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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

Posted on 2019年5月13日 by cool-jupiter

The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 50点
2019年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニコール・キッドマン キルステン・ダンスト エル・ファニング
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190513003135j:plain

The Beguiledとは、魅了された者の意味である。同時に、騙された者という意味にも解釈可能である。無理やり日本語にするなら、「 落とされた者 」にでもなるだろうか。誰が誰に騙されたのか、誰が誰に魅了されたのか。これは何とも心憎いタイトルである。

 

あらすじ

南北戦争中のアメリカは南部のミシシッピの女子寄宿学園に、傷ついた北軍兵士が舞い込んでくる。園長のマーサ(ニコール・キッドマン)や教師のエドウィナ(キルステン・ダンスト)、年長のアリシア(エル・ファニング)らは、兵士マクバニー(コリン・ファレル)を介抱するうちに、精神的な変化を自覚するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

立ち上がりから非常に静かな映画である。音響的な意味でも静かであるし、台詞も特に多いわけではない。またドラマチックな展開になるまでにそれなりの時を要する。しかし、白を基調にしたドレスに身を包んだ婦女が、薄暗い屋敷兼校舎の中を楚々と動く様は色々な想像を掻き立てる。女の園というと、韓国の歴史宮廷ドラマの『 宮廷女官チャングムの誓い 』や『 トンイ 』が思い出されるが、これらのようなドロドロの暗闘や露骨な権力闘争などではなく、逆にこれらのドラマではほとんど触れられることの無かった、邦題で付された“欲望への目覚め”が大いに予感される。ソフィア・コッポラ監督の美意識というか、作家性なのだろう。これは心憎い。そしてこの監督の作家性は非常に露骨な形で終盤に爆発する。亀とキノコが重要なガジェットとして用いられることに笑わずにはいられようか。ここでは男性諸賢に大いに笑って頂きたいと思う。と同時に、冒頭からさりげなく小道具を仕込んでいる脚本にも拍手である。

 

女性陣ではキルステン・ダンストが特に良かった。うら若き乙女には出せない色気を出していた。というか、色気を出さないようにしようとすること自体が色気になっているという、非常に重層的な演技を見せてくれた。妖艶さとはまた違った妖しさがあり、無垢な(しかし悪女の素質にも恵まれた)スパイダーマンのメリー・ジェーン・ワトソンの成長した姿の一つの可能性の結実を見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

原作の男性視点バージョンを未見のため何とも言いかねるが、マクバニー伍長の魅力がもう一つ伝わらなかった。確かにナイスガイではあるが、兵士としての力強さや泥臭さには欠けていた。早い話、同じ男性として、男性ホルモンがたくさん出ているような男には見えなかった。少なくとも中盤までは。女性目線で見ると異なるのだろうが、あいにくと嫁さんは未鑑賞・・・

 

Jovian期待の星の一人、エル・ファニングの見せ場が足りなかった。濡れ場ではない。見せ場である。繰り返すが、濡れ場ではない。見せ場である。濡れ場だけが見せ場ではない。期待した自分が悪いのだ。濡れ場だけが見せ場ではない。スケベ心を抱いて本作を鑑賞しようという向きは、決して過度な期待を抱くべからず。

 

総評

初回鑑賞中に痛恨の寝落ちをしたために、あらためて見直した作品である。盛り上がるところでは恐ろしいぐらいに展開が盛り上がる。だが、そうではないところでは至って静かな、噴火前の火山がゆっくりじっくりとマグマを溜めこむような趣がある。そこを楽しめるかどうか、ソフィア・コッポラ監督の美意識と波長が合うかどうかで評価ががらりと変わる作品だと言えよう。

 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エル・ファニング, キルステン・ダンスト, サスペンス, ニコール・キッドマン, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

『 ヴァレリアン 千の惑星の救世主 』 -古典的SFコミックの映画化成功作品-

Posted on 2019年5月9日 by cool-jupiter

ヴァレリアン 千の惑星の救世主 65点
2019年5月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:デイン・デハーン カーラ・デルビーニュ
監督:リュック・ベッソン

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MOVIXあまがさきで公開二週目の木曜日のモーニングショーで観た記憶がある。近所のTSUTAYAで何故か目に入ったので、良い機会なのでI will give it a watch again. SFの面白さが充分に詰まった逸品に仕上がっている。

 

あらすじ

28世紀。腕っこきのエージェントであるヴァレリアン(デイン・デハーン)とローレリーヌ(カーラ・デルビーニュ)は、千の種族が生きるアルファ宇宙ステーション(「千の惑星の都市」)の中心部に広がりつつある放射能汚染エリアの調査に乗り出す・しかし、それは巨大な陰謀の一部で・・・

 

ポジティブ・サイド

デヴィッド・ボウイの“Space Oddity”と共に流れる一連の映像だけで、人類と異星生命とのFirst Contact・・・のみならず、Second、Third、Fourth・・・とテンポよく伝えてくれる。何度でも言うが、ビジュアル・ストーリーテリングは映画の基本なのである。

 

ヴァレリアンとローレリーヌの関係性の描写も簡潔に、しかし丁寧に行われる。長い廊下を歩きながらの口論にも近い対話で、観る側は二人の微妙な距離と互いへの熱量の違いを明確に知ることができる。原作コミックのテンポがきっと元々小気味良いのであろう

 

『 アバター 』にも影響を及ぼしたであろう惑星ミュールのパール人も魅力的に描かれているし、何よりその生きざまが良い。小川一水の小説『 老ヴォールの惑星 』の生命体のような、とある特性を持っていて、小川も案外原作コミックから着想を得たのかもしれないと思わされた。

 

個人的にはネザを演じたクリス・ウーが気に入った。というかこの男、有能すぎる。組織の上位にある者には腹心、耳目、爪牙が必要であるとされるが、ネザは全てを兼ね備えた有能な軍人ではあるまいか。異星生命と当たり前のように交歓交流する宇宙では、人種の違いなど何のその。彼のような男と共に戦ってみたいものだ。He is definitely the kind of guy I want to go to war with!

 

本作はある意味では陳腐なクリシェの塊とも言えるが、それだけ原作コミックが時代を先取りしていた、あるいは当時の少年少女をインスパイアしたと言えるだろう。本作のクライマックスで語られる「愛とは何か」というローレリーヌの言葉には、『 インターステラー 』のアメリア(アン・ハサウェイ)との共通点が非常に多かった。ということは、クリストファー・ノーランもある意味では本作の影響を受けたと言えるのかもしれない。デイン・デハーンのキャラクターは、それこそ100年間から存在していたのだろうけれども、ね。

 

ネガティブ・サイド

情報屋トリオが言う「情報は3分割している」というのがピンと来ない。誰かから情報を1/3ずつ買うと言うのか。もしくは超絶記憶術と忘却術をマスターしていて、それで情報を分割して記憶しているとでも言うのか。このトリオは非常に味のあるキャラクターたちだが、不可解さも残した。

 

ややネタばれになるが、黒幕もしくは悪役はBritish Englishを話すというクリシェはいつになったら廃れるのか。それとも容易に廃れないからこそクリシェなのか。本作も開始早々から「こいつが陰謀の中心かな?」という人物が2人ほど目に付くが、一人はパッと見で除外、もう一人はパッと聞いた感じで怪しい、と感じてしまう。このあたりが課題なのだろう。

 

総評

リュック・ベッソンが作りたいように作るとこうなる、という見本のような作品である。頭をからっぽにして楽しむこともできるし、作中に登場する数々のガジェットやクリーチャー、あるいはシーンの構図などを分析して、先行作品や後発作品をあれこれと思い浮かべるのも楽しいだろう。ただし、SFの全盛期は1960年代の小説だった、というハードコアなSF原理ファンとも言うべき向きに勧められる作品にはなっていない。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SFアクション, カーラ・デルビーニュ, デイン・デハーン, フランス, 監督:リュック・ベッソン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ヴァレリアン 千の惑星の救世主 』 -古典的SFコミックの映画化成功作品-

『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

ゾンビランド 70点
2019年5月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

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夏の風物詩といえば、ゾンビ映画かサメ映画である。おそらく商業ベースで全世界で毎年、数百本、インディものまで含めれば、おそらくは数万本のオーダーで製作されているであろうジャンルである。ということは、文字通りに玉石混交な分野なわけで、リバイバル上映されているということは、面白さはある程度保証されているという意味である。そして、それはその通りであった。

 

あらすじ

世界にはゾンビが跋扈していた。内向的な青年コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は厳格なルールを自らに課すことで生き延びていた。彼は故郷のオハイオを目指す途上で屈強なゾンビハンター、タラハシー(ウッディ・ハレルソン)と出会う。そして、旅を続ける二人はウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロックの姉妹に出会うのだが・・・

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ポジティブ・サイド

2009年製作ということは、今からだと10年前になる。にもかかわらずジェシー・アイゼンバーグもウッディ・ハレルソンもエマ・ストーンもトップシーンにあり続けているというのが良い。豪華なものを観た気分になれる。劇中でアイゼンバーグが、ゾンビ・ワールドを指して「フェイスブックを更新する必要が無くなった」というのには、思わずニヤリ。未見の人で、なおかつFacebookアカウントを持っている人は『 ソーシャル・ネットワーク 』を視聴されたし。

 

ゾンビと相対した時に、人間は人間らしさの欠如に恐怖することは『 イヴの時間 劇場版 』でも述べた。もう一つ、ゾンビの存在によって浮きあがってくるものに、ルールや秩序の存在もしくは非在がある。そのことをコロンバスは見事に体現してくれる。DOUBLE TAPは見事なギャグになっていると共に、秩序の存在しない世界では、秩序を自ら生み出す者が生き残るということのメタファーにもなっている。コロンバスは人間社会ではある種の人間嫌いとして引きこもり体質の童貞オタク青年だったが、ゾンビ世界では有酸素運動と銃の扱いに長じた非常に外交的なファイターに変身した。そんな彼が、エマ・ストーン姉妹に翻弄される様は滑稽でもあり、切実でもある。ゾンビに対してはイケイケの青年が、生身の妙齢の女子に対しては奥手になる。そのギャップに、人間の本質が潜んでいる。

 

ビル・マーレイが本人役で出演するが、この間のスキットはギャグであり、シリアスである。ゾンビ世界にあって、既存の人間社会の価値観がどれほど不安定で危ういものかを大いなる笑いの力で見せてくれる。同時に、タラハシーというキャラクターの底浅さと深みの両方が開陳される。このシークエンスには唸らされた。

 

クライマックスはまさにゾンビランドである。ディズニーランドではなくゾンビランドである。遊園地で遊戯のごとくゾンビをぶち殺しまくる末に、爽快感以上に手に入るものとは何か。それはストリーミングやレンタルビデオでお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

ウッディ・ハレルソンのアクションシーンに少々切れが足りない。巨大剪定ばさみのシーンなどは特にそうだ。ゾンビ映画の文法の一つに、時に華麗に、時に残虐にゾンビを退治するというものがある。序盤ではこのあたりにもっとフォーカスをしてほしかった。

 

中盤にも少々中弛みがある。ネイティブ・アメリカンの土産物店を破壊していくシーンは、既存の人間社会の価値観の破壊とそれへの決別宣言、さらにこの奇妙な男女四人組の絆の形成のためでもあっただろうが、カット可能であるように思う。88分というかなり短めな映画だが、もう3~5分短縮することができたはずだ。

 

総評

ゾンビ映画と敬遠することなかれ。豪華キャストでホラー映画の王道的展開を次々と守って行きながら、同時にぶち壊していった『 キャビン 』のゾンビ映画バージョンである。ゾンビ映画のお約束を呵呵と笑い飛ばす本作は、コアなゾンビ映画ファン、ライトな映画ファンの両方にお勧めすることができる。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

『 名探偵ピカチュウ 』 -まさかの実写化成功!?-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

名探偵ピカチュウ 70点
2019年5月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジャスティス・スミス ライアン・レイノルズ 渡辺謙 
監督:ロブ・レターマン

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日本が世界に誇るコンテンツといえば、ドラゴンボール、キャプテン翼、ONE PIECE、ゴジラだろう。それらに次ぐものとしてポケモンが来るだろうか。Jovianは、はっきり言ってポケモンは、大まかなあらすじや世界観ぐらいしか知らない。しかし、皮相な知識しか有していなくても本作を楽しむことはできた。

 

あらすじ

ティム(ジャスティス・スミス)は疎遠になっていた父ハリーが、職務中に死亡したとの報を受け、人間とポケモンが共存するライムシティに向かう。そして父の自宅で、人語を話す名探偵ピカチュウと出会う。だが、ティム以外の人間にはピカチュウの言葉は「ピカピカ」としか聞こえず・・・

 

ポジティブ・サイド

2018年の海外クソ映画オブ・ザ・イヤー次点だった『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』でピーピーキャーキャーと騒がしいだけだったジャスティス・スミスがまともな演技をしている。それだけで評価をしたくなるのだから、クソ映画に出演することも肥やしになるのだろう。

 

しかし何と言っても、ピカチュウの声を務めたライアン・レイノルズを称えたい。同国人のカナダ人からも“Most of his movies are garbage.”と言われてしまう不遇の役者だが、『 デッドプール 』に次ぐ代表作を手に入れたかもしれない。さらに、本作は彼の過去の出演作を意識した作りになっていると思われる。ネタばれを避けるために白字にするが、

 

『 セルフレス 覚醒した記憶 』

『 白い沈黙 』

 

この二つを事前に観ていれば、本作の味わいがさらに増すことだろう。日本では本職ではない俳優が声優をすることについて賛否両論があり、それはアメリカやカナダでも同様だと思われる。『 グリンチ(2018) 』でもB・カンバーバッチがグリンチの声優を務めてそれなりに良い仕事をしたように、今後は海外でもこうした傾向が拡大していくのかもしれない。幸い、Voice Actingという意味ではレイノルズはデッドプールで経験済みであるし、彼の語りの面白さは、その声の微妙な甲高さに同居する絶妙なオッサン臭さである。本作は、吹替えではなく字幕で鑑賞して欲しい。そしてピカチュウの声を堪能して欲しい。

 

CGの美麗さも素晴らしい。ピカチュウというモフモフ系のクリーチャーがこれほど可愛らしく表現されること、そしてそれ以上にその他のポケットモンスターたちが自然や建造物といった背景に違和感なく溶け込んでいるに驚かされる。CGはどれほど精巧でもCGであると分かってしまう。しかし、それを認識する我々は、CGを不自然なものではなく、自然なものとしていつの間にか受け取りつつあるのではないか。『 シン・ゴジラ 』で初めてゴジラというキャラクターが着ぐるみではなくフルCGとして再現された頃から、我々のCG認識に変化が生じてきているのかもしれない。そんなことさえ考えてしまうほど、美麗にしてナチュラルなCGである。

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ネガティブ・サイド

一応、ヒロインらしきキャラクターが存在するが、プロット上で欠かせない役割を演じるわけではない。このキャラについては、よりしっかりした活躍をする脚本を採用するか、あるいはばっさりと切り捨ててしまうぐらいで良かったように思う。

 

またティムの職業である保険の営業員というバックグラウンドも、ストーリー上で何も有効に作用していない。また、友達作りが下手だというキャラ属性も同様である。ヒロインとの距離の取り方および縮め方にぎこちなさがあり、そこをピカチュウに適宜に突っ込まれるも、特にトラブルも何も生じないからだ。要するにバディムービーのお約束が果たされないのだ。これはちょっと物足りない。

 

最後に、映画そのものではなく邦題について。原題のPokemon Detective Pikachuのdetectiveを名探偵と訳しているが、ストーリー展開から考えるに、これは刑事の方だろう。刑事のバディなら、普通は刑事だろう。邦題をつけた担当者には、もう少ししっかりとストーリーを見てもらいたいと思う。

 

総評

熱心なポケモンファンではない人間からすれば、この映画は面白い。改善点は残すものの、長所の方が目立つ作りになっている。『 プーと大人になった僕 』、『 アリータ バトル・エンジェル 』でもそうだったが、CGと実写がもはや違和感なく共存する時代になってきた。本作がヒットすれば、さらに多くの類似のコンテンツが大スクリーンを彩ることだろう。大いに期待したい。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SFアクション, アメリカ, ライアン・レイノルズ, 渡辺謙, 監督:ロブ・レターマン, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 名探偵ピカチュウ 』 -まさかの実写化成功!?-

『 ある少年の告白 』 -自らの頭と心に問いかけるべし-

Posted on 2019年5月5日 by cool-jupiter

ある少年の告白 70点
2019年5月4日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ルーカス・ヘッジズ ニコール・キッドマン ジョエル・エドガートン ラッセル・クロウ
監督:ジョエル・エドガートン

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ルーカス・ヘッジズとティモシー・シャラメが、Jovianの考える20代のアメリカ人俳優のトップランナーの二人である。『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』では嫌なガキンチョでありながら傷心を隠せない少年、『 レディ・バード 』では可愛い男子からのゲイ、『 スリー・ビルボード 』では、姉の喪失と母親の支配に何とか抗おうともがく少年と、非常にゲイ達者・・・ではなく、芸達者であることが分かる。Jovian一押しのH・スタインフェルドとの共演を早く実現して欲しいものである。

 

あらすじ

ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)はカーディーラーにして牧師の父マーシャル(ラッセル・クロウ)と母ナンシー(ニコール・キッドマン)によって、同性愛矯正プログラムを実施している施設に送られる。そこで彼が体験したのは、プライバシーの侵害やマッチョイズムへの盲信、体罰に近い行為や言葉の暴力だった・・・

 

ポジティブ・サイド

こうした事実は小説よりも奇なりを地で行く物語には、ドラマチックさは必要であっても、シネマティックさは不要かもしれない。そう感じさせるほどに、全編に乾いた空気が流れている。光や音の鮮やかさによって魅せるのではなく、それらの欠如によって逆に浮かび上がってくる人間の心の仄い領域を本作は映し出す。単なるダークサイドではなく、それを正義であると思い込む人間の恐ろしさが、静かに、しかし確実に伝わってくる。監督も務めたジョエル・エドガートンは、ジャレッドの送り込まれる施設の長をしているのだが、この男の言動に漂う危うさは何なのか。それは、言葉に論理性も一貫性もないところである。同性愛を忌避の対象と最初から決め付け、なおかつその性的志向の源を家族のアルコール歴、ドラッグ歴、その他諸々に求める姿勢は滑稽千万である。しかし、観る側からすれば吐き気すら催すような男が、劇中ではそれなりにリスペクトされ、権威と権力を有し、数多くの子女に教育的指導を行っている。ジョエル・エドガートンはそうした“矛盾”を内包したキャラクターを卓越した演技力で体現してみせた。

 

彼の課すプログラムの一つにこのようなものがある。アルコール中毒や薬物中毒、刑務所での服役などを経た男による講話である。エドガートン演じるサイクス施設長によれば、地獄から生還した男は、男の中の男である。その男の話は、同性愛者にとって有意義である、ということだ。普通に考えれば、まともな男なら、酒にも薬物にも溺れないし、塀の向こうで過ごすようなことはしない。『 セッション 』におけるJ・K・シモンズとサイクスの共通点は、両者ともに信念に基づいて行動していること。相違点は、前者の虐待的行為にはプロの信念があるが、後者の虐待的行為には何の裏付けもないということである。ホームワークとしてジャレッドが過去を回想することと、現在進行形の矯正プログラムを交互に映し出していくことで、サイクス施設長の存在感が徐々に薄れ、その化けの皮が剥がれていく。いかに不条理なプログラムなのかがどんどんと浮き彫りになっていき、最後には魔女狩り、異端審問的なところにまでたどり着く。

 

ジャレッドがこうしたプログラムに対して突き付ける拒絶の反応は痛快ですらある。それは彼が自身の考えや感情に基づいて行動するからである。彼は宗教的に厳格な父親との間に葛藤を抱えている。父親の言葉は全くの正論ではあるが、それは聖書の権威の押し売り以外の何物でもない。劇中で旧約聖書のヨブ記が言及されるが、これは誠に象徴的である。義人ヨブはある時、突然に神からすべての祝福を奪われ、財残を無くし、家族も無くし、自身の身体にもダメージを負う。それでもヨブは神を呪わなかったのだが、友人達との対話の末に、理不尽な仕打ちを止めるようにと遂に神に異議申し立てを行う。我々は神をしばしば「彼」と男性化して呼び表すが、ジャレッドが異議申し立てを行った相手は誰だったのか。これが本作の真のテーマなのではないだろうか。自分の心に問いかけよ。権威に盲目的に従うなかれ。同性愛者に向ける眼差しは、自分のものなのか、それとも他人のものなのか。

 

ニコール・キッドマンは母親役ばかりをオファーされ、受けているようだが、その演技は実に堂に入ったもの。キャリアの円熟期を迎えつつあるようだ。ラッセル・クロウもルーカス・ヘッジズもジョエル・エドガートンも素晴らしい仕事をしていたのに、最後にニコール・キッドマンがすべて持っていた感じがした。彼女のファンなら最後の最後まで席を立ってはならない。

 

ネガティブ・サイド

原作の書籍もこのように起伏に乏しいのだろうか。施設で行われていた矯正プログラムはどれも衝撃的というか、少年院もしくは刑務所と見紛うような代物なのだが、観る側が受けるショックと、作り手側が与えたいショックの種類が異なっていたようである。いや、Jovianのこの見方もずれている可能性がある。というのも、隣の隣の席にはえらい年配の男性同士が来ており、上映後に「あんなん日本では考えられんで。やっぱりアメリカやからやろうなあ」という感想を漏らしていた。Jovianからすれば、アメリカのような合理主義の国が、何の根拠もなく単純にマッチョイズムを信仰しているだけの人間に、かくも多くの人間が同性愛者の子女の矯正を依頼するところに驚きがある。逆にこの舞台が現代日本なら、そもそも施設など存在しないだろう。対象の子は座敷わらしになるだろうからだ。元々、織田信長や武田信玄の頃から同性愛は盛んだったはずだが、ハンセン病と同じく、そうしたものは忌避の対象になってしまったからだ。

 

神様と犬のネタでサイクスを攻撃する場面も見てみたかった。施設の恐ろしさは、何の学問的な裏付けも存在しないにもかかわらず、堂々と「治療する」「矯正する」というポリシーが罷り通ってしまっているところだった。それを可能にするのが、神への過剰ともいえる帰依、信仰である。そうした連中へのレジスタンスとして、神と犬ネタを使わなかったのはなぜだったのだろうか。尋常ではないダメージを与えられたと思うのだが。

 

総評

ルーカス・ヘッジズの静的な演技よりも、ジョエル・エドガートンの怪演が勝ってしまった。そんな印象である。しかし、だからこそ本作のメッセージ性はよりクリアになったも言える。異質な者を見る時、なぜ自分はその対象を異質だと感じるのか。異質だとして、それが矯正や、究極的には排除の対象になるのか。同性愛者に向ける眼差しを、乳幼児や高齢者、外国人に向けていないか。自分がそうだったらという想像力を持てるかどうか。特定の事象だけではなく、もっと普遍性のあるテーマが本作には隠れている。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ルーカス・ヘッジズ, 監督:ジョエル・エドガートン, 配給会社:パルコ, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 ある少年の告白 』 -自らの頭と心に問いかけるべし-

『 アガサ・クリスティー ねじれた家 』 -トリックを見破ろうとすべからず-

Posted on 2019年5月2日 by cool-jupiter

アガサ・クリスティー ねじれた家 50点
2019年5月1日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:グレン・クローズ マックス・アイアンズ
監督:ジル・パケ=ブレネール

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グレン・クローズが『 天才作家の妻 40年目の真実 』と同じく、マックス・アイアンズと共演。アガサ・クリスティが自身の最高傑作と公言して憚らない作品が満を持して映画化された。ケネス・ブラナーとは全く異なるアプローチで作られた本作はどうか。条件付きで佳作である。

 

あらすじ

大富豪レオニデスが急死した。しかし、殺人の疑いありとして、レオニデスの孫娘にして、元恋人のソフィアから私立探偵チャールズのもとに調査の依頼が来る。調査を始めたチャールズは、一族の誰もがレオニデスの遺産を狙う動機があることを知る。そうした中、第二の殺人事件までもが勃発し・・・

 

ポジティブ・サイド

グレン・クローズ演じる大叔母イーディスを始め、俳優陣は誰も彼もが良い味を出している。つまり、疑わしいということである。特に姉ソフィアとチャールズに肉体関係があったかを執拗に尋ねるユースタスは良かった。また期するところありげに、チャールズを誘惑するかのような素振りを見せるそのソフィアも、チャールズを華麗に振り回す。彼女も良い仕事をした。

 

ギリシャからの移民が裸一貫から億万長者に成り上がり、そして死去する様をテレビ放送で伝える冒頭のシークエンスも素晴らしい。これのおかげで、一気に作品世界に入って行くことができた。まさに自分がそのニュースを視聴しているかのような気持ちになれたからだ。

 

一族の中で愛憎入り混じった人間模様が展開される作品は星の数ほど生産されてきているが、そうしたジャンルの嚆矢の一つは間違いなく本作であろう。アガサ・クリスティと言えば、『 オリエント急行殺人事件 』や『 アクロイド殺し 』、『 ゼロ時間へ 』などで、数々のミステリの常識を打ち破ってきた先駆者。本作も、ミステリに不慣れな読者や映画ファンを驚かせるには充分であろう。

 

ネガティブ・サイド

ミステリは時代と共にその性質を大きく変える。ここで言う性質とは、キャラクターの性質、トリックの性質、そして叙述の性質(叙述トリックという意味ではない)である。ミステリにおけるキャラクターとは、まず第一に死体である。死体=ミステリであると言い切ってもよい。ミステリは人間の命を実に粗末に扱うものなのである。トリックの性質は、技術や知識の進歩に常に影響される。このあたりが突き抜けたSFやファンタジーと、ミステリとの違いである。叙述の性質なのだが、これが難しい。基本的に現代のミステリにおいては、状況が重視され、キャラクターの証言は絶対視はされない。しかし、日本でも横溝正史や松本清張の時代までは、キャラクターの記憶に基づく証言は絶対の価値を有していたのである。アガサ・クリスティ時代も同様で、だからこそ本作は光っている(光っていた?)とも言えるし、逆に忠実に映画化する意味はなかったとも言える。あまり細かく不満を述べてしまうとネタばれになってしまうのだが、この時代のミステリのキャラクタが探偵に向かって喋ることはだいたい真実だと考えて良い。ということは・・・ 本作を換骨奪胎したものを現代風に作り変えてしまうという選択肢はなかったか。

 

本作に登場するスコットランドヤードはすこぶる無能である。なぜそこでそのような判断や行動を選んでしまうのか、理解に苦しむことがある。もちろん、現代の目で見て、あるいはミステリに慣れた目で見てそう感じることなのであるが。共産主義云々の要素はバッサリと削り落して、屋敷内の人間関係をもっと映し出すことを選ぶべきだった。

 

本作はハウダニットを敢えて追及しない。フーダニットにとことん焦点を当てる。個人的には原作のそのトーンを映画に持ってきたのは失敗であると考える。すれっからしの人からすれば、犯人(というかホワイダニット)はすぐに分かってしまう。やはり、原作をベースに現代劇に作り変えるべきだった。そう思うのである。

 

総評

英国ミステリのみならず、世界のミステリの新たな境地を切り開いた巨人アガサ・クリスティの作品を映像化するなら、もっと別の作品が良かったのではないか。個人的には『 そして誰もいなくなった 』を現代風にアレンジし直した作品が観てみたい。ちなみにこのトリックは、映画化もされた『 インシテミル 』やゲームの『 かまいたちの夜 』でも再利用がされている。日本のミステリで言えば、赤川次郎の『 マリオネットの罠 』もしくは谺健二の『 未明の悪夢 』の映像化も観てみたい。何が言いたいかというと、ミステリファンであれば敬遠すべき映画である、ということである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イギリス, グレン・クローズ, マックス・アイアンズ, ミステリ, 監督:ジル・パケ=ブレネール, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 アガサ・クリスティー ねじれた家 』 -トリックを見破ろうとすべからず-

『 シャザム! 』 -新時代の異色スーパーヒーロー誕生-

Posted on 2019年5月1日2019年5月2日 by cool-jupiter

シャザム! 70点
2019年4月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ザカリー・リーバイ アッシャー・エンジェル マーク・ストロング ジャック・ディラン・グレイザー
監督:デビッド・F・サンドバーグ

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MCU(Marvel Cinematic Universe)が『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』をもって一旦は完結したが、一方でDCUE(DC Extended Universe)はやっとジャスティス・リーグが結成されて、ようやくスタンドアローンの『 アクアマン 』がリリースされたところ。そこへもってきて、異色のヒーロー、シャザムがやってきた。暗くもあり、明るくもあるヒーロー。DCの風向きも変わってきたか。

 

あらすじ

母親とはぐれ、里親のもとを転々としてきたビリー・バットソン(アッシャー・エンジェル)は、ある時、魔術師に召喚され、彼の力を受け継ぎ、シャザム(ザカリー・リーバイ)となる。同じ里親のもとに暮らすフレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)と共に能力を無為にテストするだけの日々を送っていた。しかし、彼の身には、かつて魔術師シャザムに拒まれ、悪魔の力を追求するDr.シヴァナ(マーク・ストロング)が迫っており・・・

 

ポジティブ・サイド

ヒーローは往々にして暗い背景を有している。バットマン然り、アイアンマン然り、スパイダーマン然り、アクアマン然り、キャプテン・アメリカ然り、スーパーマン然り。シャザムとなるビリーも母親との別離を経験している。しかし、そのことが彼をして正義の使者や代弁者、執行者たらしめていない。名前こそバットソン(Batson)であるが、彼はブルース・ウェイン/バットマンとは、そこが決定的に違う。いや、そもそもアメコミ世界のスーパーヒーローは、歴史的にアメリカという国の国力(=軍事力と言っても良い)を健全な意味でも不健全な意味でも擬人化してパロディにしたものであった。だが、現実のアメリカがイラク戦争のように正義の無い戦いに身を投じたところから(実際には朝鮮戦争やベトナム戦争にも正義などは存在しなかったと考えられるが)、アメコミの実写映画化にも変化が生まれてきた。それが『 シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ 』のようなヒーロー同士の戦いであったり、『 デッドプール 』のような無責任ヒーローの爆誕にも見て取れる。

 

それでは本作の呈示するヒーロー像とは何か。それは友愛ではないだろうか。友情、絆、家族愛・・・ 言葉にすれば陳腐であるが、そうしたものが本作のユニークさであろう。もちろん、アベンジャーズやジャスティス・リーグにそうした要素がないわけではない。しかし、映画『 アベンジャーズ 』でも描かれていたように、最強ヒーローチームは、絆ではなく協力した方がより機能的であるという実用的な理由からチームとなり、『 ジャスティス・リーグ 』も個々の力を一つにまとめた方が得策だというブルース・ウェインの判断によって結成されたものだった。そこが本作と先行するヒーロー達との違いであろう。このシャザムというヒーローに一番近い、もしくは似ているのはトム・ホランドverのスパイダーマンであるように思う。

 

真面目に考察してしまったが、本作はエンタメ要素もてんこ盛りである。トム・ハンクスのファンなら、『 ビッグ 』の親友ビリーを思い出すだろうし、ビリー/シャザムの親友フレディとスーパーパワー実験をする時のBGMがQueenのフレディ・マーキュリー歌唱の“Don’t Stop Me Now”なのである。そして、舞台はフィラデルフィアで、フィラデルフィアといえばロッキー。ロッキー・ステップスを舞台にしたシークエンスもあり、それ以外の「おいおい」というシーンもある。また、悪役Dr.シヴァナが使う悪魔の力からは、どうしたって『 ゴーストバスターズ 』を想起させられる。同じDCEUの先輩キャラを茶化す楽しい場面もあるので、劇場が明るくなるまで席を立ってはいけない。

 

ヴィランのマーク・ストロングも良い仕事をしたが、一番に称えたいのはシャザムを演じたザカリー・リーバイである。幼稚な大人ではなく、子どものままでかくなってしまったキャラを良く体現できていた。そんな彼が、太っちょな里親パパや、白人女子高生、脚に障がいを持つ同世代、黒人の妹たちと育む友愛の物語を、是非とも多くの人に堪能して欲しいと思う。

 

ネガティブ・サイド

シャザムというキャラおよび原作の知識があれば異なる感想を抱くのかもしれないが、街の人々のシャザムに対するリアクションがあまりにも普通であることに当初は強烈な違和感を覚えた。物語がある程度進んだところで、これは本格的にDCEUの一部、つまりスーパーヒーローが実在する世界であると分かったことでその違和感は消え去ったが、『 デッドプール 』のように、ある世界の一部であることを一発で観る側に理解させるような仕掛け、もしくは仕組みがあれば良かったのかもしれない。劇中でもスーパーマンやバットマン絡みのガジェットが登場するが、それをもっと早めに露骨に出して、なおかつ「波動拳」などの完全別世界のワードは禁句にしてしまうぐらいで良かったのではないか。

あとはコンビニ強盗を退治するシーンだが、シャザムはよいとしても、銃口がフレディに向けられていたらどうなっていたのだろうか。銃弾をものともしない防御力を示したいのなら、もっと別の描写方法があったはずである。

 

総評

『 アクアマン 』もホラーの名手ジェームズ・ワンが手掛け、本作も『 ライト/オフ 』や『 アナべル 死霊人形の誕生 』を監督したデビッド・F・サンドバーグが手掛けている。一部にジャンプ・スケア的な手法も使われているが、暗くないヒーロー、明るいヒーロー像は、今後はホラー映画の作り手たちが新境地を切り開いていくのかもしれない。コメディ的な要素もありながら、本作はかなり真面目なヒーロー像を模索する試みでもあり、DCEUの切り札的存在にもなりうるポテンシャルを秘めている。続編の製作にも期待が持てそうである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, ザカリー・リーバイ, マーク・ストロング, 監督:デビッド・F・サンドバーグ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 シャザム! 』 -新時代の異色スーパーヒーロー誕生-

『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

Posted on 2019年5月1日 by cool-jupiter

スイス・アーミー・マン 75点
2019年4月29日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ダニエル・ラドクリフ
監督:ダニエル・シャイナート ダニエル・クワン

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ダンだらけの映画である。全編ほぼP・ダノとD・ラドクリフだけで話が進むが、監督の二人も忘れてはいけない。このキャスティング、つまり似たような名前の人間が二人で芝居を演じるは偶然なのか必然なのか。それは観る者によって意見が分かれるところかもしれない。

 

あらすじ

孤独に絶望したハンク(ポール・ダノ)は無人島で首吊り自殺をしようとしていた。しかし波打ち際に人影が。思わず駆け寄るもそれは死体(ダニエル・ラドクリフ)だった。だがハンクは気付いてしまった。その死体は、スイス・アーミー・ナイフの如く、万能のツールであることに・・・

 

ポジティブ・サイド

本作は多くの映画ファンを惑わせるだろう。だが、意味の分からない混乱をもたらすのではなく、心地よい刺激、「これはひょっとしてこうなのか?」という思考を刺激するような作りになっている。日本の映画人たちにも是非見習ってほしい姿勢である。

 

それにしてもダニエル・ラドクリフは、何故これほどに死体役がハマるのか。死人はある意味で最も演じるのが難しい。なぜなら、お手本がないからだ。誰も死体になったことがないし、死者と話したことがある人もいない。では、なぜ我々は彼の死体の演技に魅了され、そこに説得力を認めてしまうのか。それは我々が死を生の欠如と認識しているからである。言い換えれば、生きていないものは死んでいるものだという論理、認識が存在するということである。例えば、ハンクは死体=メニーが息をしていないことから死んでいることを確認するが、彼はおならという形で外界とガス交換を行っている。これは生命の定義の一つを満たしていることを意味する。またメニーは尾籠であるが、勃起もする。リビドーである。これが性および生への欲求でなくて何であろう。対照的にハンクはデストルドーに苛まれて自殺をしにきたではないか。

 

死亡に直面してこそ見えてくる命の形を描いたものに、『 ALONE アローン 』がある。シリアスなトーンをあまり好まない向きには、ユーモアたっぷりの本作を推したい。だが、本作の面白さはコメディックなユーモアだけにあるのではない。ちょっとしたミステリもある。メニーとハンクの対話は、まるで『 キャスト・アウェイ 』のトム・ハンクス演じるチャックとウィルソンのようである。おっと、いささか書き過ぎてしまったようだ。といっても、本作は解釈が分かれるように意図的に作っている作品であるからして、様々な人が思い思いの解釈を楽しむのが正解である。Jovianはダンだらけ、そしてハンクとハンクスにはきっと意味があると思っている派である。

 

ネガティブ・サイド

無人島からの脱出が少しトントン拍子すぎるように感じた。序盤のハンクの孤独をもっとねっとりと描いてくれていれば、その後の海岸や山、森林のシーンでの対話や生活がより際立ったのではないか。

 

また不法投棄されたゴミは、何かもっと違うアイテムで代替できなかったのだろうか。あんな生活感あふれるゴミがそこらじゅうに散乱しているということは、取りも直さず人里がかなり近いということだ。にも関わらず、なかなか故郷を目指そうとしないハンクには何かがあると分かってしまう。

 

総評

これは傑作である。もしかしたら駄作かもしれない。間違いなく言えるのは、珍品または怪作であるということだ。まるで個々人の面白センサーがどういう方向を向いているのかを測ってくれる、どこかリトマス試験紙のような映画である。ダニエル・ラドクリフの新境地を切り開いた作品としても長く記憶に残る作品となっているし、弱々しい男を演じさせればいま最も旬なポール・ダノの安定の演技力を堪能することもできる作品である。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ダニエル・ラドクリフ, ブラック・コメディ, ポール・ダノ, 監督:ダニエル・クワン, 監督:ダニエル・シャイナート, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

『 バーフバリ 王の凱旋 完全版 』 -貴種流離からの英雄凱旋譚-

Posted on 2019年4月30日2020年1月28日 by cool-jupiter

バーフバリ 王の凱旋 完全版 85点
2019年4月29日 神戸国際松竹にて鑑賞
出演:プラバース ラーナー・ダッグバーティ サティヤーラージ
監督:S・S・ラージャマウリ

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『 バーフバリ 伝説誕生 完全版 』と同日同劇場で連続鑑賞。『 アベンジャーズ 』シリーズをマラソン上映したり、『 スター・ウォーズ 』のリバイバル上映だったり、ゴジラシリーズからの何作かをMOVIX八尾でも一挙に上映するらしい。こうしたトレンドは歓迎すべきで、更なる広がりに期待をしたい。

 

あらすじ

奴隷にして最強の棋士カッタッパの語る父アマレンドラ・バーフバリの死の真相を知ったシブドゥ/マヘンドラ・バーフバリは、親子二代にわたる因縁の決着をつけるべく、暴君バラーラデーヴァの鎮座するマヒシュマティ王国を目指す・・・

 

ポジティブ・サイド

剣の腕前では『 キングダム 』の信以上、弓の腕前では韓国ドラマの朱蒙(チュモン)以上、肉弾戦の強さなら『 沈黙の~ 』シリーズのスティーブン・セガール以上の無敵キャラをプラバースはシブドゥとしてもアマレンドラとしてもマヘンドラとしても体現した。戦闘というか、戦術。作戦行動はクライマックス前に一挙にギャグ漫画の域に到達するが、それすらも納得させられてしまいそうな超人的な活躍!バーフバリとバラーラデーヴァの一騎打ちも痺れる。『 トロイ 』のアキレスとヘクトール以上のコンバットにして、『 ターミネーター:新起動/ジェニシス 』におけるシュワちゃん vs シュワちゃん的な鋼鉄肉弾戦。その最中にも願掛けの儀式を放り込んでくるのだから、スリルとサスペンスが止まらない。これ、作ってる人たちはどんなテンションで撮っていたのだろう?きっとこういう激しい絵ほど、冷静な眼と頭で撮り切ったのだと思われる。インド映画の底力に痺れて震えるべし。

 

船でマヒシュマティ王国を目指すシークエンスは『 アラビアン・ナイト 』的であり、『 アラジン 』的であり、『 タイタニック 』的でもある。とにかくスケールが突き抜けている。こうした絵作りのインスピレーションは一体どこから手に入れているのだ。

 

本作は前篇以上に政治術、権力闘争、計略といった面が色濃く描かれるが、それだけではなく、庶民の生活に密着した面も活写される。創意創造の力でも並はずれた才能を見せるアマレンドラは、戦場における武器や戦術の創意工夫だけではなく、民衆と共に暮らす中でもその才を遺憾なく発揮する。こうした描写が、民衆がマヘンドラを目にした時にバーフバリと叫ばざるを得なくなるということに説得力を与えている。またセクハラ許すまじをあからさまに主張するシークエンスもあり、インドというある意味で頑迷な国家の在り方に対しても一石を投じている。こうしたトレンドは『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』に受け継がれていったのだろう。

 

それにしてもプラバースという俳優の芸達者ぶりよ。『 キングダム 』で吉沢亮が政と漂を見事に演じ分けたことが話題になっているが、プラバースの演じ分けも見事の一語に尽きる。マヘンドラの時は口角を少し上げ、アマレンドラの時はやや眉間に皺を寄せ気味にする。前者にはどこか幼さが、後者にはどこか老成された雰囲気というか老練さが漂う。不思議なもので、それだけで両者が見分けられる。これは演技力の勝利である。王を称えよ!!

 

ネガティブ・サイド

『 バーフバリ 伝説誕生 完全版 』で思わせぶりに描かれたペルシャの武器商人は一体何だったのだ。あんな展開を見せられたら『 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』におけるカシムのような助っ人キャラになると誰でも予想するではないか。その後、一切登場せずとはこれ如何に。

 

アマレンドラとデーヴァセーナの弓矢連射シーンに匹敵するようなコンビでの戦闘シーンが、マヘンドラとアヴァンティカにも欲しかった。全編に続いてアヴァンティカの存在感が小さいのが、やはり減点対象なのだ。

 

ビッジャラデーヴァが左腕に障がいを負っているとはいえ、右腕に鉄拳は健在。それを使った戦闘シーンが無いのは何故だ。石造りの壁を素手で破壊したのを見た時、カッタッパとのジジイ対決か?と期待したのだが、そのマッチアップは実現しなかった。なんでやねん!?

 

総評

弱点、欠点もいくつか目に付くものの、それらを遥かに上回るアクションや鬼気迫る演技の数々に圧倒されること請け合いである。国母シヴァガミの瞬きしない目の迫力、バラーラデーヴァの憎悪、アマレンドラの威風、マレンドラの成長。そこにインドという国が世界に発信しようとする自国の在りうべき姿が見える。英雄叙事詩の実写映画の傑作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, インド, ファンタジー, プラバース, 監督:S・S・ラージャマウリ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 バーフバリ 王の凱旋 完全版 』 -貴種流離からの英雄凱旋譚-

『 バーフバリ 伝説誕生 完全版 』 -インド発アクション大作-

Posted on 2019年4月30日2020年1月28日 by cool-jupiter

バーフバリ 伝説誕生 完全版 80点
2019年4月29日 神戸国際松竹にて鑑賞
出演:プラバース ラーナー・ダッグバーティ サティヤーラージ
監督:S・S・ラージャマウリ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190430024524j:plain

大学の同級生と後輩、それに顧客も絶賛していたので、いつかレンタルで借りようと思っていた作品が、ゴールデンウィークに神戸国際松竹のインド映画祭りで大スクリーンに帰ってくる。これぞ天の配剤。松竹よ、ありがとう!

 

あらすじ

とある女性が赤ん坊と共に刺客から逃れようとしている。何とか追手を始末するも、彼女は川の流れに呑まれてしまう。流される間際に彼女はシヴァ神に祈る。この赤ん坊の命だけは救うように、と。なぜなら赤ん坊は王になるべき運命の子だから・・・。すんでのところで村人に助けられた赤ん坊は25年後、立派な青年に成長した・・・

 

ポジティブ・サイド

ラージャマウリ監督もビジュアル・ストーリーテリングを理解している映画人である。冒頭の追手から逃げる女性と赤ん坊に、観る側は「一体なんだ、これは?」と思わされるが、その説明を下手な独り言や赤ん坊への語りかけではなく、神への語りかけとするところがインドらしい。そして成長した赤ん坊がシブドゥとなり、その立派な体躯にカリスマ性、また良い意味での頑固一徹な顔の持ち主であることを台詞に頼らず描き切って見せた。物語のイントロダクションかくあるべし。

 

それにしてもインド映画の映像美よ。原生自然を映し出す時、また街並みや人々の衣装を活写する時の極彩色の使い方はインド映画の基本文法なのだろうか。序盤の大瀑布から中盤の鬱蒼とした森、さらに雪山、乾いた城と城下町、雷鳴とどろく暗夜と画面を彩る色が目まぐるしく変わっていくが、それがジェットコースター的なストーリーの展開スピードとよくマッチしている。中でも、シブドゥとアヴァンティカの出会い、アプローチ、そして初めてのまぐわいには神々しささえ感じた。

 

戦闘シーンはド迫力である。『 ダンガル きっと、つよくなる 』でも描かれていたが、インドには元々レスリング的な体術、武術の伝統が豊かなのだろう。手塚治虫の漫画『 ブッダ 』でもそんなシーンがあったように思う。また『 キングダム 』が本来描かなければならなかった大軍 vs 大軍の攻城戦、白兵戦、騎馬戦を本作はダイナミックに描く。キングダム原作で桓騎将軍が見せたような戦術を繰り出すアマレンドラ・バーフバリ、さらに王騎将軍並みの馬術で敵を次々に屠る様は、完全にゲームの『 三国無双 』または『 戦国無双 』シリーズを見ているようだった。つまり、爽快なのである。同じ神話的な英雄叙事詩の『 トロイ 』(主演:ブラッド・ピット)よりも、戦場の緊張感や臨場感、戦闘シーンのスペクタクルでは本作の方が優っている。後発なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、優れた先行作品を乗り越えられない後発作品もまた数多く存在する。本作は乗り越えた側である。

 

ネガティブ・サイド

シブドゥが怪力を発揮してシヴァ像を運ぶシーンには、もっと重要な意味を付すことができたのではないだろうか。例えば西楚の覇王・項羽は、若かりし頃に鼎を倒して、また元通りに立てたということで、一挙に江東で名前を売り、愚連隊のような連中を配下にすることで後の直参、古参の兵を得た。それと同じで、シブドゥもその豪勇とカリスマ性から若くして自分の腹心や耳目、爪牙になる者たちを得ていなければおかしいのではなかろうか。シヴァ像を運ぶシーンにシブドゥが怪力の持ち主であること以上の意味がなかったのが残念である。

 

怪力と言えば、バラーラデーヴァ王が野生の雄牛を素手で止めるシーンで二度ほど画面左下にCGIという小さな白字が表示されたのはどうにかならなかったのか。おそらく、今映っている動物はComputer Generated Imageですよというアピールだと思うが、それは『 バーフバリ 王の凱旋 完全版 』のオープニング冒頭でdisclaimerがあった。こちらでもそれをやるべきであったと思うし、画面にはできるだけノイズを入れないでもらいたい。

 

アヴァンティカとシブドゥのロマンスをもう少し追求してほしかったというのもある。先王候補のバーフバリと瓜二つ、その忘れ形見がついに現れたというだけでその威光に平伏してしまうのは理解できないこともない。ただ、シブドゥの関心がアヴァンティカから、あっさりと母デーヴァセーナに移ってしまったことで、物語の色彩と起伏がやや弱くなったように感じられてしまった。

 

総評

非常にハリウッド的でありながらも、しっかりボリウッド映画になっている。本作だけを観てしまうと、壮大な叙事詩の前篇という印象になってしまうのは否めない。リバイバル上映で鑑賞するにせよ、レンタルや配信で鑑賞するにせよ、『 バーフバリ 王の凱旋 』とセットで観るようにしたい。

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