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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: サスペンス

『 ロストケア 』 -題材は良かった-

Posted on 2023年4月2日 by cool-jupiter

ロストケア 60点
2023年4月1日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:松山ケンイチ 長澤まさみ
監督:前田哲

 

繁忙期のため簡易レビュー。

 

あらすじ

ある訪問介護詞節のセンター長がサービス利用者の自宅で死体で発見され、住人も死亡が確認された。容疑者として浮上したのは、同僚からも介護家族からも慕われる介護士の斯波(松山ケンイチ)だった。検事の大友(長澤まさみ)は取り調べの中で、斯波の務めるセンターの要介護者の死亡者数が多いことに疑問を抱き・・・

 

ポジティブ・サイド

松山ケンイチが素晴らしい。どこか『 DEATH NOTE デスノート 』のLっぽさを醸し出しつつも、人間性と残虐性を両立させている。感情を抑えた演技をすることで、うちに渦巻く多種多様な感情を逆説的に観る側に想起させる。役者、かくあるべし。

 

介護はきれいごとではない。Jovianも甥っ子たちのお締めを換えたりしたが、それは数年すれば終わること。介護のお締め好感はいつ終わるのか分からない。Jovian祖母が死んだ2年後ぐらいか、親父と二人でNHKの介護番組を観ていたら、親父がいきなり「まあ、おふくろは寝たきりになる前に死んでくれたからなあ」と呟いた。正直、なんちゅう親父やと感じたが、今なら首肯するしかない。

 

ネガティブ・サイド

もっと『 PLAN 75 』のように振り切った社会批判をしてもよいのに。国家を挙げて老人を始末せんとする『 PLAN 75 』とは対照的に、本作は介護は自己責任と切って捨てる日本社会を撃ってはいるものの、結局それが斯波と大友の個人的なやりとりに集約されてしまっている。『 人魚の眠る家 』でもそうだったが、政治批判や社会批判が難しい土壌が邦画の世界にはあるのだろうか。まあ、あるんだろうな・・・

 

長澤まさみは頑張ってはいるものの、acting という感じがする。松山ケンイチが acting と being 中間ぐらいに見えるため、どうしても見劣りしてしまう。

 

あとは八賀センター管轄の要介護者の死亡率か。事故・自殺以外は全員他殺はありえない。あの地区では自然死する老人はゼロだった?確率的、統計学的にそんなことがありうるのか?

 

総評

ある意味で『 グッド・ナース 』を日本流に再解釈したような作品で、これはこれで面白かった。しかし、力のある役者に骨太なストーリーを与えても、日本的な演出を盲目的に盛り込んでしまっては意味がない。映画というよりも役者の演技を観賞するつもりでチケットを購入されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

carer

ケアラーと読む。意味は介護者。近年、ヤングケアラーが急増している。というよりも、高齢者が増えすぎて、介護士が不足し、結果として家族の中で子どもまでもが介護に駆り出されているようになっている、というのが実相だろう。看護師や保健師はエッセンシャル・ワーカーと認知されたが、介護士がそのように認知される日は果たして来るのか。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 マッシブ・タレント 』
『 search #サーチ2 』
『 シンデレラ 3つの願い 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, サスペンス, 日本, 松山ケンイチ, 監督:前田哲, 配給会社:日活, 配給会社:東京テアトル, 長澤まさみLeave a Comment on 『 ロストケア 』 -題材は良かった-

『 別れる決心 』 -歪んだ純愛-

Posted on 2023年2月23日 by cool-jupiter

別れる決心 70点
2023年2月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:パク・ヘイル タン・ウェイ
監督:パク・チャヌク

大学の追試や試験代替課題の採点と新年度の準備と研修ラッシュ。ここから1か月半はまさに繁忙期。しばらく簡易レビュー続きになるか。

 

あらすじ

刑事ヘジュン(パク・ヘイル)は、ある男性が山頂から転落死した事件を捜査していた。殺人の可能性を見出したヘジュンは、男性の妻ソレ(タン・ウェイ)に疑惑の眼差しを向ける。しかし彼女にはアリバイがあった。捜査を進めるうちに、強くしなやかに生きるソレに、ヘジュンは徐々に惹かれていき・・・

ポジティブ・サイド

タン・ウェイの妖艶さに尽きる。別にきわどい露出や激しいラブシーンがあるわけではないが(ヘジュンと奥さんのセックスシーンはある)、その femme fatal ぶりには魅了されざるを得ない。理解したいのに理解できない。いや、理解できるが間接的にしか理解できないという刑事ヘジュンと容疑者ソレの距離感が絶妙。時に使用されるスマホの翻訳機能が二人の間の越えがたい、しかし超えられないことはないという壁を象徴している。

 

パク・チャヌクといえば『 オールド・ボーイ 』のようなエロスとバイオレンスが持ち味。しかし、本作のエロスは実に控えめ。バイオレンスなシーンもあるにはあるが、青あざと流血に彩られるようなものでもない。ヘジュンが捜査のために一方的に室内のソレを覗くシーンの演出は見事だった。こうやって、いつの間にか容疑者に同化してしまう、というのは実際にありえそうに感じた。

 

誰かが死ねば、あの刑事がやって来る。あるいは、何らかの謎さえあれば、あの男はやってくる。これをサイコパスの思考と見るか、それとも究極の愛情と見るか。セックスする相手を愛しているのか、それとも愛しているからこそセックスしないのか。様々な問いが渦巻く中、女たちは別れる決心をする。なんとも苦みと深みのある作品だった。

 

ネガティブ・サイド

実質的に二部作的な構成になっているが、これをもうちょっと縮めて2時間ちょうどにはできなかったか。

 

殺人事件そのものの捜査の描写が弱い。ヘジュンが捜査に憑りつかれているのは分かるが、客観的に見て「警部、ちょっとおかしいですよ」と言ってくれるキャラが後半になってはじめて現れるのには違和感を覚えた。

 

総評

韓国映画らしいと言えば韓国映画らしいが、パク・チャヌク映画らしいかと言われれば、あまりそうではない。それでも、巨匠の新境地と言うか、見せないことで想像力を刺激する、あるいは直接的にではなくシンボルを通じて見せるという手法に唸らされることが多かった。もう少しコンパクトにまとめられていれば、韓国映画ファン以外にも勧められる。逆に言えば、韓国映画ファンならばチケット代の価値は十分に得られる。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ヨボ

韓国映画ではしばしば夫婦が互いに「ヨボ」と言って呼びかける。日本語で言うところの「あなた」や「なあ」などに当たるらしい。劇中のヘジュンが時々発する言葉だが、この言葉ひとつで距離感が近くなったり遠くなったり感じるのだから、人間関係、就中、夫婦の関係というものは難しい。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 エゴイスト 』
『 銀平町シネマブルース 』
『 シャイロックの子供たち 』

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, タン・ウェイ, パク・ヘイル, ラブロマンス, 監督:パク・チャヌク, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオ, 韓国Leave a Comment on 『 別れる決心 』 -歪んだ純愛-

『 対峙 』 -緊迫の対話劇-

Posted on 2023年2月20日 by cool-jupiter

対峙 75点
2023年2月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジェイソン・アイザックス マーサ・プリンプトン リード・バーニー アン・ダウド
監督:フラン・クランツ

日本は犯罪者だけではなく、その家族にも異様に厳しいが、犯罪大国アメリカはそのあたりどうなのか。本作は非常に緊迫感のある対話劇であった。

 

あらすじ

高校生による銃乱射事件が発生。多くの生徒が死亡し、犯人も図書室で自らを撃って死亡した。事件から数年後、被害者の息子の父ジェイ(ジェイソン・アイザックス)と母ゲイル(マーサ・プリンプトン)はセラピストの勧めにより、とある教会で加害者の父リチャード(リード・バーニー)と母リンダ(アン・ダウド)と出会い、対話を持つことに・・・

ポジティブ・サイド

4人の親たちの台詞のみが部屋に響く。そこに派手な効果音や観る側の情緒を揺さぶるようなBGMは一切ない。これにより、ドキュメンタリー的な作品とは一味違うリアリティのある作品に仕上がっている。カメラワークも、序盤はひたすら定点カメラからの映像で、ここはドキュメンタリー的に感じる。しかし、終盤からは手振れのあるカメラワークとなり、まるで観ている自分もその場にいるかのように感じさせられた。

 

肝心のストーリーはどうか。非常に珍しい。低予算映画ほど台詞だらけになりがちだが、本作は演じる役者たちが、言葉に魂を乗せている。愛する者を失った者の悲嘆や、理不尽な死に対する怒りなどが、観客に存分に伝わってくる。

 

本作の特徴として「見せない」ということが挙げられる。数々の写真のやりとりがなされるが、どれ一枚として映されることはない。また、悲惨極まりない銃乱射事件やその余波についても大いに語られるが、回想シーンも全くない。本作は観る側の想像力を信頼している。それは、そのまま「あなたが被害者の親になったとしたら?」、「あなたが加害者の親になったとしたら?」という問いにつながっている。

 

この被害者の両親と加害者の両親が出会い、言葉を交わすことの意味とは何か。ここで対峙する彼ら彼女らの言葉について語るのは無粋だろう。なので、ちょっと違う角度から。本作の原題は Mass である。これは日本語で「ミサ」の意。Jovianは一応、国際基督教大学で宗教学(といってもキリスト教ではなく古代東洋思想史だったが)を専攻していたし、先輩後輩同級生にはキリスト者がたくさんいたし、そんな学生やOYRと呼ばれる留学生たちとミサに出たこともある。ミサとはめちゃくちゃ分かりやすく言うと、人間関係の完成である。

 

キリスト教の教えの一つに「汝の敵を愛せ」というものがある(余談だが、国際基督教大学から割りと近い府中市には「酒は人類の敵である。汝の敵を愛せ」という看板を掲げた酒屋があった)。もちろん、劇中で誰かが Love your enemies などと言うわけではない。しかし、舞台が教会でタイトルが「ミサ」ということは、本作が提示するひとつの結論は融和であると言える。馴染みのある人は多くないかもしれないが、本作を鑑賞する際はキリスト教的価値観を少しだけ意識してみてほしい。

 

ネガティブ・サイド

オチが弱いというか、アメリカ人的な死生観というか人生観というか、そういったものは結局『 ウインド・リバー 』で開陳されたものと何一つ変わらない。結局のところ、アメリカ人の精神に刻まれた陰影の濃さは、昔も今もあまり変わらないということなのだろう。

 

序盤のジェイとゲイルの車内の会話はカットしてよかった。同様に最後の最後にリンダによって語られるエピソードも不要であると感じた。見せないことで想像させる手法を貫いたのだから、語らないことで想像させる手法も貫くべきだった。

 

総評

非常にユニークな作品。ひたすら語りで進んでいくが、その言葉の一つひとつが非常に重い。まるで舞台劇を観ているかのように感じられる。日本をはじめとする東洋では、個人の罪によって三族皆殺しがありうる。過激極まりない考え方だが、この思想は現代にも残っている。高畑淳子がとっくに成人した息子の犯罪でコテンパンに叩かれたのは記憶に新しい。家族が犯罪加害者になってしまった、あるいは犯罪被害者になってしまった時、自分は何に、どのように向き合うべきなのか。それを示唆する、非常に現代的な作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in hindsight

「今にして思えば」、「後から思い起こしてみると」のような意味。ほぼ同じ意味の表現として in retrospect もあるが、こちらの方が少しフォーマルな印象がある。英語中級者なら知っておきたい表現。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 エゴイスト 』
『 銀平町シネマブルース 』
『 シャイロックの子供たち 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, アン・ダウド, サスペンス, ジェイソン・アイザックス, ヒューマンドラマ, マーサ・プリンプトン, リード・バーニー, 監督:フラン・クランツ, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 対峙 』 -緊迫の対話劇-

『 ヒトラーのための虐殺会議 』 -淡々と進む超高速会話劇-

Posted on 2023年1月29日2023年1月29日 by cool-jupiter

ヒトラーのための虐殺会議 70点
2023年1月29日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:フィリップ・ホフマイヤー ヨハネス・アルマイヤー
監督:マッティ・ゲショネック


トレイラーを観て、面白そうだと感じたのでチケット購入。

あらすじ

時は1942年、ベルリンのヴァンゼー湖畔の邸宅にナチス親衛隊と各省の事務次官が集められ、ユダヤ人の絶滅を効率的に進めていくための会議が持たれた。議長のラインハルト・ハイドリヒ(フィリップ・ホフマイヤー)は、右腕のアドルフ・アイヒマン(ヨハネス・アルマイヤー)と共に、利害対立を調停していき・・・

ポジティブ・サイド

『 シン・ゴジラ 』も真っ青の超高速会話劇である。どのようにプロジェクトを進行させていくのかを各々が自分の立場から語っていくという意味では『 決算!忠臣蔵 』に近いとも感じた。ただし、怪獣対策や主君の仇討とは違い、ヴァンゼー会議で話し合われたのはジェノサイド計画。わずか十数名が90分でこの計画について話し合い、実務家レベルでの協議は続けていくとしたものの、大筋で合意してしまうのだから、戦時下という非常時とはいえ、当時のドイツがいかに狂っていたのかがよく分かる。

 

同時に、なぜ当時のドイツがヨーロッパをあっという間に蹂躙できたのかも見えてくる。恐ろしいまでに勤勉なのだ。わき道にそれるが、Jovianは大学時代にドイツ人留学生二人と寮で共に暮らした経験がある。そこで「『 今度、同盟組む時はイタリア抜きにしようぜ 』っていうジャーマン・ジョークがあるって聞いたけど、本当?」と尋ねたことがある。答えは「え、それはジャパニーズ・ジョークじゃないのか?」だった。一時期、日本人サッカー選手で海外で活躍するのは皆、ブンデスリーガ所属だったが、ドイツ人も日本人もとにかく勤勉なのだ。イタリア人と一緒に暮らしたことはないが、イタリア旅行に行ったことがある多くの知人友人から聞くところによると、勤勉な民族ではなさそうだ。

 

閑話休題。議長を務めるハイドリヒを会社の事業統括本部長とするなら、その最側近のアイヒマンは営業部長あたりか。この二人が実質的に取り仕切る会議に、各省や各方面軍の幹部が自らの権益を主張し、あるいは自らの負担減を主張する。丁々発止のやりとりで、ある時はハイドリヒが個別に話をし、またある時はアイスマンが冷静にデータとエビデンスを提示する。ビジネスプランを話し合っているのならお手本にしたくなるような映画だが、議題はあくまでもジェノサイド計画。

 

内務省次官のシュトゥッカートが強硬にユダヤ人疎開計画に反対するので、「あれ?」と感じたが、彼の出してきた対案に戦慄させられた。その直後、別室でハイドリヒとシュトゥッカートが二人だけで話すシーンでは、互いの家族について軽く談笑する。よくそんな話題を出して、しかも笑顔になれるなと背筋が寒くなった。もう一人、人道的な観点からの懸念を述べるクリツィンガーにも唖然とさせられる。人道的って、そっちの意味かよ・・・

 

本作はエンタメとしての要素を徹底的に削ぎ落している。BGMも音響も無し。凝ったカメラワークも一切なし。普通なら、書記役としてその場にいた若い女性の視点で会議を眺めるショットをいくつも入れそうなものだが、そんなものは一切なし。普通の人間の普通の視点からだけカメラを回すことで、作為性を一切排除した歴史ドキュメンタリー的な作品に仕上がった。無音のエンドクレジットを観て、虚無感が胸に去来した。

ネガティブ・サイド

おそらく議事録通りなのだろうが、会議出席者の自己紹介が欲しかった。一人だけというのはちょっと分かりにくい。まあ、本作はわざわざ鑑賞する向きは近代ドイツ史にまあまあ詳しい、あるいは関心があるという層のはずだが、ライトな鑑賞者もいるはずである。

 

『 RRR 』のように、エンドロールでヴァンゼー会議出席者たちの写真を映し出すぐらいしてもよかったのではないか。

 

総評

想像でしかないが、本作で描かれたのと同じような会議が2021年11月から2022年1月ぐらいにかけて、クレムリンのどこかで行われていたのではないか。自国の暗部を映画化することにかけては韓国が抜きん出ているが、その闇の濃さにかけては本作が突き抜けている。こんな主義および体制の国家と日本は同盟を結んでいたわけだが、ドイツにはヴァイツゼッカー大統領がその後に現れたが、本邦にはまだそのような為政者は現れていない。そのことをどう感じるべきかは、観る側の良識に委ねられている。

 

Jovian先生のワンポイント独語レッスン

interessant

発音はインテレサント、意味は「面白い」。英語の interesting にあたる。作中で Danke = ダンケと同じくらい聞こえてきたように思う。Jovianもたまにドイツ人と英語で話す時、アンドではなくウントと言うことがある。interessant も相槌か何かで使ってみようと思う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 エンドロールの続き 』
『 イニシェリン島の精霊 』
『 グッドバイ、バッドマガジンズ 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ドイツ, フィリップ・ホフマイヤー, ヨハネス・アルマイヤー, 歴史, 監督:マッティ・ゲショネック, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ヒトラーのための虐殺会議 』 -淡々と進む超高速会話劇-

『 ブレイン・ゲーム 』 -色々な要素を詰め込みすぎ-

Posted on 2023年1月4日 by cool-jupiter

ブレイン・ゲーム 50点
2023年1月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジェフリー・ディーン・モーガン アンソニー・ホプキンス アビー・コーニッシュ コリン・ファレル
監督:アルフォンソ・ポヤート

2018年にシネ・リーブル梅田で公開していたのを覚えている。何故かこのタイミングで近所のTSUTAYAで準新作扱いだったので、クーポンを使って割引料金でレンタルしてきた。

 

あらすじ

謎の連続殺人事件を捜査するFBIのジョー(ジェフリー・ディーン・モーガン)とキャサリン(アビー・コーニッシュ)は、予知能力を持つ医師クランシー(アンソニー・ホプキンス)に助力を求める。しかし、捜査を進めるにつれて、クランシーは犯人が自分を上回る予知能力の持ち主であると気付き、捜査から降りると言い出す・・・

 

ポジティブ・サイド

序盤のいくつかの謎めいた殺人事件の現場はなかなかの迫力。異様な死に様を見せる被害者の数々に、『 セブン 』や、アンソニー・ホプキンスつながりで言えば『 羊たちの沈黙 』のような猟奇殺人事件映画の傑作の予感が漂う。カウルズ捜査官も、どことなくスターリング捜査官の雰囲気をたたえている。序盤の捜査開始シーンから真犯人のコリン・ファレル登場シーンまでは結構面白い。

 

コリン・ファレルの狂信的なまでのサイコパス殺人鬼の演技も堂に入っている。アンソニー・ホプキンスを鼻で笑うような演技はなかなかできない。『 AVA / エヴァ 』でも感じたが、この役者は老人とバトルを繰り広げるのが似合うのかもしれない。その超絶的な予知能力を物語る、とある録画映像の演出も地味ながら素晴らしい。

 

原題の Solace は慰めの意。本作のテーマに mercy killing =安楽死がある。ペインコントロールの上手く行かない末期癌患者は時に「殺してくれ」と叫ぶこともある。その瞬間の苦しみから解放するには死は最も確実かつ手っ取り早い手段だろう。『 いのちの停車場 』や『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』が扱ったトピックでもあるが、本作はさらに一歩踏み込んで、苦痛を感じ始める前に殺すという、屈折した思想を持った犯人像を作り上げた。この安楽死を単なる殺人と切って捨てるのか、それとも救いや慰めの一手段と見るのか。この部分について、ある意味で非常に剣呑な誘いをもって本作は閉じられる。この幕の閉じ方はなんとなく『 CURE キュア 』を思わせてくれた。

 

ネガティブ・サイド

ホプキンスやファレルの持つ超能力の正体がよく分からない。予知能力も物や人に手を触れて発動する場合と、不意に発動する場合がある。さらに、劇中でもたびたびフラッシュバックのように挿入されるビジョンには予知と過去視の両方があって、かなりややこしい。しかも、その能力の発動タイミングもかなり(製作者にとって)恣意的に思える。能力発動の条件があいまいなままストーリーが進むので、どうしてもご都合主義に見えてしまう。カーチェイスの最中および直後などはその最たる例だ。

 

真犯人=ファレルの存在は、あらすじどころかポスタービジュアルやDVDのカバーで明かされてしまっているが、この男の登場がとにかく遅い。1時間40分のストーリーのうち1時間ぐらい過ぎたあたりで登場してくるというのは、脚本のペース配分ミス、あるいは編集ミスだろう。あまりにバランスが悪すぎる。

 

キャスティングも、別にアンソニー・ホプキンスを起用する必要はなかったのでは?まあ、彼自身が製作総指揮に名を連ねているので、それはできない相談か。しかし、それでもクランシー博士とその娘がどうみてもお祖父ちゃんと孫にしか見えないし、妻とも相当な年齢の開きがあるように見えた。60歳ちょっとの別の役者を起用できなかったのか。役者としてのホプキンスは否定しないが『 羊たちの沈黙 』の二番煎じを狙うのは無理。ストーリーそのものは悪くないのだから、自分よりも若い役者を起用し、超知性かつ超能力の犯人を、友情と経験で追い詰めるような素直な物語にしてほしかった。

 

総評

序盤から中盤にかけての面白さは文句なし。ただし、いったんコリン・ファレルが現れてからは「なんじゃ、そりゃ・・・」という展開のオンパレード。超能力対決というのは『 スキャナーズ 』の昔から陸続と生み出されてきたが、本作はその中でも凡庸な部類に入る。ヒューマンドラマのパートにもっと力を入れるか、あるいは犯人と刑事&博士の対決にもっと尺を取れば、もう少し面白さも増したはず。アンソニー・ホプキンスのファンなら鑑賞もありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

precognition

 

予知の意。『 マイノリティ・リポート 』好きならプリコグという言葉を覚えているはず。あれは precognition の派生語、precognitives の省略形だ。cognition というのは取っ付きにくい語だが、この元のラテン語の cognosco は、同じ意味のギリシャ語 gnosis に由来する。gnosis は知識という意味で、ニュースアプリの「グノシー」の社名はまず間違いなくここから来ている。また、診断=diagnosis というのも、gnosis を含んでいる。身体診察や問診を通じて(dia = through)病気を「知る」ということである。

次に劇場鑑賞したい映画

『 夜、鳥たちが啼く 』
『 死を告げる女 』
『 ホイットニー・ヒューストン  I WANNA DANCE WITH SOMEBODY 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アビー・コーニッシュ, アメリカ, アンソニー・ホプキンス, コリン・ファレル, サスペンス, ジェフリー・ディーン・モーガン, 監督:アルフォンソ・ポヤート, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 ブレイン・ゲーム 』 -色々な要素を詰め込みすぎ-

『 ナイト・ウォッチャー 』 -ドンデン返しが少し弱い-

Posted on 2023年1月3日 by cool-jupiter

ナイト・ウォッチャー 60点
2023年1月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:タイ・シェリダン アナ・デ・アルマス ジョン・レグイザモ ヘレン・ハント
監督:マイケル・クリストファー

新年一発目は近所のTSUTAYAの準新作コーナーから、『 ザ・メニュー 』のジョン・レグイザモ出演作の本作を pick out 。

 

あらすじ

アスペルガー症候群持ちのバート(タイ・シェリダン)は、ホテル受付の夜間シフトで働いている。彼は秘密裡に客室を盗撮し、人間同士のやりとりから普通のコミュニケーションを学んでいた。ある夜、ホテルで殺人事件が発生。バートのカメラに犯人とその犯行が映っていたが、彼はそれを警察に知らせることができず、逆に第一発見者として警察にマークされてしまう。系列の別ホテルに異動となったバートは、懲りずに盗撮を行うが、そこに謎めいた美女のアンドレア(アナ・デ・アルマス)が客として訪れ・・・

 

ポジティブ・サイド

タイ・シェリダンがアスペルガー役を好演。合わない視線、過剰な答え、あるいは質問に対する返答拒否ともいえる応答、相手の気持ちや会話の流れをぶった切る発話など、まさに言葉の正しい意味でのコミュ障である。客室を盗撮・盗聴して、そこでのやりとりから普通の人のコミュニケーションを研究するというのだから、まさに他人の気持ちが理解できていない。この主人公に感情移入するのはなかなか難しいが、母親やホテルの経営者が良き理解者になってくれているので、観ている側は一定の距離でバートを見守ることができる。

 

序盤の終わり、アナ・デ・アルマス演じるアンドレアの登場からシチュエーションが一気に動く。コミュ障であるバートがいかにしてこの美女と距離を縮めていくのか。このプロセスが、アスペルガーだけではなく、広くコミュ障全般、いや、ある程度青臭い男性全般に当てはまるような描き方をされているので、観ている側(特に男性)はここで一気にバートを応援したくなる。この流れの絶妙さは、是非とも鑑賞の上で確認を!

 

殺人事件の第一発見者であるバートを第一容疑者として追う刑事が、厳しさと優しさを併せ持っていて、彼の存在もバートの難しいパーソナリティをオーディエンスが理解することを助けている。観ている我々はバートが犯人ではないことを知っていて、しかしバートはそのことを刑事には伝えられず、なおかつ刑事はバートを追わざるを得ないという、観ている側がキャラに感じるジレンマと、キャラがキャラに対して感じるジレンマが複雑に入り組んだプロットは本当にもどかしい。それが観る側をストーリーに引き付ける。最後に「え?」と思わせる展開も待っており、低予算映画としては満足のいくクオリティのサスペンスに仕上がっている。

 

ネガティブ・サイド

バートがどういうきっかけで盗撮・盗聴からコミュニケーションを勉強しようと思い立ったのかが分からない。『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーがテレビをザッピングしながら色々なセリフを吸収していくのと同じようなシーンが少し挿入されていれば、バートなりのアスペルガーのコーピングがどういうものなのか理解しやすくなったのだが。

 

アンドレアが語るアスペルガーの弟の話は必要だっただろうか。アスペルガーが転帰して死に至ることは普通はない。こうした一種の障がいを描く映画は、必ずしもその障がいをユニークかつポジティブなものとして描く必要はないが、だからと言って誤った情報、あるいは誤解を与えかねないような描写は慎むべきではないだろうか。

 

最後のドンデン返しがちょっと弱いと感じる。というよりも、やはりアンドレアの弟の話を抜きにクライマックスを構成すべきだったと思う。相手がアスペルガーであろうと普通人であろうと、態度を変えないのがアンドレアの長所であるべきではなかったか。

 

総評

90分と非常にコンパクトな作品で、サスペンス風味でありながら、最後にミステリの様相も帯びる作品。ドンデン返しに少々不可解さも残るが、バートという青年の一種のビルドゥングスロマンだと思えば、納得いくクオリティだと言える。アナ・デ・アルマスのヌードも拝めるので、スケベ映画ファンはそれを目当てに視聴するのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

die from ~

~が原因で死ぬ、の意。

die of 直接的な死因

die from 間接的な死因

と覚えよう。普通は die of cancer =ガンで死亡する、のように of を使うが、劇中では die from love =愛で死ぬ、のように使われていた。

次に劇場鑑賞したい映画

『 夜、鳥たちが啼く 』
『 死を告げる女 』
『 ホイットニー・ヒューストン  I WANNA DANCE WITH SOMEBODY 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アナ・デ・アルマス, アメリカ, サスペンス, ジョン・レグイザモ, タイ・シェリダン, ヘレン・ハント, 監督:マイケル・クリストファー, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 ナイト・ウォッチャー 』 -ドンデン返しが少し弱い-

『 母性 』 -トレーラーを観るなかれ-

Posted on 2022年12月9日 by cool-jupiter

母性 50点
2022年12月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:戸田恵梨香 永野芽郁 高畑淳子 大地真央 中村ゆり
監督:廣木隆一

湊かなえ原作ということでチケット購入。原作は未読だが、おそらく脚本家および監督が小説の良さを少しスポイルしてしまったと思われる。トレーラーも misleading すぎる。

 

あらすじ

箱入り娘のルミ子(戸田恵梨香)は、絵描きを趣味にする鉄工所務めの田所と結婚する。娘の清佳(永野芽郁)を授かり、幸せな家庭を築いていた。ルミ子は母からの教え通りに清佳に惜しみなく愛情を注いでいく。しかし、清佳が祖母、つまり自分の母の愛情を受けることにルミ子は内心で激しく嫉妬していて・・・

ポジティブ・サイド

観始めた瞬間から、よく分からない違和感を覚えた。看護師や助産師が戴帽しているシーンを見て「いつの話だ?」と感じた。また、ルミ子の家の電話が固定電話。さらに新居の家のテレビがブラウン管のテレビ。この時点で、これは昭和の物語なのだ、と確信できた。この時点で俄然興味が湧いてきた。Jovianも一応昭和生まれなわけで、アメリカ人の同世代の demographic が1980年代をノスタルジックに思っているように、我々世代も昭和を懐かしむのである。

 

本作がオーディエンスに感じ取ってほしいと思っている点は、タイトルにもなっている母性である。母と女性の違いは何か。それは、母は子どもを産んでいるということ。女は弱し、されは母は強しと言われるが、母性も行き過ぎると鬼子母神になってしまう。我が子は可愛いが、他人の子はどうでもいいということになってしまう。ある意味でその究極形が『 母なる証明 』だった。我が子への愛が狂気の暴走を見せる大傑作だ。その一方で、邦画も『 MOTEHR マザー 』を近年送り出してきている。我が子を愛さず、我が子に自分を愛させるという母親にフォーカスした怪作である。本作はどちらの系譜に属するのか。そのどちらにも属さない。

 

母の愛を一身に受けたルミ子が、自分が母になることでその愛を我が子に向ける・・・ようにならない。逆に、自らが母であるにもかかわらず、敢えて娘であり続けようとするルミ子の姿は異様に映る。戸田恵梨香は長澤まさみに近いレベルの演技を見せたと言える。

 

しかし、本作のタイトルにある母性を最も強烈に体現したのは、ルミ子の母親を演じた大地真央とルミ子の義母を演じた高畑淳子ではないだろうか。命をつなぐこと、その素晴らしさ、それを喜べること。そうした心を持ち、娘も孫も愛する大地真央。対照的に、息子の嫁をいびり倒す義母。この妖怪女優二人が同じ画面に出てくることはないのだが、明らかに二人は演技バトルをしている。この両者の演技対決だけでも鑑賞の価値がある。

 

母性とはことほどさように、女を優しくもするし、また醜くもする。ルミ子と清佳の築く関係の真実は何なのか。「母であること」と「母であろうとすること」は同じものなのか、異なるものなのか。愛憎入り混じる母娘の関係は母性を育むのか、それとも阻害するのか。普通に考えれば愛は母性を育みそうだが、ルミ子と実母の関係はそうではない。一方で、ルミ子と義母の関係は最終的には非常に興味深い形に発展する。そこから考えられるルミ子と清佳の関係、さらにその先をどう想像するべきなのか。本作が我々に問うのはそこである。

 

ネガティブ・サイド

永野芽郁の力不足が顕著だった。『 マイ・ブロークン・マリコ 』で少し殻を破った感があったが、女の友情を体現することはできても、母の愛と憎しみを一身に受け止める役は演じきれなかったという印象を強く受けた。まだ女子校生あるいはOL止まりなのかな。箱入り娘のまま母親になってしまった戸田恵梨香に完全に食われてしまっていた。いや、テーマは母性であって娘性ではないので、抑えた、控え目な演技をしていたと捉えることもできる。であれば、トレーラーで母と娘の対立を煽るべきではない。これは宣伝・広告のマズさが本編の面白さを減じてしまった悪しき例だろう。

 

そもそも予告編は本作をミステリとして売っていたのではなかったか。「母の証言を信じないでください」、「娘の証言を信じないでください」という、立場によって事象の見え方、捉え方が違うというところが本作の肝と言えるほど大きくなかった。というか、女子高生が首を吊ったという事件を冒頭で映しておきながら、同時に教員として働いている永野芽郁を映してしまっては、ミステリとしての面白さ=女子高生は永野芽郁なのか、何が彼女を自死に追い込んだのかという疑問への興味がしぼんでしまう。トレーラーから普通に考えれば、死んだ女子高生は永野芽郁の同級生もしくはクラスメイトだろう。冒頭でいきなり「それは違います」と言われても・・・

 

母性にフォーカスするなら、夫の浮気やら何やらはばっさりカットしてもよかった。あるいは夫の浮気を「男の甲斐性」だと擁護する義母像をもっと強く打ち出すべきだった。2022年は昭和でいえば97年。完全に大昔だ。または甲斐甲斐しく義母を介護するルミ子だが、遺産は一銭も入らないということをもっと強調して、現在は血縁がなくても介護者に遺産が入るような法的根拠が整備されたという情報をサラリと挿入することもできたはず。母性というテーマをルミ子というキャラクター周辺に限定して描くことで、本当に現代に訴えるべきテーマがぼやけてしまったと感じる。

 

総評

トレーラーから『 白ゆき姫殺人事件 』のようなものを想像していたが、これが全然違った。予告編と本編が違うのは別に構わない。ただ、ミステリ要素を前面に出しておきながら、この作りでは納得できるものも納得できない。物語そのものも面白さやインパクトに欠ける。男性と女性で受け取り方が大きく異なる作品だと思うが、Jovian妻もあまり感銘は受けなかったようだ。もしもチケットを購入するのなら、高畑淳子や大地真央といった大ベテランの演技を堪能することに集中されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Women are weak, but mothers are strong.

女は弱し、されど母は強しの意。出典はビクトル・ユーゴーの『 ああ無情 』らしいが、読んだのが大昔過ぎて覚えていない。シンプルだが、女も母も複数形にするのがポイント。そういえば数年前にバズった動画がある。ミステリではないが、ドンデン返しなら本作よりこちらの動画の方がインパクトは上だろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 グリーン・ナイト 』
『 MEN 同じ顔の男たち 』
『 ホワイト・ノイズ 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, ミステリ, 中村ゆり, 大地真央, 戸田恵梨香, 日本, 永野芽郁, 監督:廣木隆一, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高畑淳子Leave a Comment on 『 母性 』 -トレーラーを観るなかれ-

『 ザリガニの鳴くところ 』 -異色のミステリ+法廷サスペンス-

Posted on 2022年11月30日 by cool-jupiter

ザリガニの鳴くところ 70点
2022年11月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:デイジー・エドガー=ジョーンズ テイラー・ジョン・スミス ハリス・ディキンソン デビッド・ストラザーン
監督:オリヴィア・ニューマン

タイトルだけで観たくなる映画、タイトルだけで読みたくなる書籍というのがたまにある。本作はそんな一本。なかなかの秀作だった。

 

あらすじ

1960年代のノースカロライナ。チェイス(ハリス・ディキンソン)という青年が死亡した。事件の容疑者として、地元で湿地の少女と呼ばれ、疎外されているカイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)が逮捕される。弁護士から引退していたミルトン(デビッド・ストラザーン)は彼女の弁護を申し出る。彼女は次第に自分の半生を語り始めるが・・・

ポジティブ・サイド

1950年代に幼少期を過ごしたカイアが、1960年代に成長し、いくつかの出会いと別れを経験し、そして殺人事件の容疑者として逮捕される。果たして真相は・・・というのが本作のプロット。本作の何がユニークかというと、まずカイアとその家族が湿地帯に暮らしていること。『 刑事ジョン・ブック 目撃者 』でアーミッシュの生活がこれでもかと映し出されたが、本作でも湿地帯での生活が活写される。『 ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男 』や『 ハリエット 』でも湿地帯は戦闘地域もしくは逃走経路として出てきたが、ここまで湿地にフォーカスした作品というのは他に思い当たらない。

 

その湿地の自然も、まさに wilderness と呼ぶにふさわしい。水辺の生き物や植物のありのままの姿をスクリーンに満たしてくれる。wilderness というのは何故か辞書では「荒野」と訳されるが、正しくは「人の手が加わっていない自然の領域」のこと。カイア一家が住んでいるので、厳密には wilderness ではないかもしれないが、アメリカの大地や河川の美しさや雄渾さを映し出してくれる作品としては『 ミナリ 』に近いものがある。 

 

しかし本作が最も独特なのは、1950~1960年代という人種差別の時代、そして公民権運動の時代の物語でありながら、疎外され、迫害されるのが白人の少女だという点である。その意味で、本作は差別の要因は肌の色や人種、国籍ではなく、共同体の内側に住む者か、共同体の外側に住む者かの違いに求める。これは非常に斬新だと言える。この内と外の対照性が、湿地の明るさと美しさと街の薄暗さと汚さという映像上のコントラストにもよく表れている。

 

カイアとテイトの出会いと淡い恋の発展、そして別れ。さらにカイアとチェイスの奇妙な関係は、優れた青春映画でもあるが、本作はれっきとしたミステリ。チェイスの死因は何なのか。そこにカイアは関わっているのか、いないのか。チェイスはある意味で韓国映画によく出てくるようなタイプの男性。平たく言えば暴力の予感を常に漂わせる男だ。そして、それはカイアの父を彷彿とさせる。一方のテイトは、カイアに読み書きを教え、セックスにも慎重な姿勢を見せる紳士。さらに現代の法廷シーンでは老弁護士のミルトンが、検事や証人たちの鋭い弁舌を巧みにかわし、時にはきれいなカウンターパンチも入れてみせる。観る側は否応なく、カイアを巡る人間関係と、チェイスの死の真相、そして裁判の行方に惹きつけられてしまう。そして訪れる結末・・・ これには心底びっくりした。『 真実の行方 』並みに驚かされた、というのは言い過ぎかもしれないが、それぐらいの衝撃を受けた。この後味は江戸川乱歩の『 陰獣 』を想起させる。いやはや、凄い作品である。

 

そうそう、本作でストラザーン以外はほぼ全員無名の役者だが、その中でも湿地で小売店を営む夫婦の演技力が素晴らしかった。『 ガルヴェストン 』で強烈なオーラを放っていたC・K・マクファーランドに並ぶ名脇役である。

 

ネガティブ・サイド

学校にも行けず、ホームスクールもされず、読み書きできず、ごくごく限られた人間関係しか持っていなかったカイアが、テイトとあっさり恋仲になったのは感心しない。小説だと、カイアの内面描写がたっぷりなされていたのだろうか。このあたりのカイアの心の動きをもっと感じ取らせるような描写が欲しかった。

 

あと、これはネガティブというよりは愚痴に近いが、本作のミステリとしての伏線の張り方はいささかアンフェアというか、一貫性の無さを感じた。湿地の風景、湿地の生き物や植物を、それこそカイアの視点のごとく丹念に映し出してきたのに、チェイスの死の真相のヒントを映像ではなく言葉で出してしまうとは・・・ まあ、これから鑑賞する人は、これを読んでも「何のこっちゃ?」だろうが。ここでいう言葉とは二通りの意味で・・・、おっと、これ以上は本当にネタバレになってしまう。

 

総評

なかなかの秀作である。ミステリ、サスペンス好きなら鑑賞しない手はない。そうしたジャンルに興味がなくても、一人の女性の自立の物語として鑑賞することもできる。ただ、暴力シーンや暴力的な性描写シーンもあるので、高校生や大学生のデートムービーには向かないので、そこは注意のこと。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

A is one thing. B is another.

AとBは別物だ、というよくある言い回し。劇中では Living in isolation was one thing. Living in fear was quite another. みたいに言われていた。

Listening to music is one thing. Playing music is another.
音楽を聴くのと音楽を演奏するのは全くの別物だ。

Watching movies is one thing. Making them is definitely another.
映画を観ることと映画を作ることというは、完全に別物だ。

のように使う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 サイレント・ナイト 』
『 母性 』
『 グリーン・ナイト 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, サスペンス, デイジー・エドガー=ジョーンズ, テイラー・ジョン・スミス, デビッド・ストラザーン, ハリス・ディキンソン, ミステリ, 監督:オリヴィア・ニューマン, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 ザリガニの鳴くところ 』 -異色のミステリ+法廷サスペンス-

『 アムステルダム 』 -ファシズムの萌芽を摘めるか-

Posted on 2022年10月30日 by cool-jupiter

アムステルダム 50点
2022年10月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリスチャン・ベイル ジョン・デビッド・ワシントン マーゴット・ロビー
監督:デビッド・O・ラッセル

アメリカ史の知られざる闇に迫る作品。戦争の時代に逆戻りしつつある現代、思いがけずタイムリーな作品になった。

 

あらすじ

1930年代のニューヨーク。復員兵のバート(クリスチャン・ベイル)とハロルド(ジョン・デビッド・ワシントン)は、軍時代の恩人の死の原因を調べてほしいという依頼を、その恩人の娘から受ける。しかし、その依頼人が殺害され、バートとハロルドが被疑者にされてしまう。二人は身の潔白を晴らそうと奔走するが・・・

ポジティブ・サイド

第一次世界大戦中のベルギーでのバートとハロルドにアメリカらしさ、そしてある意味での現代ロシアらしさも垣間見える。少数派をあからさまに差別し、排除する姿勢が見えるからだ。クリスチャン・ベイルが、本家デ・ニーロの前でデ・ニーロ・アプローチを披露。心身共にボロボロの平氏、復員兵かつ医師を渾身の演技で体現した。カリスマ性ではなく、普通の人間性の持ち主だからこそ、ハロルドや黒人兵士たちも彼と共に従軍できたことがよくよく伝わってくる。看護師であるヴァレリーとの出会いも極めて印象的。兵士の体から摘出した弾丸でアートを作るというのはユニークなのか、それとも戦争のもたらす狂気なのか。

 

彼らがアムステルダムで享受する自由と平和、そしてそこで育む友情が、その後のニューヨークでの不可解な殺人事件につながっているという筋立ては、まさに王道ミステリ的。となれば、ここから先は謎解きとなる。実際にハロルドとバートは様々な伝手をたどり、事件の調査を行い、有力者や協力者にあたっていく。このあたりは非常にテンポが良く、次々と新たな人物が現れ、その人物から新たな事実、新たな人間関係が明らかになっていく。

 

そしてたどり着いた殺人事件の真相。これに説得力を感じるかどうかは人それぞれだろうが、史実だというのなら受け入れるしかない。人間の欲は思想信条や平和な社会体制よりも優先されてしまう。100年近く前のアムステルダムで育まれた友情の意味を、今一度回顧すべき時期に我々は来ている。

ネガティブ・サイド

早い話が、アメリカを全体主義国家にして、戦争でバンバン儲けたいという企業経営者、富裕層による社会変革論を、主人公たちが期せずして暴いていくというストーリー。日本でも「不景気だから、そろそろ戦争でも起こってもらわないと」と発言した経団連参加者がいたと報道されたこともあったが、そういうストーリーだ。なので、一定のリアリティはある。問題は、その目的達成のために取るべき手段があまりにも回りくどいことだ。軍人を担ぐよりも、政治家を担ぐ方が確実だと思うが。また、バートやハロルドを指して「お前たちは常に監視下にある、いつでも殺せる」と脅しておきながら、そうした脅威を実際に感じさせるシーンもわずかしかない。陰謀史観論者から見たもう一方の陰謀史観論的に見えてしまう。あまりにもご都合主義的だ。

 

豪華キャストをそろえた割りにはケミストリーが生まれていない。アニャ・テイラー=ジョイとマーゴット・ロビーの二人には演技対決と呼べるようなシーンはなかったし、いぶし銀のマイケル・シャノン(この人が出ている作品はハズレが少ない)とベイル、ワシントンのコンビの間に何らかの連帯感が生まれるような展開もなかった。シーンとシーンの移り変わりのテンポの良さのために豪華俳優陣を無駄使いしている。

 

総評

『 アメリカン・ハッスル 』同様に、荒唐無稽なプロットにリアリティを与えるデビッド・O・ラッセル監督の持ち味が出ている。ただし、あくまでロシアによるウクライナ侵攻や、中国の習指導体制の強化など、ファシズムの萌芽を世界が目撃しつつある瞬間が味方したことも忘れてはならない。今作は悪があまりにも間抜けすぎて、最後は fizzle out してしまった。ただ、序盤から中盤にかけての展開はミステリアスかつスリリング。キャストも非常に豪華なので、楽しむこと(だけ)はできる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

wear it well

作中で、ラミ・マレック演じる富豪トム・ヴォーズの言葉。これは直訳すると「それを上手に着ている=着ているものが似合っている」ということだが、もう一つ、「性格や境遇が合っているという意味もある。Rod Stewart がそのものズバリ  “You wear it well” という歌を歌っている。その中で、And I wear it well. = 俺にはそういうのがお似合いなんだよ、という歌詞があるので、興味のある人は聴いてみよう。 

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 天間荘の三姉妹 』
『 王立宇宙軍 オネアミスの翼 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, クリスチャン・ベール, サスペンス, ジョン・デビッド・ワシントン, マーゴット・ロビー, ミステリ, 歴史, 監督:デビッド・O・ラッセル, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アムステルダム 』 -ファシズムの萌芽を摘めるか-

『 グッド・ナース 』 -医療とは何かを問う-

Posted on 2022年10月26日 by cool-jupiter

グッド・ナース 65点
2022年10月22日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:ジェシカ・チャステイン エディ・レッドメイン
監督:トビアス・リンホルム

傑作の誉れ高い『 アナザーラウンド 』の脚本を手掛けたトビアス・リンホルムの監督作品。主演に『 女神の見えざる手 』のジェシカ・チャステインということでチケット購入。

あらすじ

シングルマザーの看護師エイミー(ジェシカ・チャステイン)は心臓病を抱えていたが、健康保険に加入できるまで、まだ数か月の勤務を要していた。そんな時、ベテラン看護師チャーリー(エディ・レッドメイン)がやってくる。二人は意気投合し、チャーリーはエイミーを公私で支えていく。しかし、チャーリーの着任以来、病院では患者の不審死が相次いで・・・

ポジティブ・サイド

dark cinematography が冴える。普通、薄暗い画面というものはあまり歓迎されないが、物語全体を貫く疑念が、本作では暗さという形で全編にわたって視覚的に表現される。夜勤のシーンが多く、当然のように病棟は消灯されている。このことが不自然な暗さへの違和感を緩和している。

 

ジェシカ・チャステインはアクション映画に出演するよりも、サスペンスやヒューマンドラマ方面にもっと出るべき。看護師としての演技は堂に入ったもの。注射前にシリンジをコンコンとやるのは、まさに看護師あるある。最初の心臓発作の際は、患者の体位変換の只中で、急性腰痛症、いわゆるギックリ腰の発症かと勘違いした。2000年代初頭はアメリカでも体圧分散マットはまだ普及していなかったか。様々なシーンでジェシカ・チャステインの見せる多くの所作や立ち居振る舞いは看護師をよくよく研究していて、実にリアルだった。まさに good nurse 。 

 

対するエディ・レッドメインのベテラン看護師ぶりにも説得力があった。死亡した老女の体を丁寧に清拭する様には真面目な職業人で、死者の尊厳を守ろうとする人間らしさも感じられた。エイミーと友情を紡ぎ、エイミーの娘たちにも positive male figure として接する姿は、こちらもまさに good nurse 。しかし、病棟で患者の不審死が続くようになってから、徐々に観客の疑念が大きくなってくる。

 

警察の介入、そして病院の不可解な対応・・・というよりもあからさまな隠蔽工作に慄然とする。警察の捜査にこっそりと協力するエイミーだが、ここでは病院どころか市議会議員や検察までもが事件に対してみて見ぬふり。アメリカの警察が悪というのはお定まりであるが、これはフィクションではなく実話。このあたりから、エイミーとチャーリーの友情に一気にサスペンス要素が盛り込まれてくる。徐々にあらわになるチャーリーの過去、そしてチャーリー自身が語る元妻や子どもとの関係についても、観る側はエイミー同様にますます疑心暗鬼になってくる。

 

エイミーとチャーリーの最後の面会のピーンと張りつめた緊張感は素晴らしい。これ見よがしなBGMもわざとらしいカメラワークもなく、二人の役者の演技合戦に委ねた感じがした。実際、チャーリーの犯行の動機が不明である以上、下手な味付けは不要だろう。脚本家が変に出しゃばらなかったことも奏功している。最後に明かされる事実については衝撃的の一語に尽きる。アメリカのヘルスケア・システムの歪さはある程度知っていたが、ここまでだったとは・・・。まさに事実は小説よりも奇なり。

 

ネガティブ・サイド

エイミーの心筋症は物語を重くするファクターであり、彼女がチャーリーに頼るようになる重要な契機でもある。その病気がドラマ作りにあまり寄与していない。チャーリーへの疑惑が深まるか、というタイミングで心臓の発作が・・・ 娘たちに対しても親身に接してくれるチャーリーを疑うとは何事かという葛藤が・・・のようなシーンがあってもよかったのではないか。

 

チャーリーが取り調べ室でぽつぽつと語り始めるシーンは少し陳腐に感じた。そこに至るまでの過程がこれ以上ないほどにスリリングだったので、ここで拍子抜けしてしまうのは作劇上、誠に惜しいと言わざるを得ない。

 

ほんの少しだけ医学的な知識が必要になるが、最小限の説明すらなし。日本の映画やドラマのように何もかもを台詞で説明するのもどうかと思うが、まったく説明がないのもやや不親切か。

 

総評

これが実話というのだから恐れ入る。エンディングで明かされる数字には震えあがるしかない。近年、エッセンシャル・ワーカーとして看護師という職業への認知がアップデートされているが、元より看護は医行為を含み、医行為は侵襲を伴うものが多い。今も現役看護師であるJovian母は、よく胸骨圧迫で患者さんの肋骨を折っていた(本人談)。

J「それでどうやったん?」
母「アカンかったわ」

みたいな会話は普通だった。チャーリーのような bad nurse を擁護するつもりは毛頭ないが、人間にダメージを与える行為への看護師の心理的閾値が低いのは間違いない。ではどうすればよいのか?その答えが本作である。看護師はペアで働かせるべし。一人でなにもかもさせてはならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

At the end of the day

その日の終わりに、という意味ではない。これは「結局は」、「最終的には」、「つまるところ」のような意味。劇中では

At the end of the day, we are here for you.
結局のところ、我々は皆さんの味方です。

のように使われていた。結論や重要な点を述べる前に、At the end of the day と言うようにしてみよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 秘密の森の、その向こう 』
『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 アムステルダム 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, サスペンス, ジェシカ・チャステイン, 伝記, 監督:トビアス・リンホルム, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 グッド・ナース 』 -医療とは何かを問う-

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