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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 』 -予想外に硬質なSFアドベンチャー-

Posted on 2022年2月1日2022年2月14日 by cool-jupiter

地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 70点
2022年1月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原夏海
監督:磯光雄

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オミクロン株が猛威を振るい、まん防が発令されても、映画館が営業してくれるのはありがたい。それでも週末の昼~夕方は喋りまくる客が多すぎて、さすがに二の足を踏む。なのでしばらくはレイトショーを中心に、若者が少なそうな作品を鑑賞するしかないか。

 

あらすじ

2045年。「あんしん」は世界初の未成年も宿泊できる宇宙ステーションとして稼働していた。そこにやってきた少年少女たちだが、彗星の欠片との衝突事故が起きてしまう。月で生まれた14歳の登矢(藤原夏海)心葉は、皆と力を合わせて窮地を脱しようとするが・・・

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ポジティブ・サイド

AIと宇宙、そしてファースト・コンタクトという、Jovianが好物としているSFジャンルが全て詰まっている。

 

AIが生活の隅々にまで浸透し、宇宙ステーションのオペレーションもAIに依存するところ大というのは、現実的であるように思う。ちょうど先日鑑賞した『 ブラックボックス 音声分析捜査 』でも、航空機の安全のために人間の介在する余地を減らす云々という考え方が開陳されていたが、そのこと自体はあながち間違っていないと思う。また同じくAIが浸透していた『 イヴの時間 』の世界とは少し異なり、本作ではユニークな形のドローンが個々人に付属している。これもありそうな未来の形に映った。

 

宇宙に関しても、世界各国で様々なベンチャー企業が生まれ、宇宙への輸送や、宇宙からの送電、デブリ掃除などは現実の企画として存在しているし、宇宙宿泊も時間の問題だろう。このあたり小川一水の小説『 第六大陸 』を彷彿させるし、SF世界でありながら法律云々の話になるのも同作を強く想起させる。単なる少年少女のスペース・ファンタジーではなく、ハードSF風味のアドベンチャー物語になっているところが好ましい。

 

主人公の登矢がひねくれたガキンチョであることにしっかりとした意味付けがなされているのが良い。宇宙生まれ宇宙育ちという存在が出現するかどうかは分からない。しかし、外国生まれ外国育ちの日本人というのはたくさんいるし、今後ますます増えていくだろう。その中で『 ルース・エドガー 』のような異端児は必ず出てくる。登矢は、まさにそうした異端の天才児である。そうした人間を日本社会は包摂できるのか。本作はそうした視点に立って作られていると見ることも可能である。

 

本作は2022年という今と劇中の2045年の間に何があったのかを懇切丁寧に説明してくれるわけではない。もちろん、断片的な情報は大いに語られる。全体像が見えそうで、決して見えない。そのもどかしさが知的興奮とサスペンスにつながっている。一話30分×三話構成という劇場上映作品らしからぬ作りだが、これによって中だるみすることなく、常に一定以上の緊張感あるストーリー描写が続いていく。

 

本作はシンギュラリティ=技術的特異点以後の世界が描かれており、AIがどのように進化し、またその進化がどのように人間によって封じ込められたのかについても、後編で明らかになるはず。後編の上映が待ち遠しい。

 

ネガティブ・サイド

「地球外からの使者」という、どう考えてもファースト・コンタクトを示唆しているとしか思えない副題がつけられているが、前編に関する限りでは、異星人のいの字がちょっとにおわされているのかな、という程度。ただ、このアイデアは野尻包介の小説『 太陽の簒奪者 』のオマージュのような気がしてならない。または野崎まどの小説『 know 』のラストそっくりの展開が、後編のクライマックスになるような気がしてならない。または長谷敏司の『 BEATLESS 』のような、モノがヒトを凌駕した世界での実存の意味を問うシーンもありそうだ。

 

こうした予想は見事に裏切ってくれればそれで良いのだが、全編を通じて漂うチープさはもう少し何とかならなかったのか、そらTuberだとか、ジョン・ドウだとか、現代のYouTuberやアノニマスをそのまま言葉だけ変えても未来感は出ない。現在には存在しない、かつ現代人が予想もできないようなテクノロジー、たとえば教育ツール(なぜ博士が博士というニックネームを持つのかと絡めれば尚よい)が一つでも描写されていれば素晴らしさを増したことだろう。

 

常にBGMが鳴り響いていて、少々うるさい。映画的というよりも、テレビアニメ的である。その構成自体は面白さに貢献しているが、BGMの面ではマイナスであると感じた。また楽曲そのもののクオリティもあまり高いとは感じず、ビジュアルやシーンとは噛みあってないなかったように思えた。

 

総評

オッサンが見ても面白かった。レイトショーで鑑賞したからかもしれないが、劇場の観客で一番若く見えたのは30代男性だった。かといって子どもが楽しめないわけでは決してない。『 劇場版 ダーウィンが来た! 』を鑑賞するような家族にも、ぜひともお勧めしたい。本作が最もターゲットにしているのは、異端の存在や変革の時に臨んで、柔軟に対応できる者である。そこに老若男女は関係ないが、やはり若い世代にこそ、そうした柔軟性を求めたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

It’s not your business.

作中で何度か登場する「お前には関係ない」の意。少々無礼な表現なので、自分からは使わないようにしたい。似たような表現に Mind your own business. がある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, SF, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:磯光雄, 藤原夏海, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 』 -予想外に硬質なSFアドベンチャー-

『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

Posted on 2022年1月24日2022年1月24日 by cool-jupiter

ブラックボックス 音声分析捜査 70点
2021年1月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ピエール・ニネ ルー・ドゥ・ラージュ
監督:ヤン・ゴズラン

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音声データを頼りに捜査をする作品となると『 THE GUILTY ギルティ 』や『 ザ・コール 緊急通報指令室 』が思い出される。どちらも良作だった。ということで、本作のチケットを購入。

 

あらすじ

航空機が墜落し、乗客300名、乗員16名の全員が死亡するという大事故が起きる。回収されたブラックボックスの分析官ポロックは突如失踪。調査を引き継いだマチュー(ピエール・ニネ)はテロの可能性を指摘した。しかし、乗客の一人が妻に残した事故の最中の留守電の音声が、ブラック・ボックスの音声記録と3分の時間差があることにマチューは気付く。そして、事故の更なる調査にのめり込んでいくが・・・

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ポジティブ・サイド

オープニング・シークエンスが非常に印象的。飛行機のコクピットから徐々にズームアウトしていき、キャビン、そして尾翼部にあるブラック・ボックスにまで一直線に引いていく絵と墜落に至る音声が聞こえてくる導入部には鳥肌が立った。

 

音声だけから状況を三次元的、四次元的に把握しようとする分析官の仕事ぶりが丁寧に導入されていたのは有難かった。Jovianも英語のリスニング問題を作ったりする際に audacity や bearaudio.com をよく使うので、あの音声データの波形をPCディスプレイ上で見て、思わずニヤリとした。 

 

主人公のマチューの神経質なところもプラスに映った。『 ちはやふる -結び- 』で周防名人が街の雑踏を極力シャットアウトしようとしていたように、マチューもその飛びぬけた聴力ゆえに、周囲に同調することが難しい。それゆえに仕事では有能だが、融通の利かない人間に映る。このことが後半以降の展開を大いにサスペンスフルにしている。マチューが実直で有能であるがゆえに、上司や同僚とはどこか距離があり、そのことがマチュー視点では彼ら全員を疑わしい存在に見せてしまう。この真相に迫っているのに、逆に遠ざかっていくような感覚に陥るというプロセスが、本作ではよく効いていた。

 

マチューとその妻ノエミや、マチューの直属の上司ポロック、その他数人だけを覚えておけば、物語の理解に支障はない。このあたりはいかにもフランスで、少ない人数でミステリとサスペンスを生み出すというフランスの小説の伝統的な技巧は映画にも活かされている。

 

真相はなかなかに現代的である。ラダイト運動の歴史を振り返るまでもなく、技術の進歩は常に人間に失業の危機感を味わわせてきた。同時に、技術の進歩は、人間が介在する余地をゼロにはできない仕事もあるのだということも我々に再確認させてきた。本作はそのことを非常に強く感じさせてくれる。

 

ネガティブ・サイド

序盤は正直なところ、眠たくなる。テロリストによる犯行が真相なわけはないのだから、その結論に至るまでのマチューの描写は、単なる導入部としか見られなかった。だいたいテロであるならば、さっさと犯行声明が出されるだろう。

 

音声分析捜査というサブタイトルのわりに、結構な量の動画分析も含まれている。別にそれを決定的なマイナスとまでは思わないが、やはりもっと音声データに焦点を当てて欲しかった。

 

職務上の機密情報がローカルドライブに置かれている描写があったが、そんなことがありうるのだろうか。IT音痴の日本の企業なら分からんでもないのだが・・・

 

真相は非常に示唆的であるが、その描写に迫真性はない。ああいう時は、以下白字まずはケーブルを抜くだろう。でなければPCを強制終了するはず。人間、パニックになればあんなものかもしれないが、やや拍子抜けする真相であった。

 

総評

サスペンス映画の佳作である。航空機(に限らずクルマでも電車でも何でもいい)に関連する技術と人間の関わり方に大いなる問いを投げかけている。序盤は少々もたもたした語り口という印象だが、中盤以降はジェットコースター的な上がり下がりの激しい展開を味わえる。真相はちょっと弱いが、そこに至るまでの緊張感をずっと維持するストーリーテリングは素晴らしい。平日の夜や週末が手持ち無沙汰なら、本作のチケットを購入されたし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

putain

劇中ではピュターンと発音されていた。アクセントは後ろのターン。字幕では「くそ」となっていたように思う。2021年の夏にフランスの某サッカー選手たちが日本を侮辱する文脈で使ったとされる言葉で、アホのひ〇〇きが必死に擁護して騒動になったのを覚えている人もいるだろう。使ってはいけない言葉とされるが、ドイツ語の scheisse やロシア語の blyad など、互いの母国語の卑罵語を教え合うことで友情が深まるというのも、Jovianの経験からは、一面の真実である。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ピエール・ニネ, フランス, ルー・ドゥ・ラージュ, 監督:ヤン・ゴズラン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

『 グレート・インディアン・キッチン 』 -私作る人、僕食べる人 in India-

Posted on 2022年1月23日 by cool-jupiter

グレート・インディアン・キッチン 75点
2022年1月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ニミシャ・サジャヤン スラージ・ベニャーラムード 
監督:ジヨー・ベービ

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事前情報はほぼ入れずに妻と鑑賞。インドの話であるが、一昔前の日本とそっくりである。ど田舎なら、これと似たような話は今でもいくらでも転がっているのではなかろうか。

 

あらすじ

インドの富裕な家に嫁いできたバーレーン育ちの女性と、彼女を優しく迎える新郎。幸せな日々は、しかし、徐々にインドの保守的・家父長的な伝統や価値観によって少しずつ壊れていき・・・

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ポジティブ・サイド

初々しい顔合わせから、めでたい結婚。そして初夜。旦那の実家での二世帯暮らし。始まりこそ幸せな家族という感じで、キッチンで作られる様々な料理の食材が色鮮やかに画面を彩り、包丁とまな板がリズミカルな音楽を奏でる。義理の母は大変な働き者で、さらに嫁を気遣い、手伝ってくれる。

 

そこに少しずつ不協和音が混じり始める。夫や義理の父の見せるちょっとしたテーブルマナーであったり、あるいはコミュニケーションのすれ違い(といっても完全に夫が悪いのだが)である。よくある夫婦のちょっとしたボタンの掛け違いなのだが、にわかにそれがエスカレートしていく。配管の故障のための業者を手配するのを夫がずっと忘れていたり、あるいは残飯を皿ではなくテーブルクロスの上に残していったり。そこに義理の父親のモラハラが加わってくるのだから苦しい。妻や息子の嫁をナチュラルに家政婦か何かとしか思っていないことがありありと伝わってくる。米は炊飯器で炊かずに釜で炊けだの、洗濯機だと服が傷むから手洗いしろだの、渾身の左フックを三発ぐらいテンプルにお見舞いしてやりたくなる。ここに至るまでにこの男どもが画面で見せるのは食っちゃ寝の繰り返しだけである。単なるうんこ製造機にしか見えないのである。頼りの義母も、自分の娘が臨月で、そちらのヘルプに向かわざるを得ない。畢竟、妻の負担は増すばかり。

 

外食先での夫のマナーについて言及したことで、訳の分からない怒りを買って謝罪させられたり、夜の営みについてちょっとしたお願いをしたところ、貞操を疑うような目を向けられたりと、これは現代インド版の『 おしん 』を見るかのようであった。

 

ここから先は筆舌に尽くしがたい屈辱が続くわけだが、上手いなと感じさせられたのは、インドの宗教や文化、政治を遠回しに、しかしダイレクトに批判しているところ。宗教上の戒律のしからしめるところによって、夫は様々な行動の制約を受ける。女が生理中に隔離されるのは『 パッドマン 五億人の女性を救った男 』でも描かれていたが、これがインドの一部または多くの宗教では不浄とされる。そして信者の潔斎の期間中は、不浄の女性を見たり触ったりできない。笑ってしまうのは、その戒律を破ってしまった際のキャンセル技が「牛糞を食す」あるいは「牛糞の上澄みを飲む」であること。もっと笑ってしまうのは、そこを自分たちに都合よく「沐浴でOK」としてしまうご都合主義がまかり通ることだ。

 

また生理中の女性を隔離するのは憲法違反であるとする判決が出たことがニュースで報じられるが、夫とその親類や信者仲間はそんなことにはお構いなし。この夫は教師で、一家の親類は広く法曹の世界に根付いているが、社会の指導者層的な立場の人間がこれなのだ。

 

とにかく見ていて非常に痛々しい。今の若い世代はどうか分からないが、Jovianも一昔前までは正月やお盆のたびに母や叔母が大忙し、父や叔父は食っちゃ寝、というのを毎年見てきた。それが悪いというのではない。時代だったのだ。問題は、時代に対してアップデートができないこと。願わくば、某島国の保守的与党が目指す「美しい国」というのが、このような家族像の延長線上に成立するものではないことを切に願う。

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ネガティブ・サイド

インド映画は時々始まるまでに、ポスト・クレジットならぬプリ・クレジット(?)が挿入されることがあるが、それが長い。ひたすら長い。派手な映像や音楽・音響もなく、延々とSpecial Thanks を流すだけ。ここだけは改善の余地がある。世界のマーケットに売るために時間を2時間にし、歌やダンスを少しずつ削っていっているとは聞くが、このオープニングには明確に否と言いたい。

 

バーレーン育ちの主人公を、実家までもが冷たく突き放すシーンはあまりにドラマを作りすぎだと感じた。異人は殊更に自らの異人性を強調するものではあるが、だったら何故、主人公である妻が進歩的に見える価値観を有するようになったのか。インドでまで「女三界に家無し」というのは、あまりにも酷ではないか。このせいでラストの集団舞踊の美しさや華々しさが、個人的には少し減じてしまったと感じた。

 

総評

国や民族の暗部というものは、とかく隠したくなるものだが、それを積極的に映画にするというのは、世界の目を自国に向け、その外圧を変革の呼び水にするという意味では有効なのかもしれない。韓国映画の十八番だが、インド映画も負けていない。幸い日本には「人の振り見て我が振り直せ」という有難い金言がある。日本の、特に中年以上の男性は配偶者と一緒に本作を鑑賞しよう。そして、まずはそのコップを洗って、食器棚に戻すところから始めようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

definition

定義の意。劇中で夫が「家族の定義」を講義するシーンがある。definitionの動詞は define で、これは de + fine に分解される。fine は finish などにもつながるラテン語由来の語で、「終わり」の意味。define というのは、この言葉の範囲はここからここまでで終わり、ということである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, インド, サスペンス, スラージ・ベニャーラムード, ニミシャ・サジャヤン, 監督:ジヨー・ベービ, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 グレート・インディアン・キッチン 』 -私作る人、僕食べる人 in India-

『 遺跡の声 』 -ハードSF短編集-

Posted on 2022年1月23日2022年1月23日 by cool-jupiter

遺跡の声 75点
2022年1月19日~1月22日にかけて読了
著者:堀晃
発行元:東京創元社

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オミクロン株が猛威を振るっている。コロナが流行ると、近所のTSUTAYAが混雑する。そういう時は映画ではなく小説に一時退避する。それも、昔読んで手ごたえのあったもの、かつ、今という時代にフィットする作品が良い。というわけで本作を本棚からサルベージ。

 

あらすじ

銀河の辺境、ペルセウスの腕の先端部で滅亡した文明の遺跡を調査する私に、太陽風事故で死亡したかつての婚約者オリビアの頭脳が転写された観測システムを訪れるようにとの指令が入る。その途上で、私は宇宙を漂流する謎のソーラーセイル状のものと遭遇し・・・

 

ポジティブ・サイド

本作の主人公は『 TENET テネット 』同様に名前がない。すべて一人称の「私」、または「あなた」もしくは「君」で表現されて終わりである。それゆえに感情移入というか、この主人公と自分を identify =同一視しやすくなっている。さらに登場人物も驚きの少なさ。極端に言えば、オリビア、トリニティ、超空間通信で連絡してくる男、これだけ把握しておけばいい。というか、トリニティだけでも十分である。 

 

「私」とトリニティが銀河辺境領域の星々で遺跡を調査したり、救助作業に従事したり、あるいは異星文明とのファースト・コンタクトを果たしていく。それらが短編集に収められている。

 

主人公がひたすら孤独なのだが、その孤独さが孤高さにも感じられる。黙々と職務に励む姿に自分を重ね合わせるサラリーマンは多いはず。相棒がトリニティという結晶生命体なのだが、これが単なる補助コンピュータ的な存在から、パートナー、息子、そして全く位相の異なるものにまで変化していく様が、全編にわたって描かれていく。このトリニティ、『 ガニメデの優しい巨人 』のゾラックのようでもあるし、山本弘の小説『 サイバーナイト―漂流・銀河中心星域 』のMICAの進化の元ネタは本作最後の『 遺跡の声 』であると思っている。

 

どの作品にも共通しているのは、破壊もしくは破滅のイメージである。遺跡とはそういうものだが、これほどまでに静謐な死のイメージを湛える作品の数々を構想し、それをリアルなストーリーとして描き切るという先見性にはお見逸れするしかない。地球温暖化による気候変動や食糧危機問題など、2020年代の今であればそのようなビジョンも湧きやすいだろうが、2007年に発表された『 渦の底で 』を除けば、本作所収の作品はすべて1970〜1980年代に発表されたものなのだ。科学はどうしても時間によって風化してしまうのだが、本作で描かれる地球の科学技術や滅亡した異星文明には、古いと感じられるところがほとんどない。

 

個人的なお勧めは『 流砂都市 』と『 ペルセウスの指 』。前者は、いわゆるナノテクもので、そのスケールの大きさは野尻抱介の『 太陽の簒奪者 』に次ぐ。後者は、藤崎慎吾の『 クリスタルサイレンス 』のKTはこれにインスパイアされたものではないかと密かに考えている。これらはあくまでもJovianの感想(妄想かもしれない)であって、本作を楽しむにあたってハードSFの素養が必要とされるということを意味しない。活字アレルギーかつSFアレルギーでなければ、ぜひ読んでほしい。

 

一話の長さは30〜40ページ。全部で9話が収められている。平均的なサラリーマンが通勤電車に乗る時間に一話が読み切れるだろう。

 

ネガティブ・サイド

悪い点はほとんど見当たらないのだが、フェルマーの最終定理のところだけは現実がフィクションを先行してしまった。そういえば未だ解かれていないリーマン予想の答えを異星由来の知性体(霧子だったかな・・・)に尋ねるものの「データを取り寄せるのに少なくとも4万年かかります」みたいに返されるSFもあった。この作品のタイトル名が思い出せないので、知っている人がいればお知らせいただけると有難いです。

 

主人公の「私」がオリビアを回想するシーンがもう少しあっても良かったのにと思う。性別のない結晶生命と、性別のある地球生命のコミュニケーションから生まれる独自のパーソナリティの形成という過程をもっと詳細に描かれていれば、SFのもたらしてくれる知的興奮という楽しみが更に増したはずだ。

 

総評

コロナ禍の第6波のただ中で、ディスタンスを取ることが必須となっている。だが現実的にはなかなか難しい。せめて物語の中だけでもディスタンスを・・・という人は少数派だろうが、そんな少数派に自信をもってお勧めできる短編集である。もしくは、ここ数年の本屋では訳の分からない転生もののラノベばかりが平積みされていると嘆く向きにもお勧めしたい。スムーズに読めるが、読後に不思議な苦みを残すという、大人の短編集である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call

「呼び声」の意。表紙に Call of the Ruin とあり、これを訳せば「遺跡の呼び声」となり、タイトルの『 遺跡の声 』となる。『 野性の呼び声 』の原題 The Call of the Wild に従うなら、The Call of the Ruin と定冠詞 The を頭につけるのが(文法的には)正しいのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, B Rank, SF, 日本, 発行元:東京創元社, 著者:堀晃Leave a Comment on 『 遺跡の声 』 -ハードSF短編集-

『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

Posted on 2022年1月19日 by cool-jupiter

ハウス・オブ・グッチ 70点
2022年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:レディー・ガガ アダム・ドライバー ジャレッド・レト アル・パチーノ
監督:リドリー・スコット

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年老いてなお意気軒高なリドリー・スコット御大の作品。『 ゲティ家の身代金 』のクオリティを期待してチケットを購入。

 

あらすじ

パトリツィア(レディー・ガガ)は、マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)。マウリツィオの叔父のアルド(アル・パチーノ)の手引きもあり、一時は義絶されていたグッチ家に復帰する。幸せな時を過ごすパトリツィア達だったが、ある時、グッチの鞄のフェイクを発見したことをパトリツィアがアルドとマウリツィオの耳に入れて・・・

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ポジティブ・サイド

グッチと言えば鞄、というぐらいは知っている。逆にそれぐらいしか知らない。Jovianはそうであるし、それぐらいの予備知識で本作を鑑賞する層が最も多いのではないだろうか。心配ご無用。グッチの製品およびグッチ家のあれやこれやを全く知らなくても、一種の緊張感ある歴史サスペンスとして充分に楽しむことができる。

 

『 アリー / スター誕生 』以来のレディー・ガガの演技が光っている。基本的には、純朴な田舎娘が大きな野心を抱くようになり・・・というキャラクターという意味では同じだが、明らかに演技力が向上している。パトリツィアの目が、野望はもちろんのこと、怒りや悲しみまでもを雄弁に物語っていた。

 

対するアダム・ドライバーも、純朴な青年から、人好きはするが暗愚な経営者までを幅広く好演。演技ボキャブラリーの豊富さをあらためて証明した。マウリツィオ・グッチの人生を客観的に見れば、女性を見る目のないボンクラ2世なのだが、アダム・ドライバーが演じることで、どこか憎めないキャラクターになった。

 

対照的にどこからどう見てもボンクラだったのが、アルドの息子でマウリツィオのいとこであるパオロ。ジャレッド・レトが演じていることに全く気付かなかった。『 最後の決闘裁判 』でもベン・アフレックが嫌味な領主を演じていることに気が付かなかったが、今回のレトのメイクアップと演技はそれを遥かに超える。大志を抱く無能というコミカルにして悲劇的なキャラをけれんみたっぷりに演じている。この男にドメニコのような腹心・耳目・爪牙となるような側近がいなかったのは、幸運だったのか不運だったのか。

 

20年に亘るグッチ家およびグッチという企業の転落および復活の内幕を、必要最低限の登場人物で濃密に描き切る。2時間半超の大部の作品だが、パトリツィアの野心の発露とマウリツィオの心変わりに至る過程がじっくりと描かれていて、観る側を決して飽きさせない。イタリアはトスカーナ地方の雄大な自然とそこにたたずむ小さな村における人々の生活が色彩豊かに描かれていて、ニューヨークのオフィスやきらびやかなファッション・モデルの世界と鮮やかなコントラストをなしていた。

 

パトリツィアが段々とダークサイドに堕ちていく様がビジュアルによって表現されているのも興味深い。船上でのマウリツィオとのロマンティックなキス、バスタブでの情熱的なキスが、最終的には泥エステとなり、そこは怪しげな占い師との共謀の語らいの場となる。Jovianには正直言って、マウリツィオを殺したいとまで思うパトリツィアの情念が頭では理解できなかった。しかし頭の中ではいつしか石川さゆりの『 天城越え 』が聞こえてきた。「隠しきれない移り香が いつしかあなたにしみついた 誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」というあの名曲である。ここまで来て、リドリー・スコットが本当に描きたかったのは、タイトルになっている「グッチの家」ではなく、パトリツィアという一人の女の底知れない情念だったのではないかと思い至った。そうした目でストーリー全体を思い起こしてみれば、1978年から20年に及ぶ物語が、別の意味を帯びていると感じられた。つまり、グッチ家という特殊な一家の栄光と転落の物語ではなく、パトリツィアというどこにでもいそうな普通の女が傾城の美女=悪女になっていく物語であって、抑圧されてきた女性が男性支配を打破する物語ではない。逆にアホな男どもをある意味で手玉に取っていく物語である。パトリツィアを加害者と見るか、それとも被害者と見るかは意見が分かれるところだろう。パトリツィアが欲しかったのは愛だったのか、それともカネだったのか。

 

Jovianは観終わってから、嫁さんと晩飯を食いながら、本作についてあーだこーだと議論をしたが、男性と女性というだけで見方が変わるのだから面白い。ぜひ異性と鑑賞されたい。そして、パトリツィアなのか、それともマウリツィオなのか、誰に自分を重ね合わせてしまうかを考察するべし。

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ネガティブ・サイド

中盤に至るまで、BGMを多用しすぎであると感じた。多様なミュージックを流し、そのテイストの移り変わりで時代の変遷を表現しているのだろうが、これはリドリー・スコット御大の本来の手法ではないだろう。

 

グッチの再建に向けての道筋があまりよく見えなかった。気鋭のデザイナーを起用して、ショーでかつての名声を取り戻すという描写だけではなく、いかに品質の良い鞄をプロデュースし、いかにブランドとしての地位を築いてきたのかというビジネスの側面を描かないと、マウリツィオが放漫経営していたという事実が際立ってこない。

 

アル・パチーノ演じるアルドが、イタリア語風にパトリツィアと発音したり英語風にパトリーシャと発音したりするシーンが混在しているが、リドリー・スコットをしてもリテイクをすることができなかったのか。

 

総評

2時間半超の作品であるが、一気に観ることができる良作である。グッチに関する予備知識も必要ない。アホな男と情念に駆られる女という普遍的な構図さえ捉えておけば、重厚なドラマとして堪能することができる。2022年は始まったばかりだが、ジャレッド・レトには私的に年間ベスト助演男優賞を与えたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイントイタリア語レッスン

Come stai

イタリア語で ”How are you?” の意。カタカナで発音を書くと「コメ スタイ」となる。 Ciao や Grazie と一緒にこれぐらいは知っておいてもよいだろう。ちなみに劇中ではアル・パチーノが見事なブロークン・ジャパニーズで、Come staiに近い表現を使っている。結構笑えると同時に、在りし日の好景気の日本の見られ方が分かる、懐かしさを覚えるシーンでもある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, アル・パチーノ, ジャレッド・レト, ヒューマンドラマ, レディー・ガガ, 歴史, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

『 決戦は日曜日 』 -もうちょっと毒が欲しい-

Posted on 2022年1月16日 by cool-jupiter

決戦は日曜日 70点
2022年1月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:窪田正孝 宮沢りえ 内田慈
監督:坂下雄一郎

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『 ピンカートンに会いにいく 』の坂下雄一郎監督の作品。日本では珍しい政治風刺のブラック・コメディで、オリジナルものとしては『 記憶にございません! 』以来ではなかろうか。

 

あらすじ

国会議員・川島の秘書である谷村(窪田正孝)は、選挙間近というタイミングで当の川村が病気で倒れてしまう。陣営は川島の娘の有美(宮沢りえ)を後継に担ぎだすが、有美はとんでもなく浮世離れしていた。谷村は有美になんとか選挙活動をしてもらうべく奮闘するが・・・

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ポジティブ・サイド

民自党というのは自民党のパロディであることは明らか。まあ、出るわ出るわの痛快風刺。冒頭のおんぶ政務官ネタに始まり、小学生レベルの漢字を読み間違える、求職者に対する「今まで何やってた?」発言、「子どもを産まない方が悪い」発言、そして「お年寄りが用水路に落ちて危ないというのは、お年寄りが落ちた用水路は危ない」といった進次郎構文などなど、笑ってはいけないのに笑ってしまうネタが満載である。特に漢字の各々を「かくかく」と読み続ける会見シーンのラストには思わず吹き出してしまった。

 

宮沢りえが天然ボケ的なキャラを見事に演じていて、確かにこんな政治家および政治家候補はいそうだなと感じた。その要因として、講演会のじいさん連中が挙げられる。Jovianは2004年頃に当時金融担当大臣だった伊藤達也を擁するチームと三鷹市民リーグで対戦したことがある(ちなみに三本間で転んだ大臣をショートJovianがホームで刺した)。大会後のバックネット裏で大会運営委員かつ三鷹や調布の顔であるM氏にしこたま説教され、平身低頭するばかりだった大臣を見たことも鮮明に覚えている。いつまでたっても政治家というのは後援会とは inseparable なのだ。

 

ところが世間知らずの有美は自分から後援会の爺さんたちを切り捨ててしまう。事務所の秘書連中も密かに「老害」と呼ぶお歴々なので、その瞬間は非常に爽快だ。が、好事魔多しと言おうか、以降の有美の講演会は閑古鳥が鳴くばかり。聴衆よりもスタッフの数の方が多いというありさま。このままではダメだということで秘書たる谷村が有美を諭していく。その様はまさに直言居士・・・なのだが、だんだんと進言ではなく誹謗中傷まがいの内容になっていく。このあたりも笑わせる。

 

かといって笑いばかりにフォーカスしているわけではない。非常にシリアスでダークな領域にも踏み込んでいく。倒れた川島に代わって、市議会議員や県会議員、地元の有力企業とのパイプ役を務める濱口(小市慢太郎)の存在感が抜群である。この人は『 下町ロケット 』の経理や『 るろうに剣心 京都大火編 』の川路役などの印象が強い。つまりは縁の下の力持ちがはまり役で、今作ではそれに加えて悪の秘書をも見事に体現。政治家のスキャンダルへの言い訳として「秘書が勝手にやった」は常套句だが、中には勝手に色々差配してしまう秘書もいるのかもしれないと思わされた。いわゆる「清須会議みたいこと」は、政治や選挙の世界では割と普通なのかもしれないと思わされた。ある意味で対極だったのが秘書の向井(音尾琢真)。川島議員のスキャンダルの泥をかぶる役を自ら買って出る。一昔前の政治家は、確かに秘書に汚れ役をさせて、代償として家族や親類縁者の面倒を看ることもあったらしい。そうした古き良き(?)政治をも垣間見せてくれた。

 

谷村も良識ある秘書と見せかけて、「やめてやる」という有美に懇切丁寧に脅迫的な言辞を弄して、選挙から撤退させないという鬼畜。しかし、その語り口や立ち居振る舞いにどこかコミカルさがあり、言っていることはメチャクチャだが、見ている分には面白いという不思議なシーンを生み出した。ある出来事をきっかけに、当選運動から落選運動に有美と共に転じていくが、切れ者・敏腕というオーラを出しつつも、なぜか逆に支持率が上がってしまうのは、予想通りとはいえ笑ってしまう。ここでも近年の現実の国際情勢ネタをぶっこんできており、ある意味でとても不謹慎な笑いを提供してくれる。

 

テレビがひっそりとあるニュースを報じる中で終幕となるが、これは選挙制度や政治家を嗤う作品ではなく、有権者そのものに向けた一種のブラック・ジョークであることが分かる。それが何を意味するかは劇場鑑賞されたし。

 

ネガティブ・サイド

谷村と有美の関わりには笑わせられること、そして考えさせられることが多かったが、他の秘書たちと有美がどう関わるのかも見てみたかった。

 

意図的に支持率を低下させたいというのは前代未聞で、それゆえにどんなアイデアが投入されているのかを楽しみにしていたが、ここは期待外れというか拍子抜けした。有美登場直前の事務所内で、「韓国と揉めて支持率が上がった時に解散していればなあ」と秘書同士で話すシーンがあり、嫌韓ネタ=支持率アップという認識があったはず。にもかかわらず、落選運動で「中韓が日本人の職を奪っている。排除せよ」と叫ぶのは矛盾している。本当に支持率を下げたいのなら、谷村が掴んでいた有美の脅迫ネタを使うか、暴力団とつながりがある、もしくはシルバー民主主義を徹底機に揶揄するような発言をさせるべきだった。そのうえで予想の斜め上の出来事のせいでなぜか支持率アップ、という流れにすべきだったと思う。

 

谷村が回心(≠改心)するきっかけとなるエピソードにリアリティがなかった。選挙の時だけに使うアイテムだと言うが、それこそ客人に振る舞ったりする機会がこれまでに幾度もあったはず。誰も何も感じなかったというのか。それとも選挙に関わる人間はすべて感覚がマヒしているというのか。うーむ・・・

 

総評

クスっと笑えて、ウームと考えさせられる映画である。苦みを残して終わるわけだが、もっと毒を盛り込んでも良かったのではないかと思う。それこそ麻生や安倍といった面々は、

世が世ならしょっ引かれていなければおかしいと思うJovianだからの感想だからかもしれないが。「神輿は軽くてパーがいい」と言われるが、その言葉の意味がよくよく分かる。今夏には参院選が行われる予定だが、本作はその舞台裏に思いを巡らすための良い材料になることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

run / stand

どちらも立候補する、の意味で使われる基本動詞。run = アメリカ英語、stand = イギリス英語である。使い方は以下の通り。

run in 選挙 / stand in 選挙

run for 役職 / stand for 役職

He’s decided to run in the next election. 
彼は次の選挙に出ることを決めた。

I never thought Trump would run for presidency.
私はトランプが大統領選に出るとは全く思わなかった。

のように使う。今でも受験英語や大学のリメディアル英語のテキストでは run for 選挙 のような記述が見受けられるが、これは間違いである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ブラック・コメディ, 内田慈, 宮沢りえ, 日本, 監督:坂下雄一郎, 窪田正孝, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 決戦は日曜日 』 -もうちょっと毒が欲しい-

『 雨とあなたの物語 』 -韓流ロマンスの佳作-

Posted on 2022年1月13日 by cool-jupiter

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雨とあなたの物語 70点
2021年1月10日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:カン・ハヌル チョン・ウヒ カン・ソラ
監督:チョ・ジンモ

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『 ただ悪より救いたまえ 』鑑賞時に、劇場内の販促物で本作も知った。面白そうだと直感し、チケットを購入。シネマート心斎橋の韓国映画には基本的にハズレがない。

 

あらすじ

冴えない二浪生のヨンホ(カン・ハヌル)は、ある日、小学校の時の同級生女子ソヨンを思い起こし、彼女に手紙を書く。その手紙を受け取ったソヨンの妹ソヒ(チョン・ウヒ)は、病気の姉に成り代わり、「質問しない、会いたいと言わない、会いに来ない」という約束のもと、文通を続けていくが・・・

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ポジティブ・サイド

毎年数千万枚単位で年賀状の数が減っていると報じられているが、そんな中でも『 ラストレター 』は久しぶりに手紙にフォーカスした映画だった。そして韓国も負けじと手紙が鍵となる作品を送り出してきた。

 

日本は大学全入時代になって久しいが、韓国は今でもすごい受験熱らしい。『 少年の君 』

では中国の受験戦争の怖さが描かれ、日本でも松田優作主演の『 家族ゲーム 』のような時代もあったが、冒頭にいきなり出てくる予備校教師の圧倒的なモラハラっぷりが逆に笑える。そんな中でヨンホは浪人仲間のスジン(『 サニー 永遠の仲間たち 』のリーダー役のカン・ソラ)と出会う。立ち食いおでんの店で、おでんとスープを注文し、それを強引にヨンホに支払わせるという美少女にあるまじき振る舞い。その後もヨンホに飾らない好意をぶつけ、one night stand もOKという剛の者・・・と見せて、これが実に一途で純な女子なのである。意味が分からんという人こそ、本作を鑑賞すべし。

 

本作は現在のシーンと回想シーンを織り交ぜるストーリーテリングで、小学生時代のヨンホとソヨンの淡く儚い関係が描かれ、現在では浪人中というアイデンティティの定まらないヨンホと、職人であるその父、そしてビジネスマンである兄の関係が描き出される。同じように、病気のソヨンとその妹ソヒの関係、そして母の営む古本屋の様子もていねいに映し出される。手作りの小物や古本といった、時代に取り残されそうな、しかし手触りのあるものが両者に共通してあり、だからこそ手紙という媒体が古ぼけておらず、逆にとてもナチュラルなコミュニケーション手段に映る。この手紙にしても色々な工夫がされていて、「あなたに太陽が降り注ぐ魔法をかけました」といったような文言には???となったが、意味が分かってびっくり。こんなロマンチックな魔法、自分でも高校生ぐらいの時に思いついてみたかった。文通を続けるヨンホとソヒが絶妙にすれ違うシークエンスにはやきもきさせられた。

 

決して会えない二人。過ぎて行く時間。ヨンホは大学進学をやめ、傘職人になるために日本に向かう。自分をいつまでも好いてくれるスジンを後に残していくことになるが、この時のスジンがまた、どこまでも健気なのが泣かせる。それでもスジンと付き合うことのないヨンホの姿に、ソヨンへの思慕の大きさが見えてくる。傘職人として独り立ちしたヨンホを不意に訪ねてくるスジンに、ヨンホが手渡す惜別の傘の美しさには正直泣けた。

 

12月31日に雨が降ればソヨンに会えると信じて、ひたすらに待ち続けるヨンホの健気さと一途さよ。もう決して出会えないのだと分かっていても、それでも待ち続ける姿には胸を打たれる。そうそう、エンディングのクレジットが始まったからといって、席を立ったり、あるいは再生を途中で止めてはいけない。ビックリする展開が待っている。いや、これはキャスティングの勝利だなあと思う。意味が分からんという人、やはり鑑賞すべし。

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ネガティブ・サイド

過去と現在を行ったり来たりするが、Jovianの妻はどれがいつなのかを把握するのに、一部手間取ったとのこと。Jovianはそうでもなかったが、観る人によっては時系列的に今がどこなのかは確かに分かり辛い構成かもしれない。

 

ヨンホが傘職人になろうと思い立つ過程をもう少し丹念に描写してくれてもよかったのではないか。もちろん父の影響、そして兄への反発からだろうが、なぜそこで日本を修行の地に選んだのかという説明も少しでいいから欲しかった。

 

ヨンホが8年という歳月を待つことに費やすわけだが、そこでスジン以外にもう一人、小学校以来の悪友を登場させても良かった。きっと彼は良い奴のままだろう。周りがどんどんと変わり続ける中で、変わらぬ想いを抱き続けるのは並大抵のことではない。変わらないままにいてくれる親友という存在も、本作に居場所はあっただろうと感じた。

 

総評

韓国映画といえば容赦ないバイオレンス映画、あるいは経済格差を直視したドラマのイメージが強いが、優れたロマンスも数多く生み出している。それも甘酸っぱさを前面に押し出したような作品だけではなく、『 建築学概論 』のような恋のほろ苦さを思い起こさせる名作も多い。本作はほろ苦さを味わわせてくれる作品で、少ない登場人物で濃密なドラマを生み出している。まるでフランスのミステリ小説のような味わいの作品である。雨の日こそ本作を劇場鑑賞しよう。あるいはレンタルや配信で観るのも趣があっていいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

こんなコテコテのロマンスでも、イーセッキ=「この野郎」という卑罵語が出てくるのが韓国らしいと言えば韓国らしい。北野武の映画を外国人が観れば「この野郎」という日本語をすぐに覚えるのと同じで、韓国映画はどんなジャンルでもイーセッキやケーセッキといった悪罵が頻出する。つくづく近くて遠い国である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, カン・ソラ, カン・ハヌル, チョン・ウヒ, ロマンス, 監督:チョ・ジンモ, 配給会社:シンカ, 韓国Leave a Comment on 『 雨とあなたの物語 』 -韓流ロマンスの佳作-

『 ただ悪より救いたまえ 』 -容赦ない韓流アクション-

Posted on 2022年1月4日2022年1月4日 by cool-jupiter

ただ悪より救いたまえ 75点
2022年1月2日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:ファン・ジョンミン イ・ジョンジェ パク・ジョンミン
監督:ホン・ウォンチャン

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新年の韓国映画鑑賞第一弾。心斎橋の人出は多いが、信頼できる客層のシネマートへ。『 ソワレ 』、『 成れの果て 』という重い映画の鑑賞が続いたので、派手なアクションを観たいと思ったのだが、スカッとするどころか(良い意味で)身も心もボロボロになるような映画だった。

 

あらすじ

暗殺者のインナム(ファン・ジョンミン)は最後の仕事として日本のヤクザ、コレエダを殺害する。しかし、義絶状態にあったコレエダの弟にして狂気の殺人鬼レイ(イ・ジョンジェ)がインナムへの復讐を誓う。インナムはかつての恋人に娘がおり、その娘がタイで誘拐されたことを知り、救出のためタイへ渡る。そしてレイもインナムを追ってタイへ・・・

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ポジティブ・サイド

これは(『 アジョシ 』+『 チェイサー 』+『 哀しき獣 』)を3で割って、そこにホン・ウォンチャン監督のテイストを加えた、韓流ノワールの秀作である。まさに「そこまでやる必要があるのか」である。

アジョシは元々、チェ・ミンシクやソン・ガンホといった本物の中年オジサンを使う予定だったらしいが、イケメン青年ウォンビン(当時)を起用することで思いがけずスタイリッシュな作品に仕上がった。一方で本作はファン・ジョンミンという、中年のオッサンでありながら、ガンホやミンシクといった濃いめのオッサン色ではなく渋みを前面に押し出したアジョシを起用することで、悲哀がより色濃く表現されるようになった。

本作の特徴は国際的なスケールの大きさ。日本、韓国、タイ、そして最終的には中米パナマにまで至り、聞こえてくる言語も日本語、韓国語、中国語、タイ語、英語である。明らかにアジア市場、そして世界市場を視野に入れた作品作りである。主演の二人も片言ながら、日本語、英語を操り、インナムのバディとなるもう一人のジョンミン、ユイはタイ語も流暢に話す。『 PMC ザ・バンカー 』のハ・ジョンウとまでは言わないが、邦画の世界ももっと役者に外国語を喋らせてもいいのではないか。近年だと『 ゲノムハザード ある天才科学者の5日間 』の西島秀俊の韓国語ぐらいしか思いつかない。

閑話休題。本作は優れた過去の韓国映画だけではなく、ハリウッド映画なども下敷きにしている。レイがバンコクで銃器を調達する方法は、まんま『 ターミネーター 』のシュワちゃんだし、最終盤の対決の決着シーンは、まんま『 レオン 』だったりする。ただ、そうした一見するとパクリにしか思えないシーンの数々が韓国色に染め上げられた結果、優れたオマージュとして機能している。

インナムとレイの対決を決して正義と悪にぶつかり合いのように描かないところが良い。インナムへの連絡係(『 パラサイト 半地下の家族 』のリスペクトおじさん!)を牛や豚のように解体していくレイが「俺のおやじは屠殺業者だった」と語るシーンでは、『 血と骨 』のビートたけしが思い起こされたし、日本でもタイでも、殺すと決めた相手は容赦なく殺す姿勢が徹底している。一方のインナムもハサミで拷問相手の指を切り落とすという血も涙もない所業で相手の口を割らせる。ハサミが放つ鈍い光に使い込まれ具合が見て取れ、インナムの暗殺家業の凄惨さが垣間見える。二人が対峙していく過程で、タイという国の裏のビジネス、そこで韓国人が韓国人を搾取するという構図、その中にちゃっかり存在する中国人、ついでに人気の日本人など、これでもかと大都市の闇、人間の闇が暴かれていく。その濃い闇を背景に、暗殺者 vs 殺し屋というどっちもどっちの対決の構図の中に「見知らぬ娘を救うため」という大義と、「兄貴の敵を討つ」という大義がぶつかり合う。単なるドンパチと見せかけて、韓国人の家族観が非常に強く投影された対決になっていく。

廃工場、ホテル、市街地で繰り広げられるインナムとレイの激闘はまさに息を呑むもの。リハーサルとかできたのだろうか。どこまでが実写でどこからがCGだか分からない。戦いの中で人間性を取り戻していくインナムと、どんどんと獣になっていくレイというコントラストが絶妙だ。まさに血みどろの対決に、観ている側は完全に消耗しきってしまう。心地よい疲れでは決してない。しかし、凄いものを観たという感覚を味わえることは間違いない。

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ネガティブ・サイド

主人公インナムには特殊工作員あがりというバックグラウンドがあるので強いことは分かるが、レイの強さの背景がよく分からない。在日韓国人ということは日本育ちなわけで、ヤクザ稼業だけであそこまで刃物や銃火器の扱いに習熟できるものだろうか。豊原功補と義絶していたとはいえ、あれほど強烈な弟が全く知られていなかったというのは無理があるのでは。まあ、銃器については『 アウトレイジ 』でもどこからかマシンガンが調達されたりしているので、あまり突っ込むのは野暮かもしれない。『 哀しき獣 』のキム・ユンソクのように元々強かったと思うようにすべきか。

インナムがバンコクでもずっと黒のスーツを着用しているのは、一種のトレードマークだから仕方ないか。だが、あれでは目立ちすぎて、あっという間に警察に通報されて御用となりそう。プロらしく、密かにバンコクの街に溶け込むという描写が欲しかった。

バトルシーンで頻繁に使われるスローモーションがやや気になった。あまり多用すると、せっかくのアクションが安っぽく見えてしまう。

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総評

ひたすらに疲れる映画体験だった。劇場を出たところでスタッフが「ただいま売店にて”ただ渇きより救いたまえ”を販売中でーす」と案内をしていて、その商魂のたくましさに思わず笑ってしまった。これがなければ家路の間、ずっと重苦しさに支配されていたかもしれない。逆に言うと、それぐらい重い作品。派手なアクションでスカッとした気分になりたいと臨んだが、そんな爽快系の作品では決してない。どちらかというと『 ビースト 』のような悪のオッサン二人の極限の演技対決である。鑑賞の際は自身のメンタルをよくよく事前チェックされたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You had it coming.

『 リアム16歳、はじめての学校 』でも紹介した表現。今作では「自分でまいた種だ」というセリフがあったが、それを英訳すると ”You had it coming.” となる。 積極的に使いたい表現ではないが、英会話中級者以上なら知っておきたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, イ・ジョンジェ, パク・ジョンミン, ファン・ジョンミン, 監督:ホン・ウォンチャン, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 ただ悪より救いたまえ 』 -容赦ない韓流アクション-

『 ソワレ 』 -心に残る生き方を-

Posted on 2022年1月2日 by cool-jupiter

ソワレ 70点
2021年1月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:村上虹郎 芋生悠
監督:外山文治

新年第一号鑑賞。テアトル梅田で見逃した作品。『 ひらいて 』で印象的な演技を見せた芋生遥だったが、その前作のこちらの方が遥かに鮮烈な役を演じていた。

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あらすじ

東京で役者を目指す翔太(村上虹郎)は芽が出せず、オレオレ詐欺に加担して糊口を凌いでいた。ある夏、翔太は故郷の和歌山のグループホームで演劇を教えることになり、そこで少女タカラ(芋生悠)と出会う。偶然にも翔太はタカラが実の父を刺す場に居合わせてしまい、そこから二人は当て所のない逃避行に出ることになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

村上虹郎がうだつの上がらない役者を好演。オレオレ詐欺で弁護士や代理人を騙る際に持ち前の演技力を発揮。ところどころで垣間見せる「何やってんだろうな、俺は」という表情が印象深い。

 

ただ本作の事実上の主役は圧倒的に芋生悠だ。物憂げというか、悲愴というか、陰のある表情が素晴らしい。天真爛漫なアイドル系の女優がもてはやされる風潮が強い邦画の世界であるが、もっとこのような女優にもスポットライトを当ててほしいと思う。

 

『 ひらいて 』の山田杏奈とのベッドシーンも良かったが、本作ではレイプシーンに加えてトップレスのヌードも披露。体を張るという表現は大げさかもしれないが、ストーリー上の必然性があれば躊躇なく脱げるというのは大女優の資質。そういえば本作にも出演している江口のりこも若いころに『 ジョゼと虎と魚たち 』で脱いでいたっけ。芋生遥には寺島しのぶや安藤サクラの領域にたどり着いてほしいと切に願う。それだけのポテンシャルがあると思う。

 

逃避行の中での二人のコントラストも鮮やかだ。競輪やパチンコで手持ちの金を増やそうとする翔太と、スナックで短期的なバイトを見つけ、堅実に稼ぐタカラ。誰にも頼れず、バイトをさせてくれる家の金まで盗もうとする翔太と、実の母を訪ねて拒絶されるタカラ。社会的な弱者同士の連帯が描かれるのかと思わせて、翔太はタカラに厳しく当たる。この弱い者がさらに弱い者に強く当たっていくという構図は、見ていてなかなかにしんどい。『 パラサイト 半地下の家族 』で描かれた一方の弱者がもう一方の弱者を攻撃するという図である。日韓の社会経済構造が同じというわけではないが、それでも連帯が必要とされる状況でも、連帯が生まれないというのはもどかしい。が、だからこそ生まれるドラマもある。

 

二人の距離が埋まりそうで埋まらないということを、映像が何度も何度も強調する。川沿いの道で、山道で、浜辺で、二人で歩きながらもその距離は縮まらず、そして周囲には誰もいないという画が何度も画面に映し出される。セリフもBGMも削ぎ落され、役者の演技と映像で物語る手法は見事だと思う。

 

若くして、ある意味で救いようのない境遇に陥ってしまった二人だが、人生はやりなおすことはできない。しかし、生き方を一時的にでも変えることはできる。それが役を演じるということで、二人が和歌山の街中で夜中に演じる芝居は、逃避行の中での更なる逃避行で、仮初の生だからこそ、なおさら強く輝いていた。本作の中でも最も美しいシーンだった。

 

翔太が語る「役者になったのは、誰かの心に残ることができるから」という考えが、彼自身の知らぬところで実を結んでいたというのは、ベタながら感動的である。袖振り合うも多生の縁と言うが、人と人とは思いがけない形でつながり合っているのだろう。

 

ネガティブ・サイド

高齢者施設で、老人が突然に倒れ、そのままこと切れる展開は必要があっただろうか。普通に徘徊する人が出る。認知症が進行した人がいる。失禁など、排泄に問題を抱えている人がいる。そうした描写で十分だったのではないかと思う。

 

同じくタカラの父親が死ぬという展開は必要だっただろうか。傷害と殺人だと罪の重さは段違いとなる。そこまで重い十字架をタカラに背負わせるのは、いささかやりすぎだと感じる。

 

またタカラは父親から受けた数々の虐待のせいで、男性、それがとっくに枯れたような老人であっても、触れられることに相当のストレスを感じるというのは、設定からして無理がある。Jovian自身でも病院実習で経験があるが、一定以上の高齢者は本当に体を支えないと歩けないし、あるいは簡単に暴力をふるう(といっても小突いてくる程度だが)患者というのもいる。同級生の女子が尻を触られたなどというのも、日常茶飯事とまではいわないが、看護実習あるあるの一つである。タカラがグループホームの職員を長く続けられているという設定には違和感ありありである。同じことはスナックのアルバイトにも当てはまる。

 

総評

やや不自然なキャラ設定が見受けられるものの、物語の重苦しさ、その先にある一筋の救いの光明に力強さを感じられる作品である。芋生遥は2020年代の邦画を牽引していく力を秘めた女優であるし、村上虹郎も親の七光以上の存在感を獲得しつつある。外山文治は、自ら脚本も書くという邦画では珍しくなりつつある監督で、映画製作に関しては自らのビジョンに忠実でありたいと願っているタイプであると拝察する。もちろん映画も一種の芸能であり、究極的には商業なのだが、このようなタイプの監督が辺縁に存在することは今後の邦画の世界では極めて重要であると思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

DNR

ディーエヌアールと読む。Do not resuscitate. のそれぞれの語のイニシャルをつなげたもので、意味は「蘇生しないで」である。海外の医療ドラマなどでは割と頻繁に聞こえてくる表現である。

She is a DNR. 
彼女は蘇生処置は不要の人だ。

のように使う。医療系の職業の人ならよくよくなじみのある表現だろう。

 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 村上虹郎, 監督:外山文治, 芋生遥, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ソワレ 』 -心に残る生き方を-

『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

私はいったい、何と闘っているのか 70点
2021年12月25日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:安田顕 小池栄子
監督:李闘士男

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『 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 』と同じ監督、脚本、主演の本作。男という哀れな生き物の脳内を見事に描き出すとともに、言葉そのままの意味で「男らしい男」の生き様を描き出してもいる。

 

あらすじ

伊澤春男(安田顕)、45歳。スーパーの主任として奮闘しつつ、店長への昇格の野心も持つ、良き家庭人。が、やることなすことがどうにも上手く行かないと思えてしまう。そんな中、降ってわいたように春男に店長就任の機会が舞い込んでくるものの・・・

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ポジティブ・サイド

単なる個人の印象だが、日本にはこの井澤春男に自己同一化してしまう男性が200万人はいるのではないか。そんな気がしてならない。35歳から50歳ぐらいの各年齢が100万人、その半分が男性とすれば50万人。35~50の年齢層では50万人×16=800万人。そのうちの4分の1ぐらいは春男に共感するだろうとの概算である。

 

仕事にも一生懸命で結婚もしている、子どももいるし、子育てにも参画している。こうした、いわゆる現役世代の鬱屈、煩悶、野望などの様々な心情が、安田顕によって見事に表出されている。これはキャスティングの勝利だろう。オダギリジョーや滝藤賢一といった同世代の俳優には出せない味がしっかりと出ている。脳内独り相撲を安田顕の高度な一人芝居に昇華させられなかった演出が悔やまれる。

 

仕事も家庭もそれなりに順風満帆のはずなのに、ほんのちょっとしたトラブルやボタンの掛け違いが、思いもよらぬ結果になってしまうことは誰にでもある。春男はそんな我々小市民の具現化で、まさに40代男性あるあるのオンパレードである。年頃の娘たちに小少々邪険にされつつも、しっかりと尊敬されており、末っ子の息子には「パパは僕に似たんだな」としっかりと愛されている。また小池栄子演じる妻が良い味を出している。料理に掃除に洗濯に子育てにと、あまりに良妻賢母である。Political correctness の観点からすれば大いに断罪されそうな家庭像だが、そうさせない秘訣は春男のヘタレっぷりと男っぷりにある。どういう意味か分からないという人はぜひ鑑賞されたし。

 

娘のボーイフレンドが家にやって来るところは、まさに春男という「ダメ男」かつ「男の中の男」の面目躍如。Jovianには子どもはいないが、それでも春男の心が手に取るように分かった。相手の男の応対も満点やね。Jovianはあんなに堂々と「娘さんをください」とは言えなかった。

 

仕事でやらかして謹慎を食らったところからの家族旅行が本作のクライマックス。平々凡々な小市民な春男にほんのちょっとした奇跡が起こる。春男の精一杯の意地とプライドが静かに炸裂するシーンは必見である。

 

本作を観たら、きっとカツカレーを食べたくなることだろう。もしもそう感じることがあるなら、それは安心できる逃げ場所が必要だから。赤ちょうちんでもカレー屋でもいいじゃないか。愛する家族が待つ家にまっすぐ帰れない夜もある。そんな男の哀愁を受け止めてくれる妻がいる。それだけで春男は果報者。春男のように頑張ろう。そう思わせてくれる良作だった。

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ネガティブ・サイド

春男の独り相撲っぷりがくどいし長い。『 私をくいとめて 』では脳内のAと自分が別人として語り合っていたし、『 脳内ポイズンベリー 』では、それこそ人格たちの丁々発止のやりとりがダイレクトに笑いにつながった。また『 勝手にふるえてろ 』は脳内ファンタジーが見事に現実を侵食していた。これらの先行作品に比べると、春男の独り相撲っぷりが少々弱い。というか、これでは脳内一人ノリツッコミで、最初こそ共感できるが、だんだんと飽きてくる。重要なのは最初の10分で春男というキャラの脳内を存分に観る側に刻み付けること。それに成功すれば、あとは安田顕の表情、所作、立ち居振る舞いからオッサン連中は勝手に春男の一人ノリツッコミを脳内補完する。製作側はオッサン以外の観客を意識したのだろうが、そこはもっと観る側を信頼すべきだし、観客ペルソナとしても最上位に来るオッサンにぶっ刺さる作りにすべきだった。

 

開始早々に退場する上田店長の扱いがどうにも軽い。春男が「この人のためなら」と思える人物である一方、スーパーウメヤの他のスタッフが春男の昇進を前祝いする流れはどうかと感じた。

 

井澤家の因果についてはもう少し伏線を遅めに、あるいは控え目にすべきだった。I坂K太郎を読む人なら、開始5分で「ああ、そういうお話ね」とピンと来たはずである。

 

総評

ほぼ安田顕の独擅場である。『 君が君で君だ 』は極端な例だが、男なんつー生き物は脳内の80%は自意識と妄想でできている。そんな夫を助ける小池栄子はグラビアアイドルから女優に見事に変身したと言える。『 喜劇 愛妻物語 』の夫はぐうたらのダメ人間で、共感できる人間を選ぶキャラだったが、こちらの春男は男の良いところ、男のダメなところの両方を見事に血肉化している。30~50代の夫婦で鑑賞してほしいと思うし、あるいは大学生のデートムービーにも良いかもしれない。世の父ちゃんたちは、ああやって闘ってカネを稼いでいるのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Go ahead.

「はい、どうぞ」の意。相手に何かを差し出す時には ”Here you are.” と言うが、相手に何らかの行動を促したい、あるいは相手から何らかの行動の許可を求められた時に使う表現。しばしば “Sure, go ahead.” のように使われる。相手が何を言っているのかよくよく理解してから使いたい表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 小池栄子, 日本, 監督:李闘士男, 配給会社:日活, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

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