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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 有村架純

『 ちひろさん 』 -人の輪の中で孤独に生きる強さ-

Posted on 2025年2月9日 by cool-jupiter

ちひろさん 75点
2025年2月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:有村架純
監督:今泉力哉

 

劇場公開時に観られなかった作品。これも近所のTSUTAYAで借りてきた。

あらすじ

元風俗嬢のちひろ(有村架純)は港町のお弁当屋さんで働いていた。自らの前職について特に隠すこともないちひろ目当てに、弁当屋には大勢の客がやって来ていた。そんなちひろは、客だけではなく寄る辺を持たない小学生や高校生、ホームレスとも親しく交流していき・・・

 

ポジティブ・サイド

野良猫と無邪気にじゃれ合ったり、弁当屋の常連客と談笑したりと、とても無邪気なちひろさん。しかし風俗嬢としての過去も特に隠しておらず、良い意味でも悪い意味でも周囲の耳目を集めている。そんなちひろを有村架純が好演。様々なドラマを生み出していく。

 

駄々っ子の小学生や、ストーカー気質の女子高生などと奇妙な形で縁を深めつつ、思いつめた男性客や元店長との再会など、ちひろの過去も深掘りされていく。ちひろは誰に対してもオープンでフラットな人当たりを見せるが、ところどころで闇を秘めた目つきも見せる。特に母親に関する電話と、海辺の砂を掘るシーンでは心底ゾッとさせられた。この一瞬を切り取ったカメラマンの手腕よ。また名言も明示もされないが、おそらくちひろは前科者。推測できる裏のストーリーとしては『 オアシス 』のようなものだろうか。

 

表のストーリーは『 町田くんの世界 』や山本弘の小説『 詩羽のいる街 』が近い。ちひろさんを中心につながっていく人の輪。その中心にちひろさんがいる。本作がユニークなのは、ちひろさんがつなげた輪に・・・おっと、これ以上は重大なネタバレか。ただ、セックスワーカーは性サービスの提供以上にカウンセラー的な役割を担っているという面が出されていたのには首肯させられた。

 

ふと調べてみたが、日本のセックスワーカーは推計で30万人。日本の人口を1億2千万人と丸めれば、女性は6000万人。20歳から29歳の人口は約700万人。セックスワーカーの人口ボリュームにもう少し幅を持たせれば母数は約1000万人か。雑な計算だが、100人中3人は風俗産業の従事者となる。ちひろさんは身近な存在とは言わないまでも、珍しい存在ではない。人と人とが触れ合う時に大切なのは肩書きではなく人間性。頭ではわかっていても実践するのは本当に難しい。

 

ネガティブ・サイド

エンディングに少し納得がいかない。ちひろのその後を描くんはよいが、もっともっとその後、極端に言えば40代、50代になったちひろを映し出してほしかった。ちひろが本当の意味で救われるのは、孤独と共に生きられるようになることではなく、孤独と共に生きられるようになる誰かを見つける、あるいは自らの孤独をさらに受け継いでくれる誰かを見つけることであるかのように思う。

 

総評

限定された空間、限定された時間、限定された登場人物で織りなす人間ドラマが沁みる。我々はしばしば肩書で人間を判断するが、そうしたものは虚飾とは言わないまでも虚構=フィクション、作り物である。そういった一種の社会的なしがらみの外に出て生きることの難しさや尊さが本作には溢れている。『 前科者 』に次ぐ有村架純の代表作と評して良い秀作。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be afraid, night is on our side.

とても印象に残った「ちひろさん」の台詞の私訳。be on one’s side = 誰々の味方である、の意。大学時代の社会学の授業で「夜とは最も身近な異界」と言った教授がいたが、至言であると思う。夜の街、夜の世界、夜の仕事など、

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 怪獣ヤロウ! 』
『 メイクアガール 』
『 Welcome Back 』

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 監督:今泉力哉, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 ちひろさん 』 -人の輪の中で孤独に生きる強さ-

『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

Posted on 2022年2月9日 by cool-jupiter

前科者 85点
2022年2月6日 TOHOシネマズ伊丹にて鑑賞
出演:有村架純 森田剛 磯村勇人
監督:岸義幸

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『 二重生活 』や『 あゝ、荒野 』の岸義幸監督作品で、2021年期待の一作。この御仁は自分で脚本も書いて監督もする、それゆえに寡作(しかし良作率が高い)という意味で韓国の映画監督のよう。『 大怪獣のあとしまつ 』のせいで the lowest of the low point にまで盛り下がっていた気持ちを『 前科者 』は大きく押し上げてくれた。

 

あらすじ

保護司の阿川佳代(有村架純)は、殺人の前科を持つ工藤誠(森田剛)の構成と社会復帰に献身的に協力していた。しかし、保護観察期間が終わろうとする直前に工藤は姿を消してしまう。同じ頃、警察官が何者かに銃を奪われ、撃たれるという事件が発生。そして、奪われた銃によって殺人事件が繰り返され・・・

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ポジティブ・サイド

保護司という仕事については原作をLINE漫画で読んで初めて知った。凄い仕事だと驚かされたが、同時にそこに描かれる人間模様、ひいては社会の在り方について深く考えさせられた。WOWOWドラマは未視聴だが『 太陽は動かない 』と同じで、映画単体で観ても全く問題はない。

 

まずは有村架純。『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』の巴役はまあまあだったが、今作では阿川佳代のシンクロ率が非常に高かった。漫画原作のビジュアルや体形、表情まで、相当に研究してドラマ、そして映画に臨んだと思われる。これまでは如何にもヒロイン然とした役柄ばかりを演じてきた(あるいは演じさせられてきた)せいか、役者としての力量が見えてこないことが多かった。しかし、本作の一見すると冴えない女性だが、その芯に強さと弱さの両方を内包したキャラクターを見事に血肉化したと思う。

 

対する森田剛はJovianのまさに同世代なのだが、いつの間にか立派なおっさんになっているではないか。こちらも物静かだが、しかし内に秘めた人間らしさ(それは社交性とは限らない)が垣間見える瞬間がとてもチャーミングで好ましく映った。森田演じる工藤誠の更生への道が本作のメイン・プロット。仕事先で真面目に働き、社員登用も視野に入った工藤が、まさに保護観察期間の終了直前に突如姿を消す。同時に、街では殺人事件が発生する。これが警察もの、探偵ものであればサスペンスも何も感じないが、無力な保護司が主人公となると話が変わってくる。

 

もちろん警察も動くわけで、事件を捜査する刑事の一人が佳代の元同級生(磯村勇人)にして、因縁のある初恋の相手というのがサブ・プロットになっている。焼け木杭に火がつく展開と見せかけて、そうはならないので安心してほしい。同時に、磯村演じる若い刑事の過去に、佳代が保護司になるきっかけとなった出来事があったのだ。このあたりの過去と現在の関わりが明らかになっていく過程は見応えがあった。ベッドイン直前のシーンで途中でやめてしまう磯村を不審に思うだろうが、それにもちゃんと理由があるのだ。

 

一見するとなぜ殺されるのか分からない市井の人々が殺されていくが、それを行う犯人、そしてその犯人に協力する工藤の生い立ち、そして社会との関係。そうしたことが明らかになっていくにつれ、犯罪とは何か?という疑問が生まれる。罪を犯す原因は元々の人間性なのか、それとも環境によるものなのか。それはとりもなおさず、更生とは本人の努力次第なのか、それとも環境次第なのかという問いに転化する。我々はついつい「一人暮らしの若い女性が前科者を部屋に入れて大丈夫なのか?」と訝ってしまうが、そう思わせるのが本作の眼目なのだ。佳代の保護下にある前科者のみどりが言う「お前らが普通の人間面していられるのは、私らみたいな前科者がいるおかげだ」というセリフが何とも痛烈だ。

 

Jovianは工藤誠および彼が協力した殺人犯の姿に『 ジョーカー 』のアーサー・フレックを思い起こした。環境こそが人間を悪に走らせるのだろう。事実、劇中で明かされる工藤の生い立ちには一掬の涙を禁じ得ない。我々は往々にして犯罪者を人間扱いしないが、何が人を犯罪に走らせるのかといえば、それは我々の非人間性なのではないかと思う。工藤と彼の協力者が受けた過酷な仕打ちは、普通の人間のちょっとした弱さやミス、あるいはその時代の常識に従ったことが積み重なった結果である。そのことに慄かずにはいられない。

 

工藤に切々と語りかける佳代、それをうけて大粒の涙(と鼻水)を垂らす工藤の姿は、『 17歳の瞳に映る世界 』のカウンセリングのシーンに匹敵する。救いようのない物語の結末に用意された、一筋の救いの光、あるいは蜘蛛の糸。保護司と前科者ではなく、人が人に関わろうとする姿に胸を打たれずにいられようか。そうした意味で本作はまさしく『 すばらしき世界 』の後継作品である。同作のレビューで述べた感想を引いて、ポジティブ・サイドを終わる。

 

ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。

 

ネガティブ・サイド

拳銃が劇中の事件の大きなパートを占めるのだが、それの扱いなどが相当に現実離れしている。ホルスターに収められた拳銃を奪おうとして警察官と揉み合いになっている最中に複数ある安全装置を外して撃つなどできるものか。

 

また一度でも銃を撃ったことがある人なら分かるだろうが、動いている標的相手に片手で構えて撃って命中させることなどできない。動かない的に5メートルの距離から40発撃って、ほとんど全部外したJovianが断言する。

 

後は磯村勇人とマキタスポーツのコンビか。演技が悪いというわけでは決してない。しかし警察OBのJovian義父が見たら間違いなく憤るであろうシーンには閉口させられた。それとも警察の息のかかった病院だとでもいうのだろうか。

 

総評

伊丹市出身の有村架純に敬意を表してTOHOシネマズ伊丹に赴いたわけではないが、混雑もしておらず、マナーの良い客層ばかりで結果的に良かった。本作は間違いなく、兵庫県民・有村架純の代表作である。期間限定で人気の女優とばかりに思っていたが、本格派として飛躍し始めたようである。とんでもない駄作を直前に観たせいか、評価がインフレしている気がしないでもないが、それを割り引いて考えても、本作にはチケット代の価値は十分に認められるものと思う。単なるお涙頂戴物語ではなく、人が人に関わることの意味をあらためて世に問う野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a volunteer probation officer

保護司の英語訳。probationという語を知っていれば英検準1級レベルはあるのかな。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』で、Misters Havemeyer, Potter, and Jameson are placed on probation for suspicion of ungentlemanly conduct. というセリフがあるので、興味がある人は鑑賞されたし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 森田剛, 監督:岸義幸, 磯村勇人, 配給会社:WOWOW, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』 -コスプレ大会からの脱却-

Posted on 2021年6月10日 by cool-jupiter

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るろうに剣心 最終章 The Beginning 65点
2021年6月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 有村架純
監督:大友啓史

 

シリーズ完結作品。最高傑作との呼び声が高いが、それは見方によるか。なぜ『 るろうに剣心 最終章 The Final 』が先で、こちらが後だったのか疑問だったが、本作を鑑賞して納得することができた。

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あらすじ

時は幕末。長州志士たちは江戸幕府の打倒を目指して京都に集結していた。その中で緋村抜刀斎(佐藤健)は幕府の要人の暗殺を担っていた。しかし、幕府も尊王攘夷派を抑え込むために新選組を組織し、両者の構想は激化。その最中、抜刀斎は謎の女性、巴(有村架純)に幕府側の暗殺者を切り殺す現場を目撃されて・・・

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ポジティブ・サイド

開幕から圧巻の殺陣、というか殺戮が展開される。今作では剣心ではなく抜刀斎であるため、不殺の誓いはない。つまり、殺しまくる。若き抜刀斎自身、マイク・タイソンもかくやという耳噛み攻撃を繰り出すなど、狂気十分。『 るろうに剣心 京都大火編 』の新月村でのソードアクションも迫力満点だったが、あちらは逆刃刀による不殺のアクション。BGMに合わせて左右からボコボコする映画的演出が満載だった。一方の本作の冒頭は、そうした演出は極力省き、ダークな幕末の雰囲気をそのまま再現しようと試みている。事実、照明は限りなく抑えられており、巴が剣心を街に連れ出すシーン以外はほとんどすべて薄暗いシーン。二人が農家で暮らすシーンにも、光あふれる演出はない。

 

そうした世界観はキャラクターの造形や人物像にも徹底されている。たとえば、相楽左之助という名脇役がいたことで、命のやり取りであるはずの真剣勝負でも、彼の戦いだけはどこかに必ず笑える演出が盛り込まれていた。本作にはそうしたコミック・リリーフは一切出てこない。漫画原作の追想編の空気を見事に再現できていたように感じる。

 

佐藤健もよく節制している。撮影時は29か30歳ぐらいか?体力的にも肌つやの面でも少しずつ衰えが始まる頃だが、そこをうまく遅らせているという印象。素晴らしい。チャンバラも魅せる。特に、原作では斎藤一に出番を奪われてしまった某キャラとの一騎打ちは素晴らしいファンサービスだった。

 

剣心と巴のロマンス(当時の言い方にすれば野合)の過程の描き方も説得力があった。恋愛という言葉も概念も行動も、日本では近代以降のフィクション。そうした背景を理解して鑑賞するなら、巴と清里の関係、剣心と巴の関係、その悲劇的な末路にも十分に共感ができるはず。幸せという形がすでにあり、それを所与のものとして受け取る江戸時代(末期も末期だが)に、幸せという形を一から自分の力で見出そうとしていく剣心に新しい時代の風を感じられた。

 

闇乃武との戦いで巴を斬り殺してしまうシーンにしんしんと降る雪。血の赤と雪の白のコントラストが美しかった。このシーンを際立たせるために全編を暗めに撮影していたのか。幕末の暗殺者から鳥羽伏見の戦いでの遊撃剣士に、そこから『 るろうに剣心 』冒頭へとつながる流れは見応えがあった。

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ネガティブ・サイド

有村架純の演技は素晴らしかったが、やはり漫画原作の巴の痩身長躯のクールビューティーというビジュアルは体現できていなかった。単純に身長や体形でキャスティングするわけにはいかないが、それでも新木優子や水原希子といった女優が巴を演じていればどうなっていただろうか。また剣心と巴の初夜(とは少し違うが)もなんだかなあ、である。有村架純は『 ナラタージュ 』で濡れ場は演じているわけで、せめて漫画本編にあったような裸から着物を身に着けていく巴・・・というシーンを演じるべきだった。これまでの武井咲=薫では出せなかった味を、有村架純=巴は出すべきだった。

 

漫画で剣心は「一番隊、二番隊、三番隊の組長は文句なしに強かった」と語っていたが、シリーズを通じて(まともな形で)戦ってくれた組長は一人だけとはこれいかに。また、これはごく個人的な要望だが、若いころの鵜堂刃衛も出してほしかったし、志々雄にもカメオ出演してほしかった。

 

闇乃武だけコスプレ臭がしたが、それ以上に徳川の世うんたらかんたらの長広舌が耳障りだった。単なる偶然だろうが、度重なる緊急事態宣言で公開延期の苦渋を何度も味わわされた自民党政治と徳川政治には共通点が多いため、余計にうるさく聞こえてしまった。

 

総評

一作目から戌亥番神が登場したりと、大友啓史監督が脚本執筆段階で全体的な構想を持っていなかったことは明らか。FinalとBeginningは先行する作品と毛色が違うが、特にこのBeginningは異彩を放っている。漫画原作にそれなりに忠実でありながら漫画色が感じられない。シリーズ全体を通じて本作を鑑賞するのと、本作はスピンオフと割り切って鑑賞するのでは、全く異なる感想になると思われる。漫画的な爽快痛快アクションを求めているなら、Final鑑賞で終わってもいいかもしれない。鑑賞するならスピンオフと割り切って観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

traitor


「裏切り者」の意。幕末に限らず、動乱の時代=謀略の時代である。必然的に裏切り者も多く出てくる。長州側の裏切り者が本作の一つの焦点だが、幕府側にも裏切り者はいたはず。さもなければ、抜刀斎があれだけの数の幕府の要人を暗殺できたはずがない。内通者は必要悪であろう。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』でカイロ・レンがフィンに対して”Traitor!”と怒鳴るシーンは格好の使用例である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, 佐藤健, 日本, 有村架純, 監督:大友啓史, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』 -コスプレ大会からの脱却-

『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

Posted on 2021年2月7日2021年2月8日 by cool-jupiter
『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

花束みたいな恋をした 75点
2021年2月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉 有村架純
監督:土井裕泰

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昨今の邦画では珍しい、映画オリジナル作品。それだけで劇場に向かう価値はある。同じように感じた人が多かったのか、MOVIXあまがさきの5番シアターには老若男女が詰めかけていた。実際の映画の仕上がりも標準以上のものだった。

 

あらすじ

大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は終電を逃してしまったことから偶然に出会う。サブカル趣味が共通する二人はたちまちのうちに意気投合。やがて付き合うことになるが・・・

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ポジティブ・サイド

 

以下、ネタバレに類する記述あり

 

主演の二人がスターでありながら、まったくオーラを発していないところが素晴らしい。まさに等身大の大学生からひよっこ社会人という感じである。おそらく本作が刺さるのは、菅田将暉や有村架純の同世代ではなく、Jovianのような中年世代の方だろう。少女漫画の実写映画化のプロットやキャラクターの背景からは「ああ、俺にもこんな青春があったなあ」とは思えないが、本作の麦と絹の二人からはそれが濃密に感じられる。はたから見れば何のことか分からない話題で盛り上がれるというのは、特に東京の大学生には重要である。地方から出てきて、全く新しい人間関係をゼロから構築する中で同好の士を見つけることは至上ミッションなのだ。大学の部活やサークル、同好会に居場所を見出せれば良いが、それができなかった場合は外に居場所を見つけなくてはならない。麦と絹は一種のアウトサイダー同士なのだ。麦と絹が互いの文庫本を見せあって破顔一笑するシーンでは、大学時代に栗本薫の『 グイン・サーガ 』シリーズや小野不由美の『 十二国記 』シリーズの話題で盛り上がれる女子に出会ったことを思い出した(その女子とは友達で終わってしまった・・・)。作家や作品名などに固有名詞がバンバン出てくるが、そこは自分なりに脳内で改変して楽しめばいい。これはそういう映画である。

 

麦と絹のフリーター同士の交際から同棲、そして徐々に生活に齟齬が生まれてくる流れも巧みで自然だ。自然と言うのは、よくあることという意味ではなく、誰もが自分なりに置き換えて消化できるエピソードになっているということだ。麦が絹に自作のガスタンク映画を見せてやり、その長さに思わず寝入る絹の寝顔を見つめる麦の表情が印象的で、Jovianは『 ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間 』を有楽町で一緒に観た大学の同級生(友達で終わった女子ね・・・)を思い出した。

 

麦の趣味であり夢であるイラストレーター、絹の趣味である「ラーメンと女子大生のブログ」が、二人の生活に占める割合が変化していく様が演出の妙。イラストで身を立てようとして上手く行かない麦と、ラーメン屋巡りはスパッと辞めてしまったかに見える絹。男は年齢を重ねてロマンチストになるが、女性は年齢を重ねてリアリストになっていくという対比が見えて、上手いなと感じた。就職および仕事を巡っての心の在りようの変化も真に迫っている。『 何者 』でも共演した二人だからこそ、このあたりの芝居も非常にスムーズ。

 

別れのシーンも秀逸。これって俺の話なのか・・・、と困惑させられ、同時に痛く共感させられたのが、別れを切り出された麦が、絹に結婚を提案するところだ。若気の至りなのか、自分も血迷って別れ話の席で全く同じことをしたことがある。脚本家・坂元裕二の体験でもあるのか、それとも男性に普遍的な思考回路なのか。おそらく後者なのだと思うが、このシーンでは我あらず涙ぐんでしまった。その後に二人に別れを決断させる演出は反則。このシーンは絶対にB’zの『 いつかのメリークリスマス 』の最後の歌詞にインスパイアされている。間違いない。勝手に断言させてもらう。若者向けではなく、中年向け映画であると、ここで確信した。

 

劇中、邦画では珍しく駅名や地名がポンポン出てくる。飛田給と言えば東京外大。その昔に何回か合コンしたが、戦果ゼロ。明治大は高校の同級生が通っていたので、何度か訪れたことがある。そして何と一瞬だけではあるが、三鷹市芸術文化センター、通称ゲーセンが映っていたではないか。国際基督教大学出のJovianにとって馴染みのあるスポットである。自分のよく知る景色が出てきたことで、ここでもやはり5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

いつ頃から、「好きです、付き合ってください」が「付き合ってください」だけOKというふうに変わったのだろうか。15~20年ぐらい前は「好きです」がないと、「付き合ってください」につながらなかったと記憶しているが、いつの間にやら「え、俺らってもう付き合ってるでしょ?」みたいな時代になったのか。『 勝手にふるえてろ 』でも松岡と渡辺のそんなシーンがあったが、本作ぐらい中年層にアピールする作品ならば、その世代の若い頃の恋愛文法に従ってほしかった。

 

冒頭から独白が多すぎるようにも感じた。キャラクターの心情を言葉で観客に効かせるのは悪いことではない。それが効果的であることも多い。けれども、本作のように観る側の経験や記憶、感情を刺激する作りであるならば、すべてを麦と絹に語らせるのではなく、行間に余裕を持たせた語りをさせるべきではなかったか。

 

引っかかったのは、麦が絹の髪をドライヤーで乾かしてやるところ。女性の髪に触るという行為は、めちゃくちゃハードルが高い行為に思えるのだが。俺が立派なオッサンの完成だからかな。このエピソードは三日間セックスしまくった後のシャワー後の方がよりリアリティがあったのでは?

 

自称・映画好きが『 ショーシャンクの空に 』を挙げるシーンで麦も絹も表情が凍り付くが、別ええやんけ・・・。『 ショーシャンクの空に 』も、別に最初から大ヒットしたわけじゃなく、徐々に人気が上がっていったメインストリームではなかった作品。ここは『 スター・ウォーズ 』とか『 アベンジャーズ 』と言わせるべきだった。

 

総評

劇場にたくさん来ていたが、10代20代には積極的にはお勧めしない。『 僕の好きな女の子 』同様に、30代40代にこそ観てほしいと個人的に思う。ハッピーエンドでもなくバンドエンドでもない。人生の中で確かにそこにあった青春を、時をかけて慈しめるようになった世代向けの作品。鑑賞後、なぜか無性にB’zのミニアルバム『 FRIENDS 』を聞きたくなった。中年男性B’zファンなら共感してくれるものと思うし、そうでなくとも青春の1ページを確かに思い起こさせてくれることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

劇中の「楽しかったね」の私訳。『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』でも紹介した表現。語学学習はある程度の丸暗記が必要だが、一定以上のレベルに達したら状況とセットで理解することを目指すべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 日本, 有村架純, 監督:土井裕泰, 菅田将暉, 配給会社:リトルモア, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

『 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 』 -脚本家は長谷敏司か、庵野秀明か-

Posted on 2019年8月12日2020年4月11日 by cool-jupiter

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 40点
2019年8月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 有村架純 波瑠
監督:山崎貴

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少し前までは中高生でも『 ゴジラ 』を知らない子たちがいた。しかし、さすがに『 ドラゴンクエスト 』や『 ファイナルファンタジー 』を知らないということはないようだ。大学生の頃に、ドラクエはⅦまで一応クリアしたんだったか。それ以降はクリアしていない(プレーはした)。しかし、ⅢのSFC版やⅣのプレステ版はかなりやりこんだ記憶がある。Ⅴの初回プレーでは、もちろん名前はトンヌラ・・・ではなくユーリルと入力。久美沙織の小説の影響である。あの頃は周辺小説(『 アイテム物語 』、『 モンスター物語 』)だけではなく『 4コママンガ劇場 』にもハマっていた。早い話が、当時の自分は少年だったわけである。

 

あらすじ

リュカ(佐藤健)は父パパスと共に世界を旅していた。しかし、謎の妖魔ゲマによりパパスは絶命。リュカはラインハットの王子ヘンリーともども奴隷にされてしまう。十年後、辛くも脱出したリュカとヘンリーは、それぞれの生活に帰っていく。リュカはかつて暮らしていたサンタローズを目指すが・・・

 

  • 以下、本作品、ドラゴンクエストⅤおよび関連作品のネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

グラフィックの美しさとゲームっぽさのバランスが素晴らしい。実際のゲームでも『 ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち 』はFC、『 ドラゴンクエストV 天空の花嫁 』はSFCである。ファミコンからスーパーファミコンへのレベルアップ時の衝撃は、それをリアルタイムに体験した者にしか分からないだろう。その後、PSやPS2、X-BOXも出てくるわけだが、FCからSFCへの移行ほどのインパクトはなかった。ちょうど良い具合に当時の少年少女、大人たちの想像力を刺激してくれたのだ。デフォルメされた2Dグラフィックが、我々の脳内でほどよくリアルな姿に変換されたのだ。リュカやパパス、サンチョの姿に、少年の日のあの頃を思い返した。

 

原作改変には賛否両論あろうが、少年時代をダイジェスト的にゲーム画面で済ましてしまうのもありだろう。安易にナレーションに逃げるよりはるかにましである。基本的に映画というのものは1時間30分から2時間に収めてナンボである。

 

ベビーパンサーの名前がゲレゲレなのもポイント高し。おそらくリアルタイムの初回プレーでこの名前を選んだのは、漫画家の衛藤ヒロユキ氏とJovian、その他数百名ぐらいではないかと勝手に勘定している。確か父親が何か別のソフトと抱き合わせで買ってきてくれたんだったか。ビアンカの命名センスに喝采を送ったあの日を思い出した。

 

すぎやまこういちの楽曲の力も大きい。小学生の頃にレンタルVHSで『 ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ 』で、あらためてドラゴンクエストの音楽の魅力を確認したんだった。特に、フィールドの音楽。個人的にはⅢのフィールドの音楽がfavoriteだが、Ⅴのそれも素晴らしい。やはり少年の日のあの頃を思い起こさせてくれた。

 

ネガティブ・サイド

なぜ息子一人だけなのか。娘はどこに行った?その息子の名前がアルスというのは漫画『 ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 』由来なのか。だから最後に異魔神が登場するのか?スラリンがワクチンだというのも、漫画『 DRAGON QUEST -ダイの大冒険- 』のゴメちゃん=神の涙、というネタの焼き直しなのか。占いババは『 ドラゴンボール 』のそれか、またはドラクエⅥのグランマーズか。だからゲマの最期はデスタムーアの最終形態なのか。BGMもⅤ以外が混ざっていたが、そこはなんとかならなかったのか。唐突に登場するロトの剣も、天空シリーズと全く調和しない。それはさすがに言い過ぎか。

 

本作への不満の99%はラストのシークエンスにある。とにかくミルドラースが異魔神なのである。と思ったらウィルスなのである。この世界はすべて遊園地のVRアトラクションだったのである。それを匂わせる描写は確かにいくつかあった。妖精ベラの台詞(「今回はそういう設定なの」)。リュカの口調や口癖(「マジっすか!?」など)。唐突に「クエスト」などという、Vには存在しなかったシステムにリュカが言及する。倒されたモンスターが消える。ゴールドに変化する。ゲーム世界の文法で考えれば当たり前であるが、映画世界の文法ではそうでは無い事柄が散見された。そこはフェアと言えばフェアである。

 

問題は、映画を鑑賞する者の少年時代あるいは少女時代、あるいはその精神を否定する権利がいったい誰にあるのかということである。夢を見て何が悪い?現実から一時的にでも目を背けて何が悪い?何も悪くないだろう、それが社会的に著しい不利益を引き起こさなければ。何よりも、当時も今もゲームはコミュニケーション・ツールなのだ。どのモンスターを仲間にした、仲間にしていない。どのモンスターがどのレベルでどんな強さになるのか。PCは少しは普及していたものの、インターネットなどが影も形もない時代に、小中高校生がお互いの家に遊びに行って、ドラクエやらFFやらストⅡやらに興じて、友情を確かめ合い、深め合ったのだ。それだけではない。関連する小説や漫画で、ゲーム以外でもキャラクター達と出会い、交流していたのだ。そういった体験を虚構であると断じるのは容易い。しかし、虚構に価値が無いとは決して認めたくない。それをしてしまえば、DQだけではなく、あらゆるフィクション(映画、テレビドラマ、舞台演劇、講談、etc)を否定してしまうことになる。大人になれ、というメッセージを発するのは構わない。だが、誰もが持っている楽しかった少年時代を棄損することは許されない。いい大人がいつまでもpuer aeternus=永遠の少年では困る。大人には責任や職務、義務があるからだ。けれど、その大人の心の中に住まう「永遠の少年」を攻撃することは、人格攻撃に等しい。この手法は認められないし、許されない。なによりもこれは『 劇場版エヴァンゲリオン 』の焼き直しではないか。なぜ今になって、このような周回遅れのメッセージを発するのか。岡田斗司夫が『 オタクはすでに死んでいる 』で喝破したように、オタクという人種が隔離され、忌避される時代は終わった。誰もがマイルドにオタクであり、社会もそれを容認しているのが今という時代なのだ。そこに、このようなメッセージを携えて『 ドラゴンクエストV 天空の花嫁 』を映画化する意義はゼロであると断じる。

 

総評

ドラゴンクエストのファンは観てはならない。観なくてもよい、ではない。観てはならない。特に貴方がJovianと同じくアラフォーであれば、本作は忌避の対象である。しかし、ラストのシークエンスを除けば、しっかりしたストーリーのある映像作品として成立してしまっている。そうした意味で、若い世代、またはリアルタイムでファミコンやSFCはけしからんと感じていた、60代後半以上の高齢世代が、本作を適度な距離感で鑑賞できるのかもしれない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ファンタジー, 佐藤健, 日本, 有村架純, 波瑠, 監督:山崎貴, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 』 -脚本家は長谷敏司か、庵野秀明か-

『 思い出のマーニー 』 -少女が生きる一睡の夢-

Posted on 2019年3月21日2020年1月9日 by cool-jupiter

思い出のマーニー 75点
2019年3月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高月彩良 有村架純
監督:米林宏昌

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原作は英国児童文学の“When Marnie was there”、本作の英語翻訳も同名タイトルでアメリカ公開された。スタジオジブリ製作の実質的な最終作品ということで、これを観てしまうと何かが終ってしまう気がしていた。しかし、いつまでも避け続けるわけにもいかず、DVDにて鑑賞と相成った。

あらすじ

喘息持ちで周囲と打ち解けられない杏奈は、転地療養のため田舎の海辺の村の親戚の元へ旅立つ。そこでも同世代とは友達になれない杏奈は、村はずれの古い屋敷で、マーニーと出会う。二人は徐々に打ち解け、無二の親友になっていくが・・・

ポジティブ・サイド

12歳という思春期の少女と世界の関わりを描くのは難しい。異性または同性への憧憬、肉体および心理や精神面の変化、社会的役割の変化と増大。別に少女に限らず、少年もこの時期に劇的な変化を経験する。ただ、ドラマチックさでは少女の方が題材にしやすい。本作は児童文学を原作するためか、主人公の杏奈(有村架純)と外的世界の関わり、および彼女の肉体的な変化についてはほとんど描写しない。その代わり、非常に暗い内面世界に差し込む一条の光、マーニー(高月彩良)との不思議な交流を主に描写していく。これは賢明な判断であった。

『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』で鮮烈に描かれたように、外界との交わりを絶ってしまった少女の物語は誠に痛々しい。そこに蜘蛛の糸が垂らされれば、カンダタならずとも掴んでしまうであろう。そこで杏奈は、マーニーの幼馴染である男性の影に怯え、嫉妬し、慷慨し、悲しむ。ところがクライマックスでは。こうした杏奈のネガティブな感情の全てがポジティブなものへと転化してしまう。これは見事な仕掛けである。同じような構成を持つ作品として『 バーバラと心の巨人 』を挙げたい。少女の抱える心の闇を追究した作品としては、本作に負けず劣らずである。

杏奈とマーニーが秘めた心の内を明かし合うシーンは切々と、しかし力強く観る者の胸を打つ。自らの心の在り様をさらけ出すことは大人でも難しい。愛されていないのではないかと思い悩むのは、愛されたいという強烈な欲求の裏返しなのだ。マーニーとの一夏のアバンチュールを経て、確かに変わり始めた杏奈の姿に、ほんの少しの奇跡の余韻が漂う。我知らず涙が頬を伝った。

ネガティブ・サイド

少年少女が抱く後ろ向きな想いというのは、その瞬間にしか共有できない、あるいは同じような、似たような経験をした者にしか共有できないものではある。であるならば、杏奈の小母さんが伝えるべきは、銭勘定ではなく真っ直ぐな愛情であるべきだ。もちろん子育て綺麗ごとではなく、カネがかかってナンボの人生の一大事業である。であるならば、そのことに後ろめたさを感じる必要はない。子どもの生きる世界と大人の生きる世界は違う。しかし、愛情という一点は絶対的に共有できる価値観なのだ、というテーゼを提示しているのが本作ではないのか。ここが作品全体の通奏低音に対してノイズになっているように感じられてしまった。

また、マーニーが金髪碧眼であるのは遺伝的にどうなのだろうか。児童文学やアニメだからといって、現実世界のルールを捻じ曲げてよいわけではないだろう。まあ、たまに遺伝子のいたずらで、劣勢遺伝が発現することもあるようだが、ここがどうにも気になった。杏奈が転地療養先のとある同世代女子とどうしても打ち解けられない点として機能していた、見ることも出来ないわけではないが、釈然としない設定であった。

ジブリ作品全体を通して言えることだが、やはり俳優と声優は別物だ。北野武の『 アウトレイジ 』シリーズが分かりやすい。周り全てが役者で一人だけ素人が混じっていると、恐ろしく浮いてしまう。本作の声優陣はそこまで酷評はしないが、やはりかしこに小さな違和感を覚えてしまった。まあ、ジブリにそれを言っても詮無いことなのだが。

総評

良作である。ジブリ作品の最高峰というわけではないが、標準以上の面白さもメッセージ性も備えている。10代の少年少女向けというよりも、むしろ内向きな青春を過ごした大人のカウンセリング的な作品としての方が、高く評価できるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 監督:米林宏昌, 配給会社:東宝, 高月彩良Leave a Comment on 『 思い出のマーニー 』 -少女が生きる一睡の夢-

『コーヒーが冷めないうちに』 -無数の矛盾とパクリに満ちたお涙ちょうだい物語-

Posted on 2018年10月7日2019年8月24日 by cool-jupiter

コーヒーが冷めないうちに 25点

2018年10月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:有村架純 石田ゆり子 伊藤健太郎 波瑠 林遣都 深水元基 薬師丸ひろ子 吉田羊 松重豊房 
監督:塚原あゆ子

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 *以下、ネタばれに類する箇所は白字表記

 まず広報担当者に文句を言いたい。「4回泣けます」とは一体何のことなのか。これで泣けるのは、元から相当に涙腺が弱いか、もしくは「涙を流してさっぱりしたい!」という強い欲求を持っている人ぐらいだろう。つまり、純粋に物語の力で観客を泣かせる力を有した作品ではなかった。いや、勘違いしないでいただきたい。泣ける映画というのは確かに存在する。しかし、泣くという行為は「受動的な泣き」と「衝動的な泣き」の二つに大別される。つまり、前者はもらい泣きで、後者は主に悔し泣きや嬉し泣きである。本作の宣伝文句の「4回泣けます」が「4回もらい泣きできます」なら、それはそれで良い。Jovianの心の琴線には触れなかったが、そういう意味で泣ける人は確かに存在するだろう。しかし、そうした映画は、作品としてのクオリティは決して高くない。

 喫茶店フニクリ・フニクラで働く時田数(有村架純)が、特定の席に座ったお客さんに特定のタイミングでコーヒーを淹れると、そのお客さんは強く思い描いた時に行くことができる。しかし、それはコーヒーが冷めるまでの間だけ。他にも様々な条件があり、実際にそれを試すお客は少ないのだが・・・

 まず、タイムトラベルものというのは、何をどうやっても矛盾が生まれるものだ。そういうジャンルなのである。であるからして、SF的な要素は一切排除し、これはファンタジーなのですよ、という姿勢を冒頭から鮮明にする点は評価できる。何と言ってもフニクリ・フニクラである。鬼のパンツなのである。我々がよく知っているはずのものが、本当はこういうものでした、と思わせるインパクトを十分持っている。またヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』やミヒャエル・エンデの『モモ』といった小道具も、物語のforeshadowingとして機能している。こういう、分かる人には分かるものを挿入するのは、サービス精神の表れとして評価したい。が、もう少しダイレクトさに欠けるものは見つからなかったのだろうか。まあ、プルーストの『失われた時を求めて』でなかったから、これはこれで良いのだろう。

 Back to the topic. 時間移動には常にパラドクスがつきまとう。本作も例外ではなく、最も???となったのは、認知症の妻の手紙を持ち帰れてしまったことだ。次に???となるのは、蚊取り線香のシーン。灰になってしまった部分が過去、今じりじりと燃えているところが現在、これから燃えるところが未来、という過去の不可逆性を強く印象付けるシーンだったはずが、その後のちゃぶ台返しで・・・???ちょっと待て。未来の数の娘の力を使って、数を過去に送り込むというのは、未来視点、いや未来支点と言うべきか?からすると、過去の改変にならないのか。新谷の言う「明日の開店前の8時にお店に来てほしい」は予言ではないのか。何故その時間に幽霊が席を空けると知っていたのか。というよりも、未来の未来が数を送り込む過去が、現在の時間線と一致することが何故分かるのか。その線で考えると、何をどうやっても変えられないのは過去ではなく未来になってしまわないか。また。時田の娘の定義は何なのか。伯父の娘でもOKになるのなら、家系図を引っ張り出してきて、五代前のご先祖様ゆかりの血筋に全て当たるべきだろう。というか、5代前だと、ざっくり見ても100~120年前になるが、その時からフニクリ・フニクラの指定テーブルは存在したのか。日本におけるコーヒーの歴史とは合致するが、では初代はどの過去にどのようにして人を送り込んでいたと言うのか。とにかく、タイムトラベルものの矛盾がこれでもかと噴出してくる作りで、そういったところを気にしてしまう人は絶対に本作を観るべきではない。ゲーム『ファイナルファンタジーⅧ』のエルオーネの能力、森博嗣の小説『全てがFになる』の密室トリック、法条遥の小説『リライト』、漫画『どらえもん』の「やろう、ぶっころしてやる」エピソードから丁重にアイデアを拝借し、その全てごちゃ混ぜにした挙句、ちんぷんかんぷん物語に仕立て上げてしまったようにしか思えない。松重と薬丸の芝居だけしか見られるものがない。珍品に興味がある、という向きにしかお勧めできない。

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