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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アニメ

『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

Posted on 2019年10月28日2020年9月26日 by cool-jupiter

空の青さを知る人よ 75点
2019年10月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 吉岡里帆 若山詩音
監督:長井龍雪

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これはJovianの観た限りの邦画アニメでは2019年で1,2を争う良作である。一部で『 天気の子 』とそっくりの構図(それも『 千と千尋の神隠し 』や『 天空の城ラピュタ 』から来ているのだが)があったりするが、全体的に音楽プロモ・ビデオ的だった『 天気の子 』とは違い、ミュージシャンをフィーチャーした本作の方が、より確かな人間ドラマを描いているのは皮肉なものである。つまり、それだけ本作の完成度が高いということである。

 

あらすじ

埼玉県秩父市。相生あかね(吉岡里帆)と相生あおい(若山詩音)の姉妹は両親を亡くして以来、二人暮らし。あかねは18歳の時に恋人のプロのミュージシャンを夢見る慎之介(吉沢亮)の上京にはついて行かず、地元の役所に就職した。そして今、18歳になったあおいは音楽で身を立てるために上京しようとするが、そこに13年前の慎之介の生霊が現れ・・・

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ポジティブ・サイド

良い意味で期待を裏切られた。吉沢亮が出ている作品はだいたい駄作か凡作。吉岡里帆の出ている作品はだいたい珍品。そうした私的ジンクスを2人そろってたたき壊してくれたからである。

 

まずは吉沢亮の意外なvoice actingの上手さに驚かされた。『 二ノ国 』というクソ作品のクソな声の演技や、『 HELLO WORLD 』の至ってオーソドックスでアベレージな声の演技と比較すれば、その技量は際立っている。もしも本職の声優たちが本作で脇を固めていても、これだけハイレベルな声の演技ができるのなら、素人っぽさで浮いてしまうこともなかっただろう。18歳のシンノと31歳の慎之介を演じ分けるだけではなく、キャラクターの表情や仕草に合わせた、今ここではこの声が欲しい、という声を出せていた。監督のディレクションの賜物だろうが、本人の努力もあったはず。『 キングダム 』で秦王・政をシンクロ率95%で演じ切ったが、あれはflukeではなかった。高良健吾の後継者はこの男で間違いない。

 

吉岡里帆の感情を抑えた、控え目な声の演技も見事だった。『 見えない目撃者 』で殻を破ったと感じたが、その印象は誤りではなかった。慈しみや愛情を豊富に感じさせながらも、拒絶する時の声音には芯の強さがあった。これも監督の演技指導と本人の探究心と練習によるものだろう。順調にキャリアを積み重ねていけば、30歳ごろには演技派と呼ばれるようになれるかもしれない。この調子で覚醒を続けて欲しい。

 

あかねとあおい、二人の姉妹が二人の慎之介と相対する時に交錯する想いは何とも複雑玄妙だ。青春をすでに過ごし終えた者とまさに青春を謳歌している者が、それぞれに異なる悲哀を経験するからだ。誰かを好きになるという気持ちは、素晴らしいものだ。だが、それは往々にしてままならない感情でもある。あかねはある意味で閉じた土地に自分を縛りつけ、止まった時間の中に生き続けている。それがあおいから見た姉の姿である。それを引っ繰り返す終盤のシークエンスは、お涙頂戴ものの典型でありながら、それでも万感胸に迫るものがあった。これは男女の複雑な恋模様であるだけでなく、家族愛であり、姉妹愛であり、自己愛の物語だからでもある。

 

ストーリーはドラマチックであるが、終盤では実にシネマティックになる。つまり、画面いっぱいにスペクタクルが展開されるということである。冒頭で述べた『 天気の子 』そっくりな構図がここで描かれるが、浮遊感や爽快感は本作の方が上であると感じた。ここではあいみょんのタイトルソングが絶妙な味付けになっている。彼女の楽曲が最高の調味料なのであるが、それは歌が主役であるということではない。音楽が映像を盛り立てているのであって、逆ではない。『 天気の子 』はこのあたりのさじ加減を誤っていたと個人的には感じる次第である。もしも良作アニメ映画を観たいという人がいれば、本作を強く推したい。

 

ネガティブ・サイド

本作は変則的なタイムトラベルものと言えないこともないが、多くの作品が犯してしまう間違いをやはり犯してしまっている。最大のものは生霊シンノの「あんとき」という表現である。その話のコンテクストを映像で表現しているので気付かなかったのかもしれないが、そこから読み取れるのは、シンノの体感では成長したあおいと出会ってしまったのは18歳のあかねと別れることになってから1日後である、ということだ。昨日のことを自分から、あるいは誰かに求められて説明する時に「あんとき」というのは、違和感のある日本語である。ここは「そのとき」であるべきだったと思う。

 

本作のグラフィックは非常に美しい。一部、実写をそのままフルCG化したようなショットが随所に挿入されていたようだが、そうした美麗なグラフィックがノイズになってしまっていたように思う。公園内の木々や落ち葉のショットが特に印象的だったが、そこあるべき動き、例えばちょっとした風のそよぎなどが、一切感じられなかった。そのため、かえって非常に無機質な印象を与える風景のショットが見られる。『 あした世界が終わるとしても 』では、実際の人間の如くゆらゆら揺れるキャラクターCGが不気味な印象を与えてきたが、本作の風景の一部は美しさと引き換えに生々しさ、リアルさを失ってしまっていた。それが残念である。

 

キャラクター造形で言えば、31歳の慎之介があかねと再会した場面にも違和感を覚えた。帰ってきたくなかった地元で再会したくなかった(多分)初恋あるいは初交際の相手に、あそこまでだらしなく迫るものだろうか。音楽に操を立てて、それが報われなかったからと言って、昔の女に慰めを求めるのは端的に言ってカッコ悪すぎる。同じ夢破れかけた男として、余りに見るのが忍びない。そうか、だからあかねは「がっかりさせないで」と言ったのか。オッサンが見るにはキツイが、ストーリー上は整合性があるシーンである。これは減点対象ではないか。

 

総評

観終わって、実に爽やかな気分になれる。それは本作が人間の心のダークな領域に恐れることなく光を当てているからだ。ダークと言っても、サイコパス的な心理ではない。普段、他人には決して見せない心の在り様を、ある者は人目を憚って、ある者は赤裸々に、スクリーン上で見せてくれるからだ。ビターなロマンス要素あり、優れた楽曲と優れた声の演技があり、カタルシスをもたらしてくれる映像演出もある。中高生から中年ぐらいまで、幅広くお勧めできる上質なアニメである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t like those who say they like me.

 

あおいの「私は私を好きだと言う人は嫌い」という台詞である。those who + Vは、しばしば「~する人々」、「~する者たち」など、誰とは特定せずに一般的な人間全般を指す時に用いられる。書き言葉でも話し言葉でも、どちらでもよく使われる。昔、ハマっていたシリーズ物のゲームのトレイラー

www.youtube.com

でも確認できるので、興味のある人はどうぞ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, ラブロマンス, 吉岡里帆, 吉沢亮, 日本, 監督:長井龍雪, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

『 HELLO WORLD 』 -安心の野崎まどクオリティ-

Posted on 2019年9月25日2020年4月11日 by cool-jupiter

HELLO WORLD 70点
2019年9月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北村匠海 松坂桃李 浜辺美波
監督:伊藤智彦

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Jovianは野崎まどのファンである。メディアワークスが出している作品はすべて読んだ。『 2 』を除けば、一番のお気に入りは『 小説家の作り方 』である。氏のテーマは一貫している。人間の姿をした人間以上の存在である。そのことを念頭に置いておこう。

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あらすじ

2027年の京都。堅書直美(北村匠海)の前に、10年後の未来からやってきた自分、ナオミ(松坂桃李)と共に一行瑠璃(浜辺美波)に迫っている落雷事故を回避することを目指すが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 二ノ国 』という超絶駄作の超絶クソ voice acting の後なので、ある程度は評価が上方修正されているかもしれないが、北村も松坂も浜辺も及第以上の声の演技をしていた。特に浜辺美波はJovianの贔屓目も入っているが、渡辺徹のようにナレーション業も頑張れば行けそうだ。頑張って欲しい。

 

トレイラーの段階から「この世界は全部、データだった」という直美の独白があるので、その設定そのものに驚く必要はない。我々が本当に観たいのは、【 この物語(セカイ)は、ラスト1秒でひっくり返る 】ところなのである。そして、これから本作を観ようとする諸賢におかれてはご安心されたい。ちゃんとひっくり返ってくれる。厳密にはラスト1秒というわけではないが、怒涛のコンビネーション・ブローを観る側の脳に叩き込んでくれる。

 

これは言葉の正しい意味でのSFである。アニメ作品としては『 イブの時間 劇場版 』に並ぶクオリティである。SFとは何か。人類と文明の関係性を描くフィクションである。アニメとは何か。手塚治虫に言わせれば、「物語が先に存在して、それを伝えるために絵が動くもの」である。その意味では本作は実に正統派のSFアニメである。我々が生きているこの世界が実はデータだったというのは、『 マトリックス 』以来、手垢のついたテーマではあるが、だからこそドンデン返し = big twist に挑戦してみたくなる分野でもある。繰り返すが、本作にはしっかりとしたドンデン返しが存在する。期待して欲しい。

 

本作に採用されている様々なガジェットやキャラクター造形、ショットの構図などは、優れた先行作品の影響を色濃く受け継ぐものである。まずは敵の量産型キャラクター。これは『 BLAME! 』のセーフガードを思い起こさせてくれた。つまり、非常に不気味で、恐怖を感じさせてくれた。それらが最終的にはミラクル卵の最終形態になり、シシ神のデイダラボッチバージョンになり、エヴァンゲリヲンにもなった。これは大迫力だった。エージェント・スミスがこれをやっていたら、彼の名作は更に名作の誉れ高くなったのか、一気に駄作に堕ちてしまったのか、どちらだろうか。

 

物語世界とキャラクターの真実については、アニメではないが映画化されそうでされなかった(できなかった)小説『 ループ 』が思い浮かんだし、ちょっと古い映画で言えば『 13F 』も下敷きにあったのかな。またこうした一種の入れ子構造の作品としては『 イグジステンズ 』や『 トロン 』、『 主人公は僕だった 』や『 ルビー・スパークス 』なども思い起こされた。それでいて、オリジナリティある作品に仕上がっているという、そのこと自体が最も素晴らしい点であると言えるかもしれない。伊藤智彦監督に拍手!

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ネガティブ・サイド

ストーリーテリングや世界観の構築の面では素晴らしいが、一方ではグラフィック面に大きな課題を残した。特に物語が舞台を文字通り大きく様変わりさせるシーンのグラフィックは、そのまんま『 2001年宇宙の旅 』の劣化バージョンである。というよりも、あからさまに『 LUCY/ルーシー 』(監督:リュック・ベッソン)をパクっているとしか思えないものもあった。オマージュとパクリは似て非なるものである。これらのシーンに関しては、製作者側のリスペクトが感じられなかった。そこが残念である。邦画に似せるとオマージュ、外国産の映画に似せるとパクリという判断をJovianはどうやらしているようである。

 

トレーラーにもあった街が崩壊していくビジョンは、まんま『 インセプション 』と『 ドクター・ストレンジ 』だった。もっと独創性ある映像を作って欲しかった。

 

あとは、男女が恋に落ちるプロセス、あるいは恋愛感情を自覚するプロセスに、もう少しオリジナリティが欲しい。多くのアニメ作品では身体、特に特定部位の接触が契機になることが多いように思われるが、そのようなclichéからはそろそろ卒業すべきではないだろうか。近年でも『 夜は短し歩けよ乙女 』や『 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 』などが、まさにこうした手法を使っていた。もっと『 耳をすませば 』のような、ピュアで、それでいてロマンティックな関係性を、宮崎駿以外のクリエイターも描けるはずだ。もっと受け手を信頼すべきだし、あるいは作り手が受け手を啓蒙してやるぐらいの気概を持ってもいい。

 

総評

アニメ作品としては、個人的には年間ベスト級であると感じる。ただし、かなり人を選ぶ作品だろう。関西人、特に京都にゆかりのある人は、「これはあそこだ」、「ここは、あれだな」という見方を楽しめる。ただし、関西弁原理主義者(若い世代にはいないと思うが)の方にはお勧めできない。京都弁などは微塵も出てこない。また、ある程度のSFの素養も必要だろう。野崎まどファンなら、見逃すべきではない。 

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I did it.

 

「やってやりました」= I did it. である。何かを行って、そのことを誇らしく思うのなら、こう言おう。相手が何か素晴らしいことをやってくれたなら、“You did it.”と言おう。ただ、この do it という表現には落とし穴もある。しばしば、does itという形で、「~~が悪い」、「~が元凶だ」のような意味になる。Wedding is fine. It’s living together that does it. 結婚は問題ない。悪いのは一緒に住むことだ、のようになる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, SF, アニメ, 北村匠海, 日本, 松坂桃李, 浜辺美波, 監督:伊藤智彦, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 HELLO WORLD 』 -安心の野崎まどクオリティ-

『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

Posted on 2019年8月29日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

二ノ国 10点
2019年8月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 新田真剣佑 永野芽郁 宮野真守
監督:百瀬義行

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実験的作品を観た後は、脳みそをノーマルな状態に戻したくなる。つまり、普通の作品を観たくなる。というわけで、いかにもジャパニメーションな本作のチケットを購入。これが大失敗だった。まさかこのような超絶駄作だとはゆめにも思わなかった。

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あらすじ

ユウ(山崎賢人)は車イスに乗る頭脳明晰な高校生。ハル(新田真剣佑)は運動神経抜群のバスケ部エース。二人は親友だった。そして、ハルには恋人のコトナ(永野芽郁)がいた。そしてユウも密かにコトナに想いを寄せていた。ある時、コトナが謎の男に刺される。ユウとハルはコトナを救おうと奔走するが、その時、二人は謎の異世界、「二ノ国」に飛んでしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

ない。

 

というのは流石に酷い。ジークフリード・キルヒアイスを見習い、ゴミ溜めにも美点を見出す努力をすべきだろう。敢えて挙げれば久石譲の音楽ぐらいだろうか。戦慄、じゃなかった、旋律の美しさを感じる瞬間は幾度かあった。

 

ネガティブ・サイド

はっきり言って永野芽郁は声優の才能がない。余りにも声の演技が下手すぎる。抑揚もつけられず強弱もつけられず、声にメリハリもなく、感情も乗せられず、端的に言って素人である。はっきりいってギャラをもらってよい仕事ではないし、これで観客からチケット代をもらおうというのも、面の皮が厚過ぎる。そもそも監督は何をどうディレクションしていたのだ?

 

酷いのは山崎賢人や新田真剣佑も同罪だ。ただただ五十歩百歩というだけだ。もちろん永野が百歩で山崎と新田が五十歩という意味だ。

 

作画も序盤は終わっている。ユウが帰宅した後に自室に入るシーン。あれは実際に車イスの人間がドアを開ける動作を観察した結果なのか。どう考えても遠近法が崩れている。機会あれば車イスに乗ってドアノブを回して押してみてほしい。といっても、本作を二回観ようとするのは、鍛えられたクソ映画愛好家だけだろうが。また、中盤のあるシーンでは緊迫したシークエンスがあるのだが、どう考えても光の速さで車に車いすを積み込んだとしか思えない。車イスが完全にオーパーツになっている。勘弁してくれ。車イスによって、ハル&コトナとユウの間に微妙な距離があることは受け入れられるが、その他のシーンでの車イスの扱いが酷い。この監督が車イスを単なるガジェットにしか考えていないことがよく理解できた。

 

そもそもキャラクターの思考や行動原理からして意味不明で理解不能だ。なぜコトナは不審者に追われていると感じた時に自宅や親、または110番通報をしなかった?なぜ大通りに出なかった?そして何故にハルはわき腹を刃物で刺されたコトナを見るなり、ユウに向かって「お前、何やってんだ?」と叫ぶのか。そこは「何があったんだ?」または「誰がやったんだ?」だろう。頭がおかしいのか。そして、何故にハルはコトナを抱き抱え、走り去るのか。救急車を呼ぶという知恵がないのか。

 

それにしても二ノ国という設定自体にオリジナリティも捻りも無さ過ぎる。『 あした世界が終わるとしても 』や『 バケモノの子 』、『 DESTINY 鎌倉ものがたり』、『 バースデー・ワンダーランド 』のごった煮で、最初に入った酒場は、ファイナルファンタジーの酒場の音楽かと錯覚するような典型的なTavern Musicが流れ、『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』のカンティーナと『 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 』の酒場兼宿屋を足したような場所。さらにそこでしゃしゃり出てくる動物キャラも面白みゼロ。せいぜい終盤の引き立て役かと思ったら、それも無し。

 

そして二ノ国はこれだけに飽き足らず、これでもかと既視感たっぷりのガジェットを繰り出してくる。船が飛び立ったシーンは「『 ハウルの動く城 』か、おい!」と劇場で我あらず声に出してしまったし、ハルの纏う鎧はどこからどう見ても漫画『 ベルセルク 』の狂戦士の甲冑のパクリで、グランディオンなる聖剣はゲーム『 クロノトリガー 』のグランドリオンと余りにも名前が似すぎている。黒幕はご丁寧にも『 GODZILLA 星を喰う者 』のメトフィエスに顔も風貌もそっくり。なんでやねん。もうちょっと捻らんかい。で、顔がデビルマンのそっくりさんって・・・ そして最後の最後も『 スターゲート 』と『 ジョン・カーター 』でフィニッシュ!って、捻らんかい!!

 

序盤にユウを頭脳派として描きながら、いきなり肉体派に華麗なる変身を遂げたり、ハルはハルで事象を正確に把握できない脳タリンちゃん。なぜコトナのわき腹に刃物が突きたてられたことで、アーシャ姫のわき腹に呪いの剣が突き立てられているのか。その因果関係は、確かにあの時点では分からない。だが、アーシャ姫の呪いを解いたことでコトナが回復したことから相関関係を読み取れないのは何故なのか。Aがダメージを負うとA´もダメージを負う。Aが回復するとA´も回復する。なるほど、A´を殺せば、Aが助かる!!って、何をどうやったらそんな思考のサーカスが展開できるのか。

 

ラストシーンも醜い。ハルとコトナ、お前らが無意識に車イスのユウに対して差別の心を抱いていたのがよく分かった。何故この場所を選んだ?何故あのような台詞を言わせた?百瀬義行という男の思考や感性に対して吐き気に近い嫌悪感を催している。

 

古今東西の映画のモンタージュで彩られたパッチワーク世界にアホ過ぎるキャラクターたち、そして返金を要望したくなるほどのヴォイス・アクティング。ここにきて年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼に躍り出てきた。いや、2010年代で最低の映画と評しても良いかもしれない。それほどのクソ映画である。

 

総評

チケットを買ってはならない。時間とカネの無駄になるだけである。漫画喫茶でこっそり一休みしようかという外回り営業マンがタダ券を持っているのであれば、真っ暗な劇場で耳栓をして二時間眠るのならば良いのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to forget about this film as quickly as possible.

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, F Rank, アニメ, ファンタジー, 宮野真守, 山崎賢人, 新田真剣佑, 日本, 永野芽郁, 監督:百瀬義行, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

『 天気の子 』 -不完全なセカイ系作品-

Posted on 2019年7月26日2020年4月11日 by cool-jupiter

天気の子 55点
2019年7月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:醍醐虎汰朗 森七菜
監督:新海誠

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あらすじ

関東は異常気象で数十日も雨が降り続いていた。家出少年の帆高(醍醐虎汰朗)は、ふとした縁から、オカルト記事ライターの事務所で職を得る。精勤する穂高は、ある時、陽菜(森七菜)という少女のピンチを救う。弟と二人暮らしの陽菜は、しかし、実は祈ることで天気を晴れにすることができるのだった・・・

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以下、ネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

雨、雨、雨で気分が滅入るが、その分、晴れ間の美しさはとびきりである。そして『 シン・ゴジラ 』を思わせる、近未来的な東京(武蔵小杉は神奈川か)の景観はファンタジーとリアリティの境界線上にあると感じられた。現実の世界での突拍子もない事象にリアリティを持たせるためには、まずは舞台となる世界そのものを現実<リアル>から少しずらすことが必要である。本作はその導入部で成功している。何故なら、東京の爛熟した発達模様と、大都市に特有の不潔で冷酷な生態系が発達する場所の両方がフォーカスされるからだ。そして、穂高と陽菜の二人、いや主要なキャラクター達は全員、比喩的な意味での日の当たる場所に出ることはない。東京という摩天楼のひしめく街区ではなく、木造のおんぼろアパートや、明らかに空襲を免れた痕跡である、込み入った狭い路地が錯綜する地域に住まうのが穂高や陽菜である。この舞台設定により、我々はほぼ自動的にこの若い男女に感情移入させられるのである。

 

メインヒロインの陽菜のキャラクターは本作を救っている。はっきり言って、狙って作ったキャラクターである。新海誠の趣味が全開になったようである。あるいは、全ての男に媚びを売るためなのだろうか。器量良し、料理良し、家事良し、人柄良し、そしてなによりも年上と思わせておきながら年下である。これは反則もしくは裏技である。姉萌えと妹萌えの両方を満足させるからである。といっても、前振りや伏線はしっかりと用意されているので、アンフェアではない。

 

そして穂高についても。本作は典型的なボーイ・ミーツ・ガールであるが、同時に A Boy Becomes a Manのストーリーでもある。A Child Becomes an Adultでないところに注意である。大人とは何か。それは『 スパイダーマン ホームカミング 』で、ピーターとトニーが交わす会話に集約されている。つまり、責任ある行動を取れるかどうかなのだ。しかし、少年と男は違う。我々はよくプロ野球選手などが「優勝して、監督を男にしたい」と言ったりするのを聞く。ここでいう男が生物学的な意味での雄を意味するわけではないことは自明である。男とは、自らの信念に忠実たらんとする姿勢、生き様のことなのだ。そういう意味では、穂高は子どもから大人になろうとしているのではなく、少年から男になろうとしている。大人であっても男ではない男はたくさん存在する。むしろ、大人になってしまうと男になることは難しい。それは大人だらけのプロ野球の歴史を見ても、“男”という枕詞が定冠詞の如く使われる選手は、「男・前田智徳」ぐらいしか見当たらないことからも明らかである。そして、穂高は確かに男になった。その点においては、自らの信念に忠実であり続けた新海誠監督を評価すべきなのだろう。

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ネガティブ・サイド

これは周回遅れのセカイ系なのか。ひと組の男女の関係がそのまま世界の命運に直結するというプロットを、我々は90年代後半から00年代終盤にかけて、これでもかと消費してきたのではなかったか。『 君の名は。 』も、確かにそうした系譜に連ねてしまうことはできなくもないが、星というこの世(地球)ならざるものの存在が、世界をセカイに堕してしまうことを防いでいた。天気は、しかし、それこそ身近すぎて、世界がいともたやすくセカイに転化してしまう。それがJovianの受けた印象である。宇宙的なビジョンが挿入されるシーンがあるが、そのようなものは不要である。蛇足である。天気・天候と宇宙の関係を追求したものとしては梅原克文の伝奇・SF小説の傑作『 カムナビ 』がある。話のスケールもエンターテインメント性も、こちらの方が遥かに上である。惜しむらくは、梅原の著作はどれも映像化が非常に困難だということである。しかし、いつか勇気あるクリエイターたち(できれば『 BLAME! 』をアニメ映像化したスタジオにお願いしたい)が『 二重螺旋の悪魔 』をいつか銀幕上で見せてくれる日が来ると信じている。

 

Back on track. セカイ系は既にその歴史的な役目を終えたというのが私見である。それは西洋哲学史が、神、絶対者、歴史という抽象概念な概念としての世界から、フッサール以降は「生活世界」にフォーカスするようになり、さらに現代哲学は言葉遊びと現象学、脳神経科学、、心理学などが複雑に絡み合う思想のサーカス状態である。セカイ系は、思想的には「生活世界」=森羅万象という思考に帰着するものだ。自らの生きる、実地に体験できる範囲の世界のみを現実と認識することだ。しかし、そこには重要な欠落がある。想像力だ。人間の持つ最も素晴らしい能力である、想像力を弱めてしまうからだ。穂高は陽菜のために関東を犠牲にしたと言えるが、それは少年が男になる過程としては受け入れられても、子どもが大人になる過程としては違和感しかない。穂高もそうだが、それは須賀というキャラクターに特に象徴的である。この人物は、大人にも男にもなり切れず、大人のふりをした決断をする。もちろん、アニメ映画の文法よろしく、最後には主人公の味方になるのだが、それまでに見せる須賀の想像力の無さには辟易させられる。まるで自分というおっさんの至らない面をまざまざと見せつけられているようだ。「大人になれ」という須賀の台詞には、軽い怒りさえ覚えた。それも監督の意図するところなのだろうが。

 

雨を降らせ続けるという決断を下したのであれば、それがどれほど甚大な被害をもたらす決断であるのかをしっかりと描かなくてはならない。昨年(2018年)の西日本豪雨の被害はまだ我々の記憶に新しい。土砂災害もそうであるが、長雨により発生するカビ、金属の腐食、農作物の不作、疫病の発生、生態系への影響など、「昔に戻る」で決して済まない事態が出来することは日を見るより明らかだ。だいたい、あの銃があの状況で使えてしまうことがそもそもおかしい。いずれにせよ、穂高と陽菜の決断の結果、世界が“想像を超えた災厄”に見舞われていないと、それはセカイ系の物語としては不完全だ。というよりも、セカイ系の文法からも外れているではないか。特に世界全体がリアリティを欠いている。児童相談所は一体何をやっている?地域の公立小中学校は?警察も無能すぎる、と言いたいところだが、富田林署から逃げ出した男が実在するわけで、ここは減点対象にしない方が良いのだろう。

 

空の世界の描写も『 千と千尋の神隠し 』の白と式神のオマージュなのだろうか。もっとオリジナリティのあるビジョンは描けなかったのだろうか。細かい部分にも不満は残るが、全体を通じてやはりミュージック・ビデオ的な作りであるとの印象は避けられない。愛にできることを問うのは美しいが、愛が必然的に伴うネガティブな部分の描写の弱さ故に、子ども向け作品としてしか評することができない。

 

総評

最近、特に年齢を感じる。肉体的にそうだ。風邪をひいて、回復するのに4~5日を要するようになってしまった。精神的な老いも感じる。対象の新しい可能性を探ろうとするよりも、既知のものとのアナロジーで語ることが多いことは自覚しているが、仕事でも私生活でも何かを変えなければならない時期に来ているのかもしれないと感じた次第である。本作について言えば、オッサンの鑑賞に堪える部分は少ないだろう。しかし、中高大学生カップルあたりは、『 君の名は。 』と同じくらいに楽しめるのではなかろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アニメ, ファンタジー, 森七菜菜, 監督:新海誠, 配給会社:東宝, 醍醐虎汰朗Leave a Comment on 『 天気の子 』 -不完全なセカイ系作品-

『 風立ちぬ 』 -今だからこそ見るべき矛盾に満ちた物語-

Posted on 2019年7月22日 by cool-jupiter

風立ちぬ 85点
2019年7月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:庵野秀明 瀧本美織
監督:宮崎駿

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2019年7月19日の夜にこのレビューのdraftを書いている。つまり、参議院選挙の2日前である。戦後レジームからの脱却を声高に唱え続ける与党であるが、それこそが戦前の空気の醸成であることに気がつかないのか。それとも気付いていて、意図的にそうした空気を作り出しているのか。官憲に公文書を改竄させ、さらには自身の選挙演説を野次る一般市民を官憲の力で強制排除する。これは現実の出来事なのだろうか。『 君の名は。 』は夢と現が混ざり合う不思議な物語であったが、夢と夢がシンクロしてつながるというアイデアは本作の方が先に採用していた。あらためて見返してみて、100年近く前の日本と現代の日本に驚くほど共通点があることにショックを受ける。

 

あらすじ

堀越二郎(庵野秀明)は小さな頃から、空への憧れを抱いていた。長ずるに及んで、彼は技術者となった。そして飛行機の設計技師として頭角を現していく。そして運命の相手、菜穂子(瀧本美織)と結婚する。だが、日本には戦争の影が、菜穂子には結核という病魔が迫っていた・・・

 

ポジティブ・サイド

映画とは芸術の一形態である。芸術には、メッセージが込められている。そうしたメッセージというのは、作家個人が発するものであったり、または時代や社会と切り結ぶことで生まれてくるものであったりする。後者のメッセージを発し続けるものとして、『 ゴジラ 』が挙げられる。本作は、宮崎駿本人の作家性と、堀越二郎という人物の生きた時代背景と現代に通じるテーマ、その両方を追求している。軽快に飛ぶ航空機を作り出すという純粋な夢、それが獰猛な兵器に転化してしまうという恐れ。国民が貧困にあえぐ中、多大なカネを費やして飛行機の設計と製作に携わっていく。部品一つの値段で、何人の子どもたちの食費がどれだけの期間賄えてしまうのか。矛盾である。大いなる矛盾である。よく知られていることであるが、宮崎駿は兵器オタクにして反戦論者である。これも矛盾である。中高老年のオッサンが、好んで少女を主人公にした映画を作る。これも矛盾である。アニメキャラの声の担当に声優ではなく俳優や、場合によっては素人も使う。これも矛盾である。本作は、人間の抱える矛盾に大きくフォーカスした作品であると言える。人間は美しい部分だけで成り立っているわけではない。主人公の二郎の生き様は決して褒められたものではないところもある。病床の菜穂子を気遣いながらも、プロジェクトXさながらに家庭を顧みず、仕事に打ち込む。そうした二郎の姿勢についての不満は妹の加代が、視聴者の心情のかなりの部分を代弁してくれる。そして、カストルプさんが指摘する「チャイナと戦争してる、忘れる。満州国作った、忘れる。国際連盟抜けた、忘れる。世界を敵にする、忘れる。日本破裂する。ドイツも破裂する」という、日本の忘却能力、反省の無さは、間接的な現代社会批判だろう。同時に二郎の言う「この国はどうしてこう貧しいんだろう」という言葉も同じである。本庄の言う「恐るべき後進性」もそうだ。宮崎は現代日本を鋭く抉っている。しかし、『 シン・ゴジラ 』における矢口の演説と同じく「我が国の最大の力は現場にある」ということを、二郎や本庄その他のエンジニアたちの自主的な研究会を通じて描き出す。日本という国の弱点と美点、つまりは矛盾をここでも浮き彫りにしている。

 

ことほど左様に矛盾に満ちた物語であるのだが、それは取りも直さず我々の生きることそのものが矛盾に満ちているからに他ならない。死ぬと分かっていながら生きるしかない。別離が来ると分かっていても結ばれるしかない。そうした矛盾を飲み込んで、それでも生きるしかない。菜穂子が最後に語る言葉がそのまま宮崎駿が我々に送るメッセージであろう。“The show must go on”ならぬ“We must live on”である。

 

夢と夢がシンクロするということに類似のアイデアは『 君の名は。 』にも使われたが、本作の二郎とカプローニの会話は、ある意味で究極の自己内対話である。幼少のころから辞書を片手に洋書に親しんできた二郎は、カプローニに私淑していた。単に書を読むだけではなく、夢の中でシンクロしてしまうほどに読み込んでいたわけだ。これはまさにちくま新書『 私塾のすすめ 』の140-141ページにおいて斎藤孝と梅田望夫が語る「自己内対話」に他ならない。であるならば、最後の最後の夢で、二郎が菜穂子と言葉を交わすシーンで、様々なものが逆転する。我々は二郎をselfishなworkaholicであって、彼が菜穂子を愛している度合いを疑問視させられてしまう。しかし、菜穂子も二郎と同じ夢を見ていたのだ。会えない二郎、離れていくことしかできなかった二郎と菜穂子は、奥深い部分でつながっていたのだ。これは見事な脚本にして演出である。

 

ネガティブ・サイド

二郎の卓越したセンスというものが、もう一つ伝わりにくい。魚の骨の曲線に美しさを見出すエピソード以外にも、紙飛行機を作る所作や紙の折り方にこだわる様子などを映してほしかった。

 

個人的に思うことだが、二郎と菜穂子の閨房のシーンは必要だったか。もちろん直接に描写されたわけではないが、もっと間接的に、匂わせるだけの描写の方が、このカップルには相応しいのではなかったか。玄関先でのキスシーンも同様で、アップではなく、もっと引いたところからのショットの方が、逆にロマンチックに、もっと言えばエロティックにすらなったのではないだろうか。人間は見えているものよりも、よく見えないものの方により想像力を働かせるからである。

 

総評

これは傑作である。次代を超えた普遍的なメッセージを送っているとともに、現代日本の「今」という瞬間を極めて健全に批判している。苦しくとも生きる。辛くとも生きる。愛する者のために生き、愛する者を残しても生きる。見終わって爽快感などは得られない。しかし、心底から苦しいと感じた時に、自分はこの作品に帰ってくるかもしれないと感じた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, アニメ, ラブロマンス, 庵野秀明, 日本, 瀧本美織, 監督:宮崎駿, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 風立ちぬ 』 -今だからこそ見るべき矛盾に満ちた物語-

『 君の名は。 』 -夢と現の狭間の物語-

Posted on 2019年7月21日 by cool-jupiter

君の名は。 65点
2019年7月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:神木隆之介 上白石萌音 長澤まさみ
監督:新海誠

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190720235533j:plain

これはStar-crossed loversの物語である。Starには星や、スター誕生のスターなど色々な意味を持っているが、「運命」という意味もある。そうしたことは『 グレイテスト・ショーマン 』でのゼンデイヤとザック・エフロンのデュエットが『 リライト・ザ・スターズ 』(Rewrite The Stars)『 きっと、星のせいじゃない 』の原題が“The Fault In Our Stars”(英語学習者で意欲のある人は、何故fault in our starsであって、fault with our starsなのか調べてみよう)であったりと、星は運命を司るものの象徴だった。そのことを真正面から描いた作品には希少価値が認められる。確か封切の週の日曜日の夕方に東宝シネマズなんばで鑑賞した記憶がある。あまりの観客の多さに、上映時間が20分ぐらいずれたと記憶している。『 天気の子 』の予習的な意味で再鑑賞してみる。

 

あらすじ

地方の田舎町に暮らす宮水三葉(上白石萌音)と東京に暮らす立花瀧(神木隆之介)は、互いの身体が入れ替わるという不思議な夢を見る。しかし、それは夢ではなく、二人は本当に入れ替わっていた。決して出会うことのない二人は互いへの理解を深めていく。その時、1200年に一度の彗星が迫って来ており・・・

 

ポジティブ・サイド

 

以下、ネタばれに類する記述あり

 

グラフィックは美麗の一語に尽きる。特に森の木々や空の雲、水面が映す光など、オーガニックなものほど、その美しさが際立っている。映画とテレビ番組の最大の違いは、映像美、そのクオリティにある。大画面に生える色彩というのはインド映画で顕著であるが、アニメーションの世界でも、いやアニメーションの世界だからこそfantasticalな色使いを実現することができるのだ。そのポテンシャルを存分に追求してくれたことをまずは讃えたい。

 

ストーリーも悪くない。星を身近に感じない文化はおそらく存在しない。要は、星をどのようなものとして捉えるか。その姿勢が、観る者の心を掴むことにもつながる。劇中でも言及されるシューメーカー・レヴィ第9彗星、それに百武彗星、ヘールボップ彗星などは一定以上の年齢の人間には懐かしく思い出されるだろう。また、こうした彗星を懐かしく思える人というのは、小惑星トータチスや、さらにはノストラダムス絡みの終末論などをリアルタイムで“楽しんだ”世代の人間だろう。新海誠氏はJovianのちょっと年上であるが、For our generation, stars are romanticized symbols. 星とは死と再生、破壊と創造の架け橋なのだ。そうしたモチーフとしてのティアマト彗星が、RADWIMPSの楽曲とよくフィットしている。七夕を現代的に大胆にアレンジすれば、このようなストーリーになってもおかしくない。

 

逢魔が時、黄昏時、誰彼時。確かに夏の日などには、ほんの数分、世界が紫の光に包まれる瞬間がある。生と死、陰と陽(これも分かりやすく町長の部屋にあった)、そうしたものが溶け合い混じり合う瞬間こそが、本作のハイライトである。それは夢現である。夢なのか、それとも現実なのか。『 となりのトトロ 』の「夢だけど夢じゃなかった」という、あの感覚である。そして、夢ほど忘れやすいものはない。たいていの人は、どうしても忘れられない強烈な夢の記憶が二つ三つはあるだろう。しかし、昨日見た夢さえ人は忘れてしまう。いや、悪夢にうなされて目覚めても、わずか数分でどんな夢だったかすら、我々は簡単に忘れてしまう。身体を入れ替える。それは、ある意味では究極の愛の実現である。アンドロギュヌスは男女に分裂してしまった。だからこそ、互いに欠けた状態を求め合う。それがエロスである。性欲や性愛ではなく、失われた半身を無意識のうちに探してしまう。それが瀧と三葉の関係である。そして、瀧は愛する三葉のために三葉になる。アガペーとも概念的に融合したキリスト教的な愛である。我々は愛する人が病気などで苦しんでいる時に、できることならその苦しみを自分が代わりに引き受けてやりたいと願う。しかし、それは神ならぬ身の自分にはできない。キリスト教の神は、人の罪を購うために一人子のイエスを遣わし、自ら死んだ。愛する人の代わりに死ぬ。それが究極の愛なのかもしれない。久しぶりに、ロマンチックな物語を観たと思う。

 

ネガティブ・サイド

普通に考えれば、瀧と三葉が入れ替わっている時に周囲の人間は異常事態に気付くはずである。「昨日はちょっと変だったぞ」では済まない。絶対に。ファイナルファンタジーⅧのジャンクションではなく、本当に中身が入れ替わっているのだから。例えばJovianの中身が、Jovianを非常によく知る人と入れ替わったとしても、Jovianの妻は一発で見破るであろう。夫婦の間でしか通じないパロールやジェスチャーがあるからだ。

 

また日本中の何十万人もの人が突っ込んだに違いないが、一応自分でも突っ込んでおくと、瀧の時間と三葉の時間にずれがあることは絶対にどこかで気付くはずだ。携帯電話でも、テレビでも、カレンダーの日付と曜日でも、新聞でも、なんでもよい。さらに、入れ替わる先の時間が異なっているというのは、ファイナルファンタジーⅧだけではなく、ゲームのPS2ゲーム『 Ever17 -the out of infinity – 』(厳密には入れ替わりではないが・・・)がネタとしては先行している。または同系列のPS2ゲーム『 12RIVEN -the Ψcliminal of integral- 』にも同じトリックが仕込まれていた。さらに遡れば『 市民ケーン 』も、一本道のストーリーと見せて、時間が大胆に飛ぶ構成になっていた。リアルタイムで展開されていると思われた二つの事象が時間線上の異なる点での出来事だったというのは、個人的にはこの上ないクリシェであった。

 

全体を通じて感じられるのは、RADWIMPSのためのミュージック・ビデオのような作りになっているということである。映像は美しく、キャラクター達もそれなりに魅力があり、ストーリーは陳腐ではあるが、美しくもある。しかし、そうした作品の長所や美点を支えているのが、音楽であるかのように感じられるのは何故なのだろうか。前世、運命、未来。そうしたバナールなお題目は、物語全体を以って語らしめるべきで、優れた楽曲に仮託するものではないだろう。本作のテーマは『 ボヘミアン・ラプソディ 』ではないのだから。

 

総評

悪い作品では決してない。むしろ優れている。ただ、新海誠監督の美意識というか様式美というか、『 秒速5センチメートル 』や本作などに見られるように、現実と非現実、此岸と彼岸、現世と幽世の境目、そこにある断絶の広がりを追い求めるのが氏のテーマである。今作はそれが若い世代の嗜好にマッチして爆発的なヒットになったことは記憶に新しい。しかし、もうそろそろ違うテーマを探し始めてもよいのではないだろうか。『 天気の子 』も同工異曲になるのだろうか。そこに一抹の不安を感じている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アニメ, ラブロマンス, 上白石萌音, 日本, 監督:新海誠, 神木隆之介, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 君の名は。 』 -夢と現の狭間の物語-

『 哲人王 李登輝対話篇 』 -様々な点で更なる深堀りが必要な作品-

Posted on 2019年7月7日2020年4月11日 by cool-jupiter

哲人王 李登輝対話篇 40点
2019年7月4日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:桃果 てらそままさき
監督:園田映人

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人に勧められて鑑賞。元々少し興味があったので、劇場上映最終日に出陣。着眼点は悪くないと思うが、映画的演出の面、さらに歴史を見つめる視座・視覚にまだまだ改善の余地ありと言わざるを得ない。

 

あらすじ

女子大生の山口まりあ(桃果)は現代の世界の在り方に疑問を抱いていた。悪くなっていくだけの世界に絶望したまりあは湖への投身自殺を図る。しかし、その時、まりあの心に語りかけてくる声があった。それは台湾の元総統・李登輝の声だった。李登輝は言う。あなたの心を変えてみたい。だから私の話を聞いて欲しい。それまで、あなたの命は私に預けるように、と。かくして、李登輝とまりあの心の対話が始まった・・・

 

ポジティブ・サイド

台湾という、ある意味で誰もが余りはっきりと理解していない国に焦点を当てるというのは、着眼点として優れている。そして、地政学的に複雑な場所に位置する台湾が辿ってきた数奇な歴史は、日本が歩んでいたかもしれないifの歴史とシンクロする、あるいはオーバーラップするところも多いだろう。2014年のロシアのクリミア併合や今も続く北方領土問題、前世紀末から続く周辺諸国による南沙諸島の領有争い及び中国の実効支配化、更に尖閣諸島への進出など、現代においても領土的野心を捨てていない大国がすぐ近くに存在するという現実を念頭に置いた上で李登輝の話に耳を傾ければ、グローバリゼーションが着々と進行する中で、どのように「民族自決」にも重きを置いていくべきなのかが見えてくる。

 

歴史を過去の物語とせず、現代を把握する上での貴重な羅針盤や航海図として見るのならば、それは正しい歴史の見方であると思う。そのことがある程度達成されていることが本作の貢献であろう。

 

ネガティブ・サイド

大きくは二つある。まず、まりあというキャラクターがあらゆる意味で駄目駄目である。世界には飢えた子どもがいる、戦争、紛争が絶えない地域がある。自分たちはそれをニュースとして消費するだけである。こんな世界に誰がした?こんな世界に生きる価値は無い!だから死ぬことにする・・・って、アホかいな。ティック・クアン・ドックみたいに燃えるプラカードとして国会議事堂前で絶命するぐらいしてみろ、とまでは言わない。ただ希死念慮を抱く前に、「こんな世界に誰がした?」という問いかけに、自分で答えようとする意気込みぐらい持ちなさい。大学生だろう。色々勉強してみたが、現代史はあまりにも複雑に絡まり合っていて何が何だか分からない、自分はやっぱり無力だ・・・という流れも何もなしに、「死にます」では誰の共感も得られない。2分でいいから、まりあの勉強、および無力感を味わうシーンを挿入できなかったのか。ストーリーボードの時点でそもそもそんな構想は存在しなかったのか。またはポスプロの編集でカットされたのか。いずれにしても、まりあというキャラクターを立たせるのに失敗している。

 

二つには、歴史を単眼的に捉えている点である。複眼的ではないということである。では複眼的とは何か。これについては色々と分析できるが、Jovianが主に用いる思考法は以下である。すなわち、「事実」と「真実」の両方を考える、ということである。

 

まず李登輝総統が語る日本軍による台湾統治の物語は紛れもない真実であろう。しかし事実は、日本が軍事力によって台湾を支配したということである。台湾がそのことによって発展し、教育を授けられ、日本に恩義を感じたというのは真実である。しかし、日本は台湾及び台湾人のために開発援助を行ったのではない。台湾が日本の一部になったからそうしたのである。日本政府が日本の国土を適切に開発し、自国民に適切な教育を与えるのは理の当然である。事実はこうである。それを台湾の人たちがありがたく受け取ってくれたことが真実である。本作は真実の方にばかり焦点を当て、事実を顧みることに余りにも無頓着であるように映った。日本は教育熱心だったのは事実である。そのことは、例えば岡山県の閑谷学校の歴史を見ればよい。藩から独立した財源を確保することで、藩政に支障が出た時や財政難にあっても、教育活動が絶えることなく行われるような仕組みが江戸時代にはすでに存在していたのだ。閑谷学校の例があまりにもマイナーだと言うなら、寺子屋のことを考えるのも良いだろう。日本は大昔から自国民の教育に熱心だった。これは素晴らしい点である。日本の美徳と言ってよい。これは事実である。台湾の人が日本の教育をありがたく思った。これは真実である。台湾は当時、日本の一部だった。これは事実である。日本は自国民たる台湾の人々に教育を施した。これは事実である。事実は事実で、真実は事実に解釈を加えたもののことである。そして、解釈は自分で行うものである。まりあは余りにも無邪気に李登輝の語る真実を受け止め過ぎている。それがJovianの印象である。事実と真実を峻別できていない、すなわち批判的思考=Critical Thinkingができていない。それが、まりあというキャラクターの最大の欠点である。まるで小林よしのりの『 ゴーマニズム宣言 』に次々に洗脳されていった2000年前後の憐れな大学生たちを思い出した。『 主戦場 』には、日本の未来への眼差しがあった。本作は現実の肯定および受容で立ち止まってしまった。そこにある質的な差は大きい。

 

映像芸術としても粗が目立つ。実写とアニメーションの混合という点では『 真田十勇士 』という駄作が思い出される。本作のアニメーションは欠点とまでは言えない。しかし。余りにも数多く繰り出されてくるクリシェなショットには頭痛がしてきた。具体的には、まりあの振り返りである。廊下を歩くまりあがふと立ち止まり、振り返る。まりあの向こうにはまばゆい光が輝き、それがまりの輪郭をより強く際立たせ・・・って、これは美少女にフォーカスしたアホなラブコメなのか?まりあが自殺を図って、気を失って、目を覚ますところでも、なぜか服がピンクのワンピースに変化していたが、その時のまりあの寝姿がグラビアアイドルのそれだった。だから、そういう構図のショットはラブコメまたは純粋なロマンスもの、またはアイドルにのイメージビデオでやってくれ。園田監督のセンスを大いに疑う。

 

総評

本作を見て、「嗚呼、日本はやはり素晴らしかった」と思える人はあまりにも純粋無垢である。勘違いしないで頂きたいが、Jovianは別に日本の歴史の全てをネガティブに捉えているわけではない。ただし、歴史の一部だけを切り取って、それを現状の肯定の材料にするという思考方法に大いなる疑問を抱いているだけである。子曰く、「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」。Jovianは第二次大戦について絶対に譲ることのできない日本の過ちとして、学徒動員を挙げる。兵隊が尽きたら降伏せよ。軍人ではない市民を戦争に駆り出すな。日本政府そして日本国民の大部分はそのことに無自覚である。外国人からの評価を以って、自身の評価につなげるべからず。自身の歴史を引き受けよ。その上で現状だけではなく未来に目を向けよ。しがないサラリーマン英会話講師の精いっぱいの叫びである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アニメ, てらそままさき, 日本, 桃果, 歴史, 監督:園田映人, 配給会社:レイシェルスタジオLeave a Comment on 『 哲人王 李登輝対話篇 』 -様々な点で更なる深堀りが必要な作品-

『 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 』 -オタクに媚びるのもほどほどに-

Posted on 2019年6月21日2020年4月11日 by cool-jupiter

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 45点
2019年6月20日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:石川界人
監督:増井壮一

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一時期、Jovianは何かの弾みで舞城王太郎や清涼院流水、浦賀和宏を読み出して、ラノベ方面にも手を出していた。今は、葉山透の『 9S 』の11巻以降と範乃 秋晴の『 特異領域の特異点 』の3巻を待っているだけである。たまには頭をリフレッシュさせるかと、タイトルだけ見て本作のチケットを購入した。何とも評価に困る作品であった。

 

あらすじ

梓川咲太は、女優にして恋人の桜島麻衣との交際も順調で、学校やバイト先でも仲間に恵まれ、幸せに暮らしていた。、しかし、咲太の初恋の相手の牧之原翔子が現れたことで、咲太と麻衣の関係が少しギクシャクし始めた。なぜなら翔子は「中学生」と「大人」として、二人同時に存在しているため・・・

 

ポジティブ・サイド

ストーリーの軸がぶれなかったの良かった。各キャラに合わせて色々なサブプロットを展開させなかったのは正解である。開始早々、原作未読者を置いてけぼりにする作りになっていることは分かった。これは潔い。ならばこちらは登場人物たちの背景や関係を把握することに努めるのみである。幸か不幸か、どこまでも定番のキャラクターたちが揃っていて、人物の属性把握は極めて容易い。同学年の寡黙な理系メガネ女子や、バイト先の年下妹系キャラなど、これまでに100万回見たり読んだりしてきた紋切り型のキャラクター造形はむしろありがたい。型どおりのキャラクター達が、とあるキャラクターが抱える謎に迫っていくストーリーも100回は体験した気がする。だからこそ分かりやすい。

 

咲太というキャラが、どこまでも純粋なところも共感しやすい。男という生き物は、その実際の生態は別にして、自分自身を純であると認識する傾向がある。本作の狙う客層は95%は男であるだろうし、事実劇場の客はほぼ100%男性(一人客5割、グループ客5割であったように見えた)だった。このようにデモグラフィックをはっきりさせた映画は鑑賞しやすい。メインターゲットの人々にとっては、一昔前に流行ったイージー・リーディングならぬイージー・ウォッチングが可能となる。不覚にもJovianは咲太というキャラを少し応援してしまった。

 

ネガティブ・サイド

王道的なキャラクター、王道的な展開というのは、一歩間違えれば陳腐で凡庸となる。本作はそのあたりの境界線上をかなり慎重に綱渡り的に進んで行くが、相対性理論やら量子力学、超ひも理論、タイムトラベルを持ち出してきたあたりで、面白さが半減してしまった。確かにオタクは、本田透の分析に頼るまでもなく、最先端科学理論と格闘技が好きな生き物である。だからといって、意味のないガジェットにまで凝る必要はない。理系メガネ女子が読む「超ひも理論」の書籍に、ダジャレ以上の何の意味があるのか。タイトルからして『アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 』へのオマージュになっているには分かるが、それならせめて最低限の科学的一貫性を維持してもらいたい。相対性理論でタイムトラベルを説明するのなら、量子力学を持ち出さないでほしい。この二つの理論の相性は残念ながらすこぶる悪い。オタク相手に媚びたいのかもしれないが、おそらく通常のオタクはもっと科学的に洗練された、あるいは哲学的に深みのある設定を好むのではないか。それとも、それはJovianの世代の感覚で、今の10代や20代は、それっぽい用語や小道具を随所にちりばめておけば満足するのだろうか。タイムトラベルものというのはどこまでも矛盾に満ちているものだが、本作は『 アベンジャーズ/エンドゲーム 』が採用した、時間=意識説を用いる一方で、歴史を分岐しうる時間線の如く扱っている。無茶苦茶である。支離滅裂である。途中のウサギは『 ドニー・ダーコ 』へのオマージュなのか。やたらと難解SFを模すれば良いというものではないだろう。少しは『 ペンギン・ハイウェイ 』を見習うべきだ。

 

また、入浴シーンやキャラのバストアップのシーンなど、必然性を感じないアングルのショットがところどころで挿入されるのは何なのか。ストーリーテリングの上で必然性があればよいが、とてもそのようには感じられなかった。サービスとエンターテインメントを履き違えていないか。

 

総評

それなりに楽しめるものの、作り手の過剰なサービス精神がマイナスに作用しているという印象を受けた。あくまで原作未読者の感想である。ただ、ラノベが元々は1950~1960年代のSF作品の劣化コピーの延長線上に生まれたものとの認識を持てば、それほど目くじらを立てるほどのものではないのかもしれない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, 日本, 監督:増井壮一, 石川界人, 配給会社:アニプレックスLeave a Comment on 『 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 』 -オタクに媚びるのもほどほどに-

『 PERFECT BLUE 』 -様々なクリシェの原点となった作品-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

PERFECT BLUE 75点
2019年5月23日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:岩男潤子
監督:今敏

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恥ずかしながら、これまでこの作品のことは耳にしながら、観る機会を持っていなかった。『 プラダを着た悪魔 』と同じく、観ようと思いながら、何かが自分を押し留めていた。いつになったら自分は『 タイタニック 』を観るだろうか?そんなことも映画館から帰り道で考えてしまった。

 

あらすじ

アイドル活動をしていた霧越未麻(岩男潤子)は女優への転身を目指していた。あるテレビドラマでレイプされるシーンに体当たりで挑んだことで、女優としての評価を高め始めた。しかし、彼女の周りで奇妙な傷害事件や殺人事件までもが発生するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

驚くほどにクリシェに満ちた作品である。しかし、それは現代的な視点で観たからこそ言えることで、逆に言えば本作はどれほど後発の作品にインスピレーションを与えたか、その影響の巨大さを窺い知ることができる。

 

飯田譲治の小説『 アナザヘヴン 』のナニカの移動や運動シーンは、ここから丸パクリしたのではないかというピョーンというステップ。

 

M・ナイト・シャマランの『 スプリット 』および『 ミスター・ガラス 』のジャケットデザインのヒントはここにあったのではないかというクライマックスのワンシーン。

 

プレイステーションのやるドラゲームの『 ダブルキャスト 』も、おそらく本作から多大な影響を受けている。そのことは、劇中作のタイトルが“ダブルバインド”であることからも明らかだろう。

 

本作サウンドトラックの肝とも言える楽曲“Virtual Mima”は、プレイステーションゲームの『 エースコンバット3 エレクトロスフィア 』のサウンドトラックの無機質かつオーガニックでメタリックなサウンドにも影響を及ぼしたのではないかとも思えてならなかった。AC3自体が、かなり時代を先取りしすぎていたゲームだったが、主人公の名前もNemoとMima、何か似ているように思えないだろうか。ちなみに塚口サンサン劇場は、本作開始前に延々と“Virtual Mima”を劇場内に流し続け、観客の精神に軽い不協和音を引き起こしていた。こうした工夫は歓迎すべきなのだろう。

 

本作は、霧越未麻という人物とミマというアイドルが虚実皮膜のあわいに溶け合い、そして別れていく物語である。自分が生きている世界が何であるのか。自分という存在が確かに実在することを、誰が、または何が担保してくれるのか。女優という虚構の生を紡ぎ出すことを生業とする未麻もまた、誰かに演じられたキャラクターではないのか。何がリアルで何がフェイクなのかが分からなくなる。そんな感覚を紙上で再現してやろうと、我が兄弟子の奥泉光は意気込んで『 プラトン学園 』を執筆したのだろうか。

 

劇中でたびたび繰り返される問い、「あなた、誰なの?」に対する回答が最後の最後で語られるが、それすらも噂話好きの看護師たちへの回答なのかもしれない。どこまでも入れ子構造、二重構造を貫くその作家性は嫌いではない。

 

とにかく『 PERFECT BLUE 』が1990年代後半の様々なメディアやコンテンツに巨大な有形無形の影響を与えたことは間違いない。同時期の『 攻殻機動隊 』や『 新世紀エヴァンゲリオン 』と並ぶ古典的・記念碑的作品であることは疑いようもない。

 

ネガティブ・サイド

事件の真相探しは極めて簡単である。Jovianは最初の10~12分で犯人は分かった。時代が全く違うし、本作はそもそもミステリーではなくサイコ・サスペンス、サイコ・スリラーであることから、殺人事件の犯人や真相を追うことに主眼を置いていない。にもかかわらず、観る側に怪しいと思って欲しいキャラクターをこれ見よがしに配置するのは、少々邪魔くさく感じた。

 

また、いくらインターネット黎明期の頃の話とはいえ、自分で作っていないサイトが存在していることを未麻はもっと不審に感じて然るべきである。ファックスや電話番号にしても同じで、1980年代くらいの本には、巻末に著者の住所や電話番号が普通に乗っていたりしたのものだが、90年代だと、どうだったのだろうか。

 

総評

リアリティの面でやや弱いかなと感じるところもあるが、これはサイコ・サスペンス、サイコ・スリラーの佳作にして、ジャパニメーションの一つの到達点である。アニメに抵抗が無い、グロ描写にも抵抗が無いという向きは、時間を見つけて是非鑑賞しよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, B Rank, アニメ, サスペンス, スリラー, 岩男潤子, 日本, 監督:今敏Leave a Comment on 『 PERFECT BLUE 』 -様々なクリシェの原点となった作品-

『 バースデー・ワンダーランド 』 -各種ファンタジーのパッチワーク-

Posted on 2019年5月9日 by cool-jupiter

バースデー・ワンダーランド 40点
2019年5月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松岡茉優 杏 麻生久美子 市村正親
監督:原恵一

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松岡茉優に引かれたのではない。杏と麻生久美子と原恵一に惹かれたのである。あと、市村正親にも。彼が犬の役をしていた舞台『 青い鳥 』のテレビ放映バージョンは、しっかりとVHSで録画されているのである。

 

あらすじ

アカネ(松岡茉優)は学校で憂鬱な出来事があった翌日、仮病で学校を休んだ。母親のミドリ(麻生久美子)は優しく見守ってくれるが、翌日のアカネの誕生日プレゼントをアカネ自身で取りに行けと言う。しぶしぶ叔母のチィ(杏)の営むChii’s ちゅうとはんぱ屋へと向かう。そこでアカネは異世界の錬金術師ヒポクラテス(市村正親)と出会い・・・

 

ポジティブ・サイド

美麗な絵である。『 グリンチ(2018) 』のような暴力的な質感でもなく、スタジオジブリの作品のような一瞬の光と影に命を吹き込むようなハッとさせられるような絵でもない。真っ暗な映画館で大画面で観るには、これぐらいのクオリティがひょっとすると眼と脳に最も優しいのかもしれない。

 

杏の声はよかった。小学生5~6年生ぐらいのアカネに対して、大人の余裕を見せつけつつも子どもらしさを残していて、とても魅力的なキャラに映った。杏が美人だから、という先入観はここではな働いていない・・・はず。Jovianはいつも映画を好き嫌いではなく、メッセージ性で判断している・・・はず・・・

 

母親ミドリの声の演技もよかった。出番はほとんどないのだが、何と言っても麻生久美子なのである。麻生久美子ほど、本人の年齢と演じる役柄がマッチしている役者はなかなかいない。『 ぼくたちと駐在さんの700日戦争 』の若妻役から『 翔んで埼玉 』の母親役まで、見事にキャリアを磨いていっている。Jovianは第二の樹木希林は沢口靖子だと思っているが、第三の樹木希林は麻生久美子になるのではないかとも感じている。

 

市村正親も良い。立派な髭を蓄えたスーツの老紳士が○○になるところが良いのである。貫禄とコメディックさを兼ね備えた年のとり方をしたいと思う。

 

今から書くことは人によってはかなりセンシティブに捉えるかもしれない。しかし、日本は意見表明の自由が保証されているので、思ったままに書いてしまう。本作の裏テーマは日本のロイヤル・ファミリーなのだろうか。明仁天皇が退位され、新元号と共に新天皇が即位あそばされたが、天皇とは日本史においてほとんど常にお飾りであった。ほとんどは言い過ぎか。平安中期以降は天皇はお飾りであった。『 バイス 』の表現を借りるならば、a symbolic job ということである。王権とは元来、魔力、生産力、軍事力の体現者だったのだ。そのことは、三種の神器の八咫鏡=魔力、八尺瓊勾玉=生産力、草那藝之大刀=軍事力の象徴であることからも自明である。現代の日本国民が天皇および皇族に無意識のうちに願いとして投影するのは、生産力の象徴たることだろう。だからこその少子化というのは穿ち過ぎた見方であろうか。本作でも行方不明の王子が姿勢の人たちに期待されているのは、王子個人の存在の在り方ではなく、祭司的儀礼の執行者としての機能だけであることが示唆されている。それが故に王子は歪み、なおかつ異世界の住人=そんな価値観とは無縁の人からの理解を得て、立ち直る。まるでどこかの島国のロイヤル・ファミリーと国民の関係性を描いているようではないか。もしも本作の製作者がこのような意図を劇中に盛り込んだのであれば、その意気やよし。『 検察側の罪人 』も、インパール作戦を通じて政治風刺、政治批評を行った。メッセージは中身が問題なのであるが、作品になんらかのメッセージ性を持たせようとする試みは、その心意気の有無が問題である。原監督にはメッセージがあったようである。そこは評価する。

 

ネガティブ・サイド

松岡茉優は良い役者である。そこに異論を挟む人は少ないだろう。しかし、voice actressとしては、まだまだ勉強しなければならないことが山ほどある。まず、小学生を演じようとしているようには聞こえない。舌滑も決してよくない。菅田将暉も『 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 』ではイマイチだった。俳優と声優の間の垣根は低くなりつつあるが、それでもアニメ作品の主役級には本職を使って欲しいし、海外の実写作品でも同様に思う。

 

本作の問題は、対象を大人にしているのか子どもにしているのか分からないところである。多分、子ども向けなのだろうが、ところどころにチィのサービスショットが挿入されるのはどういうわけなのだ。

 

いや、そんなことは瑣末なことで、ストーリーとキャラクターと映像がつながっていないシーンに溢れているのが最大の欠点か。こちら側の世界には色が無い、とアカネは異世界で言うが、チィの店に自転車で向かうアカネの目に入る世界は十分にカラフルだ。また、そもそも学校を休むきっかけになった女子間の小さな抗争劇が、アカネのビルドゥングスロマンの背景として全く機能していない。冒頭のシーンはノイズとしてバッサリとカットしても良かった。

 

肝心のあちら側の世界も独創性を欠いている。今さら、魔法使いやら錬金術師はないだろう。底浅いオタク連中に媚び諂うのが、原恵一監督の意向なのか、それとも製作側の意向なのか。また世界観の面でも、おもいっきり陰陽五行思想を採用している。木火土金水をユニークな家や溶鉱炉、アメリカのナショナル・パークのThe Waveを丸パクリしたとしか思えない土地、見映えのしない錬金術、それに巨大錦鯉などで、それぞれカラフルに表現している。その映像美は認める。しかしオリジナリティの欠如が甚だしい。キャラクターにおいてもそうだ。猫が重要なモチーフになる作品は数限りなく存在するが、本作は漫画およびアニメ映画『 じゃりン子チエ 』にも、アニメ映画『 銀河鉄道の夜 』や『 グスコーブドリの伝記 』(世界裁判長へのオマージュのつもりだったのだろうか?)にも、山本弘の小説『 サイバーナイト―漂流・銀河中心星域〈上〉 』にも、全く及ばない。猫の魅力を再発見できないのであれば、猫キャラを使うべきではない。ここまで独創性を欠く作りになっていると、もはや犯罪的であるとすら言える。

 

ヨロイネズミはネーミングはともかく、造形は良かった。惜しむらくは、ザン・グの正体があまりにも簡単に推測できてしまうところである。これはザン・グが悠仁内親王をモデルにしたキャラクターだからだろうか。また、アカネがクライマックスで言い放つ「あなたなら出来るよ」という言葉は完全に逆効果だと思うのだが・・・

 

エンドクレジットで流れる歌まで“The Show”の日本語版替え歌である。『 マネーボール 』の挿入歌として効果的に用いられており、歌詞の意味も本作にマッチしている。だが、前出したようにオリジナリティの欠如が甚だしい本作のエンディングを飾るには相応しくなかった。それとも製作者側も、最後の最後まで何かの二番煎じで良いのだと開き直ったのだろうか。

 

総評

はっきり言って駄作である。映像美だけは認められるが、ストーリーも破綻しているし、キャラ同士の掛け合いも全くもって普通である。色んなガジェットを詰め込もう詰め込もうとし過ぎて、メッセージだけがグロテスクに浮き上がったきた。そんな印象を受けた。ただ、そのメッセージも受け取る人間と受け取らない/受け取れない人間に二分されていることだろう。原恵一監督には『 レディ・プレイヤー1 』や『 ヴァレリアン 千の惑星の救世主 』のような、純粋なエンタメ路線をもう一度追求してほしいと切に願う。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アニメ, ファンタジー, 市村正親, 日本, 杏, 松岡茉優, 監督:原恵一, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 麻生久美子Leave a Comment on 『 バースデー・ワンダーランド 』 -各種ファンタジーのパッチワーク-

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