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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: B Rank

『 映画大好きポンポさん 』 -映画という沼にハマれ-

Posted on 2021年6月22日 by cool-jupiter

映画大好きポンポさん 75点
2021年6月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:清水尋也 小原好美
監督:平尾隆之

 

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タイトルだけで鑑賞決定。『 ビューティフルドリーマー 』や『 鬼ガール!! 』と同系列の、映画を作る映画である。好物ジャンルの鑑賞前は Don’t get your hopes up. が鉄則であるが、本作は期待に胸を膨らませた状態で鑑賞しても、十分に面白かった。

 

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あらすじ

ジーン(清水尋也)は映画以外に好きなものが何もない青年。ニャリウッドの地で敏腕映画プロデューサーのポンポさん(小原好美)のもとでアシスタントを務めていた。ある新作映画の15秒のティーザー・トレイラーを作るように言われたジーン。腹をくくって作ったトレイラーはなかなかの出来。そこでポンポさんは自身が執筆した脚本を映画化する、その監督はジーンだと告げてきて・・・

 

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ポジティブ・サイド

『 くれなずめ 』でJovianの後輩が映画のプロデューサーを務めていたが、その仕事がどういったものであるかを分かりやすく見せてくれる作品。映画監督がプロ野球の監督だとすれば、映画プロデューサーはプロ野球チームのゼネラルマネージャーと言えるだろうか。

 

舞台がニャリウッドというハリウッドのパロディであり、ポンポさんという深夜のアニオタ向けアニメのキャラのような少女がプロデューサーである。つまり現実味がない。そこが良い。キャラは立ってなんぼである。奥泉光の言葉を借りれば「本当のことほどつまらないものはない」のである。ジーンというキャラも個性的だ。よくいる凡百のネクラオタクと思うことなかれ。オタクの特徴に批評家であることが挙げられる。またクリエイターであることが多いのもオタクの性である。ストーリーとして面白いのは間違いなくクリエイトする方だろう。漫画『 げんしけん 』もクリエイターである荻上が加わってから面白さのレベルが一段上がった。

 

男なら一度はオーケストラの指揮者、プロ野球の監督、または映画監督をしてみたいと言われる。ジーンが監督として奮闘する姿は、限りなくリアリスティックでありながら、同時にロマンティックでもある。面白いと感じたのは、ジーンがポストプロダクションで泥沼にハマってしまうところ。まるで期限のはるか前に書き上げた卒論を何度も何度もリライトしたかつての自分を思い出した。またジーンというキャラはどことなくハリウッドという生態系に生きづらさを感じた映画人が投影されているように思う。『 スター・ウォーズ 』のジョージ・ルーカスなどが好個の一例だろう。

 

映画撮影現場でのアイデア出しや撮影の雰囲気もよく伝わってくる。またプロデューサーの権力や職掌についても分かりやすく描かれている。なんか妙なアニメだなと敬遠することなかれ。自らをもってシネフィルを任じるなら鑑賞すべし。

 

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ネガティブ・サイド

ミスティアというキャラの使い方が中途半端に思えた。『 累 かさね 』で女優の生活の一端が惜しみなく開陳されたが、もっとそうしたシーンが必要だったように思う。

 

90分はちょっと短すぎではなかろうか。Jovianは個人的に1時間40分から2時間がちょうど良いと思っている。まあ、この辺は個人の好みの問題なので。

 

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総評

映画大好きというタイトルからして映画ファンを挑発しているようだ。そして実際にそうだ。映画を作るというのは自分の美意識を現実化するということで、普段から様々な映画をあーだこーだと批評しているJovianは思いっきりジーンに自己を投影して楽しむことができた。コロナ禍が続いたにもかかわらず今年の前半は結構な豊作という印象。その中でもアニメーション作品としては(『 JUNK HEAD 』は別格としても)としては白眉であると感じた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

cinephile
映画好き、の意味。片仮名で時々シネフィルと書いてあるのを目にするが、発音に忠実に表記するならばシネファイルとなる。cineの部分は『 アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい 』で説明したの省略。phileは、philosophyやphilanthoropyでお馴染み。「愛する」の意味である。『 まちの本屋 』に集うような人々なら bibliophile =本好きである可能性が非常に高いだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, アニメ, 小原好美, 日本, 清水尋也, 監督:平尾隆之, 配給会社:角川ANIMATION, 青春Leave a Comment on 『 映画大好きポンポさん 』 -映画という沼にハマれ-

『 くれなずめ 』 -青春を終わらせるな-

Posted on 2021年5月30日 by cool-jupiter

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くれなずめ 70点
2021年5月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:成田凌 高良健吾 若葉竜也 藤原季節 浜野健太 目次立樹  
監督:松居大悟

 

プロデューサーの和田大輔、なんとJovianの大学の後輩である。隣の寮に住んでいた脳筋の変人だったが、いつの間にやら文化人かつ商売人になっていた。今後もプロデューサーとして活躍していくと思われるので、和田大輔プロデュース作品には是非とも注目してくだされ。

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あらすじ

友人の結婚式のために久しぶりに集まった吉尾(成田凌)や明石(若葉竜也)らだったが、余興が盛大にすべってしまった。気まずい空気に包まれたまま、彼らは二次会までの時間をつぶそうとする。そして、かつての自分たちの友情を回想していき・・・

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ポジティブ・サイド

タイトルに反応して、「くれ~なず~む街の~」と口ずさむのは立派なオッサンだろう。くれなずむというのは、今の季節だと午後6:30から午後7:00ぐらいの逢魔が時が続いていく感じを指す。結婚式に出席するということは、同年代が結婚しつつあるという意味で、独身貴族の時期の終わりを予感させる。しかし、まだ一人を楽しみたい。まだ完全に大人になりたくない。そのような若者のパトスを象徴的に表すタイトルである。

 

成田凌や若葉竜也、藤原季節など売り出し中の若手のエネルギーがそのまま画面にみなぎっている。そこに混じる高良健吾が『 あのこは貴族 』の時と同じく、 condescending  な感じを出すか出さないかのギリギリの線の演技で、若者と大人、フリーターと社会人の境界線上のモラトリアム人間を好演していた。かつての親友たちが各々に成長していたり、あるいは社会参加を拒んでいたり、まるでかつての自分や自分の友人たちとの関係を思い出す世代は多いだろう。特にJovianのようなロスジェネ世代には、その傾向が強いのではないか。

 

アホな男たちのアホな乱痴気騒ぎが延々と続くが、それぞれがロングのワンカットになっているのが印象深い。ワンカットによって場の臨場感が高まるし、観ている側もその場に参加している感覚が強くなる。対照的に回想シーンでは随所にカットを入れ、カメラのアングルを変えていく。まるで記憶を色々と編集しているかのように。こういうことは結構多い。友人の結婚式などに参加して、昔の写真や映像を観ると、自分の記憶と実は少し違っていたりすることが往々にしてあるからだ。

 

主人公である吉尾とその悪友たちの現在のまじわりが、過去の様々なエピソードに繰り返し、あるいは焼き直しになっているところが面白く、リアリティがある。野郎どもの友情というのは時を超える、あるいは時を止めるのだ。おそらく本作の登場人物たちのような30歳前後の男性には、非常に突き刺さる者が多い作品であると思う。

 

割とびっくりするプロットが仕込まれているが、開始数分で非常にフェアな伏線が張られているので、これから鑑賞するという人は、そこに注意を払えれば吉である。

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ネガティブ・サイド

前田敦子は悪い演技を一切していなかったが、これは大いなるミスキャストではなかったか。観た瞬間から「ああ、このキャラの因果はこれだな」と想像がつく。

 

ある時点で舞台が切り替わるが、そこからの展開がどうしようもなく陳腐で、映像としてもお粗末だ(ガルーダ・・・)。下手なCGやVFXなど使わず、素直に高校時代の回想シーンと同じで良かった。原作の舞台のノリを持ってくるのなら、それを映画的に翻案しなければならない。映画→舞台→映画という感じで、トーンの一貫性を大いに欠いていた。

 

また結婚式場から二次会の会場に向かうはずの最終盤の「くれなずむ街」のシーンが、どう見ても盛り場からは遠く離れた場所。ロケーションありきで、絵的なつながりが無視されていた。

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総評

藤原季節が出演していること、そして青春の象徴との別れという意味では『 佐々木、イン・マイマイン 』の方が個人的には面白いと感じた。だが決して駄作ではない。良作である。モラトリアムが長くなった現代、青春ときっぱり決別するのはなかなか難しい。むしろ、青春をできるだけ長く生き続けようとする、つまり日が暮れようとしていながらも、まだまだ暮れないという人生を送る人が増えている。日暮れて途遠しとなる人も同じくらい増えているように思うが、それでも今という時代にを生きる人間にエールを送る作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

afterparty

「二次会」の意。これは実際にネイティブも頻繁に使う表現である。ちなみに三次会はafter-afterpartyと言う。大学生の頃にアメリカ人留学生に教えてもらった時は、”You gotta be kidding me, right?”と反応してしまった。嘘のようだが、本当にそう言うのである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 成田凌, 日本, 浜野謙太, 監督:松居大悟, 目次立樹, 若葉竜也, 藤原季節, 配給会社:東京テアトル, 青春, 高良健吾Leave a Comment on 『 くれなずめ 』 -青春を終わらせるな-

『 ヘーゲルの実践哲学構想: 精神の生成と自律の実現 』 -哲学的思考と実践を始めてみよう-

Posted on 2021年5月19日 by cool-jupiter

ヘーゲルの実践哲学構想: 精神の生成と自律の実現 70点
2020年4月28日~5月17日にかけて読了
著者:小井沼広嗣
発行元:法政大学出版局

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アホな政府が緊急事態宣言を出してくれたおかげで、比較的安全なはずの映画館が大阪・兵庫で休業。尼崎市民のJovianにとっては痛手である。なので、ゴールデンウイークから今までは読書に費やした。といっても小説ではなく大部の哲学書である。Jovianの親友の一人が、ついに単著を上梓したのである。

 

あらすじ

近代ドイツの哲学者ヘーゲルの哲学思想の変遷を追いながら、ルソーの社会契約論やカントの批判的理性などの受容と対決、そしてヘーゲル固有の『 精神現象学 』に至る過程を詳述していく。その中で現代社会におけるヘーゲル研究の意義を問い直していく。

 

ポジティブ・サイド

著者の小井沼とJovianは同じ国際基督教大学の同学年の同学科、のみならず同じ寮で4年間を過ごした仲である。共に宗教学・旧約聖書学の碩学・並木浩一に師事しながらも、卒論ゼミには入れてもらえなかったというところまで同じである。最後に会ったのは2014年だったか。Jovianの同窓生にはいっぱしの大学教員があと二人いるが、学者としては小井沼が一歩抜け出したようである。

 

本書は大部の哲学書である。したがって読むのに文字通りの意味で骨が折れる。一応、宗教哲学・宗教社会学のバックグラウンドのあるJovianでも1日に30ページ読むのがやっとであった。しかし、ヘーゲル哲学の骨子、そして西洋哲学史の大まかな流れさえ知っていれば、本書は非常にエキサイティングな読書体験を提供してくれる。もしヘーゲルについても西洋思想史についてもよく知らないという場合も心配無用。本書の副題と惹句が非常に優れた本書のサマリーになっている。すなわち、本書およびヘーゲル哲学の射程とは「精神の生成と自律の実現」である。

 

簡単に言い換えれば、精神の生成とは、精神が生成する/生成されることを指す。なぜ能動と受動の両方で記述されるのか。それこそが弁証法である。また、自律とは読んで字のごとく、自らが自らを律することであるが、この時、「自ら」が主語であり同時に述語になっていることに注意。自己が分裂しているわけだ。主体でありながら客体でもあるというの矛盾した状態は、アリストテレス哲学やカント哲学においては退けられるものだったが、ヘーゲルはそこを乗り越えたのである。そして、自律の実現とは、律する側の自己と律される側の自己の関係の完成である。ここで国家と個人の関係を想起できれば  Sehr gut = Very good である。 ヘーゲルにとって精神の活動とは歴史の展開であり、個人の精神の弁証法は、そのまま共同体や国家の発展にシンクロナイズすると考えられるのである。

 

逆に言えば、これほど動的な哲学が生まれたのは、ヘーゲルの生きていた時代が激動していたからである。隣国でフランス革命が起こり、個人と国家の関係が一度リセットされ時代。そして小領邦がプロイセンとして結集し、貨幣制度や税制度を統一させていく時代。そうした、既存のシステムが崩壊し、再構築されていくという時代に、ヘーゲルは自身の哲学を重ね合わせた。そうした知識を背景に本書を丹念に読み込んでいけば、アメリカのオバマ政権→トランプ政権→バイデン政権という流れの理解や、あるいは韓国と北朝鮮の関係の変遷を読み解く一助になりうる。

 

もしくは、コロナ禍が収束しない現代日本というシステムおよび市民性や国民性についての考察を深めることも可能だ。ヘーゲルは古代ギリシャやローマのような、個人の内面的な構造と共同体の統治構造が一致するような、原始の共和制を強く志向していたが、同時に個人の精神の生成とその完成の先も志向していた。つまり、個々人の精神活動=自律がぶつかりあう社会だ。今日の日本に置き換えるなら、例えばマスク警察、自粛警察などは自律が行き過ぎて他律にまでなってしまい、一般人同士の間での分裂や紛争にまでなってしまっている。まさに「承認をめぐる闘争」である。だが、承認闘争における勝者が勝者として存在することができるのは敗者が対極に存在するからである。逆に言えば、敗者の存在なくして勝者は存在しえない。勝者は敗者に依存するのだ。たとえば、橋下徹やひろゆきといった無責任系のコメンテーターはまさにこれで、自分の思想やルールを他者に強いる人間は、実は《主》ではなく《奴》である。ヘーゲルを通じて、現代日本の言論空間や生活空間への考察や分析を深めることもできるのだ。

 

再度言うが、読破には並々ならぬ忍耐が要求される。しかし、そこで得られる知的な刺激は、映画や小説といったエンターテインメントから得られる刺激とは明らかに一線を画している。2年に一冊は、何らかの哲学書を読んでみるのも大人の嗜みかもしれない。そうした趣味嗜好に賛同いただけるという向きには、本書をぜひともお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

元々の狙いがヘーゲル以前の哲学者の思想とヘーゲルその人の思想の対決と受容、そして発展(それもイェーナ期限定)であるため、思想史全体からのヘーゲル哲学の俯瞰が全くされていない。たとえば、ヘーゲルにおよそ100年先行するパウル・ティリッヒがアリストテレスの目的論を下敷きに自己の神学論を構築した。同じようにヘーゲルも国家論・共同体論においてアリストテレス哲学を継承している。古代ギリシャ哲学がいかにヨーロッパ思想史に影響を及ぼし続けているのかについて、概説的にでも触れる箇所があれば、専門家や学者の卵以外にとっても読みやすいテキストになる。

 

他に気になった点として、より一般的な歴史的な視点からのヘーゲル哲学の解説がない点である。ヘーゲル哲学の根本とは、精神の生成 → 精神の自律 → 精神の実現である。これはそのまま当時のプロイセン王国の発展とフラクタルになっていると言える。小さな土地に根付いた小さな共同体が、様々な法や制度によって一体化していき、国から王国、そして帝国(この頃にはヘーゲルは死去しているが)に発展していくという歴史的な過程が、ヘーゲルの思考と思想に影響しなかったはずがない。そのあたりを説明するために一章を割いても良かったのではないだろうか。

 

現代日本に対する批判あるいは応援のメッセージが見いだせない。たとえば故・今村仁司や赤坂憲雄は、著作の中で必ずと言っていいほど自説や新規の仮説を導入するに際して、日本社会の分析や考察に援用できるような視点を盛り込んできた。そうしたところまで目配せができれば、哲学者という存在も象牙の塔の住人と揶揄されなくなるのではないか。

 

総評

70点をつけてはいるが、5点はオマケである。300ページ超で5,000円以上の哲学書にハイスコアをつけるのは土台不可能である。これは同朋のよしみである。だが、コロナがアウトブレイクし、なおかつ一部の先進国(嗚呼、もはやそこに本邦はないのか)では収束の兆しも見えている今日、我々は国家と個人、政府と市民の関係性を大いに問い直されたと言える。個としてどう生きるべきか、共同体をいかに構成・維持していくべきか。こうした疑問を抱き、かつ何らかの自分なりの答えを出したいという人には、本書がなんらかの示唆を与えてくることは間違いない。

 

Jovian先生のワンポイント独語レッスン

geist

ガイストと読む。これだけだと何のことやらだが、ポルターガイストを思い浮かべてほしい。そう、英語にすると ghost なのである。霊と訳されるだけではなく、文脈に応じて spirit =精神とも解釈される。ピンとこないという人は、『 GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 』を10回観るべし。哲学や文芸批評に造詣が深い人なら、zeitgeist = 時代精神という言葉も見たり聞いたりしたことがあるはず。本書でも259ページで出てくる言葉である。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2020年代, B Rank, 学術書, 日本, 発行元:法政大学出版局, 著者:小井沼広嗣Leave a Comment on 『 ヘーゲルの実践哲学構想: 精神の生成と自律の実現 』 -哲学的思考と実践を始めてみよう-

『 デイアンドナイト 』 -善悪の彼岸へ-

Posted on 2021年5月16日 by cool-jupiter

デイアンドナイト 75点
2021年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:阿部進之介 安藤政信 清原果耶
監督:藤井道人

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『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』の清原果耶と藤井道人監督の初タッグ作品。『 るろうに剣心 最終章The Final 』で頭のイカレタ鯨波兵庫を熱演した阿部進之介の熱演が光る。

 

あらすじ

明石幸次(阿部進之介)実家に帰ってきた。父が大手企業の不正を内部告発したことで家業は倒産に追い込まれ、本人は自殺した。そんな中、北村(安藤政信)という男が接触してくる。北村はは児童養護施設を運営しながら、その資金を車両の盗難などの犯罪で得ていた。そして明石にその仕事を手伝ってほしいと言ってきて・・・

 

ポジティブ・サイド

『 七つの会議 』を彷彿させる出だしで、日本の闇を感じさせる。不正を告発することよりもコミュニティの輪を乱す方が悪いという考え方は実に日本的であるが、それによって潰される個人はたまったものではない。『 七つの会議 』との違いは、タイトルにある通り昼=Dayと夜=Nightとで異なる顔を持つ者たちの物語になっているところである。我々は「お天道様が見ているから」という理由で、明るいうちには悪事には手を染めない。しかし、夜には夜の顔がある。ポイントは、昼が正しく、夜が間違っているというわけでは決してないということだ。

 

安藤政信演じる北村は、その二面性を上手く表している。昼に養護施設で見せる顔と、夜に工場で野郎どもに見せる顔の違いに、役者としての凄みを見せる。「お父さんも手伝ってくれていた」という言葉で明石を巧みに勧誘し、「見て覚えて」と有無を言わせず仲間に引き入れる。阿部進之介演じる明石も同じ。何の変哲もない男で日の光の当たる世界に居場所を持つはずが、裏社会に染まっていく。このあたりの描写に説得力がある。汚い方法で得たカネで恵まれない子どもを養うのは悪なのか、不正を告発することで多くの人間が職を失うことになってしまうのは悪なのか。

 

昼の世界と夜の世界に生きる明石をつなぎとめ、かつ、さらに濃い闇に染める存在としての奈々の存在感がとにかく素晴らしい。皆と群れることなく孤独に絵を描いている時に上空を雁行で飛んでいく鳥の群れが象徴的だ。施設の中での一番の年長で、自分が先陣を切ってこの場所から羽ばたいていく。そんな決意がにじみ出ている。厨房でひとり黙々と働く明石に寄り添い、相手の孤独を癒そうとしながら自分の孤独を癒そうとするところなど、femme fataleの素養も十分。この世代では南沙良と清原果耶がトップランナーだろう。

 

明石の復讐劇。北村の持つ因果。善行のために悪行を為すという矛盾。そうした人間の心の中の迷いのうねりが、海岸線沿いに立ち並ぶ巨大な風車に仮託されているようだ。巨大な力に押しつぶされそうになる明石が、最後の最後に父親の復讐に打って出るシーンは圧巻。一発で収録しなければならない緊張感がびりびりと伝わってきたし、役者たちもそれに応えた。復讐で得られるものは何か。復讐で成し遂げられることは何か。日本社会の縮図とその中の人間模様のリアルさに考えさせられることしきりであった。

 

ネガティブ・サイド

冒頭の父親の残した手記にある「善と悪」についての省察は良かったが、劇中のナレーションや最終盤での父の幻影とのやりとりはさすがにくどいと感じた。犯罪で得たカネを孤児院の運営に使うのは善なのか悪なのかということは、序盤ですでに十分に伝わっているし、明石の父の死も善と悪の狭間の出来事であることは直感的に理解できている。

 

麻薬の売人を容赦なく叩きのめしていたが、そんなことをしていると警察よりもヤクザ、あるいは半グレの方から先に報復を受けそうに思うが。ある意味で、悪と悪がぶつかり合う本作であるが、世の中にはたくさんの事情の異なる悪が存在するという場面がほんの少しでいいからほしかった。

 

舞台は秋田ということだが、清々しいまでに秋田弁が出てこない。『 泣く子はいねぇが 』を少しは見習えと言いたい。

 

総評

藤井道人監督の現実感覚が良く表れた傑作であると思う。善と悪の境界にあるのは、強い人間の思いである。憎い相手への復讐と、守りたい相手を守るということ。まるで韓国映画の十八番のリベンジスリラーのようだが、その手法を日本社会に当てはめたのが特徴的。人間の業に善悪などないものだが、それによって恩恵を受ける者、被害に遭う者などもあり、仏教的な意味での縁起について考えさせられる。藤井監督の問題意識は『 新聞記者 』よりも本作のほうが濃いように思う。いぶし銀の脇役・阿部進之介の主演作かつ代表作としても見逃せない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Watch and learn

「見て学べ」、「見て覚えろ」の意。職場でも使うし、軍隊などでも使う。日本っぽ言い回しにするなら、「背中を見て学べ」だろうか。実際には人間よりも、人間以外の哺乳類の親子や兄弟がこれを実践しているように思う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, クライムドラマ, 安藤政信, 日本, 清原果耶, 監督:藤井道人, 配給会社:日活, 阿部進之介Leave a Comment on 『 デイアンドナイト 』 -善悪の彼岸へ-

『 ファイティン! 』 -マ・ドンソクの目にも涙-

Posted on 2021年5月11日 by cool-jupiter

ファイティン! 70点
2021年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ハン・イェリ クォン・ユル
監督:キム・ヨンワン

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頭のリセットモードを継続するために、マ・ドンソク作品をpick outする。いつも通りにマ・ドンソクが悪人たちに鉄拳制裁を加えていく話かと思いきや、意外にもスポ根、ヒューマン、ファミリーの要素が色濃い作品であった。

 

あらすじ

元アームレスラーのマーク(マ・ドンソク)はクラブの警備員でその日暮らしをしていたが、偶然に出会ったジンギ(クォン・ユル)に勧誘され、韓国でアームレスラーとして出直すことを決断する。帰国後、生家を訪ねたマークは自分の母の娘だというスジン(ハン・イェリ)とその子どもたちに出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

アメリカはLAから物語が始まるが、そこでマ・ドンソクがかなり流暢な英語を披露する。元々、アメリカに住んでいたバックグラウンドがあるので当然と言えば当然だが、これぐらいまともな発音なら、アメリカ育ちという設定にも説得力が生まれる。

 

場末のクラブでバウンサーをしているその目が死んでいる。まったく生き生きしていない。しかし、ジンギに出会い、成り行きで腕相撲をすることになった瞬間の表情の変化は、マ・ドンソクの確かな演技力を感じさせる。そこであっさりとクラブを首になってしまうのだが、死んだ目のマークはもういない。心機一転を決意した男の顔になっている。マ・ドンソクはアウトローや警察といった、元々暴力と親和性の高いキャラを演じることが多いが、本作ではアスリート。ワルの目ではなく、アスリートの目になっている。

 

マ・ドンソクが妹のスジンと出会う前に、甥っ子姪っ子と遭遇するシーンも面白い。熊みたいな見た目と評されて小さくなってしまったり、モーテルの電動ベッドでヴヴヴヴヴと揺られてみたり、超高たんぱくなバーガーを手作りしてみたりと、かわいいオッサンになっているシーンが随所に挿入される。確かにこのアメリカ系韓国人は、強面でありながら、どこか子どもがそのままでかくなったような雰囲気を湛えている。このギャップは素晴らしい。マ・ドンソクの新しい顔を見たように思う。もちろん、鉄拳制裁シーンもあるので安心してほしい。

 

本作の肝は主に二つ。一つにはしっかりとスポーツとしてのアームレスリングが描かれていること。トレーニングやテクニックについての描写があるのはありがたい。マイナーなことこの上ない競技であるアームレスリングだが、誰でも出来るし、やったことのある腕相撲である。ちょっとした解説で一気に親しみがわいてくる。

 

もう一つに、家族とは何かということ。ほとんど会ったことがなくても家族なのか。血のつながりがあれば家族なのか。家族とは「家族である」ことよりも「家族になる、家族であろうとする」ものだというテーマを、本作は提示する。韓国映画は『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』でも描かれていたが、養子に出すことも、養子を取ることも、日本より抵抗が薄そうである。そうした養子が、しかし、何の試練も乗り越えることなく家族になれるわけではない。しかし、試練の先には強い家族の絆が生まれる。『 ミナリ 』でも存在感抜群だったハン・イェリが本作でも肝っ玉母さんぶりを見せつける。家族とはその手に掴み取るもの。ベタベタな展開だが、そのように思わせてくれる物語だ。

 

ネガティブ・サイド

教育ママとガリ勉息子のシーンは不要だったかな。お隣では英語力≒就職力だと聞くが、どうせならマ・ドンソクにもっと英語でしゃべらせて、嫌味な親子を撃退してほしかった。中途半端に「英語が上手ですね」ではなく、「げ、自分や息子よりもはるかに英語ができる相手だ」とタジタジになるまでやってほしかった。

 

アームレスリング大会で八百長を持ちかけてくる男の上役も中途半端な英語を話すが、マ・ドンソクとこの男の間で英語のやり取りが欲しかった。ここでも周りを置き去りにして、分かる者にだけ分かる言葉を交わすことで、マ・ドンソクの決意の強さを見せてほしかった。

 

悪役であるはずのパンチという男にラスボス感がない。刑務所の牢名主が元選手としての強さを維持できるだろうか。故意に対戦相手に怪我をさせるスタイルで勝負していては、結果的に真剣勝負ができる=実力を維持できる、という環境を自分で破壊してしまっているように思う。

 

ジンギとマークの間の奇妙な友情が深まっていくシーンが不足していたように思う。マ・ドンソクの食わず嫌いを直してやるのは面白いが、LAのコリア・タウン(Jovianも行ったことがある)と接触しながら生きてきて、韓国料理に抵抗を示すというのは、ちょっと腑に落ちなかった。ジンギは裏社会の人間にボコられているところをマークに助けられる、あるいはマークと一緒にヤクザ相手に殴り合いのケンカをするなどの演出が必要だったのではないか。

 

総評

マ・ドンソクらしさ全開である。個人的にはマブリーという愛称にいまいちピンと来なかったのだが、本作を観て「マ・ドンソク+ラブリー=マブリー」という等式の意味が分かった。友情、努力、勝利、家族。臭すぎる展開ではあるが、ラストのマ・ドンソクの涙に胸を打たれない者がいようか。韓国の容赦ない暴力テイストが苦手だ・・・という人にとっては格好の韓国映画入門になっている。マ・ドンソクのファンならば必見だし、マ・ドンソクを観たことがない人は、本作から観始めると良いだろう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ヤクソク

韓国語でも約束はヤクソクと発音される。これは日本語と韓国語が同じなのではなく、語源となった中国語の読み方が両国で似通っていたというものらしい。この言葉が使われるシーンでは指切りも行われるが、そこでも日韓の指切り文化の違いを見ることができる。つくづく近くて遠い、そして遠くて近い国である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, クォン・ユル, スポーツ, ハン・イェリ, ヒューマンドラマ, マ・ドンソク, 監督:キム・ヨンワン, 配給会社:彩プロ, 韓国Leave a Comment on 『 ファイティン! 』 -マ・ドンソクの目にも涙-

『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』 -家族を照らす優しい光-

Posted on 2021年5月9日 by cool-jupiter

宇宙でいちばんあかるい屋根 70点
2021年5月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:清原果耶 桃井かおり 伊藤健太郎
監督:藤井道人

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MOVIXあまがさきで上映していたが、当時は華麗にスルーしてしまった。『 新聞記者 』と『 ヤクザと家族 The Family 』の藤井道人監督作だと知っていれば、劇場で鑑賞したはずなのだが。ちゃんとリサーチをせなアカンなと反省しつつ、レンタルしてきた。

 

あらすじ

つばめ(清原果耶)は、隣人大学生への恋心や、父と母の間にできる新しい子どもへの思いなどから、どこか満たされない日々を送っていた。しかし、ある日書道教室の屋上で星ばあ(桃井かおり)に「キックボードの乗り方を教えろ」と言われ、乗り方を教えたところ、星ばあがキックボードに乗って空を飛んだ。そんな星ばあにつばめは思わず、恋愛相談をして・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングの Establishing shot が印象的である。夜、上空から家々を見下ろす視点は穏やかで優しい。窓辺から漏れる光に各家庭の日常が垣間見えてくる。さて、これは誰の視線なのか。そして、そして「宇宙でいちばんあかるい屋根」とは何か、この冒頭の1分程度だけで物語世界に引き込まれてしまった。

 

そして朝、起き抜けの清原果耶がくしゃくしゃに丸められた手紙と思しき紙を確認し、そしてバンジョーを弾く隣の家の大学生をカーテンの隙間から覗き見る。まさに思春期の女子という感じがする。その一方で、幸せそうな父と母の仲睦まじい様子からは、少し距離を置いているかのような朝食風景。ちょうど年齢的に子どもと大人の中間に差し掛かるあたりで、自分というものの在り方や居場所を模索する時期で、そうしたものがほんのわずかな描写だけで見えてくる。非常に映画らしい演出だと感じた。

 

星ばあとの出会いも面白い。そんなところにばあさんがいるわけないだろうという場所にばあさんがいて、つばめと色々と話していくようになる過程は、どこか非現実的で幻想的だ。現実と非現実の境目という感じで、屋上という建物の一部であり、かつ屋外でもあるという空間が、その感覚を強化する。この星ばあなる存在、イマジナリーフレンドかと思わせる要素が満載なのだが「えんじ色の屋根」という物語の一つのキーとなる要素が語られるところから、その正体が俄然気になってくる。そして、そのえんじ色の屋根の家探しが、つばめの自分の居場所探し、つまり自分が好きな男との関係、自分を好きな男との関係、そして自分と家族の関係を見つめ直すことにもつながってくる。このプロットの組み立て方は見事だ。

 

星ばあと屋上以上以外の場所で出会い、街を探索していくシークエンスを通じて、観る側にとって「星ばあとはいったい何なのか」との疑問が深まっていく。同時に、星ばあの存在が、つばめに前に進む力を与えていることをより強く実感できるようにもなる。つばめが好きな大学生、そしてつばめを好きな(元)同級生との意外とも必然的ともいえるつながりが見えてきて、物語が加速する。そして、つばめが本当に求めていた居場所を自ら掴み取りにいくシーンは大きな感動をもたらしてくれる。

 

藤井道人監督の作風は多岐にわたるが、いずれの作品にも流れている通奏低音は、現実のちょっとした危うさであるように感じる。現実は見る角度によってその様相を大きく変えることがあるし、人間関係も同じである。けれど、つらく苦しい世界にも救いはある。人と人とは、分かり合えるし、つながっていける。そのように感じさせてくれる。

 

ネガティブ・サイド

つばめが階段を駆け下りるシーンが惜しかったと思う。『 ジョーカー 』みたいに踊れ、とは思わないが、階段というのはある位相と別の位相をつなぐシンボルだ。それは『 パラサイト 半地下の家族 』で非常に象徴的だった。つばめの足取りの軽やかさと星ばあの足取りの重さを対比する非常に良い機会が活かしきれていなかったように思う。

 

本作は本来的にはファンタジー映画なのだが、その部分の演出が弱いと感じた。そこを強調させられるはずなのに、それをしなかったと感じられたのは、水族館と糸電話。たとえば魚やクラゲたちが星ばあに不思議に引き寄せられるなどのシーンがあれば、物語の神秘性はより増しただろう。また、糸電話のシーンでも、つばめだけがそれを使っているのではなく、街を眺めてみれば、あちらこちらに糸電話の糸が見える、というシーンがあれば良かったのにと感じた。

 

総評

どことなく、えんどコイチの読み切り漫画『 ひとりぼっちの風小僧 』を思わせる内容である。ユーモラスでありながらシリアスであり、しかしつらい境遇の中にも救いの光は差し込んでくる。清原果耶のくるくる変わる表情が印象的で、脇を固めるベテラン俳優陣の演技も堅実。あらゆる年齢層にお勧めできる佳作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’ll regret the things you didn’t do more than the ones you did.

星ばあの至言、「後悔はやってからしろ」を聞いて、思わず上の格言を思い出した。アメリカの作家、H. Jackson Brown. Jrの言で「君は、やったことよりもやらなかったことの方をより後悔するだろう」という意味。Jovianもこの格言を自作の教材に取り入れたことがある。格言は丸暗記してしまうのが結局は早道なところがある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ファンタジー, 伊藤健太郎, 日本, 桃井かおり, 清原果耶, 監督:藤井道人, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』 -家族を照らす優しい光-

『 透明人間 』 -ダーク・ユニバースの復活なるか-

Posted on 2021年5月5日 by cool-jupiter

透明人間 75点
2021年5月3日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:エリザベス・モス オリバー・ジャクソン=コーエン オルディス・ホッジ マイケル・ドーマン
監督:リー・ワネル

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TSUTAYAで110円クーポンを使ってレンタル。USJが無観客営業を要請されて気の毒だなと感じていたので、ユニバーサルの映画をピックアウトした次第。

 

あらすじ

光学分野の天才エイドリアン(オリバー・ジャクソン=コーエン)はセシリア(エリザベス・モス)を異常に束縛していた。彼のもとから脱出したエリザベスだったが、その後にエイドリアンが自殺したと知らされる。しかし、その頃から彼女の身の回りで不可解なことが起こり始め・・・

 

ポジティブ・サイド

ジョン・カーペンター版の『 透明人間 』は確かWOWOW放送時に観た。高校生ぐらいだっただろうか。H・G・ウェルズ以来、透明人間の物語は数限りなく作り出されてきたが、透明人間が主人公ではなくヴィランというのは珍しいような気がする。

 

ソシオパスの男が透明人間になって自分を捨てた女に復讐する。見方によってはギャグだが、これがどうしてなかなかのホラー風味のサスペンスに仕上がっている。観る側は不可解な事象はすべて透明人間の仕業だとわかっているのだが、セシリアには最初はそれがわからない。そんな段階でもカメラはしばしば”覗き”のアングルからセシリアを捉え、観る側に透明人間の視点を体験させる。あるいは、なにもない空間に何度もパンし、見えない何かの存在を執拗に意識させてくる。この、キャラクターが気づいていない、またはうすうす感じてはいるが確信にまでは至っていない状態と、観ている側の「早く気付け、やべーぞ!」という感覚のギャップが一級のサスペンスを生み出している。この構成は見事。

 

セシリアがいよいよ透明人間の存在を確信したとき、エイドリアンの弟で財産分与を手がける弁護士のトムが絶妙の演技でそれを否定する。このトムを演じた役者マイケル・ドーマンは、Jovianだけが名作だ傑作だと騒いでいるタイムループもの『 トライアングル 』でもなかなかの存在感を放っていた隠れた名優である(ちなみに『 トライアングル 』をDVDなどで借りる際は、ボックスの表面にネタバレがあるので注意のこと)。

 

本作は、透明人間の存在をダイレクトに前面に押し出すのではなく、透明人間が存在しうると信じてしまう心理、そしてあの男なら透明人間になってまでストーキングしてもおかしくないという狂った人間の心理をメインに描いている。その一方で、狂っているのはエイドリアンなのか、それとも・・・というところにまで踏み込んでいる。単純構造の物語ではなく、多重構造の物語になっていて、オチも二重三重になっている(あるいはそのように解釈できる)。目に見えない相手が怖いのではない。目に見える体を持つ人間の、目に見えない心の中が怖い。そんな、ある意味ではホラーの王道を行く作品である。

 

ネガティブ・サイド

透明人間がいくらなんでも強すぎではないだろうか。警察やガードマン相手に、いくら自分が不可視とはいえ格闘で圧倒するのはどういうことなのか。ボクシングなど、なんらかの格闘技の経験者でもないと、あれだけ簡単に人間をノックアウトすることはできないと思われるが。

 

あのスーツの素材および機能はどうなっているのだろう。耐衝撃性があり、耐水性もあり、おそらく小型の電池で長時間作動する、あるいはスーツそのものに発電機能がありそうだが、まるでアイアンマンやアントマンの世界観で、ダーク・ユニバースのそれとは相容れいないものように感じた。

 

一番の疑問は、あのスーツを着用したままで”行為”ができるのかということ。あるいは薬で眠らせて、自分はいそいそとスーツを脱いで事に及んだというのか。にわかには信じがたいし、じっくり考えてみてもやはり信じがたい。透明人間という大嘘部分を担保するために、その他の部分には極力リアリティが必要だが、そこで少し失敗しているという印象を受けた。

 

総評

鳥山明の漫画『 ドラゴンボール 』の初期にたくさん出てくる透明人間や人造人間(フランケンシュタインの怪物)、男狼などはすべてユニバーサルのキャラクターである。それらを全部集めたダーク・ユニバース構想は見事に頓挫したが、個々のキャラクターの魅力や可能性までが棄損されたわけではない。本作はそのことを見事に示してくれた。ホラーといっても、幽霊やら正体不明の怪奇生物が出てくるわけではないので、そうした分野はちょっと・・・という人にもお勧めしやすい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

video 

ビデオ、動画の意味。しかし、元々はラテン語で”I am seeing ~”の意味。ここから色々な英単語、たとえば、vision, visual, vistaなどが派生していった。勘の良い人ならaudio = I am hearingから、audienceやauditoriumが生まれたのだとピンとくることだろう。 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エリザベス・モス, オリバー・ジャクソン=コーエン, オルディス・ホッジ, サスペンス, ホラー, マイケル・ドーマン, 監督:リー・ワネル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 透明人間 』 -ダーク・ユニバースの復活なるか-

『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 』 -壮大なリセット&リビルド作品-

Posted on 2021年5月3日 by cool-jupiter

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 70点
2021年4月27日 Amazon Prime VideoおよびDVDにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 坂本真綾
監督:摩砂雪 鶴巻和哉 前田真宏
総監督:庵野秀明

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『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』の再鑑賞前にテレビアニメ版をレンタルしてみたり、旧劇を観直したり、ちょっと別の本を読んだりしているうちに緊急事態宣言。間の悪さを嘆くべきか、政府の無能さを恨むべきか。

 

あらすじ

碇シンジ(緒方恵美)は今やヴィレに属すミサトらやアスカ(宮村優子)によって衛星軌道上からサルベージされる。そして、ヴィレが戦艦ヴンダーを拠点に碇ゲンドウ率いるNERVと戦っていることを知る。その原因が、自身が14年前に引き起こしたニア・サード・インパクトにあると知らされて・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭のスタジオ・ジブリ presents な感じ満々の、いわゆる「火の七日間」のエピソードが怖い。というか心憎い。これまでのいかなる作品でも直接的に描かれることのなかったファースト・インパクトやセカンド・インパクトだったが、このニアサーを間接的かつ変則的に描くのは前世紀と新世紀をつなぐ意味でも効果的だったと思う。『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 』でも述べた通り、エヴァは前世紀末の破滅思想、終末思想の色濃い世界の産物だった。『 風の谷ナウシカ 』の巨神兵が、現実世界に突如到来するスキットは最高のイントロダクションであると感じた。

 

その後のアスカとマリによる宇宙空間での初号機回収作戦も一大スペクタクル。目の前で繰り広げられる作戦行動が何であるのかを考える暇もなく、進化したアニメーション技術がふんだんに盛り込まれたシークエンスが展開される。そしてアスカによって言及されるシンジの名前。物語作成の文法通りだが、このあたりの盛り上げ方は非常に巧みである。

 

その後に明かされる14年間の真実。カヲル君によるテレビアニメ版と同じ、語りながらも説明はせず、相手に悟らせるスタイルは、通常ならイライラさせられるのかもしれないが、エヴァの世界観とキャラ設定においてはうまく機能している。畢竟、エヴァを観るということは、謎や神秘に触れたいという自分の内なる欲求に応えることなのだろう。劇場鑑賞したとき、そして今回DVDで再鑑賞しても、正直に言って物語そのものの意味は100%は理解できていない。しかし、何か世界の奥深いところに触れているという感覚(錯覚)だけは、1995年から今まで継続している。これは凄いことだと素直に思う。

 

シンジとアスカによるエヴァ同士のバトルは、使徒相手のそれとは違い、どちらに感情移入するのかが難しい。というよりも、どちらにも感情移入したくなる。最後は人間同士の、しかも実は志を同じくする者同士が已むに已まれず戦うというのは、それこそ漫画『 聖闘士星矢 』などでおなじみの展開。それでも手に汗握ってしまうのだから、この手法が強力なのか、庵野の作劇術が巧みなのか、それとも自分が単純だからなのか。おそらく全部だろう。謎解き考察に興味のある向きにはどう映るのかわからないが、エヴァの世界観は忠実に継承されていると言える。

 

ところで、副題の「急」がQである意味は何なのだろうか?最初は急=QuickまたはQuickeningかなと思ったが、あまりにもひねりがなさすぎると感じた。QuestionやQuestの意味も込められているのだろうか。これについてご教授いただける方がいれば、ありがたいです。

 

ネガティブ・サイド

本作を単体で観ると「力を入れるのはそこじゃないだろう」と指摘したくなる。一番そう思わせるのはヴンダーのコクピット内の描写。そこは凝らなくていい、ヱヴァンゲリヲンそのものやキャラクター描写を充実させてくれ。物語を長く続けていくと、どんなクリエイターにもこの傾向が出てくる。漫画『 ベルセルク 』の三浦建太郎しかり。

 

ヴィレ側のキャラの言動に腑に落ちない点が多い。頑なにシンジに「エヴァにだけは乗るな」と言うが、だったら優しく真実を教えてやってもよいのではないか。それに『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 』ではミサトさんはシンジに「あなた自身のために行きなさい」と言って、背中を押したではないか。その結果としてのニア・サード・インパクトをすべてシンジに押し付けるのはいかがなものか。

 

完全に野暮な突っ込みだとわかっていて言うが、冬月がシンジに「将棋を打てるか?」と尋ねるのは本当に勘弁してほしい。囲碁=打つ、将棋=指す。将棋で打つのは持ち駒だけだ。駒落ちにしても飛車角桂香ならまだしも、飛車角金を落とすとはこれいかに。また、シンジが指した直後に「31手後に詰みだ」と宣告するが、これが本当なら藤井聡太以上の終盤力の持ち主と言うしかない。当時は藤井はまだプロではないから、前世紀の・・・ではなく全盛期の谷川浩司以上か。将棋ファンとしては突っ込みどころ満載の謎シーンだった。スタッフに将棋ファンはゼロだったのだろうか。

 

総評

ものすごい勢いで観るものを物語世界に取り込んでくる作品である。一方で、おそろしいまでに初見殺しでもある。まあ、本作がエヴァ初体験という人はまずいないだろうが、それでもエヴァを長年追い続けた人でも、本作でかなりの数がふるいにかけられたと観て間違いない。それでも『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』公開時の観客の入りを観ていると「逃げちゃダメだ」と食らいついてくるファン、そして若い世代も多いことに気づいた。そうした意味では、本作は最もエヴァらしいエヴァと評しても良いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

think ~ moves ahead

将棋、チェスなどをたしなむ人ぐらいしか使わない表現だろうが、そうした愛棋家のためにも紹介しておきたい。「〇手先を読む」の意味である。将棋界には3手の読みという言葉があるが、3手先を読む=think three moves aheadと言う。5手先を読むなら think five moves ahead である。また3手詰めの詰将棋は、a 3-move checkmate prolemと言う。将棋好きなら知っておきたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, SF, アニメ, 坂本真綾, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:前田真宏, 監督:摩砂雪, 監督:鶴巻和哉, 総監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:ティ・ジョイLeave a Comment on 『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 』 -壮大なリセット&リビルド作品-

『 るろうに剣心 伝説の最期編 』 -藤原竜也ワールド全開-

Posted on 2021年4月25日 by cool-jupiter

るろうに剣心 伝説の最期編 70点
2021年4月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 武井咲 藤原竜也
監督:大友啓史

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前二作は佐藤健の、佐藤健による、佐藤健のためのコスプレ大会という趣が強かったが、本作は藤原竜也に持っていかれた、という印象である。顔まで含む全身包帯姿なので、コスプレ的な再現度で言えば志々雄>剣心になるのは当然だが、演技者・表現者としても藤原竜也>佐藤健を印象付けてくれたように思う。

 

あらすじ

漂着したところをかつての師・比古清十郎に救出された剣心(佐藤健)は、飛天御剣流の奥義の伝授を乞う。師との向き合いから「生きようとする意志」の強さと奥義を手に入れた剣心は、志々雄真実(藤原竜也)とその一派の討伐に向かわんとするが・・・

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ポジティブ・サイド

チャンバラ大会ここに極まる。けなしていない。褒めている。一時期のWWEなどは、ここでプロレスしてどんな問題や因縁が解決するのか分からないほどに迷走していたが、ここまで清々しく総てがチャンバラ(と拳)で決まる世界観は潔いとすら言える。延々と続く福山雅治による佐藤健へのシゴキは原作とは全然違うものの、アクション密度を高めるのに大いに貢献した。

 

アクションでは田中泯も頑張ったほうだろう。一部どう見てもスタントマンのシーンも散見されたが、相手である伊勢谷友介の熱の入った演技で最怖の翁として説得力ある戦闘能力を表現できていた。蒼紫の強さを際立たせるためのかませ犬なのだが、それを実写で前期高齢者がこなしてしまうところが素晴らしい。

 

その四乃森蒼紫と剣心のバトル(とあえて表現する)も素晴らしい。ワイヤーアクションにはCGには出せない味がある。同時に伊勢谷友介も佐藤健並みのアスリートであると感じた。普段から結構スポーツや格闘技をしている人間の動きに見える。剣心の「神速」は映像的に映えるが、蒼紫の「流水の動き」はある意味で神速よりも表現が難しい。それをところどころで披露しているかのような動きは伊勢谷の発案か、それともfight choreographerの指導の賜物か。

 

船上での宗次郎とのバトル(やはり敢えてこう表現する)も非常に漫画的かつシネマティック。神速vs神速の戦いで、このチャンバラの振付は役者の運動神経および互いの信頼関係を前提としないと成立しなかっただろう。佐藤と神木のケミストリーは『 バクマン。 』から続いているし、この二人の共演はぜひとも他作品で観てみたい。

新月村ではなぜか不在だった斎藤一も、海岸でのバトルでは後輩警察官にかけるそっけない、しかし熱い言葉が印象的。さらに「役人になって武士の誇りを忘れたようだな」という上官へのセリフに、前作および前々作で語られることが一切なかった斎藤一の「悪・即・斬」の哲学が垣間見えて良かった。ここでは漫画の斎藤一らしさが感じられた。劇場公開時は漫画の斎藤にはとても見えなかった江口洋介が、劇場で立て続けに観ると漫画的に見えてくるから不思議だ。原作漫画を未読のJovian嫁は「江口洋介が一番漫画に忠実やと思う」とのこと。確かに思い起こしてみると、『 バットマン 』のマイケル・キートン的、つまり漫画の構図を忠実に再現しようとする意志が感じられた。

 

だが誰が何と言おうと本作の主役は志々雄真実である。つまり藤原竜也なのである。原作の志々雄のどうしようもないほどの強さを見事に実写化。あの包帯衣装は包帯ではなく、多分包帯でグルグル巻きにしたように見せる襦袢?またはラバースーツ?いずれにしろ、他の主要キャラと違って、動きに多少の制限が加わりそうな衣装に見えたし、視界は絶対に悪くなっているはず。それを身に着けたうえであれだけのアクションをこなしたのであれば藤原竜也は本物であろう。同時に衣装係の腕前も賞賛せねばならない。剣心、斎藤、左之助、蒼紫の4人を同時に相手にし、圧倒する様は荒唐無稽ながらも説得力があった。表情も体の動きにも制約がある役ながら、誰よりも原作のキャラを再現できていたように感じたし、最期の断末魔の咆哮と笑い声は原作の漫画のそれ以上だ。伊藤博文その他政府高官の敬礼が藤原竜也への敬礼に見えてしまった。それほどJovianは志々雄真実を演じた藤原竜也に魅了されてしまった。

 

ストーリーよりもキャラとアクションを見たいんだ、という層には文句なしにお勧めができる仕上がりである。

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ネガティブ・サイド

奥義の伝授、つまり「死んでもいい」が「生きねばならない」に変わる過程の描き方があまりにもアンバランスだ。この部分の冗長さがアクションの密度を高めてはいるものの、ストーリーを余計に冗長で間延びしたものにしてしまっている。福山雅治のキャスティングは悪くはないが、これは漫画ファンや映画ファンを満足させるためではなく、福山雅治ファン向けの映画作りをするためなのか。大友啓史は伊勢谷友介に恨みがあって、なおかつ福山雅治に恩義でもあるのか。本当に福山雅治の見せ場を作りたいなら、原作に近い形で十本刀の精鋭をあっさり撃退させてしまえばよかった。というか十本刀という存在も不要だったようにすら思う。伊勢谷友介も残念至極。さんざん剣心を追跡しながら、戦いになった途端に奥義を使われるまでもなく敗れてしまった。シリーズを通して最もかわいそうなキャラである。

 

志々雄との戦いの決着を決める奥義「天翔龍閃」が結構しょぼい。というか、漫画では乱発されていたのを映画では温存していたためか、インパクトが薄れてしまった。単なるスローモーションではなくスーパースローモーションで処理するか、もしくは高速処理にして音が後から聞こえてくるような演出でも良かった。最終奥義のしょぼさが画竜点睛を欠いてしまっている。

 

志々雄に政治を語らせたり、剣心の処刑の茶番や、甲鉄艦が最終決闘の場になったりといった映画オリジナル展開がすべてノイズ。ただ、アクションを見たいという層の観客に沿った結果だと思えば、そこは許容できるか。

 

総評

良くも悪くも、原作のストーリーをダイジェストにして、チャンバラ活劇をメインにしている。原作に忠実な作品を求める層もいれば、漫画という静止画の連続からは得られないカタルシスを大画面と大音響で味わいたいという層もいる。全員を満足させる作品作りは不可能と割り切って、アクション > ストーリーという割り切った作り方を選択したこと自体は評価したい。漫画ファンを納得させるのは難しいが、映画ファンならば満足できる仕上がりになっている。チャンバラ活劇ファンおよび藤原竜也ファンならば必見であろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You grate on me.

瀬田宗次郎の「イライラするなあ」の私訳。grate on someone で、誰かをいやな気分にさせる、誰かの気に障る、の意味。ちなみにJovianのひとつ前の勤め先の英会話スクールの同僚講師3人(全員英検1級持ち)の誰もこの表現を知らなかった。この表現のレベルが高いのか、Jovianの元同僚のレベルが低かったのか。多分、後者である。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, アクション, 佐藤健, 日本, 武井咲, 監督:大友啓史, 藤原竜也, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 るろうに剣心 伝説の最期編 』 -藤原竜也ワールド全開-

『 BLUE ブルー 』 -生涯一ボクサー-

Posted on 2021年4月19日 by cool-jupiter

BLUE ブルー 70点
2021年4月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松山ケンイチ 東出昌大 木村文乃 柄本時生
監督:吉田恵輔

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『 銀の匙 Silver Spoon 』の吉田恵輔が監督および脚本も務めた作品。『 アンダードッグ 』と同じく、ボクサーの影の部分を直視している点に好感が持てる。Jovianはボクシングは多分1000試合ぐらい観ているが、吉田監督も結構なボクシング通なのではないかと感じた。生涯一書生をもじって生涯一捕手と言ったのは故・野村克也だが、生涯一ボクサーという生き方があってもよいだろう。

 

あらすじ

瓜田(松山ケンイチ)はボクシングへの愛情と情熱は人一倍だが、負けてばかりのプロボクサー。後輩の小川(東出昌大)は日本タイトルマッチを射程に入れ、小川の女友達の千佳(木村文乃)とも結婚を視野に入れた交際をしていた。そんな時、ボクシングをやってる感を出したいという楢崎(柄本時生)がジムに入門をしてきて・・・

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ポジティブ・サイド

松山ケンイチの役への没入感が素晴らしい。ボクシングジムにはこういう人が結構な確率でいる。ボクシングはマイナー過ぎて例えば難しいが、元楽天監督の平石洋介タイプとでも言おうか、選手としてはイマイチでも野球への情熱や競技を勉強する心、同門の仲間とのコミュニケーション能力がずば抜けて高いタイプと言えば伝わるだろうか。縁の下の力持ちで、ジムの風景に溶け込んでいる。いても気が付かないが、いなくなると気が付くタイプ。こういうボクサーはちらほらとだが確実に存在している。日本の9割のボクシングジムの経営は、昼間にやってくるボクササイズのおばちゃんたちによって支えられているが、そんなおばちゃん連中を邪険に扱う会長も、あの年代ならリアルに存在している。なんだかんだでこのジムが成り立っているのは瓜田のおかげなんだなということが理解できる。

 

では、なぜそんな好青年の瓜田がボクシングを始めたのか?そして、負け数ばかりを積み重ねながらもボクシングを続けているのか?その事情が紐解かれていく過程は、心温まる友情物語でもありながら、人間の心のダークサイドが垣間見える展開でもある。このあたりが本作を単なるスポコン友情物語ではなく、リアルな人間ドラマにしている要因である。松山ケンイチの演技力のなせる業である。

 

ボクシングシーンもかなり研究されているなという印象。ボクシング映画における試合のシーンは、どれもこれも現実なら即TKOになっている、あるいはタオルが投入されるような描写が多い。本作も例外ではない。では、どこに感銘を受けたかというと、瓜田と小川の二人だけの作戦会議および練習シーン。瓜田がアッパーを推奨する中で、小川は左フックを提案する。この左フックはおそらくモリソンvsラドックでのモリソンの左フックのパクリ、または井上vsマロニーでの井上の左フックのパクリだろう(ここでいうパクリとは、そこから多大なるインスピレーションを得たものという意味である)。吉田監督がボクシング通であると断言できる根拠がここにある。興味のある向きはYouTubeなどで検索されたし。

 

この二人プラス千佳だけでも成立するストーリーに、柄本演じる楢崎が入ってくること瓜田という男の光と影の部分がより鮮明になっている。ボクシングはある程度練習すると本当に強くなれるし、本当に強くなったと実感すると、もうやめるにやめられないものだ。ヘタレの楢崎がだんだんと強さを手に入れていくサブプロットは、そのまま瓜田が過去にたどった道だと思えるし、楢崎が味わった試合の充実感は、それこそ瓜田が味わった充実感と同じものだったはずだ。ボクサーという生き物は、栄光も金も勝利も求める生き物だ。けれど本当に求めているのは完全燃焼すること。『 あしたのジョー 』風に言えば、真っ白に燃え尽きることだ。楢崎の充実の表情からはそれが如実に伝わってきたし、敗戦後に部屋でひとりコンビニ弁当をほうばる瓜田からは、燃え尽きることができなかった自分への悔恨の念が溢れていた。このコントラストの鮮やかさよ。

 

主人公が栄に浴さないタイプのボクシング映画としては、近年の邦画では『 アンダードッグ 』と双璧である。生きる意味、自分が何者で何をすべきかが問い直されつつある時代だからこそ、多くの映画ファンに見てもらいたいと思う。

 

ネガティブ・サイド

ボクサーはどうしても脳へのダメージが避けられないが、小川にパンチドランカー症状を出すのが性急に過ぎたと思う。日常生活でも仕事でもあれだけ小さなミスやら物忘れを繰り返していて、ジムで会長その他のトレーナーやボクサーが気が付かないというのは腑に落ちない。もしくは、瓜田がジムで小川の異変に気づいていながら、あえてそれに目をつぶるなどの描写があれば良かったのだが。

 

劇中のとある試合でのレフェリーが介入してくるタイミング、およびドクターストップの方法が荒唐無稽であった。あれだけ猛ラッシュをかけていて、そこでドクターチェックを入れるレフェリーなど見たことがないし(レフェリー役に福地使うのはやめようぜ、邦画界よ)、傷を見た瞬間に試合を止めるドクターというのも一度しか見たことがない。その一度も、まぶたが深く切れすぎて眼球が一部だけだが露出してしまっているケースだった。普通はタオルやら何やらでいったん止血して、それでも血が止まらない場合や、またはふさがっている方の目が見えているかどうかをチェックしてからストップの判断をするものだ。よくできたボクシング物語なのにここだけ急に非現実的だった。

 

後はリング禍の描写かな。急性硬膜下血腫だと思うが、プロボクサー未満の二人をスパーリングさせるのに、トレーナーやら会長がまともに注意を払っていないのは、ボクシング関係者が見たら、頭を抱えることだろう。普通、あれだけきれいに顔面に入ったり、あごがきれいにポーンと跳ね上がったら、そこでスパーは絶対に中止だろう。楢崎の因果にリング禍は不要。マウスピースをつけずになめてかかってきた相手の前歯を折るぐらいで良かったのでは?

 

総評

いつの頃からか世の中は勝ち組と負け組に分断されるようになってしまった。経済的な成功や人間関係の充実=勝ち組とされがちな世の中に「それだけが答えではない」と言い放つ作品の登場を心から歓迎したい。ボクシングを知っている人も知らない人も、自分が何をすべきか知っている人も知らない人も、本作からは必ずなにかしらのインスピレーションを得られることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

retire

引退する、の意。引退させる、という他動詞で使われることもある。ボクサーの多くは引退を余儀なくされる。自分から引退できるボクサーは果報者である。ただし、現役復帰(=unretire)する選手が多いのもボクシングの特徴と言える。元プロ野球&MLB選手だった新庄剛志がトライアウトを受ける前にも英語メディアでは unretire が使われていた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 木村文乃, 東出昌大, 松山ケンイチ, 柄本時生, 監督:吉田恵輔, 配給会社:ファントム・フィルム, 青春Leave a Comment on 『 BLUE ブルー 』 -生涯一ボクサー-

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