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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: フィンランド

『 イノセンツ 』 -超能力子どもジャンルの佳作-

Posted on 2023年8月6日 by cool-jupiter

イノセンツ 70点
2023年7月30日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ラーケル・レノーラ・フレットゥム
監督:エスキル・フォクト

同僚の突然死やら自分自身のMRSA感染などもあり、簡易レビュー。

 

あらすじ

イーダ(ラーケル・レノーラ・フレットゥム)は両親の仕事の都合で、自閉症の姉アナと共に団地に引っ越しする。イーダはそこでベンジャミンという男の子と知り合う。彼は不思議な力の持ち主で、イーダはその能力に魅了されてしまう。一方、姉のアナはアイシャという女の子と不思議な形で心を通わせ始めていて・・・

ポジティブ・サイド

子どもの持つ純粋さと、それゆえの残酷さがよく描かれている。猫を殺すシーンは残酷極まりないが、大人だって堂々と尊厳死を議論している。子どもは大人の写し鏡で、逆もまた然り。子役たちの演技はどれも素晴らしい。子どもならではの無邪気さと、子どもならでは邪悪さが、表情にも仕草、行動にもさりげなく表されている。

 

友情と、その亀裂、そして最後の超能力対決までサスペンスが途切れることがない。特にラストの対決では、自閉症とコミュニケーションに対して大きな示唆を与えているように感じられてならなかった。

 

ネガティブ・サイド

団地というロケーションをもっと際立たせられなかったか。移民の子どもであることや顔の白斑など、差別・疎外される要素があり、実際に差別・疎外されるシーンがあれば、4人が奇妙な友情をはぐくんでいく展開にもっと説得力が出たものと思う。

 

総評

監督・脚本が『 テルマ 』の脚本を書いたエスキル・フォクト。同作と同じく人間の倫理観が大金テーマになっている。ハリウッドは超能力=国家の危機的な大味な展開に持っていってしまうが、子どもには子どもの世界があるのだということを本作は静かに、それでいて力強くアピールしている。大友克洋の『 童夢 』にインスパイアされているらしいが、そちらは未読。今度読んでみようかな。

 

Jovian先生のワンポイントノルウェー語レッスン

natt

ノルウェー語で night の意。劇中で子どもたちが夜寝る前に母親に Natto というシーンが複数回あるので、すぐに分かった。英語でも Good night と言わずに Night の一言だけで済ますことが多いが、ノルウェー語も同様のようである。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 658km、陽子の旅 』
『 神回 』
『 セフレの 品格 プライド 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, スウェーデン, スリラー, デンマーク, ノルウェー, フィンランド, ラーケル・レノーラ・フレットゥム, 監督:エスキル・フォクト, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 イノセンツ 』 -超能力子どもジャンルの佳作-

『 ハッチング – 孵化 – 』 -子の内面に目を向けよ-

Posted on 2022年6月21日 by cool-jupiter

ハッチング – 孵化 - 55点
2022年6月18日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:シーリ・ソラリンナ ソフィア・ヘイッキラ
監督:ハンナ・ベルイホルム

北欧ホラーだが、特にフィンランドに限らず、日本でもアメリカでもブラジルでも中国でも成立するストーリーだろう。幸福かどうかの尺度を他人に委ねるべきではない・・・というのも Twitter 界隈にありがちな言説か。

 

あらすじ

ティンヤ(シーリ・ソラリンナ)は、幸福な家族像を世界へ発信する母親のために、体操を頑張っていた。ある時、ティンヤは森で奇妙な卵を見つける。誰にも秘密のまま部屋で温め続けた卵は遂に孵化して・・・

ポジティブ・サイド

一見幸せに見える家族だが、実は中身はドロドロであるというのは、洋の東西を問わずによくある設定である。それを今風にSNSを取り入れながら、なおかつ卵から孵る謎の怪物という対比で描くところがユニーク。その卵も不気味に成長するが、孵るまでもなかなかスピーディーで良い。

 

卵から孵化する怪物はCGではなく、アニマトロニクスなのだろうか。鳥の雛にネバネバの粘液がくっついたようなビジュアルで登場するが、刷り込みの本能を持っているところが鳥らしい。この怪物と主人公の少女ティンヤの知覚がシンクロして、怪物が見るものをティンヤも見えてしまうというアイデアも悪くない。『 キャリー 』が自分の中の衝動を押さえられなかったように、ティンヤも自らの隠されたストレスや不安、暗い願望を怪物を通して見てしまう。心理ホラーであると同時に、クリーチャー系のホラーでもあるわけだ。

 

この怪物をティンヤが育てる展開がグロい。内臓ビローンのようなシーンはないが、人間大の鳥の雛に忠実に給餌するシーンを再現すると、なかなかキツイ絵になる。こんな構図、誰が考え着いたのだろうか。凄い想像力である。この怪物がティンヤ自身でも気付かぬ願望を次々に叶えていく、つまり周囲の動物や人間を傷つけていく。その過程で怪物自身も思わぬ姿に変態していく。これは完全に予想外だった。

 

主人公のティンヤを演じたシーリ・ソラリンナの二面性のある演技、そして韓国女優に優るとも劣らない発狂シーンを見せつける母を演じたソフィア・ヘイッキラの絶叫など、フィンランド人に対する見方が変わりそうである。『 かもめ食堂 』(まあ、これは邦画だが)のイメージで臨むと、そのギャップに唖然とさせられるだろう。

 

いったいどこでどう決着させるのかと不安になってきたところで、思いがけぬ結末が用意されていた。映画で言うと『 光る眼 』や『 ビバリウム 』、小説なら今邑彩の『 繭の密室 』を彷彿とさせる。日本でも毒親なる言葉が人口に膾炙するようになって久しいが、これは一定以上の水準の家庭に必然的に生まれる鬼子(鬼親?)なのだろうか。

ネガティブ・サイド

冒頭でいきなり母がカラスを縊り殺すが、この演出は不要だろう。ティンヤが上手く捕まえたカラスを母親が裏庭に持っていく。ティンヤが後から「あの鳥はどうしたの?」と尋ねると、「自然に返した」との答え。しかし、隣に越してきたレータの飼い犬がティンヤの家の庭の一角を掘ると、そこにはカラスの死体が・・・といった展開の方が良かったように思う。

 

ティンヤの母の毒っぷりを描くのに、浮気相手の男は不要だろう。赤ん坊を重要な小道具として見せる意図があったのだろうが、それは蛇足。父親がティンヤのベッドの血を見て勘違いした時、観る側は「いや、これはそうではなくて・・・」と思うと同時に、「あれ、母ちゃんはまだ現役か?」と勝手に邪推する。ホラー映画においては、見せるよりも想像させる方が恐怖や不安を喚起するには有効で、本作は心理的なホラーの要素が少し弱かった。

 

弟がキービジュアルのお面を被っているシーンが一か所だけあるが、何だったのだろうか。SNS向けに外側に発信しているものは仮面であって、一皮はいでみればドロッドロですよ、という意味ではなかったのか。仮面についても劇中で見せる必要はなかったと思われる。この仮面はティンヤだけがかぶっておらず、彼女だけは裏表がない・・・のではなく、裏表に気づいておらず、したがって仮面で裏の顔を隠せないのだろう。そのティンヤ自身が気付かない、鳥=アッリの凶行の原理が、自分の中の秘められた願望であると知って愕然とするシーン、あるいは比ゆ的に仮面を身に着けようとするシーンが欲しかったと思う。

 

総評

怪物が出てくるものの、一番怖いのはやっぱり人間である。効果音とCG一辺倒のハリウッドのホラーよりも、人間心理の暗部を視覚化したホラーの方が観ていて心地よい。嫌ミスならぬ嫌ホラーとでも言おうか、後味の悪さも相当なものである。ホラー・ジャパネスクの夜明けは遠いが、北欧ホラーはまだまだ元気いっぱいのようである。

 

Jovian先生のワンポイントフィンランド語レッスン

Hei hei

英語で Bye bye の意。発音は「ヘイヘイ」である。劇中で2度ほど聞こえてきた。語学はやはり耳+状況設定で行うものだなと再確認。いつかフィンランド旅行をすることがあれば、使ってみたいと思う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, シーリ・ソラリンナ, ソフィア・ヘイッキラ, フィンランド, ホラー, 監督:ハンナ・ベルイホルム, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ハッチング – 孵化 – 』 -子の内面に目を向けよ-

『 サウナのあるところ 』 -裸の男たちを追う異色のドキュメンタリー-

Posted on 2019年10月21日 by cool-jupiter

サウナのあるところ 60点
2019年10月17日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:カリ・テンフネン
監督:ヨーナス・バリヘル 監督:ミカ・ホタカイネン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191021000144j:plain
 

原題はフィンランド語でMiesten vuoro、英語に無理やり翻訳すると、manly turnまたはmen’s turnとなるようだ。「男たちの番」「男性のターン」ということか。日本では少し前からサウナブームらしい。Jovianは平成最後の日を近所の「昭和温泉」という銭湯で過ごす程度には風呂好き、銭湯好きである。もちろん、サウナも嫌いではない。しかし、本作はさっぱりと汗を流したような爽快感を得られる作品ではなかった。

 

あらすじ

老夫婦がサウナに入っている。夫は甲斐甲斐しく、妻の背中を手でこすり、洗い流してやる。「51年、この背中を流してきたんだな」と感慨深げに語る。別の中年男たちは、ふと生い立ちを語り合う。老人たちは妻との死別や新しい出会いについて語る。フィンランドの男たちが、サウナという空間で訥々と語り始めて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191021000203j:plain

ポジティブ・サイド

『 雪の華 』がフィンランドの美しい街並み、容赦のない寒さ、そして奇跡のような夜空の美しさを捉えたのとは対照的に、本作が映し出すのは極めてのどかな田園風景である。そして、電話ボックス的な個室サウナに、キャンピングカーを改造したサウナなど、我々の常識を遥かに超えるサウナの数々が描かれる。これは面白い。映画というのはたいていの場合、異国の地のエキセントリックさを際立たせるものであるが、本作を通じて我々が目にするのは、人間、特に男性に普遍的な不器用さなのである。つまり、我々の目からすれば奇異な環境、状況に身を置きながら、彼らの口から語られる言葉の一つひとつが、リアリティを以って我々に迫ってくるのである。それは多くの場合、自身の不幸な生い立ちであったり、仕事中に取り返しのつかないミスを犯してしまったことだったり、家族に起こった不幸であったりする。中には、とても心温まるエピソードが語られることもある。だが、それはプールであったり、更衣室であったりと、サウナ以外の場所で語られることが多い。

 

つまりは、そういうことなのだ。サウナという閉鎖空間は、フィンランドの男たちの憩いの場いであり、社交場であると同時に、カウンセリング・センターでもあるのだ。彼らはみな裸で、ヨボヨボであったり、ムキムキであったり、タプタプであったりするが、内面は、つまり心はとてもナイーブな男たちだ。そんな彼らが外面の虚飾を脱ぎ去り、文字通りに赤裸々に胸の内を語る。聞くも涙、語るも涙な事柄すらも語られてしまう。サウナは基本的にとても狭い。それゆえに必然的に男たちは身を寄せ合う。そこに我々が見出すのは、決して弱さや情けなさではない。人種や国境、世代というものを超えた、男という哀れで悲しい生き物たちの、それでも雄々しく生きていく姿である。ある人物が、「さあ、蒸気(ロウリュ)を足そう」というのは、武士の情けと通じるものがあった。これについては、そのアナロジーをワンポイント英会話レッスンで補足したい。

 

ネガティブ・サイド

実は地味にR15指定である。登場人物のほとんどは男性であるが、かなりの人が男性自身を丸出しである。カメラもそれを敢えてフレームに収めており、当然のことながらモザイクは無い。性的な意図は込められてはいないが、性別を問わず、人によってはネガティブに捉えるかもしれない。

 

別にエロ親父的な目線で言うわけではないが、サウナにおける女性同士の語らいが無いのは何故だろうか。ほんのわずかでよいので、ガールズ・トークでも魔女トークでもよいので収録されていれば、男性以外にもアピールする力のある作品になれたのではないだろうか。

 

ほとんどが郊外あるいはのどかな田園風景が広がる地方での撮影である。もう少し都市部でのサウナと、その空間内の人々の営みというものも見てみたかった。『 かもめ食堂 』でもレンタルしてくるか。

 

総評

かなりヘビーな内容である。男性の裸よりも、話の内容の方が重たくてしんどい、という人の方がマジョリティだろう。それでも、人は皆、裸で生まれてくる。赤ん坊はタブラ・ラサだ。共通点は人間であることだ。そして、人間であるからには、心がある。心があるということは傷つくことがあるということだ。そのような傷ついた心、そして癒しを求める心の姿が、ある意味では裸以上に露わになる空間としてのサウナにフィーチャーした本作は、比較文化人類学的な観点からは非常に貴重な資料である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

A man is not supposed to cry.

 

終盤近くで、とある男性が自身の悲嘆について(フィンランド語で)このように語る。彼はまた「男にできるのは、黙って酒を飲むことだけ」とも言う。まるで河島英五である。『 酒と泪と男と女 』の世界観である。be supposed to Vで、「Vすることになっている」のような意味である。Jovianが大ファンであるロッド・スチュワートのフェイセズ時代にテンプテーションズの“I Wish It Would Rain”をカバーしていた。その歌詞でもEveryone knows that a man ain’t supposed to cry. とある。古今東西、男とはそのような生き物であるようだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, カリ・テンフネン, ドキュメンタリー, フィンランド, 監督:ミカ・ホタカイネン, 監督:ヨーナス・バリヘル, 配給会社:kinologue, 配給会社:アップリンクLeave a Comment on 『 サウナのあるところ 』 -裸の男たちを追う異色のドキュメンタリー-

『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』 -グラスコートで繰り広げられる極上のヒューマンドラマ-

Posted on 2018年9月9日2020年2月14日 by cool-jupiter

ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 80点
2018年9月9日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:スベリル・グドナソン シャイア・ラブーフ ステラン・スケルスガルド
監督:ヤヌス・メッツ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180909223208j:plain

往年のテニスファンならずとも、ビヨン・ボルグやジョン・マッケンローの名前ぐらいは聞いたことがあるはずである。日本プロ野球で言えば、村山実や張本勲・・・、さすがに古すぎるか。これは彼ら二人がウィンブルドンの決勝で相まみえる過程とその結末をドキュメンタリー風に仕上げた作品である。『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』に並ぶ、いや超える作品である。あちらはフェミニズムを前面に出してきたが、こちらはテニス史上に残る名プレーヤーたちによる名勝負中の名勝負を前面に押し出してきた。扱う主題がテニスという点では同じでも、ジャンルが異なる映画である。こちらは社会性よりも、むしろ個人の内面や人間性に踏み込んだ内容になっているからだ。この作品で描き出されるボルグやマッケンロー像に、多くの人たちが類似のアスリートや他分野の偉人、もしくは身近な人間を思い浮かべることだろう。これはそういう見方ができる映画だし、そうした見方をされたがっているようにも思う。

ボルグのテニスは、乱暴に一言でまとめてしまえば大河ドラマ的だ。一話一話は抑揚に乏しく、1月に始まり、12月にクライマックスが来るようなものだ。対するマッケンローのテニスは韓国ドラマだ。一話一話が、まるでジェットコースターのように上がり下がりする。Jovianはテニス史上で最も強靭なメンタルの持ち主はシュテフィ・グラフだと信じている。彼女の動じない姿勢、ワンプレーが終わるたびにサッと後ろを振り向いて気持ちをリセットしようとしているかのような立ち居振る舞いに、多くのファンが魅せられ、畏敬の念を抱いてきた。その姿勢の源泉はボルグにあったのではなかろうか。ボルグのコーチ役のステラン・スケルスガルドの「一球に集中するんだ」という言葉に、松岡修造がウィンブルドンで叫んだ「この一球は絶対無二の一球なり!」という言葉を思い出すテニスファン兼映画ファンはきっと多いだろう。余談だが、大坂なおみがセリーナ・ウィリアムスを倒して全米オープン制覇を成し遂げた。偉業である。そこでのセリーナの振る舞いに、多くのファンがマッケンローの姿をダブらせたことだろう。動じないメンタル、少なくともそれを目に見える形で表わさないことが、トッププロには求められることが多い。例えばイワン・レンドルは1986年のウィンブルドンで、ボリス・ベッカー相手に、誤審から崩れた。いや、誤審から崩れたというよりは、誤審を許せなかったことで平常心を失い、あっさりとベッカーに退けられてしまった。しかし、メンタルの崩れからそのまま敗れ去ってしまった悲劇の例としてテニスファンの心に最も強烈に焼き付いているのは、ヤナ・ノボトナを措いて他にいないだろう。1993年のウィンブルドン決勝、最終第3セット、女王グラフを徳俵にまで追い込みながら、凡ミス連発で世紀の大逆転負けを喫した、あの試合である。ことほど然様にメンタルの在り方は、テニスにおいて、そして他の分野においても、勝負を分けるポイントになる。トップレベルなら尚更である。

Back on topic. 本作は、『 アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル 』の系統の映画と評するべきであろう。本作はプレーヤーとしてのボルグやマッケンローのフォームや仕草、話し方をよくよく研究しているとはいえ、テニスの試合そのものを直接的に魅せる手法は取っていないからだ。しかし、そのことが本作のスリルやサスペンスを減じることはいささかもない。なぜなら、本作はヒューマンドラマだからだ。内面に溜めこんだ負の感情をルーティンで抑えつけるのか、それとも蒸気機関車のエンジンよろしく、圧縮された蒸気は定期的に吐き出さなければならないのか。正反対に見える両者だが、その内側には非常に人間らしいドロドロとしたものが渦巻いていることに気付くだろう。そんな彼らが最高の舞台で究極の精神状態で闘うのだ。これ以上の対話は無い。そしてドラマの基本は対話、dialogueなのである。エンディング近くで2人が交わす誠に他愛の無い会話に、我々はこの2人の間に言葉はもはや必要ないのだということを悟るのである。何というドラマだろうか!こうしたことは実は往々にして起こることで、Jovianがパッと例として出せるのはアルトゥロ・ガッティとミッキー・ウォードのボクシング・トリロジーだ。特に第一戦の第9ラウンドは今でもボクシングファンの間で語り継がれる、言葉そのままの意味の伝説的ラウンドである。その後の二人の友情は必然であったと言える。なお、ミッキー・ウォードについては映画『 ザ・ファイター 』を参照されたい。

Jovianが観賞後、劇場のトイレから出てくると、60代と思しきシニアの面々6名ほどが、ホールウェイで感想を熱く語り合っていた。これから観る人もいるはずなので場所はもう少し選ぶべきなのだろうが、それでも実にでかい声で印象的な感想を述べてくれていた。以下、拾ってきた感想だが、いくつかを紹介する。

「いやあ、もう観てるうちにあの役者が本物のボルグに見えてきたで」

「マッケンローの人、よかったわあ」

「あの試合、やっぱり今でも覚えてるし、ホンマに凄かったなあ」

「コナーズ、ちょっとだけやったな」

「マッケンローの、あのえっちらおっちらのボレー、よう似てたわ」

分かる人には分かる感想であろう。我々はボクシングや野球、サッカーでも、もっとこうした上質のエンターテインメントたりうるドラマ映画を観たいのだ。

こうしたことは日本の映画界にも出来るはずだ。小説や漫画の映画化はそれ自体、作品やクリエイターの知名度アップや世界観の拡大、キャラクタービジネスの強化に繋がることではあるが、あまりにも画一的になりすぎてはいないか。広島カープの津田恒美をテレビ映画化した『 最後のストライク 』のような作品が、製作されねばならない。村山聖にフォーカスした『 聖の青春 』や『 三月のライオン 』、さらには『 泣き虫しょったんの奇跡 』(近いうちに観に行く)など、将棋や棋士をフィーチャーした作品は作られてきている。喜ばしいことである。ある意味で絶頂で引退したボルグに、大棋士・木村義雄を重ね合わせる人も多いに違いない。個人的には『 ミスター・ベースボール 』を上回るような野球人映画を期待したい。しかも実在の人間に焦点を当てて。間違っても『 ミスター・ルーキー 』のような珍品を作ってはならない。できるはずだ、日本映画界よ!

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, シャイア・ラブーフ, スウェーデン, ステラン・スケルスガルド, スベリル・グドナソン, スポーツ, デンマーク, ヒューマンドラマ, フィンランド, 監督:ヤヌス・メッツ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』 -グラスコートで繰り広げられる極上のヒューマンドラマ-

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