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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ベネディクト・カンバーバッチ

『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』 -ドラマの予習を前提にするな-

Posted on 2022年5月5日 by cool-jupiter

ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 45点
2022年5月4日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ベネディクト・カンバーバッチ エリザベス・オルセン ソーチー・ゴメス
監督:サム・ライミ

 

先月退職した元・同僚カナダ人と共に鑑賞。彼もJovianもイマイチだという感想で一致した。

あらすじ

異世界で魔物から少女を助けようとする夢を見たドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は、かつての恋人クリスティーンの結婚式に参列していた。しかし、その最中に夢で見た少女アメリカ(ソーチー・ゴメス)が怪物に襲われているところに遭遇する。辛くも少女を助けたストレンジは、アメリカはマルチバースから来たと知る。助力を必要とするストレンジは、自身と同じく魔法使いであるワンダ(エリザベス・オルセン)を訪ねるが・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

ドクター・ストレンジのスティーブンの部分、つまり腕の立つ外科医であり、鼻持ちならない人間の部分がクローズアップされたのは良かった。スーパーヒーローは人間部分とヒーロー部分のせめぎ合いが大きなドラマになるが、それが最も面白いのはスパイダーマン、次いでアイアンマン、その次にドクター・ストレンジだと感じている(ちなみにその次はハルク)。冒頭の結婚式から一挙に魔物とのバトルになだれ込んでいくシークエンスで「ここから先は全部スーパーヒーローのパートですよ」と丁寧に教えてくれるのは配慮があってよろしい。クリスティーンと良い意味で決別できたことで、短いながらもスティーブンの成長物語にもなっていた。

 

これはネガティブと表裏一体なのだが、「え?」というキャラクターが「え?」という役者に演じられて登場する。このシーンは震えた。予告編でも散々フォーカスされていて気になっていたが、この御仁を持ってくるとは。ヒントは『 デッドプール 』。彼が時系列関連で云々言う際にマルチバースっぽい台詞を言う。その時の名前がヒントである。

 

映像は美麗を通り越して、もはや訳が分からないレベル。特に最初のマルチバース行きのシーンはポケモンショックを起こすレベルではないかと思う(一応、褒めているつもり)。魔法のグラフィックや、その他のスーパーヒーローの技のエフェクトも、通り一遍ではあるが、エキサイティングであることは疑いようがない。特に面白かったのは音符さらには楽譜が魔法になるシーン。ある攻撃の強さや衝撃度は1)視覚的に、2)効果音によって示されるが、そこに明確に音楽を乗せてきたのは新しい手法であると感じた。今後、これをマネする作品がちらほら出てくるものと思われる。

 

サム・ライミが監督ということでホラーのテイストが入っているが、良い意味でMCUっぽさを裏切っていて面白かった。MCU作品はスター・ウォーズ以上にプロデューサー連中が強固すぎる世界観を構築していて、そこからの逸脱は一切許されない=監督や脚本家の個性は不要という印象があったが、ディズニー上層部もマルチバース的な寛容の精神を持ち始めたのだろうか。

ネガティブ・サイド

予告編で散々ワンダが出てきたいたので、彼女がヴィランであることは分かる。けれども、テレビドラマの視聴を前提に映画を作るか?これはテレビドラマの劇場版映画ではないはずだが。一緒に観たカナダ人は「電車の中でドラマのrecap動画を観たから何とか意味は分かった」と言っていたが、ドラマには一切触れていないJovianには何のこっちゃ抹茶に紅茶な展開であった。

 

第一の疑問として、何故ワンダに子どもがいる?いや、別に子どもがいてもいいが、なんであんなに成長した子どもがいるの?『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』から10年以上経過したようには思えないが。劇中で「魔法で創った」と説明されるが、だったら何故にもう一度魔法で子どもを創らないのか?まあ、親からすれば子どもは唯一無二なのだろうが、それならそれで別の宇宙の自分から自分の子どもを奪うという結論に至る思考回路が謎となる。

 

第二の違和感はワンダ強すぎということ。インフィニティ・ウォーやエンドゲームでもうすうす感じていたが、ワンダが強すぎる。ワンダとキャプテン・マーベルだけでサノスを十分に倒せたのでは?『 エターナルズ 』の 面々より普通に強いだろう。他の不満点としては、せっかく出てきたファンタスティック・フォーたちがあっさりとやられたり、挙句にはあのキャラまでワンダにねじり殺されてしまう始末。うーむ・・・

 

マルチバース関連で一番よく分からないのは、どこのユニバースでもドクター・ストレンジがベネディクト・カンバーバッチであるということ。『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』を思い出そう。別のユニバースには別のピーター・パーカーが存在していた。なぜ本作ではカンバーバッチ版のストレンジしか出てこないのか。もちろんスパイダーマンとドクター・ストレンジを同列に扱えるわけはないが、互いにリンクしている作品同士、もう少しこのあたりの説明が必要だったと思う。またアメリカは72のユニバースを巡ったそうだが、そのいずれでもサノスは倒されていたのか?それだけ巡れば、いくつかはサノスによって生命が半滅させられたユニバースに遭遇しそうなものだが。

 

アメリカが語る他のユニバースでの鉄則その1は良いとして、その2の食べ物の部分が良く分からない。それが何か重要な展開につながるわけでもなんでもないからだ。ポストクレジットシーンその2にはつながるが、ここのユーモアは笑えないし、完全に空回りしていた。

 

魔法を使った戦いにはそれなりに満足できたが、ストレンジが華麗な体術を駆使して戦うシーンは個人的には萎えた。浮遊マントがストレンジの体を逆に操って、hand to hand combat で敵を倒す、というのならまだ理解できるのだが。

 

ポストクレジット・シーンその1では、シャーリーズ・セロンが登場。しかし、誰よ、これ?『 エターナルズ 』のラストもそうだが、もはやMCU作品はそれ自体が別作品のインフォマーシャルと化している。映画が映画を宣伝するというのは、好ましくない。もしやるなら『 ワンダーウーマン 1984 』のように、たいていの人が分かるようなキャラを持ってくるべきだ。

 

総評

ぶっちゃけた話、『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以降、スパイダーマン以外のMCUものは面白くない。ドラマその他の媒体と相互補完させたりするような商法が更に目立つからだ。MCUは元々そのような側面が強かったが、そこがさらに強引になったと感じる。一応、義務感で次作も観るつもりではいるものの、『 モービウス 』もスルーしたし、そろそろこのジャンルから降りてもいいかもしれないと個人的には感じる。映画館自体は大盛況だったので、この路線自体は成功かもしれないが、あまり積極的に勧めたいと思える出来ではなかった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Try as I might, 

劇中のウォンのセリフの一部。頑張ってはみたものの、の意。ほぼ間違いなく、I couldn’t … が続く。私 = I 以外が主語になることもあるが、I が最もよく使われるように思う。

Try as I might, I couldn’t fix the printer.
頑張ってみたが、プリンターを直せなかった。

などのように使う。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, エリザベス・オルセン, ソーチー・ゴメス, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:サム・ライミ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』 -ドラマの予習を前提にするな-

『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』 -The Dawn of SpiderVerse-

Posted on 2022年1月11日 by cool-jupiter

スパイダーマン 80点
2021年1月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・ホランド ゼンデイヤ ベネディクト・カンバーバッチ ジェイコブ・バタロン
監督:ジョン・ワッツ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220111222405j:plain

『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』の続編にして完結作。よくこれだけ壮大なストーリーを構想して、それを一本の映画に落とし込んだなと感心させられた。過去の『 スパイダーマン 』シリーズを鑑賞していることが望ましい・・・というか必須である。

 

あらすじ

自分がスパイダーマンであることが白日の下にさらされてしまったP・パーカー(トム・ホランド)は、助けを求めてドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を訪れる。ドクター・ストレンジは、全世界にP・パーカー=スパイダーマンであることを忘れさせる魔法を実行するが、そのせいで他の世界のヴィランを呼び寄せてしまうことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220111222420j:plain

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

見事なまでにスパイダーマン世界の文法に従い、スパイダーマンというキャラクターの特徴を描き出している。スパイダーマンの特徴とは、マン=男になろうとするボーイ=少年の物語であるということである。『 スパイダーマン:ホームカミング 』でT・スタークに”This is where you zip it. The adult is talking!”=「黙れ、大人が喋っているんだぞ」というシーンが象徴的だったが、本作でも子どもらしさが全開。大人(ひねくれてはいるが)のドクター・ストレンジが魔術を使おうと集中しているところに何度も何度も割り込むさまは、まさに子ども。Jovianも大学で教えている時に、たまにP・パーカーのようにマシンガンのようにまくし立てて、こちらを遮ってくる学生に遭遇する。スパイダーマンとは、このピーターという少年の成長物語なのである。

 

トレイラーで明らかにされていたドック・オックの出現、もっと言えば前作『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』のラストにJ・K・シモンズ演じる例の編集長が登場していたことに、もっと敏感になる必要があった。うーむ、悔しい。あそこに本作の胆の部分が大いに示唆されていたのだなあ。Jovianは『 スパイダーマン スパイダーバース 』が劇場公開された際にスルーしてしまった。

 

スパイダーマンが新しいスーツでドック・オックと激闘を繰り広げるシーンとそのオチはなかなか面白かったし、その他のお馴染みヴィランが次から次へと登場して、しかもそれらを演じるのもウィレム・デフォーやジェイミー・フォックスといったお馴染みの面々。「こいつら全員をまとめて相手するのは無理ちゃう?」と感じたが、ここまで来て鈍いJovianはやっとのことトビー・マグワイアやアンドリュー・ガーフィールドが登場する可能性に思い至った。そしてアンドリュー・ガーフィールド、そしてトビー・マグワイアが登場した際には、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』のトレイラーで、ジェダイの帰還ならぬハン・ソロとチューバッカの帰還を知った時と同じような感覚を味わうことができた。

 

アクションも見せる。トムホのスパイダーマンがドクター・ストレンジとの一騎打ちで、まさかの大金星。MagicよりもMathだ、という発言には説得力があったし、P・パーカーがボストンの大学を志望するほどの優等生であるという背景ともちゃんと連動している。ドック・オックとの対決でも、ナノテク・スーツが文字通りに勝敗を分けた。観る側をひやひやさせつつ、しっかり笑わせてもくれた。

 

スパイダーマンは親愛なる隣人である一方、若さゆえの過ちや純粋な不運から、周囲の人を不幸にしたり、あるいはヴィランに変えてしまう。グリーン・ゴブリンなどが好例だが、そうした歴代でお馴染みのヴィランを本作は fix =治療しようとする。これには驚いた。同時に、やはりスパイダーマンは大事な人を喪失してしまう。これには胸が痛んだ。同じく、アメイジング・スパイダーマンが落下していくMJを見事に救い出したシーンには、彼自身が果たせなかったグウェンの救出を重ね合わせて観ることができた。まさにジョン・ワッツのスパイダーマンだけではなく、サム・ライミやマーク・ウェブのスパイダーマン世界をも包括した大団円には、目頭が熱くなった。

 

MCUはちょっと食傷気味のJovianも、本作はほとんどすべての瞬間を純粋に楽しむことができた。シリーズのファンなら、本作を鑑賞しないという選択肢は絶対にありえない。

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ネガティブ・サイド

マルチバースからやって来たヴィランたちやP・パーカーたちがあっさりと異世界に順応するのには、少々違和感を覚えた。彼らの世界には魔術師は存在しなかったはずだ。

 

ポストクレジットシーンが長い、というか informercial のようになっている。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のように、壁画だけを数秒間映し出してパッと暗転、クレジットへ・・・というので充分だと思う。

 

これは映画の出来とは関係ないが、明らかな誤訳はどうかと思う。林完治は売れっ子翻訳家だが、vigilanteを悪党と訳すのは、さすがにダメだろう。まさか villan と混同したわけはないだろうが、これはちゃんと「自警団」あるいは「自警団員」、もしくは「警官気取り」とでも訳すべきだ。もちろん映画字幕の字数制限については承知しているが、スパイダーマンを悪党呼ばわりはあんまりだと思った次第である。

 

総評

2022年最高の一本とまでは言わないが、間違いなくトップ10には入るだろう出来映え。トップ5もありえるかもしれない。過去の『 スパイダーマン 』映画の鑑賞がマストであるが、その労力は報われるはず。というよりも、本作を観る層の90%は過去作品を鑑賞済みだろう。スパイダーマン世界をきれいに終わらせつつ、新たな世界の幕開けにつなげるという離れ業を演じたジョン・ワッツに満腔の敬意を表したいと思う。政府がまん防や緊急事態宣言を出す前に鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a people person

字面だけ見ると何のことやら分からないかもしれないが、

He’s a dog person.
彼は犬好き人間だ。

She is a cat person. 
彼女は猫派だ。

I am a rabbit person. 
俺はウサギ大好き人間なんだ。

と来ると、a people person = 人間が好きな人、人付き合いが好きな人という意味が見えてくるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アクション, アメリカ, ジェイコブ・バタロン, ゼンデイヤ, トム・ホランド, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:ジョン・ワッツ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』 -The Dawn of SpiderVerse-

『 モーリタニアン 黒塗りの記録 』 -日本はアメリカを笑えない-

Posted on 2021年11月3日 by cool-jupiter

モーリタニアン 黒塗りの記録 70点
2021年10月30日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジョディ・フォスター タハール・ラヒム シャイリーン・ウッドリー ベネディクト・カンバーバッチ
監督:ケビン・マクドナルド

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また出てきたイラク戦争関連映画。黒塗りの記録という副題が付されているのは、配給会社の Good job だと言える。また本作の製作は英国。つまりは『 オフィシャル・シークレット 』と同じく、反省と将来同じ過ちを繰り返すまいという英国人の意識の表れと取ることができる。

 

あらすじ

9.11の実行者たちをリクルートしたとの容疑から米当局に逮捕されたモハメドゥ(タハール・ラヒム)だが、起訴されることなく数年間拘束され続けていた。人権派弁護士のナンシー(ジョディ・フォスター)はモハメドゥの弁護を無償で引き受ける。そして、モハメドゥ拘束の裏にある非人道的な行為の数々が明らかになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211103205627j:plain

ポジティブ・サイド

物語の視点がユニークだ。『 最後の決闘裁判 』のように、同一の事象を異なる人間が捉えたというのではなく、9.11という事件を背景に一人の人間の弁護側と検察側、両方の視点で迫っていく点に視野の広さを感じる。同時に、モハメドゥの語る言葉とモハメドゥの書く手記のギャップ、さらに米政府によって徐々に公開される資料、その黒塗りの記録の向こう側にあるMFR(Memorandoum For Record)によって明らかになる事実が、物語に更なる重層性を与えている。

 

忖度という言葉が人口に膾炙するようになって久しい日本社会であるが、それはつまり他者への迎合に他ならない。そこに自分というものはない。本作の弁護士ナンシーや検察官であるカウチ中佐は、自分の信念にどこまでも忠実だ。ナンシーはモハメドゥの弁護を手がけるものの、それは彼の無実の証明のためではなく、あくまでも米政府の手続きの瑕疵を責めるもの。モハメドゥの母親の肉声に触れながらも、女性として、あるいは母親として同情するのではなく、あくまでも推定無罪の原則にしたがって動く。カンバーバッチ演じるカウチ中佐も同じ。友人が9.11のハイジャック犯に殺害されたことから、アルカイダのリクルーターであると目されるモハメドゥを裁判で有罪にすべく奮闘するが、その過程で「これはおかしい」と気付いていく。個人の情ではなく、法律家としての哲学に忠実であり続ける。国家と個人を同一視する傾向が多くの国で見られる今、この二人の姿勢に学ぶべき点は多い。

 

モハメドゥを演じるはタハール・ラヒム。どこかで観たと思ったら『 ダゲレオタイプの女 』に出演していた。このキャラクターも一筋縄ではいかない。無実を訴えつつも、常にどこかに疑惑を感じさせる。Jovianも弁護士の先生に「弁護士を信用しているのなら、事実をありのままに語ってください。黒を白にするのは難しいが、黒を灰色にすることはできる」と教えてもらったことがある。すべてを語らないモハメドゥはすなわちナンシーを全面的に信用していなかったわけで、なにが彼をそれほど頑なにさせるのか。その秘密が情報公開請求で呈示される段ボール箱何個分になるか分からない資料の山として現われる。それが見事なまでに黒塗りだらけなのだ。ここに至って、我々日本のオーディエンスは、これは赤木ファイルやスリランカ人女性の死亡を思い出すことになる。黒塗りは、そのまま時の政治権力の闇の大きさ、闇の深さを表している。

 

黒塗り記録の向こう側にはモハメドゥを自白させた力、すなわち拷問があり、これ自体は『 ザ・レポート 』などで既に明らかにされていることだが、本作において真に恐るべきなのは、エンディングで明かされる数字だろう。「WMDを所有している」、「テロ組織を支援している」として散々イラクを攻撃しておきながら、自らの主張は嘘っぱちだった。その裏で、法律無視の非人道的な行為の数々を犯し、それを黒塗りにすることで真相を闇に葬ろうとしていたのだから、これはもうまともな国家運営とは言えない。しかし、忘れてはならない。我々はそんなアメリカのやることなすことに必ず追従する国家に生きているということを。

 

ネガティブ・サイド

シャイリーン・ウッドリー演じる弁護士がMFRを見て「モハメドゥは自白していた!」とパニックになるシーンは実話なのだろうか。普通に考えれば、そこは最初に開示された黒塗り文書の、黒塗りされていない部分に該当しそうだが。また、自白そのもの、特に不当に長期に拘留されたり、身体的精神的な拷問によって強制された自白に証拠能力などない。弁護士ならそれぐらい知っていて当たり前のはず。あるべき反応は「なぜ自白した?なぜ当局は罪状を定めて起訴しない?起訴できない?自白は強要されたもの?」のように、理路整然とした推理であるべきだったと感じる。

 

拷問シーンの苛烈さがもう一つ伝わってこなかった。もっと過激にモハメドゥを痛めつけるシーンを作っていれば、モハメドゥが見せる普通の振る舞いの意味がより強調され、さらにエンディングで明かされる数字のインパクトも更に増したに違いない。

 

総評

英国人がイラク戦争関連の事象を描くとこうなるのかというお手本のような作品。アメリカ人だと『 ボーイズ・オブ・アブグレイブ 』のような、一見反省しているように見せかけて、実は単なるアメリカの個人主義的英雄譚の焼き直し作品になってしまう恐れが常にある。日本も法治国家であり続けたいなら、そして法治国家の国民であり続けたいなら、本作を観て、推定無罪の原則や公文書管理の重要性などをあらためて学ぶべきだろう。120%不可能だろうが、邦画の世界で入管によるスリランカ人女性の殺人(と敢えて呼ぶ)を映画化したら、それだけで国内ムービー・オブ・ザ・イヤーだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

See you later, alligator.

受験英語ではまず触れられないが、キッズ英会話などでは割とお馴染みの表現。意味はそのまま「じゃあね、アリゲーター」で、later と alligator が韻を踏んでいる。劇中でも触れられるが、こう言われたら”After a while, crocodile.”と返すのがお約束になっている。これも while と crocodile が韻を踏んでいる。ただ、大人が使うことはまずない。大人の先生がキッズ英会話の受講生に言ったり、小児科医が患児に言ったりすることはあるが、ビジネスの文脈ではほぼ間違いなく使われない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イギリス, サスペンス, シャイリーン・ウッドリー, ジョディ・フォスター, タハール・ラヒム, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:ケビン・マクドナルド, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 モーリタニアン 黒塗りの記録 』 -日本はアメリカを笑えない-

『 グリンチ(2018) 』 -深みと奥行きを欠いた絵本の忠実なアニメ化-

Posted on 2018年12月29日2019年12月7日 by cool-jupiter

グリンチ 30点
2018年12月23日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ベネディクト・カンバーバッチ
監督:スコット・モシャー ヤーロウ・チェイニー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181229025951j:plain

Dr. Seussの絵本“How The Grinch Stole Christmas!”を原作とするアニメ映画で、ジム・キャリー主演で実写映画化された『 グリンチ(2000) 』をIllumination Entertainmentがアニメ化したものである。同僚のイングランド人1人とアメリカ人2人に尋ねたところ、Dr. Seussは作家としてかなり有名人で、グリンチというキャラクターも、バットマンやスーパーマン並みに知名度があるという。そのグリンチというキャラクターの魅力を本作は十二分に引き出せたか?様々な見方があろうが、個人的には否定的である。

 

あらすじ

フー達の村、フーヴィルではもうすぐクリスマス。人々の心は浮き立ち始める。しかし、村はずれの山の頂近くには、グリンチが住んでいた。彼はクリスマスが心底嫌いだった。一方で、フーの少女シンディ・ルーはクリスマスを前にある計画を胸に秘めていた・・・

 

ポジティブ・サイド

 

この美麗なCGはどうだ。さすがにUniversal Studios系列の会社だけあって、日本のアニメ映画スタジオとは基礎体力=予算が違う。これだけのCGを作成するだけの予算の、おそらく十分の一でもあれば、『 GODZILLA 星を喰う者 』のギドラもよりアクティブに動かせたであろうし、モスラも影だけでの登場ということにならなかったはずだ。先立つ物はカネである。そしてカネがあれば美麗な映像を作ることができる。個人的にはジブリのような手描きのアニメーションの方が味わい深いと感じられるが、こと美麗であること、eye-catchingであることにおいてはビッグ・バジェットの映画にはかなわない。

 

ダニー・エルフマンの音楽も素晴らしい。この人は『 ダーク・シャドウ 』や『 フランケンウィニー 』など、ちょっとおかしいキャラや独特すぎる世界観を表現させればピカイチである。劇中の“YOU’RE A MEAN ONE, MR. GRINCH”とエンドロールの“I am the Grinch”は特に強く印象に残る。グリンチのテーマソングとして両曲とも及第点以上の出来である。

 

そして愛犬マックスの活躍。ペットモデルというのは確かに産業としてもビジネスとしても成立しているが、動物を思うがままに動かすのは実写では難しい。しかしアニメならば容易い。そのことを製作者は十分に理解しているため、本作のマックスの存在感の大きさ、その活躍は実写版を大きく上回る。というか、このマックスは一家に一頭欲しい。

 

残念ながら、賞賛に値するのはここまでであった。

 

ネガティブ・サイド 

まず、シンディ・ルーのキャラクターが極端に変わり過ぎている。もちろん、児童文学も一定の普遍性を有しているし、逆に時代の要請に応えて柔軟に読み変えていくという仕事も必要である。しかし、無邪気な幼児または赤ん坊であるはずのシンディ・ルーが、腹に一物抱えたようなガキンチョになって、子どもたちを相手に一人前の友情論をぶつような頭でっかちに描かれているのは何故なのだろうか。はっきり言って、このシンディ・ルーは可愛くない。実写版では、フーヴィルの法典を盾にあれやこれやの理屈をつける町長を、無邪気で素直な質問を投げかけることで著しく狼狽させたシンディ・ルーであったからこそ、村人たちもグリンチを排除することはおかしいという空気に(あまりにも無邪気に)染まれたのである。そうした描写がないことが、本作のグリンチとフーヴィルの関係を非常にあやふやにし、それゆえにグリンチがクリスマスを憎み、それを盗んでやろうと思い立つところに一切共感できないのである。

 

可愛くないのはシンディ・ルーだけではない。グリンチも同様である。原作の絵本にはなく、ジム・キャリー版の実写映画が補足したグリンチの幼少時代の描写を一切省いてしまったのは何故なのだ。予告編や販促物では、ちびグリンチを散々露出させ、「この後、どんどんひねくれる」と煽っておきながら、そのちびグリンチの描写がないとはこれ如何に。実写版が生々しくも描き出した、幼少グリンチのトラウマは、観る者にグリンチの孤独とねじくれてしまった精神構造を納得させるに足るものであった。それがあるが故にグリンチの精神に、文字通りに大きな変化が起こるということが逆説的にではあるが、分かり易く受け入れることができるのだ。原作絵本ではグリンチは困惑すること3時間、ようやくクリスマスはリボンや包みや箱と一緒にやって来るものではないと気付くのだが、本作のグリンチは回心が早すぎる。これではグリンチの物語ではなく、シンディ・ルーの物語ではないか。時代に合わせて柔軟に解釈を変えていくことは文学上の重要な仕事として見なされうるが、英語圏では super famous なグリンチというキャラクターに関して、これではリスペクトが無さ過ぎる。

 

総評

これは古典的名作のアニメ化ではない。昨今のクリエイターが、無難に生み出したお涙ちょうだい物語の文法をなぞっただけの底浅い作品である。小学校高学年ぐらいまでならそれなりに楽しめるのかもしれないが、それ以上の年齢層には実写版を見せてあげるべし。高校生以上で、英語力には少し自信があるという人は、ここにオリジナル絵本のPDFがあるので、是非そちらも参照してみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アニメ, アメリカ, コメディ, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:スコット・モシャー, 監督:ヤーロウ・チェイニー, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 グリンチ(2018) 』 -深みと奥行きを欠いた絵本の忠実なアニメ化-

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