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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:KADOKAWA

『 滑走路 』 -過去と向き合い、現在から未来に飛び立つ-

Posted on 2020年12月13日 by cool-jupiter
『 滑走路 』 -過去と向き合い、現在から未来に飛び立つ-

滑走路 75点
2020年12月9日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:水川あさみ 浅香航大 寄川歌太
監督:大庭功睦

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ずっと気になっていた作品。ようやく時間が取れたので劇場鑑賞。非正規やいじめの問題以上に、生きづらさを抱える全ての現代人に贈られた物語であると感じられた。

 

あらすじ

厚生労働省の若手官僚・鷹野(浅香航大)は、過酷な労働から不眠に悩まされていた。ある時、自分と同い年で自死を選んだ男性の背景を探ることになる。切り絵作家の翠(水川あさみ)は作家としてのキャリア、そして優柔不断な夫との関係について考え始めていく。中学2年生の学級委員長は、親友をいじめから救ったところ、自分がいじめの標的にされてしまう。三者三様の物語は、実は相互に関わっていて・・・

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ポジティブ・サイド

本作には大きな仕掛けがある。鑑賞してすぐに、こいつとこいつは同一人物の過去と現在の姿だなとピンと来たが、まさか3人の物語がそれぞれ3つの異なる時間軸で描かれているとは思わなかった。そんじょそこらのミステリ作品の真相よりも、こちらの方に驚かされた。これは脚本の勝利であろう(と我が目の不明を誤魔化しておく)。

 

キャラクターの描写も真に迫っている。霞が関の官僚の離職者数がわずか数年で激増したと報道されたのは記憶に新しい。いまだに大量の書類をプリントアウトし、ファイリングして仕事をしている様に、政府がこの国の頭脳および実務処理能力のトップレベルにある人間たちをいかに無駄遣いしているのか、慨嘆させられる。それでも健気に職務に励み、そして責任感および正義感ゆえに、自死を選んだ非正規雇用労働者の背景を探っていく。そうした官僚としての姿、および個人としての生き様を、浅香航大は実に印象的に描き出した。

 

水川あさみ演じる切り絵作家の姿にも現代社会の在りようが色濃く反映されている。DINKSという点でJovianは勝手に嫁さんを投影してこのキャラクターを見つめていたが、わが身につまされるような視線というか、夫婦関係の機微がいくつも見て取れた。もちろん、お互いを理解し合い、支え合う姿も描かれているが、ほんのわずかなすれ違いがどうしようもない歪みにつながっていく様は、この上なくリアルに感じた。特に、ある大きな決断を下した理由を夫に告げるシーンは、凡百のホラー以上の恐怖を世の男性諸氏に与えることだろう。『 喜劇 愛妻物語 』とは一味も二味も異なる妻を水川あさみは見事に体現した。

 

学級委員長のいじめ、シングルマザー家庭、同級生の女子との淡いロマンス、親友との関係の崩壊、そのすべてにリアリティがあった。いじめの何が辛いかというと、身体的・精神的に苦痛を負わされること以上に、苦しんでいる自分を自分で認めたくない、自分の親しい人に自分の苦しみを知ってほしくないと思うところだろう。耐えていれば何とかなる、自分には耐えられると思ってしまう。それが陥穽になる。Jovianはちょうど氷河期世代の真っただ中で、ちょうどリーマンショックの時期に最初の転職を決めた時に内定取り消しを食らったこともある、世の理不尽というものをそれなりに体験して感じるのは、「自分で自分を責めてはならない」ということである。同時に、自分で自分を責める者は、他人を責めることのない優しくて思いやりのある人間である。そのようにも感じるのである。

 

鷹野が追う若者の死の真相は明かされない。釈然としない思いもある一方で、それでいいではないかとも感じる。なぜ死を選んだのかではなく、なぜ自分には生きる理由があるのか。それをあらためて問い直すことになるからだ。

 

随所に、どこからともなく現れ、どこへともなく飛び去っていく飛行機が描かれる。生きるというのは、飛ぶことと似ているのかもしれない。知らない間に我々はこの世に産み落とされるわけだが、生まれたからには生まれた理由がある。飛んでいるからには、どこかに滑走路がある。あるいはどこかに着陸する。そんな風に物語を見つめていた。エンドロールの最後に歌人・萩原慎一郎の一節の詩が映し出される。そうか、自分は萩原の目線とは異なる目線で本作を見つめていたのかと感じた。けれど、それはそれでいい。自分は自分なりに生きている。素直にそのように思えた。これは異色の良作である。

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ネガティブ・サイド

鷹野が自死した青年について調べ始める動機が弱い。自分と同い年であるという以外に、写真やプロフィールを見て、何か引っかかるものがある、あるいは胸騒ぎを覚えたというシーンが欲しかった。顔写真をPCで拡大して、その瞳を覗き込んで、思わずのけぞるという描写は、被写体の目にその写真を撮影した人物が映っていて、その撮影者に驚いたように見えてしまった。

 

エンディングの曲も悪くなかったが、Jovianの脳内では勝手に『 翼をください 』を再生していた。もし『 翼をください 』を主題歌にしていたら、『 風立ちぬ 』と『 ひこうき雲 』並みにハマっていただろうにと無責任に想像させてもらう。

 

そのエンディングで、「登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません」というテロップには苦笑させられた。鷹野が務める厚生労働省はフィクションではないだろう。

 

総評

現代的でありながら普遍的なメッセージを持っている。生きづらさを感じることは誰にでもあるはずだが、その正体をこれほど回りくどく描いた作品はなかなか思いつかない。特に歌集にインスピレーションを得たという点で、脚本家の桑村さや香の翻案力は素晴らしい。生きるとは、この瞬間まで生きてきた生を引き受けることだ。賢明なる諸兄に今さらアドバイスするまでもないが、妻やパートナーに「○○はどうしたいの?」と尋ねまくるのはやめようではないか。男は理解者であることが求められるが、中身が空っぽではダメなのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

move on

「前に進む」の意。物理的に前に進むだけではなく、過去を乗り越えて未来へ進むときにもよく使われる表現。“What happened happened. We have to move on.”=「起こってしまったものはしょうがない」のように使う。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 寄川歌太, 日本, 水川あさみ, 浅香航大, 監督:大庭功睦, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 滑走路 』 -過去と向き合い、現在から未来に飛び立つ-

『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

Posted on 2020年10月14日2022年9月16日 by cool-jupiter

望み 75点
2020年10月11日 MOVXあまがさきにて鑑賞
出演:堤真一 石田ゆり子 岡田武史 清原果耶
監督:堤幸彦

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『 十二人の死にたい子どもたち 』でも述べたが、堤幸彦監督は良作と駄作を一定周期で生み出してくる御仁である。本作は良作である。安心してチケットを買ってほしい。

 

あらすじ

規士(岡田武史)は怪我でサッカーを辞めてから、悪い連中と付き合うようになってしまったらしい。冬休みの終わり、ふらっと家を出た規士は、そのまま家に帰ってこなくなった。そして、規士の同級生が殺害されたとのニュースが。犯人は逃走中。そして、もう一人被害者がいるとの情報も。規士は加害者なのか、それとも被害者なのか・・・

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ポジティブ・サイド

これは『 ひとよ 』に勝るとも劣らない良作である。母が殺人者だったら、そして母が殺したのが父だったら、残された家族はそれを赦せるのか、赦せないのかを『 ひとよ 』はドラマチックに描き切った。本作は、息子が殺人者なのか、それとも息子は殺害されてしまったのか、という究極のジレンマに引き裂かれる家族の姿を実にリアルに映し出した。

 

堤真一演じる父親は、息子が殺人者であってほしくはない、むしろ被害者であってほしいと願ってしまう。一方、石田ゆり子演じる母親は、息子が生きているのなら殺人犯であってくれて構わないと願っている。どちらかが正解であるとは言えない。息子が罪を犯していようがいまいが、自分の元に帰ってくれさえすればいい。そうした母親の狂気にも似た執念を我々は『 母なる証明 』に見た。石田ゆり子は世間を敵に回しても息子を愛する母親像を打ち出した点で、篠原涼子や吉田羊らの同世代から一歩抜け出したといえるかもしれない。

 

堤真一も魅せる。父親として、息子を信じているからこそ、殺人などありえない。そんなことをするわけがないし、できるはずもない。だから被害者の側だろうと考える。それは残酷と言えば残酷だが、息子を心から信頼しているとも言える。それも一つの愛情の形だろうし、そこに正誤も優劣もない。自宅前に押し掛けるマスコミに対しても真摯に対応するし、マスコミの誘導に引っかかって声を荒げてしまうのは、裏表のない人間性の表れである。

 

それにしても、本作に描かれるマスコミのウザさ加減よ。これは取りも直さず昨今の本邦のマスコミの低レベル化への痛烈かつストレートな批判だろう。報道とは面白可笑しく行うものではないし、取材とは物語を構築するために行うものではない。メディアは事実の確認(いわゆるファクト・チェック)をまず行うべきであって、都合の良い情報ばかりを提示して、視聴者を躍らせてはならないのだ。そう、一般人もある意味で同罪である。コロナ禍の最中にある今、自粛警察だとかマスク警察だとかが跋扈し、偏狭な正義感から他者を叩くことを是とする人間が増えた(というよりも可視化された、と言うべきか)。本作はそうした日本人の残念な習性を見事に先取りして映し出したと言える。他にも『 白ゆき姫殺人事件 』が描き出したSocial Mediaの中の無数の無責任な発言および発言者を、本歌取りするかの如く、より鮮やかに描き出した。我々は本来、無関係であるはずだが、そこであることないこと、好き勝手に書くことに慣れているし、そうした情報を受け取ることにも慣れ切っている。それがいかにグロテスクなことかを、監督や脚本家、原作者は糾弾している。

 

いやはや、最近の邦画では珍しいまでに人間の在り方を直截に描き出し、人間の心情をとことん抉り出した傑作である。

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ネガティブ・サイド

あまりに警察が無能すぎる。これはちょっとどうかと思う。警察をとことんコケにするのが様式美になっている韓国映画ではないのだ。普通なら、刃物の存在について父が証言しているのだから、その刃渡りや形状と遺体の刺し傷を照合する必要があるし、その刃物の購入経路や購入者についても調べるはずだ。なによりも、父親が「私が預かっている」と明言しているにせよ、その現物を確認するだろう。それに、行方不明届けを提出することに決めたのなら、規士の部屋を一通り見て回って、行き先などの手がかりも探すだろう。生活安全課の元警察官のJovian義父が本作を観てどう思うか。

 

本作のラストの余韻も少々疑問である。『 ウインド・リバー 』のように、現実を拒絶するのではなく現実を受け入れたからこその結末なのだろうが、それにしても以下白字自転車の数が3台から2台に減るのは、さすがに物分かりが良すぎでは?

 

ラストの俯瞰のショットも芸がない。監督自身の作風なのかもしれないが『 人魚の眠る家 』と瓜二つではないか。このような家族がこの世界にはきっとたくさんあるのだと言いたいようだが、ワンパターンなショットは頂けない。

 

総評

多少の弱点はあるものの、2020年の邦画では、まず白眉である。俳優陣の演技も堂に入っているし、音楽も情感をかき立てる。なによりも現代社会を撃つメッセージを強烈に放っている。我々自身をこの家族に置き換えて観ることもできるし、この家族を取り巻く関係者として観ることも、そして無責任な傍観者として観ることも可能である。いずれの見方であっても、本作はとても深く力強い印象を残すことだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

common sense

「常識」の意。しばしばhave common sense = 常識がある、use common sense = 常識を働かせる、という具合に使う。日本語の常識には「当たり前の知識」という意味があるが、こちらは「当たり前の感覚」というニュアンスである。劇中でとあるキャラクターが言う「常識ってもんをわきまえろ!」を試訳するなら、“Don’t you have any common sense?”(お前には常識がないのか?)になるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, 堤真一, 岡田武史, 日本, 清原果耶, 監督:堤幸彦, 石田ゆり子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

『 MOTHER マザー 』 -Like mother, like son-

Posted on 2020年7月14日 by cool-jupiter

MOTHER マザー 70点
2020年7月11日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:長澤まさみ 奥平大兼 阿部サダヲ 夏帆
監督:大森立嗣

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3歳娘を自宅に放置して脱水、そして餓死に至らしめたとして母親が逮捕される事件が世間を賑わせている。個人的にはどうでもいいことだ。そんな母親はどこの国や地域にも、いつの時代にもいる。そして、それは父親であっても祖父母であっても、血縁のある保護者であっても血縁のない保護者でも同じこと。にもかかわらず、なぜ我々は母親という存在に殊更に「子を愛せ」と命じるのか。本作を鑑賞して、個人的に何となくその答えを得たような気がしている。

 

あらすじ

秋子(長澤まさみ)は仕事も続かず、男にもだらしのないシングルマザー。息子の周平を虐待的に溺愛しながら、周囲に金を無心して生きている。そんな時に、秋子はとあるホストとの出会いから家を空けて・・・

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ポジティブ・サイド

長澤まさみのこれまでのイメージをことごとく破壊するような強烈な役柄である。年齢的に少々厳しい(若すぎる)のではないかというのは杞憂だった。日本の女優というのは、キャンキャンと甲高い声を出すことはできても、怒鳴り声の迫力はイマイチというのが定例だったが、長澤まさみはその面でも非常にドスの利いた声を出せていた。また、息子の横っ面をまさにひっぱたく場面があるが、これがロングのワンカットの一部。自身の顔のしわを気にしながら、口答えする息子に一発お見舞いし、また何事もなかったかのようにコンパクトを覗き込みながら顔のしわを気にする様子には震えてしまった。

 

全編にわたってロングのワンカットが多用されており、それが目撃者としての自分=観客にもその場の展開への没入感を高めている。冒頭の秋子の家族の大ゲンカや、阿部サダヲとのラブホの一室での取っ組み合いの大ゲンカなどはその好例である。物を投げたり、あるいはベッドシーツが乱れたりするので、テイクを重ねるのはなかなかに大変だっただろう。一発勝負で撮ったにせよ、複数回のテイクから良いものを選んだにせよ、こうした絵作りに妥協しない姿勢は高く評価されてしかるべきだ。昨今の邦画の演技力の低下を見ると、尚のことそう感じる。

 

周平役の奥平大兼の演技もなかなか良かった。自分で考えたのか、それとも監督の演出・演技指導なのか、まともな教育やしつけを受けてこないままに大きくなったという感じがありありと出ていた。その最も印象的なシーンは、夏帆演じる市役所職員に喫茶店に連れていかれるシーン。周平の箸の持ち方がめちゃくちゃなのである。幼稚園児の頃から、箸の持ち方を誰にも教わってこなかったことが容易に察せられる。事実、小児の周平がカップラーメンもお湯でもどさず、固い乾麺のままバリボリと手で持って食べるシーンが序盤にある。青年期と小児期の周平はあまり似ていないのだが、それでも同一人物なのだということが、この橋の持ち方ひとつで強く印象付けられた。

 

本作は鑑賞する人間の多くを不快にさせる。それは徹頭徹尾、秋子を救いのない人物として描いているからだ。だがそれ以上に、我々が無意識のうちに抱く「母」という存在のイメージ、もっと言えば固定観念が本作によって揺さぶられるのも、不快感の理由に挙げられはしないだろうか。これが例えば父親なら『 幼な子われらに生まれ 』のクドカンのようなキャラなら、「まあ、そういうクズはたまに見るかな」ぐらいの感覚を抱かないだろうか。育メンなる言葉が生まれ、一時期はもてはやされたが、「育メンと呼ぶな、父親と呼べ」という強烈かつ当たり前すぎるツッコミによって、この新語はあっさりと消えていった。対照的に母にまつわる言葉や概念のあれやこれやには、「母性」、「母性愛」、「聖母」、「慈母」、「母は強し」、「母なる大地」、「母なる海」、「母なる星」、「母なる故郷」など、往々にして愛、包容力、受容、癒し、庇護などのイメージと不可分である。それが高じると「母源病」などという、非科学的かつ差別的な言葉や概念が生まれる。だが、そうした母に対する迫害的な意識は我々には希薄なようだ。今でも書店に行けば、子育てや受験、果ては就職や結婚に至るまで、この人生の節目における成功と失敗の多くを、母親の功績あるいは責任であると説く書物は山と存在する。それは我々が母親に愛されたいという願望を隠しきれていないからだろう。ちょっとしたボクシングファンならば、本作を観て亀田親子をすぐに思い浮かべたはずだ。亀田三兄弟の母親がパチンコ屋でインタビューを受けながら「自分の子のボクシングの試合は見ない」と答えていた番組を見たことのある人もいるだろう。ちょっとリサーチすればわかることだが、亀田三兄弟の母も秋子ほどではないが、母親失格(という表現を敢えて使う)の部類の人間である。だが、そんな母に対しても長男・興毅は「お母さん、俺を産んでくれてありがとう」と疑惑のリング上で吠えた。はたから見れば、自分を愛してくれない育ててくれない母親に、である。また次男・大毅は内藤大助戦で父親に反則を教唆され、それを忠実に実行した。のみならず、マスコミからの「父親からの指示ですか?」という質問に対して「違います、僕の指示です」という珍回答を行った。どこからどう見ても真っ黒な父を、それでも健気にかばったのである。秋子と周平の関係を歪だと断じるのはたやすい。だが、そんな親子関係はありえない、極めてまれなケースだと主張するのは、実は難しい。『 万引き家族 』によって揺さぶられた日本の家族関係・親子関係は、本作によってもう一段下のレベルで揺さぶられている。このメッセージをどう受け取るのかは個々人による。だが、受け取らないという選択肢はないと個人的には思っている。多くの人によって見られるべき作品である。

 

ネガティブ・サイド

長澤まさみは確かに体を張ったが、いくつかのラブシーン(?)には、はなはだ疑問が残る演出がされている。たとえばラブホテルの一室での仲野大賀との絡み。ベッドの上でゴロンゴロンしているだけで、長澤まさみが上を脱ぐのを嫌がったのだろうか。大森監督は『 光 』で橋本マナミを脱がせた(とはいっても、乳首は完全防御だったが)実績があるので、期待していたが・・・ いや、長澤の裸が見たいのではなく、迫真の演技が見たいのである。『 モテキ 』では谷間を見せて、胸も一応軽く触らせていたのだから、それ以上の演出があってもよかったはずだ。やっぱり長澤まさみの裸が見たいだけなのか・・・

 

真面目に論評すると、『 “隠れビッチ”やってました 』の主人公ひろみと同じく、本当にアブナイ男、それこそ『 チェイサー 』の犯人のような男に出会わなかったのは何故なのか。その男癖の悪さから、本当にやばい相手だけは見抜ける眼力、もしくは女の勘のような描写が一瞬だけでも欲しかった。

 

メイクにリアリティがなかった。あんな生活でこんな肌や髪の質は保てないだろうというシーンがいくつもあった。このあたりは取材やリサーチの不足、もしくはメイクアップアーティストの意識の欠如か。最終的には監督の責任だが。

 

これは個人差があるだろうが、BGMが映像や物語と合っていない。特にクライマックス前の神社のシーンのBGMはノイズに感じられた。全体的に音楽や効果音が使われていないため、余計にそう感じられた。ただし、このあたりの感性は個人差が大きい。

 

少々残念だったのは、ラストか。以下、白字。呆然自失の長澤まさみを映し続けるが、その表情が崩れる瞬間を見たかった。それも、泣き出すのか、それとも笑い出すのか、その判別がつかない一瞬を捉えて暗転、エンドロールへ・・・という演出は模索できなかったか。『 殺人の追憶 』のラストのソン・ガンホの負の感情がないまぜになった表情。『 ゴールド/金塊の行方 』のラストのマシュー・マコノヒーの意味深な笑顔。こうした表情を長澤まさみから引き出してほしかった。

 

総評

こうした映画はテアトル梅田やシネ・リーブル梅田のようなミニシアターで公開されるものだった。だが、長澤まさみという当代随一の女優を起用することで全国的に公開されるに至った。多少の弱点がある作品ではあるが、それを上回るパワーとメッセージを持っている。母の愛、母への愛。自分と母との距離を見つめなおす契機にもなる作品だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bring up

「育てる」の意。直訳すれば「持ち上げる」となるように、小さな子どもの背丈がぐんぐん伸びる手伝いをしてやるイメージで、「体が大きくなるまで育てる」のような意味である。名詞のupbringingには「養育」、「生い立ち」、「しつけ」のような意味があり、やはり幼少から成人に至る時期ぐらいまでを指して使われることが多い。劇中で秋子が叫ぶ「私が育てたんだよ!」は、“I brought him up!”となるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 夏帆, 奥平大兼, 日本, 監督:大森立嗣, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズ, 長澤まさみ, 阿部サダヲLeave a Comment on 『 MOTHER マザー 』 -Like mother, like son-

『 悪女 AKUJO 』 -遊園地のアトラクション的アクションの数々を体験せよ-

Posted on 2020年4月19日 by cool-jupiter

悪女 AKUJO 80点
2020年4月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・オクビン
監督:チョン・ビョンギル

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劇場公開当時、心斎橋シネマートに行こう行こうと思いつつも、スルーしてしまった作品。近所のTSUTAYAでやっと準新作から旧作扱いに。満を持してレンタル。うーむ、韓国映画界では良い意味で頭のおかしい才能が育つのだなと感心してしまった。

 

あらすじ

スクヒ(キム・オクビン)は、殺し屋として自分を育てたジュンサンを愛し、結婚する。だが、そのジュンサンが敵対組織に暗殺されてしまう。復讐の鬼と化したスクヒは、敵アジトに乗り込み、数十人を皆殺しにする。逮捕されたスクヒは、その戦闘力から国家情報機関の手先として10年間働くことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の1分間はまるでFPS(first person shooter)のゲームである。ゲームセンターにあるゾンビを撃ち殺しまくるアレである。次の1分間は一人称視点での『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』で冴羽獠がジェロム・レ・バンナらを相手に大乱闘を繰り広げたシーンの屋内版である。そこからナイフバトルが1分間。逆手でナイフを使うのは『 96時間 』へのオマージュか。そして徒手空拳バトルが1分間。ブラック・ウィドウ的な黒のタイトスーツで、鉄棒を使ったジャッキー・チェン的アクションを彷彿させる。オープニングの掴みのシークエンスとしては、近年では『 ベイビー・ドライバー 』に次ぐものであったように感じた。

 

その他のアクションも楽しい。『 ニキータ 』や『 ジョン・ウィック 』的な、スタンディングのガン・アクションに、どこからどう見ても『 キル・ビル 』へのオマージュとしか思えない花嫁姿での銃撃。本作には古さと新しさが同居している。

 

個人的に最も面白いと感じたのは、高速走行バイクでの日本刀バトル。特に数台のバイクがカメラを一気に追い越したところを180度パンした瞬間に、視点がバイクと同じ高速移動に移行するシーンは、まさに観る者に疾走感を味わわせてくれる。そして漫画としか思えないような走行中のバイク同士のチャンバラ劇。最近リメイクが発売されたゲーム『 ファイナルファンタジーⅦ 』のバイクバトルを思い出させてくれた。日本刀を前輪ホイールに突き刺してバイクを止めるのは『 デッドプール 』へのオマージュか。そうそう、バイクのシーンではないが『 アトミック・ブロンド 』的なロープ・アクションもあった。

 

最終盤には邦画『 初恋 』がアニメーションでお茶を濁してしまったクルマの大ジャンプを敢行。そして、小説『 ブラック・プリンス 』に漫画『 シティーハンター 』、映画『 スター・ウォーズ 』が何度も繰り返し描いてきた師弟対決、そして親子対決(厳密には本作は夫婦対決だが、エンタメで分類すれば親子対決だろう)。ボンネットからクルマを運転するという狂気のカーチェイスからバス車内に飛び込んでの大乱闘は、手に汗握るを超えて笑うしかない仕上がり。『 オールド・ボーイ 』のチェ・ミンシクが金づちなら、本作のキム・オクビンは手斧。『 The Witch 魔女 』のジャユンに並ぶ韓流女性ダークヒーローの誕生である。『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』で、Birds of preyに入れてもらえるだろう。いや、逆に喧嘩になって皆殺しにしてしまうかもしれない。ハリウッドあたりが『 ジョン・ウィック 』ならぬ『 ジェーン・ウィック 』みたいなパロディを作ってくれないから。

 

ネガティブ・サイド

アクションはどれもこれも秀逸だが、同じ女性工作員との木刀バトルのシーンだけがイマイチだった。もっと尺を長く取るか、あるいは額から流血ではなく、腕や足に内出血させるような、観ているこちらが痛みをリアルに想像してしまうような演出が欲しかった。木刀とは、流血させるというよりも、打撃でダメージを与える武器だろう。

 

女衒としての諜報活動を見破られるシーンで、妙な血しぶきのかかり方があった。目の前で向かい合っている仲間が後ろから首を切られたのに、その返り血が正面にいるスクヒの顔にまともに当たっていたが、これはおかしい。仕込みの血袋からCG処理まで、韓国映画らしい血みどろの演出に凝っていたが、このシーンだけは決定的におかしいと感じた。

 

それにしても我々は『 ユージュアル・サスペクツ 』以来、足をひきずって歩く男を信じられなくなってしまった。邦画の『 愚行録 』しかり。このあたりはクリシェが過ぎたように思う。

 

ストーリーもあってないようなもの。古今東西、死ぬほど量産されてきた「死んだはずの奴が生きていた」と「出会ってはいけなかった二人」の物語のちゃんぽん。闘って何が解決するのか分からないが、闘わないことには何も解決しないというWWE的なノリで進んでいく。薄っぺらいのだ。しかし、孔子曰はく「備わらんことを一人に求むるなかれ」である。

 

総評 

日本でもリメイクすべし。スクヒは戸田恵梨香。クォン部長は真飛聖。ジュンサンは筧利夫。ヒョンスは大谷亮平。監督は、アイデア豊富な一点突破型の新人を思い切って抜擢すべし。上田慎一郎的な、一つのテイストに秀でた才能は日本にも眠っているはず。そうした在野の士を辛抱強く掘り起こしていくことが今後の邦画界に求められる。無難にまとまった作品はいらない。一芸に秀でたタレントを発掘し磨くべし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カジャ

軽く「さあ、行こう」みたいな場面でたびたび使われている。調べてみたら、やはりその通りの意味だった。言葉の意味はいきなり調べるのではなく、状況から類推する癖をつけておこう。語彙力=既知の言葉の量+未知の言葉の意味を推測する力、である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, キム・オクビン, 監督:チョン・ビョンギル, 配給会社:KADOKAWA, 韓国Leave a Comment on 『 悪女 AKUJO 』 -遊園地のアトラクション的アクションの数々を体験せよ-

『 いなくなれ、群青 』 -青春とは拘泥、成長とは妥協-

Posted on 2020年4月5日 by cool-jupiter

いなくなれ、群青 50点
2020年4月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:横浜流星 飯豊まりえ
監督:柳明菜

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これもたしか梅田ブルク7で公開されていたが、観に行けなかった作品。なかなかにartisticではあったが、cinematicではなかった。では、dramticだったか?うーむ・・・

 

あらすじ

七草(横浜流星)は気が付くと階段島にいた。この島にいる人たちは、なぜ自分がここにいるのか誰も知らない。島での生活に溶け込んだ七草は、しかし、幼馴染の真辺由宇(飯豊まりえ)と再会したことで、様々な人間模様が泡立ち始め・・・

 

ポジティブ・サイド

何というかPS2ゲーム『 ICO 』と『 CROSS†CHANNEL 〜To all people〜 』の一部の要素を抜き出してきて、足し合わせたような世界である。こうしたミステリアスな世界観は嫌いではない。魔女が支配する島、という響きも悪くない。古今東西、魔女は様々に再解釈され、そのたびに新しい世界観を生み出してきた。魔女は恐怖の対象であるだけではない、もはやない。『 魔女の宅急便 』しかり、変化球だがPSゲームの『ファイナルファンタジーVIII 』しかり。本作では明かされることのない魔女の正体だが、そこには支配者としての属性と庇護者としての属性、その両方が感じ取れる。こうした様々な解釈や考察の余地をほどよく残す作品で、賛否は分かれやすいだろうが、好きな人はとことん好きになれる世界観である。

 

本作のミステリアス、そしてファンタスティカル(fantasitical)な点を決定づけるものは、島の名前にもなっている“階段”である。もちろん、物理的な意味での階段ではなく、何かの象徴としての階段であることは明らかで、それが階段島にいる面々、特に真辺や七草ら高校生にとっては意義深いものであろう。我々はよく「●●への階段を上る」などと言ったりする。そして、階段島の階段を“一人で”上り切れた者はいないと言う。その意味するところは極めて明快である。

 

それは同時に、“群青”の象徴するものも明らかにしている。晴れ渡った空の色であり、文字通りの意味では“青”の“群れ”となる。終盤に空へと消えていく真辺由宇は、青春との決別の一つの形である。青春の終わりというのは、だいたいにおいて妥協なのだ。そして青春の始まりは、自意識の一部の極端な肥大化である。やたらと理屈っぽい奴、感情的な奴、逆に無関心・無感情な者など、何らかの特徴を自分で自分に与える過程とも言えるかもしれない。青春とは自己内対話の極まった形と定義してもよいのかもしれない。本作のキャラクターたちの、どこか誌的で、全体的に感情に欠ける対話の数々は、『 脳内ポイズンベリー 』と対比してみると面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

ドラマチックさに欠ける。それは間違いない。こういう作品は映画よりも、むしろ部隊演劇にすべきでは?と感じる。

 

飯豊まりえは演技力・表現力ともに今一つ。顔の表情だけで演技している。ふとした仕草もなく、声の出し方に工夫もない。原作に忠実なのかもしれないが、映画的とは言えない。同じことは横浜流星にも当てはまる。観念的・哲学的な対話をしばしば繰り広げるが、小説ならばそれでも良いし、舞台や野外円形劇場で上演するのなら、これも一つの演技・演出だろう。だが、どうにも映画的ではない。

 

映画は、何よりも視覚的に最も強く訴えてこなければダメだ。セリフでもってシーンを動かしていくなら、『 シン・ゴジラ 』や『 脳内ポイズンベリー 』のような超高速会話劇を志向するか、あるいは映像でもってセリフを補完するような演出を強めるべきだ。それが最も強く感じられるのは終盤およびエピローグ。無駄にだらだらと長い。ミステリアスなタイトルの「群青」の意味を思わせぶりなセリフとシーンで伝えようとするのではなく、群青の空を背景に一気に『 いなくなれ、群青 』というタイトルを映してしまえばよいのではないか。特に本作のような思弁的な作品は、説明してはならない。観る者の理性や知識ではなく、感性や直感に訴える方がはるかに効果的であると思われる。『 ここは退屈迎えに来て 』のような切れ味の鋭さは本作にこそ求められる。そうした方が余韻が残る。無意味に長いエピローグは完全に逆効果である。

 

原作の小説はシリーズ化されているようだが、続編の映画は作れないだろう。今でもキャストの年齢・容貌に無理があるのだから。

 

総評

映像化は成功している。海外や空の美しさを見事に捉えたショットが散りばめられている。また音楽も良い。特にピアノとバイオリンの合奏シーンは、近年の邦画では『 蜜蜂と遠雷 』のクライマックスの松岡茉優の演奏シーンに次ぐものであると感じた。一方で、ストーリーテリングは破綻している。いったんページを繰る手を止めて思考することができる小説と違い、否応なく場面が進んでいく映画なのだから、説明するのではなく、一発で理解できるような見せ方を追求すべきだった。これが原作未読者の感想である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Be gone, my blues.

『 いなくなれ、群青 』というタイトルおよび七草の台詞の試訳。解釈はそれこそ無数にあるが、字義通りの意味と象徴的な意味の両方を備えたblueを使ってみようと直感した。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ファンタジー, 日本, 横浜流星, 監督:柳明菜, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズ, 飯豊まりえLeave a Comment on 『 いなくなれ、群青 』 -青春とは拘泥、成長とは妥協-

『 ロマンスドール 』 -不器用夫婦の不器用物語-

Posted on 2020年3月1日2020年9月26日 by cool-jupiter

ロマンスドール 70点
2020年2月26日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:蒼井優 高橋一生
監督:タナダユキ

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劇場公開最終日の夜に駆け込んだ。平日の夜にもかかわらず、かなりの入り。席は7割がた埋まっていただろうか。意外というか予想通りというか夫婦やカップルが多かった。次に目立ったのは女性同士のペア、その次は女性のおひとり様。男性おひとり様は2名だったか。

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あらすじ

美大卒業後にフラフラしていた北村哲雄(高橋一生)はひょんなことからラブドール生産工場に就職する。新ドール作成の起爆剤として、本物の女性の胸を型に取ることになる。人工乳房作成のためと偽ってバイトを募集。そこにやって来た園子(蒼井優)にほれ込んでしまった哲雄は勢い余って即告白。やがて二人は結婚する。順風満帆に見えた結婚生活だが、哲雄は自分の本当の職業を園子になかなか告げられず・・・

 

ポジティブ・サイド

『 宮本から君へ 』でも感じたことだが、蒼井優にはオスの本能をくすぐる何かがある。本人はどうかは知りようもないが、演じている時の彼女からは常にそのような匂いが感じられる。それがフェロモンというものなのかもしれない。そうした匂いを無意識に分泌しつつも、屈託のない笑顔で社会貢献を語るギャップ。居酒屋での談義のシーンでは、その魅力のギャップに震えた。今、最も女盛りの女優だろう。

 

『 嘘を愛する女 』や『 九月の恋と出会うまで 』では、物語自体の弱さもあってか高橋一生がそれほど光らなかった。本作では対照的に男の人生のアップダウンを見事に好演。居間のテーブルに掛けて、夫婦で向き合い、真剣に話し合う様は、さながら日本版『 マリッジ・ストーリー 』である。定点カメラで撮影されたBGMも何もないシーンから、確かに圧を感じた。それは劇場内にいた他のカップルや夫婦も同じだっただろう。夫婦とは「なる」ものではなく、「あり続けようとする」ものなのだと、あらためて思い知らされた。

 

夫婦とは何か。哲学的な答えなら夫婦の数だけ出てくるだろうが、社会的に最も端的な定義(日本国内)はおそらくこれである。すなわち、「この人以外とはセックスしませんと公にできるパートナーを持つこと」である。だからこそ不貞が叩かれるのである。『 500ページの夢の束 』でも指摘したが、セックスは生殖行為以上に愛情表現である。とある老夫婦とペットのシークエンスは、それを迂遠に、しかし端的に表していた。ペットは我が子なのである。大多数のペットオーナーが飼い犬や飼い猫を指して「うちの子」と言うのはそういうことである。この老夫婦と哲雄と園子の夫婦のコントラストは非常に鮮やかだった。

 

仕事に打ち込み、仕事に逃避する哲雄像も良かった。職人というのは少々世間ずれしているものであるが、「仏作って魂入れず」とならないために、文字通りに一肌脱いだ園子に負けず、哲雄も一肌脱ぐ。このシーンから生じるパトスは男やもめの悲哀そのものである。不覚にもJovianも落涙しそうになった。タナダユキ監督は何という絵を作るのか。

 

ピエール瀧が本作では工場経営者として光っている。終盤で警察に逮捕されるシーンは、その絵のシュールさと現実とのリンク具合いに不覚にも笑ってしまった。実際にこういう艇的にしょっぴかれる仕事というのは存在する。こち亀で両津が部長に裏ビデオ屋の店長職を紹介していたのは一例である。風俗店の店長職などで求人があったら、こうしたポジションであるかもしれないと思った方が良いだろう。

 

閑話休題。蒼井優の脱ぎっぷりに期待してはいけない。やっぱり乳首は見せてくれない。けれど、それは大した問題ではない。色っぽい濡れ場が企図されているような作品ではない。セックスシーンは生きている証、愛情表現の手段の描写である。夫婦で観に行くべき作品と言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド

妻・園子の抱える秘密があまりにも陳腐である。できの悪い韓国ドラマのようである。というか、冒頭のシーンは必要だっただろうか。これのせいで、ストーリーによい意味での緊張感が生まれなかった。冒頭1分はカットすべきだった。

 

きたろう以外の職人たちとの仕事描写や対話の描写があれば尚よかったのにと思う。本作においてはラブドールに求められているのは、性欲処理の手助けではなく愛情の注ぐ対象となることである。男はしばしばクルマを愛車と呼んだり、飛行機を愛機と呼んだりする。つまり、ドールは相棒なのだ。相棒に何を求めるのか、それは男によって違う。そうした男同士の哲学をほんのちょっとでもぶつけ合う描写があれば、哲雄が究極のドールの制作に没頭していく様にもっとリアリティを与えられただろう。

 

細かい点では無精ひげのタイミングも気になった。生活においてセルフネグレクト状態になった時、キッチンの惨状とは対照的に顔面はきれいだった。『 わたしは光をにぎっている 』のラストにおける光石研のような容貌や状態にはできなかったか。元々生えていた無精ひげが、仕事にのめりこみ過ぎてどんどんと伸びてきたという描写の方が説得力があったように思う。

 

総評

彫刻ガラテアを作ったピュグマリオンの逆バージョン、それが哲雄である。夫婦関係、特に閨房のそれをこのような形で描くことは非常に示唆的である。「俺なら・・・なのに」とか「俺のところとは・・・が違うな」と思いながら鑑賞しても良し、「なんだこりゃ?」と困惑しながらも観るのも良し。「男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く」と言われる。哲雄の生き方から何かを感じ取れれば、蛆がわくことはないに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

To err is human.

正式には、“To err is human, to forgive divine.”である。「過つは人の性、許すは神の心」などと訳されることが多い。劇中できたろうが弟子たる哲雄に「間違うからな、人間ってのは」と語り掛けたセリフの私訳には、この格言を選びたい。Jovianがもしもこの格言を訳すのであれば、「失敗したっていいじゃないか、にんげんだもの」と相田みつを風に訳してみたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 監督:タナダユキ, 蒼井優, 配給会社:KADOKAWA, 高橋一生Leave a Comment on 『 ロマンスドール 』 -不器用夫婦の不器用物語-

『 スノーピアサー 』 -階級社会の打破と脱出-

Posted on 2020年2月14日2020年4月20日 by cool-jupiter

スノーピアサー 65点
2020年2月11日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:クリス・エヴァンス ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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『 パラサイト 半地下の家族 』がアカデミー賞を席捲したのには、びっくりした。確かに相当に面白い作品だと感じた(75点をつけた)が、自分としては大穴的に『 ジョーカー 』が作品賞まで獲ると勝手に思っていた。この快挙を祝福すべく、シネマート心斎橋へ。ここは韓国映画推しの劇場で、2019年11月か12月の時点でポン・ジュノ特集を決めていた。劇場支配人の慧眼、恐るべしである。

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あらすじ

地球温暖化を止めるために人類は大気中にCW-7という薬品を散布した。結果として、予想以上に気温が低下し、地表は氷に覆われた。人類はスノーピアサーと呼ばれる列車の中でかろうじて生き延びていた。その列車の前方には上流階級が住み、後方には下層社会が形成されていた。後方車両の住人カーティス(クリス・エヴァンス)は仲間と共に前方車両へ反旗を翻すが・・・

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ポジティブ・サイド

WOWOWで放映されていたのを観たことがあったので、二度目の鑑賞になる。アカデミー賞受賞監督の作品という先入観を持って鑑賞しているわけだが、なかなかに凝った作りであると感じる。

 

まず、絶滅寸前の人類が、地下や海底、あるいはスペース・ステーションなどではなく、列車に暮らしているというのが面白い。我々も日頃から電車には乗るわけだが、電車には優等列車や優等車両というものがある。新幹線のグリーン車に日常的に乗るという人は、決してマジョリティではあるまい。一般庶民にして勤め人である我々は、満員電車で押し合いへし合いしながら奇妙な連帯感を育む。そうした我々の生活の究極の延長線上にあるのが、スノーピアサーの世界である。何をどうしたって、クリス・エヴァンス演じるカーティスを応援したくなるではないか。

 

こうしたディストピアもので思い出されるのは『 ソイレント・グリーン 』である。人口が爆発した世界とは対照的に、こちらの世界では人口が数百のオーダーにまで減ってしまっているが、いずれにしても頭を悩ませるのは食糧生産と管理である。『 ソイレント・グリーン 』もなかなか衝撃的であったが、こちらもかなりショッキングである。だが、見方を変えれば非常にリアリティのある設定とも言える。昆虫食は人類の人口爆発を支えるポテンシャルを秘めているし、あるいは人口が極限的に減ってしまった時にも、手間が家畜ほどにはかからないとも考えられる。似たような極限状態を描いた作品には『 白鯨との闘い 』がある。どこまで行っても人間の本質は、Homo homini lupusなのかもしれない。

 

人類最後の砦となるものが塔だとか迷宮だとか地下の要塞であれば、爆破するなどの破壊的な強硬手段も考えられるが、半永久的に走り続ける列車なので、爆破してしまうと先頭車両に置いて行かれてしまう。なので、一車両ごとに律義に攻略していかねばならない。これも設定の妙である。その扉を一つ一つ開けていくソン・ガンホ演じるナムグン・ミンスが良い味を出している。これほど美味そうに、かつ気だるい感じで煙草を吸うのは、石原裕次郎ぐらいしか他には思いつかない。また、眼の奥にただならぬ力を感じさせる顔面の表現力はアジア随一であろう。

 

反乱は成功するのか。先頭車両には何が待ち受けているのか。『 Vフォー・ヴェンデッタ 』のジョン・ハートは、やはり正義を標榜した悪役が似合う。

 

本当は60点だが、ご祝儀で5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

スノーボール・アースとなってしまった説明はそれなりに納得がいくものの、何故スノーピアサーという列車が走っているのか。そもそも何故そんな列車の建造が計画され、世界を一周するような線路が敷設されたのか。そのあたりの説明が不足していた。ましてやスノーピアサーが運行を開始して、たった17年である。これが走り始めて100年も経っていたなら、もはや何故、どのようにしてスノーピアサーが走り始めたのかは歴史以前のこととして受け止められるが、17年というのはいかにも短い。このあたりはキャラクター同士の人間関係というものもあり、なかなか設定が難しかったのかもしれないが、何らかの説明が必要であるとは感じた。

 

COVID-19が収束を見ない状況だからかもしれないが、後方車両の人間たちはあの衛生状態では長く生きられないだろうと思われる。一度でも何らかの感染症がアウトブレイクしてしまえば一網打尽だろう。閉鎖環境であっても病人は発生するし、異所性感染のリスクも常に存在するのである。

 

後は仏像にこだわる日本人というのが面白くなかった。もちろん、日本は朝鮮半島を植民地にして多くの文物を奪っていったわけだが、グローバルな視点からジャパン・バッシングをしたいのなら、妙な精神世界を持っているという特徴よりも、徹底的な集団同調主義かつ日和見主義に描いた方が面白くなったはずである。

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総評

祝日ということを差し引いても、いつも以上の客の入りだった。シネマート心斎橋の席が8割以上埋まっているというのは初めて見たように思う。それだけアカデミー賞4冠のインパクトは大きいのだろう。本作も標準以上の面白さを備えた佳作であり、ポン・ジュノ監督の問題意識の萌芽が色濃く反映された痛烈な現実批判映画でもある。格差に対しては二通りの対処がある。1つには、格差を生む構造そのものをぶち壊すこと。もう1つには、自分が「持たざる者」から「持てる者」にとって代わること。本作の結末が示唆するのは何か。それは、レンタルや配信でお確かめ頂きたい。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How’s it hanging?

How is it hanging?とは言わない。必ずHow’s it hanging?という短縮形で使われる。Hello. や What’s up? と同じ意味で、よりカジュアルな言い方である。ほぼ男同士のしゃべりでしか使われない。その意味はこのフレーズを直訳してみた時に、itが何を指すかを考えてみれば分かるはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, SF, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, ソン・ガンホ, フランス, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 スノーピアサー 』 -階級社会の打破と脱出-

『 ティーンスピリット 』 -ドラマも音楽も盛り上がらない-

Posted on 2020年1月14日 by cool-jupiter

ティーンスピリット 20点
2020年1月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エル・ファニング
監督:マックス・ミンゲラ

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Jovianはエル・ファニングのファンである。しかし、それでも言わなければならない。これは駄作である。完全なる失敗作である。2020年は始まったばかりだが、海外クソ映画オブ・ザ・イヤー候補の最右翼であると言える。

 

あらすじ

ヴァイオレット(エル・ファニング)は英国に暮らす、歌手を夢見るポーランド系移民。ある時、“ティーンスピリット”の予選が地元で開催されることを知ったヴァイオレットは、オーディションに申し込みを行う・・・

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ポジティブ・サイド

オープニング直後にエル・ファニングが歌う“I was a fool”という歌は雰囲気があった。ストーリーの向かうところを暗示するEstablishing ShotならぬEstablishing Songだった。

 

またクライマックスの“Good Time”からのファニングの独唱そして熱唱は、『 ソラニン 』よりも上、『 リンダ リンダ リンダ 』に並ぶカタルシスをもたらしてくれた。

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ネガティブ・サイド 

Jovianが古い人間なのだろうか。今世紀の歌手の歌の数々にあまり魅了されなかった。『 アリー / スター誕生 』でも同じことを感じたが、音楽映画であるにもかかわらず、無条件に入っていける、ノセテくれる楽曲があまりにも少ないのは致命的である。そういう意味では『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』、『 イエスタデイ 』は秀逸だった。

 

また、このタイトルからは何をどうやってもNirvanaの“Smells Like Teen Spirit”を想起せずにはいられない。しかし、映画全体を通じてカート・コバーンのような「叛逆」や「打破」といった荒ぶるパワーは感じられなかった。もっと言えば、アイデンティティに悩む10代特有のドラマがない。敬虔なカトリックであるヴァイオレットの母親とヴァイオレット自身の距離感の描写が不足しているし、学校で特別に影が薄い存在として描かれているわけでもない。家庭や学校でヴァイオレットが疎外を感じる描写や演出があまりなく、ヴァイオレットが馬の世話と音楽に逃避することへの説得力が生まれていない。その馬が買われていく時にも、取り乱しはするものの、鬱になるでもなく、さりとて音楽の力で立ち直るでもない。オープニングで、ブルーアワーの牧草地で馬を世話しながらiPodの音楽に耽溺する様はいったい何だったのだろうか。

 

ヴラドというキャラクターの構築も中途半端だ。呼吸法のレクチャーには、亀の甲より年の功といった趣が感じられたが、それだけ。元プロのオペラ歌手として、精神論以外のアドバイスを送ることはできなかったのか。大手レーベルとの駆け引きでも、クロアチアで培った経験や業界の裏事情通であるところなどを披露し、ナイーブでいたいけなヴァイオレットを金の亡者の大人たちから守るのかと期待させて、それもなし。唯一褒められるのは、甘やかされてダメになりそうなクソガキをぶっ飛ばしたところだけ。

 

ヴァイオレットの成功があまりにトントン拍子で、彼女自身が抱えていた問題の描写も弱いことから、サクセス・ストーリーがサクセス・ストーリーに見えない。同じく音楽にフォーカスしていた『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』、『 イエスタデイ 』は、成功を掴めば掴むほどに、自身の抱える心の闇がより深まっていくことがはっきりと描写されていた。だからこそ、最後のステージでカタルシスが爆発した。ヴァイオレットは違う。元々抱えていたアイデンティティの問題や学校や家庭での疎外もいつの間にやら解消、というかそんなものは最初からなかったかのようである。

 

これにより、ヴァイオレットが自らの人生に欠いているpositive male figureとしてヴラドを受け入れるようになる、というプロットが空回りしている。ネックレスの件も同じである。実の父親を心のどこかで求めていながら、しかし、父親代わりの人物を実の父以上に慕うようになるという下地が描かれていない。ヴラドが母親に花束を贈っただけでは説得力など生まれない。それともお互いにポーランドとクロアチアからの移民で、同病相哀れむということなのだろうか。母子家庭であるヴァイオレットの家族と、ヴラドと自身の娘の関係の描写がとにかく薄くて浅くて弱い。この出来で、ヒューマンドラマで盛り上げれと言われても無理である。

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総評

エル・ファニングの熱烈ファン以外にはお勧めできない。というよりも、エル・ファニングの熱烈ファンにすらお勧めしづらい。単に彼女の体の線が露わになるタンクトップで髪を振り乱して踊り狂うところを見たいというファンぐらいしか堪能できない作品である。脚本および監督のマックス・ミンゲラの力量不足は明らかである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I get that a lot.

「よくそう言われる」の意味である。ヴラドに年齢を尋ねられ、ヴァイオレットは21歳だとサバを読む。そこでヴラドに「もっと若く見えるぞ」と言われ、“I get that a lot.”と返した。このthatは、

“Let’s go for a drink after work.”

“That sounds awesome.”

のように、一つ前の事柄全般を受ける代名詞のthatである。それをしょっちゅうgetする=「よくそう言われる」となる。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, アメリカ, イギリス, エル・ファニング, 監督:マックス・ミンゲラ, 配給会社:KADOKAWA, 音楽Leave a Comment on 『 ティーンスピリット 』 -ドラマも音楽も盛り上がらない-

『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』 -愚直で朴訥な男の伝記-

Posted on 2020年1月8日2020年1月8日 by cool-jupiter

シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 80点
2020年1月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ジャック・ガンブラン レティシア・カスタ
監督:ニルス・タベルニエ

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嫁さんが観たいと言ったのでチケットを買ったが、これが大当たり。本作は珠玉の biopic である。フェルディナン・シュヴァルは、フランス語辞書の「愚直」、「朴訥」といった語の説明用の挿絵に使われるような男だということが、本作を通じて実感を持って感じることができた。

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あらすじ

郵便配達人のF・シュヴァルは妻に先立たれ、息子も里子に出すことになってしまった。悲しみを押し殺し、黙々と職務に打ち込むシュヴァルは、未亡人のフィロメーヌと知り合い、再婚する。そしてアリスという娘を授かる。ある日、大きな石につまずき、山肌を滑落してしまったシュヴァルは、その石を掘り返し持ち帰った。それ以来、シュヴァルは石やセメントで自分の空想の中にある宮殿を作り始めて・・・

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ポジティブ・サイド

なんという壮大な物語なのだろうか。物語の舞台となるのはフランスの片田舎だが、劇中で流れる時間の長さ、そしてシュヴァルという男の人生に降りかかってくる試練の数々に、男泣きを禁じ得ない。

 

全編をほとんど実物の「理想宮」とその周辺地域を使って撮影されているという。そのためか、空や山々といった景観は、確かに19世紀末から20世紀初頭であるように感じられた。『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』でも感じたが、フランス南西部には素朴な自然が今でも残っているようである。日本には今でも各地に日本昔話級の田舎が残っているが、そうした場所を舞台にした素朴な物語がもっと生産されてほしいと心から願う。決して『 青夏 君に恋した30日 』のような物語を作ってはならない。もうすぐ大阪で公開予定の『 ハルカの陶 』には期待している。Jovianは岡山県備前市に縁があったのである。日本であれ、フランスであれ、自然豊かな地方には人工物がない。言い換えれば、曲線や色彩に満ちている。シュヴァルが建築や地質学の教育を受けた背景がないにも関わらず、巨大な宮殿を建造することができたのは、自然の造形から知らず知らず学んでいたからではないか。ちょうど『 風立ちぬ 』で堀越二郎が魚の骨の湾曲具合からインスピレーションを得たように。

 

ジャック・ガンブランは見事な演技で『 SANJU サンジュ 』のランビール・カプール以上に一人の男の“人生”を描き切った。言葉ではなく行動の男であるシュヴァルは、時にコミュニケーション障がい者に見えてしまう。しかし、意思疎通に多少の問題があるからと言って木石であるとは限らない。喜怒哀楽の表現がないからといって、喜怒哀楽を感じないわけではないのだ。そんな男が全身で悲しみを表現する様には胸を打たれた。そんな男が愛を伝えられなかったことを悔やむシーンには胸が潰れた。

 

このような朴念仁と出会い、愛し合い、添い遂げた女性をレティシア・カスタは好演した。シュヴァルがこねたパン生地をひょいとつまみ食いするフィロメーヌに愛おしさを感じない男がいるだろうか。さらに妊娠が分かった時の、体を横向きにしたシルエットとその時の誇らしげで嬉しそうな表情は、『 ふたりの女王 メアリーとエリザベス 』で、エリザベス女王が衣服をたくしあげて、自分の膨らんだお腹のシルエットを何とも言えない表情で眺めていたシーンと残酷なコントラストになっている。フランス映画の女性=脱ぐ、という誤った観念を抱いていたが、本作によって「さすがは芸術の国、フランスである」との思いを取り戻した。

 

終盤に写真を取るシーンがあるが、そのシーンでは秒間のコマ数を大幅に減らして、カクカクの動きを実現。20世紀初頭の雰囲気を生み出していた。

 

『 ショーシャンクの空に 』のアンディのような忍耐力と、『 マーウェン 』のマークの構想力と想像力を備えた、フランス版『 鉄道員(ぽっぽや) 』の伝記物語である。拝金主義に塗れた現代の職業人は、このシュヴァルという男の生きざまに思わず襟を正してしまうことだろう。伝記映画の傑作である。

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ネガティブ・サイド

妻フィロメーヌの老け具合が今一つである。シュヴァルのメイクアップには力を入れているのに、妻フィロメーヌのメイクアップに力を入れないのは何故なのか。もちろん、あの時代のあの地域の女性が化粧をしていたと思えない。だが、年齢相応に見せるためのメイクは化粧ではない。フィロメーヌに加齢メイクが施されていないことで、劇中でシュヴァルがばかりが年齢を重ねているように思えるシーンがあり、そこは不満だった。

 

映画そのものへのケチではないが、副題の【ある郵便配達員の夢】という部分は必要だろうか。シュヴァルが理想宮の建造に費やした時間の多くで、すでにシュヴァルは郵便配達員を引退していたはず。この副題は、まるで韓国ドラマ『 宮廷女官チャングムの誓い 』のようである。チャングムは女官時代より医女時代の方が遥かに長かった。本作もシンプルに『 シュヴァルの理想宮 』で良かったのでは?

 

総評

フランス産の小説は10~20代の頃に少し読んでいた。フランス産の映画、またはフランスやフランス人についての映画も今後はもっと観てみたいと感じるようになった。『 コレット 』のような、華々しい都を舞台にした話ではないが、片田舎の愚鈍で愚直な男の人生もこの上なくドラマチックになりうると証明してくれる作品である。フランス映画はヌードがお約束、というJovianの蒙昧と偏見を本作は打破してくれた。あらゆる世代にお勧めできる感動的な作品である。

 

Jovian先生のワンポイント仏語レッスン

Au revoir

無理やり発音をカタカナ化すれば「オルヴォワール」か。フランス語で「さようなら」の意である。冒頭の埋葬のシーンで牧師だか神父だかが「お別れを言いましょう」と言った時に聞こえてきた。フランスに旅行した時、あるいはフランス人と話す時に使ってみようではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, ジャック・ガンブラン, ヒューマンドラマ, フランス, レティシア・カスタ, 伝記, 監督:ニルス・タベルニエ, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』 -愚直で朴訥な男の伝記-

『 ぼくらの7日間戦争 』 -前作には及ばない続編-

Posted on 2019年12月31日2020年4月20日 by cool-jupiter

ぼくらの7日間戦争 50点
2019年12月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:宮沢りえ 北村匠海 芳根京子
監督:村野佑太

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『 ぼくらの七日間戦争 』の30年後を描いている。まるで『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』と『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のようである。だが、前作が持っていたスピリットは弱められてしまっていた。

 

あらすじ

鈴原守(北村匠海)は歴史好きの内向的な高校生。隣に住む千代野綾(芳根京子)に密かな恋心を抱いていた。夏休み直前、綾が突然引っ越しすることになる。そんな綾に守は逃避行を提案する。なんだかんだで一週間の家でキャンプを張ることになった綾は、他にもメンバーを集め、旧石炭採掘工場に集まり・・・

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ポジティブ・サイド

本作は「大人とは何か」という問いに一つの興味深い回答を提示している。これは、いわゆる就職氷河期やゆとり世代に対して当てはまることなのかもしれない。というのも、この世代のサラリーマン(正規であれ非正規であれ)は、平成を通り越して昭和の残り香が漂う職場で、新世代たちとしのぎを削っているからである。自分たちに決定権はない。全ては上に従うばかり。しかし、時代、そして次代の突き上げは確実に迫っており、どうすべきか途方に暮れている。そんな世代の悲哀が透けて見える。王道楽土に連れて行ってくれると信じられるような上の世代が存在しない。そんな作り手たちの思いと、そんな奴らはぶっ潰せという気概の両方が感じられる。これはアラフォーに向けてのエールである。

 

「戦争」という物騒な単語を使うことの意味も認められた。戦争とは、国と国の争いである。つまり、異なる民族の戦いである。そして日本ほど異物を排除する論理および仕組みが強烈に働く文化圏は少ない。とあるキャラクターを通して、本作は日本社会の均質性や人権意識の希薄さを撃つ。これは爽快である。『 国家が破産する日 』で描かれた韓国社会に押し付けられた性急な構造改革は、日本の20年先を行っていた。今、日本と韓国の政治・経済摩擦以外で何が起きているのか。ベトナム人移民労働者の奪い合いである。そして、今後確実に激化するのはフィリピン人花嫁の輸入(何という表現だろうか)である。本作は、北海道の片田舎を通して、確かに日本社会の縮図を描いた。これは褒められるべきであろう。

 

たいしたネタばれではないと判断して書いてしまうが、TM NETWORKの“Seven Days War”は良いタイミングでplaybackされるので期待してよい。

 

ネガティブ・サイド

アニメーション映画にそれほど造詣が深いわけでもなく、外国映画も基本的にすべて字幕派のJovianにとって、一部のキャラクター達の声がとにかくキャンキャンうるさかった。特に女子連中の、まるで何かに媚びるような甲高い声というのは、一体どういった層に訴える効果があるのだろうか。

 

中盤の対大人撃退作戦のテンポが良くない。『 ぼくらの七日間戦争 』は、荒唐無稽ではあるが、スピード感あるカメラワークと演出でそこを巧みにごまかした。本作では、肝心のアクションシーンがもっさりしてしまっている。致命的とは言わないまでも、面白さをマイナスしてしまっていることは否めない。

 

現代的なガジェットも効果的に使用されたとは言い難い。炭鉱から熱気球によって脱出というのは、確かに我々世代には『 ドラゴンクエストIV 導かれし者たち 』を思い起こさせるが、現実に実行したとしてもヘリコプターやドローンに追跡されてオシマイではないか。またはあれだけ目立つものであれば、警察その他のネットワークでいとも簡単に捕捉されてしまうはずだ。どうやって無事に逃げ切った?

 

『 ぼくらの七日間戦争 』にあった体制への不満という要素が消え、非常に私的な領域で物語が進むようになった。それはそれで良いのだが、あまりにも個々のキャラクターの背景描写が弱いために、クライマックスの展開がとってつけたような皮相なものにしか映らない。各キャラクターに、ある意味では現代的なメッセージを託してはいるが、それがどうにもご都合主義に見える。唯一、綾と荘馬というキャラに伏線が二つ張られていたのみで、他キャラの背景は完全に後出しジャンケンである。それではカタルシスは生まれない。少なくとも、すれっからしの中年映画ファンには。そして、中年映画ファンこそ、本作がアピールすべきデモグラフィックであるはずだ。本作が企画され、製作され、公開されたのは、Jovianの同世代がクリエイティブな現場での主力になってきたからであろう。であるならば、若年世代だけではなく、中年世代にも刺さるストーリーを志向すべきである。そしてそれは、日本社会に蔓延する“空気”を晴らすような物語であるべきだ。

 

総評

『 ぼくら 』シリーズの精神を現代に蘇らせているとは言い難い。それでも、ジュブナイル物として観れば、平均的な仕上がりになっている。逆に本作を鑑賞してから『 ぼくらの七日間戦争 』を観るというのもありだろう。昭和と令和の“空気”の違いを如実に感じ取れることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How long have you been in love?

劇中で守のチャット相手のジジババが「いつから懸想しておった?」と尋ねてきたときの台詞である。自分の高校生、大学生の教え子たちは「懸想=けそう」という日本語を知っているだろうかとあらぬことも考えた。be in loveで、「恋をしている」の意である。B’zも“I’m in love?”と歌っているし、『 ベイビー・ドライバー 』でもケビン・スペイシーが“I was in love once.”と語っていた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アドベンチャー, アニメ, 北村匠海, 宮沢りえ, 日本, 監督:村野佑太, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ぼくらの7日間戦争 』 -前作には及ばない続編-

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