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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ミステリ

『 リピーテッド 』 -フランスの映画・小説の技法を盛り込んだ作品-

Posted on 2018年12月4日2019年11月23日 by cool-jupiter

リピーテッド 50点
2018年11月28日 レンタルDVD鑑賞
出演:ニコール・キッドマン コリン・ファース マーク・ストロング
監督:ローワン・ジョフィ

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181204033832j:plain

少ない登場人物でサスペンスを生み出すのがフランス流だが、本作はイギリス・フランス・スウェーデンの合作とのこと。納得の仕上がりである。カトリーヌ・アルレーが現代によみがえったら、きっとこんな小説を書くのだろう。

あらすじ

クリスティーン(ニコール・キッドマン)が目を覚ますと、ベッドには見知らぬ男が。彼(コリン・ファース)はベンと名乗り、自分は夫であると言う。クリスティーンは事故により、一日しか記憶を保持できないのだ。一方、ナッシュ医師(マーク・ストロング)からの電話でビデオカメラの録画を観るように促された彼女は、過去の自分からの語りかけに次第に混乱させられていく。信じるべきはベンなのか、それともナッシュなのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずキャスティングだけで本作は一定の成功を収めている。早い話が、ベンとナッシュ、どちらが怪しいのだ、というのがクリスティーンの疑惑であり、観る者の関心である。英国の誇るコリン・ファースが果たして悪役なのか、それとも強面でありながら、結構良い人ばかりを演じるマーク・ストロングが悪役なのか。物語が始まって、すぐに我々は引き込まれる。

 

物語は二転三転し、ある日はナッシュを疑ったかと思えば、次の日にはベンを疑う。クリスティーンが一日の終わりに撮り溜めていくビデオはどんどんと積み重なっていく。それがある閾値に達しつつある時、クリスティーンの記憶の鍵も外れ始める。この演出は陳腐ながら見事である。記憶喪失ものは往々にして、完璧なタイミングで完璧な記憶を取り戻すからだ。ご都合主義の極みである。本作は安易なご都合主義は取らないし、人間の記憶の確かさと曖昧さの両方を、非常に説得力ある方法で描き出す。その点で凡百の記憶喪失ものとは一線を画している。

 

ネガティブ・サイド

いくつか不可解というか、設定が生かされない点もあった。クリスティーンは毎朝20代に戻るわけだが、そのことを強く示唆するようなシーンが必要だった。それが無いために、終盤で真実の一端が明かされるシーンの迫力が減じてしまっていた。また、二人の男性以外に出てくる重要人物のもたらす情報が、クリスティーンの記憶を刺激しないというのは、やや腑に落ちなかった。

 

記憶喪失とタイムトラベルもしくはタイム・パラドクスは、序盤の面白さを生み出すことにおいては数あるジャンルの中でもトップクラスであろう。それは間違いない。問題は着地なのだ。サスペンスフルな展開でせっかくここまで引っ張ったのだから、最後までそのトーンを維持して欲しかった。ファイトシーンなどは無用であった。

 

総評

名作かと言われれば否だが、駄作と言うほどでもない。雨の日のレンタルにちょうど良いだろうか。ニコール・キッドマン、コリン・ファース、マーク・ストロングのファンなら、押さえておいて損は無いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イギリス, コリン・ファース, サスペンス, スウェーデン, スリラー, ニコール・キッドマン, フランス, マーク・ストロング, ミステリ, 監督:ローワン・ジョフィ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 リピーテッド 』 -フランスの映画・小説の技法を盛り込んだ作品-

『 プラネタリウム 』 -アウトサイダーの悲哀を描いた凡作-

Posted on 2018年11月18日2019年11月22日 by cool-jupiter

プラネタリウム 30点
2018年11月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ポートマン リリー=ローズ・デップ エマニュエル・サランジェ
監督:レベッカ・ズロトブスキ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181118020552j:plain

降霊術の歴史は長い。科学の発達と共に霊の領域はどんどんと狭められていっているが、日本でも30歳以上の年齢なら、こっくりさんについて聞いたことがあるはずだし、実際にやってみた人もいるだろう。霊とは、それが無くなった肉親の霊であろうと、見も知らぬ他人の霊であろうと、常に好奇の対象である。しかし、霊とは同時に現世から疎外された者でもある。そして、疎外は生者と死者を分けるだけではなく、生者と生者の間でも起きる事象である。

 

あらすじ

ローラ(ナタリー・ポートマン)とケイト(リリー=ローズ・デップ)のアメリカ人姉妹は、パリで死者を呼び寄せる降霊術を行い、日銭を得ていた。ある時、映画会社役員のコルベン(エマニュエル・サランジェ)は二人の降霊術に感銘を受け、自分でもそれを体験したいと言いだした。二人の呼ぶ霊との交流に感激したコルベンは、姉妹の力を使って映画を撮影しようと考える。時あたかも第二次大戦前夜。異邦人にとっては忍従の時代だった・・・

 

ポジティブ・サイド

ナタリー・ポートマンの美貌とリリー=ローズ・デップの爛熳さについてはくどくどとのべつ必要性は無い。Their blossoming beauty and innocence speak for themselves. である。それ以上にエマニュエル・サランジェの存在感が際立つ。目は口ほどにものを言うというのは往々にして事実(Maybe your smile can lie, but your eyes would give you away in a second.)であるが、それを演技で表現できる役者は存外に少ないのではないか。サランジェはそれができる俳優だ。パリジャン然とした伊達男ばかりがフランスの俳優ではないということを見せつける様は、清々しくもある。本作を観る人の半分以上はナタリー・ポートマンの熱心なファンであろうが、こうした未知のタレントとの出会いがあれば、それだけで20点増しである。

 

ネガティブ・サイド

あまりにもストーリーに起伏がない。いや、姉妹の協力と成功、そこからの失敗と破局的な結末と上がり下がりはするのだが、それがあまりにも典型的というか、妹を霊媒師に設定する意味は特になかった。というか、科学の力で霊の存在を証明するというプロットは、現代人たる我々の目から見て、意義あるものではない。なぜなら科学の発展は世界の神秘の数々を解き明かしていくほどに、科学で説明できないものはストレートにそのまま信じるべし、という信念の持ち主も増加しつつあるからだ。そこまで極端な考えをしないまでも、天文学者や物理学者には無神論はほとんどいないと言われている。1930年代を舞台にすることで、科学的に霊を証明しようとする試みが逆に陳腐化してしまった感は否めない。

 

また、ビジネスの世界を描く必要もあったのだろうか。リュミエール兄弟が産み育てたフランスを舞台にするのだから、あくまで映画という文化・芸術・科学という媒体で姉妹の力と秘密に迫っていくようなプロットで良かった。ただでさえ戦争勃発前の陰鬱な時代に金勘定やら役員の追放やらを見ても感動も興奮もしない。ただ溜息が出るだけである。

 

本作は establishing shot の段階で結末が見えているとも言える。タイトルがプラネタリウムなのだから、汽車が疾走する平原の頭上に広がる無窮の星空がプラネタリウムであることが何を暗示、いや明示するのかを観る者はあまりにもあっさりと悟ってしまう。映画の基本的な文法、技法に則ったものとは言えるが、それが面白さを増すことに資するのかというと甚だ疑問であった。

 

総評

なにやら軸の定まらない映画である。その場に属すことのできないアウトサイダーの悲哀を描き出したいのは分かるが、様々な要素を盛り込もうと欲張ったせいで、何もかもが中途半端になってしまった残念な作品である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, エマニュエル・サランジェ, スリラー, ナタリー・ポートマン, フランス, ベルギー, ミステリ, リリー=ローズ・デップ, 監督:レベッカ・ズロトブスキ, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 プラネタリウム 』 -アウトサイダーの悲哀を描いた凡作-

『ビブリア古書堂の事件手帖 』 -シリーズ化を狙うなら、監督と脚本の交代が必須-

Posted on 2018年11月8日2019年11月22日 by cool-jupiter

ビブリア古書堂の事件手帖 30点
2018年11月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:黒木華 野村周平 成田凌 夏帆 東出昌大
監督:三島有紀子

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181108004836j:plain

『 幼な子われらに生まれ 』の三島有紀子監督作品ということで期待をしていたが、裏切られた。はっきり言って、脚本の時点で失敗作になると予見できていなければおかしい。何か監督オファーを断れない事情でもあったのか。それとも自ら手を上げたものの、スタジオからこの脚本を使うように圧力があったとでも言うのだろうか。

 

あらすじ

五浦大輔(野村周平)は祖母の遺品整理をしている最中に、夏目漱石直筆の署名入りと思しき『 それから 』を見つける。それは、彼が小さな頃に手に取ったことで、祖母の勘気を被り、二発も殴られたきっかけになった本だった。鑑定のためにビブリア古書堂を訪れた大輔は、若き女店主・篠川栞子(黒木華)に出会う。物静かで陰に籠った感のある栞子はしかし、本については並々ならぬ知識と愛着を持っていた・・・

 

ポジティブ・サイド

黒木華は称えねばならない。楚々として、そこはかとない色気を感じさせながらも、どこか無防備で、だからこそ守ってあげたいと思わせる原作の雰囲気が醸し出せていた。ボソボソと話はするが、決して訥々とは語らず、社交面に弱点を抱えているものの、頭脳の明晰さは随一というキャラであることを演技で証明した。

 

また、大輔の祖母の若い頃を演じた夏帆。『 ピンクとグレー 』あたりから本格的にベッドシーンもこなし、『 友罪 』ではAVやレイプシーンにも取り組むなど、役者としての成長と充実を感じさせる。桜井ユキもそうだが、ラブシーンをこなせる女優には敬意を払わねばならない。次は広瀬アリスあたりかな?

 

ネガティブ・サイド

あまりにも原作各話の扱いに差がありすぎる。三島監督は原作を読まなかったのだろうか。いや、そんなことはあるまい。原作小説のみならず、必要とあらば漫画やテレビドラマ版(剛力は論外、演技力云々ではなく似ていない。オールデン・エアエンライクとハリソン・フォードの似ていなさ加減よりも、篠川栞子と剛力彩芽の似ていなさ加減の方が遥かに大きい)ですらチェックしているはずだ。

 

栞子の博識っぷりを引き出すためには、彼女の本に対する知識を様々な角度から様々な方法で描写する必要がある。通常の2D映画では不可能だが、嗅覚を使うシーンは面白いと思った。が、そのことをもう少し明示的に示す必要もあった。本シリーズの面白さは、栞子は本にとってのシャーロック・ホームズもしくはハンニバル・レクター博士か、とこちらに思わせるだけの静かな迫力にある。決して、カーチェイスやアクションにあるのではない。そのアクションでも大輔に見せ場は無し。というよりも、あのタイミングでこうした事件が起きるなら、犯人は必然的にこいつしかあり得ない、という論理的な思考ができないのか。そもそも警察が存在しない alternate reality での物語なのか、これは?

 

総評

黒木華と夏帆以外に見るべきものが無かった。そんなところでそんな映像美を演出する意味があるのか?というシーンも多く、キャラクターだけではなく映画製作者側の意図や行動原理も不明なところが多い。黒木と夏帆のファン以外には正直、鑑賞はきついだろう。どこか嫌な予感がしたので無料鑑賞クーポンを発行したが、その勘は正しかった。鑑賞する場合にはモーニング・ショーか、レイト・ショーで。正規のチケット代は払うべきではない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ミステリ, 夏帆, 成田凌, 日本, 東出昌大, 監督:三島有紀子, 配給会社:20世紀フォックス映画, 配給会社:KADOKAWA, 野村周平, 黒木華Leave a Comment on 『ビブリア古書堂の事件手帖 』 -シリーズ化を狙うなら、監督と脚本の交代が必須-

『 スマホを落としただけなのに 』 -スマホという楔は人間関係を割るのか繋ぎ止めるのか-

Posted on 2018年11月5日2019年11月21日 by cool-jupiter

スマホを落としただけなのに 40点
2018年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 田中圭
監督:中田秀夫

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181105012648j:plain

原作とほんの少しだけ異なるところもあれば、大胆な改変を加えたところもある。それらの変化を好意的に受け止めるか、それとも否定的に評価するかは、意見が分かれるところだろう。しかし、一つはっきりと言えることがあるとすれば、今作のトレーラーを作った人間は万死に値する・・・とまでは言わないが、はっきり言って猛省をしなければならない。これから本作を観ようと思っている人は、できるだけ予告編やトレーラーの類からは距離を取られたし。

 

あらすじ

富田誠(田中圭)は営業先に向かうタクシーにスマホを置き忘れてしまう。恋人の稲葉麻美(北川景子)が電話したところ、たまたまそのスマホを拾ったという男に通じ、横浜の喫茶店に預けるというので、ピックアップすることになった。しかし、その時から富田のクレジットカードの不正利用やSNSのアカウント乗っ取りなど、誠と麻美の周辺に不穏な動きが見られるようになる。時を同じくして、山中から黒髪の一部を切り取られた女性の遺体が次々と見つかり・・・

 

ポジティブ・サイド

犯人の怪演。まずはこれを挙げねば始まらない。少年漫画と少女漫画を原作に持つ映画が溢れ、役者というよりもアイドルの学芸会という趣すら漂う邦画の世界で、それでもこのような役者が出て来てくれることは喜ばしい。頑張れば香川照之の後継者になれるだろう。

 

童顔と年齢のギャップでかわいいと評判の千葉雄大もやっと少し殻を破ってくれたか。刑事として奮闘するだけではなく、序盤に見せた容疑者を鼻で笑う表情に、何かが仕込まれた、もしくは何かを背負ったキャラなのかと思わされたが、その予感は正しかった。役者などというものはギャップを追求してナンボの商売なのだから、もっともっとこのような演出やキャスティングを見てみたいものだ。

 

本作は観る者に、現代の人間関係がいかに濃密で、それでいていかに空虚で希薄なのかを思い知らせてくれる。ちょっとした録音メッセージ、メール、テキスト、スタンプなど、生身の触れあいなどなくとも、スマホを介在して何らかのコンタクトをするだけで、人は人を生きているものと考えてしまうことに警鐘を鳴らしている。この点について実にコンパクトにまとめているのが、THIS IS EXACTLY WHAT’S WRONG WITH THIS GENERATIONというYouTube動画である。英語のリスニングに自信がある、または自動生成の英語字幕があれば意味は理解できるという方はぜひ一度ご視聴いただきたい。

 

ネガティブ・サイド

原作小説と映画版では色々と違いが見られるが、その最大のものは麻美の設定であろう。はっきり言ってネタばれに類する情報なのだが、なぜかトレーラーで思いっきり触れられている。なぜこのようなアホなトレーラーを作ってしまうのか。そのトレーラーの北川景子も髪の長さが全く違って、なおかつ踏切の中に佇立するという、いかにもこれから死にますよ的な雰囲気を漂わせている。もうこれだけで、原作を既読であろうと未読であろうと、仕込まれた設定がほぼ読めてしまう。実際にJovianは観る前からこの展開の予想はできていたし、そのような人は日本中に1,000人以上はいたのではなかろうか。原作のその設定が映画的に活かしきれない、難しい、微妙だ、というのなら、その痕跡自体も消し去ってほしかった。なぜ冒頭のシーンで北川景子のキャット・ウォークをヒップを強調するカメラアングルで捉える必要があったのか。それは麻美がアダルトビデオに出演していた過去を持っていたからに他ならない。このあたりは中高生も注意喚起の意味で見るべき作品としての性格からか、全く別の設定に変えられているが、それなら痕跡すら残さず一切合財を変えてしまうべきだった。この辺りはエンディングのシークエンスでも強調されていることなので、なおのことそう思ってしまった。

 

また犯人像があまりにも分かりやす過ぎる。これも原作の既読未読にかかわらず、分かる人にはすぐ分かってしまう。もちろん、トリックらしいトリックを使う、いわゆるミステリとは異なるジャンルの作品なのだから、そこは物語の主眼ではない。しかし、驚きは最も強烈なエンターテインメントの構成要素なのだ。だからこそ我々は「ドンデン返し」というものに魅せられるのである。本作はこの部分が圧倒的に弱い。これはしかし、同日に『 search サーチ 』という近いジャンルに属する圧倒的に優れた作品を鑑賞したせいであるかもしれない。いや、それでも映画化もされた小説『 アヒルと鴨のコインロッカー 』というお手本であり、乗り越えるべき先行作品もあるのだから、そのハードルは超えて欲しかったが、本作はそのレベルにも残念ながら達していない。

 

総評

もっともっと面白い作品に仕上げられたはずだが、残念ながら原作小説以上の出来にはならなかった。時間とお金に余裕があるという人は、是非『 search サーチ 』と本作の両方を観て、比較をしてみよう。前者の持つ突き抜けた面白さが本作にはなく、極めて無難な映画になっていることに否応なく気付かされてしまうだろう。北川景子ファンならば観ておいても損は無い。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 田中圭, 監督:中田秀夫, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 スマホを落としただけなのに 』 -スマホという楔は人間関係を割るのか繋ぎ止めるのか-

『 search サーチ 』 -新境地を切り拓いた新世代の映画誕生-

Posted on 2018年11月4日2019年12月21日 by cool-jupiter

search サーチ 80点
2018年11月3日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジョン・チョウ デブラ・メッシング ミシェル・ラー
監督:アニーシュ・チャガンティ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181104112050j:plain

原題は ”Searching”。離陸と飛行は大成功、きれいに着陸するはずが墜落炎上した感のある『 アンフレンデッド 』と傑作サスペンス『 ゴーン・ガール 』を見事に換骨奪胎した傑作が誕生した。まさに時代の要請する作品というか、テレビドラマの『 リゾーリ&アイルズ ヒロインたちの捜査線 』や『 CSI:科学捜査班 』でPCをカタカタカタッと操作するだけで様々な情報を引き出してくるのを見て、そこまで鮮やかに何でもかんでも分かるのか?と疑問に思った向きはきっと多くいるに違いない。そんな疑問を持ったことがある人は是非とも本作を見よう。コンピュータ・リテラシー、インターネット・リテラシーの何たるかを知ることもできるし、人間の抱える様々な業を垣間見ることもできる。

 

あらすじ

デビッド・キム(ジョン・チョウ)とパメラは娘、マーゴット(ミシェル・ラー)を儲ける。彼女の成長と家族の歩みを都度PCに保存するという几帳面な幸せ家族だった。しかし、パメラが病死。父はそれでも気丈に娘の成長を記録し、父親業に邁進する。しかしある日、マーゴットと連絡が取れなくなる。杳として居場所が知れない娘を探すために、デビッドは警察の捜査・捜索と並行して、各種Socian Mediaなどのネット世界に飛び込んでいく。だが、そこで知ったのは、娘のまったく知らない一面で・・・

 

ポジティブ・サイド 

『 アンフレンデッド 』はチャット画面オンリーで進行したが、本作はそれをさらに押し広げて、ネットの世界全体を映し出していく。といっても、我々が見るのは電子がケーブル内を駆け巡るようなイメージではなく、もっぱらPCのディスプレー上に映し出されるブラウザや各種サイト、マウスやアイコンなどである。これは現代人に刺さる。PCやスマホの利便性が非常に高い世界、梅田望夫の言葉を借りれば「ネットのあちら側」に「もう一つの地球」が存在するような世界を、本作は確かに描き出した。これは新時代のアートというよりも同時代のアート、コンテンポラリー・アート(contemporary art)と見なされるべきだろう。しかし、全編これPC操作画面とはあまりにも大胆だ。それがハマるのだから面白いし、恐ろしい。

 

何と言っても、テキストによるやりとりの臨場感。我々もLINEやMessengerのようなアプリを日々使ってコミュニケーションを取っているが、文字を打っては消し、少し書き直したり、あるいは全て消してメッセージ自体を送らなかったりということが時々あるはずだ。頭を冷やすためだったり、相手を思いやってのことだったりと、我々の心の中は文字で表される部分もあれば、その文字の打ち方や書き方、あるいは文字にしようとして文字にならない部分にも現れる。本作はその部分をこれでもかと追求する。決して安易にキャラクターに独り言を喋らせて、観客にていねいに説明しようとしたりはしない。これが実に心地よい。

 

主人公デビッドを演じたジョン・チョウの卓越した存在感と演技力も称賛に値する。IT企業に勤める(というか在宅ワークか)やり手で、PCやネット上の各種ツールを巧みに使いこなす様は、シリコン・バレーで働く中年オヤジの能力の高さを証明し、我々を驚かし続ける。これが次世代の働き方なのか、と。であると同時に、娘と不器用な方法でしか向き合うことしかできない父親という人種の普遍的な悲哀も内包していた。後者の表現力を持つ役者は日本にも沢山いるが、前者を違和感なく表現しきれる役者は40代以上ではなかなか思いつかない。ましてやその両方を一人でこなせる役者となると・・・ まさにハマり役にしてジョン・チョウのキャリア・ハイのパフォーマンスであろう。

 

展開のスピードとダイナミックさ、伏線とその回収、極めてデジタルなBGM、アメリカ社会の俯瞰と縮図、人間愛と人間の醜さ、それら全てがぶちこまれていながら2時間以内に収めてしまう卓越した脚本と監督と編集の術。M・ナイト・シャマランに続く、インド系アメリカ人の素晴らしい作り手が現れた。

 

 

ネガティブ・サイド

敢えて弱点を上げるならば、あまりにデジタル・ヘビーなところ。PCやネットに世界にどっぷりと浸かっている人間でなければ、そもそも意味が分からないという場面も多い。というか、ほとんど全部だ。たとえばJovianの同世代なら、半分程度は間違いなく本作を楽しめるだろうが、Jovianの両親世代となると、どうだろうか。『 クレイジー・リッチ! 』の冒頭で、モブが各種アプリで一挙に情報を通信、共有していたシーンが何のことやら分からなかった、という声も聞いたことがある。

 

敢えてもう一つ注文をつけるとするなら、それはエンディングのクレジットシーンだろうか。『 ピッチ・パーフェクト ラスト・ステージ 』は冒頭の配給会社のロゴのシーンから、アカペラ・モード全開で、一気に物語世界に入って行けた。同じく、最近は上映が終わり、劇場が明るくなると、人々は真っ先にスマホの電源をONにする。そこまで見越して、クレジット・シーンをPC画面上のあれやこれやと関連した構成、たとえば『 バクマン。』が漫画の単行本の背表紙を効果的に用いたような、そんなクレジットが見られれば、映画世界と現実世界がシームレスに結ばれたかのような感覚を我々は味わえただろう。しかし、それは無い物ねだりというものだろうか。

 

総評

一言、傑作である。今年、というか今月中に絶対に劇場で観るべき一本である。今後、こうしたスタイルの映画が陸続と生産されると予想される。『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』がPOVに火をつけたように、本作もPC画面上で繰り広げられるドラマというジャンルに火をつけた元祖として、評価されるだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, サスペンス, ジョン・チョウ, ミステリ, 監督:アニーシュ・チャガンティ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 search サーチ 』 -新境地を切り拓いた新世代の映画誕生-

『ノクターナル・アニマルズ』 -虚実皮膜の間に観る者を誘う-

Posted on 2018年10月6日2019年8月22日 by cool-jupiter

ノクターナル・アニマルズ 65点

2018年10月3日 レンタルDVD鑑賞
出演:エイミー・アダムス ジェイク・ジレンホール マイケル・シャノン アーロン・テイラー=ジョンソン アイラ・フィッシャー アーミー・ハマー 
監督:トム・フォード

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181006015321j:plain

大阪ステーションシネマで上映中にずっと気になってはいたのだが、タイミングが合わず見逃してしまった。今回、満を持してTSUTAYAで借りてきたが、観終わって「うーむ」と唸ってしまった。即座に思ったのは、男から女への復讐劇ということだが、それ以上の意味もありそうだということ。もしかして、全て妄想の可能性も・・・?

画商として成功し、豪邸に住むスーザン(エイミー・アダムス)。夫のハットン(アーミー・ハマー)との仲が微妙になりつつあり、また記憶の欠落もちらほらと起こしつつある。不眠症のせいなのか。そんな中、元夫のエドワード(ジェイク・ジレンホール)から、『夜の獣たち』(Nocturnal Animals=ノクターナル・アニマルズ)という小説の草稿が送られてくる。眠れぬ夜にその小説を読むことで、スーザンは虚実皮膜の間に落としこまれて行く・・・

夜の獣というのは、明らかに不眠症のスーザンを指すと思われるが、なぜ原題はそれが複数形なのか。あの頃のスーザン、今のスーザン、画商としてのスーザン、一人の女性としてのスーザンなど、スーザンその人の多面性のことなのか。

また小説に現れる不審者レイ(アーロン・テイラー=ジョンソン)が象徴するものは何か。なぜトニー=(≠?)エドワードに絡んでくるのか。彼の妻と娘を凌辱したのは何故なのか。トニーの余りの不甲斐なさと、対称的に西部の保安官の理想像を体現したかのようなボビー(マイケル・シャノン)の強さと弱さが同居したキャラクターは、エドワードの心のどの部分の象徴なのか。

奇妙なシンクロを見せるのはキャラクター達だけではない。小説場面と現実世界が絵画やオブジェを通じてシームレスにつながるシーンが複数あり、そうした場面が訪れるたびに観る者は混乱させられる。それは心地よい混乱であり、なおかつ不安を掻き立てる。なぜなら次のシークエンスが待ち遠しくなると同時に、見てはいけないエンディングに近づきつつあるとの予感がどんどん強くなってくるからだ。

ひとつ不思議なのは、なぜスーザンは『夜の獣たち』を読みながら、トニーをエドワードの顔で想起するのか。ふと思うのは、彼女はアートディーラーであり、彼女自身が美術芸術を創作することは無いということ。コロンビア大学の大学院で美術を専攻しながらも、創作の道ではなくビジネスの世界に進んだ彼女は、表面的には成功を収めているのかもしれない。しかし、心の奥底にある衝動を作品という形に昇華させることができない。それはストレスであり、自己実現の妨げである。対称的にエドワードは『夜の獣たち』を書き上げた。おそらくは彼の心象世界の描写であるこの作品は、スーザンが決して実現できなかった、内的衝動の外在化・具体化である。物語の内容もそうであるが、それ以上に作品として完成させ、送りつけるだけでエドワードの目的は果たされているのではないか。読んだ小説が、凶暴なまでのリアリティで迫ってくるのは、まるで鈴木光司の小説『リング』のようだ。また、小説を読むスーザンを、別の角度から観察する我々観客の感覚は、江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』の郷田三郎を観察する読者の気持ちとオーバーラップする。そして、まるで『複製された男』の如く、観る者を混乱させ、それでいてその映像美で魅了する。評価が難しいが、見て損をしたとは決して思わない、大人の映画に触れたなという思いでいっぱいである。2日前から、断片的に、非連続的にではあるが、本作をリピート再生するばかりだ。何なのだ、この作品は・・・

個人的にはギレンホールという発音に気持ち悪さを感じるので、ジレンホールと表記している。今後も本ブログでは、できるだけ英語の発音に近い表記を心がけていこうと思う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アーロン・テイラー=ジョンソン, アメリカ, エイミー・アダムス, サスペンス, ジェイク・ジレンホール, スリラー, マイケル・シャノン, ミステリ, 監督:トム・フォード, 配給会社:パルコ, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『ノクターナル・アニマルズ』 -虚実皮膜の間に観る者を誘う-

『 ラプラスの魔女 』 -奇想、天を動かさない-

Posted on 2018年5月14日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:ラプラスの魔女 40点
場所:2018年5月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:桜井翔 広瀬すず 福士蒼汰 豊川悦司
監督:三池崇史

悪い予感はしていた。個人的には東野圭吾の小説とは全く波長が合わないのだ。これまでに2冊試しに買って読もうとしてみたものの、その両方とも最初の20ページで放り出してしまった。とにかく文章の波長が合わない。そうとしか言いようのない相性の悪さがある。さらに三池監督が手がけた東野小説の映画化作品では『麒麟の翼』は普通に面白いと感じられたが原作東野、監督大友啓史の『プラチナデータ』は控えめに言って珍作、率直に言えば駄作だった。豊川悦司が無能すぎる刑事を好演していたから尚更だ。だからこそ悪い予感を抱いていたのだ。その予感は裏切られなかった。

まず主演の片方、広瀬すずの魅力を引き出せていない。広瀬自身、『第三の殺人』や『先生! 、、、好きになってもいいですか?』で、これまでの天真爛漫一辺倒キャラ(もちろん『海街diary』のような例外というかキャリア初期作品もあるが)からの脱皮を模索しようとしているようだが、残念ながらその試みはここまで実を結んではいない。小松菜奈や中条あやみに抜かれてしまうかも?

さらに主役の桜井の演技力が絶望的なまでに低い。彼の場合は当たり役に出会えていないだけかもしれないが、それなりの長さのキャリアを積み重ねてきてこの体たらくでは、今後も事務所、グループの看板だけでしか勝負できない三流役者のままだ。厳しい評価だが、そう断じるしかない。TVドラマ『謎解きはディナーの後で』の頃から演技のぎこちなさは際立っていたが、もう伸び代はなさそうだ。ただ同テレビドラマおよび原作小説は、そのお嬢様の推理、執事の推理ともに噴飯物だったのだが。

その他、福士蒼汰、リリー・フランキーや志田未来などのキャストは完全に予算の無駄使いだろう。脇を固めるキャラはそれに長けたベテラン、もしくは今後に期待できる若手に任せるべきだ。

脚本に目を向けると、元ネタであるラプラスの悪魔を何か捉え違えているように思えてならない。森羅万象を知りうる、計算しうる知性というものが存在するとしても、それが人間の心理を読めるものと同義ではないだろうし、ましてや知能や知識が向上するわけでもないだろう(”知能”と”知性”の違いについては山本一成著『人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?』参照のこと)。こうした新人類、超知性の描き出し方については高野和明の『ジェノサイド』という大傑作の小説が存在するわけで、素手で乱闘する公安などを劇中に登場させては、かえってサスペンスやリアリティを失わせるという逆効果になる。知性をテーマに物語を組み立てるなら、徹頭徹尾そこに拘るべきで、ちょっと格闘シーンも入れておくか、という気持ちで脚本を作ったのなら大間違いだ。原作未読者にこんなことを言う資格はないかもしれないが、小説を映像化するのなら、原作の描写に忠実である必要などない。原作が伝えようとしているエッセンスの中で、映像の形で最も上手に伝えられる、見せられるものを映像化すべきなのだ。

その他に気になったシーンとしては、サイコロの目を予測するシーン。計算に必要なデータ全てがあれば、超知性のリソースならサイコロの出す目を計算で導き出すことも可能だろうが、明らかにサイコロそのものが見えない状態から振られたサイコロの出目まで言い当てるのは矛盾だ。紙飛行機のシーンは建物全体の空調や、場合によっては外の風の流れまで計算しなくてはならないし(そしてそのデータは得られない)、鏡を使うシーンでは、日光の強さや角度は密室の中でも時計さえあれば計算できるとして、雲やその他の人工的遮蔽物の可能性はどのようにして除外できたのか。途中から全てがご都合主義になってくる。

ただ、こうした酷評は全てJovianの個人的感性が原作者や映画製作者の感性と波長が合っていないことから来ているので、異なる人が観れば異なる感想を抱いても全く不思議はない。主要キャストや原作者、監督のファンだという人にとっては良いエンターテインメントに仕上がっているのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 広瀬すず, 日本, 桜井翔, 監督:三池崇史, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ラプラスの魔女 』 -奇想、天を動かさない-

『 孤狼の血 』 -円熟期を迎えた役所広司の面目躍如-

Posted on 2018年5月13日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:『孤狼の血』 75点
場所:2018年5月13日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:役所広司 松坂桃李 真木よう子
監督:白石和彌 

役所広治 の刑事役で印象的なものと言えば個人的には『 CURE キュア 』と『 渇き 』を挙げるが、今作でそれらを超えたと評しても良いだろう。広島を舞台にしたやくざ同士の抗争前夜、と聞けばそれだけで実録シリーズの高倉健が想起されるが、白石監督がそれらを言わば先行テクストとしたのは明白だ。ちょうど2016年の『シン・ゴジラ』が『日本のいちばん長い日』のオマージュだったように。刑事なのかヤクザなのか見分けがつかない二課の暴れん坊ガミさんに、なぜかタッグを組まされる松坂桃李 演じる新米刑事の日岡のコントラストがまず観る者を物語世界に引き込んでいく。何がガミさんを駆り立てるのか、そのガミさんに振り回される日岡の狙いは・・・ というところまで話は一気に進んでいく。組同士の対立構造を初めのうちに頭に入れておかないと、あまりのテンポの良さにヤクザ映画を見慣れていない人は戸惑ってしまうかもしれない。ただ見るべき個所は対立の構図ではなく、ガミさんの行動原理。ガミさん自身が語る”正義”と”法”の在り方は今現在の日本の闇を実に開けっ広げにえぐっている。

脇を固める役者陣では真木よう子 が白眉。『 新宿スワン 』の山田優の役をそっくりそのまま受け継いで再撮影できないだろうか、とまで思えた。そして滝藤賢一は安定の滝藤賢一。『 SCOOP 』での人情味と激情の両方を宿した副編集長役も良かったが、この男の本領は顔芸と狼狽にある。阿部純子は今作で初めて目にしたが、何という色気だろうか。セクシーさではなく色気。特に最初に日岡をアパートに連れ込んだところで、日岡の方を一瞬振り返るシーンがあるのだが、あれは相当監督に指導されたか、そうでなければ本人の勘の良さか。とにかく非常に印象に残る場面の一つだった。

反対に残念だったのは、中村獅童の新聞記者と竹野内豊のヤクザ。前者のポジションに獅童を持ってくる必然性は無かったし、後者の役どころは残念ながら開始2分でショボさが際立っていた。同じ白石作品の『彼女がその名を知らない鳥たち』ではクズを無難に演じてはいたが、ヤクザを演じるには本人に声の張りやそもそもの迫力が足りない。

それにしても、このところの松坂桃李の出演作はすべて彼自身のビルドゥングスロマンになっているものが多い。『 娼年 』然り、『 不能犯 』然り、『 ユリゴコロ 』然り。俳優として脱皮を目指そうという心意気やよし。しかしやや方向性を見失いつつあるような気がしないでもない。エキセントリックな役もしっかりモノにできるということは『ピースオブケイク』で証明済み。そろそろ松坂桃李というキャラの映画を観てみたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ミステリ, 役所広司, 日本, 白石和彌, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 孤狼の血 』 -円熟期を迎えた役所広司の面目躍如-

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