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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 見えない目撃者 』 -韓国映画のリメイク成功例-

Posted on 2019年9月29日2020年4月11日 by cool-jupiter

見えない目撃者 75点
2019年9月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:吉岡里帆 高杉真宙 大倉孝二
監督:森淳一

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吉岡里帆主演の『 パラレルワールド・ラブストーリー  』は文句なしに駄作だった。なので『 音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!! 』はスルーさせてもらった。今回もスルー予定だったが、結果的にチケットを買ってよかった。

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あらすじ

浜中なつめ(吉岡里帆)は配属直前の警察官。しかし弟を補導した帰りに、事故を起こして、弟は死亡、自身も視力を失ってしまう。それから3年。とある車の接触事故の場に居合わせたなつめは、車内から助けを求める少女の声を聞く。だが警察は視覚障害者のなつめの言うことをまともに取り合わない。なつめは独自に接触被害にあったスケボー少年の春馬(高杉真宙)に会うが・・・

 

ポジティブ・サイド

これは近年の邦画(韓国映画のリメイクだが)サスペンスの中では出色の出来映えである。現代日本社会の闇を浮かび上がらせつつも、単なる社会派としてだけではなくミステリ要素あり、スリラー要素ありと、非常に野心的な作品に仕上がっている。

 

個人的には事件を追う刑事たちと夏目と春馬の民間人ペアのチームワークが見どころだった。暇があれば靴磨きに余念がない定年間近でやる気のないベテランと、メンドクセーという空気を醸し出す中年刑事が、徐々に吉岡演じる盲目女性とスケボー少年ペアと chemistry を起こしていく展開の見せ方が上手い。特に非行少年の春馬が成り行きから捜査に加わり、犯人に狙われ、これ以上は深入りするなと言われながらも警察となつめに協力していく様は、物語のサブプロットでありながらも、最終的には春馬自身のビルドゥングスロマンにつながっていく。この脚本は見事である。

 

このリメイクはオリジナルよりもミステリ要素が強めである。というよりも、オリジナルは完全なるサイコ・サスペンスだが、森淳一監督は松本清張的な社会派ミステリ要素を加えてきた。そして、それが奏功している。例えば『 チワワちゃん 』は本作のようなストーリーをたどって、本作のような犯人に殺されたとしても不思議はなかったのである。そして、そのことが単なるニュースとして消費されるような社会に我々は現に生きている。日本という国の近現代の歴史の大きな一面は都市化だった。綾辻行人がしばしば指摘することであるが、都市という空間では人間は基本的に他者に無関心である。より正確に言えば、社会の規範から外れた者に無関心である。それは時に家出少女であり、非行少年であり、障がい者であり、特殊な嗜好の持ち主である。本作が社会派たり得ている理由はこれだけでもお分かり頂けよう。

 

だがエンターテインメント性も忘れてはならない。本作はサスペンス要素がてんこ盛りである。過剰とも思えるほどに主人公およびそのパーティーメンバーに危機が訪れる。そして物語の中で、上手く小道具を使い、危機をくぐりぬけていく。特にクライマックスのシークエンスは見事の一語に尽きる。このアイテムを使って何かをするだろうな、ということは観ている時からすぐに分かるが、その使い方が素晴らしい。

 

本作で主演を張った吉岡里帆はJovianの中では redeem された。Shawshank Redemption and Rita HayworthならぬShawshank Redemption and Riho Yoshiokaである。光を失いながらも、その他の感覚研ぎ澄ませ、警察官ではなくともその身は軽く、頭脳も明晰。そして、一度は失ってしまった弟を再び失うことはすまいと、自らの信じる正義に愚直なまでにその身を投じていく様に、女優としての階段を着実に一歩上ったという印象を受けた。満腔の敬意を表したいと思う。

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ネガティブ・サイド

盲導犬パムとなつめの触れあいの描写が不足している。原作と違い、失明後も母親と暮らしているにもかかわらず、犯人に襲われ、病院で目覚めた後に真っ先にパムを気遣うのがやや腑に落ちなかった。もちろん、失明している人間には盲導犬が最高のパートナーであることは分かるが、その間に培われてきた絆の描写がもう少し欲しかった。

 

そして、上の流れにつながる流れ、トレイラーにもあった電車のシークエンスはサスペンスフルではあるが、論理的に考えればご都合主義以外の何物でもない。なつめがどこの駅で降りるかなど、分かりようがないのだから。サスペンスが途切れないのが本作の最大の長所であるが、この点だけは劇場鑑賞中に???となってしまった。

 

クライマックスのとある豪邸でのシークエンスでも、オリジナルではライターが小道具として有効に機能していたが、今作ではスマホのライト機能を使っていた。これも時代に合わせた変更であろうが、それにしても本来光で照らされているべき箇所が、とてもそのようには見えなかった。また、実際に強烈な光を対象に浴びせてしまうと、ある小道具の存在がばれてしまうということもあったのだろう。だが、このような盲目のキャラクターが登場する作品こそ、光の扱いに注意してもらいたい。文字通りの意味での光と闇のコントラストが本作最大のクライマックスで、そこに至る過程は座頭市の決闘さながらのサスペンスを生み出したが、実際とは異なる演出のせいで、またもご都合主義を感じさせてしまった。

 

ポスターについても一言。『 マスカレードホテル 』でも指摘したが、ハードコアな映画ファンやミステリファンの中には、あらゆる角度から情報を収集・分析して、鑑賞に臨む者もいるのである。販促物で犯人を暗示することはご法度である。劇中でも不自然なさりげなさを醸し出すシーンがあるが、一部の販促物と合わせて考えれば、物語の中盤前に犯人にピンと来てしまう。実際にJovianはピンと来た。うーむ・・・

 

総評

弱点・欠陥を抱えた作品であることは間違いないが、劇場の大画面、大音響で鑑賞すれば、そんなものは一瞬で吹っ飛ぶほどの緊迫感溢れるシーンの連続である。『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』が原作韓国映画の換骨奪胎に失敗した轍を、本作は踏まなかった。『 クリーピー 偽りの隣人 』や『 ミュージアム 』よりも面白いと勝手に断言させてもらう。ただ、グロいシーンもいくつかあるので、それに耐性のない人だけは注意を。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Whatever you do, don’t cause me trouble.

 

「何をしようと勝手だが、俺に迷惑だけはかけるな」とは、スケボー少年の春馬の教師の面談の場での発言である。異物排除の論理が日本社会、特に大人の価値観を支配していることを端的に表す言葉である。「何をしてもかまわんが、~~~だけはするな」と言う場合には “Whatever you do, don’t V.”というのが公式のようなものである。

 

Whatever you do, don’t borrow money from him.

Whatever you do, don’t touch my computer.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, スリラー, ミステリ, 吉岡里帆, 大倉孝二, 日本, 監督:森淳一, 配給会社:東映, 高杉真宙Leave a Comment on 『 見えない目撃者 』 -韓国映画のリメイク成功例-

『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』 -英国発のシリアスなコメディ-

Posted on 2019年9月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

やっぱり契約破棄していいですか!? 70点
2019年9月23日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アナイリン・バーナード トム・ウィルキンソン フレイア・メーバー
監督:トム・エドモンズ

 

嫁さんが、「これを観るんや」と、決めたから、秋分の日は、シネ・リーブルへ

 

うむ、秋になると一句詠みたくなる。会心の駄作ができた。

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あらすじ

小説家を志すウィリアム(アナイリン・バーナード)は、全く芽が出ない自分に嫌気が差し、自殺を試みること幾数度。全て失敗に終わった。ある時、橋から飛び降りようとする時に、殺し屋レスリー(トム・ウィルキンソン)に声をかけられる。飛び降りが失敗に終わったウィリアムはレスリーに自分の殺しを依頼する。だが、出版社のエミリー(フレイア・メーバー)から出版のオファーが入る。ウィリアムスはながらうべきか、死すべきか・・・

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ポジティブ・サイド

まず自殺未遂7回というところからして面白い。イギリスの八切止夫である。違うのは、八切はゲイで、ウィリアムはストレートというところ。だが、どちらもペシミストであることに変わりはない。

 

漫画『 沈黙の艦隊 』でライズ保険のエグゼクティブが「イギリスでは物事を決めるのはランチタイムと決まっている」とクールに言い放つシーンがあるが、本作もその通りに、ウィリアムはランチタイムにレスリーに自身の殺しを依頼する。そのオプションも笑えるし、レスリーが属する殺し屋のギルドの在り方も笑えてしまう。まるで、赤帽か何かの組合のようだ。

 

いったんレスリーが仕事にかかると、この好々爺は確かに凄腕の殺し屋であることが分かる。そして、殺人という職務に忠実で誇りすら感じているプロフェッショナルであることも分かる。まるで、漫画『 HUNTER×HUNTER 』でコムギを誤爆してしまったゼノのようである。つまり、それぐらい凄みを感じさせるということである。

 

主演のアナイリン・バーナードは、どこかイライジャ・ウッドを思わせる英国産アクターで、気弱な男よりも悪役が似合いそうに思う。ハリウッドのB級アクション映画で、ブリティッシュ・イングリッシュを喋るヴィランとして出て来て欲しい。

 

ヒロインのフレイア・メーバーは、絶世の美女というわけではない(失礼!)が、街中で見かけたら、目の保養にしてしまいそうである。シネ・リーブル梅田で上映していた『 モダンライフ・イズ・ラビッシュ ロンドンの泣き虫ギタリスト 』はスルーしてしまったが、DVDはいつかチェックしてみたい。リリー・ジェームズともキーラ・ナイトレイとも違う、正統派英国美女である。

 

だが、本作で最も光っているのはレスリーの妻だろう。長年連れ添った夫に愛情を注ぎ、夫の退職を甲斐甲斐しく祝おうとし、そして殺し屋の妻としての胆力も兼ね備えている。嫁にするならば、このような女性である。このような妻を持てた男は果報者である。レスリーに幸あれ。そしてウィリアムにも幸あれ。

 

ネガティブ・サイド

殺し屋ギルドが当初はジョークとして機能していたが、ストーリーが進むにつれて、笑うに笑えない組織になってきた。ビジネスとしての殺しと、ビジネスとは無関係の殺しを峻別するのは、殺し屋本人の葛藤に任せて。組織としては粛々と失敗したものを粛清あるいは強制引退させればよかった。そうでなければ、暗殺者の集団をまとめ上げられないだろう。

 

ラストシーンに、もう少し捻りを効かせることはできなかったのだろうか。せっかくのコメディックなシーンなのに、笑うに笑えない終わり方である。元々、このシーンはフレイア・メーバー不在だったからである。彼女がその場にいることで、このエンディング・シークエンスがもっと悲劇的に、もしくは喜劇的にならなければならなかった。ただ、彼女がその場にいるだけで終わってしまったのは、何とも anticlimactic だった。

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総評

本作はBGMの面でも光っている。エドガー・ライトのように音楽をして語らしめるのが、この監督の手腕なのだろう。秀逸なブラック・コメディであり、ライトなラブロマンスでもあり、お仕事ムービーでもある。ブラック・コメディ好きなら、観ても決して損はしない。保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Tell me about it.

 

直訳すれば、「それについて教えて」であるが、実際の意味は正反対で、「言われなくても知ってるよ」である。ネイティブにしか通じない表現なので、グローバル・イングリッシュを使う人は注意が必要かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アナイリン・バーナード, イギリス, トム・ウィルキンソン, ブラック・コメディ, フレイア・メーバー, 監督:トム・エドモンズ, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』 -英国発のシリアスなコメディ-

『 HELLO WORLD 』 -安心の野崎まどクオリティ-

Posted on 2019年9月25日2020年4月11日 by cool-jupiter

HELLO WORLD 70点
2019年9月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北村匠海 松坂桃李 浜辺美波
監督:伊藤智彦

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Jovianは野崎まどのファンである。メディアワークスが出している作品はすべて読んだ。『 2 』を除けば、一番のお気に入りは『 小説家の作り方 』である。氏のテーマは一貫している。人間の姿をした人間以上の存在である。そのことを念頭に置いておこう。

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あらすじ

2027年の京都。堅書直美(北村匠海)の前に、10年後の未来からやってきた自分、ナオミ(松坂桃李)と共に一行瑠璃(浜辺美波)に迫っている落雷事故を回避することを目指すが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 二ノ国 』という超絶駄作の超絶クソ voice acting の後なので、ある程度は評価が上方修正されているかもしれないが、北村も松坂も浜辺も及第以上の声の演技をしていた。特に浜辺美波はJovianの贔屓目も入っているが、渡辺徹のようにナレーション業も頑張れば行けそうだ。頑張って欲しい。

 

トレイラーの段階から「この世界は全部、データだった」という直美の独白があるので、その設定そのものに驚く必要はない。我々が本当に観たいのは、【 この物語(セカイ)は、ラスト1秒でひっくり返る 】ところなのである。そして、これから本作を観ようとする諸賢におかれてはご安心されたい。ちゃんとひっくり返ってくれる。厳密にはラスト1秒というわけではないが、怒涛のコンビネーション・ブローを観る側の脳に叩き込んでくれる。

 

これは言葉の正しい意味でのSFである。アニメ作品としては『 イブの時間 劇場版 』に並ぶクオリティである。SFとは何か。人類と文明の関係性を描くフィクションである。アニメとは何か。手塚治虫に言わせれば、「物語が先に存在して、それを伝えるために絵が動くもの」である。その意味では本作は実に正統派のSFアニメである。我々が生きているこの世界が実はデータだったというのは、『 マトリックス 』以来、手垢のついたテーマではあるが、だからこそドンデン返し = big twist に挑戦してみたくなる分野でもある。繰り返すが、本作にはしっかりとしたドンデン返しが存在する。期待して欲しい。

 

本作に採用されている様々なガジェットやキャラクター造形、ショットの構図などは、優れた先行作品の影響を色濃く受け継ぐものである。まずは敵の量産型キャラクター。これは『 BLAME! 』のセーフガードを思い起こさせてくれた。つまり、非常に不気味で、恐怖を感じさせてくれた。それらが最終的にはミラクル卵の最終形態になり、シシ神のデイダラボッチバージョンになり、エヴァンゲリヲンにもなった。これは大迫力だった。エージェント・スミスがこれをやっていたら、彼の名作は更に名作の誉れ高くなったのか、一気に駄作に堕ちてしまったのか、どちらだろうか。

 

物語世界とキャラクターの真実については、アニメではないが映画化されそうでされなかった(できなかった)小説『 ループ 』が思い浮かんだし、ちょっと古い映画で言えば『 13F 』も下敷きにあったのかな。またこうした一種の入れ子構造の作品としては『 イグジステンズ 』や『 トロン 』、『 主人公は僕だった 』や『 ルビー・スパークス 』なども思い起こされた。それでいて、オリジナリティある作品に仕上がっているという、そのこと自体が最も素晴らしい点であると言えるかもしれない。伊藤智彦監督に拍手!

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ネガティブ・サイド

ストーリーテリングや世界観の構築の面では素晴らしいが、一方ではグラフィック面に大きな課題を残した。特に物語が舞台を文字通り大きく様変わりさせるシーンのグラフィックは、そのまんま『 2001年宇宙の旅 』の劣化バージョンである。というよりも、あからさまに『 LUCY/ルーシー 』(監督:リュック・ベッソン)をパクっているとしか思えないものもあった。オマージュとパクリは似て非なるものである。これらのシーンに関しては、製作者側のリスペクトが感じられなかった。そこが残念である。邦画に似せるとオマージュ、外国産の映画に似せるとパクリという判断をJovianはどうやらしているようである。

 

トレーラーにもあった街が崩壊していくビジョンは、まんま『 インセプション 』と『 ドクター・ストレンジ 』だった。もっと独創性ある映像を作って欲しかった。

 

あとは、男女が恋に落ちるプロセス、あるいは恋愛感情を自覚するプロセスに、もう少しオリジナリティが欲しい。多くのアニメ作品では身体、特に特定部位の接触が契機になることが多いように思われるが、そのようなclichéからはそろそろ卒業すべきではないだろうか。近年でも『 夜は短し歩けよ乙女 』や『 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 』などが、まさにこうした手法を使っていた。もっと『 耳をすませば 』のような、ピュアで、それでいてロマンティックな関係性を、宮崎駿以外のクリエイターも描けるはずだ。もっと受け手を信頼すべきだし、あるいは作り手が受け手を啓蒙してやるぐらいの気概を持ってもいい。

 

総評

アニメ作品としては、個人的には年間ベスト級であると感じる。ただし、かなり人を選ぶ作品だろう。関西人、特に京都にゆかりのある人は、「これはあそこだ」、「ここは、あれだな」という見方を楽しめる。ただし、関西弁原理主義者(若い世代にはいないと思うが)の方にはお勧めできない。京都弁などは微塵も出てこない。また、ある程度のSFの素養も必要だろう。野崎まどファンなら、見逃すべきではない。 

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I did it.

 

「やってやりました」= I did it. である。何かを行って、そのことを誇らしく思うのなら、こう言おう。相手が何か素晴らしいことをやってくれたなら、“You did it.”と言おう。ただ、この do it という表現には落とし穴もある。しばしば、does itという形で、「~~が悪い」、「~が元凶だ」のような意味になる。Wedding is fine. It’s living together that does it. 結婚は問題ない。悪いのは一緒に住むことだ、のようになる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, SF, アニメ, 北村匠海, 日本, 松坂桃李, 浜辺美波, 監督:伊藤智彦, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 HELLO WORLD 』 -安心の野崎まどクオリティ-

『 エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ 』 -学校教材に適した映画-

Posted on 2019年9月23日2020年4月11日 by cool-jupiter

エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ 70点
2019年9月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エルシー・フィッシャー ジョシュ・ハミルトン
監督:ボー・バーナム

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オバマ前アメリカ大統領が2018年のfavorite movies に挙げた内の一本。『 ブラインドスポッティング 』や『 ブラック・クランズマン 』、『 ビールストリートの恋人たち 』などの系列の一本と書くと、「え?」と思われるかもしれないが、アメリカ(に代表される先進国)における“分断”は人種の間にだけ生まれているわけではないのである。

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あらすじ

ケイラ(エルシー・フィッシャー)は8年生。何らかのトピックについて自分の意見を語る動画をYouTubeにアップしているが、閲覧回数は全く伸びない。そして学校でも、“学年で最も無口な生徒”賞を頂戴してしまう。ひょんなことから学校一の美少女の誕生日パーティーに招かれたケイラは、自分を変えようと意を決してパーティーに出席するが・・・

 

ポジティブ・サイド

まるで『 スウィート17モンスター 』の低年齢バージョンである。コミュ障気味というか、自意識過剰な女子の物語であると言えば、概要はお分かり頂けよう。ただし、ヘイリー・スタインフェルド演じるネイディーンは内に溜めこんだマグマを周囲の人間に対して爆発させる痛いタイプの女子だが、こちらのケイラは内に溜めこんだマグマを不特定多数無限大(梅田望夫風に言えば)に向けて爆発させ、空回りするタイプ。ここに本作の特徴がある。つまり、人間関係の本質が、テクノロジーの存在とその進歩により、変化しつつあるのだ。

 

そのことは劇中でも若者達によって語られる。高校生とモールでファーストフードを食べながら、どんなアプリを使っているか、いつからそれを使っているのかで、中学生と高校生ですらジェネレーション・ギャップを感じるのだ。況や、オッサンをや。『 マネーボール 』でブラピ演じるビリー・ビーンが愛娘に言う、“Don’t go on the Internet. Watch TV, read newspapers and talk to people.”=「インターネットなんか見るな。テレビを見て、新聞を読んで、人と話すんだ」という台詞が端的に世代間のギャップを表してくれている。ケイラはまさにビリー・ビーンの娘と同世代なのだ。生身の人間関係と同じくらいに、ソーシャル・メディア上での自分の評価を気にしてしまう世代なのだ。

 

もう一つ、これは日本の若い世代を中心に当てはまることでもあるのだが、ケイラは調べ物をする時に即座にYouTubeへ行く。Jovianはそれ自体は悪いことではないと考える。学習に最も重要な要素はタイミングである。知りたい、学びたい、と思った時こそが絶好のタイミング=レディネスである。問題は知りたい、学びたいという対象や内容である。『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』で、大阪のとある小学校の性教育の授業について紹介したが、本作でも学校現場の性教育の一端が開陳される。ごく一部ではあるが、正直アホかと思う導入部である。性教育に関してはおそらく二通りしかない。教師、あるいは大人が自身の体験を真摯に語って聞かせてやる。もしくは、極めてドライに男女の身体の解剖生理学を教え込む。これらしかないと個人的には思っている。前者の好例は【 3年B組金八先生5 第21話 】である。特に若い世代に真剣に観て欲しいと切に願う。学校の先生の話は真面目に聞こう。高校生、大学生、浪人生あたりは英会話スクールの先生の話も真面目に聞・・・かなくても別に構わない。

 

Back on track. 劇中でケイラは自分が生身の人間であることを思い知らされるシークエンスがある。ここで我々は、いかに心と体を一致させるのが困難であるかを思い知る。それは子どもだからとか大人だからという問題ではない。月並みではあるが、コミュニケーションとはテクニックやルールではなく、愛情の有無で決まるものなのだ。相手を思いやる心がそこにあるかどうかなのだ。そのことを全編通して不器用に見せてくれた父親のジョシュ・ハミルトンは『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』のロブ・リグルと同じく、素晴らしい仕事をしてくれた。世代間の分断、男女の分断を乗り越える熱演だったと評したい。

 

ネガティブ・サイド

高校生グループに混じった時に、もう少しケイラが浮いた感じがあれば、彼女が背伸びしようとするところにもっと説得力が生まれたはずだ。特にYouTubeの自分語り動画並みの背伸びを現実世界でやって、そのせいで痛い目を見るというサブ・プロットがあれば、動画のアップロードを止めることに必然性が生まれたと思う。このあたり、やや唐突過ぎるように感じられた

 

最終盤で、美少女キャラに溜まりに溜まったマグマを吐き出すが、これでは足りない。イケメン男子の方にもぶちかましてやる必要があった。これではバランスが悪いし、カタルシスが充分に得られない。「私は生身の人間で、その中には心があるのよ!」という叫びは、クソ女子とクソ男子、両方にぶつけてやらないと片手落ちではないか。

 

エンディングのもうひと押しも弱かった。自分の住んでいた世界の狭さを知って、人生の次のステージに進んでいくという筋立てでは『 レディ・バード 』が先行しているし、率直に言えば『 レディ・バード 』の方が面白さでは上である。

 

総評

正直なところ、エンターテインメント作品としては普通である。『 スウィート17モンスター 』を私立高校向けの視聴覚教材とするなら、こちらは私立中学校の視聴覚教材にちょうど良いかもしれない。娘の扱いに手を焼いているという世の困ったオジさん連中のエールにもなっている作品なので、自分はそれに当てはまると考える諸兄には速めの劇場鑑賞をお勧めしたい。親子関係に自身があれば、ぜひ娘さんも連れて行こう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

out there

 

これが会話でサラッと使えればJovian先生はその学習者を上級と認定する。辞書的には「そこに」、「世の中には」というような意味になるが、実際は文脈などによってもう少し深い意味が生まれる。例えばテレビドラマ『 X-ファイル 』の THE TRUTH IS OUT THERE=真実はそこにある、は辞書的な意味で使われているが、『 摩天楼を夢見て 』のクライマックスでは「セールスってのは現場で学ぶんだ」という現場=out thereで表現していた。本作でもケイラの父が “put you out there”=自分の身を現場に置くことを説いていた。つまり、世の人々のいるところ、世俗に身を置け、という意味である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エルシー・フィッシャー, ジョシュ・ハミルトン, ヒューマンドラマ, 監督:ボー・バーナム, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ 』 -学校教材に適した映画-

『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

Posted on 2019年9月23日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

アド・アストラ 50点
2019年9月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ブラッド・ピット トミー・リー・ジョーンズ
監督:ジェームズ・グレイ

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原題はAd Astra、To the starsの意味である。Adはラテン語の前置詞で、次に来る語が対格(accusative)か奪格(ablative)かで意味が変わる。Astraは対格で、ラテン語の原義的にはInto the starsが近い感じか。Jovianのall time favoriteSF小説の一つであるJ・P・ホーガンの『 星を継ぐもの 』でコールドウェルがハントのスカウトに成功して“This calls for a drink”といって、乾杯する時に二人が言う台詞が“To the stars”だった。

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あらすじ

ロイ(ブラッド・ピット)は宇宙飛行士。ある時、リマ計画で太陽系辺縁を目指し、消息を絶った父が生きていると知らされる。そして、その父の存在が地球に甚大なダメージをもたらしかねない。ロイは父とコンタクトを取るべく、火星経由で海王星を目指すことになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

超長距離宇宙航行については、我々はワープ航法やクライオ・スリープ技術に慣れてしまっているせいか、宇宙という絶対的に孤独な空間で長時間を過ごす人間の精神にかかる負担というものを見過ごしがちである。『 インターステラー 』でも、23年を孤独に過ごした男がいたが、彼にはTARSがいた。ロイは通信もシャットダウンし、孤独に宇宙を旅したが、そこで去来する多くの想念をブラピの表情だけで描き切るという、予算があるのだかないのだか分からない撮り方をしたことが、結果的に上手くいった。宇宙は本来、人間にとって優しくも温かくもない存在で、究極的に人間に無関心である。そうした存在と孤独に対峙した時に人はどうなるのかを、心理テストに必ずパスするロイというキャラクターを通じて、ブラピは見事に描出した。このあたりが評論家に受けているのだろう。

 

月面や火星の星空が、さすがの美しさだった。CGとはいえ、NHKのコズミック・フロントで時々やっている5~15分の星空+音楽のショートプログラム、あれを彷彿させる。科学がどれだけ進んでも、人間がどれほど想像力をたくましくしても、星母子の世界には本当の意味でたどり着くことはできない。『 君の名は。 』でも感じたが、

星(多くの文化ではそれは太陽と月だ)は死と再生、破壊と創造のモチーフだ。地球外知的生命体との邂逅を求めて宇宙に飛び立った父、海王星付近で発生するサージという現象、そして本質的な意味での父の愛に飢えていたロイが、その父との再会を果たすべく目指す星の世界を見れば、これは父と息子という、ちょっと風変わりな star-crossed lovers の物語なのだ。静謐で、思弁的な、我々が忘れかけていたSF的なSFである。

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ネガティブ・サイド

過去の優れたSF作品へのオマージュが散りばめられている、と表現できればよいのだが、実際はデジャヴを感じるばかりである。『 ゼロ・グラビティ 』、『 火星の人 』、『 インターステラー 』、『 コンタクト 』など、どこかで見た構図やショットで溢れていて、オリジナリティは見出せなかった。

 

また冒頭でその姿を明らかにして、観る者の度肝を抜く軌道エレベータも、なぜEVA(というか単純に屋外作業か)を行う時に命綱その他の安全装置や器具をつけないのか。あの世界では軌道エレベータ作業員には『 フリーソロ 』が義務付けられているというのか。そんな馬鹿な話があるはずがないだろう。

 

また、月面での車両ドンパチも意味不明である。人間の愚かしさ、尽きることのない領土的野心を描きたかったのかもしれないが、本作は思弁的SFのはず。アクションも入れておかないと観客が寝てしまうと思ったのなら、それは大間違い。もっと文明と人間の精神の関係を掘り下げるような描写・演出を用いれば、SFファンはついてくる。近年でも『 メッセージ 』(監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)のように、極力アクション要素を排除しても高い評価を得るSFが生み出されている。

 

JovianはSF小説やSF映画は好きだが、科学的な知識の幅や量は並みか、それより少しはマシという程度である。そんなJovianでも、わずか80日足らずで火星から海王星に到達できるということには驚愕した。月面にマスドライバーでも設置して、そこから更に月軌道上に設置したローンチ・リングで再加速でもさせないと無理だろう。火星から海王星までは光速でも4時間。光速の1%などという、宇宙警察にでも反則切符を切られそうなスピードでも400時間。これで約16日。実際は80日ほどかかっており、加速と減速も加味すれば、やはりロケットの最高速度は光速の1%は出ているように思える。うーむ、ハードSFとして見れば、これは荒唐無稽もいいところだ。反物質は確かに実在するが、それを燃料として計算できる量を確保するには、地球よりも遥かにでかい捕獲&貯蔵装置が必要と何かのSF小説で読んだ記憶がある。機本伸司の『 僕たちの終末 』か、山本弘だったか。いずれにせよ、本作はハードSFとして科学的に頑強な基盤を持った作品ではない。というか、たった80日で行けるのなら、これまでに既に何度も海王星行きミッションが組まれていないとおかしいだろう。人類の危機なのだろう?考えれば考えるほど、本作のプロットには科学的、論理的な穴が見えてくる。

 

では、思弁的なSFとしてはどうか。地球外知的生命体探査というのは胸躍るミッションであるが、クルー同士で諍いを起こして実質的にミッション・アボートでは話にならない。知性ではなく、心で感じる何かを大切にしましょう系のメッセージなのかと思ったが、終盤の親子を巡る超展開に茫然。トミー・リー・ジョーンズは何がしたいのだ。いや、探査がしたいのは分かる。だが、これでは小説『 地球最後の男 』や映画『 猿の惑星 』を足して2で割ったようなプロットにすらならないではないか。これなら『 インターステラー 』でアン・ハサウェイがどうしようもなくマット・デイモンを追いかけようとした、またマシュー・マコノヒーがそのアン・ハサウェイを追いかけようとした不条理ながらも力強い愛というもの、という演出の方が遥かに説得力があった。

 

 

総評

骨太なSFを期待するとがっかりさせられる。いや、何が骨太なのかは、鑑賞する者の嗜好やバックグラウンドによって様々だろうし、そうあるべきだ。ブラピのファンであれば2時間まるまるブラピである。迷わず劇場へGoだ。しかし、ハードコアなSFやスペース・オペラ、スペース・ファンタジーを期待しているファンは、呆気にとられるか、または心地よい眠りに誘われるかのどちらかだろう。鑑賞前によくよく検討されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I am feeling good, ready to do my job to the best of my abilities.

 

to the best of one’s ability / abilities で「力の限り」、「全力で」、「精一杯に」の意味である。ラグビーのワールドカップが、本記事の時点で進行中である。ラグビーにもフォーカスした『 インビクタス/負けざる者たち 』でも、モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラが“All I ask is that you do your work to the best of your abilities and with good heart.”と述べる印象的なシーンがある。外資系に転職する際の面接、あるいは勤務初日のあいさつにでも使ってみたいフレーズである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, トミー・リー・ジョーンズ, ブラッド・ピット, 監督:ジェームズ・グレイ, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

『 怪しい彼女 』 -Youth is Short, Walk on Girl!-

Posted on 2019年9月23日 by cool-jupiter

怪しい彼女 75点
2019年9月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シム・ウンギョン
監督:ファン・ドンヒョク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190923002749j:plain 

森見登美彦の小説およびそのアニメ映画化作品の『 命短し歩けよ乙女 』は傑作だった。そして英題は“The night is short, Walk on girl”である。若さもまた短い。知らぬ間に失っているものだ。そして一度失えば二度と手には入らない。だが、もし若返ることができれば?The Fountain of Youthを求めるの古今東西の共通テーマである。老人が若返る映画はブラピ主演の傑作『 ベンジャミン・バトン 数奇な人生 』からライアン・レイノルズ主演の駄作『 セルフレス/覚醒した記憶 』まで数多い。韓流のお手並みはいかに?

 

あらすじ

70代の意地悪ばあさんオ・マルスンは、ある時、青春写真館で写真を撮ってもらう。するとどういうわけか20歳の若さに逆戻り。新生オ・マルスン=オ・ドゥリ(シム・ウンギョン)として新たな人生を歩み出す。そして、彼女の家族や周囲の人間に様々な影響を及ぼして・・・

 

ポジティブ・サイド

なんといってもシム・ウンギョンの熱演、これである。老マルスンを演じたナ・ムニは大阪は鶴橋か、東京なら新大久保または上野にしぶとく生息していそうなサバイバル系パワフルばあちゃんだが、シムは彼女の表情や話し方、仕草、体の使い方などを相当に研究した跡が伺える。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』のオールデン・エアエンライクは本作を観て反省するように。もちろん、メイクさんや衣装さんの力が大きかったのは言うまでもない。

 

若さを取り戻せたら、我々は何をするだろうか。ある者は勉強に打ち込むかもしれないし、スポーツに打ち込む者もいるだろう。恋愛にうつつを抜かす者もいれば、旅をして見聞を広める者もいるだろう。共通していることは、やれなかったこと、やり残したことをやってみたいという想いがそこにあるということだ。一個人の過去の苦労話だけではなく、韓国社会の暗部にも光を当てた点が本作の貢献だろう。現に『 主戦場 』でも、韓国の授業的価値観に支配された社会、伝統主義、教条主義的家父長制がミキ・デザキの批判の対象になっていた。だが、これはなにも韓国だけの暗部ではない。『 あなたの名前を呼べたなら 』ではインド社会における未亡人の生き辛さが直接・間接に描かれていたし、『 マイ・ブックショップ 』では英国の事情が、『 今日も嫌がらせ弁当 』では未亡人と男やもめのしんどい生活が(コミカルに)描かれていた。(ただ、日本の場合はどうなのだろうか。女やもめに花が咲く、男やめもに蛆が湧くと今でも言うように、日本において伝統的とされる価値観は戦後、せいぜい遡っても明治大正あたりが起源になるものが相当に多いのではないだろうか。夫婦ではなく女男(めおと)と昔は女性を前に呼称していたわけだから。日本の伝統の闇は浅くて深そうである)。

 

Back on track. マルスンは若かりし頃の夢を追うわけだが、逆に言えば年齢を理由に夢をあきらめる必要などないという高齢者へのエールにもなっているわけだ。さらに推し進めて言えば、年齢を理由に夢をあきらめてはならないという強迫的・脅迫的なメッセージを発している。年齢を重ねるとは、それだけ死に近づくということだ。ハイデガーならずとも、現存在は死にコミットしている。死ぬまでに何をすべきかである。本作は我々にそのことをあらためて考えるきっかけを与えてくれる。

 

もうひとつ、本作が単純に若さを謳歌すること、若さを賛美すること以上に高齢者へのエールとなっている点がある。それはパク氏の存在である。グループホームなどの施設で高齢者同士の恋愛が美しく花開いたり、あるいはとんでもないトラブルになったりすることはよくあるらしいが、このパク氏は一方的な思慕の念を70代になるまで抱き続けた、ある意味で男の中の男である。『 アンダー・ユア・ベッド 』や『 宮本から君へ 』を楽しみにしているJovianからすれば、無限のリスペクトを捧げたいほどの男である。パク氏の愛情に幸あれ。ファン・ドンヒョク監督も同じように感じていたようで、パク氏には素敵なプレゼントが贈られる。楽しみに待ってほしい。

 

本作はラブコメとしても秀逸で、外見はうら若き女子、中身はクソババアというキャラクターが自分の孫に夭折した自分の夫を重ね合わせるシーンが白眉である。ロマンティックでありながらコメディックなのだ。この監督はコメディを手掛けるの初めてらしいが、なかなかの手腕を持っている。今後にも期待。

 

ネガティブ・サイド

音楽のシーンにもう一つ迫力と臨場感が欲しかった。もちろん、音楽映画ではないのは承知しているが、老人ホームのカラオケで老マルスンのライバル的女性がセクシーな歌いっぷりを見せてくれたのだから、若マルスンも負けじと色っぽい歌い方をしてほしかった。年老いた心もときめくのだから、それを体で表現しても良かったように思う。

 

若返りの効果が失われるきっかけの見せ方は良かったが、それによって結末が見えてしまう。不治の病、交通事故、実は血のつながった親子または兄妹というのは韓流ドラマや韓国映画のお約束であるが、さすがにそろそろ別の路線を模索する時期に来ているのではないだろうか。

 

総評

高齢化においては世界ナンバーワンの日本である。老いてますます盛んという言葉があるし、ビューティフルエージング協会も活発に活動している。老いるというのは生理現象であって、そこにネガティブな要素を本来は見出すべきではないのだろう。姥捨て山はおとぎ話であって、しかもハッピーエンディングである。不器用な生き方が祟って、家族に捨てられそうになった老人が、若さを得、そして家族と最終的に和解するという、とてもシリアスなコメディである。日本版リメイクもチェックしようと思うし、ハリウッドリメイクも楽しみである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Did you sleep with him?

 

「アイツと寝たのか?」の意である。日本語でも英語でも、寝るという営みは、生理現象と共に男女の行為を指す意味でも使われている。それは韓国語でも同じだろう。“I want to sleep with you.”や“I don’t want to sleep without you.”と言えるようになれば、英会話スクールは卒業である。こうした言葉をスッと口に出せる関係を作れるほどに、コミュニケーションが取れているということだから。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, シム・ウンギョン, 監督:ファン・ドンヒョク, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 怪しい彼女 』 -Youth is Short, Walk on Girl!-

『 アス 』 -我々の敵とは誰か-

Posted on 2019年9月22日2020年4月11日 by cool-jupiter

アス 75点
2019年9月19日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ルピタ・ニョンゴ
監督:ジョーダン・ピール

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190922015435j:plain 

ジョーダン・ピール監督の『 ゲット・アウト 』は、一部意味不明な描写があったものの、全体的にはギャグとホラーの両方をハイレベルに融合させた傑作だった。ピール監督の意識の根底に人種差別の問題があるのは間違いない。そして、その問題意識は本作にも貫かれているし、この作品はそのように観られるべきだろう。だが、Jovianは直感的には少々異なる見方、分析および考察をした。

 

以下、ネタばれに類する記述あり

 

あらすじ

アデレード(ルピタ・ニョンゴ)は、幼少期に自らの分身を目撃したショックから失語症になってしまった。月日は流れ、彼女は夫と娘と息子と共にカリフォルニアにバカンスにやってきた。しかし、彼女はそこで過去のトラウマがまたしても自分の身に迫っていると予感し、恐怖に怯える。果たして、深夜、家の外に自分たちそっくりの一家が現れて・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭のウサギは異世界への案内人代わりか。『 マトリックス 』でもそうだったが、J・ピール監督は、どのような世界に我々を誘ってくれるのか。

 

ドッペルゲンガーと遭遇する物語で近年の白眉と言えばドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『 複製された男 』だろうか。アデレードたちのもとに現れたアス=私たちは、普通に考えれば地下世界のクローンなのだが、Jovianは彼ら彼女らはインターネット世界のアバター=自分の分身を体現したものなのかと感じた。たいていの人はインターネット上では意見が過激になるし、他者に対して攻撃的な態度に出てしまいがちだ。そして、そんな一部の過激なネット上の声が、現実世界の政治にまで影響を及ぼす。そんなディストピアな世界にまさに我々は住んでいる。同じ国に住まう者が、同じ国に住まう者を攻撃する。アジア系のアメリカ人、ヒスパニック系のアメリカ人、様々なアメリカ人が存在する。『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックはエジプト系のfirst generation Americanであると、自身がオスカー授与式の際に語っていたことを覚えている映画ファンも多いだろう。一方で『 ブラック・クランズマン 』に見られるように、同じアメリカ人でありながらも、白人か黒人かという違いだけで、一方が他方を攻撃の対象にすることもある。また、人種の別に依らず、価値観、信条などでも一方が他方を攻撃することがある。プロライフ派が人工中絶を行うクリニックを爆破する事件(というか犯罪、またはテロ行為)は今でも行われているのだ。また政治的思想もアメリカの分断の特徴である。共和党主義者と民主党主義者で“分断”されるアメリカ=USA=US=Us=アスを、この映画は象徴しているのだろう。現実世界ではトランプ支持の声は決して大きくなかったものの、実はネットではトランプ支持の声が相当にあったという分析もある。まるで梅田望夫が著書『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 』で2005年の郵政解散での小泉勝利を予見したように、ネット上の言説空間での声は時に現実世界にまで影響を及ぼすのである。

 

こうした穿った、明後日の方向の分析をしてしまうのは、Jovianが日本の現状について問題意識を抱いているからだろう。『 判決、ふたつの希望 』で日本のコンビニ店員さんたちがどんどん外国人労働者になってきていることに触れたが、これは外国人による日本への攻撃なのか。つまり虐げられる、弱い立場にあった者たちが力(それは往々にして経済力と政治的な発言力だ)を持ちつつあることを脅威であると感じることなのか。それとも、外国人との共存を模索する契機とすべき変化なのか。レッドが片言の英語を話すのは、現代日本で問題になっている親の片方が外国人である子どものランゲージ・バリアーのモチーフと見るのはさすがに穿ち過ぎか。いや、オーソドックスな分析や考察は他サイト、他ブログに譲ろう。本当に強調すべきは、本作は実に多様な見方を許容する深みのある作品であるということだ。

 

他に特筆すべきことがBGMのクオリティの高さである。『 ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男 』でも重低音の効いた、静かで、それでいて迫力のあるサウンドが魅力的だったが、本作のBGMの重低音は下腹部ではなく背筋に響いてくる感じがする。このサウンドは音響の良い劇場で味わって頂きたいと思う。

 

ルピタ・ニョンゴ渾身の演技。ジョーダン・ピール監督の現実批評とユーモアのセンスのバランス感覚。意表を突くカメラワークもある。決して見逃すことなかれ。

 

ネガティブ・サイド

普通の人間が決して知らない、近づけない地下世界があるという世界観は、既に『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』が先行している。また、序盤早々のモグラたたき(Whack ‘em All)は地下に住む存在が顔を出したら、すかさずブッ叩くという世界観の背景を表したものかと思ったが、それを説明または強調する描写や演出はなかった。うーむ・・・

 

アスの長男の撃退が、江戸川乱歩の『 目羅博士の不思議な犯罪 』である。かなり衝撃的なシーンのはずだが、個人的には「おいおい、ここでそのネタかよ」であった。だが、ここは評価が分かれるシーンであろう。たまたまJovianのテイストに合わなかっただけである。

 

父親がユーモラスなのだが、『 ゲット・アウト 』のリル・レル・ハウリーの面白さには到底及ばなかった。同じ監督であっても微妙にトーンの異なる映画であったが、今回の父親はもっと振り切った面白さを表現して欲しかった。アスが家の外で手に手を取っているシーンは、もっとファニーにできただろう。そうすることで、ストーリーの陰陽の反転がもっと鮮やかに感じ取れることができただろう。

 

総評

これは傑作であると言ってよい。『 ゲット・アウト 』とどちらが上かと言われれば、評価は分かれるだろう。一つ言えるのは、ピール監督は、映画でもって現実批評をさせれば、いま最も旬な監督であるということだ。US=アメリカのことだけだと思わずに、この物語現代日本社会に当てはめた時に、どのようなアレゴリーになっているかを考察してみるとよい。きっと様々な仮説が生まれてくることだろう。単なるホラーではない、思考を刺激するホラー映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You gotta be kidding me!

 

マイケル・ルイス著の『 マネーボール:不公平なゲームに勝利する技術 』でビリー・ビーンが他球団のドラフト1位指名を聞いた時に“You fucking gotta be kidding me!”と叫んだとされる。訳書では「ほんとか、おい!」となっている。何か信じがたいこと、冗談だろうと思えるようなことが起きた時に、この台詞を使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ホラー, ルピタ・ニョンゴ, 監督:ジョーダン・ピール, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 アス 』 -我々の敵とは誰か-

『 スラムドッグ$ミリオネア 』 -典型的かつ爽快サクセス・ストーリー-

Posted on 2019年9月20日 by cool-jupiter

スラムドッグ$ミリオネア 80点
2019年9月17日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:デブ・パテル フリーダ・ピント イルファン・カーン
監督:ダニー・ボイル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190920113010j:plain 

インド映画と見せかけてイギリス映画である。『 ヒンディー・ミディアム 』でイルファン・カーンを見て、「そういえば『 ジュラシック・ワールド 』以来だったな」と感じ、再会を求めて近所のTSUTAYAへ。やはり面白い。

 

あらすじ

ジャマール(デブ・パテル)は人気テレビ番組の「クイズ$ミリオネア」で順調に正解を続け、賞金を積み上げて行っていた。しかし、番組司会者に不正を疑われ、警部(イルファン・カーン)に取り調べを受けることに。ジャマールは訥々と自身の過去を回想していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

みのもんたを思い出してしまったが、やはり「クイズ$ミリオネア」はサスペンスフルであった。1ルピーは約1.6円で、1000万ルピーはおよそ1600万円となる。しかし、映画公開時の通貨価値の違いを考えれば、おそらくその価値は1億6千万円ぐらいであってもおかしくない。スラム街出身のジャマールからすれば、想像を絶する大金であろう。Jovianも1億円欲しい。

 

本作はクイズ番組の映画ではなく、クイズ番組を通じてインド社会の矛盾をさらけ出し、さらにそこで雄々しく生きる個人にスポットライトを当てた物語なのだ。『 存在のない子供たち 』のゼインのように、スラムで生まれ育ち、『 判決、ふたつの希望 』のように、宗教や民族の違いで謂われのない暴力にさらされてしまう。そして child predator の存在。こうした社会の理不尽が赤裸々に、しかし、エンターテイメント色豊かに描かれるところがインド映画(これはイギリス映画だが)の強みなのだろう。

 

これはサスペンス映画であると同時にラブロマンスでもある。幼少の頃からの初恋の相手、ラティカを狂おしいまでに追い求めるジャマールの一途さは観る者の心を打つ。男と女の心情の違いが露わになる中盤の展開には胸が締め付けられる。小学校高学年ぐらいで手塚治虫の『 火の鳥 乱世編 』の弁太とおふうを思い出した。両作品のその後の展開は異なるが、当時の自分にはおふうの心変わりというか、気持ちが理解できなかった。今なら分かる。だからこそ、ラティカのジャマールへの冷たい対応にも説得力がある。国が違っても、男女の心の在り様には一定の普遍性が認められる。

 

クイズの正答の根拠がジャマールの過去の様々なエピソードに潜んでいるというのは面白いし、オープニングが取り調べシーンというのもショッキングで良い。否が応でもそれまでに何があったのかと物語に引き込まれるからだ。犯罪まがい、というか窃盗や詐欺でサバイバルするジャマールが、苦難を乗り越えてミリオネアになっていくのは、そのままムンバイという土地の成長の勢い、ひいてはインドという国そのものの成長の勢いのメタファーだろう。ちなみに日本はもう間もなくあらゆる意味でインドに追い抜かれてしまう。映画だけではなく、あらゆる面で。何故だ?という向きには、『 沸騰インド:超大国をめざす巨象と日本 』をお勧めする。Jovianの大学の先輩が著者なのである。先輩と言えば『 運び屋 』で紹介した『 運び屋 一之瀬英二の事件簿 』もよろしく。

 

ネガティブ・サイド

 

冒頭の肥え溜めにドボンのシーンはもう少し控え目にしてもらえたらと思う。

 

ジャマールの兄、サリムのクズっぷりももう少し抑えることができたはずだ。彼なりに弟を想う心はあったのだろうが、それを押し殺して悪事に手を染めているという描写や演出があれば、もっとキャラクターが立っただろうに。

 

総評

普通に面白い。当時にブログをやっていたら、年間最優秀外国映画の候補に挙げていたはずだ。ダンスがねーぞ!と思うなかれ。エンディングのクレジットシーンは、クライマックスに次ぐカタルシスが待っている。インド映画ファンなら(イギリス映画だが)、必見の傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That’s for sure.

 

劇中では、You’re not a liar, Mr. Malik. That’s for sure. という具合に使われていた。for sureで「確かに」という意味合いだが、用法の過半数は ~~~~. That’s for sure. だろう。Itは基本的に単数形の名詞、もしくは正体不明の何かを指して、Thatは直前に触れられた事柄(≠事物)を指すと理解しよう。

 

He is a great tennis player. That’s for sure.

You will pass the exam with ease. That’s for sure.

 

洋画でしょっちゅう聞こえてくるので、映画館で耳をすませてみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, イギリス, イルファン・カーン, サスペンス, デブ・パテル, ヒューマンドラマ, フリーダ・ピント, ラブロマンス, 監督:ダニー・ボイル, 配給会社:ギャガ・コミュニケーションズLeave a Comment on 『 スラムドッグ$ミリオネア 』 -典型的かつ爽快サクセス・ストーリー-

『 フリーソロ 』 -Ain’t no mountain high enough-

Posted on 2019年9月19日2020年4月11日 by cool-jupiter

フリーソロ 70点
2019年9月16日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アレックス・オノルド
監督:エリザベス・チャイ・バサルヘリィ 監督:ジミー・チン

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ミハエル・シューマッハの容態が好転しつつあるとの報があった。ふとアイルトン・セナの事故死を思い出した。モータースポーツの危険性は改善はされたものの、依然残っている。マリンスポーツ然り、スカイスポーツ然り、ボクシングを始め格闘技は言うに及ばず。だが最も危険なのはmountaineering、特に安全用の装備や危惧を一切用いないフリーソロは自殺行為と呼んでも差し支えないだろう。なぜそのような危険な営為に従事する人々が存在するのか。本作はそこに一定の回答を提示する。

 

あらすじ

アレックス・オノルドは世界最高レベルのクライマー。彼には夢があった。ヨセミテ国立公園の巨岩エル・キャピタンをフリー・ソロで登攀すること。練習と鍛錬を積み重ねたアレックスは遂にフリー・ソロでエル・キャピタンに挑む・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190919203419j:plain 

ポジティブ・サイド

NHKの『 体感!グレートネイチャー 』でヨセミテ特集を観たことがある。エル・キャピタンかどうかは定かではないが、寝袋に収まってミノムシの如く岩肌にぶら下がっているクライマーを見て、クレイジーな人間がいるものだ、と感じたことはよく覚えている。しかし、アレックス・オノルドはさらにクレイジーだ。安全装備なしで、この巨岩に挑むというのだから。

 

登山家とクライマーはおそらく別人種だろうなと思わされた。登山を趣味にするのは経営者や医者が多いと言われる。俗世のストレスなどから一時的に逃れたいのだろう。アレックス・オノルドのようなクライマーは天然生粋のアスリート型なのだろう。殴られると痛い、減量はきつい、報酬は人気が出ないと上がらないというボクシングのようなもので、「なぜ登るのか?」とアレックスに尋ねれば、“Because I can’t sing or dance.”と答える可能性は高そうである。アレックスはヴァンで暮らすベジタリアン。収入は成功した歯科医ほどあるが、家を買ったりすることには興味が無い。ガールフレンドはいるが、手を焼かされるというか、文字通り骨を折らされている。グーグルの創業者二人が受けたことで注目を集めたモンテッソーリ教育をアレックスも受けているのだが、もしもアレックスのような個人が日本にいれば、きっと京都大学へ行くのだろう。変人は京大では褒め言葉らしいから。Jovianは現役時代に京大に落ちたからな!

 

Back on track. ドローンをふんだんに使った本作のカメラワークは文字通りに息を飲む。また、エル・キャピタンに挑むアレックスには荘厳なBGMが似合っているが、そこにはお決まりの映画的演出が一切ない。一瞬足を踏み外した、指にかかったはずの岩に亀裂が入った。そんなクリシェは一切存在しない。そんなものを入れる余地はない。だからこそ、アレックスは気にする素振りも見せなかったが、観客側が肝をつぶすような瞬間が撮影されている。Jovianはこの瞬間にイスから飛び上がってしまった。ドキュメンタリーでしか出せない味であり迫力である。

 

ネガティブ・サイド

クライマーのなかでもフリー・ソロをやるのは1%未満ということで、それだけ難易度も危険度も高いことが分かる。もちろん一般人たる我々にもその危険性は直感的に分かるが、それをもっとエキスパートの視点から語ってもらいたかった。アレックスのメンター的存在、練習パートナー的存在のクライマーは登場するが、その他に登場するのは個人となたクライマーの写真が多かった。もっと現役のクライマーたちに、エル・キャピタンとはどのような存在か、それにフリー・ソロで挑むのは、ドン・キホーテよりもクレイジーなことであると語ってもらいたかった。

 

ドローンによる撮影技術は素晴らしかったが、アレックスの見ている世界を我々も見てみたかった。例えば『 クリード 炎の宿敵 』で、コーナーにくぎ付けにされたクリード視点でヴィクター・ドラゴのパンチを雨あられと浴びるシーンがあったが、あのような当事者の視界というものを体験してみたかった。アレックス本人のそれは無理にしても、他のクライマー(もちろんロープや安全器具を使った状態で)に小型カメラ付きの帽子なりヘルメットなりをかぶってもらって撮影することもできたのではないだろうか。

 

総評

非常に力強いドキュメンタリーである。ボルダリングがスポーツとして普及しつつある今、本家ロック・クライミングに興味のある人も増えてきているのではないだろうか。そうした人々が見ても楽しめるだろうし、普通の映画ファンが見ても充分にスリリングである。ドキュメンタリー好きならば、劇場の大画面で鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get a feel for someone/something

 

文字通り、「感触を得る」という意味である。劇中ではget a feel for the route = ルートの感触を得る、という具合に使われていた。

get a feel for the new car

get a feel for the atmosphere of the city

get a feel for what this computer is capable of

これも状況・文脈に応じて練習してみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, アメリカ, アレックス・オノルド, ドキュメンタリー, 監督:エリザベス・チャイ・バサルヘリィ, 監督:ジミー・チン, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 フリーソロ 』 -Ain’t no mountain high enough-

『 The Fiction Over the Curtains 』追記とその他雑感

Posted on 2019年9月19日2020年8月29日 by cool-jupiter

『 The Fiction Over the Curtains 』の制作関係者の方と少しお話をさせて頂く僥倖を先日得ることができた。作品には様々な意図が込めらられているが、一番はフクシマであるということだった。それはあまりにも安易かつ安直だろうと思ったが、確かに得心できないこともない作りであった。Jovianが鑑賞直後に直感したのは、発展途上国への支援の問題だった。我々は物資を送ることにはそれほどやぶさかではない。現に、大型ショッピングモールなどでは、着古した衣類(下着除く)の寄付を定期的に募っていたりするではないか。そして結構な量の衣服が無造作に箱に放り込まれていたりするではないか。けれど、我々は現地に赴いて、自ら汗水垂らそうなどとは毫も思わない。そうした発展途上国に生きる人々も、しかし、スマホを持ち、極東の島国の住民を珍奇の対象として見ているかもしれないのだ。それがJovianが作品から得た解釈であった。「そういう見方も可能だし、そのように観てもらいたい意図もある」という有り難いお言葉を頂いたが、やはり芸術作品は送り手と意図と受け手の解釈にずれが生じるものなのだなと感じた次第である。

 

余談ではあるが、その関係者の方は映像芸術家の小泉明郎のファンで、その小泉明朗はJovianの大学の先輩にして同じ寮で時間を共有したdorm mateでもある。何たる奇縁!

 

その小泉が【 あいちトリエンナーレ2019 】の中止で、にわかに注目を浴びている。その小泉はFacebookの投稿で「作家にとって作品を観ないで批判されることが、なによりも腹立つことです。観てから批判されるのはいいですが、観ずにはナシです」、「アートとは、作品と個人が対峙する鑑賞体験があって初めて評価され、議論されるものという、前提が否定されてしまいます」と憤っている。何故か?【あいちトリエンナーレのあり方検証委員会】アンケート調査を実施しますというグロテスクな行政の介入ゆえだ。展示を見ていない人でも回答できてしまうことは大きな問題、というよりも、情報操作の余地を残していることからも、危険、有害とすら言える。Yahoo!ニュースのコメント欄すら内調によって操作・誘導されていることが『 新聞記者 』で示唆されていた。愛知県の実施するアンケートが操作・誘導されないという保証がどこにあるというのか。

 

芸術論については、Jovianが時々見ている映画批評YouTuberのChris Stuckmannの

youtu.be

を観て欲しい(ちなみに『 ミスター・ガラス 』のネタばれレビューなので注意。一応、リンクは動画の13分48秒時点に設定してある)。Stuckmannの台詞を一部、書き出して訳してみよう。

 

You don’t have to have permission to express yourself through an art form.(略)You never never never never take someone’s right to express themself through an art form away. Just don’t do it. (原文ママ)

 

芸術という形で自分自身を表現するのに許可など不要。芸術という形で自分自身を表現する権利を奪うことは絶対にあってはならない。それだけは勘弁してくれ。

(themselfに突っ込み無用。ネイティブは分かっていて敢えてこう言っている)

 

是枝裕和監督の『 万引き家族 』に関しても、外野からあれこれと批判の声が上がった。作品の中身について論じるならばよい。それには是枝氏も耳を傾けるだろう。だが、文化庁から補助金を得ていることを理由に作品の方向性云々にケチをつけるのは、成熟した民主主義社会の市民の取るべき行動ではない。税金が投入されているからという理由で、国にとってセンシティブな事柄を想起させる芸術作品を規制するべきではない。芸術や言論を封殺する社会の行きつく先は独裁だ。「国はお前たちに無料で教育を授けてやっただろう?」という理由で国家に精神を従属させ、肉体を国への奉仕に差し出してしまえば、人間が歴史を通じて希求してきた「自由」、「主体性」、「尊厳」などのフィクションはどうなってしまうのか。

 

現実世界でもネット空間でも良い。言葉を発しよう。人によっては、それが歌だったり、絵だったりするかもしれない。要は、誰かに強制された形ではなく、自発的な意志で自分を表現しようということだ。ブログというツールは、そうした可能性を追求するプラットフォームになりうるし、それは別にTwitterでもInstagramでも何でも良い。日本人はもっともっと語ることそのものに熱心になるべきだ。社畜リーマン英会話講師の雑感である。

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