。すなわち、リアルタイム(同時)のコミュニケーションには長けていないのだ。そんな彼が、サマンサとの会話にだんだんと没入していく過程が心地よくもあり、また少しうすら寒くも感じる。科学技術が進歩した世界では物質的に我々は満たされている。その一方で、リアルなコミュニケーションを喪失しつつあることも事実である。我々が真に求めているのは、他者との交流によって得られる満足感や安心感であり、他者とはその媒体に過ぎないのではないかと疑念が生まれてくる。そうした心理的な動きを、セオドア演じるホアキン・フェニックスは持ち前の表現力で我々にしっかりと感じさせてくれる。

 

本作にはちょっとしたどんでん返しがある。まるで小説『 幼年期の終り 』の逆バージョンである。これはかなり秀逸なラストであると感じた。「本人が実在性を認めるならばそれはリアルなのではないか」というのが本作の問題提起であり、「失って初めて実在性を認められるものもあるのではないか」というのがラストの余韻である。いや、違うか。RealとNot Realの境界を揺らがせると同時に強固にもする本作は、一通りではない解釈が可能な近未来SFの良作である。

 

ネガティブ・サイド

セオドアが就寝前に出会い系チャットを使うシーンは、もっと違う形の方がよかった。奇妙な設定に性的に興奮する女性とのコミュニケーションで萎えてしまうというのではなく、普通の女性との普通のコミュニケーションにどうしても満ち足りた気分になれないという、どこか欠けた男という設定の方がよかった。現実の女性が気持ち悪いからOSのサマンサに恋をするというわけではないが、皮相的にそう見えてしまうのはマイナスである。

 

最後のオチに至る過程が少々アンフェアである。Jovianは二度目の鑑賞なので、あれこれとバックグラウンドに注目しながら鑑賞したが、背景の人間たちが背景だった。詳しくはネタバレになるので言えないが、ちょっとした場面の背景にセオドアと全く同じことをやっている人間がチラッとでも映っていれば、良作を超えて傑作になれたかもしれない。

 

総評

本作と同工異曲に感じられるのが、ゲーム『 エースコンバット3 エレクトロスフィア』や『 メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ 』であろうか。時系列的には逆か。もしくはJ・P・ホーガンの小説『 ガニメデの優しい巨人 』や『 巨人たちの星 』のゾラックが可愛くて仕方がない、というSFファンならば、本作はかなり楽しめるはず。一般人向けとはとても言い難い作品であるが、刺さる人にはとことん刺さる作品のはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call it a night

call it a dayという形でもよく使われる。「それ(=状況)を夜(一日)と呼ぶ」が直訳で、意訳すれば「これで一日をおしまいにする」ということになる。call it a career=引退する、という表現を使うアスリートやパフォーマーも時々見かける。英語学習の初級者から中級者の間なら、知っておくべき表現である。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, ロマンス, 監督:スパイク・ジョーンズ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

『 サヨナラまでの30分 』 -オリジナリティが決定的に足りない-

Posted on 2020年1月29日2020年11月11日 by cool-jupiter

サヨナラまでの30分 40点
2020年1月28日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:北村匠海 新田真剣佑 久保田紗友
監督:萩原健太郎

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200129180632j:plain
 

入れ替わり系のストーリーは時代や地域を問わずに生産され続けている。それだけ思考実験しやすいジャンルであり、またテクノロジーの進化とも相性が良いジャンルなのだろう。本作は新しい視点は提供してくれたが、様々な描写が不足しているため、説得力がなかった。

 

あらすじ

アキ(新田真剣佑)はギタリスト兼ヴォーカリスト。バンドのメジャーデビューを前に不慮の交通事故で世を去ってしまう。カセットテープとウォークマンを残して。そのウォークマンを偶然に拾った颯太(北村匠海)は、カセットテープを再生している間は、颯太の体にアキが入り、颯太は幽霊状態になってしまうことが分かり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200129180700j:plain

 

ポジティブ・サイド

以外と言っては失礼かもしれないが、北村匠海の歌唱力が目立った。声を張り上げる役をあまり演じてこなかったというのもあるが、アマチュアの声ではなかった。それとも本職がアテレコしているのか?いや、そうは聞こえなかった。一応歌手もやっているようだが、もしまだタバコを吸っているのなら止めたほうがよい。また演技力でも成長を見せた。『 累 かさね 』における土屋太鳳と同じく、一人二役とは言っても、実際は北村が1.5、新田真剣佑が0.5ぐらいの配分に感じられた。

 

邦画の青春映画というと、おそらく7割以上が高校を舞台に高校生が繰り広げるが、大学生や社会人ものというのも味わい深いものがある。ある程度、酸いも甘いも嚙み分けてきて、その上で自分の道にのめりこめるからだ。好きという気持ちだけで突っ走る中高生も、それはそれで甘酸っぱく感じないわけでもないが、オッサンにはもうそろそろキツイ。自分がそれなりに謳歌した大学時代を軸にした映画の方が楽しみやすい。

 

本作のテーマである“上書き”は、おそらく意見がかなり割れることだろう。Jovian自身は賛と否、両方の意見を持っている。ここでは賛の意見を。バンドというのは不思議なもので、英単語のbandは音楽のバンドだけではなく、ひも、縄など、ぐるぐる巻きにして留めるもの、縛るものなどを指す。ボクシンググローブをつける前に、ボクサーは拳にバンデージを巻くのである。アキは、自分自身が生き返ることではなく、バンドの存続を願った。虎は死して皮を残すではないが、自分抜きにバンドが続くことを承認している。『 ボヘミアン・ラプソディ 』のレビューでは、「フレディ死すともクイーンは死せず」と書いた。フレディ在りし頃のQueenは記録にも記憶にも残っている。そして、フレディが死に、ディーコンも事実上脱退したQueenは今も活動中で、まさに日本ツアーを敢行中である。もっと卑近な例を挙げればモーニング娘。やAKB48などは、メンバーが入れ替わってもグループとしては存続を続けている。大切なのは、人間同士のつながりそのものよりも、そのつながりによって何を生み出すのかである、という主張にも一理はある。本作はそのことをファンタジー形式で提示したと言える。我々はすぐにスマホで録音をし、写真や動画を撮るようになってしまったが、萩原監督は本作を通じて、「人とつながれ、何かを生み出せ」という現代人批判を行っているのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

厳密には入れ替わりものではないが、それでもオリジナリティはなかった。カセットテープというのも、『 ルーム・ロンダリング 』で渋川清彦が「バカヤロー、デモと言えばテープと相場が決まってんだよ」と喝破している。

 

また肝心の入れ替わりにおいても、高畑京一郎の小説『 ダブル・キャスト 』のプロット、すなわち入れ替わり可能時間がどんどん短くなっていく、が遥かに先行している。その上、サスペンス要素や謎解き要素でも面白さでも、高畑の小説の方が優っている。今風に言えばラノベに分類されてしまうかもしれないが、一昔前のジュブナイル小説の傑作なので、今の若い世代にもぜひ読んでほしいと思う。

 

閑話休題。本作は『 小さな恋のうた 』のパラレル・ストーリーであるとも言える。バンドの主要メンバーが死んでしまった。さあ、どうする?という問いに、“上書きする”という一定の答えを出した。それは良い。だが、その過程でアキの霊体?が随時にツッコミを入れるのが気に入らない。「俺がいないと何もできない奴らが・・・」というセリフは本当に必要だったのだろうか。また、肝心のアキと颯太の対話劇がもう一つ盛り上がらない。この点でも同じ音楽にフィーチャーした作品『 さよならくちびる 』に及んでいないと感じられた。絵的にも、オリジナリティに欠ける。颯太とカナが連弾でトロイメライを弾くところなどは、『 蜜蜂と遠雷 』の月の光の連弾シーンに重なる。とにかく、どこかで観た構図のオンパレードなのだ。

 

本作は颯太のビルドゥングスロマンであるが、肝心の颯太のキャラが一貫性を欠いている。アキが地獄と感じる透明人間状態を天国だと言いながら、ちゃっかりECHOLLのメンバーとの交流を楽しんでいる。アキと自分の間に即席カーテンを設けながら、いつの間にかそれも消えている。駄作の『 L・DK 』でも、雷鳴に怯えて思わず手を伸ばしてしまったというベタな描写は為されていた。そもそも颯太の音楽のバックグラウンドに関する描写が何もないままにストーリーが進行していくのはご都合主義であるし、アキが無断でアップした曲の評価も最後まで判明しなかった。このアキと颯太の対話劇の欠如・不足により、颯太が「彼女も共有すべきでしょ」と不敵に言い放つ流れが、とてつもない違和感を生み出す。

 

細かいツッコミになるが、クライマックス前も颯太もカナも汗一つ流していない。真夏に自転車を全力で飛ばしてきた、もしくは走ってきたのなら、汗ぐらい流そう。別に久保田紗友の白シャツを汗で濡らして透け透けにしろ、などと言っているわけではない。シーンとシーンの連続性を大事にしなさいと言いたいのだ。バラバラに撮影したものが、一つの流れに見える。それが映画の技法なのだ。

 

総評

単体で見れば、鑑賞には耐えうる。しかし、他の先行作品や類似作品と比べた時に、ストーリーの面でも音楽の面でも、光る点が少ない。北村や新田のファンならチェックしておくべきだろうが、熱心な映画ファンを満足させうるクオリティに達しているとは感じなかった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

live on borrowed time

借りられた時間を生きる、の意。本作のアキのような状況を指す。すなわち、死んだも同然の身だが、天から与えられたかりそめの時間を奇跡的に生きている、という意味である。または、余命が残りわずかな状態で生きている、という意味にもなる。ボクサーがまぶたから大量に出血して、それでもTKOにならず戦い続けている様を指して、“He’s fighting on borrowed time!”という実況を2~3度聞いたことがある。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ファンタジー, 久保田紗友, 北村匠海, 新田真剣佑, 日本, 監督:萩原健太郎, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 サヨナラまでの30分 』 -オリジナリティが決定的に足りない-

『 イソップの思うツボ 』 -このようなアンフェアな演出や伏線を許すな-

Posted on 2019年8月19日2020年4月11日 by cool-jupiter

イソップの思うツボ 45点
2019年8月16日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:石川瑠華 井桁弘恵 紅甘
監督:浅沼直也 上田慎一郎 中泉裕矢

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190819012709j:plain 

『 カメラを止めるな! 』や『 お米とおっぱい。 』の上田慎一郎が満を持して(かどうかは分からないが)世に送り出す作品ということで、期待はあった。一方で、上田監督の才能を最も活かせるのは、こじんまりとした映画であるという印象を抱いているのも事実である。果たして本作はどうか。上田監督らしさはあるものの、フェアかアンフェアかで、かなり意見が割れるところであろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190819012732j:plain

あらすじ

内気な女子大生の亀田美羽(石川瑠華)は、学校で独りだった。一方でクラスメイトの兎草早織(井桁弘恵)は家族そろって芸能人。仕事も順風満帆で、恋愛にも積極的だった。接点のなさそうな二人であったが、ある日、新任講師が講座を担当することがきっかけて・・・

 

以下、ネタばれや他作品に関する記述あり

 

ポジティブ・サイド

石川瑠華という役者のポテンシャル、それをまずは評価したい。はっきり言って演技が上手いかどうかで言えば、「下手ではない」というレベル。けれど、母親が心配そうに、それでいてどこか嬉しそうに見つめるのは、この娘の表面に見える弱さや脆さ、儚さの奥深くに芯の強さが潜んでいることを見抜いているからだろう。そう感じられる母娘のやりとりは、非常に説得力のあるものだった。彼女のハンドラーは少女漫画の映画化作品に端役で登場させてやって欲しい。浜辺美波や森川葵らから、何かを学び、才能を開花させるかもしれない。頑張れ~!

 

井桁弘恵。かわいい。以上。

 

紅甘。2017年にシネ・リーブル梅田で鑑賞した『 光 』に出ていた。島の少年がじいさんからコンドームを手に入れ、猿のようにセックスに耽る相手。山中でおっさん相手に立位でセックスしながら、カメラ(少年)に向かってアンニュイな表情を見せるシーンが印象的だった(芸術的な意味で)。

 

ネガティブ・サイド

【予測不能!】、【騙されてほしい!!】などの惹句は逆効果である。というよりも、一部のハードコアな映画ファンやミステリファンにとっては有害ですらある。『 マスカレードホテル 』のレビューでも指摘したが、ミステリファンという生き物は、あらゆる媒体から情報を引き出し、事前に推理を組み立てるのである。ましてやカメ止めの上田慎一郎。ドンデン返しの存在を予想するのは容易い。我々の興味関心は、どのようにしてひっくり返すのかである。その意味で、本作は終盤のドンデン返しが弱い。というよりも、それほどひっくり返らなかった。まあ、初打席で場外ホームランを飛ばしてしまうと、二打席がきれいなセンター前ヒットでも、物足りなく感じてしまうようなものである。

 

本作にはフェアな伏線とそうではない伏線がある。アンフェアな伏線の最たるものは、『 シックス・センス 』的な演出を使わなかったことである。具体的に言えば、母と娘がしっかりと会話を交わしながらも、母親は何にも触れない、何も動かさないという描写をしなかったことである。これは酷い。ここから何かを読み取れというのは無理だし、アンフェアである。Misleadingを誘うのは別に構わない。というか、『 ユージュアル・サスペクツ 』以降、我々は足を引きずって歩くキャラを見るたびに身構えるようになってしまった。『愚行録 』の妻夫木聡然り、『 ブレス あの波の向こうに 』のエリザベス・デビッキ然り。だから、観る側が勝手に早合点したり読み違えたりするような思わせぶりな描写は許容できるのだ。しかし、終盤の種明かしで「あのシーンの真相はこれで御座い」と言われても、このようなアンフェアな描写ではブーイングしか飛ばせない。「好きな人、できた?」という母の台詞に、「お母さん、大好きだよ」ぐらいの台詞を返しておけば、まだ許せた。このような演出や描写は心底から許せないと思う。観る側をびっくりさせたい、予想を裏切ってやりたいという思いが完全に空回りしたとしか判断できない。

 

一応、フェアな伏線にも触れておくと、美羽の行動の全てである。特に、兎草早織たちと新任講師の会話を淡々と撮影し続ける美羽にかなりの人が違和感を覚えた/覚えることだろう。また、イソップと聞けばたいていの人は「ウサギとカメ」の寓話を思い浮かべるはずだ。だから美羽が早織を追い越すというか出し抜くプロットであることは観る前から分かる。そして、カメ、ウサギ、イヌがロープで縛られているショット。誰かが彼女らを罠にかけることが示唆されている。ウサギとカメ(とイヌ?)の競争をだが、中途半端にフェアな伏線が張られていることで、アンフェアな伏線、さらには非現実的な要素がかえって目立ってしまう。以下、特に気になった点を箇条書きにする。

 

・芸能人のマネージャーになるに際して、身辺調査はないのか。

・兄が大学講師であるにしても、どのようにしてドンピシャのタイミングでドンピシャの講座をゲットしたのか。

・医師が袖の下をもらってトリアージの判断を変えるか。得られるカネよりも、医療訴訟のリスクの方が遥かに大きいだろう。

・そもそも売れっ子芸能人と、どのようにして不倫関係となり、ベッドインしたのか。それがマスコミに一切すっぱ抜かれなかったのはご都合主義でないか。

・亀田家はいつ、どこで、どのようにして銃の扱いに習熟したのか。

 

その他、とっくに『 インシテミル 』で使われたネタをドンデン返しの一部にしてしまうなど、新鮮味にも欠けたし、あるキャラの関西弁の不自然さには辟易させられた。方言が下手なのは許せる。しかし、変であることは許されない。総じて、リアリティに欠けるし、2パート目と3パート目もつながりが著しく弱い。本当に観る者の度肝を抜きたかったのであれば、似非関西弁のヤクザの下に濱津隆之演じる日暮隆之監督を連れてくればよかったのだ。そうすれば劇場のボルテージは一瞬で最高潮に達したことだろう。

 

総評

劇場鑑賞するに当たって最も重要なことは、過度な期待を抱かないことである。一部に「ほほう」と感じられるtwistもあることはあるが、アンフェアな伏線の張り方、演出の方が遥かに多い。兎にも角にも、期待に胸躍らせないように。本作を何らかの形で堪能できたという向きには、サウンドノベルの『 街 運命の交差点 』と『 428 封鎖された渋谷で 』をお勧めしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

 

「 復讐・・・完了 」

Mission … complete.

 

これ以外に思いつかない。

 

「マジ最低!!!」

You really do suck!!!

 

suckは定番。人でも物でも出来事でも、貶してやりたい時はまずはsuckでOK。

 

「好きな人、できた?」

Did you fall for someone?

 

fall for 誰それ = 誰それを好きになる。何でもかんでもloveを使うと少々重いし、バリエーションにも欠ける。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 井桁弘恵, 日本, 監督:上田慎一郎, 監督:中泉裕矢, 監督:浅沼直也, 石川瑠華, 紅甘, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 イソップの思うツボ 』 -このようなアンフェアな演出や伏線を許すな-

『 ソラニン 』 -青春モラトリアム映画の良品-

Posted on 2019年5月18日2020年2月8日 by cool-jupiter

ソラニン 70点
レンタルDVDにて鑑賞
出演:高良健吾 宮崎あおい 桐谷健太
監督:三木孝浩

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190518023514j:plain

Jovianは高良健吾を高く評価している。三木孝浩監督については、まだ評価は定まっていない。『 坂道のアポロン 』、『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』は良作、『 先生! 、、、好きになってもいいですか? 』、『 アオハライド 』は駄作、『 ホットロード 』、『 青空エール 』は凡作であると思っているからである。ちなみに『 フォルトゥナの瞳 』を観るつもりはない。原作者を好きではないからである。

 

あらすじ

バンドのヴォーカル兼ギタリストの種田(高良健吾)は、アルバイト生活をしながら音楽に夢を見続けていた。そんな彼と同棲している芽衣子(宮崎あおい)は、OL生活二年目にして要領の悪い生き方、働き方をしていた。そんな芽衣子がある日、会社を辞めてしまう。経済的に不安定になる二人。しかし、種田は音楽に賭ける決心をして・・・

 

ポジティブ・サイド

『 チワワちゃん 』とは一味違った青春模様である。といっても、ほとばしるエネルギー、若気の至り、といったような青春の正の面にフォーカスするのではなく、かといって無分別さのような負の面にフォーカスするでもなく、モラトリアム的な時間をいかに生きるべきかに光が当たる。Jovianはいわゆる就職超氷河期の人間だが、確かに大学4年生や社会人1~2年生というのは、子どもでもない大人でもない宙ぶらりんの存在である。小説および映画の『 何者 』ではないが、本当に何者にもなれていないのである。自分の可能性を追求できる最後のチャンス、それがこの時期なのだ。種田と芽衣子の関係の強さが、どこか儚げでどこか朧げなのは、二人の可能性が追求されていないからなのだ。そのことがほんのちょっとした言葉のやり取りや表情、立ち居振る舞いに表れている。種田の無邪気な笑顔は確かにパートナーをエンパワーしている。しかし、経済的に自立できていない以上、そこに説得力は無い。しかし、若さがある。そこにはポテンシャルが確かにある。そうした二律背反的な不安定さを種田と芽衣子のみならず、ドラムの桐谷健太やベースの近藤洋一も持っている。彼らが実家の薬局を継いだり、就職先を決めていくことは、彼らの音楽的な可能性、音楽で生きる未来像が閉じていくことと同義である。それは若さへの決別でもある。しかし、音楽によって永遠を生きることも可能なのではないか。そのことを非常に婉曲的に示唆したの『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』であり、圧倒的なリアリティで主張したのが『 ボヘミアン・ラプソディ 』ではなかったか。少人数の間の濃密過ぎず薄すぎない人間関係の描写がコンパクトで心地よい作品である。

 

ネガティブ・サイド

うだつの上がらないOLの芽衣子が「辞表」を出すのはどういうわけなのだ?そこは「退職願」もしくは「退職届」だろう。脚本およびそれの校正担当者の重大ミスである。

 

宮崎あおいの歌唱力は、もう少し鍛えられなかったのだろうか。『 リンダ リンダ リンダ 』のペ・ドゥナのような野性的な歌唱でも良いから、魂の叫びが聞いてみたかった。

 

桐谷健太は、もっとドラムでもって心情を語らしめることができたはずだ。『 TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ 』でも見事な腕前を披露してくれたのだから、部屋で雑誌の山をベシベシ叩くだけではなく、色んなものをぶっ叩くシーンがあっても良かったし、ラストのステージシーンでも、芽衣子に声をかけるのではなく、シンバルでも一発バーンと気付けに鳴らしてやればよかったのではないか。音楽にフィーチャーした映画なのだから、そうした演出がもっと必要だった。

 

総評

宮崎あおいの若々しさと高良健吾の若さ。この二つが良い感じにブレンドされた作品である。音楽に生きる男とそれについて行く女という構図は『 アリー / スター誕生 』とそっくりだが、こちらの方が個人的には面白さは上であると感じる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 宮崎あおい, 日本, 桐谷健太, 監督:三木孝浩, 配給会社:アスミック・エース, 高良健吾Leave a Comment on 『 ソラニン 』 -青春モラトリアム映画の良品-

『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

Posted on 2019年5月13日 by cool-jupiter

The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 50点
2019年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニコール・キッドマン キルステン・ダンスト エル・ファニング
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190513003135j:plain

The Beguiledとは、魅了された者の意味である。同時に、騙された者という意味にも解釈可能である。無理やり日本語にするなら、「 落とされた者 」にでもなるだろうか。誰が誰に騙されたのか、誰が誰に魅了されたのか。これは何とも心憎いタイトルである。

 

あらすじ

南北戦争中のアメリカは南部のミシシッピの女子寄宿学園に、傷ついた北軍兵士が舞い込んでくる。園長のマーサ(ニコール・キッドマン)や教師のエドウィナ(キルステン・ダンスト)、年長のアリシア(エル・ファニング)らは、兵士マクバニー(コリン・ファレル)を介抱するうちに、精神的な変化を自覚するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

立ち上がりから非常に静かな映画である。音響的な意味でも静かであるし、台詞も特に多いわけではない。またドラマチックな展開になるまでにそれなりの時を要する。しかし、白を基調にしたドレスに身を包んだ婦女が、薄暗い屋敷兼校舎の中を楚々と動く様は色々な想像を掻き立てる。女の園というと、韓国の歴史宮廷ドラマの『 宮廷女官チャングムの誓い 』や『 トンイ 』が思い出されるが、これらのようなドロドロの暗闘や露骨な権力闘争などではなく、逆にこれらのドラマではほとんど触れられることの無かった、邦題で付された“欲望への目覚め”が大いに予感される。ソフィア・コッポラ監督の美意識というか、作家性なのだろう。これは心憎い。そしてこの監督の作家性は非常に露骨な形で終盤に爆発する。亀とキノコが重要なガジェットとして用いられることに笑わずにはいられようか。ここでは男性諸賢に大いに笑って頂きたいと思う。と同時に、冒頭からさりげなく小道具を仕込んでいる脚本にも拍手である。

 

女性陣ではキルステン・ダンストが特に良かった。うら若き乙女には出せない色気を出していた。というか、色気を出さないようにしようとすること自体が色気になっているという、非常に重層的な演技を見せてくれた。妖艶さとはまた違った妖しさがあり、無垢な(しかし悪女の素質にも恵まれた)スパイダーマンのメリー・ジェーン・ワトソンの成長した姿の一つの可能性の結実を見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

原作の男性視点バージョンを未見のため何とも言いかねるが、マクバニー伍長の魅力がもう一つ伝わらなかった。確かにナイスガイではあるが、兵士としての力強さや泥臭さには欠けていた。早い話、同じ男性として、男性ホルモンがたくさん出ているような男には見えなかった。少なくとも中盤までは。女性目線で見ると異なるのだろうが、あいにくと嫁さんは未鑑賞・・・

 

Jovian期待の星の一人、エル・ファニングの見せ場が足りなかった。濡れ場ではない。見せ場である。繰り返すが、濡れ場ではない。見せ場である。濡れ場だけが見せ場ではない。期待した自分が悪いのだ。濡れ場だけが見せ場ではない。スケベ心を抱いて本作を鑑賞しようという向きは、決して過度な期待を抱くべからず。

 

総評

初回鑑賞中に痛恨の寝落ちをしたために、あらためて見直した作品である。盛り上がるところでは恐ろしいぐらいに展開が盛り上がる。だが、そうではないところでは至って静かな、噴火前の火山がゆっくりじっくりとマグマを溜めこむような趣がある。そこを楽しめるかどうか、ソフィア・コッポラ監督の美意識と波長が合うかどうかで評価ががらりと変わる作品だと言えよう。

 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エル・ファニング, キルステン・ダンスト, サスペンス, ニコール・キッドマン, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』 -男はみんなマザコンだ-

Posted on 2019年3月1日2019年12月23日 by cool-jupiter

母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 65点
2019年2月24日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:安田顕 倍賞美津子 松下奈緒 村上淳 石橋蓮司
監督:大森立嗣

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190301002534j:plain

タイトルだけで物語が全て語られている。元はエッセイ漫画だったようだが、そちらは未見である。しかし、それが特別な物語でも何でもなく、男が普遍的に持ついつまで経っても子どもの部分を健全に誇張もしくはデフォルメした話であることは直感的に分かる。

 

あらすじ

宮川サトシ(安田顕)は中学生にして急性白血病を患ってしまった。母の明子(倍賞美津子)の必死の看病の甲斐もあって、サトシは回復。時は流れ、サトシは塾講師として慎ましやかに父・利明(石橋蓮司)と母と暮らしていた。しかし、母が癌で倒れてしまう。サトシはあらゆる手を尽くして母の回復を祈願するが・・・

 

ポジティブ・サイド

安田顕がまたしてもハマり役だった。『 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 』に続いて、高身長女性とペアになるのだが、それが妙に似合うのだ。サトシは塾講師として教務と教室運営をしているのだが、どういうわけか真里(松下奈緒)という超絶美人と付き合うようになる。この映画が、地方移住を時々真面目に語る5chの「 塾講夜話 」スレッドの住人達に希望を抱かせないことを祈りたい。その真里は、マザコンの性根を丸出しにするサトシを支え、明子にも献身的に寄り添い、宮川家の夕餉にも赴き、談笑する。はっきりいって完璧すぎるのだが、真里が最も輝くのはサトシを叱りとばす場面である。我々男は母親に注意されたり、小言を言われたり、世話を焼かれたりするだけでも、どういうわけか無性に腹が立つ。それは母の愛は無条件かつ無償で得られる物だという錯覚または傲慢さから来ているのではあるまいか。その愛が失われるという事態に直面して、サトシは母を失うまいと百度参りから滝行まで、あらゆる手を尽くす。それは見ていて非常に痛々しい。なぜなら、効果が無いと分かっていても、自分でもおそらく同じようなことをしてしまうからだ。そのように感じる男性諸氏は多いだろう。母の愛は偉大であるなどと無責任に称揚しようとは思わない。しかし、母の愛に息子はどう応えるべきなのかについて、本作は非常に重要な示唆をしてくれる。中学生以上なら充分に理解ができるはずだ。それも直観的に。

 

本作は、よくよく見ればとても陳腐である。日本のどこかで毎日、これと同じようなことが起きている。しかし、それがリアリティにつながっている。冒頭でサトシが棺桶の中の母に語りかけるシーンなどは、まさにJovianの父が、Jovianの祖母の葬式前夜に行っていた所作とそっくりであった。多分、自分もああなるのだろうなと理屈抜きに納得させられてしまった。

 

サトシの兄は最後の最後に良い仕事をしてくれる。母の病室にそっけなく貼られている「おばあちゃん」の絵に、我々はサトシの甥っ子または姪っ子の存在を知るわけだが、この物語はどこまでもサトシと母、父、真里の閉じた世界で進行していく。しかし、兄の祐一の登場によってそんなものはすべて吹っ飛ぶ。『 洗骨 』でも述べた、「日本語は海の中に母があり、フランス語では母の中に海がある」という言葉を我々はまたもや想起する。Jovianは自分のことをサトシ型の人間であると感じたが、自分を祐一型の人間であると感じる人も多くいることだろう。それは感性であったり環境であったりで決まるわけだが、このような兄弟関係、家族関係は実に微笑ましい。家族は離散を運命づけられているということを『 焼肉ドラゴン 』に見た。しかし、無条件に再会そして再開できるのも家族ならではなのである。本作鑑賞を機に、母親にちょっと電話してみたという男性諸賢は多かろう。それが本作の力である。

 

ネガティブ・サイド

『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良の鼻水タラーリは映画ファンに衝撃を与えたが、安田顕も負けてはいない。だが、本作は少しお涙ちょうだい物語に寄り過ぎている。観る者に「衝動的な泣き」よりも「受動的な泣き」をもたらす作りは、ただでさえ題材がチープなのだから避けるべきだった。『 日日是好日 』では、日常の平穏と死のコントラストが際立っていたが、それは何よりも一期一会、つまり出会いの一つ一つ、経験の一つ一つが、何一つとして同じではないという思想が溢れていたからだ。典子が父からの電話に出なかったことを悔やむシーンがあったからだ。サトシも母からの電話を疎ましく思うシーンがあるが、遠方に住む典子とは違い、サトシは両親と同居している。そのことが、いつか必ず来る母との別離のドラマを少し弱くしている。

 

上映時間は108分だが、編集によってもう8分は削れたようにも思う。特に坂道と自転車のシーンは不要であるように感じた。ロッキーをパロったシーンは笑えたが、それも映画のトーンと少しケンカしていた。サトシのある意味での変わらない幼児性を表したものかもしれないが、それは他のシーンで充分に伝わって来る。

 

これは個人の主観または嗜好に依るところ大なのだが、最後の晩餐論争は陳腐を通り越してくだらなく感じた。理由は観た人ならお分かり頂けよう。何故なら「うちのが一番に決まっている!」からである。これは冒頭の梅干し論のところにも当てはまるもので、もし祖母なり母なり、場合によっては父が漬物や総菜を作ってくれていたなら、一番美味しいのはそれに決まっている。おふくろの味が最強である。You are programmed to want the taste of home cooking. それが真理である。最後の晩餐論争は、キャラクターから距離を取れる人でないと、その面白さが伝わらない。非常に良いシークエンスなのだが、諸刃の剣になってしまっているように思えた。

 

総評

男というのはつくづく不器用な生き物だと思う。我々はもしかすると何から何まで母や妻に負わなければ生きていけないのではないか。しかし、それでも良いのかもしれない。母なる海に抱かれるとは使い古された表現だが、だからこそ、そこには真実があるのだろう。そういえば日付が変わって昨日がおふくろの誕生日だった。罰あたりな息子ですまん。今週末にはご飯に誘おう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 倍賞美津子, 安田顕, 日本, 村上淳, 松下奈緒, 監督:大森立嗣, 石橋蓮司, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』 -男はみんなマザコンだ-

『カメラを止めるな!』 -予備知識なしで、とにかく観に行くべき傑作-

Posted on 2018年8月20日2019年5月6日 by cool-jupiter

カメラを止めるな 85点

2018年8月19日 シネ・リーブル梅田にて観賞
出演:濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ 竹原芳子 秋山ゆずき
監督:上田慎一郎

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180820002247j:plain

とにかく予備知識無しで観に行ってほしい、というレビューや、口コミで静かに、しかし確実に広まっていく評判の良さに、観に行かねばと思いながらも、なかなかタイミングが合わなかった作品であった。しかし、やっとタイミングが合い、観に行くことができた。まず、びっくりしたのがシネ・リーブル梅田が超満員で立ち見チケットまで販売されていたということ。近年でここまで一つの劇場を埋めた作品というのは、いずれも東宝シネマズなんばにて『シン・ゴジラ』と『君の名は』ぐらいしかなかったように思う。観客が皆、ある種の期待を抱きながら、座席を一つまた一つと埋めていく予告編前のあの空気というのは、それこそ『シン・ゴジラ』前となると神戸国際会館で『もののけ姫』を観た時となるだろうか。とにかく、それほどの異様な熱気が確かに劇場に充満していた。実際に上映中、そこかしこから「わははは!」という笑いが聞こえてきた。これはユーモアやコメディ性から来る笑いというよりも、カタルシスから来る笑いなのである。何言っているのかさっぱり分からねーぞ、という向きはとにかく観るべし。メタメタにやられること請け合いである。

本作に関しては、ネタバレめいたことは一言たりとも発することができない。一部の劇場やポスターには、不要な一言が書いてあったりするが、とにかく前評判が高い作品であるということだけ頭に入れて、期待に胸を膨らませて観に行くだけで良い。Yahoo映画や映画.comのレビューなどは極力見ないように努めるべし。正鵠を射たレビューもあるが、一部とんでもなく的を外したレビューや、映画を観ているにもかかわらず、作品を観ていないとしか言えないようなレビューもある。そんな目が節穴の人間のレビューなどは絶対に目にするべからず。とにかくチケットを予約して劇場へGO!である。

かといって、何がどうなっているか少しぐらいは知りたいのが人情というもの。なので、本作を観賞した上でJovianの頭に浮かんだ作品を以下に白字で記すので、興味のある方だけ観て頂きたい。

                                                                                                                

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』および『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』

『ムカデ人間』および『ムカデ人間2』

『デットプール』および『デットプール2』

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

『The Disaster Artist』(日本では劇場未公開)

『地獄でなぜ悪い』

『雨に唄えば』

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』

『ファンボーイズ』

『街の灯』

『ヒューゴの不思議な発明』

『ショーン・オブ・ザ・デッド』

『パルプ・フィクション』

『シックス・センス』

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

『主人公は僕だった』

『ネバー・エンディング・ストーリー』

『クローバー・フィールド/HAKAISHA』

『クロニクル』

『ヴィジット』

 

ざっとこんなところだろうか。小説まで含めてしまうと、さらにこのリストが長くなるので割愛させて頂くが、人によってはこれだけでとんでもないネタバレになっていることに気がつくであろうし、筋金入りの映画オタクなら「いやいや、もっとアレやらコレもあるでしょ」と言えるのは間違いない。ひとつ言えるとすれば、この映画はゾンビ映画ではないということ。ホラーはちょっと・・・、スプラッタ要素はちょっと・・・、という向きにこそ自信を持ってお勧めしたい。

冒頭からのワンカット映像に、あなたはいくつも違和感を覚えるに違いない。その感覚を大切にしてほしい。また、一部のポスターやパンフレットには、エンドロールまで席を立たないでくださいという旨の注意書きがあるが、これはやや不親切な案内かもしれない。なぜなら、Jovianが観ていた夜にも、数名ではあるがエンドロール中に席を立ってしまった客がいたからだ。劇場が明るくなるまで観賞を続けてください、というのがあるべき案内文であろう。最後に、「映画を観てみたけど、いまいち理解できねーぞ」という方向けに、最後のネタバレ白字を。この映画は「映画を作っている人たちを撮影する映画を撮影している人たちが映画を作っている映画」である。Jovianが上で映画.comやYahoo映画の当てにならないレビューだと揶揄したのは、本作を「映画を作っている人たちを撮影した映画」であると見た人たちのことである。かの北野武は映画の面白さを「編集である」と言い切った。本作を観賞する/した人は、この言葉の意味をエンドロールまで全て見た時に噛みしめることができる/できたはずである。

最後に、上田慎一郎監督へ「おめでとう」と「ありがとう」と言いたい。今後、日本の高校や大学、インディ映画界で本作の模倣作品がどっさりと製作されるだろうと予想される。あなたは邦画に勇気とインスピレーションを与えてくれた。本当に本当にありがとう。

さて、このレビューにも白字以外でネタバレをしている箇所があることにお気づき頂けただろうか。作品を観ずに気がつくことは絶対ないだろうけれど・・・一応、ね。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, コメディ, しゅはまはるみ, 日本, 濱津隆之, 監督:上田慎一郎, 真魚, 秋山ゆずき, 笹原芳子, 配給会社:ENBUゼミナール, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『カメラを止めるな!』 -予備知識なしで、とにかく観に行くべき傑作-

ラブ×ドック

Posted on 2018年5月29日2020年1月10日 by cool-jupiter

『ラブ×ドック』 35点

2018年5月27日 高槻アレックスシネマにて観賞
主演:吉田羊 野村周平
監督・脚本:鈴木おさむ

*本文中に一部ネタバレあり

この映画のデモグラフィックは一体どこにあるのであろうか。30代後半~40歳ぐらいの女性がメインターゲットとしてまず思い浮かぶが、その場合、観客は吉田羊に感情移入すべきなのか、それとも大久保佳代子に感情移入をすべきなのか。端的に言えば、Jovianは吉田のキャラクターは全く好きになれなかった。理由は後述したい。

物語はナレーションで、35歳から40歳の吉田羊演じる郷田飛鳥の人生を描くと宣言するところから始まる。飛鳥がIT社長宅で豪勢な夕食を作って、プロポーズされるのを待つのだが、ここで観客はいきなり飛鳥の本性を見せつけられる。過去に同じ相手からプロポーズを受けた時に、相手の事業がまだ軌道に乗っていないということから結婚に踏み切れなかったが、今やビジネスは順調に拡大、前途にも不安が無さそうだ、となったところで相手の気を惹こうと豪華なディナーを作るところでドン引きである。少なくとも自分は引いたし、嫁さんも引いていた。ある程度の年齢に達していながら独身である、しかし早く結婚したいんだ、という気持ちを爆発させる女子を描いて世界中の女子の共感を得たブリジット・ジョーンズは、女のダメダメな部分を凝縮させたようなキャラがしかし、どういうわけかイケメン2人の間で行ったり来たりをしてしまう、というご都合主義ゆえに大ヒットした。しかし、郷田飛鳥が体現しているのは女のダメな部分ではなくイヤな部分だろう。開始5分でいきなりキャラに嫌悪感を抱かせるとは・・・ ここから鈴木おさむ監督はどのようにひっくり返してくるのか・・・という期待は大いに裏切られるのであった。

吉田鋼太郎演じるペイストリーショップ経営者との不倫は、色気もなければ罪悪感を感じさせる描写もない。挙句、「どうも奥さんとは別れてくれるっぽいんだよね~」や大久保佳代子演じる親友・細谷千種から注意されても「私は大丈夫だよ」と能天気に返すところなど、イヤな女っぷり全開のまま。もう一度強調しておきたいが、ブリジットがあれだけ世界中の女子から愛されたのは、彼女がダメなところを隠さない女だったからだ。イヤとダメの違いに注意されたい。イヤ=打算的、ダメ=努力できないと考えてもらえればいい。飛鳥と千種の会話から明らかになるが、ミスコンに勝つために美人が少ない(飛鳥曰く「ブスが多い」)大学を選んで入学した、美人が少ない(飛鳥曰く「ブスが多い」)演劇部を選んで入部し、芸能界入りを窺っていた、など観る者をドン引きさせるイヤな要素をこれでもかと並べ立ててくる。このことが後に、飛鳥と千種の対立軸に発展するのだが・・・

2人目の玉木宏演じるスポーツジムのインストラクターとも、成行きのままにベッドイン。相手は千種がほのかな想いを寄せている男性であると知りつつ、その千種を使って2人きりのデートに持ち込むところなど、この女に罪悪感は無いのかと思わされる。そしてそのまま千種に交際の報告する。絶交される。そりゃそうだ。

3人目は野村周平演じる星矢。この男が飛鳥の本命にして・・・ あまり書くとレビューを通り越してしまうので控えるが、ここで飛鳥は観る者の共感を決して得られないであろう選択肢を選んでしまう。これまで自分の年齢など気にかける素振りもなかったのに、ほんの少しの出来事でそれまでに築き上げてきた自己像を自ら破壊してしまう。星矢と別れた飛鳥はこれまで以上にパティシエとしての仕事に精を出すものの、そこに予想しなかった客がやって来て・・・

さて、ここまで長々とレビューを読んで頂いたわけですが、いつになったら物語の焦点であるラブ×ドックが出てくるのかと訝しくなってくる頃でしょう。ご安心めされ。広末涼子の経営するラブ×ドックはあっても無くても物語に特に影響を与えることはない。本来ならば、一人また一人と飛鳥が出会いを経験するたびにラブ×ドックに赴き、何らかのカウンセリングを受けたり怪しげな注射をされたりすることで、事態が思わぬ方向に進展して・・・とならなければおかしいのだが、そんな展開は一切無い。完全に脚本段階でのミスというか、深夜ドラマを2時間枠にしてキャスティングだけ豪華にして作ってみました感が漂っている。これを観るぐらいなら、もっと有意義な金と時間の使い方を探すべきだ。よほど出演者に思い入れがないと、劇場観賞はキツイだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンティック・コメディ, 吉田羊, 日本, 監督:鈴木おさむ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on ラブ×ドック

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