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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 歴史

『 キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 』 -伝記映画の佳作-

Posted on 2022年11月3日 by cool-jupiter

キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 70点 
2022年10月30日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク サム・ライリー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:マルジャン・サトラピ

 

怪作『 ハッピーボイス・キラー 』の監督が、マダム・キュリーを料理するという。そして演じるは円熟味を増したロザムンド・パイクということでチケット購入。

あらすじ

マリ・スクウォドフスカ(ロザムンド・パイク)は、大学で満足なラボを与えられずにいた。そんな中、マリはピエール・キュリー(サム・ライリー)と出会い、交際し、結婚してキュリー夫人となる。二人は共同で研究を積み重ね、ついにマリは大発見を行うが・・・

 

ポジティブ・サイド

キュリー夫人というとラジウム発見のイメージが強い。というか、それしか知らなかった。本作を鑑賞して、かなり脚色されている点はあるのだろうが、単なる科学者ではない人間マリ・キュリーが分かった気がする。

 

本作は非常にユニークな構成だ。いきなりキュリー夫人の死亡直前から始まる。そして、彼女が自身の人生を走馬灯のように振り返る形で、物語が提示されていく。不遇の研究者時代に出会った夫ピエール、結婚、出産、放射能の発見、ノーベル賞受賞などがドラマチックに描かれていく。印象的なのは、明らかにキュリー夫人の死後のイベントも回想されるところ。たとえばヒロシマへの原爆投下や、チョルノービリ(チェルノブイリ)の原発事故などがある。自身の発見が、世界を良い方向にも悪い方向にも変えうるということは作中でも言及されていたが、それを具体的なビジョンとして見せることで、キュリー夫人の卓越した想像力を見事に表していた。

 

ロイ・フラーとピエール・キュリーの交流も個人的に興味深かった。フラーが当時の最先端科学と踊りを融合させようとしたことはよく知られている。その後、スピリチャルな方面に傾倒していったのも史実。観ているうちは「自分には興味深いが、このパート要るかな?」と感じてしまったが、これは浅慮だった。このフラーとの交流が、中盤以降に思いがけない形で人間マリ・キュリーをクローズアップすることにつながる。マルジャン・サトラピ監督はかなりの手練れである。ロイ・フラーについて知りたいという人は『 ザ・ダンサー 』を鑑賞されたし。

 

悲惨極まる戦争に対しても、殺傷のためではなく人命救助のために物理学の知識と技術を応用したことを不勉強にして知らなかった。フローレンス・ナイチンゲールより2世代ほど下のマリ・キュリーであるが、ほぼ同時代人と言ってよいだろう。ナイチンゲールも知識と技術をクリミア戦争の野戦病院で発揮したが、マリ・キュリーもそうだったのか。女性として、妻として、母として、そして科学者として生きるマリ・キュリーの生涯と、過去・現在・未来をすべて俯瞰するかのような構成がよくよくマッチしている。『 ドリーム 』よりもシリアスさは上だが、そちらを楽しめた向きは、きっと本作も堪能できるはず。

ネガティブ・サイド

マリ・キュリーの苦闘を描くことに多大な時間を費やしているが、厳しさや険しさが前面に出すぎていたと感じる。彼女にもほのぼのとした家族の団らんや、夫婦としての睦まじい関係性はあったはず。そうした面に光を当てることがなかったのは残念である。当時の世相や、彼女自身の在フランスのユダヤ系ポーランド人というバックグラウンドがあったのは事実だろうが、もう少し想像力を発揮して、人間味のあるマリ・キュリーを描き出してほしかった。

 

娘夫婦もノーベル賞を受賞したことに触れられなかったのは何故なのだろう。

 

邦題が今一つ。キュリー夫人というのは馴染みのある名前であるが、敢えて「マリ・キュリー 天才科学者の愛と情熱」のような邦題にしても良かったのではないか。映画が描いたのは夫人としての面だけではなく、母親や科学者としての面も多かったのだから。

 

総評

猿橋勝子も苦労したが、それよりもっと苦労したのがキュリー夫人なのだなと、しみじみ思う。こうした作品を観ると、人類は進歩しているのか、それとも進歩していないのか分からなくなってくる。一つ言えるのは、作り手はそんな短絡的な結論は求めていないということ。放射能の放つ妖しい光を、美しいものにできるのか、それとも破滅的なものにしてしまうのか。それはマリ・キュリーの後半生の生き方を参考にしてください、というのがマルジャン・サトラピ監督のメッセージなのだろうと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak for oneself

「自らのために語る」が直訳だが、これはしばしば無生物を主語に取る。

His achievement speaks for itself.
彼の業績は(誰かが語るまでもなく)素晴らしいものである。

These facts speak for themselves.
これらの事実を見れば(誰かが説明しなくても)分かる。

The results spoke for themselves.
結果がすべてを物語っていた(誰かが説明せずともすぐに分かった)。

のように使う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 天間荘の三姉妹 』
『 王立宇宙軍 オネアミスの翼 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, サム・ライリー, ヒューマンドラマ, ロザムンド・パイク, 伝記, 歴史, 監督:マルジャン・サトラピ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 』 -伝記映画の佳作-

『 アムステルダム 』 -ファシズムの萌芽を摘めるか-

Posted on 2022年10月30日 by cool-jupiter

アムステルダム 50点
2022年10月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリスチャン・ベイル ジョン・デビッド・ワシントン マーゴット・ロビー
監督:デビッド・O・ラッセル

アメリカ史の知られざる闇に迫る作品。戦争の時代に逆戻りしつつある現代、思いがけずタイムリーな作品になった。

 

あらすじ

1930年代のニューヨーク。復員兵のバート(クリスチャン・ベイル)とハロルド(ジョン・デビッド・ワシントン)は、軍時代の恩人の死の原因を調べてほしいという依頼を、その恩人の娘から受ける。しかし、その依頼人が殺害され、バートとハロルドが被疑者にされてしまう。二人は身の潔白を晴らそうと奔走するが・・・

ポジティブ・サイド

第一次世界大戦中のベルギーでのバートとハロルドにアメリカらしさ、そしてある意味での現代ロシアらしさも垣間見える。少数派をあからさまに差別し、排除する姿勢が見えるからだ。クリスチャン・ベイルが、本家デ・ニーロの前でデ・ニーロ・アプローチを披露。心身共にボロボロの平氏、復員兵かつ医師を渾身の演技で体現した。カリスマ性ではなく、普通の人間性の持ち主だからこそ、ハロルドや黒人兵士たちも彼と共に従軍できたことがよくよく伝わってくる。看護師であるヴァレリーとの出会いも極めて印象的。兵士の体から摘出した弾丸でアートを作るというのはユニークなのか、それとも戦争のもたらす狂気なのか。

 

彼らがアムステルダムで享受する自由と平和、そしてそこで育む友情が、その後のニューヨークでの不可解な殺人事件につながっているという筋立ては、まさに王道ミステリ的。となれば、ここから先は謎解きとなる。実際にハロルドとバートは様々な伝手をたどり、事件の調査を行い、有力者や協力者にあたっていく。このあたりは非常にテンポが良く、次々と新たな人物が現れ、その人物から新たな事実、新たな人間関係が明らかになっていく。

 

そしてたどり着いた殺人事件の真相。これに説得力を感じるかどうかは人それぞれだろうが、史実だというのなら受け入れるしかない。人間の欲は思想信条や平和な社会体制よりも優先されてしまう。100年近く前のアムステルダムで育まれた友情の意味を、今一度回顧すべき時期に我々は来ている。

ネガティブ・サイド

早い話が、アメリカを全体主義国家にして、戦争でバンバン儲けたいという企業経営者、富裕層による社会変革論を、主人公たちが期せずして暴いていくというストーリー。日本でも「不景気だから、そろそろ戦争でも起こってもらわないと」と発言した経団連参加者がいたと報道されたこともあったが、そういうストーリーだ。なので、一定のリアリティはある。問題は、その目的達成のために取るべき手段があまりにも回りくどいことだ。軍人を担ぐよりも、政治家を担ぐ方が確実だと思うが。また、バートやハロルドを指して「お前たちは常に監視下にある、いつでも殺せる」と脅しておきながら、そうした脅威を実際に感じさせるシーンもわずかしかない。陰謀史観論者から見たもう一方の陰謀史観論的に見えてしまう。あまりにもご都合主義的だ。

 

豪華キャストをそろえた割りにはケミストリーが生まれていない。アニャ・テイラー=ジョイとマーゴット・ロビーの二人には演技対決と呼べるようなシーンはなかったし、いぶし銀のマイケル・シャノン(この人が出ている作品はハズレが少ない)とベイル、ワシントンのコンビの間に何らかの連帯感が生まれるような展開もなかった。シーンとシーンの移り変わりのテンポの良さのために豪華俳優陣を無駄使いしている。

 

総評

『 アメリカン・ハッスル 』同様に、荒唐無稽なプロットにリアリティを与えるデビッド・O・ラッセル監督の持ち味が出ている。ただし、あくまでロシアによるウクライナ侵攻や、中国の習指導体制の強化など、ファシズムの萌芽を世界が目撃しつつある瞬間が味方したことも忘れてはならない。今作は悪があまりにも間抜けすぎて、最後は fizzle out してしまった。ただ、序盤から中盤にかけての展開はミステリアスかつスリリング。キャストも非常に豪華なので、楽しむこと(だけ)はできる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

wear it well

作中で、ラミ・マレック演じる富豪トム・ヴォーズの言葉。これは直訳すると「それを上手に着ている=着ているものが似合っている」ということだが、もう一つ、「性格や境遇が合っているという意味もある。Rod Stewart がそのものズバリ  “You wear it well” という歌を歌っている。その中で、And I wear it well. = 俺にはそういうのがお似合いなんだよ、という歌詞があるので、興味のある人は聴いてみよう。 

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 天間荘の三姉妹 』
『 王立宇宙軍 オネアミスの翼 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, クリスチャン・ベール, サスペンス, ジョン・デビッド・ワシントン, マーゴット・ロビー, ミステリ, 歴史, 監督:デビッド・O・ラッセル, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アムステルダム 』 -ファシズムの萌芽を摘めるか-

『 モガディシュ 脱出までの14日間 』 -極限状況から脱出せよ-

Posted on 2022年7月4日 by cool-jupiter

モガディシュ 脱出までの14日間 75点
2022年7月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:キム・ユンソク チョ・インソン チョン・マンシク
監督:リュ・スンワン

名優キム・ユンソク主演作。韓国が国際社会での存在感を増そうともがいていた時代を映したという意味で『 国家が破産する日 』とよく似ている。あちらも焼けつくようなサスペンスがあったが、こちらも言葉そのままの意味で手に汗握り、固唾をのんでしまう作品であった。

 

あらすじ

1990年、国連加盟を目指す韓国はアフリカ諸国の支援を取り付けようと躍起になっていた。ソマリア駐在大使ハン(キム・ユンソク)も、ソマリア大統領やその側近に接近していた。しかし、同じく国連加盟を目論む北朝鮮の妨害にあっていた。そんな中、内戦が勃発。北朝鮮のリム大使(ホ・ジュノ)は、韓国大使館へ助けを求めようとするが・・・

ポジティブ・サイド

太陽政策以来、南北は、少なくとも韓国側は融和への路線を歩んでいる。だが、本作は1990年、つまり南北がバチバチに対立していた頃の話。その争いも、北がソマリアのチンピラを雇って、韓国大使の自動車を銃撃し、大統領との面会に遅刻させるという、ユーモラスなのか深刻なのか分からないもの。だが、いったん内戦が勃発するや、わずかに残っていたユーモアは消し飛び、物語は戦場さながらの、いや戦場そのままの修羅場からの脱出劇へと変貌する。

 

まずソマリア人たちの trigger happy ぶりに怖気を奮うしかない。銃社会と言えば『 女神の見えざる手 』のアメリカが思い浮かぶが、銃を誰がどう手に入れるかではなく、誰もが銃を持ち、政権側は反乱軍に発砲するし、反乱軍も政権側に発砲する。同国人に対してそうなのだから、外国人に対して容赦などするはずもない。相手が外交官であっても反乱軍は気にしない。いや、反乱軍だからこそ気にしない。そんな恐怖感が、逆に南北朝鮮人の心を近づける。

 

命からがら韓国大使館へと逃げ込む北朝鮮外交官たちとその家族たちが、晩餐を振る舞われるが、誰もそれに手を付けない。元々一つの国家だった朝鮮半島であるが、彼らはその文壇の始まりをモガディシュに見出していたのだろう。キム・ユンソクがホ・ジュノと自分の器を無言で入れ替え、むしゃむしゃと食べ始めたところで、北朝鮮側も三々五々食べ始める。ここで、南北の女性が同時に荏胡麻の葉に同時に橋を伸ばすシーンは、人間が本来持っている思いやりというものを淡々と描く名場面だった。

 

本作は南側の視点に立っているが、北を問答無用の悪に描くことはせず、また南を無条件に善に描くことをしない。北の人間が自分たちの子どもたちに南の文化を見させまいとして、我が子の目を覆うシーンもある一方で、南の人間は北の人間すべてが暗殺者として育てられていると陰口をたたく。どっちもどっちである。この相容れない同民族が、極限状況で互いを認め合っていくのが本作の一つの見どころである。分断されるソマリアと、分断される中で統一・・・とは言わないが、一つにまとまっていく南北朝鮮の人々のコントラストが映える。非常に逆説的であるが、民族や部族がまとまるために極限状況は不要であるというメッセージが強く伝わってくる。

 

クライマックスのイタリア大使館に向けての逃走劇はカーアクションの白眉である。カーアクションだけ見れば『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』や『 ただ悪より救いたまえ 』よりも上である。4台のクルマが連なって銃撃の雨あられをかいくぐる一連のシークエンスは、カメラワークの巧みさもあり、非常にスリリングな出来に仕上がっている。脱出した先に見る光景、それはもう一つの分断だった。このやるせなさよ。清々しい余韻を残して終わることを良しとしない韓国映画の面目躍如である。

 

1990年と言えば湾岸戦争勃発のイメージが強く、ソマリアで内戦が起きていたことなど当時はリアルタイムで知りようがなかったし、そんな情報も自分には入ってこなかった。小学生だったから当たり前だが、当時の大人も海外の一大事といえば湾岸戦争だったはずだ。だが、そんな戦争の裏でこれほど濃密なドラマが繰り広げられていたとは知らなかった。韓国映画の勢いは、コロナ禍でも衰えを知らないようだ。

ネガティブ・サイド

南北の参事官同士が肉弾戦を繰り広げるシーンがあるが、あまりにも南が北を圧倒しすぎではないか。もっと互角の殴り合い(というか蹴り合い)をしてくれれば、終盤のカーアクション後の展開をもっとドラマチックに演出できたことだろう。

 

各国大使たちの丁々発止のやりとりや、時に支え合い、時に出し抜こうとする外交官の駆け引きが描かれていれば、終盤のイタリア大使館やエジプト大使館から協力を得られる展開がもっと感動的になったと思われる。

 

総評

韓国映画はしばしばハリウッド映画の亜種とされるが、まさにハリウッド的なテイストに溢れた作品。序盤はユーモアを交え、60分で一つ目の山場、90~105分に対立と緊張の中で芽生える南北の人間の奇妙な友情や連帯感は、陳腐ではあるが、それゆえにいくらでもドラマを生み出すことができる。『 PMC ザ・バンカー 』はスーパー・エクストリームな展開だったが、こちらは歴史的な事実に基づいている。その意味ではリアリティが抜群である。韓国映画と邦画の差は開くばかりである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

15 minutes late

『 シャンチー テン・リングスの伝説 』で紹介した 90% confident の類似表現。劇中ではキム・ユンソクが We were only 15 minutes late. = たった15分遅刻しただけなのに、と正しい形で使っていた。前にも書いたが、Jovianの以前の職場の英検1級ホルダー3名はそろいもそろって 〇〇 san will be late for 15 minutes を「正しい英語である」と認識するトンデモ英語講師であった。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, キム・ユンソク, サスペンス, チョ・インソン, チョン・マンシク, 歴史, 監督:リュ・スンワン, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 モガディシュ 脱出までの14日間 』 -極限状況から脱出せよ-

『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

Posted on 2022年6月26日2022年6月26日 by cool-jupiter

犬王 80点
2022年6月24日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:アヴちゃん 森山未來
監督:湯浅政明

 

会社の同僚が激しく心揺さぶられたと評した作品。振休を使って、梅田ブルク7に向かう。平日の昼間で公開から3週間経過しているにも関わらず、半分近くの入りで驚いた。

あらすじ

南北朝の統一前夜、奇形児として生まれた犬王(アヴちゃん)は、独自に猿楽を学ぶ。ある日、犬王は草なぎの剣の呪いによって盲目となってしまった琵琶法師の少年・友魚(森山未來)と出会う。犬王の異形の姿が見えない友魚は、すぐに犬王と意気投合。二人は独自の楽曲と舞踊で、たちまち都の話題を呼び・・・

 

ポジティブ・サイド

三種の神器によって呪われてしまった友魚と、とある人物からの呪いをその身に受けて異形の身体に生まれてしまった犬王。社会や家族から cast out された二人が織りなす楽曲の斬新さが目を引く。鎌倉時代には絶対にありえない演出がふんだんに施されていて、二人のライブが類まれなるスペクタクルになっている。猿楽を現代のロック調に再解釈し、歌詞は当時のものさながらに、新たなエモーションを乗せることに成功している。また光による演出も映画館で鑑賞するにふさわしく、eye-candy である。個人的にはクジラの歌と演出が最も心に残っている。

 

同時に、二人の楽曲が平家の亡霊の鎮魂歌になっているという設定がユニーク。忘れがちであるが、平安以降の日本はほとんど常に乱世で、それだけ人の死が身近にあった時代。なおかつ、娯楽もなく、さりとて一般庶民が文字として記録されたり、あるいは何かを記録する時代でもない。そこから『 図書館戦争 』や『 罪の声 』の脚本を務めた野木亜紀子の主張が垣間見える。いつの世であっても、最も救済が求められるのは名もなき無辜の民や、歴史の闇に葬り去られる運命の敗者たちなのである。

 

パフォーマンスが成功するたびに犬王の異形の身体が少しずつ普通になっていく。また友魚も名を友有と変え、自分の一座を持つ。時の将軍、足利義満の御前での仮面なしのパフォーマンスも成功に導き、順風満帆な二人だったが、好事魔多し。その将軍の意向により、二人は窮地に追いやられてしまう。この展開の辛さよ。虐げられてきた自分たちのパフォーマンスが虐げられてきた者たちを救ってきたにもかかわらず、為政者は事故の権力の正当化に汲々とするばかり。600年前も今も、権力者と庶民の関係は変わらないのか。

 

ちょうど大河ドラマで源氏が平氏を滅ぼし、鎌倉政権内のゴタゴタに焦点が移っているところである。これが上手い具合に劇中の平家の滅亡と南北朝統一を推進する足利幕府内部のゴタゴタとシンクロしている。同時に、多様性や包摂を謳いながらも、それが出来ない現代日本社会、さらに政権にとって都合の良い歴史の主張など、時代劇でありながら現代風刺になっている。アニメとしてもミュージカルとしても、近年では出色かつ異色の出来の邦画である。多くの人に鑑賞いただきたいと思う。

 

ネガティブ・サイド

犬王に関しては想像力を自由に働かせる余地があるものの、ストーリーにオリジナル要素が足りなかった。手塚治虫の漫画『 火の鳥 太陽編 』にそっくりだと感じた。

 

明らかに『 ボヘミアン・ラプソディ 』にインスパイア・・・というかパクったシーンが終盤にある。いや、中盤にもあるのだが、そこはオマージュと受け取れた。が、最終盤のステージ入りのシーンはオマージュとは言えないような気がする(楽曲の方も厳密にはアウトかもしれない)。

総評

Jovianは洋画のサントラは結構たくさん持っているが、邦画は久石譲以外持っていなかったりする(ミーハーの誹りは甘んじて受ける)。そんなJovianが「これはサントラを買わねば!」と強く感じたのが本作である。虐げられ歴史に抹殺された者たちが、時を超えて訴えかけてくるメッセージには確かに心揺さぶられずにはおれない。

そうそう、予告編で『 四畳半タイムマシンブルース 』が9月に公開されると知り、非常に興奮した。めちゃくちゃ楽しみである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Once upon a time

「今は昔」の意。スター・ウォーズの始まりもこれである。他にも『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』など、割と使用頻度は高いように思う。B’zも『 once upon a time in 横浜 〜B’z LIVE GYM’99 “Brotherhood”〜 』 というDVDを昔、出していた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, アヴちゃん, ファンタジー, ミュージカル, 日本, 森山未來, 歴史, 監督:湯浅政明, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:アニプレックスLeave a Comment on 『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

『 南極物語 』 - 南極でサバイバルする犬を活写する-

Posted on 2022年6月2日 by cool-jupiter

南極物語 75点
2022年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高倉健 渡瀬恒彦
監督:蔵原惟繕

NHKの『 歴史探偵 』で南極タロジロ物語を観て、「そういえばVHSで観たな」と思い出した。しかし覚えていたのはオーロラのシーンだけ。今回あらためて鑑賞して、なかなかのリキ作であると感じた。

 

あらすじ

国際地球観測年、日本は南極へ第一次観測隊を派遣する。その中には犬ぞりを引くための22頭の犬の姿もあった。第一次観測隊は、犬たちを南極基地に残したまま第二次観測隊と入れ替わろうとするも、天候が急激に悪化。隊は基地に入れず、犬たちは南極に取り残されてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

南極の過酷さがよく出ている。実際に多くのシーンは南極で撮影したらしい。荒ぶる海、どこまでも続く極寒の大地、凍てつく風。むき出しの自然の荒々しい力が画面越しにも伝わってくる。近年の邦画にはない、非常に角度の広い、そして奥行きの深い絵がこれでもかと映し出される。映画館の大画面なら、どれほどの迫力があっただろうか。

 

1980年代なら第一次観測隊のメンバーの多くが存命だろうから、製作者や役者隊も存分に隊員たちに取材ができたことだろう。日焼け具合に無精ひげ、伸びきった髪などが、極地までの旅路、そして極致での生活がどんなものであるのかを雄弁に物語る。説明的なセリフを挿入すりゃいいんだろ、と開き直り気味の現代の作り手は、このあたりを大いに意識すべきだろう。犬ぞりでの南極観測も自然の大スペクタクルを堪能させてくれる。凍てつく大地の乾いた空気に、ヴァンゲリスの音楽が非常にマッチしており、この絵と音楽だけで画面に文字通り釘付けになってしまう。

 

人間パートも熱い。救助に来てくれたアメリカ艦船の乗員に啖呵を切るのはどうかと思うが、当時の日本人あるいは映画の作り手には日本人としての誇りや矜持があったことがひしひしと伝わる。また高倉健が「それなら自分が犬を殺してくる」と宣言するシーンも史実なのだろう。普通なら「そこまで思うか?」と感じるだろうが、見渡す限り無人の氷原で、人と犬が昼夜を問わず行動を共にすれば、連帯感などという言葉では生温い紐帯が生まれても不思議ではないだろう。

 

その南極で生き抜く犬たちのドラマが渋い。ほとんど推測なのだろうが、アザラシを襲ったり、氷に閉じ込められた小魚を食べたりというのは実際に考えられそうだし、そうした絵を実際に撮ってしまう構想力に感服する。犬たちの関係性、協力、別離、再会、生存が人間の介在なしに濃密に描かれていく。オーロラのシーンは特に素晴らしい。過酷すぎる大地にほんの少しの福音を予感させている。氷の斜面を犬が滑落したり、氷海に落ちたりと、いったいどうやって撮影したのか分からないが、雪に人間の痕跡を一切残さずこれらのシーンを全て撮り切ったのには脱帽するしかない。ドッグトレーナーにも I take my hat off.

 

犬たちが雄々しく生き、そして死んでいく一方で、高倉健は大学を辞して、犬の飼い主たちへのお詫び行脚に出る。それがまた痛々しい。特にある姉妹にリキのことを詫びる高倉健が、すべてを飲み込んでただただ沈黙する場面は名シーンである(演じている姉が若き日の荻野目慶子なのだ)。また渡瀬恒彦も婚約者との仲睦まじさを見せつけるが、完全に心ここにあらず状態。魂を南極に置き忘れてきた男を好演した。南極の男たちが日本本土で世捨て人同然になってしまう。しかし、南極の大地に再び舞い戻ってタロとジロと再会することで生気を取り戻すというコントラストが最後の最後に鮮やかに際立つ。「生きる」ということの尊さに、人も犬もないということがよく分かるリキ作である。

 

ネガティブ・サイド

製作された年代が年代とはいえ、渡瀬恒彦が犬たちに本物の鞭をふるうシーンは観ていて本当に痛々しい。犬好きにはお勧めしづらい作品になってしまっている。

 

南極隊員と犬の関係者ばかりにフォーカスしすぎで、世間一般の反応についてもう少し描写があってもよかった。当時の報道によって、一般大衆からはボロクソに叩かれたらしいが、そうした世間からの容赦ないバッシングがあれば、高倉健や渡瀬恒彦らの打ちひしがれた姿がもっと印象的になったかもしれない。

 

南極の氷原を犬ぞりで駆けていくシーンのカメラの手ブレが酷い。酔いそうになった。当時の技術的限界かもしれないが、信じられないくらいブレまくるシーンがいくつかあるので、そこも鑑賞時は注意を要する。

 

総評

『 ハチ公物語 』や『 マリリンに逢いたい 』など、1980年代の邦画には犬をテーマにした良作映画があったのだなあと懐かしく感じた。またJovian世代は子どもの頃にちょうど『銀牙 -流れ星 銀-』を漫画またはテレビアニメで観ていた。なので、本作のタロやジロたちもある程度勝手に脳内で喋らせることができたりする。犬好きなら是非観よう。高倉健や渡瀬恒彦といった大御所も出ている中、こっそり佐藤浩市も出演している。今の時代には珍しくなってしまった飾らない人間の物語、そして犬たちのドラマが堪能できる。若い世代にも観てほしい。



Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sled

「そり」の意。あまりなじみのない言葉かもしれないが、ボブスレー = bobsled だと分かれば理解・記憶しやすいだろう。ちなみにそりには sleigh もあるが、こちらは sled よりも乗る位置が高いものを指す。クリスマスの定番曲『 Jingle Bells 』の Jingle bells, jingle bells, jingle all the way. Oh what fun it is to ride in a one-horse open sleigh. という歌詞からサンタクロースの乗るそりを連想されたし。ボブスレーは直接雪と接するが、サンタの座っている部分は雪とは直接は接しない。   

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 1980年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 歴史, 渡瀬恒彦, 監督:蔵原惟繕, 配給会社:日本ヘラルド映画, 配給会社:東宝, 高倉健Leave a Comment on 『 南極物語 』 - 南極でサバイバルする犬を活写する-

『 ゴヤの名画と優しい泥棒 』 -英国版の鼠小僧物語-

Posted on 2022年4月19日 by cool-jupiter

ゴヤの名画と優しい泥棒 75点
2022年4月16日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ジム・ブロードベント ヘレン・ミレン フィオン・ホワイトヘッド マシュー・グード
監督:ロジャー・ミッシェル

 

妻が観たいというので塚口サンサン劇場へ遠征(と言うほど遠くはないが)。休日の劇場にはかなりの人が戻ってきているが、ミニシアターは元々あまり混んでいないせいか、快適に鑑賞できた。

あらすじ

ケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)は妻と息子の3人暮らし。BBCの受信料支払いを拒否しているかどで、時折取り立て人がやって来る。ケンプトンは自分以外の孤独な老人たちの慰めとなるテレビの受信料を何とかしたいと思い、ゴヤの名画「ウェリントン公爵」に14万ポンドの価値がつけられたことに注目して・・・

ポジティブ・サイド

事実は小説よりも奇なり=Fact is stranger than fiction と言うが、本作の描く物語はまさにその好個の例だろう。ゴヤの名画を盗んで、それを返却する条件に高齢者のBBC受信料を免除せよ、と言うのだから笑ってしまう。1961年の英国に、今のN国党の先駆けになるような個人が存在していたことにもビックリするし、国立の美術館から名画がまんまと盗み出されたことにも度肝を抜かれてしまう。なによりも、この素材を単なる怪盗ものにせず、極上のヒューマンドラマに仕立てた脚本と監督の手腕が素晴らしい。

 

比較対象として『 ジーサンズ はじめての強盗 』が挙げられるかもしれないが、あちらはクライムドラマ。かたや本作はヒューマンドラマにしてファミリードラマ。ケンプトンと妻、そして息子たちの関係の微妙な機微が丹念に描かれる。ここの秘密を序盤にあっさりと見せてしまうことで、もう一つの巨大な秘密がきれいに隠れてしまう。これが事実だったのかどうかは不明だが、脚本の妙と言うしかない。

 

このケンプトン翁、タクシー運転手としての仕事中に要らんことをべらべら喋り、乗客から苦情を食らったりと老害(?)な雰囲気を漂わせるが、その実態にはさにあらず。人種差別に毅然と抗議する義の人である。これは1961年の物語だが、アメリカで公民権運動の真っただ中という時代。逆に言えば、人種差別が今よりも更に激しく、かつ国歌公認で行われていた時代である。ケンプトンが時代に左右されず、自分の信念を貫く人であることが非常によく分かるエピソードである。

 

名画盗難の罪でケンプトンは裁判にかけられてしまうわけだが、ここでの彼の答弁が面白い。詳しくは是非とも鑑賞してほしいが、自分と他人に関する彼の哲学が開陳される。なぜ2020年代に1960年代の事件と人物が掘り起こされるのか。それは、そこに秘められた思いが現代人の、いや、時代を超えて人の心を打つものがあるからである。

 

劇中ではまさに『 ウェスト・サイド物語 』が言及され、スパイダーマン以前の「良き隣人」と出会える。『 ウェスト・サイド物語 』が『 ウェスト・サイド・ストーリー 』にリメイクされた2022年。是非とも多くの映画ファンに本作を鑑賞し、1961年と現代を再びつなげていただきたいと思う。

ネガティブ・サイド

息子が船の修理をしているときに怪しいビジネスの話を持ちかけてくる悪友のパートは不要だったように思う。単に時々家にやって来る、口の悪い田舎の若者ぐらいの位置づけでよかった。その方が物語全体の着地もきれいになったはず。

 

ケンプトンはしばしば妻を怒らせ、あるいは呆れさせるのだが、そこで和解のバリエーションがもっと欲しかった。この夫がこれまでどれほど妻に謝罪をしてきたのかをしのばせるようなエピソードが必要だったように思う。いつもあれだと、亭主関白というか、ヘレン・ミレンが毎回ワンパターンな方法での謝罪を受け入れる従順な妻にしか見えない。

 

総評

一言、傑作である。笑いあり、涙あり、思わぬ真相ありと、映画の醍醐味が詰まった作品。ウェリントン公爵に関する予備知識は不要である。JovianもJ.P.ホーガンの『 巨人たちの星 』で “It was a close-run thing.” の引用で名前だけ知っていたぐらいだったが、本作を楽しむに際して何の問題もなかった。鑑賞時に注意するのは、事前に極力何も調べずに臨むこと、ということぐらいか。歴史的な事件を扱った映画を観る場合は、The less you know, the better. = 知らなければ知らないほど良いのである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

for the greater good

「大義のために」の意。ちょうど『 ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 』でグリンデルバルドも使っていた。庶民がこういう感覚でいるのは結構だが、権力者がこういう言葉を使いだすと、その国は危ないのかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イギリス, コメディ, ジム・ブロードベント, ヒューマンドラマ, フィオン・ホワイトヘッド, ヘレン・ミレン, マシュー・グード, 伝記, 歴史, 監督:ロジャー・ミッシェル, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオLeave a Comment on 『 ゴヤの名画と優しい泥棒 』 -英国版の鼠小僧物語-

『 ドリームプラン 』 -星一徹のUSAテニス版-

Posted on 2022年3月1日 by cool-jupiter

ドリームプラン 70点
2022年2月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演・ウィル・スミス アーンジャニュー・エリス サナイヤ・シドニー デミ・シングルトン
監督:レイナルド・マーカス・グリーン

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『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』以来のテニス映画。テニス映画というよりは、スポコン映画、または子育て映画なのだが、ほぼ同世代であり、かつてテニスを嗜んでいたJovianにとっては馴染みがあり、なおかつ新しい発見もある作品だった。

 

あらすじ

リチャード(ウィル・スミス)は、あるテニス選手が短期間で多額の賞金を稼ぐのを観て、自分の娘のビーナス(サナイヤ・シドニー)とセリーナ(デミ・シングルトン)にテニスの英才教育を施すことに決めた。そして、娘たちをさらに大きく成長させるために、彼は無料でコーチングを引き受けてくれる人材を探して東奔西走するが・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianはボリス・ベッカーからテニスを観始めたので、『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』の世代の少し後である。しかし、ビーナス・ウィリアムズとセリーナ・ウィリアムズの二人は、彼女らがプロになりたての頃からグランドスラム大会などで観てきた。マルチナ・ヒンギスのクラシカルでいて、それでいてパワフルでスキルフルなテニスに魅了された世代でもある。伊達公子の実質的な引退試合で、ヒンギスがライジングショットで伊達を圧倒する姿に、世代交代、時代の交代を観たという世代である。しかし、そのヒンギスもL・ダベンポートやメアリー・ピアースは何とかできても、ビーナス・ウィリアムズには敵わなかった。高校生ぐらいの時に読んだテニマガで、父リチャードが「ビーナスは強い。しかし、セリーナはもっと強い」という趣旨のことを述べていて、「それはナンボなんでも言い過ぎやろ」と感じていたが、まったくもって事実だと知って、恐れ入り谷の鬼子母神だと感じたことを今でも覚えている。しかし、父親がこれほどの星一徹的なキャラクターだとは知らなかった。

 

星一徹と決定的に異なるのは、かなり人間的に破綻した人であること、そして娘たちにテニス以外の教育も施したことだ。事実は分からないが、めちゃくちゃな人生を歩まざるを得なかったことが、リチャードの娘たちに対する教育のモチベーションになっているのだろう。前者の点については、物語のかなり後半になるまで触れられないが、その夫婦の row のシーンはかなり真に迫っていたと思われる。例えるなら『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディがメンバーに独立を伝えるシーンか。当人、あるいは娘たちにしか分からないシーンで、これがそのまま事実の再現だったとは思わないが、とにかくリアリティが凄かった。

 

彼の教育としつけは周囲の人間には虐待と映ったようだ。隣人に通報までされている。しかし、家にやってきた警察と保護観察官に対しての毅然とした対応には感動させられた。一方で、名コーチであるリック・メイシーに陽気にたかる姿は、どことなく亀田さん兄弟の父を思い起こさせた。善良かつ厳格なだけの男ではない。良い意味でも悪い意味でも人間臭さというか、人間としての弱さや醜さが出ており、それは自分をぶちのめし、娘をレイプしてやると言い放ったギャングを殺そうと企むシーンにもよく表れていた。ルイジアナというアメリカの南部で生まれ育ち、『 私はあなたのにグロではない 』のJ・ボールドウィンの一つ下の世代であるリチャードが、暴力と差別を知らないはずがない。自分のことなら耐えられても、悪意を娘に向けられた際に見せた相手への憎悪を、誰が否定できようか。

 

彼の人生はある意味で悪意との戦いだったように感じ取れた。それも明確な悪意ではなく、意識されない悪意だ。善意の裏に潜む悪意だ。インタビューしてくるメディアや、スポンサー契約を持ち掛けてくるエージェントに対して「俺たちが白人だったら、お前たちはそんなことを言わないだろう」と言ってみせるが、確かにその通りだろう。我々はついつい本作をテニスで成功を収めた選手の父親の話として観てしまう、あるいは『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』のような女性テニス選手の話として観てしまうが、正しくは『 ドリーム 』(原題”Hidden Figures”)と同系統の作品として観るべきだろう。ゲットーで生まれ育ち、犯罪と貧困の世界から脱出するためにテニスに打ち込んだが、カネには支配されなかった。逆に、カネを持ってくる側をとことん競わせた。このエピソードは知らなかったが、マイク・タイソンにもこのような父親がいれば、あるいはカス・ダマトがもっと長生きしていればと思わされた。

 

本作はテニス映画であるが、それ以上に前例を打ち壊すこと、高潔であること、そして自分を信じることの重要性を真正面から描いている。ホンマかいなと思えるエピソードもあるが、ホンマなのである。亀田三兄弟の父親がまともな人格と哲学の持ち主だったら・・・という思考実験が、本作で可能になる。教育に悩む親など、テニスファン以外にも是非とも鑑賞いただきたい一作となっている。

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ネガティブ・サイド

せっかくのテニス映画なのに、テニスの迫力を伝えるようなシーンや特徴的なカメラワークがなかったのは残念である。それこそ1970年代、80年代のテニスと比べると21世紀のテニスは卓球かと見紛うほどにスピードアップしている。それだけ選手のパワー(とラケットの性能)がアップしたのだ。そのことを伝えるような絵、たとえばビーナスがフラットにボールを叩いた時に、どれくらいボールが潰れているのかだとか、あるいはセンターにサービスエースがバシッと打ち込まれた時に、レシーバー視点ではどう見えるのかを捉えたりといった、そういったものが欲しかった。

 

主人公はリチャードなのだが、もう少しセリーナにも見せ場が欲しかった。Jovianは史上最高の女子テニス選手はマルチナ・ナブラチロワか、シュテフィ・グラフだと思っているが、史上最強の女子テニス選手は文句なしにセリーナ・ウィリアムズだと思っている。

 

映画の出来とは関係ないが、ドリームプランという邦題はもう少し何とかならなかったのか。プランの中身がほとんど劇中で開陳されていないではないか。もっと直接的に「リチャード、ウィリアムズ姉妹の父」のようなストレートな題名でも良かったのでは?

 

総評

2021年の夏に大坂なおみが鬱を告白した。その原因の一つにメディア対応があったとされる。Jovianは詳しく調べていないが、リチャードを苛立たせたのと同じ種類の意識が、大阪にインタビューするメディア側にもあったものと推察される。本作を鑑賞して、そのように感じた次第である。テニスファンはもちろんのこと、無意識の抑圧を感じる人にも鑑賞いただきたい。リチャードの言動には賛否両論あれど、その姿勢からなにがしかを感じ取ることはできるはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You was even born

正しくは You were even born であることは言うまでもないが、African-American Englishでは、しばしば 主語が複数形であってもbe動詞が単数形のままだったりする。ボクシングフロイド・メイウェザーの叔父、ロジャー・メイウェザーの英語はまさにこれで、しばしば We wasn’t surprised. We wasn’t impressed.  などと言っていた。African-American Englishのもう一つの特徴は進行形でのbe動詞の省略で、この用法は古くから白人英語にも輸入されていて、最も有名なのは『 タクシードライバー 』のとラヴィスの “You talking to me?”だろう。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アーンジャニュー・エリス, アメリカ, ウィル・スミス, サナイヤ・シドニー, スポーツ, デミ・シングルトン, 伝記, 歴史, 監督:レイナルド・マーカス・グリーン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドリームプラン 』 -星一徹のUSAテニス版-

『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

Posted on 2022年1月19日 by cool-jupiter

ハウス・オブ・グッチ 70点
2022年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:レディー・ガガ アダム・ドライバー ジャレッド・レト アル・パチーノ
監督:リドリー・スコット

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年老いてなお意気軒高なリドリー・スコット御大の作品。『 ゲティ家の身代金 』のクオリティを期待してチケットを購入。

 

あらすじ

パトリツィア(レディー・ガガ)は、マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)。マウリツィオの叔父のアルド(アル・パチーノ)の手引きもあり、一時は義絶されていたグッチ家に復帰する。幸せな時を過ごすパトリツィア達だったが、ある時、グッチの鞄のフェイクを発見したことをパトリツィアがアルドとマウリツィオの耳に入れて・・・

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ポジティブ・サイド

グッチと言えば鞄、というぐらいは知っている。逆にそれぐらいしか知らない。Jovianはそうであるし、それぐらいの予備知識で本作を鑑賞する層が最も多いのではないだろうか。心配ご無用。グッチの製品およびグッチ家のあれやこれやを全く知らなくても、一種の緊張感ある歴史サスペンスとして充分に楽しむことができる。

 

『 アリー / スター誕生 』以来のレディー・ガガの演技が光っている。基本的には、純朴な田舎娘が大きな野心を抱くようになり・・・というキャラクターという意味では同じだが、明らかに演技力が向上している。パトリツィアの目が、野望はもちろんのこと、怒りや悲しみまでもを雄弁に物語っていた。

 

対するアダム・ドライバーも、純朴な青年から、人好きはするが暗愚な経営者までを幅広く好演。演技ボキャブラリーの豊富さをあらためて証明した。マウリツィオ・グッチの人生を客観的に見れば、女性を見る目のないボンクラ2世なのだが、アダム・ドライバーが演じることで、どこか憎めないキャラクターになった。

 

対照的にどこからどう見てもボンクラだったのが、アルドの息子でマウリツィオのいとこであるパオロ。ジャレッド・レトが演じていることに全く気付かなかった。『 最後の決闘裁判 』でもベン・アフレックが嫌味な領主を演じていることに気が付かなかったが、今回のレトのメイクアップと演技はそれを遥かに超える。大志を抱く無能というコミカルにして悲劇的なキャラをけれんみたっぷりに演じている。この男にドメニコのような腹心・耳目・爪牙となるような側近がいなかったのは、幸運だったのか不運だったのか。

 

20年に亘るグッチ家およびグッチという企業の転落および復活の内幕を、必要最低限の登場人物で濃密に描き切る。2時間半超の大部の作品だが、パトリツィアの野心の発露とマウリツィオの心変わりに至る過程がじっくりと描かれていて、観る側を決して飽きさせない。イタリアはトスカーナ地方の雄大な自然とそこにたたずむ小さな村における人々の生活が色彩豊かに描かれていて、ニューヨークのオフィスやきらびやかなファッション・モデルの世界と鮮やかなコントラストをなしていた。

 

パトリツィアが段々とダークサイドに堕ちていく様がビジュアルによって表現されているのも興味深い。船上でのマウリツィオとのロマンティックなキス、バスタブでの情熱的なキスが、最終的には泥エステとなり、そこは怪しげな占い師との共謀の語らいの場となる。Jovianには正直言って、マウリツィオを殺したいとまで思うパトリツィアの情念が頭では理解できなかった。しかし頭の中ではいつしか石川さゆりの『 天城越え 』が聞こえてきた。「隠しきれない移り香が いつしかあなたにしみついた 誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」というあの名曲である。ここまで来て、リドリー・スコットが本当に描きたかったのは、タイトルになっている「グッチの家」ではなく、パトリツィアという一人の女の底知れない情念だったのではないかと思い至った。そうした目でストーリー全体を思い起こしてみれば、1978年から20年に及ぶ物語が、別の意味を帯びていると感じられた。つまり、グッチ家という特殊な一家の栄光と転落の物語ではなく、パトリツィアというどこにでもいそうな普通の女が傾城の美女=悪女になっていく物語であって、抑圧されてきた女性が男性支配を打破する物語ではない。逆にアホな男どもをある意味で手玉に取っていく物語である。パトリツィアを加害者と見るか、それとも被害者と見るかは意見が分かれるところだろう。パトリツィアが欲しかったのは愛だったのか、それともカネだったのか。

 

Jovianは観終わってから、嫁さんと晩飯を食いながら、本作についてあーだこーだと議論をしたが、男性と女性というだけで見方が変わるのだから面白い。ぜひ異性と鑑賞されたい。そして、パトリツィアなのか、それともマウリツィオなのか、誰に自分を重ね合わせてしまうかを考察するべし。

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ネガティブ・サイド

中盤に至るまで、BGMを多用しすぎであると感じた。多様なミュージックを流し、そのテイストの移り変わりで時代の変遷を表現しているのだろうが、これはリドリー・スコット御大の本来の手法ではないだろう。

 

グッチの再建に向けての道筋があまりよく見えなかった。気鋭のデザイナーを起用して、ショーでかつての名声を取り戻すという描写だけではなく、いかに品質の良い鞄をプロデュースし、いかにブランドとしての地位を築いてきたのかというビジネスの側面を描かないと、マウリツィオが放漫経営していたという事実が際立ってこない。

 

アル・パチーノ演じるアルドが、イタリア語風にパトリツィアと発音したり英語風にパトリーシャと発音したりするシーンが混在しているが、リドリー・スコットをしてもリテイクをすることができなかったのか。

 

総評

2時間半超の作品であるが、一気に観ることができる良作である。グッチに関する予備知識も必要ない。アホな男と情念に駆られる女という普遍的な構図さえ捉えておけば、重厚なドラマとして堪能することができる。2022年は始まったばかりだが、ジャレッド・レトには私的に年間ベスト助演男優賞を与えたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイントイタリア語レッスン

Come stai

イタリア語で ”How are you?” の意。カタカナで発音を書くと「コメ スタイ」となる。 Ciao や Grazie と一緒にこれぐらいは知っておいてもよいだろう。ちなみに劇中ではアル・パチーノが見事なブロークン・ジャパニーズで、Come staiに近い表現を使っている。結構笑えると同時に、在りし日の好景気の日本の見られ方が分かる、懐かしさを覚えるシーンでもある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, アル・パチーノ, ジャレッド・レト, ヒューマンドラマ, レディー・ガガ, 歴史, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

『 最後の決闘裁判 』 -事実は一つ、真実は複数-

Posted on 2021年10月22日 by cool-jupiter

最後の決闘裁判 80点
2021年10月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マット・デイモン ジョディ・カマー アダム・ドライバー ベン・アフレック
監督:リドリー・スコット

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監督がリドリー・スコット、そして出演にアダム・ドライバー。これだけでチケット購入決定。歴史的なイベントを現代の視点で見事に再構築した逸品である。

 

あらすじ

従騎士カルージュ(マット・デイモン)と同じく従騎士ル・グリ(アダム・ドライバー)は戦友だった。しかし、ル・グリばかりがピエール伯爵(ベン・アフレック)に重用されるにつれ、彼らの友情は冷めていく。そんな時、カルージュの妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、ル・グリに強姦されたと訴え出て・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianはアダム・ドライバーが大好きである。善人も悪玉も、シリアスな男もユーモアのある男も演じられるからである。しかし、本作では毒のある男を演じた。どこからどう見てもアダム・ドライバーなのだが、観る作品ごとにしっかりとキャラクターを立たせられるのは演技力のなせる業。このあたりが、何を演じても結局本人にしかならないハリソン・フォードやニコラス・ケイジ、トム・クルーズとの違いだろう。

 

マット・デイモンも円熟期に入った。『 グレートウォール 』や『 ダウンサイズ 』あたりで失速したが、『 フォードvsフェラーリ 』で復活し、本作でさらにキャリアをブーストさせた。「男子家を出ずれば七人の敵あり」と言うが、それを地で行く生き様を見せる。西洋の騎士も東洋の武士も、名誉を重んじるという点で変わりはなく、それゆえに中世フランスの騎士階級の人間の物語であっても、そこに共感することが容易になっている。また、男の屈強さゆえの醜悪さも存分に醸し出しており、デイモンのキャリアの中でも屈指の好演だと言えるだろう。

 

本作がユニークなのは、カルージュの視点、ル・グリの視点、そしてマルグリットの視点から、同一の事象が描かれることである。よく我々は「真実は一つ」と言うが、それは違う。事実は一つで、真実は人の数だけ存在する。F・ニーチェ流に言えば「真実など存在しない。あるのは解釈だけである」となろうか。歴史的な事象は常に現代という文脈から再解釈され、再構築される。リドリー・スコットが本作の製作を思い立った背景には、間違いなくMeToo運動があるはず。遥か過去の人物であるマルグリットを現代に蘇らせ、二人の男に翻弄されてしまった女性の姿を通じて、我々はセクハラが罪であるという時代に生きねばならないという思いが強くなってくる。詳しくは観てもらうのが一番だが、同一の事柄でも見る人によってこれほど変わるものかと感心させられること請け合いである。

 

ジョディ・カマーは『 フリー・ガイ 』での圧倒的な強さとは対照的に、控えめながらも芯の強さを備えた女性を好演。追従する女性から毅然と立つ女性まで、各チャプターごとに異なる顔を見せる。印象的に感じたのは、初夜の後の表情。カルージュ視点とマルグリット視点で、同じ行為であっても全く異なる感想を抱いているのが、彼女の微妙な表情で分かる。『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』でも山田杏奈が同じような表情を浮かべるシーンがあったが、我々男性は女性のこのような顔を決して見逃してはならないのである。国王までもが列席することになった裁判で、これでもかと辱めを受けさせられるマルグリット。セカンド・レイプとは何であるかを思い知らされる。そら誰も声上げんわな・・・というほどの無知と偏見、そしてデリカシーの欠如に、頭を抱えざるを得ない。数百年前のフランスの出来事とは思えない。おそらく世界のたいていの国に当てはまってしまうのではないだろうか。

 

タイトルにもある決闘のシーンは spectacular の一語に尽きる。 決闘と聞けば、エペで軽く突つき合う儀礼的なものを思い浮かべるが、本作では違う。重騎兵同士の激突である。殺し合いである。漫画原作の『 キングダム 』のような戦闘には活劇的な面白さがあるが、本作にあるのは凄まじい臨場感と緊迫感。それを見る視点はカルージュなのか、ル・グリなのか、それともマルグリットなのか、はたまた自分自身なのか。様々な視点からこの決闘を見ることで、そこに渦巻く思いが愛なのか名誉なのか憎しみなのかが変わってくる。ものすごい奥行きの深さである。

 

アダム・ドライバーも相変わらずの演技力の冴え。加藤清正や福島正則と友好関係にあったが、後に対立することになってしまった石田三成も、こんな男だったのかもしれないと感じた。ベン・アフレックも「どこに出ていた?」とエンドロールの際に思わされるほど、ピエール伯を怪演。伝説的な映画監督と豪華キャスト。そして現代的なメッセージを強烈に放つ作品。特にマルグリットが最後の最後に見せる表情は必見だ。鑑賞しないという選択肢はない。

 

ネガティブ・サイド

気になったのは、ル・グリによるマルグリットの強姦シーン。三者三様に物語を回想する本作のスタイル上、必要なのかもしれないが、強姦シーンを2回流す必要はあったのだろうか。いや、まるっきり異なるシーンであれば良いのだが、初見ではほとんど違いが分からない。「靴を脱いだ」と「靴が脱げてしまった」のような違いを、強姦そのもののシーンにもっと加えることで「真実は人によってこんなに違うのですよ」とあからさまに見せるのであれば、まだ意味を見出せるのだが。

 

総評

超豪華な製作陣が期待通りのクオリティの作品を届けてくれた。単なる映像美だけではなく、それを物語る手法もユニークである。遠い過去の人物たち、そして出来事でありながら、それが今という時代にこのような形で提示されることには大きな意味がある。大学生以上なら、本作の持つ社会的なメッセージ、その重みをしっかりと受け止められるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Hear, hear.

「聞け聞け」の意ではなく、「その通りだ」、「賛成するぞ」の意。ビジネスものの映画やドラマのミーティングで時々聞こえてくるし、実際のオフィスなどでもたまに使われる。

 

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『 王になった男 』 -現代韓国人の歴史意識が垣間見える-

Posted on 2021年8月22日 by cool-jupiter

王になった男 70点
2021年8月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ビョンホン ハン・ヒョジュ リュ・スンリョン チャン・グァン シム・ウンギョン
監督:チュ・チャンミン

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『 白頭山大噴火 』前にイ・ビョンホン出演作を観ておきたくなったので、近所のTSUTAYAでレンタル。韓国映画人の歴史意識がどのようなものなのかが見えてくる良作。

 

あらすじ

光海君(イ・ビョンホン)は何物かに暗殺を企てられたことから人間不信に陥り、自身の影武者となれる者を探していた。そこで自身に瓜二つの道化師ハソン(イ・ビョンホン)をひそかに宮廷入りさせるが、光海君はケシによって意識不明の重体になってしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

イ・ビョンホンの一人二役が冴えわたる。下品で粗野な道化師ハソンと人間不信の光海で表情が全く違う。もちろんメイクアップアーティストの力によるところも大きいし、照明の当て方で印象もがらりと変わる。それでもやはり役者本人の力が大きい。最初は簡単に見分けがついたけれども、それが場面によってどちらが本物でどちらが影武者か分からなくなるシーンがある。ハソンが「王になりたい」と言った時に描いた王のイメージ、そして我々が抱く「王様とはかくあるべし」という認識が一致するからこそだろう。本作が呈示する『 王になった男 』という像は、劇中の登場人物たちに向けてではなく、観る側に向けられている。いわばメタ構造の映画になっているのだ。

 

王の影武者として政務にあたるハソンをサポートする都承旨と内官の二人も素晴らしい。都承旨ホギュンを演じたリュ・スンリョンは『 エクストリーム・ジョブ 』の班長。コメディからシリアスまで、その演技ボキャブラリーの広さに脱帽である。宦官でもあるチョ内官は、なんと『 トガニ 幼き瞳の告発 』で一人二役を演じた恐怖の校長先生。人間の皮をかぶった悪魔というキャラが、イ・ビョンホン以外にも本作にはいた。それがまた、なんとも温かみのある宮廷人を演じている。序盤こそホラーなテイストで描かれるシーンもあるが、文字通りの意味で陰に陽に”王”を支える忠臣である。その他にもユーモア満点の立ち居振る舞いからの、あまりにもシリアスな結末を迎えてしまうト部将など、一人一人の役者の演技力の高さが目立つ。

 

名女優のシム・ウンギョンも、宮廷という伏魔殿で翻弄される女官を好演。入れ替わった王様の変化を皆で笑ったり、王様の食べ残しを有難く頂戴する序盤のシーンから、庶民の置かれた苦境、それによって人身売買に等しい行為によって宮廷入りせざるを得なかったという悲哀がダイレクトに伝わってくる。

 

政治の世界とは「1を与えて1を奪う」と都承旨ホギュンは言うが、それでは何も変わらない。持たざる者から奪うな。それが『 ジョーカー 』や『 パラサイト 半地下の家族 』の一面が訴えていたことではなかったか。それを力強く覆していく「王」の姿は感動的ですらある。格差の深刻さを訴える現代韓国映画は多いが、だからこそ平等を一時的にでも施行しようとした光海君を現代(21世紀)に蘇らせようとしたのだろう。それはとりもなおさず、現代の政治が”上級国民”を優遇し、下層民から搾り取っているからに他ならない。このあたりの感覚は、史実かどうかも疑わしいエピソードの再現にばかり凝る日本のドラマや映画製作者も見習うべきだろう。

 

ネガティブ・サイド

前半のコメディタッチが少々強すぎだと感じた。王の排泄物を医官が詳しく調べるのは『 宮廷女官チャングムの誓い 』でもお馴染みだったが、食べて味を確認するシーンは必要だったか・・・ 排泄分云々かんぬんに力を入れるのは『 悪魔を見た 』だけで充分である。

 

政務パートにもう少し力を入れてほしかった。2010年代といえば、すでに国策として映画を作り始めていたはず。ということは外国もマーケットだったわけで、もう少し当時の李氏朝鮮の情勢というものを、実際の政治を通じて見せてくれても良かったのではないか。皆が皆、韓国紙に詳しいわけではないのだから。

 

ハソンが見たくて見たくてたまらなかったハン・ヒョジュの笑顔は見られずじまい。なんたること・・・

 

総評

韓国史、あるいは一般的な王制や封建制度・貴族制度に関する知識がないと、宮廷で何が行われているのかが分からないだろう。逆に言えば、そうした知識がある程度あれば、なぜ韓国映画人が、史実に虚構の要素を交えながら本作を制作したのかが浮かび上がってくる。イ・ビョンホンの迫力やハン・ヒョジュの美貌だけではなく、脇を固めるキャストの確かな演技力が本作の物語性を豊かにしてくれている。韓国の歴史ドラマ好きなら観て損はないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

チューナー

「殿下」の意。韓国の歴史ドラマを見ると、1話で10回以上使われているのではないかと思う。大昔が舞台、たとえば『 太王四神記 』では為政者はペーハー=陛下と呼ばれている。これは当時の朝鮮半島が中国の冊封体制に組み込まれていたかどうか、早い話が属国だったかどうかで変わる。独立国ならペーハー、属国ならチューナーとなるわけである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ビョンホン, シム・ウンギョン, チャン・グァン, ハン・ヒョジュ, リュ・スンリョン, 歴史, 監督:チュ・チャンミン, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 王になった男 』 -現代韓国人の歴史意識が垣間見える-

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