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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ジャレッド・レト

『 モービウス 』 -二番煎じのオンパレード-

Posted on 2023年1月28日 by cool-jupiter

モービウス 35点
2023年1月28日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:ジャレッド・レト マット・スミス アドリア・アルホナ
監督:ダニエル・エスピノーサ

 

劇場公開時にはスルーした作品。近所のTSUTAYAで準新作になったので、クーポン使用でレンタル。

あらすじ

天才医師マイケル・モービウス(ジャレッド・レト)は、自らが患っている血液難病の治療法を探していた。ある時、コウモリの血清を使った治療法を自分自身に試した結果、マイケルは異能の力を授かってしまう。同時に、抑えようのない血液への渇望に苛まされるようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

メインのキャラを演じた俳優たちは皆、ハマっていた。ジャレッド・レトは言うに及ばず、親友かつ宿敵となるマイロを演じたマット・スミスも『 ラストナイト・イン・ソーホー 』同様に、心に闇を抱えたキャラを好演した。

 

マイケルの同僚マルティーヌを演じた女優は美人だなと感じた。

 

ネガティブ・サイド

何もかもに既視感を覚えた。キャラもそうだし、ストーリーもそう。オリジナリティが決定的に欠如している。

 

ヴィランと見せかけてヒーローでした、は既に『 ヴェノム 』でやったこと。さらに主人公に立ちはだかるヴィランが主人公と同じパワーを持っているという筋立ても『 インクレディブル・ハルク 』以来、使い古されたプロット。幼い患者を救おうと結成を投与したらヴィランになってしまった。倒すためではなく止めるため、または元に戻して別の治療を施すために自らも結成を投与して患者であった少女と対峙する・・・のようなストーリーなら相当にドラマが盛り上がるはずなのだが。

 

マイケルとマイロのバトルも、まるでファンタビを観ているかのよう。コウモリがバトルをするのかどうかは知らないが、エコーロケーションによって死角からの攻撃も交わしてしまう、あるいは暗闇でも闘えるといった、コウモリらしさが感じられなかった。

 

血の臭いにすこぶる敏感になっていたマイケルだが、街中に出たら混乱するのでは?ちょっと下品かもしれないが、雑踏の中には「現在、生理中です」という女性などいくらでもいただろう。そうした臭いに反応してしまってもすぐに自制できる。しかし、マルティーヌの血の臭いには抗いがたい何かがある・・・といった描写をほんの少し入れてくれれば、それだけでマイケルが一気に人間臭くなり、感情移入しやすくなったと思う。

 

総評

近年のMCUの傾向を中耳になぞるかのように、一つの映画が一つの長大なインフォマーシャルになってしまっている。エンディングのカットシーンを観ても、もはや興奮できない。義理で鑑賞しているように感じ始めたMCUだが、あと1~2年で劇場鑑賞から離脱するのが吉かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

work

上手く行く、の意。劇中では It worked. = 実験が成功したわ、のように使われていた。日本語でも「このプランは本当にワークするのか?」のように、一部の業界人は日常的に使っているのではないか。しばしば work like a charm = 魔法のように上手く行く = 実に上手く行く、見事に効く、という形で使われる。英会話中級者なら耳にしたことはある表現だろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 そして僕は途方に暮れる 』
『 ヒトラーのための虐殺会議 』
『 エンドロールの続き 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, アクション, アドリア・アルホナ, アメリカ, ジャレッド・レト, マット・スミス, 監督:ダニエル・エスピノーサ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 モービウス 』 -二番煎じのオンパレード-

『 リトル・シングス 』 -中途半端なサスペンス-

Posted on 2022年2月11日 by cool-jupiter

リトル・シングス 50点
2022年2月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:デンゼル・ワシントン ラミ・マレック ジャレッド・レト
監督:ジョン・リー・ハンコック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220211214215j:plain

『 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ 』のジョン・リー・ハンコックの監督作にして、『 ボヘミアン・ラプソディ 』でスターの仲間入りを果たしたラミ・マレック、大御所デンゼル・ワシントン、超実力派ジャレッド・レトのそろい踏み。しかし、サスペンスもミステリも中途半端だった。

 

あらすじ

保安官代理のディーコン(デンゼル・ワシントン)は、古巣のLAに出張するが、そこで連続殺人事件の捜査に加わることになる。捜査の陣頭に立つバクスター(ラミ・マレック)は、厄介者扱いされるディーコンの力量を認め、良きパートナーになっていく。そして、容疑者としてスパルマ(ジャレッド・レト)が浮上してくるが・・・

 

ポジティブ・サイド

デンゼル・ワシントンの好演が光る。2010年代以降では絶滅危惧種、あるいは絶滅種になってしまったであろう古いタイプの警察。ハイテクや高度な犯罪心理学の知識ではなく、自らの観察眼と直感に忠実な、ある意味で極めて日本的な警察とも言える。そういう意味では、非常に感情移入しやすいキャラクターだった。落ち着いた物腰の中に垣間見えるハンターの目が印象的で、今後は中年以降のクリント・イーストウッドのように、アクションではなく、オーラで役者をやっていくのだろう。

 

相棒となるラミ・マレックも正義の執行に執念を燃やすタイプの刑事で、敏腕ではあるが、いわゆる鼻持ちならないインテリの刑事ではない。なので、こちらのキャラクターの思考や心情も、観ている側に伝わりやすいし、マレック自身の目線の演技がさらにそれを助けている。ラストで見せる非常に虚ろな目が特に味わい深い。

 

ジャレッド・レトはいつ見ても普通ではない役を演じていて、きっと本人もノリノリなのだろう。サイコパス的な不気味さと犯罪・警察マニアという皮相さが絶妙にブレンドされて、限りなく怪しいけれど、しかしマニアが調子こいているだけかもしれないという、gray area を極めて強く印象付ける。こういう虚々実々の役作りにおいては、存命俳優の中ではトップクラスだろう。クライマックスでラミ・マレックと対峙した時、徐々に力関係が逆転していく様子は見応えがあった。

 

捜査の過程で事件の謎だけではなく、ディーコン自身がLAで厄介者になってしまった経緯も徐々に明らかになっていく。そして今回の事件の真相(と言っていいのかどうか・・・)を知ることで、原題の The Little Things が巧妙なダブルミーニングになっていることに気付く。ステイホームの週末の時間つぶしにちょうどいい作品かもしれない。

 

ネガティブ・サイド

何というか、脚本に力がない。『 セブン 』や『 羊たちの沈黙 』、『 チェイサー 』や『 殺人の追憶 』のようなサスペンスを生み出すポテンシャルがありながら、その可能性を追求せず、スターをキャスティングすることで満足してしまったように思える。

 

冒頭、不穏さが充満するクルマの追走シーンで、殺人の過程を描かないのは別に構わない。匂わせるだけの方が効果的な場合もあるからだ。ただ、本作はあまりにも匂わせるだけのシーンが多すぎる。『 セブン 』にあったような陰惨極まりない事件現場や、『 羊たちの沈黙 』で描かれたような残虐シーンがない。ディークとバクスターが犯人を追いかけていく様には『 チェイサー 』のキム・ユンソクのような執念が感じられなかった。特にバクスターの方は、何が彼をそこまで駆り立てるのかについての描写が明らかに不足していた。単なる正義感では説明がつかないし、信仰心でも答えにならない。バクスターの背景が見えてこないことが、ディークと彼のバディ同士としてのバランスが上手く取れていないように映る主要因だったと感じる。

 

この何ともモヤモヤする感じのクライマックスの展開は、悪いとは言わないが、少々物足りない。この容疑者が本当に犯人なのか、それとも犯人ではないのかというモヤモヤ感を楽しむ分野の作品には『 殺人の追憶 』といった傑作があるので、どうしても比較対象になってしまう。

 

本作の脚本上の弱点は、テーマがぼやけてしまっている点にあると思う。The Little things = 小さなこと(それは時に文字通りの小物であったり、あるいはちょっとした言動だったりする)へのフォーカスが弱い。どちらかというと、警察が職務外でもどれだけ警察官たりえるのか、あるいは警察がその私人性を突かれた時にどれだけ警察でいられるのか、といったテーマの方が色濃くにじみ出ていた。そういった意味でも『 セブン 』や『 殺人の追憶 』といった先行作品に大きく水をあけられていると感じた。

 

それにしてもラミ・マレックの相棒がジョー・ディーコンというのは笑ってしまう。脚本家またはプロデューサーがQueenのファンなのだろうか。

 

総評

事件そのものに謎やサスペンスを生み出す力は弱いが、逆に言えばあまりにも陰鬱かつ残虐な映画は勘弁・・・という向きに合っているのかもしれない。主演の3人の演技合戦を素直に楽しむべきなのだろう。デンゼル・ワシントンのファンならば、ディークの存在感と人間臭さを堪能するために、観ておいて損はない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get on the fast track for a promotion

「出世街道に乗る」の意。Jovianも初めて聞いた表現だが、これは色々な場面で使えそうに思える。ひとまず自分の職場のネイティブ連中相手に使ってみようと思う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, サスペンス, ジャレッド・レト, デンゼル・ワシントン, ラミ・マレック, 監督:ジョン・リー・ハンコックLeave a Comment on 『 リトル・シングス 』 -中途半端なサスペンス-

『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

Posted on 2022年1月19日 by cool-jupiter

ハウス・オブ・グッチ 70点
2022年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:レディー・ガガ アダム・ドライバー ジャレッド・レト アル・パチーノ
監督:リドリー・スコット

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220119213716j:plain

年老いてなお意気軒高なリドリー・スコット御大の作品。『 ゲティ家の身代金 』のクオリティを期待してチケットを購入。

 

あらすじ

パトリツィア(レディー・ガガ)は、マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)。マウリツィオの叔父のアルド(アル・パチーノ)の手引きもあり、一時は義絶されていたグッチ家に復帰する。幸せな時を過ごすパトリツィア達だったが、ある時、グッチの鞄のフェイクを発見したことをパトリツィアがアルドとマウリツィオの耳に入れて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220119213731j:plain

ポジティブ・サイド

グッチと言えば鞄、というぐらいは知っている。逆にそれぐらいしか知らない。Jovianはそうであるし、それぐらいの予備知識で本作を鑑賞する層が最も多いのではないだろうか。心配ご無用。グッチの製品およびグッチ家のあれやこれやを全く知らなくても、一種の緊張感ある歴史サスペンスとして充分に楽しむことができる。

 

『 アリー / スター誕生 』以来のレディー・ガガの演技が光っている。基本的には、純朴な田舎娘が大きな野心を抱くようになり・・・というキャラクターという意味では同じだが、明らかに演技力が向上している。パトリツィアの目が、野望はもちろんのこと、怒りや悲しみまでもを雄弁に物語っていた。

 

対するアダム・ドライバーも、純朴な青年から、人好きはするが暗愚な経営者までを幅広く好演。演技ボキャブラリーの豊富さをあらためて証明した。マウリツィオ・グッチの人生を客観的に見れば、女性を見る目のないボンクラ2世なのだが、アダム・ドライバーが演じることで、どこか憎めないキャラクターになった。

 

対照的にどこからどう見てもボンクラだったのが、アルドの息子でマウリツィオのいとこであるパオロ。ジャレッド・レトが演じていることに全く気付かなかった。『 最後の決闘裁判 』でもベン・アフレックが嫌味な領主を演じていることに気が付かなかったが、今回のレトのメイクアップと演技はそれを遥かに超える。大志を抱く無能というコミカルにして悲劇的なキャラをけれんみたっぷりに演じている。この男にドメニコのような腹心・耳目・爪牙となるような側近がいなかったのは、幸運だったのか不運だったのか。

 

20年に亘るグッチ家およびグッチという企業の転落および復活の内幕を、必要最低限の登場人物で濃密に描き切る。2時間半超の大部の作品だが、パトリツィアの野心の発露とマウリツィオの心変わりに至る過程がじっくりと描かれていて、観る側を決して飽きさせない。イタリアはトスカーナ地方の雄大な自然とそこにたたずむ小さな村における人々の生活が色彩豊かに描かれていて、ニューヨークのオフィスやきらびやかなファッション・モデルの世界と鮮やかなコントラストをなしていた。

 

パトリツィアが段々とダークサイドに堕ちていく様がビジュアルによって表現されているのも興味深い。船上でのマウリツィオとのロマンティックなキス、バスタブでの情熱的なキスが、最終的には泥エステとなり、そこは怪しげな占い師との共謀の語らいの場となる。Jovianには正直言って、マウリツィオを殺したいとまで思うパトリツィアの情念が頭では理解できなかった。しかし頭の中ではいつしか石川さゆりの『 天城越え 』が聞こえてきた。「隠しきれない移り香が いつしかあなたにしみついた 誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」というあの名曲である。ここまで来て、リドリー・スコットが本当に描きたかったのは、タイトルになっている「グッチの家」ではなく、パトリツィアという一人の女の底知れない情念だったのではないかと思い至った。そうした目でストーリー全体を思い起こしてみれば、1978年から20年に及ぶ物語が、別の意味を帯びていると感じられた。つまり、グッチ家という特殊な一家の栄光と転落の物語ではなく、パトリツィアというどこにでもいそうな普通の女が傾城の美女=悪女になっていく物語であって、抑圧されてきた女性が男性支配を打破する物語ではない。逆にアホな男どもをある意味で手玉に取っていく物語である。パトリツィアを加害者と見るか、それとも被害者と見るかは意見が分かれるところだろう。パトリツィアが欲しかったのは愛だったのか、それともカネだったのか。

 

Jovianは観終わってから、嫁さんと晩飯を食いながら、本作についてあーだこーだと議論をしたが、男性と女性というだけで見方が変わるのだから面白い。ぜひ異性と鑑賞されたい。そして、パトリツィアなのか、それともマウリツィオなのか、誰に自分を重ね合わせてしまうかを考察するべし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220119213748j:plain

ネガティブ・サイド

中盤に至るまで、BGMを多用しすぎであると感じた。多様なミュージックを流し、そのテイストの移り変わりで時代の変遷を表現しているのだろうが、これはリドリー・スコット御大の本来の手法ではないだろう。

 

グッチの再建に向けての道筋があまりよく見えなかった。気鋭のデザイナーを起用して、ショーでかつての名声を取り戻すという描写だけではなく、いかに品質の良い鞄をプロデュースし、いかにブランドとしての地位を築いてきたのかというビジネスの側面を描かないと、マウリツィオが放漫経営していたという事実が際立ってこない。

 

アル・パチーノ演じるアルドが、イタリア語風にパトリツィアと発音したり英語風にパトリーシャと発音したりするシーンが混在しているが、リドリー・スコットをしてもリテイクをすることができなかったのか。

 

総評

2時間半超の作品であるが、一気に観ることができる良作である。グッチに関する予備知識も必要ない。アホな男と情念に駆られる女という普遍的な構図さえ捉えておけば、重厚なドラマとして堪能することができる。2022年は始まったばかりだが、ジャレッド・レトには私的に年間ベスト助演男優賞を与えたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイントイタリア語レッスン

Come stai

イタリア語で ”How are you?” の意。カタカナで発音を書くと「コメ スタイ」となる。 Ciao や Grazie と一緒にこれぐらいは知っておいてもよいだろう。ちなみに劇中ではアル・パチーノが見事なブロークン・ジャパニーズで、Come staiに近い表現を使っている。結構笑えると同時に、在りし日の好景気の日本の見られ方が分かる、懐かしさを覚えるシーンでもある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, アル・パチーノ, ジャレッド・レト, ヒューマンドラマ, レディー・ガガ, 歴史, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

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