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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: クリント・イーストウッド

『 続・夕陽のガンマン 地獄の決斗 』 -20世紀最高傑作のひとつ-

Posted on 2024年3月31日 by cool-jupiter

続・夕陽のガンマン 地獄の決斗 100点
2024年3月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド イーライ・ウォラック リー・ヴァン・クリーフ
監督:セルジオ・レオーネ

 

『 続・夕陽のガンマン 』の劇場再上映。『 オッペンハイマー 』の劇場公開期間はまだ続くだろうが、本作は今を逃すと一生観られないかもしれない。ということでこちらのチケットを購入。

あらすじ

時はアメリカ南北戦争の最中。賞金稼ぎのブロンディ(クリント・イーストウッド)と賞金首のトゥーコ(イーライ・ウォラック)、そして北軍士官のエンジェル・アイ(リー・ヴァン・クリーフ)の3名は、20万ドルもの大金がどこかに隠されていることを知り、互いに協力し、互いに出し抜きあい、金貨の隠し場所を探っていき・・・

ポジティブ・サイド

キャラ、ストーリー、演出、撮影、音楽など、すべてが完璧。4Kではなく2Kで劇場鑑賞したのも良かったかもしれない。3時間弱もなんのその。うちの親父は十三の映画館で公開当時に観たと言っていたが、同じ経験ができたのは嬉しい。

 

3人のキャラが立っているのが素晴らしい。The Good のブロンディも実は全然良い奴ではないし、The Bad のエンジェル・アイも自分なりの正義を貫く男。卑劣漢(この訳はすごい)のトゥーコの優れたプロフェッショナリズムと隠れた家族愛。この3人は表情だけで物語れるのだ。

 

本作のストーリーや演出がもたらした影響は途轍もなく大きい。観ていて「あ、あの映画のあのシーンはここからインスパイアされたんだな」と感じるシーンが随所にある。最も分かりやすいには、ハン・ソロがグリードをテーブル下から射殺するシーン。あれはエンジェル・アイのオマージュだろう。

 

この時代はフィルム撮影なので、撮ったその場で再生することには色々と制約があったはず。なので、役者もそんなに簡単にNGは出せない。しかし、本作ではロングのワンカットがかなり多用されている。前にも述べたが、トゥーコがガンショップであれこれと吟味するシーンや砂漠でボトルを放り投げて、そのボトルが砂丘の斜面を絶妙に転がっていくシーンなどは、今見ても鳥肌が立つほど素晴らしい。

 

そして何といってもエンニオ・モリコーネの音楽が圧倒的な臨場感と没入感をもたらしている。テーマ音楽の笛の根だけで無限の荒野を前進している気分になれるし、The Ecstacy of Gold を背景にサッドヒル墓地を駆け回るトゥーコはまさに黄金の魔力に憑りつかれた男の欲望の強さ、人間の本能的なものと、一つの旅の終着点にたどり着いた哀愁の両方を感じさせる。決闘シーンの The Trio の雄大さは言わずもがなだが、途中で挿入される『 夕陽のガンマン 』のオルゴールの旋律と、その後に続く銃声の数々、そこに3人の表情を映し出すことで、それぞれが過去に行ってきた決闘の数々を観る側に想起させる。徹底的にビジュアル・ストーリーテリングに徹するセルジオ・レオーネのまさに面目躍如だ。

 

劇場再公開期間中にできるだけ多くの人に鑑賞してほしい。鑑賞後は『 サッドヒルを掘り返せ 』も観てみよう。

 

ネガティブ・サイド

なし。

 

総評

『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』シリーズの大ファンであるJovian妻は『 荒野の用心棒 』は知っていたが、本作は初見。それでもかなり面白いと感じてくれた(第一声が「まあまあやな」だが、これは最大級の賛辞)。『 オズの魔法使 』や『 テルマ&ルイーズ 』を観た時にも感じたが、映画館はもっと名作のリバイバル上映をやっていい。コロナ禍でのジブリ映画の再演が好例。『 風と共に去りぬ 』とか、それこそ『 用心棒 』は、ぜひ大画面と大音響で鑑賞したい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

follow ~ through

~を完遂する、の意。劇中ではエンジェル・アイが When I’m paid, I always follow my job through. = 「報酬を受け取ったら、常に依頼を完遂するのが俺だ」みたいなことを言っていた。テニスやゴルフは打つ前にテイクバックを行い、球を打ち、フォロースルーをしっかり行う。このイメージで覚えよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 オッペンハイマー 』
『 梟ーフクロウー 』
『 12日の殺人 』

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現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, S Rank, イーライ・ウォラック, イタリア, クリント・イーストウッド, スペイン, リー・ヴァン・クリーフ, 監督:セルジオ・レオーネ, 西ドイツ, 西部劇, 配給会社:アーク・フィルムズLeave a Comment on 『 続・夕陽のガンマン 地獄の決斗 』 -20世紀最高傑作のひとつ-

『 サッドヒルを掘り返せ 』 -神話に迫る感動的ドキュメンタリー-

Posted on 2019年3月31日2020年3月23日 by cool-jupiter

サッドヒルを掘り返せ 80点
2019年3月28日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:セルジオ・レオーネ エンニオ・モリコーネ クリント・イーストウッド
監督:ギレルモ・デ・オリベイラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190331013515j:plain

ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアを追い求めて、ついに発見したシュリーマンの気持ちとはこのようなものだったのだろうか。それほどの圧倒的な感動をもたらすドキュメンタリー映画である。本作は映画という芸術媒体の持つ力、その物語性、神話性を追究しようとした野心作でもある。

あらすじ

『 続・夕陽のガンマン 』のクライマックスの決闘の場面となったサッドヒル墓地。撮影から50年になんなんとする時、地元スペインの有志がサッドヒル墓地の復元に乗り出した。彼らはやがてSocial Mediaを通じて、世界中からボランティアを募る。そしてサッドヒルを復元させ、そこでの『 続・夕陽のガンマン 』の上映会を企画する・・・

ポジティブ・サイド

映画製作にまつわるドキュメンタリー映画には、『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』がある。スター・ウォーズ製作者のジョージ・ルーカスとファンの対立、意見の相違に焦点を当てた傑作である。また『 すばらしき映画音楽たち 』も忘れてはならない。ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーといった錚々たる映画音楽家から近現代ロックスターと映画音楽の関わりまでもを描く大作だった。本作もこのような優れた先行ドキュメンタリー作品と同じく、様々な関係者や当事者の声を丁寧に拾い上げ、映画製作の裏のあれやこれやを観る者に教えてくれる。だが、この『 サッドヒルを掘り返せ 』がその他の映画製作ドキュメンタリーと一線を画すのは、ファン達が『 続・夕陽のガンマン 』を神話に類するものとして扱うところである。というと、「スター・ウォーズも充分に神話じゃないか」という声が聞こえてきそうだが、Jovianの意見ではスター・ウォースは「おとぎ話」である。おとぎ話は、当時および各地の社会・文化的な要請から民話に超自然的な要素が加えられたものだと理解してもらえればよい。もしくは、スター・ウォーズは昔話である、もしくはジョージ・ルーカスを作者にした童話と言っても良い。子育て経験のある人なら分かるだろう。子どもは同じ話を繰り返し繰り返し聞くのが好きなのだ。「おじいさんは川へ洗濯に・・・」と言えば、たいていの子どもは不機嫌になって訂正してくる。児童心理学にまで切り込む余裕はないが、新旧スター・ウォーズのファンの対立、旧世代のファンとジョージ・ルーカスの対立の背景にあるのは、童話や昔話への子どものリアクションと本質的には同じなのである。

しかし、本作のファンは子どもではない。彼ら彼女は皆、一人ひとりが、伝説になってしまった物語に確かに描かれた舞台装置を探し求めるという点において、シュリーマンなのだ。スペインの荒野にひっそりと佇立する無数の墓標。それらを復元することに血道を上げることに何の意味があるのか。意味などない。ただただ、その世界に触れたい。その世界に浸りたい。自分という存在を確かに形作ってくれたものを自分でも形作りたい。それは生命の在り方と不思議なフラクタルを為す。『 続・夕陽のガンマン 』は、そのストーリーやキャラクター、映像美やその音楽の圧倒的なインパクト故に、何かを足したり、もしくは引いたりする必要が一切ない。それは神話である。ディズニーが、機は熟したとばかりに、次から次へと昔話やおとぎ話を実写映画化しているが、そこには必ずと言っていいほど現代的な読み変えが行われている。それは『 くるみ割り人形と秘密の王国 』でも指摘したようなフェミニスト・セオリーであることが多い。物語をその都度、作り変えていくのはディズニーだけではない。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ったことがある人もない人も、ユニバーサル・スタジオは元々はフランケンシュタインの怪物やドラキュラ、狼男、透明人間などのおとぎ話や昔話を現代風に作り変えてきたということは知っているだろう。USJはゴジラやドラクエやモンハンまで取り込んで、最早何が何だか分からないテーマパークになっている。ディズニーもテーマパークを持っている。しかし、本作に登場する市井の人々はサッドヒルのテーマパーク化を一切望まない。それは繰り返すが『 続・夕陽のガンマン 』が神話だからである。キリスト教徒が創世記を書き変えたいと思うだろうか。作中で、ブロンディ(および『 荒野の用心棒 』のジョーと『 夕陽のガンマン 』のモンコ)の身に着けていたポンチョが、トリノの聖骸布=The Shroud of Turinの如く扱われているというエピソードも、このことを裏付けている。この信仰にも近い彼ら彼女らの純粋な想い故に、スペインの大地に神が舞い降りる瞬間のエクスタシーは筆舌に尽くしがたいものがある。Jovianは、「人生で最高の10分間だった」と振り返るシーン、神が降臨するシーン、そしてエンドクレジットでそれぞれ大粒の涙を流してしまった。何がこれほど人の心を揺さぶるのか。それを是非、劇場でお確かめ頂きたいと思う。

ネガティブ・サイド

『 続・夕陽のガンマン 』の一瞬一瞬を切り取るだけで絵になるのだから、変に静止画をいじくって動かしたりする必要は無かった。

また、セルジオ・レオーネやエンニオ・モリコーネのインタビュー映像があるにもかかわらず、イーライ・ウォラックやリー・ヴァン・クリーフのそれが無いのは何故だ。無いはずがないだろう。それとも編集で泣く泣く削ったとでも言うのか。とうてい承服しがたいことだ。

総評

異色のドキュメンタリーである。インディ・ジョーンズに憧れて鞭を振るったり、ジェダイに憧れてチャンバラに興じるのではなく、ただただ墓地を復元したいという人々の物語が何故これほど観る者の心を激しく揺さぶるのか。きっとそれが生きるということだからだろう。Ars longa, vita brevis. 芸術は長く人生は短い。Art is never finished, only abandoned. レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉とされる。けれど、もしもうち捨てられた芸術の復活に関わることができれば、神話を追体験できるのだ。そのような人々の生き様をその目に焼き付けることができる映画ファンは、きっと果報者である。

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Posted in 映画, 海外Tagged :ギレルモ・デ・オリベイラ, 2010年代, A Rank, エンニオ・モリコーネ, クリント・イーストウッド, スペイン, セルジオ・レオーネ, ドキュメンタリー, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:ハークLeave a Comment on 『 サッドヒルを掘り返せ 』 -神話に迫る感動的ドキュメンタリー-

『 続・夕陽のガンマン 』 -20世紀の映画の最高傑作のひとつ-

Posted on 2019年3月28日2020年1月9日 by cool-jupiter

続・夕陽のガンマン 95点
2019年3月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド リー・ヴァン・クリーフ イーライ・ウォラック
監督:セルジオ・レオーネ

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 これは西部劇という枠を超えた、20世紀の映画の一つの到達点である。映像と音楽の幸福なる結婚、役者と演技の完璧なシンクロ。Timeless Agelss Classicである。いかなる西部劇が今後生み出されても、本作を超えることはできないだろう。

あらすじ 

時はアメリカ南北戦争の最中。賞金稼ぎのブロンディ(クリント・イーストウッド)と賞金首のトゥーコ(イーライ・ウォラック)、そして北軍士官のエンジェル・アイ(リー・ヴァン・クリーフ)の3名は、20万ドルもの大金がどこかに隠されていることを知り、互いに協力し、互いに出しぬき合い、金貨の隠し場所を探っていき・・・

ポジティブ・サイド

本作の進行はビジュアル・ストーリーテリングの極致である。最初の10分、およびラストの10分(厳密にはエンディング直前に叫び声があるが)に台詞がないのである。だが、それで充分に話が通じるのだ(キャラ紹介のために文字がスーパーインポーズされるが、これぐらいは大目に見よう)。これは実験的にこのような作りにしたのではなく、全編を通じてのセルジオ・レオーネの作家性の発露と捉えるべきだろう。映像によって物語を語らしめる。それこそが映画の基本にして究極の技法なのだが、本作では全編通じて台詞が非常に少ない。一番ペラペラしゃべるのはThe Uglyのトゥーコで、The GoodのブロンディやThe Badのエンジェル・アイはぼそぼそと話すことはあれど、むしろ表情、目の動き、立ち居振る舞いで自己表現している。このあたりは『 荒野の用心棒 』、『 夕陽のガンマン 』にも共通していたが、それがさらに洗練されたと言える。劇中のとあるシーンでのトゥーコの台詞、“When you have to shoot, shoot. Don’t talk.”は至言であろう。映画製作者たる者、この台詞を胸に刻まぬこと無かれ。Shootには「撃つ」という意味に加えて、「撮影する」という意味もあるのだ。

セルジオ・レオーネ監督は絵コンテを作らなかったと言われているが、どうやって数々のシーンを構想し、それを一発で撮影したのだろうか。汽車から飛び降りるシーンや手錠を切るシーン、さらにブロンディが砂の斜面を転げ落ちるシーンに、トゥーコがそこに瓶を転がしてブロンディにぶつけるシーンなどは、リハーサルなどできるものではないだろう。仮に何度も練習できたとしても、莫大な時間と労力が必要だっただろう。全てのシーンが絵になると称賛される本作であるが、その芸術性は元より、そうした絵作りの裏にあった労苦はどれほどのものだっただろうか。裏方さんたち及び俳優陣には相当にきついものだったろう。特に、南北戦争シーンでは大量の火薬を使用。結構危ない距離で大砲の弾が着弾するようなシーンがそこかしこにあり、しかもそれがワンテイクで近距離と遠距離、画面の奥深くでも煙が上がり、兵士が吹っ飛ぶのである。撮影当時のスペイン・フランコ軍事政権から兵士1000名を借りてきたということだが、軍隊同士の容赦ない火力がぶつかりあうシーンは、時代も手法も全く異なるが、迫真性において『 ハクソー・リッジ 』にも負けていない。橋を爆破するシーンでは本当にレンガ大の岩が猛スピードでカメラ手前に弾着する。塹壕に身を隠していたのは替え玉だったというから、もう何と言うか・・・

本作の素晴らしさは、そうしたマスの部分だけではなく、ディテールにも宿る。象徴的なのは、トゥーコが武器屋で銃を調達するシーン。まず銃の質感が良い。Jovianは2003年にロサンゼルスを旅行した時に、実弾を何発か撃ったことがある。その時の銃の重み。それを思い出した。木の台に銃身を置いた時の「ゴトリ」、「ガチャ」という擬音語。邦画が毎回疎かにするシーンである。例えば『 アウトレイジ 』で椎名桔平演じる水野が、逃亡前に調達した銃をテーブルに置く時のカチャ、コト、というしょぼい音が思い出される(『 アウトレイジ 』そのものは佳作である)。トゥーコが色々な銃の色々なパーツをあれこれと吟味するシーンに、我々はこの男がただの醜い男なのではなく、立派な賞金首であり、腕利きのガンマンであり、自分の商売道具に一方ならぬ知識と執着を持った仕事人であることを知る。イーライ・ウォラック会心の演技であろう。それはトゥーコがブロンディを追跡する際の煙草を拾い上げて吸うシーンで頂点に達する。役者の演技と監督の意図する絵作り、ストーリーテリングが完璧に一致した瞬間の一つである。

リー・ヴァン・クリーフ演じるエンジェル・アイにも、どれほどの称賛を贈っても贈り足りない。『 夕陽のガンマン 』の弱点というか、観る者の期待を裏切ったところに、一流のプロフェッショナル同士が闘うと一体どうなるのかということを、最後まで追求しなかったところである。クリーフの眼光炯炯たる目つき、顔つきは元々悪玉のそれに近い。その悪玉っぷりが存分に味わえることで、ドル箱シリーズファンのストレスも本作で一挙に解消される。

クリント・イーストウッド演じるブロンディは最初はトレンチコート姿で登場するが、物語の終盤に無言のうちに、The Good=善玉であることを証明するシーンがある。そこでのブロンディの変身は鳥肌ものである。馬さばき、射撃、煙草をつねにくゆらせるダンディズム、それら全ても、この瞬間を成立させるための小道具だったのかと思われた。この瞬間に我々は思い知る。「 この世には2種類の人間がいる。クリント・イーストウッドに痺れる者と、クリント・イーストウッドにこれから痺れる者だ」と。

クライマックスは映像と音楽と迫真の演技に圧倒されるばかりである。ブロンディの薄い切れ長の目とエンジェル・アイの射抜くような目、そしてトゥーコのぎょろ目が交錯し、互いが互いを視線だけで制し合うこの緊張感は、あらゆる映画体験の中でもトップであろう。エンニオ・モリコーネの ”The Trio” は20世の映画サントラの最高傑作のひとつであると評しても異論は出まい。もちろん、“The Ecstasy of Gold”もその一つである。

ネガティブ・サイド

強いて挙げるとするなら、メッセージ性の弱さだろうか。北軍所属のエンジェル・アイが悪玉であるのは分かりやすいが、それは軍事力批判というよりも、内戦批判だろうか。暴力を礼賛するわけではないが、決して否定はしない。法を無視するわけではないが、自らが自らに課したルールの方を重んじる、そうした強かな個の在り様が入り乱れる様は、善だ悪だと一緒くたにはできない。だからこそ、最後の最後の叫び声なのだろう。強いて挙げれば、原題が弱いのかもしれない。

総評 

これは傑作中の傑作である。20世紀最高の映画のひとつであると勝手に宣言させてもらう。おそらく世界にはこの意見に賛同してくれる人が一千万のオーダーで存在するはずだ。もうこの映画を観終わった瞬間の放心状態よ。気がついた時にはサントラを自分用に編集していた。本作は映像の面でも音楽の面でもキャラクターの面でも、世界中のあらゆる表現媒体に影響を及ぼしたと言っても過言ではない。我々は今後もこのような古典的名作を語り継いでいかなければならない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, S Rank, イーライ・ウォラック, イタリア, クリント・イーストウッド, リー・ヴァン・クリーフ, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:ユナイトLeave a Comment on 『 続・夕陽のガンマン 』 -20世紀の映画の最高傑作のひとつ-

『 夕陽のガンマン 』 -マカロニ・ウェスタンの傑作-

Posted on 2019年3月25日2020年4月26日 by cool-jupiter

夕陽のガンマン 80点
2019年3月21日 レンタルDVD
出演:クリント・イーストウッド リー・ヴァン・クリーフ
監督:セルジオ・レオーネ

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クリント・イーストウッドとリー・ヴァン・クリーフの立ち居振る舞い、会話、銃撃。もうこの二人の存在感だけで満足できる。小学3年生ぐらいの時に、やはり親父と一緒にVHSで観た記憶がある。その頃はストーリーがほとんど分かっていなかった。それでもイーストウッドが帽子を何度も何度も銃で弾き飛ばすシーンは強烈な印象を幼心に残した。

あらすじ

賞金稼ぎのモーティマー大佐(リー・ヴァン・クリーフ)と、同じく賞金稼ぎのモンコ(クリント・イーストウッド)は、協力して賞金首の集団、インディオ一味を一網打尽にし、賞金を山分けすることに同意する。インディオ一味を内部から撹乱するために、モンコは一味に加わるが・・・

ポジティブ・サイド

本作も『 荒野の用心棒 』と並ぶマカロニ・ウェスタンの傑作である。のみならず、映画的技法においても最高峰であろう。ナレーションもなく、不必要に説明的な台詞をだらだらと喋るキャラもいない。ほんのちょっとしたショットの構図、キャラの表情や動きで、背景にあるストーリーやキャラの思考や感情が伝わる。冒頭のリー・ヴァン・クリーフの登場シーンと決闘シーンは象徴的である。牧師にしては鋭すぎる眼光、歴戦の強者に特有の話しぶり、そして彼我の獲物の射程距離を完全に把握した上での、余裕のある決闘シーン。演技と映像による語り、ビジュアル・ストーリーテリングの教科書に絶対に記載されなくてはならない場面である。

エンニオ・モリコーネの音楽についても触れないわけにはいかない。『 荒野の用心棒 』と同じく、乾いた大地と奥行きのある空を想起させるメロディラインに、火薬と血の臭いを感じさせる低音ヴォーカル、そして孤高の賞金稼ぎのシルエットをまぶたの裏に否応なく浮かび上がらせてくる口笛の旋律。エンニオ・モリコーネは、ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーに肩を並べる作曲家と評しても異論は出ないだろう。邦画の世界における伊福部昭か、それとも武満徹にも例えられるべき存在である。

クライマックスの決闘シーンのオルゴールの音色は永遠にも感じられる。この音楽が鳴りやんで欲しくない、と強く願ったが、それは『 ボヘミアン・ラプソディ 』における“We are the champions”について感じた気持ちと全く同質のものだった。これが鳴り終われば、この男の命の火が消えてしまう、という。

クリント・イーストウッドの変わらぬ存在感と、リー・ヴァン・クリーフの、ある意味での主役以上の存在感が、本作を傑作にしている。劇画『 ゴルゴ13 』の中には、プロがプロに依頼をする、またはプロがプロと共闘する話があるが、そうしたエピソードの源泉は本作にあったとしても不思議ではない。いや、本作のように銃で会話をするという技法を、漫画原作のなんちゃってコメディ映画の『 ルパン三世 』(監督:北村龍平 主演:小栗旬)が取り入れている(ルパンが五右衛門の銃を撃つシーン)ということが、本作が世界中の映画製作者に有形無形の巨大な影響を及ぼした証左ではあるまいか。一言、Timeless Classicである。

ネガティブ・サイド

モーティマーがインディオ一味を追う動機がなかなか明かされないことで、物語のトーンが安定しない。具体的には、この男が敵なのか味方なのか、観ている側が疑心暗鬼になってしまう。Jovianは彼の登場の仕方、その目つき、顔つきからして、「ははあ、こいつが今作のイーストウッドの敵役だな」と早合点してしまった。

銃撃によるコミュニケーションは痺れるほどにクールだが、果実を取ろうとする少年を助けるために、あそこまで撃ちまくる必要はあるのか。ちょっと手元が狂った、または少年が思わぬ動きをしてしまえば、過失致死傷害罪で自分が賞金首になってしまうだろう。

また、名シーンであるはずの帽子を撃ち続けるシーンを経ても、帽子にキズひとつ、穴ひとつ見当たらないのはどういうわけなのだ。小学生の時から持ち続けていた鮮烈な記憶が、少し怪我されてしまったようにすら感じた。血を一滴も流さない死体なども、せっかくのテーマ音楽のノイズになってしまっている。

総評

弱点は抱えていても、それを上回る面白さがある。また、西部劇という枠だけに括られない、バディムービーであり、ロードムービーでもある。クリント・イーストウッドの渋すぎる演技とリー・ヴァン・クリーフの存在感、モリコーネの音楽とレオーネによる監督術の全てが高次元で融合した傑作である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, A Rank, イタリア, クリント・イーストウッド, リー・ヴァン・クリーフ, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:UALeave a Comment on 『 夕陽のガンマン 』 -マカロニ・ウェスタンの傑作-

『 荒野の用心棒 』 -マカロニ・ウェスタンの記念碑的作品-

Posted on 2019年3月23日2020年1月9日 by cool-jupiter

荒野の用心棒 75点
2019年3月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド
監督:セルジオ・レオーネ

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言わずと知れた黒澤明監督の『 用心棒 』のリメイクである。無許可での制作だったというが、そういう時代だったのだ。日本漫画界の巨匠、手塚治虫の『 ジャングル大帝 』もディズニーの『 ライオンキング 』に無断で換骨奪胎される時代だったのだ。

あらすじ

ニュー・メキシコの集落にある男がやって来た。その男はジョー(クリント・イーストウッド)。集落はロホス兄弟とバクスターの二つの勢力によって二分されていたが、ジョーは早撃ちであっという間にバクスターの手下たちを撃ち殺し、ロホス兄弟に与するのだが・・・

ポジティブ・サイド

エンニオ・モリコーネの音楽。これだけで荒野の光景がこの目に浮かぶ。彼の音楽では『 続・夕陽のガンマン 』の“The Good, The Bad and The Ugly”が最も有名なのは間違いないだろうが、恐らく“さすらいの口笛”もサントラとしての完成度では負けていない。音楽だけで物語を紡ぎ出せる、ビジュアル・ストーリーテリングならぬオーディオ・ストーリー・テリングである。これほどのインパクトある映画音楽はニーノ・ロータの音楽で彩られる『 ロミオとジュリエット 』、そしてビル・コンティの“Going The Distance”、“Gonna Fly Now”、そして“The Final Bell”で十全に語り尽される『 ロッキー 』ぐらいであろうか。『 炎のランナー 』の“Vangelis”も加えても良いかもしれない。

役者に目を移せば、クリント・イーストウッド! 馬に乗り、荒野を巡り、ポンチョを羽織り、帽子を目深にかぶり、常に煙草をくゆらせる孤高のガンマン。架空のキャラクターにこれほどの血肉を与えた例を他に知らない。強いて挙げるなら、『 帝都物語 』の魔人・加藤保憲を具現化した嶋田久作と、ハリソン・フォード演じる『 スター・ウォーズ 』のハン・ソロぐらいだろうか。

本作が後世の映画に与えた影響の巨大さについてはどれほどの文字数を費やしても足りることは無い。冒頭でジョーが訪れる酒場がCantina=カンティーナなのである。つまり、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』でベン・ケノービとルーク・スカイウォーカーがハン・ソロとチューバッカと出会う場所なのである。そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 』のマーティとビフの決闘。その元ネタがここにある。そして、撃たれた男が二階(というか、高いところ)から転落するクリシェ。この元ネタもここにあるのだ。

『 用心棒 』も大昔、親父と一緒にVHSで観た記憶がある。そちらもいつかレビューしたい。

ネガティブ・サイド 

細部にリアリティを欠く面をどう評価するかは難しい。それでも、ジョーの早撃ちシーンの銃の焦点が微妙に合っていないところや、しこたま痛めつけられたジョーが何とか脱出し、建物の入り口に火をつけるところが、ガソリンでも事前に撒いていたのかというぐらい派手に炎上するのは、やはりリアリズムに欠けるとして減点せねばならない。

また、墓場でのロホス陣営とバクスター陣営の撃ち合いも、いくらなんでも不自然というか、おかしいということに気がつかなければ、それこそおかしい。

後は川べりの騎兵隊を機関銃で全滅させるシーンで、馬がほとんど倒れない。騎乗している役者が、自分が倒れる時に、上手に馬にも倒れてもらうようにすべきだった。そうしてこそ、機関銃の圧倒的な威力と迫力に説得力が生まれたのが。

総評

今の目で見れば、お約束的な展開や腑に落ちない展開のオンパレードである。しかし、それは次代を超えて受け継がれる普遍性とクリシェ、そして時間と共に風化せざるを得ないように分けて考える必要がある。前者の面で評価すれば、本作は間違いなく映画史に刻まれる一本である。クリント・イーストウッドの伝説はここから始まったのだ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, B Rank, イタリア, クリント・イーストウッド, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:東和Leave a Comment on 『 荒野の用心棒 』 -マカロニ・ウェスタンの記念碑的作品-

『 運び屋 』 -実話を脚色した異色のロードムービー-

Posted on 2019年3月23日2020年3月20日 by cool-jupiter

運び屋 75点
2019年3月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー
監督:クリント・イーストウッド

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イチローも引退を決めたようだ。生涯一捕手と今でもサインに書き添えるらしい野村克也の如く、生涯一野球選手を貫いて欲しかったが・・・ そして、ここに生涯一映画人を貫くクリント・イーストウッドがいる。本作の原題は”The Mule”、ラバ、頑固者、麻薬の運び屋などの意味がある。邦題は「 運び屋 」の意を選び取ったようだが、Jovianはクリント・イーストウッドとmuleという言葉の組み合わせに、中学生ぐらいの頃だったか、親父と一緒にVHSで観た『 荒野の用心棒 』を思い浮かべてしまう。果たして本作のイーストウッドは愚直なラバなのか、それとも一筋縄ではいかない凄腕の仕事人なのか。

あらすじ

家庭そっちのけで園芸業に精を出すアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、いつしか事業に失敗し、自宅も差し押さえられてしまった。孫娘の婚約を祝うために訪れた先で、ふとしたことから車を運転するだけで大金が稼げる仕事を紹介される。しかし、それはメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」=muleとなる仕事だった・・・

ポジティブ・サイド

麻薬の運び屋と聞けば、どうしてもダークなイメージを抱く。事実、現米大統領のトランプはメキシコとの間に巨大な壁を建てる構想をまだ諦めてはいないようだ。コロンビアからの麻薬流入に関しては『 エクスペンダブルズ 』が、メキシコからの麻薬の流入に関しては『 ボーダーライン 』と『 ボーダーライン ソルジャーズ・デイ 』で描かれていた。日本でも清原和博、ごく最近ではピエール瀧も薬物使用で御用となっている。麻薬は、種類と使い方に依るようだが、癌性疼痛で「殺してくれ!」と叫ぶほどの苦痛に苛まれる人に適切に投与すると、スタスタと自分の足で歩いて「あ、看護師さん、ちょっとおしっこ行ってきます」と言えるほどなるというのが、知人の看護師さんや医師らから聞く麻薬の使い方である。となれば普通の人間が麻薬を摂取すれば、バカボンのパパとは異なる方向でタリラリラ~ンになってしまうのは理の当然である。そのような麻薬を運ぶ仕事を請け負う爺さんを、何故か応援したくなってしまう。その絶妙な仕掛けとは何か。

アールはまず、単なる枯れた爺さんなどでは決してない。ベトナム戦争にも赴いた古強者で、度胸があり、機転が利き、ユーモアを解する心もあり、社交性も高く、そして適度に外の世界に敵というか、憎まれ口を叩き合うような友人にも恵まれている。ただし、そこに幸せな家族の姿は無い。娘の結婚式よりも仕事を優先させ、妻との記念日も顧みることは無い。そんなアールが仕事を失い、カネも失い、住む家も失った時に手に入れた仕事が運び屋だった。アールはそこで得たカネで人生を一つ一つ取り戻していく。カルテルの手先のチンピラに時には説教をし、時には世俗の歓楽を共に享受する。黒人家族にniggaと爽やかに言い放つ。相手によって態度を変えることなく、自然体を貫く。その姿に観る者は憧憬と尊敬の念を抱く。泰然自若。事において動ぜず、淡々と、しかし楽しみながら仕事に打ち込む姿は、男のあるべき姿ではないだろうか。クリント・イーストウッドの俳優人生の集大成がここにあるとの宣伝文句は誇大広告ではなかった。

そんなアールを追い詰めんとするDEAの捜査官には、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、そして新鋭と言っても良いマイケル・ペーニャ。特にブラッドリー演じる捜査官とイーストウッド演じる運び屋の仕事と人生が交錯する時、我々は人生における仕事の意義を思わず自らに問いかけてしまう。自分は、彼らのうちのどちら側の人間なのだ、と。何気ない日常のワンシーンが非常にサスペンスフルに仕上がっている。映画の世界に没入しながら、冷静に自分というものを考えるという得難い経験をすることができた。

本作はお仕事ムービーであると同時に、ロードトリップを堪能する映画でもある。アールの仕事と共に、数々の往年の名曲が作品世界を彩る。John Denverの“Take Me Home, Country Roads”のように、眼前に雄大な自然、wildernessが浮かび上がるかのような感覚がもたらされる。これは『 グリーンブック 』からも得られた感覚だが、本作はそれが更に顕著である。『 荒野の用心棒 』や『 続・夕陽のガンマン 』といった、若かりし頃のイーストウッドが無窮のアメリカの大地を旅する光景が蘇ってくる(と言っても、決してリアルタイムでそれらを観たわけではないが)。何度でも言うが、これは正にイーストウッドの集大成だ。

ネガティブ・サイド 

終盤のアールと妻の交わす会話に、不意に涙がこぼれた。アールは稼いだ金で人生を取り戻していったわけだが、妻の心を完全に取り戻せてはいなかったからである。これは事実なのだろうか。もしそうなら、仕方がない。しかし劇作上の脚色あるいは創作であるのなら、こんな残酷な話は無い。一部の映画ファンは間違いなくアールの姿に自身を重ね合わせる。アールの生き方に共鳴する。その結果がこれでは・・・ 自分がこれほどショックを受けているということそれ自体が、脚本家からすれば「してやったり」なのかもしれないが・・・

エンディングのショットも個人的には納得がいかない。アールがlate bloomerだったという比喩には受け取りたくない。

そのエンディングにおいて、この物語のインスピレーションの源泉となった事件および人物を、ほんの少しで良いので掘り下げる絵が欲しかった。『 ボヘミアン・ラプソディ 』のように、ピークのその後をほんの少しで良いので描写してほしかったものである。

総評

これは傑作である。クリント・イーストウッドファンのみならず、コアであろうがライトであろうが、あらゆる層の映画ファンに観てもらいたいと思う。特に壮年以降のサラリーマンには刺さるだろうと思われる。もし本作で運び屋家業に興味を持たれた方がいれば、水沢秋生著の『 運び屋 一之瀬英二の事件簿 』をお勧めしたい。仕事とは何かについての考察を深めたいなら、『 きばいやんせ!私 』よりも、こちらの小説の方が面白いし役立つだろう。何より水沢秋生氏はJovianと同郷にして、大学の寮の先輩なのである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, クリント・イーストウッド, サスペンス, ヒューマンドラマ, ブラッドリー・クーパー, 監督:クリント・イーストウッド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 運び屋 』 -実話を脚色した異色のロードムービー-

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