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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『ブラッド・スローン』 -刑務所のリアルを描くクライム・サスペンス-

Posted on 2018年8月31日2020年2月13日 by cool-jupiter

ブラッド・スローン 65点

2018年10月8日 MOVIXあまがさき 2018年8月29日 レンタルDVD観賞
出演:ニコライ・コスター=ワルドウ オマリー・ハードウィック ジョン・バーンサル エモリー・コーエン ジェフリー・ドノバン レイク・ベル
監督:リック・ローマン・ウォー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180831092839j:plain

エリート・ストック・ブローカーとして人も羨む生活を送っていたジェイコブ(ニコライ・コスター=ワルドウ)は、一瞬の不注意から交通事故を起こし、刑務所に入ることに。妻(レイク・ベル)とも離婚となり、同乗していた友人からも訴訟を起こされ、刑務所内の容赦ない弱肉強食の人間関係に否応なく巻き込まれていくジェイコブは、持ち前の頭脳を活かし、いつしかマネーの異名を得て、頭角を現していく。そして、刑期の85%を終えたマネーは娑婆に出る。刑務所内のボスのビーストの指示で動くために・・・

最初に劇場観賞した時は、途中でトイレに立つという痛恨のミスを犯してしまった。ようやくTSUTAYAでレンタルできたので、再観賞。人間が罪を犯すのは、往々にして一瞬の過ちからだが、人はしばしば再犯、さらには累犯にまで行きついてしまうのは何故なのか。刑務所を舞台にした映画の大傑作に『ショーシャンクの空に』があるが、そこでは釈放されたブルックスは現実の社会には馴染めず、刑務所に自分の居場所を見出すしかなく、結局自殺を選んでしまった。本作も、刑務所内の人間関係、力関係が現実の世界にも及ぶ様を生々しく映し出す。病院では、重病の者ほど偉く、刑務所では重罪の者ほど偉い、というのは冗談交じりによく言われることであるが、こうした映画を見せられると、やはり一抹の真実を含んだジョークなのかと思わざるを得ない。

本作は善良な市民であったジェイコブが、いかにして犯罪に加担する、というか主導する凶悪犯に変貌していったのかを、現在と過去の間をフラッシュバック形式で行き来することで、ジェイコブ/マネーのコントラストが、徐々に溶け合っていく様が鮮やかに活写されている。ヤクザ映画の文法とスパイ映画の文法に忠実に則り、誰が何を狙っているのかがもう一つ見えにくい構造が、サスペンスを生みだすことに成功している。

主演のニコライ・コスター=ワルドウ以外では、ジョン・バーンサルぐらいしか有名キャストは見当たらないが、本作の魅力は出演者のネーム・バリューではなく、彼ら彼女らの演技力の高さ。知名度と演技力は必ずしも一致しないということを映画ファンはよく知っているが、今作のような隠れた逸品はそのような確信をさらに強めてくれる。特に保安官のカッチャーは、顔がシェーン・モズリー似でJovian好みだ。自らの信じる正義のためならば銃弾を喰らっても怯まず、超法規的な取引さえも提案してしまうような、静かに燃える熱血漢。刑務官のロバーツは、刑務所の権力構造にいち早く気付き、囚人たちに秘密裏に協力する小市民。登場回数こそ少ないが、画面に現れるたびに映し出される瞳の奥の恐怖感が、我々がイメージする刑務所、囚人、刑務官というものがフィクションで、こちらの方がリアルなのではないかと思わせるに十分。その他、囚人役に本物のギャングや前科者や格闘技経験者を配したということで、映画という娯楽作品を作りながらも、ノンフィクション的な要素も込められている。実際に暴動シーンというのは1980年代の刑務所内の囚人暴動事件にインスパイアされたようだ。

日本語版のタイトルの『ブラッド・スローン』は明らかに『ゲーム・オブ・スローンズ』へのオマージュ。原題は”Shot caller”であるが、アメリカ人に尋ねたみたところ、あまり一般的な表現ではないらしい。元々の”call the shots”というイディオムは実際によく使われるようだが。主題はギャングの人間関係と権力構造だが、テーマは各々の信念の強さであろう。愛する女のため、金のため、家族のため。何でも良い。それこそが正義で、そのためならば相手の命を奪うことも厭わない。人間の最も凶悪で、最も素直とも言える暗部を照らし出す本作のような作品は、もっと作られ、もっと世に問われるべきであろう。

そういえば『デッドプール』のガンダルフらしき俳優もちらっと出ていたように見えたが、錯覚だったかな。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, クライムドラマ, ジョン・バーンサル, ニコライ・コスター=ワルドウ, 監督:リック・ローマン・ウォー, 配給会社:松竹メディア事業部Leave a Comment on 『ブラッド・スローン』 -刑務所のリアルを描くクライム・サスペンス-

『追想』 -掛け違ったボタンは元に戻るのか-

Posted on 2018年8月26日2020年1月10日 by cool-jupiter

『追想』 60点

2018年8月26日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:シアーシャ・ローナン ビリー・ハウル エミリー・ワトソン 
監督:ドミニク・クック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180826223855j:plain

原題は”On Chesil Beach”、「チェシル・ビーチにて」となるだろうか。原作の小説ではタイトルは『初夜』となっているようだ。つまり、結婚後、初の夜とその夜の営みを指す。性行為を子どもを作るために持つ、というカップルは少ないだろう。というか、性行為のほとんどは愛情またはコミュニケーションの延長もしくは一形態であって、子どもを作るためという共通の目的を持って行為を持つ割合は低い、と言い直すべきか。性行為に関する認識は時代によって変わるし、地域によっても変わるし、もちろん個々人によっても変わってくる。本作は若くして出会い、結婚した2人の結婚初日、馴れ初めと交際、その後を三幕形式でフラッシュバックを交えて描いていく。

第一幕は、若い二人の結婚式直後の様子を描く。フローレンス(シアーシャ・ローナン)は英国上流階級出身の教養あるお嬢様。エドワード(ビリー・ハウル)は悲劇的な事故から若年性認知症を患う母を持つ下層社会出身者。二人は新婚ホヤホヤにもかかわらず、いや、それ故にか、やけにぎこちない。ベッドインに向けてエドワードは一人で盛り上がるが、フローレンスは何故かはぐらかし続ける。その合間に第二幕、つまり二人の馴れ初めから交際の模様が描き出される。非常に対称的なペアで、1960年代という政治的な動乱の時代を背景に、社会階層の分断の様子も静かに、しかし力強いタッチで画面に映し出される。そんな中でも、フローレンスの献身性やコミュニケーション力、家政能力は卓越しており、エドワードの父は ”Marry her.” =「結婚しろ」と即座に息子にアドバイスするほど。これほど率直な結婚の勧めは、近年だと『ジオストーム』の大統領の ”Marry her.” ぐらいしか思いつかない。しかし、結婚という因習は、当時も今もこれから先も、目に見えて若部分の相性の良し悪しと、決して人目に触れない部分での相性の良し悪しの両方で維持されるものなのだ。本作は、本来なら人目に触れない性の領域に光を当てた、ダークストーリーである。どのあたりがダークなのかは実際に観賞してもらうとして、最も目を惹かれたのは第三幕、すなわち別離したその後である。

劇場は日曜日ということもあり、かなりの入りであった。そのほとんどが中年夫婦と思しきカップルであったのは果たしで偶然だろうか。本作が提示するテーマは、セックスの相性や良し悪しという皮相的なものでは決してない。愛は性行為が無くとも成立するし、そのことを鮮烈に描いたのが小説の映画化としては珠玉の名作『彼女がその名を知らない鳥たち』ではなかったか。反対に、愛の大部分をセックスに負っている映画としては昭和や平成の初めごろまで量産されていたヤクザ映画であろう。女をこれでもかといたぶったヤクザが、情感たっぷりに涙を流しながら「ごめん。ホンマにごめん。でも、お前のことを愛してるんやからこうなってしまうんや」という、紋切り型の洗脳セックスとでも呼べばいいのか、そういう作品が溢れていた。

フローレンスとエドワードのようなカップルは実は現代でも珍しくないのではないだろうか。一昔前は成田離婚なるワードがあったが、そうしたスピード離婚の背景には少なからず、本作が提示するテーマに関連したものがあったことは疑いの余地は無い。性的にかなり奔放になった現代、男女ともに晩婚化の傾向が進み、未婚率および離婚率が高止まりしているのも、フローレンスやエドワードのようなカップルが静かに増殖しているからなのか。

人間の心の中の仄暗い領域に光を当てる作品の常で、本作の Establishing Shot も非常に薄暗い。フラッシュバック手法が多用される本作に置いて、説明不足に感じる一瞬のフローレンスのフラッシュバックは、観る者によってはトラウマを刺激されかねないような想像力を喚起させる。しかし、その暗さから某かの教訓を引き出すことができるだろうと思わせるところに本作の価値がある。シアーシャ・ローナンのファンも、そうでない映画ファンも、時間があれば劇場に足を運んでみて観ても良いだろう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, シアーシャ・ローナン, ヒューマンドラマ, 監督:ドミニク・クック, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『追想』 -掛け違ったボタンは元に戻るのか-

『検察側の罪人』 -正義と真実、全ては相対的なのか-

Posted on 2018年8月26日2020年10月25日 by cool-jupiter

検察側の罪人 60点

2018年8月25日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:木村拓哉 二宮和也 吉高由里子 平岳大 大倉孝二 芦名星 山崎紘菜 松重豊
監督:原田眞人

SMAP解散により、図らずも実現してしまったキムタクと二宮の共演、または競演。相乗効果を生んだとまでは思わないが、新鮮に映ったことは間違いない。

タイトルが物語る通り、検察の側に罪人が存在する。法という武器を手に、容疑者を起訴する。しかし、その検察(だけではなく警察、司法などのシステム全体)が数多くの冤罪を生んできたことは誰もが知るところである。それこそ昭和の中期頃までの日本の警察および検察は、ヤクザよりも遥かに酷かったとすら聞く。何がどうヤクザよりも酷いのか。それは二宮の演技の見せ場に絡めて後述したい。

エリート検事の最上毅(木村拓哉)は、民間高利貸しおよび不動産業を営む老夫婦の殺人事件に携わるうち、捜査線上に、自らの同級生だったとある女子の殺人事件の容疑者と目される男が浮上したことを知る。不起訴となり、過去の亡霊となっていた殺人事件の被疑者、松倉重生(酒向芳)が思いがけず現れたのである。現在の事件と過去の事件、両方を結ぶ線を探るべく、最上は信頼できる弟子とも言うべき沖野啓一郎(二宮和也)に取り調べを委任する。

本作の主題は、検察官同士の対決であるが、その奥に潜むテーマは深く、暗い。最上は自らの信じる正義を執行するために法の定める手続きを無視し、犯し、隠蔽する。客観的な正義が存在すると信じる沖野は、その力を振るいながらも最上に師事し、最上を支持するが、そこに不正を嗅ぎつけた時、袂を分かち、対決する道を選ぶ。二つの異なる正義のぶつかり合い・・・がテーマであれば、実は話が早い。本作が追究しようとするのは、正義の相対性である。絶対の正義と絶対の正義のぶつかり合いは相対的である、と主張したいわけではない。人は、絶対の正義である信じていたものですら、あっさりと捻じ曲げてしまうような非常に強靭な、ある意味で都合の良い精神構造をしている。人は法が定める正義に粛々と従いながら、自らの信じる正義をいとも簡単に上位に置いてしまう。最上は裏社会の人間である諏訪部利成(松重豊)と持ちつ持たれつの関係なのだ。警察や検察がヤクザとズブズブというのは公然の秘密だが、そこに越えてはならない一線があるのも事実だ。それを踏み越えてしまうのは最上だけではなく、沖野もそうなのだ。検察官という職務の上で知り得た情報を、弁護側に渡すなどという無節操なことができるのならば、公安なり内調なりに転職すれば良いのである。成り行きでベッドインする事務官の橘沙穂(吉高由里子)ともども、それがお似合いだ。

本作のもう一つのテーマは、暴力の構造を暴き出すことだ。作中でやたらと強調されるインパール作戦。無謀、無責任、無駄死に、犬死になど、兵士の命を軽んじることこの上ない作戦であった。なぜこのような命を粗末にする作戦が罷り通ってしまったのか。それは、軍の上層部は、自分たちが下士官、下級兵から反抗や反逆を喰らうことは無いと確信していたからという部分も大きい。インパール作戦の立案者は、無謀な作戦と累々の死者の責任を全うすることも無く悠々と生き、悠々と死んだ。一方で、インパールから独自の判断で撤退した師団長は、真実を証言できる法廷に立つ機会すら与えられなかった。一方が他方を一方的に殴ることができるのは、反撃が来ないことを知っているからだ。沖野は松倉に対し、過剰なまでの人格攻撃や脅迫的言辞を弄し、最上の意図する有罪のストーリー作りに途中までは加担しようとする。そこで見せる攻撃的、威圧的、高圧低、脅迫的な言動は圧倒的である。これは個人の正義感や職務上の義務感以上に、やり返されないという確信あってこその態度に思えて仕方がなかった。なぜなら、「真実を解明したいという強い動機」がそこには一切無かったからだ。そこにあったのは、最上へのリスペクトであり、自らの正義と権力を執行するというエゴイスティックな考え方だけだったからだ。

本作の最後のテーマは、人間と、その人間の行使する力は、どこまで不可分なのかということであろう。我々は往々にして「罪を憎んで人を憎まず」と言ったりするが、実際は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の方が多いではないか。冤罪が証明され、裁判の勝利を祝う。それ自体は喜ばしいことである。だが、その人間が過去に罪を犯し、まんまと時効まで逃げ切っていたとしたら、我々はそれを素直に受け入れられるのか。そこまで極端な例ではなくとも、我々はしっかりお務めを果たした前科者の社会復帰を喜ぶよりも忌避する傾向の方が強いのではないか。トレイラーにもある「正義の剣」なるものが存在するとしよう。だが、その剣自体は、振るう者が正義であることを何ら証明しはしない。むしろ、我々は最上の持つ力を法律という国家権力よりも、裏社会、闇社会の人間である諏訪部とのつながりの方に見出す。最上は家族との関係も必ずしも上手く行っているわけではない。妻とセンテンスで会話もできないのだ。こうした人間が「正義の剣」を振るう様は、異様とすら映る。それこそが原田監督の意図であろう。本来、犯罪者と犯罪は別個に分けて考えるべきで、それは検察や警察にしてもそうである。検事=正しい行いをする人などというのは先入観であり偏見である。

物語のそこかしこに某ホテルチェーンとしか思えない一族の偏った思想や、どこかの島国の一党独裁政権を揶揄しているとしか思えない言葉が数多く聞かれる。そうした風刺の最も強烈なものは前述したインパール作戦であろう。これがプロット全体の通奏低音になっており、正しいと信じ抜いた道の先には死屍累々の結果しかなかった。残念ながら、これは歴史的な事実である。我々は客観的な正義や客観的な悪が存在するという思考に慣らされているが、それらは実は極めて恣意的なものであるということを本作は提示する。

登場人物たちのいくつかの行動は理解に苦しむというか、あまりにご都合主義的な面が見られるところもあり、そのあたりは減点せざるを得ない。特にいくつかのアイテムを調達しようとするキャラが、あんな大声で電話するか?とリアルタイムで訝しむ人は多いだろうし、一般人にも逮捕の権利はあるのだから、某女性キャラはその場で取り押さえられていたら、そこで何もかもが水泡に帰していただろう。そうした目立つ欠点を持ちながらも、非常にパワーのある作品であるとの評価は変わらない。一国の総理大臣が推定無罪の原則を無視して民間人を「詐欺師」と断罪してお咎めなしという亡国、もとい某国の国民は『三度目の殺人』とともに本作を鑑賞すべきだ。個人の信じる正義の拠って立つ基盤の強固さ故の脆さと、客観的な正義なるものがどこかに佇立するのだという幻想を見せつけられる。人を選ぶ映画であるが、単なるエンターテインメント以上の作品に仕上がっている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, 二宮和也, 吉高由里子, 日本, 木村拓哉, 監督:原田眞人, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『検察側の罪人』 -正義と真実、全ては相対的なのか-

ピッチ・パーフェクト2 -女子寮のノリの女子大生成長物語-

Posted on 2018年8月19日2019年4月30日 by cool-jupiter

ピッチ・パーフェクト2 65点

2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:アナ・ケンドリック ヘイリー・スタインフェルド ジョン・マイケル・ヒギンズ
監督:エリザベス・バンクス

前作が女子高生のノリなら、今作は女子大生、特に女子寮(sorority)に暮らす若者のノリが強く出ていた。大学時代に寮で暮らした人、特に相部屋や共同トイレ、共同風呂を経験した人ならば、同じ屋根の下で暮らす者に家族以上の親近感を抱くあの感じを理解できるだろう。同じようなことは大学のサークルにも当てはまる。寮は往々にして24時間活動しているサークルだったりする。ベラーズはこの両方を兼ねた、歌って踊って恋してケンカする、洗練されたお下品女子大生たちの物語なのである。キャスティングは前作を引き継いでいるため、ここから観始めることは決してお勧めできない。必ず『ピッチ・パーフェクト』から観るように。

ゲロ吐きオーブリーは卒業してしまったが、ベラーズはその後も強豪アカペラチームとして君臨。ついにはオバマ米大統領の誕生日に本人の前でパフォーマンスをするに至った。完璧な歌唱、完璧な振り付け、そして太っちょエイミーが空中ブランコさながらにリボンを体に巻きつけて天井から舞い降りようとする時、それは起こった。エイミーのユニフォームが裂け、大統領夫妻に下腹部およびそれ以外の場所をモロ見せしてしまったのである。さあ、『ピッチ・パーフェクト ラストステージ』のオープニングではどのようなハプニングが起こるのか、期待は否が応にも高まるばかりである。

このお下劣アクシデントにより、ベラーズはコンテストへの出場を認められなくなってしまう。天の計らいによって何とか大会出場は果たせうようになったものに、コペンハーゲンでの世界大会では、ドイツのDSM=ダス・サウンド・マシーンに、その圧倒的な実力を見せつけられてしまう。ベッカも負けずに挑発するものの、なぜか「汗がシナモンの臭いなのよ!」と褒めてしまう(シナモンが一体何なのかを知りたい人はUrban Dictionaryで調べるか、『ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中』を観てみよう)。ベラーズは本調子ではなく、一枚岩でもなくなっていた。なぜなら、4年生になったベッカは、ベラーズでの活動よりも敏腕音楽プロデューサーの元でのインターンシップに精を出しながら、そのことはメンバー達には秘密にしていた。一方で前作から引き続き登場しているクロエは、ベラーズでの活動を続けたいがために2回も留年をしているという始末。まるで漫画『げんしけん』の斑目のようだ。斑目は留年していたわけではないが。オーブリーは無事にグループからも大学からも卒業したものの、こんな牢名主のようなキャラがいては現役はやりにくくて仕方がない。そんなロックボトム状態のベラーズに新戦力が加入する。ヘイリー・スタインフェルド演じるエミリーである。母親がベラーズOGという、何とも頼もしい新戦力である。

チームをリセットするにはどうするか。古今東西を問わず、ここは合宿である。そして合宿所にいるのは、ゲロ吐きオーブリー。ビシバシ指導するのが好きなので、合宿所の経営/運営を仕事にしたという。ここでは女子寮的な要素がさらに濃く出てくる。詳しくは観てもらうとして、面白いのはベッカの恋愛模様がややマンネリ状態であるのに対し、太っちょエイミーと、宿敵トレブルメーカーズのお騒がせ男のセックスフレンド関係が、いつの間にかシリアスな関係にまで発展していくこと。この時のエイミーのパフォーマンスは『マジック・マイクXXL』のリッチーのとあるパフォーマンスに匹敵する。『マジック・マイク』、『マジック・マイクXXL』は男子寮のノリだな、と書きながら気がついた。いつかこれらも紹介したい。

Back on track. もちろん、新加入のエミリーも、爽やかとは言えない相手と爽やかな関係を結ぶようになるのが、これが成就するのかどうかは次作まで待たなくてはならないようだ。そして、このエミリーの持つ才能がベッカの夢を後押しする。そしてベッカの夢が動き出すことで、ベラーズは逆説的に強くなる。このあたりは前作と同じ構造なのだが、4年生になっても就職活動もあまりせず、サークルやら何やらに血道を上げる先輩や、一方でしっかり将来を見据えながら、仲間と微妙な距離を保つ先輩、そうした少しぎくしゃくした人間関係の修復模様が一気にラストのパフォーマンスに結実する様は圧巻である。さあ、これで10月の『ラストステージ』への準備は万端。『マンマ・ミーア!』の続編も公開間近というわけで、ミュージカル一色で夏の終わりと秋の始まりに備えよう。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, ヒューマンドラマ, ヘイリー・スタインフェルド, ロマンス, 監督:エリザベス・バンクス, 配給会社:東宝東和, 音楽Leave a Comment on ピッチ・パーフェクト2 -女子寮のノリの女子大生成長物語-

ピッチ・パーフェクト -女子高のノリの女子大生成長物語-

Posted on 2018年8月18日2019年4月30日 by cool-jupiter

ピッチ・パーフェクト 65点

2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:アナ・ケンドリック ジョン・マイケル・ヒギンズ
監督:ジェイソン・ムーア

バーデン大学への新入生ベッカ(アナ・ケンドリック)は、DJ志望の今時女子。父親とは微妙な関係で、ルームメイトとも打ち解けられそうにない。しかし、ひょんなことからオール女子で構成されたアカペラ部のバーデン・ベラーズに入部するベッカ。ゲロ吐きオーブリーやらファット・エイミー、セクシー美っち(誤変換だが採用)のステイシーら個性的すぎる問題児らと共にアカペラに励むようになっていく。同大の男子アカペラグループのトレブルメーカーズとは悪い意味でのライバル関係を築いており、ベラーズ加入に際してはトレブルメーカーズの男子とは肉体関係を結びませんという宣誓までさせられる。女子、特に日本映画の典型的な女子高生というのは親友=仲間、仲間=親友と捉え、その関係を男に乱されることを極度に嫌う傾向がある。それは『虹色デイズ』でも『君の膵臓をたべたい』でも、変化球であるが『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』でもそうだった。それと同じノリで展開するのが本作である。ベラーズは元々強豪で知られていたのだが、全国大会のパフォーマンス真っ最中に盛大に嘔吐してしまったオーブリーのせいで、一挙に全国レベルで笑い草にされるようになってしまった。そこから新入生勧誘に力を入れるようになって入ってきたのがベッカというわけである。

ストーリーは、まさに女子高のノリで進む。禁断の恋あり、笑いあり、涙あり、友情あり、ケンカあり、仲直りありのローラーコースター映画である。その瞬間瞬間に歌と踊りが効果的な彩りを加えてくれている。個人的に強く印象に残ったのは太っちょ(ファット/Fat)エイミー。『パティ・ケイク$』のパティを、その体型から思わせるが、肥満と歌い手であるという以外の共通点は見当たらない。ピッチ・パーフェクトとは「まったくもって完璧」という意味だが、それは個々人の在り様ではなく、ベラーズというチームの上がり下がりの仕方のことだ。テレビドラマ的な展開と言おうか、よくこれだけの要素をてんこ盛りに出来るなと感心する。女の友情の美しさと醜さを的確に描写し解説するのは自分の手には余ることなので、そのあたりは他サイト、ブログを参照されたい。

本作であらためて勉強になると思ったことは『パティ・ケイク$』でも描写があったストリートでのラップ対決さながらの、riff-offというアカペラバトル。互いに歌を歌い合うのだが、その途中の歌詞と同じ語を引き継いで、別の歌に即座に歌い替えるという非常に広範囲な知識と瞬発力が要求されるバトルだ。日本のストリートでも実際にこんなバトルが行われているだろうか。ブレイクダンスさながらの対決だ。日本では漫画『ヤスミンのDANCE!』ぐらいしか思いつかないが、アカペラとなると寡聞にして何も思いつかない。個人的にわずか10分弱のこのシークエンスをハイライトに挙げておきたい。

Jovianはこういう作品に触れるたびに英語の勉強になると思っているが、向こうの若い世代(アナ・ケンドリックが若いかどうかはさておき)にスポットライトを当てた映画は、往々にしてトンデモナイ英語を喋る。ベッカがオーブリーに言い放つ”You are not the boss of me!!”はその最たる例であろう。本当は、文法的には破綻していても、状況とセットで聞けば(読めば、ではないところがポイント)自ずと意味が理解できるような教材、つまり映画こそ、日本の公教育に取り入れていってほしいと思っている。それは英語だけではなく、社会や理科、道徳についても当てはまることだと思っているし、本ブログでも何度かそういった指摘や提言をしてきた。今後も、文科省のお歴々の耳には絶対に入らないと確信しつつも、意見だけは述べ続けていこうと思う。

この映画のもう一つの私的な見どころは、アカペラの実況解説の二人組。『ピッチ・パーフェクト2』にもしっかり登場して存在感をアピールしてくれる愉快なデュオだが、特に男性の方はアメリカ人的な価値観をめちゃくちゃ露骨に、露悪的と言えるほどにあっけらかんと開陳してくれる。彼の実況をよくよく聞いてから『チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』を観賞してみよう。大谷翔平のキャンプ中の評価とシーンズ開幕後の評価のギャップに戸惑った多くの日本人が、なるほどと納得できるだろう。

青春映画の王道で、ミュージカル映画としても佳作である。トリロジーの最後を飾る作品が2018年10月には日本でも公開される。復習観賞するなら今がベストのタイミングである。さあ、近くのレンタルショップかネット配信にゴーである。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, ヒューマンドラマ, ロマンス, 監督:ジェイソン・ムーア, 配給会社:武蔵野エンタテインメント, 音楽Leave a Comment on ピッチ・パーフェクト -女子高のノリの女子大生成長物語-

『オーシャンズ8』 -観る前も観ている最中も頭を空っぽにするように!-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

オーシャンズ8 65点

2018年8月11日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:サンドラ・ブロック ケイト・ブランシェット アン・ハサウェイ ミンディ・カリング オークワフィナ サラ・ポールソン リアーナ ヘレナ・ボナム・カーター
監督:ゲイリー・ロス

オールスターキャストでお馴染みのオーシャンズシリーズ最新作だが、過去作を観ていなくても十分に楽しめるように配慮されている。が、全く配慮されていないところというか、個人的に大いに不満があり、それは最後に白字で書く。まずは小さな不満から。

『オーシャンズ11』をところどころトレースしたかのようなシーンがあるが、11で描かれたような、クルーニーとブラピがある意味二大巨頭になってチームを動かし、それをマット・デイモンがぶち壊しそうになる、というクリシェは本作には無い。『ゴーストバスターズ』(2016)のようなフェミニズム理論丸出しでもないが、それでも主人公のデビー・オーシャン(サンドラ・ブロック)の出所直前の容貌や言動にはツッコミを入れたくなるし、出所直後の行動にははっきり言ってドン引きである。それが作り手の狙いなのだろうが。また盗みの動機も弱い。11にあったような鼠小僧や石川五右衛門的な義賊感が無いのだ(そんなもんはどうでもいい、というツッコミは覚悟している)。

ここからは良かった点を。ルー(ケイト・ブランシェット)の登場するシーン全てである。『シンデレラ』では優しく意地悪な継母を、『マイティ・ソー バトルロイヤル』では不敵な死の女神を、本作では聡明さと行動力を持ち合わせるスカウトを完璧に演じている。クルーニーとブラピの間にあったものとは異なる種類のケミストリーを、デビーとルーの間に生み出せているのは、ブランシェットの卓越した演技力に依るところが大きい。男同士の友情や絆は(表面上は)簡単に描写できる。女同士となるとそこにドロドロとした要素を感じさせなければならない。盗みの動機にカネ以上というかカネ以外のものがあるデビーはどこまでも平静を装うが、そんな彼女に迫るルーはブラピ以上にクールだ。

そして今回のターゲット、ダフネ・クルーガー(アン・ハサウェイ)である。ハリウッドでも来日時に振る舞いでも、アンチやヘイトを生み出し続ける彼女であるが、そんな自分自身をdisるような台詞や演出がそこかしこに散りばめられており、思わずニヤリとさせられる。『シンクロナイズド・モンスター』では、飲んだくれのダメ女を演じていたが、普通に美人過ぎてアル中のダメさ加減が少し薄まってしまっていた。しかし、本作では衣装やメイクの力、そして本人の意識的な演技もあるのだろうが、非常に milfy に映った(気になる人だけ、意味を調べてみよう)。ジョディ・フォスター超えも見えてきた。

映画全体を見渡せば、『セックス・アンド・ザ・シティ』的要素あり、『クリミナル・マインド FBI行動分析課』的要素ありの、どちらかと言えば映画よりもテレビドラマを思わせるテンポの良さ。クリエイターがオリジナリティを発揮する場が、映画からテレビそしてインターネットの世界に移行しつつある中、振り子が今後はどちらに振れて行くのか、気になるところではある。カジノとは一味違う華やかさの中、一方で非常に洗練された方法で、他方では非常に泥臭い方法で盗みを着実に実行していくところはオーシャンズに忠実であった。お盆休みが暇だなという向きには、劇場に足を運んでみよう。

さて、最後に配給会社やプロモーションへ一言。『オーシャンズ8』というタイトルから主役が8人=アン・ハサウェイも一味である/になる、というのはあまりにも簡単に予想できることであるが、なぜそのことを殊更に強調するようなポスターやパンフレットを作りまくるのか。『Newオーシャンズ』とか『オーシャンズ ファースト・ミッション』(どうせ9や10も作る気だろう)のようなどこぞのパクリ的タイトルでも良いから(本当はダメだが)、何らかのネタバレへの配慮が必要という判断は出来なかったのだろうか。こうした展開が観る前から読めてしまうと、他にもたくさん盗んでましたというどんでん返しのインパクトが弱まってしまう。細かいことかもしれないが、そういうことを気にする映画ファンも一定数は存在するのである。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アン:ハサウェイ, クライムドラマ, ケイト・ブランシェット, サンドラ・ブロック, 監督:ゲイリー・ロス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『オーシャンズ8』 -観る前も観ている最中も頭を空っぽにするように!-

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス 60点

2018年8月8日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:オマーラ・ポルトゥオンド マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール バルバリート・トーレス エリアデス・オチョア イブライム・フェレール
監督:ルーシー・ウォーカー

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180814125624j:plain

我々がキューバと聞いて思い浮かべるのは、アマチュア野球の強豪国、アマチュアボクシングの超強豪国、サトウキビ、葉巻、レーニン、サパタ、ゲバラに並ぶ革命児カストロぐらいであろうか。しかし、そうしたキューバに関するパブリックイメージは1990年代終盤に突如(のように当時は思えた)、塗り替えられた。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のリリースであった。彼ら彼女らはすでに老齢で歌手やエンターテイナーとしてのピークは過ぎていたが、非典型的なlate bloomerとでも言おうか、第三世界のスターが一夜にして第一世界で脚光を浴びたのであった。本作はそんな彼らの文字通りの晩年を振り返るドキュメンタリーである。

キューバといえば近年カストロを失ってしまったが、革命家と言って人々の心にぱっと浮かんでくるのはレーニン、サパタ、カストロの御三家であろう。革命の根底には往々にして民衆の熱狂的支持がある。ソンに代表されるキューバ音楽とアフリカ音楽の混淆が、キューバ文化に深みと、陽気な絶望を歌う民族性のようなものを加えている。革命には音楽のバックアップがあるのだ、ということを我々は最近、「アラブの春」から学んだところであるが、キューバ革命の背景にもそうした要素はあったことだろう。しかし、本作監督のルーシー・ウォーカーは冒頭にキューバ史の概要とカストロの死のニュースを簡潔に挿入するのみで、そうした要素を前面に押し出そうとはしていない。音楽そのものの力とそれを奏で歌う人々の力により注目してほしいということだと受け取った。

Jovianはどういうわけか、イブライムが左卜全とオーバーラップして見えることが多かった。歌唱力も寿命もイブライムの方が上だが、なぜかイブライムは左を彷彿させた。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの面々が成し遂げたこと、我々に及ぼした影響は巨大で一口には語れない。もしも彼らがいなければ、つまりキューバという要素が世界で受け入れられるという土壌が90年代後半に生まれていなければ、ボクサーとしてのホエル・カサマヨルやユリオルキス・ガンボアやギジェルモ・リゴンドー(日本に来たこともあるので、テレビで見たことがある人もいるかもしれない)らの超絶テクニシャンボクサーはアメリカに亡命しプロに転向しなかったかもしれないし、英雄ホセ・コントレラスもヤンキースには来れなかったかもしれない。少なくとも、彼らに勇気が与えられたのは間違いない。

『私はあなたのニグロではない』に見られたような悲痛としか形容し得ない叫びを、ある意味で音楽に昇華した彼ら彼女らは、キューバ人だけではなく、観る者たちにもほんの少しの勇気を与えてくれる。音楽愛好家やキューバ史もしくは優れたドキュメンタリーに興味があるという方であれば観賞しようではないか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, イブラヒム・フェレール, ドキュメンタリー, 監督:ルーシー・ウォーカー, 配給会社:ギャガ, 音楽Leave a Comment on 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

『ミッション:インポッシブル フォールアウト』 -今こそスパイの原点に立ち返るべきか-

Posted on 2018年8月6日2019年4月25日 by cool-jupiter

ミッション:インポッシブル フォールアウト 60点

2018年8月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:トム・クルーズ ヘンリー・カビル レベッカ・ファーガソン サイモン・ペッグ 
監督:クリストファー・マッカリー

プルトニウムを奪ったテロ組織がマッドサイエンティストを使って、核兵器製造および使用を企てる。『アメリカン・アサシン』を挙げるまでもなく、ソ連崩壊から現代に至るまで、数限りなく生産されてきた物語である。そして上の記事でも触れたように、スパイ映画における上司や同僚という関係には、常に裏切りの可能性が示唆される。トム・クルーズは余りにもイーサン・ハントであるが、チャーリー・マフィン的な要素をもう少し持たないと、スパイなのか軍人なのか、区別がつかなくなってくる。

かなりネタ切れ感が強い。はっきり言って見せ場は全てトレーラーで描かれている。何故にこんなことをするのか。とにかく劇場に来てもらってチケット代だけ払ってもらえればよいと思っているのか。いや、さすがにこれは言葉が激しすぎたか。しかし、続編を作る気満々の終わり方だが、スパイ映画の面白さに立ち返らないと尻すぼみになるよ。リアリティの無いハラハラドキドキ満載アクションよりも、冷や汗がたらりと頬を伝い落ちるような感覚を味わわせてくれる映画を作っておくれ。ヘリコプター操縦の訓練を積んで云々や、パラシュート降下を何回も何回も繰り返して云々というのも雑音だ。これだけCGが発達した時代に、手間暇をかける意味は確かにあるだろうし、逆にここまでCGが発達しても、見た瞬間に「あ、これはCGだな」と分かるものは分かってしまう。本物の素材を映すことは確かに重要で意義あることではあるが、それが面白さや観客の満足度につながるかと言えば、必ずしもそうではない。そのことは『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』の飛行機墜落シーンと、その映画そのものの評価から身に沁みて分かったのではなかったか。さらにキャスティング上のミスも。『アンロック 陰謀のコード』と同じミスをやらかしている。しかし、こうしたミスは『ビバリーヒルズコップ3』の頃からあるのだ。

とネガティブな評価はここまで。ここから先はポジティブな評価も。IMFのチームワーク!これはもう完全に熟成され、円熟の域に達している。サイモン・ペッグやビング・レイムスとは、もはや旧友であるかのように感じてしまう。『スター・ウォーズ』のオリジナル・キャストとまではいかないが、もはやこのメンツでなければ生み出せない空気というのが確かにそこにある。そしてトム・クルーズ! 爆風スランプの“RUNNER”も斯くやの爆走を見せる。御年とって五十数歳。サ〇エ〇ト〇ジーへの傾倒を除けば、理想的な中年であろう。

マンネリズムから逃れることが難しいシリーズ物ではあるが、今作ではあらためてイーサン・ハントの人間性が掘り下げられるシーンがある。逆にそれが次作への大いなる伏線になっていることを窺わせる展開もある。シリーズ総決算も近いかもしれない。色々と文句をつけてきたが、スパイ映画であるということを一度頭から追いやってしまえば、単純に手に汗握る展開を2時間超楽しむことができる。トム様ファンなら観ておいて後悔はしないだろう。

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, アメリカ, サイモン・ペッグ, トム・クルーズ, ヘンリー・カビル, レベッカ・ファーガソン, 監督:クリストファー・マッカリー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『ミッション:インポッシブル フォールアウト』 -今こそスパイの原点に立ち返るべきか-

『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』 -どこかの国の政治家および官僚は絶対に観るべき作品-

Posted on 2018年8月2日2019年4月25日 by cool-jupiter

ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 65点

2018年7月31日 レンタルDVD観賞
出演:アンソニー・ウィーナー フーマ・アベディン
監督:ジョシュ・クリーグマン エリース・スタインバーク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180802120048p:plain

*ネタバレに類する記述あり

血気盛んに議会で熱弁を振るい、政敵を舌鋒鋭く口撃するウィーナー下院議員。民主党の次代の顔として、国民からの支持と期待を集めていた気鋭の若手政治家はセクスティング・スキャンダルで一挙に失脚。デジタル時代、インターネット時代を象徴するスキャンダルであったと言えよう。しかし、この映画の見どころは、主人公アンソニー・ウィーナーの惨めな落ちっぷりではない。落ちるところまで落ちて、後は上がるだけというところからまた落ちる。しかし、それでも懲りずに上がろうと足掻くウィーナーに、呆れる者もいれば、感心する者もいるはずだ。各々がそれぞれに感じ入ればそれで良いのだが、現代日本に暮らす我々には、非常に示唆に富む内容になっていた。彼のミスとそこからのリカバリーを見てみよう。

まず、もっこりブリーフの下半身写真をTwitterで見られるようにしてしまった、というのが彼の第一のミス。そして初動で、その写真が自分のものかどうかは定かではないと言ってしまったのが第二のミス。さらに、即刻辞任することを拒否(後に撤回し、辞任を正式に表明)したのが第三のミス。そして最大のミスは、妻に「実は他にもまだあるんだ」と打ち明けられなかったことであった。このあたりのミスの連鎖は、まるでどこかの国の名前を冠した大学のアメリカンフットボール部責任者にそっくりである。危機管理がまるでなっていない。いや、もっとダイレクトに日本の政界にウィーナーのcounterpartを求めるなら、それは宮崎謙介となろう。ゲス不倫+クソ&キモLINEでワイドショーを賑わせたあの男、またはもう少し真面目な方面から言えば、国会議員として育児休業を取ろうとしたことで世間に議論を巻き起こした男、と言えばピンとくる諸兄も多いのではなかろうか。それにしてもNew York Postの見出しの数々よ。”HE’S GOT SOME BALLS”、”HARD TIME!”、”WEINER EXPOSED”、”NAKED TRUTH”などなど。日刊ゲンダイあたりも、権力批判をやるのならもう少しウィットに富む方法でやってほしいと思わされる。

ウィーナーはここから劇的なカムバックを見せ、ニューヨーク市長選に立候補する。ゲイパレードを先導するし、自転車や地下鉄でニューヨークを駆け回り、MBWA(Management By Walking Around)を忠実に実行し、着実に市民の支持を取り付けて行く。またアメリカには”Everybody should be given a second chance.”もしくは”Everybody deserves a second chance.”という格言がある。一度はミスしても、誰もが二度目の機会が与えられてしかるべきだという考え方が一般的なのである。これを忠実に体現したウィーナーは一時は支持率トップに躍り出るも、ここで更なる激震が。ある意味では『女神の見えざる手』に匹敵するような激震である。今度は、モロ出し写真を複数女性に送信していたことがばれてしまったのである。Watergate事件ならぬWeinergate事件である。アホとしか言いようがないのだが、ウィーナーが仮にも許されたのは、前述したような、再起を歓迎するアメリカ的な考え方と、それ以上に妻による赦しがあったからだ。この妻こそ、フーマ・アベディンその人で、ヒラリー・クリントンの国務長官時代から大統領選挙運動に至るまでの右腕であった人物である。言うまでもなくヒラリーの夫はビル・クリントン元大統領であり、そのヒラリーも夫がモニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」を持ったことを赦した(というか揉み消しに走った)ことで知られている。ただし、二度目は無い。二度目は無いのである。

Jovianは十数年前、衆議院議員の伊藤達也(自民党)とソフトボールをしたことがある。その時に印象的だったのが、めちゃくちゃフレンドリーな人であると印象付けようと頑張っているところと、バックネット裏で地元有力者に説教を喰らってペコペコしていた姿である。普通、政治家は地元の有権者、それも有力者にはへいこらするものだ。しかし、ウィーナーは、失うものの無い強みか、市民にも平気で論戦を吹っかける。妻がアラブ系であることを揶揄した男に詰め寄る様、自分を否定しても構わないが、支持者まで否定するなと一喝する様は圧倒的である。この時からウィーナーはエスニック・マイノリティの支持を集め始めたようだ。

結果としてウィーナーは落選するのだが、彼という存在は我々に様々な問いを突き付けてくる。現在の日本の政治状況に絡めて言うなら、「個人の性的な嗜好と個人の能力には関連があるのか」、「性的な志向と個人の存在意義に関連があるのか」などの問いが即座に思い浮かぶ。杉田水脈なる人格・識見ともに政治家として劣るとしか思えない人物の妄言を放置する政権与党の姿勢に、彼ら彼女らが創り出そうとする『美しい国』の正体が透けて見える。もちろん、そんな大袈裟に考えることなく、「あちらのメディアはたくましいなあ」、「ニューヨークには色んな人種や性的マイノリティがいるなあ」などの感想を持つだけでも良い。この男の姿を一面からだけ捉えようとすれば、それだけで失敗であろう。選挙ドキュメンタリーとしても楽しめるし、人生訓にもなりうる。2013年の選挙のことであるが、古さを全く失っていない。いつ見ても発見がある作品に仕上がっていると言える。特に、スキャンダル続出の自民党や財務省、文科省のお歴々に是非とも観てほしい作品に仕上がっている。本音でそう思っている。なぜならウィーナーは本当に懲りない男だからだ。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アンソニー・ウィーナー, ドキュメンタリー, フーマ・アベディン, 監督:エリース・スタインバーク, 監督:ジョシュ・クリーグマン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』 -どこかの国の政治家および官僚は絶対に観るべき作品-

『セブン・シスターズ』 -七姉妹がシェアするアイデンティティが壊れる時-

Posted on 2018年7月28日2020年2月13日 by cool-jupiter

セブン・シスターズ 60点

2018年7月26日 レンタルDVDにて観賞
出演:ノオミ・ラパス グレン・クローズ ウィレム・デフォー
監督:トミー・ウィルコラ

原題は”What happened to Monday?”、「月曜日に何が起こった?」である。時は2073年、人口の爆発的増加により、水や食料、エネルギー資源のシェアが困難となり、戦争や紛争が頻発。それにより国家は衰退したものの、科学技術は進歩。より生産性の高い農作物を創り出すことに成功した。しかし、それは両刃の剣で、それを食べた女性は多胎児を妊娠するようになってしまった。ヨーロッパ連邦は人口管理の重要性を唱え、「一人っ子政策」を厳密に実施していた。二人目以降の子どもはクライオ・スリープにより、資源問題が解決される未来に目覚めることになっていた。そんな中、テレンス・セットマン(ウィレム・デフォー)は疎遠になっていた娘の出産に立ち会っていた。娘は七姉妹を出産、そのまま死亡した。残されたテレンスは秘密裏に孫娘たちを育てる。一人が指の先端を切断する怪我を負ってしまった際には、心を鬼にして残りの六人全員の指先を包丁で切り落としたほどである。そして娘たちが30歳(ノオミ・ラパス)に成長した時、祖父はもはやいなくなっていたものの、それぞれがその世界では一人のカレン・セットマンとして銀行員として働いていた。そして月曜日がある日、帰ってこなかった・・・

古くは『ソイレント・グリーン』、やや古いものでは『マイノリティ・レポート』、近年では『ハンガー・ゲーム』や『インターステラー』に見られるようなディストピアは、ありふれてはいるものの、ユニークな世界観を構築することができていた。食糧不足、生体情報管理社会、独裁者による体制・権力の維持などと書いてしまえば陳腐そのものだが、七姉妹が各曜日ごとに一人の人間を演じきるという点に、本作の独自性がある。一卵性の多胎児なので同一の遺伝子を有しているにもかかわらず、この月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日はそれぞれに実に個性的である。ある者はコンピュータ・ギークであり、ある者は格闘技に精通している。ある者は便器に嘔吐し、ある者はシャワーを浴びながら官能的な台詞を口にする。それぞれが互いに反目することもあるものの、協力しながら日々を過ごしていた。しかし、月曜日が帰ってこなかった日を境に、彼女らは自分たちの身に何かが起きつつあることを知る。そして、月曜日に何が起こったのかを追究していく。

なぜ月曜日は消えたのか。なぜ姉妹の連帯は破られたのか。本作を観賞する前に、ここのところを考え抜けば、ひょっとすると本編を見ずして真相に迫れる人もいるかもしれない。というか、このレビューもこの時点で、すでに重大な情報をバラしてしまっているわけだが、果たして貴方もしくは貴女は気付いただろうか。なにはともあれ本作を観賞してほしい。Jovian自身もシネマート心斎橋で観賞をしたかったが、スケジュールが合わずに劇場で観賞できなかったことに悔いが残る作品だった。『プロメテウス』以上のセクシーシーンから、『アンロック/陰謀のコード』並みのアクションシーンまであり、決して観る者を飽きさせない。あまりの気温の高さに外で遊んでいられないという向きは、レンタルやネット配信でどうぞ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SFアクション, アメリカ, イギリス, ウィレム・デフォー, ノオミ・ラパス, フランス, ベルギー, 監督:トミー・ウィルコラ, 配給会社:コピアポア・フィルムLeave a Comment on 『セブン・シスターズ』 -七姉妹がシェアするアイデンティティが壊れる時-

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