Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 日本

『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-

Posted on 2021年2月26日 by cool-jupiter

もらとりあむタマ子 70点
2021年2月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:前田敦子 康すおん 富田靖子 伊藤沙莉
監督:山下敦弘

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210226000126j:plain
 

映画貧乏日記のcinemaking氏がrepeat viewingをしているという傑作とのことで、近所のTSUTAYAでレンタル。観ている最中はクスクスと笑ってしまい、観終わってからちょっぴりホッとする作品だった。

 

あらすじ

東京の大学を卒業したものの修飾もせず、甲府の実家で怠惰な日常を送るタマ子(前田敦子)。食って寝て漫画を読んでゲームをする日々に父親(康すおん)も苦言を呈すが、タマ子はやはり自堕落なまま。しかし、春になってタマ子は秘かにある就職活動を始めようとして・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングから笑ってしまう。黙々と働く父親を尻目に、遅くに起きてきたタマ子が冷えてしまった朝食を無言でむしゃむしゃ食べ始めるシーンだけで笑ってしまった。これは間違いなくダメ人間。何故かって?それは2009年ごろにちょっとだけ実家に帰ってモラトリアムを過ごしていたJovianの生活パターンそのままだからです。

 

両親は離婚、姉は結婚して子供もいる、母親は東京という状況でシングルファーザーの父の実家でひたすらに自堕落に過ごすタマ子が、どういうわけかたまらなく愛おしい。いや、女性的な魅力があるというわけでは決してない(失礼!)。愛おしいというのは、見守ってやりたいという気持ちにさせてくれるということだ。何故そう思わされてしまうのか。その絶妙な仕掛けを知りたい人は、ぜひ本作を鑑賞されたし。自分が自分らしくあることが大切だ、という意味がありそうで実は意味がない言説を、前田敦子はたった一人で覆してしまったと言える。

 

父親役の康すおんが古き良き父親という感じで非常に良い。昭和的な父親ではなく平成的な父親だ。黙々と仕事をするが、掃除に洗濯、料理までこなすという21世紀の男性像が見事に体現されていた。食事シーンが頻回に映される本作は、食べると演じるがしばしば同時進行する。日本の役者は食べる演技の時には小栗旬や永谷園の男(名前を忘れてしまった)のような演技になるが、本作は違う。食べると演じるが不可分になっていて、そこはなかなか面白いと感じた。

 

途中で登場する富田靖子が素晴らしく魅力的で、蒼井優があと10年ぐらいしたらこんな感じになるのだろうなという美熟女。父親の側にこんな女性の影がちらついたら、子どもは確かに心穏やかにはいられませんわな。同時に、こんな女性像を目の当りにしたら、そりゃあダメ人間な自分も良い刺激を得てしまいますわな。

 

本作は映画的なメタファーを徹底的にそぎ落としている。大袈裟なBGMもないし、キャラクターの心象風景を仮託されたような風景描写もない。ひたすらタマ子にフォーカスすることで、逆に観る側がタマ子の胸の内を想像するようになっていく。そしてタマ子に同化していく(おそらくモラトリアム期間を経験したことのある人間はタマ子を同一視してしまうだろう)。この構成には恐れ入った。

 

エンドロールの終わりにちょっとしたサプライズ(?)映像もあって楽しい。演じているという演技ではなく、やはり素の前田敦子だったのか?

 

ネガティブ・サイド

タマ子と不思議な交流をする中学生男子の滑舌が今一つだった。素人らしさを強調したいのかもしれないが、やはりあれでは浮いてしまう。見た目は、地方都市の純な中学生っぽさ全開で素晴らしかったけれどね。

 

富田靖子の出番が少ない。もっと彼女にスクリーンタイムを!富田靖子と中村久美が井戸端会議している画が一瞬あれば、それはそれでタマ子の想像力をものすごくかき立てると思うのだが。

 

父親の掘り下げにもう一工夫できたのではないか。パセリのエピソードは確かに笑ってしまうが、それが自家栽培だとしたらどうだろう。プランターでパセリを育てることが、実家でタマ子を養ってやる姿と奇妙なコントラストを形成して面白かっただろうなあ、と思う。

 

総評

脱力系のコメディなのかヒューマンドラマなのか。とにかく前田敦子の役への没入感が素晴らしいとしか言いようがない。安易にビルドゥングスロマンにせず、かといって全く清涼しないわけでもない。店を開けたり、父親の下着も嫌がらずに干したり、成長とは言えないような変化であるが、それでも観る側がエネルギーをもらえるのだから不思議なもの。肩の力を抜いて、夕飯時に家族でわいわいやりながら観てみると面白いに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

No one must know about this.

劇中でタマ子が言う「これ、誰にも言っちゃダメだからね」の私訳。直訳すれば、“You can’t tell anyone about this.”となるだろうが、No one must ~というのもネイティブはよく使う。「誰でもない人がこれについて知らなければならない」=「誰もこのことについて知ってはならない」=「誰にもこのことを言うな」となる。No one や Nobody を主語にした英文をパッと作れるようになれば、英会話の中級者以上である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, 伊藤沙莉, 前田敦子, 富田靖子, 康すおん, 日本, 監督:山下淳弘, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-

『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

Posted on 2021年2月23日2021年2月23日 by cool-jupiter

あの頃。 60点
2021年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 仲野太賀 若葉竜也
監督:今泉力哉

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210223221834j:plain
 

『 愛がなんだ 』の今泉力哉監督作品。仲野太賀が助演というだけでチケットを購入。

 

あらすじ

バイトとバンド練習で特に生き生きすることもなく暮らしていた劔(松坂桃李)は、ふとしたことで松浦亜弥のDVDを見て、感動。ハロプロのアイドルの熱烈ファンになる。そしてトークイベントで知り合ったコズミン(仲野太賀)たちのハロプロファンたちとともに、中学10年生のようなノリで楽しい日々を過ごすようになるが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210223221855j:plain
 

ポジティブ・サイド 

Establishing Shotからして、なかなか凝っている。防音スタジオでセッション中に、劔がミスをして怒鳴られるというシーン。これだけで、劔が非常に狭い世界で窮屈な思いをしながら生きているという実感が簡単に伝わってくる。このオープニングがあるからこそ、あややのDVDに感涙してしまう劔の姿に説得力が生まれる。

 

時代の空気もうまい具合に反映されている。劇中で主に描写されるゼロ年代というと、オタクが少数民族として迫害された90年代とは違い、個々人の様々な趣味嗜好が徐々に社会に受容されつつある時代だった。Jovian自身も大学生の頃にはモーニング娘。の『 LOVEマシーン 』を寮の行事でノリノリで踊ったりしていた。なので、ハロプロにハマる劔やコズミンの感覚には充分に共感できた。

 

同時に、コズミンが仲間に向かってしばしば吐き捨てる「無職のオッサン連中」的な侮蔑の言葉も理解できるのだ。なぜハロプロなのか。なぜオタク趣味にハマるのか。それは社会に明るさが無いからだ。働くことそのものに喜びや希望が見いだせないからだ。あの頃は、そういう時代だったのだ。そして、その頃の空気の一部は現代にも確実に受け継がれている。だからこそ、本作は現在進行形ではなく過去形で語られる。本作は現在10代の若もには刺さるところが少なく、逆に30代40代50代には刺さりまくりだと思われる。

 

松坂桃李が良い感じ。歌が超絶下手くそなところも、逆に好感度を上げている。パンツ一丁の姿を堂々と披露するなど、サービス精神も旺盛だ。複数の女子といい感じにムードが盛り上がりながらも、結局何もしないままに終わってしまうところもオタクらしさ全開で非常に良い。

 

しかし、主役のはずの松坂桃李からsteal the showをしたのは中村太賀。こんなに憎たらしいキャラでありながら、しかし心底からは憎めないというギリギリの線を見切った演技。オタクにあるまじき肉食系男子で、略奪愛もなんのその。しかし、ネット弁慶ではあってもリアルの喧嘩(殴り合いではなく)ではへっぴり腰という、非常に血肉の通ったキャラクター。こんな奴と一緒に過ごす青春は、確かに忘れがたいだろう。『 佐々木、イン、マイマイン 』の佐々木に続く、青春の青臭さと素晴らしさを決定づけるキャラクターである。

 

大人になれば卒業はないとは言うものの、大人になるということは社会に適応するということ。つまり、個人の趣味嗜好をある程度は制限することになる。けれど、そこにギリギリのところで折り合いをつける生き方を選び取ったかに見える劔やその仲間たちには、なれなかったもう一人の自分を重ね合わせるかのような感慨がある。ラストシーンはなかなかに感動的。冒頭で劔が自転車で通り過ぎるあるシーンにつながり、この場面があることで劔やコズミンの物語が彼らだけのものではなく、広く他の人間にも当てはまることであるという演出になっている。良い作品とは、対象との距離を縮めてくれる作品である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210223221917j:plain
 

ネガティブ・サイド

劔の友人の「パチンコ」のアクセントがもうダメダメである。もっと大阪弁を勉強しろと言いたい。仲野太賀の第一声は何と言ったか忘れてしまったが、そこでも思わず頭を抱えてしまった。なんだかんだで大阪弁は現代日本の方言の中でも別格の地位にある。役者たるもの、もっと勉強してほしいし、監督もそうそう簡単にOKを出すべきではない。フォローをしておくと、仲野太賀のそれ以後の大阪弁の演技はすべて及第点以上だった。なぜ第一声だけが・・・

 

『 アンダー・ユア・ベッド 』の高良健吾が本質的にキモメンではないように、松坂桃李も本質的にキモメンではない。そこはやはりミスキャストか。勘違いしないで頂きたいが、オタク=キモメンと言っているわけでも、キモメン=オタクと言っているわけではない。このあたりについては『 ヲタクに恋は難しい 』のネガティブ・サイドでも論じたので、本稿では省略させていただく。

 

劔が常に「今が一番楽しい」というのは、作品そのもののテーマと矛盾しているように感じる。「今も楽しいけど、あの頃の楽しさはまったくの別物だった」という台詞こそがふさわしかったのではないか。

 

それにしても、なぜ本物の松浦亜弥を起用できなかったのだろうか。代役も悪い役者には見えなかったが、オーラが無かった。本人を起用してデジタル・ディエイジングを施すか、もしくはあやや役の女優の顔だけ松浦亜弥に差し替えるという選択肢はなかったのか。

 

総評

鮮烈・・・とは言い難いが、それでも印象的な青春ドラマである。ゼロ年代に20代だったJovianと同世代の映画ファンならば、当時の空気が再現されていることを懐かしく感じ取ることができるだろう。令和の今も、閉塞感溢れる社会という意味では、ゼロ年代と似通ったところがある。「松浦亜弥って誰?」となる若い世代も、意外に楽しめる作品かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

過去記事で何度か紹介した表現。「あの頃が懐かしい」、「当時は良かった」の意味。このように言い合える仲間がいれば、それは人生が豊かであったことの証明だろう。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 仲野太賀, 日本, 松坂桃李, 監督:今泉力哉, 若葉竜也, 配給会社:ファントム・フィルム, 青春Leave a Comment on 『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

Posted on 2021年2月21日2021年2月26日 by cool-jupiter
『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

すばらしき世界 85点
2021年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:役所広司 仲野太賀 六角精児 北村有起哉
監督:西川美和

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210221192908j:plain

『 ヤクザと家族 The Family 』に続いて、反社の人間と社会の距離感を描き出す傑作が送り届けられた。社会という大きな枠の中では、ヤクザや犯罪者というのは受け入れがたい存在だ。しかし、個人と個人の関係にフォーカスをしてくることで見えてくる世界の姿は、果たして本当にすばらしいのだろうか。本作はそうした問題提起である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210221192933j:plain
 

あらすじ

殺人犯として13年の服役を終えた三上(役所広司)は、弁護士らの助けを得て、東京で自立を目指していた。だが、元殺人犯で元暴力団員の三上に、行政は支援を渋る。そんな時、三上を使ってドキュメンタリー番組を作ろうと津乃田(仲野太賀)たちが三上に接近してきて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210221192950j:plain
 

ポジティブ・サイド

役所広司の円熟味を極めた演技が光る。三上という元暴力団員を見事に体現して見せた。直情径行を絵に描いたような男で、出所後も自分の意に沿わないことには声を荒げ、暴力にも訴えることにも抵抗が無い。そんな社会の粗大ごみ的な男であるが、よくよく見れば反社の人間というよりも、自分の価値観にとことん忠実な任侠の男。夜中にアパートで騒ぐ若者の元締め(元暴力団員)相手に律義に仁義を切ってからケンカをおっぱじめようというシーンには笑った。そう、三上という男は世の中に害をなしてやろうという思いなどなく、自分の正義感、そして自分の居場所を与えてくれる者たちに忠実なだけなのだ。その原因を三上の生い立ちに求めているが、そのドラマに非常に説得力がある。だからこそ、三上という人間の生き様に不可思議な魅力がある。

 

『 関ケ原 』で岡田准一、『 孤狼の血 』で松坂桃李相手に格の違いを見せつけてきた役所広司だが、今度は仲野太賀をクラッシュ・・・していない。むしろ自分の高みに昇ってこいと引き上げてやったかのように映った。奇しくも三上を追い、並んで歩くことになる津乃田のビルドゥングスロマンにもなっているのだ。二人の男が裸で汗と涙を流し合う場面(と書くと「何のこっちゃ?」と思われるだろうが)は、近年の邦画ではトップクラスの涙腺崩壊シーンである。

 

その他、脇を固める役者たちも出色のパフォーマンス。ついこの前にヤクザの若頭を演じていた北村有起哉が、三上の自立を支援するソーシャルワーカーを好演。はじめは行政の職員として石頭丸出しの対応だったのが、徐々に三上に親身に寄り添っていくようになる様は観る側の胸を打つ。また、近所のスーパーの店長を演じた六角精児も、三上の万引きを疑ったところから、三上が父親の郷里の隣町出身ということから熱心な支持者に転向していく。袖振り合うも多生の縁との言葉通り、ほんのちょっとした関係が深い縁になりうる。そうした現代社会が忘れていきつつある価値観を本作は強く印象付けてくる。

 

『 ミセス・ノイズィ 』でも描かれていたように、事実と真実はしばしば異なるものだ。三上がついに職を得て、働き始めた場所でも、三上の義憤に火をつけるような出来事が勃発する。しかし、三上は自制する。そのことによって悩み苦しむ。しかし、そこで思わぬ言葉を聞かされるシーンが象徴的だ。暴力男に正義があり、暴力を振るわれる弱者に非があるとしたら・・・そして弱者(それはしばしば障がい者や前科者、元反社の人間だ)の側に、社会の大多数の人間は寄り添ってはくれないのだ。しかし、ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。西川美和監督の問題意識と柔らかで、それでいて厳しい視線が感じられる傑作である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210221193010j:plain
 

ネガティブ・サイド

三上が母親を探し求めるサブプロットに決着をつけてやってほしかった。福岡でソープ嬢と母親を語らうのも「らしい」と言えば「らしい」が、やはり施設でサッカー後に泣き崩れるシーンが少々弱かった。地面に崩れ落ちるよりも、過去の自分の分身かもしれない目の前の子を力強く抱きしめてほしかったと思う。

 

あとは長澤まさみの出番か。三上と、三上を取り巻く人々の輪を見て、これはテレビ屋の関わってよい領分ではないと感得するシーンが欲しかったと思う。

 

最後の雨のシーンは正直、しょぼかった。『 パラサイト 半地下の家族 』のようなクオリティまでは求めないが、いかにも画面の外からシャワーを降らせてます、みたいな雨はやめてほしい。

 

総評

これは年間ベスト級の作品である。西川美和監督の渾身の一作である。これまで観よう観ようと思いながら先延ばしにしていた『 ゆれる 』や『 永い言い訳 』も、2021年中に鑑賞せねばと感じた。時代によって変わる個人と個人の距離感、そして個人と社会の距離感を秀逸な人間ドラマの形で活写した傑作。ぜひ多くの人に鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

hypertension

ハイパーテンションと書いてあるが、精神状態が極度に高揚しているわけではない。これは「高血圧」の意。 I have hypertension. =「自分、高血圧持ちでして」のような形で使う。high blood pressureの方が遥かに分かりやすいが、実際の使用頻度はほぼ五分五分であると感じる。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 仲野太賀, 六角精児, 北村有起哉, 役所広司, 感得:西川美和, 日本, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

『 迷宮物語 』 -迷い込むのか、自ら入っていくのか-

Posted on 2021年2月17日 by cool-jupiter

迷宮物語 80点
2021年2月16日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:津嘉山正種 銀河万丈 吉田日出子
監督:川尻善昭 りんたろう 大友克洋

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210217231025j:plain
 

確か小学生の頃にテレビ放送されたのを観た記憶がある。路地裏でピエロの影を追いかけたり、男が白目をむいていたり、壊れかけのロボットの不気味な歩き方などの断片的なイメージが、なぜか最近になって急に脳裏に浮かんできたので、アマプラにて鑑賞。

 

あらすじ

少女サチとその愛猫チチェローネは家屋内でかくれんぼをしていた。隠れているサチを探すチチェローネの前でピエロ付きのオルゴールが鳴り始める。鏡の中にサチを見たチチェローネは鏡の中に引きずり込まれ、サチと共に不可思議な世界を彷徨うことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianは幼少の頃は絵本が好きだった。特に『 おしいれのぼうけん 』や『 めっきらもっきらどおんどん 』を気に入っていた。今思えば、異世界への憧憬はこの頃に萌芽があったのだろうと自己分析。それが『 スター・ウォーズ 』にどっぷりとハマるきっかけになったのだろう

 

“ラビリンス*ラビリントス”

本作でもサチが迷い込む異世界には、不思議な懐かしさと奇妙な不安感が同居している。まるで『 千と千尋の神隠し 』を先取りしたかのような世界観である。もちろん、本作がその後の作品に影響を与えたのは事実であろうし、本作自身も先行作品からインスピレーションを受けていたことは間違いない。チチェローネが最初に隠れていたのは時計。サチが姿を消したのは鏡。アリスに影響されなかったというのは考えられない。そういう目で見れば、本作はintertextualityの見本のようでもある。

 

テレビゲーム黎明期のような画像の連続など、作り手の嗜好プラス当時の実験的な空気が色濃く反映された作品。迷宮というのは、自分から入っていってしまうものなのだなと思わされる。

 

“走る男”

 

打って変わって近未来の硬質的なサイバーパンク作品。『 アリータ バトル・エンジェル 』のモーターボールや『 バトルランナー 』のランニング・マン(これが原題で、奇しくも意味は“走る男”)のように、ディストピアな未来世界では人類はレースに熱狂するのだろう。チャンピオンのザック・ヒューが、虚実の定かならぬ領域でレースを戦っている様は、一種のホラーである。人馬一体という言葉があるが、人車一体、または人機一体になっているようだ。戦闘機パイロットは一般人には耐えられないようなGを受けても飛び続けるが、ザックも同じ感覚なのだろう。

 

迷宮というのは、いつの間にか入り込んでしまうものなのかもしれない。

 

“工事中止命令”

 

大友克洋の作品。栴檀は双葉より芳しである。スクラップ&ビルドの当時の日本経済や日本産業の本質をよく突いていると感じる。壊れかけのロボットが非常に良い味を出している。ロボットやAIは決して無謬な存在ではないことは『 2001年宇宙の旅 』や『 エイリアン 』でもお馴染みであるが、それを日本の気鋭のクリエイターが表現すると、本エピソードの出来上がりである。監督ロボにくっついている長い長いケーブルが印象的で意味深長だ。つまるところ、この狂ったロボットも末端に過ぎないわけだが、それは派遣されてきた杉岡勉も同じこと。弐瓶勉の『 BLAME! 』の東亜重工も、案外このような感じで超構造体を作り始めてしまったのだろう。

 

我々は知らず知らずのうちに、迷宮に生きているのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

“走る男”の絵には躍動感がない。レースマシンをもっと動かせとまで言わないが、ザック・ヒューという男(の魂のようなもの)が、いつの間にやら異世界に入り込んでしまっていたという展開に説得力を持たせるには、人間の限界を超えた過酷なレースを走っているという描写が不可欠のはずだ。

 

3作に共通するガジェット、またはテーマBGMのようなものがあればパーフェクトだった。テレビ(でなくともよいが)のリモコンだとか手帳といったものがすべて同じデザインである、または特定のBGMが同じ、またはオリジナルのちょっとした変調になっていれば、これらの迷宮世界のつながりを感じられたのだが。

 

総評

これほどクリエイターのアーティスティックな感覚を素直に映像化することは、現代では難しいのではないか。無難を志向して、低コストでそこそこの収益が上がる映画を量産してもよいが、ビジョンのある作家には、そのビジョンに忠実な作品を作れるようにしてやることも必要ではないか。1980年代の作品である本作を鑑賞して、あらためて現代に対して提言をしたいと感じた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be shrouded in mystery

~は謎に包まれている、の意味。ほぼ決まり文句である。彼の死は今も謎に包まれている=His death is still shrouded in mystery. と表現できる。Shroudという語は『 サッドヒルを掘り返せ 』で少し触れているが、ぜひ単語ではなくthe Shroud of Turinやbe shrouded in mysteryのように一塊で覚えてしまおう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, A Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 吉田日出子, 日本, 津嘉山正種, 監督:りんたろう, 監督:大友克洋, 監督:川尻義昭, 配給会社:角川書店, 銀河万丈Leave a Comment on 『 迷宮物語 』 -迷い込むのか、自ら入っていくのか-

『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

Posted on 2021年2月15日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215905j:plain

 

ファーストラヴ 50点
2021年2月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 中村倫也 芳根京子 窪塚洋介
監督:堤幸彦

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215850j:plain
 

原作は島本理央の同名小説で、『 望み 』の堤幸彦監督作品。俳優陣に旬の役者をそろえたが、その役者たちの奮闘と監督による演出や編集がかみ合っていないと感じられるシーンが多かったのが残念。

 

あらすじ

公認心理士の真壁由紀(北川景子)は、父親を刺殺した容疑者、聖山環菜(芳根京子)を取材する。真相を究明しようとする由紀と国選弁護人にして義理の弟の庵野迦葉(中村倫也)は、二転三転する環菜の供述に翻弄されていく。環菜の過去を探る過程で、由紀は封印した自身の心の闇に向き合うことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215935j:plain
 

以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

俳優陣の演技合戦が堪能できる。主演の北川景子はここ数年で最もコンスタントに売れている女優で、わざとらしさが残るものの、その演技も円熟味を増してきた。本作でも20歳ぐらいの大学生を(おそらくデジタル・ディエイジング無しに)演じ切った。仕事に燃えるキャリアウーマン、使命感に燃えるプロフェッショナル、夫と仲睦まじい妻といった成熟した女性と、男性恐怖症の大学生を同時に演じるというのは、かなりのチャレンジだったはず。だが、見事にその大仕事をやり遂げた。特に夫の腕の中で改悛と安堵の涙に濡れるシーンは本作の白眉の一つ。

 

芳根京子も圧巻の演技。凄惨な登場シーンから、ちょっと不思議ちゃんを思わせる最初の接見。そこから闇を心の奥底に隠した女子大生の顔を小出しにしていき、ある一点で心のbreaking pointを迎えるシーンは圧倒的だった。環菜の初恋には、触れざるべきものがあるのだと思わせるに十分な壊れっぷり。この役者は若いに似合わず、追い込めば追い込むほど実力を発揮できる役者なのではないか。法廷での弁論シーンも印象的。裁判官に正対して語りながら、その目は裁判官を見ていない。弱く、それでいて守られることのなかった自分に向き合っている。そのことがもたらす辛さや痛みが観る側にも如実に伝わってくる。芳根のキャリアの中でも最高に近い演技になったと思う。

 

最も印象に残ったのは、なんと窪塚洋介。堤幸彦監督作品の常連ながら、外連味のある役柄ばかりを演じていたという印象があったが、本作で過去のそうしたイメージを一気に払拭してしまった。忍耐力、包容力、理解力、共感力、家事家政能力。男が持つべき(などと書くとセクシズムに聞こえかねないが、これはロマンチシズムであると解されたい)能力を全て備えた男を好演した。Jovianの嫁さんも窪塚演じる我聞にいたく感じ入っていた。男としてどうかと思わざるを得ない野郎どもでいっぱいの本作の中で、窪塚洋介は一人で主要キャラクターたちのバランスメイカーとして有効に機能した。

 

物語(プロット)も、謎が提示され、その謎を解く。それによって新たな謎が生まれ、そのことが由紀の過去と不思議なフラクタル構造を成していることで、ミステリ要素とサスペンス要素を巧みに融合させている。単なるラブロマンスではなく、サスペンス色強めの愛の物語として、大学生以上の年齢の男女にお勧めできる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215958j:plain
 

ネガティブ・サイド

物語(ストーリーテリング)の面でアンバランスになっているとの印象を受けた。由紀が環菜を同一視していく過程に説得力がない。確かによく似た境遇の二人ではあるが、由紀と環菜で決定的に異なるのは、由紀は父親から直接的にも間接的にも虐待はされていないということ。そして、由紀の性体験に関するトラウマは環菜のそれの比ではないということ。正直なところ、なにが由紀をそこまで環菜の取材および真相究明に駆り立てるのかが分からなかった。『 さんかく窓の外側は夜 』や『 名も無き世界のエンドロール 』も映像化に際してかなり原作が改変されているようだが、本作もやはり原作には映像化しづらいエピソードがあるのだろう。事実、「あなたは母親に愛されなかったからセックス依存症になった」という由紀の指摘は、やや的外れに感じた。「母親に虐待されたから、暴力的なセックスをするようになった」という分析なら理解できる。また、由紀は環菜のような“笑うこと”、“自分で自分を傷つけること”といった防衛機制を作り上げていない。そこからどのように自分自身のファーストラヴにたどり着いたのかが見事なまでに抜け落ちている。原作におそらくあったであろう、そうしたエピソードこそ映像化にトライしないと、単に映画人が小説からネタだけ頂戴しているだけに思える。

 

演出もちぐはぐだった。回想シーンを印象的なBGMあるいは歌で飾るのは映画の常とう手段でそれ自体をクリシェだとか悪いものだとは思わない。問題は、同じ手法を短時間の中で連発すること。寿司屋で大将に「お任せで」と言ったら、玉子焼き→エビ→玉子焼き→エビ、と出されたようなものである。また芳根が面談の場で荒れ狂うシーンもスローモーションとBGMで誤魔化してしまった感がある。環菜の心の闇の濃さと深さを見せつけるせっかくの機会を、なぜに陳腐な演出で潰してしまうのだ?

 

最終盤の法廷シーンでもBGMがノイズになった。環菜が訥々と、しかし切実に自身の過去および心理を述べるシーンの静かな迫力は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』の小松菜奈のそれに比肩しうる。問題はBGM。完全に不要。「はい、ここで物語が盛り上がっていますよ~」と言わんばかりのBGMが、芳根の渾身の芝居をスポイルしていた。役者の演技はどれも悪くなかったのだから、どうすれば観客にそれが最大限伝わるのかをもっと真剣に模索すべきだ。

 

完全なる邪推なのだが、「髪を切る」というエピソードは原作には存在しないと推測する。『 花束みたいな恋をした 』でも感じたが、男が女の髪に触るというのは、今では普通のことなのだろうか。そこまでは認めてもよい。だが、出会って間もない女性の髪を切るというのは蛮行もいいところだと思うし、本当にそんなことが出来るのは腕と弁の立つ美容師か、究極のオラオラ系のホストぐらいだろう。

 

総評

俳優陣は皆、良い仕事をしている。一方で演出や編集、また原作からの脚本起こしに粗が見られる。原作小説を高く評価する人はスルーすべきかもしれない。北川景子や中村倫也のファンならば観ても損はない。得をするかどうかはファン度による。堤幸彦監督は良作だと駄作を交互に生み出すお方であるが、本作は可もあり不可もある作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

souvenir

「お土産」の意。旅先から持って帰って来るものを意味する。決して「夜遅くまで飲んでしまったから、嫁に手土産でも買っていくか」という類のものではない。それはgiftと呼ばれる。Souvenirという語に含まれるvenは、ラテン語で「来る」の意。カエサルの「来た、見た、勝った」=Veni, vidi, viciでお馴染みである。こうした語彙素の知識があれば、event = 出てくるもの = 出来事、prevent = 前に来る = 予防する、revenue = 後ろに来る = 収入、intervene = 間に来る = 介入する、などの様々な語も理詰めで覚えることができる。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 中村倫也, 北川景子, 日本, 監督:堤幸彦, 窪塚洋介, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

『 ガメラ2 レギオン襲来 』 -レギオンの造形美を見よ-

Posted on 2021年2月14日 by cool-jupiter

ガメラ2 レギオン襲来 80点
2021年2月11日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:水野美紀 永島敏行 藤谷文子
監督:金子修介

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210214013657j:plain
 

『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』の続く第二弾。怪獣ジャンル、そして特撮の素晴らしさをあらためて教えてくれる傑作である。コロナ禍でレイトショーも事実上禁じられているなか、ブルク7は子ども連れからオッサンの一人鑑賞組(Jovianもこれだ)で、かなり込み合っていた。やはり、ガメラという大怪獣にはそれだけの魅力がある、あるいは時代が求める何かがあるのだろう。

 

あらすじ

北海道に隕石が落下したが、自衛隊が探索しても発見できない。穂波碧(水野美紀)は隕石が動いたとの仮説を立てる。その後ほどなくして、札幌市内の通信に異常が起き始める。そして、地下鉄の線路上で謎の生物が現れ・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210214013716j:plain
 

ポジティブ・サイド

何をおいてもレギオンという怪獣の特異性に触れないわけにはいかない。隕石の正体が怪獣というのはキングギドラでお馴染みだし、宇宙出身の怪獣というのはガイガンやスペースゴジラ、ヘドラなどが先行しており、真新しいものではない。また小さな個体が巨大な個体へと変貌を遂げるのも1995年にデストロイアが先行して行っている。ただ、その小個体と巨大個体が別々の存在で、なおかつ旺盛に繁殖するというのは、これまでの怪獣映画には見られなかった特徴だ。

 

レギオンがケイ素生物であるという設定も秀逸。21世紀前の時点でケイ素生物を構想していた作品は漫画『 BLAME! 』ぐらいしかなかったと思うが、本作は『 BLAME! 』よりも前に発表されている。今でこそ宇宙生物学が花開きつつあり、ケイ素生物の実在が理論上で予測されているが、1990年代の時点でこのような世界観を構想していた人は少数だったはず。脚本家・伊藤和典の炯眼には恐れ入るほかない。そのレギオンの造形も素晴らしい。Jovianは割と昆虫の一部=宇宙由来という説を支持しているが、レギオンの甲虫的な外観はそうした考えを強力にバックアップしてくれているようで嬉しくなる。

 

本作も前作に劣らず謎の提示から謎解きまでのテンポがよく、観る者をぐいぐいと世界に引き込んでくれる。レギオンが作る草体のスケールの大きさよ。前作が『 シン・ゴジラ 』の模範的先行作品としてポリティカル・サスペンス要素を盛り込んで自衛隊出動へのハードルを下げてくれていたおかげで、本作の自衛隊の出動は非常にスムーズ。警察とビミョーに仲が悪いところもリアルで良し。ガメラと人間の共闘で侵略的宇宙生物を撃退するというのは、怪獣映画としてもSF映画としても、非常に質の高いエンターテインメントに仕上がっていると言える。

 

破壊のスケールもさらにアップ。『 ゴジラvsデストロイア 』で、ゴジラがメルトダウンして地球を吹っ飛ばしてしまうかもしれないというシミュレーションはあったが、本作は本当に仙台を吹っ飛ばしてしまった。ヘドラを除けば、怪獣映画としてはシン・ゴジラと並んで最も甚大かつリアルな被害をもたらしたと言えるかもしれない。

 

ミニチュアの街並みや建物の小道具を実際に破壊してしまうことから、一発で撮影するしかないという緊張感がある。それゆえに特撮によるバトルやエフェクトには、CGには絶対に出せない味がある。前作で宿敵ギャオスを倒したガメラは、本作では地球の敵を倒した。『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』の護国聖獣が日本国民を殺しながらも日本という国土を護ろうとしたというバックボーンを、金子修介監督は本作によって確立したのだろう。日本怪獣映画史に記録されるべき傑作である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210214013737j:plain
 

ネガティブ・サイド

水野美紀が若い。広瀬アリスとすずの姉妹によく似ているように思うが、ということはあの姉妹も水野美紀のような熟女になっていくのだろうか。それはさておき、水野美紀がやはり大根である。前作の藤谷文子も登場するが、こちらも大根。金子監督は役者の演出よりも樋口特技監督との打ち合わせで忙しかったのだろうと苦しい擁護をしておきたい。

 

子どもからダイレクトに力をもらうという昭和ガメラの様式美を映像美と合体させたが、このようなシーンをもう少し増やして欲しかった。首都圏絶対防衛ライン前での攻防や、ウルティメイト・プラズマ発射前にマナを集めるシーンで子ども達に「ガメラ、頑張れ」と言ってもらうシーンが数秒で良いので欲しかったと個人的に思う。

 

総評

『 ガメラ3 邪神覚醒 』もDolbyCinemaで再上映されるのだろう。そうでなければ嘘だ。『 シン・ウルトラマン 』の公開を今夏に控え、令和時代に特撮ジャンルの復活なるか。かつて大映から「ゴジラとガメラの対決を」と呼びかけられた際に東宝は「貫目が違う」といって退けたが、もうそんな見栄やプライドの時代ではないだろう。GW明けには『 ゴジラvsコング 』も公開予定なのだ。邦画界は怪獣および特撮の“ユニバース”を真剣に考えるべき時に来ている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

situation

状況、の意。単なる状況ではなく、まずい状況を意味する。イラクや南スーダンの日報問題で「戦闘」という言葉が使われてしまったが、自衛隊は元々この言葉を使えなかった。代わりに使っていたのが「状況」で、「状況を開始する」とか「状況を終了する」と言い換えていたわけだ。その英語がsituationである。“We’ve got a situation.”=「まずいことになった」である。状況=situationという丸暗記は絶対にやめておこう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, 怪獣映画, 日本, 水野美紀, 永島敏行, 監督:金子修介, 藤谷文子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ガメラ2 レギオン襲来 』 -レギオンの造形美を見よ-

『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

Posted on 2021年2月11日 by cool-jupiter

哀愁しんでれら 50点
2021年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:土屋太鳳 田中圭 COCO 山田杏奈
監督:渡部亮平

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215123j:plain
 

なにやらストーリーがさっぱり分からないトレイラーばかりを見せられているうちに、気になってきた作品。土屋太鳳が母親役を演じるということで、新境地が見られるかと思い、劇場へと向かった。

 

あらすじ

市役所で自動相談員として働く小春(土屋太鳳)は、10歳の頃に母親に捨てられたことから、そんな大人にだけはなるまいと誓っていた。祖父の入院、実家の火事などの災難続きなところへ恋人の浮気も発覚。どん底にいた小春は、偶然にもクリニック経営者の大吾(田中圭)を踏切内で助ける。大吾の娘のヒカリにも気に入られた小春はとんとん拍子に大吾と結婚、幸せな生活が始まるが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215150j:plain
 

ポジティブ・サイド

土屋太鳳の新たな一面が見られる。これまでのどこか受動的なキスではなく扇情的なキス。閨事のはじまりに、事後のピロートークなど、年齢相応の役を演じられるようになってきた。『 累 かさね 』でも鼻持ちならないキャラを演じていたが、本作をもってそうしたキラキラ女子高生および女子大生イメージからは完全に脱却したと言っていいだろう。

 

相手の田中圭も安定感のある演技で応える。さわやか系ではあるが、チンピラから暴力的な刑事まで何でも過不足なく演じられる標準以上の俳優で、今回は哀愁しんでれら相手のプリンス・チャーミング役を好演。白馬に乗った王子様であるが、この王子様は馬刺しを食べる王子様である。

 

役者陣で最も印象的だったのはCOCOという子役。『 コクソン 哭声 』の子役のキム・ファンヒの怪演には及ばないが、それでも最近の子役のパフォーマンスでは白眉。無邪気な小学生の顔ともう一つの顔を見事に演じ分けた。監督の演出と本人の個性がマッチしたのだろう。こういう子どもが『 約束のネバーランド 』にいれば、ミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうに。

 

ところどころに人間の根源的な願望というか、見たいものを見るという選択的な意志が働くショットがあり、そこは面白いと感じた。そして、そのビジョンの一つを実現させてしまうラストには笑ってしまった。邦画らしくない邦画で、こうした企画が通り、実現されるのだから、日本の映画界ももう少し見守ろうという気になれる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215216j:plain
 

ネガティブ・サイド

土屋太鳳を追い込むなら、もっと徹底的にやるべきだ。男性器をかわいらしく言い換えた言葉も使うが、そこは「あんたの粗末なアレ」とか言うべきだったと思う。序盤と終盤での土屋の変化の落差を印象付けたかったのだろうが、すでにこの時点で小春は不幸のどん底だった。つまり、本音がポロリと漏れやすい状態、思わずきつい言葉を吐いてしまう状態だったわけで、落差を印象付けるなら、ここだった。

 

新居となる家が大きすぎる。『 シンデレラ 』の城のイメージなのだろうが、それなら靴ばかりに不自然にフォーカスするのではなく、小春のバックグラウンドも分かりやすくシンデレラのようにするべきだった。母親に捨てられるというのは辛い体験であるが、その後に家族と共に結構楽しそうに暮らしていては、シンデレラ・ストーリーを成立させにくい。家族によって無意識のうちに抑圧されていたという背景を小春に持たせた方が、荒唐無稽なストーリーにも少しはリアリティが生まれる。

 

その迷い込んでしまった城でも、ホラーのクリシェが多すぎる。薄気味悪いガジェットで埋め尽くされた部屋も既視感ありありだし、気味の悪い肖像画というのもお馴染みのアイテム。シンデレラ・ストーリーを恐ろしいものに見せたいのなら、王子様が怖い人だったという構成ではなく、お城暮らしをするようになったシンデレラが、いつの間にか下々の者を見下すようになっていた、という筋立ての方が説得力があっただろう。山田杏奈演じた小春の妹が大吾にネチネチと嫌味を言われるシーンがあるが、こういった言葉を小春自身が可愛がっていた妹に知らず知らずのうちに浴びせていたという方がサイコな怖さを演出できたと思う。

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』並みにジャンル・シフトする作品である。だからといって面白さはその域には全然達していない。けれども、邦画が及び腰になっていた領域に果敢に突っ込んでいった点は評価せねばなるまい。ドラマスペシャル『 図書館戦争 BOOK OF MEMORIES 』、『 図書館戦争 THE LAST MISSION 』の二人のreunionを喜べる人であれば、チケットを購入してみてもいいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

disqualify

失格させる、の意。元々の動詞、qualifyに否定の接頭辞disがくっついたものである。「母親失格です」ならば“You are disqualified as a mother.”となる。他にもunderqualifiedやoverqualifiedなどの語は、外資系で採用に携わっている人はしょっちゅう耳にしていることだろう。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, COCO, D Rank, スリラー, 土屋太鳳, 山田杏奈, 日本, 田中圭, 監督:渡部亮平, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』 -一緒に食べて友達になろう-

Posted on 2021年2月9日 by cool-jupiter

THE 焼肉 MOVIE プルコギ 50点
2021年2月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:松田龍平 山田優 井浦新
監督:グ・スーヨン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210209002043j:plain
 

『 偶然にも最悪な少年 』のグ・スーヨン監督の作品。焼肉を通じて経済活動の醜さと人間関係の尊さを面白おかしく描いている。2020年の1129(いい肉)の日にテレビ放送されていたが見逃したため、今回レンタルにて鑑賞。

 

あらすじ

兄と生き別れた韓国人孤児から成長したタツジ(松田龍平)は北九州のプルコギ食堂で伝説のじっちゃんの下で修行の日々を過ごしていた。そんな時、テレビの焼肉対決番組で破竹の連勝を続ける虎王の経営者トラオ(井浦新)から挑戦があり・・・

 

ポジティブ・サイド

本当においしい店は外観にカネなどかけない。まるで『 焼肉ドラゴン 』のようなたたずまいの店で、従業員も客も笑い合う。コロナ禍の中で見られなくなった“会食”の風景に、こちら側も笑顔になれた。

肉そのものへのフォーカスにも抜かりはない。赤肉と白肉(=いわゆるホルモン)の対比を軸に、トラオとタツジの対決につなげていくが、そこで実際に虎王によって供される肉料理もなかなかのもの。『 フードラック!食運 』が疎かにした、焼肉以外のメニューを本作はしっかりフィーチャー。さらにプルコギ食堂が出すメニューやまかない飯もかなり食欲をそそる。特に豆もやしスープは、ニンニクとわかめのスープほど焼肉料理屋ではメジャーではないが、好きな人は何より好きだという通のメニュー。さすがに在日二世のグ・スーヨン監督である。特に荏胡麻の葉っぱ(ケンニップ)のしょうゆ漬けを持ってきたところに、監督のこだわりを見た。メニューに荏胡麻の葉がある店はそんなに多くないが、実際はありふれた総菜の一種である。これに加えられた隠し味が焼肉対決でも、またタツジの兄探しにも大きな役割を果たしている。

 

プルコギ食堂でも虎王でも、調理場でさりげなく復讐種類の包丁がフレームに収められているところでニヤリ。『 フードラック!食運 』がエンドクレジットの実在の店のショットで初めて映したところを、本作は全編にさりげなく忍び込ませている。焼肉を食べるのが好きな人が作ったのが『 フードラック!食運 』。焼肉という料理そのものを好きな人が作ったのが本作だということが伺える。そのことは、肉の焼き色ではなく、肉と油が熱によって内側で爆ぜる音に耳を澄ますという描写からも明らかである。

 

俳優たちも何気に豪華だ。松田龍平の無表情さは孤児のバックグラウンドを感じさせるし、山田優も若さそのままの健康的な色気を放っている。劇中で死亡してしまった韓老人を演じた田村高廣の遺作となってしまったが、その死の演技は圧巻の一語に尽きる。『 ターミネーター2 』のディレクターズカットで、T-800のプログラムをいじくる時のシュワちゃんの静止演技をはるかに超える長尺ワンカットでまばたき一つしないという超絶的な演技を見せた。名優に合掌。

 

ネガティブ・サイド

津川雅彦をはじめとした焼肉バトルの審査員がボキャ貧もいいところだ。もっと肉の美味さを映像的に分かる形で表現しないと。特に赤身肉の美味さというのは、タンパク質=筋肉の繊維がしっとりとしていて、噛めば肉汁を出しながらすんなり噛み切れるところにある。そういった肉の特徴を、もっと擬音語や擬態語でもって語らないと。「噛むと肉汁がじゅーっと溢れて、それでお肉もサックサクで、のど越しもツルン」みたいな大仰な表現をしてほしかった。

 

タツジが納得いかない出来の肉を皿ご放り投げるシーンには、元焼肉屋ならずとも腹が立った。タツジのキャラクターを描くうえで重要な演出でもないし、「これ、処理しといて」とか「テレビのスタッフさん、食べてください」とでも言えば、横柄ではあるものの食べ物を粗末にしない人間であるというふうに描出できたはず。

 

コメディ調ではあるものの、そのトーンが一貫しない。牛を連れてきて対決をする男にひらすらセロリをかじる男。セクシーギャルを使っての客引きなど、コメディっぽいシーンはふんだんにある。一方で、暴力沙汰も結構あり、これらのシーンは笑えない。このあたりのアンバランスさが本作のトーンから一貫性を奪って、ジャンル不詳にしてしまっている。

 

最も気になったはタイトルにあるプルコギがほぼ出てこないこと。プルコギはどちらかと言うと韓国風すき焼きで、韓国風焼肉とは別物。ちなみにJovianが思い描く、そして韓国で実際に食べた韓国風焼肉とは、鉄板で焼いた豚肉・牛肉を、玉ねぎやニラやニンニクと少量のご飯と共に葉野菜でくるんで食すものを指す。せっかく北九州という韓国に非常に近い土地にフォーカスしているのだから、朝鮮半島由来の料理をもっと登場させてみても良かったのでは?

 

総評

焼肉は比較的安全な外食とされるが、まだまだ不安のある人も多いことだろう。そうした向きが観ると良いかもしれない。井浦新が、この頃はまだARATA名義である。井浦のファンならば是非見よう。もちろん、松田龍平ファンにもお勧めである。誰かと一緒に食べることが難しい今だからこそ、本作の持つ「一緒に食べて友達になろう」というメッセージが、より尊く響いてくる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grill

「(鉄板や網に乗せて)焼く」の意。日本語では「焼く」は「焼く」だが、英語では他にもburnやbake, broil, roastなど、焼き方によって様々な動詞がある。無理やり丸暗記するのではなく状況と共に、かつビジュアルイメージを持って理解することが、コロケーションの知識を深めていくことにつながる。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, D Rank, コメディ, 井浦新, 山田優, 日本, 松田龍平, 監督:グ・スーヨン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』 -一緒に食べて友達になろう-

『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

Posted on 2021年2月7日2021年2月8日 by cool-jupiter
『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

花束みたいな恋をした 75点
2021年2月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉 有村架純
監督:土井裕泰

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210207134529j:plain
 

昨今の邦画では珍しい、映画オリジナル作品。それだけで劇場に向かう価値はある。同じように感じた人が多かったのか、MOVIXあまがさきの5番シアターには老若男女が詰めかけていた。実際の映画の仕上がりも標準以上のものだった。

 

あらすじ

大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は終電を逃してしまったことから偶然に出会う。サブカル趣味が共通する二人はたちまちのうちに意気投合。やがて付き合うことになるが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210207134545j:plain
 

ポジティブ・サイド

 

以下、ネタバレに類する記述あり

 

主演の二人がスターでありながら、まったくオーラを発していないところが素晴らしい。まさに等身大の大学生からひよっこ社会人という感じである。おそらく本作が刺さるのは、菅田将暉や有村架純の同世代ではなく、Jovianのような中年世代の方だろう。少女漫画の実写映画化のプロットやキャラクターの背景からは「ああ、俺にもこんな青春があったなあ」とは思えないが、本作の麦と絹の二人からはそれが濃密に感じられる。はたから見れば何のことか分からない話題で盛り上がれるというのは、特に東京の大学生には重要である。地方から出てきて、全く新しい人間関係をゼロから構築する中で同好の士を見つけることは至上ミッションなのだ。大学の部活やサークル、同好会に居場所を見出せれば良いが、それができなかった場合は外に居場所を見つけなくてはならない。麦と絹は一種のアウトサイダー同士なのだ。麦と絹が互いの文庫本を見せあって破顔一笑するシーンでは、大学時代に栗本薫の『 グイン・サーガ 』シリーズや小野不由美の『 十二国記 』シリーズの話題で盛り上がれる女子に出会ったことを思い出した(その女子とは友達で終わってしまった・・・)。作家や作品名などに固有名詞がバンバン出てくるが、そこは自分なりに脳内で改変して楽しめばいい。これはそういう映画である。

 

麦と絹のフリーター同士の交際から同棲、そして徐々に生活に齟齬が生まれてくる流れも巧みで自然だ。自然と言うのは、よくあることという意味ではなく、誰もが自分なりに置き換えて消化できるエピソードになっているということだ。麦が絹に自作のガスタンク映画を見せてやり、その長さに思わず寝入る絹の寝顔を見つめる麦の表情が印象的で、Jovianは『 ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間 』を有楽町で一緒に観た大学の同級生(友達で終わった女子ね・・・)を思い出した。

 

麦の趣味であり夢であるイラストレーター、絹の趣味である「ラーメンと女子大生のブログ」が、二人の生活に占める割合が変化していく様が演出の妙。イラストで身を立てようとして上手く行かない麦と、ラーメン屋巡りはスパッと辞めてしまったかに見える絹。男は年齢を重ねてロマンチストになるが、女性は年齢を重ねてリアリストになっていくという対比が見えて、上手いなと感じた。就職および仕事を巡っての心の在りようの変化も真に迫っている。『 何者 』でも共演した二人だからこそ、このあたりの芝居も非常にスムーズ。

 

別れのシーンも秀逸。これって俺の話なのか・・・、と困惑させられ、同時に痛く共感させられたのが、別れを切り出された麦が、絹に結婚を提案するところだ。若気の至りなのか、自分も血迷って別れ話の席で全く同じことをしたことがある。脚本家・坂元裕二の体験でもあるのか、それとも男性に普遍的な思考回路なのか。おそらく後者なのだと思うが、このシーンでは我あらず涙ぐんでしまった。その後に二人に別れを決断させる演出は反則。このシーンは絶対にB’zの『 いつかのメリークリスマス 』の最後の歌詞にインスパイアされている。間違いない。勝手に断言させてもらう。若者向けではなく、中年向け映画であると、ここで確信した。

 

劇中、邦画では珍しく駅名や地名がポンポン出てくる。飛田給と言えば東京外大。その昔に何回か合コンしたが、戦果ゼロ。明治大は高校の同級生が通っていたので、何度か訪れたことがある。そして何と一瞬だけではあるが、三鷹市芸術文化センター、通称ゲーセンが映っていたではないか。国際基督教大学出のJovianにとって馴染みのあるスポットである。自分のよく知る景色が出てきたことで、ここでもやはり5点オマケしておく。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210207134607j:plain
 

ネガティブ・サイド

いつ頃から、「好きです、付き合ってください」が「付き合ってください」だけOKというふうに変わったのだろうか。15~20年ぐらい前は「好きです」がないと、「付き合ってください」につながらなかったと記憶しているが、いつの間にやら「え、俺らってもう付き合ってるでしょ?」みたいな時代になったのか。『 勝手にふるえてろ 』でも松岡と渡辺のそんなシーンがあったが、本作ぐらい中年層にアピールする作品ならば、その世代の若い頃の恋愛文法に従ってほしかった。

 

冒頭から独白が多すぎるようにも感じた。キャラクターの心情を言葉で観客に効かせるのは悪いことではない。それが効果的であることも多い。けれども、本作のように観る側の経験や記憶、感情を刺激する作りであるならば、すべてを麦と絹に語らせるのではなく、行間に余裕を持たせた語りをさせるべきではなかったか。

 

引っかかったのは、麦が絹の髪をドライヤーで乾かしてやるところ。女性の髪に触るという行為は、めちゃくちゃハードルが高い行為に思えるのだが。俺が立派なオッサンの完成だからかな。このエピソードは三日間セックスしまくった後のシャワー後の方がよりリアリティがあったのでは?

 

自称・映画好きが『 ショーシャンクの空に 』を挙げるシーンで麦も絹も表情が凍り付くが、別ええやんけ・・・。『 ショーシャンクの空に 』も、別に最初から大ヒットしたわけじゃなく、徐々に人気が上がっていったメインストリームではなかった作品。ここは『 スター・ウォーズ 』とか『 アベンジャーズ 』と言わせるべきだった。

 

総評

劇場にたくさん来ていたが、10代20代には積極的にはお勧めしない。『 僕の好きな女の子 』同様に、30代40代にこそ観てほしいと個人的に思う。ハッピーエンドでもなくバンドエンドでもない。人生の中で確かにそこにあった青春を、時をかけて慈しめるようになった世代向けの作品。鑑賞後、なぜか無性にB’zのミニアルバム『 FRIENDS 』を聞きたくなった。中年男性B’zファンなら共感してくれるものと思うし、そうでなくとも青春の1ページを確かに思い起こさせてくれることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

劇中の「楽しかったね」の私訳。『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』でも紹介した表現。語学学習はある程度の丸暗記が必要だが、一定以上のレベルに達したら状況とセットで理解することを目指すべし。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 日本, 有村架純, 監督:土井裕泰, 菅田将暉, 配給会社:リトルモア, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

『 ヤクザと家族 The Family 』 -家族観の変遷を描く意欲作-

Posted on 2021年2月4日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210204020304j:plain

ヤクザと家族 The Family 80点
2021年1月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:綾野剛 舘ひろし 尾野真千子 豊原功補 磯村勇斗
監督:藤井道人

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210204020329j:plain
 

『 新聞記者 』の藤井道人がまたしても秀作を届けてくれた。『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』は見逃してしまったが、おそらくこの監督は2020年代の邦画を支える存在に成長していくことだろう。そう思わせてくれるだけの力量を本作から感じ取った。

 

あらすじ

山本賢治(綾野剛)は父を亡くした。覚せい剤中毒だった。街中で偶然に目にした売人からクスリと金を奪った賢治は馴染みの料理屋に向かう。そこにやって来た柴咲組組長・柴崎(舘ひろし)の危機をたまたま救ったこと、さらに売人の属する組の者から追われていたことから、賢治は柴咲と親子の杯を交わす。そして賢治はやくざ稼業で徐々に頭角を現していくが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210204020352j:plain
 

ポジティブ・サイド

本作は現時点での綾野剛のキャリア・ハイである。『 新宿スワン 』の演技も良かったが、あちらは漫画のキャラクター、つまりは原型が存在していた。対して本作は映画オリジナル、つまりは一から監督兼脚本家の藤井道人と共に作り上げたキャラクター。この差は大きい。前者は極端な表現をすれば物真似で、後者こそ演技と呼べる。

 

2005年で25歳ということは、賢治はJovianと同世代である。20歳から39歳までを演じ切った綾野剛の演技の幅には唸らされた。少年期の無軌道なチンピラぶりと、寺島しのぶの切り盛りする焼肉屋での無邪気な会話のギャップ。柴咲組の構成員として夜の街を仕切る若手。そしてお務めを終えて嗄声気味になってしまった中年の入り口。タバコの吸い過ぎ、および肉体的な衰えを声だけで表してしまった。クリスチャン・ベール演じるバットマンとは一味違う、というよりもそれ以上に巧みな声の演技だと評したい。綾野剛が時代と共にどん底から絶頂へ、絶頂からどん底へという人生を送るのだが、すべての時代において強烈な生き様を見せつけている。

 

親分である舘ひろしや敵対する組の豊原功補など、役者としての先輩や大御所級が古いヤクザ、そして新しい時代に適合しようとするヤクザを熱演。法に照らして良いか悪いかを判断するなどというのは野暮というものである。昭和を古き良き時代と回想できるかどうかは人による、あるいは時代に拠るのだろうが、昭和から平成、そして令和となった今の時代、高齢ヤクザは間違いなく昭和を古き良き時代と回想するだろう。本作が描くのは平成から令和の世である。つまりは、本作に描かれるヤクザ者たちも、没落していく、絶滅していくという大きな時代の流れに飲まれつつあるのである。そうした時代に雄々しく生きようとする男たちに、何故これほど胸を揺さぶられるのか。Jovianはヤクザが嫌いであるし、中学生や高校生の頃に父親と一緒に観た高倉健の任侠映画の討ち入りだとか、自分を慕ってくれる人のための敵討ちだとか、そういう浪花節には心を動かされなかった。しかし、本作の賢治の生き様には不覚にも感動を覚えた。俺も年を取ったということかな・・・

 

賢治と尾野真千子演じる由香のロマンスも良い。意味なく夜の海へとドライブに行くシーンが印象的だ。周りには誰もおらず、二人きり。それでも賢治はヤクザという鎧を脱ぎ捨てることができない。このシーンがあるがゆえに、その後に賢治がヤクザではなく一人の弱々しい男として由香の前に現れる場面で、由香の包容力がよりいっそう際立つ。『 影踏み 』でも感じたが、尾野真千子の母性の表現には脱帽である。

 

令和の時代、ヤクザの凋落っぷりと半グレの台頭、そして元ヤクザに対する世間の風当たりの強さ。面子や体面に命をかけるヤクザには生きづらい世の中だ。と言うよりも、生きていくことが許されない世の中だ。このように映し出される“今”という時代に我々は何を見出すべきか。コロナ前に撮影されたであろう本作は、驚くほどコロナ禍の今を映し出している。自粛警察やマスク警察が跋扈し、飲食店に無理な休業をさせた政府に「補償と休業はセット」と言いながら、実際に休業あるいは時短営業した店に補償を行うと、今度はそれらの飲食店を叩く時代である。元ヤクザの家族というだけで退職や転校を余儀なくされてしまうところに、コロナ感染者叩きと全く同根の社会病理を見る思いだ。実際にJovianの同僚の娘さんの小学校では、とある生徒の親がコロナ陽性となり、その子も濃厚接触者認定され、学校を休んだ。結果としてコロナいじめが発生し、転校せざるをえなくなった事例があったという。未成年はかなり高い確率で大丈夫と判明しつつあった2020年に日本各地の学校で学年閉鎖(学級閉鎖ではない)が頻発したのは、誰がコロナ陽性あるいは濃厚接触者であるかを分からなくするためという目的もあったのだ。

 

決してハッピーエンドではない本作であるが、それでもヤクザが家族を持つこと、そしてヤクザという疑似家族関係について、大きな示唆を与える問題作となっている。2020年の邦画のトップ3に入るだろうと2月の時点で予言しておく。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210204020421j:plain
 

ネガティブ・サイド

舘ひろし演じる柴咲の親分があまりにも無防備すぎる。「俺の命、取れるものなら取ってみろ!」と敵対する組に凄んでおきながら、ろくにボディガードもつけずに釣りに出かけるとはこれ如何に。クルマも防弾仕様にしておきなさいよ。実際に銃を持った相手に襲われるのは、初めてではないのだから。

 

寺島しのぶは在日のオモニやね。序盤で、店内に飾られている人形がチョゴリを着ていたが、もうちょっと分かりやすく在日アピールすべきだったかもしれない。家族という血のつながりそのものの関係よりも強い関係が、たとえば外国人とも結べるのだというサブプロット的なものが欲しかった。日本社会の底辺あるいは周辺に生きる者たちの連帯=疑似家族関係が描かれていれば、成長した翼が率いる半グレ軍団の結束などにも説得力が生まれたかもしれない。

 

総評

現代日本において血のつながり以外で家族的な関係を生じさせるものというと、職人の世界が思い浮かぶ。寿司職人や大工、お笑い芸人や噺家の世界には親方や兄貴分が存在する。もう一つは政治の世界か。派閥の論理でポストが決まり、国民ではなくお友達だけを優遇厚遇する政治家連中は今でも派閥の領袖を「親父さん」などと呼んでいる。家族と言う閉じられた関係性は美しいものであると同時に「反社会的」にもなりうるというアンチテーゼまで、見えてくる気がする。非常に優れたヒューマンドラマであり、社会的なメッセージも内包した傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

start over

「やり直す」、「もう一度最初から始める」の意味。劇中で舘ひろしが綾野剛に「お前はやり直せる」と言葉をかけるシーンがある。その私訳は“You can start over.”となるだろうか。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 尾野真千子, 日本, 監督:藤井道人, 磯村勇斗, 綾野剛, 舘ひろし, 豊原功補, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 ヤクザと家族 The Family 』 -家族観の変遷を描く意欲作-

投稿ナビゲーション

過去の投稿

最近の投稿

  • 『 秘密への招待状 』 -邦画もしくは韓国映画で再リメイク希望-
  • 『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-
  • 『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-
  • 『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-
  • 『 私は確信する 』 -人間が裁かれるということ-

最近のコメント

  • 『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス- に cool-jupiter より
  • 『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス- に 伊藤 より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に cool-jupiter より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に 匿名 より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に cool-jupiter より

アーカイブ

  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme