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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 夕陽のガンマン 』 -マカロニ・ウェスタンの傑作-

Posted on 2019年3月25日2020年4月26日 by cool-jupiter

夕陽のガンマン 80点
2019年3月21日 レンタルDVD
出演:クリント・イーストウッド リー・ヴァン・クリーフ
監督:セルジオ・レオーネ

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クリント・イーストウッドとリー・ヴァン・クリーフの立ち居振る舞い、会話、銃撃。もうこの二人の存在感だけで満足できる。小学3年生ぐらいの時に、やはり親父と一緒にVHSで観た記憶がある。その頃はストーリーがほとんど分かっていなかった。それでもイーストウッドが帽子を何度も何度も銃で弾き飛ばすシーンは強烈な印象を幼心に残した。

あらすじ

賞金稼ぎのモーティマー大佐(リー・ヴァン・クリーフ)と、同じく賞金稼ぎのモンコ(クリント・イーストウッド)は、協力して賞金首の集団、インディオ一味を一網打尽にし、賞金を山分けすることに同意する。インディオ一味を内部から撹乱するために、モンコは一味に加わるが・・・

ポジティブ・サイド

本作も『 荒野の用心棒 』と並ぶマカロニ・ウェスタンの傑作である。のみならず、映画的技法においても最高峰であろう。ナレーションもなく、不必要に説明的な台詞をだらだらと喋るキャラもいない。ほんのちょっとしたショットの構図、キャラの表情や動きで、背景にあるストーリーやキャラの思考や感情が伝わる。冒頭のリー・ヴァン・クリーフの登場シーンと決闘シーンは象徴的である。牧師にしては鋭すぎる眼光、歴戦の強者に特有の話しぶり、そして彼我の獲物の射程距離を完全に把握した上での、余裕のある決闘シーン。演技と映像による語り、ビジュアル・ストーリーテリングの教科書に絶対に記載されなくてはならない場面である。

エンニオ・モリコーネの音楽についても触れないわけにはいかない。『 荒野の用心棒 』と同じく、乾いた大地と奥行きのある空を想起させるメロディラインに、火薬と血の臭いを感じさせる低音ヴォーカル、そして孤高の賞金稼ぎのシルエットをまぶたの裏に否応なく浮かび上がらせてくる口笛の旋律。エンニオ・モリコーネは、ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーに肩を並べる作曲家と評しても異論は出ないだろう。邦画の世界における伊福部昭か、それとも武満徹にも例えられるべき存在である。

クライマックスの決闘シーンのオルゴールの音色は永遠にも感じられる。この音楽が鳴りやんで欲しくない、と強く願ったが、それは『 ボヘミアン・ラプソディ 』における“We are the champions”について感じた気持ちと全く同質のものだった。これが鳴り終われば、この男の命の火が消えてしまう、という。

クリント・イーストウッドの変わらぬ存在感と、リー・ヴァン・クリーフの、ある意味での主役以上の存在感が、本作を傑作にしている。劇画『 ゴルゴ13 』の中には、プロがプロに依頼をする、またはプロがプロと共闘する話があるが、そうしたエピソードの源泉は本作にあったとしても不思議ではない。いや、本作のように銃で会話をするという技法を、漫画原作のなんちゃってコメディ映画の『 ルパン三世 』(監督:北村龍平 主演:小栗旬)が取り入れている(ルパンが五右衛門の銃を撃つシーン)ということが、本作が世界中の映画製作者に有形無形の巨大な影響を及ぼした証左ではあるまいか。一言、Timeless Classicである。

ネガティブ・サイド

モーティマーがインディオ一味を追う動機がなかなか明かされないことで、物語のトーンが安定しない。具体的には、この男が敵なのか味方なのか、観ている側が疑心暗鬼になってしまう。Jovianは彼の登場の仕方、その目つき、顔つきからして、「ははあ、こいつが今作のイーストウッドの敵役だな」と早合点してしまった。

銃撃によるコミュニケーションは痺れるほどにクールだが、果実を取ろうとする少年を助けるために、あそこまで撃ちまくる必要はあるのか。ちょっと手元が狂った、または少年が思わぬ動きをしてしまえば、過失致死傷害罪で自分が賞金首になってしまうだろう。

また、名シーンであるはずの帽子を撃ち続けるシーンを経ても、帽子にキズひとつ、穴ひとつ見当たらないのはどういうわけなのだ。小学生の時から持ち続けていた鮮烈な記憶が、少し怪我されてしまったようにすら感じた。血を一滴も流さない死体なども、せっかくのテーマ音楽のノイズになってしまっている。

総評

弱点は抱えていても、それを上回る面白さがある。また、西部劇という枠だけに括られない、バディムービーであり、ロードムービーでもある。クリント・イーストウッドの渋すぎる演技とリー・ヴァン・クリーフの存在感、モリコーネの音楽とレオーネによる監督術の全てが高次元で融合した傑作である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, A Rank, イタリア, クリント・イーストウッド, リー・ヴァン・クリーフ, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:UALeave a Comment on 『 夕陽のガンマン 』 -マカロニ・ウェスタンの傑作-

『 ふたりの女王 メアリーとエリザベス 』 -歴史とは現代への遠近法-

Posted on 2019年3月24日2020年1月9日 by cool-jupiter

ふたりの女王 メアリーとエリザベス 75点 
2019年3月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン マーゴット・ロビー
監督:ジョージー・ルーク

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原題は” Mary Queen of Scots ”である。文字通り訳せば、スコットランド女王メアリーとなる。ただし、この邦題は悪くない。こちらの方が客を呼びやすいし、海外のポスターやパンフレットなどの販促物も、ふたりの女王にフォーカスをしているからだ。ジョージー・ルーク監督は単なる歴史映画ではなく、しっかりと現代をその視座に収めた物語を作ってきた。

あらすじ 

時は1580年代。舞台はグレートブリテン島。フランス帰りのメアリー(シアーシャ・ローナン)はスコットランド女王の座に就く。しかし、当時のスコットランドは、旧教カトリックと新教プロテスタントが混在。加えてメアリー自身の出自や再婚問題から、貴族や民衆に至るまで、敵味方が入り乱れ、争乱や陰謀が絶えなかった。その頃、南方のイングランドでは女王エリザベス(マーゴット・ロビー)が君臨。彼女らは対立と協力のうちに、互いへの信頼と尊敬を徐々に見出し・・・

ポジティブ・サイド

本作はジョージー・ルーク監督からの熱烈な恋文にして辛辣な批評である。誰に宛ててなのか?それは現代社会であろう。恋文と批評は併存しないのではないかと思われるかもしれないが、両者ともに対象への没入から生まれる文章だと思えば、本質的な差異はそこにはない。それではルーク監督が没入した対象とは何か。それは個と社会の関係の在り様であろう。

宗教改革後にして、ウェストファリア条約以前。つまり、信仰に対する個の意識の自由が叫ばれ、しかし、個の諸権利が著しく制限をされていた時代。個に対する教会と国家の関係が著しく揺れ動いていた時代。そうした時代に生きたメアリーという女王を活写する意味は何か。それは女性と男性の力関係を追究することであり、国家間の存立問題を考究することであり、様々な外的要因に影響されながらも個を保ち続ける崇高さを見つめ直すことだろう。

シアーシャ・ローナン演じるメアリーは、年齢相応に侍女らとガールズトークに勤しむ一方で、政治的に兄と対立する。未亡人として孤閨に耐えられないという気持ちを抱きながらも、再婚の相手は政治的な利得で決定する。そこには女性と女王という二つの属性がある。シアーシャ・ローナンは卓越した演技力と存在感で、メアリーの様々な顔を演じ分け、巧みに表現した。特に印象に残ったのは、内乱鎮圧の際、騎乗しながら手振りで指令を下すシーンだった。そこではメアリーが多分に私情の混じった判断を行っているのだが、その時のポーカーフェイスが良いのである。

対するエリザベスを演じるマーゴット・ロビーも負けていない。現英国女王はエリザベス2世で、初代エリザベスが本作で描き出されるエリザベス女王その人なのである。故マーガレット・サッチャーを彷彿させる鉄の女、いや鉄の処女で、女性らしさとは自ら決別し、政治と政事に携わる男たちの間で翻弄されながら、北方スコットランドの若き女王への妬みと嫉みの気持ちも捨てられない。そんな矛盾する個の在り様を、『 スーサイド・スクワッド 』のハーレイ・クイン、『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』のトーニャ・ハーディング以上の静かな熱演でもって披露してくれた。天然痘で瘡が残った顔を白塗りし、ウィッグをかぶり、それでもメアリーとなかなか向き合えない威厳のある女王にして、若さと美しさと強かさの全てに嫉妬し、同時に憧れてしまう一人の女性の悲哀を切々と、しかし、力強く演じ切った。

エリザベス女王の在位が世界最長となる慶事の一方で、スコットランドの独立運動が2014年という比較的最近にも盛り上がった。現英国王室は全てメアリーの直系子孫であるということを考えれば、ルーク監督は連合王国に対して多様性と統一性の両方が必要にして尊重されるべきだと考えているのだろう。同時に、近代という個の成立を追求する時代に、再び勃興の兆しを見せつつある全体主義や不健全なナショナリズムに対する警鐘を鳴らしてもいるのだろう。

ネガティブ・サイド

オープニング早々に字幕で背景を説明するのは、手抜きとまでは言わないが、もう少し見せる工夫が必要だろう。たとえばグレートブリテン島ではなくヨーロッパ大陸の当時の風俗習慣をほんの少し映像化するだけでも、当時のイングランドとスコットランドという世界に、もっと入っていきやすくなっただろう。

また、男の端くれとして、本作に描かれる男どものほとんどが、悪漢か卑劣漢か痴愚か、さもなければ小心者ということに、落胆させられる。『 真っ赤な星 』以上に、アホな男しか登場しない。唯一、メアリーが心許した男も、カエサルも斯くやという死に様を見せる。もう少し男に辛くない描写があっても良かったのではないだろうか。

総評

単なる地球の反対側の国の歴史映画と思うことなかれ。本作が描出するテーマは恐ろしいほど現在の極東の島国の状況と似通っている。多極化する世界と国粋主義化していく国と国民、そうした時代において力強く個が個であり続けるためのインスピレーションを与えてくれる大作である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イギリス, シアーシャ・ローナン, ヒューマンドラマ, マーゴット・ロビー, 監督:ジョージー・ルーク, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 ふたりの女王 メアリーとエリザベス 』 -歴史とは現代への遠近法-

『 ディック&ジェーン 復讐は最高! 』 -アメリカ版鼠小僧物語-

Posted on 2019年3月24日2020年1月9日 by cool-jupiter

ディック&ジェーン 復讐は最高! 60点
2019年3月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジム・キャリー ティア・レオーニ
監督:ディーン・パリソット

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 嫁さんが近所のTSUTAYAで借りてきたのを一緒に鑑賞。これを見れば、今後はジム・キャリーの前歯を見るたびに、鼠小僧を連想するようになること間違いなし。原題は“Fun with Dick and Jane”で、1970年代に製作、公開された映画の現代版リメイクである。

あらすじ

IT企業に勤務するディック(ジム・キャリー)は、広報本部長への昇進を告げられる。妻のジェーン(ティア・レオーニ)も大喜びして仕事を辞めた。喜び勇んだ二人は新しい芝生を入れ、庭にプールを作り始めたが、実はディックの会社は粉飾決算で実態は経営破綻状態。社長だけは自社株を売り抜けていた。再就職活動がうまくいかないディックとジェーンは、ついに泥棒をすることになるが・・・

ポジティブ・サイド

ジム・キャリーと言えば、人間離れした怪演で知られる。それは『 グリンチ 』のレビューでも述べた。しかし、人間離れしない程度に面白い演技もできる俳優であることを本作は教えてくれる。意外にサラリーマン役がハマる。たとえばジョージ・クルーニーやケビン・コスナー、ハリソン・フォード、ブルース・ウィリスらは普通の一般人役は馴染まない。そう考えれば、ジム・キャリーの芸域の広さが見えてくる。

ティア・レオーニも良い味を出している。『 ディープインパクト 』のリポーター役で世に出たが、大統領役のモーガン・フリーマンに“I want …”と言って“Want?”と逆に凄まれてしまった小娘が、妻になり、子も持った、大人の女性を過不足なく演じている。

単なるコメディで終わることなく、『 オーシャンズ11 』や『ジーサンズ はじめての強盗 』的な手に汗握る泥棒シーンもあり、『 ショーシャンクの空に 』のような勧善懲悪物語的な一面もあり、『エリン・ブロコビッチ 』的なフィニッシュを飾る。普通に良い話である。

ネガティブ・サイド

余りにもトントン拍子に泥棒稼業が成功していくのはどうだろうか。コメディ映画に突っ込んでも詮無いことだが、そこがどうしても気になってしまった。特に子どもがいる設定は大胆に改変しても良かったのでは?

後は笑いたくても笑えないパートがいくつかある。ディックが移民局に取り締まられるパートも、誰がディックの財布を拾ったのかを明らかにしないのなら、不要だろう。単にディックがボコられて、顔が変形して、喋りも変になりました、というだけでは笑えないし、そんな方法を取らなくても、ディックの落ち目っぷりは描写できるはずだ。またジェーンも化粧品モニターで顔面に発疹ができてしまう展開もいらない。ヨガのインストラクターを辞めてしまったことで、脂肪をたくわえてしまった、という方がまだ説得力がある。ティア・レオーニは体作りに苦労するだろうが。

本作の弱点は、ジム・キャリーがあまりジム・キャリーっぽくないところである。水鉄砲を取り出そうとして取り出せないのは、面白いことは面白いが、我々がジム・キャリーに求めるのは、気持ち悪い面白さなのである。単純にコメディをやっているから面白いというのなら、ジム・キャリーである必要はどこにも無いのである。

総評

まさに手持ち無沙汰の雨の日DVDである。そうそう、TVドラマの『リゾーリ & アイルズ 』好きなら、本作には笑ってしまうかもしれない。アンジー・ハーモンがレオーニに向かって“Hey, Jane!”と呼びかけるシーンがあるのである。ジェーンはあなたでしょ!と突っ込んでしまうこと請け合いである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, コメディ, ジム・キャリー, 監督:ディーン・パリソット, 配給会社:ソニー・ピクチャーズLeave a Comment on 『 ディック&ジェーン 復讐は最高! 』 -アメリカ版鼠小僧物語-

『 荒野の用心棒 』 -マカロニ・ウェスタンの記念碑的作品-

Posted on 2019年3月23日2020年1月9日 by cool-jupiter

荒野の用心棒 75点
2019年3月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド
監督:セルジオ・レオーネ

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言わずと知れた黒澤明監督の『 用心棒 』のリメイクである。無許可での制作だったというが、そういう時代だったのだ。日本漫画界の巨匠、手塚治虫の『 ジャングル大帝 』もディズニーの『 ライオンキング 』に無断で換骨奪胎される時代だったのだ。

あらすじ

ニュー・メキシコの集落にある男がやって来た。その男はジョー(クリント・イーストウッド)。集落はロホス兄弟とバクスターの二つの勢力によって二分されていたが、ジョーは早撃ちであっという間にバクスターの手下たちを撃ち殺し、ロホス兄弟に与するのだが・・・

ポジティブ・サイド

エンニオ・モリコーネの音楽。これだけで荒野の光景がこの目に浮かぶ。彼の音楽では『 続・夕陽のガンマン 』の“The Good, The Bad and The Ugly”が最も有名なのは間違いないだろうが、恐らく“さすらいの口笛”もサントラとしての完成度では負けていない。音楽だけで物語を紡ぎ出せる、ビジュアル・ストーリーテリングならぬオーディオ・ストーリー・テリングである。これほどのインパクトある映画音楽はニーノ・ロータの音楽で彩られる『 ロミオとジュリエット 』、そしてビル・コンティの“Going The Distance”、“Gonna Fly Now”、そして“The Final Bell”で十全に語り尽される『 ロッキー 』ぐらいであろうか。『 炎のランナー 』の“Vangelis”も加えても良いかもしれない。

役者に目を移せば、クリント・イーストウッド! 馬に乗り、荒野を巡り、ポンチョを羽織り、帽子を目深にかぶり、常に煙草をくゆらせる孤高のガンマン。架空のキャラクターにこれほどの血肉を与えた例を他に知らない。強いて挙げるなら、『 帝都物語 』の魔人・加藤保憲を具現化した嶋田久作と、ハリソン・フォード演じる『 スター・ウォーズ 』のハン・ソロぐらいだろうか。

本作が後世の映画に与えた影響の巨大さについてはどれほどの文字数を費やしても足りることは無い。冒頭でジョーが訪れる酒場がCantina=カンティーナなのである。つまり、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』でベン・ケノービとルーク・スカイウォーカーがハン・ソロとチューバッカと出会う場所なのである。そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 』のマーティとビフの決闘。その元ネタがここにある。そして、撃たれた男が二階(というか、高いところ)から転落するクリシェ。この元ネタもここにあるのだ。

『 用心棒 』も大昔、親父と一緒にVHSで観た記憶がある。そちらもいつかレビューしたい。

ネガティブ・サイド 

細部にリアリティを欠く面をどう評価するかは難しい。それでも、ジョーの早撃ちシーンの銃の焦点が微妙に合っていないところや、しこたま痛めつけられたジョーが何とか脱出し、建物の入り口に火をつけるところが、ガソリンでも事前に撒いていたのかというぐらい派手に炎上するのは、やはりリアリズムに欠けるとして減点せねばならない。

また、墓場でのロホス陣営とバクスター陣営の撃ち合いも、いくらなんでも不自然というか、おかしいということに気がつかなければ、それこそおかしい。

後は川べりの騎兵隊を機関銃で全滅させるシーンで、馬がほとんど倒れない。騎乗している役者が、自分が倒れる時に、上手に馬にも倒れてもらうようにすべきだった。そうしてこそ、機関銃の圧倒的な威力と迫力に説得力が生まれたのが。

総評

今の目で見れば、お約束的な展開や腑に落ちない展開のオンパレードである。しかし、それは次代を超えて受け継がれる普遍性とクリシェ、そして時間と共に風化せざるを得ないように分けて考える必要がある。前者の面で評価すれば、本作は間違いなく映画史に刻まれる一本である。クリント・イーストウッドの伝説はここから始まったのだ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, B Rank, イタリア, クリント・イーストウッド, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:東和Leave a Comment on 『 荒野の用心棒 』 -マカロニ・ウェスタンの記念碑的作品-

『 運び屋 』 -実話を脚色した異色のロードムービー-

Posted on 2019年3月23日2020年3月20日 by cool-jupiter

運び屋 75点
2019年3月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー
監督:クリント・イーストウッド

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イチローも引退を決めたようだ。生涯一捕手と今でもサインに書き添えるらしい野村克也の如く、生涯一野球選手を貫いて欲しかったが・・・ そして、ここに生涯一映画人を貫くクリント・イーストウッドがいる。本作の原題は”The Mule”、ラバ、頑固者、麻薬の運び屋などの意味がある。邦題は「 運び屋 」の意を選び取ったようだが、Jovianはクリント・イーストウッドとmuleという言葉の組み合わせに、中学生ぐらいの頃だったか、親父と一緒にVHSで観た『 荒野の用心棒 』を思い浮かべてしまう。果たして本作のイーストウッドは愚直なラバなのか、それとも一筋縄ではいかない凄腕の仕事人なのか。

あらすじ

家庭そっちのけで園芸業に精を出すアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、いつしか事業に失敗し、自宅も差し押さえられてしまった。孫娘の婚約を祝うために訪れた先で、ふとしたことから車を運転するだけで大金が稼げる仕事を紹介される。しかし、それはメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」=muleとなる仕事だった・・・

ポジティブ・サイド

麻薬の運び屋と聞けば、どうしてもダークなイメージを抱く。事実、現米大統領のトランプはメキシコとの間に巨大な壁を建てる構想をまだ諦めてはいないようだ。コロンビアからの麻薬流入に関しては『 エクスペンダブルズ 』が、メキシコからの麻薬の流入に関しては『 ボーダーライン 』と『 ボーダーライン ソルジャーズ・デイ 』で描かれていた。日本でも清原和博、ごく最近ではピエール瀧も薬物使用で御用となっている。麻薬は、種類と使い方に依るようだが、癌性疼痛で「殺してくれ!」と叫ぶほどの苦痛に苛まれる人に適切に投与すると、スタスタと自分の足で歩いて「あ、看護師さん、ちょっとおしっこ行ってきます」と言えるほどなるというのが、知人の看護師さんや医師らから聞く麻薬の使い方である。となれば普通の人間が麻薬を摂取すれば、バカボンのパパとは異なる方向でタリラリラ~ンになってしまうのは理の当然である。そのような麻薬を運ぶ仕事を請け負う爺さんを、何故か応援したくなってしまう。その絶妙な仕掛けとは何か。

アールはまず、単なる枯れた爺さんなどでは決してない。ベトナム戦争にも赴いた古強者で、度胸があり、機転が利き、ユーモアを解する心もあり、社交性も高く、そして適度に外の世界に敵というか、憎まれ口を叩き合うような友人にも恵まれている。ただし、そこに幸せな家族の姿は無い。娘の結婚式よりも仕事を優先させ、妻との記念日も顧みることは無い。そんなアールが仕事を失い、カネも失い、住む家も失った時に手に入れた仕事が運び屋だった。アールはそこで得たカネで人生を一つ一つ取り戻していく。カルテルの手先のチンピラに時には説教をし、時には世俗の歓楽を共に享受する。黒人家族にniggaと爽やかに言い放つ。相手によって態度を変えることなく、自然体を貫く。その姿に観る者は憧憬と尊敬の念を抱く。泰然自若。事において動ぜず、淡々と、しかし楽しみながら仕事に打ち込む姿は、男のあるべき姿ではないだろうか。クリント・イーストウッドの俳優人生の集大成がここにあるとの宣伝文句は誇大広告ではなかった。

そんなアールを追い詰めんとするDEAの捜査官には、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、そして新鋭と言っても良いマイケル・ペーニャ。特にブラッドリー演じる捜査官とイーストウッド演じる運び屋の仕事と人生が交錯する時、我々は人生における仕事の意義を思わず自らに問いかけてしまう。自分は、彼らのうちのどちら側の人間なのだ、と。何気ない日常のワンシーンが非常にサスペンスフルに仕上がっている。映画の世界に没入しながら、冷静に自分というものを考えるという得難い経験をすることができた。

本作はお仕事ムービーであると同時に、ロードトリップを堪能する映画でもある。アールの仕事と共に、数々の往年の名曲が作品世界を彩る。John Denverの“Take Me Home, Country Roads”のように、眼前に雄大な自然、wildernessが浮かび上がるかのような感覚がもたらされる。これは『 グリーンブック 』からも得られた感覚だが、本作はそれが更に顕著である。『 荒野の用心棒 』や『 続・夕陽のガンマン 』といった、若かりし頃のイーストウッドが無窮のアメリカの大地を旅する光景が蘇ってくる(と言っても、決してリアルタイムでそれらを観たわけではないが)。何度でも言うが、これは正にイーストウッドの集大成だ。

ネガティブ・サイド 

終盤のアールと妻の交わす会話に、不意に涙がこぼれた。アールは稼いだ金で人生を取り戻していったわけだが、妻の心を完全に取り戻せてはいなかったからである。これは事実なのだろうか。もしそうなら、仕方がない。しかし劇作上の脚色あるいは創作であるのなら、こんな残酷な話は無い。一部の映画ファンは間違いなくアールの姿に自身を重ね合わせる。アールの生き方に共鳴する。その結果がこれでは・・・ 自分がこれほどショックを受けているということそれ自体が、脚本家からすれば「してやったり」なのかもしれないが・・・

エンディングのショットも個人的には納得がいかない。アールがlate bloomerだったという比喩には受け取りたくない。

そのエンディングにおいて、この物語のインスピレーションの源泉となった事件および人物を、ほんの少しで良いので掘り下げる絵が欲しかった。『 ボヘミアン・ラプソディ 』のように、ピークのその後をほんの少しで良いので描写してほしかったものである。

総評

これは傑作である。クリント・イーストウッドファンのみならず、コアであろうがライトであろうが、あらゆる層の映画ファンに観てもらいたいと思う。特に壮年以降のサラリーマンには刺さるだろうと思われる。もし本作で運び屋家業に興味を持たれた方がいれば、水沢秋生著の『 運び屋 一之瀬英二の事件簿 』をお勧めしたい。仕事とは何かについての考察を深めたいなら、『 きばいやんせ!私 』よりも、こちらの小説の方が面白いし役立つだろう。何より水沢秋生氏はJovianと同郷にして、大学の寮の先輩なのである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, クリント・イーストウッド, サスペンス, ヒューマンドラマ, ブラッドリー・クーパー, 監督:クリント・イーストウッド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 運び屋 』 -実話を脚色した異色のロードムービー-

『 きばいやんせ!私 』 -主題にもっとフォーカスを-

Posted on 2019年3月21日2020年1月9日 by cool-jupiter

きばいやんせ!私 50点
2019年3月17日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:夏帆
監督:武正晴

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『 百円の恋 』は、ボクシングシーンにいくつかケチをつけたくなったが、それ以外の面では文句なしに名作であった。その武正晴監督の作品で、舞台挨拶もあるというからには出陣せねばなるまい、とチケットを購入。しかし、作品の完成度はこちらが期待したほど高くはなかった。

あらすじ

アナウンサーの児島貴子(夏帆)は、自身の不倫騒動のせいで華やかな表舞台ではなく、裏番組で細々と活動することを余儀なくされていた。しかし、プロデューサーから日本全国の奇祭特集を成功させれば、花形番組への復帰の道も開けてくるとの言葉に、嫌々ながらも小学生の頃に一年だけ過ごした鹿児島に飛び、かつての同級生らを通じて祭りの取材をしていくが・・・

ポジティブ・サイド

まず何よりも、俳優陣が披露してくれた見事な鹿児島弁に最大限の敬意を表したい。Jovianは鹿児島に行ったことがなく、鹿児島出身の同級生は大学にいたものの、鹿児島弁は喋らないというポリシーの持ち主だったので、鹿児島弁なるものをまるで知らない。反対に関西弁は良く分かる。関西弁ネイティブなのだから当たり前だ。その関西弁も、播州弁や神戸弁、大阪弁、河内弁や泉州弁、京都弁などは微妙に異なるので、おそらく鹿児島県民の話すネイティブ鹿児島弁にも微妙な違いがあるに違いない。それでも本作で役者陣が話す鹿児島弁が堂に入ったものであることは直感的に分かる。その素晴らしさ、迫真さは称賛に値する。舞台挨拶で監督や役場職員の田村正和を演じた坂田聡氏が語っていたが、仕事でなければこんなことはしない。それは太賀や岡山天音にしても同じで、仕事でなければあんな神輿を担いだり、幟を立てたりなどはしない。

本作は監督自身が語る通り、「仕事とは何か」を追求する作品である。それを語り合う印象的なシーンが二つある。一つは貴子と不倫相手との会話。もう一つは貴子と幼馴染の太郎(太賀)の会話である。前者で仕事とは他人の期待に応えること。後者では仕事とは好き嫌いではなく一生懸命さの度合いで決まるということが貴子に諭される。上映後の舞台挨拶で武正監督は、「 この作品を見て、若い人たちが色々と考えてくれると嬉しい。多くの人がこの作品を愛してくれると嬉しい 」と語っていた。説教臭い話ではあるが、そうしたメッセージは確かに作品から伝わってきた。そこは評価しなければならないと思う。

ネガティブ・サイド

本作の最大の弱点は、フォーカスがどこに当たっているのかが初見ではよく分からないことである。というよりも、たいていの映画は一期一会だ。映画を見て、すぐさまそれを見返す、何度も劇場に足を運ぶ、DVDやBlu Rayを買うという人はそれほど多くないだろう。映画の完成度は、初見でどれほどの、あるいはどんな種類の印象を残せるかで決まると言ってもいいだろう。無論、中には例外的な映画もある。何度も何度も見ることで、やっと解釈できるような作品もある。『 2001年宇宙の旅 』は3回、『 ブレードランナー 』は4回鑑賞して、Jovianはようやく自分なりに納得できた。しかし、このように何度も観たくなる、観ねばならないと思わせる映画は例外なのだ。

【 「クソ女」のまんまじゃ終われない 】と言うなら、貴子がクソ女から脱却する流れを丁寧に描写するべきなのだが、祭りと神輿運びに余りにもフォーカスが行き過ぎていた。軽いネタばれになってしまうが、貴子が女人禁制であるはずの祭りに堂々と参加し、神輿を担いでしまうシーンに対して、伊吹吾郎演じる地元のボスキャラが不覚にも心動かされてしまうような描写がなくては説得力が生まれない。彼らが頑なに守ろうとしてきた伝統の形式は、実は金科玉条視されるべきものではなく、それによって自分たちがゲマインシャフトを創出し、維持してきたのだということを確認するためのものであったことを知るからだ。自分が必死になって行っているものではなく、昔から続いているから続けている。誠に日本的な仕事観であるが、それを覆されたと御崎祭りの担い手が感じること。それこそが貴子の成長であり、変身ではないのか。監督自身が舞台挨拶で語っていたのが、撮影当日に雨が降り始め、足場は悪くなり、とにかく事故や怪我が心配になったということ。期せずしてドラマチックな絵が撮れたわけだが、その棚ぼた的な絵をあまりに前面に押し出しすぎたせいで、物語が貴子の成長物語なのか御崎祭り特集による町興しなのか、その焦点がぼやけてしまった。もうもうと煙を吹く桜島をほとんど映さない画作りから、「なるほど、焦点は土地ではなく人なのだな」と受け取ったのだが・・・

もう一つ、現実世界を舞台にして、実在の有名人の名前をポンポン使うのなら、Googleもほぼそのまま使ってもよいのでは?gggleというネーミングセンスはいかがなものかと思う。

総評

役者陣は皆、素晴らしい仕事をした。弱点は監督と編集、そして音楽だろうか。「仕事とは何か」というテーマと、劇中の事件のドラマティックさのバランスでは『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』の方が遥かに面白い。興味のある向きは、ぜひ鑑賞されたい。

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写真を取るマスコミをパシャリ

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 夏帆, 日本, 監督:武正晴, 配給会社:アイエス・フィールドLeave a Comment on 『 きばいやんせ!私 』 -主題にもっとフォーカスを-

『 思い出のマーニー 』 -少女が生きる一睡の夢-

Posted on 2019年3月21日2020年1月9日 by cool-jupiter

思い出のマーニー 75点
2019年3月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高月彩良 有村架純
監督:米林宏昌

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原作は英国児童文学の“When Marnie was there”、本作の英語翻訳も同名タイトルでアメリカ公開された。スタジオジブリ製作の実質的な最終作品ということで、これを観てしまうと何かが終ってしまう気がしていた。しかし、いつまでも避け続けるわけにもいかず、DVDにて鑑賞と相成った。

あらすじ

喘息持ちで周囲と打ち解けられない杏奈は、転地療養のため田舎の海辺の村の親戚の元へ旅立つ。そこでも同世代とは友達になれない杏奈は、村はずれの古い屋敷で、マーニーと出会う。二人は徐々に打ち解け、無二の親友になっていくが・・・

ポジティブ・サイド

12歳という思春期の少女と世界の関わりを描くのは難しい。異性または同性への憧憬、肉体および心理や精神面の変化、社会的役割の変化と増大。別に少女に限らず、少年もこの時期に劇的な変化を経験する。ただ、ドラマチックさでは少女の方が題材にしやすい。本作は児童文学を原作するためか、主人公の杏奈(有村架純)と外的世界の関わり、および彼女の肉体的な変化についてはほとんど描写しない。その代わり、非常に暗い内面世界に差し込む一条の光、マーニー(高月彩良)との不思議な交流を主に描写していく。これは賢明な判断であった。

『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』で鮮烈に描かれたように、外界との交わりを絶ってしまった少女の物語は誠に痛々しい。そこに蜘蛛の糸が垂らされれば、カンダタならずとも掴んでしまうであろう。そこで杏奈は、マーニーの幼馴染である男性の影に怯え、嫉妬し、慷慨し、悲しむ。ところがクライマックスでは。こうした杏奈のネガティブな感情の全てがポジティブなものへと転化してしまう。これは見事な仕掛けである。同じような構成を持つ作品として『 バーバラと心の巨人 』を挙げたい。少女の抱える心の闇を追究した作品としては、本作に負けず劣らずである。

杏奈とマーニーが秘めた心の内を明かし合うシーンは切々と、しかし力強く観る者の胸を打つ。自らの心の在り様をさらけ出すことは大人でも難しい。愛されていないのではないかと思い悩むのは、愛されたいという強烈な欲求の裏返しなのだ。マーニーとの一夏のアバンチュールを経て、確かに変わり始めた杏奈の姿に、ほんの少しの奇跡の余韻が漂う。我知らず涙が頬を伝った。

ネガティブ・サイド

少年少女が抱く後ろ向きな想いというのは、その瞬間にしか共有できない、あるいは同じような、似たような経験をした者にしか共有できないものではある。であるならば、杏奈の小母さんが伝えるべきは、銭勘定ではなく真っ直ぐな愛情であるべきだ。もちろん子育て綺麗ごとではなく、カネがかかってナンボの人生の一大事業である。であるならば、そのことに後ろめたさを感じる必要はない。子どもの生きる世界と大人の生きる世界は違う。しかし、愛情という一点は絶対的に共有できる価値観なのだ、というテーゼを提示しているのが本作ではないのか。ここが作品全体の通奏低音に対してノイズになっているように感じられてしまった。

また、マーニーが金髪碧眼であるのは遺伝的にどうなのだろうか。児童文学やアニメだからといって、現実世界のルールを捻じ曲げてよいわけではないだろう。まあ、たまに遺伝子のいたずらで、劣勢遺伝が発現することもあるようだが、ここがどうにも気になった。杏奈が転地療養先のとある同世代女子とどうしても打ち解けられない点として機能していた、見ることも出来ないわけではないが、釈然としない設定であった。

ジブリ作品全体を通して言えることだが、やはり俳優と声優は別物だ。北野武の『 アウトレイジ 』シリーズが分かりやすい。周り全てが役者で一人だけ素人が混じっていると、恐ろしく浮いてしまう。本作の声優陣はそこまで酷評はしないが、やはりかしこに小さな違和感を覚えてしまった。まあ、ジブリにそれを言っても詮無いことなのだが。

総評

良作である。ジブリ作品の最高峰というわけではないが、標準以上の面白さもメッセージ性も備えている。10代の少年少女向けというよりも、むしろ内向きな青春を過ごした大人のカウンセリング的な作品としての方が、高く評価できるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 監督:米林宏昌, 配給会社:東宝, 高月彩良Leave a Comment on 『 思い出のマーニー 』 -少女が生きる一睡の夢-

『 キャプテン・マーベル 』 -モンタージュ的スーパーヒーロー映画-

Posted on 2019年3月21日2020年1月9日 by cool-jupiter

キャプテン・マーベル 50点
2019年3月16日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ブリー・ラーソン サミュエル・L・ジャクソン ベン・メンデルソーン
監督:アンナ・ボーデン ライアン・フレック

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Marvel Cinematic Universeを締めくくるべき作品たるエンドゲームの直前にリリースされることには大きな意味があるはずだ。実際にそのように予感していたし、開始直後にはおそらく映画ファン全員が最敬礼せざるを得ないような映像が展開されていく。しかし、映画そのものとしてはどこか物足りなさも残った。

あらすじ

過去の記憶を思い出せないヴァース(ブリー・ラーソン)は地球ではない惑星ハラで訓練に明け暮れていた。超人工知能サプリーム・インテリジェンスにより任務を与えられたヴァースは、変身能力を持つ敵スクラルを追ううちに、地球にやって来てしまう。そこで出会ったニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)やフィル・コールソンらと共に、ヴァースは自らの真の姿に目覚めていく・・・

ポジティブ・サイド

『 アベンジャーズ 』世界だけではなく、『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー 』の世界とも密接につながっている。Marvel Cinematic Universeのファンならば、映画のそこかしこに様々なガジェットが仕込まれていることに思わずニヤリとさせられること請け合いである。現実世界とのリンクで言えば、ヴァースが地球に落ちてくるのは、今は亡きvideo rental store界の覇者、Blockbusterなのである。Netflixの出現によって僅か一年ほどで潰されてしまった悲劇の巨大チェーンで、日本ではTSUTAYAが全く同じような苦境にあると言える。最も古いヒーローでありながら、最も新しいヒーローなのでもあるということを象徴するようなシークエンスである。

閑話休題。本作で最もMCUファンが喜ぶのは、若きニック・フューリーよりも、エージェント・コー○ソ○なのではあるまいか。Jovianは近年では、トレーラーやパンフ、公式サイトなどはほとんど見ずに映画館に乗り込むことにしているので、彼の登場を示唆する情報もあったのかもしれないが、これは嬉しい不意打ちであった。

また、本作においてもデジタル・ディエイジング技術のポテンシャルが大いに発揮された。サミュエル・L・ジャクソンが若返った。『 パルプ・フィクション 』の頃よりも若い。これは凄い。この技術が更なるブレイクスルーを経れば、『 ブレードランナー2049 』のレイチェルをもっとリアルに、さらにもっと低予算で生み出せるのだろうか。映画の新たな可能性の地平を切り拓くこの技術の更なる革新に期待をしたい。

ネガティブ・サイド

本作の戦闘シーンはド迫力である。しかし、残念なことに、そこに真新しさは無かった。これは痛い。本作を見れば、『 ターミネーター 』、『 スーパーマン 』、『 X-MEN 』、『 バットマン 』、『 インディペンデンス・デイ 』、『 マトリックス 』、『 スター・ウォーズ 』、『 プレデター 』、『 ブレードランナー 』、『 ステルス 』、『 トップガン 』、『 メン・イン・ブラック 』などの構図やシーンをどうしても思い浮かべずにはいられない。いや、それだけなら『 アクアマン 』におけるアクションシーンも似たようなものである。だが、本作には漫画的な面白さ、つまりはコミカルさが非常に乏しい。『 アクアマン 』では、これまで世界の誰もやらなかった(少なくともJovianの知る限りでは)ビームを発射するサメという糞アイデアが実現されたし、タコが八本脚でドラムを叩きまくるという漫画そのものでしかないシーンも盛り込まれた。こうしったシーンには我々は笑うしかない。苦笑ではない。爆笑するのである。

しこうして、本作が担うべきコミカルさはどこにあったのか。何故こんなところで『 寄生獣 』を見せられねばならんのか。ギャグが合う合わないは普遍性ではなく、個人の個別性に依るものだが、これは面白くない。GoGのロケットにインスパイアされたのかもしれないが、もっとリアリティを出してほしい。

記憶喪失ものというのも、そろそろジャンルとして限界に近付いているのではなかろうか。『 トータル・リコール 』以来、我々は失われた記憶が戻った時、世界の意味が反転するという経験を厭というほど映画世界で体験してきた。ここにも、もっと別のアイデアや味付けが必要だったはずだ。『 アクアマン 』が「あいの子」という現代的、グローバル的な意味でのメッセージを持っていたのに対し、本作は普通に陳腐で凡庸なアクションヒーロー映画という枠をブチ壊すことはできなかった。『 アベンジャーズ/エンドゲーム 』への導入以上の意味が薄かった。それが悔やまれるところである。


もう一つ、ニック・フューリーの眼帯の謎も解き明かされるが、これも拍子抜けするような事情である。漫画『 ろくでなしBLUES 』の武藤のそれとほとんど同じである。まさかそんなものをパクったりはしていないだろうが、このやっつけ仕事ぶりには落胆させられた。 

総評

弱点も多いが、単なるアクション映画として見ればエンターテインメント大作にして一大スペクタクルである。MCUファンなら間違いなく観ねばならない。ただし、MCU映画のつなぎ目的な意味以上が見出しにくい映画でもある。コアな映画ファンは劇場に行くに当たっては、「ドンパチ派手派手アクション映画でも観に行くか」という割り切りが必要であろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, サミュエル・L・ジャクソン, ブリー・ラーソン, 監督:アンナ・ボーデン, 監督:ライアン・フレック, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 キャプテン・マーベル 』 -モンタージュ的スーパーヒーロー映画-

『 ビールストリートの恋人たち 』 -人間賛歌の要素が不足-

Posted on 2019年3月18日2020年1月10日 by cool-jupiter

ビールストリートの恋人たち 60点
2019年3月10日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キキ・レイン ステファン・ジェームス 
監督:バリー・ジェンキンス

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原題は“If Beale Street could talk”。『 私はあなたのニグロではない 』のJ・ボールドウィンの小説『 ビールストリートに口あらば 』の映画化である。1970年代の小説を2010年代に映画化する意味は何か。そこにアメリカ史を貫く恐るべき差別の構造と、それを乗り越えんとする確かな意志が存在することを示すためである。

あらすじ

ファニー(ステファン・ジェームス)とティッシュ(キキ・レイン)は、乗り越えるべき問題を抱えながらも幸せな恋人同士だった。しかし、ある時、ファニーが身に覚えのない罪で投獄されることに。彼の無実を証明すべく、ティッシュは奔走するが・・・

ポジティブ・サイド

恋愛とは本来とても美しいものである。だからこそ、詩になり歌になり物語になり映画になる。そして愛が最も美しく光り輝くのは、往々にして逆境においてである。それは『 ロミオとジュリエット 』において顕著なように、シェイクスピアの時代からの真理である。そして本作において描かれるファニーとティッシュの恋愛模様は、シネマティックな要素を極力排除し、それでいてドラマティックなものとして描かれる。物語序盤に描き出される、正式に恋人同士となる前の二人のちょっとした会話、食事、歩き方や目配せは、恋人未満特有の、それでいて恋人になることが約束されたかのような、非常に陳腐で、それでいてロマンティックな瞬間を生み出している。ファニーがティッシュを部屋に誘うシーンは、『 ロッキー 』で、ロッキーがエイドリアンを自室に誘うシーンとは異なる意味で、印象に残るシークエンスだった。ラブシーンも美しい。10~20代の若者の恋は得てして動物のように盛ってしまうものだが、本作はそんなアプローチは取らない。宝箱を大切に開けるかのようなファニーに、ティッシュも身を委ねる。女性というのは誘われたがっているものだ。しかし、そのタイミングと方法を間違ってはならない。そうした教訓まで教えてくれるのが本作である。

本作のもう一つの見どころは、ファニーとティッシュ、それぞれの家族同士の付き合いであろう。アメリカ社会におけるどうしようもない差別の構造と意識は、これまでに無数の映画が映し出してきた。しかし、本作の黒人家族同士の微妙な距離感での付き合い、そして衝突には息を飲むシーンがある。黒人は歴史的に白人に差別されてきた存在というだけではなく、黒人同士の間でも属性の押し付け合い、すなわち差別の構造が生まれてくることを描いているからだ。ティッシュの母親が自分の孫に投げかける呪詛の言葉に我々は衝撃を受ける。それが人間性を完全否定する言葉だからである。『 グリーンブック 』でも顕著だったが、同じ人種というだけでは人は分かりあえない。しかし、人と人とが分かり合い、触れあうためには、人の人たる面に接しなくてはならない。誰かの力になりたいと心から思うこと、可能であれば自分が相手になり変って苦しみを受け止めたいと願うこと。そうした心の在り方を本作は若い二人の恋人たちの姿を通して追求する。理不尽な差別の構造に心を痛め、無私の愛の形に涙する。それは陳腐ではあるが、それゆえに普遍性を感じさせる。

ネガティブ・サイド

若気の無分別と言ってしまえばそれまでなのだが、ファニーが自身の荒々しさをもう少しコントロールできる男であれば、そもそも冤罪騒ぎは起きなかったのではないか。もちろん、自分の女に無礼な態度ですり寄ってくる男がいれば、番の雄としては全力でそれを排除するものだ。しかし、お互い人間なのだから、まずは言葉を尽くせなかったのだろうか。

全体的なトーンも非常に暗く、またペースもかなり遅い。見どころとしての家族同士のパーティーとそこでの諍いは文句なしの緊張感をもたらしてくれる。だが、その他のパートはどうにも盛り上がりに欠ける。それは何よりも、ある意味でマルコムXな思想がその向こうに透けて見えるからだと感じられてならない。1960代から言われ始めた“Black is beautiful.”という思想は、“The other colors aren’t.”に容易に変化してしまう恐れを孕んでいる。もちろん、エド・スクライン演じる警察官は悪徳の権化そのものと思って間違いない。しかし、その男とバランスを取るべき不動産屋のインパクトが弱い。黒人賛歌は結構であるが、その一方に白人参賛歌なり女性賛歌なりアジア系やヒスパニックへの賛歌がないことには、結局のところ人間賛歌になりえない。この部分が『 グリーンブック 』がカバーできていたところで、『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』や本作がフォーカスしきれなかった部分である。『 クレイジー・リッチ! 』や『 search サーチ 』などが大ヒットしたように、アメリカという人種のるつぼ、多民族国家におけるアジア系やインド系のデモグラフィックは無視できない規模になっている。そうした現実世界とのバランスと映画世界のバランスに不均衡があることが本作の最大の弱点であるように思えてならない。

総評

本作は映画ファンよりも小説ファンや文学ファンを引き付けるのかもしれない。恋愛模様の美しさ、愛憎劇の激しさは派手さで表すよりも観る者の感覚や想像力に委ねさせる方が良い場合もある。人間を描くという点では弱いが、恋人たちを描くという点では標準以上の美しさを備えた作品と評することができる。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, キキ・レイン, ステファン・ジェームス, ヒューマンドラマ, 監督:バリー・ジェンキンス, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ビールストリートの恋人たち 』 -人間賛歌の要素が不足-

『 シンプル・フェイバー 』 -現代風サスペンスの模範的作品-

Posted on 2019年3月16日2020年1月10日 by cool-jupiter

シンプル・フェイバー 65点
大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:アナ・ケンドリック ブレイク・ライブリー ヘンリー・ゴールディン
監督:ポール・フェイグ

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『 ピッチ・パーフェクト 』シリーズのアナ・ケンドリック、『 ロスト・バケーション 』のブレイク・ライブリー、『 クレイジー・リッチ! 』のヘンリー・ゴールディングの共演となれば観ないという選択肢は無い。特にゴールディングは、Jovianが勝手に私淑しているHapa英会話のセニサック淳に似ているので、やはり勝手に応援しているアジア俳優なのである。

あらすじ

シングルマザーのステファニー(アナ・ケンドリック)はV-Logでママ友向けの動画を作成する傍ら、子育てにいそしんでいた。ひょんなことから、NYの大企業でフルタイムで働くエミリー(ブレイク・ライブリー)と知り合う。エミリーの夫、ショーン(ヘンリー・ゴールディング)は大学教授にして作家。対照的なステファニーとエミリーは親密になっていき、ステファニーはエミリーの子どもの世話役をすることも。しかし、ある日、ステファニーに子どもを預けたままのエミリーが姿を消して・・・

ポジティブ・サイド

ギリアン・フリン原作の『 ゴーン・ガール 』と非常によく似た構造を持っている。消えた女を追えば追うほどに新たな謎が見つかっていくというのは、ウィリアム・アイリッシュの古典的名作『 幻の女 』以来のクリシェである。タイムトラベル物、記憶喪失物と並んで、消えた女のミステリというのは出だしの面白さにおいてはハズレが少ないジャンルなのである。近年では『 ドラゴン・タトゥーの女 』や『 セブン・シスターズ 』などが標準以上の出来だと言える。そして本作はこれらよりも、サスペンスで僅かに、ユーモアで大きく、そしてミステリ部分で僅かに上回る。ただし『 ゴーン・ガール 』にはいずれの面でもやや及ばない。

本作の面白さは、まず第一にアナ・ケンドリックとブレイク・ライブリーの好対照ぶりにある。シングル・マザーにしてYouTuberのステファニー、そしてワーキング・マザーにしてNYの会社でタイトル持ちのエミリー。この二人がふとしたことから親密になり、秘密を明かし合い、お互いの子どもを預け合うようになるまでが実にテンポ良く描かれる。もちろん、そこまでの展開に伏線がてんこ盛りなので、しっかりと目を凝らして耳をすましておくように。

他に注目すべきところとして、エミリーの哲学というか生き方に、ステファニーが共感し、それを実践するシーンである。と同時に、ステファニー自身の過去の秘密が現在にも蘇ってくるのだ。What a femme fatale! 余り深く考え込んでしまうと背筋が寒くなるので、ステファニーの秘密の謎を探ろうとするのは、ほどほどにしておくべし。また、エミリーにはてっきり陳腐過ぎる直球のトリックが仕込まれているのかと思いきや、ちょっとした変化球であった。綾辻行人の『 殺人鬼 』のトリックかと見せかけて、飛浩隆の『 象られた力 』所収の短編『 デュオ 』に見られるトリックだった。

ブレイク・ライブリーのファッション、アナ・ケンドリックの美乳(ブラまでしか見えないが)、ヘンリー・ゴールディングのRPアクセントの英語にも注目しながら本作を堪能して欲しい。

ネガティブ・サイド

いくつかのサブ・プロットとエンディングに謎が残る。特に、ステファニーの過去の秘密の真相については、観る者を試す、あるいは意図的に混乱させようとしているかのようである。特に、中盤のステファニーの活躍を見るにつけ、彼女の過去の秘密の真相がどんどんとどす黒くなっていく。ここまでモヤモヤとした気分にさせるなら、いっそ真相を明かしてくれと思ってしまう。

また、エミリーの使うトリックでは、おそらく警察を欺けない。アメリカの警察の捜査力はドラマや映画から推し量るしかないが、このトリックで絶対に日本の警察は騙せない筈だし、アメリカの警察も騙せまい。その理由については中橋孝博先生の著作を読めば分かるかもしれないし、分からないかもしれない。人間の身元を確認する方法は一つだけではないということである。

総評

弱点はあるものの、適度なユーモアがある上質なサスペンスである。実績充分にして今後の活躍も期待できる2人の女優のガチンコ演技対決を見逃してはならない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, サスペンス, ブレイク・ライブリー, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 シンプル・フェイバー 』 -現代風サスペンスの模範的作品-

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