Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: ヒューマンドラマ

『 成れの果て 』 -私的年間ベスト級映画-

Posted on 2022年1月3日 by cool-jupiter

成れの果て 80点
2021年1月1日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:萩原みのり 柊瑠美 木口健太
監督:宮岡太郎

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220103234544j:plain

新年の劇場鑑賞第一号。TOHOシネマズ梅田や大阪ステーションシティシネマあたりは、野放図な若者がちらほらいたりして、小康状態のコロナの再燃が懸念される。梅田茶屋町も若者だらけで妻がなかなか首を縦に振ってくれないが、元日なら店も開いていない=若者が少ないということで、テアトル梅田へ。

 

あらすじ

小夜(萩原みのり)は姉あすみ(柊瑠美)から「結婚を考えている」という電話を受ける。しかし、その相手は小夜にとってどうしても許せない相手、布施野(木口健太)だった。帰郷した小夜は、周囲の人間関係に波紋を呼び起こしていき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220103234559j:plain

ポジティブ・サイド

観終わってすぐの感想は「迎春の気分が一気に吹っ飛んだなあ」というものだった。とにかく、観る側の心に重い澱を残す作品であることは間違いない。予定調和なハッピーエンドを望む向きには絶対にお勧めできない作品である。しかし、この作品がミニシアターではなく大手シネコンなどを含め全国200館以上で公開されるようになれば、それは日本の映画ファンが韓国化したと言っていいだろう。それが良い変化なのか悪い変化なのかは分からない。

 

だだっ広い部屋の真ん中でプリンを食べるあすみをロングで撮り続けるファーストショットからして不穏な空気が充満していることを感じさせる。「誰か死んだ?」と問いかけてくる小夜にも心臓がドキリとする。「お姉ちゃん、そういうことでしか電話してこないし」というセリフから、この姉妹の一筋縄ではいかない関係性が垣間見える。

 

小夜と布施野の因縁が何であるかはすぐに見当がつく。問題は、その事件が狭いコミュニティ内であまねく知れ渡っていること。これは本当にそうで、田舎の情報伝播速度と情報保存の正確さは都市のそれとは比較にならない。本作はそうした村社会の怖さを間接的にではあるが存分に描き出してもいる。

 

それにしても主演の萩原みのりの鬼気迫る演技は大したものだ。なかなか解釈が難しい役だが、それを上手く消化し、自分のものにして描出できていたように思う。特に過去の自分を知る人間たちと再会した時に見せる相手を射抜くような視線の強さには感じ入った。ネガティブな意味での眼光炯々とでも言おうか、相手を刺すような目の力があった。『 佐々木、イン、マイマイン 』でもそうだったが、萩原みのりは陰のある女性、毒を秘めた女性という役が上手い。

 

本作は極めて少人数の登場人物かつ短い上映時間ながら、その人間関係はとてつもなく濃密である。それは役者一人一人の役柄の解釈が的確で、演技力も高いからだ。原作が小説や漫画ではなく舞台であることも影響しているのだろう。臨場感を第一義にする舞台演劇の緊張感が、スクリーン上でそのまま再現されているように感じた。人物のいずれもがダークサイドを抱えていて、それがまた人間ドラマをさらに濃くしていく。狭いコミュニティ内の閉塞感から脱出しようとする者、そこに敢えて安住しようという者が入り混じる中、東京からやってきた小夜とその友人の野本が絶妙な触媒になっていく。

 

この野本という男、ガタイも良く、顔面もいかつい。一種の暴力装置として小夜に随伴してきているのだが、本業はメイクアップアーティストで、しかもゲイという、political correctness を意識したキャラなのかと思ったが、これは大いなる勘違い。小夜が布施野に仕掛けた罠のシーンでJovianは『 デッドプール 』の ”Calendar Girl” のワンシーンを思い浮かべた。これはすこぶる効果的なリベンジで、『 息もできない 』の主人公サンフンが「殴られないと痛みは分からない」というようなことを言いながら、相手をボコボコに殴るシーンがあったが、結局はそういうことなのかもしれない。

 

邦画が韓国映画に決定的に負けていると感じさせられるものに演技力がある。特に、女性が半狂乱を通り越して全狂乱になる演技の迫真性で、日本は韓国にまったく敵わない。しかし、本作の女性の発狂シーンの迫力は韓国女優に優るものがある。「士は己を知る者のために死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる」と言われるが、化粧の下にある女性の本性をこれほどまでに恐ろしい形で提示した作品は近年では思いつかない。最終盤のこのシーンだけでもチケットの代価としては充分以上である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220103234617j:plain

ネガティブ・サイド

マー君というキャラが学校に居場所を作った方法というのに、少々説得力が足りない。あれこれ事件のことを吹聴したとしても、そんなものは一過性のブームのようなもの。そこからスクールカーストの最下層から脱出したとしても、ブームが終わればすぐに最下層民に転落しそうに思える。

またあすみの同居人である婚活アプリ女子も、金欲しさに家屋の権利書を持ち出そうとするが、それで家や土地を金に換えられるわけがない。なぜ通帳やキャッシュカードではなかったのだろうか。

 

総評

大傑作であると断言する。『 カメラを止めるな! 』がそうだったように、まっとうなクリエイターが、自身のビジョンを忠実に再現すべく、信頼できるスタッフや役者と共に作り上げた作品であることが伝わってくる。予定調和を許さない展開に、容赦のない人間の業への眼差し。日本アカデミー賞がノミネートすべきはこのような作品であるべきだ。良いヒューマンドラマは人間の温かみだけではなく、人間の醜さも明らかにする。その意味で、本作は紛れもなく上質なヒューマンドラマである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pick out

劇中でとあるキャラクターが「それを私がピックアップして~」などと語って、観る側をとことんイラつかせるシーンがある。ピックアップはある意味で和製英語で、「抜き取る」、「選び出す」などの意味で使われているが、英語の pick up にそのような意味はない。そうした意味を持つのは pick out である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 木口健太, 柊瑠美, 監督:宮岡太郎, 萩原みのり, 配給会社:SDPLeave a Comment on 『 成れの果て 』 -私的年間ベスト級映画-

『 ソワレ 』 -心に残る生き方を-

Posted on 2022年1月2日 by cool-jupiter

ソワレ 70点
2021年1月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:村上虹郎 芋生悠
監督:外山文治

新年第一号鑑賞。テアトル梅田で見逃した作品。『 ひらいて 』で印象的な演技を見せた芋生遥だったが、その前作のこちらの方が遥かに鮮烈な役を演じていた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220102222144j:plain

あらすじ

東京で役者を目指す翔太(村上虹郎)は芽が出せず、オレオレ詐欺に加担して糊口を凌いでいた。ある夏、翔太は故郷の和歌山のグループホームで演劇を教えることになり、そこで少女タカラ(芋生悠)と出会う。偶然にも翔太はタカラが実の父を刺す場に居合わせてしまい、そこから二人は当て所のない逃避行に出ることになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

村上虹郎がうだつの上がらない役者を好演。オレオレ詐欺で弁護士や代理人を騙る際に持ち前の演技力を発揮。ところどころで垣間見せる「何やってんだろうな、俺は」という表情が印象深い。

 

ただ本作の事実上の主役は圧倒的に芋生悠だ。物憂げというか、悲愴というか、陰のある表情が素晴らしい。天真爛漫なアイドル系の女優がもてはやされる風潮が強い邦画の世界であるが、もっとこのような女優にもスポットライトを当ててほしいと思う。

 

『 ひらいて 』の山田杏奈とのベッドシーンも良かったが、本作ではレイプシーンに加えてトップレスのヌードも披露。体を張るという表現は大げさかもしれないが、ストーリー上の必然性があれば躊躇なく脱げるというのは大女優の資質。そういえば本作にも出演している江口のりこも若いころに『 ジョゼと虎と魚たち 』で脱いでいたっけ。芋生遥には寺島しのぶや安藤サクラの領域にたどり着いてほしいと切に願う。それだけのポテンシャルがあると思う。

 

逃避行の中での二人のコントラストも鮮やかだ。競輪やパチンコで手持ちの金を増やそうとする翔太と、スナックで短期的なバイトを見つけ、堅実に稼ぐタカラ。誰にも頼れず、バイトをさせてくれる家の金まで盗もうとする翔太と、実の母を訪ねて拒絶されるタカラ。社会的な弱者同士の連帯が描かれるのかと思わせて、翔太はタカラに厳しく当たる。この弱い者がさらに弱い者に強く当たっていくという構図は、見ていてなかなかにしんどい。『 パラサイト 半地下の家族 』で描かれた一方の弱者がもう一方の弱者を攻撃するという図である。日韓の社会経済構造が同じというわけではないが、それでも連帯が必要とされる状況でも、連帯が生まれないというのはもどかしい。が、だからこそ生まれるドラマもある。

 

二人の距離が埋まりそうで埋まらないということを、映像が何度も何度も強調する。川沿いの道で、山道で、浜辺で、二人で歩きながらもその距離は縮まらず、そして周囲には誰もいないという画が何度も画面に映し出される。セリフもBGMも削ぎ落され、役者の演技と映像で物語る手法は見事だと思う。

 

若くして、ある意味で救いようのない境遇に陥ってしまった二人だが、人生はやりなおすことはできない。しかし、生き方を一時的にでも変えることはできる。それが役を演じるということで、二人が和歌山の街中で夜中に演じる芝居は、逃避行の中での更なる逃避行で、仮初の生だからこそ、なおさら強く輝いていた。本作の中でも最も美しいシーンだった。

 

翔太が語る「役者になったのは、誰かの心に残ることができるから」という考えが、彼自身の知らぬところで実を結んでいたというのは、ベタながら感動的である。袖振り合うも多生の縁と言うが、人と人とは思いがけない形でつながり合っているのだろう。

 

ネガティブ・サイド

高齢者施設で、老人が突然に倒れ、そのままこと切れる展開は必要があっただろうか。普通に徘徊する人が出る。認知症が進行した人がいる。失禁など、排泄に問題を抱えている人がいる。そうした描写で十分だったのではないかと思う。

 

同じくタカラの父親が死ぬという展開は必要だっただろうか。傷害と殺人だと罪の重さは段違いとなる。そこまで重い十字架をタカラに背負わせるのは、いささかやりすぎだと感じる。

 

またタカラは父親から受けた数々の虐待のせいで、男性、それがとっくに枯れたような老人であっても、触れられることに相当のストレスを感じるというのは、設定からして無理がある。Jovian自身でも病院実習で経験があるが、一定以上の高齢者は本当に体を支えないと歩けないし、あるいは簡単に暴力をふるう(といっても小突いてくる程度だが)患者というのもいる。同級生の女子が尻を触られたなどというのも、日常茶飯事とまではいわないが、看護実習あるあるの一つである。タカラがグループホームの職員を長く続けられているという設定には違和感ありありである。同じことはスナックのアルバイトにも当てはまる。

 

総評

やや不自然なキャラ設定が見受けられるものの、物語の重苦しさ、その先にある一筋の救いの光明に力強さを感じられる作品である。芋生遥は2020年代の邦画を牽引していく力を秘めた女優であるし、村上虹郎も親の七光以上の存在感を獲得しつつある。外山文治は、自ら脚本も書くという邦画では珍しくなりつつある監督で、映画製作に関しては自らのビジョンに忠実でありたいと願っているタイプであると拝察する。もちろん映画も一種の芸能であり、究極的には商業なのだが、このようなタイプの監督が辺縁に存在することは今後の邦画の世界では極めて重要であると思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

DNR

ディーエヌアールと読む。Do not resuscitate. のそれぞれの語のイニシャルをつなげたもので、意味は「蘇生しないで」である。海外の医療ドラマなどでは割と頻繁に聞こえてくる表現である。

She is a DNR. 
彼女は蘇生処置は不要の人だ。

のように使う。医療系の職業の人ならよくよくなじみのある表現だろう。

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 村上虹郎, 監督:外山文治, 芋生遥, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ソワレ 』 -心に残る生き方を-

『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

私はいったい、何と闘っているのか 70点
2021年12月25日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:安田顕 小池栄子
監督:李闘士男

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211227192234j:plain

『 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 』と同じ監督、脚本、主演の本作。男という哀れな生き物の脳内を見事に描き出すとともに、言葉そのままの意味で「男らしい男」の生き様を描き出してもいる。

 

あらすじ

伊澤春男(安田顕)、45歳。スーパーの主任として奮闘しつつ、店長への昇格の野心も持つ、良き家庭人。が、やることなすことがどうにも上手く行かないと思えてしまう。そんな中、降ってわいたように春男に店長就任の機会が舞い込んでくるものの・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211227192250j:plain

ポジティブ・サイド

単なる個人の印象だが、日本にはこの井澤春男に自己同一化してしまう男性が200万人はいるのではないか。そんな気がしてならない。35歳から50歳ぐらいの各年齢が100万人、その半分が男性とすれば50万人。35~50の年齢層では50万人×16=800万人。そのうちの4分の1ぐらいは春男に共感するだろうとの概算である。

 

仕事にも一生懸命で結婚もしている、子どももいるし、子育てにも参画している。こうした、いわゆる現役世代の鬱屈、煩悶、野望などの様々な心情が、安田顕によって見事に表出されている。これはキャスティングの勝利だろう。オダギリジョーや滝藤賢一といった同世代の俳優には出せない味がしっかりと出ている。脳内独り相撲を安田顕の高度な一人芝居に昇華させられなかった演出が悔やまれる。

 

仕事も家庭もそれなりに順風満帆のはずなのに、ほんのちょっとしたトラブルやボタンの掛け違いが、思いもよらぬ結果になってしまうことは誰にでもある。春男はそんな我々小市民の具現化で、まさに40代男性あるあるのオンパレードである。年頃の娘たちに小少々邪険にされつつも、しっかりと尊敬されており、末っ子の息子には「パパは僕に似たんだな」としっかりと愛されている。また小池栄子演じる妻が良い味を出している。料理に掃除に洗濯に子育てにと、あまりに良妻賢母である。Political correctness の観点からすれば大いに断罪されそうな家庭像だが、そうさせない秘訣は春男のヘタレっぷりと男っぷりにある。どういう意味か分からないという人はぜひ鑑賞されたし。

 

娘のボーイフレンドが家にやって来るところは、まさに春男という「ダメ男」かつ「男の中の男」の面目躍如。Jovianには子どもはいないが、それでも春男の心が手に取るように分かった。相手の男の応対も満点やね。Jovianはあんなに堂々と「娘さんをください」とは言えなかった。

 

仕事でやらかして謹慎を食らったところからの家族旅行が本作のクライマックス。平々凡々な小市民な春男にほんのちょっとした奇跡が起こる。春男の精一杯の意地とプライドが静かに炸裂するシーンは必見である。

 

本作を観たら、きっとカツカレーを食べたくなることだろう。もしもそう感じることがあるなら、それは安心できる逃げ場所が必要だから。赤ちょうちんでもカレー屋でもいいじゃないか。愛する家族が待つ家にまっすぐ帰れない夜もある。そんな男の哀愁を受け止めてくれる妻がいる。それだけで春男は果報者。春男のように頑張ろう。そう思わせてくれる良作だった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211227192305j:plain

ネガティブ・サイド

春男の独り相撲っぷりがくどいし長い。『 私をくいとめて 』では脳内のAと自分が別人として語り合っていたし、『 脳内ポイズンベリー 』では、それこそ人格たちの丁々発止のやりとりがダイレクトに笑いにつながった。また『 勝手にふるえてろ 』は脳内ファンタジーが見事に現実を侵食していた。これらの先行作品に比べると、春男の独り相撲っぷりが少々弱い。というか、これでは脳内一人ノリツッコミで、最初こそ共感できるが、だんだんと飽きてくる。重要なのは最初の10分で春男というキャラの脳内を存分に観る側に刻み付けること。それに成功すれば、あとは安田顕の表情、所作、立ち居振る舞いからオッサン連中は勝手に春男の一人ノリツッコミを脳内補完する。製作側はオッサン以外の観客を意識したのだろうが、そこはもっと観る側を信頼すべきだし、観客ペルソナとしても最上位に来るオッサンにぶっ刺さる作りにすべきだった。

 

開始早々に退場する上田店長の扱いがどうにも軽い。春男が「この人のためなら」と思える人物である一方、スーパーウメヤの他のスタッフが春男の昇進を前祝いする流れはどうかと感じた。

 

井澤家の因果についてはもう少し伏線を遅めに、あるいは控え目にすべきだった。I坂K太郎を読む人なら、開始5分で「ああ、そういうお話ね」とピンと来たはずである。

 

総評

ほぼ安田顕の独擅場である。『 君が君で君だ 』は極端な例だが、男なんつー生き物は脳内の80%は自意識と妄想でできている。そんな夫を助ける小池栄子はグラビアアイドルから女優に見事に変身したと言える。『 喜劇 愛妻物語 』の夫はぐうたらのダメ人間で、共感できる人間を選ぶキャラだったが、こちらの春男は男の良いところ、男のダメなところの両方を見事に血肉化している。30~50代の夫婦で鑑賞してほしいと思うし、あるいは大学生のデートムービーにも良いかもしれない。世の父ちゃんたちは、ああやって闘ってカネを稼いでいるのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Go ahead.

「はい、どうぞ」の意。相手に何かを差し出す時には ”Here you are.” と言うが、相手に何らかの行動を促したい、あるいは相手から何らかの行動の許可を求められた時に使う表現。しばしば “Sure, go ahead.” のように使われる。相手が何を言っているのかよくよく理解してから使いたい表現である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 小池栄子, 日本, 監督:李闘士男, 配給会社:日活, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

『 私のボクサー 』 -もう少しだけリアリティが欲しい-

Posted on 2021年12月7日 by cool-jupiter

私のボクサー 70点
2021年12月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オム・テグ イ・ヘリ キム・ヒウォン イ・ソル
監督:チョン・ヒョッキ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211207225037j:plain

『 ファイター、北からの挑戦者 』を観に行くタイミングがなかなか取れない。代わりに、軽めに思えた本作をTSUTAYAでチョイスしたが、ラブコメと見せかけたシリアスなボクシング・ドラマだった。

 

あらすじ

ビョング(オム・テグ)は将来を嘱望されるボクサーだったが、脳挫傷のために引退を余儀なくされる。しかし、館長(キム・ヒウォン)の厚意で事務の雑用係をすることで暮らしていた。ある日、ピョングはダイエット目的でジムにやってきたミンジ(イ・ヘリ)のコーチとなるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

開始早々から、黄昏時の海辺でシャドーボクシングをする男性のシルエットと太鼓を打ち鳴らす女性という、何とも奇妙な Establishing Shot である。この昼でも夜でもない海辺の男女という構図は非常に重要なので、これから鑑賞される方はこの絵をぜひとも脳裏に焼き付けられたし。

 

多くのボクシングものが、主人公が激闘の末に徐々に眼や脳にダメージを負っていく、あるいはその疑いが生じるというプロットを採用している。『 ロッキー5/最後のドラマ 』然り、『 アンダードッグ 』然り。しかし本作は主人公たるビョングがすでに脳にダメージを受けてしまった後から物語が始まる。「え?」と言うしかない。Jovianはここで、赤井英和のアナザーストーリーであるかのように錯覚してしまい、物語に引き込まれてしまった。

 

赤井英和はかつで朝日新聞だか毎日新聞だかのインタビューで「ボクシングはピークの頃の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語った。吉野弘幸はキャリア晩年に「まだまだ金山俊治戦みたいな試合ができる」とボクシング・マガジンか何かで語っていた。ボクサーのこうした習性というか本能のようなものを知っていれば、本作のビョングが29歳にしてリングへの復帰に熱い思いを抱くのも無理からぬことと納得できる。

 

ミンジへのコーチ、ジムメイトのギョンファンとの奇妙な友情と確執、犬を拾ってフォアマン(もちろん「老いは恥ではない」の言で知られるジョージ・フォアマンにあやかってだろう)と名づけるところ、そしてパンソリ・ボクシングを始めるきっかけとなったジヨンとの思い出。すべてが色鮮やかに語られながら、しかし、ビョングの暗くつらい過去、そして現在のパンチドランカー症状につながっていく。このあたりの語り口は非常に軽く、しかし同時に重い。ミンジというキャラの明るさと気の強さ、そしてビョングの朴訥さが、凸凹コンビ的でありながら、非常に清々しいパートナー関係に映る。

 

紆余曲折あってからのリング復帰を果たしたビョングを待ち構えるのは、どういうわけか因縁のジムメイトだったギョンファン。ビョングのパンソリ・ボクシングにかける想いには、ベタベタな演出ながら不覚にも感動してしまった。

 

ラストの燦々たる陽光のシーンをどう受け取るべきか。黄昏時の海辺のシャドーボクシングとの鮮やかすぎるコントラスト。これは現実なのか、それともビョングの見ている夢なのか。ひとつ確かなのは、ビョングは矢吹ジョーの如く「燃え尽きる」ことができたということだろう。

 

ネガティブ・サイド

韓国ではプロボクシングが斜陽産業であることは承知している。しかし、いくらなんでもコミッションが適当すぎやしないか。一度は引退を余儀なくされたボクサーの復帰に際して、メディカル・チェックがないわけがないだろう。そこを館長があれやこれやで回避するサブプロットを2分ぐらいよいので描くべきだった。

 

肝腎かなめの試合のシーンもおかしい。ボクシングシーンが非現実的なのは、どこの国のいつの時代のボクシング映画にも共通している。本作で決定的におかしいのは、ダウンシーン。ダウンを奪った側が颯爽と赤コーナーに向かう。ニュートラルコーナーではない。撮影中、そして編集中に誰一人としておかしいと思わなかったのだろうか。野球映画で、守備側の大ピンチに野手がピッチャー・マウンドではなく二塁(別に一塁でも三塁でもいい)に集合したらおかしいだろう。

 

総評

DVDのカバーが醸し出すポワンとしたラブコメ感は、実は本編にはほとんどない。序盤以外はほとんど硬質なドラマである。本作ではあるキャラが「韓国らしさは世界に通じる」と喝破するが、けだし韓国映画人の本音であろう。主演のオム・テグのシャドー・ボクシングは『 ボックス! 』の市原隼人並みにキレッキレである。ラブコメ好きにはお勧めしない。硬派なヒューマンドラマを求める向きにこそお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ニム

過去記事でも紹介したことがあるが、「~様」の意味となる。劇中ではミンジはピョングを「コーチニム」=コーチ様と呼んでいた。韓国では社長様や先生様という二重尊称が当たり前で、あらためて遠くて近い、近くて遠い国であると思う。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ソル, イ・ヘリ, オム・テグ, キム・ヒウォン, ヒューマンドラマ, 監督:チョン・ヒョッキ, 韓国Leave a Comment on 『 私のボクサー 』 -もう少しだけリアリティが欲しい-

『 彼女が好きなものは 』 -日本社会の包括性を問う-

Posted on 2021年12月4日 by cool-jupiter

彼女が好きなものは 75点
2021年11月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:神尾楓珠 山田杏奈
監督:草野翔吾

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003321j:plain

Jovian一押しの山田杏奈出演作品。原作小説はタイトルだけは聞いたことがあった。キワモノ作品と思いきや、骨太の社会は作品であった。、

 

あらすじ

高校生の安藤(神尾楓珠)はゲイで、同性の恋人もいるが、親も含めて周囲にはカミングアウトできずにいた。ある日、書店を訪れた安藤は、クラスメイトの三浦(山田杏奈)がBL好きであること知る。三浦は口止めを頼むが、安藤には一つの思惑が生まれて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003353j:plain

ポジティブ・サイド

『 ボヘミアン・ラプソディ 』は国内でも大ヒットし、民族的なマイノリティかつ性的なマイノリティの味わう孤独や疎外感は広く日本人も共有されるようになった。NHKでも定期的に障がい者やLGBTQへの理解を広げるような番組が製作・放送されるようになっており、ゆっくりとではあるが確実に包括的な社会という方向に進んでいるように思える。本作のリリースのタイミングはドンピシャだろう。

 

冒頭から濃厚な濡れ場である。ある意味、『 怒り 』の綾野剛と妻夫木聡の絡み以上のラブシーンである。このおかげで本作がタイトルもしくは原作タイトルが予感させるユーモラスな物語にならないことが一発で伝わった。

 

主演の神尾楓珠はどこかジャニーズ風、あるいは山崎賢人や北村匠海を思わせるビジュアルながら正統派の演技派俳優。濡れ場だけではなく、普通の高校生としての感情も存分に表現した。初めての性体験にウキウキしてしまうところ、母親に対してどこかよそよそしくなってしまうところなど、普通の男子高校生らしい振る舞いの一つ一つが、彼が普通の人間であり、なおかつ普通であることをだれよりも強く渇望している人間であることを雄弁に物語る。これがあることで、終盤の病院のシーンでの偽らざる心境の吐露に、我々の心は激しく揺さぶられる。監督の演出の力もあるのだろうが、これは役者本人の character study が成功したのだと解釈したい。

 

山田杏奈も魅せる。2021年に最もブレイクした若手女優であることは疑いようもない。『 ひらいて 』では同性相手のベッドシーンを演じ、異性相手にも自ら脱いで迫るという演技を披露したが、今作でも初々しいキスからの勢いでのセックスシーンに挑戦。本番やトップレスのシーンはないのでスケベ映画ファンは期待するべからず。しかし、永野芽郁や橋本環奈が絶対にやろうとしない(あるいは彼女らのハンドラーが絶対にさせない)シーンを次々と軽々と演じていく様には敬服する。体育館での長広舌は、近年では『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良の体育館でのシーンに次ぐ名場面になったと感じる。

 

本作についてはプロットには一切触れない方がよい。腐女子であることを隠したい女子高生と、ゲイであることをカミングアウトできない男子高校生の、不器用だが清々しい恋愛ものだと思い込んで鑑賞した方が、物語に入っていきやすく、なおかつ大きなショックを味わえることだろう。渡辺大知演じるキャラはノンケのある意味での無邪気さが、いかに無遠慮であるかということを突きつけてくるし、安藤の親友が、そのまた友達から言われた一言に何も言い返せなくなるシーンも、観る側の心に突き刺さってくる。だが、我々が最も学ぶべきなのは「お前らのチ〇コなんか見ねーよ」という安藤のセリフだろう。ゲイからノンケを見て、異性とは全て恋愛対象、あるいは欲情の対象だと映っているだろうか。もしも自分が同性のゲイに見られて気持ち悪いと感じるならば、自分が異性をどのように見ているのかについて、一度真剣に思いを至らせたほうがよい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003411j:plain

ネガティブ・サイド

ペーシングにやや難ありと感じる。終盤の衝撃的なシーン以降は、かなり語り口が遅くなったと感じた。特に安藤のTwitterつながりの友人との展開は、もっとテンポよく進められたのではないかと思う。

 

教室でのディスカッションのシーンが空々しかった。役者の卵たちに喋らせているのだろうが、それこそ本物の高校生を連れてきて、『 真剣10代しゃべり場 』みたいな絵を撮り、それを上手く編集した方がリアリティがあっただろう。どこか優等生的な言葉を発する役者よりも、自分の感覚を素直に言語化する10代の方が、本作を本当に観るべき世代に近いはずで、そうした自らと合わせ鏡になるような存在を作品中に見出すことで、現実社会の中に確実に存在するLGBTQとの交流に何か生かせるようになるのではないかと思う。

 

総評

タイトルだけなら『 ヲタクに恋は難しい 』と同様の香ばしさを感じるが、あちらは超絶駄作、こちらは標準をはるかに超える水準であり、比較にならない。Jovianも授業を持たせてもらっている大学のプレゼン英語の授業でSDGsをテーマにした際、多くの学生が「ジェンダー平等」を挙げた。その際に、『 glee/グリー 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』を理解促進の助けに挙げた学生がいたが、彼女は本作も「観るつもりです」と言っていた。ぜひ10代20代の若者たちに観てほしいと心から思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

choose A over B

BよりもAを選ぶ、の意。作中のあるシーンで、重要キャラが二択を問われるシーンがある。そんな時には choose を使おう。この語は初習者には見慣れないかもしれないが、名詞は choice = チョイスである。これなら日本語にもなっている語で、なじみ深いだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 山田杏奈, 日本, 監督:草野翔吾, 神尾楓珠, 配給会社:アニモプロデュース, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 彼女が好きなものは 』 -日本社会の包括性を問う-

『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

Posted on 2021年11月7日2021年11月7日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107103717j:plain

そして、バトンは渡された 20点
2021年10月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:永野芽郁 石原さとみ 田中圭
監督:前田哲

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107102245j:plain

トレイラーを観て「なるほど、大体こういうストーリーのはずだが、どこかでひねりを入れてくるに違いない」と期待して、チケット購入。ひねりは全くなかった。感動の押し売りは結構である。

 

あらすじ

いつでも笑顔の優子(永野芽郁)は、血のつながらない父、森宮さん(田中圭)と二人暮らし。これまでに苗字が4回も変わったことから、学校に友達もいない。ある時、優子は卒業式の合唱のピアノを担当することになる。そこで出会った同級生の早瀬のピアノ演奏に、優子は心を奪われて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107102301j:plain

ポジティブ・サイド

みぃたんを演じた子役の稲垣来泉が印象に残った。子どもと動物は時々予想のはるか上を行くことがある。稲垣が演じることでみぃたんというキャラの健気さ、気丈さ、明るさ、そして憂げな感じが巧みに描出されていた。

 

田中圭は『 哀愁しんでれら 』とは全く違うテイストが出せていた。今後は『 アウトレイジ 』の椎名桔平のような武闘派ヤクザ役に期待。

 

一応、色々な伏線的なものがフェアに張られているところは評価したい(ちょっとあからさますぎだとは思うが)。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107102318j:plain

ネガティブ・サイド

 

以下、ネタバレあり

 

原作小説は未読だが、映像化に際してかなり改変されていることだろう。改悪と言うべきか。本というのは自分のペースでページをめくっていくことができるので、物語を自分なりに消化しながら進んでいくことができる。本作はペーシングの面でかなりの問題を抱えている。2時間17分の作品であるが、体感では2時間40分ほどに感じた。前半と後半でもっとメリハリをつければ2時間ちょうどにできたはず。『 いのちの停車場 』でも感じたことだが、削るべきは削らねば。

 

キャラの行動原理が色々と意味不明だ。大森南朋演じる最初かつ実の父親のあまりの無軌道ぶりに本気で怒りを覚えた。「家族なら俺の夢についてこい!」って、アホかいな。いや、夢を持つことは全然否定しないし、むしろ素晴らしいし応援したい。問題は、ブラジル行きを誰とも相談することなく決め、また勝手に会社も辞めてしまったこと。若気の至りで済ませられるものではない。また若気の至りと言えるような年齢のキャラでもない。普通に成熟したカップルでも、パートナーにそれをやられたらかなりの確率で破局だろう。それに梨花の病気のことを知っていながら、気候も食事も言語も文化も違うブラジルに移り住もうというのは、非人間的とすら感じる。手紙のやりとり云々を絡めて美談にしようとしているが、やってしまったことが社会人失格、家庭人失格なので、終盤の父親巡りで「はい、ここで感動してくださいよ」というシーンではひたすらに白けるばかりであった。

 

田中圭演じる森宮さんの価値観もおかしい。いや、森宮さんというか原作者や脚本家の思想かな。やたらと「俺は父親なんだから」と口にし、職場では損な役回りながらも真面目に働き、家では料理を始め家事もこなす。再婚することなく、女の影もなく、酒も断って、子育てに邁進する。それは美しい。けれど、それが全て「バトン」を渡すためって何やねん。優子はモノ扱いなのか。しかも、渡す先の男に優子も森宮もそろって「ピアノ弾け」って、音大なめてるやろ。芸術の分野で一回レール外れてから元に戻るのがどれだけ大変か。そこから音楽一つで食っていけるようになるのがどれだけ大変か。しかも預金たんまりの通帳を渡しておきながら「これから大変だぞ」って、思いやりなのか嫌味なのか。こんな風に感じるのはJovianがひねくれ者だからなのか。いやいや、優子自身も大手レストランをあっさり自分から辞めているわけで、料理人でも音楽家でも、一本立ちへの道のりは険しい。それを分かっていて、片方に甘く、片方に厳しいというのは、古い父親像と新しい父親像が悪い意味で混淆している。自分というものがない、単に物語を都合よく進めていくだけのデウス・エクス・マキナとしか思えなかった。

 

ストーリー以外の演出面でも不満が残る。ピアノにフォーカスするのなら、いっそのこと劇中BGMは全部ピアノにしてしまうぐらいの思い切りがあっても良かったのではないか。また優子がピアノを好きになるシーンの演出も弱く感じた。友達がピアノを習っているから、というくだりは不要であると感じた。母子家庭になってしまったことで、友達の親が「みぃたんとはあまり付き合っちゃいけません」的なことを言うシーンがあり、さらに傷心のみぃたんがピアノの音に癒され、ピアノを心底好きになる。そんなシーンが望ましかった。雨の中でピアノの音に合わせて踊るみぃたんはシネマティックだったが、ここをそれこそ『 雨に唄えば 』のジーン・ケリー並みにみぃたんを躍らせていれば、みぃたんにとってのピアノの意味がもっと大きくなり、そのピアノを弾く早瀬くんへの思慕も大きくなった。これならもっと説得力があった。

 

石原さとみの梨花という母親像の好き嫌いは言うまい。ただ『 母なる証明 』のキム・ヘジャや『 MOTHER マザー 』の長澤まさみのような強烈な母性があったかというと否である。母親であろうとする姿に絶対性がなかった。

 

総評

世間の評価がやたら高いが、これこそ典型的な感動ポルノでは?邦画の悪いところが全部詰まった作品にしか思えなかった。キャラの行動原理が、自分自身の思考や信念、哲学に基づいたものではなく、観る側を感動させるためには何が必要か、で決まっているように見えて仕方がなかった。まるで昔の徳光和夫の感動押し売り家族再会バラエティーを見ているかのよう。Jovianがひねくれているのか、それとも予定調和の感動物語の需要が高いのか。まあ、両方だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give someone away

someone =「誰か」だが、ほとんどの場合、ここには bride =「花嫁」が入る。『 マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー 』でソフィが、”Who’s gonna give me away?”というシーンがあったが、これは「結婚式の場で父が娘を新郎に手渡す」という意味である。ごく限定されたシチュエーションでしか使わない表現だが、知っておいて損はない。give ~ away は、「~をどんどん与える」というコアのイメージを押さえておけば、『 プラネタリウム 』でも触れた”Maybe your smile can lie, but your eyes would give you away in a second.”の意味もすぐに類推できるはずである。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 永野芽郁, 田中圭, 監督:前田哲, 石原さとみ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

『 護られなかった者たちへ 』 -人と人とのつながりの在り方を問う-

Posted on 2021年10月3日 by cool-jupiter

護られなかった者たちへ 75点
2021年10月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 阿部寛 清原果耶 倍賞美津子
監督:瀬々敬久

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211003233225j:plain

『 糸 』や『 友罪 』のように、社会問題とエンタメの両立を常に志向する瀬々敬久監督の作品に阿部寛と佐藤健、そして清原果耶が出演するということでチケット購入。

 

あらすじ

宮城県仙台市若葉区で、役所の生活支援課職員を対象にした連続殺人事件が複数発生。県警捜査一課の変わり者と呼ばれる笘篠(阿部寛)は、捜査の過程で利根(佐藤健)という男にたどり着く。そして利根の過去には、震災発生当時、避難所で知り合った老女と少女がいたことが分かり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211003233241j:plain

ポジティブ・サイド

始まりからして非常に暗く、重苦しい。それもそうだ。あの大震災からわずか10年半しか経過していないのだ。震災および津波が日本にもたらしたものとして、地域共同体への物理的なダメージと人間への心理的・精神的なダメージの両方がある。本作は前者が後者にいかにつながっていってしまったかを、敢えて説明せず、しかし着実にストーリーの形で見せていく。

 

冒頭、果てしなく薄暗いスクリーンの中の世界であるが、倍賞美津子演じる遠島けいさんというおばあちゃんの温もりに救われる。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』でも発揮された倍賞美津子の母性溢れる包容力は健在である。母親を失くしてしまった少女かんちゃんと、そもそも母親を知らない利根の、奇妙な連帯が本作の見どころ。3人が素うどんをすするシーンは、我々が忘れつつある、あるいは忘れてしまった家族の在り方だろう。

 

震災の地に帰ってきた刑務所上がりの利根。殺人事件の発生。犯人を追う笘篠ら、宮城県警。これらをつなぐ要素として社会福祉、なかんずく生活保護制度がある。そして、その制度の運用についての闇が明らかにされる。ただ勘違いしてはいけないのは、生活保護の不正受給というのは確かに問題だが、おおよそこの社会の制度で悪用されていないものなどない。求人サイト経由できた有望そうな人材に面接の場で「今日このままハローワークに行って、そこから再応募してほしい。すぐに内定を出すから」と伝える中小企業などいっぱいあるのだ。

 

生活保護を「恥ずかしい」と感じてしまう。ここに日本人的な精神の病根がある。不正に受給するのが恥ずかしいことなのであって、正当に受給することに恥を覚える必要などない。それでも生活保護を指して恥だと感じてしまうのは何故か。恥とは要するに他者からの視線である。他者にとって自分は生きている価値がないのではないかという懐疑が恥の感覚につながっている。震災によって多くのものを失ってしまった人間が、それでも生きていていいのだろうかという問いかけを発している。それに応える者が少数だが存在する。本作はそうした物語である。

 

佐藤健と阿部寛の険のある表情対決は、2021年の邦画の中でも屈指の演技合戦。NHKの朝ドラ(Jovianは一切観ていないのだが)のヒロインの座をつかんだ清原果耶も、芯の強さを備えた演技で男性陣に一歩も引けを取らない。BGMがかなり少な目、あるいは抑え目で、派手なカメラワークもない。しかし、それゆえに役者の演技が観る側をどんどんと引き込んでくれる。人は人に狼な世の中であるが、人は人に寄り添うこともできる。『 すばらしき世界 』と同種のメッセージを本作は力強く発している。

 

あまりプロットやキャラクターに触れると興ざめになってしまうので、最後に鑑賞上の注意を一つ。本作はミステリ仕立てであるが、ミステリそのものではないと言っておく。役所の生活支援課の職員が、拉致監禁され、脱水症状からの餓死に追い込まれるという殺人事件が本作の胆である。未鑑賞の人にアドバイスしておきたいのは、事件が胆なのであって、フーダニットやハウダニットに神経を集中させるべからず。本作をミステリ映画、推理ものだと分類してしまうと、話が一挙に陳腐化してしまいかねない。すれっからしのミステリファンは、片目をつぶって鑑賞すべし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211003233314j:plain

ネガティブ・サイド

とある措置期の備品の使い方が気になった。いつ、誰が、どれくらいの時間それを使用したかという履歴がばっちり残るはず。そこの組織内で誰もそれの用途や使用時間について注意を払わなかったのだろうか。

 

利根の持つ性質というか特徴が説明されるが、それが強く発露する場面がなかった。また、エンディングは万感胸に迫るものがあったが、それでも利根の持つこのトラウマ(と言っていいだろう)を刺激する場面に見えて仕方がなかった。原作もああなのだろうか。

 

総評

東日本大震災後の人間関係を描くドラマとしては『 風の電話 』に次ぐものであると感じた。コロナ禍という100年に一度のパンデミックによって我々の生活は一変した。そのような時代、そのような世界で、人間はどう生きるべきなのか。政治や行政はどうあるべきなのか。エンターテインメント要素と社会はメッセージを両立させた傑作と言えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on welfare

生活保護を受けている、の意。アメリカ合衆国では大きな選挙のたびに共和党支持者(Republican)、民主党支持者(Democrat)、その他(Independent)に別れて激論が繰り広げられるが、その際の共和党支持者が”I’m Republican Because We Can’t All Be On Welfare.”という文言を載せたTシャツが、もう10年以上トレンドになっている。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 佐藤健, 倍賞美津子, 日本, 清原果耶, 監督:瀬々敬久, 配給会社:松竹, 阿部寛Leave a Comment on 『 護られなかった者たちへ 』 -人と人とのつながりの在り方を問う-

『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

Posted on 2021年9月30日 by cool-jupiter

空白 75点
2021年9月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:古田新太 松坂桃李
監督:吉田恵輔

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210930001758j:plain

邦画が不得意とする人間の心の闇、暴走のようなものを描く作品ということで、期待してチケットを購入。なかなかの作品であると感じた。

 

あらすじ

女子中学生の花音は万引を店長の青柳(松坂桃李)に見つかってしまう。逃げる花音だが、道路に飛び出したところで事故に遭い、死んでしまう。花音が万引きなどするわけがない信じる父・充(古田新太)は、深層を明らかにすべく、青柳を激しく追及していき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210930001812j:plain

ポジティブ・サイド

何の変哲もない街の何の変哲もない人間たちに、恐るべきドラマが待っていた。トレイラーで散々交通事故のシーンが流れていくが、あれは実は露払い。その後のシーンと、その結果を渾身の演技で説明・描写する古田新太が光る。

 

この物語で特に強く感銘を受けたのは、善人もおらず、さらには悪人もいないところ。いるのは、それぞれに弱さや欠点を抱えた人間。例えば松坂桃李演じる青柳は、父の死に際にパチンコに興じていて、死に瀕していた父に「電話するなら俺じゃなくて119番だろ」的なことを言い放つ。もちろん、心からそう思っているわけではない。しかし、いくらかは本音だろうし、Jovianもそう思う。古田新太演じるモンスター親父の充は、粗野な性格が災いして、妻には去られ、娘とは没交渉。他にも花音の学校の、人間の弱さや醜さをそのまま体現したような校長や男性教師など、善良な人間というものが見当たらない。それがドラマを非常に生々しくしている。

 

一方、一人だけ異彩を放つ寺島しのぶ演じるスーパーのパートのおばちゃんは、これこそ善意のモンスターで、仕事熱心でボランティア活動にも精を出す。窮地にあるスーパーの危機に、非番の日でもビラ配り。ここまで大げさではなくとも、誰しもこのようなおせっかい好き、世話焼き大好きな人間に出会ったことがあるだろう。そしてこう思ったはずだ、「うざい奴だな」と。まさに『 図書館戦争 』で岡田准一が言う「正論は正しい。しかし正論を武器にするのは正しくない」を地で行くキャラである。寺島しのぶは欠点や弱さを持つ小市民でいっぱいの本作の中で、一人だけで善悪スペクトルの対極を体現し、物語全体のバランスを保っているのはさすがである。

 

本作はメディアの報道についても問題提起をしているところが異色である。ニュースは報じられるだけではなく、作ることもできる。そしてニュースバリューは善良な人間よりも悪人の方が生み出しやすい。『 私は確信する 』や『 ミセス・ノイズィ 』は、メディアがいかに人物像を歪めてしまうのかを描いた作品であるが、本作もそうした社会的なメッセージを放っている。

 

追い詰める充と追い詰められる青柳。二人の関係はどこまでも歪だが、二人が花音の死を悼んでいるということに変わりはない。心に生まれた空白は埋めようにも埋められない。しかし、埋めようと努力することはできる。または埋めるためのピースを探し求めることはできる。それは新しい命かもしれないし、故人の遺品かもしれない。『 スリー・ビルボード 』とまではいかずとも、人は人を赦せるし、人は変わることもできるだと思わせてくれる。間違いなく良作であろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210930001828j:plain

ネガティブ・サイド

花音の死に関わった人物の一人がとんでもないことになるが、その母親の言葉に多大なる違和感を覚えた。謝罪根性とでも言うのだろうか、「悪いのはこちらでございます」的な態度は潔くありながらも、本作の世界観には合わない。小市民だらけの世界に一人だけ聖人君子がいるというのはどうなのか。

 

藤原季節演じるキャラがどうにも中途半端だった。充を腕のいい漁師だが偏屈な職人気質の船乗りで、人付き合いが苦手なタイプであると描きたいのだろうが、これだと人付き合いが苦手というよりも、単なるコミュ障中年である。海では仕事ができる男、狙った獲物は逃がさない頑固一徹タイプの人間だと描写できれば、青柳店長を執拗に追いかける様にも、分かる人にだけ分かる人間味が感じられだろうに。

 

総評

邦画もやればできるじゃないかとという感じである。一方で、トレイラーの作り方に課題を感じた。これから鑑賞される方は、あまり販促物や予告編を観ずに、なるべくまっさらな状態で鑑賞されたし。世の中というものは安易に白と黒に分けられないものだが、善悪や正邪の彼岸にこそ人間らしさがあるのだということを物語る、最近の邦画とは思えない力作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

do the right thing

「正しいことをする」の意。do what is right という表現もよく使われるが、こちらは少々抽象的。親が子に「正しいことをしなさい」とアドバイスするような時には do the right thing と言う。ただし、自分で自分の行いを the right thing だと盲目的に信じるようになっては棄権である。 

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, 古田新太, 日本, 松坂桃李, 監督:吉田恵輔, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

『 スリー・ビルボード 』 -再鑑賞-

Posted on 2021年9月28日 by cool-jupiter

スリー・ビルボード 85点
2021年9月24日 dTVにて鑑賞
出演:フランシス・マクドーマンド ウッディ・ハレルソン サム・ロックウェル ルーカス・ヘッジズ
監督:マーティン・マクドナー

 

3年前ぶりの再鑑賞。前回のレビューはこちら。『 空白 』のテーマが”赦し”であると予告編でバラされてしまい、また妻がdTVの無料お試し登録をしたところ本作が available だったので、再鑑賞とあいなった。

 

あらすじ

娘を陰惨な事件でなくしたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は地元の警察署長ウィロビー(ウッディ・ハレルソン)を責める内容の巨大ビルボードを街はずれに掲出した。やがてビルボードを巡り、ミルドレッドや街の人々、警察との対立が深まっていき・・・

 

ポジティブ・サイド

物語の始まりから終わりまで、一貫して unpredictable である。劇場鑑賞中に「こう来たら、次はこう・・・じゃないんかーい」と一人でノリ突っ込みをしていたことを思い出した。定石をとことん外してくるのが本作なのだが、そこに説得力がある。それは、一にも二にもフランシス・マクドーマンドの鬼気迫る演技。娘をなくした母親というだけでなく、苦悩する親、後悔する親というものを、恐ろしいほどのリアリティで体現している。

 

ウッディ・ハレルソン演じるウィロビー署長、横暴差別警察官を演じるサム・ロックウェル、ミルドレッドの窮地を救うピーター・ディンクレイジなど、とにかく悪人面だが、その内には人間性が宿っている。そして男が持つとされている包容力ではなく、弱い心や傷つく心を持っている。このあたりの、いわゆる人間の二面性を、ミルドレッドと彼女を取り巻く男たちとで比較対照してみると、人間の素のようなものが現われてくる。言葉の正しい意味でヒューマンドラマである。

 

ネガティブ・サイド

エンディングの余韻が少し弱い。もう少しだけミルドレッドとディクソンの間の会話というか空気を感じさせてほしかった。人は変われるし、人は人を赦すことができる。そうした本作のテーマをもう少しだけ映像とキャラクターのたたずまいで語って欲しかった。

 

総評

大傑作である。観ながら、ストーリーの非常に細かいところまで自分が覚えていることにびっくりしたが、それ以上に数々の伏線やセリフの妙、また役者たちの繊細かつ豪快な演技、それを捉える匠のカメラワークに唸らされた。日本の片田舎を舞台にリメイクできそうだが、これだけの人間ドラマを手がけられそうな監督がどれだけいるか。『 デイアンドナイト 』のテイストでドラマを再構築できるなら、藤井道人監督にお願いしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put up 

直訳すれば「置いてup状態にする」ということである。劇中では put up the billboards という形で何度か使われていた。put up のコロケーションとしては、put up an umbrella = 「傘をさす」や put up a tent = 「テントを建てる」などがある。英検準1級、TOEIC730点以上なら知っておきたい(TOEICにはまず出ないが)。 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, ルーカス・ヘッジズ, 監督:マーティン・マクドナー, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 スリー・ビルボード 』 -再鑑賞-

『 ソウルメイト 七月と安生 』 -女の愛憎物語-

Posted on 2021年8月13日 by cool-jupiter

ソウルメイト 七月と安生 80点
2021年8月3日 京都シネマにて鑑賞
出演:チョウ・ドンユィ マー・スーチュン トビー・リー
監督:デレク・ツァン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210813003415j:plain

『 少年の君 』鑑賞後に打ちのめされてしまい、チョウ・ドンユィの作品、またはデレク・ツァンの作品を一刻も早く観なければという思いに駆られ、超絶繁忙期にもかかわらず無理やり半休を取って京都に出陣。京都シネマが本作をリバイバル上映してくれていたことに感謝である。

 

あらすじ

アンシェン(チョウ・ドンユィ)とチーユエ(マー・スーチュン)の二人は13歳の頃からの親友。常に二人で友情をはぐくんできたが、チーユエにジアミン(トビー・リー)という恋人ができたことで、二人の関係は微妙な変化を見せていき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210813003429j:plain

ポジティブ・サイド

デレク・ツァンの映画製作手法がこれでもかと詰め込まれている。『 少年の君 』と同じく、キャラクターと物語の両方がdevelopしていく。13歳から高校生、専門学校生、そしてその先へとアンシェンとチーユエが進んでいく。凄いなと感じたのは、二人が関係の始まりから「女」だったこと。邦画が絶対に描かないであろう、少女同士の奇妙な友情。それがどうしようもなく「男」の存在を想起させる。

 

その男、ジアミンの存在をめぐる二人の関係は単純にして複雑だ。要するに、親友の恋人を好きになってしまったという、古今東西の恋愛話あるあるなのだが、その描き方が秀逸。アンシェンは家庭的には恵まれておらず、チーユエの家でしょっちゅうご飯を食べさせてもらい、風呂にも入れてもらう。そうした有形無形の様々な借りのようなものが、アンシェンをしてチーユエとジアミンから遠ざかることを決断させるのだが、そこに至る道筋の描き方がとにかくcinematic、つまり映像によって語られるのだ。冒頭ではナレーションが多めだったが、それ以降は徹底して映像で登場人物の心象を映し出す。風景、街並み、ちょっとした視線の先にあるもの。それらがとても雄弁だ。

 

アンシェンとチーユエとジアミンが連れ立ってサイクリングと山登りに興じるところで、ついに3人の微妙な距離感が壊れていく。アンシェンとジアミンの接近、それを見て見ぬふりをするチーユエ。下手なサスペンスよりもスリリングで、ここからドラマも大きくうねり始める。

 

地元に縛られながらジアミンとの交際を続けるチーユエと、文字通りに世界をめぐりながら男遍歴を重ねていくアンシェン。アンシェンの方が旅先から一方的に手紙を送るので、チーユエは返信のしようがない。この距離感と一方通行性が、終盤のとある展開に大きく作用してくる。この脚本の妙。

 

そしてついに再会を果たす二人の旅行と、その旅先のレストランでのケンカのシーンは白眉。映像で物語られてきたシーンの意味を再確認させつつ、目の前で起きている二人の感情変化も同時に伝えてくれる。ケンカになるシーンは終盤手前にもう一つ。こちらはバスルームでの感情のぶつけあいなのだが、こちらもロングのワンショットで二人の赤裸々な感情の衝突を淡々と描く。『 美人が婚活してみたら 』でも女性同士の醜い言い争いがあった。迫力では負けていないが、一方がしゃべるたびにカメラがそちらにカットしていくことには閉口した。明らかに作られたシーンだからだ。本作のケンカのシーンは、言い争う二人をカメラが長回しで捉え続けながら、少しずつ引いていく。まるで自分がそこにいるかのように。しかし、実際には周りには誰もいないということを強調するかのように。基本的な演出だが、迫真の演技と合わさることで、素晴らしい臨場感を生み出している。

 

チョウ・ドンユィの演技力抜きに本作を語ることはできない。中学生から20代後半までを全く違和感なく演じるその能力には脱帽するしかない。単純に年齢だけではなく、純粋な10代半ば、すれていく10代後半、早くも人生の酸いも甘いも嚙み分けた感のある20代前半、険のとれた20代半ばと、まさに変幻自在。チーユエを演じるマー・スーチュンの硬軟織り交ぜた演技も素晴らしい。無邪気な笑顔の裏にあるほんのわずかな毒、愁いを帯びた表情の中にあるちょっとした安堵。女の見せる表情=心情という等式が成り立たないということを、この役者はよくよく体現していた。

 

ネット小説と絡めた筋立ても良い。小説は小説でも、フィクションではなくノンフィクション、あるいは私小説であるが、そこに虚実皮膜の間がある。終盤では様々な事柄が次々に明かされるが、何が事実なのか、何が真実なのか。その境目を揺るがすような怒涛の展開には、まさに息もできない。愛憎入り混じる二人の関係、そこに女性と社会の歪な関係性も挿入された傑作である。『 Daughters(ドーターズ) 』を楽しめた人なら、本作はその10倍楽しめるだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210813003447j:plain

ネガティブ・サイド

けちのつけようのない本作であるが、一点だけ。アンシェンとジアミンの”関係”は、もっと密やかに描くべきだった。もしくは、その”関係”を仄めかすことすらも、もしかしたら不要だったかもしれない。そうすれば、終盤の車内でのアンシェンとジアミンの会話の内容が、もっと衝撃的に聞こえてきたかもしれない。

 

総評

2016年の映画であるが、この時点で中国映画はこんなにも面白かったのかとビックリさせられる。香港映画と中国映画は別物で、中国映画と言えば『 ムーラン 戦場の花 』のように、面白いけれど洗練されていないという印象を抱いていたが、それは偏見だった。おそらく中国は韓国の10年前ぐらいの段階にいるのだろう。つまり、国を挙げて映画をバンバン作って、てんこ盛りの凡作の上にごくわずかな傑作を積み上げて行っているのだろう。本作が聳え立つ凡作の山の頂きに立つわずかな作品の一つであることは疑いようもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

soul

soul = 魂 であるが、では魂とは何かというと哲学になってしまう。ここではより実践的な使い方を説明するために、昔、Jovianが数名のネイティブに尋ねた質問と回答を持ってくる。

「”You are on my mind.”と”You are in my heart.”と”You are in my soul.”では、どの順に想いが強い?」

答えは全員同じで、

1.You are in my soul.

2.You are in my heart.

3.You are on my mind.

であった。英語の上級者を自任する人であれば、サザンオールスターズの『 いとしのエリー 』とRod Stewartの『 You’re in my soul 』を聞き比べてみるのも一興かもしれない。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, チョウ・ドンユィ, トビー・リー, ヒューマンドラマ, マー・スーチュン, 中国, 監督:デレク・ツァン, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 ソウルメイト 七月と安生 』 -女の愛憎物語-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 隠された爪跡 』 -日本人は外国人と共生不可能か-
  • 『 ワン・バトル・アフター・アナザー 』 -革命はテレビで放送されない-
  • 『 ラテン語でわかる英単語 』 -校正と編集に甘さを残す-
  • 『 君の声を聴かせて 』 -王道の恋愛映画かつ家族映画-
  • 『 宝島 』 -エンタメ性がやや不足-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme