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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2010年代

『 バイス 』 -権能委任の恐ろしさを描く伝記物語-

Posted on 2019年4月23日2020年1月29日 by cool-jupiter

バイス 70点
2019年4月21日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:クリスチャン・ベール エイミー・アダムス スティーブ・カレル サム・ロックウェル
監督:アダム・マッケイ

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タイトルのバイス=Viceは、Vice President=副大統領の副であり、悪徳の意味でもあるはずだ。いまだに記憶に新しいG・W・ブッシュ政権下のアメリカによるイラク攻撃、その決定の中枢にいたチェイニー副大統領の伝記映画である本作は、アメリカの負の側面だけではなく、民主主義国家の負の側面をも映し出している。

 

あらすじ

ワイオミング州でうだつのあがらない男だったディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)は妻のリン(エイミー・アダムス)に叱責されたことで発奮。政界に入り、実力者ラムズフェルド(スティーブ・カレル)の元で政治を学び、頭角を現していく。浮き沈みを経ながらも、やがてブッシュ大統領(サム・ロックウェル)に副大統領として求められるまでになるが・・・

 

ポジティブ・サイド 

現在進行形のアメリカ現代史における一大転換点は、おそらくオバマ大統領による「アメリカはもはや世界の警察ではない」宣言であると考える。その背景にあるのは、他国へのいらざる容喙に理も利も無いことへの悟りであろう。冒頭で若きディック・チェイニーは酒場のケンカで挑発してくる相手をぶん殴り、反撃を食らい、留置所にぶち込まれたところを、妻の嘆願で解放された。そして、後年、大統領以上の権力者になった彼は、挑発してきたわけでもない相手をぶん殴り、反撃を食らうことになる。イスラム国なるテロ組織の台頭が、実はブッシュ政権の身から出たサビだったことを思えば、この男が文字通りの意味で吊るし上げを食らっていないことが不思議でならない。日本に住む我々としては、核兵器を所有し、長距離ミサイル開発をいつまでたっても凍結しようとしない北朝鮮は、危なっかしいことこの上ない存在である。その一方で、大量破壊兵器を確実に有している北朝鮮にアメリカが一発の爆弾も投下しない事実をイラクの無辜の民の目で見れば、とうてい承服しがたいことだろう。勘違いしないでもらいたいが、Jovianは北朝鮮を爆撃せよと主張しているわけではない。想像力を持つことを忘れてはならないと言いたいだけである。『 シン・ゴジラ 』は傑作ポリティカル・サスペンスだったが、「政治家目線の物語にどうしても入っていけなかった、何故なら自分はどうやってもゴジラに為す術なく殺される一小市民だから」という声も確かに聞かれた。テロには決して賛同しないが、「WMDを持っていない」と潔白を主張し、国連やCIAも「無い」と報告したイラクが爆撃され、「WMDを持っている」と世界に声高に喧伝する北朝鮮が無傷とあらば、その二重基準っぷりにアメリカにキレるイラク人やムスリムがいてもおかしくない。本作が素晴らしいのは、政治、それも政権の中枢を描きながら、一般庶民の目線を常に忘れないところにある。本作の謎のナレーター=ストーリーテラーがそれであるが、その目線を通じて、我々はheartless killerという言葉を否応なく想起させられる。身震いさせられてしまうのだ。

 

そんなディック・チェイニーを演じたのはクリスチャン・ベール。彼もジェシカ・チャステインと同じく、クソ映画に出演することはあっても、その演技がクソであったことは一度もなかった。体重の増減が話題になることが多いが、声、口調、表情、眼差し、歩き方、立ち居振る舞いに至るまで、恐ろしいほどの説得力を生み出していた。Jovianはチェイニー副大統領を具に見てきたわけではないが、今作におけるクリスチャン・ベールの演技は、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のラミ・マレックとも優劣をつけがたい程のものがある。同じ賛辞はブッシュを演じたサム・ロックウェルにも当てはまるし、パウエル国務長官やライス大統領補佐官など、ヘアスタイリストさんやメイクアップ・アーティストの方々は素晴らしい仕事をしたと言える。ブライアン・メイを演じたグウィリム・リーも、メイクさんの力無しにはあれほど似ることは決してなかったのだ。あらためて裏方さんの労力に敬意を表したくなる映画を観た。

 

本作は『 ブラック・クランズマン 』と同じく、過去の事実を基にした映画でありながら、製作者の視線は過去ではなく現代にある。民主主義、特に間接民主主義とはごく少数の人間に権能を委任してしまうことである。もちろんそれだけなら何も問題は無い。問題なのは、civil servant=公僕であるべき政治家に委任された権力の強さ、大きさに対して大多数の民衆が無自覚になってしまうことである。そのことを本作は衝撃的なエピソードでギャグにしか思えないスキットで描き切る。どこかの島国の政治状況にも通じるところがあるようだ。野党が何をやっても与党および内閣が全く揺るがなかったのが、大阪のおもろいおっちゃんおばちゃんの学校経営屋が、あわや内閣を吹っ飛ばしかけたのは何故か。それは、その事件が人々の耳目を集めたからである。権力者の持つ力の大きさに気付いたからである。忖度などという言葉が定着してしまった

 

ネガティブ・サイド

エンディングのテーマソング。とある名作ミュージカルの名曲が歌われる。このブラックユーモア、ブラックコメディをアメリカ人はいったいどう観たのか。どう感じたのか。今度、同僚のアメリカ人に尋ねておこうと思う。Jovian個人としては、かなり微妙に感じた。いや、というよりも「お前ら、これでもアメリカ大好きだろ?」という声が聞こえてくるようで、何ともやりきれない気分にさせられた。なぜこの選曲だったのか。

 

また、劇中ではしきりにとある政治理論が説明されるが、そんなものは無しに事実を淡々と積み上げていくことで、チェイニーという政治家がその掌中に着々と権力を収めていく様子を描くことはできなかったのか。同じく、チェイニーとその妻の自室内でのやりとりなど、想像の産物でしかないシーンを、シェイクスピア風に再構築する必要などあっただろうか。『 JFK 』のジムとリズのような会話で良かったのだ。それで充分にリアリティを生み出せたはずだ。冒頭から、We did our fucking best.などと言い訳をしていたが、fuckingの部分がこれか・・・と慨嘆させられた。

 

総評 

『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』とセットで鑑賞すると、奥泉光の言葉を借りるならば、アメリカという国の精神にも陰影が生じてきたようだ。自国に誇りを持つことは健全である。しかし、その誇りの根拠になるものは自らが常に探し、維持し続けねばならない。弱点は見られるものの、このような映画を生み出す硬骨のアメリカ人の心意気には敬意を表するしかない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エイミー・アダムス, クリスチャン・ベール, サム・ロックウェル, スティーブ・カレル, ブラック・コメディ, 伝記, 監督:アダム・マッケイ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 バイス 』 -権能委任の恐ろしさを描く伝記物語-

『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

Posted on 2019年4月21日2020年1月29日 by cool-jupiter

キングダム 75点
2019年4月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 橋本環奈 長澤まさみ 
監督:佐藤信介

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Jovianも毎週欠かさずYoung Jumpを買っては漫画『 キングダム 』を読んでいる。この映画化には心躍るのと同時に、一抹の不安もあった。大河ドラマ的なスケールでありながら、水戸黄門的なお約束チャンバラを適度に、しかしハイレベルに交えて一つのエピソードを描くとなると、それなりに手練れの監督が必要となる。『 曇天に笑う 』、『 BLEACH 』と剣戟乱舞はそれなり魅せるものの、肝心のストーリー部分で???とさせられた佐藤信介監督は、今回は及第点以上の仕事をしてくれた。

 

あらすじ

時は紀元前3世紀。場所は中国西方の大国「秦」。奴婢の信(山崎賢人)と漂(吉沢亮)は、剣の修行に励み、いつか天下の大将軍になることを夢見ていた。そんな時、漂が宮仕えに召し出される。立身出世の機と思われたが、その漂が殺されてしまう。漂の遺言の場所に駆け付けた信は、漂と瓜二つの少年、秦王嬴政と出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

 漫画の実写化において、キャラの再現性の高さは絶対にはずしてはならないポイントである。そこを微妙に外したのが『 ルパン三世 』であり、そこを絶妙に表現したのが『 銀魂 』だった。奇しくも両方とも小栗旬が主演。本作はどうか。

山崎賢人と信のシンクロ率:85%
吉沢亮と漂および政のシンクロ率:95%
橋本環奈と河了貂のシンクロ率:99%
長澤まさみと楊端和のシンクロ率:85%
大沢たかおと王騎のシンクロ率:80%
本郷奏多と成蟜のシンクロ率:90%

であった。つまり、かなり良い感じなのである。特に山崎賢人は、演技にもう少しメリハリが欲しいが、今作では脳筋的なキャラを演じ切れていた。信の魅力は一にかかってその純粋さ、ひたむきさ、そして直感的に本質を把握してしまう感性の鋭さにある。『 羊と鋼の森 』以来、「俺、かっこいいだろ?」的なキャラもこなせるようになってきた。今後の成長にも期待したいし、この信にはもう一度スクリーンで再会したいと思えた。

 

吉沢もやっと代表作たりうる役に巡り合えたのではないか。彼が出る映画はハズレ映画という私的ジンクスを払拭してくれた。原作の政のニヒルでいて、しかし熱量を内に秘めた若王を忠実に演じていた。まだまだ学ぶべきことは多いが、この調子で着実に実績を積み上げていけば高良健吾の後継者になれそうだ。

 

本作のチャンバラは『 るろうに剣心 』のそれを彷彿させる。もちろん、あちらは剣客漫画でこちらは戦争漫画なので、正式にはジャンルが異なる。しかし、『 スター・ウォーズ 』シリーズのようなファンタジー世界の殺陣ではなく、ジュラルミンの剣と剣とが響き合うお馴染みの世界での剣劇である。この剣の腕でのしあがろうとするところに歴史的なロマンがあり、なおかつそれが現代日本の社会状況とも大いに重なるところに、本作が今というタイミングで実写映画化された意義が認められる。

 

就職氷河期世代を「人生再設計第一世代」などと名称変更したところで何も変わりはしない。変えるべきは世代に付ける名前ではなく、社会の構造である。奴隷は何をやっても奴隷、奴隷の子も奴隷という『 キングダム 』世界の価値観をぶち壊してやろうという気概に満ちた信と漂の物語、過去の非を素直に認め謝罪し、それでも未来を力強く語る、そして「世界はそうあるもの」という固定観念を力でぶち壊してやろうという大望を胸に秘める政の眼差しは、現代日本への婉曲的なエールでもある。原作ファンも、そうではない人も、本作から何かを感じ取ってもらえれば幸いである。

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ネガティブ・サイド

キャラの再現度は高かったが、いくつか個人的にこれを省いてはならないだろうと感じていた要素が欠落していた。いくつか実例を挙げれば、楊端和の「一人十殺」、「一人三十殺」である。壁の「動かぬ!」も何故省いた。あれこそが壁の壁たる様式美だというのに。

 

その楊端和を演じた長澤まさみはアクションはそれほど得意ではなさそうだ。運動神経という点では土屋太鳳や杉咲花を抜擢するべきだったのだろうが、彼女らには山界の死王のオーラは出せない。それもあって、余計に楊端和のアクションシーンの貧弱さが目に付いてしまった。

 

また左慈とランカイの順番を入れ替えてしまったのは何故なのだろう。剣と剣の対決を最後に描きたかったのは分かるが、信というキャラの最大の魅力は剣力、剣腕だけではなく、その直感の鋭さなのだ。玉座にふんぞり返る成蟜に言い放つ「その化け物以外に誰もお前を体を張って守ろうとしない」という原作の台詞は、やはり省いてはいけなかった。

 

総評

『 BLEACH 』という駄作から見事なリバウンドを佐藤監督は果たした。原作ファンとして腑に落ちないところもあるが、映画的スペクタクルは十分に達成されているし、キャラクター再現度も高い。またBGMも各シーンにかなりマッチしていた。『 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 』は残念ながら続編政策の必要性は感じないが、本作は第二弾(蛇管平原?)、第三弾(馬陽防衛戦?)まで、しっかりと製作をしてほしい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 歴史, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

『 ビューティフル・ボーイ 』 -ドラッグ依存からの再生を信じる物語-

Posted on 2019年4月19日2020年2月2日 by cool-jupiter

ビューティフル・ボーイ 70点
2019年4月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:スティーブ・カレル ティモシー・シャラメ
監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン

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元プロ野球選手の清原和博、そしてミュージシャンかつ俳優のピエール瀧など、日本でも違法薬物に手を染めてお縄を頂戴する羽目に陥る人間は定期的に現れる。だが、彼ら彼女らの問題は薬物ではない。そのことを本作はうっすらと、しかし、はっきりと宣言する。単に父子の愛の美しさを称揚する映画だと思って鑑賞すると、ショックを受けるかもしれない。

 

あらすじ

フリーランスで文筆業を営むデビッド・シェフ(スティーブ・カレル)は、息子ニコラス(ティモシー・シャラメ)が薬物に徐々にはまっていくのを見ながらも、どこかで楽観視していた。自分も経験してきた、若気の無分別だと。しかし、ニックの依存症は深刻さを増すばかりで・・・

 

ポジティブ・サイド

ダークサイドに堕ちていくティモシー・シャラメ。もしも今、『 スター・ウォーズ 』のエピソードⅢをリメイクするなら、アナキン役はこの男だろう。そう思わせるほどの迫真性があった。クスリでハイになった人間を描くには二通りが考えられる。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオやジョナ・ヒルのように徹底的にコメディックに描くか、あるいは『 レクイエム・フォー・ドリーム 』のように徹底的にシリアスに描くかだ。本作は明確に後者に属する。

Jovianは煙草を止めて7年9カ月になるが、チャンピックスが効き始める前、手持ちの煙草の箱が空になった時が最もしんどかった。イライラするので夜に近所を散歩していたら、目の前を歩くオッサンが火がついたままの煙草をポイ捨てした。それを拾ってスパスパ吸ってやりたい衝動に駆られたのを今でもよく覚えている。本作はクリスタル・メスという薬物の依存症を描くが、おそらくこの薬の魔力は煙草の1,000万倍ではきかないと思われる。もはや自分の意志で何とかなるものではないのだ。

ティモシー・シャラメは『 ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界 』ではアンセル・エルゴートにボコられてしまったが、今作で役者としてもキャリアの面でもアンセルを抜いたと言ってよい。少年の無邪気さをその目に宿しながら、どこか世界を斜に構えて見るところがある。それでいて、血のつながらない母や弟や妹にも愛情たっぷりに接する。しかし、文筆と絵画の才に秀でた彼が内に秘めていた黒い想念は、ホラー映画かくあるべしと思えてくるほどの恐怖を観る側に与えてくる。なぜなら、そこにいるビューティフル・ボーイは素の彼ではなく、薬に操られるがままのマリオネットだからである。

父を演じたスティーブ・カレルは今まさに円熟期を迎えている。アメリカ社会が必要であり理想と考えるpositive male figureの役割を果たすことに心魂を傾注するが、それは決して無条件に息子を信頼することではない。彼は完璧超人でも聖人君子でも何でもない。至って普通の男なのである。怒りで声を荒げてしまうこともあるし、息子の助けを拒絶することもある。自分の非力、無力を痛感し、専門家にも頼る。等身大の父親なのだ。『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』ではダウナー系の中年を、『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』や『 プールサイド・デイズ 』では嫌味な男をそれぞれ好演していたが、『 40歳の童貞男 』を超える代表作になったと言ってよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

デビッドまでがドラッグをやる描写は必要だったのだろうか。いや、アメリカ人に「ドラッグをやったことはあるか?」と尋ねるのは愚の骨頂であるらしいことからして、息子と一緒になってハッパを吸い込むぐらいなら良い。しかし、スラム街で売人から購入した白い粉を鼻からスーッと吸引する場面は必要だっただろうか。あれは、観る側の想像力に委ねるような描写や演出の方がより効果的だったように思う。

また、ジョン・レノンの“ビューティフル・ボーイ”は劇中ではほとんど聞けない。看板に偽りありとまでは言わないが、拍子抜けだった。デビッドは言葉でも文字でもニックにビューティフル・ボーイと語りかけるが、本来のボーイたるべきニックの弟にはそのようには呼びかけない。このあたりの父と息子たちへの接し方の違いを、もう少し丹念に描写するシーンが欲しかった。

物語のペーシングにもやや難ありである。「え、まさかこれで終わり?」というシーンが何度かあるのである。また、時系列的に混乱を呼びかねない描写もいくつかある。回想シーンなのか現在のシーンなのか分かりにくいというのがJovianの嫁さんの感想であった。このあたり演出力は『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』の方が優っている。

 

総評

違法薬物の使用で芸能人がしょっ引かれるのは何年かに一度のお約束であるが、本作公開のタイミングは、その意味ではパーフェクトである。薬物そのものの恐ろしさもあるが、結局は薬物に頼らざるを得ない原因があるということを、繰り返しになるが、本作は暗示的に、しかし、力強く明示する。中学生ぐらいの子どもがいれば、親子で劇場鑑賞するのも良いだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, スティーブ・カレル, ティモシー・シャラメ, ヒューマンドラマ, 監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ビューティフル・ボーイ 』 -ドラッグ依存からの再生を信じる物語-

『 マイ・ブックショップ 』 -書店を巡る人間関係の美醜を描く-

Posted on 2019年4月16日2020年2月2日 by cool-jupiter

マイ・ブックショップ 65点
2019年4月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エミリー・モーティマー ビル・ナイ パトリシア・クラークソン
監督:イザベル・コイシェ

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嫁さんが思い立ったように「観たい」と言ってきたのが本作である。『 続・夕陽のガンマン 』を観て以来、どうも面白不感症に罹患しているらしい。そういう時は、自分のレーダーではなく、誰か別の人間の感性に身を委ねてみるのも一案である。

 

あらすじ

戦争の傷跡からようやく立ち直りつつある英国の海沿いの町。フローレンス(エミリー・モーティマー)はそこに、戦死した夫と共に見た書店を開くという夢を実現すべく奔走する。なんとか開業にこぎつけたものの、有力者のガマート夫人(パトリシア・クラークソン)の妨害を受けてしまう。しかし、バイト少女のクリスティーンや素封家にして読書家のブランディッシュ(ビル・ナイ)の助力を得たフローレンスは、敢然と立ち向かうが・・・

 

ポジティブ・サイド

「毅然」という言葉を辞書で引けば、今作のエミリー・モーティマーを使った挿絵が出てくるのではないか。そう感じさせるほどの会心の演技であろう。彼女の書店開業への道は ”It’s been no bed of roses, no pleasure cruise” である。銀行が融資を渋るのだが、これは当時の世相を反映しただけのものではなく、現代の現実を鋭く批評する姿勢の現れである。現代日本には、紳士服を売る店が溢れている。しかし、女性が大きなコンベンションやパーティーに着て行って恥ずかしくないスーツが売られている店は本当に少ない。銀座英國屋ぐらいしかない。これは、とある大阪の女性経営者の声である。Jovianは冒頭のシーンで、この女性経営者の声を思い出さずにはいられなかった。モーティマー演じるフローレンスは数々の苦難に負けることなく、オールドハウスを手に入れ、書籍を仕入れ、書店を見事にオープンさせるのだが、そこにパトリシア・クラークソン演じるガマート夫人の横やりが、これでもかと入ってくる。海辺の小さな町ではあるが、彼女はいわゆる、『 きばいやんせ!私 』で描かれていたような地元のボスキャラである。この町には本屋はいらない。この町に本を読む人はいない。こうした姿勢は、反知性主義、反啓蒙主義である。これまた鋭い現実批評である。政府自らフェイクニュースを垂れ流すどこかの島国の愚行をスケールダウンして見ているかのようである。

 

フローレンスには、そこから先にも数々の苦難が襲い来るのだが、ガマート夫人の攻撃を防がんと立ち上がるビル・ナイが、ここで一世一代の演技を披露する。彼の演じるブランディッシュとガマート夫人の対話は、近年の映画の中でも出色のサスペンスを生み出している。そしてビル・ナイがここで振るう渾身の長広舌は、観る者の魂を揺さぶるかのような迫力に満ちている。

 

それでも、まるで『 おしん 』のように耐え忍ぶフローレンスに、ついに限界が訪れる。このシーンは悲痛である。正義の無力さを思い知らされるかのような虚無感に襲われる。しかし、最後の最後にカタルシスも待っている。それが何であるのかはネタばれになるので言えない。ただ、始まりのシークエンスがどのようなものであったのかを脳裏に刻みつけておいてほしい。また、劇中でたびたび挿入されるナレーションにも注意を払って欲しい。しかし、払い過ぎないで欲しい。ややネタばれめいたことを言わせてもらえるなら、ノンフィクション・エッセイ『 僕の妻はエイリアン―「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 』を読んだ時のような衝撃が待っている(ちなみに、この本のレビューは決して読んではいけない)。

 

ネガティブ・サイド

『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』ような陰惨、陰鬱な絵ではない。むしろ映像はやや明るく綺麗でもある。スクリーンの明るさと物語の暗さの対比が、やや適切ではないのかなと感じた。

 

フローレンスというキャラクターにも、強かさが欲しかった。お人好しが過ぎる言うか、もう少し警戒心や猜疑心を持っていても良かった。実際には夫を戦争でなくした未亡人なわけで、世の中を綺麗ごとだけで渡って行けるわけではないだろう。このような性格や気質であるからこそブランディッシュが立ち上がったのだとも言えるが、逆に言えば、このようなキャラであっては、最終盤の行動が説明できない。このあたりは賛否両論が生まれるところだろう。Jovianは否と見る。

 

思わぬドンデン返しというか、新鮮な驚きがあるところはプラスだが、『 ショーシャンクの空に 』のように、最悪であるはずの刑務所を自分の才覚で変えていく、倒すべき悪をしっかりと倒すという筋書きの物語を体験したかった。最終盤に得られるカタルシスの大部分はストーリーテリングに関わるもので、ストーリーそのものに対するインパクトの面では弱かった。

 

総評

非常に静かな映画である。しかし、登場する人物たちの中にはドロドロとした情念が渦巻いている。牧歌的な物語でも堪能しようと鑑賞すれば裏切られるだろう。だが、人間模様をつぶさに観察できる、自身を取り巻く現実との対照で映画を観るような人ならば、本作は豊穣な時間を提供してくれることであろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, エミリー・モーティマー, ココロヲ・動かす・映画社○, スペイン, ヒューマンドラマ, ビル・ナイ, 監督:イザベル・コイシェ, 配給会社:Leave a Comment on 『 マイ・ブックショップ 』 -書店を巡る人間関係の美醜を描く-

『 孤独なふりした世界で 』 -やや竜頭蛇尾なディストピアもの-

Posted on 2019年4月15日2020年2月2日 by cool-jupiter

孤独なふりした世界で 55点
2019年4月11日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ピーター・ディンクレイジ エル・ファニング
監督:リード・モラーノ

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人類滅亡ものはフィクションの世界ではそれこそ星の数ほど生産されてきた。しかし、近年ではディストピア後の世界をどう生きるかに焦点が当てられているように思う。本作もそうした潮流に乗った作品である。

あらすじ

人類が死滅した世界で、一人黙々と生きるデル(ピーター・ディンクレイジ)。彼は空き家を片付け、死体を穴に埋め、生活に使えるものを回収して、生きていた。しかし、ある時、グレース(エル・ファニング)という女性がデルの街にやってくる。人間嫌いのデルは、グレースとの共同生活を始めるが・・・

ポジティブ・サイド

ビジュアル・ストーリーテリングに徹している作品である。何かが起きて人類の大半が死滅してしまったことが示唆されるが、それが何であったのかは決して明かされない。しかし、それを推測するヒントというか材料は、スクリーンの端々に散りばめられている。それは時に映像であったり、事物であったり、人間の死骸であったり、動物の存在と不在であったりする。魚釣りはできる。人間の死骸はネズミやカラスに食い荒らされてはいない。小鳥の囀りが聞こえる。犬が登場する。建物などが破壊されたわけではない。イスに座ったまま死んだ人もいる。さあ、こうした描写から何が人類滅亡の原因になったのかを考えてみようではないか。

『 クワイエット・プレイス 』や『 死の谷間 』と同じく、本作も具体的に何が起きたのかを決して安易にキャラに喋らせたりはしない。そこのところに好感が持てる。デルというキャラが図書館を根城にしているのも象徴的である。書物を読むという行為は極めて能動的であるが、書物の方から我々に話しかけてくることは決してない。それが映画であっても音楽であっても同じで、デルは能動的に働きかけることができる対象には能動的でいられるが、自分が受動的にならざるをえない対象、それは往々にして他者なのであるが、それに対しては極めて脆弱もしくは攻撃的になる。死体を無造作に引きずり、月曜日の朝のゴミ出しの如くポイッと穴に捨てていく様は、異様である。

こうした、ある意味では極まったmisanthropeであるデルはグレースとの出会いと生活によってどう変わっていくのか。または変わらないのか。このあたりの説明描写も巧みである。映像と役者の演技にそれを語らしめるからだ。本作は中盤までは、それなりに面白い。そこから先を楽しめるかどうかは、おそらく鑑賞者の経験値に依るだろう。SF、特にディストピアものを数多く消化した人ならば、やや拍子抜けさせられるだろう。しかし、こうしたジャンルへの造詣が深くないという人であれば、ある程度は混乱させられつつも、楽しめるはずだ。

ネガティブ・サイド

中盤以降は、残念ながらどこかで観たり聞いたり読んだりしたストーリーのパッチワークである。詳しくはネタばれになるので書かないが、グレースに『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』を思わせるネタを仕込むのはどうなのだろう。人類の大半が死滅してしまった原因の一つとして考えられないでもないが、そこを微妙な加減でぼやかしているからこそ、前半が際立つのだ。そのテンションやトーンは後半でも維持すべきだった。また日本の漫画で映画化もされた『 ドラゴンヘッド 』にもそっくりという展開も、個人的には買えない。

本作のその他の弱点としては、サウンドトラックが本編ストーリーとケンカしているということが挙げられる。また、デルの住む世界の静謐さを際立たせたい意図が込められているのだろうが、サウンドのボリュームが不意・不必要に大きいと感じられるシーンも多数存在する。このあたりも減点材料である。

総評

弱点を抱えてはいるものの、導入部から中盤までは引き締まっている。台詞の少なさに辟易してしまう人には向かないが、映像そのものや役者の演技からストーリーを読み取れる人なら、本作の前半は必見である。日本にもピーター・ディンクレイジのような渋い役者が必要だ。本作のエンディングについて、より深く考察してみたいという向きには、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『 不死の人 』をお勧めしておきたい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, エル・ファニング, ピーター・ディンクレイジ, 監督:リード・モラーノ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 孤独なふりした世界で 』 -やや竜頭蛇尾なディストピアもの-

『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』 -いっそのことシリーズ化しては-

Posted on 2019年4月14日2020年2月2日 by cool-jupiter

L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 40点
2019年4月11日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:上白石萌音 杉野遥亮 横浜流星
監督:川村泰祐

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少し前までセレブ社長とラブラブだった剛力彩芽が演じた西森葵を、上白石萌音が引き継ぎ、山崎賢人演じた久我山柊聖を杉野遥亮が引き継ぐ。杉野は山崎に似せようと努力しているが、そもそも原作キャラとそこまで似ていない。そして上白石は悪い役者ではないが、剛力にも似ていないし、かといって漫画原作のキャラにも似ていない。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』でオールデン・エアエンライクがコテンパンに叩かれたのは、彼がそもそもハン・ソロおよびハリソン・フォードに似ていなかったからである。

あらすじ

西森葵(上白石萌音)と久我山柊聖(杉野遥亮)は周囲に秘密の同棲生活を続けていた。そんな時、アメリカから柊聖の親戚、久我山玲苑(横浜流星)がやってきて、柊聖をアメリカに連れ帰ろうとする。葵を理由にそれを拒む柊聖に納得いかない玲苑に、葵の良さを教えるためと同居を勧める柊聖。かくして奇妙な一つ屋根の下生活が始まった・・・

ポジティブ・サイド

スレンダーな剛力から、ちんちくりんの上白石へのバトンタッチは英断だった。無愛想なモテ男が、愛情をストレートにぶつけられることで陥落するプロットは少女漫画の王道だが、そうした愛情の深さ、包容力は上白石の方が表現者としては上手である。同時に根っこの部分に強さと弱さを併せ持つところも良い。無礼千万な玲苑に対して毅然と立ち向かうところ、そして柊聖と離れ離れになることの苦しさを素直に吐露できる弱さの中にある強さ。この子(と言っては失礼か)のハンドラーには、舵取りを誤らないで頂きたいと思う。

メイクアップ・アーティストやヘア・スタイリスト、衣装などの裏方さんはかなり頑張られたことと思う。杉野は顔の輪郭はそれなりに山崎に似ているが、その他の部分はそうでもない。それを、ここまで違和感少なく同一のキャラであると観る側に思わせるように仕上げるのは一方ならぬ労苦であったと思う。彼ら彼女らの仕事に敬意を表したい。

ネガティブ・サイド

杉野と横浜の演技力は何とかならなかったのだろうか。もちろん山崎や剛力の演技が優っていたなど言うつもりは毫もないが、それでももう少し本人たちの努力や周りの指導が必要だろう。特に主演の杉野。『 あのコの、トリコ 』から成長していない。笑い方、怒り方、泣き方。発声と発音の練習。これらを日頃から練習しているとはとても思えない。

横浜にしても同じで、アメリカ帰りで英語ができない日本人を見下す役を演じるなら、それを演じ切りなさいと言いたい。『 シン・ゴジラ 』で叩かれまくった石原さとみをJovianは一貫して擁護してきたが、それは彼女の発する帰国子女的な雰囲気と気宇壮大な夢を誰はばかることなく語るところに説得力を認めたからだ。加えて彼女の英語。これは可もなく不可もなく。だが、横浜のキャラはアメリカ育ちとは思えない、少なくともこの物語世界におけるアメリカという国のポジティブな価値観を受け継いでおらず、悪い方の価値観を受け継いでいる。「二ヶ国語を話すのをバイリンガル、三ヶ国語をトリリンガル、一ヶ国語しか話さないのはアメリカンと言う」というジョークがある。もしアメリカ的な属性を強調したいのなら発音にはもう少し注意した方がいい。“Don’t take it out on me just because your English sucks!”の sucks が sex という発音に近かった、というかセックスだった。それが横浜なりの女子ファンへのサービス精神、そして川村監督の意図した演出であるならば仕方がない。だがそれは、英語指導・監修としてクレジットされていた2名の方に disrespectful だろう。

物語自体も残念ながら破綻している。学校という場所は噂が生まれ、拡散される場所であるが、なぜAという出来事に対しては大きな噂がすぐに広まるのに、Bという出来事にはそれが起きないのか。また、なぜXというキャラのAという(失礼極まる)行動は周囲に波風を立てない一方で、YというキャラのAという行動はそうならないのか。漫画のエピソードを数十分に一気に圧縮しようとして失敗したのだろう。脚本段階で瑕疵があったとしか考えられない。キャラたちの行動原理がよく分からない。なぜ体育館でバスケをするのに下足なのか。またデパルマ・タッチでスローで見せるべきは、シュート時の身のこなしであって、ボールがネットに swash するところではない。そういうのはバスケ映画の技法であって、キャラにフォーカスする本作のような映画の撮影技法ではない。

総評

残念ながら様々な意味で駄作である。しかし、見方を変えれば、テレビドラマではなく映画、特に邦画の世界でも、数年後に異なるキャストで異なるエピソードを作ることが可能ということを示したとも言える。原作ファンの支持を得られれば、数年後に再映画化企画が持ち上がるかもしれない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 上白石萌音, 日本, 監督:川村泰祐, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』 -いっそのことシリーズ化しては-

『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

Posted on 2019年4月11日2020年2月2日 by cool-jupiter

ルビー・スパークス 70点
2019年4月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ゾーイ・カザン
監督:ジョナサン・デイトン バレリー・ファリス

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『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』デイトンとファリスの夫婦監督の作品である。本と現実世界がリンクしてしまうという筋立ては古今東西、無数に作られてきた。古くは『 ネバーエンディング・ストーリー 』、割と最近のものだと

『 主人公は僕だった 』。作者が自らが想像および創造したキャラクターに恋するプロットも陳腐と言えば陳腐だ。日本では、漫画の『 アウターゾーン 』にそんなエピソードがあったし、その作者の光原伸も、自らの生み出したミザリィに恋していたのではなかろうか。

あらすじ

弱冠19歳と時のデビュー作で文壇を席巻したカルヴィン(ポール・ダノ)は、以来10年にわたって書けずにいた。しかし、ある時、夢にインスピレーションを得て、ルビー・スパークス(ゾーイ・カザン)というキャラを着想する。カルヴィンは執筆に没頭するうちに、ルビーに恋焦がれるようになるが、ある日、なんとルビーが目の前に現れ・・・

ポジティブ・サイド

カルヴィンというキャラクターの外面のなよなよしさ、そして胸の内に秘めたマグマのようなエネルギー。相反する二つの要素をポール・ダノは見事に同居させ、表現した。動きの貧弱さと眼鏡の奥に光る眼差しの強さと弱さ、そして意外なほどに攻撃的な口調が、このキャラの複雑さを物語る。作家というのは往々にして難しい生き物だ。綾辻行人は東日本大震災後に「書けなくなった」と語ったが、人命を小道具にするミステリ作家ならではの症状だろう。カルヴィンも同じで、父の死や、かつてのガールフレンドとの別れが、書けない自分の理由の一部を為している。我が恩師の一人、並木浩一は、作家には想像力と構想力が必要と説いた。想像力=他者になる力、構想力=世界を仕上げる力、という定義である。カルヴィンは、まず間違いなく構想力優位の作家である。ルビーとの関係に幸福を見出すカルヴィンには、しかし、ルビーの目から見た自分自身の姿がない。つまり、カルヴィンは自分で自分を知らない。そのことをルビーは最初の出会いでいきなり喝破する。愛しい相手が自分に抱いてくれる感情が変わりそうになった時、本当ならば自分が変わらねばならない。しかし、カルヴィンは創造主であるが故にその選択肢を拒否する。本作は青年の成長物語ではあるが、成長できない青年のダークサイドを見せつけるという逆説的な手法を取る。これが面白く、なおかつ背筋に何か冷たいものを感じさせられるような恐怖感や不安感も駆り立ててくる。

また脚本も書き、タイトルロールも務めたゾーイ・カザンも称賛に値する。可愛らしく、それでいて理知的で、創造性に富み、社交性も豊か。最もその魅力が際立つのは、序盤で嫉妬心から悪態をつきまくり、駄々をこねる様だ。暴れる女は無理矢理でも抱きしめなさい。なぜなら、その怒りの大きさが対象への愛情の大きさなのだから、と彼女自身が高らかに宣言しているかのようだ。

本作のカメラワークはユニークである。カルヴィンはしばしば建物や車、部屋という仕切られた空間で非常に弱い照明の光の下で映し出される。対照的に、ルビーは開放的な衣装や環境で、たっぷりと光を注がれる。ダウナー系男子とアッパー系女子の対照性が終盤に交わる時、光と影、どちらがその濃さを増すのか。Fantasticalなラブロマンスと見るか、変化球的なサスペンスと見るか。二人の織り成すケミストリーは最終的に何を生み出すのか。時々スローダウンしてしまう箇所もあるが、全体的には100分程度で綺麗にまとまった良作である。

ネガティブ・サイド

カルヴィンの家族を巡る物語は、もう少し深堀りできたのではなかろうか。このストーリーの流れでアントニオ・バンデラスが陽気にニコニコ笑うおじさんを演じているのを見れば、バイオレンスを含む何らかの陰鬱な出来事があったと想像してもおかしくはない。実際はそんなことはないのだが、ややミスキャスティングかつミスリーディングであるように感じた。

カルヴィンの兄嫁のスーザンとルビーの絡みも欲しかった。また、カウンセラーのローゼンタール先生とルビーにも何らかの接点が欲しかったと思う。ルビーという存在の虚構性ゆえに自分の周りに実在する人間に、なかなかルビーを紹介できないカルヴィンの気持ちは分からないでもない。けれども、ルビーという女子の心の変化を読み取るには、もう少し丁寧な人間関係の描写が必要だったと考えてしまうのは、Jovianが男性だからなのだろうか。

総評

本作の放つメッセージは詰まるところ、庵野秀明が『 新世紀エヴァンゲリオン 』の劇場版で観客に痛烈な形で放ったメッセージと同質のものである。つまり、「外に出ろ、俗世に交われ」ということだ。愛はそこに唯あるだけのものではない。自分が誰かを愛し、誰かから愛されるのなら、その愛を常に保ち続けるために動きなさい、働きなさい、変わりなさいということだ。婚活がなかなかうまくいかない男性には、本作は案外ためになる視聴覚的テキストになるのではないだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ゾーイ・カザン, ポール・ダノ, ラブロマンス, 監督:ジョナサン・デイトン, 監督:バレリー・ファリス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

『記者たち 衝撃と畏怖の真実 』 -気骨の記者たちの姿に個の強さを見る-

Posted on 2019年4月8日2020年2月2日 by cool-jupiter

記者たち 衝撃と畏怖の真実 70点
2019年4月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェームズ・マースデン
監督:ロブ・ライナー

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9.11当時、Jovianは大学4年生だった。大学の寮のテレビで、飛行機がWTCに突っ込む映像を観て青ざめていたアメリカ人のdorm mateたちのことは今でも忘れられない。あれから20年近くが経とうとする今、この映画が作られ、公開される意味は何か。当時の日本の政治状況と世界市民の声を覚えていて、そして2010年代後半、特に米トランプ政権誕生以後の権力とニュース・情報・報道の関係を考えるならば、受け取るべきメッセージは自ずから明らかである。

あらすじ

ナイト・リッダー社の記者、ジョナサン・ランデー(ウッディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)は、9.11発生からアルカイダとイラク・フセイン政権を結びつけ、第二次湾岸戦争に突き進もうとするブッシュ政権に疑問を抱く。取材を通じて、彼らは政権中枢の権力者の嘘を暴いていくが・・・

ポジティブ・サイド

珍しく良い邦題である。原題はShock and Aweであり、これが「衝撃と真実」の意なのだが、同時にこれは米軍がフセイン政権打倒の軍事行動に名付けた作戦名でもあるのである。フセインを逮捕し、殺害し、その死骸を海に遺棄するという暴挙に出たオバマ政権であるが、その結果として中東はどうなったか。ISISの台頭およびその他の小部族の乱立と割拠により、戦争前よりも混迷度の度合いを増している。だが、そうした面に光を当てる映画作りはマイケル・ムーアに任せよう。

本作が描き出すのは、記者としての矜持と批判の精神、そして不屈の行動力をもって躍動する2人のバディである。彼らの人間性や私生活も描かれはするものの、スクリーンタイムの大部分は彼らの職務たるジャーナリストとしての取材活動に充てられる。それが、セミ・ドキュメンタリー・タッチで描かれるのだ。この“タッチ”というのが味噌である。本作は、報道ドキュメンタリーではなく、さりとてサスペンス要素満載だった『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』のようなシリアスなドラマでもない。適度なリアリズム感覚とでも言おうか、ランデーとストロベルの上役にして監督をも務めるロブ・ライナーの現実感覚がここに見て取れる。彼は国家権力の暴走の可能性を注視しながらも、市井の人々の良心にも望みを抱いている。このあたりが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』当時のベトナム戦争と、本作の映し出す第二次湾岸戦争、イラク戦争との違いであり、共通点でもある。

『 ブラック・クランズマン 』や『 ビリーブ 未来への大逆転 』でも、アメリカ市民は“Hell no! We won’t go!”と叫んで戦争反対への意思表示をしていた。それは戦争に関する情報があまりにも少なく、不正確だったからだ。しかし、この現代という時代、様々なメディアがあり、情報ソースがあり、それらに容易にアクセスできる環境も整備されているにもかかわらず、なぜ戦争が始まってしまったのか。国家規模で開戦に突き進んでしまったのは、いかなる機序によってだったのか。それがまるでどこかの島国にそっくり当てはまるように見えてしまうのは、Jovianの杞憂に過ぎないのか。それとも、2002~2003年にかけて、戦争への道をひたすらに邁進するアメリカに“Show the flag!”と言われた翌日に「アメリカを支持する!」と世界に先駆けて宣言した、小泉総理・自民党総裁を思い起こさせて来るような、ショッキングな世界市民のデモ映像が当時の不穏な空気を、そして現代においても勤労統計の不正操作や様々な公文書の改竄疑惑が晴らされていないということを、どうしても想起させられるからなのか。

権力とメディアの双方に信を置くことが難しくなっているこの時代、そして社会に生きる者として、客観性(それは劇中では数字に象徴される)と良心の重要性を訴えかけてくる本作は高校生、大学生以上の日本人にとって必見かもしれない。

ネガティブ・サイド

現実が充分にドラマチックであるせいか、チェイニーやラムズフェルド、ブッシュらのスピーチやコメントがテレビ画面に映るたびに、それは圧倒的なリアリティを帯びる。当たり前だ。実在する人物が現実に発した言葉なのだから。問題は、それらのパートとのバランスを取るべき記者たちの人間の部分、私生活の部分が弱いことである。例えば、ストロベル記者の love interest になる女性リサ(ジェシカ・ビール)は完全に都合のよい狂言回しだった。

同じく、ランデーの妻ヴラトカ(ミラ・ジョボビッチ)の存在感ももう一つである。ユーゴスラビア系のルーツを持つのであれば、NATOによるユーゴ空爆の話なども交え、いかにアメリカが変わらないのかをもっと厳しく追及できたはずだ。あまりにも中道を行き過ぎたか、もう少し劇的な要素が織り交ぜられていても良かったのではないか。

総評 

弱点はあれど、本作は今というタイミングで送り出される価値のあった作品である。そしてそれはアメリカのみならず、多くの国家と国民にとって共通の事象を浮き彫りにする。すなわち、国家あっての国民なのか、それとも国民あっての国家なのかということである。『 銀河英雄伝説 』のヤン・ウェンリーの言葉、「政治の腐敗とは 政治家が賄賂を取ることじゃない それは政治家個人の腐敗であるにすぎない 政治家が賄賂を取っても  それを批判できない状態を政治の腐敗と言うんだ」ということを、我々はゆめ忘れてはならない。イラク戦争絡みの映画で、戦争と一個人の生き様が見事に交錯する作品として、シリアスな『 ゼロ・ダーク・サーティ 』、どこまでもユーモラスな『 オレの獲物はビン・ラディン 』などもお勧めできる。特に後者は、国家や国民という枠組みを笑い飛ばす破壊力を秘めた珍品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, ジェームズ・マースデン, ヒューマンドラマ, 監督:ロブ・ライナー, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『記者たち 衝撃と畏怖の真実 』 -気骨の記者たちの姿に個の強さを見る-

『 君は月夜に光り輝く 』 -ファンタジー映画に徹すべきだった-

Posted on 2019年4月7日2020年2月2日 by cool-jupiter

君は月夜に光り輝く 45点
2019年4月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:永野芽郁 北村匠海
監督:月川翔

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『 君の膵臓をたべたい 』の月川翔監督と北村匠海が、ヒロインに永野芽郁を迎えて、小説を映画化したのが本作である。「きみすい」の二番煎じの匂いがプンプンと漂ってくるが、その予感は間違いではなかった。

あらすじ

渡良瀬まみず(永野芽郁)は発光病という不治の病で入院中。そこにクラスの代表として嫌々ながらお見舞いに訪れた岡田卓也(北村匠海)は、まみずの願望を一つ一つ代行して叶えていくことを引き受けて・・・

ポジティブ・サイド

北村匠海の静かで、一見すると感情の乏しい演技は、こうした役どころによく当てはまる。月川監督はそれを上手く使っている。エナジェティックな女子に振り回される、受け身な男子という役が合うが、もうそろそろ違う路線を模索し始めてみてもいいのではないだろうか。それでも、北村のしなやかな強さを内に秘めた存在感や優しさ、時に一徹なまでの頑固さ、表情には決して現れることのない直情径行さ、そうしたものを全て内包したような立ち居振る舞いを魅せられるところが、単なる期待の若手俳優たちと彼を分かつ一線であろう。

永野芽郁も発光の美少女・・・、ではなく薄倖の美少女が似合う。単に病魔に冒されたか弱い女の子というだけではなく、そのうちにある願望、悲しみ、怒り、邪(よこしま)とも言えそうな欲望などの感情をないまぜにしつつも、笑顔でそれを吹き飛ばしてしまうような天真爛漫さは、『 君の膵臓をたべたい 』の浜辺美波とはまた一味違った良さがある。浜辺がミステリアス女子だとすれば、永野はパワフル女子だろう。

二人のキャラクター造形はとても魅力的で、卓也がまみずとの距離を縮めていく願望代行過程には、余命ゼロというシリアスさとは裏腹のユーモアがある。そのユーモラスな展開が、冒頭ではっきりと描かれるまみずとの永遠の別離をいっそう切ないものにしている。脇を固める長谷川京子や及川光博も、これらの若い才能のサポート役に徹しつつも、見せ場を作った。凡百のラブストーリーではあるが、多くの見せ場があり、これらキャストのファンであれば鑑賞をためらう理由はないだろう。

ネガティブ・サイド

ちょいと映画ファンさんよ。聞いてくれよ。

ブログとあんま関係ないけどさ。

このあいだ、近所の映画館行ったんです。映画館。

そしたらなんか『 君は月夜に光り輝く 』で

ヒロインが発光病に冒されてるんです。

で、よく見たらなんか窓とか超大きくて、

病室が光に溢れてるんです。

もうね、アホかと。馬鹿かと。

(略)

病院ってのはな、もっと患者の容態に対して注意深くあるべきなんだよ。

さっきまで元気そうだった患者さんが、

次の瞬間に急変して緊急手術になってもおかしくない、

そんな殺伐とした雰囲気がいいんじゃねーか。健康な奴は、すっこんでろ。

などと古すぎるコピペを使いたくなるほど、本作の欠点は大きすぎる。死期が近付くほどに強く光を放つということは、ほんの少しの弱い光を放ち始めた瞬間を捉えることこそが、治療や看護、本人や家族への告知や説明の面から、決定的に重要なことなのだ。この陽光が溢れる病室は、監督、撮影監督、照明のこだわりが結実したものなのだろうが、リアリズムの観点からは完全に誤った選択である。まみずの母親も、怒りの矛先を卓也ではなく病院に向けてはどうか。

『 タイヨウのうた 』や『 青夏 君に恋した30日 』のように、本作もいくつかの場面で、季節と時刻にマッチしない光の使い方をしている。“光”が重要なモチーフになっている作品にしてこのあり様とは・・・ 月川監督は個人的には高く評価しているのだ。事実、Jovianは2018年の国内最優秀監督の次点に推している。氏の奮励と捲土重来を期したい。

主演二人の演技は及第点もしくはそれ以上を与えられるものの、甲斐翔真と今田美桜の二人の棒読みは何とかならなかったのか。さんざん練習してあのレベルなのか、それともあまり練習をせずに撮影に臨んだのかは知らないが、根本的な発声練習にもっと励むべきだ。『 ブレードランナー 2049 』のライアン・ゴズリングが見せた、彼が普段からやっていたような発声練習をもっとやるべきだ。彼ほどのトップスターでもこうした地道なトレーニングを積んでいるのだ。もっと真剣に役者業をやれと言いたい。

これは原作者にその責があるのだろうが、なぜに日本の漫画、小説、映画は劇中劇を行うとなると「 ロミオとジュリエット 」なのだ。馬鹿の一つ覚えとはこのことであろう。『 あのコの、トリコ 』という駄作だけで、これはもうお腹いっぱいである。北村匠海に女装をさせたい、あるいは芸域を広げるために女形をやってほしいということであれば、別にジュリエットである必要はない。『 ピース オブ ケイク 』の松坂桃李や『 彼らが本気で編むときは、 』の生田斗真のような役を演じる別の機会がきっと訪れるはずだ。

総評

実写の『 君の膵臓をたべたい 』の水準を期待すると、がっかりさせられる。しかし、最初からファンタジー映画であると割り切って、バイオフォトンなどという怪しげな言葉に惑わされないようにして鑑賞すれば、つまりリアリズムなど一切考えることなく観れば、純粋で芳醇で、やや苦いロマンスを味わうことができる。チケットを買う前に、よくよくそのことを心に留めておくべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 北村匠海, 日本, 永野芽郁, 監督:月川翔, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 君は月夜に光り輝く 』 -ファンタジー映画に徹すべきだった-

『 九月の恋と出会うまで 』 -タイムリープ要素以外はまあまあ-

Posted on 2019年4月7日2020年2月2日 by cool-jupiter

九月の恋と出会うまで 50点
2019年3月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:高橋一生 川口春奈
監督:山本透

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何ともミステリアスなタイトルである。『 わたしに××しなさい! 』の山本透監督が、タイムリープものを扱うということに、期待と不安の両方を抱えながら、結局は鑑賞してしまった。タイムトラベルものというのは何をどうやっても矛盾が生じるものだが、そこにさえ目をつぶれば、それなりに楽しめる作品になっている。

あらすじ                    

あるアパートに引っ越してきた志織(川口春奈)は、ある夜、エアコンのダクトから「あなたに危険が迫っている」という未来からの声を聞く。不審に思う志織だったが、次々に未来を言い当てるその声を信じることに。すると声は同じアパートに住む平野(高橋一生)を尾行するように依頼してきて・・・

ポジティブ・サイド

川口春奈がいつの間にやら美人になっている。ちょっと前まで美少女だった気がするが、今は美人になっている。川栄李奈の先輩という役どころも、大人の女性らしさの演出を後押ししている。

高橋一生も変わらぬ安定感である。どこかコミュ障気味のサラリーマンを、視線を合わせず、声に抑揚を持たせず、また病人である女性に配慮ある行動はできるものの、ロマンチックさのかけらもない言葉を浴びせるなど、まさに nerd である。映画『 サイコ 』へのオマージュと思しきシーンでも、高橋一生のちょっと浮世離れした人間特有の雰囲気が、物語序盤のサスペンスを見事に盛り上げる。

この二人がどのように恋に落ちるのか。恋に落ちていく過程はどのようなものであるのか。このあたりに説得力があった。特に二人が向きになって不毛な言い争いを繰り広げる様は、誠に微笑ましい限りである。いくらかご都合主義的な展開もあるが、不必要にドラマチックな展開も少なく、全体的には非常にリアリスティックな恋模様が描かれる。高校生の恋愛模様とは一味違う、落ち着いて鑑賞できるストーリーになっている。

ネガティブ・サイド

『 コーヒーが冷めないうちに 』と同じく、タイムリープもの、タイムトラベルものの矛盾=パラドクスがそこかしこに存在する。本作はそこに「歴史の修正力」説を採用するが、なぜそのような力が働くと考えられるのかの根拠の呈示が非常に脆弱である。平野というキャラを nerd にして作家の卵にしたのは、こうしたパラドキシカルな事象を理路整然(必ずしもそれが的を射ていたり分かりやすかったりする必要はない)と説明するためではないのか。実際に本人も嬉々としてそれを語るが、そうした事柄への好奇心や愛着の見せ方が弱かった。そこが弱いために、志織は自らが消滅してしまうビジョンに怯えはするものの、そのことを現実の脅威として捉えていないように映ってしまった。従容として運命を受け入れんとする女性と、なんとかそれを阻止しようと奔走する男性というのは、クリシェではあるが、現代的とは言えない。メッセージ性が足りないのだ。それが本作の最大の欠点である。

もう一つ提言するなら、平野と詩織を巡る時間の円環が閉じた、という感覚を得られないことも問題であろう。運命に翻弄される男と女が最終的に添い遂げるというのは、古今東西で最大のクリシェであるが、なぜそうしたプロットが生き延びているのか。それは陳腐な物語に身を任せた先にあるカタルシスの爽快さの故である。『 わたしに××しなさい! 』についてもエンディングの弱さを指摘したが、このあたりが山本透監督の課題であろう。さらなる精進を期待したい。

総評

可もなく不可もなくであろう。本当に面白いタイムリープものなら、高畑京一郎の小説『 タイム・リープ―あしたはきのう 』が白眉である(映像化されているようだがJovianは未見である)。または、同じく小説から映画化された『 僕は明日、昨日の君とデートする 』の方が、ファンタジー作品と割り切っている分、より純粋にストーリーを味わうことができる。また、時間のループが綺麗に始まり、綺麗に閉じる物語としてはジェームズ・P・ホーガンの古典的名作小説『 星を継ぐもの 』、『 ガニメデの優しい巨人 』、『 巨人たちの星 』がお勧めである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 川口春奈, 日本, 監督:山本透, 配給会社:, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高橋一生Leave a Comment on 『 九月の恋と出会うまで 』 -タイムリープ要素以外はまあまあ-

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