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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 伝記

『 フォードvsフェラーリ 』 -戦友と共に戦い抜くヒューマンドラマ-

Posted on 2020年1月12日 by cool-jupiter

フォードvsフェラーリ 75点
2020年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マット・デイモン クリスチャン・ベール
監督:ジェームズ・マンゴールド

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タイトルはやや misleading である。アメ車のフォードとイタ車のフェラーリの戦いというよりは、フォード社内のイニシアチブ争いがメインになっている。そういう意味では『 OVER DRIVE 』というよりは、『 七つの会議 』&『 下町ロケット 』的である。もちろん、カーレースは迫力満点で描写されており、アクション面でも抜かりはない。

あらすじ

フォード社はフェラーリ社を買収しようとするも失敗。フォード2世はその腹いせにフェラーリを公式レースで破ることを決意。ル・マン24優勝経験者のキャロル・シェルビー(マット・デイモン)を登用する。シェルビーはドライバー兼開発者のケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)と共に、新車の開発に邁進するが・・・

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ポジティブ・サイド

マット・デイモンが光っている。元ドライバーとしての炎がくすぶっていながら、健康上の理由でレースには出られない。カリスマ性と口舌で車のセールスマンとして成功しながらも、勝負師として完全燃焼しきれないというフラストレーションが隠せていない、そんな男を好演した。このレーサーでありながら会社員という二面性が、シェルビーというキャラクターを複雑にし、また味わい深い人物にしている。サラリーマンがロマンを感じやすく、なおかつ親近感を覚えやすいのである。

そんなシェルビーのsidekick を演じたケン・マイルズも渋い。ふと、『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーは、ケンの孫、つまりピーターの息子なのかな、などとあらぬことも考えた。スポーツカーはスポーツカーらしく乗れと顧客に言い放つのは、傲慢さからではなく、クルマへの純粋な愛着からである。そのことは、自分のクルマを“she”と呼ぶことからも明らかである。男性は自分の乗り物をしばしば愛車や愛機と呼ぶのである。だからといってケンがクルマ一辺倒の男だというわけではない。彼にはプロフェッショナリズム以上に妻と息子への愛情があり、チームへの信頼がある。開発中のクルマのパーツや性能の不満をあけすけに語るのは、それをチームが改善できると確信しているからだ。

この現場組と、フォード2世をはじめとする経営側、つまり背広組の間のイニシアチブ争いがプロットの大きな部分を占めている。フェラーリ買収の失敗はドラマの始まりであり、1966年のル・マン24時間レースは、ドラマの大きな山であるが、本筋は男たちの友情と、ある種の権力闘争である。営業と企画、支部と本社など、普通のサラリーマンが入りこめる話である。特に、現場のリーダーであるシェルビーに己を重ね合わせる一定年齢以上の会社員は多いのではないか。中間管理職として胃が痛くなるような展開が続き、ただでさえ心臓に爆弾を抱えているようなものなのに、胃にまで穴が開いてはかなわない。そんなシェルビーがル・マンのレースで、犯罪スレスレの行為で敵チームをかく乱する一方で、フォード社の獅子身中の虫とも言うべき副社長を相手に一歩も引かない対決姿勢を鮮明にする。このような男を上司にしたい、またはこのような男を同僚に持ちたい、と感じるサラリーマンは日本だけで300万人はいるのではないか。

レースシーンも迫力は十分である。特に7000rpmの世界は新幹線のぞみ以上の世界で、人馬一体ならぬ人車一体の世界である。“There’s a point at 7,000 RPMs where everything fades. The machine becomes weightless. It disappears.”というシェルビーの呟きが何度か聞こえるが、何かもが消え去った世界でケン・マイルズの脳裏に浮かんだものは何であったのか。それは劇場でご確認いただきたい。

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ネガティブ・サイド

レースシーンの結構な割合がCGである。CGの醸し出すウソ臭さは、気にする人は気にするし、気にしない人は気にしない。Jovianは気になってしまうタイプである。ちょうどグランフロント大阪のピクサー展でサーフェシングやライティングについて見学をしてきたというタイミングの良さ(悪さ?)もあったのかもしれないが。

背広組で唯一、現場の力になろうとするリー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)の存在感が皆無である。上層部へのプレゼンの失敗フェラーリの買収交渉失敗、副社長の現場介入阻止の失敗と、失敗続きである。これが史実なのだろうか。もうちょっと美化した描き方はできなかったのだろうか。

翻訳に一か所、間違いを見つけてしまった。新聞のヘッドライン“FORD LOSES BIG”が、「 フォード、巨額の損失 」と訳されていたが、これは誤りである。正しくは、「フォード、(レースで)惨敗」である。林完治氏のポカであろう。

総評

これは血沸き肉躍る傑作である。レースのスリルと迫力よりも、モノづくりに全精力を惜しみなく注ぎこむ男たちのドラマを楽しむべきである。男と男が分かり合うためには激しい言葉をぶつけあうことも必要だが、取っ組み合いの喧嘩の方が早い場合もある。我々がシェルビーとマイルズの関係に魅せられるのは、二人が子どものまま大人になっているからなのだ。男一匹で観ても良し、夫婦でもカップルでも良し、家族でそろって観るのも良しである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll be damned.

「こいつは驚いた」というニュアンスの表現である。かなりインフォーマルな表現である。とにかくビックリした時に使おう。“I’ll be damned.”だけでも頻繁に使われるが、 I’ll be damned if ~ という形で使われることも多い。

I’ll be damned if he knocks out the champion.

I’ll be damned if I fail this test.

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, クリスチャン・ベール, スポーツ, ヒューマンドラマ, マット・デイモン, 伝記, 歴史, 監督:ジェームズ・マンゴールド, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 フォードvsフェラーリ 』 -戦友と共に戦い抜くヒューマンドラマ-

『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』 -愚直で朴訥な男の伝記-

Posted on 2020年1月8日2020年1月8日 by cool-jupiter

シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 80点
2020年1月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ジャック・ガンブラン レティシア・カスタ
監督:ニルス・タベルニエ

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嫁さんが観たいと言ったのでチケットを買ったが、これが大当たり。本作は珠玉の biopic である。フェルディナン・シュヴァルは、フランス語辞書の「愚直」、「朴訥」といった語の説明用の挿絵に使われるような男だということが、本作を通じて実感を持って感じることができた。

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あらすじ

郵便配達人のF・シュヴァルは妻に先立たれ、息子も里子に出すことになってしまった。悲しみを押し殺し、黙々と職務に打ち込むシュヴァルは、未亡人のフィロメーヌと知り合い、再婚する。そしてアリスという娘を授かる。ある日、大きな石につまずき、山肌を滑落してしまったシュヴァルは、その石を掘り返し持ち帰った。それ以来、シュヴァルは石やセメントで自分の空想の中にある宮殿を作り始めて・・・

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ポジティブ・サイド

なんという壮大な物語なのだろうか。物語の舞台となるのはフランスの片田舎だが、劇中で流れる時間の長さ、そしてシュヴァルという男の人生に降りかかってくる試練の数々に、男泣きを禁じ得ない。

 

全編をほとんど実物の「理想宮」とその周辺地域を使って撮影されているという。そのためか、空や山々といった景観は、確かに19世紀末から20世紀初頭であるように感じられた。『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』でも感じたが、フランス南西部には素朴な自然が今でも残っているようである。日本には今でも各地に日本昔話級の田舎が残っているが、そうした場所を舞台にした素朴な物語がもっと生産されてほしいと心から願う。決して『 青夏 君に恋した30日 』のような物語を作ってはならない。もうすぐ大阪で公開予定の『 ハルカの陶 』には期待している。Jovianは岡山県備前市に縁があったのである。日本であれ、フランスであれ、自然豊かな地方には人工物がない。言い換えれば、曲線や色彩に満ちている。シュヴァルが建築や地質学の教育を受けた背景がないにも関わらず、巨大な宮殿を建造することができたのは、自然の造形から知らず知らず学んでいたからではないか。ちょうど『 風立ちぬ 』で堀越二郎が魚の骨の湾曲具合からインスピレーションを得たように。

 

ジャック・ガンブランは見事な演技で『 SANJU サンジュ 』のランビール・カプール以上に一人の男の“人生”を描き切った。言葉ではなく行動の男であるシュヴァルは、時にコミュニケーション障がい者に見えてしまう。しかし、意思疎通に多少の問題があるからと言って木石であるとは限らない。喜怒哀楽の表現がないからといって、喜怒哀楽を感じないわけではないのだ。そんな男が全身で悲しみを表現する様には胸を打たれた。そんな男が愛を伝えられなかったことを悔やむシーンには胸が潰れた。

 

このような朴念仁と出会い、愛し合い、添い遂げた女性をレティシア・カスタは好演した。シュヴァルがこねたパン生地をひょいとつまみ食いするフィロメーヌに愛おしさを感じない男がいるだろうか。さらに妊娠が分かった時の、体を横向きにしたシルエットとその時の誇らしげで嬉しそうな表情は、『 ふたりの女王 メアリーとエリザベス 』で、エリザベス女王が衣服をたくしあげて、自分の膨らんだお腹のシルエットを何とも言えない表情で眺めていたシーンと残酷なコントラストになっている。フランス映画の女性=脱ぐ、という誤った観念を抱いていたが、本作によって「さすがは芸術の国、フランスである」との思いを取り戻した。

 

終盤に写真を取るシーンがあるが、そのシーンでは秒間のコマ数を大幅に減らして、カクカクの動きを実現。20世紀初頭の雰囲気を生み出していた。

 

『 ショーシャンクの空に 』のアンディのような忍耐力と、『 マーウェン 』のマークの構想力と想像力を備えた、フランス版『 鉄道員(ぽっぽや) 』の伝記物語である。拝金主義に塗れた現代の職業人は、このシュヴァルという男の生きざまに思わず襟を正してしまうことだろう。伝記映画の傑作である。

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ネガティブ・サイド

妻フィロメーヌの老け具合が今一つである。シュヴァルのメイクアップには力を入れているのに、妻フィロメーヌのメイクアップに力を入れないのは何故なのか。もちろん、あの時代のあの地域の女性が化粧をしていたと思えない。だが、年齢相応に見せるためのメイクは化粧ではない。フィロメーヌに加齢メイクが施されていないことで、劇中でシュヴァルがばかりが年齢を重ねているように思えるシーンがあり、そこは不満だった。

 

映画そのものへのケチではないが、副題の【ある郵便配達員の夢】という部分は必要だろうか。シュヴァルが理想宮の建造に費やした時間の多くで、すでにシュヴァルは郵便配達員を引退していたはず。この副題は、まるで韓国ドラマ『 宮廷女官チャングムの誓い 』のようである。チャングムは女官時代より医女時代の方が遥かに長かった。本作もシンプルに『 シュヴァルの理想宮 』で良かったのでは?

 

総評

フランス産の小説は10~20代の頃に少し読んでいた。フランス産の映画、またはフランスやフランス人についての映画も今後はもっと観てみたいと感じるようになった。『 コレット 』のような、華々しい都を舞台にした話ではないが、片田舎の愚鈍で愚直な男の人生もこの上なくドラマチックになりうると証明してくれる作品である。フランス映画はヌードがお約束、というJovianの蒙昧と偏見を本作は打破してくれた。あらゆる世代にお勧めできる感動的な作品である。

 

Jovian先生のワンポイント仏語レッスン

Au revoir

無理やり発音をカタカナ化すれば「オルヴォワール」か。フランス語で「さようなら」の意である。冒頭の埋葬のシーンで牧師だか神父だかが「お別れを言いましょう」と言った時に聞こえてきた。フランスに旅行した時、あるいはフランス人と話す時に使ってみようではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, ジャック・ガンブラン, ヒューマンドラマ, フランス, レティシア・カスタ, 伝記, 監督:ニルス・タベルニエ, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』 -愚直で朴訥な男の伝記-

『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

Posted on 2020年1月5日2020年1月5日 by cool-jupiter

2人のローマ教皇 85点
2020年1月4日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ジョナサン・プライス アンソニー・ホプキンス
監督:フェルナンド・メイレレス

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アカデミー賞助演男優賞はアンソニー・ホプキンスで決まりである。主演のジョナサン・プライスは回想シーンが中盤に挿入されている(=若い別の役者が演じるパートがある)ぶんだけ、『 ジョーカー 』のホアキン・フェニックスに分があると感じている。それでも『 天才作家の妻 40年目の真実 』の嫌味な夫を遥かに上回る好演であった。

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あらすじ

2012年、ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)は新ローマ教皇として、カトリックの最高指導者となる。しかし、側近の不祥事によりその地位基盤は揺らいでいた。そんな折、かねてからカトリックの在り方に批判的だったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿から辞任の申し出を受ける。それを受理する代わりに、教皇はローマおよびバチカンでベルゴリオと対話を繰り返していく・・・

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ポジティブ・サイド

これは素晴らしいドラマである。ドラマの基本は対話であるが、これほど対話を軸に鮮やかに展開されていくドラマは、ちょっと思いつかない。『 マリッジ・ストーリー 』を遥かに上回るカタルシスが待っている。2019年11月に来日したフランシスコ教皇こそがベルゴリオ枢機卿その人である。彼はイエズス会出身であると知れば、親近感を感じる日本人は多いだろう。ぜひ多くの日本の映画ファンに観て欲しいと思う。なぜなら本作のジャンルは歴史であり伝記であるが、そのメッセージは極めて現代的なものだからである。

 

本作で繰り広げられるベネディクト16世とベルゴリオ枢機卿の対話には、非常に人間らしい要素が詰まっている。言い換えれば、信仰の在り方や教会内の政治力学などが話題になることはそれほど多くない。聖職者といえど人間であり、人間であるからには苦悩に苛まれる。そんな二人の男の対話である。まるで仏教のようであるが、れっきとしたキリスト教のカトリック教徒の伝記物語である。それだけ普遍性のある事柄であり、とっつきやすいとも言える。

 

具体的には劇場もしくはNetflixで鑑賞して頂きたいが、彼ら二人の対話は『 沈黙 サイレンス 』のテーマである神の沈黙があり、『 PK 』が言うところの回線の問題がある。つまり、非常に高位な宗教家や聖職者も、極めて世俗的な問いを持ち、極めて世俗的な迷いを抱いているということである。それは一介のサラリーマンが人生の意味を問うのと同じである。

 

ベルゴリオには複雑な背景がある。我々はなんだかんだで平和な日本に暮らしている。「戦後74年とは、我々が74年間戦争をしていないということである。我々はこれを戦後100年、戦後200年にしていかなければならない」と言ったのは誰だったか。『 サッドヒルを掘り返せ 』で、『 続・夕陽のガンマン 』撮影当時のスペインは軍事政権によって支配されていたということを知ったが、アルゼンチンも1976-1982年にかけて軍事独裁政権が成立していたことを不勉強故に知らなかった。大学生の時に、日本初のワールドカップ出場をテレビで色々な外国人と観ていたが、その時に日本を破ったアルゼンチンからの留学生が「この調子でイングランドも倒すぜ!」と息巻いていたことから、フォークランド紛争のことを教えてもらっていたというのに・・・ 今さらながらにそのようなことを思い出して、学ぶべき時に学ばなかったことを後悔している。

 

閑話休題。軍事政権下のアルゼンチンで行った宗教活動および政治活動を、ベルゴリオは悔いている。軍事政権とは、言論封殺を是とする政治体制である。そのことを現代日本に生きる我々はどう見るべきなのだろうか。敗戦日を終戦記念日という具合に奇妙な言い換えを行うことで、歴史から目をそらしてはいないか。ベルゴリオの「告解によって加害者は救済されても、被害者は救済されない」という言葉は、教会の役割を超えた何かを厳しく批判しているのではないか。時あたかも第三次世界大戦前夜の様相を呈している中、どこまでも対話によって相互理解を希求する2人の老人。そして、争うのであれば健全な形で争おうではないかと訴えかけるようなエンディングのシークエンス。教皇の座を得て、教皇の座を譲る。明仁天皇の生前退位はこれにインスパイアされたのではないか。そして、その教皇が来日をしたばかりというタイミングでこの作品が日本で公開されるのは偶然ではないだろう。対話せよ、というメッセージを受け取ろう。それが理性的な近代人たる我々の責務である。

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ネガティブ・サイド

二人とも英語が上手過ぎである。『 ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命 』のジェシカ・チャステインのように、わざと訛った英語を話すのはさすがに無理があり過ぎたか。

 

バチカンのスキャンダルについてもう少し尺を割くべきだったのではないだろうか。令和になり、セクハラは罪であるという意識がようやく国として生まれつつある日本には、カトリック聖職者による少年少女、さらには乳幼児への性的虐待がどれほどのダメージになったのかは想像が難しいかもしれない。まあ、日本に合わせてNetflixも映画は作らんわな。詳しく知りたいという向きには『 スポットライト 世紀のスクープ 』をお勧めしておく。

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総評

アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスという二代巨匠の激突である。『 あなたの旅立ち、綴ります 』を観て、シャーリー・マクレーンほどの女優になると、演じる acting ではなく、なりきる being の境地に至るのだなと感じたことがある。それを思い出した。

 

 

Jovianのワンポイント英会話レッスン

Taken out of context

ベルゴリオの言う「言葉を切り取られた」という台詞である。日本の政治屋連中が「メディアに言葉を切り取られた」と言ったら、“My words were taken out of context.”と脳内翻訳してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, アルゼンチン, アンソニー・ホプキンス, イギリス, イタリア, ジョナサン・プライス, 伝記, 歴史, 監督:フェルナンド・メイレレス, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

Posted on 2019年12月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

アイリッシュマン 65点
2019年12月1日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ロバート・デ・ニーロ アル・パチーノ ジョー・ペシ
監督:マーティン・スコセッシ

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『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』がQ・タランティーノの心の原風景を映画化したものだとすれば、本作はM・スコセッシの心の原風景を映画化したものなのではないか。これが観終わって一番に感じたことである。

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あらすじ

時は第二次大戦後の1950年代。マフィアの台頭と抗争の華やかなりし時代。フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)はマフィアのラッセル・“ルース”・バッファリーの下でヒットマンとして働いていた。彼は頭角を現し、全米トラック組合「チームスター」のトップであるジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の知音となるが、それは更なる暴力稼業の始まりで・・・

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ポジティブ・サイド

この映画を私的に表現するなら、(『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』+『 ゴッドファーザー 』+『 ゴッドファーザー PART II 』+『 ゴッドファーザー PART III 』+『 グッドフェローズ 』+『 アウトレイジ 』)÷(『 JFK 』+『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』)だろうか。つまり、懐かしさの中に悪辣さ、悪辣さの中にある懐かしさ、そこに真実を追い求めようとするストーリーであるように感じられたのである。

 

『 ジョーカー 』でも健在をアピールしたロバート・デ・ニーロが、意気軒高、老いて益々盛んな様を銀幕に刻み付けた。タクシー・ドライバー・・・じゃなかった、トラック・ドライバーが何の因果かマフィアの暴力のお先棒を担ぐようになるまでの経緯を、煤けた空の元で重厚に描かれる。一昔前には日本でもデコトラがちらほらと生き残っていたが、確かに『 トラック野郎 』には荒くれ者が多いようである。ただし、“アイリッシュマン”のフランク・シーランには戦争のバックグラウンドがある。戦争であれ抗争であれ、先に撃った奴が有利であることを、この男はよくよく知っている。いったい何人を殺すのかというぐらいに劇中でも殺しまくるが、フランクの狙撃は全てが近距離、それもほとんどゼロ距離で行われる。これは相手の懐に完全に入り込み、確実に命中させ、なおかつ反撃を食らわないという確信がなければできないことである。フランクが殺しの方法論や哲学を語るシーンはないが、それでもヒットマンとしての確立された自己があるということが如実に伝わってくる。稼業が何であれ、仕事人ならばこのようなプロフェッショナルでありたい、そう思わせるだけの迫力がある。ロバート・デ・ニーロ、健在である。

 

アル・パチーノ演じるジミー・ホッファも素晴らしい。チラッと名前を聞いたことがあるぐらいの人物だったが、そのカリスマ的な演説力と行動力、クレイジーなまでの権力欲、律儀にもほどがある連帯意識、破滅に向かっていたとしか思えない自意識は、『 スカーフェイス 』や『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』での演技に並ぶものと評したい。本人は怒り狂っているのだが、その様が意図せざるユーモアになっているシーンもいくつかある。「どのトニーだ?」の問いかけには、笑ってしまうこと請け合いである。

 

ルースを演じたジョー・ペシには、日本でいえば國村隼的な迫力がある。好々爺に見えて恐い。こんな爺さんがボソッと何かを呟いたら、忖度の一つや二つ、誰でもしてしまいそうだ。小柄な俳優が暗黒街の大物を演じることで、無言の圧力や不気味なオーラといった名状しがたい雰囲気が醸し出されている。彼の味方にせよ敵にせよ、関わりのある人間のほとんどがまともな死に方をしていない。そんな彼自身がまともな死を迎えられたのかどうか。観る者の想像に委ねられている部分もあるが、“Ill weeds grow fast.”とは、このような事柄を指すのだろうか。

 

本作は家族のストーリーでもある。より正確に言えば、親子のストーリーである。父が娘に寄せる愛情、そして娘が父に向ける軽蔑の眼差しの物語である。ヒットマンとして数々の殺しを請け負い、様々な犯罪をほう助してきた男も、その内側には人並みの愛情を持っている。アメリカ犯罪史の生き証人でもあるフランクは関係者の全てが鬼籍に入っても沈黙を保ち続けた。しかし、自らの愛情を隠すことはできなかった。何と悲しい男であることか。誰かが自分を訪ねてくるという希望にすがるフランクの姿を、人間らしさの表れと見るか、それとも哀れで孤独な末路と見るか。それはNetflixで確かめるか、もしくはレンタルできるまで待ってから確かめて欲しい。

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ネガティブ・サイド

アメリカ史についてある程度の知識がないと、何のことやら理解が難しい場面が多い。そういう意味でも冒頭に挙げたマフィア、ギャング系の映画のいくつかは鑑賞しておくことが望ましいのかもしれない。マフィア間の抗争や他グループとの抗争、国家権力との闘争など、彼らが現代に残した影響は計り知れない。ボクシングでは、ギブアップの意思表示のためには本来ならタオルは投入しない。それは大昔のことである。正しくは、セコンドがリングサイドに立ってタオルを振るのである。これは、まさにこの映画の描く時代に、自分の側のボクサー(それはギャンブルの対象でもある)がピンチに陥った時に、観客席からタオルを投げ込んで一次的に試合をストップさせてしまう不届き者が後を絶たなかったからである。こうしたチンピラ行為は、今では連邦法で取り締まられる。つまり、FBIに逮捕されてしまう。マフィアやギャング連中の何たるかを、劇中でもう少し詳しく描いて欲しかった。この映画を鑑賞するのはデ・ニーロやパチーノのファンがマジョリティかもしれないが、全員が全員、こうした歴史的背景に詳しいわけではない筈である。実際にJovianも前半はところどころがちんぷんかんぷんであった。

 

その前半のパチーノやデ・ニーロにはデジタル・ディエイジングが施されているが、これが気持ち悪いことこの上ない。『 キャプテン・マーベル 』のサミュエル・L・ジャクソンは普通に受け入れられたが、本作は無理である。特にアル・パチーノが不気味で仕方がなかった。『 アリータ バトル・エンジェル 』のアリータはだんだんと可愛らしく見えてきたが、今作の前半のパチーノは人間が機械的な仮面をかぶって演技をしているように見えて、とにかく気持ちが悪かった。これは何なのだろうか。

 

あとはとにかく長い。漫画『 クロス 』でもハリウッドのプロデューサーであるジャック・ザインバーグが「間にほどよく休憩をはさんだ3時間超の映画を作りたい」と言っていたが、インド映画のようなIntermissionをはさむことはできないのだろうか。それともNetflix映画にはそのような配慮は無用なのだろうか。長さは措くとしても、ペーシングに難がある。ジミー・ホッファが退場してからが異様に長く感じられる。ここからはアクションらしいアクションやサスペンスがなくなり、どちらかというとフランクの内省が焦点になるからだが、このパートだけでも10分は削れたのではないか。もしくは、もう少しメリハリのある作りにできたのではないか。自宅で適度に自分のペースで観ることができるように計算して作られたのかもしれないが、映画の基本は照明にしろ音響にしろ長さにしろ、劇場鑑賞を旨とすべしだと思いたい。

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総評

Netflix映画で、期間限定でミニシアターで公開されている。『 アナイアレイション 全滅領域 』もそうだった。Jovianはこちらはレンタルで観た。今秋、どこの映画館も一律に値上げを行ったが、年間50本を映画館で観るとするなら5000円、100本観れば10000円である。ボディブローのように財布には効いてくるかもしれない。本作を劇場鑑賞して、Netflixなどの配信サービス加入を真剣に考え始めている。アナログ人間のJovianにそう思わせてくれるだけの力のある作品であることは疑いようもない。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That does it.

「 ひどすぎるぞ! 」、「 我慢ならん 」のような意味である。『 デッドプール 』でも、コロッサスに気を取られていたデッドプールがフランシスを逃がしてしまった時に、この台詞を叫んでいた。さあ、仕事や学校で気に食わないこと、理不尽なことがあった時には、心の中で“That does it!”と叫ぼうではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アル・パチーノ, サスペンス, ジョー・ペシ, ロバート・デ・ニーロ, 伝記, 歴史, 監督:マーティン・スコセッシ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

『 ファースト・マン 』 -宇宙飛行士を生還させた家族の絆-

Posted on 2019年11月28日 by cool-jupiter

ファースト・マン 60点
2019年11月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ライアン・ゴスリング クレア・フォイ ジェイソン・クラーク カイル・チャンドラー
監督:デイミアン・チャゼル

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かんとk 

劇場鑑賞しようと思い、できなかった作品は毎年いくつもある。本作もその一つ。『 アド・アストラ 』は面白さとつまらなさを同居させた作品だったが、静謐な雰囲気のSFを観たいという欲求を蘇らせてくれた。めでたくTSUTAYAで準新作になったので借りてきた。

 

あらすじ

宇宙飛行士のニール・アームストロング(ライアン・ゴスリング)は、飛行訓練に励んでいた。ソ連との宇宙開発競争に後れを取っていたアメリカは、J・F・ケネディ大統領の掛け声の下、人類初の月面着陸を目指していた。しかし、そこには家族との別離の苦悩、経済格差、そして飛行士の命を奪う事故など、問題が数多く存在しており・・・

 

ポジティブ・サイド

ライアン・ゴズリングはやはり当代随一の役者の一人であると感じる。内に秘めた感情を表には出さない。しかし、それを表出する時には、静かに、しかし激しく表出する。『 ドライブ 』で愛しのアイリーンが人妻と分かって意気消沈している時に、以前のクライアントが話しかけてきたのを静かに、しかし力強い脅し文句ではねつけるシーンがあったが、今作でもよく似たシーンがある。そこではさらに孤独感のにじみ出る強い拒絶を見せる。我々は宇宙飛行士と聞くと、肉体は壮健で頭脳は聡明、危機において心を乱さず、統率力も抜群であると思い込みがちである。いや、実際はその通りなのだろうが、そうした超人的な属性を以ってしても、アストロノートも一人の人間であるという事実は変わらない。一人の組織人であり、家庭人であり、社会の一成員であるということである。上司に報告し、同僚と競い合う。そうした意味ではサラリーマンでも共感できるところ大である。また、子どもを失うという例えようもない悲しみを胸に秘めていたり、妻と言い争いになってしまったり、子どもいる前で仕事の苛立ちを爆発させてしまったりと、これまた既婚サラリーマンあるあるを見せてくれる。そうなのだ。これはスーパーヒーローの物語ではなく、宇宙飛行士という国家的英雄の本当の姿を映し出す物語なのだ。

 

『 ブレス しあわせの呼吸 』でもダイアナを好演したクレア・フォイは、普通ではない男と結婚した女性という役がハマるタイプか。漫画『 ファントム無頼 』でも太田指令や西川など、現役パイロットとして常に死の危険と隣り合わせであることから妻に不安を与えていることが描かれていた。戦闘機パイロットでもそうなのだ。まして宇宙飛行士。そして、文字通りに前人未到の月面着陸ミッション。鬼気迫る表情で子どもたちに話すように促すクレアを見て、「母は強し」という格言の意味を再確認した。

 

ラストシーンも趣が深い。言葉はなくともニールの頭の中が、文字通り見て分かるのである。他にもアームストロングのひげの長さでさりげなく時間経過を知らせる演出なども芸が細かい。映像芸術として随所に秀逸な画が挿入されているところが光っている。

 

ネガティブ・サイド

本作はSFと見せかけた伝記映画でありヒューマンドラマである。その点だけを見れば合格点だが、月への飛行および着陸ミッションのスペクタクルが少々弱い。それが本作の眼目ではないにしろ、余りにもその部分を芸術的に描き過ぎている。冒頭の訓練飛行シーンの方がスリリングだった。もっともこれは最初からネタがばれている歴史物の宿命でもあるのだが。

 

荒涼とした月面に初めての足跡を残した時、「人類」という単語をアームストロングは使った。その人類とは、誰なのか。『 アルキメデスの大戦 』や『 風立ちぬ 』と同じく、巨額の税金が国家的なプロジェクトに注ぎ込まれる一方で、その割りを食うのは常に庶民である。黒人が貧しい暮らしを余儀なくされる一方で、白人が月に行く。そのような社会的な矛盾をも背負って月へ飛んだアームストロングが月面から地球を見た時に胸に去来した思いは何であったのか。それは観る者の想像力に委ねられている。しかし『 ドリーム 』でケヴィン・コスナーが、『 インターステラー 』ではマイケル・ケインが、それぞれにフロンティア進出の必要性を語っていたように、アメリカ人(ゴズリングはカナダ人だが)というのはフロンティア開拓を無条件に是とする傾向がある。当時の社会情勢について、アームストロング自身の口から何かが語られていたのは間違いないはずで、それを使うか、あるいは現代風にアレンジして、現代向けのメッセージとして再発信はできなかったのだろうか。このあたりがアメリカ人の楽観的過ぎる気質なのだろうか。何でもかんでもファミリー万歳はもうそろそろ卒業すべきだろう。

 

総評

SF映画ではなく歴史映画、伝記映画、そしてヒューマンドラマである。ZOZOを絶妙のタイミングでほっぽり出した無責任男の宇宙旅行計画あり、民間のスペースポートの開港が間近に迫っているとのニュースもあり、我々は再び月を目指そうとしている。その意味で、人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロングの人生を追体験することは、我々一人ひとりが来るべき未来をシミュレートすることになるのかもしれない。『 アド・アストラ 』や『 メッセンジャー 』など、思弁的なSFが作られる土壌がハリウッドにあるのであれば、誰か水見稜の小説『 マインド・イーター 』をハリウッドに売り込んでくれないだろうか。もしくは日本でアニメーション映画化してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Out of this world

 

直訳すれば、「この世界の外側へ」であるが、実際の意味は「この世のものとは思えないほど素晴らしい」である。記者たちに夫の宇宙飛行について尋ねられたジャネットが当意即妙に“Out of this world!”と答えたシーンから。ジェームズ・P・ホーガンの小説『 内なる宇宙 』でも似たような会話があった。以下、手持ちの本から引用。

“What on earth are you doing here?” Hunt had to force himself to hold a straight face until he had gone through the motions of looking up and about.

“I could say the same about you — except that ‘earth’ is hardly appropriate.”

 

これは宇宙船の中でのジーナとハントの会話である。on earthの使い方が適切ではないのではないか?とEnglishmanのハントがアメリカ人のジーナをからかっている。ホーガンの≪巨人≫三部作も、誰か映像化してくれないものだろうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, カイル・チャンドラー, クレア・フォイ, ジェイソン・クラーク, ヒューマンドラマ, ライアン・ゴズリング, 伝記, 歴史, 監督:デイミアン・チャゼル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ファースト・マン 』 -宇宙飛行士を生還させた家族の絆-

『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』 -瞬間を切り取る芸術家の苦悩-

Posted on 2019年11月14日2020年4月20日 by cool-jupiter

永遠の門 ゴッホの見た未来 70点
2019年11月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウィレム・デフォー オスカー・アイザック ルパート・フレンド マッツ・ミケルセン
監督:ジュリアン・シュナーベル

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『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックがアカデミー賞主演男優賞を受賞したのは記憶に新しいが、その時のノミニーの一人がウィレム・デフォーだった。ゴッホに関しては「キモイ絵を描く画家」という認識しかなかったが、本作を観て自分の直感の正しさと、自分の芸術感の皮相さの両方を感じたい次第である。

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あらすじ

売れない画家のゴッホ(ウィレム・デフォー)は、ゴーギャン(オスカー・アイザック)という知己を得て、「南に行け」との助言を得る。南仏アルルで創作活動に励むも、周囲には彼の作品は理解されず・・・

 

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ポジティブ・サイド

Jovianをはじめ、芸術に関して特に詳しくない一般人からすれば、ゴッホといえば「ひまわり」と「自画像」だろう。『 コズミックフロント☆NEXT 』を熱心に視聴する天文ファンなら「星月夜」も挙げられるだろう。その程度のライトな芸術の知識しか持たない者にとっては芸術学概論、絵画概論的な役割を果たしてくれるだろう。景色や人物の最も美しい瞬間を、巧みで素早い筆使いでキャンバスに再現していくことは、確かに一瞬を永遠に置き換えていく作業のように感じられた。

 

今作のカメラワークは独特である。しばしばゴッホ自身の目線で風景や動物、人物を捉え、また自身の足元をも捉える。そしてその視線は常に空へと向けられる。『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』や『 君の名は。 』ではないが、ゴッホがブルーアワーや黄昏時、逢魔が時のような短時間だけしか存在できない時間と空間の体験を切に追い求めていたことがよく分かる。

 

ゴッホの自然観や審美眼が独特、別の言い方をすれば異端的であったことが、彼が美術館を訪れるシーンでよく分かる。我々は芸術を、中学校の美術や高校の世界史的に捉える傾向がある。すなわち、この時代のこの地域の画家の筆致にはこのような特色があり、あの時代のあの地域の画家の筆致にはあのような特徴がある、という分類整理された見方をしがちである。ゴッホは芸術をカテゴライズすることなく、自らの信念によって規定した。それが彼の見た未来、すなわち現代だろう。個々人がそれぞれに美しい、あるいは表現したいと信じるものを表現していくことが現代の芸術であるならば、「あいちトリエンナーレ2019」の騒動を見る限りでは、日本の芸術は危機に立っている。

 

広い草原にある時は佇み、ある時は寝ころぶゴッホは、とても孤独である。その孤独が彼の創作を手助けしている。一方で彼は弟のテオ以外に頼れる人間がいない。ゴーギャンとは知己ではあっても知音にはなれなかった。現代風に言うならば「コミュ障」であるゴッホの創作への没頭と充実した人間関係の渇望のコントラストは悲しいほどに鮮やかである。そして、マッツ・ミケルセンによる言葉そのままの意味での“説教”は、信念と信念の静かなぶつかり合いである。生き辛さを感じた時には、マッツ・ミケルセンを思い起こそう。ほんの少しだけそう思えた。

 

ゴッホとほぼ同時代人に生の哲学者ニーチェがいるが、彼の「永劫回帰」理論は、ともすれば虚無主義に陥る諸刃の剣である。それを乗り越えられるのが「超人」であり、あるいは絵画や彫刻といった芸術なのだろう。ゴッホはシェイクスピアを愛読していたようだが、それならばゲーテを読んでいたとしても何の不思議もない。彼も『 ファウスト 』に触発され、「時よ止まれ。お前は美しい」というメッセージを絵画という形で我々に発してくれたのだろう。

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ネガティブ・サイド

劇中でとある女性が「誰も彼もが根っこを描いて/書いて(?)」と口にするシーンがあるが、これは何だったのだろう。J・P・サルトルの『 嘔吐 』を思い浮かべたが、時代が異なる。かぶらない。なんだったのだろうか。説明が欲しかった。

 

ゴッホが冒頭のモノローグで望むものが手に入らない、手に入れられないというシーンが欲しかったと思う。ゴッホは芸術の観点からは永遠を見つめ、思想の面ではある意味で未来を、つまり現代を見つめていたわけで、サルトルの言う「地獄とは他人のことである」という思想、そして栗山薫の言う「我々がそれでも求めるものは他者」という思想の、その両方を体現する者としての姿をもっと見せて欲しかった。

 

ゴッホの晩年以外の描写もあれば、introductoryな映画としての機能も果たせただろうと思う。おそらくゴッホおよび芸術全般に詳しくない人間には理解が及ばず、ゴッホおよび芸術全般に造詣が深い人間には物足りない作りになっている。そのあたりのバランス感覚をジュリアン・シュナーベル監督には追求して欲しかった。

 

総評

芸術的な映画である。分かりやすい映画的なスペクタクルは存在しないが、光と闇が混淆する一瞬を切り取り、キャンバス上に再現しようとする芸術家の苦悩は確かに伝わってくる。また人間関係に悩む人に対して、何らかのインスピレーションを与えてくれることもあるだろう。ゴッホのように生きるか、あるいは彼を反面教師にしても良い。デート・ムービーには向かないが、じっくりと一人で映画を鑑賞したいという向きにはお勧めできる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Leave me alone.

 

かのダイアナ妃の最後の言葉ともされる。「一人にしてくれ」の意である。プライバシーが必要な時も必要であるが、この台詞を吐けるということは、その人の周りには誰かがいるのだということの証明でもある。『 タクシードライバー 』のトラヴィスの“Are you talking to me?”とは、ある意味で対極の台詞なのかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, ウイレム・デフォー, オスカー・アイザック, フランス, マッツ・ミケルセン, ルパート・フレンド, 伝記, 監督:ジュリアン・シュナーベル, 配給会社:ギャガ, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』 -瞬間を切り取る芸術家の苦悩-

『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

Posted on 2019年5月23日 by cool-jupiter

アメリア 永遠の翼 65点
2019年5月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヒラリー・スワンク リチャード・ギア ユアン・マクレガー
監督:ミーラー・ナーイル

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Jovianは時々、英語のテストであるTOEFLを教えるが、過去問や問題集に決まって出てくる人物が何名かいる。おそらく女性で最もフォーカスされているのは、20ドル札に載ることが決まっていて、映画『 Harriet 』が2019年11月1日にアメリカで公開予定のハリエット・タブマンと、(アメリカでの)女性パイロットの先駆けであり、2018年に機体および遺体の一部が発見されたとされるアメリア・エアハートである。本作はそのアメリアの伝記映画である。

 

あらすじ

1937年、飛行家のアメリア・エアハートは世界一周を達成すべく飛び立った。二度と着陸することなく、彼女は消息を絶った。彼女の人生とは、いかなるものだったのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずビジュアル面でのアメリア・エアハートの再現度合いが素晴らしい。ヒラリー・スワンク以外に誰が彼女を演じられようか。メイクアップ・アーティストの助けがあれば、サム・ロックウェルもジョージ・W・ブッシュを、クリスチャン・ベールもディック・チェイニーを演じられることは『 バイス 』でも証明された。しかし、本当に求められるのは、外見ではなく内面からにじみ出てくるものを再現することで、その意味でもヒラリー・スワンク以外に適任はいなかっただろう。溢れる自信、しかしその心の奥底にある満たされなさ、結婚という因習に囚われない自由な精神、その一方で誰かをひたむきに愛する心も忘れない。このアメリアの、いわば二重性を帯びた性格や行動が、夫となるパットナム(リチャード・ギア)との関係とクライマックスの対話で最もドラマチックな盛り上がりを見せる。Jovianの先輩には自衛隊の輸送機パイロットをしていた方がいるが、その奥様はいつもその仕事を辞めてもらいたがっていた。航空業界では「空を飛ぶのが危険なのではない。墜落するのが危険なのだ」と言われるらしいが、そんなことは一般人からすればどうでもいいことだ。しかしアメリアのような飛行家にとっては、空を飛ぶこと=生きること、パットナムのような実業家にとっては彼女を支援すること=生きることだった。この二人の愛の形がすれ違う様には、哀愁とそれゆえの普通の夫婦にはあり得ない深い愛情が感じられる。趣もプロットも媒体も異なるが、先へ進もうとする女とそれを追いかけてサポートする男という構図に興味のある向きは、小川一水の小説『 第六大陸 』をどうぞ。

 

Jovianは1995年にアメリカ旅行をした時、グランド・キャニオン上空をセスナ機で遊覧飛行したことがある。その時のパイロットは、おそらく40歳前後の女性だったことをよく覚えている。彼女も、アメリアの遺児で後継者だったのだろう。そんなことを、本作を観て、ふと思い出した。

 

ネガティブ・サイド

劇中で何度かチャールズ・リンドバーグが言及されるが、彼が妻アンと共にがソビエトで受けた衝撃、すなわち女性パイロットがごろごろいて、彼女たちは男性並みにガンガン空を飛んでいた、という描写はさすがに入れられなかったか。興味のある方は、アン・モロー・リンドバーグを調べて頂きたい。

 

飛行シーンのいくつかがあまりにも露骨に合成およびCGである。空を飛ぶ飛行機の描写こそが本作の映像美の肝になるところなのだから、このあたりをもっと追求して欲しかった。『 ダンケルク 』の最終盤でも燃料切れのプロペラ機がまっすぐに滑空するシーンがあったが、あれよりも酷い合成だと言ったら、お分かりいただけるだろうか。

 

不謹慎かもしれないが、劇中で飛行機がトラブルを起こす、もしくは墜落するような描写が極めて少ない。航空機は最も安全な乗り物であることは知られているが、その一方で最も悲惨な事故を起こす乗り物でもあり、また最も捕捉が難しい乗り物でもある。航空機に関するあれやこれや、計器類の多さ、それらを読み解く難しさ、天測の重要性と困難さ、機体バランスを保つための工夫(メモ用紙のやり取りなどは好例である)の数々などを、もっと描写してくれていれば、アメリアの悲劇的な最後にもっとサスペンスとドラマ性が生まれたものと思う。

 

総評 

2017年は大型旅客機の墜落事故が世界でゼロだったことが話題になった。一方で、同じ年にはオスプレイなる機が度々事故を起こしていた。空を飛ぶということの素晴らしさと怖さを我々はもう一度、知るべきなのだろう。奇しくも昨年2018年に、アメリア・エアハートの遺骨が発見されたとの報がもたらされた。本作製作からちょうど10年。あらためて再評価がされても良い作品なのではないだろうか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, ヒラリー・スワンク, ユアン・マクレガー, リチャード・ギア, 伝記, 監督:ミーラー・ナーイル, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

コレット 70点
2019年5月19日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ
監督:ウォッシュ・ウエストモアランド

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『https://jovianreviews.com/2018/09/05/movie-review-tully/ タリーと私の秘密の時間 』で描かれた男という生き物の生活能力の低さと、『 天才作家の妻 40年目の真実 』で晒された男という生き物の病的に肥大化しやすいエゴが、本作によってまたも満天下に晒されてしまった。Jovianが鑑賞した劇場でも、お客さんの7割5分は女性であった。男は本能的、直観的に本作を避けているのだろうか。

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あらすじ

 

自然豊かな地方で育ったガブリエル・コレット(キーラ・ナイトレイ)は、物書きのウィリーとの結婚により、花の都パリに移り住む。ウィリーはコレットの文才を見抜き、彼女に「クローディーヌ」シリーズを代筆させる。しかし、浪費家な夫と才能豊かな妻は徐々にすれ違い・・・

 

ポジティブ・サイド

フランスの作家で読んだことがあるのは、マルセル・プルースト、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、セバスチャン・ジャプリゾ、ジョルジュ・ランジュラン(彼は少し違うか)ぐらいだろうか。シドニー=ガブリエル・コレットという作家は始めて知った。ディズニーは作品の映画化に際して盛んにフェミニスト・セオリーを実践しているが、世界にはまだまだ発掘されるべき女性がいるものである。

 

キーラ・ナイトレイは、言葉は悪いが薹が立ってきたなと感じていた。しかし、本作では片田舎の純朴そうな少女から、パリのサロンでも堂々と立ち振る舞う淑女に、そして年上の夫を容赦なく怒鳴りつける芯のある妻に、そして自らの才能と能力を駆使し、心が命じるままに寝るべき相手や仕事を共にする相手を選ぶという強かさを備えた個人を見事に具現化した。ジェニファー・ローレンスが『 レッド・スパロー 』で我々の度肝を抜いたほどではないが、久々に胸も晒してくれる。彼女は色気、色香、艶というものをボディライン、スタイルの良し悪しではなく、大げさな言い方をすれば生き方そのもので体現してくれる。

 

それにしても、ダメな男、ダメな夫をあらゆる意味で具現化するドミニク・ウェストの芸達者ぶりよ。飴と鞭ではないが、折檻と愛情の両輪で、金のなる木である妻をコントロールしていたはずが、いつの間にか自分という人間の醜さ、弱さ、至らなさというものがどんどんと浮き彫りになってくるという展開には、昭和や平成の初め頃まで量産されていた、ヤクザ映画、任侠映画にそっくりだなと思わされた。どういうわけか女性という生き物には、男がふとした弱さを見せると、そのギャップにコロッといってしまう傾向がある。一方で、本作のコレットはそうした女性性を持ちつつも、女性であることを軽々と超えていく強さと自由な精神も有している。この男女の奇妙な夫婦関係は最終的に破局に終わるわけだが、結婚という奇妙な因習の限界と奥深さを表しているとも言える。共働きの夫婦で鑑賞して観れば、自分達の新たな一面に気付かせてくれるかもしれない。または、性生活、もしくは子どもを作る作らないで互いの考えに微妙な齟齬がある夫婦で鑑賞するのもありだろう。そう、子どもである。パリの文壇を席巻するのみならず、一般女性の偶像にまで昇華されたクローディーヌというキャラクターは、コレットの子どもなのだ。娘なのだ。冒頭で描かれるコレットの両親の関係、コレットとの親子関係に是非とも注目をしてほしい。そして、親にとって子とは何か。子を産み育てるのに、男はどこまで必要なのかという根源的な問いに、コレットの生きざまは一つの示唆的な答えを与えてくれる。クライマックスのキーラ演じるコレットの内面の吐露をしっかりと受け止めて欲しい。本作を観たからと言って夫婦関係に亀裂が入るようなことはない。むしろ、夫婦の対話、向き合い方について学べるはずだ。独身はパートナーと、既婚者は配偶者と観るべし。

 

ネガティブ・サイド

なぜフランス映画界は、ガブリエル・コレットその人の映画化を英米に委ねてしまったのだろうか。フランス人が脚本を作り、フランス人が演じ、フランス人が監督した「コレット映画」を観てみたかったと思うし、フランスversionが製作されるなら、喜んでチケットを買わせてもらう。立ち上がれ、フランス映画界よ! This begs for a French remake, c’mon!

 

クローディーヌというキャラクターもの以外の作品が当時のパリおよびフランスでどのように受け止められたのかを、劇中でもっと知りたかったと思うし、コレットの華やかにして異端児的な恋愛遍歴についても、もっと描写が欲しかった。というか、このような立志伝中の人物を描写するのには2時間ではそもそも不足だったか。パントマイムや両刀使いの描写をばっさりと切って、「クローディーヌ」シリーズの生みの親としての顔にフォーカスしても良かったのではないかと思う。さあ、フランス映画界よ、リメイク製作の機運は高まっているぞ。It’s about f**king time for a remake, French cinema!

 

総評

『 天才作家の妻 40年目の真実 』と同じスコアをつけさせてもらったが、エンターテインメント性では本作が優る。女性という生き物が生物学的に優れている(=子どもを産める)ことのみならず、個としての強さと弱さの両方を併せ持ち、それでいて夫婦というものの在り方についても教えてくれる、貴重な伝記映画である。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、真実を事実の集積以上の意味で映し出している。単なる女性のエンパワーメント映画ではないので、男性諸氏も臆することなく劇場へと向かうべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ウォッシュ・ウェストモアランド, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

『 バイス 』 -権能委任の恐ろしさを描く伝記物語-

Posted on 2019年4月23日2020年1月29日 by cool-jupiter

バイス 70点
2019年4月21日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:クリスチャン・ベール エイミー・アダムス スティーブ・カレル サム・ロックウェル
監督:アダム・マッケイ

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タイトルのバイス=Viceは、Vice President=副大統領の副であり、悪徳の意味でもあるはずだ。いまだに記憶に新しいG・W・ブッシュ政権下のアメリカによるイラク攻撃、その決定の中枢にいたチェイニー副大統領の伝記映画である本作は、アメリカの負の側面だけではなく、民主主義国家の負の側面をも映し出している。

 

あらすじ

ワイオミング州でうだつのあがらない男だったディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)は妻のリン(エイミー・アダムス)に叱責されたことで発奮。政界に入り、実力者ラムズフェルド(スティーブ・カレル)の元で政治を学び、頭角を現していく。浮き沈みを経ながらも、やがてブッシュ大統領(サム・ロックウェル)に副大統領として求められるまでになるが・・・

 

ポジティブ・サイド 

現在進行形のアメリカ現代史における一大転換点は、おそらくオバマ大統領による「アメリカはもはや世界の警察ではない」宣言であると考える。その背景にあるのは、他国へのいらざる容喙に理も利も無いことへの悟りであろう。冒頭で若きディック・チェイニーは酒場のケンカで挑発してくる相手をぶん殴り、反撃を食らい、留置所にぶち込まれたところを、妻の嘆願で解放された。そして、後年、大統領以上の権力者になった彼は、挑発してきたわけでもない相手をぶん殴り、反撃を食らうことになる。イスラム国なるテロ組織の台頭が、実はブッシュ政権の身から出たサビだったことを思えば、この男が文字通りの意味で吊るし上げを食らっていないことが不思議でならない。日本に住む我々としては、核兵器を所有し、長距離ミサイル開発をいつまでたっても凍結しようとしない北朝鮮は、危なっかしいことこの上ない存在である。その一方で、大量破壊兵器を確実に有している北朝鮮にアメリカが一発の爆弾も投下しない事実をイラクの無辜の民の目で見れば、とうてい承服しがたいことだろう。勘違いしないでもらいたいが、Jovianは北朝鮮を爆撃せよと主張しているわけではない。想像力を持つことを忘れてはならないと言いたいだけである。『 シン・ゴジラ 』は傑作ポリティカル・サスペンスだったが、「政治家目線の物語にどうしても入っていけなかった、何故なら自分はどうやってもゴジラに為す術なく殺される一小市民だから」という声も確かに聞かれた。テロには決して賛同しないが、「WMDを持っていない」と潔白を主張し、国連やCIAも「無い」と報告したイラクが爆撃され、「WMDを持っている」と世界に声高に喧伝する北朝鮮が無傷とあらば、その二重基準っぷりにアメリカにキレるイラク人やムスリムがいてもおかしくない。本作が素晴らしいのは、政治、それも政権の中枢を描きながら、一般庶民の目線を常に忘れないところにある。本作の謎のナレーター=ストーリーテラーがそれであるが、その目線を通じて、我々はheartless killerという言葉を否応なく想起させられる。身震いさせられてしまうのだ。

 

そんなディック・チェイニーを演じたのはクリスチャン・ベール。彼もジェシカ・チャステインと同じく、クソ映画に出演することはあっても、その演技がクソであったことは一度もなかった。体重の増減が話題になることが多いが、声、口調、表情、眼差し、歩き方、立ち居振る舞いに至るまで、恐ろしいほどの説得力を生み出していた。Jovianはチェイニー副大統領を具に見てきたわけではないが、今作におけるクリスチャン・ベールの演技は、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のラミ・マレックとも優劣をつけがたい程のものがある。同じ賛辞はブッシュを演じたサム・ロックウェルにも当てはまるし、パウエル国務長官やライス大統領補佐官など、ヘアスタイリストさんやメイクアップ・アーティストの方々は素晴らしい仕事をしたと言える。ブライアン・メイを演じたグウィリム・リーも、メイクさんの力無しにはあれほど似ることは決してなかったのだ。あらためて裏方さんの労力に敬意を表したくなる映画を観た。

 

本作は『 ブラック・クランズマン 』と同じく、過去の事実を基にした映画でありながら、製作者の視線は過去ではなく現代にある。民主主義、特に間接民主主義とはごく少数の人間に権能を委任してしまうことである。もちろんそれだけなら何も問題は無い。問題なのは、civil servant=公僕であるべき政治家に委任された権力の強さ、大きさに対して大多数の民衆が無自覚になってしまうことである。そのことを本作は衝撃的なエピソードでギャグにしか思えないスキットで描き切る。どこかの島国の政治状況にも通じるところがあるようだ。野党が何をやっても与党および内閣が全く揺るがなかったのが、大阪のおもろいおっちゃんおばちゃんの学校経営屋が、あわや内閣を吹っ飛ばしかけたのは何故か。それは、その事件が人々の耳目を集めたからである。権力者の持つ力の大きさに気付いたからである。忖度などという言葉が定着してしまった

 

ネガティブ・サイド

エンディングのテーマソング。とある名作ミュージカルの名曲が歌われる。このブラックユーモア、ブラックコメディをアメリカ人はいったいどう観たのか。どう感じたのか。今度、同僚のアメリカ人に尋ねておこうと思う。Jovian個人としては、かなり微妙に感じた。いや、というよりも「お前ら、これでもアメリカ大好きだろ?」という声が聞こえてくるようで、何ともやりきれない気分にさせられた。なぜこの選曲だったのか。

 

また、劇中ではしきりにとある政治理論が説明されるが、そんなものは無しに事実を淡々と積み上げていくことで、チェイニーという政治家がその掌中に着々と権力を収めていく様子を描くことはできなかったのか。同じく、チェイニーとその妻の自室内でのやりとりなど、想像の産物でしかないシーンを、シェイクスピア風に再構築する必要などあっただろうか。『 JFK 』のジムとリズのような会話で良かったのだ。それで充分にリアリティを生み出せたはずだ。冒頭から、We did our fucking best.などと言い訳をしていたが、fuckingの部分がこれか・・・と慨嘆させられた。

 

総評 

『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』とセットで鑑賞すると、奥泉光の言葉を借りるならば、アメリカという国の精神にも陰影が生じてきたようだ。自国に誇りを持つことは健全である。しかし、その誇りの根拠になるものは自らが常に探し、維持し続けねばならない。弱点は見られるものの、このような映画を生み出す硬骨のアメリカ人の心意気には敬意を表するしかない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エイミー・アダムス, クリスチャン・ベール, サム・ロックウェル, スティーブ・カレル, ブラック・コメディ, 伝記, 監督:アダム・マッケイ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 バイス 』 -権能委任の恐ろしさを描く伝記物語-

『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -二度目の胸アツ応援上映参戦-

Posted on 2019年2月22日2019年12月23日 by cool-jupiter

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また行ってしまった。本当は梅田の東宝シネマに行きたかったが、ほとんど満席だった。無理してそちらにいくべきだったか。

感想としては、伊丹の東宝シネマもMOVIXあまがさき同様、盛り上がりはいま一つであった。客の入りは1割にも満たなかったか。もしも、この夜の「エーーーーーーーーーーーーーオ!!」の間の ーーーーーー (映画でもここは聴衆のウェーブを上空から映すショットに切り替わるため、音が一瞬小さくなる)を劇場で聞いた、と言う人がいれば、それはJovianの声であったはずだ。そうそう、お一人、Radio Ga Ga の時に、右腕を大きく突き出す御仁がおられた。梅田なら、または東京の劇場なら、もっとノリノリの人が多くいるのだろうか。

以下は雑感。

監督のブライアン・シンガーのスキャンダルがアカデミー賞にどう影響を及ぼすのかは、神ならぬ身には分からない。しかし、新井浩文が逮捕され、事務所も解雇され、地検に起訴されたというニュースを聞いて、改めて彼の出演作がお蔵入りになってしまったことが残念だ。何が残念かと言えば、新井その人のキャリアではない。その映画の製作に関わった多種多様な人々の努力と労力が適切な評価を受ける機を逸したのが悔やまれる。『 空飛ぶタイヤ 』でも危惧したことだが、映画を作るのに携わった多くの人、そしてその映画の公開を待つさらに多くの人を裏切るようなことは誰にもしてほしくない。『 ゲティ家の身代金 』のように、ケビン・スペイシーが盛大にやらかしてくれたおかげで失われかけたものを、クリストファー・プラマーとリドリー・スコットが莫大なカネとほんのわずかな時間で取り戻してくれたのは奇跡だったのだ。

作品と作者の関係をアカデミーの面々、そして多くの映画ファンがどう判断し、どう評価するのかは分からない。しかし、本作が傑作であるという自身の判断は変えたくないし、変えようとも思わない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, ラミ・マレック, 伝記, 監督:ブライアン・シンガー, 配給会社:20世紀フォックス映画, 音楽Leave a Comment on 『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -二度目の胸アツ応援上映参戦-

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