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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: セレーナ・ゴメス

『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』 -Happy in the rain-

Posted on 2020年7月12日2021年1月21日 by cool-jupiter

レイニーデイ・イン・ニューヨーク 70点
2020年7月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ティモシー・シャラメ エル・ファニング セレーナ・ゴメス
監督:ウッディ・アレン

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ウッディ・アレン監督作の『 教授のおかしな妄想殺人 』や『 カフェ・ソサエティ 』がMOVIXあまがさきでリバイバル上映されていた。残念ながら再鑑賞のタイミングが合わなかったが、この巨匠はおかしな人間模様をスタイリッシュな絵で切り取らせると右に出る者がいない。本作はそんなアレンの特徴がよく出た秀作である。

 

あらすじ

ギャツビー(ティモシー・シャラメ)はポーカーで得た大金でガールフレンドのアシュリー(エル・ファニング)と自身の地元ニューヨークで最高の週末を過ごそうと考えていた。アシュリーも有名映画監督へのインタビューをニューヨークで行えるチャンスを手にしていた。二人は意気揚々とニューヨークに向かうが、ほんのちょっとしたことから思わぬすれ違いが生じてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングからスクリーンを彩る鮮やかな背景やオブジェ、ガジェットや衣装に目を奪われる。シャラメのナレーションで田舎と形容されるヤードレー大学のキャンパス。そのオーガニックな木々や芝生や、あるいは道路の向こうに広大に広がる田園風景が、ニューヨークの象徴でもあるイエローキャブによって一挙に別種の色彩を帯びる。人工的で、なおかつ美しい色彩だ。街並みのみならずホテルやレストラン、その調度品などに至るまで色調が完璧に計算されており、その映像美だけでも、自分が日本からニューヨークに移動し方のように感じさせられる。匠の技である。

 

映画の形式(フォーム)の面でのユニークさは映像美だけに留まらない。これは超高速会話劇でもある。かといって『 シン・ゴジラ 』のように、ナード的なキャラクターが高速でまくしたてるのではなく、教養豊かなギャツビーとその周囲のキャラクターが織り成すユーモアと毒とトゲのある会話である。Jovianの妻はギャツビーを鼻持ちならない奴と見たようであるが、Jovian自身は首尾一貫してこのキャラクターに共感することができた。スノッブでも衒学的でもなく、本当に言語のセンスに長けた博識な若者に映った。自分でも時々感じるが、教養というのはひけらかすものではなく、勝手ににじみ出るものであるべきだ。反省しよう。ギャツビーみたいな良い男を目指そう。そうそう、本作におけるギャツビーの独白、心の声は『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマンに近い味わい深さがある。よくよく耳を澄まされたし。また『 マリッジ・ストーリー 』でアダム・ドライバーが予想外の歌唱力を披露してくれたように、シャラメも本作でピアノ弾き語りを披露する。そちらの歌も必聴である。

 

ヒロインのエル・ファニングも味わい深い。はっきり言ってお馬鹿さんなのだが、そこが可愛らしく愛おしい。彼女を徐々に巻き込んでいく騒動は、彼女自身の魅力に端を発している。もっと言えば、ウッディ・アレン自身がエル・ファニングに愛されたい、敬服されたい、称賛されたいという欲望を持っているからこそ生まれたストーリーなのだろう。本作に登場する数々の中年のおやじキャラは全てアレンの分身なのではないかと疑いたくなる。エル・ファニング(というよりもアシュリー)のどこがそれほど魅力的なのか。一つには、目だと思う。目は口程に物を言うものだが、そのまっすぐな瞳に射抜かれれば、たいていの男はイチコロだろう。それほど今作におけるファニングの目、そして笑顔は魅力的であり説得力がある。ジャーナリスト志望ということは、まだジャーナリストではないわけで、彼女は単なる学生であり、子どもである。実際に作中でも15歳の少女扱いされるシーンがあるが、まだ何物でもない魅力的な女子に向き合うことで、男は、たとえば年齢や職業や肩書や社会的地位といった一種の虚飾から自由になれる。ただの男になれるわけだ。このエル・ファニング演じるアシュリーの魅力に、ぜひ魅了されたし。

 

惹かれ合いながらも何故かすれ違ってしまう恋人同士。雨のニューヨークに感じる旅情。映像美と音楽。これはウッディ・アレンの快作である。

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ネガティブ・サイド

セレーナ・ゴメスは悪い役者ではないが、作品世界にはまっていなかった。なんだかちんちくりんに見えるのだ。いっそのことゴメスとファニングの逆にキャスティングしてみたら?それもそれでセレーナが爺殺しの魅力を発揮したかもしれない。

 

ギャツビーの兄のフィアンセの笑い方が、兄に結婚を躊躇させるほどのものだったか?確かに奇妙な笑いであるが、これは本作のテーマである“価値観の違い”というよりは、生理的な、あるいは生得的な好悪の問題だろう。もっとスプーンやフォークの使い方が~とか、音楽や映画の趣味が~とか、そういった設定にはできなかったのだろうか。

 

少しだけ気になったのは、ギャツビーの母が“アシュリー”を見抜くシーン。母が夫に「何か変じゃない?」と語りかけるシーンは不要だったし、その筋の道の人間にしか分からない、ほんのちょっとした所作や仕草のようなものを一瞬だけで良いので見せてくれていたら、非常に説得力あるシークエンスになったはずなのだが。

 

総評

約1時間30分とは思えないほど濃密な映画である。まさに梅雨空の続く今にふさわしい映画であると言える。夫婦で鑑賞すれば、すれ違いのあれやこれやを笑い飛ばせることもできる。ただし、デートムービーにはならないかもしれない。都会人の男と田舎出身の女子、というくくりは乱暴すぎるかもしれない。だが、ガールフレンドと一緒に本作を鑑賞しようともくろむ男子諸君には、映画の中身をよくよくリサーチされたしとアドバイスしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Time flies.

「光陰矢の如し」の意味だが、もっと単純に「時間が過ぎるのは早いもの」ぐらいでよい。仕事に集中していて、気が付いたら定時。飲み会ではしゃぎすぎて、気が付いたら終電間近。そんな時に“Time flies.”と呟いてみようではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エル・ファニング, セレーナ・ゴメス, ティモシー・シャラメ, ラブコメディ, ラブロマンス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』 -Happy in the rain-

『 デッド・ドント・ダイ 』 -Old habits die hard.-

Posted on 2020年6月9日2021年1月21日 by cool-jupiter

デッド・ドント・ダイ 60点
2020年6月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ビル・マーレイ アダム・ドライバー セレーナ・ゴメス
監督:ジム・ジャームッシュ

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監督がジャームッシュでメインキャストにアダム・ドライバーがいる。それだけで劇場鑑賞する理由としては十分である。傑作『 パターソン 』のクオリティは期待してはいけない。それでも、なんらかのゾンビ映画の新味を期待するのは罪ではないだろう。

 

あらすじ

地球の極でアメリカ政府は水圧破砕工事を行った。その結果、地球の自転軸に狂いが生じ、日照時間が異様に長くなり、あるいは夜が明けなくなってしまった。そして月は邪悪な波動を放つようになった。その結果、死者がゾンビとして蘇るようになった。田舎町センターヴィル警察署所長ロバートソン(ビル・マーレイ)とピーターソン巡査(アダム・ドライバー)たちは、町を救うことができるのか・・・

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ポジティブ・サイド

ゾンビの発生を天文学的なスケールで説明しようとしたのは珍しい。あったとしても隕石と共に未知の病原体がやってきて・・・というような『 ブロブ/宇宙からの不明物体 』や『 遊星からの物体X 』(ナード男の店にわざとらしく飾られているところにニヤリ)的なものではない。地球の自転軸が狂ってしまうという、ある意味で『 ザ・コア 』的なもの。これによって不自然に昼が長くなり、また夜が明けなくなり、そして逢魔が時がずっと続いてしまうという不思議な世界観が成立した。このアイデアはなかなか面白い。同時に時計が止まったり、スマホの充電がいきなり切れたりと、不吉な予感を煽るのも上手い。

 

あちこちに先行ゾンビ映画へのオマージュがある。『 ゾンビーノ 』でも“Old habits die hard.”=昔からの癖はなかなか改まらない、と言われていたように、本作のゾンビは生前に好きだったものにどうしようもなく惹かれてしまう。その対象はコーヒーであったり、ファッションであったり、片思いの相手だったりと様々だ。これも『 ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 』へのオマージュだろう。スモンビなる言葉が生まれて久しい。日本ではそれほど人口に膾炙していないが、歩きスマホが大問題になっている国々では結構使われているようだ。ゾンビが生者だった頃の属性を継承するのがこれまでのゾンビ映画の文法だったが、本作は生者にゾンビそのものを投影している。生きていても死んでいても変わらないではないか、と。深く考えることなく、目の前の自分の好物だけに集中する。それはおそらく現代人に最も目立つ特徴だろう。ジャームッシュ流の批判である。

 

パトカーで町を見回るビル・マーレイとアダム・ドライバーのコンビの掛け合いが面白い。天変地異のただ中にありながら、どこか日常を思わせる。そのアンバランスさが本作をドラマとコメディのどちらかに偏り過ぎないようにしている。ゲームの『 バイオハザード 』のごとき世界がアベニューに現出するなか、パトカーで町を見回る3人組の掛け合いも楽しい。一人は恐怖に駆られ、一人は勇気と不安のはざまで揺れ動き、一人は物語の結末を確信している。そう、この物語では特定の人間は地球に不要であると判断されているようなのだ。ジャームッシュの意図は別にあるのだろうが、COVID-19によって浮かび上がってきた「ソーシャル・ディスタンス」なる概念、そして中国の空が晴れ渡ったり、インドのガンジス川の水が澄んだりと、人間がコロナ禍と呼んでいる現象が地球にとってはどうなのかというパラダイム・シフトが起きつつある。そうした現実を背景に本作を観た時、監督の意図とは異なるメッセージを観る側は受け取ることだろう。本作では森に暮らす世捨て人のボブが小説『 白鯨 』を拾うこと。そして、COVID-19の死者が欧米で異様に多く、アジアで異様に少ないこと。この二つをくっつけて考えてみよう。そうすれば、本作はコメディではなく、ブラック・コメディへと鮮やかに変身する。

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ネガティブ・サイド

ティルダ・スウィントン演じるゼルダというキャラクターは不要だと感じた。もしくは、もっとキャラを改変するか、あるいはダイレクトに『 キル・ビル 』のユマ・サーマンを模してしまえば良かったのではないか。名前がゼルダで見た目がエルフ、それが長剣を振るうとなると、どうしたってゲーム『 ゼルダの伝説 』のリンクを想起せざるを得ない。オマージュをささげるなら、ゲームのキャラではなく映画のキャラにしてほしい。

 

そのスウィントン演じるゼルダの裏設定にも( ゚Д゚)ハァ?である。これではまるで『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』のパクリに近い。というか、これではオマージュとは呼べないだろう。さらに『 未知との遭遇 』もそこに混じる(要素は反対だが、造形がそっくり)となると、これも萎えてしまう。どうせスター・ウォーズネタを込めているのだから、アダム・ドライバーに持たせる刃物もダンビラではなくライトセイバー・・・ではなく竹刀のような形の剣にすればよかったのにと思う。映画に込めるメッセージばかりに神経が行ってしまい、小道具や美術がおろそかになってしまっていたか。

 

セレーナ・ゴメスの扱い方が雑というか、妙なキラキラマークは要らない。カメラワークや演出で見せてこそだろう。『 スプリング・ブレイカーズ 』のように、セレーナ・ゴメス(やその他のキャスト)をカメラワークと照明、衣装、メイクで充分に輝かせることが出来たはずだ。これだけキャスティングにカネを使っているのだから、裏方にカネを回せない、もしくは手間暇かけてディレクションできないというのは本末転倒ではないか。

 

総評

映画館がついに本格始動をし始めた。しかし、どこも座席間を開けている。おかげでJovianも嫁さんと離れ離れで鑑賞している。だが、そうした時こそ思弁的なメッセージを含む映画をじっくりと鑑賞するチャンスとは言えまいか。その意味では、本作は徐々にwithコロナに移行しつつあり、なおかつ第二波の襲来に備えつつある今こそ、じっくりと鑑賞すべき価値を持っていると言える。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Oh boy

「少年よ!」という意味ではない。もちろん文脈によってはそういう意味を帯びるだろうが、これは「あれまあ」や「おやおや」や「うわー」や「ひえー」のような意味もある。つまりは感嘆詞である。Boy単独で使うことも多いが、その場合は、I played tennis yesterday. Boy, am I sore today. = 機能テニスをしたんですが、いやはや今日は筋肉痛ですよ、という具合に倒置が起こる。自分で使いこなせる必要はないが、聞いた時に分かるようにしておくと吉。“Oh boy”という感嘆詞は、セサミストリートのエルモがしょっちゅう口にしている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, スウェーデン, セレーナ・ゴメス, ビル・マーレイ, ブラック・コメディ, 監督:ジム・ジャームッシュ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 デッド・ドント・ダイ 』 -Old habits die hard.-

『 スプリング・ブレイカーズ 』 -Nothing Lasts Forever-

Posted on 2020年4月28日 by cool-jupiter

スプリング・ブレイカーズ 50点
2020年4月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジェームズ・フランコ セレーナ・ゴメス ヴァネッサ・ハジェンズ アシュリー・ベンソン レイチェル・コリン
監督:ハーモニー・コリン

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『 アジョシ 』のあまりにも重い余韻を中和しようとアニメの『 11人いる! 』を鑑賞したが、効果は薄かった。こういう時は脳みそを使わずに済む作品を観るべし。というわけで近所のTSUTAYAで観た瞬間に「これだ!」と確信した。

 

あらすじ

 

大学生のフェイス(セレーナ・ゴメス)、キャンディ(ヴァネッサ・ハジェンズ)、ブリット(アシュリー・ベンソン)、コティ(レイチェル・コリン)の4人組は春休み=スプリング・ブレイクにフロリダ旅行に出かけようと計画する。勢いで行った強盗で思いがけぬ大金を手にした4人だが、当然警察に見つかる。彼女らは窮地を麻薬の売人のエイリアン(ジェームズ・フランコ)に救われて・・・

 

ポジティブ・サイド

本作のような作品は何をもってポジティブと見なすかが難しい。開始5分はビーチで乱痴気騒ぎに興じる若い男女(ポロリやモロ出しもあるよ!)にありふれたBGM。次の3分は大学の授業中に猥談する女子大生、次の25分は途中に強盗行為も挟みつつ、基本的には水着、おっぱい、酒、たばこ、ドラッグ、直接的な描写こそないものの乱交である。30分画面をながめていて、ずっと水着、おっぱい、酒、たばこ、ドラッグの描写しかない。なんという金太郎飴的な作りか。だが、自ら望んでこういう映画を借りたのだ。アシュリー・ベンソンらの健康的な水着姿やトップレス姿を楽しもうではないか。

 

最も目についたのは麻薬の売人のジェームズ・フランコの怪演。銀歯をぎらつかせながら放蕩生活を送るポン引き的な外見で、札束とドラッグと銃火器をたんまり溜め込んだ謎の男で、しゃべり方がまさに南部のストリート育ちという感ありあり。さらに日本で例えるなら、シンナーのやりすぎで前歯と前歯の隙間がすっかすかに空いた人間が、空気を漏らしながら喋っている感じ。怖い。そしてキモイ。逆フェラをかます様子は、単純に滑稽で、それでいて剣呑だ。笑顔が特に不気味で、『 スパイダーマン 』シリーズのハリー役の頃の若々しさや、能天気と言えるほどの無邪気さはまったくない。極端な役はある意味で演じやすいとはいえ、これはイメージが変わりすぎ。フランコの顔や雰囲気が好きというライトなファンは、本作は敬遠した方が良いかもしれない。

 

アホな女子大生たちの刹那的な歓楽の享受がテーマであるように見るが、さにあらず。ブレイカーズの面々は必ずしも皆が同じというわけでなない。信心深い者もいれば、用心深い者もいる。一方で今しか見えていないように見えるお馬鹿女子も、旅先のフロリダから家族に連絡を入れ、春休み明けには学業に本腰を入れると真面目な顔で宣言する。そしてそれは嘘ではない。もしもその場しのぎの嘘ならば、電話を切った直後に仲間と一緒に大笑いするだろうからだ。そんなシーンはなかったし、彼女ブレイカーズは反応の仕方こそ違えど、青春の終わりを予感している。日本でも成人式の日に酒をがぶ飲みしたり、喧嘩したり、周囲に迷惑をかけて「こんなことができるのも今日が最後っすから!」みたいな連中が昔も今も存在している。本当は成人式は「こんなことができなくなる最初の日」だ。青春との別れを従容と受け入れる者もいれば、その別れから全力で走り去ろうとする者もいる。あまりにも紋切り型で金太郎飴のような作りの前半の描写の意味が、最後の最後で明らかになる。Spring Break Forever! 本作を日本版に換骨奪胎したのが『 チワワちゃん 』であろう。

 

ネガティブ・サイド

事件らしい事件が起きて、ドラマが動き出すまで1時間かかる。展開が恐ろしいほどにスローである。もちろん、全ては意図があっての構成なのだろうが、レンタルやストリーミングで自宅でこれを見るとなると、普通に寝てしまう人が続出するだろう。というか、映画館でも寝てしまうのでは?

 

ブレイカーズの面々の退屈なキャンパスライフや、満たされないセックスライフを描くシーンがあれば、フロリダの解放感やパリピな人々との交流の楽しさがもっと伝わったのでは?また、フェイスやコティがグレイハウンド・バスでフロリダを去って家路に着く流れは、もう少し尺を取っても良かった。明らかに南国な植物が繁茂するエリアから、だんだんと無機質な背景に変わっていく様をバスの車窓を通じて見せれば、フロリダから物理的に離れていくことが、若さとの精神的な決別になるというシネマティックな表現になっただろうにと思う。

 

J・フランコ演じるエイリアンは実に味のあるキャラクターだが、『 スカーフェイス 』を常時再生しているというのは、演出的に外れている。アル・パチーノの壮絶な生き様と死に様をリスペクトしているなら、同じように壮絶に生き、壮絶に死んでいってほしい。生き方そのものが軽佻浮薄なのは良いとしても、死に方がちょっと・・・ 若気の無分別を象徴するキャラクターで、だからこそキャンディとブリットは、イエスを裏切った直後のユダよろしく、エイリアンにキスをするのだろう。エイリアンの生き方をもっとギャングスターらしくするか、死に様をもっとドラマチックにするか。さもなくば『 スカーフェイス 』に言及するくだりを丸ごと削除すべきだろう。

 

総評

思いがけず深いテーマが潜んでいるが、単純にパリピな若者たちがワーワーキャーキャーやっていて、ところどころにセクシーな姿態が見られるというBGVとしても観ることができる。というか、そういう作品を自分でチョイスしたんだった。20歳前後ならば、感情移入できるかもしれないが、中年が鑑賞すると「自分にもこんな時期があったな」と懐かしく振り返るか、「自分にはこんな時期はなかった」と恨めしくなってしまうかのどちらかだろう。ある意味、空っぽな青春だったか充実した青春だったかを確認するためのリトマス試験紙のような映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Nothing lasts forever.

劇中の台詞でないが、まさに青春時代は永遠には続かない。Nothing lasts forever. は直訳すれば「永遠に続くものは何もない」、意訳ならば「どんなものでもいつかは終わる」ということである。楽しい青春時代も、現在のようなコロナ禍も、何事もいつかは終わりを迎えるものなのである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アシュリー・ベンソン, アメリカ, ヴァネッサ・ハジェンズ, クライムドラマ, ジェームズ・フランコ, セレーナ・ゴメス, レイチェル・コリン, 監督:ハーモニー・コリン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 スプリング・ブレイカーズ 』 -Nothing Lasts Forever-

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