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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 吉沢亮

『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

Posted on 2019年10月28日2020年9月26日 by cool-jupiter

空の青さを知る人よ 75点
2019年10月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 吉岡里帆 若山詩音
監督:長井龍雪

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191028020610j:plain

 

これはJovianの観た限りの邦画アニメでは2019年で1,2を争う良作である。一部で『 天気の子 』とそっくりの構図(それも『 千と千尋の神隠し 』や『 天空の城ラピュタ 』から来ているのだが)があったりするが、全体的に音楽プロモ・ビデオ的だった『 天気の子 』とは違い、ミュージシャンをフィーチャーした本作の方が、より確かな人間ドラマを描いているのは皮肉なものである。つまり、それだけ本作の完成度が高いということである。

 

あらすじ

埼玉県秩父市。相生あかね(吉岡里帆)と相生あおい(若山詩音)の姉妹は両親を亡くして以来、二人暮らし。あかねは18歳の時に恋人のプロのミュージシャンを夢見る慎之介(吉沢亮)の上京にはついて行かず、地元の役所に就職した。そして今、18歳になったあおいは音楽で身を立てるために上京しようとするが、そこに13年前の慎之介の生霊が現れ・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191028020727j:plain

 

ポジティブ・サイド

良い意味で期待を裏切られた。吉沢亮が出ている作品はだいたい駄作か凡作。吉岡里帆の出ている作品はだいたい珍品。そうした私的ジンクスを2人そろってたたき壊してくれたからである。

 

まずは吉沢亮の意外なvoice actingの上手さに驚かされた。『 二ノ国 』というクソ作品のクソな声の演技や、『 HELLO WORLD 』の至ってオーソドックスでアベレージな声の演技と比較すれば、その技量は際立っている。もしも本職の声優たちが本作で脇を固めていても、これだけハイレベルな声の演技ができるのなら、素人っぽさで浮いてしまうこともなかっただろう。18歳のシンノと31歳の慎之介を演じ分けるだけではなく、キャラクターの表情や仕草に合わせた、今ここではこの声が欲しい、という声を出せていた。監督のディレクションの賜物だろうが、本人の努力もあったはず。『 キングダム 』で秦王・政をシンクロ率95%で演じ切ったが、あれはflukeではなかった。高良健吾の後継者はこの男で間違いない。

 

吉岡里帆の感情を抑えた、控え目な声の演技も見事だった。『 見えない目撃者 』で殻を破ったと感じたが、その印象は誤りではなかった。慈しみや愛情を豊富に感じさせながらも、拒絶する時の声音には芯の強さがあった。これも監督の演技指導と本人の探究心と練習によるものだろう。順調にキャリアを積み重ねていけば、30歳ごろには演技派と呼ばれるようになれるかもしれない。この調子で覚醒を続けて欲しい。

 

あかねとあおい、二人の姉妹が二人の慎之介と相対する時に交錯する想いは何とも複雑玄妙だ。青春をすでに過ごし終えた者とまさに青春を謳歌している者が、それぞれに異なる悲哀を経験するからだ。誰かを好きになるという気持ちは、素晴らしいものだ。だが、それは往々にしてままならない感情でもある。あかねはある意味で閉じた土地に自分を縛りつけ、止まった時間の中に生き続けている。それがあおいから見た姉の姿である。それを引っ繰り返す終盤のシークエンスは、お涙頂戴ものの典型でありながら、それでも万感胸に迫るものがあった。これは男女の複雑な恋模様であるだけでなく、家族愛であり、姉妹愛であり、自己愛の物語だからでもある。

 

ストーリーはドラマチックであるが、終盤では実にシネマティックになる。つまり、画面いっぱいにスペクタクルが展開されるということである。冒頭で述べた『 天気の子 』そっくりな構図がここで描かれるが、浮遊感や爽快感は本作の方が上であると感じた。ここではあいみょんのタイトルソングが絶妙な味付けになっている。彼女の楽曲が最高の調味料なのであるが、それは歌が主役であるということではない。音楽が映像を盛り立てているのであって、逆ではない。『 天気の子 』はこのあたりのさじ加減を誤っていたと個人的には感じる次第である。もしも良作アニメ映画を観たいという人がいれば、本作を強く推したい。

 

ネガティブ・サイド

本作は変則的なタイムトラベルものと言えないこともないが、多くの作品が犯してしまう間違いをやはり犯してしまっている。最大のものは生霊シンノの「あんとき」という表現である。その話のコンテクストを映像で表現しているので気付かなかったのかもしれないが、そこから読み取れるのは、シンノの体感では成長したあおいと出会ってしまったのは18歳のあかねと別れることになってから1日後である、ということだ。昨日のことを自分から、あるいは誰かに求められて説明する時に「あんとき」というのは、違和感のある日本語である。ここは「そのとき」であるべきだったと思う。

 

本作のグラフィックは非常に美しい。一部、実写をそのままフルCG化したようなショットが随所に挿入されていたようだが、そうした美麗なグラフィックがノイズになってしまっていたように思う。公園内の木々や落ち葉のショットが特に印象的だったが、そこあるべき動き、例えばちょっとした風のそよぎなどが、一切感じられなかった。そのため、かえって非常に無機質な印象を与える風景のショットが見られる。『 あした世界が終わるとしても 』では、実際の人間の如くゆらゆら揺れるキャラクターCGが不気味な印象を与えてきたが、本作の風景の一部は美しさと引き換えに生々しさ、リアルさを失ってしまっていた。それが残念である。

 

キャラクター造形で言えば、31歳の慎之介があかねと再会した場面にも違和感を覚えた。帰ってきたくなかった地元で再会したくなかった(多分)初恋あるいは初交際の相手に、あそこまでだらしなく迫るものだろうか。音楽に操を立てて、それが報われなかったからと言って、昔の女に慰めを求めるのは端的に言ってカッコ悪すぎる。同じ夢破れかけた男として、余りに見るのが忍びない。そうか、だからあかねは「がっかりさせないで」と言ったのか。オッサンが見るにはキツイが、ストーリー上は整合性があるシーンである。これは減点対象ではないか。

 

総評

観終わって、実に爽やかな気分になれる。それは本作が人間の心のダークな領域に恐れることなく光を当てているからだ。ダークと言っても、サイコパス的な心理ではない。普段、他人には決して見せない心の在り様を、ある者は人目を憚って、ある者は赤裸々に、スクリーン上で見せてくれるからだ。ビターなロマンス要素あり、優れた楽曲と優れた声の演技があり、カタルシスをもたらしてくれる映像演出もある。中高生から中年ぐらいまで、幅広くお勧めできる上質なアニメである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t like those who say they like me.

 

あおいの「私は私を好きだと言う人は嫌い」という台詞である。those who + Vは、しばしば「~する人々」、「~する者たち」など、誰とは特定せずに一般的な人間全般を指す時に用いられる。書き言葉でも話し言葉でも、どちらでもよく使われる。昔、ハマっていたシリーズ物のゲームのトレイラー

www.youtube.com

でも確認できるので、興味のある人はどうぞ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, ラブロマンス, 吉岡里帆, 吉沢亮, 日本, 監督:長井龍雪, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

Posted on 2019年4月21日2020年1月29日 by cool-jupiter

キングダム 75点
2019年4月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 橋本環奈 長澤まさみ 
監督:佐藤信介

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Jovianも毎週欠かさずYoung Jumpを買っては漫画『 キングダム 』を読んでいる。この映画化には心躍るのと同時に、一抹の不安もあった。大河ドラマ的なスケールでありながら、水戸黄門的なお約束チャンバラを適度に、しかしハイレベルに交えて一つのエピソードを描くとなると、それなりに手練れの監督が必要となる。『 曇天に笑う 』、『 BLEACH 』と剣戟乱舞はそれなり魅せるものの、肝心のストーリー部分で???とさせられた佐藤信介監督は、今回は及第点以上の仕事をしてくれた。

 

あらすじ

時は紀元前3世紀。場所は中国西方の大国「秦」。奴婢の信(山崎賢人)と漂(吉沢亮)は、剣の修行に励み、いつか天下の大将軍になることを夢見ていた。そんな時、漂が宮仕えに召し出される。立身出世の機と思われたが、その漂が殺されてしまう。漂の遺言の場所に駆け付けた信は、漂と瓜二つの少年、秦王嬴政と出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

 漫画の実写化において、キャラの再現性の高さは絶対にはずしてはならないポイントである。そこを微妙に外したのが『 ルパン三世 』であり、そこを絶妙に表現したのが『 銀魂 』だった。奇しくも両方とも小栗旬が主演。本作はどうか。

山崎賢人と信のシンクロ率:85%
吉沢亮と漂および政のシンクロ率:95%
橋本環奈と河了貂のシンクロ率:99%
長澤まさみと楊端和のシンクロ率:85%
大沢たかおと王騎のシンクロ率:80%
本郷奏多と成蟜のシンクロ率:90%

であった。つまり、かなり良い感じなのである。特に山崎賢人は、演技にもう少しメリハリが欲しいが、今作では脳筋的なキャラを演じ切れていた。信の魅力は一にかかってその純粋さ、ひたむきさ、そして直感的に本質を把握してしまう感性の鋭さにある。『 羊と鋼の森 』以来、「俺、かっこいいだろ?」的なキャラもこなせるようになってきた。今後の成長にも期待したいし、この信にはもう一度スクリーンで再会したいと思えた。

 

吉沢もやっと代表作たりうる役に巡り合えたのではないか。彼が出る映画はハズレ映画という私的ジンクスを払拭してくれた。原作の政のニヒルでいて、しかし熱量を内に秘めた若王を忠実に演じていた。まだまだ学ぶべきことは多いが、この調子で着実に実績を積み上げていけば高良健吾の後継者になれそうだ。

 

本作のチャンバラは『 るろうに剣心 』のそれを彷彿させる。もちろん、あちらは剣客漫画でこちらは戦争漫画なので、正式にはジャンルが異なる。しかし、『 スター・ウォーズ 』シリーズのようなファンタジー世界の殺陣ではなく、ジュラルミンの剣と剣とが響き合うお馴染みの世界での剣劇である。この剣の腕でのしあがろうとするところに歴史的なロマンがあり、なおかつそれが現代日本の社会状況とも大いに重なるところに、本作が今というタイミングで実写映画化された意義が認められる。

 

就職氷河期世代を「人生再設計第一世代」などと名称変更したところで何も変わりはしない。変えるべきは世代に付ける名前ではなく、社会の構造である。奴隷は何をやっても奴隷、奴隷の子も奴隷という『 キングダム 』世界の価値観をぶち壊してやろうという気概に満ちた信と漂の物語、過去の非を素直に認め謝罪し、それでも未来を力強く語る、そして「世界はそうあるもの」という固定観念を力でぶち壊してやろうという大望を胸に秘める政の眼差しは、現代日本への婉曲的なエールでもある。原作ファンも、そうではない人も、本作から何かを感じ取ってもらえれば幸いである。

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ネガティブ・サイド

キャラの再現度は高かったが、いくつか個人的にこれを省いてはならないだろうと感じていた要素が欠落していた。いくつか実例を挙げれば、楊端和の「一人十殺」、「一人三十殺」である。壁の「動かぬ!」も何故省いた。あれこそが壁の壁たる様式美だというのに。

 

その楊端和を演じた長澤まさみはアクションはそれほど得意ではなさそうだ。運動神経という点では土屋太鳳や杉咲花を抜擢するべきだったのだろうが、彼女らには山界の死王のオーラは出せない。それもあって、余計に楊端和のアクションシーンの貧弱さが目に付いてしまった。

 

また左慈とランカイの順番を入れ替えてしまったのは何故なのだろう。剣と剣の対決を最後に描きたかったのは分かるが、信というキャラの最大の魅力は剣力、剣腕だけではなく、その直感の鋭さなのだ。玉座にふんぞり返る成蟜に言い放つ「その化け物以外に誰もお前を体を張って守ろうとしない」という原作の台詞は、やはり省いてはいけなかった。

 

総評

『 BLEACH 』という駄作から見事なリバウンドを佐藤監督は果たした。原作ファンとして腑に落ちないところもあるが、映画的スペクタクルは十分に達成されているし、キャラクター再現度も高い。またBGMも各シーンにかなりマッチしていた。『 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 』は残念ながら続編政策の必要性は感じないが、本作は第二弾(蛇管平原?)、第三弾(馬陽防衛戦?)まで、しっかりと製作をしてほしい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 歴史, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

『 あのコの、トリコ。 』 -漫画の技法を映画に持ち込むべからず-

Posted on 2018年10月14日2020年1月3日 by cool-jupiter

あのコの、トリコ。 20点
2018年10月11日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:吉沢亮
監督:宮脇亮

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全く立たないキャラクター、中学か高校の学芸会レベルの演技。あまりにもご都合主義過ぎるプロット展開などなど、誰が何をどのように作れば、これほどの駄作になるのか。調べてみると、映画の監督はこれが初という宮脇亮氏。テレビ番組作りと同じノリで映画を作ってしまったのだろうか。テレビ番組というのは、基本的には明るい部屋で、比較的小さな画面で、ご飯を食べたり、携帯やPCをいじったり、料理をしたりしながら観ることが多い。視聴者を画面にくぎ付けにするのではなく、ゆる~く、ライトに観られる。それがテレビの本質の一部である。対照的に、映画は真っ暗な空間で、大画面と大音響で、観客をスクリーンに吸い寄せるかのごとく美しい光と影のコントラストを映し出さねばらない。本作は映画であったのか。答えは残念ながら否である。

 

あらすじ

鈴木頼(吉沢亮)、立花雫(新木優子)、東條昴(杉野遥亮)の3人はいずれも役者を夢見る幼馴染。3人でオーディションを受けるものの、頼はいつも不合格。親の転勤でいつしか2人とも離れ離れに。しかし、ある時、雫がモデルとして雑誌に出ているのを目にし、心の奥底に燻っていた想いが蘇ってきた。雫のそばに行きたい。俳優になりたい。頼は上京し、雫と同じ学校に転入し、雫との再会を果たす。そして、何故か雫の付き人になってしまうのだが・・・

 

ポジティブ・サイド 

残念ながら、そのようなものは無かった・・・で、終わらせるのはあまりにも容易い。しかし、『 銀河英雄伝説 』でラインハルトがキルヒアイスを評したように「ゴミ溜めの中にも美点を見出す」ことも時には必要であろう。

 

強いて挙げれば、主演の吉沢と岸谷五朗の演技だけが及第点~合格点に近い。特に吉沢に関しては、冒頭の5分で主人公の頼の属性をナレーションに頼ることなく過不足なく演技だけで説明できていた。押しの弱さ、声の小ささ、やたらと広いパーソナル・スペース、猫背でトボトボと歩く様、LINEの他愛のないスタンプで心ときめかせてしまう初心さ、人と極力、目線を合わせようとしない=軽度の視線恐怖症の症状など、対人スキルの未熟さを一気に見せた。そして、そこがピークだった。

 

岸谷は、舞台・映画の監督役として、寡黙でいて妙な迫力を醸し出し、現場ではカリスマ性と統率力を併せ持つキャラクターを演じていた。今でも岸谷のベストパフォーマンスは『 月はどっちに出ている 』とテレビ映画の『最後のストライク~炎のストッパー・カープ津田恒美 』だと思っているが、本作は岸谷のキャリアの中ではトップ15に入るかもしれない。プロミスのCMの谷原章介のような服装、格好が以外にハマる。Jovianは岸谷の演技力や存在感を少し見誤っていたのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

こちらはもう何から挙げて、何で終わればいいのか分からない。何よりも雫役の新木優子、昴役の杉野遥亮ともに演技が下手すぎる。かろうじて棒読みではないというだけで、声の強弱のコントロール、抑揚の付け方、リズム、区切りなどなど、自主製作映画界に連れて行っても、演技偏差値は50前後ではなかろうか。それに表情についても、もっと研究し、鏡の前で練習すべきだ。それだけではもちろん不足で、演技指導者にきっちりフィードバックをもらう必要もある。雫に関しては劇中で二度、感情を吐露というか、一気に吐き出すシーンがあるのだが、その二つともが単にいつもより大きな声を出してみました、という演技。しかも表情に変化はほとんど無し。監督は何故これをOKテイクにしたのか。それとも何十通りと撮り切って、最もマシなものを編集でつなぎ合わせたのがコレだと言うのか。とうてい納得がいくものではない。実際にJovianが映画を観終わってトイレに向かう途中ですれ違った女子高生と思しき二人組は「新木優子、あかんわ。演技下手すぎ」「なー、ホンマに!」と実に忌憚のない感想を述べ合っていた。新木には1,800円の内、300円を返せと言いたい。

 

さらに輪をかけて酷いのが二人いる。一人は杉野遥亮だ。あまり率直に評すと批評ではなく攻撃になりそうなので止めておく、としか言えない。ただ、新木ともども、この程度の演技力で俳優、女優を演じ、トントン拍子に映画の世界の出世階段を昇っていくというのは、リアリティに欠ける。映画というのは、というよりも一般に娯楽とされるものの多く(それは小説であったり、ゲームであったり、遊園地やテーマパークのアトラクションであったりだ)は、リアリティを積み重ねて大きな幻想を作り上げるというコンセプトで成り立っている。その最大の媒体はやはり映画だ。その映画の作り手として、この監督を持ってきてしまったこと自体が最大のミスだ。杉野と宮脇には1,800円の内、1,000円を返せと言いたい。

 

宮脇監督に(こんな声など届かないと知りつつ)強く言っておきたいのは、観客を信用しなさい、ということだ。主演三人の中で唯一、まともな演技ができる吉沢の心の声をナレーションにして観客に聞かせる一方で、表情や立ち居振る舞いで思考や感情を表現することができない未熟な役者二人にはそれをさせないというのは、「この映画を見に来る一番の客層は吉沢ファンの中高生女子だろう。だったら吉沢のパートを丁寧に描いて、ついでに分かりにくいかもしれないから心の声も聞かせてやれ。漫画の吹き出しと同じ原理だ」などと考えていたとしてら、それは失敗であり侮辱である。漫画の技法をそのまま映画に持ち込んでも成功するとは限らない。いや、往々にして失敗する。持ち込むべきはキャラクターであって、描写や演出方法ではない。

 

他にもシーンとシーンのつながりの不自然さ(昼間のシーンなのに、太陽の位置が下がっていたり)や、キャラの立たせ方の不自然さ(頼の演技力の不自然な高さ)など、99分の上映時間に収めたのは立派かもしれないが、もう5~10分を費やして詰めるべき細部があったのではなかろうか。あまりに詳細を書き出すときりがないため、残りは割愛せざるを得ないが、物語以前の部分で破綻してしまっているシーンが多いし、それが目に付いてしまうのである。大きな減点対象だ。

 

総評

『 ママレード・ボーイ 』も度肝を抜かれるような駄作だったが、吉沢の出演作は外れになるというジンクスでもあるのだろうか。『 BLEACH 』も酷い出来だった。MIYAVIも大根だったが、杉野も負けてはいない。五十歩百歩である。どちらが五十歩であるかは観る人それぞれの判断に委ねたい。よほど原作に強い思い入れがある、もしくは吉沢亮の大ファンであるという以外の向きにはお勧めは難しい。または、新木優子の下着姿に興味があるという健全な男子は、そこを見終えたら静かに退出するというのも一つの選択肢ではある。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンス, 吉沢亮, 日本, 監督:宮脇亮, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 あのコの、トリコ。 』 -漫画の技法を映画に持ち込むべからず-

『BLEACH』 -続編の製作は必要なし-

Posted on 2018年7月23日2020年1月10日 by cool-jupiter

BLEACH 20点

2018年7月22日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:福士蒼汰 杉咲花 吉沢亮 長澤まさみ 江口洋介 真野恵里菜 田辺誠一 早乙女太一 MIYAVI
監督:佐藤信介

* 以下、ネタバレあり

Jovianは原作を読んだことがないし、これからも読む予定は無いが、残念ながら本作は2018年の邦画ワースト5に入るであろうということは直感的に分かる。『修羅雪姫』に始まり、『図書館戦争』『GANTS』『アイアムアヒーロー』『いぬやしき』で我々を魅了してくれた佐藤信介はどこに行ってしまったのだ?まあ、『デスノート Light up the NEW world』のような珍作もこの人は作ってしまったこともあるのだけれど。もしかして青年漫画は上手く映画化できても、少年漫画は不得手なのだろうか。

黒崎一護(福士蒼汰)は、幼い日に母(長澤まさみ)を亡くしてしまう。その原因が何であるのかを知ることがないままに高校生になったが、一護には霊が見えるという特異体質があった。ある時、突如自宅に大穴が空き、妹が謎の存在に攫われる。その化け物、虚(ホロウ)と闘う謎の少女の姿をした死神、朽木ルキア(杉咲花)。そのルキアから死神の力を与えられることになってしまった一護は、人間世界の理とは異なる存在たちとの戦わなくてはならなくなってしまう。

これだけなら、なかなか面白そうな導入である。実際に日本のエンタメCG製作では間違いなく最高峰の白組が手掛けるホロウたちの迫真性は見事なものである。ただ、白組に関しても『寄生獣』、『シン・ゴジラ』では素晴らしい仕事をしたと思うが、『DESTINY 鎌倉ものがたり』はあまりにもCG臭さがあふれていて、全てを手放しで評価できるわけではないと思っている。本作の問題点は大きく3つに大別できる。

1つは、登場人物たちの関係の描写があまりにも希薄であるということ。その最たるものは一護の母(長澤まさみ)と父(江口洋介)であろう。冒頭のシーンは一護という男の子の心根の優しさを描くことはできていたが、母の愛情についてはあと一歩踏み込んだ描写がなかった。それが無かったが故にか、「時々母の夢を見る」と呟く一護に対して、父は「俺は毎日見る」と返す。そのコントラストは父親の大きさの影に隠れた弱さと、生意気盛りの息子の奥底に隠れている母への思慕を浮き彫りにする非常に重要なシーンだ。だが、その冒頭とクライマックスバトル直前の江口のキャラのあまりの軽さと軽率さが、せっかくの良いシーンの余韻を台無しにした。その他で目立った欠点は、一護とクラスメイトたちの関係性。ここが深掘りされないままなので、一護が死んだという冗談を繰り返す級友や、一護が好きであるというキャラ(真野恵里菜)やチャド?というポテンシャルを秘めていそうで結局そのポテンシャルを発揮しなかったキャラが、クライマックスで輝けなかった。

問題の2つ目は、まさにそのクライマックスシーンである。なぜ一護は郊外の山奥もしくは山頂近くに現れた因縁のホロウを市街地に誘い込む、もしくはそのホロウ相手に市街地に逃げ込むのか。原作もおそらくそうなっているのだろうが、なぜそうしたアホな行動を取ってしまうのかについての合理的な、あるいは論理的に納得できる説明も描写もなかった。それ以外にも細かい部分ではクインシー?とかいう種族の生き残りの石田雨竜(吉沢亮)がホロウを多数おびき寄せるシーンがあったが、結局退治したホロウは一匹だけで、後はどうなったのか説明は一切なし。また田辺誠一のキャラも、異様な雰囲気を発することには成功していたが、ルキアに謎のアイテムを渡したり、一護のクラスメイトに唐突に話しかけたりと、とても身を隠していなければならない元・死神とは思えない行動の数々。とにかく各キャラの行動原理や関係性があまりにも浅く薄く、とても観る側の共感や納得を得られるものではない。

問題の3つ目は、あちこちで行われていた(としか感じられない)アフレコに見られる無造作としか言えない編集である。いや、アフレコ自体はありふれた技術や編集過程なので全く問題ないが、それがすぐに分かってしまうような形で世に送り出すのはプロフェッショナリズムの欠如と批判されても仕方がないだろう。その他にも、意図的としか思えない学習塾関連のステマ。最も原作ファンが多い層に、何か訴えかけたいものがあるのかも知れないが、最後のバトルシーンでも、甚大なダメージを被った駅前繁華街で、なぜか塾関連の看板や表示がやたらと生き残っていた。原作がそうなのか、それとも監督から中高生へ何らかのメッセージを送っているのか。またMIYAVIという役者はどうにかならなかったのだろうか。OKテイクを何とか継ぎ接ぎしてあの出来ならば、途中からでもキャスティングを変更することはできなかったのだろうかと頭を抱えざるを得ない程の大根役者ぶりを発揮してくれた。

もちろん収穫もある。土屋太凰に続く、アクションができる女性俳優として、杉咲花には大いに期待が持てる。吉沢亮も、『ママレード・ボーイ』では孤軍奮闘の感があったが、今作でも存在感は示した。スルー予定だったが『猫は抱くもの』を観たいと思えてきた。しかし、総じて欠点ばかりが目立つ作品となってしまった。続編を作る気満々のエンドクレジットには辟易したが、逆に『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』の続きが観たくなってしまうという、思わぬ副作用というか副産物をもたらしてくれた。まあ、それぐらい酷い作品だったということ。頼むぜ、佐藤さんよ!

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, E Rank, アクション, 吉沢亮, 日本, 杉咲花, 監督:佐藤信介, 福士蒼汰, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 長澤まさみLeave a Comment on 『BLEACH』 -続編の製作は必要なし-

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