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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 木村拓哉

『 マスカレード・ナイト 』 ー人間模様の描写が弱い-

Posted on 2021年9月19日 by cool-jupiter

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マスカレード・ナイト 45点
2021年9月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞 
出演:木村拓哉 長澤まさみ 
監督:鈴木雅之

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大学後期の開講ラッシュで仕事が多忙を極めているが、なんとか映画館通いは継続させたい。そこでお気軽に犯人当てでもするかと思い、本作をチョイス。犯人は2択まで絞って、なんとか的中させた。

 

あらすじ

都内アパート暮らしの女性殺人事件を捜査する警察の元に匿名ファックスが届く。その事件の犯人が、大みそかに仮面舞踏会を主催するホテル・コルテシア東京に現れるというのだ。警視庁捜査一課の刑事の新田(木村拓哉)は捜査のため再びフロント係としてホテルに潜入し、腕利きコンシェルジュの山岸尚美(長澤まさみ)と共に事件の解決に乗り出すが・・・

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ポジティブ・サイド

前作『 マスカレードホテル 』に引き続き、豪華キャストをよく揃えたものだと思う。木村拓哉と長澤まさみを当て書きしたかのようにハマっていたが、今作でも他人をどこまでも疑う刑事と他人をどこまでも信じるホテルマンの対比が映える。

 

ホテルのフロントロビーのプロダクションデザインも、やはり見事の一語に尽きる。前作のスタートは拍子抜けするようなホテル外観のCGから始まったが、マスカレード=仮面舞踏会をタイトルに持つ本作は、そんな Establishing Shot は持ってこない。

 

冒頭の殺人事件から、怪しい客が次から次にやって来るシークエンスは確かに引き込まれる力を持っている。そこへ、他人のかぶる仮面を引っぺがしたい新田と他人のかぶる仮面を守りたい山岸のぶつかりあい=漫才的な掛け合いは、ワンパターンではあるが面白い。

 

冒頭の殺人事件の犯人、その密告者、そして犯人と密告者の関係が複雑に絡まりう展開は観る者をぐいぐいと引き込んでくる。謎解き要素を別にすれば、デートムービーにもなりうるだろう。

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ネガティブ・サイド

これはミステリに対してどれだけ慣れているかによるが、おそらく密告者が誰であるかは、分かる人はかなり早い段階で分かったのではないか。ズバリこの人物だと指摘できないまでも、こんな「属性」の人物あろうと見当はつく。これから観る人は、映画製作者(小説の作者も)は、新田や山岸を騙そうとしているのはなく、我々を騙そう、ミスリードしてやろうと思っていることを忘れるべからず。同時に、我々に対して結構フェアに伏線を呈示してくれてもいる。だが、今回の新田のファックスの文言への指摘は、あからさまにミスリードすぎるだろう。もう少し見せ方に工夫が必要だった。

 

犯人候補=ホテル客なのだが、ここの見せ方もあからさますぎた。「さあ、この人物は怪しいですよ」という人間を何度も何度も出し入れするが、さすがにここまでやるとすれっからしならずとも犯人候補からは外すだろう。このキャラをもっと怪しく見せる小道具として、とある隠語になっていない隠語(以下白字、Love Affair、情事、不倫、頭文字を取ればLA)をもっと効果的に使えたはずだ。

 

別の犯人候補について言えば、小日向文世が語る捜査情報とあからさまに食い違う情報が呈示された瞬間(以下白字、夫の死亡時期)に「こいつだ!」と思えたが、新田がその矛盾に反応できなかったのは無理がある。また、この犯人候補同士のとあるインタラクションをコンシェルジュである山岸がお膳立てせざるを得ない場面があるが、この展開にはおそらく全世界のホテルマンが頭を抱えることだろう。無理が通れば道理が引っ込むという極めて日本的な悪弊の顔が見える。もちろん、最後には痛快な肘鉄を食らわせるわけだが、この切羽詰まったタイミングでこんな展開を持ってくるか?この無茶苦茶な展開のおかげで「やっぱりあいつが犯人だ」と確信した。もっと純粋に推理をさせてほしかった・・・

 

ホテルのバックヤードに設置された警察の捜査本部は無能の集まり。「なんとしても犯人を見つけろ」の一点張りで、捜査の方向性も論理的な指揮も何もない。元警察官のJovianの義理の父親が見たら、どう感じることか。また、犯人の犯行動機も前作の極めてパーソナルなものから、巨大な相手に対する憎悪になっているが、そんなもんのどこに説得力があるのか。警察の権威を失墜させたいなら、衆人環視の中での犯行を止められなかったという汚名を着せるのではなく、誰も注目していない事件には警察は本腰を入れないということをもっと効果的に満天下に知らせるべきだろう。気宇壮大な犯行動機だが、ここまでくると小説ではなく漫画に思える。

 

総評

ミステリ小説の映画化というよりも、割と上質な2時間ドラマ、テレビ映画、またはドラマの劇場版だと捉えるべきだろう。長澤まさみはキャリアウーマンや母親役として芸域を開拓していくだろう。キムタクはおそらくキムタクのままか。おそらく第三弾も制作されるだろうが、その時はもっともっと純粋ミステリに徹してほしいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

the 

冠詞は英文法の中で最も難しいと思っている。ちなみに難しさランク2位は単数・複数の使い分け、3位は前置詞である(あくまで私見)。時々、ホテル名には the をつけるべしと解説する書籍やサイトを見るが、厳密には正しくない。 

ホテル~には the はつかない

~ホテルには the がつく

というのが正しい解説。例を挙げると

〇 The Cortesia Hotel

✖ Cortesia Hotel

〇 Hotel Cortesia

✖  The Hotel Cortesisa

となる。英検1級、TOEFL iBT90点、IELTS7.0を目指す人なら正しく理解しておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 日本, 木村拓哉, 監督:鈴木雅之, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 マスカレード・ナイト 』 ー人間模様の描写が弱い-

『 SPACE BATTLESHIP ヤマト 』 -邦画の欠点が凝縮されている-

Posted on 2020年7月18日 by cool-jupiter

SPACE BATTLESHIP ヤマト 15点
2020年7月16日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:木村拓哉 黒木メイサ
監督:山崎貴

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『 アルキメデスの大戦 』を観ても分かる通り、この国はどんづまりになると起死回生の大艦巨砲主義を選ぶ。緊急事態宣言然り、秋に囁かれる解散総選挙然り。GO TOキャンペーンなど狂気の沙汰、亡国政策だろう。劇場公開当時、華麗にスルーした本作だが、今という時に観返して何か発見があるかどうか。なかった。ただただ邦画の限界、弱点、欠点を見せつけられただけだった。

 

あらすじ

ガミラスの遊星爆弾攻撃により放射能汚染された地球。人類は地下に潜り、なんとか生き延びていた。そんな時、遠い宇宙から謎のメッセージが届く。そこには宇宙のとある座標と波動エンジンの設計図が込められていた。人類は戦艦ヤマトを駆って、宇宙へと飛び立っていく・・・

 

ポジティブ・サイド

ヤマトのワープの使い方に頷けるものがあった。これは確かに最高のヒット・アンド・アウェイである。ワープの演出がアニメ版の瞬間移動的なものとは異なっているが、これは確かに瞬間移動だと、ここだけは得心した。

 

緒形直人演じる島大介だけは良かった。

 

後はBGM。『 スーパーマン リターンズ 』でも John Williams のあの音楽が流れる瞬間は鳥肌が立ったようなもの。

 

ネガティブ・サイド

どこからツッコミを入れていいのかどうか分からないが、とにかく『 宇宙戦艦ヤマト 』の精神を受け継いでいないし、キャラクターの再現度も極めて低い。さらに同時代に送るメッセージもない。

 

古代進が「あのさぁ」とか言って、人に話しかけるか?森雪が平手打ちならまだしも、グーで人を殴るか?なぜ西田敏行が佐渡医師ではなく機関長なのだ?山崎努は、第二次大戦映画ならまだしも、沖田艦長のイメージでもないし、本人も似せようとしていない。また監督もそのような演出をしていない。何がしたいのだ?

 

言葉の使い方もいろいろとおかしい。「ガミラス機を捕獲しろ」ではなく「ガミラス機を鹵獲しろ」ではないのか?古代が「第三艦橋に取り残された者たちを見殺しにしました」と沖田艦長にサラッと大嘘を報告するのもどうなのか。実際は見殺しではなく、自分から切り捨てたというのに。妙なところでリアリズムが欠如している。というか、虚偽が混じっている。

 

行動も妙だ。直前のシーンでぜえぜえ言っているキャラが、次の瞬間に呼吸が落ち着いている。シーンとシーンがつながっていない。敬礼も沖田だけ脇を開く角度を極端に小さくする海軍式。その他のキャラは陸軍もしくは空軍式。混成軍だと言ってしまえばそれまでだが、宇宙戦艦という狭い空間内なら海軍式に統一すべきだ。あるいは人類最後の希望は寄せ集めであるというを見せる描写が必要だ。パイロット連中が最終出撃前に「ウェーイ!!!」というハイテンションになっているのは何故なのか。凡作だった『 空母いぶき 』でもパイロット連中は冷静さを保っていた。というかパイロット然り、キャビンアテンダント然り。空を飛ぶ連中、あるいは海に潜る連中に何よりも求められる資質は、冷静さを保てることだ。こんな連中がよく生き残れたな。またキムタク・・・じゃなかった、古代進のクライマックスでの「波動砲は撃てるか?」の問いにもズッコケである。軸線上に地球があるのに波動砲を撃とうという狂った発想は、一体全体どこから湧いてくるのか。

 

戦闘シーンも『 スター・ウォーズ 』と『 インディペンデンス・デイ 』を自分流にやってみたかったんだよね~、という山崎監督のエゴの声が聞こえてきそうな陳腐さ。CGやYFXの質に文句をつけているのではない。オリジナリティの欠如を嘆いている。あるいは、低いハードルを越えて満足している姿を憂いているのである。

 

細かいところではあるが、地球から42万キロメートルにいるシーンで、地球が異様に小さく映るのは何故か。月よりもほんのちょっと遠いだけだろう。編集時点で誰も気付かなかったのか。

 

ガミラスを個にして全、アルファにしてオメガな存在に描く必要はあったのか?『 風の谷のナウシカ 』や聖書を堂々とパクって開き直れる姿勢は称賛、ではなく硝酸に値する。

 

総評

ネガティブな評だけで5000~6000字は書けそうだが、それはあまりにも生産性が低い行為である。総評を書くのも面倒だ。何故ここまで原作をレイプできるのか。そして時代に向き合わないのか。何も原発事故やコロナ禍を予見しろなどと言っていない。だが、この中身スッカスカの実写版を観て、何を感じ取れと言うのか、誰か教えてほしい。キムタクが古代で森雪が黒木メイサ?役者を責めているのではない(演技面で褒められるものはなかったが)。そうしたキャスティングをしてしまう業界の構造や企画立案のプロセスにこそ邦画制作の病巣がある。そのことが再確認できただけの作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to forget about this awfully bad film ASAP.

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, F Rank, SF, 日本, 木村拓哉, 監督:山崎貴, 配給会社:東宝, 黒木メイサLeave a Comment on 『 SPACE BATTLESHIP ヤマト 』 -邦画の欠点が凝縮されている-

『 マスカレードホテル 』 -トリックとプロモーションに欠陥を抱えた作品-

Posted on 2019年1月23日2019年12月21日 by cool-jupiter

マスカレード・ホテル 40点
2019年1月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:木村拓哉 長澤まさみ
監督:鈴木雅之

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これははっきり言って失敗作である。作品として失敗している点と宣伝の面での失敗、その両方の欠点を抱えている。特に後者は深刻で、熱心な映画ファン兼ミステリファンというのは、トレイラーや各種広告媒体から、これでもかと情報を引き出し、事前に推理を組み立てる習性があるものだ。そうしたファンの習性を無視したプロモーションにはどうしても辛口にならざるを得ない。一昔前の2時間サスペンスものなどは、テレビ欄の出演者の2番目もしくは3番目が犯人と相場は決まっていたが、それと同じようなことをまだやっているのかと落胆させられた。

 

あらすじ

都内で不可解な殺人事件が3件発生した。いずれの現場にも、謎の数列が残されていたが、それは次の犯行場所を示すものだった。4件目に指定されたのはホテル・コルテシア東京。捜査1課の刑事新田浩介(木村拓哉)はホテルのフロントクラークとして潜入捜査をするのだが、ぶっきらぼうで愛想の悪い新田は優秀なホテルマンの山岸尚美(長澤まさみ)とことあるごとに衝突をするのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

小日向文世の刑事役。『 アウトレイジ 』および『 アウトレイジ ビヨンド 』でのマル暴デカ役では、温和な刑事と腹に一物抱えた刑事の両方を見事に演じ分けていた。それに次ぐ名演技を見せてくれる。味方かと思わせて敵、敵と思わせて味方と硬軟自在に演じ分けるのは熟練の技。この人の存在だけで新田の更なる活躍を描く続編、そして前日譚の製作まで想像できてしまう。素晴らしいスパイスになってくれている。

 

もう一つ称賛に値するのはホテルのフロント部分。すべて大道具と小道具が作ったと言われている。実際にこのようなホテルが存在していても全く違和感のない仕上がりになっている。『 シン・ゴジラ 』における首相官邸と同じく、映画の本道たるリアリティの追求を最も説得力ある形で感じさせてくれたのが、ホテルのフロントおよびロビーラウンジ部分。原作小説は未読なのだが、おそらく作者の東野自身のイマジネーションに忠実に、もしくはそれを超えるようなものを創り出したのではないだろうか。

 

木村拓哉と長澤まさみの演技も及第点。ホテルのフロント側とバックヤードでは表情や歩き方、声の出し方、顔つき、立ち居振る舞いの全般が、しっかりとしたコントラストを生み出していた。演技にメリハリのないタレント俳優が散見される中、この二人ぐらいキャリアがあれば、当たり前ではあるのだが。また、最初はぎこちなかったフロントクラークの新田が徐々にらしさを身につけていく過程は良かった。まさかシーンを順を追って撮影したのではあるまい。編集の勝利だろう。

 

ネガティブ・サイド

劇中で新田が3件のうちの1件のトリックを推理するのだが、いくらなんでも無理があり過ぎる。Jovianの義理の父親は元警察官だが、もしも義父が映画館にいたら、ブチ切れて怒鳴っていたか、失笑してしまっていたことだろう。Jovian自身もあまりの呆れから、思わず妻と見つめ合ってしまった。いやしくも殺人事件を捜査する警察が、関係者の証言だけを信じて、あれほど簡単な裏取りを怠るなど考えられない。リアリティのかけらもないトリックだ。

 

こちらはトリックではないが、最後に犯人が使う道具についても以下、白字で指摘しておきたい。麻薬や向精神薬の類と並んで、筋弛緩剤のような薬剤がどのように管理されているか、原作者、脚本、監督の誰も理解していないのか。それともリサーチもしていないのか。分かった上で、まあ、これぐらいならいいだろう、とリアリティの追求をある程度最初から放棄していたのか。看護学校や医学部では袋に入った注射器が無くなっただけで上を下にの大騒ぎになり、病院で上述の薬品がミリグラム単位で紛失しても警察や保健所、場合によっては都道府県知事に届け出なくてはならないということを分かっているのか。動物病院から使用の痕跡の残らない筋弛緩剤を盗み出してきたというが、そんな与太話があってたまるものか。

 

さらにプロモーションについても一言。

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何故このような販促物を作ってしまうのか。いやしくもミステリを原作にしている映画なのだから、それを観に来るファンにもかなりの割合でミステリファンがいるということが予想できないのか。ミステリファンの生態を理解できないのか。ミステリファンの最大の愉悦の一つは、読む/観る前に犯人を当ててしまうことだ。タイトルを読む、あらすじを読む、そして表紙の挿絵をじっくりと見る。それだけで犯人を割り出せてしまう小説と言うのも、実際に世に送り出されたこともあるのだ。上のイメージだけで犯人が分かるわけではないが、それでも相当数のミステリマニアが登場人物=役者を頭に入れて劇場に来たのは間違いない。そして彼ら彼女らのかなりの割合が、映画のある時点までに消去法で犯人が分かってしまったに違いない。全てはアホなパンフレットやポスターを作ってしまった広報担当の責任である。

 

また熱心な映画ファンであれば、とあるキャラクターが怪しいということもある瞬間に分かったはずだ。以下はかなりきわどいネタになるが、『 セント・オブ・ウーマン / 夢の香り 』や『 ドント・ブリーズ 』を観たことがあるならば、一目見ただけで違和感を覚えるシーンが挿入される。小説ならば叙述で乗り切れるかもしれないが、映画にしてしまうのにはちょっと無理がある設定だったか。さらに演出面で言えば、長澤まさみのとあるルーティンやキムタクのとある所作が余りにもくどすぎた。『 64 』の電話帳ぐらいでよかったのだが。

 

総評

豪華俳優陣をそろえて物語を作るのは良い。また豪華俳優陣をそれぞれチョイ役で用いるというのも『 シン・ゴジラ 』で成功した手法なので許容可能である。問題なのは、ミステリを作るに際して最も大事な犯人とトリックの部分が、あまりにもお座成りになっていることなのだ。ライトな映画ファンにはそれなりのエンターテインメントになるのだろうが、年季の入ったミステリファンや映画マニアを唸らせる出来では決してない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 日本, 木村拓哉, 監督:鈴木雅之, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 マスカレードホテル 』 -トリックとプロモーションに欠陥を抱えた作品-

『検察側の罪人』 -正義と真実、全ては相対的なのか-

Posted on 2018年8月26日2020年10月25日 by cool-jupiter

検察側の罪人 60点

2018年8月25日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:木村拓哉 二宮和也 吉高由里子 平岳大 大倉孝二 芦名星 山崎紘菜 松重豊
監督:原田眞人

SMAP解散により、図らずも実現してしまったキムタクと二宮の共演、または競演。相乗効果を生んだとまでは思わないが、新鮮に映ったことは間違いない。

タイトルが物語る通り、検察の側に罪人が存在する。法という武器を手に、容疑者を起訴する。しかし、その検察(だけではなく警察、司法などのシステム全体)が数多くの冤罪を生んできたことは誰もが知るところである。それこそ昭和の中期頃までの日本の警察および検察は、ヤクザよりも遥かに酷かったとすら聞く。何がどうヤクザよりも酷いのか。それは二宮の演技の見せ場に絡めて後述したい。

エリート検事の最上毅(木村拓哉)は、民間高利貸しおよび不動産業を営む老夫婦の殺人事件に携わるうち、捜査線上に、自らの同級生だったとある女子の殺人事件の容疑者と目される男が浮上したことを知る。不起訴となり、過去の亡霊となっていた殺人事件の被疑者、松倉重生(酒向芳)が思いがけず現れたのである。現在の事件と過去の事件、両方を結ぶ線を探るべく、最上は信頼できる弟子とも言うべき沖野啓一郎(二宮和也)に取り調べを委任する。

本作の主題は、検察官同士の対決であるが、その奥に潜むテーマは深く、暗い。最上は自らの信じる正義を執行するために法の定める手続きを無視し、犯し、隠蔽する。客観的な正義が存在すると信じる沖野は、その力を振るいながらも最上に師事し、最上を支持するが、そこに不正を嗅ぎつけた時、袂を分かち、対決する道を選ぶ。二つの異なる正義のぶつかり合い・・・がテーマであれば、実は話が早い。本作が追究しようとするのは、正義の相対性である。絶対の正義と絶対の正義のぶつかり合いは相対的である、と主張したいわけではない。人は、絶対の正義である信じていたものですら、あっさりと捻じ曲げてしまうような非常に強靭な、ある意味で都合の良い精神構造をしている。人は法が定める正義に粛々と従いながら、自らの信じる正義をいとも簡単に上位に置いてしまう。最上は裏社会の人間である諏訪部利成(松重豊)と持ちつ持たれつの関係なのだ。警察や検察がヤクザとズブズブというのは公然の秘密だが、そこに越えてはならない一線があるのも事実だ。それを踏み越えてしまうのは最上だけではなく、沖野もそうなのだ。検察官という職務の上で知り得た情報を、弁護側に渡すなどという無節操なことができるのならば、公安なり内調なりに転職すれば良いのである。成り行きでベッドインする事務官の橘沙穂(吉高由里子)ともども、それがお似合いだ。

本作のもう一つのテーマは、暴力の構造を暴き出すことだ。作中でやたらと強調されるインパール作戦。無謀、無責任、無駄死に、犬死になど、兵士の命を軽んじることこの上ない作戦であった。なぜこのような命を粗末にする作戦が罷り通ってしまったのか。それは、軍の上層部は、自分たちが下士官、下級兵から反抗や反逆を喰らうことは無いと確信していたからという部分も大きい。インパール作戦の立案者は、無謀な作戦と累々の死者の責任を全うすることも無く悠々と生き、悠々と死んだ。一方で、インパールから独自の判断で撤退した師団長は、真実を証言できる法廷に立つ機会すら与えられなかった。一方が他方を一方的に殴ることができるのは、反撃が来ないことを知っているからだ。沖野は松倉に対し、過剰なまでの人格攻撃や脅迫的言辞を弄し、最上の意図する有罪のストーリー作りに途中までは加担しようとする。そこで見せる攻撃的、威圧的、高圧低、脅迫的な言動は圧倒的である。これは個人の正義感や職務上の義務感以上に、やり返されないという確信あってこその態度に思えて仕方がなかった。なぜなら、「真実を解明したいという強い動機」がそこには一切無かったからだ。そこにあったのは、最上へのリスペクトであり、自らの正義と権力を執行するというエゴイスティックな考え方だけだったからだ。

本作の最後のテーマは、人間と、その人間の行使する力は、どこまで不可分なのかということであろう。我々は往々にして「罪を憎んで人を憎まず」と言ったりするが、実際は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の方が多いではないか。冤罪が証明され、裁判の勝利を祝う。それ自体は喜ばしいことである。だが、その人間が過去に罪を犯し、まんまと時効まで逃げ切っていたとしたら、我々はそれを素直に受け入れられるのか。そこまで極端な例ではなくとも、我々はしっかりお務めを果たした前科者の社会復帰を喜ぶよりも忌避する傾向の方が強いのではないか。トレイラーにもある「正義の剣」なるものが存在するとしよう。だが、その剣自体は、振るう者が正義であることを何ら証明しはしない。むしろ、我々は最上の持つ力を法律という国家権力よりも、裏社会、闇社会の人間である諏訪部とのつながりの方に見出す。最上は家族との関係も必ずしも上手く行っているわけではない。妻とセンテンスで会話もできないのだ。こうした人間が「正義の剣」を振るう様は、異様とすら映る。それこそが原田監督の意図であろう。本来、犯罪者と犯罪は別個に分けて考えるべきで、それは検察や警察にしてもそうである。検事=正しい行いをする人などというのは先入観であり偏見である。

物語のそこかしこに某ホテルチェーンとしか思えない一族の偏った思想や、どこかの島国の一党独裁政権を揶揄しているとしか思えない言葉が数多く聞かれる。そうした風刺の最も強烈なものは前述したインパール作戦であろう。これがプロット全体の通奏低音になっており、正しいと信じ抜いた道の先には死屍累々の結果しかなかった。残念ながら、これは歴史的な事実である。我々は客観的な正義や客観的な悪が存在するという思考に慣らされているが、それらは実は極めて恣意的なものであるということを本作は提示する。

登場人物たちのいくつかの行動は理解に苦しむというか、あまりにご都合主義的な面が見られるところもあり、そのあたりは減点せざるを得ない。特にいくつかのアイテムを調達しようとするキャラが、あんな大声で電話するか?とリアルタイムで訝しむ人は多いだろうし、一般人にも逮捕の権利はあるのだから、某女性キャラはその場で取り押さえられていたら、そこで何もかもが水泡に帰していただろう。そうした目立つ欠点を持ちながらも、非常にパワーのある作品であるとの評価は変わらない。一国の総理大臣が推定無罪の原則を無視して民間人を「詐欺師」と断罪してお咎めなしという亡国、もとい某国の国民は『三度目の殺人』とともに本作を鑑賞すべきだ。個人の信じる正義の拠って立つ基盤の強固さ故の脆さと、客観的な正義なるものがどこかに佇立するのだという幻想を見せつけられる。人を選ぶ映画であるが、単なるエンターテインメント以上の作品に仕上がっている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, 二宮和也, 吉高由里子, 日本, 木村拓哉, 監督:原田眞人, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『検察側の罪人』 -正義と真実、全ては相対的なのか-

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