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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ロバート・ダウニー・Jr.

『 スパイダーマン ホームカミング 』 -新たなスパイディの冒険の序章-

Posted on 2019年6月30日 by cool-jupiter

スパイダーマン ホームカミング 70点
2019年6月27日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:トム:ホランド マイケル・キートン ゼンデイヤ ロバート・ダウニー・Jr.
監督:ジョン・ワッツ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190630030913j:plain

『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』に向けての復習および『 アベンジャーズ:エンドゲーム 』の振り返りをしたいと思い、TSUTAYAでBlu-rayを借りてくる。初回に劇場で観た時とは、少々異なる感想を持った。

 

あらすじ

『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』の戦いから、ニューヨークに帰還したピーター(トム・ホランド)は、アベンジャーズの一員になることを夢見て学校生活も上の空。ニューヨークの街で人助けに精を出しながら、トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)からの声かけを待っていた。しかし、そこではヴァルチャー(マイケル・キートン)が妖しく蠢動していた・・・

 

ポジティブ・サイド

今作のスパイダーマンは、サム・ライミ監督の初代『 スパイダーマン 』に近い。つまり、ピーター・パーカーがスパイダーマンとしての使命に目覚めていくということである。しかし、そこには本質的な差異がある。前者では、不注意からUncle Benを死なせてしまったことからピーターの物語が始まるが、今作ではトニー・スターク/アイアンマンの力になりたい、アベンジャーズの一員として認められたいというところから、ピーターの成長が始まる。そう、成長である。成長するための基本的な条件とは何か。それは「未熟」であるということである。スパイダーマンは英語ではSpider-Manである。一方でアイアンマンはIron Manと表記される。他にもSupermanやAquaman、Batmanなど、ハイフンを持つスーパーヒーローは少ない。スパイダーマンはおそらく、Manになりきれていないのだ。ピーター自身が、自分はボーイだと言ってしまう場面すらあるのだ。ManとBoyの境目とは何か。それはアメリカ風に言うならば、positive male figureから適切な影響を受けて、自らもpositive male figureになれるかどうかであろう。端的に言えば、文学的な意味で父親殺しができるかどうかにかかっているわけだ。

 

本作に登場する主要な男性キャラは、ネッドを除けば、ほとんど全員がピーターにとって疑似的な父親、あるいは本来の父親が果たすべきポジティブかつネガティブな影響を代理としてピーターに及ぼすキャラクター達である。その筆頭は言うまでもなくトニー・スターク/アイアンマンである。トニーとピーターの対話は、大人と子どもの対話でありながら、父と息子の対話でもある。トニー自身も、自らが父親に抱く複雑な想いと、父親が自分に対して抱いていたであろう愛情を意識したからこそ成立した名場面である。『 アベンジャーズ:エンドゲーム 』を観た後だからこそ、尚更にそう感じる。

 

もう一人の疑似的な父親、マイケル・キートン演じるヴァルチャーは、トニーとは対照的である。彼は地べたを這いつくばる労働者であり、家族を愛し、守り、食わせるためなら何でもやる男である。つまり、小市民ヒーローなのだ。と同時に、彼はピーターが乗り越えるべき、倒すべきものの象徴でもある。『 バットマン 』、『 バットマン リターンズ 』ではバットマンを、『 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』ではバードマンを、そして本作では怪鳥ヴァルチャーを演じるなど、スーパーヒーローから、落ち目の俳優、そしてスーパーヴィランへと進化を遂げた。理知的で爽やかさ、清潔さを感じさせるイケメンだったはずが、強面の中年オヤジに変貌したという意味では、彼はダンディズムを決して失わないトニー・スタークとは真逆であると言えるのかもしれない。

 

アクションのハイライトは客船のシーンだろう。『 スパイダーマン2 』の電車を止めるシークエンスに優るとも劣らない緊張感とスペクタクル。そしてアイアンマンが見せつけるスーパーヒーローとしての格の違い。これは少年と壮年の物語、そして少年が何とか青年になろうと足掻く物語なのだ。『 プーと大人になった僕 』のレビューで、子ども=労働と性から疎外された存在という定義を紹介したが、今作のピーター・パーカーは労働=what you doの面で何とか子どもと大人の中間ぐらいの存在へと成長した。そして、次作では(性的な成熟という意味ではなく、ロマンチックな意味での)性の成長、つまりは男性に、Spider-BoyからSpider-Manになることを予感させて物語は閉じる。見事な脚本、見事なストーリーテリングである。

 

ネガティブ・サイド

FBIを欺き続けたとヴァルチャーは誇らしげに語るが、CIA、NSA、DHSやATFなどその他の機関をも出し抜いたというのは少々信じがたい。冒頭に登場したオバちゃん率いる部隊は相当な無能者の集まりだったのだろうか。

 

フラッシュ・トンプソンのキャラがウザい。いや、ウザいのは原作通りだが、このキャラに嫌味で小憎たらしい白人のクソガキをキャスティングしないのは何故なのだ?答えはおそらくこうだ。原作どおりに進めば、彼はその後、ピーターの友人になるからだ。人種のるつぼ、ニューヨーク万歳というわけだ。キャスティングだけで先が読めてしまうのは興醒めである。

 

ミシェルの見せ方も、もう少し工夫が欲しかった。『 ミーン・ガールズ 』のような生態系で生き抜いてきたような描写が欲しいとは思わないが、あまりにもアッサリとアカデミック・デカスロンのチームに溶け込んでいた。MJは家庭環境が余り良くないイメージをファンならば皆、抱いているはず。何か欠けたもの、何か隠したいもの、それでも何か共有したいものを抱えているからこそ、ピーターとMJは惹かれ合うべきで、その伏線が非常に弱かった。まあ、そのあたりは『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』がしっかりと描写してくれることに期待するとしよう。

 

これはトレイラー作成担当者に文句を言うべきなのだろうが、劇場鑑賞前に熱心な映画ファンがどれくらいの回数、スパイダーマンとアイアンマンがサイド・バイ・サイドで空を飛ぶシーンを見せられただろうか。本編に存在しないシーンでトレイラーを作るのは止めてもらいたい。こうした行為は法律で禁じられないのだろうか。

 

総評

欠点や粗が色々と浮かび上がってくるが、スパイダーマンというヒーローの特殊性、ピーター・パーカーというキャラの未熟さとそれゆえの魅力、そしてヒーローでありながらスーパーではないところ(親愛なる隣人レベルという意味で)が良い。かかる欠点がスパイディの大いなる魅力の源泉なのだ。だからこそ他のヒーロー物ではあまり描写されないビルドゥングスロマン要素が際立つ。サム・ライミ監督の手掛けた初代作品と肩を並べる傑作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, ゼンデイヤ, トム・ホランド, マイケル・キートン, ロバート・ダウニー・Jr., 監督:ジョン・ワッツ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 スパイダーマン ホームカミング 』 -新たなスパイディの冒険の序章-

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

Posted on 2019年4月28日2020年1月28日 by cool-jupiter

アベンジャーズ / エンドゲーム 80点
2019年4月27日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロバート・ダウニー・Jr. クリス・エヴァンス クリス・ヘムズワース ジョシュ・ブローリン
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190428110831j:plain

全宇宙の生命の半分を消し去ったサノス。半分が消えたスーパーヒーロー達。彼ら彼女らが復讐者(The Avengers)となって、サノスに戦いを挑む・・・というストーリーではない。これはアイアンマンやソー、キャプテン・アメリカがヒーローとしての生き方以外を模索し、その上でヒーローたることを決断する物語なのだ。少なくともJovianはそのように解釈した。

 

あらすじ

 サノス(ジョシュ・ブローリン)に大敗北を喫したアベンジャーズ。アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)は宇宙を漂い、地球への帰還は絶望的。キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)は何とか前に進もうとしていたが、ソー(クリス・ヘムズワース)は自暴自棄になっていて、初期アベンジャー達は打倒サノスに団結できずにいたが・・・

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  • 以下、シリーズ他作品のマイルドなネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

 『 キャプテン・マーベル 』は正にMCUの繋ぎ目であった。冒頭の20分で「第一部、完!」的な超展開が待っている。これは笑った。いや、本作の全編にわたって、特に前半はユーモアに満ちている。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』と『 ターミネーター 』という、タイムトラベルものの優れた先行作品に大いなる敬意を表しつつ、それらへのオマージュを見せつつ、新たな物語世界を創り出し、完結させた。

 

アクション面で語ることはあまりない。何故なら褒め言葉に意味など無いからである。これだけの映像を構想した監督、それを現実のものにした俳優陣や演出、大道具、小道具、衣装、CG、VFXなどを手掛けた裏方さんたち全てに御礼申し上げる。

 

キャプテン・アメリカやソーについても多くを語りたいが、自分が最も打ちのめされた、そして最も素晴らしいと感じたのは、トニー・スターク/アイアンマンだった。彼が人の子として、人の親として、一人の男として、そしてスーパーヒーローとしての全ての生き方を全うできたことが、これ以上ない迫真性と説得力を以って伝わってきた。彼はある意味で常に父のハワード・スタークの影にいた。そのことは『 アベンジャーズ 』でも『 キャプテン・アメリカ / シビル・ウォー 』でも明白だった。父と息子の対話というのは、母と娘のそれとは何かが異なる。そのことを非常に大げさに描き切ったものに『 プリンセス・トヨトミ 』があったが、今作におけるトニー・スタークは、息子、父親、夫、ヒーローとしての生を成就し、全うしたと言える。彼が娘にかける母親に関する言葉、妻にかける娘に関する言葉の簡潔にして何と深いことか。世の男性諸賢は彼なりの愛情表現に見習うところが多いのではないか。彼は社長という一面はなくしても、技術者としての顔は残していた。そしてヒーローとしても。思えば全ては『 アイアンマン 』のラストの記者会見での“I am Iron Man.”から始まったのだ。滂沱の涙がこぼれた。

 

ネガティブ・サイド

前作『 アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー 』で全世界の映画ファンが最も度肝を抜かれたのは、冒頭のロキの死亡と、ハルクがサノスとガチの殴り合いで完敗を喫したことだったのではないか。であれば、本作に期待するのはインクレディブル・ハルクの捲土重来がまず一つ。しかし、どうもそれが個人的にはイマイチだった。もちろん大きな見せ場はあるのだが、『 アベンジャーズ 』で“I’m always angry.”と不敵に言い放ってからのパンチ一撃でチタウリをKOしたインパクトを超えるシーンはなかった。

 

スカーレット・ウィッチとドクター・ストレンジの共闘も予想していたが、それもなかった。ヴィジョンは復活の対象ではないのだから、誰かがそこをスポット的に埋めるだろうと予想していて、それができるのはドクター・ストレンジだけだという論理的帰結には自信を持っていたがハズレてしまった。しかし、真面目な話、ヒーローが多すぎて見せ場が分散されすぎている。というか、キャプテン・アメリカの強さのインフレと、キャプテン・マーベルの素の強さがおかしい。生身のブラック・ウィドウはお役御免(トレーラーのような、射撃を練習するシーンはあったか?)、ホークアイも基本的には走り回る役というのに、キャプテン・アメリカのこのドーピング、優遇っぷりと、キャプテン・マーベルのストーンの運搬役には不可解さすら感じた。マーベルなら楽勝でストーン使用のインパクトに耐えられたのでは?

 

個人的にもうひとつピンと来なかったのはタイムトラベル理論。ブルース・バナーによれば、時間とは、小林泰三の短編小説『 酔歩する男 』の理論のようであり、また哲学者アンリ・ベルクソンの純粋接続理論のようなものでもあるらしいが、それはエンシェント・ワンが劇中で説明したマルチバース理論(と基にした因果律と多世界解釈)と矛盾しているように感じた。最大の謎は、なぜアントマン/スコット・ラングはタイムトラベル実験で年を取ったり若返ったりしたのか。時間の流れが異なる量子世界内をトニー・スターク発明のGPSを使って、時空間上の任意の点を目指すのがタイムトラベルであれば、トラベラー自身の年齢が上下するのは理屈に合わない。いや、それ以上にキャプテン・アメリカの最後の選択。それは美しい行為なのかもしれないが、論理的に破綻している。インフィニティ・ストーンを使って現在を修正し、その上で過去にストーンを戻し、過去の世界線はそのままに、現在の世界線もそのままに、そして人々の記憶や意識はそのまま保持する、というのはギリギリで納得がいくが、それもこれも全てを吹っ飛ばすキャプテン・アメリカの選択は美しいことは間違いないが、パラドクスを生んだだけのように思えて仕方が無かった。

 

総評

これはフィナーレであると同時に、新たな始まりの物語でもある。そのことは劇中のあちこちで示唆されている。しかし、それ以上に本作はトリビュートであり、様々な先行作品へのオマージュにも満ちている。そうしたガジェットを楽しむも良し、純粋にストーリーを追うことに集中しても良し、ここから先に広がるであろう新たな世界を想像するのも良し。連休中に一度は観ておくべきであろう。

 

そうそう、ポストクレジットの映像は何もない。トイレを我慢しているという人は、エンドクレジットのシーンで席を立つのもありだろう。しかし、映像はないのだが、興味深い音が聴ける。その音の意味するところを想像したい、という向きは頑張って座り続けるべし。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, クリス・ヘムズワース, ジョシュ・ブローリン, ヒューマンドラマ, ロバート・ダウニー・Jr., 監督:アンソニー・ルッソ, 監督:ジョー・ルッソ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

『 ジャッジ 裁かれる判事 』 -家族の別離と再生を描く傑作-

Posted on 2018年9月7日2020年2月14日 by cool-jupiter

ジャッジ 裁かれる判事 75点
2018年9月6日 レンタルDVD観賞
出演:ロバート・ダウニー・Jr. ロバート・デュバル ベラ・ファーミガ ビンセント・ドノフリオ ジェレミー・ストロング ビリー・ボブ・ソーント
監督:デビッド・ドブキン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180907112951j:plain

その明晰な頭脳で勝利を追求する敏腕弁護士のハンク(ロバート・ダウニー・Jr.)は娘を溺愛するも、妻とは不仲。そんな彼の元に、母の死を知らせる電話が入る。長年に亘って疎遠だった実家に帰り、判事である父ジョセフ(ロバート・デュバル)、MLBへの夢が断たれ田舎町に引き込む兄グレン(ビンセント・ドノフリオ)、軽度の知的障害を持つビデオカメラ好きのデイル(ジェレミー・ストロング)、幼馴染にして元恋人のサマンサ(ベラ・ファーミガ)とその娘らと再会する。葬儀の後、父ジョセフが20年前に刑務所送りにした男マークが刑期を終えて出てきたその夜、ジョセフが車でマークを撥ねて死なせてしまう事案が発生する。偶然の事故なのか、故意の殺人なのか。ハンクは苦悩しながらも父ジョセフの正義を信じ、弁護に乗り出す・・・

まず、何と言っても二人のロバートの奇跡的な邂逅である。特にデュバルの存在感は凄まじい。本作で彼のキャラクターの持つ属性は多岐に亘る。判事の顔を持ちながらも、厳格すぎる父親の顔を持ち、年齢から来る衰えに戸惑い、怯え、しかし受け容れ、妻の死を嘆きながらも毎日墓参することを前向きに誓う強さを持ち合わせ、そして良き祖父の顔も見せる。これぐらいのキャリアの役者になると、『 ゲティ家の身代金 』のクリストファー・プラマー然り、『 あなたの旅立ち、綴ります 』のシャーリー・マクレーン然り、演じること(Acting)と存在すること(Being)の境目が揺らいでくるようだ。クライマックスの法廷で、ジョセフはその心情を赤裸々に語るが、そこから見えるのは父親としての業である。父という種族は、なぜこうも不器用もなのか。

そしてダウニーJr.の息子としての苦悩、懊悩。アイアンマンでもそうなのだが、父との確執や過去のトラウマに苛まれる役が何故か似合う。当初ジョセフはハンクに弁護を依頼せず、ペーペーの新米弁護士を雇うが、予備審問の時点からヘマを打つばかり。この時のダウニーJr.の演技が見もの。表情を変えずに仕草やアクションで台詞以上に雄弁に語りまくる。ここに我々は、彼の弁護士としての血の騒ぎ以上に、息子として本心では父を救いたくて堪らないとの思いを見出さざるを得なくなる。彼が法廷で流す涙は、悔し涙以上の悔しさがあったのだろう。なぜ自分が娘に注いでいるだけの愛情を、父もまた自分に注ごうとしているのかに思い至らなかった自分への後悔が透けて見える。これは父殺しを通じた、家族の再生の物語なのだ。古今の文学のお定まりのテーマとはいえ、法廷という真実を追究する極めて社会的、公共的な意味合いの強い場で、親子、それも判事と弁護士の対峙と融和が図られるのだから、これを劇的(dramatic)と言わずして何と言おう。

名優同士のぶつかり合いと、それを支える確かな実力を持つ脇役達、さらに細かなサブプロットをも収めた脚本と、それらを見事に統合した演出と監督術。いったん再生すれば、エンディングまでノンストップとなること請け合いの傑作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, ベラ・ファーミガ, ロバート・ダウニー・Jr., ロバート・デュバル, 監督:デビッド・ドブキン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ジャッジ 裁かれる判事 』 -家族の別離と再生を描く傑作-

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