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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: サスペンス

『 シンプル・フェイバー 』 -現代風サスペンスの模範的作品-

Posted on 2019年3月16日2020年1月10日 by cool-jupiter

シンプル・フェイバー 65点
大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:アナ・ケンドリック ブレイク・ライブリー ヘンリー・ゴールディン
監督:ポール・フェイグ

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『 ピッチ・パーフェクト 』シリーズのアナ・ケンドリック、『 ロスト・バケーション 』のブレイク・ライブリー、『 クレイジー・リッチ! 』のヘンリー・ゴールディングの共演となれば観ないという選択肢は無い。特にゴールディングは、Jovianが勝手に私淑しているHapa英会話のセニサック淳に似ているので、やはり勝手に応援しているアジア俳優なのである。

あらすじ

シングルマザーのステファニー(アナ・ケンドリック)はV-Logでママ友向けの動画を作成する傍ら、子育てにいそしんでいた。ひょんなことから、NYの大企業でフルタイムで働くエミリー(ブレイク・ライブリー)と知り合う。エミリーの夫、ショーン(ヘンリー・ゴールディング)は大学教授にして作家。対照的なステファニーとエミリーは親密になっていき、ステファニーはエミリーの子どもの世話役をすることも。しかし、ある日、ステファニーに子どもを預けたままのエミリーが姿を消して・・・

ポジティブ・サイド

ギリアン・フリン原作の『 ゴーン・ガール 』と非常によく似た構造を持っている。消えた女を追えば追うほどに新たな謎が見つかっていくというのは、ウィリアム・アイリッシュの古典的名作『 幻の女 』以来のクリシェである。タイムトラベル物、記憶喪失物と並んで、消えた女のミステリというのは出だしの面白さにおいてはハズレが少ないジャンルなのである。近年では『 ドラゴン・タトゥーの女 』や『 セブン・シスターズ 』などが標準以上の出来だと言える。そして本作はこれらよりも、サスペンスで僅かに、ユーモアで大きく、そしてミステリ部分で僅かに上回る。ただし『 ゴーン・ガール 』にはいずれの面でもやや及ばない。

本作の面白さは、まず第一にアナ・ケンドリックとブレイク・ライブリーの好対照ぶりにある。シングル・マザーにしてYouTuberのステファニー、そしてワーキング・マザーにしてNYの会社でタイトル持ちのエミリー。この二人がふとしたことから親密になり、秘密を明かし合い、お互いの子どもを預け合うようになるまでが実にテンポ良く描かれる。もちろん、そこまでの展開に伏線がてんこ盛りなので、しっかりと目を凝らして耳をすましておくように。

他に注目すべきところとして、エミリーの哲学というか生き方に、ステファニーが共感し、それを実践するシーンである。と同時に、ステファニー自身の過去の秘密が現在にも蘇ってくるのだ。What a femme fatale! 余り深く考え込んでしまうと背筋が寒くなるので、ステファニーの秘密の謎を探ろうとするのは、ほどほどにしておくべし。また、エミリーにはてっきり陳腐過ぎる直球のトリックが仕込まれているのかと思いきや、ちょっとした変化球であった。綾辻行人の『 殺人鬼 』のトリックかと見せかけて、飛浩隆の『 象られた力 』所収の短編『 デュオ 』に見られるトリックだった。

ブレイク・ライブリーのファッション、アナ・ケンドリックの美乳(ブラまでしか見えないが)、ヘンリー・ゴールディングのRPアクセントの英語にも注目しながら本作を堪能して欲しい。

ネガティブ・サイド

いくつかのサブ・プロットとエンディングに謎が残る。特に、ステファニーの過去の秘密の真相については、観る者を試す、あるいは意図的に混乱させようとしているかのようである。特に、中盤のステファニーの活躍を見るにつけ、彼女の過去の秘密の真相がどんどんとどす黒くなっていく。ここまでモヤモヤとした気分にさせるなら、いっそ真相を明かしてくれと思ってしまう。

また、エミリーの使うトリックでは、おそらく警察を欺けない。アメリカの警察の捜査力はドラマや映画から推し量るしかないが、このトリックで絶対に日本の警察は騙せない筈だし、アメリカの警察も騙せまい。その理由については中橋孝博先生の著作を読めば分かるかもしれないし、分からないかもしれない。人間の身元を確認する方法は一つだけではないということである。

総評

弱点はあるものの、適度なユーモアがある上質なサスペンスである。実績充分にして今後の活躍も期待できる2人の女優のガチンコ演技対決を見逃してはならない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, サスペンス, ブレイク・ライブリー, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 シンプル・フェイバー 』 -現代風サスペンスの模範的作品-

『 THE GUILTY ギルティ 』 -北欧サスペンスの傑作-

Posted on 2019年3月10日2020年1月10日 by cool-jupiter

THE GUILTY ギルティ 75点
2019年3月7日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ヤコブ・セーダーグレン
監督:グスタフ・モーラー

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原題は“Den skyldige”、英語ではthe guilty oneもしくはthe guilty partyの意であるようだ。「有罪なる者」とでも訳すべきだろうか。パッとあらすじだけを読んだ限りではハル・ベリー主演の『 ザ・コール [緊急通報指令室] 』のデンマーク版かと思えたが、これはそれ以上の掘り出し物にして傑作であった。

 

あらすじ

職務に熱心な警官、アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は、とある出来事から緊急司令室の電話オペレータとして勤務していた。ある日、アスガーは今まさに誘拐され車で連れ去られているという女性、イーベンからの通報を受ける。電話越しにアスガーは彼女を救うことができるのか。アスガーの苦闘が始まった・・・

 

ポジティブ・サイド

低予算映画の作り方でありながら、スリル、サスペンス、ミステリ、そしてホラーの要素までもが詰め込まれている。だが、それらが互いに喧嘩することなく、一本の作品の中で互いを高め合っている。これは凄いことだ。あるシーンで、アスガーが同僚警察官にとある場所に踏み込むように依頼するのだが、その緊張感たるや『 セブン』(”Se7en”)に迫るものがあった。

本作については、ネタばれめいたことがほとんど言えない。それほど絶妙なバランスの上に成り立っている作品である。我々は「ラスト10分間の衝撃!」だとか「前代未聞のどんでん返し!」なる惹句を、映画や小説の販促文句で定期的に目にする。中には「あなたは二度騙される」など、それ自体が重大なネタばれになっているものまで存在する。そうまでして観客や読者を獲得しようとする努力は買うが、そのことが作品の面白さ=受け手が作品の真価を味わう機会、経験を減じていることに、版元や配給会社はそろそろ気付いてよい。

本作の素晴らしさは主として2点。一つには、通話先の相手の容貌や状況、心理を観客が知らず知らずのうちに想起してしまうこと。これは主演のヤコブ・セーダーグレンの演技力に依るところが大きい。画面に映るのはほとんど全部この男なのだが、我々はいつの間にか彼と同化させられてしまう。ヘッドセットからの声に真剣に耳を傾けてしまう。そこから漏れ伝わる声や音は我々の想像力を否応なく喚起する。Jovianはデンマーク人の友人はいるが、デンマーク語はさっぱり分からない。それでも、アスガーの苦闘ぶりは充分に伝わる。Non-verbalな部分で、彼が如何に奮闘しているかということが、実によく伝わってくるのである。

もう一つには、映画のプロットそのものが、主人公のアスガーの背景についての興味関心を掻き立ててくることである。なぜこの男は緊急司令室で電話番をしているのか?この男が警察の関連部署と通話する際にときどき感じられる物々しさ、よそよそしさは何であるのか?そうしたことが最終盤まで明かされることなく、それでいて情報が絶妙に小出しにされてくるのである。この展開が素晴らしい。手に汗握るというか、アスガー自身の抱える闇とイーベン誘拐事件のクライマックスが見事に交差する瞬間の緊張感!これ以上は言えない。ぜひ多くの方に劇場で確かめて欲しい。それだけである。

 

ネガティブ・サイド

88分とやや短めの映画であるが、序盤にもう5~6分をかけて、アスガーの仕事がどんなものであるのかを、電話の音声とPC画面にもっとフォーカスする形で見せてくれても良かったのではないだろうか。民間ではないが、コールセンターの中の人がどのように働いているのか、興味のある人は世の中には結構いるはずである。

中盤でアスガーが思考の陥穽に嵌まってしまい、着信に気付かないところを同僚に告げられるシーンがあるのだが、Jovianが昔働いていた信販会社なら、怒声もしくは下段蹴りが飛んでくる場面だ。コールの積滞時間の長さは、そのままクレーム発生率に比例すると言っても過言ではなく、同僚の冷静さが、やや腑に落ちなかった。重大事件の通報であるかもしれないのだから、尚更だ。このあたりの描写に甘さを感じた。

 

総評

いくつかの弱点を抱えているものの、傑作であると評することができる。特にタイトルが秀逸なのである。他には、アスガーの同僚の名前が、Jovianの大学時代の寮の友人と同じで、思わずニヤリとさせられた。兎にも角にも、本作に関してはうっかりとネタばれめいたことが言えないのだが、本作を鑑賞して、なおかつ小説も好きだという方には、以下の三作品を是非ともお読みいただきたい。作品の中身それ自体が重大なネタばれに直結するようなものばかりなので、白字で記載させていただく。

作者:田中啓文 タイトル:『 水霊 』

作者:米澤穂信 タイトル:『 犬はどこだ 』

作者:範乃秋晴 タイトル:『 マリシャスクレーム―MALICIOUS CLAIM 』

以上である。本当に面白い作品であれば、この時代であれば自然に拡散されていく。本ブログもその一助でありたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, デンマーク, ヤコブ・セーダーグレン, 監督:グスタフ・モーラー, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 THE GUILTY ギルティ 』 -北欧サスペンスの傑作-

『 天才作家の妻 40年目の真実 』 -邦題がアウトだが、観る価値はあり-

Posted on 2019年3月4日2020年1月3日 by cool-jupiter

天才作家の妻 40年目の真実 70点
2019年2月24日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:グレン・クローズ ジョナサン・プライス クリスチャン・スレイター
監督:ビョルン・ルンゲ

邦題が良くない。原題が“The Wife”なのだから、そのまま『 妻 』または『 作家の妻 』で良かった。40年目の真実というのも微妙な副題だ。40年間の真実というのが、より正しいのかもしれないが、この部分もそもそも蛇足なのだ。こうした微妙な邦題問題というのは、マーケティングのためには避けて通れない。それでも、稀に『 判決、ふたつの希望 』のような大傑作もあるのだから、Don’t judge a film by its title.

 

あらすじ

ジョセフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)はノーベル文学賞を受賞することとなった。糟糠の妻、ジョーン(グレン・クローズ)と息子にして作家志望のデビッドと共にスウェーデンのストックホルムに向かう。しかし、そこにはジョセフの作品は別人の手によるものと訝しむ記者兼作家のナサニエル・ボーン(クリスチャン・スレイター)もおり・・・

 

ポジティブ・サイド

グレン・クローズによる渾身の演技。これに尽きる。元々、『 危険な情事 』から『 セブン・シスターズ 』まで、怖い女性を演じさせれば右に出る者はいない人だったが、本作では二重性、二面性のあるキャラクターを見事に演じ切った。女性が能力を認められない時代に、学問を学び、文芸作品を執筆することの労苦が、彼女ではなく別のキャラクターの口から語られるシーンがあるが、これは秀逸であった。似たような表現として、『 マネーボール 』でブラッド・ピット演じるビリー・ビーンがバットを放り投げるシーンがあったが、それと共通している。映画とは絵で魅せるものでもあるが、音で魅せるものでもあるのだ。

世界の名言、格言では結婚に関するものが特に多いが、それはおそらく結婚という制度の普遍性に比べて、夫婦の在り様というものが余りにも多様性に富んでいるからだろう。Jovian自身、以前に信販会社のセキュリティ関連部門勤めの頃に、財布ごとカードを紛失した女性の応対時に「ご主人の・・・」と言ったところで『この家の主人は私です!この人は私の稼ぎでカードを持ってるんです!』と相手を激怒させてしまったことがある。ことほど左様に、夫婦というのはステレオタイプどおりではないし、それを外から見分けることは難しい。職場では威厳を保っている男性が、家の中では妻に頭が上がらないという構図もステレオタイプではあるが、そんな人は多いはずだ。ジョセフとジョーンのカップルは、ノーベル文学賞の受賞決定を機に、成功した夫とそれを支える妻という典型的な枠に押し込まれるが、そうすることで初めてジョーンは自分という存在の形を知る。この見せ方も秀逸である。ジョセフに自分への謝辞を述べないように迫るジョーンの心情はいかばかりか。そして、ジョセフのスピーチを聞いた時のジョーンの反応に、あなたは何を思うだろうか。

Jovianは本作を妻と共に観たが、妻は感心することしきりであった。曰く、「いやあ、女性の心情をしっかり捉えられてるよ」とのことだった。『 プラダを着た悪魔 』のアンドレアとは対照的に、女性が何かを掴み取れることそのものを否定する時代や職業が存在したということに、妻は本気で憤っていた。

あまりここに妻の意見を書くと後でJovianが説教を食らってしまうのだが、本作が気になるという男性諸氏は、ぜひ奥様やパートナーと共に観よう。熟年離婚がトレンドから一般的な事象にまで成り下がり、日本全体でも離婚率が30%というこの時代に、本作は健全な夫婦喧嘩および人間の情念の深さとそれを上回るかのような慈愛も見せてくれる。『 追想 』にはサスペンスが不足していたが、本作はそこにサスペンスだけではなくミステリ、ロマンス、さらには父親殺し的なテーマまで加えてくれた。小説の映画化としてはこちらの方が面白いと感じた。

 

ネガティブ・サイド

もしかすると『 シン・ゴジラ 』を上回るかもしれない超高速会話劇である。そのことが下手なアクション映画のカーチェイスや銃撃戦よりも、よほど手に汗握る展開なのであるが、こちらの理解が少々追いつかないところや、唐突に始まり、唐突に終わる言い争いも少なからずある。このあたりは観る者によって評価がかなり割れそうだ。もしかすると『 レディ・バード 』以上の唐突会話劇であると見ることすら可能かもしれない。大学生以上でないと、この緊迫感は掴めないのではないだろうか。

個人的には息子の存在とそのサブ・プロットがノイズになっているように思えた。もちろん、彼の存在によって新たなドラマが生み出され、今あるドラマがよりドラマチックになるという作用もあるが、ジョーンという女性のキャラクターから母という要素を剥ぎ取ってもよかったのではないだろうか。そうすることによって、浮気大好きで、なおかつ嫉妬深い夫の心を「記者と何をやっていたんだ」とより強くかき乱すことができたのではないだろうか。老いたりといえども、女性としの色香をジョーンが残していることは、冒頭のベッドシーンでも明らかだったのだ。『エル ELLE 』のイザベル・ユペールが頑張れたのなら、グレン・クローズもまだまだやれる、というのは望み過ぎだろうか。

 

総評

ノーベル賞の舞台裏を垣間見ることができるという点で非常にユニークである。しかし、そのせいでジョスリン・ベル・バーネルのような素晴らしい科学者も、家庭ではどんな陰物なのだろうかと勘繰ってしまうようになるという副作用がある。元々、結婚などというのは乱暴極まりない制度なのである。夫婦という関係以上にサスペンスフルなものはこの世にはないのかもしれない。夫役のジョナサン・プライスも息の長い俳優。彼の出演作で最もサスペンスフルでミステリ要素もあるものとして『 摩天楼を夢みて 』がある。ケビン・スペイシーやアル・パチーノらの名優揃い踏みの佳作なので、サスペンスに興味のある向きは是非どうぞ。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, グレン・クローズ, サスペンス, スウェーデン, 監督:ビョルン・ルンゲ, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 天才作家の妻 40年目の真実 』 -邦題がアウトだが、観る価値はあり-

『 チワワちゃん 』 -リアルで陳腐な青春群像劇の佳作-

Posted on 2019年2月15日2019年12月22日 by cool-jupiter

チワワちゃん 70点
2019年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 成田凌 吉田志織
監督:二宮健

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門脇麦と成田凌という『 ここは退屈迎えに来て 』でも見れらた若手の実力者の共演である。それだけでもチケットを買う価値はある。実際に I got my money’s worth. 

 

あらすじ

「チワワ」(吉田志織)が死んだ。バラバラ殺人だ。ミキ(門脇麦)はチワワの恋人だったヨシダ(成田凌)やその取り巻き、友人、知人らにチワワがどんな人間だったのかを確かめていく。そこで知ったのは、自分が全く知らないチワワの姿で・・・

 

ポジティブ・サイド

非常にドラッギーな映像から始まる。まるで、これから見るのは映像麻薬ですよ、とでも宣言しているかのようだ。そして実際にその通りである。女子の下着パーティーあり、プール内での美少女同士のキスありと、いったい何を観に来たのだろう?と頭がクラクラしてくるような映像を二宮監督は放り込んでくる。Good jobである。

漫画が原作であるということで敬遠することなかれ。いわゆる少女漫画を原作とする十把一絡げの青春ムービーとは明らかに一線を画す映画である。大ヒット(少女)漫画のストーリーというのは、基本的にファンタジーである。王子様に見出されるお姫様のお話である。なので、そうした映画を観ながら「ああ、俺にもこんな甘酸っぱい、青っちい時代があったなあ」という風にはとても感じられないのである。もしもそのように感じられる映画ファンがいれば、相当に幸運な人生を送れた証である。リア充爆発しろ。しかし、本作の描く青春模様はファンタジーではない。それは青春の一面を異常に肥大化させた、あるいは極度に誇張させたものである。美少女または美男子が転校して来て、自分の隣の席に座るようになる、やがてその相手と劇的展開を経て恋仲になるなどという漫画のような、というか漫画そのものの経験をしたことのある人など、一万人に一人ぐらいしかいないのではなかろうか(分母が十万人でも五千人でも、希少性が高いという意味では大差ないだろう)。しかし、本作で描かれるような若気の無分別を経験したことのない人というのは、あまりいないように感じる。もちろん、危ない筋から大金を強奪するというのは論外だが、ちょっとしたあぶく銭を一瞬の享楽のために溶かしてしまっただとか、行きずりの相手とベッドインしただとか、家に帰れない事情があって知人友人宅を転々としただとか、クラブで飲んで踊り明かしただとか、そういう経験である。Jovian自身もこの映画ほどのクレイジーな経験はしていないが、大学時代には先輩の車に同級生らと乗り込めるだけ乗り込んで、吉祥寺の「ホープ軒」でアホほどラーメンを喰ったその足で、環七沿いの「なんでんかんでん」でやはりしこたま豚骨ラーメンを喰い、そのまま何故か港の見える丘公園に乗り込んで大騒ぎし、返す刀で井の頭公園に戻って、やはり乱痴気騒ぎに興じたことがあった。良い思い出であると同時に、今思い起こしてみても、何故あれほど全力で騒いで遊んで楽しめたのか分からない。

本作はチワワがなぜ殺さなければならなかったのかについては明確な答えは出さない。その筋の仕業だろうとは推測されるが、もはやそれは重要でも何でもない。本作には大人と言えるキャラクターが数えるほどしか出てこない。その一人、浅野忠信は圧倒的な迫力と存在感でカメラ小僧を威圧する。このカメラ小僧はある意味で子どもの代表であり象徴でもある。チワワに恋焦がれるも、カメラのファインダー越しにしかチワワを見ることができず、チワワと個人的な関係を築きたいという欲望が隠しきれないにもかかわらず、自分の撮る映画に出演して欲しいという願いを伝えることでしか、コミュニケーションが取れない。映画に出て欲しいというのは、自分にとっての理想的なキャラクターになって欲しいという意味だろう。浅野忠信はチワワという「現存在」が未来に「投企」されていないという事実を冷徹にも暴きだした。一方でカメラ小僧は美しく天真爛漫で無邪気に快楽を享受するチワワを記録しようとして、ヨシダにそれをぶち壊される。この成田凌演じるヨシダは大人と子どものちょうど境目である。B’zの“Pleasure’91 〜人生の快楽〜”の「あいつ」のような男なのだ、と言えばピンと来るB’zファンあるいは邦楽ファンも多いだろう。青春群像劇としては異色の野心作に仕上がっている。吉田志織という原石がこれからどういう光を放つようになるのかは未知数だが、期待の若手勢ぞろい作品という点では『 十二人の死にたい子どもたち 』よりも本作の方が面白い。

 

ネガティブ・サイド

舞台を現代に設定し直す必要はあったのだろうか。確かにSNSが効果的なガジェットして使用はされていたが、チワワという存在の皮相性と深層性を際立たせるものではなかった。舞台を原作のまま1990年代にして、『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』の如く、若さゆえの暴走、若さゆえに無分別、それゆえの刹那的な輝きを記憶に留めるような物語の方がより印象的になったのではと思う。SNSが発達した時代というのは、携帯のカメラやデジカメなども相当に進化している世界なわけで、チワワの画像や映像、音声やテキスト情報などが膨大な量で残っていても全く違和感がない、というかチワワに関するそうした記録。情報の類があまりにも少なすぎて、「本当に現代なのか?」という違和感が最後までどうしても拭えなかった。

 

これは完全に自分が監督になったつもりでのぼやきだが、劇中でチワワが歌って踊る“Television Romance”を何故エンドクレジットシーンに採用しなかったのだろうか。チワワとその周辺の人間関係はほとんど全部この歌で描写されてしまっているではないか。チワワの物語の余韻に浸るべき瞬間にこそ、このテーマソングがより強く輝けるのではないのか。そこのところを非常に惜しいと思う。

 

総評

「くだらなかったあの頃に 戻りたい 戻りたくない」という“Pleasure’91 〜人生の快楽〜”の一節が強烈に脳裏に浮かんでくる。そんな一作である。もちろん、いい年こいたオッサンの抱く感傷と、まさに20歳前後の登場人物たちと同世代の映画ファンの抱く感想は、大いに異なるはずだ。観る者によって呼び起される感覚が異なるというのは、それだけ良い作品なのだ。一面ではなく多面的に見ること、見られること。それを是非、劇場で大画面で体験しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, ミステリ, 吉田志織, 成田凌, 日本, 監督:二宮健, 配給会社:KADOKAWA, 門脇麦Leave a Comment on 『 チワワちゃん 』 -リアルで陳腐な青春群像劇の佳作-

『 PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 』 -未来予想図としては可もなく不可もなく-

Posted on 2019年2月12日2019年12月22日 by cool-jupiter

PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 45点
2019年2月3日 東宝シネマズなんばにて鑑賞
出演:野島健児 佐倉綾音 弓場沙織
監督:塩谷直義

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タイトルが挑発的だ。日本社会における突出したサイコパスとしては、『 友罪 』の元ネタにもなった神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗、そして佐世保女子高生殺害事件の女子高生などが思い浮かぶ。社会はそうした人間を排除してはならない。しかし、慎重に隔離せねばならないと個人的には考えるが、意見を異にする人も多いはずだ。そうした意見を表明するに際して、娯楽作品の形を借りるのは幅広い層にメッセージを届けるにはある程度効果的だと思われる。

 

あらすじ

時は近未来。「システム」の開発と普及により、サイコパシーを数値で割り出すことが可能になった世界。個人は、犯罪だけではなく、自らの潜在的なサイコパス指数によっても拘束を受ける社会。宜野座伸元(野島健児)は青森の潜在犯隔離施設に何かを嗅ぎつけるが、そこには国家的な陰謀が展開されており・・・

 

ポジティブ・サイド

トム・クルーズの『 マイノリティ・リポート 』のようである。ただ、犯罪、特に殺人を防ごうとするマイノリティ・リポート的世界とは異なり、サイコパスそのものを取り締まる本作の世界観はリアリスティックでありながらも異様でもある。社会とは元々は一人もしくは少数ではサバイバル不可能な人間という生物が、生存可能性を最大にするために編み出したものであろう。古代人の骨から、重篤な障がいを持ちながらも、成人するまで生きていた個体も多数いたことが判明している。社会は様々な個性を包括することで強くなる。しかし、本作の描く社会には排除の論理が強く働く。もともと障がいは“障害”だった。Jovianの視力はかなり悪く、眼鏡やコンタクトレンズなしには生活や仕事は難しい。もしも戦国時代に生まれたなら、結構な穀潰しとして扱われたのは間違いない。しかし、視力は矯正できる。また『 ブレス しあわせの呼吸 』や『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』でも描かれているように、我々の社会は確かに障がい者を包括する方向へと変化してきている。十年前に比べると、エレベータ付きの駅、車いす対応のタクシー、その他にも車いす対応の映画館や美術館の数などは格段に増えた。しかし、精神的な障がい(と呼ぶべきかどうかは悩ましい)は目に見えないため、対応も難しい。『 ザ・プレデター 』は駄作中の駄作だったが、自閉症に関する非常に興味深い仮説を提示した。本作は個人の内に犯罪係数なるものを読み取るシビュラシステムというものが存在する。これはこれでありうる装置であると感じた。『 ターミネーター3 』も凡庸なSFアクションだったが、T-800がジョン・コナーに向かって、呼吸や脈拍のデータからその行動は云々と伝えるシーンを思い起こさせた。人間の精神を崇高なものではなく、あくまでフィジカル面から読み取れるものだという非常に乾いた世界観は悪くない。

 

ネガティブ・サイド

プロットにあまりにも捻りがなさすぎる。「サンクチュアリ」というのは現実の日本社会への風刺であろうが、それをやるならば大多数の無辜の民に思える人間たちこそが実は・・・という形でないと、現実批判にはならない。サイコパスの理想郷、桃源郷なるものを作れるとすれば、それは社会の支配者層をサイコパスが占めることだろう。そして、実は現実世界で多大な成功を収める政治家や実業家、芸術家にはかなりの割合でサイコパスが含まれているというのは周知の事実である。ユートピアに見えたものが一皮剥げばディストピアだった、というのは1950年だから続くSFのクリシェである。そうした norm をひっくり返すような強烈なアイデアを期待したかったが、それは無い物ねだりだったのだろうか。

 

また宜野座の義手が強力すぎないか。義手そのものの強度はそういう設定であるとして、彼の体のその他の部分は生身だ。そしてまっとうな物理法則(作用反作用や慣性etc)を考えれば、あのような無茶苦茶なアクションシークエンスは生み出せないし、鑑賞することもできない。シビュラシステムという虚構にリアリティを持たせるためにも、その他の要素も充分にリアリスティックに作るべきであったが、そのあたりのポリシーや哲学が製作者側に欠けていたか。虚淵玄の強烈な、ある意味で凶暴な思想と個性に振り回されてしまったか。

 

もう一つ。本作はMX4Dで鑑賞したが、それによってプラスアルファの面白さが生まれたとはとても思えなかった。次作を鑑賞する時は、通常料金またはポイント鑑賞をしようと思う。

 

総評

『 亜人 』やアニメゴジラなど、アニメーション作品の3部作構成がトレンドなのだろうか。できれば『 BLAME! 』のように、重要エピソードを一作品に程よくまとめてくれると有りがたいのだが。アニメーションに抵抗がなければ、見ても損はしない。しかし、得もしないか。第二部はスルーしようかと思案中である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, サスペンス, 佐倉綾音, 弓場沙織, 日本, 監督:塩谷直義, 配給会社:東宝映像事業部, 野島健児Leave a Comment on 『 PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 』 -未来予想図としては可もなく不可もなく-

『 七つの会議 』 -誰が為に働くのかを鋭く問う意欲作-

Posted on 2019年2月11日2019年12月21日 by cool-jupiter

七つの会議 65点
2019年2月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野村萬斎 香川照之
監督:福澤克雄

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働くことの正義を問うとは大仰な煽り文句だ。しかし、『 空飛ぶタイヤ 』が結構なカタルシスをもたらしてくれる娯楽作品であると同時に、現実を鋭く抉る批評的作品でもあったことから、本作も同工異曲の映画であろうと予想していた。働くことの正義なるものについての論評はしがたい作品であるが、水準以上の面白さは有していた。

 

あらすじ

東京建電の八角民夫(野村萬斎)は、居眠り八角の異名を持つ怠け者。しかし、八角の排除を試みようとした社員は皆、謎の異動に処されてしまう。八角の勤務態度の裏にあるものとは?上司の北川(香川照之)と八角の関係は?そこには東京建電の抱える深い闇が広がっていて・・・

 

ポジティブ・サイド

どのキャラクターも見事に立っている。主人公の八角演じる野村萬斎がまさに狂言回しである。それに輪をかけて北川演じる香川照之がブラック企業の幹部を体現している。それはリアリティを追求する方法ではなく、一部の特徴を誇張・肥大化させることで達成されている。それは正しいドラマの作り方でもある。古代ギリシャの時代から、ドラマツルギーとは人間の一側面を過大に描くことで成り立ってきたとさえ言える。本作に登場するキャラクターは、誰もかれもが典型的なキャラをその役割や職務に応じて演じている。「現実的であるということは陳腐なことである」とは小説家・奥泉光の言だが、いわゆるブラック企業の在り方やダメ社員の処遇については、我々は実はほとんど知らないのではないか。我々の耳目に入る情報は極端なものか、メディアが編集したものか、もしくはひときわ声の大きい個人が知らせてくれるものぐらいだろう。そうした意味で、この映画に出てくるあらゆるキャラクターはリアルさには欠けるものの、典型的と評してよい。キャラクターが立っているというのは、そういうことである。

 

さらに池井戸潤作品の特徴である現実批評の精神は本作にも通底している。特に政府による文書の改竄や統計データの不正が明らかになった昨今、明らかに我々が本作を視聴する目は厳しくなる。厳しいというのは審美眼のことではなく、フィクションと現実を重ね合わせてみようとする姿勢のことである。東芝やオリンパスのような巨大企業の不祥事の構造の全貌が判明せず、チャレンジなる曖昧模糊とした言葉で管理職は平社員にプレッシャーを与え、そして責任のはっきりしない不祥事が発生する。本作はそんな現実世界の出来事を忠実になぞるかのように、次から次へと悪役候補が現れては消え、そしてまた現れてくる。これは面白い。我々はあまりにも「皆が悪いのだ」という論調に慣れ過ぎている。これは『 華氏119  』の当時のB・オバマ米国大統領の言葉でもある。しかし、元凶というものは確かに存在し、そしてそれは追及されねばならないと、本作は宣言している。特に上位の会社が下位の会社の財布の中身まで覗き込み、カネの使い方にまであーだこーだとくちばしを突っ込んでくるところは、某愛知の自動車メーカーと某大阪・寝屋川市自動車部品メーカーの関係を見るかのようだった。不正とは、現場レベルやノンタイトルの従業員が行うようなものではない。それは上からの圧力によるものであることがほとんどだろう。一部のサラリーマンや公務員にとっては、本作は非常に胸のすく展開であるに違いない。

 

ネガティブ・サイド

残念だが細部にリアリティが不足しているように思う。『 真っ赤な星 』にもあった不倫ネタ、「俺、お前とのことを真剣に考えているから」という台詞は陳腐であるからこそリアルなのであるが、これはお仕事ムービーであり、サラリーマン映画なのである。前半の不倫プロットのパートは不要というか、八角の存在感の無さ、そして神出鬼没さ、目敏さ、そして意外なコミュニケーション力を演出したかったのだろうが、この部分がかなり冗長だったように感じた。

 

また東京建電の抱える闇であるが、こんな事実が発覚しなかった方がおかしいとすら感じる。あの業界やあの業界は独自に部品のスペックをチェックしているし、特に福知山線の脱線事故からこちら、列車の製造およびメンテナンスの主眼は安全性に置かれていると聞く。キャラクターは典型的でも良いのだが、ストーリーにはやはりリアリティを求めたい。製造業や営業という職務に従事する人が鑑賞すれば、かなり突っ込みどころの多い作品になっていることは、容易に想像がつく。そこが本作の惜しいところである。

 

総評

単体の映画として見れば『 空飛ぶタイヤ 』に軍配が上がる。しかし、社会全体を風刺する、または国民性を追究する、サラリーマンという生き物を“生態模写”するという意味の面白さでは優るとも劣らないものがある。新元号になってから就業していく、世に出ていく中高生たちが見てみれば、平成という世の働き方に良い意味でも悪い意味でも感じ入ることがあるのではないだろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, 日本, 監督:福澤克雄, 配給会社:東宝, 野村萬斎, 香川照之Leave a Comment on 『 七つの会議 』 -誰が為に働くのかを鋭く問う意欲作-

『 ミスター・ガラス 』 -内向きに爆発したシャマラノヴァース-

Posted on 2019年1月25日2019年12月21日 by cool-jupiter

ミスター・ガラス 55点
2019年1月20日 東宝シネマズ伊丹にて鑑賞
出演:サミュエル・L・ジャクソン ブルース・ウィリス ジェームズ・マカヴォイ アニャ・テイラー=ジョイ
監督:M・ナイト・シャマラン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190125013419j:plain

シネマティック・ユニヴァース=Cinematic Universeが花盛りである。アベンジャーズに代表されるMarvel Cinematic Universeに、ゴジラを中心に展開されていくであろうモンスター世界=Monsterverse、『 ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 』の不発により始まる前に終わってしまったDark Universeなどなど。そこにシャマラン世界、すなわちShyamalan Universe、略してシャマラン・ヴァースもしくはシャマラノヴァースとも呼ばれている。今作は『 アンブレイカブル 』と『 スプリット 』の正統的続編なのである。期待に胸を膨らませずにいられようか。

 

あらすじ

フィラデルフィアには監視者と呼ばれる男がいた。警察が捉えられない悪を裁くのだ。彼の名はデイヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)。触れることで悪を感知する不死身の肉体を持つ男。その頃、ケヴィン・ウェンデル・クラム(ジェームズ・マカヴォイ)は4人の女子高生を誘拐、監禁していた。24の人格を宿す人ならざる人。この二人の出会いを待ち構えていた精神分析医のサラ。彼女の施設には狂人にして天才、極度に脆い身体を持つミスター・ガラスことイライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)も収容されていた。彼女は彼らに、超人など存在しないということを証明しようとして・・・

 

ポジティブ・サイド

ジェームズ・マカヴォイの多重人格者の演技。これだけでチケット代の半分になる。特に9歳児のヘドウィグの演技は前作に引き続き、圧倒的である。少年の心の無邪気さと不安定さを一瞬で表現するところは圧巻。同僚のロンドナーも、「演技力では、ジェームズ・マカヴォイ >>> ベネディクト・カンバーバッチ、トム・ヒドゥルストン、マイケル・ファスベンダー」と認めている。一度演じた役とはいえ、こうも簡単にあれだけの役を再現できるのかと感心させられる。

 

そしてまさかのスペンサー・トリート・クラークの再登場。父親に銃まで向けたあの息子も、今ではすっかり父ダンのサポーター役が板に付いた。というか、子どもの頃と顔が全く変わっていない。ハーレイ・ジョエル・オスメントも面影をかなり残しているが、ジェイソン・トレンブレイも今の顔のまま大人になるのだろうか。

 

閑話休題。ビーストとダンの対決は、日本のキャラクターの対決に例えるとするなら、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 』の志々雄真実と『 魁!!男塾 』の江田島平八を闘わせるようなものだろうか?もしくは、ウルトラマンとゴジラの対決か?何が適切な例えになるのか分からないが、とにかくこの対決はシャマランファン垂涎のマッチアップなのである。一人自警団を実行していくであろうダンには強力なライバルが必要だった。しかし、普通の人間ではとうていダンには歯が立たない。であるならば、普通ではない人間が必要となる。バットマンがジョーカーを呼び寄せたように。またはスーパーマンにとってのレックス・ルーサーのように。それにしても、今作を観てやっと前作『 スプリット 』における駅と花束の意味が分かった。だからこそ本作のタイトルは『 ミスター・ガラス 』なのだ。誰よりも弱い身体を持つが故に、その頭脳は誰よりも冴える。何という男なのだろうか。演じ切ったサミュエル・L・ジャクソンにも脱帽だ。

 

ネガティブ・サイド

これはネタばれだが、特にメジャーなネタばれでもないので書いてしまう。一体全体、催眠ストロボとは何なのだ?いや、原理はどうでもいい。9歳児のヘドウィグならまだしも、デニスやバリーやパトリシアまでもが、「目をつぶる」という余りにも簡単な回避方法を思いつかないのは何故だ?

 

前作であれほどまでにベティ・バックリー演じるカウンセラーに自らの存在する意味、全ての人格は主人格のケヴィンを守るために存在するのだと、ビーストはケヴィンの究極の守護者なのだと確信していたにも関わらず、謎の研究者のほんの少しの言葉で、なぜあれほどまでにパトリシアたちは動揺するのか。同じことを描くにしても、前回のような本格的な、徹底的なカウンセリングシーンが欲しかった。これではフレッチャー博士も浮かばれない。

 

また本来の主人公であるミスター・ガラス、イライジャの天才性と狂人性の描写がもう一つ弱かった。いや、天才性は最後に爆発したが、『 アンブレイカブル 』で階段から落ちながらも、とある事柄を確認したことで浮かべた不気味極まりない笑顔。あれに優る狂気の表情が見られなかったのはマイナスだろう。イライジャの思考はそれが思い込みであれ、信念であれ、確信であれ、誰よりも強い。その想念の強さと大きさを宿したようなアクションまたは表情がどうしても見てみたかったが。

 

最後に個人的なネガティブを一つ。ケイシーを演じたアニャ・テイラー=ジョイの出番が少ない。Jovianは彼女とヘイリー・スタインフェルド推しなのである。

 

総評

色々と腑に落ちないこともあるが、『 アンブレイカブル 』がデイヴィッド・ダンがスーパーヒーローとして覚醒する物語で、『 スプリット 』はスーパーヴィランの誕生物語だった。狂人ミスター・ガラスはスーパーヒーローなのか、それともスーパー・ヴィランなのか。それは観る者が直接その目で確認すべきなのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, サスペンス, サミュエル・L・ジャクソン, ジェームズ・マカヴォイ, ブルース・ウィリス, ミステリ, 監督:M・ナイト・シャマラン, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ミスター・ガラス 』 -内向きに爆発したシャマラノヴァース-

『 パーソナル・ショッパー 』 -霊に取り憑き、取り憑かれた霊媒師-

Posted on 2018年12月25日2019年12月6日 by cool-jupiter

パーソナル・ショッパー 60点
2018年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリステン・スチュワート
監督:オリビエ・アサイヤス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181225235530j:plain

Personal Shopper

近年の映画界は“幽霊”というものを少しシリアスに捉え始めたのだろうか。『 ルームロンダリング 』や『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』などの佳作が見られたが、その静かなブームの火付け役は本作だったのかもしれない。

 

あらすじ

モウリーン(クリステン・スチュワート)は、急死した兄と生前に約束をしていた。どちらか死んだ者が、生きている側にサインを送ると。彼らは霊媒師なのだ。兄からのサインを待ちながら、パーソナル・ショッパーとして有名モデルのファッション関連の買い物を代行する仕事に明け暮れるモウリーンの携帯に、ある時、不可思議なメッセージが届き始める・・・

 

ポジティブ・サイド

これは単なる幽霊の物語でもなければ、ホラー映画でもない。もちろん幽霊は登場するのだが、それはある種のガジェットとしてしか機能しない。兄の突然の死、フラストレーションの募る仕事、希薄な人間関係。こうした一連のストレスと謎のショートメッセージがモウリーンが自らに課した禁忌の扉を少しずつ開放していく。それは華やかな衣装に身を包むことであったり、性欲に身を任せたりであったりと様々だ。霊というのは不思議なもので、自分に関係のある者(例えばご先祖様など)の霊については我々はその実在を信じやすい。一方で、自分と関係の無い人間の霊の存在は、客観的にはともかく、主観的に信じようとする人はまず存在しない。つまり、モウリーンが劇中で見せる不可解ともいえる行動の数々は、彼女が彼女でない何者かになっていることを強く示唆する。そうでなければ、誰が兄の霊が見ているかもしれないと感じている中で自慰に耽るだろうか。『 ルームロンダリング 』は自分とは無関係な人間の霊を成仏させていきながらも、その行為の原点は肉親であった。『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』は、妻への思慕の念から不思議な時間の円環を巡る幽霊の物語であった。誤解を恐れず言い切ってしまえば、霊とは自分の半身( significant other )なのだ。普通は逆である。霊とは、この世に未練を残したまま死んだ者の残滓、と理解されている。しかし、本作はさらに一歩踏み込んで、自分を形作る非常に重要な部分でありながら、決して自分自身ではない者、それが霊という存在に仮託されているのではないかと提唱する。生きた人間には悩みは尽きないが、霊にもジレンマやコミュニケーション不全というものがあるのだ。

 

ネガティブ・サイド

非常に難解な構成である。もちろん、物語のこの部分はあれの比喩だな、とか、このXとあのYは見事な相似形になっているな、ということであれば割と分かり易い。しかし、これほどヒントの少ない映画というのも珍しいのではないか。なにしろ、ラストシーンまで到達しても、「ああ、あのシーンが伏線だったのか」と思えることが皆無なのだから。もちろん、受け取り手側の無知および無力もあろうが、カンヌ映画祭で絶賛とブーイングの両方を浴びたというのもむべなるかなである。

 

自分ではない誰かになろうとする。それは普遍的なテーマであるが、霊の力を借りて、あるいは例の存在にかこつけて描くべきテーマだったのだろうかとの疑問は残る。これほど訳が分からず色々と考えさせられたのは久しぶりでもある。『 2001年宇宙の旅 』とまで言わないが、『 ノクターナル・アニマルズ 』に並ぶ、混乱系の映画である。それも心地よい混乱ではない。眩暈、吐き気がするような混乱で、この感覚を心地よいと思う向きと不快に思う向きの両方が存在するはずだ。Jovianは残念ながら前者である。

 

総評

映画は基本的には、映像、監督、演技の三要素で採点すべきだ。本作はその三要素ではすべて平均以上のものを持っているが、必ずしも万人向けではない。カンヌですら意見が絶賛と酷評に分かれたと言うのだから、カジュアルな映画ファンの胃袋には少々重いかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, クリステン・スチュワート, サスペンス, フランス, ホラー, ミステリ, 監督:オリビエ・アサイヤス, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 パーソナル・ショッパー 』 -霊に取り憑き、取り憑かれた霊媒師-

『 リピーテッド 』 -フランスの映画・小説の技法を盛り込んだ作品-

Posted on 2018年12月4日2019年11月23日 by cool-jupiter

リピーテッド 50点
2018年11月28日 レンタルDVD鑑賞
出演:ニコール・キッドマン コリン・ファース マーク・ストロング
監督:ローワン・ジョフィ

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181204033832j:plain

少ない登場人物でサスペンスを生み出すのがフランス流だが、本作はイギリス・フランス・スウェーデンの合作とのこと。納得の仕上がりである。カトリーヌ・アルレーが現代によみがえったら、きっとこんな小説を書くのだろう。

あらすじ

クリスティーン(ニコール・キッドマン)が目を覚ますと、ベッドには見知らぬ男が。彼(コリン・ファース)はベンと名乗り、自分は夫であると言う。クリスティーンは事故により、一日しか記憶を保持できないのだ。一方、ナッシュ医師(マーク・ストロング)からの電話でビデオカメラの録画を観るように促された彼女は、過去の自分からの語りかけに次第に混乱させられていく。信じるべきはベンなのか、それともナッシュなのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずキャスティングだけで本作は一定の成功を収めている。早い話が、ベンとナッシュ、どちらが怪しいのだ、というのがクリスティーンの疑惑であり、観る者の関心である。英国の誇るコリン・ファースが果たして悪役なのか、それとも強面でありながら、結構良い人ばかりを演じるマーク・ストロングが悪役なのか。物語が始まって、すぐに我々は引き込まれる。

 

物語は二転三転し、ある日はナッシュを疑ったかと思えば、次の日にはベンを疑う。クリスティーンが一日の終わりに撮り溜めていくビデオはどんどんと積み重なっていく。それがある閾値に達しつつある時、クリスティーンの記憶の鍵も外れ始める。この演出は陳腐ながら見事である。記憶喪失ものは往々にして、完璧なタイミングで完璧な記憶を取り戻すからだ。ご都合主義の極みである。本作は安易なご都合主義は取らないし、人間の記憶の確かさと曖昧さの両方を、非常に説得力ある方法で描き出す。その点で凡百の記憶喪失ものとは一線を画している。

 

ネガティブ・サイド

いくつか不可解というか、設定が生かされない点もあった。クリスティーンは毎朝20代に戻るわけだが、そのことを強く示唆するようなシーンが必要だった。それが無いために、終盤で真実の一端が明かされるシーンの迫力が減じてしまっていた。また、二人の男性以外に出てくる重要人物のもたらす情報が、クリスティーンの記憶を刺激しないというのは、やや腑に落ちなかった。

 

記憶喪失とタイムトラベルもしくはタイム・パラドクスは、序盤の面白さを生み出すことにおいては数あるジャンルの中でもトップクラスであろう。それは間違いない。問題は着地なのだ。サスペンスフルな展開でせっかくここまで引っ張ったのだから、最後までそのトーンを維持して欲しかった。ファイトシーンなどは無用であった。

 

総評

名作かと言われれば否だが、駄作と言うほどでもない。雨の日のレンタルにちょうど良いだろうか。ニコール・キッドマン、コリン・ファース、マーク・ストロングのファンなら、押さえておいて損は無いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イギリス, コリン・ファース, サスペンス, スウェーデン, スリラー, ニコール・キッドマン, フランス, マーク・ストロング, ミステリ, 監督:ローワン・ジョフィ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 リピーテッド 』 -フランスの映画・小説の技法を盛り込んだ作品-

『 人魚の眠る家 』 -お涙ちょうだいで終わらせてはならないテーマ-

Posted on 2018年11月26日2019年11月23日 by cool-jupiter

人魚の眠る家 65点
2018年11月24日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:篠原涼子 西島秀俊 坂口健太郎 稲垣来泉 斎藤汰鷹
監督:堤幸彦

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181129001450j:plain

人魚と聞けば、たいていの人は八百比丘尼を思い浮かべるのではないか。その肉を食らえば、不老長寿が手に入るとされる伝説的な存在で、それゆえに本作のタイトルが示唆するものも生と死の境目をぼやけさせる不思議な力場となった家、そして家族の物語であるとぼんやりと理解していたが、予告編が次々と公開されていくのを観て、その認識を改め、なおかつ日本の映画制作および配給会社の宣伝の下手さに慨嘆させられるのであった。本作の予告編の最新版は、それさえ見れば本編の6割を予想できてしまうではないか。業界人たちにはもっと勉強をしてもらいたい。

 

あらすじ

薫子(篠原涼子)とその夫の和昌(西島秀俊)に、長女の瑞穂(稲垣来泉)がプールで溺れたとの連絡が入る。病院での治療の甲斐あって心臓は動いたが、脳には深刻なダメージがあり、瑞穂の意識は戻らない。脳死判定を受け、娘の臓器を移植のために供す決意を固めた両親の手はしかし、瑞穂の手が確かに動いたのを感じ取った。薫子は瑞穂は死んでいないと確信。在宅介護を決心する。和昌の部下の星野(坂口健太郎)の研究成果により、瑞穂の体を人工的に動かせるようになるも、そのことが薫子の愛と狂気を暴走させて・・・

 

ポジティブ・サイド

篠原涼子と吉田洋は属性が重複している。40代にして、その衰えぬ容色。自立した女性としての役柄が多いが、母親役もこなせる。慈愛に満ちた母親ではなく、狂気にも似た愛情を内包する母親を演じられるところが特にそうだ。優劣をつけられるものではないが、元々が役者ではなく歌手であることを考えれば、篠原も表現力という点ではど素人ではないのである。

 

本作の呈示するテーマは深い。単に脳死の意味や臓器移植の是非を扱うからではない。人間が人間を、生きているのか死んでいるのか判断する基準のゆらぎを描くからこそ深くなっている。たとえば冒頭で意識不明の状態に陥ってしまった瑞穂を見た時、和昌は「大きくなったなあ」という感想を漏らす。別居しているのだから、ある意味当然の感想である。一方で薫子にとっては瑞穂は現実にも心の中にもありありと存在する個人である。そのことは、全編を通して瑞穂の顔のどアップの回想シーンが薫子によってこれでもかと思い起こされることからも明らかである。つまり、和昌にとっては瑞穂は非常に肉体的・物理的な存在である一方で、薫子にとっての瑞穂は「瑞穂」という意識の容れ物なのだ。それゆえに、意識のない瑞穂の体を人工的に作れられた電気信号によって動かすことには抵抗を示さなかった和昌は、作られた笑顔には嫌悪感を催した。そこに意識の存在を読み取ってしまったからだ。しかし、薫子にとっては、プレゼントをもらえた瑞穂はきっとほほ笑むに違いないとの確信(=意識)から、瑞穂を笑顔にさせることに何の抵抗も抱かない。

 

これは墓参に譬えることもできるかもしれない。お墓参りでご先祖様に語りかけることはあるだろう。声に出してもいいし、心の中で語りかけるのでもよい。ただし、それは自分と相手(=死者)に特別な関係がある時だけに限られる。ここで言う特別な関係とは、相手の存在を自分の意識において再生できるような関係ということだ。と、ここまで書いてきて気がついた。原作者の東野圭吾は前野隆司の『 脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 』を下敷きにした、というのは言い過ぎかもしれないが、参考ぐらいにはしているのだろう。ものすごく端折って説明してしまえば、前野の説は「意識とは、意識が意識を意識した時に現れてくる意識である」ということだ。何を言っているのか分からないという人は、本書を買ってよむべし。何を言っているのか分かったという人は、J・P・サルトルの『存在と無』を読もう。

 

Back on topic. もしも公共の墓地などで赤の他人に「これ、うちの祖父ちゃんです。よければ挨拶してあげてやってください」などとお墓を指して他人に話しかける人がいれば、ちょっと怖いだろう。なぜなら、その人は自分の心の中に存在しないからだ。死が不気味であるかどうかは、理性と感情の境目で決まるようだ。和昌は瑞穂の脳に生死の境目を見出し、薫子は瑞穂の心に生死の境目を見出そうとする。肉体は脳の容れ物なのか心の容れ物なのか。それは個と個の繋がり、その在り様で決まるとしか言いようがない。しかし、本作品が描き出す世界では、薫子は非常に孤独である。その薫子の姿を自分と重ねられるか否か、そこで本作の評価が定まると言ってもよい。その意味では篠原涼子は実に大きな仕事を果たした。お見それしました。

 

後は、子役たちが誰もかれもが素晴らしい。子役の演技というのは、天性の素質もあるのだろうが、指導者の影響力も大きいということは、音楽や芸術、スポーツなどの他分野を観察に基づくまでもなく、言えることだろう。本作は撮影の現場に演技指導者が常駐していたという。『 万引き家族 』の上映後舞台あいさつで是枝監督は「子役にはその場で台本を読ませて演技してもらった」旨を語ってくれたが、今後は子どものインスピレーションを大事にする派と、徹底的に指導を叩き込むスタイルのどちらが主流になっていくのだろうか。そんなことも考えさせられた。

 

ネガティブ・サイド

西島秀俊の演技力の低さは何とかならないのだろうか。この人は基本的に一本調子の棒読みで、唯一上手く話せるじゃないかと感じさせてくれた出演作は珍品『 ゲノムハザード ある天才科学者の5日間 』での韓国語ぐらい。

 

坂口健太郎も『 ヒロイン失格 』と『 俺物語!! 』を観た時には、「とんでもない大根が出てきたな」と慨嘆させられたが、珍品『 ナラタージュ 』で評価をかなり上げた。しかし、そこから成長していない。声のボリュームの大小だけで感情を表現しきろうとするのには無理がある。型どおり以上の表情も研究した方が良い。

 

最後に物語の主たる舞台となる「人魚の眠る家」の庭にあふれるスタジオ内のセット感は、もう少し何とかならなかったのだろうか。不自然なまでの人工の光、とってつけたような鳥のさえずり、全く荒れていないのは適切な世話をしたからと言えるかもしれないが、全てが一様にそろった芝目など、作り物感が満載だった。創作物のリアリティは細部にこそ宿るのだから、こうした点にこそもっと注力をしてほしかった。

 

総評

この子役たちをあらぬ方向に連れて行ってしまわぬよう、親、保護者、ハンドラー達、さらにその周囲の人間たちは決して軽々に動かぬようにしてもらいたい。そして東野圭吾という名前だけで作品を忌避する傾向にあった自分自身にも喝を唱えたい。大人の鑑賞に堪える作品に仕上がっている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, 坂口健太郎, 日本, 監督:堤幸彦, 篠原涼子, 西島秀俊, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 人魚の眠る家 』 -お涙ちょうだいで終わらせてはならないテーマ-

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