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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 森山未來

『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

Posted on 2022年6月26日2022年6月26日 by cool-jupiter

犬王 80点
2022年6月24日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:アヴちゃん 森山未來
監督:湯浅政明

 

会社の同僚が激しく心揺さぶられたと評した作品。振休を使って、梅田ブルク7に向かう。平日の昼間で公開から3週間経過しているにも関わらず、半分近くの入りで驚いた。

あらすじ

南北朝の統一前夜、奇形児として生まれた犬王(アヴちゃん)は、独自に猿楽を学ぶ。ある日、犬王は草なぎの剣の呪いによって盲目となってしまった琵琶法師の少年・友魚(森山未來)と出会う。犬王の異形の姿が見えない友魚は、すぐに犬王と意気投合。二人は独自の楽曲と舞踊で、たちまち都の話題を呼び・・・

 

ポジティブ・サイド

三種の神器によって呪われてしまった友魚と、とある人物からの呪いをその身に受けて異形の身体に生まれてしまった犬王。社会や家族から cast out された二人が織りなす楽曲の斬新さが目を引く。鎌倉時代には絶対にありえない演出がふんだんに施されていて、二人のライブが類まれなるスペクタクルになっている。猿楽を現代のロック調に再解釈し、歌詞は当時のものさながらに、新たなエモーションを乗せることに成功している。また光による演出も映画館で鑑賞するにふさわしく、eye-candy である。個人的にはクジラの歌と演出が最も心に残っている。

 

同時に、二人の楽曲が平家の亡霊の鎮魂歌になっているという設定がユニーク。忘れがちであるが、平安以降の日本はほとんど常に乱世で、それだけ人の死が身近にあった時代。なおかつ、娯楽もなく、さりとて一般庶民が文字として記録されたり、あるいは何かを記録する時代でもない。そこから『 図書館戦争 』や『 罪の声 』の脚本を務めた野木亜紀子の主張が垣間見える。いつの世であっても、最も救済が求められるのは名もなき無辜の民や、歴史の闇に葬り去られる運命の敗者たちなのである。

 

パフォーマンスが成功するたびに犬王の異形の身体が少しずつ普通になっていく。また友魚も名を友有と変え、自分の一座を持つ。時の将軍、足利義満の御前での仮面なしのパフォーマンスも成功に導き、順風満帆な二人だったが、好事魔多し。その将軍の意向により、二人は窮地に追いやられてしまう。この展開の辛さよ。虐げられてきた自分たちのパフォーマンスが虐げられてきた者たちを救ってきたにもかかわらず、為政者は事故の権力の正当化に汲々とするばかり。600年前も今も、権力者と庶民の関係は変わらないのか。

 

ちょうど大河ドラマで源氏が平氏を滅ぼし、鎌倉政権内のゴタゴタに焦点が移っているところである。これが上手い具合に劇中の平家の滅亡と南北朝統一を推進する足利幕府内部のゴタゴタとシンクロしている。同時に、多様性や包摂を謳いながらも、それが出来ない現代日本社会、さらに政権にとって都合の良い歴史の主張など、時代劇でありながら現代風刺になっている。アニメとしてもミュージカルとしても、近年では出色かつ異色の出来の邦画である。多くの人に鑑賞いただきたいと思う。

 

ネガティブ・サイド

犬王に関しては想像力を自由に働かせる余地があるものの、ストーリーにオリジナル要素が足りなかった。手塚治虫の漫画『 火の鳥 太陽編 』にそっくりだと感じた。

 

明らかに『 ボヘミアン・ラプソディ 』にインスパイア・・・というかパクったシーンが終盤にある。いや、中盤にもあるのだが、そこはオマージュと受け取れた。が、最終盤のステージ入りのシーンはオマージュとは言えないような気がする(楽曲の方も厳密にはアウトかもしれない)。

総評

Jovianは洋画のサントラは結構たくさん持っているが、邦画は久石譲以外持っていなかったりする(ミーハーの誹りは甘んじて受ける)。そんなJovianが「これはサントラを買わねば!」と強く感じたのが本作である。虐げられ歴史に抹殺された者たちが、時を超えて訴えかけてくるメッセージには確かに心揺さぶられずにはおれない。

そうそう、予告編で『 四畳半タイムマシンブルース 』が9月に公開されると知り、非常に興奮した。めちゃくちゃ楽しみである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Once upon a time

「今は昔」の意。スター・ウォーズの始まりもこれである。他にも『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』など、割と使用頻度は高いように思う。B’zも『 once upon a time in 横浜 〜B’z LIVE GYM’99 “Brotherhood”〜 』 というDVDを昔、出していた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, アヴちゃん, ファンタジー, ミュージカル, 日本, 森山未來, 歴史, 監督:湯浅政明, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:アニプレックスLeave a Comment on 『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

『 アンダードッグ 後編 』 -画竜点睛を欠く完結-

Posted on 2020年12月7日 by cool-jupiter

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アンダードッグ 後編 70点
2020年12月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:森山未來 北村匠海 萩原みのり
監督:武正晴

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『 アンダードッグ 前編 』はかなりの出来栄えだった。森山未來と北村匠海の激突に否が応にも期待が高まった。そこに至るドラマは文句なしだったが、肝心のトレーニングのモンタージュと試合シーンが・・・ これぞまさに「画竜点睛を欠く」である。武正晴監督にはもう一度、ボクシングを勉強していただきたいものである。

 

あらすじ

芸人ボクサーの宮木とのエキシビションマッチを終えた末永(森山未來)は、ついにボクシングから足を洗い、家族との時間を取り戻す決断をするが、妻には離婚届を突きつけられる始末。勤め先のデリヘルも開店休業状態に。そんな中、デビュー以来破竹の快進撃を続けていた大村龍太(北村匠海)があるアクシデントに襲われ・・・

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ポジティブ・サイド

物語冒頭から暗い。ひたすらに暗い。まるで末永のキャリアや人生そのものに暗雲が立ち込めていることを映像全体が示唆しているようである。事実、彼にはボクシングを続ける理由も、家族を幸せにする甲斐性も見当たらない。まるで八方ふさがりである。あたかも『 哀しき獣 』のハ・ジョンウのごとく、もはや野垂れ死ぬしかない。そのような予感だけしかない。ドン詰まりに思えた物語が、一挙に動き出すきっかけとなる事件も、たしかに伏線はあった。北村演じる大村龍太に闇を感じると前編レビューで書いたが、その勘は正しかった。自分で自分を褒めてやりたい。

 

本作はボクシングドラマでありながら、上質な人間ドラマの面も備えている。デリヘルという社会の一隅のそのまた一隅で、決して日の光を浴びない仕事に従事する人間たちの関係は、実に細く、それでいて時に強く太い。どこまでも孤独に見える人間たちの、実はしたたかで豊かな連帯が胸を打つ。序盤に見られる凍てついた人間の心の闇の深さゆえに、その温もりは一層強く、また感動的だ。特に少々遅滞気味のデリヘル店長は、そのまっすぐさ、ひたむきさ、裏表のなさゆえに、社会的には許容できない行動に打って出るが、しかし人道的にはそれもありではないかと思わせてくれる。「けじめをつける」とはそういうことで、世間様が決めたルールに唯々諾々と従う一方で、己が己に課したルールを粛々と守るのがけじめのつけ方だろう。元ライバルで元世界王者に「お前、もうボクシングするんじゃねえ」と言われようと、ジムの会長に匙を投げられようと、己の生き様を全うしようとする。末永の生き方は社会的にも常識的にも受け入れがたいものであるが、一人の男として向き合った時に、まるで矢吹ジョーのごとく「まっ白な灰」になることを望んでいるかのように映る。そのことに魂を揺さぶられない者などいようか。

 

末永と大村の因縁も、まるで昭和の日本ボクシングの世界そのままで説得力がある。というか、漫画『 はじめの一歩 』の木村と青木が鷹村のボコられてボクシングを始めたのとそっくりではないか。実際に尼崎のボクシングジムでは1970~80年代は、街で暴れている不良の中から見どころのある者をジムに連れてきて、練習生にボコボコにさせていたという話もあったようだ。ケンカ自慢のアホな不良ほど、ボクシングでやられたらボクシングでやり返そうとして、練習に励みケンカをしなくなるというのだから、かつての日本には面白い時代があったのである。実際に本作にも登場する竹原などは、そうした時代を体が覚えているだろう。また、そうした社会のルールを守らないアホほど、ボクシング(別にスポーツでも何でもいい)によってルールを守るようになる。萩原みのりが語る大村の過去と、『 あしたのジョー 』で描かれる、力石とジョーの試合に熱くなった少年刑務所受刑者たちが、順番を守らずにリングに上がろうとする者を集団でボコボコにするエピソードには共通点がある。ルールを守らなかった奴らが、ルールを守らない奴らを叩きのめすところに更生が見て取れる。実際にリングに復帰すると決め、大村と対峙した瞬間から、末永は煙草も女も断っている。ヒューマンドラマとボクシングドラマが一転に交わる瞬間である。

 

トレーニングのモンタージュは『 ロッキー 』シリーズから続くボクシング映画の中心的文法で、末永が仕事の合間にサウナでシャドーボクシングをする姿は、砂時計という小道具の演出もあって、リアリスティックかつドラマチック。朝の街をロードワークに出かける様もロッキーそのままだ。ジムのミット打ちで左フックの軌道を念入りに確かめるところが玄人はだし。背骨を軸に腰を全く上下動させることなく、ナックルがしっかり返っていた。

 

大村との因縁の対決。決着。勝ち負けではなく、自分の生きる道を見定めるための戦い。最後にまっすぐと駆けていく末永の姿にパンチドランカーの症状は見られない。陽光を全身に浴びて一心不乱にまっすぐと走る男の姿は、「俺も頑張ろう」と背中を押されたような気持ちにしてくれる。

 

ネガティブ・サイド

『 百円の恋 』ではあまり気にならなかった、ボクシング界のあれやこれやの厳密なルールや不文律的なものが本作では忠実に描かれていなかった。これは減点せざるを得ない。まず、いくらデビューから連続1ラウンドKOを続けても、フェザー級で日本ランクにすら入らないだろう。というか、新人王戦へのエントリー資格を得た程度ぐらいだろう。そんな戦績で、怪我からの復帰後、2階級上のライト級で6回戦を飛び越して8回戦???ボクシング関係者やボクシングファン全員が漏れなく首をかしげることだろう。また末永の所属ジムの会長がインターバル時にタオルで末永をパタパタと扇いでいたが、これはアメリカやメキシコのリングならいざ知らず、日本では禁止事項。制作協力にJBCがあったが、審判やリングアナを紹介しただけなのか?ちゃんと仕事しろ。というよりは脚本家の足立紳の取材不足だろうか。『 百円の恋 』や『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』のような傑作をものすことができたのはフロックなのか。ボクシング界OBやプロボクシングのライセンス持ちの芸人なども出演していながら、この荒唐無稽な設定の数々は一体何なのか。

 

前編に引き続き北村のボクシングシーンがファンタジーだ。特に試合では猫パンチの連発で、まさか前編でデリヘル店長が発していた「ミッキー・ローク」という言葉がここで意味を持ってくるとは思わなかった。またセコンドの「足を使え」という指示に従ってサークリングを見せるが、これがまた下手すぎる。前編で北村のシャッフルの下手さを指摘していたのは多分、映画レビュワーの中でもJovianくらいだったが、後編でもそれは改善されていなかった。サークリングする時はリズミカルに飛び跳ねて一方向に回ってはダメ。すり足気味に、時に前足(オーソドックスなら左足、サウスポーなら右足)を軸にピボットを交えないと、高レベルのボクサー相手には間違いなく一発を入れられる。なぜかこのシーン、末永視点のPOVになっているが、大村陣営がサークリングを指示したのは末永の片目がふさがっているから。にもかかわらずカメラ・アイは北村の全身を映し続ける。視界の片側を消すなどの演出はできなかったのか。編集中に誰もこのことに気が付かなったのか・・・ そして、このシーン最大の問題はレフェリーの福地がさっぱり動かないこと。元々Jovianは福地のレフェリング能力は高くないと思っているが、そこは監督がもっと演出しないと。サークリングする大村を追って末永視点でリングを360度見渡すと同じところに福地が立ち続けている。これがどれだけ異常なことであるかはボクシングファンならばすぐにわかる。

 

試合の最終盤のスーパースローモーション映像も、あそこまで行くと滑稽だ。アマチュアボクシングならジャブであごがポーンと跳ね上がるとそれだけで負けを宣告されることもある。ボクサーはあごを引くことが本能になっていて、あんな光景はKO負け直前か、もしくはヘビー級ぐらいでしかお目にかかれない。

 

その他、銭湯で働く末永は絵になっていたが、仕事の合間に体重計に乗るシーンが欲しかったし、末永と大村の両者が計量に臨むシーンも欲しかった。撮影したが編集でカットしたのか。だとすれば、その選択は間違いであると言わせてもらう。また前編の殊勲者の勝地涼の出番が激減とは、これいかに・・・

 

人間ドラマ部分は満足できる仕上がりだが、総じてリアルなボクシングの部分がパッとしない。本当は65点だが、ボクシング映画ということで5点はオマケしておく。

 

総評

かなり辛口に批評させてもらったが、これは熱心なボクシングファン視点でのレビューだからである。普通のスポーツファンや映画ファンなら、そんな鵜の目鷹の目でボクシングを観る必要はない。『 ロッキー 』の物語文法そのままに、うだつの上がらない男でも何者かになることができる、ボクシングでそれを証明してみせる、という点を評価すれば本作は十分に良作である。前編を観たら後編を観よう。後編から観始めるなどということは絶対にしないように。2時間半の長丁場、体内の水分はできるだけ排出してから臨まれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

retire

一般的には「引退する」「退職する」で知られているが、実際には他動詞「引退させる」という意味でもよく使われる。特にボクシングの世界では。劇中で大村が末永に「俺ら、引導を渡し合うしかないっしょ?」と言うが、その私訳は“We must retire each other, mustn’t we?”だろうか。引導を渡すなどという慣用表現は、逆にスパッとその意味だけを抽出して訳すべきだろう。

 

雑感

もしも末永が何かの間違いで世界タイトルマッチを戦ったら、こういう試合もしくはこんな試合になるだろう。興味がある向きは鑑賞されたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ボクシング, 北村匠海, 日本, 森山未來, 監督:武正晴, 萩原みのり, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 アンダードッグ 後編 』 -画竜点睛を欠く完結-

『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

Posted on 2020年12月1日2021年4月18日 by cool-jupiter
『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

アンダードッグ 前編 70点
2020年11月28日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:森山未來 北村匠海 勝地涼
監督:武正晴

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ボクシングはJovianの好きなスポーツである。自分では絶対にやらないが、見ているのは楽しい。『 お勧めの映画系サイト 』で徳山昌守、ウラディミール・クリチコなどの“塩”ボクサーを好むと述べたが、もちろんスイートなボクサーも好きである。しかもタイトルがアンダードッグ、負け犬である。これは興味をそそられる。

 

あらすじ

かつての日本ランク1位、末永晃(森山未來)はタイトルマッチでの逆転負けを引きずり、咬ませ犬としてボクシングを続けていた。そんな末永はひょんなことから大村龍太(北村匠海)というデビュー前のボクサーと知り合う。また宮木瞬(勝地涼)は、大御所俳優の父の七光りで芸人をやっているが全然面白くない。そんな宮木にテレビの企画でボクサーデビューし、末永とエキシビション・マッチを行うという企画が浮上し・・・

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ポジティブ・サイド

森山未來の風貌が、まさに負け犬である。悪い意味ではない。良い意味で言っている。激闘型のボクサーはキャリアを積むにつれて“良い顔”になっていく者が多い。近年の日本のボクサーだと川嶋勝重や八重樫東の顔が当てはまる。打たれまくったおかげで顔が全体的に扁平になり、目からもパッチリさが失われてしまった。森山の顔もまさに歴戦のボクサーのそれで、ポスターの写真だけで「これはボクサー、それもアルトゥロ・ガッティのような激闘型だ!」と確信できた。まさにキャスティングの勝利である。

 

この末永が過去のトラウマに囚われている様が物語を駆動させている。ここに説得力がある。かの赤井英和は「ボクシングはピークの時の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語り、吉野弘幸も「(金山戦の時のように)もう一回はじけてみたい」と語るわけである。同じように世界のボクシング界には「メキシカンは二度引退する」という格言がある。いずれも過去の栄光を忘れられない、脳内麻薬の中毒者である。末永は違う。漫画『 はじめの一歩 』の木村と同じ、日本タイトルマッチであと一歩のところで敗れた経験を引きずっている。日本タイトルが欲しいのではない。『 あしたのジョー 』の矢吹ジョーのごとく、燃え尽きてまっ白な灰になりたいのである。後編を観ずともそれがこの男の結末であると分かる(と勝手に断言させてもらう)。

 

ボクシングシーンもなかなかの迫力。末永vs宮木のエキシビションでは、素人相手にはウィービングやスウェー、ダッキングで充分、仕留めるために距離を詰める時にはブロッキングという、まるでF・メイウェザーvs那須川天心のような展開。この脚本家と演出家(=監督)はボクシングをよく知っている。『 百円の恋 』はフロックではなかった。

 

前編で一番優遇されていたのは勝地涼。はっきり言って現代版お笑いガチンコファイトクラブなのだが、ボクシングの巧拙は問題ではない。圧倒的に不利な立場の負け犬が、それでも雄々しく立ち上がる姿が我々の胸を打つのである。邦画のホラーは貞子の呪縛に囚われているが、ボクシング映画やボクサーの物語はいまだに『 ロッキー 』の文法に従って描かれている。この差はいったい何なのか。

 

ここに北村匠海演じる新星、大村が絡んでくることになる後編が待ち遠しい。施設上がりで、妻が妊娠したことを知った時の闇を感じさせる台詞に、末永、宮木、大村の三者三様の物語が交錯し、燃え上がり、まっ白な灰へと変わっていく様を観るのが待ち遠しくてならない。

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ネガティブ・サイド

北村匠海も体を作ってきたのは分かるが、深夜のジムに潜り込んで末永相手にスパーを提案する際のアリ・シャッフルがヘタすぎる。単なるフットワーク?いや、単にシャッフルの練習不足だろう。日本のボクサーというのはそうでもないが、世界的にも歴史的にもボクサーは減らず口をたたいてナンボ。その減らず口をたたくだけの実力を証明した者が名とカネを手に入れる。北村のキレの無いステップは、将来を嘱望されるボクサーのそれではなかった。

 

末永のジムの会長の目が節穴もいいところだ。どう見てもグラスジョーになっていることが分からないのか。「ジムの経営も楽じゃないんだ」とぶつくさ言う前に、己のところのボクサーをしっかり見ろ。

 

末永の働くデリヘルの常連客である車イスの男が気になる。まさか「クララが勃った立った!」ネタの要員ではあるまいな。普通にEDで良かったのではないか。

 

総評

前編だけしか観ていないが、後編を観るのが楽しみでならない。12月5日(日)には観に行きたい。ボクシングに造詣が深くなくとも理解ができるのがボクシングの良いところである。そういう意味では『 三月のライオン 』や『 聖の青春 』、『 泣き虫しょったんの奇跡 』といった将棋映画は、何が凄いのか一般人にはよくわからないが、ボクシングは観ているだけで痛さが伝わるし、アドレナリンが出てくる。この前編は勝地涼の代表作になったと言ってよい出来栄えである。勝地ファンのみならず、普通の映画ファンにこそ観てほしい作品だ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a peek

「覗く」の意である。しばしばtake a peek at ~ という形で使われる。My wife took a peek at my LINE.のように使う。最近、ロイ・ジョーンズ・Jr.とエキシビション・マッチを行ったマイク・タイソンのピーカブースタイルはpeek-a-boo styleと書く。いないいないばあスタイル、つまり両のグローブの隙間から相手を覗き見るスタイルである。Don’t take a peek at your partner’s smartphone!

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『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

Posted on 2019年12月9日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

“隠れビッチ”やってました。 40点
2019年12月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐久間由衣 森山未來
監督:三木康一郎

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三木康一郎監督は、平凡な作品を量産するという印象を持っている。ただし、時々『 旅猫リポート 』のような駄作も作るので、楽観はできない。本作はどうか。可もなく不可もない・・・というより、可もあるが不可もあるという作品である。

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あらすじ

ゲイのコジとヤリマンのアヤの3人でシェアハウスに暮らす荒井ひろみ(佐久間由衣)は、男を自分に惚れさせては、付き合うことなく袖にするという自称“ビッチ”。しかし、ある日、勤め先のデパートのアルバイトの男子に恋心のようなものが芽生えて・・・

 

ポジティブ・サイド

主演の佐久間由衣と同居しているコジ役の村上虹郎とアヤ役の大後寿々花が印象的な演技をしてくれた。女性二人と同居している男性というのは、それだけで奇異に感じるが、登場した瞬間から「ああ、このタイプの人間なのか」と腹にストンと落ちる。それだけ表情、身のこなし、仕草、声の出し方に話し方、そして偏見とも取られかねないが、その家事家政能力の高さから、三人の中で最も女性的である。より正確に言えば最も姐御肌である。コジの存在が、この奇妙な三人組の関係と生活を引き締めている。

 

アヤも良い。彼女のような女性の方が、主役のピロよりも遥かに共感できる。寂しさを紛らわせるために肌と肌を合わせるというのは、ごくごく自然なことだ。体と体がつながって、それから先にある心と心のつながりを求めるというのも、ごくごく自然なことだ。これが高校生ぐらいだと、互いの心がある程度充分に惹かれ合っているということが望ましいが、社会的に自立した大人(それが必ずしも精神的に自立した大人であるとは限らない)であれば多少の手順前後は構わない。『 シンクロナイズドモンスター 』のアン・ハサウェイが良い例である。

 

三沢さんを演じた森山未來は、ある程度アヤとの共通点が認められる。線路脇でいきなりとある行動に出るわけだが、Jovianは劇場で思わずガッツポーズをしそうになった。自分ならこうするだろうな、という行動をまさに彼が体現してくれたからである。気弱そうに見えるが、自分の弱さや負い目をさらけ出せる人間というのは、それだけで強い人間である。彼には“逃げた”過去があり、ひろみからも逃げそうになる。そこで条件付きながら踏み止まったのには拍手喝采である。なぜなら、Jovianは似たようなシチュエーションで逃げ出したことがあるからである・・・。三沢さん、幸せになってくれ・・・。

 

ネガティブ・サイド

佐久間由衣は悪い演技をしていたわけではないが、では良い演技だったかと問われれば、答えに窮してしまう。ただ単にでかい声を出せばいいわけではないし、鼻をほじほじすればガサツな印象を生み出せるわけでもない。公園で大声を出して木に話しかければ酔っ払いに見えるわけでもない。全てが演技臭い演技で、見ていて全く自然体に感じられなかった。演技というのは、演技していると悟らせないように演技するもので、映画というのは、連続していないシーンとシーンを連続したものとして見せる技法である。佐久間由衣のシーンでは、全てが不自然な作り物であるという感覚をぬぐえなかった。

 

ひろみのバックグラウンドについても矛盾がある。中盤では、母親は父親に経済的に支配されていたというが、終盤になると父親はまともに仕事をしていなかったことになる。どういうことだ?経済的に支配されるというのは、妻が稼いだ金を全て夫が略取するということか?そうではないだろう。普通は『 アンダー・ユア・ベッド 』の千尋のような状態を、経済的に支配されると言うはずだ。

 

もう少しライトなところでは、惹句にある「3年でふった男の数600人」というのも眉つばである。1年で200人ふるということは、ほぼ2日に一人をふっているわけで、それだけの出会いの機会を生み出す、もしくは与えられるということがいささか現実離れしている。また、それだけの男に接してきて、これまで暴力男や、もっと言えばデートドラッグを使うような男に引っかからなかったのは、棋士・藤井聡の言葉を使わせてもらうならば「僥倖」以外のなにものでもない。というか、暴力男に育てられた女性は、どういうわけか暴力男を引き寄せてしまう傾向があるのだが、その辺のリアリティにも欠けていた。暴力男が出てこないことが問題なのではなく、ひろみがどのようなアンテナやセンサーを使って男を選り分け、嗅ぎ分けているのかの描写が不足していたように感じられた。

 

エンドクレジット後の1コマも蛇足である。焼けぼっくいに火がついても構わないし、怒りの炎が燃え盛っても構わない。なぜなら、ひろみというキャラクターにはまったくと言っていいほど共感できなかったからである。まあ、普通にこのスキットを見て、効果音を聴く限りは後者なのだろうが、原作者のエッセーその他を買って、自分の解釈を確かめてみようとも思わない。

 

総評

タイトルが刺激的なだけで、ストーリーとしてはそれほど練られたものでもない。主演の演技にも褒められるところも少ない。Jovian夫婦は観終わって劇場の照明がついた時に「何じゃこりゃ?」と二人して眉間にしわを寄せて見合ってしまった。カップルのデートムービーには向かない。女子中高生あたりがグループで鑑賞するか、あるいはお一人様上等の男性または女性あたりが本作のターゲットになるだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chew up the scenery

これは慣用句で、『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で紹介した ”break a leg” と同じくtheater languageである。意味は≪大げさな演技をする≫である。主演の佐久間由衣の熱演には敬意を表すが、空回り気味であった。ニコラス・ケイジ、船越英一郎、藤原竜也あたりがscenery-chewing actorの好例だろうか。映画のレビューを英語で読みたいという人ならば、是非知っておくべき表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンス, 佐久間由衣, 日本, 森山未來, 監督:三木康一郎, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

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