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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

Posted on 2021年1月20日 by cool-jupiter

ミッドナイト・スカイ 60点
2021年1月17日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー フェリシティ・ジョーンズ デヴィッド・オイェロウォ カイル・チャンドラー ケイリン・スプリンゴール
監督:ジョージ・クルーニー

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Netflix作品の劇場公開。『 アイリッシュマン 』や『 シカゴ7裁判 』と同じく、目ざとい劇場が公開してくれたので、チケット購入とあいなった。

 

あらすじ

末期がんを患うオーガスティン・ロフタス(ジョージ・クルーニー)は、地球の滅亡が迫る中、北極の天文台に残ることを決断する。孤独の中で最後の日々を送る中、基地内に一人の物言わぬ少女、アイリスを発見する。ある時、宇宙船アイテルの乗組員サリー(フェリシティ・ジョーンズ)らが地球への帰途にあると知ったオーガスティンは、なんとかそれを阻止しようと交信を試みるが・・・

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ポジティブ・サイド

なんとも静謐な物語である。小説の映画化らしいが、日本なら誰が構想しそうな物語だろうか。『 インターステラー 』のように地球そのものが人類に牙をむいてきた結果として、人類が滅亡に追い込まれるという設定に、何をどうしてもコロナ禍について考えないわけにはいかない。変異種が出現して、それが日本に入ってきたことで、ぼんやりとではあるが、自らの死を意識したという人は少なからずいるのではないか。ウィルスと癌の違いはあれど、本作を通じて我々は最期の日々をどのように過ごすのかをシミュレートしているような気分になる。

 

映像というか、撮影もいい。オーガスティンが独りで基地に暮らす冒頭のシーンの数々は、常に引いた視線から。そして、アイリスとの邂逅を果たしたところからは、常にアイリスとのセットのショット。これはとある意図に基づいたカメラワークであることが後々に判明する。

 

それにしてもアイリスを演じたケイリン・スプリンゴールという少女の存在感よ。台詞を一度しか発さない(それもオーガスティンの想像)にもかかわらず、観る者の目をひきつけてやまない。静と動の切り替えが巧みというか、子どもらしさと子供らしからぬところが同居しているというか。特に目力を感じさせる表情が印象的で、あの顔で見つめられると、たとえジョージ・クルーニーでも心の奥底まで見透かされるような心地になるのではないか。マッケナ・グレイスやジェイコブ・トレンブレイの後継者が現れたと言える。

 

アイテル号のクルーでは、やはりフェリシティ・ジョーンズ演じるサリーの存在感が際立つ。実際に妊婦として撮影に臨んだというから驚きだ。元々、ヒロインというよりはヒーロータイプの役者だったが、本作ではさらに新境地を切り開いた。「女は弱し、されど母は強し」と言われるが、ならば妊婦とはいかなる存在か。命のゆりかごそのもので、まさに死につつある地球を「母なる大地」や「母なる星」とも呼ぶ。そう考えれば、サリーは新天地のイブになるのだろう。

 

地球が滅びゆく原因については明示されないが、“We failed to look after the place while you were away”や“Underground, only temporarily”というようなオーガスティンの台詞から色々と想像をめぐらすのも一興。そうして死に行く中、それでも希望に思いを馳せずにはいられないという人間の業は、それでも美しい。

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ネガティブ・サイド

SFのふりをした人間ドラマではあるが、SF部分をもう少し凝ってほしいもの。原作『 世界の終わりの天文台 』は1950年代または60年代の出版物なのかと思ったら、2010年代発行だった。以下、主に科学的な面からのツッコミ。

 

オーガスティンが極寒の海に放り出されるシーンがある。そこである程度泳ぐのは、まあ納得できないことはない。しかし、その後に氷上に辛くも脱した場面は納得できない。猛吹雪の中、濡れた衣服を着ていれば、あっという間に凍死するだろう。かといって服を脱いでも、すぐに凍死する。どうなっているのだ?まさかこれもhallucinationだとでも言うのか。

 

『 アド・アストラ 』では、海王星まで到達するのが早すぎると感じたが、本作では通信と通信の間隔が短すぎる。電波の速度は光の速度と等しいが、それでも地球とアイテル号の間を行きかうのに数秒、または1分ぐらいかかってもおかしくないはず。そもそも木星の衛星から地球に帰還するまでにクライオ・スリープ技術を使っているのだから、宇宙船の航行速度は光速の数百分の一のはず。なおかつ船員が目覚めたのは地球が目視できない位置(というか、普通の視力の人なら地球の地表からでも木星は目視できるのだが・・・)。ならば通信は、非常にストレスフルになるが、一方がしゃべって1分待つ、返事を1分待つ、などのイライラするような演出を少しでも取り入れるべきだった。途中で通信を途絶させてご都合主義的に復活、宇宙船がどんどん地球に近づいて、タイムラグがなくなったと説明すればよい。というか、天文台からアイテル号の位置を補足しながら、「交信可能になるまで11時間です」って、どういうこっちゃ・・・太陽系内にはミノフスキー粒子が充満しているのか。

 

アイテル号が『 パッセンジャー 』のアヴァロン号にそっくりなのは肯定的に捉えられるが、『 ゼロ・グラビティ 』さながらの浮遊小天体やデブリの爆撃を喰らう演出はもう食傷気味である。というか見飽きた。実際の宇宙は超を何回つけても足りないくらいにスッカスカな空間で、あのような事故など起きない。『 パッセンジャー 』の被弾に説得力があったのは、数十年も航行していたからで、アイテル号はせいぜい数か月だろう。

 

妊婦にEVAを任せるという船長の判断も良く分からない。というか、夫でしょ?父親でしょ?身重の嫁さんを銀河宇宙線が飛び交う宇宙空間に送り出すとは、いったいどういう了見なのだ?

 

ことほどさように科学的な見地(それも素人の)からはツッコミどころ満載であるが、SFのふりをした人間ドラマだと思って鑑賞するのが吉である。

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総評

静かに、しかし力強く愛の力を描いた秀作である。『 インターステラー 』とも共通する点として、愛の力は時に時空すらも易々と超えるという作り手の信念のようなものがある。それを陳腐と見るか、偉大と見るかは人によって意見が分かれるところだろう。そうそう、アイリスが一度だけ言葉を発するシーンがあるが、そこでは字幕ではなく英語の台詞の方に集中してほしい。字幕はネタバレに直結しているからだ。何故こういう訳をしてしまうのか、首をかしげてしまう。普通に「あの人を愛してたの?」で良かったのではないか・・・

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Polaris

SolarisではなくPolaris。意味は「北極星」である。『 ハリエット 』でも、自由の地である北を目指すための“The Guiding Star”として言及されていた。一般的な会話ではThe Pole StarまたはThe Polar Starという形で使われることが多い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, アメリカ, カイル・チャンドラー, ケイリン・スプリンゴール, ジョージ・クルーニー, デヴィッド・オイェロウ, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 監督:ジョージ・クルーニー, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

『 スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち 』 -究極の裏方たち-

Posted on 2021年1月11日 by cool-jupiter

スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち 70点
2021年1月10日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ミシェル・ロドリゲス
監督:エイプリル・ライト

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CG全盛、モーション・キャプチャー全盛の時代とはいえ、誰かがそのアクションを行っているのは間違いない。そのアクション担当のスタントパフォーマー、特にスタントウーマンに着目するという、ありそうでなかったドキュメンタリー作品。なかなかの見ごたえであった。

 

あらすじ

20世紀初頭から現代に至るまでのハリウッド映画におけるスタントウーマンたちの知られざる活躍や苦労、犠牲、そして歴史を、加須多くのスタントウーマンたちのインタビューを通じて、明らかにしていく。

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ポジティブ・サイド

スカーレット・ジョハンソンが妊娠していたため『 キャプテン・アメリカ/ザ・ウィンター・ソルジャー 』のブラック・ウィドウのアクションは全てスタントウーマンによって行われたということが一時期話題になっていたが、ちょっと待て。妊娠していようと妊娠していまいと、アクションはやっぱりスタントウーマンが行っているのだ。今まで当たり前すぎて気が付かなかったことに、本作を通じてやっと思い至った。スタント・パフォーマーというのは究極の裏方で、『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』で元々はスタント・ダブルだったレイ・パークがそのままダース・モールを演じたのは例外中の例外だったのだ。

 

蒙を啓かされたと感じたのは、1900年代や1910年代から、女性がかなり危険なアクションシーンを演じていたということ。当時は当然、フィルム撮影なわけで、テープに限りもあれば、編集作業も現代とは比較にならない大仕事。そんな中で男女を問わず役者本人が危険のあるアクションもこなしていたという歴史的事実は驚き以外の何物でもない。そして、そうした活躍がカネになると知った者たちが、女性からその仕事を奪っていった経緯、そして1970年代のウーマン・リブから今日に至るまで、女性スタント・パフォーマーたちはあらゆる意味で戦い続けているという描写には、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。数多くのスタントウーマンたちの中でもジーニー・エッパー(『 ワンダーウーマン1984 』のラストで一瞬だけ出てきたリンダ・カーターのスタント・ダブル!)が、スタントウーマン組合を設立して、その長に就任したところ、5年も業界から干されたというのは余りにも生々しく、痛々しい。そうした声が30年あまり経って、ようやく聞かれるようになったところに、ハリウッドの闇を感じる。一方で、数々の映画の裏に絶対に存在していたと認識できているはずのスタント・パフォーマーたちの立ち位置について、やはり我々は意識が十分ではなかったのではないかとの思いも強くなる。自分はいったい、画面の向こうに誰を観ていたのか、と。

 

スタントウーマンたちのトレーニング風景は、ハードワークの一語に尽きる。柔道やボクシングなどの格闘技だけではなく、トランポリンや高所からの落下など、デカスロン選手もかくやというトレーニングメニューの数々。さらにはクルマのドライビング・テクニックや武器の扱いまで。これだけのトレーニングを普段から積み続けていることにも素直に驚かされた。『 ベイビー・ドライバー 』のアンセル・エルゴートがひたすら運転の練習をしているというボーナス映像があったが、逆に言うと役者がそれだけアクションを実際に行うのは稀なことだということだろう。

 

スタント時の悲劇についても触れているのは、辛いことではあるものの、この業界のこの仕事のリスクを赤裸々に公開しているという点で評価する。この職に就こうと思う人々の大半は、やはり映画を観てインスパイアされた人が最も多いだろうから。『 バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2 』で時計台に突っ込むはずが柱に激突するシーンは、自宅のレーザーディスクの解説か何かに「事故だった」と書かれていたのを覚えている。そうした危険な仕事であるという負の部分を隠すことなく映し、そして語った本作は、スタント・パフォーマーを志す人々にとってのmust-watch な作品になったと言える。

 

単にスタントをこなすだけではない。その経験を活かして、業界内で更なる地位を得た者の活躍にも触れている。ハリウッドという特異な生態系で、しっかりとサバイバルする女性たちの姿からは多大な勇気を与えられることだろう。

 

ネガティブ・サイド

色々と権利関係がうるさいのかもしれないが、『 チャーリーズ・エンジェル 』や『 ワイルド・スピード 』の実際の劇中のクリップを見せてくれても良いのではないか。彼女たちの活躍がどれくらいカッコいいアクションシーンを作り上げているのかを見せないのであれば、劇場公開する意義は半減する。アクションは大画面、大音響で堪能するべきだからだ。

 

スタントウーマンたちの声を十分に聴くことはできたが、では女優さんたちの声は?たとえばスカーレット・ジョハンソンやハル・ベリー、ブリー・ラーソンなどの彼女らのスタントの直接の恩恵を受けた役者たちの声も聴いてみたいと思うのは当然だ。そうした声が聴けない点は大いに不満である。

 

ドキュメンタリーはインタビュー形式で進むのが常だが、あまりにも取り留めのない構成であると感じた。作品ごとに論じるのは不可能にしても、たとえば1980年代、1990年代、2000年代などと時代ごとに区切るか、あるいは車のスタントなのか、格闘のスタントなのかのように、何らかの形でスタントウーマンたちをカテゴライズした構成にすれば、より分かりやすかったと思われる。

 

総評 

良作である。『 ようこそ映画音響の世界へ 』のように、裏方さんの仕事に光が当たるのは喜ばしいことだ。映画の世界の奥行きがさらに増して見えるようになると思う。今度の対象は、ヘアスタイリストか、それともメイクアップアーティストか。カズ・ヒロのドキュメンタリー作品とか、誰か作ってくれないかな。または『 すばらしき映画音楽たち 』の第2弾。絶対に需要はあると思うのだが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

wrap one’s head around ~

『 ゴーストランドの惨劇 』でも紹介した表現。「~を理解する」の意味。

I finally wrapped my head around the risk of being a stunt performer.
スタント俳優であることをリスクをようやく理解することが出来た。

のように使う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, ドキュメンタリー, ミシェル・ロドリゲス, 歴史, 監督:エイプリル・ライト, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち 』 -究極の裏方たち-

『 ソング・トゥ・ソング 』 -すべては監督と波長が合うかどうか-

Posted on 2021年1月4日 by cool-jupiter

ソング・トゥ・ソング 50点
2021年1月2日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ライアン・ゴズリング マイケル・ファスベンダー ナタリー・ポートマン ルーニー・マーラ
監督:テレンス・マリック

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『 ドント・ウォーリー 』や『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』など、通常とは趣が異なる関係の一方を演じさせれば天下一品の女優。ルーニー・マーラ目当てで鑑賞。ライアン・ゴズリングもカナダ人俳優の中ではJovianのfavorite actorだ。
 

あらすじ

シンガーソングライターのBV(ライアン・ゴズリング)は、辣腕プロデューサーのクック(マイケル・ファスベンダー)と組んで、徐々に頭角を現していく。BVはギタリストのフェイ(ルーニー・マーラ)と恋仲になるが、フェイは以前から秘かにクックと関係を持っていて・・・

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ポジティブ・サイド

ルーニー・マーラとライアン・ゴズリングに加え、マイケル・ファスベンダーとナタリー・ポートマン、そして中盤以降にはケイト・ブランシェット、さらには名のあるスターもさらに数名登場。俳優陣がとにかく豪華だ。俳優たちに加えて、イギーポップらの本物のアーティストも多数登場。彼ら彼女らがコンサートやパーティー。アメリカ各地やメキシコのリゾート地などを巡る画は、どれもこれもが美しい。まるで自分もそのイベントに参加し、旅をしているかのような気分にさせてくれる。

 

彼ら彼女をカメラに収めるはエマニュエル・ルベツキ。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』では全編ワンカットに見える絵を巧みの技で撮り切った。そのルベツキの手腕が今作でも遺憾なく発揮されている。各ショット内の人物と事物のサイズ比や色合いがシネマティックに計算されていて、まるで『 続・夕陽のガンマン 』のようにどのシーンも絵になる、というのは流石に褒めすぎか。それでも、各地の建築や街並み、自然の風景を捉えたショットの数々は目の保養にもってこいである。暗転した劇場の大画面にこそ映える絵だ。

 

アメリカでも日本と同じく、モラトリアムの期間が長くなっているのだろうか。Jovianと同世代であるBVやクックが仕事に精を出すのは当然として、確固とした恋愛観や人生観を持てていないことにどういうわけか安心させられる。ふとした出会いから恋愛面でもビジネス面でもシリアスな人間関係に発展するまでの経過描写が短く、確かに大人になると時間感覚が若い頃よりも格段に速くなるし、仕事も人間関係も深まるのも速ければ冷めるのも速い。そうした青年期以降、壮年期の観客は登場人物とシンクロしやすいだろう。事実、Jovianは最初から最後までライアン・ゴズリング演じるBVに己を重ね合わせていた。出会い、別れ、そして再会する。多くの関係を結んできた、そして多くの関係を壊してしまってきたからこそ、人間関係の本当の機微や価値が分かるようになる。人生の本当の意味や目的が見えるようになる。中年夫婦で観に行くことをお勧めしたい。

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ネガティブ・サイド 

ストーリーはあるにはあるが、とにかく薄い。まるで『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ 』と『 アリー / スター誕生 』を足して5で割ったものから、エロ成分をマイナスしたような作品。いや、一応女性のトップレスが拝めるシーンはあるにはあるが、エロティックでは全然ない(別に脱いでくれた女優さんに他意があるわけではない、念のため)。各シーンの映像美は素晴らしいが、そのシーンに深い意味が認められない。まるで『 フィフティ・シェイズ・フリード 』を観ているようだった。つまり、眠気との勝負である。正直なところ、ルーニー・マーラが小悪魔~魔性の女風の視線や表情を定期的に見せてくれなければ、多分Jovianは2~3回は寝落ちしていたように思う。マーラの魅力に感謝である。

 

タイトルが“Song to song”であるにも関わらず、肝心かなめのキャラクターの心情はナレーションで語ってしまうのはどういう了見なのか。BVがピアノの弾き語りをしながら作曲するシーンが、かろうじて彼の心情を表しているぐらいで、全編これ会話、しかもドラマを盛り上げない雑談で進むとはこれ如何に。テレンス・マリック監督におかれては、映像美にこだわるのもよろしいが、『 はじまりのうた 』や『 カセットテープ・ダイアリーズ 』を観て、音楽で語るとはどういうことかを研究して頂きたいものである。

 

会話劇としても盛り上がりに欠ける。『 TENET テネット 』のような難解極まる会話ではなく、非常にカジュアルな会話、表面的な意味しか持たない言葉のやりとりには、いささか閉口させられた。絞り出すような言葉、丁々発止のやりとりなどはほとんど存在しないので、やはりどれだけキャラクターに自分を重ね合わせられるかが肝になる。老親の介護が現実の問題として迫ってきているというのは30代40代あたりなら我が事のように感じられるだろうが、いかんせんキャラクターの多くが音楽業界でセレブ然とした生活を送っているものだから、やはりシンクロするのは難しい。

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総評

鑑賞して評価するには、かなりの文学的素養が求められると思われる。キャラクターがどれもこれも浮世離れしていて、地に足がついていない。大人の人間関係を描いてはいるが、これを見たままに消化吸収して解釈するには、かなりの映画的ボキャブラリーが必要だ。Jovianはその任に堪えない。英語のレビューをこれから渉猟しようとは思うが、それらを読んで自分の感想が変わるとも思えない。チケット購入を検討中の向きは、娯楽作品ではなく映像芸術だと思われたし。劇場ではなく美術館に赴くようなものと心得られたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take ~ back

~を後ろに持っていく、の意。take back ~ という形でも使われる。テニスや野球をする人なら「テイクバック」という言葉を聞いたことがあるはず。ボールを打つ前にラケットやバットを後ろに引く動作のこと。物体以外にも、コメントや約束を撤回する時にも使われる。

 

The politician never took back her comment regarding LGBT people.

その政治家はLGBTに関する自身のコメントを撤回しなかった。

 

のように使う。take backという句動詞には他にも多様な意味があるが、まずは「後ろに持っていく」、転じて「撤回する」を覚えておこう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ナタリー・ポートマン, マイケル・ファスベンダー, ライアン・ゴズリング, ルーニー・マーラ, 監督:テレンス・マリック, 配給会社:AMGエンタテインメント, 青春Leave a Comment on 『 ソング・トゥ・ソング 』 -すべては監督と波長が合うかどうか-

『 マー サイコパスの狂気の地下室 』 -邦題担当者は切腹せよ-

Posted on 2020年12月27日 by cool-jupiter

マー サイコパスの狂気の地下室 50点
2020年12月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オクタビア・スペンサー ダイアナ・シルヴァーズ
監督:テイト・テイラー

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YouTubeか何かでトレイラーを観て、「たまには頭を使わずサスペンスでも観るか」とTSUTAYAでレンタル。よくよく見ればオクタビア・スペンサーだけではなく『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』の最後の最後でインパクトを残した同級生役のダイアナ・シルヴァーズも出演しているではないか。ホリデーシーズン向けの映画ではないが、パーティーがしづらい今だからこその映画だと割り切って鑑賞した。

 

あらすじ

マギー(ダイアナ・シルヴァーズ)は引っ越し先の学校の友だちと飲み会をすることに。高校生であるため誰か大人に酒を買ってもらおうと、通りがかった女性スー・アン(オクタヴィア・スペンサー)に依頼する。何度か彼女に酒を買ってもらっているうちに、スー・アンは自宅の地下室をパーティー用に貸してくれると言い・・

ポジティブ・サイド

オクタヴィア・スペンサーと言えば『 ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜 』、『 ドリーム 』、『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』、『 シェイプ・オブ・ウォーター 』のような優しいおばさん、強いおばさんのイメージが強かったが、『 ルース・エドガー 』や本作を通じて、キャリアの方向性を少し変えつつあるようである。人好きのするおばさんが徐々に変質していく様は非常にサスペンスフルだった。特に印象に残ったのは、ある抱擁のシーン。これはマギー視点からすれば、震え上がるしかない。オクタビア・スペンサーの円熟の演技力に磨きがかかったと言えるだろう。

 

本作はリベンジ・スリラーに分類される。スー・アンは生まれながらのサイコパスではない点に注意。というか、後天的にサイコパスになったわけでもない。学生時代にトラウマを植え付けられ、片田舎でひっそりと暮らしてきたところに、思いがけず復讐のチャンスが巡ってきたというストーリーである。田舎特有の人間関係が垣間見られ、どこか『 スリー・ビルボード 』を彷彿とさせる。限定的なコミュニティ内では人間関係も限定的になり、それゆえに濃密なものになる。問題はその濃さが人間関係のどういった要素によるものなのかだ。そうした意味で、序盤の酒盛りが警察官に見つかるシーンは、この片田舎のコミュニティの人間関係がきわめて長く、そして強く維持されてることが示唆されていた。

 

他にも最序盤の学校のシーンが終盤の伏線になっていたりと、作り自体は非常にフェアである。マーがマギー達を追い詰めていく反面で、マーも次第に追い詰められていく。Social Mediaを巧みに使い、何かあればすぐにググって対策を練るところも現代的。登場人物の心理描写を極力排して、代わりに具体的な行為を見せることでキャラクターの内面がかえってよく見える。本作には芸術映画要素はなく、徹底して商業映画である。斬新な殺し方もあるので、復讐ものが好きな方はどうぞ。

 

ネガティブ・サイド

マーのリベンジ方法の濃淡に差があるところにが不満である。Motor mouthな女子高生に「え、それやっちゃう?」というお仕置きを加える一方で、黒人少年に対してはpunishにならないpunishmentを与える。やるなら残虐に徹してほしい。

 

全編を通じて、母と娘の物語を紡ぎ出そうとしているのだろうが、そのあたりは盛大に失敗している。マギーと母親の関係性、そしてスー・アンの母性。このあたりからもっとコントラストを利かせたサブ・プロットが生み出せたはず。原題=Ma=母親というからには、子どもとの関係性をもっと追求せねばならない。同じ母親映画にしても『 母なる証明 』や『 MOTHER マザー 』と比較すれば、数段落ちる。

 

もっとスー・アンとパリピ学生以外の視点からの物語も欲しかった。ルーク・エヴァンスはもっと効果的に使えたはず。大人たちからスー・アンに抗議が行くが、当の子ども達が「スー・アンは悪くない!!」と言い張るような展開、『 ミセス・ノイズィ 』のように同じ事象を異なる視点で見つめるというシークエンスがあれば、サスペンスがもっと盛り上がったのにと思う。

 

最後にこれだけは言っておきたい。この邦題はおかしい。これは別に作品の罪ではないが、なぜにこのようなアホな副題をつけるのか。上で挙げた『 ドリーム 』も当初は『 ドリーム 私たちのアポロ計画 』という、イメージ先行かつ史実無視の酷いものだったし、効果間近の『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』も、崖っぷち~の部分は不要だ。映画の宣伝会社や配給会社はもっと日本の映画ファン、さらには日本語話者の国語力を信頼すべきだ。

 

総評

典型的な a rainy day DVDだろう。純粋な娯楽映画で、ここから何かメッセージを受け取ろうなどと思ってはダメ。観終わってから「いやあ、片田舎の人間関係って怖いね」と呟いて、一か月後にはすべて忘れてしまう。そのぐらいのスタンスで観賞すべきだろう。オクタビア・スペンサーのちょっと怖い演技を堪能して、ダイアナ・シルヴァーズで目の保養をする映画だと割り切るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Ma

「母」の意味。呼びかけで使う。Mama, Mommy, Momなどがあるが、Maという単純な呼びかけも結構使われる。テレビドラマ『 リゾーリ&アイルズ ヒロインたちの捜査線 』でも主人公のジェーンは自分の母親を常に“Ma”と呼んでいた。ちなみにmamaというのは、哺乳類=mammalや乳房X線撮影=mammographyと起源を一にする語である。母とは乳なのだ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, オクタビア・スペンサー, サスペンス, スリラー, ダイアナ・シルヴァーズ, 監督:テイト・テイラーLeave a Comment on 『 マー サイコパスの狂気の地下室 』 -邦題担当者は切腹せよ-

『 ワンダーウーマン 1984 』 -前作よりも少々パワーダウン-

Posted on 2020年12月20日 by cool-jupiter

ワンダーウーマン 1984 70点
2020年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ガル・ガドット クリス・パイン クリステン・ウィグ ペドロ・パスカル
監督:パティ・ジェンキンス

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前作『 ワンダーウーマン 』は傑作だった。微妙な出来だった『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』や『 ジャスティス・リーグ 』でも、ワンダーウーマンの登場シーンは良かった。期待を高めすぎるのは禁物だと分かっていながらも、やはり期待して劇場へ向かった。裏切られたとまでは感じないが、前作の方が面白さはあった。

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あらすじ

スミソニアン博物館で働くダイアナ(ガル・ガドット)は、願いを叶えてくれるという謎めいた石の存在を知る。ダイアナがその石に願うと、本当にスティーブ(クリス・パイン)が復活した。再会を喜ぶ二人だったが、実業家のマックス・ロード(ペドロ・パスカル)とダイアナの同僚バーバラ(クリステン・ウィグ)も石に願いを行っていて・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングからのセミッシラでのアマゾネスたちの競技大会が奮っている。元々は2020年の夏前の公開予定だったので、これは東京五輪を意識していたのだろう。Jovianの勤務先は東京五輪2020のオフィシャルサポーターではあるが、個人的には日本での五輪開催はもう諦めている。そうした意味で、幼少期のダイアナが大人たちとアスレチックを競うシークエンスには I felt redeemed. 青い空と青い海、そして豊かな緑の中を駆け抜けるアマゾネスたちの姿はそれだけで非常にシネマティックだった。

 

ヴィランの設定も悪くない。神が作った石というのも説得力がある。前作のオープニングは、いきなり神々の話だったし。前作が神殺しであれば、本作は人間の弱さにフォーカスしている。マックス・ロードは悪になろうとして悪になったわけではないし、バーバラも最初から悪を志向したわけではない。強さを求めることそのものを悪とは決して言えない。問題は、力を正しく使えるかどうか。そのことは冒頭のオリンピック的シークエンスで明示されている。単純な善と悪の物語に割り切ってしまわないところに好感が持てるし、本来スーパーヒーローとはそういうものだった。ウルトラマンは街を破壊しながら人間を守ることに疑問を持った少年少女は多いだろうし、『 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 』や『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』はまさにヒーローによる戦いが一般の人間に災厄をもたらしている点を鋭く突いていた。本作はテーマ的にそれらの先行作品の一歩先に進んだとも言える。

 

スティーブとダイアナの交流も微笑ましい。前作でダイアナが浮世離れしたファッション・センスを見せつけたが、今作ではスティーブがオールド・ファッション感覚を披露する。第一次大戦から60年以上を経て1984年に蘇ったスティーブがエスカレーターや地下鉄に驚き、自室にあるチープなファースト・フードに大興奮する様はひたすらにチャーミングだ。ありふれたものに幸福を感じられるのも愛する人がそこにいるからだという、ある意味で非常に陳腐な、しかしどこまでも真実である命題が、マックス・ロードが人々の願いを叶える代償として、力を奪っていくことと対比になっている。マックスの最後の選択は、だからこそ説得力があった。

 

アクションも見応え充分。特にエジプトの道路のバトル・シーンは迫力満点。ダイアナがパワーダウンして、ダメージを負うところも緊張感を高めている。チーターと化す前のバーバラとの格闘シーンも手に汗握るもの。バーバラがダイアナと同等の力を持っていて、ダイアナがパワーダウンしているからだ。強すぎるヒーローが戦ってもハラハラドキドキが生まれにくいが、本作はプロットと論理的に絡めて、戦闘シーンの緊張感を高めるのに成功している。

 

エンドクレジットの幕間に続編を予感させるような、予感させないようなスキットが挿入されている。ここで登場する人物に興味がある人は「リンダ・カーター」でググるべし。

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ネガティブ・サイド

ワンダーウーマンのイメージを映画ファンに決定づけたのは、やはり盾と剣だと思われる。そのいずれもが本作でフィーチャーされなかったのは残念だった。

 

前作も『 スーパーマン 』のオマージュに満ちていたが、本作でもそれを繰り返すのはちょっと芸がない。愛する人との生活を手に入れるためにスーパーパワーを失い、自分の使命のためにもう一度スーパーパワーを手に入れるというのは、まんま『 スーパーマンII 冒険篇 』のプロットではないか(ロイス・レーンは死なないけど)。また、ダイアナが空中で右腕を前に突き出して左腕を引いて一気に加速して滑空していくシーンにもスーパーマンのシルエットが見えてくる。ここまで来ると興ざめする。

 

黄金のアーマーを身にまとったダイアナのチーターとの戦闘シーンも暗い。『 アクアマン 』以来、DC映画も“暗さ”から抜け出したと思ったが、ここでも戦闘シーンが暗すぎる。黄金のアーマーがまったく画面上で映えない。前作のように、夜でも爆発の炎に囲まれて十分にライトアップされているという環境を作り出せなかったのだろうか。

 

細かい点だが、エジプトからワシントンD.C.にダイアナとスティーブはどうやって帰ってきたのだ?

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総評

前作『 ワンダーウーマン 』と同レベルのクオリティを期待してはいけない。しかし、キャラクターの造形と成長は素晴らしい。スーパーマンと言えばクリストファー・リーブ、アイアンマンと言えばロバート・ダウニー・Jr.、というのと同じレベルで、ガル・ガドットはワンダーウーマンというキャラクターのイメージを不動のものにしたと言えるだろう。三作目があるのかどうかは現時点では未知数のようだが、ぜひ剣と盾で大暴れする姿を見てみたい。それもDCEUではなく、スタンドアローンで。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

renounce

辞書を引けば「捨てる」、「放棄する」、「断念する」などと出ているが、こういうものは文脈で理解したい。個人的に最もよく目にして耳にする使い方は、“renounce the belt/championship”=ベルト・王座を返上する、というもの。いったん手に入れたものを元の場所に返す、というのがコアの意味となる。そのことは本作からでも十分に理解できるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アドベンチャー, アメリカ, ガル・ガドット, クリス・パイン, クリステン・ウィグ, ペドロ・パスカル, 監督:パティ・ジェンキンス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ワンダーウーマン 1984 』 -前作よりも少々パワーダウン-

『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

Posted on 2020年12月4日 by cool-jupiter

ミッドナイト・イン・パリ 70点
2020年12月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール レア・セドゥー
監督:ウッディ・アレン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201204011659j:plain
 

近所のTSUTAYAで秋の夜長フェア的にリコメンドされていた作品。今はもう秋ではなく冬だろうと思ったが、久しぶりにウッディ・アレンでも鑑賞して天高く馬肥ゆる秋の夜長の気分だけでも味わおうと思った次第である。

 

あらすじ

脚本家のギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)とその両親と共にパリに旅行に来ていた。深夜のパリで偶然に乗り込むことになったクルマは、なんとギルを1920年代のパリに連れて行き、多くの歴史上の作家や芸術家と交流することに。それ以来、ギルは夜な夜なパリの街に繰り出しては、不思議な時間旅行に出かけて・・・

 

ポジティブ・サイド

画面に映し出されるパリのあれやこれやが精彩を放っている。パリではなく巴里と表記してみたい。そんな風情にあふれている。パリに暮らしている人間の視点ではなく、パリに憧れる人間の視点である。『 プラダを着た悪魔 』でも描かれたが、アメリカ人もフランスに憧れ抱くのだ。

 

ギルが夜ごとに体験する1920年代の華やかなりしパリの街と歴史的な文化人との交流は、見ているだけでエキサイティングだ。その一方で、昼の現実世界で見て回る芸術作品は物の鑑賞になってしまっている。そして、ギルとイネズの共通の友人であるポールがクソつまらない蘊蓄を喋ること喋ること。どこかで見たような奴だなと思ったら、なんのことはない、自分である。現実のJovianも時々こうなっている。人の振り見て我が振り直せ。

 

昼間の現実と夜の過去世界。ヘミングウェイやサルバドール・ダリがカリカチュアライズされる一歩手前で生命を与えられているのがウッディ・アレンらしいところ。個人的にはT・S・エリオットの登場シーンに痺れた。幻想的な雰囲気の中、ギルがある人物に重要なヒントを与えたり、あるいは現実の世界の小説の描写に心臓が止まるほどの衝撃を受けたりと、徐々に虚実皮膜の間がぼやけてくる感覚にゾクゾクさせられる。同時に、現在ではなく過去に囚われることの愚かしさや恐ろしさも感じられ始める。といっても極度の不安や恐怖がもたらされるわけではない。今そこにある現実から逃避することは誰にでもあるが、その「誰にでもあること」を客観視した時、本当に大切なことが見えてくる。ゲーテは『 ファウスト 』をして「時よ止まれ、お前は美しい」と言わせたが、ウッディ・アレンは「時よ流れよ、お前は美しい」と言うのかもしれない。

 

秋の夜長にはちょうど良い作品。本質的には『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』と同じで、主人公はウッディ・アレン自身の欲望・願望の投影だろう。歴史に名を刻んだ文化人と交流し、魔性の女と恋に落ち、婚約者と別れて、しかし現地で偶然に出会った女性と恋の予感を漂わせる。これがアレンの願望でなければ何なのか。多くの男性はアレンと己を重ねることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ヘミングウェイの言う「真実の愛は死を少しだけ遠ざける」という哲学の開陳には眉をひそめざるを得なかった。Jovianは東洋人であるからして仏教が説くところの愛別離苦の方がしっくりくる。愛しているからこそ永遠の別れ=死が怖くなる、って聖帝サウザーか・・・

 

フィアンセのイネズのキャラが少々うるさすぎた。もちろん、ウッディ・アレンその人が嫌いなタイプを具体化したキャラクターに仕上がっているわけだが、それが行き過ぎているように感じた。ラスト近くでギルと破局する前に、とんでもない逆ギレをしてくれるが、そこは最後に「こう言えば満足?」ぐらいの台詞を最後につけてほしかった。色々な経験を積んできたギルはこれに動じなかったが、普通の男ならば精神の平衡を保つことができないほどの痛撃を心に食らったはずである。

 

総評

巴里に行ってみたくなる映画である。パリではなく巴里。Jovianの嫁さんはその昔、ルーブル美術館の女性職員に「英語を喋るな、フランス語で喋れ」と言われたことを今も憤慨している。いつかヨーロッパを旅行できるようになったら、嫁さんのリベンジを果たすためにも、そして深夜の巴里をぶらつくためにも、フランスに行ってみたい。そして『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のエドモン・ロスタンと幻想の世界で語らってみたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

come out of left field

野球由来の慣用表現。外野の左翼からやって来る=突然に予期しないことがやって来る、の意。しばしば、

This might be coming out of left field, but …

こんなことを言うと唐突かもしれないけれど・・・

のような形で使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, オーウェン・ウィルソン, スペイン, マリオン・コティヤール, ラブコメディ, ラブロマンス, レア・セドゥー, レイチェル・マクアダムス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』 -賛否両論を呼んだ革新的ミュージカル-

Posted on 2020年11月8日2020年11月8日 by cool-jupiter

ジーザス・クライスト・スーパースター 80点
2020年11月4日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:テッド・二―リー カール・アンダーソン
監督:ノーマン・ジュイソン

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嫁がHuluで『 イエス・キリストの生涯 』に偉く感じ入っていた。曰はく、『 世界ふしぎ発見! 』のクイズが無いバージョンで全8話構成らしい。時々、イエスその人や父ジョセフ。母マリア。当時のユダヤ世界について質問をしてくる(Jovianは宗教学専攻だったのだ)。色々と質問に答えているうちに、「これを見せた方が早いのではないか?」と本作を久しぶりに嫁さんと鑑賞。嫁はこれまた痛く感じ入っていた。

 

あらすじ             

ユダ(カール・アンダーソン)は懸念していた。ナザレのイエス(テッド・二―リー)がその卓越した教えをもって勢力を膨らませることが、ローマを刺激しかねないことに。ユダはなんとかイエスを諫めようとしつつも、一行はさらなる宣教のためにエルサレムへと向かうことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

初めて観たのはVHSだった。当時は小学校の高学年ぐらいで、物語の意味はちんぷんかんぷんだったが、イエス・キリストの名前は何となく知っていたし、イスカリオテのユダは漫画『 北斗の拳 』で知っていた。それでも本作のキャラクターたちのドラマには圧倒されたし、『 キャッツ 』や『 オペラ座の怪人 』と同じく、アンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽には激しく魅了された。

 

大学で宗教学(といっても専攻は東洋思想史)やら聖書学を学んでユダヤ教やキリスト教に関する知識を得ていたころ、大学の劇団「黄河砂」が本作を舞台劇として英語で公演もした(Jovianの寮の先輩も鞭を振るう役で出演した)。はっきり言ってクオリティはイマイチだったが、それでも物語の骨格の意味がはっきりと伝わってきたことを覚えている。同時に、ノン・クリスチャンや宗教学専攻ではない者にとっては、やはりチンプンカンプン物語であることも周囲の反応から分かった。

 

そこで恩師である旧約聖書学の異端の大家・並木浩一と新約聖書学の碩学。永田竹司にそれぞれ『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』を観たか、そしてどのように感じたかをオフィス・アワーにインタビューするという暴挙に出た。今にして思えば愚行であるが、そんな学生にも対応してくれるところが我が母校の懐の深さだったか。並木先生は「あんなものは論評に値しない」と言い、永田先生は「あのような形式でしか語れないものもある。発表当時は賛否両論あったが、自分は賛である」とおっしゃった。Jovianも永田先生の意見に与すものである。

 

前置きが長くなりすぎた。本作の魅力は、繰り返しになるが、アンド・ロイド・ウェバーの音楽である。“Jesus Christ Superstar Overture”は、イエスが権威や威厳ではなく、熱狂の源であったことを感じさせてくれる(そしてその解釈はおそらく正しい)し、マリアが歌う“I Don’t Know How To Love Him”も、イエスの神性と人間性の両方のはざまで揺れ動く心情を、百万言を費やすよりも雄弁に語っている。熱心党のサイモンの姿にSEALDsを見出すのは行き過ぎかもしれないが、『 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 』の大学生たちのような熱量を感じ取ることは十分に可能だろう。

 

しかし、本作の最大の魅力は、Jovianの好物ジャンルである「映画を作る映画」になっているところである。こうしたメタ構造を冒頭のシーンからあっけらかんと見せてしまうことで、たとえば我が恩師・並木のような評論は、それ自体が的外れになってしまう。エンディングでユダが歌う“Jesus Christ Superstar”は奥深い。小説および映画の『 ダ・ヴィンチ・コード 』の作者ダン・ブラウンは本曲にインスパイアされたというのがJovianの勝手な推測である。今、見直しても十分に面白いし、キリスト教に興味のあるという人は、本作をお勧めしたい。そこらの凡百の書籍よりも遥かに面白く核心を突いている。

 

ネガティブ・サイド

Amazon Prime Video版は音声と映像が若干ではあるが、ずれている。これはVHSでもそうだったが、せっかくデジタル化するなら、現代の技術を使ってより精緻に仕上げるべきではなかったか。モノクロ映画のカラー化に反対したジョージ・ルーカスも、リップシンクの精度を高めるのには反対すまい。また、泉下のカール・アンダーソンも“Israel in 4 BC had no mass communication”ではなく“America in 1970 AD had no personal computers”と言ってくれるのではないか。

 

ヨーロッパや中南米、アメリカや韓国のような根っからのキリスト教国であれば、本作をすんなりと消化できるのだろうが、それ以外の国の人にはきついと思われる。特に、イエスが弟子たちに「この愚か者ども」、「嘘つきめ」などと怒鳴るシーンは、一般人にはポカーンであろう(新約聖書では、イエスがペテロあたりに「悪魔よ、黙れ」みたいに言う描写がいくつもあったりする)。イエスの人間性について、もう少しだけ掘り下げる歌や演出が必要だったのでは?また、裏切り者とされるユダが、いかにインテリで、いかにイエスの信頼を得ていたかの描写も欲しかった、というか必要だった。1分半で描けるはずだ。

 

総評 

ロック・ミュージカルの金字塔であると断言する。歴史的、宗教的背景を押さえておかないと物語の深みを味わえないが、それでも本作の音楽と歌、そして俳優陣の鬼気迫る演技、そして“現代視点からの再解釈”を楽しむことは十分に可能である。キリスト者の一部には本作の演出を嫌う人もいるのは事実であるが、人物や社会の描写はおおむね性格であるということは、国際基督教大学で宗教学を専攻したJovianが勝手に保証する。ミュージカル好きなら must-watch である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sit on the fence

字義通りの意味は「フェンスの上に座る」であるが、本当の意味は「あいまいな態度でいる」、「どっちつかずの状態でいる」ということである。カヤパの台詞で、ジーザスをどうすべきかについて自分たち取るべき姿勢をはっきりさせてこなかった際に放たれる台詞。

How long has our client been sitting on the fence about our offer?

うちのクライアント、どれだけこちらのオファーについての態度を保留させているんだ?

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, アメリカ, カール・アンダーソン, テッド・二ーリー, ミュージカル, 伝記, 歴史, 監督:ノーマン・ジュイソン, 配給会社:CICLeave a Comment on 『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』 -賛否両論を呼んだ革新的ミュージカル-

『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

Posted on 2020年10月24日2021年1月18日 by cool-jupiter
『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

シカゴ7裁判 85点
2020年10月21日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン サシャ・バロン・コーエン ジョセフ・ゴードン=レヴィット
監督:アーロン・ソーキン

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同僚のカナダ人とイングランド人が絶賛していた本作。“You must watch it.”と言われたからには観るしかない。Don’t get your hopes up.と自分に言い聞かせながら鑑賞した。これは年間最優秀映画候補の筆頭である。それほどのインパクトを感じた。

 

あらすじ

1968年、シカゴ。平和的な反戦抗議デモの参加者が民主党大会の会場を目指していた。だが、ふとしたきっかけで警察とデモ参加者が衝突、多数の負傷者が出る。デモの首謀者として逮捕、起訴された7人の男たちは裁判にかけられた。果たして彼らは無罪を勝ち取れるのか・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201023230736j:plain
 

ポジティブ・サイド 

2020年10月に公開(Netflixだが)されるということは、普通に考えれば映画の撮影はその約1年前。つまり、Black Lives Matter運動の発生以前。1960年代の事柄なので、構想自体は10年前に既に持っていたとしておかしくないが、それでも映画化に実際に動けるのはさらに1~2年前の2017~2018年頃だろうか。この時点でアメリカや香港のような極めて大規模な民衆主導のデモが発生するだろうということ、そしてその契機が警察などの国家権力がそれを暴力で鎮圧しようとしたことであったことを予見した映画人は『 ジョーカー 』の監督トッド・フィリップス以外にはアーロン・ソーキンぐらいだったのだろう。まさに炯眼である。

 

小難しい理屈は抜きにしても、本作は娯楽映画としても一級品である。オープニングのシークエンスからして、観客を一気に映画世界に引きずり込む。ベトナム戦争や公民権運動のことなど全く知らないという人には厳しいかとも感じたが、さにあらず。ベトナム戦争に派遣される兵士の数が「そんな馬鹿な」という勢いで増加していく。しかも、その映像がどこか明るくポップで、場面の移り変わりも小気味がいい。そしてマーティン・ルーサー・キングとロバート・ケネディの死を、どこかしらコミカルな銃撃音で片づけてしまうところで、この軽妙なテンポはさらに勢いづく。エディ・レッドメイン演じるトム・ヘイデンやサシャ・バロン・コーエン演じるアビー・ホフマンが次々にセリフをつないで、「いざ鎌倉!」とばかりにシカゴを目指していく。この10分足らずのオープニング・シークエンスだけでも何回も観たい。

 

時の政権が変わって、これまでお咎めなしだったシカゴ7ともう一人の裁判が急遽開かれる。どこかの島国の政治家夫婦を思い出させるではないか。この裁判というのが、はっきり言って出来レース。それまで接点のなかった7人を、シカゴの暴動を共謀して扇動したという、まさに「共謀罪」で吊るし上げることを目的にしているからだ。この時の判事が完全なる耄碌じじいで、軽度の認知症、人種差別主義者、弱い者いじめ、夜郎自大、傲岸不遜と、なにどうやったら人間的にこれほど欠陥のある判事になれるのかという、分かりやすすぎるヴィランである。通常、法廷ものといえば『 エミリー・ローズ 』のように、ヴィランは検察官であろう。判事が明確に敵というのは、なかなか珍しい。このホフマン判事を演じたフランク・ランジェラの卓抜した演技力のおかげで、観る側は否応なくシカゴ7の面々に感情移入してしまう。そして、国家権力の志向する正義に疑念を抱き、個々人が心に秘める正義を後押ししたくなる。それこそが本作を現代に放つ意義、監督からのメッセージである。

 

それにしても本作の検察および警察のやり口の汚さには辟易させられる。コミカルな序盤に、サスペンスフルな中盤の法廷闘争。判事の横暴だけではなく、検察の仕掛ける場外乱闘に、緊張が一気に高まっていく。それによってシカゴ7+1の代理人を務めるクンスラー弁護士の人間味と正義感が際立っている。まさに市井の弁護士という感じだが、それに対峙するエリート検察のジョセフ・ゴードン=レヴィットが、冷静冷徹ではあるが冷酷ではない、国家権力を振りかざせる立場にありながら自制心を有している。この二人が証人に対して尋問を行っていくシーンの数々は法廷ものとして見ても素晴らしい出来栄え。

 

クライマックスには心震わされた。この裁判はそもそも何を争っているのか。流血沙汰の暴動を扇動したのはデモ隊なのか警察官なのか。しかし、デモはそもそも何故組織され、行われたのか。それは、ベトナム戦争というアメリカ史における汚点(と敢えて言う)、その無益な戦傷者と戦死者のためである。国権の発動たる軍事力の行使への不信、そして国権の一角である司法への不信。アメリカ近代史の事件を描いた本作であるが、それが今日、このタイミングで公開されることの意義は大きいし、日本に住まう我々にとっても大いなる衝撃を持って迫ってくる作品である。

 

ネガティブ・サイド

シカゴ7+1であったボビー・シールの物語をサブプロットに上手く組み込めなかったのかと思う。彼の所属するブラックパンサー党への関心やその歴史的解釈や再評価への機運が、映画『 ブラックパンサー 』の公開および主演のチャドウィック・ボーズマンの急逝で高まっているからである。

 

トンデモ判事のその後の歴史的評価はまったくもって思った通りだったが、ジョセフ・ゴードン=レヴィット演じたシュルツ検察官のその後についても知りたかったと思う。

 

総評

政治サスペンスとしては『 女神の見えざる手 』と並ぶ作品で、法廷闘争劇としては『 判決、ふたつの希望 』に次ぐ大傑作である。米大統領選を前にNetflixで公開されたが、『 アイリッシュマン 』の時と同じく、こうした映画を上映してくれる劇場がある。検察官に正義感や良心はあるのか。判事に公正かつ中立的な判断力はあるのか。警察は自制心を持っているのか。本作の描く歴史を他山の石とできるかどうかが日本の分かれ目である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a contingency plan

emergency=「緊急事態」はTOEIC650点レベルの人なら8~9割は知っているだろうが、contingency=「不測の事態」となると、TOEIC800点レベルだろうか。しばしば、“Always have a contingency plan.”=「常に不測の事態に備えておけ」という警句の形で使われる。原発事故後は政府や東電が「想定外」という言葉を何とかの一つ覚えのように使っていたが、アホな政治家やインフラ事業者に対するcontingency plansを我々庶民は持てないのだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, サシャ・バロン・コーエン, サスペンス, ジョセフ・ゴードン=レヴィット, 伝記, 歴史, 監督:アーロン・ソーキン, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

『 22ジャンプストリート 』 -シュミット&ジェンコよ、永遠なれ-

Posted on 2020年10月17日 by cool-jupiter

22ジャンプストリート 60点
2020年10月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル チャニング・テイタム
監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー

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『 21ジャンプストリート 』の続編にして完結編。前作と比較すれば若干パワーダウンしているが、暇つぶしに観る分には全く問題ない。監督としてのジョナ・ヒルはまだまだこれから花開いていくのだろうが、俳優としてのジョナ・ヒルの真価はコミック・リリーフであることだ。

 

あらすじ

ジェンコ(チャニング・テイタム)とシュミット(ジョナ・ヒル)の凸凹コンビが、麻薬捜査のために今度は大学に潜入する。売人と思しき男を見つけ、供給元を探り当てるミッションのはずが、ジェンコがフットボールの才能を開花させてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

前作と同じく、古今の映画やドラマをネタにしまくるのは、単純ではあるが、やはり楽しい。メタなネタではチャニング・テイタムが「俺はいつかシークレット・サービスになって大統領を警護するんだ」という不発作『 ホワイトハウス・ダウン 』をジョークの種に使ってしまうところが特に面白い。

 

大学潜入後も基本的のノリは前作と同じ。二人なりに必死に捜査はするものの、いつの間にやら大学生活が楽しくなってしまい、大学に残って人生をやり直そうかなと感じてしまうジェンコは、滑稽ではあるが、観る者の共感を呼ぶ。

 

前作ではロマンス方面で最後までシュミッ行けなかったシュミットも、今作ではいきなり美女とベッドイン。確かにアメリカの大学の寮には、こういうノリがある。その相手の美女の正体というか、とあるキャラクターとの関係が判明した瞬間には、文字通りの意味で時が止まったかのように感じた。『 スパイダーマン ホームカミング 』によく似た構図があって、その時も肝をつぶしたものだが、この元ネタは本作だったのかもしれない。色んな映画をネタにしている本作がネタにされるというのも、それはそれで愉快ではないか。

 

警察官としての捜査もそれなりに見応えがあるし、中盤のコペルニクス的転回も悪くない。終盤は『 スプリング・ブレイカーズ 』的なビジュアルとストーリーで眼福である。ジョナ・ヒル演じるシュミットのラスボスとの格闘シーンは意味不明すぎるバトルで、笑ってしまった。クライマックスもコメディ映画ならではの力業で、謎のカタルシスをもたらしてくれる。なによりもエンディングが秀逸だ。前作でも続編を予感させる終わり方だったが、続編たる本作はまさに完結編。完璧なまでのクロージングである。

 

ネガティブ・サイド

前作では、高校時代に不遇をかこったシュミットがどちらかというと主役だったが、今作ではジェンコが青春(というか高校潜入捜査)を取り戻そうとするところに違和感を覚えた。前作で仲良くなったナード連中が登場したから、余計にそう思う。

 

シュミットがそうしたジェンコに愛想を尽かしそうになってしまうのもどうかと思う。パートナーはパートナー、友人は友人と割り切ることができる大人のはずだ。特に警察官や軍人などはそうだろう。いけ好かない相手であってもミッションとなれば協力するものだ。ならば、自分の相棒が多少誰かと親しくなっても、それも職務上のことだと割り切るべきだ。このあたりの二人の仲の微妙な揺れ動きに説得力がなかった。

 

エンディングの続編ネタの連続スキットはこの上なく楽しめたが、最後の最後のシーンは蛇足だった。

 

総評

ジョナ・ヒルかチャニング・テイタムのファンであれば前作と併せて鑑賞しよう。『 レディ・プレイヤー1  』には劣るが、古今の映画へのオマージュやネタに満ち溢れていて、クスリとさせられる場面からゲラゲラ笑えるシーンまである。バディものとしての面白さも健在。コメディ好きならレンタルもしくは配信で視聴する価値は十分にある作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

two peas in a pod

直訳すれば「一つのさやの中の二つのえんどう豆」で、意味は「瓜二つ」または時に「絶妙のコンビ」、「一心同体」のような意味で使われることもある。劇中ではズークとジェンコのアメフトコンビ二人を指して、実況が“These two guys are peas in a pod.”のような言い方をしていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, コメディ, ジョナ・ヒル, チャニング・テイタム, 監督:クリストファー・ミラー, 監督:フィル・ロードLeave a Comment on 『 22ジャンプストリート 』 -シュミット&ジェンコよ、永遠なれ-

『 21ジャンプストリート 』 -にせもの高校生のダイ・ハード潜入捜査-

Posted on 2020年10月11日 by cool-jupiter

21ジャンプストリート 65点
2020年10月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル チャニング・テイタム ブリー・ラーソン ロブ・リグル
監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー

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『 mid90s ミッドナインティーズ 』がかなりビターな味わいだったので、ジョナ・ヒルの持ち味であるユーモアを堪能すべく近所のTSUTAYAでレンタル。荒唐無稽なストーリーでありながら、上質のヒューマンドラマでもあった。

 

あらすじ

日陰で高校時代を過ごしたシュミット(ジョナ・ヒル)と学校の人気者だったジェンコ(チャニング・テイタム)は、ともに警察官になっていた。二人は「見た目が若い」という理由で、新種の麻薬がはびこっていると噂される高校に、高校生として潜入し、捜査しろとのお達しを受けて・・・

 

ポジティブ・サイド

よくもまあアホな設定を思いつくものだと思うが、何と元々はテレビドラマらしい。そのドラマが出世作となった大俳優が、チョイ役で出てくるのはそういうことか。出演者も無駄に豪華で、張り切ってB級映画を作ってやるぜという俳優陣および裏方の心の声が聞こえてきそうである。

 

冴えない青春を送ったシュミットが思わぬ形で高校という生態系に受容され適応されていく様は、ベタではあるが爽快である。一方で、日なたの青春時代を過ごしたジェンコが、空気の読めないちょっとアブナイ男かつナードとして認識されるのも痛快だ。もちろん麻薬犯罪を捜査するための警察官として高校に通っているわけだが、主役二人の今と昔の光と影のコントラストが、互いをバディとして認識するようになる流れを際立たせている。フィル・ロードとクリストファー・ミラーの二人の監督はなかなかの手練れである。

 

かといってシリアスに傾きすぎるわけでもない。ひょんなことから麻薬の売人高校生にコンタクトされたのは、シュミットとジェンコの振る舞いがあまりにもアホすぎて、「こいつらが警察なわけがない」と思ってもらえたからこそ。いったい何をやったのか。それは本編をどうぞ。彼ら自身が新種の麻薬でラリってしまうシーンは結構面白い。彼らの上司がこれを見たら、きっと頭を抱えたことだろう。

 

麻薬組織との対決はスリリングである。意外性のある人物が黒幕だったり、絶体絶命の状況からの思わぬ援軍の登場だったりと、観る側を飽きさせない。そしてクライマックスのカーチェイスとオチ。笑っていいのか悪いのか分からないが、とにかく天網恢恢疎にして漏らさず、この世に悪が栄えた試しなし。『 デンジャラス・バディ 』のようなコメディ・タッチのバディものが好きな人にお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

警察であることを隠し通すのが至上命題であるのに、銃を渡された瞬間に空き缶や空き瓶に次々と命中させていくのは、ギャグにしてもお粗末ではないか。「こいつらは絶対に警官じゃない」と確信してくれた売人を、わざわざ訝しがらせるような行動をとってどうする?そして、売人も感心している場合か。相手は下手したら警官、もしかすると銃の密売人またはギャングの可能性まであるというのに・・・

 

ジェンコが化学ナードたちから得た知識を使って終盤のカーチェイスと銃撃戦で活躍するが、他のクルマや通行人もいる街中であれをやるか?アクション最優先で、コメディ要素を忘れてしまっている。やるなら、もっと茶化した感じの銃撃戦するべきだった。

 

細かいところだが、ミランダ警告ができない警官などいるのか?初逮捕劇を台無しにしてしまう大失態で、面白いと言えば面白いのだが、これは警察をさすがに茶化し過ぎているように思う。やるなら韓国映画のように、とことん警察をカリカチュアライズすべきだろう。

 

総評

ジョナ・ヒルの本領は、やはりこうしたコミカルなストーリーでこそ発揮される。肉体派のチャニング・テイタムが、筋肉や運動神経よりも頭を使う展開は、意外性もあって悪くない。だが、テイタムはやはりそのathleticismで勝負すべきだ。続編も見てみよう。きっと上質のa rainy day DVDに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a dump

ジェンコが試験を抜け出す時に“Can I go take a dump?”と言う。意味は「ウンコに行っていいですか?」である。ダンプカー(dump car)が積み荷をドサッと降ろすところを想像すれば、take a dump が何かをドサッと降ろす行為をするのだな、と感じられるだろう。take a leak = おしっこすると合わせて覚えよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, コメディ, ジョナ・ヒル, チャニング・テイタム, ブリー・ラーソン, ロブ・リグル, 監督:クリストファー・ミラー, 監督:フィル・ロードLeave a Comment on 『 21ジャンプストリート 』 -にせもの高校生のダイ・ハード潜入捜査-

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