Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

カテゴリー: 海外

『 ディック&ジェーン 復讐は最高! 』 -アメリカ版鼠小僧物語-

Posted on 2019年3月24日2020年1月9日 by cool-jupiter

ディック&ジェーン 復讐は最高! 60点
2019年3月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジム・キャリー ティア・レオーニ
監督:ディーン・パリソット

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190324013309j:plain

 嫁さんが近所のTSUTAYAで借りてきたのを一緒に鑑賞。これを見れば、今後はジム・キャリーの前歯を見るたびに、鼠小僧を連想するようになること間違いなし。原題は“Fun with Dick and Jane”で、1970年代に製作、公開された映画の現代版リメイクである。

あらすじ

IT企業に勤務するディック(ジム・キャリー)は、広報本部長への昇進を告げられる。妻のジェーン(ティア・レオーニ)も大喜びして仕事を辞めた。喜び勇んだ二人は新しい芝生を入れ、庭にプールを作り始めたが、実はディックの会社は粉飾決算で実態は経営破綻状態。社長だけは自社株を売り抜けていた。再就職活動がうまくいかないディックとジェーンは、ついに泥棒をすることになるが・・・

ポジティブ・サイド

ジム・キャリーと言えば、人間離れした怪演で知られる。それは『 グリンチ 』のレビューでも述べた。しかし、人間離れしない程度に面白い演技もできる俳優であることを本作は教えてくれる。意外にサラリーマン役がハマる。たとえばジョージ・クルーニーやケビン・コスナー、ハリソン・フォード、ブルース・ウィリスらは普通の一般人役は馴染まない。そう考えれば、ジム・キャリーの芸域の広さが見えてくる。

ティア・レオーニも良い味を出している。『 ディープインパクト 』のリポーター役で世に出たが、大統領役のモーガン・フリーマンに“I want …”と言って“Want?”と逆に凄まれてしまった小娘が、妻になり、子も持った、大人の女性を過不足なく演じている。

単なるコメディで終わることなく、『 オーシャンズ11 』や『ジーサンズ はじめての強盗 』的な手に汗握る泥棒シーンもあり、『 ショーシャンクの空に 』のような勧善懲悪物語的な一面もあり、『エリン・ブロコビッチ 』的なフィニッシュを飾る。普通に良い話である。

ネガティブ・サイド

余りにもトントン拍子に泥棒稼業が成功していくのはどうだろうか。コメディ映画に突っ込んでも詮無いことだが、そこがどうしても気になってしまった。特に子どもがいる設定は大胆に改変しても良かったのでは?

後は笑いたくても笑えないパートがいくつかある。ディックが移民局に取り締まられるパートも、誰がディックの財布を拾ったのかを明らかにしないのなら、不要だろう。単にディックがボコられて、顔が変形して、喋りも変になりました、というだけでは笑えないし、そんな方法を取らなくても、ディックの落ち目っぷりは描写できるはずだ。またジェーンも化粧品モニターで顔面に発疹ができてしまう展開もいらない。ヨガのインストラクターを辞めてしまったことで、脂肪をたくわえてしまった、という方がまだ説得力がある。ティア・レオーニは体作りに苦労するだろうが。

本作の弱点は、ジム・キャリーがあまりジム・キャリーっぽくないところである。水鉄砲を取り出そうとして取り出せないのは、面白いことは面白いが、我々がジム・キャリーに求めるのは、気持ち悪い面白さなのである。単純にコメディをやっているから面白いというのなら、ジム・キャリーである必要はどこにも無いのである。

総評

まさに手持ち無沙汰の雨の日DVDである。そうそう、TVドラマの『リゾーリ & アイルズ 』好きなら、本作には笑ってしまうかもしれない。アンジー・ハーモンがレオーニに向かって“Hey, Jane!”と呼びかけるシーンがあるのである。ジェーンはあなたでしょ!と突っ込んでしまうこと請け合いである。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, コメディ, ジム・キャリー, 監督:ディーン・パリソット, 配給会社:ソニー・ピクチャーズLeave a Comment on 『 ディック&ジェーン 復讐は最高! 』 -アメリカ版鼠小僧物語-

『 荒野の用心棒 』 -マカロニ・ウェスタンの記念碑的作品-

Posted on 2019年3月23日2020年1月9日 by cool-jupiter

荒野の用心棒 75点
2019年3月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド
監督:セルジオ・レオーネ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190323021251j:plain

言わずと知れた黒澤明監督の『 用心棒 』のリメイクである。無許可での制作だったというが、そういう時代だったのだ。日本漫画界の巨匠、手塚治虫の『 ジャングル大帝 』もディズニーの『 ライオンキング 』に無断で換骨奪胎される時代だったのだ。

あらすじ

ニュー・メキシコの集落にある男がやって来た。その男はジョー(クリント・イーストウッド)。集落はロホス兄弟とバクスターの二つの勢力によって二分されていたが、ジョーは早撃ちであっという間にバクスターの手下たちを撃ち殺し、ロホス兄弟に与するのだが・・・

ポジティブ・サイド

エンニオ・モリコーネの音楽。これだけで荒野の光景がこの目に浮かぶ。彼の音楽では『 続・夕陽のガンマン 』の“The Good, The Bad and The Ugly”が最も有名なのは間違いないだろうが、恐らく“さすらいの口笛”もサントラとしての完成度では負けていない。音楽だけで物語を紡ぎ出せる、ビジュアル・ストーリーテリングならぬオーディオ・ストーリー・テリングである。これほどのインパクトある映画音楽はニーノ・ロータの音楽で彩られる『 ロミオとジュリエット 』、そしてビル・コンティの“Going The Distance”、“Gonna Fly Now”、そして“The Final Bell”で十全に語り尽される『 ロッキー 』ぐらいであろうか。『 炎のランナー 』の“Vangelis”も加えても良いかもしれない。

役者に目を移せば、クリント・イーストウッド! 馬に乗り、荒野を巡り、ポンチョを羽織り、帽子を目深にかぶり、常に煙草をくゆらせる孤高のガンマン。架空のキャラクターにこれほどの血肉を与えた例を他に知らない。強いて挙げるなら、『 帝都物語 』の魔人・加藤保憲を具現化した嶋田久作と、ハリソン・フォード演じる『 スター・ウォーズ 』のハン・ソロぐらいだろうか。

本作が後世の映画に与えた影響の巨大さについてはどれほどの文字数を費やしても足りることは無い。冒頭でジョーが訪れる酒場がCantina=カンティーナなのである。つまり、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』でベン・ケノービとルーク・スカイウォーカーがハン・ソロとチューバッカと出会う場所なのである。そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 』のマーティとビフの決闘。その元ネタがここにある。そして、撃たれた男が二階(というか、高いところ)から転落するクリシェ。この元ネタもここにあるのだ。

『 用心棒 』も大昔、親父と一緒にVHSで観た記憶がある。そちらもいつかレビューしたい。

ネガティブ・サイド 

細部にリアリティを欠く面をどう評価するかは難しい。それでも、ジョーの早撃ちシーンの銃の焦点が微妙に合っていないところや、しこたま痛めつけられたジョーが何とか脱出し、建物の入り口に火をつけるところが、ガソリンでも事前に撒いていたのかというぐらい派手に炎上するのは、やはりリアリズムに欠けるとして減点せねばならない。

また、墓場でのロホス陣営とバクスター陣営の撃ち合いも、いくらなんでも不自然というか、おかしいということに気がつかなければ、それこそおかしい。

後は川べりの騎兵隊を機関銃で全滅させるシーンで、馬がほとんど倒れない。騎乗している役者が、自分が倒れる時に、上手に馬にも倒れてもらうようにすべきだった。そうしてこそ、機関銃の圧倒的な威力と迫力に説得力が生まれたのが。

総評

今の目で見れば、お約束的な展開や腑に落ちない展開のオンパレードである。しかし、それは次代を超えて受け継がれる普遍性とクリシェ、そして時間と共に風化せざるを得ないように分けて考える必要がある。前者の面で評価すれば、本作は間違いなく映画史に刻まれる一本である。クリント・イーストウッドの伝説はここから始まったのだ。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, B Rank, イタリア, クリント・イーストウッド, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:東和Leave a Comment on 『 荒野の用心棒 』 -マカロニ・ウェスタンの記念碑的作品-

『 運び屋 』 -実話を脚色した異色のロードムービー-

Posted on 2019年3月23日2020年3月20日 by cool-jupiter

運び屋 75点
2019年3月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー
監督:クリント・イーストウッド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190323011148j:plain

イチローも引退を決めたようだ。生涯一捕手と今でもサインに書き添えるらしい野村克也の如く、生涯一野球選手を貫いて欲しかったが・・・ そして、ここに生涯一映画人を貫くクリント・イーストウッドがいる。本作の原題は”The Mule”、ラバ、頑固者、麻薬の運び屋などの意味がある。邦題は「 運び屋 」の意を選び取ったようだが、Jovianはクリント・イーストウッドとmuleという言葉の組み合わせに、中学生ぐらいの頃だったか、親父と一緒にVHSで観た『 荒野の用心棒 』を思い浮かべてしまう。果たして本作のイーストウッドは愚直なラバなのか、それとも一筋縄ではいかない凄腕の仕事人なのか。

あらすじ

家庭そっちのけで園芸業に精を出すアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、いつしか事業に失敗し、自宅も差し押さえられてしまった。孫娘の婚約を祝うために訪れた先で、ふとしたことから車を運転するだけで大金が稼げる仕事を紹介される。しかし、それはメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」=muleとなる仕事だった・・・

ポジティブ・サイド

麻薬の運び屋と聞けば、どうしてもダークなイメージを抱く。事実、現米大統領のトランプはメキシコとの間に巨大な壁を建てる構想をまだ諦めてはいないようだ。コロンビアからの麻薬流入に関しては『 エクスペンダブルズ 』が、メキシコからの麻薬の流入に関しては『 ボーダーライン 』と『 ボーダーライン ソルジャーズ・デイ 』で描かれていた。日本でも清原和博、ごく最近ではピエール瀧も薬物使用で御用となっている。麻薬は、種類と使い方に依るようだが、癌性疼痛で「殺してくれ!」と叫ぶほどの苦痛に苛まれる人に適切に投与すると、スタスタと自分の足で歩いて「あ、看護師さん、ちょっとおしっこ行ってきます」と言えるほどなるというのが、知人の看護師さんや医師らから聞く麻薬の使い方である。となれば普通の人間が麻薬を摂取すれば、バカボンのパパとは異なる方向でタリラリラ~ンになってしまうのは理の当然である。そのような麻薬を運ぶ仕事を請け負う爺さんを、何故か応援したくなってしまう。その絶妙な仕掛けとは何か。

アールはまず、単なる枯れた爺さんなどでは決してない。ベトナム戦争にも赴いた古強者で、度胸があり、機転が利き、ユーモアを解する心もあり、社交性も高く、そして適度に外の世界に敵というか、憎まれ口を叩き合うような友人にも恵まれている。ただし、そこに幸せな家族の姿は無い。娘の結婚式よりも仕事を優先させ、妻との記念日も顧みることは無い。そんなアールが仕事を失い、カネも失い、住む家も失った時に手に入れた仕事が運び屋だった。アールはそこで得たカネで人生を一つ一つ取り戻していく。カルテルの手先のチンピラに時には説教をし、時には世俗の歓楽を共に享受する。黒人家族にniggaと爽やかに言い放つ。相手によって態度を変えることなく、自然体を貫く。その姿に観る者は憧憬と尊敬の念を抱く。泰然自若。事において動ぜず、淡々と、しかし楽しみながら仕事に打ち込む姿は、男のあるべき姿ではないだろうか。クリント・イーストウッドの俳優人生の集大成がここにあるとの宣伝文句は誇大広告ではなかった。

そんなアールを追い詰めんとするDEAの捜査官には、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、そして新鋭と言っても良いマイケル・ペーニャ。特にブラッドリー演じる捜査官とイーストウッド演じる運び屋の仕事と人生が交錯する時、我々は人生における仕事の意義を思わず自らに問いかけてしまう。自分は、彼らのうちのどちら側の人間なのだ、と。何気ない日常のワンシーンが非常にサスペンスフルに仕上がっている。映画の世界に没入しながら、冷静に自分というものを考えるという得難い経験をすることができた。

本作はお仕事ムービーであると同時に、ロードトリップを堪能する映画でもある。アールの仕事と共に、数々の往年の名曲が作品世界を彩る。John Denverの“Take Me Home, Country Roads”のように、眼前に雄大な自然、wildernessが浮かび上がるかのような感覚がもたらされる。これは『 グリーンブック 』からも得られた感覚だが、本作はそれが更に顕著である。『 荒野の用心棒 』や『 続・夕陽のガンマン 』といった、若かりし頃のイーストウッドが無窮のアメリカの大地を旅する光景が蘇ってくる(と言っても、決してリアルタイムでそれらを観たわけではないが)。何度でも言うが、これは正にイーストウッドの集大成だ。

ネガティブ・サイド 

終盤のアールと妻の交わす会話に、不意に涙がこぼれた。アールは稼いだ金で人生を取り戻していったわけだが、妻の心を完全に取り戻せてはいなかったからである。これは事実なのだろうか。もしそうなら、仕方がない。しかし劇作上の脚色あるいは創作であるのなら、こんな残酷な話は無い。一部の映画ファンは間違いなくアールの姿に自身を重ね合わせる。アールの生き方に共鳴する。その結果がこれでは・・・ 自分がこれほどショックを受けているということそれ自体が、脚本家からすれば「してやったり」なのかもしれないが・・・

エンディングのショットも個人的には納得がいかない。アールがlate bloomerだったという比喩には受け取りたくない。

そのエンディングにおいて、この物語のインスピレーションの源泉となった事件および人物を、ほんの少しで良いので掘り下げる絵が欲しかった。『 ボヘミアン・ラプソディ 』のように、ピークのその後をほんの少しで良いので描写してほしかったものである。

総評

これは傑作である。クリント・イーストウッドファンのみならず、コアであろうがライトであろうが、あらゆる層の映画ファンに観てもらいたいと思う。特に壮年以降のサラリーマンには刺さるだろうと思われる。もし本作で運び屋家業に興味を持たれた方がいれば、水沢秋生著の『 運び屋 一之瀬英二の事件簿 』をお勧めしたい。仕事とは何かについての考察を深めたいなら、『 きばいやんせ!私 』よりも、こちらの小説の方が面白いし役立つだろう。何より水沢秋生氏はJovianと同郷にして、大学の寮の先輩なのである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190323011242j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, クリント・イーストウッド, サスペンス, ヒューマンドラマ, ブラッドリー・クーパー, 監督:クリント・イーストウッド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 運び屋 』 -実話を脚色した異色のロードムービー-

『 キャプテン・マーベル 』 -モンタージュ的スーパーヒーロー映画-

Posted on 2019年3月21日2020年1月9日 by cool-jupiter

キャプテン・マーベル 50点
2019年3月16日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ブリー・ラーソン サミュエル・L・ジャクソン ベン・メンデルソーン
監督:アンナ・ボーデン ライアン・フレック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190321132355j:plain

Marvel Cinematic Universeを締めくくるべき作品たるエンドゲームの直前にリリースされることには大きな意味があるはずだ。実際にそのように予感していたし、開始直後にはおそらく映画ファン全員が最敬礼せざるを得ないような映像が展開されていく。しかし、映画そのものとしてはどこか物足りなさも残った。

あらすじ

過去の記憶を思い出せないヴァース(ブリー・ラーソン)は地球ではない惑星ハラで訓練に明け暮れていた。超人工知能サプリーム・インテリジェンスにより任務を与えられたヴァースは、変身能力を持つ敵スクラルを追ううちに、地球にやって来てしまう。そこで出会ったニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)やフィル・コールソンらと共に、ヴァースは自らの真の姿に目覚めていく・・・

ポジティブ・サイド

『 アベンジャーズ 』世界だけではなく、『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー 』の世界とも密接につながっている。Marvel Cinematic Universeのファンならば、映画のそこかしこに様々なガジェットが仕込まれていることに思わずニヤリとさせられること請け合いである。現実世界とのリンクで言えば、ヴァースが地球に落ちてくるのは、今は亡きvideo rental store界の覇者、Blockbusterなのである。Netflixの出現によって僅か一年ほどで潰されてしまった悲劇の巨大チェーンで、日本ではTSUTAYAが全く同じような苦境にあると言える。最も古いヒーローでありながら、最も新しいヒーローなのでもあるということを象徴するようなシークエンスである。

閑話休題。本作で最もMCUファンが喜ぶのは、若きニック・フューリーよりも、エージェント・コー○ソ○なのではあるまいか。Jovianは近年では、トレーラーやパンフ、公式サイトなどはほとんど見ずに映画館に乗り込むことにしているので、彼の登場を示唆する情報もあったのかもしれないが、これは嬉しい不意打ちであった。

また、本作においてもデジタル・ディエイジング技術のポテンシャルが大いに発揮された。サミュエル・L・ジャクソンが若返った。『 パルプ・フィクション 』の頃よりも若い。これは凄い。この技術が更なるブレイクスルーを経れば、『 ブレードランナー2049 』のレイチェルをもっとリアルに、さらにもっと低予算で生み出せるのだろうか。映画の新たな可能性の地平を切り拓くこの技術の更なる革新に期待をしたい。

ネガティブ・サイド

本作の戦闘シーンはド迫力である。しかし、残念なことに、そこに真新しさは無かった。これは痛い。本作を見れば、『 ターミネーター 』、『 スーパーマン 』、『 X-MEN 』、『 バットマン 』、『 インディペンデンス・デイ 』、『 マトリックス 』、『 スター・ウォーズ 』、『 プレデター 』、『 ブレードランナー 』、『 ステルス 』、『 トップガン 』、『 メン・イン・ブラック 』などの構図やシーンをどうしても思い浮かべずにはいられない。いや、それだけなら『 アクアマン 』におけるアクションシーンも似たようなものである。だが、本作には漫画的な面白さ、つまりはコミカルさが非常に乏しい。『 アクアマン 』では、これまで世界の誰もやらなかった(少なくともJovianの知る限りでは)ビームを発射するサメという糞アイデアが実現されたし、タコが八本脚でドラムを叩きまくるという漫画そのものでしかないシーンも盛り込まれた。こうしったシーンには我々は笑うしかない。苦笑ではない。爆笑するのである。

しこうして、本作が担うべきコミカルさはどこにあったのか。何故こんなところで『 寄生獣 』を見せられねばならんのか。ギャグが合う合わないは普遍性ではなく、個人の個別性に依るものだが、これは面白くない。GoGのロケットにインスパイアされたのかもしれないが、もっとリアリティを出してほしい。

記憶喪失ものというのも、そろそろジャンルとして限界に近付いているのではなかろうか。『 トータル・リコール 』以来、我々は失われた記憶が戻った時、世界の意味が反転するという経験を厭というほど映画世界で体験してきた。ここにも、もっと別のアイデアや味付けが必要だったはずだ。『 アクアマン 』が「あいの子」という現代的、グローバル的な意味でのメッセージを持っていたのに対し、本作は普通に陳腐で凡庸なアクションヒーロー映画という枠をブチ壊すことはできなかった。『 アベンジャーズ/エンドゲーム 』への導入以上の意味が薄かった。それが悔やまれるところである。


もう一つ、ニック・フューリーの眼帯の謎も解き明かされるが、これも拍子抜けするような事情である。漫画『 ろくでなしBLUES 』の武藤のそれとほとんど同じである。まさかそんなものをパクったりはしていないだろうが、このやっつけ仕事ぶりには落胆させられた。 

総評

弱点も多いが、単なるアクション映画として見ればエンターテインメント大作にして一大スペクタクルである。MCUファンなら間違いなく観ねばならない。ただし、MCU映画のつなぎ目的な意味以上が見出しにくい映画でもある。コアな映画ファンは劇場に行くに当たっては、「ドンパチ派手派手アクション映画でも観に行くか」という割り切りが必要であろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190321132506j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, サミュエル・L・ジャクソン, ブリー・ラーソン, 監督:アンナ・ボーデン, 監督:ライアン・フレック, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 キャプテン・マーベル 』 -モンタージュ的スーパーヒーロー映画-

『 ビールストリートの恋人たち 』 -人間賛歌の要素が不足-

Posted on 2019年3月18日2020年1月10日 by cool-jupiter

ビールストリートの恋人たち 60点
2019年3月10日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キキ・レイン ステファン・ジェームス 
監督:バリー・ジェンキンス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190318122725j:plain

原題は“If Beale Street could talk”。『 私はあなたのニグロではない 』のJ・ボールドウィンの小説『 ビールストリートに口あらば 』の映画化である。1970年代の小説を2010年代に映画化する意味は何か。そこにアメリカ史を貫く恐るべき差別の構造と、それを乗り越えんとする確かな意志が存在することを示すためである。

あらすじ

ファニー(ステファン・ジェームス)とティッシュ(キキ・レイン)は、乗り越えるべき問題を抱えながらも幸せな恋人同士だった。しかし、ある時、ファニーが身に覚えのない罪で投獄されることに。彼の無実を証明すべく、ティッシュは奔走するが・・・

ポジティブ・サイド

恋愛とは本来とても美しいものである。だからこそ、詩になり歌になり物語になり映画になる。そして愛が最も美しく光り輝くのは、往々にして逆境においてである。それは『 ロミオとジュリエット 』において顕著なように、シェイクスピアの時代からの真理である。そして本作において描かれるファニーとティッシュの恋愛模様は、シネマティックな要素を極力排除し、それでいてドラマティックなものとして描かれる。物語序盤に描き出される、正式に恋人同士となる前の二人のちょっとした会話、食事、歩き方や目配せは、恋人未満特有の、それでいて恋人になることが約束されたかのような、非常に陳腐で、それでいてロマンティックな瞬間を生み出している。ファニーがティッシュを部屋に誘うシーンは、『 ロッキー 』で、ロッキーがエイドリアンを自室に誘うシーンとは異なる意味で、印象に残るシークエンスだった。ラブシーンも美しい。10~20代の若者の恋は得てして動物のように盛ってしまうものだが、本作はそんなアプローチは取らない。宝箱を大切に開けるかのようなファニーに、ティッシュも身を委ねる。女性というのは誘われたがっているものだ。しかし、そのタイミングと方法を間違ってはならない。そうした教訓まで教えてくれるのが本作である。

本作のもう一つの見どころは、ファニーとティッシュ、それぞれの家族同士の付き合いであろう。アメリカ社会におけるどうしようもない差別の構造と意識は、これまでに無数の映画が映し出してきた。しかし、本作の黒人家族同士の微妙な距離感での付き合い、そして衝突には息を飲むシーンがある。黒人は歴史的に白人に差別されてきた存在というだけではなく、黒人同士の間でも属性の押し付け合い、すなわち差別の構造が生まれてくることを描いているからだ。ティッシュの母親が自分の孫に投げかける呪詛の言葉に我々は衝撃を受ける。それが人間性を完全否定する言葉だからである。『 グリーンブック 』でも顕著だったが、同じ人種というだけでは人は分かりあえない。しかし、人と人とが分かり合い、触れあうためには、人の人たる面に接しなくてはならない。誰かの力になりたいと心から思うこと、可能であれば自分が相手になり変って苦しみを受け止めたいと願うこと。そうした心の在り方を本作は若い二人の恋人たちの姿を通して追求する。理不尽な差別の構造に心を痛め、無私の愛の形に涙する。それは陳腐ではあるが、それゆえに普遍性を感じさせる。

ネガティブ・サイド

若気の無分別と言ってしまえばそれまでなのだが、ファニーが自身の荒々しさをもう少しコントロールできる男であれば、そもそも冤罪騒ぎは起きなかったのではないか。もちろん、自分の女に無礼な態度ですり寄ってくる男がいれば、番の雄としては全力でそれを排除するものだ。しかし、お互い人間なのだから、まずは言葉を尽くせなかったのだろうか。

全体的なトーンも非常に暗く、またペースもかなり遅い。見どころとしての家族同士のパーティーとそこでの諍いは文句なしの緊張感をもたらしてくれる。だが、その他のパートはどうにも盛り上がりに欠ける。それは何よりも、ある意味でマルコムXな思想がその向こうに透けて見えるからだと感じられてならない。1960代から言われ始めた“Black is beautiful.”という思想は、“The other colors aren’t.”に容易に変化してしまう恐れを孕んでいる。もちろん、エド・スクライン演じる警察官は悪徳の権化そのものと思って間違いない。しかし、その男とバランスを取るべき不動産屋のインパクトが弱い。黒人賛歌は結構であるが、その一方に白人参賛歌なり女性賛歌なりアジア系やヒスパニックへの賛歌がないことには、結局のところ人間賛歌になりえない。この部分が『 グリーンブック 』がカバーできていたところで、『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』や本作がフォーカスしきれなかった部分である。『 クレイジー・リッチ! 』や『 search サーチ 』などが大ヒットしたように、アメリカという人種のるつぼ、多民族国家におけるアジア系やインド系のデモグラフィックは無視できない規模になっている。そうした現実世界とのバランスと映画世界のバランスに不均衡があることが本作の最大の弱点であるように思えてならない。

総評

本作は映画ファンよりも小説ファンや文学ファンを引き付けるのかもしれない。恋愛模様の美しさ、愛憎劇の激しさは派手さで表すよりも観る者の感覚や想像力に委ねさせる方が良い場合もある。人間を描くという点では弱いが、恋人たちを描くという点では標準以上の美しさを備えた作品と評することができる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190318122806j:plain

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, キキ・レイン, ステファン・ジェームス, ヒューマンドラマ, 監督:バリー・ジェンキンス, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ビールストリートの恋人たち 』 -人間賛歌の要素が不足-

『 シンプル・フェイバー 』 -現代風サスペンスの模範的作品-

Posted on 2019年3月16日2020年1月10日 by cool-jupiter

シンプル・フェイバー 65点
大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:アナ・ケンドリック ブレイク・ライブリー ヘンリー・ゴールディン
監督:ポール・フェイグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190316021532j:plain

『 ピッチ・パーフェクト 』シリーズのアナ・ケンドリック、『 ロスト・バケーション 』のブレイク・ライブリー、『 クレイジー・リッチ! 』のヘンリー・ゴールディングの共演となれば観ないという選択肢は無い。特にゴールディングは、Jovianが勝手に私淑しているHapa英会話のセニサック淳に似ているので、やはり勝手に応援しているアジア俳優なのである。

あらすじ

シングルマザーのステファニー(アナ・ケンドリック)はV-Logでママ友向けの動画を作成する傍ら、子育てにいそしんでいた。ひょんなことから、NYの大企業でフルタイムで働くエミリー(ブレイク・ライブリー)と知り合う。エミリーの夫、ショーン(ヘンリー・ゴールディング)は大学教授にして作家。対照的なステファニーとエミリーは親密になっていき、ステファニーはエミリーの子どもの世話役をすることも。しかし、ある日、ステファニーに子どもを預けたままのエミリーが姿を消して・・・

ポジティブ・サイド

ギリアン・フリン原作の『 ゴーン・ガール 』と非常によく似た構造を持っている。消えた女を追えば追うほどに新たな謎が見つかっていくというのは、ウィリアム・アイリッシュの古典的名作『 幻の女 』以来のクリシェである。タイムトラベル物、記憶喪失物と並んで、消えた女のミステリというのは出だしの面白さにおいてはハズレが少ないジャンルなのである。近年では『 ドラゴン・タトゥーの女 』や『 セブン・シスターズ 』などが標準以上の出来だと言える。そして本作はこれらよりも、サスペンスで僅かに、ユーモアで大きく、そしてミステリ部分で僅かに上回る。ただし『 ゴーン・ガール 』にはいずれの面でもやや及ばない。

本作の面白さは、まず第一にアナ・ケンドリックとブレイク・ライブリーの好対照ぶりにある。シングル・マザーにしてYouTuberのステファニー、そしてワーキング・マザーにしてNYの会社でタイトル持ちのエミリー。この二人がふとしたことから親密になり、秘密を明かし合い、お互いの子どもを預け合うようになるまでが実にテンポ良く描かれる。もちろん、そこまでの展開に伏線がてんこ盛りなので、しっかりと目を凝らして耳をすましておくように。

他に注目すべきところとして、エミリーの哲学というか生き方に、ステファニーが共感し、それを実践するシーンである。と同時に、ステファニー自身の過去の秘密が現在にも蘇ってくるのだ。What a femme fatale! 余り深く考え込んでしまうと背筋が寒くなるので、ステファニーの秘密の謎を探ろうとするのは、ほどほどにしておくべし。また、エミリーにはてっきり陳腐過ぎる直球のトリックが仕込まれているのかと思いきや、ちょっとした変化球であった。綾辻行人の『 殺人鬼 』のトリックかと見せかけて、飛浩隆の『 象られた力 』所収の短編『 デュオ 』に見られるトリックだった。

ブレイク・ライブリーのファッション、アナ・ケンドリックの美乳(ブラまでしか見えないが)、ヘンリー・ゴールディングのRPアクセントの英語にも注目しながら本作を堪能して欲しい。

ネガティブ・サイド

いくつかのサブ・プロットとエンディングに謎が残る。特に、ステファニーの過去の秘密の真相については、観る者を試す、あるいは意図的に混乱させようとしているかのようである。特に、中盤のステファニーの活躍を見るにつけ、彼女の過去の秘密の真相がどんどんとどす黒くなっていく。ここまでモヤモヤとした気分にさせるなら、いっそ真相を明かしてくれと思ってしまう。

また、エミリーの使うトリックでは、おそらく警察を欺けない。アメリカの警察の捜査力はドラマや映画から推し量るしかないが、このトリックで絶対に日本の警察は騙せない筈だし、アメリカの警察も騙せまい。その理由については中橋孝博先生の著作を読めば分かるかもしれないし、分からないかもしれない。人間の身元を確認する方法は一つだけではないということである。

総評

弱点はあるものの、適度なユーモアがある上質なサスペンスである。実績充分にして今後の活躍も期待できる2人の女優のガチンコ演技対決を見逃してはならない。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190316021603j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, サスペンス, ブレイク・ライブリー, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 シンプル・フェイバー 』 -現代風サスペンスの模範的作品-

『 THE GUILTY ギルティ 』 -北欧サスペンスの傑作-

Posted on 2019年3月10日2020年1月10日 by cool-jupiter

THE GUILTY ギルティ 75点
2019年3月7日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ヤコブ・セーダーグレン
監督:グスタフ・モーラー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190310233831j:plain

原題は“Den skyldige”、英語ではthe guilty oneもしくはthe guilty partyの意であるようだ。「有罪なる者」とでも訳すべきだろうか。パッとあらすじだけを読んだ限りではハル・ベリー主演の『 ザ・コール [緊急通報指令室] 』のデンマーク版かと思えたが、これはそれ以上の掘り出し物にして傑作であった。

 

あらすじ

職務に熱心な警官、アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は、とある出来事から緊急司令室の電話オペレータとして勤務していた。ある日、アスガーは今まさに誘拐され車で連れ去られているという女性、イーベンからの通報を受ける。電話越しにアスガーは彼女を救うことができるのか。アスガーの苦闘が始まった・・・

 

ポジティブ・サイド

低予算映画の作り方でありながら、スリル、サスペンス、ミステリ、そしてホラーの要素までもが詰め込まれている。だが、それらが互いに喧嘩することなく、一本の作品の中で互いを高め合っている。これは凄いことだ。あるシーンで、アスガーが同僚警察官にとある場所に踏み込むように依頼するのだが、その緊張感たるや『 セブン』(”Se7en”)に迫るものがあった。

本作については、ネタばれめいたことがほとんど言えない。それほど絶妙なバランスの上に成り立っている作品である。我々は「ラスト10分間の衝撃!」だとか「前代未聞のどんでん返し!」なる惹句を、映画や小説の販促文句で定期的に目にする。中には「あなたは二度騙される」など、それ自体が重大なネタばれになっているものまで存在する。そうまでして観客や読者を獲得しようとする努力は買うが、そのことが作品の面白さ=受け手が作品の真価を味わう機会、経験を減じていることに、版元や配給会社はそろそろ気付いてよい。

本作の素晴らしさは主として2点。一つには、通話先の相手の容貌や状況、心理を観客が知らず知らずのうちに想起してしまうこと。これは主演のヤコブ・セーダーグレンの演技力に依るところが大きい。画面に映るのはほとんど全部この男なのだが、我々はいつの間にか彼と同化させられてしまう。ヘッドセットからの声に真剣に耳を傾けてしまう。そこから漏れ伝わる声や音は我々の想像力を否応なく喚起する。Jovianはデンマーク人の友人はいるが、デンマーク語はさっぱり分からない。それでも、アスガーの苦闘ぶりは充分に伝わる。Non-verbalな部分で、彼が如何に奮闘しているかということが、実によく伝わってくるのである。

もう一つには、映画のプロットそのものが、主人公のアスガーの背景についての興味関心を掻き立ててくることである。なぜこの男は緊急司令室で電話番をしているのか?この男が警察の関連部署と通話する際にときどき感じられる物々しさ、よそよそしさは何であるのか?そうしたことが最終盤まで明かされることなく、それでいて情報が絶妙に小出しにされてくるのである。この展開が素晴らしい。手に汗握るというか、アスガー自身の抱える闇とイーベン誘拐事件のクライマックスが見事に交差する瞬間の緊張感!これ以上は言えない。ぜひ多くの方に劇場で確かめて欲しい。それだけである。

 

ネガティブ・サイド

88分とやや短めの映画であるが、序盤にもう5~6分をかけて、アスガーの仕事がどんなものであるのかを、電話の音声とPC画面にもっとフォーカスする形で見せてくれても良かったのではないだろうか。民間ではないが、コールセンターの中の人がどのように働いているのか、興味のある人は世の中には結構いるはずである。

中盤でアスガーが思考の陥穽に嵌まってしまい、着信に気付かないところを同僚に告げられるシーンがあるのだが、Jovianが昔働いていた信販会社なら、怒声もしくは下段蹴りが飛んでくる場面だ。コールの積滞時間の長さは、そのままクレーム発生率に比例すると言っても過言ではなく、同僚の冷静さが、やや腑に落ちなかった。重大事件の通報であるかもしれないのだから、尚更だ。このあたりの描写に甘さを感じた。

 

総評

いくつかの弱点を抱えているものの、傑作であると評することができる。特にタイトルが秀逸なのである。他には、アスガーの同僚の名前が、Jovianの大学時代の寮の友人と同じで、思わずニヤリとさせられた。兎にも角にも、本作に関してはうっかりとネタばれめいたことが言えないのだが、本作を鑑賞して、なおかつ小説も好きだという方には、以下の三作品を是非ともお読みいただきたい。作品の中身それ自体が重大なネタばれに直結するようなものばかりなので、白字で記載させていただく。

作者:田中啓文 タイトル:『 水霊 』

作者:米澤穂信 タイトル:『 犬はどこだ 』

作者:範乃秋晴 タイトル:『 マリシャスクレーム―MALICIOUS CLAIM 』

以上である。本当に面白い作品であれば、この時代であれば自然に拡散されていく。本ブログもその一助でありたい。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, デンマーク, ヤコブ・セーダーグレン, 監督:グスタフ・モーラー, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 THE GUILTY ギルティ 』 -北欧サスペンスの傑作-

『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』 -テーマにもっとフォーカスすべし-

Posted on 2019年3月7日2020年1月10日 by cool-jupiter

サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 55点
2019年3月3日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ルカ・カイン
監督:デイモン・カーダシス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190307225442j:plain

原題は“Saturday Church”である。どう考えてもこの邦題は『 サタデー・ナイト・フィーバー 』を意識している。そうに違いない。それではあまりにセンスが無さ過ぎる。それとも、そうした中年以上の世代を映画館に呼び込み、無意識の差別意識を炙り出そうという試みなのだろうか。

 

あらすじ

父が死に、ニューヨークのブロンクスで母と弟と暮らすユリシーズ(ルカ・カイン)。彼は体は男であったが、心は女だった。そんな彼は学校ではいじめに遭い、家では無理解に苦しんでいた。ある時、たまたま出会ったトランスジェンダーの人々と交流を持つようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

街並み、そして人間が息をしている。それはカメラが決してユリシーズの目線から離れないからである。といっても、これは主観ものではない。上空からのショットや、『 マトリックス 』のような360°回転のショットなどがないということである。映像作品としてその部分だけを切り取れば、非常にさびしい。しかし、ユリシーズというキャラクターを描写するのには良い選択であった。

父が死んだことで、母が仕事を増やさざるを得ず、子どものサポートを叔母に依頼する。この叔母さんは怖い。悪意を持っているから怖いのではなく、自らの考えの正統性を盲信しているから怖いのだ。オウム真理教以来、我々はカルトの恐ろしさをよく知っている。この叔母からはカルト的な臭いがプンプンするのである。『 愛と憎しみの伝説 』のマミー、ジョーン・クロフォードとは比べるべくもないが、このような人間というのは確かに存在する。そこにリアリティがある。

主演のルカは、中性的な顔つき、体つきでハマり役である。もちろん、メイクさんらの助力も得てのことである。トランスジェンダーというのは、同性愛よりも理解するのが難しいところがある。異性を好きになる気持ちが同性に向くだけだという意味では、同性愛は分かりやすい。しかし、自分の体と心がフィットしていないという感覚は理解できそうで、なかなか出来ない。服や靴や帽子が合わないのであれば取り換えれば済むが、自分の体となるとそうはいかない。Jovianや何人かの同級生は第二次性徴時にホルモンバランスが崩れたせいか、胸や乳首が痛くなった経験があるが、あのような痛みや違和感が常に付きまとう感じなのだろうか。ユリシーズというキャラクターの不安定さを歩き方や話し方、目線で表現できていたように感じた。特にハイヒールを履く場面は、よほど研究をしたに違いないと思わせる表現力を見せてくれた。

母親も良い。 Positive make figure を欠いたアメリカの一般的家庭は往々にして空中分解するか、それまでに母親が新しいパートナーを見つけるかするのだが、この母ちゃんは強い。女は弱し、されど母は強し。そういえば『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』で誓ったはずの母親孝行をまだ果たしていない・・・

 

ネガティブ・サイド

ミュージカルの要素は必要だったのだろうか。もっと日常的な部分の演出に力を入れて、この作品世界のリアリティをもっと追求する方向に舵を切っても良かったのではないだろうか。

また、ユリシーズのロマンスがあまりにも唐突過ぎた。確かに良い雰囲気を出してはいたけれど、いきなりお互いに「君なしでは生きていけない」などと、オリビア・ハッセー版の『 ロミオとジュリエット 』の如くあっという間に恋に落ちて、深夜のストリートで踊り合い、歌い合うのは、シネマテッィクではあるが、ドラマティックではない。片方はトランスジェンダー、もう片方はゲイというカップルの誕生を、もっと丁寧に作り込むべきだった。そこにこそドラマがある。また、残念ながらこのシーンではユリシーズ役のルカ・カインの歌唱力の弱さが際立ってしまう。非常に惜しいシーンになってしまっている。

またキャストの多くは黒人であるが、一人だけ出てくる東洋系の男が作品全体のノイズになっているように感じたのは、自分も東洋人の端くれだからだろうか。最後のユリシーズのドラァグクイーンとしてのデビューの描写も弱かった。ある意味、人生で初めて輝く舞台なのだから、それこそ観る者を耽溺させるような映像美で、自分が自分らしくあることの美しさを称揚するようなメッセージを発して欲しかったと願う。

ちなみに邦題の「愛を歌う場所」もノイズに分類してよいだろう。単純に『 サタデー・チャーチ 』で充分だったはずである。

 

総評

色々な意味で惜しい作品である。ただし、デイモン・カーダシス監督にはメッセージ性と芸術性のある作品を撮れる力があることが分かった。次作があれば、ぜひチェックしてみようと思う。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190307225515j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, ミュージカル, ルカ・カイン, 監督:デイモン・カーダシス, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』 -テーマにもっとフォーカスすべし-

『 グリーンブック 』 -ロードムービーの佳作-

Posted on 2019年3月7日2020年1月3日 by cool-jupiter

グリーンブック 70点
2019年3月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ビゴ・モーテンセン マハーシャラ・アリ
監督:ピーター・ファレリー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190307162522j:plain

アカデミー賞受賞と聞けば、否が応にも期待は高まるが、たいていはそれが映画をダメにしてしまう。新作ゴジラ映画にも、あまり興奮しすぎないようにしなくては。本作は良作ではあるものの、昨年の『 スリー・ビルボード 』ほどのインパクトは感じなかった。

 

あらすじ

1960年代。ナイトクラブの用心棒、イタリア系白人のトニー・リップ(ビゴ・モーテンセン)は店の改装閉店のために別の職を探すことに。ひょんなことから、天才黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の南部諸州へのツアーに運転手謙マネージャー的存在として付き添うことになる。何から何まで対照的な二人は、旅を通じて友情を育むようになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ドリーム 』とほぼ同時代を背景としている。つまり、それだけ人種差別の激しい時代だったということである。南北戦争の爪痕は当然の如く、南部の方に強く残っている。そんな南部に旅をしようというのだから、トニーならずとも「何じゃそりゃ」となる。皆が皆、ハリエット・タブマンになれるわけではないだろう(映画『 ハリエット 』の公開が待ち遠しい)。がさつで大飯食らいで腕っ節が自慢のトニーと、落ち着いた物腰で教養ある人物特有の語彙で話し、高い倫理観も備えたシャーリーの二人が、旅の中でどのように互いへの偏見をなくし、友情を育むのか。Jovianは本作を観て、差別の何たるかをあらためて思い知らされた気がした。

 

『 私はあなたのニグロではない 』で、有名大学教授が「無知な白人より教養ある黒人に親近感を覚える」と発言していたが、これは人種ではなく博識か否かで人を判断するという宣言である。人格ではなく知識で相手を判断するということである。実は、これと同様の構造がシャーリーと農場奴隷さながらの黒人労働者の間で成り立ちそうな瞬間がある。その時のシャーリーのいたたまれなさは必見である。差別される側であった自分の心に、差別の心があったことを自覚させられてしまうからである。劇中では色々と食べ物であったり音楽であったりと、黒人に対するステレオタイプがトニーの口から開陳されるが、個人的に最も強く心に焼きついたシーンは、農場の人たちを見つめるシャーリーの眼差しであった。

我々は差別の存在に慣れきっているのではないか。差別とは人種や出身地、性別、職業などに基づいて疎外することだという考えに浸り切っているのではないか。雨中で自分の心情を赤裸々に吐露するシャーリーに、Jovianはかつての韓国系カナダ人の言葉を思い出した。2歳の時に家族で韓国からカナダに移住した彼は、縁あって日本で職を得た。そんな彼から聞かされた言葉で最も印象に残っているものの一つが

“The saddest thing is to be discriminated against by your own people.”

( 一番悲しいことは、自分と同じ人間から差別されることだ )

彼は見た目は典型的な韓国人、東洋人である。しかし話す言語はカナダ英語、そのマインドも95%は西洋人、カナダ人のそれであった。そんな彼が韓国を旅行した時に悲しく感じたのが、同国人からの差別の眼差しということであった。Jovianが言わんとしていることは、韓国人が差別的であるということでは決してない。その点を誤解しないでもらいたい。差別とは、その人の属性ではないものを押しつけることだ。その結果として、相手が傷ついたとしたら、それは差別なのだ。

黒人を相手に「黒人である」と告げることが差別なのではない。黒人に「不潔である」という属性を勝手に付与するトニーに、我々は嫌悪感を催す。しかし、車の中というクローズド・サークル、すなわち外界からシャットアウトされた、ある意味では別世界で、二人は互いの人間性を見出していく。人間性とは、人間らしくあるということだ。人間が人間であるとは、思いやりを持つことだ。そのことはJovianだけが傑作だ名作だと騒いでいる『 第9地区 』で鮮やかに描かれていた。仲間を見つめ茫然自失する宇宙人こそが最も人間らしいキャラクターだったからだ。本作も、観ればなにがしかを感じうる作品である。

 

ネガティブ・サイド

スタインウェイのピアノを強調するのなら、他のピアノならどんな音がするのかを、後ではなく先に見せて欲しかった。同時に、音楽そのものをもっと味わえる構成にしてほしかったと思うのは、高望みをし過ぎだろうか。事前におんぼろピアノを独り侘びしく奏でるとどんな音が響くのかを観客に知らせておけば、終盤のギグがもっと映えたと思うのだが。

また、劇中でのトニーとシャーリーのとあるピンチを政治的な力で乗り切るシーンがあるのだが、このエピソードはノイズであるように感じた。

文字通りの意味での「象牙の塔」で暮らすドクター・シャーリーが求めていたであろう、ある人物との関係についてのその後も描かれていれば、なお良かったのだが。

 

総評

良い作品ではあるが、アカデミー賞の作品賞を受賞するほどだとは思わない。昨年の『 シェイプ・オブ・ウォーター 』でも感じたが、我々は本当に差別というものに慣れ切ってしまっていて、いつかそれをコンテンツ化して消費することに何の抵抗も感じないようになってしまうのではないか。そのような懸念も少しだけ感じてしまう作品である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190307162556j:plain

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ビゴ・モーテンセン, ヒューマンドラマ, マハーシャラ・アリ, 監督:ピーター・ファレリー, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 グリーンブック 』 -ロードムービーの佳作-

『 ダンガル きっと、つよくなる 』 -インド版アニマル浜口奮闘記-

Posted on 2019年3月6日2020年1月3日 by cool-jupiter

ダンガル きっと、つよくなる 80点
2019年2月27日 レンタルBlu Rayにて鑑賞
出演:アーミル・カーン ファーティマー・サナー ザイラー・ワシーム
監督:ニテーシュ・ティワーリー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190306020738j:plain

ダンガルというのはレスリングという意味のようだ。そしてアニマル浜口というのは比喩である。アーミル・カーン演じるマハヴィルは娘の教育と訓練に関してはアニマル浜口並みにクレイジーであると言えるが、その他の面では似ても似つかない。良いとか悪いとかではなく、あくまで比喩として彼の名前を挙げていることを了承されたい。

あらすじ

国の代表にまで上り詰めながら、夢を果たせなかったレスラーのマハヴィル(アーミル・カーン)は、まだ見ぬ息子にその夢を託したいと思うようになる。しかし、生まれてくれるのはギータ(ファーティマー・サナー)、バビータなど女の子ばかり。だが、マハヴィルは気付いた。彼女たちには並々ならぬレスリングの才能があることに。マハヴィルは村の皆からの嘲笑や偏見に負けることなく、娘たちを鍛え上げようとするが・・・

ポジティブ・サイド

まず、アミール・カーンの体作りに脱帽する。鈴木亮平からマシュー・マコノヒー、クリスチャン・ベールに至るまで、役者というのは役に合わせてある程度の体作りをするものである。しかし、アミール・カーンの磨き上げられた筋肉美を堪能できるのは冒頭の5分で終わりである。肉襦袢ではなく、自らの体で望んだカーンに敬意を表する。通常は、例えばロッキー映画恒例のトレーニングシーンのモンタージュを作るため、役者はハードなトレーニングを積む。『 ロッキー4 炎の友情 』でスタローンが垂直腹筋やドラゴンフラッグをしていたのは、その典型である。そうした意味での称賛はギータを演じたファーティマ-・サナーに向けられるべきであろう。アカデミーでトレーニングに励み、実戦に臨む彼女こそがロッキーである。カーンは数分(実際の撮影はもっと長かったはずだ)のシーンのために体を作り、その後は中年太りした体を作る。デ・ニーロのような役者は世界中にいるのである。

日本でレスリングと言えば、女子が花形である。吉田沙保里や伊調馨らの名前を知らない者はいないだろう。しかし舞台はインドである。『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』で知らされたように、そして近年でも「このようなニュース」が報じられるように、女性の生理現象に対して根強い偏見が残る国なのである。そのような国の、さらに辺境の村で幼い娘たちにレスリングを仕込み、肉食をさせ(これに対する拒否反応は『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』でも見られる)、男だらけの村のレスリング大会にエントリーもさせる。もちろん、娘たちは反抗するわけだが、『 ぼくたちと駐在さんの700日戦争 』のようなほのぼのさなので、安心して見ていることができる。

本作はただのレスリング映画ではなく、家族の再生物語でもある。父と娘の精神的に健全な、そして不健全な別離、さらに親子の和解の物語でもある。そしてそれはギータとバビータの姉妹の成長物語でもあるのだ。父と袂を分かつ姉、父と共にあり続ける妹、彼女たちの対立と融和は、陳腐ではあるが、それゆえに見る者の胸を打つ。このあたりは『 チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話 』にも通じる。勝利と栄光への道程、それが泥臭いほどに放たれる輝きはより強くなる。

ネガティブ・サイド

クライマックスにおいて、恐るべき人間の悪意を見せつけられる。これは史実ではないのだろうが、物語をよりドラマチックにするものとして作用していなかった。『 きっと、うまくいく 』における学長には人間性が付与されていたが、本作のNASのコーチには嫌悪感しか抱けない。この演出は失敗であった。

これは『 100円の恋 』でも感じたことだが、格闘技の試合のフィニッシュ・シーンにデ・パルマ的なスローモーションは既にクリシェである。『 クリード 炎の宿敵 』の決着シーンにはスローモーションは使われなかった。もっと別の見せ方を追求できたはずである。

総評

弱点を抱えるものの、本作は傑作である。レスリングの知識や素養がなくても分かるように作られているし、それを実に自然に見せる役者たちの見えない努力に思いを馳せれば、称賛以外に何もできなくなる。やはりインド映画に外れはないようである。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミル・カーン, インド, ザイラー・ワシーム, ヒューマンドラマ, ファーティマ-・サナー, 監督:ニテーシュ・ティワーリー, 配給会社:ギャガ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ダンガル きっと、つよくなる 』 -インド版アニマル浜口奮闘記-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 大栗先生の超弦理論入門 』 -読みやすいが入門書ではない-
  • 『 HELP 復讐島 』 -孤島のリベンジ-
  • 『 ここにひとつの▢ がある 』 -眩暈を覚える連作短編集-
  • 『 マーズ・エクスプレス 』 -先行SFへのオマージュ満載-
  • 『 ペンギン・レッスン 』 -軍政下の小さな奇跡-

最近のコメント

  • 『 桐島です 』 -時代遅れの逃亡者- に ヒフミヨのヒンメリの歌灯に より
  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より

アーカイブ

  • 2026年2月
  • 2026年1月
  • 2025年12月
  • 2025年11月
  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme