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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 福本莉子

『 しあわせのマスカット 』 -ご当地ムービーになっていない-

Posted on 2021年5月25日 by cool-jupiter

しあわせのマスカット 40点
2021年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:福本莉子 竹中直人
監督:吉田秋生

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岡山が舞台の物語だという。そして主演は『 思い、思われ、ふり、ふられ 』の福本莉子ということでチケットを購入。うーむ、なんとも微妙な出来であった。

 

あらすじ

祖母の土産にと買った「陸乃宝珠」に感動した春奈(福本莉子)は、メーカーである源吉兆庵への就職を果たす。しかし、どこに配属されても春奈は失敗ばかり。ついには商品部の援農業務として、偏屈で名高いブドウ農家の秋吉伸介(竹中直人)の元へと出向くことになり・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianは岡山市内の高校(岡山中学高等学校)に通っていたので、岡山駅前にも詳しかった。それこそ桃太郎大通りからシンフォニーホール、さらに天満屋から清輝橋あたりまでは庭みたいのものだった。なので、開始早々のシーンは「おお、これ、あそこやん」と劇場で一人で盛り上がっていた。

 

全体的なキャラクターの描写も悪くない。『 ハルカの陶 』でも存分に描かれていたが、岡山人は基本的に偏屈、かつ外部から来た人間には冷たい。これは岡山に8年住んだ関西人のJovianが断言する。そうした岡山人の実態がよくよく再現されている。

 

逆境に負けない春奈というキャラの力強さが、物語を通じて分かりやすく伝わってくる。演じた福本莉子が『 思い、思われ、ふり、ふられ 』のやや陰のあるキャラではなく、天真爛漫を地で行くキャラを好演した。印象的だったのは配属先で次々に失敗をするシーン。盛大にやらかしているのだが、本人は会心の対応をしているつもり。特に最初の天満屋で和菓子を買いに来たマダムをお花屋さんに連れて行ったのには笑った。そこで春奈が見せる笑顔の放つパワー。喜怒哀楽は縁起の基本だが、この笑顔の素敵さは確かになかなか演出したり、指導したりができないものかもしれない。

 

竹中直人も岡山弁をまあまあ使いこなせていた。この偏屈なブドウ農家の親父は『 ハルカの陶 』の若竹修に通じるものがあった。つまり、血縁者の不幸を抱え、ただでさえひねくれ者だった気質がさらにひねくれてしまったというもの。竹中直人はどうしてもコメディックな要素が強い役者だが、今回のような頑固一徹なオヤジもよく似合うと、その魅力を再確認した。

 

ストーリーは特にひねりもなく、ストレートなもの。なので映画マニアにもカジュアル映画ファンにとっても観やすい。福本莉子は今後熟れてくる・・・ではなく売れてくると思うので、今のうちにチェックしておいて損はないはずだ。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210524235449j:plain

ネガティブ・サイド

吉田秋生監督は制作時に映画とテレビドラマの違いをどこまで意識したのだろうか。映画は映像や音楽、効果音、そして台詞で物語るもの。テレビドラマは、ひたすら台詞で物語るもの。その違いを考慮していたようには思えなかった。たとえばマスカット栽培地に陽光が燦々と降り注ぐシーンを期待したが、そんなものは一切出てこなかった。なぜ岡山はブドウ作りに適しているのか。それは「晴れの国」だからだ。雨が少ない地域だからだ。そして田舎であるがゆえに山が多い、つまり丘陵地が多いため、それがブドウ栽培に適しているのだ。そうした岡山らしい気候や天気、風土が少しでも大画面に映し出しされたか。全く映し出されなかった。岡山が舞台であることを示すなら、岡山らしさを視覚的に雄弁に物語る映像がなによりも必要だった。93分の映画なのだから、そうしたシーンを入れても95分程度だっただろう。

 

中河内雅貴演じる達也の岡山弁もひどい。というか、岡山弁らしき言葉を使ったのは最初の30秒だけ。あとはほぼすべて標準語。どこの出身かと調べてみればお隣の広島。岡山弁と広島弁の違いは播州弁と大阪弁(摂津方言)程度。吉田監督は中河内にもっと真剣に演技指導をすべきだったし、ご当地映画を作ろうという気概を見せるべきだった。

 

終盤の西日本豪雨関連のシーンは、映画全体の流れから完全に浮いていた。基本的なストーリー進行、つまり伸介が春奈との奇妙な交流を機に息子の太郎の死を受容するという過程が、西日本豪雨のせいで、きれいさっぱり洗い流されてしまった。悲劇を乗り越えるのに、もう一つ別の悲劇が必要だろうか。

 

春奈のキャラにも一貫性がない。「笑顔は教えられない」という社長の言は正しい。だが、春奈の笑顔が物語を動かすことは最終盤までなかった。また、春奈のカーリングのバックグラウンドが語られるのも前振りが無いし、姉が春奈を北海道に呼び戻そうとするのも唐突すぎる。最も不可解だったのは、春奈がビニールハウスに入ったときにたびたび感じる人の気配。そうしたものを描くのなら、それこそ岡山の風土、ブドウの生態、そして祖母の生と死を春奈がどのように見つめてきたのかを事前に描く必要があった。丹念にでなくともいい。時間にして3分。岡山という土地を映し出すシーンと合わせても98分。それぐらいの編集は可能だろうし、実際にそうすべきだった。その構想をそもそも持っていなかったというのなら、吉田監督にはもう一度映画とテレビドラマの違い、そしてご当地映画とは何かを勉強し直してほしいと思う。

 

総評

本当は35点なのだが、元岡山県民として5点オマケしておく。ご当地ムービーとしては何もかもが中途半端だし、キャラを押し出したいのか、それともストーリーで感動させたいのかが分からない。岡山が舞台の映画なら(岡山らしさはあまり感じられないが)『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』をお勧めしておく。もっとディープな岡山を堪能したいなら、岩井志麻子の小説『 ぼっけえ、きょうてえ 』を挙げておく。かなり古い本だが、ここに収められた短編はどれも時を超えた普遍的な恐怖を与えてくれる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

graft

医学的な意味での「移植」の意味。これが植物学になると「接ぎ木」となる。また「収賄」の意味で使われることもあるが、「誰かが何かを誰かに与えること」だと理解すれば多種多様なgraftの意味の全体像を把握しやすくなるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント岡山弁レッスン

やっちゅもねえ

くだらん、つまらん、意味わからん、というような意味。ほとんどの場合、「やっちゅもねえこと言うな」、「なにをやっちゅもねえこと言いよんなら」のように否定・禁止や疑問の文脈で使われる。もしも岡山に引っ越して、岡山人から「岡山弁覚えたか?」と聞かれたら「やっちゅねえこと言われな」と返すべし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 監督:吉田秋生, 福本莉子, 竹中直人, 配給会社:BS-TBSLeave a Comment on 『 しあわせのマスカット 』 -ご当地ムービーになっていない-

『 映像研には手を出すな! 』 -キャラ作りや演出が中途半端-

Posted on 2020年10月7日2022年9月16日 by cool-jupiter
『 映像研には手を出すな! 』 -キャラ作りや演出が中途半端-

映像研には手を出すな! 40点
2020年10月3日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:齋藤飛鳥 山下美月 梅澤美波 小西桜子 桜田ひより 福本莉子 浜辺美波
監督:英勉

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旬な女優と人気アイドルを集めて作りました的なにおいがプンプンする作品。そういう映画は嫌いではないが、キャスティングが逆だろうと思う。すなわち、主役に役者、端役にアイドルにすべきだ。このあたりに邦画界の構造的な弱点が見え隠れしている。

 

あらすじ

浅草みどり(齋藤飛鳥)、水崎ツバメ(山下美月)、金森さやか(梅澤美波)の個性あふれる3人は、芝浜高校で“最強の世界”を描き出すべく映像研を設立する。しかし、大・生徒会は有象無象の部活や同好会の乱立を快く思っておらず、部活動統廃合令を出してきた。果たして映像研は無事に活動をできるのか・・・

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ポジティブ・サイド

映画作りをする人々を題材にする映画というのはJovianの好みである。近年の邦画でも『 カメラを止めるな! 』という傑作が生まれた。英監督過去作『 トリガール 』は微妙な恋愛要素を入れたことでストーリーの密度や純度が低下してしまったが、本作の主役3人は男にわき目もふらず“最強の世界”を目指すところが小気味よくて、共感もしやすい。恋愛のあれやこれやで空回りする青春もあるにはあるだろうが、大多数の人間は友人や仲間との部活や遊びも同じくらい、時には恋愛以上に大切にしているものだ。

 

CG技術の向上と廉価化も本作は上手く取り入れている。アニメのラフ画をそのまま空間上に描き出し、皆が推敲を重ね、完成形に仕上げていく作業は、まさに現代的なアニメ作りを映像で巧みに表現できていた。今後は邦画も背景や大道具や小道具をCGで描くことが増えていくはず。そうした中、目の前には存在しないものを前に演技する力が、役者には今後ますます求められていく。そうした時代の端緒を描いているとも言えそうだ。

 

アホな部活や同好会が百花繚乱状態の学校だなと序盤で思わせてくれるが、それらを巧みに盛り込んだ終盤の展開は、お約束ではあるがカタルシスがある。『 賭けグルイ 』では有象無象の生徒は食われる存在に過ぎなかったが、本作はモブ連中がドンデン返しの立役者になっていた。これこそ王道的展開というものである。

 

ネガティブ・サイド

キャスティングが奇異に思える。原作を知らないJovianでも「なんか違うぞ?」と感じた。主演に浜辺美波を据えることができていれば、もっとコミカルでユーモラスな「浅草みどり」像を打ち出せていたに違いない。もしくは売り出し中の桜田ひよりもハマりそう。水崎ツバメを演じた山下美月と金森さやかを演じた梅澤美波の配役も逆であると感じた。役者の両親を持ち、読モでもあるサラブレッドには、長身かつ端正な顔立ちの梅澤の方が水先ツバメというキャラにマッチしているように思えた。

 

映画のあちらこちらにどこかで見たようなセットやガジェット、ロケーションが出てくる。

『 暗黒少女 』や『 東京喰種 トーキョーグール 』、『 翔んで埼玉 』や『 賭けグルイ 』など。もちろん、ほとんどすべてのシーンでオリジナルのロケ地を選定していると思われるが、構図の切り取り方がどれもこれも平凡、もっと言えば陳腐に見える。『 水曜日が消えた 』の図書館が『 図書館戦争 』と同じでカメラワークもそっくりだったことにウンザリしたが、作品を作る時に作り手、ことに監督は常にオリジナリティを追求してほしい。それはストーリーだったり、役者に求める演出だったり、カメラワークだったりと様々にあるが、どれでもいいのだ、クリシェで満足してはならない。

 

ストーリー展開にも粗が目立つ。なぜ大・生徒会にあれだけ激しく抵抗する映像研が、文化祭に出展するために他の部活や同好会を潰す必要があるのか。生徒会に反発しながら、やっていることが生徒会と同じになっているではないか。敏腕プロデューサーたる金森氏の面目が、これでは丸つぶれである。

 

ロボ研と手を組む展開は悪くないが、そのロボ研の連中が完全に単なるコミックリリーフ、いや、それ以下の扱い。巨大ロボの存在意義をロマンだと語るその言や良し。ならば、なぜ巨大ロボの戦い方や戦闘時のポーズや武器その他についても熱く語らないのか。そのあたり原作者とは話さなかったのか。もしくは英勉監督の中にはロマンがないのか。巨大ロボットとは、少年の自我の象徴である、怪獣とは、外部世界の理不尽さの象徴である。少年がそうしたものと戦うためには大人にならなければならないが、それはできない。だから巨大ロボに頼るのだ。英監督の心の中に、そうした観念はないのか。巨大ロボットのロマンとは何かについて真摯に向き合った形跡が見られない。

 

最後に、せっかく作ったアニメが映し出されないのは何故なのか。PCのEnterを押下した瞬間に、なぜか点灯していた講堂の照明まで消えたが、どういうことなのだ?執拗なまでに繰り返された爆発音の音響が本番で一切鳴り響かなかったのは何故なのだ?映像研の作品を観客が見られないというこのモヤモヤをどう我々は晴らせばよいのだ?

 

他にも気象研究部だとかピュー子だとか、本当に必要だったのだろうかと疑問になる。

 

色々な要素をとことん納得いくまで追求することなく、とりあえずテキトーにまとめてみました。そんな感じの作りに見えてしまい、残念である。

 

総評 

英監督は2010年以降、普通の映画監督とは思えない多作多産っぷり。だが、それが劇作術の向上の為せる業というよりも、漫画原作の映画化作業テンプレのようなものを手に入れてしまったからに思えてならない。まあまあ面白いけれど、突き抜けた面白さにはならないのだ。この手の「クリエイターを主人公にした物語」ならば、『 バクマン。 』の大根仁監督の方が手腕は優っているように思う。原作ファンにならお勧めできると思われる。Jovianの横の方に座っていた女子高生?女子大生?みたいなペアが、終始クスクスケラケラしていたから。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Creators …

金森の言う「クリエイターって奴らは」の私訳。こういう表現は十把一絡げにして複数形で表す『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』で、ハン・ソロの言葉を無下にするレイアを見たC-3POが一言、“Princesses …”=「お姫様という人種は・・・」と慨嘆していた。職場などで「まったく中年オヤジは・・・」と思ったら“Middle aged men …”、「管理職って奴らは・・・」と感じたら“Managers …”と複数形にして心の中でつぶやこう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, 小西桜子, 山下美月, 日本, 桜田ひより, 梅澤美波, 浜辺美波, 監督:英勉, 福本莉子, 配給会社:東宝映像事業部, 齋藤飛鳥Leave a Comment on 『 映像研には手を出すな! 』 -キャラ作りや演出が中途半端-

『 思い、思われ、ふり、ふられ 』 -撮影と展開が雑過ぎる-

Posted on 2020年8月18日2021年1月22日 by cool-jupiter

思い、思われ、ふり、ふられ 45点
2020年8月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:浜辺美波 北村匠海 福本莉子 赤楚衛二
監督:三木孝浩

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映画ファンなら「この監督の作品は観ることに決めている」、「この役者が出ているなら観ようかな」と感じる対象がいるものと思う。Jovianは浜辺美波のファンであり、彼女の出演作は一応チェックすることに決めているし、本作でも及第の演技を見せた。だが、邦画の弱点というか、漫画や小説の映像化(≠映画化)の限界をも思い知らされた気もする。

 

あらすじ

朱里(浜辺美波)と理央(北村匠海)は高校生。親同士の再婚によって姉弟になったが、理央は朱里への思いを胸に秘めていた。同じマンションに暮らす朱里の親友の由奈(福本莉子)やカズ(赤楚衛二)を含めた4人の恋模様が交差していき・・・

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ポジティブ・サイド

浜辺美波の顔芸は今作でも健在である。『 センセイ君主 』のような笑いを取りに行く顔芸ではなく、表情で心情を伝える演技だ。目は口程に物を言うという諺通りである。

 

浜辺よりもっとそれが顕著だったのは、気弱な由奈を演じた福本莉子だったように思う。明らかに胸の内を隠す、あるいは取り繕うための過剰な表情、「演技をしているという演技」をしていた浜辺とは対照的に、恋に臆病で、それでも恋に真剣な少女を好演。演技をしているのだけれども、それを感じさせない演技力。特に雨宿りの最中に理央に告白するシーンは、序盤ながらも本作のハイライトとなった。

 

血はつながっていないが兄弟姉妹である、それゆえに好きでも告白できない関係、というのは駄作『 ママレード・ボーイ 』でも描かれたが、本作はそこに親友や同級生を混ぜてきた。これによって各キャラクターの story arc の密度が減少するというデメリットは生まれたものの、邦画では絶対に描けない禁断の恋愛関係の手前のあれやこれやな時間つぶし的エピソードが挿入されずにすんだというメリットもある。

 

本作は漫画原作には珍しく、主要キャラが堂々と将来の夢を語る。誰々とこのままずっと一緒に幸せに生きていきたい・・・的な安易なエンディングにならないところには好感を持てる。特に通訳になりたいという朱里と映画関係の仕事をしたいというカズの二人は、素直に応援してやりたいという気持ちになれた。特にカズは、単なる映画好きではなく、映画が現実からの一時的な逃避先であるということが効果的に描写されていたので、余計に「頑張れ」と思えた。

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ネガティブ・サイド

端的に言って、エピソードを詰め込み過ぎである。これは漫画原作の方が全般に言えることだが、もう夏祭りとか文化祭とか部活風景とか授業風景とか教室での昼食風景とか登下校風景には飽き飽きである。そうしたシーンを見せられることに飽きたのではなく、そうしたシーンのカメラワークやコマ割り、時間配分などにウンザリなのである。映画が2時間だとすれば、最初の山場は30分あたりに持ってきて、最後の山場は1時間50分、主人公とヒロインが見つめ合う、あるいは抱擁を交わすシーンで主題歌を大音量で挿入とか、漫画の実写化の公式が存在するかのようで、本作もその例に当てはまるところが多い。というよりも三木孝浩監督こそ、そうした定番の構成を作り上げることに多大な貢献をした先般の一人とも言うべきで、多分もう彼は知恵を振り絞って映画を作っていない。少なくとも漫画の実写化についてはそう言える。ほとんどすべてのシーンに既視感を覚える人は多いだろう。

 

細かなディテールも破綻しているシーンが多い。一番「何じゃこりゃ?」と頭を抱えたのは、朱里とカズが夜の帰り道で高台に寄り道するシーン。二人の10~20メートル後ろを歩いていたスーツの男性が、ズームアウトした視点に切り替わった瞬間に影も形もなく消えていた。映画作りとは編集の痕跡を消す作業なのだ。誰も気付かなかったのか。気付いていたけれど、時間の節約のためにもうワンテイク撮ることを断念したのか。いずれにしろめちゃくちゃなシーンであった。

 

その他の季節の移り変わりの描写も乱暴だ。「寒い」と言いながら吐く息は全く白くない。だったら手袋したり、あるいは両手をこすり合わせたりなど、ちょっとした小道具や演技で観る者に寒さを伝える工夫はできるはず。それをしないのは監督の怠慢だろう。通学路や校庭の木々は青々していたり枯れていたりというシーンが混在しているのも編集のミス、または怠慢だ。

 

また劇場の予告編で散々流れていたトレイラーのLINEメッセージは何だったのか。「既読にならない」ということに理央は思い悩んでいたのではなかったのか。トレイラーでは朱里は思いっきり既読にしている。劇場で当該シーンを観た時、「???」となってしまった。誰がトレイラーを作っていて、誰が編集担当なのか?

 

ストーリー展開上の演出や小道具大道具も雑である。まず朱里と理央の家に生活感がなさすぎる。中年カップルの結婚は普通にあることとして、年頃の娘と息子が暮らす家で、風呂場のドアに何らかのサインぐらい用意しないのか?それこそ「父 使用中」とか「朱里 使用中」とか、朱里の母のあわてふためき具合を見れば、そうした小道具ぐらいあってしかるべきだろうと感じる。

 

一番よく理解できないのはカズと理央の距離感。「マッドマックス」「の、どれ?」という具合に初対面から意気投合できるのに、その後のビミョーな距離が腑に落ちない。特に学校の下駄箱で同級生が理央と朱里を茶化すシーンに介入するのは男らしいが、だったら何故同じ迫力と剣幕で理央に迫らないのか。倫理の二重基準があると言われても仕方がないだろう

 

総評

首を傾げざるを得ないシーンやストーリー展開が多い。主要キャラを4人にしたいのなら、もっと密度の濃い映画にすべきである。手垢のついたエピソードを、これまた手垢のついた撮影方法と編集で料理してはいけない。そうするぐらいなら、ばっさりとカットしていい。ストーリーはどうでもいい。若い売れっ子の役者たちを観たいという向きにはお勧めできるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

interpret

「通訳する」の意味だが、一般的には「解釈する」で知られているだろう。通訳者=interpreter、翻訳者=translatorである。有名な通訳者のエピソードに以下のようなものがある。ある日本人のスピーカーが日本語でダジャレを言った。通訳者は「今、この人は冗談を言いました。なので皆さん、笑ってくださると嬉しいです」と当意即妙に“通訳”を行い、結果として聴衆から笑いを引き出し、スピーカーからは更なる信頼を得た。InterpreterとTranslatorの違いが、少しお分かり頂けただろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, 北村匠海, 日本, 浜辺美波, 監督:三木孝浩, 福本莉子, 赤楚衛二, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 思い、思われ、ふり、ふられ 』 -撮影と展開が雑過ぎる-

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