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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:東宝

『 最後まで行く(2023) 』 -リメイク成功-

Posted on 2023年5月28日2023年5月28日 by cool-jupiter

最後まで行く(2023) 70点
2023年5月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:岡田准一 綾野剛
監督:藤井道人

同名韓国映画のリメイク。かなり見応えがあった。

 

あらすじ

年末の夜、刑事の工藤(岡田准一)は危篤の母のもとに駆けつける途中で、ひとりの男をはねてしまう。男の遺体をトランクに入れた工藤は、検問に引っかかってしまうが、偶然に居合わせた県警本部の監察官の矢崎(綾野剛)によって通過することができた。しかし、母の葬儀と死体の処理に頭を悩ます工藤のもとに、謎のメッセージが送られて・・・

 

ポジティブ・サイド

岡田准一は『 ヘルドッグス 』よりも、本作のようなちょっと間抜けな警察官がよく似合っていた。ヴィランたる綾野剛の演技は、その岡田を完全に喰ってしまうだけの迫力があった。スターが演じる悪役としては『 ミュージアム 』の妻夫木聡に次ぐものだと感じた。この二人のトップスターが、これでもかという泥臭く、そして血生臭いバトルを繰り広げる。

 

オリジナルの『 最後まで行く 』と異なり、優男風の綾野剛が突如として岡田准一をボコボコにするシーンから、一気にサスペンスとミステリが盛り上がっていく。同時に、監察官の矢崎のストーリーが展開され、オリジナルよりも遥かにダークな社会の裏面が現れてくる。日本の警察の腐敗っぷりは『 Winny 』がやや消化不良気味に描いてくれたが、本作の県警の腐りっぷりはいかにもザ・日本という感じ。クソ無能政治家のボンクラ息子が家系図をアピールして大炎上したが、日本の権力構造というのは、本作のような形でも維持・継承されているのか。こういうのは韓国ドラマでよく見る構図だが、藤井監督の抱く問題意識の表れとみる方が実情に近そう。

 

警官二人のバトルのスケールもオリジナルよりもアップしている。また原作ではほとんど存在感のない裏社会の勢力が、本作では地場のヤクザとして大きな役割を果たしている。『 デイアンドナイト 』や『 ヴィレッジ 』でも、地域に根差した闇が描かれていたように、これまた藤井監督の好物テーマなのだろう。

 

工藤と矢崎の息詰まる駆け引きとバトルが延々と続き、さすがにこれは決着がついただろうというところから、さらに粘り腰でバトルが続く。まるでナ・ホンジン監督の『 チェイサー 』や『 哀しき獣 』を観ているかのようだ。最後まで行く、というタイトル通りの展開、そしてその救いのないエンディングには逆説的な意味での爽快感がある。これはリメイク成功と言っていいだろう。こうした毒のある作品が邦画にはもっともっと必要だ。

 

ネガティブ・サイド

原作のゴンスが思いつく死体隠蔽工作は、本作ではまったく無効だろう。通夜の番を一人っきりでしたいというのは分からんでもないし、実際にそういう例もうちの親戚であった。ただ、日本は火葬してから土葬する国なので、原作で可能だったトリックが活かせない。ここを有耶無耶にするしかない展開にしたのはご都合主義的か。

 

最後の最後になんだかなあ、と思わされた。とあるキャラが仕込みだったということで、すべては壮大な茶番に。ヤクザは脇役で、チンピラ警察同士の救いのない対決がどうしようもなくエスカレートしてしまった、というプロットで最後まで行ってほしかった。

 

あと、これは映画そのものの出来とは関係ないことなのだが、トレーラーをもっと慎重に作れないのだろうか。観客をびっくりさせるはずのシーンのいくつかがトレーラーでバラされている。もっとさりげない、それでいてインパクトのあるトレーラーというのは作れるはずなのだが。

 

総評

『 ブラインド 』が『 見えない目撃者 』に良い感じでリメイクされたように、本作もリメイクとしては成功と言える。社会のダークな一隅を照らすことに手腕を発揮する藤井道人監督は、韓流ノワールや韓流サスペンスと相性が良さそうだ。ただし彼には彼で独自の路線を走ってもらわねば。本当は園子温みたいなテイスト(人格ではない)の監督が日本に3~4人いれば面白いのに。まあ、そんな愚痴を言いたくなるほど、本作は邦画がなかなか持てない物語の暗さとエンタメとしての面白さを両立させているのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a safe house

「隠れ家」の意。house という語を含んでいるが、必ずしも家である必要はない。廃工場でも山小屋でも洞窟でも、隠れ家になりそうなものなら何でも a safe house と呼ぶことができる。この表現はあくまでも犯罪者が逃げ込んだり、あるいは犯罪者から追われている者が逃げ込むような場所を指す。一般人が隠れ家として使うカフェやレストランのことは、a hideaway cafe や hideaway restaurant のように言う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 The Witch 魔女 増殖 』
『 65 シックスティ・ファイブ 』
『 クリード 過去の逆襲 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, あやの, サスペンス, 岡田准一, 日本, 監督:藤井道人, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 最後まで行く(2023) 』 -リメイク成功-

『 湯道 』 -もっと銭湯そのものにフォーカスを-

Posted on 2023年3月15日 by cool-jupiter

湯道 55点
2023年3月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:生田斗真 濱田岳 橋本環奈
監督:鈴木雅之

 

温泉や銭湯の愛好家なら要チェックに見える本作。Jovianも風呂は大好きである。したがってチケット購入。

あらすじ

東京で建築家として働く三浦史朗(生田斗真)だが、仕事が来ない。そんな中、父の訃報が入るが、多忙を理由に帰郷もしなかった。しかし、いよいよ実家の銭湯「まるきん温泉」を畳むべきだと考えた史朗は、実家を訪れる。住み込みで働くいづみ(橋本環奈)と弟・悟朗(濱田岳)と出会った史朗は、なりゆきでしばらく銭湯で働くことになり、個性豊かな常連客たちと触れあっていき・・・

ポジティブ・サイド

生田斗真と濱田岳が兄弟に見える。雰囲気が、というよりも見た目が。ヘアドレッサーやメイクアップ・アーティストの方々が素晴らしい仕事をしたのだろう。トレイラーの時点では「この二人が兄弟?」と感じたが、実際に鑑賞して違和感はゼロだった。

 

昭和は昔になりにけりと思うことが多い令和の時代だが、確かに昔の銭湯は男湯と女湯の距離が近かった。Jovianも小さなころはたまに家族で銭湯に行っていたが、そういう時は親父に「もうそろそろ上がるって、お母さんに言うてきて」と言われて、番台前ののれんをくぐって、女湯に入って、伝言していたなあ。育った地域にもよるだろうが、40代以上の世代なら、子供の頃にそうした経験をしたことがある人が多いのではないだろうか。本作はそうしたノスタルジーも呼び起こしてくれる。

 

常連客も多士済済。寺島進や笹野高史はベテラン夫婦の味わい深いやりとりを披露してくれるし、天童よしみは意外な人物とのデュエットを披露、その美声が健在であることを教えてくれる。

 

こうした愉快で人情味あふれる地元の常連たちとの触れ合いと、銭湯をやめさせたい兄と銭湯を続けたい弟の確執のコントラストがドラマのひとつの軸になっている。そこにいづみが絡むことで、深刻なはずの対立が緩和される。いづみは番台に花を活けているが、いづみ自身がしっかりとまるきん温泉の花になっている。

 

本作の表のテーマをそのまま湯道とするなら、裏のテーマは時代に取り残された遺物をどうすべきか、ということになるのだろう。色々な撮影上の制約もあるのだろうが、本作では銭湯に入ろうとする子どもがいない。客はごく一部を除けば、すべて中高年である。つまり、若い世代は昔ながらの銭湯に魅力を感じていないのだ。そして、高齢者ばかりが銭湯で憩う。そうした現状は憂うべきなのか、それとも理の当然と受け入れるべきなのか。

 

ひとつ確かなのは、風呂は入る人間を幸せにするということだ。そして、幸せとは今まで気づくことがなかった小さなことを喜べることがその本質である。トレイラーに出てきた五右衛門風呂には、Jovianも二度ほど入ったことがある。友人の実家の広島の田舎に五右衛門風呂があったのでそこで入った。さらに、大学生時代に寮の裏庭で先輩や同級生たちとドラム缶を調達してきて、そこで入った。広島では貴重な体験をしたぐらいにしか思わなかったが、大学時代に寮の裏庭で五右衛門風呂に浸かった時は確かに気持ち良かった。ただ、次の瞬間に、まさに生田斗真がポツリと呟く台詞と同じことをJovianも感じた。その後の某キャラの教えも印象的。太陽ほど身近な存在はないが、その光に我々は実はどれほど多くを負っているのか。当たり前のことを当たり前と受け取るのではなく、蛇口をひねれば清潔で安全な水が出るということが、どれほど有難いことなのかを思い起こす必要がある。

ネガティブ・サイド

冒頭から刺青入りのヤクザが登場する。尼崎市民のJovian的には杭瀬あたりの銭湯でかつてよく見た光景だが、映画でやることか?ヤクザがかっこいいなどと思う若者が出てこなければいいが・・・

 

映画の根本を否定するように聞こえてしまうかもしれないが、湯道のパートは必要か?日米首脳会談の裏に湯道があったとか言われても、面白くもなんともないし、寒い親父ギャグの連発にも笑えない。風呂に入る時の所作が云々というのも、それを小日向文世が実際に自宅の風呂やまるきん温泉で実践するシーンを見せてくれないと意味がないのでは?撮影しなかった?それとも編集で削った?いずれにせよ『 湯道 』というタイトルながら湯道パートがまったくもって必要であるとは感じられなかった。

 

源泉かけ流し至上主義というのも意味不明。吉田鋼太郎のキャラ自体、必要か?各家庭に風呂がついていることと公衆浴場が存在することは全く矛盾しない。どの家にもキッチンがあるのだから外食産業は無意味だ、と言っているのに等しい。この温泉評論家の先生は完全なる蛇足に感じられたし、この先生抜きでもまるきん温泉の常連客たちと史朗、悟朗、いづみが一致団結できる展開は描けたはず。

 

全体的にもうちょっと銭湯らしさおよび銭湯愛好家の風情を出してほしかったとも思う。役者も忙しいのだろうが、風呂上りで頭をふきふきしているシーンがいくつかあったが、明らかに濡れていない。というか風呂上がりに見えない。もっと入浴後という心も体も温まっているというシーンを視覚的にアピールすべきだった。風呂場のケンカで二人ともずぶ濡れのはずなのに、次の瞬間には完全に乾いているのには苦笑した。

 

総評

鈴木雅之監督の作品としては『 プリンセス・トヨトミ 』に次いで面白い作品。ただし、風呂そのものへのフォーカスという点では『 テルマエ・ロマエ 』の方が優れている。Jovianは「古き良き」という形容があまり好きではないが、銭湯はスーパー銭湯よりも番台のある昭和型の銭湯の方が好きである。我が尼崎は一時期は150以上の銭湯が営業していたが、今では30と少しらしい。近所の昭和温泉には月一程度で通おうと思う。昭和にノスタルジーを感じる中年以上の世代にお勧めしたい映画。もちろん、若い世代の鑑賞も歓迎である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

retirement money

 

読んで字のごとく退職金の意。retireは定年退職するという動詞で、その名詞はretirement。それにmoneyをつければ、そのまま退職金となる。我々の世代は退職金はもらえるのか?もらえても、アホみたいに課税されるのだろうか?

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 Winny 』
『 シン・仮面ライダー 』
『 シャザム! 神々の怒り 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, ヒューマンドラマ, 日本, 橋本環奈, 濱田岳, 生田斗真, 監督:鈴木雅之, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 湯道 』 -もっと銭湯そのものにフォーカスを-

『 すずめの戸締り 』 -もっと尖った作品を-

Posted on 2022年11月20日 by cool-jupiter

すずめの戸締り 45点
2022年11月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:原菜乃華 松村北斗
監督:新海誠

 

仕事帰りについつい行ってしまった。映像美には文字通りに息をのんだが、Jovianが抱く新海誠のイメージがどんどん薄まっていく気がした。

あらすじ

女子高生のすずめ(原菜乃華)は、廃墟を探す謎の青年・草太(松村北斗)と出会う。打ち捨てられた温泉街で、偶然にも扉を開けてしまったすずめは、常世からの災厄を呼び込んでしまう。草太と共になんとか鍵を閉めたすずめだが、今度は草太が謎の猫によって椅子に変えられてしまう。すずめと草太は、謎の猫を追いかけて・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

美麗な映像は日本アニメの中でも間違いなくトップ。トップクラスではなくトップ、それは間違いない。冒頭で映し出される光彩陸離な常世の情景には息を呑んだ。宮崎県の山や海の美しさも素晴らしかった。

 

本作の設定はかなりユニーク。日本列島の地震の発生源を常世に住む「ミミズ」に求めるというのは面白い。C・ダーウィン最後の研究対象であり、『 DUNE デューン 砂の惑星 』でもフィーチャーされたミミズが常世から現世に抜け出てきて倒れることで地震が発生するというメカニズムは、風水的でありながら日本的でもある。そのミミズが出てくる後ろ戸を閉じる「閉じ師」という存在も興味深い。風水師+陰陽師のようなイメージで捉えるとちょうど良いのだろう。

 

草太とすずめを普通に旅させてはつまらないと、草太を椅子に変えてしまうというのも衝撃的。逃げる猫とそれを追う椅子というのは、今後10年は出てこないシュールな画だったと思う。椅子であることに意味もあった。椅子だからこそ物も置けるし、誰かが座れる。その上に立つこともできる。椅子にされてしまった草太が、実は要石になってしまうことで、日本列島を支え、さらには日本に住まうもの全てを支えているというアナロジーの壮大さには唸ってしまった。トレイラーを見た時点で「新海誠は狂ったんかな?」と感じてしまったが、謹んで撤回させていただく。

 

日本を震災から救うということと、すずめ本人のトラウマからの解放が、草太と共に旅をすることとしっかりリンクしていて、これはこれで令和のセカイ系という印象を受けた。いなくなってしまった人々が残した想いを掬い取るというのは、ある意味で物語にしか成し得ないこと。そのように観る側の想像力を刺激しようと試みるところに本作の最大の価値があると言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

なんというか、作品を重ねていくごとに新海誠の新海誠らしさが少しずつ失われていっているように感じる。ミュージックビデオであることは本作でも変わりがないが、その点でも退行しているかな。『 ルージュの伝言 』やら『 男と女のラブゲーム 』、『 けんかをやめて 』など、劇中の芹澤の言葉を使えば懐メロになるが、これも中年世代へのマーケティングに感じられてしまう。ひねくれすぎか?いや、前二作は映像と楽曲をがっつり戦わせていたが、今作ではストーリーが音楽に従属させられていると感じた。

 

新海誠の一番の特徴というか特質は『 秒速5センチメートル 』で見せた、まさに言葉そのままの意味の中二病的な執着だったはずではないか。『 君の名は。 』、『 天気の子 』ではオタクに媚びるセカイ系文学的な世界観は残しつつ、若年層への露骨なアピールのためか、よくできたミュージックビデオになっていた。それでも、そこには社会的なメッセージの類は非常に薄かったので、まだ新海誠という作家個人の色が出ていた。本作が東日本大震災や人口減少、それに伴う過疎化をテーマに盛り込んだことは否定しないが、明らかに作家性は薄まったと感じた。新海誠はヒットメーカーよりも、異端の作家でいてほしかった。

 

無能な大臣揃いで震災復興やコロナ対策ができずに右往左往したり朝令暮改したり、さらに公文書を黒塗りにして恥じることのない日本政府を様々に揶揄している作品とも受け取れるが、新海誠はセカイ系の系譜の作家であって、そういう社会批判からある意味で最も遠い人のはず。チケット購入特典についてくる冊子をザーッと読んだ限りでは、新海本人が社会に訴えたいことがある様子。この分だと次回作もヒットするのだろうが、どんどん普通のエンタメ作品に近づいていきそう。もっと尖った作品を見せてほしいのだが・・・

 

総評

映像や音楽の素晴らしさそのものにケチはつけられない。しかし、宮崎駿や庵野秀明の作品の影響が垣間見えるのはオマージュなのか、チャレンジなのか、それともマーケティングなのか。次回作に対しては、個人的には不安を覚えてしまう。本作を面白いと感じたアニメファンは『 風の電話 』という実写映画を観るべし。震災によって傷つけられた少女の癒やしと祈りのロードムービーという点では、本作よりもはるかに面白いはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak

劇中で2度ほど「猫がしゃべった!?」みたいなシーンがあるが、ここでの「しゃべる」は talk ではなく speak を使う。talk と speak の最大の違いの一つが、talk は話題について話す、 speak は言語を話すということ。a Germen speaker というのはドイツ語話者で、a German talker だとよくしゃべるドイツ人という感じ。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ザ・メニュー 』
『 ザリガニの鳴くところ 』
『 ある男 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, アドベンチャー, アニメ, ファンタジー, 原菜乃華, 日本, 松村北斗, 監督:新海誠, 配給会社:東宝『 すずめの戸締り 』 -もっと尖った作品を- への2件のコメント

『 ISOLA 多重人格少女 』 -映画化は失敗-

Posted on 2022年11月1日 by cool-jupiter

ISOLA 多重人格少女 40点
2022年10月29日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:木村佳乃 黒澤優 石黒賢 渡辺真起子
監督:水谷俊之

ハロウィーンということで、伊丹のTSUTAYAで本作と『 不安の種 』、『 水霊 』を借りてきた。本作のことは『 この子は邪悪 』で思い出した。

 

あらすじ

自分探しの為に阪神淡路大震災のボランティア活動に参加した由香里(木村佳乃)は、解離性同一性障害を持つ千尋(黒澤優)と出会う。千尋には13人の人格が宿っていた。由香里は千尋に接していくが、周囲では不審死が頻発する。その原因は、千尋の中に隠れた人格の一つのようで・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の水音と空中浮遊視点に、原作読了者ならゾッとさせられることだろう。素晴らしい establishing shot で、ドローンのない時代によくこんな空中浮遊映像が撮れたなと感心させられる。 この巧みなカメラワークは本編でも健在で、ISOLAの視点とその他の人物の視点で、カメラワークが全然違う。撮影監督は素晴らしい仕事をしたと思う。

 

阪神大震災をエンタメの題材として扱ったものには、小説『 未明の悪夢 』など割とたくさん活字媒体では生産されたが、映像作品として真正面から震災と向き合ったのは、おそらく本作が初めてではないか。家屋が倒壊した被災地、避難所で雑魚寝する避難所を、かなりの程度、本作は再現したと言える。大道具や小道具のスタッフは相当な労苦をもって仕事をしたことだろう。

 

渡辺真起子って、この頃からバリバリの女優さんやったのね。女の情念を体現できる、日本では希少価値が高い女優さんであると思う。

 

『 CURE 』や『 39 刑法第三十九条 』と並んで、精神のダークサイドを追求しようとした邦画としては、一定の貢献と価値が認められる。

 

ネガティブ・サイド

『 水曜日が消えた 』も一人七役と言いながら実質は一人二役だった。本作はそれよりも酷く、一人十三役とは言わないが、せめて一人四役ぐらいは演じさせるべきだった。黒澤優はアイドルではなく女優だったのだから、それぐらいは追い込むべきだったろう。

 

原作の由香里のエンパスとしての能力、さらに風俗で働いていたというバックグラウンドがきれいさっぱり消されていた。何じゃそりゃ・・・。エンパスとして強烈な想念が視えるということ、そしてISOLAも強烈な想念が視えるということが、原作では強烈なホラーとサスペンスを生み出していた。それが本作では実現されず。難しいのは分かるが、そこを避けて映像化する意味はあったのか。

 

木村佳乃の演技は、今も昔もあまり変わらない。基本、薄っぺらいというか、原作の由香里の持っている強かさと人間らしい弱さ、そのどちらも表出できていなかった。石黒賢も若いというか、ちょっと浮いていた。この人はテレビドラマの役者で、映画向きではない気がする。セリフをしゃべることはできても、表情や立ち居振る舞いで語ることができていない。

 

最大の不満は、磯良とISOLAの説明。なぜISORAではないのか。なぜISOLAなのか。原作にあったこのあたりの説明の巧みさ、そして恐ろしさが本作ではきれいにスキップされてしまった。また原作のバッドエンドが、本作ではハッピーエンドに。いや、改変はある程度認められるが、それならこれ見よがしに出していた漢字辞典の意味は・・・。最後に唐突に現れる憧子という人格は、原作では心臓が止まるほどの恐怖を引き起こす存在なのに、本作では非常にほんわか。ホラーとはいったい・・・

 

総評

端的に言って映画化失敗。当時は角川ホラー文庫から面白いホラー小説が陸続と出てきていたが、今作は『 リング 』から始まったホラー・ジャパネスクの流れに乗り損ねたらしい。DVDが出て、すぐにTSUTAYAで借りた記憶があるのだが、20代の頃はこれを結構楽しんだ記憶がある。黒澤優が可愛かったからか?ぶっちゃけ観る価値はあまりない。原作小説の方が遥かに怖い。読んだら観るなが正解である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

path

道・・・ではない。由香里は empath とされるが、これは共感能力が高い人を意味する。pathはギリシャ語のパトス由来で、人間の感情のこと。ここから telepathy =遠くの人の気持ちが分かるからテレパシー、apathy =感情が無いから無気力、sympathy = 気持ちが一緒になるから同情・共感となる。形態素(接頭辞、語幹、接尾辞)が分かると、語彙力を伸ばしやすくなる。英検準1級に合格したら、ボキャビルの際には形態素を意識してみよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 天間荘の三姉妹 』
『 王立宇宙軍 オネアミスの翼 』

 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, D Rank, ホラー, 日本, 木村佳乃, 渡辺真起子, 監督:水谷俊之, 石黒賢, 配給会社:東宝, 黒澤優Leave a Comment on 『 ISOLA 多重人格少女 』 -映画化は失敗-

『 アキラとあきら 』 -大企業パートがファンタジー-

Posted on 2022年8月29日2022年8月29日 by cool-jupiter

アキラとあきら 50点
2022年8月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:竹内涼真 横浜流星
監督:三木孝浩

 

『 空飛ぶタイヤ 』や『 七つの会議 』の池井戸潤による小説の映画化。中小企業パートは見応え抜群だが、大企業パートは現実味が非常に薄かった。

あらすじ

倒産した町工場経営者の子、山崎瑛(竹内涼真)と大企業の御曹司、階堂彬(横浜流星)。正反対の理念を持つ同期入行の二人は、それぞれの仕事に邁進していく。しかし、山崎はある取引先との仕事で私情を挟んだことから左遷される。一方で東海郵船の社長、階堂彬の父が脳梗塞に倒れ、階堂は親族のしがらみに縛られることになり・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianの大学の寮の大先輩にカナイマン(WikiではUFJ出身となっているが、実際はほぼ三和出身であられる)がいる。ありがたいことに今でもFacebookでつながりがある。その先輩が銀行員時代の債権回収の辛さを当時大学4年生だったJovianやその他の後輩にしばしばこぼしておられた。血も涙もない人間が上に行く世界というのは、逆に言えば血も涙もある人間が冷や飯を食わされる世界である。竹内涼真演じる山崎瑛がそのような世界で誠心誠意に銀行マンを務める姿は観る者の胸を打つ力があった。

 

銀行員でなくともサラリーマンなら、瑛の抱えるジレンマにいたく共感できることだろう。なぜ自分の提案が通らない。なぜ自分の稟議が通らない。若くしてそのような思いを抱き、だんだんと組織に染まり、情熱を失い、いつしか惰性で仕事をするだけになってしまった多くの中年サラリーマンが、『 トップガン マーヴェリック 』におけるトム・クルーズの現役バリバリの姿に rejuvenate されている今、本作は純国産のサラリーマン賛歌たりうる。

 

本作のストーリーを一言でまとめてしまえば、お定まりの不良債権処理。しかし、単に融資を引っぺがして資産を切り売りし、銀行本体のダメージを最小限に食い止める話ではない。経営が悪化した企業に勤める従業員とその家族の姿を序盤のうちに十分に観る側に焼き付けることで、観客がその企業の従業員あるいはその家族であるかのように感じられる仕掛けがここで効いてくる。企業買収や融資について専門的な知識がなくても、凄いアイデアで大逆転できるということは十分に伝わってくる。しかもそれがもう一人の彬のパーソナルな問題の解決にもつながるという力業。原作未読のため、この筋立てが原作に忠実なのか、それとも脚色の妙なのか判断しかねるが、一定のカタルシスが得られることは間違いない。

以下、マイナーなネタバレあり

 

ネガティブ・サイド

冒頭の新人研修のファイナルでいきなり興ざめ。渡された資料の数字を粉飾するか?普通、こんなことをすれば役員激怒→新人研修担当激怒→新人にしてキャリアのお先真っ暗となりそうだが。それともそれが20世紀末の銀行だったのだろうか・・・

 

序盤で描かれる山崎瑛の行員としての仕事ぶりと対を成すはずの階堂彬の仕事ぶりが全くと言っていいほど描かれない。己に忠実な男が左遷され、己に忠実な男が順調に出世していくというコントラストが弱いせいで、その後に二人のキャリアが思わぬ形で交わり、共闘していくという流れに説得力が生まれてこない。ドラマのエピソードを持って詰め込めなかったか。

 

企業売却案件の相談行脚にしても、銀行員だけで回るものか?交渉の場には着かなくとも、東海グループの人間も同行して然るべきと思うが。またメインバンクの支援融資の可否が決まる前から買収先の企業が合意書に印鑑まで押していることに至ってはファンタジーとしか言えない。

 

役者の演技で見せるべきところでもBGMが少々邪魔をする。『 暗数殺人 』のクライマックス、BGMも何もなく、キム・ユンソクが訥々と語る。それでいて迫力満点のようなシーンは邦画では撮れないのだろうか。最後のBGMも物語の世界観とずれているようにJovianとJovian妻は感じた。

総評

社会や企業の成り立ちを基に本作を観るべきではない。タイトルにある通り、瑛と彬(こちらはちと弱いが)の二人の人間の思いや行動力に注目して観るべきである。鑑賞中は場面ごとに銀行員や、融資先企業の従業員、その家族という具合に共感の対象を変えていこう。そうすれば『 アキラとあきら 』というタイトルの意味に迫れるはずである。物語の整合性やリアリティなどは考えてはいけない。素直にサラリーマン賛歌として観るのが吉である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fate

「宿命」の意。映画での使用例では『 ターミネーター2 』の There is no fate but what we make for ourselves. が特に印象深い。もう一つ、『 インディペンデンス・デイ 』のウィットモア大統領(『 トップガン マーヴェリック 』のボブの父親)の “Perhaps it’s fate that today is the Fourth of July” から分かるように、客観的な事象としての宿命の場合は不可算名詞である。まあ、英語講師以外には全く不要な知識だろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 横浜流星, 監督:三木孝浩, 竹内涼真, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 アキラとあきら 』 -大企業パートがファンタジー-

『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を-

Posted on 2022年7月22日 by cool-jupiter

キングダム2 遥かなる大地へ 55点
2022年7月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 豊川悦司 清野菜名
監督:佐藤信介

『 キングダム 』はなかなかの出来栄えだったが、今作はちょっと落ちるという印象。それでも随所に原作漫画らしさが爆発しており、面白さは保っている。

 

あらすじ

下僕の身から戸籍を得た信(山崎賢人)は、王宮に侵入した秦王・嬴政(吉沢亮)の暗殺者を見事に撃退する。しかし、その直後、魏が秦へ侵攻してきたとの報が入る。嬴政は迎撃のため麃公将軍(豊川悦治)を蛇甘平原に出征させる。武功を求めて歩兵に志願した信は、同郷の尾平や尾到、伍長の澤圭、謎の剣士・羌瘣(清野菜名)と伍を組むことになるが・・・

ポジティブ・サイド

副題の「遥かなる大地へ」の通り、山や王宮がメインの戦場だった前作とは一転して、ほとんどの闘いが屋外で繰り広げられる。それも大平原に山岳にと、非常にスケールが大きい。黄色の土ぼこりが一面に舞うと、山ばかりの日本の平野とは違うなと感じる。単純な演出効果は大きい。

 

アホだが確実に腕は立つ信を前作に引き続き、山崎賢人が好演。チャンバラの迫力も前作と同水準を維持している。また蛇甘平原で一気に敵陣に突っ込んでいく無謀さ、そこで雑兵を蹴散らす漫画的な迫力も映像で十分に表現できていた。大軍vs大軍の迫力を出すのは予算的にもCG技術的にも無理。しかし、本作では伍という単位にフォーカスすることで、その問題をうまく回避した。実際の歩兵部隊も伍長や什長が最小単位を率いていたし、最近の連載では描かれなくなった伍の戦いにはリアリティが感じられた。

 

同時に、原作漫画で二度にわたって絶望感を与えられた魏の戦車隊の迫力は、漫画には出せないものがあった。Jovianの持つ映画における戦車というのは『 ベン・ハー 』ぐらいなのだが、戦車隊が歩兵を蹂躙する様、その戦車隊を「策」でもって退ける様、そして信が戦車を見事に破壊するシークエンスなどは、スペクタクルそのもの。これらのシーンは是非とも大画面で堪能されたい。

 

『 キングダム 』は究極的にはキャラクター漫画であり、映画もキャラクター映画である。極端な話、将軍一人で数千人の力に匹敵するし、実際に原作でも李朴は合従戦編でそのような趣旨のことを述べていた。その意味で、今作では最初の三人(信・嬴政・河了貂)以外の、後の飛信隊の中核となるメンバーの絆を上手く描き出していた。特に原作では全く馴れ合おうとしなかった羌瘣を、原作とは少し(というか大いに)異なる方法で仲間に引き込むという脚本はよくできていた。原作者が加わっているから、どこを削るのか、何を足すのかが明確だったのだろう。

 

エンドロール後には第三作への予告編も垣間見ることができる。『 キングダム 』で予想したとおりに、馬陽防衛戦になりそうだ。まだ編集段階だろうか。2時間40分程度の長さで、飛信隊の誕生から王騎の矛を受け継ぐシーンまで、見せ場てんこ盛りで描き出してほしい。

ネガティブ・サイド

率直に言って、羌瘣、麃公、呂不韋はミスキャストだと感じた。初登場時の羌瘣は10代前半くらいのはず。清野菜名は薹が立つではないが、それこそ現在連載中の宜安の戦いぐらいの年齢に見える。探せばもっと羌瘣っぽい役者はいるはずだし、見当たらなければ、それこそオーディションすべきだろう。

 

麃公を演じた豊悦も、ビジュアルはかなり原作に忠実だったが、声と立ち居振る舞いがどうにも本能型の極みに思えなかった。「全軍、待機じゃあ!」や「ハァアア!」の声のピッチが高すぎて、どうにもイメージに合わない。また呉慶将軍との一騎打ちも、原作にあった「相手を知ろうとする」過程がすっぽり抜け落ちていて、信が目指すべき大将軍像を呈示できていなかった。

 

最後に少しだけ出てくる呂不韋も佐藤浩市では年齢が合わないし、なにより原作の呂不韋が放つ圧倒的なオーラが足りない。北村一輝や豊原功補のような役者の方が呂不韋に逢っているように感じる。あと、春秋戦国時代で最も有名な人物の一人である李斯が登場しなかったのは何故なのだろうか。

 

アクションは文句なしだが、それ以外の部分の演出の粗が多かった。魏火龍の発音がキャラごとに違ったり、あるいは羌瘣と羌象が緑穂を異なるイントネーションで発音したりと、もう少し台詞回しにも目を光らせてほしかった。

 

効果音にも改善の余地あり。羌瘣が巫舞で敵兵を屠っていく際の音が「ガギィン」だった。これは絶対に「スヒン」でなければならない。フォーリー・アーティストの尻を叩いて「スヒン」という音を生み出すべきだった。

 

ミスチルの楽曲『 生きろ 』は悪くなかったが「遥かなる大地」という感じは全くしなかった。副題が「仲間と共に」とかなら、まだフィットしたのかもしれないが。前作同様にONE OK ROCKの荘厳なバラード曲を依頼できなかったのだろうか。

 

総評

アクション映画としても、漫画の映像化としても、それなりの水準に達している。三部作は往々にして、1から2で上がって、2から3で落ちるものだが、本シリーズは1から2で少し下がってしまった。その代わり、2から3で爆上がりすることが期待できそう。原作ファンならキャスティングや演出に対して賛否のどちらもありそうだが、観て損をすることはないはず。歩兵目線の戦争アクションを邦画も描けるようになったというのは実に感慨深い。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

turn the tables 

「テーブルを引っくり返す」というのが直訳だが、実際の意味は「形勢を逆転する」の意。劇中では渋川清彦演じる縛虎申千人将が「将軍の狙いはここから大局を覆すことだ」と言うシーンがあったが、大局を覆すというのは turn the tables が英訳としてふさわしいだろう。類似の表現に turn things around というのもある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 清野菜名, 監督:佐藤信介, 豊川悦治, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- への2件のコメント

『 南極物語 』 - 南極でサバイバルする犬を活写する-

Posted on 2022年6月2日 by cool-jupiter

南極物語 75点
2022年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高倉健 渡瀬恒彦
監督:蔵原惟繕

NHKの『 歴史探偵 』で南極タロジロ物語を観て、「そういえばVHSで観たな」と思い出した。しかし覚えていたのはオーロラのシーンだけ。今回あらためて鑑賞して、なかなかのリキ作であると感じた。

 

あらすじ

国際地球観測年、日本は南極へ第一次観測隊を派遣する。その中には犬ぞりを引くための22頭の犬の姿もあった。第一次観測隊は、犬たちを南極基地に残したまま第二次観測隊と入れ替わろうとするも、天候が急激に悪化。隊は基地に入れず、犬たちは南極に取り残されてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

南極の過酷さがよく出ている。実際に多くのシーンは南極で撮影したらしい。荒ぶる海、どこまでも続く極寒の大地、凍てつく風。むき出しの自然の荒々しい力が画面越しにも伝わってくる。近年の邦画にはない、非常に角度の広い、そして奥行きの深い絵がこれでもかと映し出される。映画館の大画面なら、どれほどの迫力があっただろうか。

 

1980年代なら第一次観測隊のメンバーの多くが存命だろうから、製作者や役者隊も存分に隊員たちに取材ができたことだろう。日焼け具合に無精ひげ、伸びきった髪などが、極地までの旅路、そして極致での生活がどんなものであるのかを雄弁に物語る。説明的なセリフを挿入すりゃいいんだろ、と開き直り気味の現代の作り手は、このあたりを大いに意識すべきだろう。犬ぞりでの南極観測も自然の大スペクタクルを堪能させてくれる。凍てつく大地の乾いた空気に、ヴァンゲリスの音楽が非常にマッチしており、この絵と音楽だけで画面に文字通り釘付けになってしまう。

 

人間パートも熱い。救助に来てくれたアメリカ艦船の乗員に啖呵を切るのはどうかと思うが、当時の日本人あるいは映画の作り手には日本人としての誇りや矜持があったことがひしひしと伝わる。また高倉健が「それなら自分が犬を殺してくる」と宣言するシーンも史実なのだろう。普通なら「そこまで思うか?」と感じるだろうが、見渡す限り無人の氷原で、人と犬が昼夜を問わず行動を共にすれば、連帯感などという言葉では生温い紐帯が生まれても不思議ではないだろう。

 

その南極で生き抜く犬たちのドラマが渋い。ほとんど推測なのだろうが、アザラシを襲ったり、氷に閉じ込められた小魚を食べたりというのは実際に考えられそうだし、そうした絵を実際に撮ってしまう構想力に感服する。犬たちの関係性、協力、別離、再会、生存が人間の介在なしに濃密に描かれていく。オーロラのシーンは特に素晴らしい。過酷すぎる大地にほんの少しの福音を予感させている。氷の斜面を犬が滑落したり、氷海に落ちたりと、いったいどうやって撮影したのか分からないが、雪に人間の痕跡を一切残さずこれらのシーンを全て撮り切ったのには脱帽するしかない。ドッグトレーナーにも I take my hat off.

 

犬たちが雄々しく生き、そして死んでいく一方で、高倉健は大学を辞して、犬の飼い主たちへのお詫び行脚に出る。それがまた痛々しい。特にある姉妹にリキのことを詫びる高倉健が、すべてを飲み込んでただただ沈黙する場面は名シーンである(演じている姉が若き日の荻野目慶子なのだ)。また渡瀬恒彦も婚約者との仲睦まじさを見せつけるが、完全に心ここにあらず状態。魂を南極に置き忘れてきた男を好演した。南極の男たちが日本本土で世捨て人同然になってしまう。しかし、南極の大地に再び舞い戻ってタロとジロと再会することで生気を取り戻すというコントラストが最後の最後に鮮やかに際立つ。「生きる」ということの尊さに、人も犬もないということがよく分かるリキ作である。

 

ネガティブ・サイド

製作された年代が年代とはいえ、渡瀬恒彦が犬たちに本物の鞭をふるうシーンは観ていて本当に痛々しい。犬好きにはお勧めしづらい作品になってしまっている。

 

南極隊員と犬の関係者ばかりにフォーカスしすぎで、世間一般の反応についてもう少し描写があってもよかった。当時の報道によって、一般大衆からはボロクソに叩かれたらしいが、そうした世間からの容赦ないバッシングがあれば、高倉健や渡瀬恒彦らの打ちひしがれた姿がもっと印象的になったかもしれない。

 

南極の氷原を犬ぞりで駆けていくシーンのカメラの手ブレが酷い。酔いそうになった。当時の技術的限界かもしれないが、信じられないくらいブレまくるシーンがいくつかあるので、そこも鑑賞時は注意を要する。

 

総評

『 ハチ公物語 』や『 マリリンに逢いたい 』など、1980年代の邦画には犬をテーマにした良作映画があったのだなあと懐かしく感じた。またJovian世代は子どもの頃にちょうど『銀牙 -流れ星 銀-』を漫画またはテレビアニメで観ていた。なので、本作のタロやジロたちもある程度勝手に脳内で喋らせることができたりする。犬好きなら是非観よう。高倉健や渡瀬恒彦といった大御所も出ている中、こっそり佐藤浩市も出演している。今の時代には珍しくなってしまった飾らない人間の物語、そして犬たちのドラマが堪能できる。若い世代にも観てほしい。



Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sled

「そり」の意。あまりなじみのない言葉かもしれないが、ボブスレー = bobsled だと分かれば理解・記憶しやすいだろう。ちなみにそりには sleigh もあるが、こちらは sled よりも乗る位置が高いものを指す。クリスマスの定番曲『 Jingle Bells 』の Jingle bells, jingle bells, jingle all the way. Oh what fun it is to ride in a one-horse open sleigh. という歌詞からサンタクロースの乗るそりを連想されたし。ボブスレーは直接雪と接するが、サンタの座っている部分は雪とは直接は接しない。   

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 1980年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 歴史, 渡瀬恒彦, 監督:蔵原惟繕, 配給会社:日本ヘラルド映画, 配給会社:東宝, 高倉健Leave a Comment on 『 南極物語 』 - 南極でサバイバルする犬を活写する-

『 シン・ウルトラマン 』 -『 シン・ゴジラ 』には及ばず-

Posted on 2022年5月15日 by cool-jupiter

シン・ウルトラマン 60点
2022年5月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:斎藤工 長澤まさみ 西島秀俊
監督:樋口真嗣

ウルトラマンと聞いて胸が躍るのは1970~1980年代に少年時代を過ごした者が大半だろう。実際に劇場に来ていたのもJovianより少々上の世代と思しきオッサンとオバサンが多かった。

 

あらすじ

なぜか日本にだけ現れる謎の巨大生物「禍威獣」に対抗するため、政府は「禍威獣特設対策室専従班」を設立。班長の田村(西島秀俊)や神永(斎藤工)らが禍威獣撃退の任にあたっていた。ある時、謎の巨大外星人が地上に降り立ち、禍威獣を撃破する。ウルトラマンと呼称された謎の巨人の正体を探るため、禍特対に浅見(長澤まさみ)が派遣されてくるが・・・

 

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

映画の開始から空想特撮映画であることを強調する。赤地に白抜きの文字でウルトラマンと表示されれば、昔懐かしの空気が画面から漂ってくるのを感じ取られずにはいられない。庵野秀明や樋口真嗣といった特撮大好き少年だった大人が、少年時代に帰って作った作品だと感じられる。つまり、製作者側と波長が合うかどうかで、本作の評価はガラリと変わるだろう。Jovianはまあまあ面白いと感じたが、Jovian妻はほとんどずっと寝ていた。

 

面白いと感じたのは以下の3点。

 

第一に、『 シン・ゴジラ 』同様に日本政府が主体となって禍威獣を撃退しようとするところにリアリティが認められる。【現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)】ならぬ【現実(ニッポン) 対 虚構(禍威獣+外星人)】になっているところ。日本政府が現実の脅威に対抗できる能力を有しているかどうかは極めて疑わしいが「アホなのはトップ、現場では有能な人間が死に物狂いで頑張っている」という幻想がコロナ禍で生まれたことに本作は華麗に便乗することに成功している。

 

第二に、禍威獣ではなく外星人とのストーリーをメインに据えるという決断。これは是々非々ありそうだが、Jovianは是と取る。禍威獣メインのプロットでは『 シン・ゴジラ 』の二番煎じになりかねない。冒頭で次から次に出現する禍威獣を禍特対が知恵を絞って打ち破ることで、まずは人間側を上げておく。そこにザラブ星人やメフィラス星人といった頭脳派外星人を出すことで、知的サスペンスが生まれる。子どもはここで脱落させられるだろうが、本作の target audience はオッサンオバサン連中なのだから気にしてはいけない。特に山本耕史演じるメフィラス星人は、その硬軟取り混ぜた語り口が非常に印象的で、禍特対のメンバー以外では抜群の存在感を示した。

 

第三に、ゼットンをゼットン星人の兵器ではなく、光の星の最終兵器に設定転換したことには驚かされた。再放送で観ていた小学生Jovianですら、ウルトラマンがゼットンにボロ負けした時には「・・・・・・は?」となったものだ。リアルタイムで観ていた今の50代、60代の受けた衝撃はいかばかりだっただろうか。そのゼットンが、何と光の星の兵器なのだというからビックリ。GMKのキングギドラが護国聖獣・千年竜王という善性を帯びる設定よりも衝撃的だった。

 

ハヤタならぬ神永とウルトラマンの絆、人間同士の絆、そしてウルトラマンに頼りきるのではなく、対ゼットン作戦を世界の叡智を結集させて実現するという展開はオリジナルへのリスペクトに溢れており、個人的にも胸アツだった。

ネガティブ・サイド

マルチバースという言葉がゾフィー達から聞かれたが、『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』とは意味合いがずいぶん異なっていた。映画のスタート時に「シン・ゴジラ」のスーパーインポーズに割って入る形で「シン・ウルトラマン」と表示されていたが、これはマルチバースの中の2つのパラレル・ユニバースを示唆している?その割には、ゼットンをプランク・ブレーンに放逐しようとした時に、別宇宙ではなく時限のはざま的なところへ行ってしまった。マルチバースネタというのは便利な反面、何でもありを可能にしてしまうので、取り扱いには本当に注意を要すると思う。

 

長澤まさみの巨大化には度肝を抜かれたが、それをやる意味は薄かった。もちろんメフィラスの高度な知性と科学力のプレゼンテーションの一環だとは受け取れたが、それを映すアングルが意味不明。あんたら、童心に帰ってキャッキャッしながら作ってたんちゃうの?スケベ少年になってニヤニヤしながら作ってたのか?別に巨大化していない時でも、やたらと長澤まさみのヒップにズームインするショットが多いのは何故?コメディでもないのに自虐的なセリフを吐かせるのは何故?そこに必然性が全く見当たらなかった。

 

人間ドラマにも課題が残る。神永と浅見の噛み合わないバディ同士が、結局最初から最後まで噛み合わない。ウルトラマンを分析考察する任を与えられた浅見があっさりと「何も分からない」とお手上げになってしまうのは、コメディとしてはありだが、ドラマとしては無し。仕草に地球人と共通するものを感じるとか、闘い方に環境への配慮が見られるとか、何かしらの仕事はできたはず。それを知った神永が浅見の炯眼に心の中で敬意を表すような演出が少しでもあれば、拉致された神永を浅見が追跡・発見するシークエンスにもっと説得力が生まれただろう。

 

総評

賛否両論ありそうな作品だが、『 大怪獣のあとしまつ 』で憤慨させられた映画ファン、特に特撮ファンや怪獣ファンなら鑑賞しても損はしないはず。活動制限はあってもカラータイマーが無いなど、ウルトラマンらしからぬところもあるが、ウルトラマン愛に溢れていることは間違いない。続編製作の可能性もあるだろう。その時はバルタン星人てんこもりでお願いしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Less is more.

過ぎたるは猶及ばざるが如し、に近い意味で使われる。辞書では Too much is as bad as too little. と出ていることが多いが、実際には Perhaps too much of everything is as bad as too little. と言われることが多い。これも冗長なので、やはり Less is more. が言いやすい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, SF, 怪獣, 斎藤工, 日本, 監督:樋口真嗣, 西島秀俊, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 シン・ウルトラマン 』 -『 シン・ゴジラ 』には及ばず-

『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

Posted on 2021年12月30日 by cool-jupiter

モスラ 80点
2021年12月26日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:フランキー堺 小泉博 香川京子
監督:本多猪四郎

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ゴジラが唯一まともに勝利したことのない怪獣、それがモスラである。Monsterverseでも怪獣の女王と崇め奉られるなど、誕生から50年以上が経過しても存在感はいささかも薄れない。4Kデジタルリマスターで上映されるというのでチケットを購入。

 

あらすじ

台風のために太平洋上で座礁した第二玄洋丸の船員は、船を捨てて脱出する。その後、水爆実験によって放射能汚染されたインファント島から救出されるが、船員らには放射能汚染の症状は一切なかった。「原住民に飲ませてもらった赤い液体のおかげ」という言葉から、インファント島行きの調査団が組まれる。調査団に同行した新聞記者の福田(フランキー堺)と中条博士(小泉博)は、島で不思議な小美人に遭遇し・・・

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ポジティブ・サイド

小学4年生ぐらいにVHSで観た時以来である。平成モスラシリーズの作品はいずれも2回鑑賞しているが、本家本元はなかなか再鑑賞できていなかった。午前十時の映画祭に感謝である。

 

昭和ゴジラシリーズに通底していた「時代と向き合う」という姿勢が本作でも明確だった。本多猪四郎が監督なのだからそれも当然か。第二玄洋丸は第五福竜丸を下敷きにしているのは明白である。その第二玄洋丸の座礁の原因が台風というのも寓意的である。初代ゴジラの大戸島での登場もそうだが、怪獣とは大自然の脅威の実体化なのだ。わざわざ台風の瞬間最大風速が80メートルなどと表現するのは、モスラという大怪獣がもたらす大旋風は、まさに台風なのだと言いたいからだろう。

 

小美人を発見したネルソンが、彼女らを捕獲して見世物小屋をプロデュースするというのも時代を表していると言える。昭和のど真ん中の江戸川乱歩の小説には、しばしば見世物小屋や、それにインスパイアされたと思しきパノラマが登場する。人権意識もなにもないが、『 キングコング 』も元々は見世物にされるためにアメリカに連れてこられた。当時の日本人が小美人を観るために長蛇の列を作ったというのは大いにありうる話である。悪役ネルソンを見事に演じきったジェリー伊藤は素晴らしい。

 

それに対するは新聞記者と学者。学者が主人公というのは初代『 ゴジラ 』や『 ゴジラvsデストロイア 』、怪獣ジャンル以外でも『 夏への扉 』や『 ダ・ヴィンチ・コード 』などいくらでも思いつく。ジャーナリストが主役の映画となると、『 プライベート・ウォー 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』、変化球では『 スーパーマン 』もあるが、邦画では『 新聞記者 』ぐらいしか思いつかない。メディアと学問に信を置ける時代があったのだなと感じる。同時に髑髏島やインファント島といった未知なる土地がなくなり、誰もがミニコミとして自由に情報を検索し、かつ発信できる時代に、メディアは何をすべきかを本作は描いている。それは人々の良心に訴えかけることである。また学者とは問題を解決する手段を見出す者であることも本作は描き出している。この50年で日本が得たもの、そして失ったものがありありと見えてくるではないか。

 

モスラが東京タワーを折って繭を作るシーンは美しいと同時に、当時の時代背景がしのばれて興味深い。ちょうど石原裕次郎が銀幕のスターからテレビのスターに変貌する時期で、本多猪四郎らの映画人からすれば、東京タワー=地上波テレビという図式が成立したのだろう。こういう社会批評と個人の意志表明とエンタメ性を同時に追求する試みは、高く評価されねばならない。

 

それにしてもフランキー堺の軽妙さの中に見えるプロフェッショナリズムは素晴らしいと思う。スッポンの善ちゃんは言い得て妙で、いつでもどこでも記者魂は忘れないし、体を張って闘うときは闘う。結構長めのアクションもワンカットでこなすなど、フィルム撮影の時代の俳優のプロ根性が垣間見えて良かった。

 

モスラが中盤以降にもたらす破壊の数々も味わい深い。ニューカーク市街地をただ単に飛ぶだけで蹂躙してしまう。もちろん壊れているのはミニチュアだが、これを汗水たらして作った人々、そしてモスラを操演した人々の姿が浮かんでくる。こういった特撮にはCGで出せない質感、リアリティがある。製作者側はミニチュアの出来に満足していなかったと言うから、どれだけ本物志向だったのか。流れ作業的に映画を作っている今の”職業”映画監督たちには昭和の古き良き映画に時々立ち帰ってほしいと願う。

 

初代モスラは明確に人類の味方ではないという描写も今の目で見れば新鮮だった。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のマイケル・ドハティ監督は、怪獣=自然の回復力の象徴として描いたが、現代人は自然を保護するものと考えすぎなのかもしれない。SDGsはその好例だろう。モスラにしろ小美人にしろ、本来いるべき場所から遠ざけてはいけないのである。自然保護をしなくてもよいと主張しているわけではない。自然を利用するにしろ保護するにしろ、人間の力で自然を何とかできると考えてしまうのはいささか傲慢にすぎるのではないかというアジア的な価値観をもう一度見つめ直そうというだけである。

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ネガティブ・サイド

ロリシカから提供された兵器が謎すぎる。普通に自衛隊と米軍のアライアンスでモスラに攻撃をする、で良かったのではないだろうか。ロリシカもアメリカで良かったのでは?なにかロシアとアメリカを足したような名前で、この架空の国家は少々奇異すぎるように思えてならない。

 

人類が怪獣とコミュニケーションが可能というのは、『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でも重要な設定となったが、インファント島原住民の野生のダンスと歌ともっと直接的な関連のあるコミュニケーション方法が望ましかった。キリスト教の影響を色濃く受けたコミュニケーションというのは、東宝、つまり日本の生み出した怪獣にはそぐわないと思う。

 

総評

初代『 ゴジラ 』に次ぐ怪獣映画の原点で、会社は違うものの人間の味方をする『 ガメラ 』という大怪獣にも与えた影響は大きいと思われる。手作りでしか出せない味わいが随所に感じられる。怪獣映画でありながら、人間賛歌ともなっており、本作をあらためて鑑賞することによって勇気づけられる人も多いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

know right from wrong

善悪/正邪の区別がつく、の意。right or wrong ではないので注意。小美人は「モスラに善悪の区別はありません」と言っていたが、それを訳すならこの表現が使われると思う。

Even very young children know right from wrong. 
小さな子どもでも善悪の区別はつく。

You are old enough to know right from wrong.
君はもう善悪の分別がついてしかるべき年齢だ。

のように使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1960年代, A Rank, フランキー堺, 小泉博, 怪獣映画, 日本, 監督:本多猪四郎, 配給会社:東宝, 香川京子Leave a Comment on 『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

『 土竜の唄 FINAL 』 -堂々の完結-

Posted on 2021年11月24日2021年11月24日 by cool-jupiter

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土竜の唄 FINAL 65点
2021年11月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:生田斗真 鈴木亮平 堤真一
監督:三池崇史

 

生田斗真の渾身のコメディシリーズが堂々の完結。ナンセンス系のギャグやら、そのCMネタはOKなのか?という瞬間もあったが、物語の幕はきれいな形で下りた。

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あらすじ

潜入捜査官、通称モグラとして会長・轟周宝逮捕のため数寄屋会に潜入した菊川玲二(生田斗真)は、順調に出世し、系列組の組長・日浦、通称パピヨン(堤真一)と義兄弟になっていた。そんな時、数寄屋会がイタリアのマフィアから大領の麻薬を仕入れるとの情報が入る。同時に、周宝の息子・レオ(鈴木亮平)が海外から帰国してきて・・・

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ポジティブ・サイド

もう冒頭から笑わせに来ている。生田斗真の裸と、見えそうで見えない局部のハラハラドキドキを楽しむというお下劣ギャグ。そこに『 シティーハンター 』並みのモッコリも披露。とことん笑わせてやろうというサービス精神。

 

続く銭湯のシーンも馬鹿馬鹿しいことこの上ない。カモメにつつかれた玲二の局部を3馬鹿上司どもがしげしげと眺める図はまさに漫画。でかい声でこれまでの物語のあれこれをご丁寧に語ってくれるのは、シリーズを追いかけてきたファンへのサービス。しかし、銭湯というのは基本的に裸で、その筋の人かどうかがすぐに分かる場所。さらに入場制限さえしてしまえば、部外者は入りえず、その意味では堂々と警察が捜査の話をするのはありなのだろうと感じた。

 

『 孤狼の血 LEVEL2 』で我々を震え上がらせた鈴木亮平が、やはり剛腕でヤクザの世界でのし上がっていく。登場シーンこそギャグだが、やっていることは『 仁義なき戦い 』に現代の経済ヤクザの要素を足して、さらに『 ザ・バッド・ガイズ 』並みの国際的なスケールで描くノワールものでもある。ストーリーそのものが壮大で、なおかつテンポがいい。

 

『 カイジ ファイナルゲーム 』と同じく、過去作の登場人物たちも続々と登場する。特に岡村は前作同様の超はっちゃけ演技で、個人的には岡村隆史の映画代表作は『 岸和田少年愚連隊 』から、本シリーズになったのではと思う。

 

悪逆の限りを尽くすレオと、それを追う玲二との対決は漫画とは思えない迫力で、しかし漫画的な面白味やおかしさがある。三池監督はヒット作の追求に余念がない御仁だが、最近はそのキレを取り戻しつつあるようである。

 

パピヨンとの義兄弟関係、純奈との交際関係、そうした玲二というキャラクターの重要な部分もしっかりと掘り下げられていく。玲二というキャラクターのビルドゥングスロマンであり、生田斗真のこれまでのキャリアにおいてもベストと言える熱演である。佐藤健の代表作が『 るろうに剣心 』シリーズであるなら、生田斗真の代表作は『 土竜の唄 』シリーズである。

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ネガティブ・サイド

土竜の唄のラップversionは感心しない。あのわけのわからないリズムでオッサンたちが歌うから面白かったんだがなあ。

 

ポッと出てきた滝沢カレンであるが、いくらなんでも大根過ぎるだろう。一応、テレビドラマや映画にいくつか出演歴があるらしいが、あの身のこなしや喋りは、とうてい演技者と言えない。悪いが、モデル業やタレント業に精を出すべきで、映画の世界からはさっさと足を洗ってほしい。

 

元々の警察の標的だった岩城滉一が、劇中で息子のレオに跡目相続させようとしていたが、俳優の岩城自身が残念ながらヨレヨレである。もっと年上の石橋蓮司などが矍鑠として頑張っているのだから、生田や鈴木、堤真一らをも食ってしまうような場面を一つでも二つでもいいから作って欲しかった。

 

唐突に某CMのセリフが出てくるが、この選択は「ありえない」でしょう。その時々の社会的な事件や事象を取り込んだり、先行作品や類似作品と間テクスト性(Intertextuality)を持たせるのはOKだが、CMのキャッチフレーズというのはどうなのだろうか。ケーブルテレビやWOWOWなどの有料チャンネルというのは基本的にCMから逃れたい人向けのサービスだ。映画も同様に安くないチケット代を払っているのだから、「作品そのもの」を鑑賞させてほしい。

 

総評

近年の三池作品の中ではまずまずの出来栄えだろう。ユーモアとシリアスの両方がほどよくブレンドされていて、笑えるところは笑えるし、シリアスな場面では胸が締め付けられそうになる。クドカンも脚本に当たりはずれが多いが、本作に関しては安心していい。生田斗真ファンならずとも、菊川玲二というキャラの生き様を見届けようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

undercover

カバーの下ということから「覆面の」、「正体を隠した」のような意味。潜入捜査官のことはundercover agentと言う。コロナが終わったら、元大阪府警であるJovian義父に、本当に警察は「モグラ」という隠語を使うのか尋ねてみたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, コメディ, 堤真一, 日本, 生田斗真, 監督:三池崇史, 配給会社:東宝, 鈴木亮平Leave a Comment on 『 土竜の唄 FINAL 』 -堂々の完結-

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