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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ドキュメンタリー

『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

Posted on 2019年5月22日2020年2月8日 by cool-jupiter

アメリカン・アニマルズ 50点
2019年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エバン・ピーターズ バリー・コーガン ブレイク・ジェナー ジャレッド・アブラハムソン
監督:バート・レイトン

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シネ・リーブル梅田で始めたチラシを手にした時、これは面白そうだと予感した。しかし、Hype can ruin your experience. 『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』の水準を期待すると拍子抜けさせられる。本作の見せ場は、罪を犯した本人たちの回想録的なドキュメンタリーを含むところであって、本編の犯行のレベルの高さではない。

 

あらすじ

ウォーレン(エバン・ピーターズ)とスペンサー(バリー・コーガン)は、大学に進学したものの、キャンパスライフに馴染めずにいた。ある時、ウォーレンは大学の図書館に18世紀に書かれた稀覯本があるのを知り、それらを盗み出す計画を立てることに・・・

 

ポジティブ・サイド

犯罪にも色々ある。警察や法律家に言わせれば違うのだろうが、立ち小便は犯罪、少なくとも重犯罪ではないだろうし、盗んだバイクで走り出すのも若気の無分別で済ませてもらえるかもしれない。しかし、チャールズ・ダーウィン直筆の書物を盗み出して、闇マーケットで売り払い、大金を儲けてやろうというのは、どう考えても重犯罪だ。それを敢えてやろうというのだから、その意気やよし。存分にやってくれ。事実は小説よりも奇なりと言うが、大馬鹿と馬鹿と馬鹿と小利口者が計画をあれこれと練っていくシーンはそれなりに楽しい。また、役者たちの演技シーンと本人たちへのインタビューシーンが交互に切り替わるタイミングが絶妙で、重要文化財窃盗を決意する過程、そして何故それを実行に移してしまったのかという心情が赤裸々に語られるのがありがたかった。Jovianはビジュアル・ストーリーテリングを重要視するが、複雑な入れ子構造の映画も好きなのである(『 メメント 』みたいな晦渋過ぎるのは勘弁だが)。

 

本作は、アメリカの片田舎のアホな大学生がアホなノリでアホなことをやらかしてしまったという意味だけで観るべきではないだろう。内輪の仲間だけでシェアするつもりだったバイト先での愚行・・・というのとも少し違う。話を超大げさに拡大して受け取るならば、大日本帝国が第二次世界大戦に揚々と参戦していったのと同じような思考の過程、行動様式、組織構造を見出すこともできるのではないか。事前の調査不足もさることながら、これで上手く行く筈がないと誰もが思いながら、なかなかそれを言い出せない。それをようやく言い出せても、声がでかい奴に押し切られる。まるでどこかの島国のかつての軍上層部とそっくりではないか。そして、このアニマルズが服役を経ても、芯の部分では藩政をしていないのではないかと思わせるところに本作の妙味がある。あの窃盗事件の真実とは何か。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、事実ではなく真実を追求しているということを鑑賞中は念頭に置かれたし。

 

ネガティブ・サイド

『 オーシャンズ11 』や『 オーシャンズ8 』、『 ジーサンズ はじめての強盗 』のような華麗にして緻密な組織犯罪を期待するとガッカリするだろう。というよりも、計画のあらゆる部分に無理があり過ぎる。アホな扮装をした中年ジジイ4人組が図書館に入ってくれば、何をどうやっても注目を集めてしまうし、よしんばそれで学生たちの目を欺けたとしても、逆にそれだけ強い印象を残してしまえば、警察がしらみつぶしに在校生のアリバイを調べていけば、捜査線上に自分たちが浮上してくるということに気付かないのか。神風など、そうそう吹くものではないのだ。

 

再現ドラマパートと本人たちへのインタビューによるドキュメンタリーパートを混在させるのは、非常に面白い野心的な構成だが、本編ドラマでもっと凝ったカメラワークが欲しかった。なぜ自分たちは満たされないのか。なぜ自分たちは特別になれないのか。自分たちと特別な人間の境目は何か。逆に、自分たちは凡百の人間ではない、あいつらとは違うんだ、という中二病全開思考を表すようなショットが欲しかった。キャンパスの芝生に寝そべって、他愛もないおしゃべりに興じる大学生たち、といった平凡な、しかし色鮮やかなショットが効果的にちりばめられていれば、アニマルズのダメさ加減や哀れさがもっと際立ったであろう。

 

総評

高く評価できる部分と、そうではない部分が混在する作品であり、評価は難しい。しかし、鑑賞後のJovianの第一感は「何じゃ、こりゃ?」だった。シネ・リーブル梅田推しの作品でも時々ハズレはあるのである。しかし、単なる物語の再構築以上に、危険な思考の陥穽、まとめ役あるいは諌め役の欠如したチームの末路など、教訓を引き出すには良い作品であるとも感じられるようになった。マニア中のマニアであれば、『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』と比べてどっちが f**k という言葉をより多く使ったか調べてみるのも一興かもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, エバン・ピーターズ, クライムドラマ, ドキュメンタリー, バリー・コーガン, 監督:バート・レイトン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

『 サッドヒルを掘り返せ 』 -神話に迫る感動的ドキュメンタリー-

Posted on 2019年3月31日2020年3月23日 by cool-jupiter

サッドヒルを掘り返せ 80点
2019年3月28日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:セルジオ・レオーネ エンニオ・モリコーネ クリント・イーストウッド
監督:ギレルモ・デ・オリベイラ

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ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアを追い求めて、ついに発見したシュリーマンの気持ちとはこのようなものだったのだろうか。それほどの圧倒的な感動をもたらすドキュメンタリー映画である。本作は映画という芸術媒体の持つ力、その物語性、神話性を追究しようとした野心作でもある。

あらすじ

『 続・夕陽のガンマン 』のクライマックスの決闘の場面となったサッドヒル墓地。撮影から50年になんなんとする時、地元スペインの有志がサッドヒル墓地の復元に乗り出した。彼らはやがてSocial Mediaを通じて、世界中からボランティアを募る。そしてサッドヒルを復元させ、そこでの『 続・夕陽のガンマン 』の上映会を企画する・・・

ポジティブ・サイド

映画製作にまつわるドキュメンタリー映画には、『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』がある。スター・ウォーズ製作者のジョージ・ルーカスとファンの対立、意見の相違に焦点を当てた傑作である。また『 すばらしき映画音楽たち 』も忘れてはならない。ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーといった錚々たる映画音楽家から近現代ロックスターと映画音楽の関わりまでもを描く大作だった。本作もこのような優れた先行ドキュメンタリー作品と同じく、様々な関係者や当事者の声を丁寧に拾い上げ、映画製作の裏のあれやこれやを観る者に教えてくれる。だが、この『 サッドヒルを掘り返せ 』がその他の映画製作ドキュメンタリーと一線を画すのは、ファン達が『 続・夕陽のガンマン 』を神話に類するものとして扱うところである。というと、「スター・ウォーズも充分に神話じゃないか」という声が聞こえてきそうだが、Jovianの意見ではスター・ウォースは「おとぎ話」である。おとぎ話は、当時および各地の社会・文化的な要請から民話に超自然的な要素が加えられたものだと理解してもらえればよい。もしくは、スター・ウォーズは昔話である、もしくはジョージ・ルーカスを作者にした童話と言っても良い。子育て経験のある人なら分かるだろう。子どもは同じ話を繰り返し繰り返し聞くのが好きなのだ。「おじいさんは川へ洗濯に・・・」と言えば、たいていの子どもは不機嫌になって訂正してくる。児童心理学にまで切り込む余裕はないが、新旧スター・ウォーズのファンの対立、旧世代のファンとジョージ・ルーカスの対立の背景にあるのは、童話や昔話への子どものリアクションと本質的には同じなのである。

しかし、本作のファンは子どもではない。彼ら彼女は皆、一人ひとりが、伝説になってしまった物語に確かに描かれた舞台装置を探し求めるという点において、シュリーマンなのだ。スペインの荒野にひっそりと佇立する無数の墓標。それらを復元することに血道を上げることに何の意味があるのか。意味などない。ただただ、その世界に触れたい。その世界に浸りたい。自分という存在を確かに形作ってくれたものを自分でも形作りたい。それは生命の在り方と不思議なフラクタルを為す。『 続・夕陽のガンマン 』は、そのストーリーやキャラクター、映像美やその音楽の圧倒的なインパクト故に、何かを足したり、もしくは引いたりする必要が一切ない。それは神話である。ディズニーが、機は熟したとばかりに、次から次へと昔話やおとぎ話を実写映画化しているが、そこには必ずと言っていいほど現代的な読み変えが行われている。それは『 くるみ割り人形と秘密の王国 』でも指摘したようなフェミニスト・セオリーであることが多い。物語をその都度、作り変えていくのはディズニーだけではない。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ったことがある人もない人も、ユニバーサル・スタジオは元々はフランケンシュタインの怪物やドラキュラ、狼男、透明人間などのおとぎ話や昔話を現代風に作り変えてきたということは知っているだろう。USJはゴジラやドラクエやモンハンまで取り込んで、最早何が何だか分からないテーマパークになっている。ディズニーもテーマパークを持っている。しかし、本作に登場する市井の人々はサッドヒルのテーマパーク化を一切望まない。それは繰り返すが『 続・夕陽のガンマン 』が神話だからである。キリスト教徒が創世記を書き変えたいと思うだろうか。作中で、ブロンディ(および『 荒野の用心棒 』のジョーと『 夕陽のガンマン 』のモンコ)の身に着けていたポンチョが、トリノの聖骸布=The Shroud of Turinの如く扱われているというエピソードも、このことを裏付けている。この信仰にも近い彼ら彼女らの純粋な想い故に、スペインの大地に神が舞い降りる瞬間のエクスタシーは筆舌に尽くしがたいものがある。Jovianは、「人生で最高の10分間だった」と振り返るシーン、神が降臨するシーン、そしてエンドクレジットでそれぞれ大粒の涙を流してしまった。何がこれほど人の心を揺さぶるのか。それを是非、劇場でお確かめ頂きたいと思う。

ネガティブ・サイド

『 続・夕陽のガンマン 』の一瞬一瞬を切り取るだけで絵になるのだから、変に静止画をいじくって動かしたりする必要は無かった。

また、セルジオ・レオーネやエンニオ・モリコーネのインタビュー映像があるにもかかわらず、イーライ・ウォラックやリー・ヴァン・クリーフのそれが無いのは何故だ。無いはずがないだろう。それとも編集で泣く泣く削ったとでも言うのか。とうてい承服しがたいことだ。

総評

異色のドキュメンタリーである。インディ・ジョーンズに憧れて鞭を振るったり、ジェダイに憧れてチャンバラに興じるのではなく、ただただ墓地を復元したいという人々の物語が何故これほど観る者の心を激しく揺さぶるのか。きっとそれが生きるということだからだろう。Ars longa, vita brevis. 芸術は長く人生は短い。Art is never finished, only abandoned. レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉とされる。けれど、もしもうち捨てられた芸術の復活に関わることができれば、神話を追体験できるのだ。そのような人々の生き様をその目に焼き付けることができる映画ファンは、きっと果報者である。

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Posted in 映画, 海外Tagged :ギレルモ・デ・オリベイラ, 2010年代, A Rank, エンニオ・モリコーネ, クリント・イーストウッド, スペイン, セルジオ・レオーネ, ドキュメンタリー, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:ハークLeave a Comment on 『 サッドヒルを掘り返せ 』 -神話に迫る感動的ドキュメンタリー-

『 劇場版 ダーウィンが来た!アフリカ新伝説 』 -動物の向こうに人間が見えてくる-

Posted on 2019年1月24日2019年12月21日 by cool-jupiter

劇場版 ダーウィンが来た!アフリカ新伝説 70点
2019年1月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:葵わかな

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Jovianは民放は基本的に観ない。NHKを時々観るぐらいだ。しかし、その中でも欠かさず録画する番組が3つある。『 将棋フォーカス 』、『 コズミックフロント NEXT 』、そして『 ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜 』である。そのうちの一つが映画化されるとあっては、劇場に足を運ばねばなるまい。

 

あらすじ

アフリカ大陸。様々な動植物が生きる大地。そこにはプライドの王を目指す若獅子ウィリアム、一匹で子育てに奮闘する雌ライオンのナイラ、右腕を無くしたゴリラのドドとそのドドを見守る群れの長のパパ・ジャンティの物語が展開されていた・・・

 

ポジティブ・サイド

1時間30分程度の作品だが、おそらくこれだけの映像を作るには、軽く1万時間超の撮影が必要ではないだろうか。もしかすると10万時間超かもしれない。

 

本作でフィーチャーされるライオン達およびゴリラ達を動物と思うなかれ。これは動物賛歌の形を借りた人間社会へのメッセージなのである。そのメッセージを痛烈な批判と受け取るか、それとも厳しくも暖かい信頼のメッセージと取るかは受け手の生きる社会や家族に依るのだろう。ただし、NHKがこの映画を届けたいのは日本社会に生きる我々であることは意識せねばなるまい。好むと好まざるとに依らず、社会は多様化していく。多様化していくということは、盛者必衰、優勝劣敗、弱肉強食がはっきりしていくということでもある。それは昭和後期が成長と安定に結実した一方で、平成は激動の時代になっていたことからも明らかである。潰れるはずがないと思われた企業が倒産し、サザエさん的な家族の風景はもはやフィクションとなった。一方で、都市部の駅や公共施設、大型ショッピングモールやデパートメントストアではバリアフリー化、ノーマリゼーションが進み、街中や駅、電車内でも車イス使用者を見かけることは珍しくなくなった。白杖を持った弱視者やダウン症を持った人なども家や施設ではなく、外に行き場と生き場を求められるようになってきた。

 

本作がメインに取り上げる若獅子ウィリアム、孤軍奮闘する雌ライオンのナイラ、そして右腕の肘から先を無くしたゴリラのドドには共通点がある。それは集団から疎外されてしまった個が、それでも仲間と共に生き抜く姿である。ライオンのオスはしばしば兄弟で放浪するし、最近ではこのような動画も世界中でバズった。ライオンのオスは高等遊民であるかの如く暮らす。千尋の谷に突き落とされることはないが、それでもプライドを追い出され、過酷な環境で自らの生存を確保しなくてはならない。国営放送がニートに向けたメッセージであるというのは深読みが過ぎるだろうか。

 

女手一つで6頭もの子どもを育てるナイラを指して「母は強し」というのはいとも容易い。しかし、それこそ昭和の価値観だろう。今、国が実施している求職者支援訓練の受講者には、かなりの割合のシングルマザーが含まれている。平成とは、離婚率と未婚率の増加の時代、少子化の時代とも総括できよう。もちろん、それも多様化の一側面である。だからシングルマザーを良しとしたいわけではない。逆だ。ライオンの雌がこれほどの苦境に陥るのは、仲間がいないからだ。サポート役がいないからだ。幼い子どもと一緒に狩りをするナイラの姿に、高校生の子どものバイト代までも家計に回さなければならない世帯が存在することに、我々はもっと意識しなくてはならないだろう。

 

ゴリラのパパ・ジャンティについても同様の考察が可能である。通常、動物の群れは奇形や障碍を有する個体には厳しい。少数を救おうとすることが全体を危機に晒すことになりかねないからだ。オオカミの群れなどは老齢の個体にも厳しい。しかし、パパ・ジャンティはその名の通りにgentlemanである。劇中でも描かれるが、当初は群れの他個体はドドにサポートを与えなかった。リーダーたるパパ・ジャンティの行動が集団全体に波及したのだ。障がいを能動的に負おうとする者などいない。しかし、障がいを負うことそのものは誰にでも起きうることだ。そうした時に、疎外をされないこと。誰かが手を差し伸べてくれるということ。そうした仕組みや意識が社会の成員に共有されているということ。それこそが生きやすい社会の一つの形だと思う。そうした気付きをもたらしてくれるゴリラのパパに、我々は敬意を表すのである。

 

ネガティブ・サイド

せっかく1時間半もの時間を費やすのなら、1種類の動物だけにフォーカスしても良かったのではないだろうか。ライオンならライオンに絞ってしまうという選択肢もあったはずだし、その方がよりドラマチックに編集できたろうにと思う。全体的なペースとトーンが。ライオン物語とゴリラ物語の間で一定していなかったように感じられた。監督は誰なのだろうか?

 

総評

いつもはテレビで観ているものを劇場で観ることの意味は何か。映像や音響が優れていることは当然として、暗転した環境なのでスクリーンに没頭できることが大きい。アフリカの豊かな自然と様々な動植物の世界にスッと入っていくことができた。第二、第三の劇場版が観たいし、『 コズミックフロント NEXT 』の劇場版も作ってくれないだろうか。映像美という点では、動物よりも天体の方に分があるだろう。特に暗い劇場では。子どもを連れて観に行くも良し。大人だけで鑑賞しても良し。ライトにもディープにも楽しめる作品である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ドキュメンタリー, 葵わかな, 配給会社:ユナイテッド・シネマLeave a Comment on 『 劇場版 ダーウィンが来た!アフリカ新伝説 』 -動物の向こうに人間が見えてくる-

『 華氏119 』 -アポなし突撃は控え目だが、現実を抉る鋭さは健在-

Posted on 2018年11月7日2019年11月21日 by cool-jupiter

華氏119 75点
2018年11月4日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ドナルド・トランプ
監督:マイケル・ムーア

 

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マイケル・ムーアと言えば、アメリカ随一の社会派映画監督。その視線は、アメリカ社会の内包する問題を常に捉え、それを独自の映像世界に落とし込むことで、アメリカのみならず全世界に警鐘と啓蒙の映画を送り込んできた。それでは今作はどうか。アポなし突撃は控え目だったが、中間選挙目前というこのタイミングでリリースしてくることで、全米の有権者に揺さぶりをかけてきた。果たしてその効果のほどは・・・

 

あらすじ

時は2016年、全世界がアメリカの大統領選に注目しながらも、どこか楽観的な雰囲気が漂っていた。まさかトランプの勝利はあるまい。そう誰もが思っていた時に、トランプ大統領は誕生した。その深層にはアメリカの民主主義および社会が内包する矛盾や対立構造が深く根を張っていた。アメリカ随一の社会派映画監督のマイケル・ムーアがトランプ大統領誕生と、そこに潜む社会問題を独自の視点と手法であぶり出していく。

 

ポジティブ・サイド

ムーアの眼差しは、ドナルド・トランプ大統領個人の資質に向けられるのではなく、そうした大統領を生み出してしまったアメリカ社会、アメリカの有権者、アメリカの政治制度に向けられる。なぜ独裁的傾向を持つ個人を支持する層が存在するのか。なぜメディアに真摯に答えない個人が大衆の支持を集めたのか。なぜ権力を持つ者が、その権力をさらに強固にしてしまおうという試みに歯止めがかけらないのか。ムーアの問題意識は明確だ。個々人の意識や意見が正しく集約されない仕組みに彼は大いに不満を抱いているというわけである。そうしたアメリカ社会の抱える矛盾が一挙に噴出した証明として、彼はトランプ大統領出現を読み解く。

 

実際に、トランプ大統領誕生の報に触れた時の世の反応を覚えている諸賢も多いと思われる。わずか二年前のことなのだ。2020年、アメリカにおいて女性の参政権獲得の100周年を祝って、第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンには20ドル札の表面からは退場を願い、代わって奴隷解放および女性の社会的地位向上の旗手、ハリエット・タブマンに登場願う年に大統領職にあるのは、誰もがヒラリー・クリントンであると半ば盲目的に信じていた。いや、信じたがっていた。そのヒラリーを奉る民主党も、およそ民主主義国家とは思えぬ方法でサンダースを締め出していたという疑惑を、本作はまず追求する。

 

ムーアの視点はミシガン州のフリントという町の水道水問題にも向けられる。州知事がビジネスマンであり、州の政治も会社を経営するように行うと、まるでリー・クアンユーであるかのように宣言、その政治手腕を振るったところ、執政は失政となった。また教師のストライキ、銃乱射事件の多発を受けての高校生の草の根運動など、ムーアはアメリカ社会に強い憤りを感じつつも、問題の解決に動いていってくれるであろう次代の芽に希望を見出している。

 

本作をアメリカ社会の問題と思うなかれ。かの国を蝕む社会構造の矛盾は、そのまま東洋の某島国にも当てはまる。美辞麗句が蔓延るのは、独裁政権誕生の前触れとは、蓋し炯眼であろう。「美しい国」というのは“Make America great again”というキャッチ・コピーと比喩的な意味では大差はないのだ。2018年、日本では『 万引き家族 』の是枝監督が、賞賛と批判の両方を受けた。多様な意見の存在は、民主主義社会では歓迎すべきことである。しかし、日本に内在する最大の問題は、アメリカのそれと同じく、右か左か、0か1か、全か無か、という意識の二極化だ。政治に関して言えば、自民党かそれ以外か。これはアメリカの政治が、民主党か共和党かのほぼ二者択一になってしまっているのと構造的に同じである。

 

社会の矛盾とは、社会を構成する個人に矛盾が生じていることを意味する。労働者階級に属する人々の中に一定数のトランプ支持者が存在する。そのトランプは、富裕層を相手に商売をし、ブルーカラーやレッドネックを見下すような男であるにもかかわらず。日本も同様である。富裕層や大企業を厚く遇しながら、庶民や中小企業から搾り取る現政権を支持するのは、なぜか社会の下層民に多い(とされる)。いや、日本はもしかするともっと救いが無いのかもしれない。ムーアは本作の水道水問題で、オバマの化けの皮を剥いでしまったが、日本では西日本豪雨の被災地を視察すらせず酒盛りに興じていた為政者連中が今も権力の中枢に鎮座している。

 

本作は、個々人の問題意識≒希望にフォーカスしつつも、その限界点にも着目する。希望を抱くだけでは意味がない。行動こそがいま最も求められているものだ。本作はそれを高らかに宣言する。健全なる社会の健全なる構成員であれかしと願う者は絶対に観るべし。

 

ネガティブ・サイド

トランプを過去のトンデモ権力者とダブらせる演出があるが、これは失敗であろう。トランプ政権に限らず、極右的、排外的性向を持つ政権の登場をアナロジーで理解するべきではない。それをしてしまうと、≪歴史は繰り返す≫。目の前で展開する事象を、すでにあったこととして捉えてしまうような見方をさせてしまいかねない演出は個人的に評価しない。

 

高校生らの運動を力強く支持する姿勢を見せるのは構わないが、自分たちの世代が残してしまった負の遺産、自分たちの世代が広げてしまった断絶などについての反省がもっと見られても良かった。Jovianの元同僚にはシカゴ出身のアメリカ人がいるが、彼が日本に来た理由(というよりもアメリカを去った理由)は、誰もかれもが銃を持っている、ということだった。日本でもこの1~2年で、修学旅行の行き先としてアメリカは除外されるようになってきた。ドローン・ウォーの批判も結構だが、銃乱射事件が起きると銃が売れるというには、あの忌まわしき米ソの冷戦時代、核実験や核開発の報の旅に核軍備を増強したというのと、現代のアメリカ社における銃の増加は奇妙な相似を為す。ムーアの世代こそが冷戦を総括し、反省しなければならないはずだが、そうした≪歴史は繰り返す≫ということに対する危機感の薄さが、やはりどうしても気になってしまった。

 

総評

いくつか気になる点はあるものの、日本にも通じる問題が数多くフォーカスされる。ある意味で非常にアメリカらしいアメリカ映画である。現代アメリカの世相を読み解く重要な示唆が得られるので、大人だけではなく受験を控えた高校生や浪人生にもお勧めできる。小論文やエッセイのネタを本作から拾ってきてもよいだろう。また、ムーアの視点や思考回路は「現実を多層に見る」際のヒントになるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ドキュメンタリー, ドナルド・トランプ, 監督:マイケル・ムーア, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 華氏119 』 -アポなし突撃は控え目だが、現実を抉る鋭さは健在-

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス 60点

2018年8月8日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:オマーラ・ポルトゥオンド マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール バルバリート・トーレス エリアデス・オチョア イブライム・フェレール
監督:ルーシー・ウォーカー

 

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我々がキューバと聞いて思い浮かべるのは、アマチュア野球の強豪国、アマチュアボクシングの超強豪国、サトウキビ、葉巻、レーニン、サパタ、ゲバラに並ぶ革命児カストロぐらいであろうか。しかし、そうしたキューバに関するパブリックイメージは1990年代終盤に突如(のように当時は思えた)、塗り替えられた。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のリリースであった。彼ら彼女らはすでに老齢で歌手やエンターテイナーとしてのピークは過ぎていたが、非典型的なlate bloomerとでも言おうか、第三世界のスターが一夜にして第一世界で脚光を浴びたのであった。本作はそんな彼らの文字通りの晩年を振り返るドキュメンタリーである。

キューバといえば近年カストロを失ってしまったが、革命家と言って人々の心にぱっと浮かんでくるのはレーニン、サパタ、カストロの御三家であろう。革命の根底には往々にして民衆の熱狂的支持がある。ソンに代表されるキューバ音楽とアフリカ音楽の混淆が、キューバ文化に深みと、陽気な絶望を歌う民族性のようなものを加えている。革命には音楽のバックアップがあるのだ、ということを我々は最近、「アラブの春」から学んだところであるが、キューバ革命の背景にもそうした要素はあったことだろう。しかし、本作監督のルーシー・ウォーカーは冒頭にキューバ史の概要とカストロの死のニュースを簡潔に挿入するのみで、そうした要素を前面に押し出そうとはしていない。音楽そのものの力とそれを奏で歌う人々の力により注目してほしいということだと受け取った。

Jovianはどういうわけか、イブライムが左卜全とオーバーラップして見えることが多かった。歌唱力も寿命もイブライムの方が上だが、なぜかイブライムは左を彷彿させた。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの面々が成し遂げたこと、我々に及ぼした影響は巨大で一口には語れない。もしも彼らがいなければ、つまりキューバという要素が世界で受け入れられるという土壌が90年代後半に生まれていなければ、ボクサーとしてのホエル・カサマヨルやユリオルキス・ガンボアやギジェルモ・リゴンドー(日本に来たこともあるので、テレビで見たことがある人もいるかもしれない)らの超絶テクニシャンボクサーはアメリカに亡命しプロに転向しなかったかもしれないし、英雄ホセ・コントレラスもヤンキースには来れなかったかもしれない。少なくとも、彼らに勇気が与えられたのは間違いない。

『私はあなたのニグロではない』に見られたような悲痛としか形容し得ない叫びを、ある意味で音楽に昇華した彼ら彼女らは、キューバ人だけではなく、観る者たちにもほんの少しの勇気を与えてくれる。音楽愛好家やキューバ史もしくは優れたドキュメンタリーに興味があるという方であれば観賞しようではないか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, イブラヒム・フェレール, ドキュメンタリー, 監督:ルーシー・ウォーカー, 配給会社:ギャガ, 音楽Leave a Comment on 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』 -どこかの国の政治家および官僚は絶対に観るべき作品-

Posted on 2018年8月2日2019年4月25日 by cool-jupiter

ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 65点

2018年7月31日 レンタルDVD観賞
出演:アンソニー・ウィーナー フーマ・アベディン
監督:ジョシュ・クリーグマン エリース・スタインバーク

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*ネタバレに類する記述あり

血気盛んに議会で熱弁を振るい、政敵を舌鋒鋭く口撃するウィーナー下院議員。民主党の次代の顔として、国民からの支持と期待を集めていた気鋭の若手政治家はセクスティング・スキャンダルで一挙に失脚。デジタル時代、インターネット時代を象徴するスキャンダルであったと言えよう。しかし、この映画の見どころは、主人公アンソニー・ウィーナーの惨めな落ちっぷりではない。落ちるところまで落ちて、後は上がるだけというところからまた落ちる。しかし、それでも懲りずに上がろうと足掻くウィーナーに、呆れる者もいれば、感心する者もいるはずだ。各々がそれぞれに感じ入ればそれで良いのだが、現代日本に暮らす我々には、非常に示唆に富む内容になっていた。彼のミスとそこからのリカバリーを見てみよう。

まず、もっこりブリーフの下半身写真をTwitterで見られるようにしてしまった、というのが彼の第一のミス。そして初動で、その写真が自分のものかどうかは定かではないと言ってしまったのが第二のミス。さらに、即刻辞任することを拒否(後に撤回し、辞任を正式に表明)したのが第三のミス。そして最大のミスは、妻に「実は他にもまだあるんだ」と打ち明けられなかったことであった。このあたりのミスの連鎖は、まるでどこかの国の名前を冠した大学のアメリカンフットボール部責任者にそっくりである。危機管理がまるでなっていない。いや、もっとダイレクトに日本の政界にウィーナーのcounterpartを求めるなら、それは宮崎謙介となろう。ゲス不倫+クソ&キモLINEでワイドショーを賑わせたあの男、またはもう少し真面目な方面から言えば、国会議員として育児休業を取ろうとしたことで世間に議論を巻き起こした男、と言えばピンとくる諸兄も多いのではなかろうか。それにしてもNew York Postの見出しの数々よ。”HE’S GOT SOME BALLS”、”HARD TIME!”、”WEINER EXPOSED”、”NAKED TRUTH”などなど。日刊ゲンダイあたりも、権力批判をやるのならもう少しウィットに富む方法でやってほしいと思わされる。

ウィーナーはここから劇的なカムバックを見せ、ニューヨーク市長選に立候補する。ゲイパレードを先導するし、自転車や地下鉄でニューヨークを駆け回り、MBWA(Management By Walking Around)を忠実に実行し、着実に市民の支持を取り付けて行く。またアメリカには”Everybody should be given a second chance.”もしくは”Everybody deserves a second chance.”という格言がある。一度はミスしても、誰もが二度目の機会が与えられてしかるべきだという考え方が一般的なのである。これを忠実に体現したウィーナーは一時は支持率トップに躍り出るも、ここで更なる激震が。ある意味では『女神の見えざる手』に匹敵するような激震である。今度は、モロ出し写真を複数女性に送信していたことがばれてしまったのである。Watergate事件ならぬWeinergate事件である。アホとしか言いようがないのだが、ウィーナーが仮にも許されたのは、前述したような、再起を歓迎するアメリカ的な考え方と、それ以上に妻による赦しがあったからだ。この妻こそ、フーマ・アベディンその人で、ヒラリー・クリントンの国務長官時代から大統領選挙運動に至るまでの右腕であった人物である。言うまでもなくヒラリーの夫はビル・クリントン元大統領であり、そのヒラリーも夫がモニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」を持ったことを赦した(というか揉み消しに走った)ことで知られている。ただし、二度目は無い。二度目は無いのである。

Jovianは十数年前、衆議院議員の伊藤達也(自民党)とソフトボールをしたことがある。その時に印象的だったのが、めちゃくちゃフレンドリーな人であると印象付けようと頑張っているところと、バックネット裏で地元有力者に説教を喰らってペコペコしていた姿である。普通、政治家は地元の有権者、それも有力者にはへいこらするものだ。しかし、ウィーナーは、失うものの無い強みか、市民にも平気で論戦を吹っかける。妻がアラブ系であることを揶揄した男に詰め寄る様、自分を否定しても構わないが、支持者まで否定するなと一喝する様は圧倒的である。この時からウィーナーはエスニック・マイノリティの支持を集め始めたようだ。

結果としてウィーナーは落選するのだが、彼という存在は我々に様々な問いを突き付けてくる。現在の日本の政治状況に絡めて言うなら、「個人の性的な嗜好と個人の能力には関連があるのか」、「性的な志向と個人の存在意義に関連があるのか」などの問いが即座に思い浮かぶ。杉田水脈なる人格・識見ともに政治家として劣るとしか思えない人物の妄言を放置する政権与党の姿勢に、彼ら彼女らが創り出そうとする『美しい国』の正体が透けて見える。もちろん、そんな大袈裟に考えることなく、「あちらのメディアはたくましいなあ」、「ニューヨークには色んな人種や性的マイノリティがいるなあ」などの感想を持つだけでも良い。この男の姿を一面からだけ捉えようとすれば、それだけで失敗であろう。選挙ドキュメンタリーとしても楽しめるし、人生訓にもなりうる。2013年の選挙のことであるが、古さを全く失っていない。いつ見ても発見がある作品に仕上がっていると言える。特に、スキャンダル続出の自民党や財務省、文科省のお歴々に是非とも観てほしい作品に仕上がっている。本音でそう思っている。なぜならウィーナーは本当に懲りない男だからだ。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アンソニー・ウィーナー, ドキュメンタリー, フーマ・アベディン, 監督:エリース・スタインバーク, 監督:ジョシュ・クリーグマン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』 -どこかの国の政治家および官僚は絶対に観るべき作品-

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