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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『NERVE ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』  ―雨の日の暇つぶしに最適な一本―

Posted on 2018年7月5日2020年2月13日 by cool-jupiter

NERVE ナーヴ 世界で一番危険なゲーム 50点

 2018年7月5日 WOWOW録画観賞
出演:エマ・ロバーツ デイブ・フランコ ジュリエット・ルイス エミリー・ミード マイルズ・ハイザー
監督:ヘンリー・ジュースト アリエル・シュルマン

アホなYouTuberが続々逮捕される時期があったが、この映画まさにそれを描いている。登場人物が次々にしょっ引かれるわけではないが、普通に法に抵触するようなことを平気でやってのける人間たちがこんなにいるものなのかと、エンターテインメントの世界でも現実世界でも慨嘆させられる。カネのためなのか注目のためなのか、人はアホな行動に出ることがある。それが無意識であれば「そういうこともたまにはあるわな」と思えるが、どこからどう見ても他者への対抗意識だったり、自意識過剰のこじらせ過ぎだったりするのだ。ワイドショーに出てくるような底浅い評論家の好きそうなタームを使えば「自己承認欲求」である。

本作のテーマもそれである。かといって、どうやってそれを満たすかではない。それを満たすのは簡単なことである。過激なことをして注目を浴びればよい。実際に、冒頭数分でシドニー(エミリー・リード)というチアリーダーがフットボールの試合で生尻を披露する。彼女はプレーヤーとしてプレーをしていたに過ぎない。それはNerveというゲームのウォッチャー(有料視聴者)によってdareされたものだったからだ。詳しくは Truth or Dare でググって欲しい。要するに、アングラサイトに有料でサインアップして、YouTuberのような連中にdareをする。そのdareをプレーヤーがコンプリートできれば、難易度に応じて賞金が支払われる。そんなゲームにひょんなことから参加を決意したのがヴィー・デルモニコ(エマ・ロバーツ)だった。ニューヨークのスタテン・アイランドから出たこともなく、兄を亡くした反動から娘をメインランドの美術大学に送り出せず、引き留めてしまう子離れできない母親(ジュリエット・ルイス)と暮らしていたが、好きな男に間接的にふられてしまったこと、その引き金になったのが自分を取り巻きのように扱っていたシドニーだったことから、一瞬やけくそになってしまう。そんな瞬間にNerveに登録して、見知らぬ男と5秒キスすることで100ドルが振り込まれてきた。そのキスの相手の男イアン(デイブ・フランコ)もたまたまNerveのプレーヤーで、ウォッチャーたちは二人の過激なプレーを要求するようになり、手軽に振り込まれてくるカネに目がくらんだ二人は、ゲームをプレーし続けるのだが・・・

的中するかどうかは別にして、結末を予測するのは容易い。Nerveのようなアンダーグラウンドのゲームが当局の目をかいくぐって存在し続けるのは不可解であるし、ウォッチャーから集めたカネをプレーヤーに瞬間的に分配するのはまだしも、物語が進むと、Nerveの管理者(と思しき者)がプレーヤーの銀行口座からカネを抜き取っていくのも描写される。こんな犯罪集団というか、実際に犯罪を強く教唆するようなリクエストがアングラネットゲームとはいえポンポン飛び出すような場所を、ネット先進国の一つアメリカ様が放置しておくとは思えない。だが、そこは巨大予算の映画ではないので無視しよう。深く考えると楽しめるものも楽しめない。しかしNerveというゲームのシステムそのものは非常にリアリスティックだ。野尻抱介の小説『南極点のピアピア動画』だったか、優れたネット動画コンテンツに対して「カネ払えない詐欺」のような描写があったと記憶している。確かにYouTubeのような動画共有サイトには、有料にできるのではないかと思うコンテンツも数多く存在する。まあ、そうした動画のクリエイターは広告でとんでもない額を稼いでいることがあるということが、昨今の春・夏のネトウヨBAN祭りなるムーブメントで満天下に示されたわけだが、それでも優良ゆえに有料化できそうなコンテンツはまだまだたくさん埋もれている。一部の本格的なYouTuberはペイトリオンに引っ越しつつあるようだが。

Back on track. おそらくほとんどの人は同じシチュエーションに置かれた時、ウォッチャーの方を選ぶだろう。なぜなら匿名のままでいられるからだ。しかし、その部分が深く抉られるとしたら?コンテンツを楽しみたいという欲求から傷害や人死にまで出る事態になった時に、自分はそこことをどう受け止めるのか。匿名であることから、自分のせいではないと開き直れるのか。ゲームをプレーするように促していただけだと自分を納得させられるのか。このあたりは本当に難しい。なぜなら Truth or Dare という実際に人々に親しまれているゲームのダークサイドを抽出して、ある意味で最も未成熟なネットユーザーたちがそれに晒された時、こうした事態が起こるのは容易に想像できる。動画の視聴者数や再生回数を競ってアホな行動に走り、お縄を頂戴する羽目に陥る愚か者たちを我々はすでにたくさん見てきているではないか。プロットそのものは陳腐というか破綻しているところもある。色々な意味で力になってくれるnerdの友達を主人公があっさり捨ててスリルを求めてNerveのプレーヤーとone night standに走ってしまうところなど、男に振られた反動にしても、酷過ぎるではないか。だが、そこには目をつぶらなければならない。繰り返すが、Nerveというゲームそのものは、『レディ・プレーヤー1』同様に、現実の延長線上にありそうな話だということで、ディテールさえ無視してしまえば存外に楽しめる、雨の日の暇つぶしにちょうど良い作品に仕上がっている。

主役を張ったエマ・ロバーツは高校生と言うには少し厳しいが、下着シーンも披露してくれるなど、文字通り体を張っていた。今後いくつか出演作をチェックしてみようと思う。また『ギルバート・グレイプ』のヒロインが今作の主人公の母親というのは、観終ってから映画.comを見ていて気がついた。どこかで見た顔だと登場シーンからずっと考えていたが、元気そうでなによりである。雨の日は映画観賞、雨の日こそ映画観賞である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, エマ・ロバーツ, 監督:アリエル・シュルマン, 監督:ヘンリー・ジュースト, 配給会社:プレシディオLeave a Comment on 『NERVE ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』  ―雨の日の暇つぶしに最適な一本―

『死の谷間』 ―孤独と交流の狭間に人間の本質を垣間見る―

Posted on 2018年7月3日2021年1月17日 by cool-jupiter

死の谷間 55点

2018年7月1日 シネ・リーブル梅田にて観賞
出演:マーゴット・ロビー キウェテル・イジョホー クリス・パイン
監督:クレイグ・ゾベル

原題は“Z for Zachariah”、ZはゼカリヤのZ、という意味である。映画ファン、特にヒューゴ・ウィービングもしくはナタリー・ポートマンのファンという方であれば、即座に『Vフォー・ヴェンデッタ』を思い浮かべることだろう。これもVは復讐(ヴェンデッタ)のV、という意味である。また古いSF小説ファンであれば、レイ・ブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』(R is for Rocket)や『スは宇宙(スペース)のス』(S is for SPACE)を思い起こすだろう。本作の原題の意味は、ZはゼカリヤのZ、である。ゼカリヤと聞いてゼカリヤ・シッチンの名前を挙げる人はかなりのオカルトマニアであろう。またゼカリヤと聞いて「ああ、聖書のゼカリヤ書ね」と分かる人はかなりの博識であろう。作中で一瞬だけではあるが、核戦争を生き延びた人類最後の女性と思われるアン(マーゴット・ロビー)が、”A for Adam”という本を手に取るシーンがある。AはアダムのA、ということだ。このアダムは言わずと知れたエデンの園のアダムである。ゼカリヤという名がここで暗示するのは、それが人類最後の男であるということだ。

そのようなPost-Apocalypticな世界において、人類最後の女として生き延びているのがアン・バーデン(マーゴット・ロビー)である。相棒にして愛犬のファロと共に、狩猟採集生活を送っている。非常に興味深いのは、アンは物語冒頭で対放射線の防護服を身にまとって、街の図書館らしきところから本を頂戴してくるところ。もちろん、食糧や日用品をあらかた失敬した後のことであろうと思われるが、これはサバイバルにおいて実に重要なことだ。貴志祐介の小説の『クリムゾンの迷宮』という佳作がある。シチュエーション・スリラーに分類されるであろう物語で、広大無辺の大地に突如取り残される男女複数名のサバイバル・ゲームを描く。その中で、主人公ペアはゲーム主催者から支給されるものの中から、食糧や武器ではなく、「情報」を選択する。これが決定的に重要な決断で、情報≒知識こそが、長い目で見たときに最も生存に資するリソースなのだということを示している。本作も同じく、アンの住む家には数多くの書籍があり、アン自身も農家で生まれ育ったことから、大自然の中で生き抜く知恵、そして孤独に耐えうる強い信仰を備えていた。一人と一匹の生活は、それなりに上手く回っていた。

そこに闖入者のジョン・ルーミス(キウェテル・イジョホー)がやって来る。科学者にして、黒人で、無神論者であり、酒に飲まれてしまうこともある。アンとは非常に対照的な属性の持ち主である。この二人が協力して、ガソリンを調達するシーンは、知恵が自然を克服する好個の一例である。人間の無力さは、力の欠如ではなく知識の不足から来ることを端的に証明している、非常に印象的な場面である。さらに一歩進んで、ジョンは核汚染されたエリアから来た水で構成される滝を使っての水力発電を思いつく。そのためには木材、それも数年から数十年単位で乾いた木が必要となる。それを調達するために、アンの心の拠り所であり父の遺産でもある教会を解体するか否かで、意見が分かれてしまう。将来ここにやってくる人間のためにも、食糧が保存できるように冷蔵庫などを稼働させなければならないというジョンと、別の人間など来ないと思うアン。信者と無神論者の穏やかな対立を描いた場面であると同時に、子を作るに際して能動の男と受動の女という対極的な姿をも描いた名シーンである。結論を急がずに暮らしを続ける二人の前に、しかし、ケイレブ(クリス・パイン)という若い炭鉱夫だという白人男性が現れる。物語はここから大きく動き始める。

とはいっても、アンを巡る男2人の仁義なき戦いというわけではなく、信仰の有無、肌の色の違いなど、この「死の谷間」を除いて荒廃してしまった世界で果たしてどれほどの意味を持つのか疑わしいことにも、人間は拘泥してしまうのだという、究極的な人間ドラマが描かれる。ケイレブ=Caleb=カレブである。聖書に描かれるカレブは神への信仰を生涯揺るがせにせず、荒涼としたエジプトの大地を脱出し、約束の地へたどり着いた男である。このことを知っていて映画を観る(あるいは原作小説を読む)のと、予備知識なしで観ることで、おそらく違う感想を抱くだろう。それは自分ならばどうするだろうかという主観的な見方と、この名前のキャラクターに込められた運命はこうであるという、運命論的な見方に二分されるのではなかろうか。もちろん、女性目線で分析することも大いに奨励されるべきであろうし、実際に理性と欲望の狭間でアン自身が翻弄されてしまうようなシーンもある。あらゆる場面で自分なりの解釈が可能であるし、創世記の如く、すでに誰もが知っている物語の再解釈と見ることもできる。スペクタクルには欠けるものの、思考実験として大いに知的好奇心をくすぐってくれる作品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アイスランド, アメリカ, キウェテル・イジョホー, クリス・パイン, スイス, スリラー, マーゴット・ロビー, 監督:クレイグ・ゾベル, 配給会社:ハークLeave a Comment on 『死の谷間』 ―孤独と交流の狭間に人間の本質を垣間見る―

『ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界』 ―人間関係の変質と本質を描く―

Posted on 2018年7月1日2020年1月10日 by cool-jupiter

ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界 55点

2018年6月28日 WOWOWシネマの録画を視聴
出演:ローズマリー・デウィット ジェニファー・ガーナー ディーン・ノリス アダム・サンドラー J・K・シモンズ アンセル・エルゴート ティモシー・シャラメ オリヴィア・クロシッチア
監督:ジェイソン・ライトマン

原題は”Men, Women & Children”。これをどう訳すのかは翻訳家や配給会社のセールス・プロモーション次第だが、ステイ・コネクテッドはアウト、つながりたい僕らの世界も・・・ぎりぎりアウトのように感じる。つながりたいという視点は、「自分たちはつながっていない。または、悪い意味でつながってしまっている」という、狭隘な、もしくは一段下からの視点になってしまいかねない。実際にそうした見方で凝り固まってしまった、醜悪とも言える人物も登場する。一方で、人間関係、コミュニケーションの本質において、時代の変化やテクノロジーの進化に関係なく、人間は他者とのつながりを求めてしまう生き物であるということも再確認させてくれる。だから、「つながりたい僕らの世界」という日本版の副題は“ぎりぎり”でアウトなのである。その理由は冒頭、唐突に登場するボイジャーにある。この超高速で今も太陽系の彼方のさらに向こう側へ飛び出しつつある探査機は、地球外生命へのメッセージが込められている。そう、人間は、どれだけ技術の進歩を見ても、やはり他者とのつながりをもとめずにはおれない存在なのだ、ということを非常に大袈裟な形でのっけから呈示してくる。原題も、大人の男、大人の女という、つながりを求めあうものの本質的な理解にはなかなか至れない存在同士を対比させ(その事実をコミカルにシリアスに描いたのが『 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 』)、さらにその対比存在として、子どもを挙げているではないか。互いが互いを必要としながら、ステイ・コネクテッドとあることができないのは、現代になって生じた問題ではなく、テクノロジーの進歩によって可視化された事柄であるに過ぎない。そのことを本作はしっかりと描いている。

登場するのは、女房に逃げられた中年ケント(ディーン・ノリス)とその反動でフットボールを辞め、MMORPGにハマってしまう男子ティム(アンセル・エルゴート)、さらにひょんなことからティムと良い仲になるブランディ(ケイトリン・ディーヴァー)、その母親にして娘のPC、携帯にキーロガーなどを仕込んで、メールやテキストのやりとりを監視、さらに削除、時になり済ましまで行うパトリシア(ジェニファー・ガーナー)、そのパトリシアの開くセッションでケントが知り合うことになる、娘の写真撮影を行いながらハリウッド進出のサポートを目論むジョアン(ジュディ・グリア)、その娘で高校ではチアリーダーを努めるハンナ(オリヴィア・クロシッチア)、そのハンナとひょんなことからセックスできそうになるが、ポルノサイトの見過ぎで生身の女子相手に不能になってしまっていたクリス(トラビス・トープ)、その父親で妻とはセックスレス、息子のPCでポルノサイトを閲覧し、果てはエスコートにまで手を出すドン(アダム・サンドラー)、その妻で「求められたい」という感覚を取り戻したいがために出会い系サイトに登録して不倫を楽しむヘレン(ローズマリー・デウィット)。その他にもハンナのチアメイトで上級生とひょんなことからセックスしてしまい妊娠させられてしまう拒食症気味のアリソン(エレナ・カンポーリス)、その父親のJ・K・シモンズ(役の名前は出てこなかった・・・?)、フットボールを辞めたティムを罵るばかりかブランディに物を投げてぶつけるという暴挙に出て、しこたま殴られるダニー(ティモシー・シャラメ)など、かなり豪華なキャスティングである。

このように人間関係は割と複雑だが、ストーリーそのものは凡庸である。どこかで観た話のパッチワークである。ただし、そこにコミュニケーションとディスコミュニケーションの対立を見出すかどうかが、この作品の評価の分かれ目になる。かつて小説家の栗本薫は『 コミュニケーション不全症候群 』でオタクを「人間を仲間と思わず、機械を仲間と思う人種」と定義した。スマホやPCを対話の相手と見なすのか、それともスマホやPCの向こう側に対話の相手を見出すのか。何やら梅田望夫が「ビル・ゲイツはコンピュータをパーソナルものにすることに大いなる可能性を見出した。セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジはパソコンの向こう側に広がる世界に大いなる可能性を見出した」と言う具合に、新旧のITの巨人を対比してみせた。なにやら本作のテーマにも通じる比喩である。時代と人間の変質と本質の関わりに興味を抱く向きは、観賞必須であると言えよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, アンセル・エルゴート, ジェニファー・ガーナー, ティモシー・シャラメ, ヒューマンドラマ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:パラマウント・ピクチャーズLeave a Comment on 『ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界』 ―人間関係の変質と本質を描く―

『わたしに××しなさい!』 -ポスターのようなシーンは無いから、スケベ視聴者は期待するな-

Posted on 2018年6月25日2020年2月13日 by cool-jupiter

わたしに××しなさい! 50点

2018年6月24日 梅田ブルク7にて観賞
出演:玉城ティナ 小関裕太 佐藤寛太 山田杏奈 金子大地 佐藤寛太
監督:山本透 

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*以下、ネタバレに類する記述あり

まず、こんなポスターを作った配給会社の担当者および責任者は記者会見を開いて謝れ。景品表示法違反の疑いがある。というのは冗談だが、別に過激ミッションでも何でもない。単なるこじらせウェブ小説家女子高生(雪菜=玉城ティナ)が、自身の作品に恋愛要素を織り交ぜていくために、自分でも恋愛的な体験をしていくことで、作品の質も上がるだけではなく、当初予想もしていなかった自分自身の変化に戸惑いを感じ初めて・・・という、そこだけ見ればよくある話。むしろ、このストーリーを支えるのは、疑似恋愛の相手役である生徒会長(北見時雨=小関裕太)や、ウェブ小説のライバルである氷雨(=金子大地)、雪菜の従兄弟の霜月晶(=佐藤寛太)、さらには時雨の幼馴染の水野マミ(=山田杏奈)や小説の編集者(=オラキオ)などだ。

主人公は『 暗黒女子 』で輝けそうで輝けなかった玉城ティナ(清水富美加に光をかき消されたという印象)。『 あさひなぐ 』の西野七瀬もそうだったが、メガネが似合う女子というのは、一昔前に比べて確実に増えているらしい。それでもこのメガネ女子は、冒頭のクレジットシーンで見事なキャットウォークを披露して、独立不羈で我儘、甘えたい時に甘えて、無視する時は無視しますよ、というキャラクターであることを観る者に予感させてくれる。そして、その期待は裏切られない。

ウェブ小説が好評を博している雪菜は、編集者や読者からの要望もあり、恋愛要素を作品に取り入れようとする。しかし、空想するばかりで実体験の無い自分にはそれはできそうにない。そうか、それなら疑似恋愛体験をして、それを自作に盛り込めばよい、と考える。ここで候補として従兄弟の昌が浮上してくるが、雪菜はあっさりと拒絶。その代わりに、ひょんなことからダークサイドを秘めていた北見時雨の弱みを握り、ミッションと称して、手を握らせたり、ハグさせたりして、その心象風景を小説に取り入れていく。それにより、ライバル作家の氷雨に一歩リードするものの、時雨の幼馴染には何かを感づかれ・・・

というように、どこかで見たり聞いたりしたようなプロットのモンタージュ作品である。それによってある意味、安心して観賞もできるが、興奮させられたり驚かされたりすることも少ない作品である。したがって、観る側の興味は畢竟、役者の演技や作品の演出に移行していく。

まずは主演の玉城ティナ。何度でも言うが、メガネが似合う。そして定番中の定番、女友達がいない。これは安心して見ていられる。女の友情は一定年齢以上の男には共感できないところが多い(理屈である程度の理解はできるのだが、長々と大画面で見せつけられるのは正直キツイ。『 図書館戦争 』での柴崎と笠原の関係ぐらいが清々しくていい)。特徴的なのは容姿だけではない。話し方もだ。当り前だが、活字と発話は異なる。漫画や一部のライトノベルなどでおなじみの手法として、特徴的な語彙を多用する、または語尾を特定の形に統一する、などがある。雪菜の喋りは、この文法に映画的に正しく則っており、メガネ以外のもう一つの特徴としてキャラ立ちに大きく貢献しており、彼女の役者としての力量を見た気がする。

相手役の古関は『 覆面系ノイズ 』では学ランがパツパツで、高校生役はちょっと無理では?という印象を受けたが、ブレザーなら充分に通用する。また終盤では素の顔と仮面の顔を一瞬で入れ替えるシーンがあるが、こんな演技力あったっけ?とも思わされた。どこか坂口健太郎を思わせるルックスもあって、同じぐらいの活躍を期待したい。

その他、三白眼が印象的な佐藤寛太、武田玲奈とキャラもろ被りに思える山田杏奈、普通に出版社もしくは証券会社あたりにいそうな会社員役のオラキオなど、若手を中心に今後に期待を持てるキャストが集まっていた。だからこそ、もっとユニークなテーマを追求してほしかったと思う。「誰かを傷つけたくない」というのは恋愛(に限らず人間関係全般)において、美しいお題目ではあるが、ただ臆病であることを誤魔化したいからこその台詞。そんなことは誰もが分かっている。それを乗り越えるのが青春の、醍醐味であり、ある意味では終わりでもある。実験的なテーマの作品に、ポテンシャルを秘めた若手キャストで挑むからには、監督にも何らかのチャレンジが求められるが、エンディングのあのバレット・タイムは何とかならなかったのだろうか。他にもっと印象的な絵作りはできなかったのか。監督と自分の波長が合わなかっただけなのだが、最後の最後の着地で少しミスってしまった作品、そんな感想を抱いた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 古関裕太, 日本, 玉城ティナ, 監督:山本透, 配給会社:ティ・ジョイLeave a Comment on 『わたしに××しなさい!』 -ポスターのようなシーンは無いから、スケベ視聴者は期待するな-

『図書館戦争 THE LAST MISSION』 -この恐るべき想像のパラレルワールドでいかに生きるか-

Posted on 2018年6月18日2020年2月13日 by cool-jupiter

図書館戦争 THE LAST MISSION 55点

2015年10月18日 大阪ステーションシネマおよびWOWOWにて観賞
出演:岡田准一 榮倉奈々 松坂桃李
監督:佐藤信介

*『図書館戦争』および本作に関するネタバレあり

 子どもたちのために有害図書を追放する。耳障りは確かに良い。だが、例えばごく最近の新幹線内での無差別殺傷事件の犯人が読んでいた本がハイデガーやドストエフスキーだったということに対して、識者からは特に何も聞こえてこない、少なくとも宮崎勤事件の時のような欺瞞と偏見に満ちたようなコメントは。

前作が追求したテーマが思想の対立であったとすれば、今作が追求するテーマは対立を解消するために思想を捨てられるか、ということだ。言い換えれば、命と信念、どちらをより大切に感じるのかということでもある。3秒以内にどちらかを選べ、と言われればたいていの人は「命」を選ぶのではないか。だが、ちょっと待て。人類の歴史、なかんずく戦争という視点から見れば、人間は命よりも大切なものをずいぶんとたくさん見出してきたようである。「命より大切なものがあるというのが戦争を始める口実で、命より大切なものは無いというのが戦争を終える口実」というのは誰の言葉だったか。けだし本質を突いた言葉であろう。本作で図書隊タスクフォースの面々は、本を読む自由、思想の自由、検閲に対抗するための力の存在の必要性のために勇敢に戦う。だが図書隊員の中には、命よりも尊い守るべき価値のあるものに対して疑念を抱くものがいた。そしてそれは元図書隊エリートにして現文科省職員、そして手塚(福士蒼汰)の兄(松坂桃李)の思惑によるもので、彼の次なる狙いの矛先は笠原(榮倉奈々)へと向かい・・・

相変わらず現実の日本社会と乖離した世界が物語世界では展開されている。しかし、笑えないのはその現実離れの度合いではなく、その現実離れが映し出す現実の残酷さ、冷酷さである。前作のフィナーレは、メディア良化委員会と図書隊の戦闘の様子が遂にメディアで大々的に報じられ、国民の関心が検閲を可能にしたメディア良化法に厳しく向けられる可能性を示唆するものだった。だが続編たる今作では、またも国民は図書隊の闘いに無関心であった。そしてそれは現実の日本に生きる我々にも当てはまってしまうことではないのか。国会で議論が尽くされていない自衛隊のイラク・サマワ派兵(派遣ではなく派兵と書くしかない)に関して、また南スーダン派兵に関しても現地で戦闘行為があったことは、もはや隠しようの無い事実である。そしてそのことがどうして斯くの如く長期に隠蔽されてきたのか。それは結局、国民が無関心だったからに他ならない。記者会見でアホのように泣き喚いた兵庫県西宮市の市議会議員が、政務活動費を不正にじゃんじゃん使いまくれたのはなぜか。そして彼以降、メディアや市民が目を光らさせたことで同様の問題が激減したのはなぜか(もちろんその過程で10人以上が辞職せざるを得なかった富山市議会のような自治体も出てきたが)。

大切だと思えることを必死で守ろうとする。それを実行に移せることこそが自由なのではないか。笠原が任務を全うしようと走るのは、自らの思想信条のためではなく、愛する堂上(岡田准一)のためであり、仲間のためであろう。思想と命、どちらを選ぶのが正解なのかではなく、どちらを選ぶにしろ、その選択が自由意思によって為されることが真に大切なのではないかと思う。哲学者のE・カントは自由を「先立つ一切の前提に囚われないこと」と定義した。与えられた選択肢以外を選ぶ者がいてもよいではないか。そうしたテーマ性を感じさせてくれた佳作である。

ひとつ不満に思えるのは、岡田准一と松坂桃李の対面シーン。「直接来い」という岡田の挑発に「兵隊は辞めました」という松坂。もちろんここで観る者は「ははーん、そんなことを言いながらも、最後はこの2人の一騎打ちか」と期待する。しかし、そんな展開は訪れなかった。残念至極である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アクション, ラブロマンス, 日本, 松坂桃李, 榮倉奈々, 監督:佐藤信介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『図書館戦争 THE LAST MISSION』 -この恐るべき想像のパラレルワールドでいかに生きるか-

『メイズ・ランナー 最期の迷宮』  -最後の迷宮は人の心の中に-

Posted on 2018年6月18日2020年1月10日 by cool-jupiter

メイズ・ランナー 最期の迷宮 50点

2018年6月17日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:ディラン・オブライエン カヤ・スコデラーリオ トーマス・ブロディ=サングスター キー・ホン・リー ウィル・ポールター
監督:ウェス・ボール

*一部ネタバレあり

第一作を60点、第二作を50点と考えるならば、今作にもこの点数を付けざるを得ない。まず、迷宮が出てこない。シティーを目指すのは分かるが、一部のポスターにあったような迷路に囲まれた巨大なタワーが立ち並ぶようなシティーではなく、普通に壁に囲われた、どちらかといえあ『進撃のタイタン』のような壁、そして街だ。もっとも、謎の超高層ビル群がそこには存在するのだが。

本作のような、いわゆるYAノベル(Young Adult Novels)を原作にしたヒット映画には他には『ハンガー・ゲーム』シリーズや『ダイバージェント』シリーズがあるが、いずれの作品にも共通するのが、「なぜこんなポスト・アポカリプティックな世界で、これだけ資源を浪費できるのか?」ということ。まあ、これは『マッドマックス』の頃から、決して尋ねてはならない問いなのかもしれないが。

原作のトーマスその他一部キャラが持っていたテレパシーという要素を取り除いたことで生まれたサスペンスもあれば、そのために付け加えられた余計なアクションもあった。特に最後のモブとWCKDの激突と戦闘のシーンは、「とりあえず爆発シーンを入れとくか」程度のやっつけ仕事にしか見えなかった。なぜあのタイミングでローレンスは突撃し、なぜシティーを奪還すると息巻いていた連中は、ビル群を灰燼に帰すまで破壊しつくしたのか。元々がYAノベルだけにあまり深く追及しても仕方がないのかもしれないが、映画のスペクタクルとは爆発や格闘シーンにあるのではなく、活字で表現されない/され得ない細部の描写にこそあるはずだ。まさかそれがラストシーンの Maze ならぬ Maize にあるわけではないと信じたいが・・・

1および2を観たファンであれば観賞して、この結末を見届けるべきなのだろう。そして自分なりにトーマスの目に宿る決意とその手に握りしめた血清の意味について納得がいくように解釈をしてほしい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SFアクション, アメリカ, ディラン・オブライエン, 監督:ウェス・ポール, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『メイズ・ランナー 最期の迷宮』  -最後の迷宮は人の心の中に-

サンキュー・スモーキング

Posted on 2018年6月6日2020年1月10日 by cool-jupiter

サンキュー・スモーキング 50点

2018年6月4日 レンタルDVDで鑑賞
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:アーロン・エッカート ウィリアム・H・メイシー J・K・シモンズ ロバート・デュバル

ロビイスト映画と言えばジェシカ・チャステイン主演の『 女神の見えざる手 』とケビン・スペイシー主演の『ロビイストの陰謀』が思い浮かぶが、本作はそれらのシリアスでダークなトーンの作品とは一線を画すコメディである。タイトルが全てを物語っている(ちなみに原題は ”Thank you for smoking”)。

タバコPR会社のスポークスマンのニック(アーロン・エッカート)は、得意の話術でタバコ規制論者や嫌煙家を文字通り煙に巻いていくのが仕事である。冒頭、過度の喫煙が原因と思われる年少のがん患者も出演するテレビの討論番組で「タバコ会社は顧客に長生きして、煙草を吸い続けてほしいと思っている。その方が儲かるからだ。一方で嫌煙・反煙団体はこの少年に死んでほしいと思っている。そうなれば、彼らの予算が上がるからだ。恥を知るがいい」と、いけしゃあしゃあと言ってのける。屁理屈であることは直感で理解できても、この理屈を正面から論破するのは難しい。何故なら真実を含んでいるからだ。一事が万事この調子で、ニックはすいすいと仕事をこなしていく。一人息子との議論でも、ロビイストらしい屁理屈を並べ立て、議論を煙に巻いていく。

しかし、あるところで事件が。その事件の詳細については、書くべきではないだろうし、書いてもあまり面白いものではない。陰惨な事件というわけでもなく、コメディタッチの事件であると言えるが、その一方でアメリカらしい、というかアメリカの嫌な面、決して真似をすべきではない面を反映する事件でもある。極端な実例を挙げれば、プロライフ(人工中絶を認めない、胎児の命こそ至高という考え方)とプロチョイス(人工中絶を認める、女性の選択権こそが至上という考え方)を巡る論争が、中絶を手掛けるクリニックの爆破事件という形でピークを迎えてしまったことがある。法治国家で言論や思想の自由が認められていても、それらの自由を極端な形で行使することには一定のリスクが付きまとうというのがアメリカ社会の恐ろしいところ。しかし、それだけ自らの信じる思想に忠実であるという意味では、日本にもほんの少しその芯の強さを分けてほしいと思わないでもない。

ニックの好敵手の上院議員を演じるウィリアム・H・メイシーはまさに名バイプレイヤーである。大杉蓮的なポジションをがっちりと掴んでいる。くれぐれも心臓発作などで急逝しないでほしい。映画の面白さは脇役や悪役で決まるものだから。

この映画のテーマは決して煙草の是非を問うものではない。また何故仕事をするのかというものでもない(劇中で「99%の人は住宅ローンを払うため」と繰り返される)。常識を疑い、自分の頭で考え、自分の決断を信じることが簡単に見えて実は難しいということをあっけらかんと語っているのだ。批判的思考(クリティカル・シンキング)のヒントを求める大学生や、子どもが大人の一歩手前にまで成長してきた親が何らかの示唆を求めて観てみると、意外に楽しめるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, J・K・シモンズ, アーロン・エッカート, アメリカ, ブラック・コメディ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on サンキュー・スモーキング

ランペイジ 巨獣大乱闘

Posted on 2018年6月5日2020年2月13日 by cool-jupiter

ランペイジ 巨獣大乱闘 45点

2018年6月3日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:ドウェイン・ジョンソン
監督:ブラッド・ペイトン

巨大化が止まらない、という触れ込みだったが、しっかり止まる。というか、生物が巨大化していく理由を冒頭に説明しようとしたことで、かなり無理がある話になってしまったように思う。観る前は「まさかこの巨大化の仕組みをキングコングに応用して、2020年のゴジラとの対決につなげるのか?」とも勘繰ったが、同じワーナー・ブラザーズ配給映画だけに期待していいのかもしれない。本編にそれをにおわせる描写は皆無だったけれど・・・

宇宙ステーションでの謎の実験結果が事故で地球に落ちてくる。その落下先の動物研究所では霊長類学者のドウェイン・ジョンソンがアルビノのゴリラと固い信頼関係を結んでいるのだが、ゴリラのジョージが謎の症状に苦しめられ、(どういうわけか)巨大化し始める。さらに巨大化したワニや狼も出現。その巨大化を研究していた企業のトップたちは巨獣たちを怪獣を(どういうわけか)シカゴにおびき寄せる。

この映画を楽しむ上で必要なのは、(どういうわけか)の部分に納得できるかどうかではなく、(どういうわけか)の部分を華麗に無視できるかどうかではなかろうか。細かい点に突っ込めば、シカゴから怪音波を発して、それで巨獣たちをおびき寄せるのだが、なぜそんな音波が存在するのか、またシカゴから音波を発した瞬間にワイオミング州の狼が反応したりするのはいかなるメカニズムによってなのか。音波は秒速約300メートルなので、1000キロメートル以上離れていれば1時間はかかるはずなのに、瞬時に反応していたように見えたのは何故なのか。最強対地攻撃機A-10の30ミリ砲ですらびくともしない生物などゴジラ以外に存在してもよいのか。とにかくツッコミどころを探し始めるときりが無くなる。

というわけで、細かい設定やその他もろもろはこの際、頭から追い出そう。このような単純明快なストーリーを楽しむためには、それが一番だ。大乱闘ではゴリラはさすがに霊長類、ワニはやはり爬虫類という、頭の良さの違いが分かるのも良かった。単なるCG大迫力バトルを楽しむためにも、最低限のマナーや見せ方は必要だ。このあたりのルールが保たれていたのは重畳であった。

こうした、ある意味で突き抜けたお馬鹿映画を楽しむためには、頭を空っぽにするか、よほどストレスを吐き出したい、スカッとした気分になりたい向きでないと難しいだろう。観る人、および観るタイミングを選ぶ映画であると言える。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ドウェイン・ジョンソン, 監督:ブラッド・ペイトン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on ランペイジ 巨獣大乱闘

トリガール!

Posted on 2018年5月31日2020年1月10日 by cool-jupiter

トリガール! 50点

2018年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
主演:土屋太鳳 間宮祥太朗
監督:英勉

英監督については、貞子シリーズと『ヒロイン失格』が駄作、『あさひなぐ』は佳作、その他は未見ということで、さほど期待せずに本作を借りてきた。結果は可もなく不可もなくといったところ。メリットとデメリットの両方を感じさせる作品であった。

メリットに関しては、土屋太鳳の少し異なる面が引き出されていたということ。これまではやたらとブリっ子役ばかりをあてがわれていたが、やっと毒のあるキャラも演じられるようになってきた。一浪して工業大学に入学してきた鳥山ゆきな(土屋太鳳)がひょんなことから人力飛行サークルに入会するところから始まる。大学行きのバスでいきなりメガネ男子に四方を囲まれてパニックになるシーンが、これから登場するパートナーを見事に予感させるコントラストになっている。そう、メガネをかけて出てくる奴は恋愛対象外ですよ、とのっけから教えてくれているわけだ。なんという分かりやすさ。オタクが恋愛対象外なのではなくメガネが恋愛対象外なのだ。そそっかしい人は混乱するか憤慨してしまうかもしれないが。

そのお相手は間宮祥太朗演じる坂場大志。非常に分かりやすい。なぜならメガネをかけていないけれど、オタク趣味全開だからだ。涼宮ハルヒとクローズが好きとか、もはや観る者を笑わせにかかってきているとしか思えない。そんな間宮も、桐谷健太とかぶる演技を見せつつも、演技力では桐谷よりも上であることを立派に証明している。元々『ライチ☆光クラブ』から『帝一の國』に至るまでエキセントリックな役でこそ輝くタイプ。今回もハマり役であったと評価できる。だが、それはあくまで演技者としてであって、登場人物としてではない。

本作のデメリットは明白で、ストーリー展開のペースが滅茶苦茶であること、そして人力飛行サークルの努力や醍醐味が充分に掘り下げられた形で描かれていないことだ。中盤のミーティング風景や材料の組み立て過程などをもう少し深めることができていれば、単に鳥人間コンテストを目指すサークルを舞台にした物語からもう一段上のリアリズムを得られただろうに。それを欠いてしまったが故に坂場が前年の失敗からあと一歩を踏み出せなくなってしまった場面に深みが生まれてこないのだ。観る者は皆、「ああ、こいつは見た目とは裏腹にオタク趣味をこじらせた不器用な奴だからこそ、仲間が苦労して作り上げてくれた飛行機を琵琶湖の藻屑にしてしまった罪悪感に苛まされているんだな」と思いたいのに、単に足がつかないくらい深い水場が怖いのだと言うのだ。いや、百歩譲ってそれが本当の理由だとしても、その恐怖を克服するために仲間が飛行機作りに費やした涙と苦労に思いを馳せて・・・というシーンが一瞬でもあれば納得できるのだ。

本作は土屋太鳳の新たな一面と間宮祥太朗の安定した演技に寄りかかり過ぎて、物語に深みを与えることに失敗した、あるいはそのことを放棄した。英監督の手腕の限界とも言えよう。しかし、この二人以外にも魅力的な俳優が結構あれこれ出演しているし、ナダル演じるペラ夫は漫画の『 げんしけん 』の部長的なポジションながら、精神的になかなか大学生を卒業できないヤングアダルトを上手く表現できていた。観て満足できるかと問われれば否だが、損をしたと感じるほどでもない。梅雨の時期に何もすることがなければ、レンタルなどで楽しむ分には良いのではないか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 土屋太鳳, 日本, 監督:英勉, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on トリガール!

レディ・プレイヤー1

Posted on 2018年5月30日2020年1月10日 by cool-jupiter

レディ・プレイヤー1 55点

2018年4月22日 東宝シネマズなんばにて鑑賞
主演:タイ・シェリダン ハナ・ジョン=カーメン
監督:スティーブン・スピルバーグ

  • 本文中でネタバレに触れるところは白字で表示

正気とは思えないほどの量のカメオが散りばめられて、あるいは堂々と扱われている映画であるということは、すでにあらゆるメディアで喧伝されている。どこにどんなカメオが出ているのかも、すでに語りつくされている感がある。なので、ここでは作品のプロット紹介や分析は極力行わず、素直に自分の感想のみを語りたいと思う。

まず思うのは、この映画は決してスピルバーグのイマジネーションが爆発してできた作品ではないということ。おそらくEve Onlineのようなゲームがさらに発展すれば、成功するかどうかは別にして、このようなゲームシステムが現実のものになることは想像に難くない。あれほどの数の人間がその世界にどっぷりハマるかどうかは別として、『マトリックス』のように現実世界かマトリックス世界か瞬時に見分けがつかないような“世界”がそこにあるのであれば、そちらを住処にしてしまう廃人は一定数は出現するのは間違いない。ゲームの世界で情報や貨幣をやりとりし、さらには現実世界と同等か、それ以上の人間関係の構築も実際には起きるだろう。友情や恋愛感情がネット上でも生まれてしまうように。

オアシス創始者のジェームズ・ハリデーについて。あれだけ詳細な彼の言動に関する資料、データベースがあれば、エッグ探しはもっと前に誰かが終わらせていたと思うのだが・・・ 現時点のインターネット上でも時々恐ろしくなるほどの短時間で問題解決が為されることがある。それは集合知によるもので、その最たる例がWikipediaだろう。Wikipediaの最大の貢献は、知識・情報を広範囲にカバーしているところではなく、関連する知識や情報同士のつながりが、ネットのハイパーリンクという有機的な形で結実したことだと考える。Wikipediaの記事を読みながら、いつの間にか関連の薄い記事まで読んでしまっていた、という経験は多くの人が持っていることと思う。オアシス並みに深く潜れて、なおかつ情報を有機的にやりとりできる空間であれば、あのレースの攻略はもっと先に誰かが見つけていなければおかしいと感じたし、それこそアクシデント的にギアを入れ間違えていた、というプレーヤーがこれまで誰もいなかったということにも違和感を覚えた。

とはいえ、そんなことを言い始めたら、あらゆる映画のあらゆるご都合主義に文句をつけなくてはいけなくなる。この映画はゲーム、漫画、小説、アニメ、音楽のごった煮をどれだけ楽しめるかが肝である。もちろん無数にあるカメオ要素を抜きにしてもよく出来たエンターテインメントであると評価できるが、スピルバーグの意図がそこではなく、あくまでも自分にインスピレーションを与えてくれたもの全てを使って映画を作りたかった、ということであれば、そこを評価しないというのはフェアではない。

何から語れば良いのか分からないので、最も興奮した場面のことを。ハイライトは何と言ってもガンダムとメカゴジラの対決だろう。ゴ◯ラは権利関係で出せないと最初から分かっていたが、まさかまさかのメカゴジラ。しかもメカゴジラのVer.06~07か?こんな夢の対決が大スクリーンで見られるとは!! 2020年の怪獣対決前にこんなプレゼントがもらえるとは思っていなかったので、これは嬉しい不意打ち。観るつもりはなかったけれど、『ランペイジ 巨獣大乱闘』も見てみるか。

最後にどうしても、この点だけには触れておかねばならない。ウェイド、サマンサらが最後に下す決断は現実的な意味と“現実”的(世界と“世界”の対比で考えてほしい)な意味で正しく尊い。だが、その現実世界のサマンサ=オアシス内での無敵、万能の象徴にも見えるアルテミスが、何故いきなり典型的な女の子として描かれてしまうのか。かつて庵野秀明はエヴァンゲリオンを通じて「現実を受け入れろ」と迫って来た。それはヒロインに拒絶されろ、ということ。究極的には人間は現実世界で生きるしかない、というメッセージだったのではなかったか。だからこそ庵野が描いたゴジラ世界はリアリズムを徹底的に追求したのではなかったか。スピルバーグは、仮想世界のキャラクターは、当人の人格そのものではないという考え方なのだろうか。ゲーム世界の富を現実世界に還元出来うるという考え方が行き渡った“世界”が確かにそこにあり、大企業もそこに参加している“世界”なのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが、仮想世界と現実世界があまりにもシームレスにつながっていることに強い違和感というか拒絶の感覚を覚えたのは果たして自分だけだろうか。オアシスに対して加えた重大な変更が意味を持つのは、果たして誰にとってなのだろうか。そういったことを考えると、ブログで好き勝手に書いている自分と、現実世界に生きている自分は、果たして同じ人間なのだろうか、という思考のループに囚われてしまった。

スペクタクルとして観れば80点超を与えられるが、哲学的に考察した時にどこか釈然としない部分が残る。総合的に判断して55点か。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, タイ・シェリダン, 監督:スティーブン・スピルバーグ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on レディ・プレイヤー1

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