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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 国内

『 ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 』 -古くて新しい提言書-

Posted on 2021年1月9日 by cool-jupiter

ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 75点
2021年1月5日~1月7日にかけて再読了
著者:梅田望夫
発行元:文藝春秋

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210109015154j:plain
 

コロナ禍において「新しい生活様式」なる言葉が人口に膾炙した。「ニューノーマル」とも「新常態」とも言われるが、実は目新しい概念ではない。時代の転換点において、ニューノーマルという言葉は常に使われてきた。「ニューノーマル」という言葉をいち早く紹介した本書は、給付金の申請がオンラインよりも紙の方が速く処理されるという現代日本に多大な示唆や提言を与えてくれている。

 

あらすじ

第1定理では「アントレプレナーシップ」を、第2定理では「チーム力」を、第3定理では「技術者の眼」を、第4定理では「グーグリネス」を、そして第5定理では「大人の流儀」を紹介する。働き方に悩む人、これから先のキャリアについて考える人にとってのヒントが満載である。

 

ポジティブ・サイド

著者の梅田のキャリアゆえか、彼の著書には一貫して個と組織の在り方、その関係についての考察や提言がなされている。それは本書でも同じである。ただ、梅田自身が語る言葉ではなく、梅田というフィルターがろ過したシリコンバレーの技術者や経営者の言葉であるところに本書の価値がある。Jovianは梅田に私淑しているが、同じように梅田を通じて人生やキャリアについてより深く考えるようになったという人間は多いはずだ。特に、就職氷河期世代、いわゆるロスジェネにその傾向が強い気がする(というのは、Jovianの周りがだいたいそういう世代だからだろうか)。個が組織を作り上げる、あるいは大組織の中で個が輝くという事例を本書は数多く紹介しており、若いビジネスパーソンにも壮年のビジネスパーソンにもお勧めできる内容になっている。

 

以下、いくつか気に入っている言葉を紹介する。

 

第1定理 アントレプレナーシップ

世界がどう発展するかを観察できる職につきなさい。
そうすれば、「ネクスト・ビッグ・シング」が来たときに、
それを確認できる位置にいられるはずだ。 ―――ロジャー・マクナミー

 

ここでいう「ネクスト・ビッグ・シング」とは、破壊的イノベーションを起こすサービスやプロダクトという意味だが、現在の目からするとZoomが最もこれに当てはまるだろうか。製造業であれば「何を作るか」、サービス業であれば「何をand/orどう提供するか」を常に考えるはず。教育業界にいるJovianはコロナ禍において勤め先およびクライアント大学の授業へのZoomやGoogle Meet導入に深く携わる機会があったが、その時に「誰もが教育者になれる時代が来た」と直感した。Zoomで講義を録画する、そしてYouTubeにアップする、というだけではない。自分がPC上で行っている作業の方法をオープンにすることで、一気に業務改善ができる、あるいは他者の業務改善を手助けできるようになる。また、これまでのPCのサポセンなどは電話で顧客に技術的サポートを提供していたが、今後はネットにさえつながっていれば、そしてPCにカメラとマイクが装備されていれば、困っている相手に画面共有してもらえれば、すぐさまソリューションを提示できるようになる。事実、そうなりつつある。コロナ禍で仕事が激減した、自営業を立ち上げるしかない、という人の多くが、何らかのインストラクター職を選ぶものとJovianは見ている。

 

第2定理 チーム力

世界を変えるものも、常に小さく始まる。
理想のプロジェクトチームは、会議もせず、
ランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、
ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ。―――ビル・ジョイ

 

これは本当にそうで、何も世界を変えるような大きな仕事でなくても、普通の人の普通の仕事にも当てはまるはず。Jovianの以前の会社では20人ぐらいで会議をしていて、会議=ただの報告会になっていた。決まった人が決まった順番で、いつも通りの内容(当月の売り上げや来月の見込み額など)を喋るだけ。活発な意見交換や議論などは存在しなかった。今の会社の会議も似たようなところがあるが、その代わりプロジェクトチーム単位(3~4人)になると談論風発する。日本企業における会議体の多さに辟易する人は多いはず。そうした人々に、ビル・ジョイの言は刺さることだろう。

 

第3定理 技術者の眼

技術的な転移(大変化)は、常に勝者と敗者を生む。
勝者とは、より早くその技術を導入できる企業であり、
敗者は、立ち往生し、転換をはかれず、
新たな技術をうまく使いこなせない企業だ。―――エリック・シュミット

 

説明不要なまでに明快だ。関西の某大学は2020年の春学期にオンラインでリアルタイムに授業を提供する仕組みを作り切れず、ほとんどの科目でGoogle Classroomもしくは大学ポータルサイト上で課題を課して締め切りを伝えて終わり、という暴挙に出た。そして、秋学期にオンライン授業を始めたが、教員や職員に研修が行き届いておらず、頓挫。学生や保護者からクレームの嵐だと聞く。近いうちに関西にも緊急事態宣言が発令されそうだが、そんなことに関係なく、今年度の出願者数は激減していることだろう。これは何も某大学だけのことではない。政府がいくら「テレワークの推進を!」と叫んでも、それができない会社がマジョリティなのだ。上のエリック・シュミットの言葉の「企業」を「国家」に入れ替えれば、極東の島国の姿が見えてきはしまいか。

 

第4定理 グーグリネス

「ニューノーマル」時代における成功とは、タイムマネジメントに尽きる。
この時代における通貨は、時間なのである。―――ロジャー・マクナミー

 

Jovianは本書を初めて読んだ時に、この言葉に大いにインスパイアされた。実際の文脈では「仕事のうちで自分がどこにこだわるべきかを明確にして、そこに時間とエネルギーを投下せよ」という意味なのだが、コロナ禍の今になって読み返せば、さらにその重みを増している。オンライン授業の際、「もっとも通信環境が貧弱な学生に配慮するように」というお達しが文科省からあった。そのため、ほとんどすべての大学では90分授業を60分オンライン、30分オフラインとなった。Jovianの会社は大学に非常勤講師を派遣しているが、講師たちからは「これじゃあ、教科書が全部カバーできない」という悲鳴が聞かれた。重要なのはタイムマネジメント、必要なところ、学生に身に着けてほしいと心底から思う部分の指導に集中してほしい、と誠心誠意に伝えた。それが上手く行ったかどうかは分からないが、今のところクライアント大学からは授業関連のクレームは出ていない。

 

第5定理 大人の流儀

自分がやらない限り世に起こらないことを私はやる。―――ビル・ジョイ

 

なんとも気宇壮大な言である。だが、現実味がある。Googleの圧倒的な成功と普及によって、世の中の情報はかなり整理され、組織化されてきた。極端な言い方をすれば、Google検索に引っかからない情報は存在していないも同然、という世界観が浸透しつつあるとも言える。つまり、事業を始めるにあたってのブルー・オーシャンが見つけやすくなったとも考えられるのだ。Jovianも万が一だが、今の勤め先がコロナ禍で立ちいかなくなったり、最悪潰れてしまった時には、マイナーな英語の資格検定対策専門のオンライン塾でも立ち上げようかと考えている。そうしたスクールというのは、日本ではびっくりするぐらい少ないのである。

 

以上、各章を簡単に紹介したが、いかがだっただろうか。飲食業界、不動産業界、製薬業界など、あらゆる分野の職業人にとってヒントになる言葉、勇気を与えてくれる言葉が見つかると確信できる良書である。

 

ネガティブ・サイド

全体的にオプティミズムに溢れている。それこそ『 シリコンバレー精神 』なのだろうが、日本人、もしくは日本的カルチャーに染まった会社・企業・組織というものは楽天主義ではなかなか動かない。どちらかというと「〇〇〇しないと会社が潰れますよ」、「△△△を持っていないと市場から見放されますよ」というネガティブなメッセージがないと腰を上げない経営者や決裁権者の方が多い。成功者の理念や哲学、言葉を紹介するだけではなく、事業の失敗者の反省の言なども取り入れていれば、よりバランスの良い本になったと思う。もっとも本書のP60~63で述べられているように、シリコンバレーの投資家は全ての投資先から回収していくのではなく、大きく成長した、またさらに将来性の見込める企業から一気に投下資本を回収する仕組みを作っているので、そうした意味での「事業失敗者」は見つけられなかったのかもしれない。ただ、梅田自身が『 ウェブ進化論 』で紹介したことのある、かつての勤務先の社内ベンチャーの失敗の話などを盛り込むこともできたのではないか。

 

第3定理「技術者の眼」の章で紹介されている言葉が、アップル関連の人物の言葉に偏り過ぎている。また、「技術者の眼」というよりも「技術者の目」を紹介する章になっていると感じられる。P142~143の渡辺誠一郎氏の逸話のようなエピソードはまさに「技術者の眼」という感じだが、その他の言葉は「技術者の目」から見た社会や世界、未来という感じが強い。梅田自身はコンサルタントでエンジニアでもプログラマーでもないせいか、この第3章だけは、やや全体から浮いた印象を受ける。

 

総評

本書はウェブ時代における「ニューノーマル」を始めとした様々な概念や言葉を体系的にまとめたもので、コロナ禍においてデジタル・トランスフォーメーションが進みつつある日本で、再読の価値が高まっていると言える。2008年刊行の書籍が2021年においても大きな意味を持つことに日本社会の停滞を感じるが、「個の強さ」を常に強調してきた梅田望夫によって厳選された言葉の数々は、現代日本のビジネスパーソンや学生にとって大きな指針となることは間違いないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

The only way to do great work is to love what you do.

本書(文庫版)のP283にあるスティーブ・ジョブズの言葉。数々のジョブズの名言の中でもとくに有名な、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチの一部。“love what you do”の部分は、日本でも多くの英語人が様々に翻訳してきた。ちなみにJovianは「自分の仕事を心底好きになる」と訳して、当時の勤め先の教材にも盛り込んだ。What you do = 普段からしていること ≒ 仕事、となる。ちなみにWhat do you do? =「職業は何ですか?」という紋切り型の説明がしばしばなされるが、これは間違い。正しくは、「今は何をしているのですか?」である。小学生の時の同級生と20年ぶりにばったり出会った時のことを想像してみてほしい。「うわー、久しぶり!今、何やってるの?」と尋ねることだろう。この「今、何やってるの?」こそ、“What do you do?”である。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, B Rank, 日本, 発行元:文藝春秋, 著者:梅田望夫Leave a Comment on 『 ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 』 -古くて新しい提言書-

『 ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 』 -垂直・水平的なポン・ジュノ研究本-

Posted on 2020年7月23日 by cool-jupiter

ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 75点
2020年7月20日~7月23日にかけて読了
著者:下川正晴
発行元:毎日新聞出版

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『 パラサイト 半地下の家族 』のアカデミー賞4冠はまだまだ記憶に新しい。ポン・ジュノ監督のフィルモグラフィーやバイオグラフィーにあらためて光を当てるにはこれ以上ないタイミングで、やはり出た。最初は「Wikipediaの内容をちょっと膨らませた程度かな」と思っていたが、本作の目次に目を通して、そうした懸念は消えてなくなった。これは極めて学究的なポン・ジュノ研究の試みである。

 

あらすじ

本作は、第1章『パラサイトの真実』で映画『 パラサイト 半地下の家族 』の研究と考察を、第2章『ポン・ジュノの正体』ではポン・ジュノの作家としての変態性(perversion)と変態(metamorphosis)を語る。第3章『ポン・ジュノのDNA』ではポン・ジュノの家族史と韓国史を垂直かつ水平に分析し、第4章『韓国映画産業の現在』では韓国の国家戦略、映画との距離(ブラックリスト問題と国家的振興策)が議論される。どれも刺激的な論考である。

 

ポジティブ・サイド

本書の真価は2、3、4章にある。第1章はちょっとネットの世界に潜れば、いくらでも手に入る類の情報である。つまり、少々軽い。それゆえに、非常に堅苦しい論考が続く中盤以降に向けてのちょうど良い入り口になっている。

 

第2章では、作家としてのポン・ジュノを深く掘り下げる。特にポン・ジュノが各種メディアに語った言葉を引用しながら、その当時のポン・ジュノの成長=変化=変態の過程の背景を明らかにしていく。その切り口がユニークだ。韓国の国家的な成長とポン・ジュノの個人的な成長を重ね合わせて見るとともに、両者の成長・変態の過程を世界史的な視点からも見つめている。ポン・ジュノの青春時代の政治的激動と、国際的な文化の流入(それはアメリカのテレビ映画であったり、あるいは日本の漫画や映画であったりする)を一体的に論じる本章は、個人的に最も刺激を受けた。

 

第3章は、ポン・ジュノの先祖、特に母方の祖父・朴泰遠が小説家として日本による朝鮮半島の植民地政策や近代化とどのように向き合い、いかに「越北」するに至ったのかを考察する。その過程で、下川正晴の関心が朴泰遠の「二人の妻」にあてられるところに、著者の現代的関心が見て取れる。また、こうした家族史、つまり父母や祖父母の物語が戦争や非植民地化、国家と民族の分断と密接不可分であるところに、近代日本と近代韓国の歴史観の違いが如実に表れている。小林よしのりや百田尚樹といった言論人は、日本の兵士であった当時の日本の兵士を父や祖父、兄や弟といった限定的な関係からしか描かず、彼らの戦いもきわめて内面的な動機の面からしか描かない。いや、描けない。それはそうだ。解放戦争の兵士という姿は、一歩引いたところから見れば、侵略者・征服者になるからだ。そうした侵略される側、征服される側の朝鮮半島の一知識人の生活史を通じて、ポン・ジュノのDNAを解き明かそうという試みは非常に客観的であり、同時に野心的でもある。本章の迫力は、本書の中でも随一である。

 

第4章では、韓国エンタメ産業の世界戦略が、イ・ミギョンという老婦人を通して描かれるところに、やはり著者の問題意識が垣間見える。この大財閥創始者の孫娘である女性の個人史は、朝鮮半島の近代史と不思議なシンクロを見せる。興隆と分断、そのトラウマとそこからの新規巻き返し。一経営者を世界経済的な視点から分析することで、CJエンターテインメントの、ひいては韓国の国家的な戦略を現在進行形で活写していく。本書の第4章を材料に、ケース・スタディおよびディスカッションを行うビジネス・スクールがあっても驚かない。それほど緻密な取材と資料の分析に基づいた論考になっている。

 

思想の左右で売り上げが上がり下がりするという末期的な症状を呈している日本の出版業界にも、まだまだ真っ当な書き手は存在することを教えてくれる良書である。

 

ネガティブ・サイド

率直に、日本の記述が少ないと感じた。日本そのものではなく、日本が韓国に及ぼした文化的な影響や、韓国の娯楽産業の興隆と日本の娯楽産業の興隆の歴史比較などがあっても良かったのにと感じる。ポン・ジュノが日本の文化で影響を受けたものと言えば、本書にもある通り漫画である。その漫画の神様・手塚治虫やアニメーターの宮崎駿は太平洋戦争終結後にすぐに頭角を現してきた。戦争、というよりも戦争を可能にするような国家体制が、いかにクリエイティブな個の才能を抑えつけるかを証明している。一方の韓国で映画文化・映画産業が豊かに花開いた背景に、長く続いた軍事政権が1980年代後半にようやく終焉を迎えたという事情がある。このあたりの近現代史にもう少しページを割いても良かったのではないだろうか。

 

また、韓国の民主化以降、外国文化(当然日本も含まれる)の輸入を始めた韓国が、初めて触れた日本の映画作品の多くが北野武の作品だったこと、北野武のテイストがいかに当時の韓国の映画人に影響を及ぼしたのか、などの考察があればパーフェクトだった。しかし、このあたりは著者も本書の冒頭で述べている通り、後に出版されるであろうその他多くの研究本の課題・宿題だろう。

 

参考文献に書籍しか載っていないのがまことに惜しい。英語や韓国語のウェブサイトも多数参照したのは間違いないはず。そうしたサイトのURLも載せなければダメだ。Google Translateを活用すれば、どんな言語であっても、大意を把握することが可能な時代である。著者および編集者はかなり古い体質の書き手であり出版人なのだろう。ネット上の参考資料をもっと読者とシェアすべきである。それが今後の「参考文献」の在り方だろう。

 

総評

おそらく今後、ポン・ジュノや韓国映画研究本が多数出版されるであろう。本作は間違いなくその嚆矢である。新聞記者らしく多くの資料を渉猟して、極めて客観的に事実を記述し、さらに主観的な意見を述べる時の舌鋒は鋭い。単なるポン・ジュノ監督の伝記以上に、ポン・ジュノの家族史と韓国社会の歴史を水平方向と垂直方向の両方向に追究しようとした労作である。韓国映画ファンのみならず、広く映画ファン全般、さらにエンタメ業界人や同業界を志す大学生にお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

metaphor

「暗喩」の意。日本語でもカタカナでメタファーと書くことがよくある。映画ではしばしば visual metaphor が用いられ、ポン・ジュノ監督はその名手であると目されている。『 パラサイト 半地下の家族 』では、階段が重要な visual metaphor として用いられていた。映画を観る際には、様々なオブジェや風景が意味するものが何であるのかを考えながら鑑賞してみよう。そうすれば、監督の意図や映画のメッセージを理解する手助けになる。

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Posted in 国内, 書籍, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, 日本, 発行元:毎日新聞出版, 著者:下川正晴Leave a Comment on 『 ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 』 -垂直・水平的なポン・ジュノ研究本-

『 ムゲンのi 』 -ジャンルミックス・ファンタジーの良作-

Posted on 2020年4月25日2021年1月8日 by cool-jupiter

ムゲンのi 75点
2020年4月19日~4月23日にかけて読了
著者:知念実希人
発行元:双葉社

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『 仮面病棟 』の知念実希人の単行本上下二巻の大部の小説。こちらはイージー・リーディングとは程遠いズッシリとした手応えが得られる。なので、活字に慣れていない人には少々しんどいかもしれない。だが、活字を苦にしないならば、本作を巣ごもりのお供にするのも良いだろう。

 

あらすじ

医師の識名愛衣は、眠りから目覚めることがないというイレスという奇病の患者の治療にあたっていた。だが、霊能者だった祖母から力の使い方を授かった愛衣は“夢幻の世界”で自分の分身的存在であるククルと共に、イレス患者の魂を救うマブイグミを行っていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

海堂尊の作品のような外科医一辺倒の医学ミステリや医学サスペンスではなく、純粋なファンタジーというのは、それだけで貴重である。そして本書の価値は、その希少価値ゆえではなく、その面白さによって高められている。

 

本書の面白さとは、第一にその壮大なる世界観である。フロイト的な個人の深層にある無意識世界、まさに夢幻の領域を探索するストーリーといえば真っ先に『 インセプション 』が思い浮かぶ。だが、本書が描写する夢幻の世界には、それこそ明晰夢のような臨場感と迫真性がある。『 インセプション 』は夢と現実の境目をどんどんと曖昧にしていったが、本書は逆である。夢幻の世界は、対象のイレス患者のトラウマ体験が極端に肥大化して存在する世界なのである。現実に絶対にありえないような世界の在り様は、そのままイレス患者の心の傷の深さの象徴なのである。非現実がますます非現実になっていく。それは、悪夢という名の現実に苛まれていることの証なのである。それを救うための旅路のお供がウサギ耳の猫というのがいい。我々は猫耳やウサ耳という属性には結構慣れている。しかし、猫にウサギの耳をくっつけるという発想は非凡だと感じる。Jovianと同世代である知念実希人、恐るべしである。

 

夢幻の世界に引きこもってしまったイレス患者たちの現実体験も非常に過酷で苛烈だ。特に父がパイロットだった女子高生と、人権派の弁護士に秘められた非常に悲しく苦しい物語は、読者の心に確かな爪痕を残すことだろう。特に後者は『 黒い司法 0%からの奇跡 』をひっくり返したような、何とも後味の悪い話だ。上巻は『 友罪 』と同じ、あいつは少年Xなのか、という疑惑で締めくくられる。Jovianや知念実希人の数歳年下である、あの少年Xがモデルであることは疑いようがない。現実に起きたあまりにも非現実的な事件をも効果的なガジェットとして使うことの意味は、終盤に分かってくる。なるほど、これは一種の『 HELLO WORLD 』なのだ。こうした構造の小説はそれほど珍しくはないが、読む側をもこのような形で包み込んでくるような物語はそれほど多くない。なんとなく映画にもなったミヒャエル・エンデの小説『 はてしない物語 』を彷彿させてくれる。

 

本作には、一種の叙述トリックも仕込まれている。種明かしされてみれば、確かにそうだった・・・と納得できるクオリティ。綾辻行人の『 Another 』や山本弘の『 詩羽のいる街 』を読んだ時に近い驚きを覚えた。下巻も3分の2まで読み進めれば、もうページを繰る手を止めることは不可能。毎日少しずつ読むのもアリだが、下巻も半分を過ぎたら、残りは翌日が休日となる日までとっておこう。ぐいぐい読ませるし、そしてベタではあるが感動的なフィナーレが待っている。

 

ネガティブ・サイド

犯人(という表現が適切かどうかはさておき)が、あまりにもあからさま過ぎる。いわゆる、いちばん犯人っぽくなさそうな人物が実は・・・というお約束は本作でもしっかり守られている。ミステリ愛好家は読む前にあれこれと考えたり、あるいは「コイツが犯人だな」と序盤で当たりをつけて読み始める習性がある。是非そうした読み方をしてほしい。案外簡単に犯人を当てられることだろう。もう少しひねりやミスリーディングさせる仕掛けが欲しかった。

 

最終盤手前のククルの言動がいかにもクリシェである。「まあ、多分そんなことにはならないと思うけど」というのは、「100%そうなるよ」の意味であることを、我々は熟知している。このあたりの定番の台詞や展開を外して、もっと悲壮感ある展開を生み出せなかったのかと、少々残念に感じる。

 

総評

ミステリであり、サスペンスであり、ファンタジーである。そのどれもがハイレベルにまとまったジャンルMIXの快作である。読み終わった瞬間に、初回では全く意味不明だった上巻の冒頭を読みたくなる。まるでジェームズ・P・ホーガンの『 星を継ぐ者 』や高畑京一郎の『 タイム・リープ あしたはきのう 』のような読後感である。ムゲンとは無限であり夢幻である。iは愛、英語の一人称のI、主人公の名前である愛衣である。アイを含むタイトルの小説としては、山本弘の『 アイの物語 』に次ぐ面白さだと感じた。活字嫌いにも、1か月かけて読んでほしいと思える。読みごたえは保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m in the pink.

「絶好調だよ」というセリフの私訳。しばしば、be in the pink of healthという形で使われる。実際には「絶好調だよ、腰から上は」というセリフで、後半を英語にするなら、from my waist upとなるだろうか。これは、I’m paralyzed from my waist down.の裏返しである。元強豪ボクサー、ポール・ウィリアムスを思い出す。

 

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, B Rank, ファンタジー, ミステリ, 日本, 発行元:双葉社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 ムゲンのi 』 -ジャンルミックス・ファンタジーの良作-

『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』 -とにかく熱い韓国映画読本-

Posted on 2020年3月25日2020年8月29日 by cool-jupiter

韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 75点
2020年3月21日~22日にかけて読了
発行元:株式会社鉄人社

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2020年3月15日に『 殺人の追憶 』を心斎橋シネマートで鑑賞した際に、同劇場で購入。3月21日にページを開き、3月22日に読了。第1刷は2011年という本書だが、掲載されている日本の映画人たちの韓国映画をレビューする熱量は、『 パラサイト 半地下の家族 』がアカデミー賞を席捲した直後かと思えるほど。実は韓国映画は10年以上前から熱かったのだなと、今更ながらに本書に蒙を啓かれた思いである。

 

あらすじ

頭をかち割られ、心臓をつかまれ、エンドロールが流れるころには身も心もぼろぼろ。その独特の後味の中で、体内に重く沈殿する何か。生きるとは?愛とは?家族とは?赦しとは?人間の本質、人生の普遍にかかわる重要な投げかけに我々は深く自問自答せざるをえない。スクリーンでしか得られない興奮と苦悩を、問答無用に突きつけてくる韓国映画。本書は本物志向のコリアンムービーが放つ妖しくも危険な魅力に迫った1冊である。(編集部のINTRODUCTIONを一部引用)

 

ポジティブ・サイド

園子温や宮藤官九郎、中村うさぎや三池崇史など、実に濃い面々の声を聞くことができる。ただの声ではない。彼ら彼女らは皆、韓国映画に脱帽している。これだけの映画人たちがしゃっぽを脱ぐのだから、韓国映画の持つ熱量たるや、すさまじいものがあるのだろう。マイルドな映画ファンにそう思わせるだけの迫力がある。

 

いや、中には兜を脱いでいない役者もいる。『 ボヘミアン・ラプソディ 』のレビューの雑感で「お前のキャリアはどうでもいい。裏方さんに迷惑かけんな」とJovianが断じた新井浩文だ。彼は『 チェイサー 』で殺人鬼を演じたハ・ジョンウを指して、「で、あの役をもしウチがやってたら、とか考えると、もっと怖くできただろうな、と。そこはすごく思うんですよね」(P50)と豪語する。その意気や良し!日本では役者として再起することは難しいだろう。韓国語を勉強しまくって、韓国映画のオーディションを受けまくればいい。『 リンダ リンダ リンダ 』でぺ・ドゥナが、『 新聞記者 』や『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』のシム・ウンギョン、『 焼肉ドラゴン 』のキム・サンホなど、韓国の俳優は結構たくさん日本の映画に出ている。逆は、『 哭声/コクソン 』の國村準ぐらいか。唐田えりかも若いのだから韓国語を猛勉強して、韓国映画界に活路を見出すべきだ。そうすれば凱旋帰国の道も開けてくるかもしれない。

 

閑話休題。個人的に最もグッと来たのは竹中直人による『 悪魔を見た 』レビューだ。「感覚としては『 悪魔のいけにえ 』や『 エクソシスト 』を観たときの感覚に近いのだけど、それさえも吹っ飛んじゃった」(P43)ということである。マジかよ・・・ スーパーナチュラルなホラーの最高峰『 エクソシスト 』と、サイコパス・スラッシャーのホラー最高峰の『 悪魔のいけにえ 』以上なのか。この二作はレンタルビデオで観た中学生のJovianをほとんど文字通りの意味 pants-shittingsly scaredな気分を味わわせてくれたが、それ以上なのか。観たいような観たくないような。

 

もう一つ印象に強く残ったのが、寺島しのぶの『 母なる証明 』評。「韓国映画は好きで良く観ますが、いつも感じるのが“匂い”です」(P)と言う。これは化学的な意味での匂いではなく、比喩的な意味での匂いだが、寺島しのぶが『 パラサイト 半地下の家族 』の兄妹ふたりがWi-Fiを求めてトイレに行き着くシーンには、どんな“匂い”を嗅ぎつけるのだろうか。日本では貧困家庭の女子高生がスマホを持つことを「けしからん」と感じるアホ(敢えてそう呼ばせて頂く)がたくさんいるが、スマホやPCでインターネットに接続することは、衣食住よりも大切とは言わないが、それらに次ぐほどに重要なことなのだ。臭そうなトイレだなと思っては負けである。寺島しのぶによる『 パラサイト 半地下の家族 』のレビューをぜひ聞いて/読んでみたい。今からでも誰かインタビューに突撃してくれないかな。

 

ネガティブ・サイド

カラーページが少ない。韓国映画のテイストに、血まみれの描写に妥協をしないという点が一つ挙げられる。容赦ない暴力の場面、または流血の場面にもっとカラーページを割いても良かったのでは?

 

後は、対象に想定している読者が狭い。ライトでカジュアルな映画ファンからディープでコアな映画ファンまでを想定するのは良いが、このような読本が本当に取り込まなければならないのは年に1~2回程度しか映画館に行かない、いわゆる一般人である。容赦のない暴力や狂気の愛だけではなく、普通にロマンティックなラブストーリーや青春映画を2、3作品ほど紹介するスペースがあってもよかった。もしくは一般人に訴求力のある役者、例えば小栗旬や妻夫木聡、篠原涼子といった知名度と実力の両方を持った人間などにインタビューあるいは一筆をもらうことはできなかっただろうか(ギャラ的に完全に無理だったのかもしれないが)。

 

どこかに日韓映画文化比較論を入れる余地もなかっただろうか。【そこまでやるか、韓国。ついていけるか、日本】と煽るのなら、しっかりと日韓の映画をcompare and contrastすべきだろうと思う。そのあたりは2020年代に発行されるであろう、新たな読本に期待するとしよう。

 

総評 

純韓国映画『 パラサイト 半地下の家族 』が米アカデミー賞で4冠達成。今こそ読むべき韓国映画読本である。今年だけでも『 エクストリーム・ジョブ 』や『 スウィング・キッズ 』などの秀逸なコメディや人間ドラマを送り込んできている韓国映画界。今こそ、向き合うべき時である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give ~ goosebumps

寺島しのぶが『 母なる証明 』の冒頭のシーンで「鳥肌が立った」と述懐している。その表現がこれである。My oh my, your presentation gave me goosebumps. = 「なんてこった、お前のプレゼンに鳥肌が立ったぜ」となる。しばしば無生物を主語にして使われる表現である。パッとこれが口から出せれば、英語学習の中級者である。

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, B Rank, 日本, 発行元:株式会社鉄人社Leave a Comment on 『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』 -とにかく熱い韓国映画読本-

『 一度死んでみた(小説) 』 -人物描写あり、背景描写なし-

Posted on 2020年3月20日 by cool-jupiter

一度死んでみた 50点
2020年3月19日 読了
著者:澤本 嘉光 鹿目けい子
発行元:幻冬舎文庫

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ふざけた内容のコメディとも、シリアスな内容のヒューマンドラマとも受け取ることができる作品である。表紙、そしてトレイラーの影響でキャラクターたちが、自動的に脳内で役者に変換されてしまうが、違和感は全くなかった。

 

あらすじ

バンドでデスメタルを歌う野畑七瀬は、父の野畑計が大嫌い。ことあるごとにライブで「死んでくれ」と絶唱している。だが、そんな父が死んだ。そして2日後に生き返るという。自らが開発した謎の新薬と、それを狙うライバル製薬会社が背景にあるのか?七瀬は、計の会社に勤める存在感の極めて希薄な松岡と共に、父を生き返らせるために奔走するが・・・

 

ポジティブ・サイド

人物の描写、人物の内面の描写、そしてセリフが全体の50%以上を占める。なのでReadabilityは抜群である。サクサク読める。実際に本編は167ページだが、Jovianは1時間弱で読了した。スティーブン・キング原作の映画を観ることはできても、スティーブン・キングの小説そのものはとても読めないという人は多い。なぜなら、人物も、その人物の内面も、情景もどこまでも濃く、ねっとりと描写するからだ。本書はその真逆である。活字嫌いでもすいすい読める。

 

興味深いなと感じられたのは、父と娘の関係よりも母と娘の関係の方である。そして、それを通して見えてくる七瀬の父と母の関係。ともすればすべてを「実験と観察」に還元してしまう父の計だったわけであるが、ではどうやって結婚し、子をもうけたのか。そこにミステリーがある。父が死んだことで初めて見えてくる景色というのは確かにある。いや、父に限らずとも、母でも祖父母でも兄弟姉妹でも親友でも、誰かの死によって、一つの関係が断ち切られる。関係が消失する。失って初めてその存在に気が付く。マルティン・ハイデッガーはそれを「気遣い」と呼び、存在の本質だとした。つまりは「有り難い」ということだ。

 

物語は企業の合併交渉と継承者問題で一気に突っ走っていく。そしてほのかなロマンスの予感を漂わせながらも、予定調和的なエンディングにたどり着く。このReadabilityこそが本書のアドバンテージである。娘が活字嫌いで困っているという親御さん、特に世のお父さんがたには、本書をお子さんに買い与えることを提案してみたい。

 

ネガティブ・サイド

「今死んだらぶっ殺すわよ」という映画のトレイラーの台詞は、本当なら七瀬の母の台詞のはずである。ということは、映画本編も少しいじっているのだろうか。

 

薬学部3年生が就職活動をしているが、これは完全なる取材ミス、そして編集者や構成担当者のエラーである。薬学部はかなり以前に全て6年制に移行しているため、3年生が就職活動をするのは考えられない。映画版も、トレイラーを見る限りは同じミスをやらかしている。邦画だけではなく、日本の小説のレベルも落ちつつあるのか。

 

これも読む人によるのだろうが、あまりにも情景や背景の描写がなく、ズシリとした読了感が得られない。本格的な書き手の作品に慣れた人には向かないだろう。はっきり言って文章構成力はめちゃくちゃ低い。Jovianの大学の寮の直接の先輩である水沢秋生氏が書いていたラノベと大して変わらない(水沢秋生の名誉のために言うが『 運び屋 』で紹介した『 運び屋 一之瀬英二の事件簿 』のように、今の彼の文章力、ストーリー構築力は素晴らしいものがある)。

 

ミステリー風味な面でも不満が残る。これまた少し慣れた読み手であれば、「ははーん、これは終盤にこうなるわな」というのが見え見えである。もっと上手い書き方があるはずだ。

 

肝心のストーリーも、まんま『 ロミオとジュリエット 』の駆け落ち前の展開を抜き出して、そこに『 フランケンシュタイン 』の要素を混ぜ込んだだけ。『 メアリーの総て 』のメアリー・シェリーも心外に感じているのではないだろうか。

 

総評

対象は高校生か、せいぜい大学生までだろう。大人の読み手を満足させるには色々とツッコミどころが多すぎる。逆に言えば、そうしたツッコミどころを気にしない読者ならば、セリフとキャラの内面描写ばかりでドンドンと進んでいく物語を楽しめるのではないだろうか。これから映画の方も観に行く。原作が50点のD Rankなので、映画に関しては期待値をそれほど上げずに済みそうである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Even if you don’t see it, it exists.

「目に見えることだけが存在じゃない」という作中の台詞。「たとえ目に見えなくても、それは存在する」と訳してみた。これまた『 ロミオとジュリエット 』や『 フランケンシュタイン 』同様に、名作古典の『 星の王子さま 』へのオマージュだろうか。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, D Rank, ブラック・コメディ, 日本, 発行元:幻冬舎文庫, 著者:澤本嘉光, 著者:鹿目けい子Leave a Comment on 『 一度死んでみた(小説) 』 -人物描写あり、背景描写なし-

『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

Posted on 2020年1月20日 by cool-jupiter

仮面病棟 65点
2020年1月19日に読了
著者:知念実希人
発行元:実業之日本社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200120131534j:plain
 

『 神のダイスを見上げて 』が結構読みやすかったので、本作(小説)も購入。現役医師が病棟を舞台に描くだけあって、臨場感もプロットの妙も、こちらの方がかなり上であると感じた。

 

あらすじ

外科医・速水秀悟は先輩の代打で当直バイトのため、田所病院に入った。その夜、ピエロの仮面をかぶった男が病院に押し入り、「この女を治せ」と腹部に銃創のある女性を連れてきた。ピエロは自らを金目当ての強盗だと言うが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200120131605j:plain

 

ポジティブ・サイド

グイグイと引き込まれた。330ページ弱と、小説としては標準的な長さだが、2時間ちょうどで一気読みできた。帯の惹句の【 一気読み注意! 】という文言は本当である。

 

また医師が書いているだけあって、病棟の構造や患者の設定にリアリティがある。それも海堂尊の作品に共通して見られる、医師や医療従事者、官僚などが専門用語を使ったり、倫理観を戦わせたり、徹底した手洗いやオペの手技に悦に入っているような描写ではない。一般人にも十分に理解できるような語彙を使ったり、情景描写を行ったりしている。一方で、治療の場面などはスピード重視。専門的な語彙を存分に駆使しながらも、やはり海堂作品にやたらと見られる、ルー大柴的(日本語とカタカナ語のちゃんぽん)な言葉の使い方をしていないので、専門用語(数は多くない)も漢字から意味がスッと理解できたり、その後に続く動詞が平易であるので、何を行っているのかというイメージを脳内に描きやすい。なかなかの書き手である。

 

ジャンル分けすれば、ミステリ、サスペンス、シチュエーション・スリラーだろうか。この田所病院には「館」的な趣がある。そして、それは全く荒唐無稽ではない。おそらく本職の医師や看護師らコ・メディカルであれば、田所病院各階フロア図を見て何かに気づくことであろう。天狗になるわけではないが、Jovianも本文を読み始める前にピンときた。これは漫画『 おたんこナース 』のとあるエピソードから病院独特のシステムがあることを学んでいたからである。また同じく漫画『 スーパードクターK 』を読んだことがある人なら、とある闇のビジネスについてもピンとくるかもしれない。日本の社会構造が目に見える形で変わってきている今、こうした問題はいつか本当に起こるかもしれない。

 

数少ない登場人物、病院という閉鎖空間、時間にして一日足らず(実際は数日だが、事件そのものは一日足らず)という極めて短い時間でありながら、ミステリ要素も社会派要素も込められていた。小説の映画化ではないが、韓国映画『 ブラインド 』を日本式に換骨奪胎して成功させた『 見えない目撃者 』のような、ミステリとサスペンスの両方を貪欲に追求するような作品である。また、映画化に際して、永野芽郁の下着姿が拝めるかもしれない。これは知念実希人先生の隠れたグッジョブかもしれない。読むならば、次の日が休日の夜にすべきである。

 

ネガティブ・サイド

このピエロの犯人像には感心しない。詳しくは言及できないが、普通に考えれば速水よりも先に病院の構造上のある秘密に気がつくはずである(映画のトレイラーは盛大にネタバレを含んでいるので注意!)。また、ある程度大きな病院には地下に発電施設などがあることが多いが、この病院には地下室はない。うーむ。ストーリーが十分にアングラだからだろうか。

 

ひとつ不自然に感じたのは、あるキャラクターのある言動である。怪しいのはセリフそのものではなく、そのセリフを言う相手である。ヒントとしてあからさま過ぎる。

 

「もしかしたら・・・、いえ、先に確かめてきます」 

↓ 

死体として発見される 

 

のような現実世界では不自然極まりないがミステリ世界では全う至極な展開は構築できなかっただろうか。また、順番が前後するが、犯行の構造が『 神のダイスを見上げて 』とそっくりである。こちらを読んだ人なら、真相に一気に迫れるかもしれない。これは知念実希人の癖なのだろうか。

 

総評

あわよくばシリーズ化も狙えたかもしれないが、それをあっさりと放棄するエンディングは個人的に好感触であった。ダークヒーローというのは、マイノリティだからかっこいいのである。誰もかれもがダークヒーローになる必要はない。映画化に際しての不安材料は、トレイラーにある「国家の陰謀」なるナレーションである。そこまで話を大きくする必要はない。その点、小説版はコンパクトにまとまっている。映画はさらにもう一捻りを加えてくるのは間違いないと思われる。それが吉と出るか凶と出るかは分からない。吉3:凶7ぐらいの確率だろうか。非常にリーダビリティの高い作品なので、3月の映画公開前に一読をお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

clown

ピエロというのはフランス語で、英語では clown と言う。『 ジョーカー 』を思い浮かべてもらうのがちょうどいい。日本ではあまり見ない存在であるが、clown aroundという熟語は覚えておいて損はないかもしれない。「道化師のごとく、ふざけた真似をする」の意である。ただし、必ずしも顔をペイントしたり派手な衣装を身にまとったりする必要はない。飲み会などで同僚たちのバカ騒ぎが過ぎるときに、心の中でつぶやくとよいだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, シチュエーション・スリラー, ミステリ, 日本, 発行元:実業之日本社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

『 神のダイスを見上げて 』 -世界の終末+ヤングアダルト+ミステリ-

Posted on 2020年1月17日 by cool-jupiter

神のダイスを見上げて 50点
2020年1月15~16日にかけて読了
著者:知念実希人
発行元:光文社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200117163505j:plain
 

Jovianは世代的に終末ものが好きである。そして、このジャンルでは、佳作は量産されるが、傑作は生まれにくい。当たり前である。世界滅亡を描いて、だれもかれもが喝采を送ることができる作品など、そうそうは生まれない。だからこそチャレンジし甲斐のある分野であるとも言える。

 

あらすじ

直径400kmの超巨大小惑星が、あと5日で地球に最接近する。世界各国の政府は「衝突はしない」と発表しているが、それを疑う人間も多い。そんな中、高校生の亮の姉、圭子が殺害された。ほかに家族のいない亮にとって、圭子は“世界そのもの”だった。ダイス衝突によって一瞬で蒸発などさせない。犯人はこの手で殺してやる。亮はそう、固く決心し犯人を追うが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200117163527j:plain
 

ポジティブ・サイド

ミステリにおける常道、すなわち最も犯人っぽくない者が犯人である、というセオリーをちゃんと外してくれている。この著者はわかっている。ミステリファンは、読む前に犯人を当ててやろう、少なくとも犯人の属性を絞り込んでやろう、と意気込む生き物なのである。まず表紙カバーの女の子は除外する。あらすじから、天文学同好会やカルト集団「賽の目」の関係者も除外する。そして読み始めた。序盤から中盤にかけて「まあ、コイツが犯人だな」と感じられた。そして外れた。ミステリとしてはありふれた変化球であるが、Jovianは思いっきり空振りを食らってしまった。

 

クラスの禁忌とされる四元美咲もなかなかに良い感じである。とはいっても、綾辻行人の『 Another 』の見崎鳴のような存在ではない。ちょっとアングラでダークな女子である。物語は亮と美咲の関係性の発展をメインのプロットにしないのは清々しい。こちとら、セカイ系の作品は、ゼロ年代にそれなりに食べ散らかしたのである。

 

世界が滅亡する時、自分はだれの傍らにいたいのかと考えることは重要である。哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーは、ヘーゲル的な形而上学世界を批判した。同様に、我々は絶対的な世界を普段は意識することなく、我々自身の属する“生活世界”に生きている。その“世界”とは、人によっては会社であり、家庭であり、学校であり、また一個人でもありうる。だが、そうした“世界”の崩壊は、それこそ世界そのものの終わりに近いインパクトを与えることもある。会社をリストラされても、それを家族に告げられず、毎朝、ちょっと遠くの公園に出勤するオジサンを、誰が笑えるだろうか。

 

星が降ってくる物語としては、『 君の名は。 』よりも『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』のテイストに近い。また、“世界”=一個人に押し込めてしまう世界観は『 火口のふたり 』のそれに近い。この辺の作品を楽しめたという人なら、この小説も楽しめるように思う。

 

008ページでの映画『 アルマゲドン 』への言及にニヤリ。本作は、映画化するとしたら105分のアニメーションになるだろう。

 

ネガティブ・サイド

小惑星が落下してくる直前で、警察のマンパワーも治安維持に回されるのも詮無いことであるが、ミステリ要素に関してはもう少しフェアプレーが必要だったと感じられた。検死まではしないにしても、膣に裂傷がないかどうかぐらいはルーペで調べるものだ。その有無で犯人の属性がかなり絞られる。Jovianも帯に「全裸で胸にナイフを突き刺された」とあることから、怨恨?強姦?計画的?などクエスチョンマークをかなり頭に並べた状態で読み始めた。しかし、欲しい情報、あるべき情報はなかった。純粋なミステリ作品ならば、これはアウトである。ジャンル混合作品としても、アンフェアである。

 

主人公の亮というキャラクターの頭が悪すぎる。男子高校生というのはその程度なのかもしれないが、それに付随して刑事たちまで頭が悪すぎる。

大学構内で真夜中に殺人事件発生 → 第一の容疑者は高校生 

いくら無理やりにでも事件を解決したい事情があるにせよ、これは酷過ぎる。どう考えても、その大学の関係者が実行犯だろう。冤罪でもなんでも構わないからホシを挙げたいという気持ちは理解できる。世界が滅亡する瞬間、小さな子どもの側にいてやりたい。親として自然な欲求であり、願望だ。だったら大学の同級生や職員、警備員などを無理やりワッパにかければ済む話で、高校生の亮(いくら死んだ姉の通っていた大学での出来事はいえど)を容疑者にする必然性はない。この刑事の存在で、物語からリアリティが吹っ飛んでしまっている。

 

また2023年を舞台にしているが、直前までダイスが地球に激突するかどうかが判明しないという設定にも無理がある。政府が真実を公表しないという疑念は理解できる。しかし、現実に小惑星が地球との衝突コースに乗ったら、あるいはその可能性が少しでもあれば、天文学者のネットワークが絶対に検知するはずである。ましてやダイスは直径400kmという、準惑星セレスの半分近い大きさ。これほどマクロな天体の動きがシミュレーションできないのはおかしいし、政府が虚偽の発表を繰り返したとしても、どこかの天文学者が絶対に真実を公表するはずである。ところが作中では天文学者は影も形も存在しない。そんなアホな・・・

 

総評

一種のジュブナイル小説として読むのが正しい。純正のミステリや純正のSFだと考えると、ドツボにはまる。ただ、シリアスな考証がほとんどないため、読みやすさは普通のミステリやSFよりも格段に上がっている。まさに高校生、大学生向けの作品だろう。世界の終末をテーマにしたシリアスなSFを読みたい向きには『 僕たちの終末 』をお勧めする。この著者の作品では『 仮面病棟 』が映画としてもうすぐ公開される。Amazonでポチッたので、そちらも読了次第、レビューをしてみたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Laters.

作中で四元美咲が何度か言う「またね」である。普通は“See you later.”と言うが、“Laters.”と later に s をつけるのがミソである。カジュアルな表現で話し言葉としても、メールやチャットなどでも使う。ただ、ビジネスの場では使うのを避けたい。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 発行元:光文社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 神のダイスを見上げて 』 -世界の終末+ヤングアダルト+ミステリ-

『 魔眼の匣の殺人 』 -ややアンフェアさのあるホワイダニット-

Posted on 2020年1月5日 by cool-jupiter

魔眼の匣の殺人 60点
2020年1月3日から1月4日にかけて読了
著者:今村昌弘
発行元:東京創元社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200105195617j:plain

 

『 屍人荘の殺人(小説) 』はそこそこ面白かった。映画化された『 屍人荘の殺人(映画) 』は、とある重要なバックグラウンドの情報を削除してしまっていた。これは、あわよくば映画の続編が製作されれば、そこでその存在を明らかにし、もしも映画が売れなければ一作完結できる形を狙ったのだろう。多分、続編たる本作は映画化されないように思われる。映像化のハードルが相当に高い部分がある。

 

あらすじ

オカルト雑誌の記事から斑目機関の手がかりらしきものを掴んだ葉村譲と剣崎比留子は、真雁という土地を訪れる。そこはサキミという予言を司る老女に支配された土地だった。サキミによると11月の最後の2日の間に、男女二人ずつが真雁で死ぬという。そこに、もう一人、予知能力を持つという十色真理絵という高校生もやって来て・・・

 

ポジティブ・サイド

ホワイダニットととしては、なかなかの力作である。ミステリというジャンルにおいて“ハウダニット”は限界に達しているからである。そのことは『 屍人荘の殺人(小説) 』でも触れた。本作でもハウについては、そこまで追求はしない。やはり“ホワイ”が重要である。その意味では、今回の犯人の犯行動機はよく練られていると感じた。詳述はできないが、こういうタイプの人間は我々の身の回りにたくさんいるはずである。我々がそれに気づいていないだけである。

 

劇中にある人物の手記が挿入されているが、その内容が読ませる。鍛えられたミステリファンならば、日記や手記の類に直接話法が使われているところに最大限の注意を払うのが習慣になっていることだろう。竹本健治や北村薫、または島田荘司の作品の愛好家ならば尚更だろう。そうした意味では本作の手記は非常にフェアで、読み応えもある。

 

比留子と葉村の関係も健全な形で発展中のようである。前作のような「ちゅー」とかいった描写ではなく、人間的に深みが生まれたということである。死者を悼む心を持つ。生きていくことに困難さを見出す。まるで『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』のようである。かといってラノベのような萌え描写もないわけではない。十色と茎村という二人の高校生ペアは、間接的にではあるが比留子と葉村の関係を映し出している。かかあ天下的なカップル、あるいはJovianのところのような婦唱夫随の夫婦は大いに納得させられることだろう。

 

今作もやはりホワイダニットものである。しかし、ハウの部分にも新しいアイデアが込められている。詳しくは書けないが、古いネタ同士をくっつけるという、ある意味でこの著者が前作で行ったような手法がここでも繰り返されている。一つはフレドリック・ブラウンの有名な小説であり、もう一つは『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』のレビューで白字で記した、とある小説および邦画のトリックである。これはかなり刺激的で上手いと感じた。

 

ネガティブ・サイド

予知や予言という超自然的な能力をモチーフに使うのは構わない。前作はゾンビ祭りだったのだから。しかし、予言の自己成就的な展開を持ち出すというのはフェアではない。自己言及矛盾に陥る。また、比留子というキャラクターの重要な構成要素である、“事件を呼び寄せてしまう体質”が本作では薄まってしまった。呼び寄せるのではなく、自分から出向いているからだ。

 

古典的なミステリで最も重要なものとは何か。それは死体である。だが、本作では最初の犠牲者の死体があがらない。というか埋まって掘り起こせない。もちろん状況的にはほぼ間違いなく死亡しているのだろうが、ミステリの大原則はとにかく死体なのである。その死体の存在を確定的に描かないことで、絶対に外れないとされるサキミの予言の説得力が弱まる。少なくとも自分にはそのように感じられた。また、このご都合主義的描写によって、後半の比留子の消失(ネタばれでもなんでもない、目次に【 第四章 消えた比留子 】とある)にサスペンスが生まれてこない。

 

また、ポジティブ・サイドで触れた犯人のとある心的特徴であるが、(→犯人に関するネタばれ)そこまで強い思いを抱いているのであれば、Jovianであれば絶対にバイクから降りる時にお守りを手放さない。うっかりミスは誰にでもあるが、「ド田舎だから置き引きにあう心配はない」と言われた程度で安心するというのは、どう考えてもおかしい。これもご都合主義である。心理的に~~~である、という条件設定の不条理さについては『 屍人荘の殺人(小説)』レビューでも述べた通りである。描写の巧みさは認めるが、設定の一貫性の無さは評価できない。

 

総評

第三作の刊行も明示されているが、どのようなスーパーナチュラル要素と本格要素を組み合わせてくるのだろうか。過去の大量殺人にまつわる何かになりそうだが、条件付きテレポーテーションやらテレキネシスだろうか。それとも強烈な催眠、マインド・コントロールあたりか。そして本作は果たして映像化できるだろうか。『 ビブリア古書堂の事件手帖 』みたいになりそうで少々不安である。『 屍人荘の殺人 』を面白いと感じた人なら、読んでも損はしないだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, ミステリ, 発行元:東京創元社, 著者:今村昌弘Leave a Comment on 『 魔眼の匣の殺人 』 -ややアンフェアさのあるホワイダニット-

『 屍人荘の殺人(小説) 』 -ホワイダニットの秀作-

Posted on 2019年12月12日2019年12月15日 by cool-jupiter

屍人荘の殺人 65点
2019年12月9日~11日にかけて読了
著者:今村昌弘
発行元:東京創元社

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JovianはCinephileでもあるが、同じくbibliophileでもある。『 ゴジラ映画考および私的ランキング 』でも触れたが、Jovianの本好きの始まりは江戸川乱歩の『 少年探偵団 』シリーズである。それ以来、読む本のおそらく7~8割はミステリか、ミステリ色の強いサスペンスやホラーであった。仕事をするようになると、いつの間にか活字のエンターテインメントから離れてしまったが、それでも細々とミステリは読んでいた。そこに映画化もされる本作である。たまには書評も悪くないだろう。

 

あらすじ

大学のミステリ愛好会の葉村譲と明智恭介は、同じ大学の探偵少女・剣崎比留子とともに、映研の夏合宿に参加することとなった。宿泊先は紫湛荘。しかし、その別荘が屍人荘に変貌。閉じめられるメンバーたち。そこで密室殺人が起きてしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191212184217j:plain

 

ポジティブ・サイド

ミステリというのは、ふたつの意味で非常に難しいジャンルである。ひとつには、「理論的に実行可能」な犯罪トリックと「実際に実行可能」な犯罪トリックの境界線を、意図的に分かりにくくしなければならないからである。この分野で個人的に大失敗したのは小説およびTVドラマの『 謎解きはディナーのあとで 』だろう。北川景子の穴だらけの推理を、櫻井翔が「おそらく、こういうことでございましょう」と訂正していくが、その推理も完全に穴だらけ、というよりも、理論的に可能であっても、実際にそれをするのは不可能という類のものだった。Jovianはキャラものミステリも嫌いではない。だが、アホな推理しかできないミステリは断固お断りである。

 

ミステリが困難になりつつあるもう一つの理由は、テクノロジーの進化である。それこそジョン・ディクソン・カーやヴァン・ダイン、江戸川乱歩の時代であれば、機械的に成立する密室や殺人トリックが受け入れられた。そうした機械的なトリックが技術の進展により陳腐化していくと、クローズド・サークル(吹雪の山荘や絶海の孤島など)が舞台に設定されるようになった。それも携帯電話の普及により過去の遺物となったら、次には心理的な密室が作られるようになった。だが、それも「動機は○○です。なぜなら犯人はサイコパスだからです」式の異常心理ものと共に消えて行った。「心理的に~~~である」という説明は、当時は新鮮で説得力もあったが、今では単なるご都合主義である。

 

『 屍人荘の殺人 』は、その舞台設定の巧みさと、技術の進歩によって陳腐化してしまわないプロットで成り立っている。見事な作品である。また本作は、探偵役の剣崎比留子も言う通り、フーダニットやハウダニットではなく、ホワイダニットが謎の焦点となる。そして、その「何故?」という問いの対象と、真相はなかなかに意表を突くものであった。とはいうものの、ある特定のジャンルに詳しいマニア(それは作中にも登場する)で、なおかつnecrophile(念のため白字にしているが、それでも見たいという方は意味は自己責任で調べて欲しい)な人なら、案外あっさりとこの「ホワイ?」の答えにたどり着ける、もしくは思い当たるかもしれない。それでもこの真相の衝撃が薄まることは少しもないだろうが。

 

大学生とひよっこ社会人たちの集まり、つまり警察や特定の職業人が出てこないので、視点が常に一般的である。つまり読みやすい。イージー・リーディングである。またキャラの語り口も軽妙で、しばしば衒学的になってしまうJovianも、このような書き方をせねばならないと反省を促される。島田荘司ばりの本格推理のファンも、浦賀和宏のようなジャンル横断的な変則ミステリファンも満足させるような、新時代の本格推理小説に仕上がっている。綾辻行人の『 館 』シリーズのファンなら、必読と言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド

「俄然、うどん」という謎の日本語には参った。「断然、うどん」の間違いだと思われるが、著者のみならず編集者や校正担当も気がつかなかったと言うのか。日本人の国語力低下が叫ばれているが、出版に携わる方々にはもっとプロフェッショナリズムを以って仕事をしてもらいたい。

 

最初からシリーズ化を狙っていたとしか思えない比留子のキャラ造形はいかがなものか。特に文庫の110ページの11~12行目、258ページの8行目の描写は、いたいけな青少年読者に取り入ろうとしているのか。なお、映画で比留子を演じる浜辺美波は、小説版の比留子のこれらの部分の描写に合致しない。そのかわり、キス(本編では“ちゅー”となっている)で神木隆之介を籠絡しようというのか。どちらにせよ、こうした描写はラノベ向きであって、本格ミステリ向きではない。泉下のヴァン・ダイン師も呆れていることだろう。また、売れてきたら前日譚を書いてやろうという著者の魂胆が透けて見える。こうした描写はもっと控え目にできたはずである。

 

また、驚愕の真相に比して、トリックに少々弱点がある。密室を成立させるトリックがかなり手垢のついたものであるし、鍵開けトリックは『 影踏み 』のようなコソ泥の技だろう。それが実行可能であるということと、そのトリックをマスターして実地に行うことの間には大きな開きがある。なお、『 影踏み 』にこのような鍵開けトリックは出てこないので安心してほしい。

 

最後に、文庫版を買う人はカバーをじっと見つめてみよう。それによって、真相はまだしも、犯人が見えてくるはずである。これは出版社や作者の、犯人当てではなく、何故こうした犯行方法を採用したのかを当てる小説ですよ、というメッセージなのかもしれないが、もうちょっと異なるカバーにはできなかったのだろうかとも感じる。

 

総評

少しケチをつけてしまう部分もあるが、これは本邦ミステリの新境地かもしれない。古い革袋に新しい酒が入っている。小説も映画も、とある「舞台装置」の存在を明らかにしながらも明らかにしていない。これは賢い戦略である。これを明かしてしまうだけで、「うげっ、だったら読まねー、観ねえ」となる人間が一定数出てくるからである。しかし、そうした人こそ、映像よりも先に活字を味わうべきだろう。心底そう思う。同時に、本作の映画化への期待も膨らんできた。原作にはいないキャラクターが加えられており、一捻りしてあることが期待されているからである。また、また小説を読んだ人は、映画の主題歌に「ニヤリ」とすること請け合いである。日本映画界よ、少女漫画ばかりでなく、小説の映画化をもっと考えてくれたまえ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I will give you a smooch.

キスはkissである。ちゅーはsmoochである。give 人 a smoochで、「人にちゅーしてあげる」である。こうした会話を英語で出来るようになれば、英会話スクール卒業である。というか、英会話を教える側に回ってもよいだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, ミステリ, 日本, 発行元:東京創元社, 著者:今村昌弘Leave a Comment on 『 屍人荘の殺人(小説) 』 -ホワイダニットの秀作-

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