CUBE 一度入ったら、最後 10点
2021年10月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉
監督:清水康彦
低予算シチュエーション・スリラーの金字塔『 CUBE 』の日本版リメイク。というよりも世界初のリメイク。類似の作品は当時から今まで陸続と生み出されてきたが、今というタイミングで日本がリメイクするからには、相当凝ったアイデアがひねりだされたのだろうと好意的に解釈して劇場へ。
あらすじ
後藤(菅田将暉)は、目が覚めると謎の部屋の中にいた。そこでは自分と同じように、訳も分からずこの場所に連れてこられた人間たちがいた。彼らは脱出を試みるが、部屋によっては致死的なトラップが仕掛けられいる。果たして生きて脱出できるのか・・・
ポジティブ・サイド
冒頭の男の死に様は、まあ及第点か。原作ではいきなりサイコロステーキにされていて、その衝撃とおぞましさゆえに、我々は一気にキューブという謎の領域のとりこになった。今作の冒頭シーンを見てJovianは不謹慎にも『 フード・ラック!食運 』や『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』を思い起こしてしまった。鑑賞後に妻を焼肉に誘ったが、変な目で見られてしまった。
ネガティブ・サイド
以下、ネタバレあり
何というか、何がしたいのかさっぱり分からない作品。随所に原作の良さを消して、邦画のダメなところが前面に出てしまっている。予告編で語られていた職業年齢が、本編ではほとんど触れられない。原作では職業・肩書とキャラのキューブ内で果たすべき役割がかなりの程度リンクしていたが、こちらのリメイクはその設定を完全無視。なぜか喋らない中学生も、深い設定などなく単なる人見知りって、脚本家はアホなんかな。
岡田将生の内面を表現するのに部屋の色をその都度変えるのも、観る側を馬鹿にしている。オリジナルでは人間関係のいざこざは赤い部屋で起きていて、それがゆえにカザンは青の部屋を好んでいた。人間を状況や背景に合わせるべきなのに、背景や状況を人間に合わせている。「こうすべれば分かりやすいでしょ?」とでも言いたいのだろうが、キューブの魅力の多くは、その意味不明さ、理解不能性から来ている。同時に、いかに人間が状況によってその行動や思考を変えられてしまうかの象徴でもある。そこを敢えて分かりやすくするというのは、ありがた迷惑というやつであるし、キューブという構造の本質を見誤っている。
死のトラップについても大いに不満が残る。特定の人間の感情に反応してトラップが発動したり、発動しなかったというのは、もはや単なるご都合主義にしか見えない。原作の面白さの一つに、素数を含む数字の部屋は罠(だが、実際は素因数の種類が1つなら罠)という、人間の感情を露わにしていくキューブという領域で、理性と論理が大いなる武器として働く、そしてそれが大きな落とし穴になっているということが挙げられる。こうすれば大丈夫だけれど、一歩間違えれば死ぬ。その緊張感があったればこそ、原作のクエンティンは絶対に音や声を出してはいけない部屋の場面で、カザンに対してマジ切れした。トラップを辛くも逃れることはあっても、場合によってはトラップが発動しないなどということは絶対にあってはならないのである。ついでに言うと、音を立ててはいけない部屋でBGMを流すとか、監督はアホなんかな。
他にも気になったのはキャラの死にざま。特に斎藤工。体のその部位に大ダメージを受けたとて、その瞬間に吐血などありえない。それを必要以上にスローモーションかつ顔面アップにする必要性もない。死ぬときは淡々と死んでいく。それが『 CUBE 』の良さであり、低予算ホラーや低予算シチュエーション・スリラーの様式美なのだ。そうすることによって、次に誰が死ぬか分からないという緊張感が生まれるわけだ。『 ザ・ハント 』のエマ・ロバーツがヨーイドンで、しかも何の特別な演出もなく死んだことで、観る側は「一体全体これから何がどうなるのだ?」というスリルとサスペンスを味わえるわけで、キャラの死に特別な演出を施してしまうと、「ああ、ここからはしばらく誰も死なないのね」と、逆に中だるみを作ってしまう、
岡田将生と吉田鋼太郎もギャーギャーうるさいだけ。最初は60代は20~30代を踏みつけて生きているということに内心で激しい憤りを描いているキャラなのかと思うシーンがあったが、それを全部事細かに言葉にしてどうする。世代間格差は確かに日本的なテーマであるが、『 CUBE 』という世界的なネームバリューのある作品のリメイクを、世界ではなく日本に問おうというスケールの小ささが気に入らない。もしそれをやりたいのなら、それこそ日本的な陰湿さや、慇懃丁寧さの中に垣間見える悪意のようなものを際立たせるべきで、単に極限状況に置かれたキャラが発狂してワーキャー言うだけでは、凡百のシチュエーション・
スリラーと何も変わり映えしない。
菅田将暉のキャラに変なバックグラウンドを持たせる必然性も無し。なんでここで超絶駄作『 秘密 THE TOP SECRET 』的な映像を見せられねばならんのか。さらにこれは『 CUBE 』のリメイクのはずが、なぜか『 キューブ2 』の要素まで入り込んでいるではないか。
杏のキャラクターが最後に問いかける対象が見えてしまってはダメだ。ここまで徹底的に日本という特有のマーケット向けに作ったからには、最後の最後に語りかける相手は劇場鑑賞者、あるいは配信やディスクメディアの視聴者であるべきだ。つまりは第四の壁を突破するべきだった。それならこのような中途半端なメッセージにも意味は見いだせる。日本という小さく狭い箱庭に閉じ込められた八方ふさがりなあなたたち。一度の失敗ですべてがダメになる理不尽な社会。皆で協力して生き延びられますか?これなら分かる。しかし、最後の最後の絵では、鑑賞者は当事者ではなくあくまで観測者。これではキューブという領域に観る者を誘いこめない。なぜこんな引きにしたのか、不思議でならない。
星野源の主題歌がローカリゼーションに拍車をかける。誰の要望でこんなテイストの楽曲に?原作観たか?あるいは本作すら観たか?あるいはコンセプト聞いたか?清水監督は観終わった観客にどういう感情を抱いてほしいのか?あるいは、観客のどういった情動を引き出したいのか?星野源は悪いアーティストではないと思うが、エンディング曲は完全に out of place だった。
総評
残念ながらリメイク失敗である。分かってはいたけれども大惨事に仕上がってしまった。少なくともJovianが期待する水準ではなかったし、真新しいアイデアもなかった。『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』のように、各国に特有のアイデアを持ち込める原作ではないし、かといってローカルな社会事情を反映させるには『 ザ・ハント 』のような過激なグロ描写による露骨な格差描写もなかった。総てが中途半端以下。直近で鑑賞した『 ビースト 』や『 殺人鬼から逃げる夜 』が世界のマーケットを意識して作られているのに対し、完全に内向きなオーディエンスしか意識できない邦画という残酷なコントラストが際立ってしまった。原作を知らないなら、鑑賞もありだろう。だが、その場合、極力割引やポイントで鑑賞すべし。Jovianはポイントでタダチケをゲットした。こんな映画に興収を上げさせてはならない。
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