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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: B Rank

『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 』 -やや詰め込み過ぎか-

Posted on 2021年3月20日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210320110130j:plainヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 70点
2021年3月15日 レンタルDVDおよびAmazon Prime Videoにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ
監督:摩砂雪 鶴巻和哉
総監督:庵野秀明

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||  』を再鑑賞する前に、過去作を復習しておくべきと思い、DVDをレンタルしたが、その後にアマプラで無料鑑賞できることにも気が付いた。まあ、近所のTSUTAYAの延命につながれば幸いである。

あらすじ

南極で大災厄セカンド・インパクトが起き、地球人口が半減した15年後の世界。14歳の少年・碇シンジ(緒方恵美)は、3年ぶりに再会した父ゲンドウが司令官を務める特務機関NERVに呼び出され、エヴァンゲリオンという兵器型人造人間に搭乗し、使徒と戦うように命じられる。拒否するシンジだが、傷ついた少女・綾波レイ(林原めぐみ)が代わりに搭乗しようとしたことから、「逃げちゃダメだ」と自分に言い聞かせ、エヴァンゲリオンに搭乗する・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210320105936j:plain

ポジティブ・サイド 

いきなり発令されている特別非常事態宣言に、初っ端から登場するサキエルとの戦闘シーンを観て、「 まんまコロナ禍の日本かつ『 シン・ゴジラ 』やな 」と思えた。いきなり巨大な怪物や道の生物が襲来してくるのは、SFやファンタジーの世界ではよくあることだが、世界の成り立ちがどうなっているのかを全く描写することなく、いきなり観る側を物語世界に取り込んでしまうのは、アニメ放映時の1995年には新鮮だった。そういえば、当時は五島勉やら川尻徹のトンデモ本(ノストラダムスの大予言=人類滅亡)が、結構読まれていた時代だったなあ、と懐かしくも感じた。なんだかんだで世の中に一定量の滅びへの予感が共有されていたこと、そして阪神大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件によって、世紀末的な空気が世間に横溢していたことも大きい。まさに今とよく似ている。庵野秀明のクリエイターとしての才能に疑う余地はないが、プロデューサーとしての才覚も大したものだなと思う。

訳の分からん使徒(英語ではAngel)との闘いではあるが、それ自体はどれも手に汗握るバトルだし、戦い方のバリエーションも豊富だし、敵の携帯や攻撃方法も多彩を極める。エンターテイメントとしても一流だと思う。Jovianにとってのエヴァンゲリオンはテレビ版の印象が強いのだが、対ラミエルのヤシマ作戦およびラミエルの反応、反撃、断末魔などは本作の方が優ると感じている。

キャラが皆、立っているのも大きい。本作に出てくる女性キャラは、おそらくほとんどすべて庵野秀明という個人の願望と欲望の投影だと思われるが、それを隠すことなくキャラの性格や属性にたたきつけている様は非常に潔い(その一方でゲンドウとシンジの対立、人類・ネルフと使徒の対立は、おそらく庵野の中の理想世界と現実世界のギャップを埋める作業、一種の箱庭療法なのではないかと感じる)。テレビ版と劇場版では細かいところが違うミサトさんであるが、Jovianは昔も今もミサトさんはミサトさんと「さん」をつけて呼んでしまう。世の男性、特にミサトさんよりも年齢が上の諸氏もそうなのではないだろうか。

エヴァンゲリオン世界の最大の魅力は碇シンジの内面の葛藤だ。エヴァンゲリオンという巨大な殻に逆説的に閉じこもるシンジという少年に、イマイチ理解ができない現実という世界から逃避する自分の姿を重ね合わせたチルドレンは多かったはず。Jovianは当時、岡山のクソ田舎に住んでいたので、リアルタイムにエヴァを語り合える仲間は2~3人しかいなかったが、アニメ放送が重なるたびに社会現象になっていたことは何となく記憶している。時代とシンクロする作品だったのだ。ステイホームという自宅という殻の中で生きることを余儀なくされる若い世代も、本作、そしてオリジナルTVアニメ版は刺さるのではないかと強く思う。

ネガティブ・サイド

シンジがエヴァに乗り、訳の分からないままに使徒と戦い、ミサトさん(何歳になってもミサトさんと敬称をつけて呼んでしまうのは何故だ?)や綾波との人間関係を育む過程の描写が少々粗い。まあ、人間関係というよりも、庵野秀明という個人の中のプエル・エテルヌス=永遠の少年=碇シンジが、同世代の女子には近づきがたく、自分よりも年上の女子には守ってもらいたいという屈折した欲望を迂遠に表現したのが『 新世紀エヴァンゲリオン 』という作品の一側面であろうと思う。であるならば、エヴァンゲリオンをヱヴァンゲリヲンとしてリビルドする際にも、そうした描写は削るのではなく維持すべきだった。シンジの家出のシーンの改変は、個人的にはいただけなかった。

総評

テレビ版の重要エピソードを巧みにつなげているだけではなく、キャラの言動や内面にも変化が見られる。それは庵野自身の変化であり、また今という世代のチルドレンへのメッセージでもあるのだろう(Jovianは、それは目的ではなく副産物であると少し疑っているが)。アニメ版を一から観る暇はないという人にお勧めであるし、シンの鑑賞前や鑑賞後に観るのも一興である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

run away

逃げる、の意。物理的に逃走する時にも、比喩的・抽象的に逃げる時にも使う。

run away from home = 家出する

run away from work = 仕事から逃げる

run away from reality = 現実逃避する

Jovianは、嫌なことがあれば10回中1回ぐらいは逃げてもいいのではないかと思っている。だから転職回数がまあまあ多いのかな。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, アニメ, 日本, 林原めぐみ, 監督:摩砂雪, 監督:鶴巻和哉, 総監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 』 -やや詰め込み過ぎか-

『 アウトポスト 』 -戦争の最前線の現実-

Posted on 2021年3月15日 by cool-jupiter

アウトポスト 70点
2021年3月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:スコット・イーストウッド ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ オーランド・ブルーム
監督:ロッド・ルーリー

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米トランプ政権で唯一の肯定的評価と言えば、アフガニスタンとイラクからの米兵の撤退方針だろうか。2001年9月11日に端を発する戦争/派兵/駐留が、2021年の今も続いているのは異常である。また、日本はと言えば自衛隊の日報問題の総括もされぬままである。「戦争」とは何なのか。「戦闘」とは何なのか。本作のような硬質な作品を通じて、あらためて考えてみるのも良いかもしれない。

 

あらすじ

2009年6月、アフガニスタンの山麓に位置するキーティング前哨基地。そこは四方を絶壁に囲まれた圧倒的不利な陣地だった。ロメシャ二等軍曹(スコット・イーストウッド)らは、いつタリバン兵から銃撃を受けるか分からない恐怖と緊張の中、日々の任務にあたっていた。そして、いよいよ基地からの撤退の日が迫ってきた時、タリバン兵の総攻撃が始まろうとしていた・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210315013848j:plain
 

ポジティブ・サイド

戦争の経緯も兵士たちの背景情報も何もないまま、観る側はいきなりキーティング前哨基地に連れて来られる。そして、いつどこから撃たれるか分からない恐怖の現場を体験する。その意味では『 ダンケルク 』によく似ているし、実際に銃撃を浴びる際の恐怖感は『 ハクソー・リッジ 』や『 プライベート・ウォー 』のそれに近いものがある。しかも味方陣地が『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』とは全く逆の低地、というか谷底的なロケーション。関ケ原の戦いでも、実際は高地の要所を抑えた西軍有利をメッケル参謀が一目で断言したという逸話(おそらく創作)がある通り、高地と低地では地の利が違い過ぎる、この絶望感がたまらない。

 

戦闘シーンのカメラワークでも魅せる。『 1917 命をかけた伝令 』のようなロングのワンカットを多用し、それが戦闘の極限の臨場感をさらに高めている。特に終盤には、いったいどうやって撮影したのか分からないアングルからのショットがいくつかあり、非常に興味深かった。特に足を負傷したメイスの救出シーンはワンカット(に見せる編集だと思うが)は印象的だった。

 

傑作戦争映画の例に漏れず、本作でも華美なBGMは流れない。戦闘シーンでは銃火器の発射音、着弾音、爆発音がBGMである。まさに耳を襲撃されているかのような戦闘音の奔流に、否応なく臨場感を感じた。従軍記者をしていた先輩が言っていた「俺はもう花火を見に行けない」という台詞の意味が分かる。

 

タリバンの総攻撃シーンにたどり着くまでに、何度かチャプターが変わるが、それが現場指揮官の交代とリンクしているところが興味深い。勇猛な指揮官が不慮の事故で退場し、臆病な指揮官が着任すると現場の士気が下がる。まるで企業のようである。サラリーマンとして実感できるところが多数あった。特に面白いなと感じたのは、ブロワード大尉に対する下士官の態度と、それを厳しくたしなめるロメシャの図。中間管理職という立場は、会社でも軍でも一番しんどいのだろうな。

 

そうそう、エンドロール後にも重要なシーンが続くので席を立ってはならない。

 

ネガティブ・サイド

戦闘シーンでは素晴らしいカメラワークの本作であるが、それ以外のシーンでは???である。なにか場面と場面のつなぎがスムーズではなかったり、唐突だったり、あるいはあまりにも作為的だったり。特に橋のシーンはイマイチだった。あのタイミング、あの角度でズームアウトしたら、そりゃそうなるでしょ、と。さらにあの場面、あの爆発で橋が無傷というのも解せなかった。

 

エンドロール後の兵士たちのインタビューで気になったのが、「本作を観て、アメリカの国防について考えてほしい」という趣旨のことを語っていた。英語では for the greater good of the United States’ security. と言っていたかな。Jovianは軍事については素人に毛の生えた程度の知識しかないが、それでもキーティング基地を見たら、それがどれほど不利な場所に作られているかはすぐにわかるし、実際に劇中の兵士たちも同様に感じていた。自分たちの流した血、そして仲間たちの流した血を思えば、当事者たちが上のように言ってしまうのは充分に理解できる。けれど映画の作り手たちは「こんなアホな場所に若い兵士たちを送り込んだ軍上層部は何を考えていたのか」とは考えなかったのだろうか。よく出来た映画であるが、届けようとしているメッセージがなにやらチグハグであると感じた。

 

総評 

戦争映画の傑作である。というよりも戦闘映画の傑作である。こういう作品に接すると、戦争の是非はともかく(そもそも戦争はすべて非だが)、実際の戦闘で命懸けで戦った兵士には敬意を払うしかない。生き残った者には尚更だ。似非医者の高須某がかつて水木しげるを「落伍兵」と侮辱したことがあったが、水木しげるはこういう現場から離脱することなく帰国しているのだ。一般人がこうした戦闘の現実を知ることが、戦争の一番の抑止力となると思えてならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

have the high ground

高い場所を有する、の意。転じて「有利な立場に立つ」、「優位な状況にある」ということを意味する。これは『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』で、オビ=ワンがアナキンに対して放つセリフで有名かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, オーランド・ブルーム, ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ, スコット・イーストウッド, 伝記, 歴史, 監督:ロッド・ルーリー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 アウトポスト 』 -戦争の最前線の現実-

『 アフタースクール 』 -大人になれる者、なれない者-

Posted on 2021年3月11日 by cool-jupiter

アフタースクール 75点
2021年3月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:大泉洋 佐々木蔵之介 堺雅人
監督:内田けんじ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311160245j:plain
 

確か劇場公開当時に観た。今回レンタルしてきたのは『 騙し絵の牙 』で大泉洋に騙されないように備えたかったため。そして『 シン・エヴァンゲリオン劇場版 』にも備えたかったから。大人になるというのは、なかなかに難しい。

 

あらすじ

神野(大泉洋)は中学からの友人の木村(堺雅人)にクルマを貸すも、その木村が姿を消してしまう。そんな折、同級生の島崎を名乗る探偵(佐々木蔵之介)が神野の勤務先の中学校を尋ねてくる。木村を探しているという島崎に、神野は同行することになり・・・

 

ポジティブ・サイド

これは素晴らしいアンサンブル・キャストだ。大泉洋のどこか軽佻浮薄な印象や、佐々木蔵之介の胡散臭さ、堺雅人の外面の良い人ほど・・・感。役者がナチュラルに放つ雰囲気を映画世界に見事に取り込み、それを活かしたドンデン返しは鮮やかの一語。

 

劇場で観た時は、序盤から中盤にかけてのスローペースに少々厭いてしまったが、今回はストーリーを把握した上での鑑賞のため、伏線の再チェックの意味合いが強かった。その意味で、細かな仕込みの数々には改めて驚かされた。最も「上手いな」と感じたのは、言葉の意味が人間関係によって変わるところ。いや、人間関係というよりも、その人間が・・・おっと、これ以上はネタバレか。

 

もしもまだ未見の人がいれば、前情報は極力仕入れずに観るべし。大人の仕事を味わえることは間違いない。大人というのは「逃げ出さない」、「守り抜く」ことなのだ。

 

ネガティブ・サイド

序盤の保守政治家の演説シーンだけはあからさま過ぎたように思う。これは劇場でも再鑑賞でも感じたこと。また「悪いのは秘書」という(間接的な)図式が大昔も当時も今も通じてしまうのが少し悲しい。本作とは関係ないが。

 

後は警察の逮捕劇がちょっと強引すぎる。というか、飲酒検問は何とかなっても(多分ならない、呼気検査もしてない)、車内の私物を押収はできない。大企業の社長なら顧問弁護士をその場で呼んでもおかしくないし、実際そうされたら「違法捜査だ」と指摘されてすべて終了。日本の警察はミランダ警告もしないし、弁護士を呼ぶという権利行使も認めないという悪しき慣習を黄門様の印籠のように扱うのは個人的に頂けなかった。

 

総評

小説『 騙し絵の牙 』は未読なのだが、映画の方はおそらく似たような仕掛け、つまりキャラクター同士の騙し合いを通じて観る者を騙す、が施されているものと思われる。予習というか、準備に本作は最適だと思われる。もちろん、『 騙し絵の牙 』の鑑賞予定があってもなくても、大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人のファンなら要チェックである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

classmate

「同級生」という意味だが、読んで字のごとく「同じクラスにいる/いた者」を指す。日本語の同級生にあたる英単語はちょっと見当たらない。Schoolmateというのは学校が同じでも学年が違う場合がある。なので、同級生という日本語の持つニュアンスを出すためには、

 

They are in the same grade.

あいつら、同じ学年だよ。

We went to the same school together.

俺ら、同じ学校だったよな。

 

のようなセンテンスにするしかない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, ミステリ, 佐々木蔵之介, 堺雅人, 大泉洋, 日本, 監督:内田けんじ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 アフタースクール 』 -大人になれる者、なれない者-

『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

Posted on 2021年3月3日 by cool-jupiter

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あのこは貴族 75点
2021年2月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 水原希子 石橋静香 篠原ゆき子 高良健吾
監督:岨手由貴子

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日本の経済的成長の停滞が続いて久しく、貧富の格差がどんどんと広がり、もはやそれが身分格差にまでなりつつあるようだ。上級国民なる言葉も人口に膾炙するようになってしまったが、そのような時代の空気を察知して本作のような作品を世に問う映画人もいるのである。

 

あらすじ

良家の子女として育てられてきた華子(門脇麦)は、顔合わせの当日にフィアンセと別れてしまう。次の相手を探すうちに姉の夫の会社の顧問弁護士で代議士も輩出している名家の幸一郎(高良健吾)と出会い、交際が始まる。しかし、幸一郎の影には時岡美紀(水原希子)という女性がちらついていて・・・

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ポジティブ・サイド 

門脇麦の感情を表に出さない演技が光る。フィアンセに顔合わせの当日にフラれたというのに、苛立ちや悲しみを一切見せることがない。家族や親族も華子を特に慰めるでもなく、サッサと次に行くべきと主張するなど非常にドライだ。そしてそのアドバイス通りに次から次へと色んな男との出会いを重ねていく華子の姿は、相手の男がどいつもこいつも社会不適合者気味なこともあり、滑稽ですらある。そんな華子がついに出会った幸一郎が、また存在感、ルックス、学歴、職業、立ち居振る舞いが完璧で、この出会いの時に華子が見せるかすかな瞳の輝きが実に印象的だった。

 

そんな幸一郎には、実は女の影があり、それが地方から上京してきた美紀。幸一郎に講義内容をメモしたルーズリーフを貸したところ、それが返ってくることがなかったというエピソードが印象的だ。苦学の末に慶應義塾に入学したにもかかわらず、実家の経済状態の悪化で退学。ノートもお金も時間も東京に吸われてしまったが、東京は彼女に何も与えてくれなかった・・・というストーリーにはならない。したたかに生きると言ってしまえば簡単だが、美紀が見せる生きる力、決断力、友情の深さに励まされる人は多いのではないだろうか。

 

二人の女性が幸一郎を間接的に媒介して出会うことになるのだが、そこにはドロドロとした女の情念のようなものはない。あるのは人間同士の真摯な向き合い方だ。幸一郎と婚約したという華子に、美紀は幸一郎とはもう会わないと伝え、実際に幸一郎との腐れ縁をスパッと断ち切ってしまう。男と女のドラマをいかようにも盛り上げられる機会を、物語はことごとくスルーしていく。それは本作が描き出そうとしているのが、男や女ではなく人間だからである。

 

「私たちって東京の養分だね」と呟く美紀を見て、自分も良く似た感慨にふけったことがあるのを思い出した。多かれ少なかれ、東京以外の土地から東京へと出ていった人間は、自分は東京という幻想をさらに強固なものとするためのシステムの一部にすぎないと実感することがあるはずだ。自身がマイノリティであるという自覚をもって言うが、本作は『 翔んで埼玉 』と同工異曲なのだ。そして華子も美紀も幸一郎さえも、巨大なシステムに囚われているという点では同じ人間なのだ。

 

敷かれたレールから外れることの困難、敷かれたレールの上を走り続けることの困難。いずれの道を往くにせよ、そうした決断にこそ自分らしさというものが宿るのだろう。生きづらさを抱える現代人にこそ観てほしいと思える作品である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210303224736j:plain
 

ネガティブ・サイド

慶応義塾大学という実在の大学に配慮したのだろうか。もっと『 愚行録 』のように描いてしまっても良かったはず。なにしろテーマの一側面が東京と外部。慶應内部生と慶應外部生というのは、その格好のシンボルだろう。ここのところの暗部をもう少し強調して描くことができていれば、相対的に美紀の生き方がより輝きを増したものと思う。

 

華子と美紀、それぞれの親友との友情をもう少し深めていくシーンがあれば尚良かった。特に、華子の親友のヴァイオリニストは美紀と幸一郎のつながりを目撃する以上に、華子と一笑友人で居続けるのだと感じさせてくれるようなシーンが欲しかった。

 

総評

一言、傑作である。日本の今という瞬間を切り取っていると同時に、抗いがたいシステムから抜け出し、自立的に生きようとする人間の姿を丁寧に描いている。女性ではなく、男性もここには含まれている。B’zはかつて「譲れないことを一つ持つことが本当の自由」だと歌った。その通りだと思う。これが自分の生き方だと受け入れる。そしてその通りに生きる。そうすることがなんと難しく、そして清々しいことか。2021年必見の方が作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up shop

「起業する」や「開業する」の意。start one’s (own) businessという表現が普通だが、set up shopというカジュアルな表現もそれなりに使われる。これに関連するtalk shop=「仕事の話をする」という表現は『 ベイビー・ドライバー 』で紹介した。同じ表現を様々に言い換えることで、コミュニケーションがスムーズになる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 水原希子, 監督:岨手由貴子, 石橋静香, 篠原ゆき子, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:東京テアトル, 門脇麦, 高良健吾Leave a Comment on 『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

『 藁にもすがる獣たち 』 -韓国ノワールの秀作-

Posted on 2021年2月28日 by cool-jupiter

藁にもすがる獣たち 75点
2021年2月27日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:チョン・ドヨン チョン・ウソン ペ・ソンウ チョン・マンシク
監督:キム・ヨンフン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210228015810j:plain
 

『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』をブルク7で観た際に本作の予告編を観て、気になっていた。原作は日本の小説とのことだが、これは相当に脚色されているのだろう。見事なまでに韓国色に染まっている。

 

あらすじ

サウナのロッカーに残されたカバンの中に眠る札束の山。失踪板恋人の残した借金で首が回らない男、家業を潰してしまい、アルバイトで生計を立てる男、夫によるDVから逃れたい女、様々な人間たちが人間性をかなぐり捨ててカネを求めていく先には・・・

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ポジティブ・サイド

日本の原作小説は知らないが、これだけ漫画や小説の実写映画化が花盛りの日本で映画化されず、逆に韓国で映画化されるということは、『 オールド・ボーイ 』と同じくガンガン人が死ぬ、あるいは傷つけられる展開がてんこ盛りだからだろう。実際に本作でも死人が出るし、暴力的な描写もえげつない。スラッシャー・ムービーと見紛うシーンもあるが、そこは直接は映し出されないので安心してほしい。

 

いや、それにしても“獣たち”とは言い得て妙である。人間など、一皮むけば獣なのだ。特に痴情と大金が絡めば尚更である。獣たちが一匹ずつ章ごとに紹介され、彼ら彼女らの物語が独自に展開されていく。そして、最後にはすべてが見事にひとつに収斂していく。これは脚本家の手腕だろう。それとも原作もそうなのか。いずれにしても、映画の面白さの第一は脚本=キャラクターとストーリーなのだ、

 

本作の獣、もといキャラクターたちは誰もかれもが「あ、見たことあるぞ」という役者たちばかり。つまりは実力派俳優ばかり。彼ら彼女らのアンサンブル・キャストは見応え抜群。特にチョン・ドヨンの凛とした美しさとやられたら倍返しの精神は、さすがの一語に尽きる。40代後半に差し掛かろうというのに露天風呂で柔肌を披露。肌も美肌で、服を着ている時でも健康的な魅力と妖しい魔力の両方を同時に放つという魔性の女。石田ゆり子や篠原涼子がチョン・ドヨン並みに攻めてくれれば、邦画の演技・演出レベルも少しは上がるのだが。

 

また『 息もできない 』の良心担当のチョン・マンシクが本作でも信販業者の社長としてカムバック・・・してくれたのは結構だが、これはちょっとイメチェンしすぎではないか。はっきり言ってヤバい人である。もちろん普通のビジネスマンにも『 アウトレイジ 最終章 』の白竜のようなヤバい人はいる。しかし、今回のチョン・マンシクはヤバいの意味が違う。気に入らない相手は銃で撃ち殺すのではなく、包丁で切り刻んでしまう。そして用心棒が肉や内臓を食べてしまう。ムチャクチャである。その用心棒も風貌が凄いのだ。『 殺人の追憶 』の序盤で警察が容疑者連中を雑に取り調べていくシーンでもインパクト抜群の顔面の持ち主がいたが、この用心棒もすごい。いったいどこからこんな個性的な顔の役者を見つけてくるのだろか。

 

大金の入ったヴィトンのカバンを巡って、次から次へとキャラクターたちが入れ代わり立ち代わりで物語をあちらこちらへと無秩序に進めていく様のスピード感よ。同時に、被害者が加害者に、弱者が虐げる側へと簡単に変貌していく様からは、人間の弱さや滑稽さをまざまざと見せつけられた感じがする。

 

本作はストーリー進行にちょっとしたネタが仕込まれている。原作が日本産というところ、章立てで話が進んでいくというところから『 去年の冬、きみと別れ 』を思い浮かべられればVery goodである。Jovianは途中で気が付いたが、登場人物たちの関係や、そのつながりの開陳の仕方、その鮮やかさにすっかり魅了されてしまった。映像芸術の面でも見どころは満載だ。あるキャラの元の商売が刺身屋さん、そして刺身の盛り合わせがチョン・マンシク演じる社長の脅迫シーンのカメラの端に映し出されているのは上手いと思った。キャラのつながりの暗示であると同時に、「切り刻まれて食べられたいのか?」というこれ以上ない脅しの小道具としても機能していた。他にもネオン街からの赤のストロボが、とあるキャラの室内の惨状とキャラクターの心情を如実に表していて、これまた巧みだと感じた。キム・ヨンフン監督はこれが長編の商業映画デビュー作だという。『 はちどり 』のキム・ボラ監督もそうだが、隣国の新人映画監督のレベルはちょっと高過ぎじゃないですかね・・・

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ネガティブ・サイド

いくら韓国の警察が無能だと言っても、まさか刺青で身元確認はしないだろう。わざとらしく髪の毛を切るシーンがあれば「ああ、DNA鑑定だな」とこちらも思う。そうした一瞬の演出が欲しかった。

 

夜中の2~3時に人をクルマで撥ねて、その死体を山まで運び、穴を掘って、そこに埋めて、また街中まで帰って来たのに、まだ夜が明けていないとはこれいかに。その後も延々と夜のシーンが続くという謎の時間軸。ここだけは矛盾があまりにも大きく減点せざるを得ない。

 

韓国のクルマにはエアバッグの装着が義務化されていないのだろうか。クルマで人をドカンと撥ね飛ばしたら、エアバッグが作動しそうだが。といっても、邦画やアメリカ映画でもエアバッグはこういう時は作動しないお約束になっているからね。

 

総評

これぞまさしく韓国ノワールとも言うべき作品である。人がどんどん死ぬので、そのあたりに耐性がない人は観るべきではない。デートムービーにも決して向かない。逆に言えば、デートで観にさえ行かなければ良い。韓国お得意の人間の内面を容赦なく抉り出す、さらけ出す極上エンターテインメント作品である。映画好きならば見逃す手はない。原作小説を読んだという人にも、ぜひ鑑賞してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ヨボセヨ

日本語で言うところの「もしもし」である。これも韓国映画や韓流ドラマでお馴染みである。電話の第一声であることが多いが、ドアをノックしながら「ヨボセヨ」と言うこともあるし、相手がボーっとしている時にも「ヨボセヨ」と言える。まさに日本語の「もしもし」である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, チョン・ウソン, チョン・ドヨン, チョン・マンシク, ペ・ソンウ, 監督:キム・ヨンフン, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 藁にもすがる獣たち 』 -韓国ノワールの秀作-

『 秘密への招待状 』 -邦画もしくは韓国映画で再リメイク希望-

Posted on 2021年2月27日2021年2月27日 by cool-jupiter

秘密への招待状 75点
2021年2月26日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ミシェル・ウィリアムズ ジュリアン・ムーア ビリー・クラダップ アビー・クイン
監督:バート・フレインドリッチ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210227161041j:plain
 

タイトル(邦題)はイマイチだが、ミシェル・ウィリアムズとジュリアン・ムーアの共演および対決というだけでチケット購入。期待以上の出来栄え。大人のテーマを大人の映画技法で語りつくした逸品。

 

あらすじ

インドで孤児院を運営するイザベル(ミシェル・ウィリアムズ)は、200万ドルの支援を検討している会社経営者テレサ・ヤング(ジュリアン・ムーア)に会いにニューヨークへ向かう。「娘の結婚式に来てくれればもっと話せる」というテレサの招待に応じたイザベルだが、そこで目にしたのはテレサの夫はかつての恋人オスカー(ビリー・クラダップ)だった・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210227161112j:plain
 

ポジティブ・サイド

ジュリアン・ムーアの演技力が光っている。カリスマ的な会社経営者、精力的に働くキャリアウーマン、良妻賢母(という表現はもしかしたらアメリカではnot PCかもしれないが)のすべてを情感たっぷりに演じている。見どころは、イザベルとのとある会食前のシーン。友人たちとにこやかに談笑したかと思えば、自分の部下を恐ろしく口汚い言葉で罵る。ジェットコースターのように気分があちらこちらへと瞑想・・・ではなく迷走する。ラストの慟哭も観る者に深く、痛く突き刺さる。

 

ミシェル・ウィリアムズは対照的に抑えた演技で魅せる。二度だけ声を荒げるが、その他のシーンは基本的には感情を押しとどめている。逆に、所作で存分に語っている。靴を脱ぎ捨て、足早に階段を下りていくシーンに彼女の内面の怒りや混乱がよく表れている。こうした演出の方が逆に彼女の内面をよりはっきりと伝えてくれる。監督の演技指導やカメラマンの腕前もあるのだろうが、日本の女優もミシェル・ウィリアムズが本作で見せる演技を参照してほしい。

 

全体的なストーリーテリングも巧緻だ。イザベルとオスカーの口論や、グレイスとイザベルがアルバムを一緒に見るシーンなど、過去に何があったのかを断片的に物語ってはいるものの、全体像や真実は決して明らかにしない。それは、本当に重要なのは「今」であるという作り手の信念の反映なのだろう。グレイスが父オスカーに“Did you love her?”と問い、さらに“Do you?”と重ねて尋ねるシーンがそのことを証明していると思う。

ドラマチックなシーンでも妙に凝ったカメラワークやBGMに頼らず、あくまで俳優たちのエモーションを淡々と映し出し続けたのが心地よかった。『 私は確信する 』でも感じたことだが、テンプレに沿って映画を作っている日本の監督たちは、時には調味料なしで素材の味だけで勝負する度胸を持って欲しい。

 

家族とは、結婚とは、子育てとは、仕事とは、人間関係とは。様々な問いが渦巻く本作では、明確な答えは示されない。巨大な企業で、白人、黒人、アジア系、男性、女性の区別なく人を雇い、血のつながらぬ子供も血を分けた子どもも育てたテレサ。ひっそりと孤児院を運営するイザベラとは対照的だが、血縁者以外を家族として扱う点では同じ。そのことは、彼女たちだけではなく今後の世界では広く共有されるべき価値観となるはず。イザベラの言う“It’s your life. You decide.”という信念・理念がそれを表しているように思えてならない。彼女自身、息子のように育てている孤児のジェイに人生の選択を委ねるシーンには何とも言えない苦みと少しのさわやかさが残る。日本では『 ヤクザと家族 』が家族の意味を問い直してきたが、アメリカでも家族の意味を再定義する時期に差し掛かってきているのだろう。

 

ネガティブ・サイド

色々な解釈の余地を残す本作で、逆にそれが心地よいのだが、一つだけ気になる点が。テレサがイザベラのニューヨーク訪問を強硬に主張した理由の真相は何だったのか。偶然だったのか、必然だったのか。

 

イザベラおよび施設のマザーらしき女性がカネにこだわるのは大いに理解できる。しかし、そのカネへの執着に説得力を持たせるには、第一にインドの子ども達が置かれている窮状、惨状をよりつぶさに映し出すこと。そして第二にニューヨークのホテルの部屋をスイートからスタンダードに変えてくれ、その差額を寄付金に加えてくれという要求。この二つが少なくとも必要だったのではないか。

 

総評

上質なドラマである。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』のように養子制度にあまり抵抗のなさそうな韓国、『 朝が来る 』で養子という制度への気づきが高まった日本でも、機を見てリメイクしてほしいもの。『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』のように、各国が自国の特色を盛り込めることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grace

楽曲『 アメージング・グレース 』でお馴染みの語。意味は「恩寵」。スペイン語のありがとう=グラシアス(gracias)やイタリア語のありがとう=グラッツェ(grazie)などと語源を同一にする語。大河ドラマ『 麒麟がくる 』の主人公・明智光秀の娘たまが細川ガラシャとなるが、ガラシャというのはラテン語のGratia=英語のgraceである。Every picture tells a story. Every word tells a story, too.

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アビー・クイン, アメリカ, ジュリアン・ムーア, ヒューマンドラマ, ビリー・クラダップ, ミシェル・ウィリアムズ, 監督:バート・フレインドリッチ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 秘密への招待状 』 -邦画もしくは韓国映画で再リメイク希望-

『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-

Posted on 2021年2月26日 by cool-jupiter

もらとりあむタマ子 70点
2021年2月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:前田敦子 康すおん 富田靖子 伊藤沙莉
監督:山下敦弘

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210226000126j:plain
 

映画貧乏日記のcinemaking氏がrepeat viewingをしているという傑作とのことで、近所のTSUTAYAでレンタル。観ている最中はクスクスと笑ってしまい、観終わってからちょっぴりホッとする作品だった。

 

あらすじ

東京の大学を卒業したものの修飾もせず、甲府の実家で怠惰な日常を送るタマ子(前田敦子)。食って寝て漫画を読んでゲームをする日々に父親(康すおん)も苦言を呈すが、タマ子はやはり自堕落なまま。しかし、春になってタマ子は秘かにある就職活動を始めようとして・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングから笑ってしまう。黙々と働く父親を尻目に、遅くに起きてきたタマ子が冷えてしまった朝食を無言でむしゃむしゃ食べ始めるシーンだけで笑ってしまった。これは間違いなくダメ人間。何故かって?それは2009年ごろにちょっとだけ実家に帰ってモラトリアムを過ごしていたJovianの生活パターンそのままだからです。

 

両親は離婚、姉は結婚して子供もいる、母親は東京という状況でシングルファーザーの父の実家でひたすらに自堕落に過ごすタマ子が、どういうわけかたまらなく愛おしい。いや、女性的な魅力があるというわけでは決してない(失礼!)。愛おしいというのは、見守ってやりたいという気持ちにさせてくれるということだ。何故そう思わされてしまうのか。その絶妙な仕掛けを知りたい人は、ぜひ本作を鑑賞されたし。自分が自分らしくあることが大切だ、という意味がありそうで実は意味がない言説を、前田敦子はたった一人で覆してしまったと言える。

 

父親役の康すおんが古き良き父親という感じで非常に良い。昭和的な父親ではなく平成的な父親だ。黙々と仕事をするが、掃除に洗濯、料理までこなすという21世紀の男性像が見事に体現されていた。食事シーンが頻回に映される本作は、食べると演じるがしばしば同時進行する。日本の役者は食べる演技の時には小栗旬や永谷園の男(名前を忘れてしまった)のような演技になるが、本作は違う。食べると演じるが不可分になっていて、そこはなかなか面白いと感じた。

 

途中で登場する富田靖子が素晴らしく魅力的で、蒼井優があと10年ぐらいしたらこんな感じになるのだろうなという美熟女。父親の側にこんな女性の影がちらついたら、子どもは確かに心穏やかにはいられませんわな。同時に、こんな女性像を目の当りにしたら、そりゃあダメ人間な自分も良い刺激を得てしまいますわな。

 

本作は映画的なメタファーを徹底的にそぎ落としている。大袈裟なBGMもないし、キャラクターの心象風景を仮託されたような風景描写もない。ひたすらタマ子にフォーカスすることで、逆に観る側がタマ子の胸の内を想像するようになっていく。そしてタマ子に同化していく(おそらくモラトリアム期間を経験したことのある人間はタマ子を同一視してしまうだろう)。この構成には恐れ入った。

 

エンドロールの終わりにちょっとしたサプライズ(?)映像もあって楽しい。演じているという演技ではなく、やはり素の前田敦子だったのか?

 

ネガティブ・サイド

タマ子と不思議な交流をする中学生男子の滑舌が今一つだった。素人らしさを強調したいのかもしれないが、やはりあれでは浮いてしまう。見た目は、地方都市の純な中学生っぽさ全開で素晴らしかったけれどね。

 

富田靖子の出番が少ない。もっと彼女にスクリーンタイムを!富田靖子と中村久美が井戸端会議している画が一瞬あれば、それはそれでタマ子の想像力をものすごくかき立てると思うのだが。

 

父親の掘り下げにもう一工夫できたのではないか。パセリのエピソードは確かに笑ってしまうが、それが自家栽培だとしたらどうだろう。プランターでパセリを育てることが、実家でタマ子を養ってやる姿と奇妙なコントラストを形成して面白かっただろうなあ、と思う。

 

総評

脱力系のコメディなのかヒューマンドラマなのか。とにかく前田敦子の役への没入感が素晴らしいとしか言いようがない。安易にビルドゥングスロマンにせず、かといって全く清涼しないわけでもない。店を開けたり、父親の下着も嫌がらずに干したり、成長とは言えないような変化であるが、それでも観る側がエネルギーをもらえるのだから不思議なもの。肩の力を抜いて、夕飯時に家族でわいわいやりながら観てみると面白いに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

No one must know about this.

劇中でタマ子が言う「これ、誰にも言っちゃダメだからね」の私訳。直訳すれば、“You can’t tell anyone about this.”となるだろうが、No one must ~というのもネイティブはよく使う。「誰でもない人がこれについて知らなければならない」=「誰もこのことについて知ってはならない」=「誰にもこのことを言うな」となる。No one や Nobody を主語にした英文をパッと作れるようになれば、英会話の中級者以上である。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, 伊藤沙莉, 前田敦子, 富田靖子, 康すおん, 日本, 監督:山下淳弘, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-

『 私は確信する 』 -人間が裁かれるということ-

Posted on 2021年2月23日2021年2月26日 by cool-jupiter

私は確信する 75点
2021年2月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マリナ・フィオス オリビエ・グルメ ローラン・リュカ
監督:アントワーヌ・ランボー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210223011705j:plain
 

予告編の段階では何の変哲もなさそうな法廷サスペンスものに見えたが、元々2018年に公開の映画だと知って、興味が湧いてきた。1年ぐらいのラグは外国産映画では珍しくないが、2年以上となると、配給会社が「今こそ日本で公開すべき」と判断したと考えられるからだ。そしてその判断は正しかったと思う。

 

あらすじ

スザンヌ・ヴィギエが突如として蒸発したことから、大学教授の夫ジャック(ローラン・リュカ)は妻殺害の容疑者としてメディアにセンセーショナルに報じられてしまう。ジャックの娘に自分の息子の家庭教師をしてもらっているノラ(マリナ・フィオス)は、敏腕弁護士のモレッティ(オリビエ・グルメ)に弁護を依頼する。ノラはモレッティから、200時間超に及ぶジャックの通話記録の文字起こしを頼まれたことから、独自に事件の真相に迫らんとして・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210223011740j:plain
 

ポジティブ・サイド

寡聞にしてヴィギエ事件については知らなかったが、本作は冒頭部分に文字でヴィギエ事件の概要を説明してくれる。そして、裁判のどの段階から物語が始まるのかを明確にしてくれる。そのため、予備知識が無い状態でもまっすぐと物語世界に入っていくことができる。

 

冒頭で度肝を抜かれてしまうのは、妻スザンヌの遺体も見つかっていないのに、夫ジャックが殺人罪で実際に起訴されてしまったということ。もちろん第一審は無罪だ。だが検察は何を血迷ったのか、判決を不服として控訴。今から2週間の間に集中的に審理が行われるというところから映画はスタートする。妻が失踪し、夫に疑惑がかけられるというのはデイビッド・フィンチャーの『 ゴーン・ガール 』的だし、無数の音声から真相に迫っていこうという試みは『 THE GUILTY ギルティ 』に通じるものがある。つまりは、よくある話でありながらも真相に迫っていくアプローチが独特なのだ。ここに、主人公ノラ自身がシングルマザーであること、難しい年頃の息子を抱えていること、そしてモレッティ弁護士に大目玉を食らう原因となる或る背景などもあり、裁判の行方とノラ自身の生活の両方の間を、観客はジェットコースター的に行き来することになる。

 

私生活を犠牲にしてまで追いかけるヴィギエ事件の真相を、ノラはある証言の食い違いの中に見出す。我々は「これが決定打になるのか?」と色めき立つ。しかし、そこにこそ陥穽がある。確たる証拠もないままに誰それが真犯人であると断定することは、そのまま確たる証拠もなく殺人罪で起訴されてしまったジャック・ヴィギエをもう一人生み出すことにつながるだけである。Jovianはかつて受講生だった京都弁護士会の大御所のお一人に、「弁護士の仕事はクライアントの利益を守ること」だと教わった。真実を求めることは弁護士の仕事の第一ではないのだ。モレッティのノラに対する、時に辛辣に過ぎる態度は、そのままモレッティのプロフェッショナリズムを表している。

 

クライマックスのモレッティ弁護士の長広舌は、圧倒的な迫力でもって観る側に迫ってくる。彼の姿をカメラは傍聴席のあちこちから静かに捉え続ける。「裁判の当事者ではない者たちよ、この声を聞け」と監督が言っているわけだ。観ている側も、まるで傍聴席に座っているかのような感覚になってくる。『 ファーストラヴ 』の堤幸彦監督は本作をこそ手本にしてほしい。やはりこのようなシーンではBGMはノイズである。評決が告げられる場面にも、劇的な演出はない。なぜなら劇的な要素はないから。それがアントワーヌ・ランボー監督の意図であろう。推定無罪という近代社会の原則がいとも簡単にないがしろにされてしまう時代や社会を見事に撃った作品に仕上がっている。

 

ネガティブ・サイド

ノラがヴィギエ事件の真相究明にのめりこむ経緯が明確ではない。中盤にその一部が明かされるが、モレッティがそのことを指してノラを「嘘つき」呼ばわりするのはいかがなものか。ノラは嘘をついたわけではなく、ある重要な情報をしゃべらなかっただけだ。弁護士なら黙秘の重みにもう少し配慮すべきではないか。

 

途中でノラが不慮の交通事故に遭うシーンがあるのだが、これは必要だったか?まるで『 セッション 』でマイルズ・テラーが交通事故に遭った場面と瓜二つだった。しかも不必要に怖い。その割にはノラのダメージは大して深くないという謎演出。サスペンスを生み出したいなら、もっと別のやり方があったのでは?

 

恐ろしく眼付きの悪い警視に何らかの報い、と言うと大げさだが、マスコミに押し寄せられて、浴びせかけられる質問に答えられずしどろもどろ・・・といったような何かしらのネガティブな結果をその身に受けるべきだったように思う。登場時間はほんの数分ながら、これほど鼻持ちならないキャラクターは近年観たことが無い(役者にとっては、これは誉め言葉だろう)。

 

総評

我々はなにか事件があるとすぐに「こんな奴は懲役10年だ!」、「死刑だ!」などと過激に反応してしまう。推定無罪という原則をすぐに忘れてしまう。三浦弘行の将棋ソフトの不正使用疑惑に対して、将棋界や世間が三浦を猛バッシングする中、羽生善治が「疑わしきは罰せず」だと発言したとされる点は特筆大書に値する。これとは反対に、日本の司法のごく最近の残念な例として“菊池事件の再審拒否”が挙げられるだろう。興味のある向きは是非ググられたい。日本の検察も、フランス検察に負けず劣らずの腐り具合であることが分かるだろう。このような時代と社会に生きる我々にとって、本作は人が人を裁くということの難しさについて多大なる示唆を与える傑作である。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

bonsoir

ボンソワールと発音され、意味は「こんばんは」となる。Bon = good、Soir = eveningである。語学学習において暗記は避けては通れないが、力づくで暗記するのではなく、必ずその語や句や表現が使われた文脈とセットで理解して、記憶すること。そうすれば、Bonsoirの翻訳字幕が「どうも」であっても、驚くにはあたらないはずだ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, オリビエ・グルメ, サスペンス, フランス, ベルギー, マリナ・フィオス, ローラン・リュカ, 監督:アントワーヌ・ランボー, 配給会社:セテラ・インターナショナルLeave a Comment on 『 私は確信する 』 -人間が裁かれるということ-

『 ノンストップ 』 -コメディOK、アクションOK-

Posted on 2021年2月20日2021年2月20日 by cool-jupiter

ノンストップ 70点
2021年2月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:オム・ジョンファ パク・ソンウン
監督:イ・チョルハ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210220232313j:plain
 

アクション風味の韓国産コメディだと思い、軽い気持ちでチケットを購入。しかし、なかなかどうして、人間ドラマ要素もしっかりしており、適度なドンデン返しもありの佳作。当たり前のことではあるが、韓国が輸出(あるいは日本が輸入)してくる作品というのはハズレが少ない。

 

あらすじ

揚げパン屋を営むミヨン(オム・ジョンファ)はジャンクショップで働く夫ソクファン(パク・ソンウン)と一人娘ナリの3人で、偶然に当選したハワイ旅行のため、機上の人に。しかし、そこには北朝鮮のテロリスト集団も乗り込んでいた。この状況に、ミヨンの隠してきた能力が発揮され・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210220232331j:plain
 

ポジティブ・サイド

オム・ジョンファの魅力が爆発している。Jovianよりかなり年上だが、若々しさはあちらの方がはるかに上。芝居の一つひとつがとてもエネルギッシュだ。ことあるごとに「オッケー」とジェスチャー付きで言うのだが、その笑顔もとびっきりチャーミング。石田ゆり子とほぼ同年代ながら、石田ゆり子には決して出せない韓国のアジュンマ(韓国語でおばちゃんの意)のオーラも発揮している。そして過去は凄腕の工作員で、その格闘能力や戦術眼は今も健在というギャップ。キャラ属性だけ見ればよくあるタイプだが、その奥行きが深く、幅が広いのだ。

 

夫役のパク・ソンウンも負けていない。はっきり言ってうだつの上がらないダメ夫にしてダメ父親。駄々をこねるかの如く叫びまくる演技に、一瞬役者本人の精神年齢を疑ってしまうが、それだけ迫真の演技になっているということである。邦画や日本のテレビドラマでは、これほどストレートに妻への愛情を表現する男というのはなかなか見られない。

 

この夫に負けず劣らずのコミックリリーフが機内の男性CA。スパイ活劇に憧れを持っており、平常時もピンチの時も、とにかくそこにいるだけで場をしっかりと和ませ、時に大いに笑わせてくれる。もともと三枚目の役者だが、それに輪をかけて顔芸が最高である。とにかく韓国の役者の芝居はエネルギーに満ち溢れており、アホな演技をする時は突き抜けてアホである。なので、こちらも演技力や演出に注目する必要なく、素直にクスクス、ワハハと笑うことができる。

 

笑いだけではなく、社会的な風刺もところどころでしっかり効いている。国会議員が非常時でも横柄な態度を取り、上流階級のマダムは臨月の息子の嫁をハワイに連れていき、そこで出産させようとしている。とある映画監督と映画スターの秘話(あくまでストーリー内での)もこっそりと盛り込まれており、韓国の映画業界そのものをチクリとやりつつ、笑いのネタにもしている。当然、北と南の緊張関係が下敷きにあるので、コミカルな中にもシリアスが、しかしシリアスな中にもコミカルさがある。ハイジャックものというと、どうしてもシリアスな展開にならざるを得ず、そこは本作も例外ではない。敵であるテロリストたちの内部分裂あり、意外な黒幕の登場ありと、序盤のユーモアはどこへやらというハラハラドキドキの終盤から、ちょっとしたドンデン返しの利いたハッピーエンドまで、まさにノンストップだ。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210220232348j:plain
 

ネガティブ・サイド

予告の段階でミヨンが元凄腕のエージェントだということは判明しているのだから、序盤のちょっとしたパン作りのシーンに、ミヨンには非凡な身体能力や運動神経が備わっているということを見せる演出が欲しかった。機内のビジネスクラスでマカデミアナッツをピシュンと放る演出は、タイミング的に遅く、また演出としても大仰すぎる。

 

韓国映画で毎回思うのは、北朝鮮のスパイや工作員が有能すぎるということ。まさか本当に『 サスペクト 哀しき容疑者 』のドンチョルのような奴が定期的に出てくるはずもないだろう。

 

冒頭の潜入作戦の時のミヨンをアン・セラ、回想シーンのソクファンの馴れ初めの時のミヨンをオム・ジョンファが演じるというのは、少々無理があると感じた。これならミヨンは全てオム・ジョンファ、その代わりにアン・セラ役の女優のシーン、たとえば機内の映画のアクションシーンや中盤以降のバトルシーンでのアシストなどで増やした方が、一貫性は保たれたと思われる。

 

総評

韓国産の映画の勢いはなかなか衰えない。コメディにしてもヒューマンドラマにしても、役者が振り切れた演技を見せるからだろう。テンポも良く、ユーモアも冴えている。韓国映画の入門としては、本作ぐらいがちょうど良い。高校生や大学生のデートムービーにもなりうるが、やはり本作は中年または熟年カップルにこそ観てもらいたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

OK

そのまま「オーケー」の意味。使い方は日本も韓国も変わらないようだ。ただし、この語が応答ではなく形容詞になると話が変わってくる。この場合、OKというのは「まあまあ」とか「可もなく不可もなく」という意味になる。

 

A: How did you like that restaurant?

  あのレストラン、どうだった?

B: It was OK.

  まあまあだったな。

 

X:Did you watch this movie?

  この映画は観た?

Y:Yeah, that was an OK comedy.

  ああ、可もなく不可もないコメディだったよ。

 

などが用例である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, オム・ジョンファ, コメディ, パク・ソンウン, 監督:イ・チョルハ, 配給会社:ファインフィルムズ, 韓国Leave a Comment on 『 ノンストップ 』 -コメディOK、アクションOK-

『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

Posted on 2021年2月7日2021年2月8日 by cool-jupiter
『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

花束みたいな恋をした 75点
2021年2月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉 有村架純
監督:土井裕泰

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昨今の邦画では珍しい、映画オリジナル作品。それだけで劇場に向かう価値はある。同じように感じた人が多かったのか、MOVIXあまがさきの5番シアターには老若男女が詰めかけていた。実際の映画の仕上がりも標準以上のものだった。

 

あらすじ

大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は終電を逃してしまったことから偶然に出会う。サブカル趣味が共通する二人はたちまちのうちに意気投合。やがて付き合うことになるが・・・

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ポジティブ・サイド

 

以下、ネタバレに類する記述あり

 

主演の二人がスターでありながら、まったくオーラを発していないところが素晴らしい。まさに等身大の大学生からひよっこ社会人という感じである。おそらく本作が刺さるのは、菅田将暉や有村架純の同世代ではなく、Jovianのような中年世代の方だろう。少女漫画の実写映画化のプロットやキャラクターの背景からは「ああ、俺にもこんな青春があったなあ」とは思えないが、本作の麦と絹の二人からはそれが濃密に感じられる。はたから見れば何のことか分からない話題で盛り上がれるというのは、特に東京の大学生には重要である。地方から出てきて、全く新しい人間関係をゼロから構築する中で同好の士を見つけることは至上ミッションなのだ。大学の部活やサークル、同好会に居場所を見出せれば良いが、それができなかった場合は外に居場所を見つけなくてはならない。麦と絹は一種のアウトサイダー同士なのだ。麦と絹が互いの文庫本を見せあって破顔一笑するシーンでは、大学時代に栗本薫の『 グイン・サーガ 』シリーズや小野不由美の『 十二国記 』シリーズの話題で盛り上がれる女子に出会ったことを思い出した(その女子とは友達で終わってしまった・・・)。作家や作品名などに固有名詞がバンバン出てくるが、そこは自分なりに脳内で改変して楽しめばいい。これはそういう映画である。

 

麦と絹のフリーター同士の交際から同棲、そして徐々に生活に齟齬が生まれてくる流れも巧みで自然だ。自然と言うのは、よくあることという意味ではなく、誰もが自分なりに置き換えて消化できるエピソードになっているということだ。麦が絹に自作のガスタンク映画を見せてやり、その長さに思わず寝入る絹の寝顔を見つめる麦の表情が印象的で、Jovianは『 ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間 』を有楽町で一緒に観た大学の同級生(友達で終わった女子ね・・・)を思い出した。

 

麦の趣味であり夢であるイラストレーター、絹の趣味である「ラーメンと女子大生のブログ」が、二人の生活に占める割合が変化していく様が演出の妙。イラストで身を立てようとして上手く行かない麦と、ラーメン屋巡りはスパッと辞めてしまったかに見える絹。男は年齢を重ねてロマンチストになるが、女性は年齢を重ねてリアリストになっていくという対比が見えて、上手いなと感じた。就職および仕事を巡っての心の在りようの変化も真に迫っている。『 何者 』でも共演した二人だからこそ、このあたりの芝居も非常にスムーズ。

 

別れのシーンも秀逸。これって俺の話なのか・・・、と困惑させられ、同時に痛く共感させられたのが、別れを切り出された麦が、絹に結婚を提案するところだ。若気の至りなのか、自分も血迷って別れ話の席で全く同じことをしたことがある。脚本家・坂元裕二の体験でもあるのか、それとも男性に普遍的な思考回路なのか。おそらく後者なのだと思うが、このシーンでは我あらず涙ぐんでしまった。その後に二人に別れを決断させる演出は反則。このシーンは絶対にB’zの『 いつかのメリークリスマス 』の最後の歌詞にインスパイアされている。間違いない。勝手に断言させてもらう。若者向けではなく、中年向け映画であると、ここで確信した。

 

劇中、邦画では珍しく駅名や地名がポンポン出てくる。飛田給と言えば東京外大。その昔に何回か合コンしたが、戦果ゼロ。明治大は高校の同級生が通っていたので、何度か訪れたことがある。そして何と一瞬だけではあるが、三鷹市芸術文化センター、通称ゲーセンが映っていたではないか。国際基督教大学出のJovianにとって馴染みのあるスポットである。自分のよく知る景色が出てきたことで、ここでもやはり5点オマケしておく。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210207134607j:plain
 

ネガティブ・サイド

いつ頃から、「好きです、付き合ってください」が「付き合ってください」だけOKというふうに変わったのだろうか。15~20年ぐらい前は「好きです」がないと、「付き合ってください」につながらなかったと記憶しているが、いつの間にやら「え、俺らってもう付き合ってるでしょ?」みたいな時代になったのか。『 勝手にふるえてろ 』でも松岡と渡辺のそんなシーンがあったが、本作ぐらい中年層にアピールする作品ならば、その世代の若い頃の恋愛文法に従ってほしかった。

 

冒頭から独白が多すぎるようにも感じた。キャラクターの心情を言葉で観客に効かせるのは悪いことではない。それが効果的であることも多い。けれども、本作のように観る側の経験や記憶、感情を刺激する作りであるならば、すべてを麦と絹に語らせるのではなく、行間に余裕を持たせた語りをさせるべきではなかったか。

 

引っかかったのは、麦が絹の髪をドライヤーで乾かしてやるところ。女性の髪に触るという行為は、めちゃくちゃハードルが高い行為に思えるのだが。俺が立派なオッサンの完成だからかな。このエピソードは三日間セックスしまくった後のシャワー後の方がよりリアリティがあったのでは?

 

自称・映画好きが『 ショーシャンクの空に 』を挙げるシーンで麦も絹も表情が凍り付くが、別ええやんけ・・・。『 ショーシャンクの空に 』も、別に最初から大ヒットしたわけじゃなく、徐々に人気が上がっていったメインストリームではなかった作品。ここは『 スター・ウォーズ 』とか『 アベンジャーズ 』と言わせるべきだった。

 

総評

劇場にたくさん来ていたが、10代20代には積極的にはお勧めしない。『 僕の好きな女の子 』同様に、30代40代にこそ観てほしいと個人的に思う。ハッピーエンドでもなくバンドエンドでもない。人生の中で確かにそこにあった青春を、時をかけて慈しめるようになった世代向けの作品。鑑賞後、なぜか無性にB’zのミニアルバム『 FRIENDS 』を聞きたくなった。中年男性B’zファンなら共感してくれるものと思うし、そうでなくとも青春の1ページを確かに思い起こさせてくれることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

劇中の「楽しかったね」の私訳。『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』でも紹介した表現。語学学習はある程度の丸暗記が必要だが、一定以上のレベルに達したら状況とセットで理解することを目指すべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 日本, 有村架純, 監督:土井裕泰, 菅田将暉, 配給会社:リトルモア, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

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