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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ホラー

『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』 -もっとホラー要素を強化せよ-

Posted on 2019年11月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 50点
2019年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ビル・スカルスガルド ジェームズ・マカヴォイ ジェシカ・チャステイン 
監督:アンディ・ムスキエティ

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前編の『 IT イット “それ”が見えたら、終わり。 』はまあまあ面白いホラーだった。全編を子ども時代にしてしまうことで、テレビ映画の欠点だった誰が大人になれて、誰が大人になれないのかを、分からないようにしたのは大胆な改変だったが、正解だった。それでは続編の本作はどうか。こちらが行った大胆な改変は、不正解ではないにしろ、正解とは言い難いものである。

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あらすじ

ルーザーズ・クラブがペニー・ワイズ(ビル・スカルスガルド)を撃退してから27年。デリーには再び不穏な気配が迫りつつあった。そして「イット」の再来を確信したマイクは、ビル(ジェームズ・マカヴォイ)やベバリー(ジェシカ・チャステイン)らに連絡を入れる。ルーザーズ・クラブの面々はデリーで再会を果たすが、そこにはメンバーが一人欠けており・・・

 

ポジティブ・サイド

アラフォーになったルーザーズ・クラブの面々がどのように「大人」になったのか、その描写が端的で素晴らしい。お堅い仕事に就いている者もいれば、安定しているとは言えない仕事に就いている者もいる。結婚している者もいれば、独身の者もいる。しかし、誰もハッピーには見えないし、誰も子どもを持っていない。つまりルーザーズは、どこかでまだ大人に成り切れていないのだ。そのことを下手な説明的な台詞を一切入れずに、映像とナチュラルな会話だけで描き切った導入部は、続編の始まり方としては白眉だろう。

 

キャスティングも良い。ジェームズ・マカヴォイやジェシカ・チャステインといった実力派はもちろんのこと、子役らと顔の作りがよく似た大人を適宜に配置できている。特にエディを演じたジェームズ・ランソンは始めはジェイク・ジレンホールに見間違えた。子役と大人役がスムーズにつながることで、観る側も続編に違和感なく入って行くことができる。このキャスティングも成功である。

 

ペニー・ワイズの見せる恐怖の幻影は本作でも様々な形を取るが、個人的に最も印象に残ったのはベバリーが出会い、会話をする老婆。この老婆が画面の隅っこで見せるわずか1秒のアクションが本作で最も恐怖を感じられるシーンであった。惜しむらくは、この老婆をトレイラーに出してしまっていたこと。観る前から「ああ、このお婆さんも幻影なのだ」と分かってしまっていた。それが無ければ、もっと鳥肌が立っただろうにと感じた。誠に惜しい演出である。

 

それなりに怖いと感じたのは、バワーズが見るかつての悪友の姿。一瞬だけ怖かった。またベンが思い出の品、トークンを取りにいく場面で見る幻影もそれなりに恐怖感を催させてくれた。自分の心の最も美しい部分と自分の心の最も弱い部分が重なるところを攻めてくるペニー・ワイズはなかなかの逆心理カウンセラーだなと思わされた。

 

原作小説にもテレビ映画にもなかった要素として、ネイティブ・アメリカンのガジェットを追加してきたのは、アイデアとしては悪くない。事実、オーストラリアのアボリジニの伝承には、どう考えても数万年前のオーストラリアの生態系を指しているとしか考えられない内容があると『 コズミックフロント☆NEXT 』が言っていた。ペニー・ワイズの正体と起源に迫る上で、この着想は悪くなかった。

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ネガティブ・サイド

ホラー映画であるが、怖くない。これは致命的な欠陥である。本作が怖くない最大の理由は、ジャンプスケアの多用にある。もはや様式美と言っていい程にパターン化されたジャンプスケアには、辟易させられる。自分が監督でも、ここでこれをこうしてああするだろう、という展開のオンパレードである。ホラー映画ファンを唸らせるシーンは数えるほどしかない。

 

またビジュアルにも特筆大書すべきところはない。というよりも、どこかで見たような演出やクリーチャーの造形には心底ガッカリさせられた。パッと思いついただけでも『 遊星からの物体X 』や『 スコーピオン・キング 』、『 シャイニング 』に劇中でまさに上映中だった『 エルム街の悪夢 』など。名作へのオマージュだと言えば聞こえは良いが、これが監督や脚本家の想像力の限界なのだろうか。テレビ映画版を超えなければならない、2年前公開の前編を超えなければならない。そうした気概が空回りしたのなら、まだ許せる。しかし、この作り方では最初からモンタージュ的な映画を作ってやろうという風に開き直っていたようにしか感じ取れない。

 

色々とタイミングも悪いのだろう。『 キャプテン・マーベル 』で猫=ヤバい生き物という認識を映画ファンは新たにしたわけであるが、そこへポメラニアンを持って来ても、残念ながら意外性も驚きも恐怖もない。また社会の闇と自分の心の闇の両方に押し出されるようにジョーカーに堕ちて行ったキャラを我々はすでに『 ジョーカー 』に見た。大人の構築した社会の網目から外れた部分で活動する子どもたち、なかんずくルーザーズの面々が自らのトラウマを刺激されながらも、それを乗り越えていく様は勇ましく、美しい。けれども、恐怖が本当の恐怖たり得るのは、それが自分の身に起こってもおかしくない時である。そうした意味で、『 ジョーカー 』は自分の心にある闇を抉り出してくれた。自分は本作にホラー映画要素を過大に期待していたのだろうか。この続編にして完結編は、『 グーニーズ 』や『 スタンド・バイ・ミー 』、『 ぼくらの七日間戦争 』、藤子不二雄Aの漫画『 少年時代 』のように、大人の目から見た子どもたちの奮闘記のように思える。そうした観点から鑑賞すれば本作は佳作である。しかし、ホラー映画としてはダメダメである。

 

原作にある (゚Д゚)ハァ? というベバリー絡みの展開は、本作でも採用されない。R15指定とは何だったのか。また黒人差別の要素を薄める一方で、性的マイノリティ、あるいは性的弱者の要素もカット。テレビ映画版のとあるキャラクターがある秘密を告白するシーンは、大人と子どもを分かつ非常に重要な要素に関することだっただけに、その部分をほのめかすだけでばっさりとカットしてしまった本作には喝である。

 

総評

筋金入りのホラー映画ファンを満足させる、あるいは納得させる作品ではない。それだけは言える。一方で、変則的な青春もの、大人たちによるジュブナイル物語だと思えば、そこそこのクオリティの作品に仕上がっているのではないか。大御所スティーブン・キング作品の映像化は当たり外れが比較的はっきりしている。本作は残念ながら外れ寄りの作品であるというのが私見である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What did I miss?

 

直訳すれば「自分は何を見逃した?」だが、実際の意味は文脈によって異なる。『 ボヘミアン・ラプソディ 』で、クイーンのメンバーが郊外のスタジオで曲作りをしている時のディスカッションが言い争いに発展していく中、ラミ・マレック演じるフレディが遅れてやって来て開口一番に言う台詞がこれである。会議に遅刻した時には「どこまで話が進みましたか?」、映画や劇や漫才などの途中でトイレなどに言って帰って来た時に、連れに「なんか面白い展開あった?」などと言う時にもこれを使える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ジェームズ・マカヴォイ, ジェシカ・チャステイン, ビル・スカルスガルド, ホラー, 監督:アンディ・ムスキエティ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』 -もっとホラー要素を強化せよ-

『 アス 』 -我々の敵とは誰か-

Posted on 2019年9月22日2020年4月11日 by cool-jupiter

アス 75点
2019年9月19日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ルピタ・ニョンゴ
監督:ジョーダン・ピール

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ジョーダン・ピール監督の『 ゲット・アウト 』は、一部意味不明な描写があったものの、全体的にはギャグとホラーの両方をハイレベルに融合させた傑作だった。ピール監督の意識の根底に人種差別の問題があるのは間違いない。そして、その問題意識は本作にも貫かれているし、この作品はそのように観られるべきだろう。だが、Jovianは直感的には少々異なる見方、分析および考察をした。

 

以下、ネタばれに類する記述あり

 

あらすじ

アデレード(ルピタ・ニョンゴ)は、幼少期に自らの分身を目撃したショックから失語症になってしまった。月日は流れ、彼女は夫と娘と息子と共にカリフォルニアにバカンスにやってきた。しかし、彼女はそこで過去のトラウマがまたしても自分の身に迫っていると予感し、恐怖に怯える。果たして、深夜、家の外に自分たちそっくりの一家が現れて・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭のウサギは異世界への案内人代わりか。『 マトリックス 』でもそうだったが、J・ピール監督は、どのような世界に我々を誘ってくれるのか。

 

ドッペルゲンガーと遭遇する物語で近年の白眉と言えばドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『 複製された男 』だろうか。アデレードたちのもとに現れたアス=私たちは、普通に考えれば地下世界のクローンなのだが、Jovianは彼ら彼女らはインターネット世界のアバター=自分の分身を体現したものなのかと感じた。たいていの人はインターネット上では意見が過激になるし、他者に対して攻撃的な態度に出てしまいがちだ。そして、そんな一部の過激なネット上の声が、現実世界の政治にまで影響を及ぼす。そんなディストピアな世界にまさに我々は住んでいる。同じ国に住まう者が、同じ国に住まう者を攻撃する。アジア系のアメリカ人、ヒスパニック系のアメリカ人、様々なアメリカ人が存在する。『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックはエジプト系のfirst generation Americanであると、自身がオスカー授与式の際に語っていたことを覚えている映画ファンも多いだろう。一方で『 ブラック・クランズマン 』に見られるように、同じアメリカ人でありながらも、白人か黒人かという違いだけで、一方が他方を攻撃の対象にすることもある。また、人種の別に依らず、価値観、信条などでも一方が他方を攻撃することがある。プロライフ派が人工中絶を行うクリニックを爆破する事件(というか犯罪、またはテロ行為)は今でも行われているのだ。また政治的思想もアメリカの分断の特徴である。共和党主義者と民主党主義者で“分断”されるアメリカ=USA=US=Us=アスを、この映画は象徴しているのだろう。現実世界ではトランプ支持の声は決して大きくなかったものの、実はネットではトランプ支持の声が相当にあったという分析もある。まるで梅田望夫が著書『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 』で2005年の郵政解散での小泉勝利を予見したように、ネット上の言説空間での声は時に現実世界にまで影響を及ぼすのである。

 

こうした穿った、明後日の方向の分析をしてしまうのは、Jovianが日本の現状について問題意識を抱いているからだろう。『 判決、ふたつの希望 』で日本のコンビニ店員さんたちがどんどん外国人労働者になってきていることに触れたが、これは外国人による日本への攻撃なのか。つまり虐げられる、弱い立場にあった者たちが力(それは往々にして経済力と政治的な発言力だ)を持ちつつあることを脅威であると感じることなのか。それとも、外国人との共存を模索する契機とすべき変化なのか。レッドが片言の英語を話すのは、現代日本で問題になっている親の片方が外国人である子どものランゲージ・バリアーのモチーフと見るのはさすがに穿ち過ぎか。いや、オーソドックスな分析や考察は他サイト、他ブログに譲ろう。本当に強調すべきは、本作は実に多様な見方を許容する深みのある作品であるということだ。

 

他に特筆すべきことがBGMのクオリティの高さである。『 ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男 』でも重低音の効いた、静かで、それでいて迫力のあるサウンドが魅力的だったが、本作のBGMの重低音は下腹部ではなく背筋に響いてくる感じがする。このサウンドは音響の良い劇場で味わって頂きたいと思う。

 

ルピタ・ニョンゴ渾身の演技。ジョーダン・ピール監督の現実批評とユーモアのセンスのバランス感覚。意表を突くカメラワークもある。決して見逃すことなかれ。

 

ネガティブ・サイド

普通の人間が決して知らない、近づけない地下世界があるという世界観は、既に『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』が先行している。また、序盤早々のモグラたたき(Whack ‘em All)は地下に住む存在が顔を出したら、すかさずブッ叩くという世界観の背景を表したものかと思ったが、それを説明または強調する描写や演出はなかった。うーむ・・・

 

アスの長男の撃退が、江戸川乱歩の『 目羅博士の不思議な犯罪 』である。かなり衝撃的なシーンのはずだが、個人的には「おいおい、ここでそのネタかよ」であった。だが、ここは評価が分かれるシーンであろう。たまたまJovianのテイストに合わなかっただけである。

 

父親がユーモラスなのだが、『 ゲット・アウト 』のリル・レル・ハウリーの面白さには到底及ばなかった。同じ監督であっても微妙にトーンの異なる映画であったが、今回の父親はもっと振り切った面白さを表現して欲しかった。アスが家の外で手に手を取っているシーンは、もっとファニーにできただろう。そうすることで、ストーリーの陰陽の反転がもっと鮮やかに感じ取れることができただろう。

 

総評

これは傑作であると言ってよい。『 ゲット・アウト 』とどちらが上かと言われれば、評価は分かれるだろう。一つ言えるのは、ピール監督は、映画でもって現実批評をさせれば、いま最も旬な監督であるということだ。US=アメリカのことだけだと思わずに、この物語現代日本社会に当てはめた時に、どのようなアレゴリーになっているかを考察してみるとよい。きっと様々な仮説が生まれてくることだろう。単なるホラーではない、思考を刺激するホラー映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You gotta be kidding me!

 

マイケル・ルイス著の『 マネーボール:不公平なゲームに勝利する技術 』でビリー・ビーンが他球団のドラフト1位指名を聞いた時に“You fucking gotta be kidding me!”と叫んだとされる。訳書では「ほんとか、おい!」となっている。何か信じがたいこと、冗談だろうと思えるようなことが起きた時に、この台詞を使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ホラー, ルピタ・ニョンゴ, 監督:ジョーダン・ピール, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 アス 』 -我々の敵とは誰か-

『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

Posted on 2019年9月17日2020年8月29日 by cool-jupiter

プライベート・ウォー 80点
2019年9月15日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク
監督:マシュー・ハイネマン

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これはヒューマンドラマの皮をかぶったホラー映画である。劇場で鑑賞後に即座にそのように感じた。ホラー映画における恐怖は、それがあまりにも理不尽だからこそ恐怖を感じるのだ。ということは、市民と軍人の別なく殺戮行為が横行する戦地のドラマはホラーであるとしか言いようがない。もう一度言うが、これはホラー映画である。

 

あらすじ

メリー・コルビン(ロザムンド・パイク)は戦場ジャーナリスト。スリランカでは爆撃に遭い、左目を失明してしまったが、それでも彼女は戦地の取材に赴くのを止めない。PTSDに悩まされ、上司からはストップをかけられるが、それでも彼女は止まらない。そして、ついに彼女は政府軍による空爆の続くシリアのホムズに足を踏み入れる・・・

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ポジティブ・サイド

日本でも今年『 新聞記者 』が公開され、大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。その他、映画大国アメリカに目を移せば、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』など、ジャーナリストたちの気概と奮闘に焦点を当てた作品の生産において、日本よりも遥かに先を行っていることが分かる。そこに本作である。『 ダンケルク 』や『 ハクソー・リッジ 』のような“戦地”を舞台に、スーパーマンのような兵士ではなく、私生活が滅茶苦茶で規律違反の常習者であるジャーナリストが克己奮励する様には、どうしたって胸を打たれずにはいられない。

 

このメリー・コルビン記者は、常に戦場の最前線で、普通なら面会できないような人物に次々に接触する。そしてものすのは名もなき一般人の悲嘆、怨嗟、苦悩の声を届ける記事なのである。ここに見出されるべきは、平和な国からやってきたジャーナリストの仕事ぶりではなく、一切の虚飾を取り払った究極の個人として行動する一人の人間の生き様である。事実、コルビンは上司の連絡も無視するし、会社が保険に別の記者を送り込んでくるという判断に激怒するし、アメリカ軍が従軍記者に求めるルールすらも呵々と笑い飛ばす。そして信じられない勇気と大胆さ、機転によって危地を脱していく。特にイラクの砂漠のど真ん中のシーンは国や状況は全く異なるが『 ボーダーライン 』で、主人公舞台がメキシコ国境を車で超える時のような緊迫感に満ちていた。中盤以降は、迫撃砲や爆弾の着弾音がストーリーの基調音を形作って、観る者の不安と恐怖を掻き立てる。血と泥と煙と埃がスクリーンを覆い、我々はむせ返るようなにおいすら嗅ぎ取ってしまう。繰り返すが、本作はホラー映画でもあるのだ。爆撃機やミサイル発射台などは一切その姿を見せず、ただいきなり命が奪われていく。これは怪物や怪異の正体が全く分からないままに、ただただ不条理に命が奪われていくホラー映画の文法と共通するものである。

 

なぜこのような危険な場所に好き好んで赴くのか。それはコルビンの本能の為せる業なのかもしれない。漫画『 エリア88 』でもミッキーやシンは戦場での生の実感を平和の内に見出せなかった。コルビンも同じである。平和な世界では、彼女は酒に溺れてしまう。まるで常習的にDV被害に遭っている妻が、暴力夫のところに舞い戻る、または似たような暴力男と再婚するかのように、彼女は戦地に舞い戻る。ここまで来ると後天的な帰巣本能なのだろう。戦争・紛争の理不尽さを紙面で糾弾するのではなく、権力者に面と向かって指摘する。その場で逮捕拘束されて、処刑されてもおかしくないはずだ。それをコルビンはやる。彼女が伝えるのは、戦地で生きて死んでいく、何の変哲もない人々のことである。養老孟司と宮崎駿の対談本『 虫眼とアニ眼 』でも、両者は「我々は人類のことを考え過ぎている」と喝破しているが、コルビンは人類ではなく個々人を見、話し、書いた。個の強さが必要と叫ばれる現代において、彼女の生き方は模倣や追随の対象には決してならないが、大いなるインスピレーションの源泉にはなるだろう。

 

ネガティブ・サイド

同じような戦場ジャーナリストたちの描写がもう少し必要だったと思う。例えば、Jovianの先輩で戦地・紛争地取材に携わった方がおられるが、「オレ、もう花火大会行けないよ。あのヒュ~っていう音が怖いもん」と真面目な顔でおっしゃるのだ。戦地での極限的な恐怖の経験が、平和な社会の些細とも思える事柄によって呼び覚まされるのかという描写が欲しかった。が、これはクラスター爆弾事件を起こしてしまうような、極限まで平和な国に生きている者の出過ぎた要求か。

 

Wikipediaや各種英語のサイトを見回ってみたが、コルビンという無二の記者は、とんでもないモテ女にして、夜の武勇伝から、実際に戦地での英雄的行動の数々を含めて、personal anecdoteに事欠かない人物だったことは間違いないらしい。このような“事実は小説よりも奇なり”を地で行く人物像の描写がほんの少し弱かったように思う。ほんの一言二言でよいのだ。スター・ウォーズでハン・ソロがほんの少しだけ言及したケッセル・ランや、フィンが「トリリアの虐殺を知らないのか?」と言ったような、ちょっとした印象的な固有名詞を聞かせてもらえれば、あとはこちらが勝手に検索できる。そして、コルビンのレジェンドをビジュアルを以って脳内で再生できるようになるのである。

 

あとは、映画そのもののマイナスではないが、字幕で「鑑」であるべき箇所が「鏡」になっていた。翻訳者および構成担当者は注意されたし。

 

総評

何度でも書くが、本作はホラー映画である。しかし、幽霊やチェーンソーを持った殺人鬼が出てくるわけではない。何か大きな力によって意味も分からずに人が死んでいく、そのことに義憤を感じた硬骨のジャーナリストの後半生を追ったヒューマンドラマでもある。領土を取り返すには戦争をするしかない、などという痴人か愚人か狂人にしかできない発言を国会議員が堂々と行い、それでいてお咎めなしという日本の平和は確かに享受すべきで、維持していくべきものだ。しかし、その平和が失われるとはどういうことかについて我々は余りにも無自覚すぎる。メリー・コルビンという記者の生き様を、今ほどこの目に焼き付けるにふさわしい時期は無いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You bet.

 

「もちろんだよ」、「オーケー」、「だな」のような肯定や確信の意味を伝える時、そして“Thank you”の返事をする時にさらっとこう言えるようになれば、その人は英語学習の中級者である。本作ではさらにカジュアル度の高い“No shit” という表現も使われている。こちらは「馬鹿言ってんじゃねー、当たり前だろうが」のようなニュアンスである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, イギリス, ヒューマンドラマ, ホラー, ロザムンド・パイク, 監督:マシュー・ハイネマン, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

Posted on 2019年9月10日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

ゴーストランドの惨劇 65点
2019年9月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:クリスタル・リード アナスタシア・フィリップス エミリア・ジョーンズ テイラー・ヒックソン
監督:パスカル・ロジェ

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劇場の新作予告での非常にユニークな宣伝文句に惹かれた。すなわち【2度と見たくないけど、2回観たくなる】に。また、【 姉妹が その家で再会した時 あの惨劇が再び訪れる―などという ありきたりのホラーでは終わらない 】や【 観る者を弄ぶ絶望のトリック 】という挑発的な惹句にもそそられた。結果はどうか。まあまあであった。

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あらすじ

叔母の家を相続したベス(エミリア・ジョーンズ)とヴェラ(テイラー・ヒックソン)の姉妹とその母と共に人里離れた屋敷に移り住んできた。しかし、キャンディ屋に扮した異常な二人組の侵入により、屋敷は惨劇の場に。母は娘たちを守らんと決死の抵抗を試みて・・・

 

ポジティブ・サイド

確かに凡百のホラー映画とは違う。そこに『 キャビン 』との共通点を感じる。ネタバレになりかねないので白字で書くが、本作を観て以下の作品を思い出した。

 

『 バタフライ・エフェクト 』

『 ミスター・ノーバディー 』

『 スプリット 』

『 カメラを止めるな! 』

 

残暑も厳しいし、サメかゾンビか、それとも普通のホラー映画でも観るか、のような軽いノリで鑑賞する作品ではない。かといって、骨の髄までホラー映画ファンでなければ観てはならないのかというと、そんなことはない。確かに、タイトルにある惨劇の名に恥じないキツイ描写はあるが、本作の真価はそこにあるのではない。Jovianが脚本家なら、このtwistを最後の最後に持ってきて、観客をflabbergastedな状態に放置して終わりにしてしまうことだろう。そして、それも脚本執筆段階では選択肢にあったはずだ。しかし本作の製作者たちは、ジェットコースター的な展開を選択した。真相が明かされたところからが本番なのだ。普通の90分のホラー映画文法に従えば、最初の15~30分でキャラクターと舞台を説明/描写する。30~70分で惨劇を描く。70~90分で窮地を脱してエンディングとなるだろう。だが、本作はそこをひっくり返した。惨劇の開始までが圧倒的に短く、窮地を脱するまでが最も長いのだ。それでいて90分に収めてしまうのだから、パスカル・ロジェ監督の手腕は見事である。

 

主演のエミリア・ジョーンズはまさに人形のような可愛らしさで、やはりホラー映画は美少女または美女の顔が苦痛にゆがむのを眺めて悦に入るための小道具であることを実感。そうした王道、場合によってはこの上なく陳腐な展開を、超絶技巧で圧縮してしまった本作は、近年のホラーの中でも出色の出来である。ベスの最後の意味深な台詞にもにやり。ホラー映画にこそ余韻が必要なのである。

 

ネガティブ・サイド

展開は途中までは陳腐そのものであるが、こけおどし的な手法の多用も陳腐である。つまり、ジャンプスケアが多すぎるのである。いつになったら「怖い」と「びっくりする」をホラー製作者たちは区別するようになるのか。『 来る 』や『 貞子 』が怖くないのも、作り手が怖がらせようと意識しすぎるからだ。視覚的に怖がらせるのであれば、『 エクソシスト 』の、ベッド上で、膝から上だけでドッタンバッタンするシーン、首が180度回転するシーン、仰向けのまま階段を這い降りるシーンでもう十分に怖い。そうではなく、もっと映画を観終わってからも誰かに心臓を握りしめられているような感覚を味わわせてほしいのだ。例えば『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』の意味不明なラストのテント内のシーンが、序盤の街の声を思い出すことによって、とてつもなく恐ろしいものに変貌したり、あるいは黒沢清監督の『 CURE 』のラストシーンの一見何気ない行動をとっているように見えるウェイトレスなど、考えることによって生まれてしまう恐怖感が、もっと欲しいのだ。

 

個人的に他にも気になったのは、オープニングがまるっきり『 レディ・バード 』だったこと。これもこれで、一種のホラー映画のオープニングあるあるなのだろうか。母と娘の関係を深読みしすぎてしまったようである。これは狙ったmisleadingなのだろうか。

 

総評 

ホラー映画ファンならば劇場へGoだ。美少女好きな映画ファンも劇場へGoだ。幽霊はちょっと・・・という方には朗報だ!本作はそのタイトルにもかかわらず、幽霊は出てこない!とにかく劇場にGoだ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I can’t wrap my mind around ~

 

wrap one’s head around ~ = ~を理解する、という慣用表現。

 

Once you are able to wrap your head around Blade Runner, go for 2001: A Space Odyssey.

I still can’t wrap my head around what this company is aiming to do with this project.

 

等のような使い方をする。自分でも練習してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナスタシア・フィリップス, エミリア・ジョーンズ, カナダ, クリスタル・リード, スリラー, テイラー・ヒックソン, フランス, ホラー, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

『 イット・カムズ・アット・ナイト 』 -“イット”・ムービーの拍子抜け作品-

Posted on 2019年7月16日 by cool-jupiter

イット・カムズ・アット・ナイト 40点
2019年7月15日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョエル・エドガートン
監督:トレイ・エドワード・シュルツ

スティーブン・キング原作の『 IT イット 』、『 IT イット “それ”が見えたら、終わり。 』に代表されるように、Itは元々、正体不明の存在を意味する。身近なところでは、It is a beautiful day today. や It’s really cold in this room.、It’s not that far from here to the station. などのような英文の主語It は、それ単独では意味が決定できない。必ずそれに続く何かがないと、天気なのか、気温なのか、距離なのか、正体は分からない。『 イット・フォローズ 』でもそうだったが、怪異の正体が不明であること、それが恐怖の源泉というわけで、ホラー映画のタイトルに It を持つ作品が多いのは必然なのである。それでは本作はどうか。はっきり言って微妙である。

 

あらすじ

ポール(ジョエル・エドガートン)は、老人を射殺し、遺体を焼いて、埋めた。彼は森の奥深くで家族を守りながら暮らしていたのだ。ガスマスクと手袋、そして銃火器で彼らは“何か”から身を守っていた。そこへウィルという男性が現れる。彼は自分にも家族がいるのだと言い・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭からミステリアスな雰囲気が漂う。同時に、観る者に考えるヒントを与えている。ガスマスクや手袋に注目すれば、細菌またはウィルスの空気感染もしくは飛沫感染が疑われる。ならば保菌者は?これは銃が有効な相手。となると小動物や虫ではなく大型の動物。普通に考えれば人間ということになる。そしてそれは十中八九、ゾンビであろう。It comes at nightというタイトルから、太陽光線の下では活動できないゾンビであることが容易に推測される。そうした設定のゾンビは、リチャード・マシスンの小説『 地球最後の男 』から現在に至るまで、数千回は使われてきた。低予算映画とは、つまりアイデア型の映画なわけで、陳腐な設定にどのような新しいアイデアがぶち込まれてきているのかが焦点になる。そうした意味で、本作の導入部はパーフェクトに近い。

 

またジョエル・エドガートンの顔芸も必見である。『 ある少年の告白 』でも、恐ろしいほど支離滅裂ながら、なぜかカリスマ的なリーダーシップを発揮する役を演じていたが、本作でもその存在感は健在。恐怖心と勇気、愛情と非情、相反する二つの心情を同居させながらサバイバルしようとする男が上手く描出できていた。

 

ネガティブ・サイド

意味深な導入部を終えると、ストーリーは一転、停滞する。It comes at night. というタイトルにも関わらず、何もやってこない。いや、色々なものが夜には出現してくる。それは思春期の少年と年上女性とのロマンスの予感であったり、夜な夜な見てしまう悪夢であったり、開けてはいけないとされる扉を開けてしまいたくなる誘惑であったりする。問題は、それらが怖くないこと、これである。恐怖の感情は、恐怖を感じる対象の正体が不明であることから生まれる。しかし、本作のキャラ、なかんずくポールの息子のトラヴィスは、恐怖の感情そのものに恐怖している。つまり、彼の恐怖の感情と見る側のこちらの恐怖の感情がシンクロしにくいのである。彼らは恐怖の対象が何であるのかある程度理解しており、その対策のための防護マスクや手袋を持っている。こちらは、恐怖の正体についてある程度の推測はできているため、いつそれが姿を現すのかを待っている。つまり、恐怖を感じるのではなく、やきもきするのである。じれったく感じるし、イライラとした気持ちにすらさせられるのである。

 

設定がよく似た作品に『 クワイエット・プレイス 』があるが、ホラー作品としてはこちらの方が王道的展開で安心できる。本作は、「(ゴジラより)怖いのは、私たち人間ね」と喝破した『 シン・ゴジラ 』の尾頭ヒロミよろしく、人間関係そのものが恐怖であることを描く、陳腐な作品である。似たようなテーマを持つ作品としては『 孤独なふりした世界で 』の方が優れているし、正体不明の何かが迫ってくる映画としては『 イット・フォローズ 』に軍配が上がる。

 

総評

真夏日に家の外に出たくない。そんな時に気軽に暇つぶしする感覚でしか観られないのではないか。人間関係の微妙な機微の描写や、ポスト・アポカリプティックでディストピアンな世界観の構築をそもそも追求していない作品だからである。ホラーというよりはシチュエーション・スリラーで、そちらのジャンルを好む向きならば鑑賞してもよいかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, シチュエーション・スリラー, ジョエル・エドガートン, ホラー, 監督:トレイ・エドワード・シュルツ, 配給会社:ギャガ・プラスLeave a Comment on 『 イット・カムズ・アット・ナイト 』 -“イット”・ムービーの拍子抜け作品-

『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

Posted on 2019年6月17日2020年4月11日 by cool-jupiter

トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 40点
2019年6月14日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ルーシー・ヘイル
監督:ジェフ・ワドロウ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190617015820j:plain

夏と言えばホラー映画またはサメ映画である。しかし、サメ映画については今年はいいかなと感じている。昨年(2018年)の『 MEG ザ・モンスター 』が収穫だったからではなく、『 アクアマン 』にレーザー光線を放つサメが登場したからである。ならばホラーである。Jovianの嫁さんが激ハマりしていたテレビドラマ『 プリティ・リトル・ライアーズ 』の主人公の一人、ルーシー・ヘイルが主演というのもレンタルの動機になった。

 

あらすじ

オリヴィア(ルーシー・ヘイル)は、親友のマーキーらと共に大学最後のバケーションとしてメキシコ旅行へ行く。そして現地で知り合ったカーターという男性と共に、皆でトゥルース・オア・デアに興じる。それは悪魔のゲームの始まりだった・・・

 

ポジティブ・サイド

日本でトゥルース・オア・デア(真実か挑戦か)を実際に行ったことがある人は、それほど多くないだろう。Jovianは一度だけ大学の寮でアメリカ人、ドイツ人、ブラジル人らと興じたことがある。独自ルールとして、真実、挑戦、いずれも拒否の場合はテキーラだったかウォッカだったかのショットを一気飲みが科されていた。若気の無分別というやつである。

 

このゲーム、そして本作の面白さも、ゲームの持つ不思議な魔力にある。我々も普段、じゃんけんやあみだくじで、そこそこ重要な事柄を決めたりしているが、そこには実は合理性は無い。あるのは、じゃんけんやあみだくじの持つ魔力=虚構性への積極的な加担である。そういえば、自分の卒論のテーマもこうだった。宗教(および諸々の社会システム)とは、その虚構性を積極的に認め、維持しようとする持続的な試みなのだ。

 

Back on track. 本作は割と早い段階で、『 ゲーム 』(主演:マイケル・ダグラス 監督:デビッド・フィンチャー)のような大掛かりな仕掛けのあるゲームではなく、『 シェルター 』(主演:ジュリアン・ムーア 監督:モンス・モーリンド ビョルン・スタイン)のようなスーパーナチュラルな存在によるものであることが分かる。恐怖は、怪異の正体が不明であることから生まれる、と『 貞子 』で述べたが、怪異の正体が人為的なものなのか、それとも超自然的なものなのかと登場人物および観客を惑わせるのは非常に効果的であり、なおかつ非常に難易度が高い。本作はそこでスリルやサスペンスを生み出すことをあっさりと放棄した。その代わり、人間の形相を極端に歪めることで観る者に怖気を奮わせる。『 不安の種 』でも使われた手法であるが、これはこれで慣れるまでは結構怖い。本格ホラーは苦手でも、ライトなホラーならイケるという向きにお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

怪異の正体が怖くない。というよりも、この手のホラー映画のパターンというのは、何故にここまで紋切り型なのか。先に挙げた『 シェルター 』もそうであるし、B級ホラーで言えば『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』、A級ホラーで言えば『 エミリー・ローズ 』がそうであるように、宗教的な観念、信仰が背景にある。なので怖い人にとっては怖い。怖くないと言う人にとっては怖くないという、両極端な反応を生み出しやすい。ホラー映画としてユニバーサルな怖さを感じさせる作品の白眉は『 エイリアン 』または『 シャイニング 』だろうか。宗教的または哲学的な観念を背景に紛れ込ませ、結局怖いのは人間なのだと感じさせるのが最も効果的なのかもしれない。

 

本作の弱点として、色々な人の死に方にバリエーションがないのである。どこかで見た死に方ばかりで、正直なところ退屈してしまった。中には『 催眠 』(主演:菅野美穂 監督:落合正幸)そっくりなシーンもあった。まさかパクっているとは思わないが、もうちょっとオリジナリティを追求しなければならない。

 

またゲームの中身も弱い。独自ルールは別に構わないのだが、挑戦の内容が酷い。何が酷いかと言えば、「○○を銃で撃ち殺せ」のようなダイレクトな指示である。我々のハラハラドキドキは、真実を語ることによってどのような人間関係が露わになってくるのか、挑戦を無事に成し遂げられるのかどうか、というところから来るのであって、直接的に害を及ぼそうとしてくるものにはハラハラドキドキはしないのである。

 

結末も容易に読める。というか、始まり方からして『 シンプル・フェイバー 』そっくりなのである。『 貞子 』こそ、こうあるべきだったのだが。

 

総評

中学生~大学生ぐらいまでであれば、それなりに楽しめるのではないか。特に高校生~大学生ぐらいまでのカップルなら、休日に鑑賞して楽しめるかもしれない。逆に年齢がそれよりも上、または映画経験、特にホラー映画経験がそれなりに豊富な人には、ややお勧めしづらい。PLLのファンなら、アリアを応援するつもりでレンタルするのも一つの選択肢かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ホラー, ルーシー・ヘイル, 監督:ジェフ・ワドロウ, 配給会社:ユニバーサル・ピクチャーズLeave a Comment on 『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

貞子 10点
2019年5月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:池田エライザ
監督:中田秀夫

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190526203042j:plain

鈴木光司作品に高校生の頃から親しんできたJovianにとっては『 リング 』シリーズ、さらに“貞子”は時を超えて心に残るサムシングなのである、とは言わないまでも、それなりに思い入れのある作品そしてキャラクターなのだ。しかし、どこで間違ってしまったのか・・・。このような超絶的な駄作を見せられては、二の句が継げないではないか。

 

あらすじ

心理カウンセラーの秋川茉優(池田エライザ)は、YouTuberとなった弟の和真が霊能者が死んだという団地の火災後で動画の撮影後に行方不明になったと知らされる。時を同じくして、その団地の火災のあった部屋に住んでいたと思われる少女が保護され、茉優の務める病院に入院。その時から、奇怪な現象が起こり始め・・・

 

ポジティブ・サイド

池田エライザの絶叫が、そこそこ響いたかなというぐらい。後は佐藤仁美と久々に再会したというぐらいかな。

 

そうそう、貞子はすでに一般レベルで消費できるコンテンツとして確立されているので、出し惜しみをする必要はない。ホラー映画は往々にして恐怖の源の登場シーンを後ろに持って行こうとする傾向があるが、今作は割とすぐに貞子を登場させてくれる。そこは褒めても良いだろう。

 

ネガティブ・サイド

まず「撮ったら呪われる」というコンセプトが非常につまらない。つまらないという言葉が辛辣に過ぎるなら、面白くないと言おう。いや、はっきり言って怖くないのである。いくらYouTuberという職業が認知されつつある現代でも、映像作品を作る人間と言うのは圧倒的にマイノリティである。つまり、呪いの対象になりうる可能性が圧倒的に低い。つまり、恐怖感を与えにくい設定になってしまっている。動画を観たら呪われる、なら分かる。誰も彼もがスマホやPCで動画を観る今、流れ弾的に呪いの動画を観てしまうことはありうる。凝った演出ができるならば、そちらの方が遥かに観客に恐怖を与えられる。劇場で映画鑑賞後に我々が真っ先にすることは何か。スマホの電源を入れることである。撮ったら死ぬ、ではなく、観たら/見たら死ぬ、の路線で行くべきだった。今さら言っても詮無いことだが・・・

 

肝心の貞子もひどい。特に、テレビ画面からのっそりと抜け出てくるシーンは『 リング 』を撮った中田秀夫監督のオリジナルアイデアで、小説版に優る点である。しかし、その後が良くない。思わず劇場内で失笑してしまうところだった。爬虫類は、無機質な目やチロチロとした舌の動き、静から動に一瞬にして切り替わる動きを見せることで、観る者を時々驚かせるが、貞子にトカゲか何かのような匍匐前進をさせて、それで観る者に恐怖感を与えられると一体誰が考えたのだ?この瞬間をもって本作はホラー映画からギャグ映画に一挙に転換してしまった。

 

謎の少女も意味が分からない。貞子の依り代か何かと思わせながら、どうもそうではないようだ。しかしそれ以上に、老婆や老人を曰くありげなガジェットとして配置するのはやめてもらいたい。手垢のついたクリシェ以外の何物でもない。ギャグとホラーの境界線上を敢えて進もうとする作品なら『 来る 』が先行している。二番煎じは不要である。

 

ホラー映画における恐怖とは、怪異の原理が不明であることから産生されるのである。しかし、本作で不明なのは貞子の行動原理よりも登場人物の行動原理の方だ。YouTuberとして身を立てたいというのは別に構わない。しかし、事件現場に立ち入って動画を撮るのは何故なのだ?いや、ただの動画を撮るならまだいい。自分の顔や声を一切出さないようにして、そうした動画をネット上にこっそりアップするというのなら、まだ理解できる。しかし、警察や消防が封鎖している事件現場に白昼堂々と忍び込み、顔出し動画をネットに上げる意味がさっぱり分からない。即、逮捕されて終了ではないか。起訴されるかどうかは分からないが、YouTubeの運営側にアカBANされるのは火を見るより明らかだ。本当に大学生なのか。

 

訳が分からないのは、塚本高史演じるWebマーケターもである。「動画は削除されてますけど、探せばいくらでも出てきますよ」ちゃうやろ。その場で検索して、見せたれよ。その上でエライザのために一肌脱いだらんかいな。そして、貞子と対決してあっけなく、しかし華々しく死んでいかなあかんやろ。何を呑気に生き延びてんねん。しかも、岩を動かそうとする時に、重力とてこの原理を全く無視してて、大いに笑わせてもらったわ。とことん何の役にも立たんキャラやったな。

 

と冷静さを失って関西弁になってしまうほど、酷い出来の映画なのであった。

 

総評

一言、つまらない。

これから鑑賞を予定している諸氏におかれては、チケット代と2時間をドブに捨てる覚悟で臨んで頂きたい。貞子は今後、『 富江 』シリーズのように、売り出し中の美少女の登竜門的作品になってしまうのだろうか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190526203138j:plain

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, F Rank, ホラー, 日本, 池田エライザ, 監督:中田秀夫, 配給会社:KADOKAWA『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- への4件のコメント

『 パズル 』 -シチュエーション・スリラーの駄作-

Posted on 2019年2月26日2019年12月23日 by cool-jupiter

パズル 20点
2019年2月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーシエン・ドワイヤー  マット・デラピーナ
監督:プレストン・デフランシス

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TSUTAYAで何故か新作料金で借りてしまった。カバー、そしてあらすじだけでゴミ作品と分かったが、Sometimes I’m in the mood for garbage.

 

あらすじ

アレックス(マーシエン・ドワイヤー)は恋人のネイサン(マット・デラピーナ)と共に切り裂きキャンプ(Slasher Sleepout)という野外キャンプ、お化け屋敷、脱出ゲームを組み合わせたようなイベントに参加する。集まったのは個性的な男女6名。イベントをこなしていく彼らは、しかし、メンバーの一人が殺されてしまったことで混乱に陥る。アレックスとネイサンは果たして生き延びられるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

原題は“Ruin me”である。「私を壊して」とでも訳すのだろうか、しかし、素直に訳してしまうと、おそらく誰も手に取らないタイトルであろうし、上述したような Slasher Sleepout というのは非常に訳しにくい言葉である。『 切り裂きキャンプの悪夢 』などと、エルム街をパロったようなタイトルをつけてもダメであろう。様々な要素を一気に表す言葉として「パズル」はギリギリセーフの邦題であると評価したい。

 

そうそう、謎解きシーンでは「面白いな」と感じるシーンが一か所あった。英語と日本語の最大の違いの一つは、前者は文字と音が必ずしも一致しないことで、後者は文字と音が見事に一致するということである。この英語の特徴を活かした謎解きがあって、個人的には膝を打った。

 

ネガティブ・サイド

まず、DVDカバーのようなモンスター的なキャラは出てこない。看板に偽りありだ。普通にslasherと聞けば、『 13日の金曜日 』のジェイソンのようなモンスターか、『 ハロウィーン 』のマイク・マイヤーズ、または『 悪魔のいけにえ 』のレザーフェイスのような殺人鬼を想像するが、本作に出てくるslasherは実に小物だ。別にそれはいい。だが、このようなカバーで釣るのは犯罪的ではないか。

 

本作はマイケル・ダグラス主演の『 ゲーム 』とブライアン・デ・パルマ監督の『 キャリー 』を無造作に組み合わせて、そこかしこにシチュエーション・スリラーの要素を散りばめた、『 キャビン 』になろうとしてなれなかった粗悪品である。特に夜の森のシーンは、めちゃくちゃ暗いシーンと不必要なまでに明るいシーンが混在し、観る者の目を惑わす。勘弁してくれ。

 

キャラの変貌ぶりについても、本来はホラー映画ではない『 シンクロナイズドモンスター 』のジェイソン・サダイキスの方が遥かに怖かった。さらに一部の芸能リポーターが騒いだ有安杏果関連のニュースを事前にチェックして本作を見れば、更にしらけること請け合いである。

 

総評

見つけたら借りるな、借りても観るな。それが本作への評価である。しかし、今をときめく監督や、撮影監督、脚本家や役者連中も、メジャー作品を手掛けることができるようになるまでは、このようなクソ作品で腕を磨いてきたのだ。もしもあなたが、完成されたボクサーよりも未完の粗削りなボクサーの方が好きだ、という香川照之のような熱病的思考法の持ち主ならば、どうしても他にすることが無いという時にだけ観るのもありかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, ホラー, マーシエン・ドワイヤー, マット・デラピーナ, 監督:プレストン・デフランシスLeave a Comment on 『 パズル 』 -シチュエーション・スリラーの駄作-

『 パーソナル・ショッパー 』 -霊に取り憑き、取り憑かれた霊媒師-

Posted on 2018年12月25日2019年12月6日 by cool-jupiter

パーソナル・ショッパー 60点
2018年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリステン・スチュワート
監督:オリビエ・アサイヤス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181225235530j:plain

Personal Shopper

近年の映画界は“幽霊”というものを少しシリアスに捉え始めたのだろうか。『 ルームロンダリング 』や『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』などの佳作が見られたが、その静かなブームの火付け役は本作だったのかもしれない。

 

あらすじ

モウリーン(クリステン・スチュワート)は、急死した兄と生前に約束をしていた。どちらか死んだ者が、生きている側にサインを送ると。彼らは霊媒師なのだ。兄からのサインを待ちながら、パーソナル・ショッパーとして有名モデルのファッション関連の買い物を代行する仕事に明け暮れるモウリーンの携帯に、ある時、不可思議なメッセージが届き始める・・・

 

ポジティブ・サイド

これは単なる幽霊の物語でもなければ、ホラー映画でもない。もちろん幽霊は登場するのだが、それはある種のガジェットとしてしか機能しない。兄の突然の死、フラストレーションの募る仕事、希薄な人間関係。こうした一連のストレスと謎のショートメッセージがモウリーンが自らに課した禁忌の扉を少しずつ開放していく。それは華やかな衣装に身を包むことであったり、性欲に身を任せたりであったりと様々だ。霊というのは不思議なもので、自分に関係のある者(例えばご先祖様など)の霊については我々はその実在を信じやすい。一方で、自分と関係の無い人間の霊の存在は、客観的にはともかく、主観的に信じようとする人はまず存在しない。つまり、モウリーンが劇中で見せる不可解ともいえる行動の数々は、彼女が彼女でない何者かになっていることを強く示唆する。そうでなければ、誰が兄の霊が見ているかもしれないと感じている中で自慰に耽るだろうか。『 ルームロンダリング 』は自分とは無関係な人間の霊を成仏させていきながらも、その行為の原点は肉親であった。『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』は、妻への思慕の念から不思議な時間の円環を巡る幽霊の物語であった。誤解を恐れず言い切ってしまえば、霊とは自分の半身( significant other )なのだ。普通は逆である。霊とは、この世に未練を残したまま死んだ者の残滓、と理解されている。しかし、本作はさらに一歩踏み込んで、自分を形作る非常に重要な部分でありながら、決して自分自身ではない者、それが霊という存在に仮託されているのではないかと提唱する。生きた人間には悩みは尽きないが、霊にもジレンマやコミュニケーション不全というものがあるのだ。

 

ネガティブ・サイド

非常に難解な構成である。もちろん、物語のこの部分はあれの比喩だな、とか、このXとあのYは見事な相似形になっているな、ということであれば割と分かり易い。しかし、これほどヒントの少ない映画というのも珍しいのではないか。なにしろ、ラストシーンまで到達しても、「ああ、あのシーンが伏線だったのか」と思えることが皆無なのだから。もちろん、受け取り手側の無知および無力もあろうが、カンヌ映画祭で絶賛とブーイングの両方を浴びたというのもむべなるかなである。

 

自分ではない誰かになろうとする。それは普遍的なテーマであるが、霊の力を借りて、あるいは例の存在にかこつけて描くべきテーマだったのだろうかとの疑問は残る。これほど訳が分からず色々と考えさせられたのは久しぶりでもある。『 2001年宇宙の旅 』とまで言わないが、『 ノクターナル・アニマルズ 』に並ぶ、混乱系の映画である。それも心地よい混乱ではない。眩暈、吐き気がするような混乱で、この感覚を心地よいと思う向きと不快に思う向きの両方が存在するはずだ。Jovianは残念ながら前者である。

 

総評

映画は基本的には、映像、監督、演技の三要素で採点すべきだ。本作はその三要素ではすべて平均以上のものを持っているが、必ずしも万人向けではない。カンヌですら意見が絶賛と酷評に分かれたと言うのだから、カジュアルな映画ファンの胃袋には少々重いかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, クリステン・スチュワート, サスペンス, フランス, ホラー, ミステリ, 監督:オリビエ・アサイヤス, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 パーソナル・ショッパー 』 -霊に取り憑き、取り憑かれた霊媒師-

『 来る 』 -新たなジャパネスク・ホラーの珍品誕生-

Posted on 2018年12月19日2019年11月30日 by cool-jupiter

来る 35点
2018年12月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岡田准一 黒木華 小松菜奈 松たか子 妻夫木聡 柴田理恵
監督:中島哲也

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181219015907j:plain

原作は小説『 ぼぎわんが、来る 』で、こちらはまあまあ面白い。『 リング 』の貞子より怖いと評す向きもあったが、恐怖を感じる度合いは人それぞれであろう。しかし、小説、そして映画としての怖さと面白さは『 リング 』の圧勝である。本作は映画化に際して原作の持つメッセージをかなり削ぎ落としてしまっている。そのことが残念ながら裏目に出た、残念な映画化作品である。

 

あらすじ

田原秀樹(妻夫木聡)は妻、香奈(黒木華)と幸せな結婚生活を送っていた。そして香奈が妊娠。秀樹は理想的な父親となるべく努力を始めるが、周囲では怪異が起こり始める。不安を覚えた秀樹は友人の伝手からジャーナリストの野崎(岡田准一)を紹介してもらい、そこから霊感の強い真琴(小松菜奈)を紹介してもらうも、事態は好転せず・・・

 

ポジティブ・サイド

本作の最大の見どころは2つ。1つは小松菜奈の露出である。美脚やへそを遠慮なく披露し、入浴シーンのおまけつき。『 恋は雨上がりのように 』でも、艶のある表情、そして姿態・・・ではなく肢体を見せてくれたが、有村架純の次にラブシーンを解禁してくれるのは、小松で決まりか。

 

もう1つは、黒木華のベッドシーン。これまでもいくつかラブシーンはあったが、今回は一味違う。といっても露出具合とかそういう話ではない。女性性ではなく、動物性を感じさせるような演技。理性ではなく本能の赴くままに抱き合う様はよりいっそう官能的だった。

 

と手放しで褒められるのはここまで。もちろん、妻夫木聡の高レベルで安定した演技力や、そのキャラクターに知らず自身を重ね合わせて見ることで慄然とさせられる男性映画ファンは多かろう。しかし、それが映画の面白さにつながっているかというとそうではない。それが惜しい。そうそう、柴田理恵も良い味を出している。はっきり言ってギャグとホラーの境目を頻繁に行ったり来たりする本作の中で最も象徴的なキャラにして、最も振れ幅が大きいキャラを演じ切ったのはお見事。彼女のシリアス演技だけで笑いながら震えてしまった。

 

ネガティブ・サイド

まず、原作の三部作構成および語り手=人称=視点の変更というアイデアを中途半端に取り込んだのが、そもそも間違いだった。取り入れるなら全て取り入れる。映画的に翻案するなら、すべて映画文法に従わせる。そのどちらかのポリシーを選んで、貫くべきであった。同じように、視点があちこちに移動する小説を原作とする映画に『 白ゆき姫殺人事件 』がある。こちらは原作のテイストを維持しながらも、Twitterのツイートを終盤に一挙に爆発させるという手法を取ることで、映画的なカタルシスを倍増させることに成功した。このように、何か新しいアイデアがあるのでなければ、原作にとことん忠実になるか、もしくは原作をとことん映画的に料理してしまうべきだ。中途半端は良くない。この批評は原作既読者ならばお分かり頂けよう。

 

秀樹のパートは妻夫木聡の卓越した演技力もあり、一見して理想的な夫そして父に透けて見える厭らしさ、あざとさ、狡猾さ、弱さ、狡さなどの負の要素が観る者に特にショックを与える。それは妻役を演じた黒木華にしても同じで、口角をゆっくりを上げながらニヤリと笑うその顔に震え上がった男性諸氏は多かっただろうと推測する。しかし、こうした裏のあるキャラたちが物語の序盤にあまりにも生き生きと描かれるためか、主役であるはずの岡田准一演じる野崎のキャラが全く立たない。もちろん、彼には彼なりのストーリー・アークがあるのだが、そのインパクトが非常に弱い。男が水子の霊に苛まされるというのは新しいと言えば新しいが、その恐怖をもっと効果的に描く方法はあったはずだ。例えば、あり得たはずの美しい家庭、そして家族のビジョンをほんの十数秒で良いので映すだけでも、その喪失感と絶望感、後悔、苦悩などが描けたのではなかったか。あるいは撮影はしたものの、尺や演出の関係でカットしてしまったのか。観客が対象に対して感じる恐怖というのは、観客がキャラと一体化してこそ効果的に感じられる。ある意味で世捨て人になってしまっている野崎ではなく、平凡な、しかしありふれた幸せを享受する野崎を想像させてこその恐怖ではなかろうか。

 

クライマックスはほとんどカオスである。壮大なセットを組み、日本中から除霊の腕っこきを集めるのだが、ギャグと見まがうシーンとシリアスな描写とが入り混じるのには、苦笑を禁じ得なかった。優れた原作小説を調理する方法が分からない中島監督が、自身の混乱と嗜好の分裂をそのまま映像で表現したのかと考えさせられるぐらい、統一感に欠けるクライマックスが展開される。これを怖いと思う人は、恐怖の閾値があまりにも低い。全体を通じてペースが悪く、ぼぎわんという怪異の存在に対する恐怖を登場人物たちが描き切れていない。そのため、それを見物する我々観客に恐怖がなかなか伝わらない。ホラー映画なのに、さっぱり怖くないのだ。これは致命的であろう。

 

総評

はっきり言ってキャスティングの無駄遣い。脚本段階のミスで、大物の俳優らが出てくるのが遅すぎるし、原作にあった“視点の変更”というアイデアも、視覚言語たる映画にうまく換骨奪胎できなかった点が、兎にも角にも悔やまれる。キャスティングに魅力を感じる人ほど、観終わった後に徒労感を抱くだろう。同工異曲の満足感=ホラーを求めるなら『 不安の種 』のオチョナンさんの方がお勧めである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ホラー, 妻夫木聡, 小松菜奈, 岡田准一, 日本, 松たか子, 監督:中島哲也, 配給会社:東宝, 黒木華Leave a Comment on 『 来る 』 -新たなジャパネスク・ホラーの珍品誕生-

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