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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ミュージカル

『 ウィキッド ふたりの魔女 』 -やや冗長だが楽しい-

Posted on 2025年3月9日 by cool-jupiter

ウィキッド ふたりの魔女 65点
2025年3月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:シンシア・エリヴォ アリアナ・グランデ
監督:ジョン・M・チュウ

15年ぐらい前に劇団四季のミュージカルで鑑賞した。たしかエルファバ役が韓国人女優だったかな。

あらすじ

緑の肌をもって生まれてきたエルファバ(シンシア・エリヴォ)は、妹ネッサのシズ学園への入学に付き添ったところ、ひょんなことから自身も入学・入寮することに。ルームメイトのガリンダ(アリアナ・グランデ)とは全くうまが合わず・・・

ポジティブ・サイド

Wickedのタイトルが大きく表示されたところでニヤリ。これは『 オズの魔法使 』のタイトルそっくり。オリジナルに敬意を払っていますよ、というアピールはこれだけで成功した。あとはエルファバが自転車に乗るシーンはミス・ガルチへのオマージュで、これにもニヤリ。

オリジナルのミュージカルの楽曲をほぼそのまま使っていることに好感が持てた。特に

 Defying Gravity は舞台と変わらず圧巻の出来。歌手であるシンシア・エリヴォをキャスティングした理由はやはりこれだったかと得心できた。No Good Deed と For Good も楽しみである。

エルファバが象徴的な黒い魔女のコスチュームを身に着けるようになるまでの流れも自然で、反目しあっていたガリンダとの間に友情や共感が芽生える場面も感動的だった。

かつてジェームズ・フランコも『 オズ はじまりの戦い 』で小憎らしい詐欺師を演じていたが、胡散臭い男を演じさせればフランコよりもはるかに上のジェフ・ゴールドブラムには笑わせてもらった。

オズという「夢」の国にも、魔女狩りという他者への究極の不信感や共通の敵を生み出すプロパガンダが蔓延する様を描くことで、現実世界の在りように対する反省を促す作りになっているのも悪くない。残念ながら、現米政権は多様性や平等の排除を着々と進めている。幸いと言うべきかどうかは分からないが、本作はアメリカでは大ヒットだそうな。

ネガティブ・サイド

事前に情報を仕入れなかった自分が悪い面もあるが、Part 1ならPart 1と事前に言っておいてほしい。ミュージカルで二部作なんか、過去にあったか?

ミュージカルを観た時には感じなかったが、なぜ動物が迫害の対象となっている世界で、肌が緑とはいえエルファバまで嘲笑や無視の対象になるのだろうか。エルファバの家では普通に動物の助産師や乳母、召使いがいた。ディラモンド先生の言う

フィエロのキャラクターが少し違う気がする。ガリンダと意気投合するのはいいが、もう少し性格というか考え方が・・・おっと、これ以上は言ってはいけないんだったか。

ミシェル・ヨーがマダム・モリブルを演じたことに違和感はなかったが、歌が壊滅的に下手だった。ここは吹き替えても良かったのでは?

総評

レイトショーで鑑賞したが、かなりの入りだった。日本でも出だしは好調のよう。やたらと長いという点は大きなマイナスだが、エンターテインメントに徹しつつも、現実の社会への批判の意味も込められていて、大人の鑑賞にも子どもの鑑賞にも応えられる仕上がりになっている。大阪の四季劇場に行こうかと思ったが、すでに全日が完売。映画の方もミュージカルに負けずヒットしてほしい。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

blonde

女性の金髪の意。しばしば能天気と同義。男性の場合はblondと最後のeなしで綴る。これは男性婚約者=finace、女性婚約者=financeeと同じくフランス語に起源を持つため。英検準1級以上を目指すなら知っておこう。

次に劇場鑑賞したい映画

『 プロジェクト・サイレンス 』
『 ロングレッグズ 』
『 ゆきてかへらぬ 』

Posted in 未分類Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, アリアナ・グランデ, シンシア・エリヴォ, ファンタジー, ミュージカル, 監督:ジョン・M・チュウ, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ウィキッド ふたりの魔女 』 -やや冗長だが楽しい-

『 ライオン・キング:ムファサ 』 -凡庸な前日譚-

Posted on 2024年12月30日 by cool-jupiter

ライオン・キング:ムファサ 50点
2024年12月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アーロン・ピエール ケルビン・ハリソン・Jr
監督:バリー・ジェンキンス

 

『 ライオンキング(2019) 』前日譚ということでチケット購入。

あらすじ

シンバは息子キアラの世話を旧知のラフィキ、ティロン、プンバァに託す。ラフィキはそこで、偉大な王ムファサの物語をキアラに語り掛けて・・・

ポジティブ・サイド

CGの美しさは言わずもがな。風景に至っては、最早一部は実写と見分けがつかない。水のシーンは『 ゴジラ-1.0 』の海のクオリティにも決して劣らない。

 

前日譚ではあるが、前作のキャラも大量に登場。やはりプンバァとティロンが出るだけで『 ライオンキング 』の世界という感じがする。ザズーとムファサの出会いが描かれていたのも個人的にはポイントが高い。

 

ライオンの習性というか、オスの旅立ちとはぐれライオンによるプライドの乗っ取り、まったく赤の他人のオス同士が広大なサバンナでたまたま出会い、パートナーになっていくなど、近年の調査で明らかになりつつあるライオンの実像を盛り込んだストーリー構成も悪くない。

 

随所に「おお、これがあれにつながるのか」というシーンが盛り込まれていて、前作ファンへのサービスも忘れていない。

 

命の輪のつながりを実感させるエンディングは予想通りではあるものの、非常にきれいにまとまった大団円だった。

ネガティブ・サイド

楽曲がどれも弱かった。”He lives in you.” や “Can you feel the love tonight?” は再利用不可能だとしても、せめて “Circle of Life” は聞きたかった。命の輪について劇中で何度も触れるのだから、なおさらそう感じた。

 

若き日のスカーであるタカが色々な意味で可哀そう。Like father, like son.という言葉があるが、父親のオバシのある意味で過保護と歪な愛情がタカを作ったわけで、タカそのものは悪戯好きな、よくいる子どもに過ぎない。また母のエシェもムファサに向ける愛情のいくらかを実子のタカに向けられなかったのか。子どもにとって親から信頼されることと親から愛されることは似て非なるもので、前者よりも後者の方が必要なはず。

 

ムファサもタカに命を救ってもらい、プライドにも(中途半端ながら)加入させてもらったことに一度もありがとうと言っていないところも気になった。タカの傷にしても、なにか辻褄合わせのように見えた。Let’s get in trouble もっと幼少期のムファサとの遊びの中で、ムファサの不注意で、あるいはムファサをかばったことで負った傷という設定にはできなかったか。

 

総評

鑑賞後のJovian妻の第一声は「タカが可哀そう」だった。Jovianもこれに同意する。詳しくは鑑賞してもらうしかないが、このストーリーは賛否の両方を呼ぶと思われる。ただし誰にとっても楽しい場面はあるし、楽曲のレベルも低いわけではない。家族で見に行くにはちょうどいい塩梅の物語とも言える。チケット代を損したという気分にはならないはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

steal one’s thunder

直訳すれば雷を盗むだが、実際は「お株を奪う」、「出し抜く」の意。

You’re closing deals with companies A, B, and even C? You’re stealing my thunder!
A社、B社、さらにC社とも契約を結べそうだって?俺の出番を奪わないでくれよ!

のように使う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ 』
『 #彼女が死んだ 』
『 アット・ザ・ベンチ 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アーロン・ピエール, アメリカ, ケルビン・ハリソン・Jr., ミュージカル, 監督:バリー・ジェンキンス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ライオン・キング:ムファサ 』 -凡庸な前日譚-

『 ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ 』 -フォーカスが散逸している-

Posted on 2024年10月16日 by cool-jupiter

ジョーカー:フォリ ア ドゥ 40点
2024年10月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス レディー・ガガ
監督:トッド・フィリップス

 

『 ジョーカー 』の続編。ただし前作の良かった点を薄め、さらに物語の焦点がぼやけてしまったという意味で非常に残念な出来に仕上がっている。

あらすじ

裁判を前に州立病院に収容されたアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は模範囚であるとして音楽療法への参加が認められた。そこでハーリーン・クィンゼル(レディー・ガガ)と出会ったアーサーは、すぐに彼女に惹かれていき・・・

以下、前作と本作の軽微なネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

最初は何故かアニメで始まるが、これは大いなる伏線なので、飽きずに鑑賞してほしい。

 

不気味で不安感を煽り立てるBGMという前作からの特徴は踏襲。暗澹かつ陰鬱な病院の中でも、時折見られる極彩色の色遣いが、アーサーという凡人とジョーカーという悪の道化の二面性をうかがわせる。

 

ホアキン・フェニックスの怪演も健在。ギスギスにやせ細った体と、笑いたくないのに笑ってしまう症状。見るからに哀れな男で、だからこそ観る側も同情しやすい。いや、もっと踏み込んで言えば、自身と同一視しやすい。かかる弱さがアーサーの魅力で、フェニックスはその弱さを前作に続いて完璧に体現している。そんなアーサーが世間ではアニメ化され、偶像化され、裁判を前に熱狂的なシンパも形成されている。前作で生まれた救世主はその後も健在だったのだ。

 

レディー・ガガ演じるハーリーン・クィンゼルとのデュエットやダンスはそれなりにシネマティック。ビージーズの “To Love Somebody” のデュエットは特に良かった。また劇中で『 ザッツ・エンターテインメント 』も上映される。これも小学生ぐらいの時に自宅でVHSで観たのを懐かしく思い出した。前作のアーサーのカメラに向かってのセリフが “That’s life!” だったとすれば、今作のテーマは That’s entertainment というわけかと期待が膨らむ。

 

が、楽しめたのは作品の中盤までだった。

ネガティブ・サイド

まあ、結局は作り手と受け手の波長が合うかどうかなのだが、Jovianには本作は合わなかった。前作と監督も主演俳優も同じなので、少し裏切られた気分である。

 

まず本作はフォーカスがはっきりしない。州立病院の劣悪な環境に置かれるアーサーの苦痛を描くのか。その州立病院内でのハーレイ・クインの誕生と彼女との関係の進展を描くのか。それともジョーカーの裁判とジョーカー信奉者の暴走を描くのか。本作はこれらの全てを等しく扱おうとして、全体的なトーンがバラバラになってしまっている。

 

Jovianはミュージカルは好物ジャンルで、本作の楽曲やダンスもそれなりに楽しめた。ただ本作がミュージカル形式を導入した動機が、前作で分かりにくいとされた現実と妄想の境目をはっきりさせることだとすれば、それは余計なお世話というもの。厳しい言い方をすれば、アーサーの妄想(全部でなくともよい)を読み解けなかった方のリテラシーの問題。もう一つは、前作でアーサーが若者3人を殺害した直後、トイレで踊ったダンスや、マレー・フランクリンのショーに出演する直前の階段でのダンスが好評だったからというのも理由にありそう。だったらアーサーが個室や食堂で悲哀のダンスや喜びのダンスを踊ればいいではないか。また妄想シーンも前作を予習していれば何がそうで何が現実か、見分けるのは容易いはずだ。

 

ハーリーン・クィンゼルとの関係の描き方も中途半端。彼女の語る話の内容を、それこそアーサーの妄想にしてしまえばいい。弁護士からハーリーン・クィンゼルの真実を聞かされて茫然自失するアーサーだが、そのショックをもっと大きくする方法はあったはずなのだ。

 

また裁判のシーンも冗長というか、争点がつまらない。弁護士はアーサーとジョーカーを別人格ということにしようとするが、前作から我々はアーサーとジョーカーは同一人格だということを知っている。幼少期のトラウマは確かに事実だろうが、それがすべてDID = Dissociative Identity Disorder につながるわけでもない。弁護士もそれは無理筋だと分かっていて半ば誘導尋問しようとするが、そもそもそんな事実はないのだから、そのプロットは追求しようがない。

 

結局アーサーは弁護士をクビにして、自分で自分を弁護することになる。ジョーカーのコスチュームとメイクアップで法廷に臨むアーサーに、裁判そのものを前作と同じくショーに変えてしまうのかという期待が盛り上がったが、そうはならず。唯一、面白くなりそうだったのは前作のミジェットのゲイリーの登場シーン。彼はアーサーと同じく、社会に存在を認識されない男。その男の叫びをアーサーは遂に・・・ おっと、これはさすがにネタバレが過ぎるが、ここで観る側は壮大な肩透かしを食らわされる。というか、その先の展開はもはや漫画。最後の最後に全てをうっちゃる展開に開いた口が塞がらない。フォリ・ア・ドゥって、そっちの意味かい。

 

総評

悪い作品ではないが、良作とは到底言えない。前作を観ることなく本作を観れば意味不明だろうし、前作を観たうえで本作を観れば、肩透かしを食うだろう。アーサーが支持されたのは社会への復讐を果たしたから。そのアーサーがさらに社会を擾乱するのを期待すると本作には裏切られる。これが『 ジョーカー 』の看板を背負わず、B級C級映画なら感想はかなり異なるのだろうが、残念ながら『 ジョーカー 』映画であるからには、ジョーカーのジョーカー性を否定してはならないのである。その点が非常に残念でならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re fired.

お前はクビだ、の意。fire には様々な意味があるが、ここでは解雇の意味となる。I fire you. または I’m firing you. よりも、You’re fired. が圧倒的に多く使われる。WWEの元会長の瓶ス・マクマホンおよび彼とのプロレスで名を一気に売ったドナルド・トランプの得意とする台詞でもある。サラリーマンとしては言われたくない言葉の筆頭だろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ぼくのお日さま 』
『 若き見知らぬ者たち 』
『 破墓 パミョ 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, サスペンス, ホアキン・フェニックス, ミュージカル, レディー・ガガ, 監督:トッド・フィリップス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ 』 -フォーカスが散逸している-

『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

Posted on 2022年6月26日2022年6月26日 by cool-jupiter

犬王 80点
2022年6月24日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:アヴちゃん 森山未來
監督:湯浅政明

 

会社の同僚が激しく心揺さぶられたと評した作品。振休を使って、梅田ブルク7に向かう。平日の昼間で公開から3週間経過しているにも関わらず、半分近くの入りで驚いた。

あらすじ

南北朝の統一前夜、奇形児として生まれた犬王(アヴちゃん)は、独自に猿楽を学ぶ。ある日、犬王は草なぎの剣の呪いによって盲目となってしまった琵琶法師の少年・友魚(森山未來)と出会う。犬王の異形の姿が見えない友魚は、すぐに犬王と意気投合。二人は独自の楽曲と舞踊で、たちまち都の話題を呼び・・・

 

ポジティブ・サイド

三種の神器によって呪われてしまった友魚と、とある人物からの呪いをその身に受けて異形の身体に生まれてしまった犬王。社会や家族から cast out された二人が織りなす楽曲の斬新さが目を引く。鎌倉時代には絶対にありえない演出がふんだんに施されていて、二人のライブが類まれなるスペクタクルになっている。猿楽を現代のロック調に再解釈し、歌詞は当時のものさながらに、新たなエモーションを乗せることに成功している。また光による演出も映画館で鑑賞するにふさわしく、eye-candy である。個人的にはクジラの歌と演出が最も心に残っている。

 

同時に、二人の楽曲が平家の亡霊の鎮魂歌になっているという設定がユニーク。忘れがちであるが、平安以降の日本はほとんど常に乱世で、それだけ人の死が身近にあった時代。なおかつ、娯楽もなく、さりとて一般庶民が文字として記録されたり、あるいは何かを記録する時代でもない。そこから『 図書館戦争 』や『 罪の声 』の脚本を務めた野木亜紀子の主張が垣間見える。いつの世であっても、最も救済が求められるのは名もなき無辜の民や、歴史の闇に葬り去られる運命の敗者たちなのである。

 

パフォーマンスが成功するたびに犬王の異形の身体が少しずつ普通になっていく。また友魚も名を友有と変え、自分の一座を持つ。時の将軍、足利義満の御前での仮面なしのパフォーマンスも成功に導き、順風満帆な二人だったが、好事魔多し。その将軍の意向により、二人は窮地に追いやられてしまう。この展開の辛さよ。虐げられてきた自分たちのパフォーマンスが虐げられてきた者たちを救ってきたにもかかわらず、為政者は事故の権力の正当化に汲々とするばかり。600年前も今も、権力者と庶民の関係は変わらないのか。

 

ちょうど大河ドラマで源氏が平氏を滅ぼし、鎌倉政権内のゴタゴタに焦点が移っているところである。これが上手い具合に劇中の平家の滅亡と南北朝統一を推進する足利幕府内部のゴタゴタとシンクロしている。同時に、多様性や包摂を謳いながらも、それが出来ない現代日本社会、さらに政権にとって都合の良い歴史の主張など、時代劇でありながら現代風刺になっている。アニメとしてもミュージカルとしても、近年では出色かつ異色の出来の邦画である。多くの人に鑑賞いただきたいと思う。

 

ネガティブ・サイド

犬王に関しては想像力を自由に働かせる余地があるものの、ストーリーにオリジナル要素が足りなかった。手塚治虫の漫画『 火の鳥 太陽編 』にそっくりだと感じた。

 

明らかに『 ボヘミアン・ラプソディ 』にインスパイア・・・というかパクったシーンが終盤にある。いや、中盤にもあるのだが、そこはオマージュと受け取れた。が、最終盤のステージ入りのシーンはオマージュとは言えないような気がする(楽曲の方も厳密にはアウトかもしれない)。

総評

Jovianは洋画のサントラは結構たくさん持っているが、邦画は久石譲以外持っていなかったりする(ミーハーの誹りは甘んじて受ける)。そんなJovianが「これはサントラを買わねば!」と強く感じたのが本作である。虐げられ歴史に抹殺された者たちが、時を超えて訴えかけてくるメッセージには確かに心揺さぶられずにはおれない。

そうそう、予告編で『 四畳半タイムマシンブルース 』が9月に公開されると知り、非常に興奮した。めちゃくちゃ楽しみである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Once upon a time

「今は昔」の意。スター・ウォーズの始まりもこれである。他にも『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』など、割と使用頻度は高いように思う。B’zも『 once upon a time in 横浜 〜B’z LIVE GYM’99 “Brotherhood”〜 』 というDVDを昔、出していた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, アヴちゃん, ファンタジー, ミュージカル, 日本, 森山未來, 歴史, 監督:湯浅政明, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:アニプレックスLeave a Comment on 『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

『 シラノ 』 -ややパンチの弱いミュージカル-

Posted on 2022年3月8日 by cool-jupiter

シラノ 65点
2022年3月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ピーター・ディンクレイジ ヘイリー・ベネット ケルビン・ハリソン・Jr.
監督:ジョー・ライト

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『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のシラノが、現代風に換骨奪胎されたミュージカル。期待に胸膨らませて劇場へ赴いたが、Don’t get your hopes up. 

 

あらすじ

騎士のシラノ(ピーター・ディンクレイジ)は、自身の体躯や容姿に劣等感を抱いており、ロクサーヌ(ヘイリー・ベネット)に想いを打ち明けられずにいた。ある時、ロクサーヌは新兵のクリスチャン(ケルビン・ハリソン・Jr.)に一目惚れし、隊長であるシラノに二人の恋を取り持ってほしいと依頼する・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220308225504j:plain

ポジティブ・サイド

ピーター・ディンクレイジ演じるシラノには賛否両論あるだろうが、彼の意外な(と言って失礼か)歌唱力の高さには驚かされた。渋い良い声をしているのは知っていたが、歌声もなかなかのもの。また殺陣もいける。舞台の上でのチャンバラは割と普通だったが、夜の階段で複数の刺客に襲われるシーンはワンカットに見えるように編集されたものだろうが、かなりの迫力だった。目の演技も素晴らしく、パン屋の個室でロクサーヌに恋の相談を持ちかけられるシーンの目の輝き、そしてその目から一瞬にして輝きが消えて虚ろになってしまうのは凄かった。目でこれほど雄弁に語れるのはジェームズ・マカヴォイぐらいだろうか。

 

ロクサーヌを演じたヘイリー・ベネットも feminist theory に則って現代的な女性に生まれ変わった。この変化は肯定的なものと受け止めることができた。理由は二つ。一つには、貴族あるいは素封家との愛のない結婚は悲惨だと高らかに宣言したこと。経済格差が広がり、ブルジョワジーとプロレタリアートに二分されつつある現代社会を間接的に批判している。もう一つには、イケメンだから好きという単純な恋愛観を超えているところ。もちろんクリスチャンはイケメンなのだが、器量良しというだけで惚れ続けてくれるほど甘い女ではないところがポイントが高い。

 

別にフランスだから云々ではなく、それこそ一昔前までは恋愛とは言葉だったのだ。それこそ日本でも平安貴族は顔云々ではなく和歌の巧拙で相手にキュンとなったり、ゲンナリしたりしていたのだ。顔など見ない。噂で美しいと聞いて、御簾の向こうのまだ見ぬ女性(ここでは「にょしょう」と読むべし)に恋文を送っていたのだ。それが日本古来の伝統だったのだ。イギリスでもイタリアでも同じである。不朽の名作『 ロミオとジュリエット 』で感じるのは、圧倒的な修辞の技法である。ロミオは確かにイケメンであったが、顔はきっかけに過ぎず、気品と教養ある言葉の力でジュリエットを攻略したのである。とにかく言葉を尽くすというローコンテクスト言語の特徴がよく出ており、そのことが不細工ながらも詩文の才に恵まれたシラノというキャラクターにリアリティを与えている。

 

ハイライトの一つはバルコニーのジュリエット・・・ではなくロクサーヌと、クリスチャンを手助けするはずのシラノが、いつの間にか自分の言葉でロクサーヌと語り合う場面だろう。この「愛しているが故に姿を見せられない」というジレンマは、男性の90%を占める非イケメンの共感を呼ぶ。だいたい顔面や容姿にコンプレックスのある人間は、恋をすると臆病になる。そしてその臆病さを思いやりにすり替える。「こんなしょうもない男があの子と付き合っても、向こうがかわいそうだ」という認知的不協和を起こす。シラノも同じで、ロクサーヌを愛し、かつ自分のことを愛しきれないが故に、ロクサーヌの幸せのためにクリスチャンの恋路に手を貸してやる。しかし、自分の恋心は隠せない。このシーンで胸が打たれないというなら禽獣だろう(というのはさすがに言いすぎか)。

 

最後のシラノとロクサーヌの語らいの穏やかさと、そこに潜む想いの強さのコントラストが胸を打つ。シラノの健気さ、愚直さ、一途さ、朴訥さに気付いたロクサーヌの涙が、悲恋の悲しさに拍車をかける。散ってこそ桜というが、たまには成就しない恋の物語を味わうのも良いではないか。現実の恋も、上手く行かないことの方が圧倒的に多いのだから。

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ネガティブ・サイド

古典作品のリメイクなのだが、シラノのコンプレックスの原因を鼻ではなく、身長にしてしまうのは賛否両論だろう。Jovianはやや否よりである。手塚治虫のキャラクター、猿田から芥川龍之介の禅智内供、映画で言えば『 エレファント・マン 』や『 グーニーズ 』のスロースや『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』のあの男まで、顔が醜いキャラというのはたいてい良い奴である(中には『 オペラ座の怪人 』のような例外もいるが )。ストレートにキモメン俳優をキャスティングしても良かったのではないか。某プロゲーマーが「170cm以下の男性に人権はない」と発言して炎上したことで身長というファクターが思いがけず注目を集めているが、やはり顔の美醜の問題こそがシラノとクリスチャンの最も際立つコントラストであるべきだと思う。

 

楽曲とダンスに決定的な力が不足しているように思う。例えばアンドリュー・ロイド=ウェバーの『 オペラ座の怪人 』のような圧倒的な楽曲の力や、『 ウェスト・サイド物語 』のダンス・パーティーのシーンのような圧巻のパフォーマンスはなかった。これはちょっと、直前に観た作品に引きずられすぎた意見か。

 

物語全体のペーシングに難ありでもあった。微笑ましい舞台のシーンから、シラノに迫る危機とクリスチャンの登場までの序盤、シラノがクリスチャンを陰日向なく甲斐甲斐しく世話を焼いてやる中盤までは良かったが、シラノたちが戦地に赴くことになってからの終盤が異様に長く感じられた。ド・ギーシュ伯爵が戦場でもあれこれ動いたり、あるいはシラノがこそこそと、しかし悲愴な表情で筆まめにしている描写などがあれば、戦地のシーンも少しは締まったはずだと思う。

 

総評

ミュージカル好きにはややパンチが弱いが、超有名戯曲の実写映画化という面では標準以上のクオリティに仕上がっている。シラノ・ド・ベルジュラックなんか知らないよ、という人はこれを機に鑑賞してみるのも一興かと思う。現代日本版にもアレンジできそうに思う題材である。恋する女子をめぐって、イケメンだが口下手という男と、キモメンだがSNSやブログでは雄弁能弁という男がタッグを組んで・・・というロマコメがパッと構想できるが、どうだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

volunteer 

日本語でもボランティアという言葉は定着しているが、本作では志願兵あるいは義勇兵という意味で使われていた。時あたかも三十年戦争の時代。この戦争の講和のために結ばれたウェストファリア条約によって、ヨーロッパ諸国の輪郭が定まり、個人の自由という概念が生まれた。そして今、ロシアがウクライナに侵攻、世界中から義勇兵 = ボランティアがウクライナに駆けつけている。歴史に学べないのも人か。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, イギリス, ケルビン・ハリソン・Jr., ピーター・ディンクレイジ, ヘイリー・ベネット, ミュージカル, ラブロマンス, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 シラノ 』 -ややパンチの弱いミュージカル-

『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

Posted on 2022年2月24日2022年3月4日 by cool-jupiter

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ウエスト・サイド・ストーリー 65点
2022年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー リタ・モレノ
監督:スティーブン・スピルバーグ

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傑作『 ウエスト・サイド物語 』をスティーブン・スピルバーグがリメイク。鑑賞前は期待3、不安7だったが、観終わってみればまあまあ満足できた。しかし、キャラクターたちの根幹を揺るがすような改変があったのは大いに気になった。

 

あらすじ

再開発の波が押し寄せるマンハッタンのウエスト・サイド。イタリア系のジェッツとプエルトリコ系のシャークスは、ストリートで抗争を繰り広げていた。ジェッツのボスであるリフはシャークスのボス、ベルナルドにダンス・パーティーの会場で決闘を申し込もうとする。その場に、かつての兄貴分トニー(アンセル・エルゴート)を誘うが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からスッと物語世界に入っていくことができた。オリジナルでは摩天楼のそびえる大都市の一角にひっそりと生きる不遇な少年たちの姿を活写したが、本作では解体されるスラム街を映し出した。今はもう存在しない街区だが、そこで繰り広げられるドラマを忘れてはならないというメッセージであったかのようだ。

 

レナード・バーンスタインの音楽とスティーブン・ソンドハイムの歌詞はまさに timeless classic。冒頭のジェッツの面々の指パッチンからの集結とベルナルドを始めとするシャークスとの遭遇、そこからの大乱闘までの流れはオリジナルを尊重しつつも、新たな味付けを施していて、これはこれでありだと感じた。いくつかの歌とダンスのシーンが大胆にシャッフルされていたが、トニーが ”Cool” をリフに対して歌うのは説得力があったし、このシーンでトニーの度胸や腕っぷしが垣間見えたのも良かった。

 

アンセル・エルゴートは『 ベイビー・ドライバー 』でダンスの素養を見せつつ、歌については音痴っぽく思えたが、今作では素晴らしい歌唱力を披露。”Something’s coming” や “Maria” はリチャード・ベイマーよりも遥かに上手く歌っていたと評していいだろう。歌声に関しては、マリアを演じたレイチェル・ゼグラーも圧巻のパフォーマンス。名曲 “Tonight” もナタリー・ウッド(の吹き替え)の歌声からレイチェル・ゼグラーの歌声にJovianの脳内で書き替えられた。それほどのインパクトがあった。マリア役のオーディションに3万人から応募があったと読んだが、『 ラ・ラ・ランド 』のような熾烈なオーディションが彼の国では行われているのだなと実感した。 

 

どこか憎めなかったリフのキャラクターが本作では凶悪な悪ガキにグレードアップ。賛否両論ある改変だろうが、Jovianはこれを賛と取った。銃社会アメリカの深刻さは増すばかりだが、その銃をプエルトリコ人ではなくアメリカ人が調達してきたという視点をアメリカ人であるスピルバーグが呈示することの意味は大きい。前作ではどこからともなく銃が湧いてきて、確かに不可解だった。また  “Gee, Officer Krupke” を歌うメンバーからリフを外すことで、アイスの影が薄くなったという逆効果はあったが、ジェッツの面々のキャラがオリジナルよりも立つようになった。

 

オリジナルのトニーとマリアが、それこそ貴族であるロミオとジュリエットばりに能天気だったところも改められている。恋に浮かれて “Maria” を歌うトニーが、マリアのバルコニーに上っていくシーンはまんま『 ロミオとジュリエット 』かつ『 ウエスト・サイド物語 』。しかし、トニーとマリアの間には鍵のない扉があった。もちろん迂回してトニーは登っていくのだが、この改変は上手いと思った。心の距離が縮まっていれば、物理的な距離もあっという間に縮まる・・・訳ではない。心にバリアはなくとも、社会にはバリアがある。そうしたことを示唆していた。他にもトニーがリフの人生をトラブルの連続だったと説明したところで、「私たちの人生は楽だと言いたいの?」とマリアが言い返すシーンにはびっくりさせられた。こうしたシーンがあるとないでは、二人の人間性の深みというか奥行きが全然違ってくる。一目で恋に落ちるのは簡単だが、「恋は盲目」というファンタジーではなく、現実に則した物語なのだということを強く意識させられた。このセリフのやり取りだけでもリメイクの意味は確かにあったと思った。

 

トニーとマリアの二人が疑似結婚式を挙げるシーンも良い具合にアップグレードされていた。pickup linesばかりをスペイン語で学ぼうとするトニーだが、マリアが述べる誓いのスペイン語が最初は何のことか分からずにいる時、そしてそれを理解した瞬間のチャーミングさが何とも好ましく映った。『 ちょっと思い出しただけ 』の言う通りに踊りは言葉の壁を超えるが、人を愛する真摯な気持ちも言葉の壁を超えるのだ。

 

オリジナルではほとんど役立たずだったチノにも変化が加えられており、ジェッツの面々の方が引き立てられているように感じていたが、これでフェアになったと感じた。

 

ドクの店のおじいちゃん、『 ロミオとジュリエット 』のロレンス神父がバレンティーナというおばあちゃんに置き換えられているが、なんと演じているのはオリジナルのアニタ役、リタ・モレノ。80代後半にして圧巻の歌声で “Somewhere” を歌い上げる姿に tears in my eyes。 

 

ミュージカル映画としてはかなりの面白さである。祝日の昼間だったせいか、観客は中年から高齢者ばかりだったが、若い人たちのデートムービーとしても鑑賞に堪えるはずである。

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ネガティブ・サイド

前半と後半でトーンが一貫していなかったように見えた。オリジナルを割と丁重になぞっていた前半に比べ、後半に行くほどに『 ロミオとジュリエット 』のイメージが色濃く浮かび上がってくるようだった。リメイクならオリジナルに忠実であるべきで、元ネタの元ネタまで取り込もうとするのはあまりに野心的すぎるだろう。

 

ベルナルドがボクサーだという設定は不要だ。袴田巌を擁護する輪島功一ではないが、ボクサーはナイフなど使わない(と信じている)。フェリックス・トリニダードやウィルフレド・ゴメスが本作を観たら何と思うだろうか。

 

リフのワル度がアップしたのはOKだが、ストリートの子どもの落書きを踏みにじるシーンはどうかと思った。オリジナルでは公園の地面にチョークで絵を描く子どもたちを意識的に避けている=子どもには手を出さないという矜持があったのに、本作はいとも簡単にその一線を超えてしまった。

 

ダンスシーンでの ”Mambo” の前に司会者に輪を二つ作るように呼びかけられたシーンでも、警察官に言われて輪を作るのはどうかと思う。オリジナルではリフが司会者の呼びかけに最初に呼応した。これによってリフの器の大きさが見えたのだが。Prologueの後にシャークスがプエルトリコ国歌を歌い、リフはリフでシュランク警部を小馬鹿にしてみせた。その反骨精神を貫くべきではなかったか。

 

“America” を日が降り注ぐストリートで歌い上げるのは良かったが、決闘の時まで騒ぎは無しだというリフとベルナルドの約束は何だったのか。天下の往来の交通を乱すのは騒ぎではないと言うのか。

 

オリジナルはすべてウエスト・サイドの片隅でドラマが繰り広げられたが、今作ではサブウェイに乗って街区の外へ出ていってしまった。これには違和感を覚えずにいられなかった(その先のシーンは素晴らしかったのだが)。

 

『 ウエスト・サイド物語 』と言えば、ベルナルドらの「あのシルエット」がトレードマークだったが、リメイクではあのポーズはなし。使ってはいけない契約でもあったのだろうか。

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総評

歌と踊りの素晴らしさは維持されているし、一部見事にアップグレードされたものもある。単純なエンタメとして十分に楽しめることができるし、オリジナルが有していた社会的なメッセージをより明確に、より先鋭化した形で提示することにも成功している。ただ、一部に加えられた些少な改変が、キャラクターの根幹に関わる部分を揺るがしていたりする点は大きなマイナスである。グリードがハン・ソロ相手に発砲し、それをハンが避けたのと同じくらいに酷い改変だと感じた。ただそんなことを気にする人は間違いなくマイノリティだ。ぜひ多くの人に鑑賞いただきたいと思う。そのうえでオリジナルと比べてみるのも一興だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

catch someone by surprise

誰かを驚かせる、の意。割とよく使われる表現なので、英語学習者なら知っておきたい。Taylor Swiftの ”Mine” でも使われている。文脈によっては「不意を突く」、「不意打ちする」のような意味にもなる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, ミュージカル, ラブロマンス, リタ・モレノ, レイチェル・ゼグラー, 監督:スティーブン・スピルバーグ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

『 ウエスト・サイド物語 』 -ミュージカル映画の金字塔-

Posted on 2022年2月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

ウエスト・サイド物語 80点
2022年2月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ウッド ジョージ・チャキリス リチャード・ベイマー ラス・タンブリン リタ・モレノ
監督:ロバート・ワイズ ジェローム・ロビンス

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S・スピルバーグが本作をリメイクしたというニュースは2年前からあったと記憶しているが、公開がここまで遅れるとは。本作も小学生の時にVHSで観て以来、多分10回ぐらいは観ている。久しぶりに再鑑賞して、やはり時を超える傑作だと感じた。

 

あらすじ

ニューヨークのマンハッタン。イタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団は、ストリートで抗争を繰り広げていた。ダンス・パーティーの場で、ジェット団のボスであるリフ(ラス・タンブリン)のかつての兄貴分トニー(リチャード・ベイマー)は、シャーク団のボス、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹、マリア(ナタリー・ウッド)と皮肉にも運命的な出会いを果たす・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の音楽だけで、ある意味で物語の全てが描かれている。この色とりどりに変わっていくロゴ画面とサントラのコンビネーションの素晴らしさは、『 2001年宇宙の旅 』の冒頭数分の真っ暗な画面と雑音、そこから太陽が輝き出す瞬間に大音量で流れる『 ツァラトゥストラはかく語りき 』に匹敵する。というか。『 2001年宇宙の旅 』よりも本作の方が古かった。ロバート・ワイズの先見性よ。

 

不遇への不満、怒りから、胸の高鳴りから愛まで、すべてが見事な歌と踊りで表現されている。冒頭のジェット団の指パッチンと口笛が印象的な『 Prologue 』、絢爛豪華な中に危うさも感じさせる『 Dance at the Gym 』、アメリカの正の面と負の面をユーモラスに歌い踊り上げる『 America 』、決闘と逢瀬の両方を待ち焦がれる、おそらく本作で最も有名な『 Tonight 』、同じく不朽の名作『 サウンド・オブ・ミュージック 』を強く予感させる『 I Feel Pretty 』など、レナード・バーンスタインの音楽が冴えわたる。

 

ダンスも息を呑むほどの素晴らしさ。特にベルナルド役のジョージ・チャキリスとリフ役のラス・タンブリンがやはり目を引く。一つ一つのダンスシーンやその導入部分もロングのワンカットが多用されていて、臨場感抜群。衣装や背景も1960年代の雰囲気を醸し出している。トニーの歌う『 Something’s coming 』のシーンは『 イン・ザ・ハイツ 』を彷彿とさせた。というか、あちらが本作にインスパイアされたと見るべきか。

 

マリアとトニーの出会いのシーンは『 フランシス・ハ 』でフランシスが開陳していた愛の定義に合致する。すなわち、周囲に多くの人がいるにもかかわらず、誰も自分たちに気付かない。しかし、自分たちはお互いに相手こそが運命の人だと理解しているという瞬間を共有できることだ。子どもの頃に見て美しいと思ったが、今見てもやはり美しいシーンだ。カメラの性能だとかそういうことではなく、人間の本質が捉えられているからだろう。

 

ストーリーはまんま『 ロミオとジュリエット 』だ。敵対関係にある陣営の男女が恋に落ちる。しかし、悲劇が・・・ 思えば、10年ぐらい前まではグローバル化だ多様化だと声高に叫ばれていたが、それはつまり世界がそれだけ分断されていた証拠なのだろう。修身斉家治国平天下と言うが、まず修身のレベルからして難しい。いつの時代、どの地域でも、個人レベルですら本当に理解し合い、愛し合うのは難しい。いや、個人同士は上手くいっても、その個人が属するちょっとした集団同士が仲良くするのは、どういうわけか難しい。『 シュリ 』や『 JSA 』を観ても分かる通り、同じ民族ですら個人同士では愛し合えても、国同士では分かり合えない。陳腐な筋立てだが、どういうわけか胸を打つ。憎しみからは何も生まれない。マリアの言葉が強く響く。

 

ネガティブ・サイド

スペイン語を使う場面がもう少しあってもよかったように思う。特にチノがダンス・パーティーの場でマリアに「帰ろう」と呼びかけるのは英語ではなくスペイン語であるべきだろう。

 

クラプキ巡査の去り際、緊急通報が入ったというのにパトカーが一切サイレンを鳴らないのは何故なのか。

 

映画の出来そのものとは関係ないが、漫画に出てくる Captain Marvel をマーヴェル船長と訳してしまうのは時代のせいか。それでもDVDにする頃にはアメコミの知識も少しは日本に入ってきていたと思うが。

 

総評

まごうことなき傑作。スピルバーグがリメイクしたくなるのも分かるが、よほど良い味付けのアイデアがないと、失敗は目に見えている。鑑賞するのが楽しみなような、怖いような。今度は元ネタである『 ロミオとジュリエット 』を再鑑賞しようかな。というか、買おうかな。ミュージカルには興味がないという向きにもお勧めしたい。『 ベイビー・ドライバー 』と同じく、最初の10分を楽しめれば、後はエンディングまで一直線である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Beat it

「失せろ」の意。マイケル・ジャクソンの『 今夜はビート・イット 』のおかげで、80年代が青春だったという世代なら、発音や意味はお馴染みだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, アメリカ, ジョージ・チャキリス, ナタリー・ウッド, ミュージカル, ラス・タンブリン, ラブロマンス, リタ・モレノ, リチャード・ベイマー, 監督:ジェローム・ロビンス, 監督:ロバート・ワイズ, 配給会社:シネカノンLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド物語 』 -ミュージカル映画の金字塔-

tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

Posted on 2022年2月3日2022年2月3日 by cool-jupiter

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tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン! 80点
2022年1月30日 塚口サン投稿を表示サン劇場にて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド アレクサンドラ・シップ ロビン・デヘスス 
監督:リン=マニュエル・ミランダ 

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2021年にシネ・リーブル梅田で見逃してしまった作品。塚口サンサン劇場でリバイバル上映。地元のミニシアターに感謝である。

 

あらすじ

ダイナーで働きながらミュージカル作曲家として世に出ようともがくジョナサン(アンドリュー・ガーフィールド)。役者志望だった友人も広告会社に就職し、まもなく30歳になるというのに何者にもなれていない自分に焦りを覚える。長年取り組んできたミュージカルのワークショップに全力で取り組むジョナサンだが・・・

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ポジティブ・サイド

アンドリュー・ガーフィールドは今まさに円熟期にあるのだろう。夭折したジョナサン・ラーソンを演じるだけではなく、故人の心の奥底にあったであろう感性や衝動を音楽やダンスの形で見事に吐き出した。意外と言っては失礼だが、素晴らしい歌唱力を披露してくれた。『 マリッジ・ストーリー 』のアダム・ドライバーよりも上手い。ダンスも『 メインストリーム 』の最終盤に見せてくれた見事なパフォーマンスで、そのダンス能力の高さは証明済み。今回もダイナーなどで見事な踊りを見せた。

 

見た目もジョナサン・ラーソン本人に似ているのがプラスだったのか。まさにハマり役。日本でもアメリカでも、おそらく世界のどこでも30歳というのは一つの区切りだろう。何者にでもなれるというポテンシャルが認められる、一種のモラトリアムとしての20代が終わっていくという焦燥感は、味わった者にしか分からない。今でこそ転職を2度3度行うことが一般的になってきたが、一昔前の日本では就職=就社で、自分=会社だった。自分のアイデンティティーを会社に預けることの是非はともかく、30歳にして売れない役者、売れない音楽家、売れない絵描きでいることのいたたまれなさが痛切なまでに伝わってきた。

 

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』のアレクサンドラ・シップ演じるガールフレンドのスーザンが、現実を否応なく突き付けてくる。医大生からダンサーに転身、ダンス講師としての職を得たスーザンが、自分と一緒にニューヨークから出て、田舎で素朴に暮らしてほしいと願ってくることを、いったい誰に責められようか。このあたり、『 ラ・ラ・ランド 』と似ているようで少し違う。夢を取るのか、自分を取るのか。日本風に言えば、「仕事と私とどっちが大事?」に近いだろうか。「あなたの夢を尊重するから、私の夢も尊重して」という、ややファンタジックな『 ラ・ラ・ランド 』とは違って、本作は非常にリアルである。現実的である。伝記物語なのだから当然と言えば当然なのだが、ジョナサンやスーザンの苦悩が、我がことのように感じられた。様々な楽曲もシーンとキャラの心情にマッチしていて、ミュージカル好きのJovianも十分に満足できた。

 

サブプロットとして、役者志望だった親友マイケル(ロビン・デヘスス)が、マイノリティとしての属性を見事に体現していた。マイケルとジョナサンの関係の変化、そして関係の維持が、ミュージカル『 RENT / レント 』の骨子になっていることが伝わってきた。もちろん、『 RENT / レント 』を観たことがない人でも、二人の友情と現実への向き合い方のスタンスの違いは、重厚かつ感動的なドラマとして堪能できることは間違いないので、ご安心を。

 

ジョナサンの生き様、そして現実のある意味での非情さに、打ちのめされる人もいるかもしれない。しかし、ジョナサンたちが自分なりの生を生きようとする姿に胸を打たれない人はいないだろう。

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ネガティブ・サイド

文句なしの傑作だが、映画と舞台の住み分けというか、ステージ・パフォーマンスをそのまま映画化したような構成が気になった。予備知識なしで鑑賞したが、途中まで「これは、スパービア後の作品が Tick tick … boom で、その劇を劇中劇化したのだな」と勘違いしていた。それぐらい、映画ではなく舞台に見えた。映画には映画の技法があって、舞台には舞台の技法がある。マイケルの新居で踊るシーンなどは、映画ではなく舞台である。

 

ソンドハイムとそれっぽい批評家のコメント合戦も、ギャグだと思えば面白いのかもしれないが、少し上滑りしているように聞こえた。

 

総評

日本でミュージカル『 RENT 』を観たという人は、だいたい宇都宮隆バージョンを観たことだろう。宇都宮隆はJovianと同じく、ロッド・スチュワート信者である。それはさておき、1990年代はまだまだエイズやゲイに対する社会の理解は深くなかった。今は違う。そういう意味では、ジョナサン・ラーソンは類まれなるアーティストにしてビジョナリーであったとも言える。アンドリュー・ガーフィールドは役者・表現者としてますます脂がのってきた。彼のファンも、彼のファンでなくとも、ミュージカル好き、または映画好きなら、本作を是非ともウォッチ・リストに加えてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Break a leg

『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で少し触れた表現。意味は「幸運を祈る」である。これは theater language で、ネイティブ相手でも通じないことがある。実際にJovianの同僚でも、theater や film studies のバックグラウンドを持つ者は知っていても、business management や history のバックグラウンドを持つ者は知らなかったりする。基本的には、音楽や芝居の前に使う表現である。日常会話ではあまり使わないが、映画好きかつ英語好きなら知っておいて良いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, アンドリュー・ガーフィールド, ミュージカル, ロビン・デヘスス, 伝記, 監督:リン=マニュエル・ミランダ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

『 イン・ザ・ハイツ 』 -傑作ミュージカル-

Posted on 2021年8月9日2021年8月9日 by cool-jupiter

イン・ザ・ハイツ 80点
2021年8月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンソニー・ラモス メリッサ・バレラ
監督:ジョン・M・チュウ

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仕事の超繁忙期なので簡易レビューしか書けない・・・

 

あらすじ

ウスナビ(アンソニー・ラモス)は、発展していくNYの中でも取り残されつつあるワシントン・ハイツ地区で、移民のルーツを持つ仲間たちと必死に、しかし夢をもって生きてきた。しかし、ある真夏の夜に大停電が起き、そこで彼らの運命を変えることになる事件が起きる・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭から圧巻の歌とダンスのシーンが繰り広げられる。その点では『 ラ・ラ・ランド 』と全く同じなのだが、あちらがいかにも人工的に作った映像と音楽だったのに比べ、こちらはそこに生きている人間の息遣いが感じられた。それは究極的には『 ラ・ラ・ランド 』は夢見る白人たちの物語であって、その世界に生きる人間の夢も、LAというエンターテイメント業界の中心地における成功以上の意味合いが感じ取れなかったから。『 イン・ザ・ハイツ 』は、社会のメインの潮流から cast out されてきた人々の連帯の物語。どちらに感情移入しやすいか、どちらに自分を重ね合わせ安いかとなると、Jovianとしては後者である。また楽曲やダンスのクオリティも『 ラ・ラ・ランド 』よりも高いと感じた。冒頭の8分間は『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭6分間にも匹敵すると言っても過言ではない。

 

あとは物語世界の中でキャラクターたちが必死に生きる姿を追いかけるだけで良い。『 ラ・ラ・ランド 』では一方が夢をあきらめてしまったり、『 ベイビー・ドライバー 』はクライム・ドラマだったりしたが、本作にはそうしたネガティブな要素は出てこない。いや、途中で出てくるには出てくるが、そのキャラクターも一度は諦めた夢をもう一度追いかけることを決断する。そこには家族、恋人、そして地域の愛があった。陳腐な表現を使えば、現代社会で忘れられかけた連帯というものが、力強くフォーカスされていた。停電という一種の人災の中、知恵と工夫で乗り切ろうとする人々、自らの職務に愚直に邁進する人々、そうした人々の姿に大いに胸を打たれた。邦画でミュージカルをやるとだいたいコケるのだが、本作でスポットライトが当たっているラテンの世界には歌と踊りの伝統がある。『 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 』でも描かれていたように、歓喜も悲哀も歌に昇華してしまうのがラテンのノリ。それがあるからこそミュージカルという形式がハマる。

 

貧富の格差がどうしようもなく拡大しつつある現在、それでも carpe diem な精神を持って、Home is home という生き方を体現するワシントン・ハイツの人々の生活を大スクリーンと大音響で体験されたし。

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ネガティブ・サイド

『 パブリック 図書館の軌跡 』では最大級の寒波が到来しているにもかかわらず、吐く息が全く白くならないというミスがあった。本作も同じく、熱波が到来している中での停電にもかかわらず、誰も汗を滴らせていないというのは気になった。

 

舞台を映画化したということだが、途中でライトセーバーをCGで表現したりするシーンは感心しなかった。無いものを見せる。それが表現力であるし演出力だろう。ライトセーバー特有のあのヴーンという効果音を使う方がより効果的だっただろう。

 

総評

快作である。日々のうっぷんが晴れるかのような気分になった。弱者という言葉がふさわしいかどうか分からないが、発展に取り残された街区での人々の連帯という点が、コロナ禍において行政や科学技術の面で立ち遅れた日本に暮らす自分の心を大いに射抜いた。楽曲の良さも保証できる。ミュージカルというジャンルに慣れていない人にも、ぜひ鑑賞いただきたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

There’s no place like home.

『 オズの魔法使 』でドロシーがカンザスに帰るために赤い靴を履いて念じた言葉。本作でも、ある歌唱&ダンスのシーンで使われている。この表現自体は超有名かつ使いどころも非常に多い。たとえばsummer vacationが明けて職場に帰ってきた。同僚に”Did you enjoy summer vacation?”と尋ねられ、”Yeah, I went to Nagano, but there’s no place like home.”のように言うこともできる。Naganoというのはパッと頭に浮かんだ地名であり、何か含むところがあるわけではない。念のため。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, アンソニー・ラモス, ミュージカル, メリッサ・バレラ, 監督:ジョン・M・チュウ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 イン・ザ・ハイツ 』 -傑作ミュージカル-

『 アナと世界の終わり 』 -コロナ禍にフィットするミュージカル-

Posted on 2021年6月3日 by cool-jupiter

アナと世界の終わり 65点
2021年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エラ・ハント
監督:ジョン・マクフェール

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土日は映画館が閉まっているため、読書かYouTube、またはレンタルDVD鑑賞。最近、YouTubeでたまたま上がってきたTim Minchinによる『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』のユダ役が素晴らしかったので、ミュージカルでも観るかと近所のTSUTAYAで本作をチョイス。ゾンビ要素が濃いめかなと思いきや、意外にも本格的なミュージカル映画だった。

 

あらすじ

アナ(エラ・ハント)は父と二人暮らし。オーストラリア旅行のためにバイトしていることが、友人のジョンのせいで父にばれてしまい口論に。翌日、学校へ向かうアナとジョンの前に突如ゾンビが現れる。辛くもゾンビを撃退したアナだが、街はいつの間にかゾンビだらけ。アナたちは皆がいるはずの学校へ向かおうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

ゾンビワールドとコロナ禍の現在は、人との接触を避けなくてはならないという意味で、よく似ている。ゾンビ物を観るたびに、脚本家や監督といったアーティストのビジョンには感心させられる。愛する人であっても、無理やり離れなければならないという状況は、まさにコロナが蔓延する今という時代そのままである。

 

それよりも本作で堪能すべきはミュージカル・パートだろう。冒頭からどこか満たされないティーンたちが歌う”Break Away”がなかなかの名曲。正直、このナンバーだけでレンタル代の元は取れたと感じた。アップテンポの明るいメロディでありながら、歌詞は現状からの脱却を力強く渇望する歌。それを歌うエラ・ハントたちの歌声が力強く、それでいて哀し気だ。ゾンビ蔓延世界の登校風景で颯爽と歌われる”Turning My Life Around”でも主演エラ・ハントの歌唱力が光る。 Hey, it’s a brand new day. のHeyを高音域で伸びやかに歌えるのが素晴らしい。また、陽気に絶望的な状況を歌っているのも、背景のシュールさと絶妙なコントラストになっている。エラ・ハント以外では悪の校長サヴェージ先生が、”Nothing Gonna Stop Me Now”でひときわ目立つ輝きを放っている。『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』のカヤパをほうふつとさせる。 

 

ゾンビ映画というのは、それこそ星の数ほど制作されてきており、またミュージカルもそれなりの数が生み出されてきた。しかし、ゾンビ・ミュージカルというのは、ありそうでなかったジャンル・ミックスだ。ミュージカル形式で感情を爆発させる登場人物たち。そして「え、このキャラ、ここで死ぬの?」という意外な展開の組み合わせで、ぐいぐいと引き込まれてしまう。グロ描写はそこまで多くないが、田舎町で鬱屈した気分のティーンたちによる人間関係と恋模様は結構ドロドロである。案外、梅雨の時期の室内デートにも使えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

コメディとして振り切れていないところが惜しい。ボーリング場での対ゾンビのバトルなど、もっと面白くできるはず。ボウリングの球でゾンビの頭を潰したシーンでは、「お、ゾンビをボウリングのピンに見立てて、遊びながら倒していくか?」と期待させたが、それはなし。その一方で、ゾンビの頭がボールリターンにゴロゴロゴロと帰ってくるという茶目っ気ある演出。コメディとして振り切るパートは全力でコメディに徹してほしかった。

 

ミュージカル・パートの楽曲の良さと反比例するかのように、ゾンビ・パートの展開があまりに陳腐だ。人間社会の規範が壊れることで人間の本性が明らかになるというのはゾンビ映画文法にあまりにも忠実すぎる。意外性が欲しい。無茶苦茶だと自分でも思うが、アナの父がゾンビの群れの中に亡き妻の幻を見出して・・・のようなサブプロットがあれば、個人的には大満足だったのだが。

 

アナの親友のリサを演じたマルリ・シウにもう少し見せ場が欲しかった。ステージで彼女が歌う歌は、ダブル・ミーニング満載である。字幕でも面白さは伝わるが、英語が分かる人はぜひ聞き取って、色々と調べてほしい。この歌の暗喩するところ、ゾンビ・パートでもう少し実現してしかるべきではなかったか。

 

総評

究極的には好みの問題だが、『 ラ・ラ・ランド 』の楽曲よりも本作の楽曲のほうが個人的には楽しめたし感銘を受けた。愛する人々を助けたい一心で行動するのはゾンビ映画としては陳腐だが、その過程の描写が『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』のようにスタイリッシュだ。イギリスのどこか陰鬱な空気が全編を覆っているが、それを吹き飛ばす楽曲のパワーも全編に満ち溢れている。ゾンビ映画と敬遠するなかれ。ミュージカル好きなら要チェックだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be lost in ~ 

「~に夢中になる、没頭する」の意。序盤早々の歌唱シーンで使われているが、字幕に盛大な誤訳があるので注意。

 

There’s a world out there, why does no one care? Are they lost in the game they play?

外には広い世界が待ってるのに みんな諦めちゃってるの?

 

となっているが、正しくは

 

There’s a world out there, why does no one care? Are they lost in the game they play?

すぐそこに世界が広がってるのに みんなは目の前のゲームに夢中なの?

 

が正しい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, イギリス, エラ・ハント, ミュージカル, 監督:ジョン・マクフェール, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 アナと世界の終わり 』 -コロナ禍にフィットするミュージカル-

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