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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 横浜流星

『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

Posted on 2020年10月29日 by cool-jupiter
『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

きみの瞳が問いかけている 65点
2020年10月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:横浜流星 吉高由里子
監督:三木孝浩

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201029234121j:plain
 

『 ただ君だけ 』の日本版リメイク。かなり原作に忠実に作りこまれているが、余計な演出になってしまっているところが数か所あったのが残念である。

 

あらすじ

不慮の事故で失明した明香里(吉高由里子)と過去の過ちからアルバイトで日々を食いつなぐだけの塁(横浜流星)は、ふとしたことから出会い、距離を縮めていく。しかし、明香里の失明は塁の過去に原因があり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201029234216j:plain
 

ポジティブ・サイド

『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』や『 坂道のアポロン 』で印象的な光と影の使い方を見せた三木孝浩監督は、本作でも光を巧みに操った。邦画の夜のシーンは不自然なほどに明るいことが多いが、本作の夜の場面はそれを感じさせないし、本作の昼の場面は陽光を画面いっぱいに映し出す。原作の前半は暗、後半は明というコントラストにはこだわらず、各シーンで監督の持ち味が上手く発揮されていた。光だけでこれほど映える絵を撮れる人はそう多くない。

 

横浜流星も空手のバックグラウンドを活かして、見事なキックボクシングシーンを披露した。特に復帰二戦目のフィニッシュシーン、右ストレートで相手を仕留めた後の返しの左フックまで打っていた(空振りというところがリアルだ)。エンドクレジットで見逃したが、かなり本格的なボクシングの手ほどきを受けたのだろう。普段からどれくらい鍛えているのかは想像するしかないが、まさに鋼と呼べる肉体美も披露。これは女性客を呼べる。間違いない。山下智久の矢吹ジョーは正直イマイチだったが、横浜流星をジョーにしてリメイクできないものか。バンタム級やフェザー級に見えない?それは山下もそうだったでしょ?

 

閑話休題。吉高由里子の視覚障がい者の演技も良かった。決して合わない目線は基本であるが、聴覚だけではなく嗅覚も敏感であるところがなんともユーモラス。原作通りにデート前に浮き浮きするところや、「一人では行けない」という店をチョイスするところが何とも微笑ましい。障がい者をことさらに障がい者扱いしていないところに、今というタイミングで日本でリメイクする意味があるのだと感じた。少々脱線するが、Jovianは縁あって、大学で英語を教えている。もちろん、このご時世なのでオンライン授業である。視覚障がいや聴覚障がいの学生もいるのだが、彼ら彼女らはAcrobat Readerの読み上げ機能や、Google Meetの字幕オン機能やリアルタイム翻訳は、障がいを障がいでなくしている。原作でも本作でも、ヒロインが仕事をしている様は大いに輝いて見える。もちろん、ちょっと間の抜けたシーンのおかげで人間らしさが色濃く出ている。何をどうやれば排水溝にパンティが詰まるのかは大いなる謎だが、ハン・ヒョジュのように上着を脱がなかった代わりに、下着を見せてくれたのだと理解しようではないか。

 

二人が不器用に育んでいく恋の描写も、原作にかなり忠実で丁寧だ。二人でどこかに出かける約束をした帰り道の塁の「ひゃっほう!」感も微笑ましいし、美容室で髪を手入れする明香里もまた微笑ましい。原作同様に視覚障がい者に対して、思いがけずきつい言葉を浴びせてしまうシーンには少々こたえるものがあるが、それも塁の過去の因果によるものだと思えば納得できるし、横浜流星はそうした影のある男を上手く描出できていた。格闘家から地下世界のバウンサー的な存在に落ちてしまった男が、さりげなく明香里の部屋をバリアフリー化しているところもポイントが高い。壊すだけではなく直せる男でもあるのだ。賃貸住宅でそんなことをして大丈夫かと不安になるが、大丈夫だった。ちょっとした工夫が大きな助けになるという物語全体のテーマを表している良いシーンと演出だった。

 

クライマックスで文字通りにすれ違ってしまう二人には、胸がつぶれそうになった。原作とほとんど同じなのに、あらためてそう思えるということは、それだけ芝居のレベルも高く、その他の演出も効果的だったということだろう。特にリメイク要素として追加された“視覚以外の要素”が特に印象的だった。原作を観た人も、横浜流星ファンも、吉高由里子ファンも、かなり満足できるクオリティに仕上がっていると言えるだろう。

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ネガティブ・サイド

横浜流星の格闘シーンには迫真性があったが、顔はそうではなかった。原作のチョンミルの恵まれた体躯と野獣性、武骨な顔つきと低い声。これらがあったればこそ、アジョシ=おじさんという呼称が成立していた。蚊の鳴くような小さな声だったが、それでも塁の声を聞いて、聴覚が人一倍鋭い明香里が直感的に「この声は40代の男性だ」などと思うだろうか。ここにどうしても無理があり、その違和感は中盤までつきまとう。

 

また明香里が塁の顔の良し悪しに言及するたびに、塁がムッとする演出は不要だろう。日本版リメイクは横浜流星のキャスティングによって若い女性客を劇場に呼びたいという意図が見え見えだが、それは現実世界の話。銀幕の中では、塁は顔の美醜を気に掛けるようなキャラではないし、そうしたキャラであるべきでもない。

 

細かい粗というか、オリジナル超えをできていない点もあった。横浜流星がミンチョルではなく『 アジョシ 』のテシクになってしまっている。何故だ。もじゃもじゃ頭を再現しようとしても、こうはならないだろう。浣腸少年を消してしまうのは別に構わないが、だったら塁の心根の優しやを表してくれる代替の存在が必要だろうと思う。明香里の上司の指をへし折るシーンでも、相手の口のふさぎ方を間違えている。あれでは噛みつかれた時に自分がダメージを受けるではないか。オリジナルにあったベッドシーンというか、ハン・ヒョジュが上半身の上着を脱いでチョンミルと抱き合う場面に相当するシーンがなかったのは何故なのか。せっかくの色っぽいシーンではなく「美しいシーン」だったのに、それを再現しようという意気込みが監督になかったのか、それとも吉高サイドがNGを出したのか、まさか編集で削ったのか。納得がいかない。仕事を辞めざるを得なかった明香里に「気晴らしにどこかに連れて行って」と言われて、シリアスな記憶の場所である浜辺に連れて行ってしまう塁のセンスを疑う。原作通りにアミューズメントパークで良いのに。

 

総評

残念ながらオリジナルのクオリティには少々届かない。『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』の広瀬すずが『 サニー 永遠の仲間たち 』のシム・ウンギョンを巧みにコピーしていたように、吉高由里子はハン・ヒョジュをかなり巧みにコピーできていた。しかし、横浜流星のビジュアルおよび声質がダメである。ただ、オリジナルを意識しなければそれなりに良い出来に仕上がっている。本作だけを見ても、十分にロマンス要素および悲恋の要素も堪能できる。『 見えない目撃者 』ほどのリメイク大成功とは言わないまでも、まずまずのリメイク成功例と言えるのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on a crutch / on crutches

松葉杖をついている、の意。単数か複数かは使っている松葉杖の数で使い分けるべし。今後は車椅子だけではなく松葉杖にも優しい環境作りが求められるものと思う。駅へのエレベーターの設置などはかなり進んだが、今後は自動改札の幅を少し広くしたり、電車とプラットフォームの間の隙間をさらに小さくするような工夫が必要だと思われる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ラブロマンス, 吉高由里子, 日本, 横浜流星, 監督:三木孝浩, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

『 いなくなれ、群青 』 -青春とは拘泥、成長とは妥協-

Posted on 2020年4月5日 by cool-jupiter

いなくなれ、群青 50点
2020年4月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:横浜流星 飯豊まりえ
監督:柳明菜

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これもたしか梅田ブルク7で公開されていたが、観に行けなかった作品。なかなかにartisticではあったが、cinematicではなかった。では、dramticだったか?うーむ・・・

 

あらすじ

七草(横浜流星)は気が付くと階段島にいた。この島にいる人たちは、なぜ自分がここにいるのか誰も知らない。島での生活に溶け込んだ七草は、しかし、幼馴染の真辺由宇(飯豊まりえ)と再会したことで、様々な人間模様が泡立ち始め・・・

 

ポジティブ・サイド

何というかPS2ゲーム『 ICO 』と『 CROSS†CHANNEL 〜To all people〜 』の一部の要素を抜き出してきて、足し合わせたような世界である。こうしたミステリアスな世界観は嫌いではない。魔女が支配する島、という響きも悪くない。古今東西、魔女は様々に再解釈され、そのたびに新しい世界観を生み出してきた。魔女は恐怖の対象であるだけではない、もはやない。『 魔女の宅急便 』しかり、変化球だがPSゲームの『ファイナルファンタジーVIII 』しかり。本作では明かされることのない魔女の正体だが、そこには支配者としての属性と庇護者としての属性、その両方が感じ取れる。こうした様々な解釈や考察の余地をほどよく残す作品で、賛否は分かれやすいだろうが、好きな人はとことん好きになれる世界観である。

 

本作のミステリアス、そしてファンタスティカル(fantasitical)な点を決定づけるものは、島の名前にもなっている“階段”である。もちろん、物理的な意味での階段ではなく、何かの象徴としての階段であることは明らかで、それが階段島にいる面々、特に真辺や七草ら高校生にとっては意義深いものであろう。我々はよく「●●への階段を上る」などと言ったりする。そして、階段島の階段を“一人で”上り切れた者はいないと言う。その意味するところは極めて明快である。

 

それは同時に、“群青”の象徴するものも明らかにしている。晴れ渡った空の色であり、文字通りの意味では“青”の“群れ”となる。終盤に空へと消えていく真辺由宇は、青春との決別の一つの形である。青春の終わりというのは、だいたいにおいて妥協なのだ。そして青春の始まりは、自意識の一部の極端な肥大化である。やたらと理屈っぽい奴、感情的な奴、逆に無関心・無感情な者など、何らかの特徴を自分で自分に与える過程とも言えるかもしれない。青春とは自己内対話の極まった形と定義してもよいのかもしれない。本作のキャラクターたちの、どこか誌的で、全体的に感情に欠ける対話の数々は、『 脳内ポイズンベリー 』と対比してみると面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

ドラマチックさに欠ける。それは間違いない。こういう作品は映画よりも、むしろ部隊演劇にすべきでは?と感じる。

 

飯豊まりえは演技力・表現力ともに今一つ。顔の表情だけで演技している。ふとした仕草もなく、声の出し方に工夫もない。原作に忠実なのかもしれないが、映画的とは言えない。同じことは横浜流星にも当てはまる。観念的・哲学的な対話をしばしば繰り広げるが、小説ならばそれでも良いし、舞台や野外円形劇場で上演するのなら、これも一つの演技・演出だろう。だが、どうにも映画的ではない。

 

映画は、何よりも視覚的に最も強く訴えてこなければダメだ。セリフでもってシーンを動かしていくなら、『 シン・ゴジラ 』や『 脳内ポイズンベリー 』のような超高速会話劇を志向するか、あるいは映像でもってセリフを補完するような演出を強めるべきだ。それが最も強く感じられるのは終盤およびエピローグ。無駄にだらだらと長い。ミステリアスなタイトルの「群青」の意味を思わせぶりなセリフとシーンで伝えようとするのではなく、群青の空を背景に一気に『 いなくなれ、群青 』というタイトルを映してしまえばよいのではないか。特に本作のような思弁的な作品は、説明してはならない。観る者の理性や知識ではなく、感性や直感に訴える方がはるかに効果的であると思われる。『 ここは退屈迎えに来て 』のような切れ味の鋭さは本作にこそ求められる。そうした方が余韻が残る。無意味に長いエピローグは完全に逆効果である。

 

原作の小説はシリーズ化されているようだが、続編の映画は作れないだろう。今でもキャストの年齢・容貌に無理があるのだから。

 

総評

映像化は成功している。海外や空の美しさを見事に捉えたショットが散りばめられている。また音楽も良い。特にピアノとバイオリンの合奏シーンは、近年の邦画では『 蜜蜂と遠雷 』のクライマックスの松岡茉優の演奏シーンに次ぐものであると感じた。一方で、ストーリーテリングは破綻している。いったんページを繰る手を止めて思考することができる小説と違い、否応なく場面が進んでいく映画なのだから、説明するのではなく、一発で理解できるような見せ方を追求すべきだった。これが原作未読者の感想である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Be gone, my blues.

『 いなくなれ、群青 』というタイトルおよび七草の台詞の試訳。解釈はそれこそ無数にあるが、字義通りの意味と象徴的な意味の両方を備えたblueを使ってみようと直感した。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ファンタジー, 日本, 横浜流星, 監督:柳明菜, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズ, 飯豊まりえLeave a Comment on 『 いなくなれ、群青 』 -青春とは拘泥、成長とは妥協-

『 チア男子!! 』 -This film will cheer you on-

Posted on 2019年12月19日2020年4月20日 by cool-jupiter

チア男子!! 60点
2019年12月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:横浜流星 中尾暢樹 唐田えりか
監督:風間太樹

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たしか梅田ブルク7で上映していたが、タイミングが合わず見逃した。『 チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話 』と同じく、実話に基づいているらしい。ストーリーは同工異曲だが、男女の差以上のシリアスな背景もあり、思った以上に見応えのある作品に仕上がっていた。

 

あらすじ

晴希(横浜流星)は柔道で肩を負傷してしまう。柔道から離れた晴希は、柔道仲間の一馬(中尾暢樹)の誘いで、大学で男子チアリーディング部を立ち上げることになった。大学で徐々に仲間を集めていく二人だったが・・・

 

ポジティブ・サイド

女性の社会進出が叫ばれて久しいが、女性の聖域的な分野に男性が進出することも必要だろう。日本の航空会社の客室乗務員は99%女性であるが、海外の航空会社では客室乗務員の20~30%は屈強な男性である。日本が他国の水準に追いつくのはいつになるのか。そう思っていたところに、本作である。これにより男子チアリーディング部が存在することを知った。固定概念に囚われなかった若者がいたということに、なぜだか胸が熱くなる。

 

まずは俳優陣がしっかりと側転からのバク転をできるようにトレーニングしてきたこと、さらに技の名前を忘れてしまったが、人間を空中に放り投げて受けとめる技を本当にやっているらしいことに驚かされた。主演の片方の中尾暢樹は『 一礼して、キス 』という恐ろしいまでの駄作でクソ不自然でクソつまらないキャラを演じていたが、今作では素直な笑顔がチャーミングな好青年を無難に演じていた。

 

もう一人の主役のキラキラネームならぬデコトラネームの横浜流星は『 虹色デイズ 』ではどこかシニカルな高校生がまあまあ似合っていたが、本作でも心にモヤモヤを抱えた大学生を好演。外見から来るイメージとのギャップを上手く活かせるようになってきたか。

 

学校という閉鎖空間では、しばしばカースト制度が生み出される。大学によっては所属学部や部活、サークルによって階級が決定されることが多い。その中でも男子チアリーディングというのは異端だろう。チアを通じて育まれる友情、チアを通じて亀裂が入る人間関係。そしてチアを通じての成長とチアを通じての葛藤。非常にベタではあるが、それぞれのメンバーが個性的な背景を持っていることで、単なる部活以上のストーリーに仕上がっている。

 

ネガティブ・サイド

実話に基づいているとはいっても、ある程度の美化や演出は許容範囲だろう。たとえば柔道のバックグラウンドを持つ晴希や野球経験者のイチローや野球とサッカー両方をやっていたゲンたちが、チアの練習中に一言も自身のスポーツ経験とチアを比較するような言葉を発さないのは不自然だった。晴希には猫背になる悪癖があるが、これは柔道ではアドバンテージになるのだろうか、それともディスアドバンテージになるのだろうか。いずれにせよ、チアリーディングとはどのようなものかを詳しく知っている人間の絶対数は圧倒的に少ない。観る側にチアとはどんなものなのかを見せるだけではなく、簡潔明瞭に語る努力があっても良かったのではないか。

 

また男がチアリーディングをするというのはこれまでの常識に反しているが、それを揶揄してくるのがもっぱら男連中であることも気になった。普通は、「女の世界に男が入ってくるな!」と思う女子も一定数必ず存在するはず。男子チアをいいように利用しようとする女子だけではなく、男子チアに普通に反発する女子も描いた方が、より自然に感じられたと思う。

 

チアのパフォーマンスに全体的に華がない。怪我のリスクのある技というのは確かに見応えがあるが、それ自体が見せものになってしまっている。チアとは応援なのだから、学祭の一環ではなく、スポーツイベントや、色々と絡んできたテニスサークルの応援などで魅せてくれた方が、チアの本質により迫ることができたのではないだろうか。

 

後は関西弁をもっと勉強および練習しろと一部キャストに言いたい。アニメ『 じゃりン子チエ 』の中山千夏を見習うべし。

 

総評

悪い作品ではない。男同士のぶつかり合いが、エゴの衝突になっていない。主役連中だけではなく脇役連中にも充分なスポットライトが当たっている。広瀬すずや中条あやみのへそ出しの次には、こちらを鑑賞してみよう。共通点や相違点が浮かび上がって、なかなかに興味深い。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m not into beating someone.

晴希が言う「俺、誰かに勝つのって好きじゃないんだ」という台詞の私訳である。好き=likeと単純に考えてはいけない。 be into ~で「~が好きである」、「~にはまっている」などのような意味となる。勝つ=winだが、win someoneというコロケーションは基本的には存在しない。win someone overやwin agaist someoneならば可能。晴希には柔道のバックグラウンドがあるので、beat=倒す、という動詞を選択してみた。

 

I’m into cooking.

My wife is into yoga.

 

色々と自分なりに表現をしてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, スポーツ, ヒューマンドラマ, 中尾暢樹, 唐田えりか, 日本, 横浜流星, 監督:風間太樹, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 チア男子!! 』 -This film will cheer you on-

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