Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: ケルビン・ハリソン・Jr.

『 ライオン・キング:ムファサ 』 -凡庸な前日譚-

Posted on 2024年12月30日 by cool-jupiter

ライオン・キング:ムファサ 50点
2024年12月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アーロン・ピエール ケルビン・ハリソン・Jr
監督:バリー・ジェンキンス

 

『 ライオンキング(2019) 』前日譚ということでチケット購入。

あらすじ

シンバは息子キアラの世話を旧知のラフィキ、ティロン、プンバァに託す。ラフィキはそこで、偉大な王ムファサの物語をキアラに語り掛けて・・・

ポジティブ・サイド

CGの美しさは言わずもがな。風景に至っては、最早一部は実写と見分けがつかない。水のシーンは『 ゴジラ-1.0 』の海のクオリティにも決して劣らない。

 

前日譚ではあるが、前作のキャラも大量に登場。やはりプンバァとティロンが出るだけで『 ライオンキング 』の世界という感じがする。ザズーとムファサの出会いが描かれていたのも個人的にはポイントが高い。

 

ライオンの習性というか、オスの旅立ちとはぐれライオンによるプライドの乗っ取り、まったく赤の他人のオス同士が広大なサバンナでたまたま出会い、パートナーになっていくなど、近年の調査で明らかになりつつあるライオンの実像を盛り込んだストーリー構成も悪くない。

 

随所に「おお、これがあれにつながるのか」というシーンが盛り込まれていて、前作ファンへのサービスも忘れていない。

 

命の輪のつながりを実感させるエンディングは予想通りではあるものの、非常にきれいにまとまった大団円だった。

ネガティブ・サイド

楽曲がどれも弱かった。”He lives in you.” や “Can you feel the love tonight?” は再利用不可能だとしても、せめて “Circle of Life” は聞きたかった。命の輪について劇中で何度も触れるのだから、なおさらそう感じた。

 

若き日のスカーであるタカが色々な意味で可哀そう。Like father, like son.という言葉があるが、父親のオバシのある意味で過保護と歪な愛情がタカを作ったわけで、タカそのものは悪戯好きな、よくいる子どもに過ぎない。また母のエシェもムファサに向ける愛情のいくらかを実子のタカに向けられなかったのか。子どもにとって親から信頼されることと親から愛されることは似て非なるもので、前者よりも後者の方が必要なはず。

 

ムファサもタカに命を救ってもらい、プライドにも(中途半端ながら)加入させてもらったことに一度もありがとうと言っていないところも気になった。タカの傷にしても、なにか辻褄合わせのように見えた。Let’s get in trouble もっと幼少期のムファサとの遊びの中で、ムファサの不注意で、あるいはムファサをかばったことで負った傷という設定にはできなかったか。

 

総評

鑑賞後のJovian妻の第一声は「タカが可哀そう」だった。Jovianもこれに同意する。詳しくは鑑賞してもらうしかないが、このストーリーは賛否の両方を呼ぶと思われる。ただし誰にとっても楽しい場面はあるし、楽曲のレベルも低いわけではない。家族で見に行くにはちょうどいい塩梅の物語とも言える。チケット代を損したという気分にはならないはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

steal one’s thunder

直訳すれば雷を盗むだが、実際は「お株を奪う」、「出し抜く」の意。

You’re closing deals with companies A, B, and even C? You’re stealing my thunder!
A社、B社、さらにC社とも契約を結べそうだって?俺の出番を奪わないでくれよ!

のように使う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ 』
『 #彼女が死んだ 』
『 アット・ザ・ベンチ 』

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村    

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アーロン・ピエール, アメリカ, ケルビン・ハリソン・Jr., ミュージカル, 監督:バリー・ジェンキンス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ライオン・キング:ムファサ 』 -凡庸な前日譚-

『 シラノ 』 -ややパンチの弱いミュージカル-

Posted on 2022年3月8日 by cool-jupiter

シラノ 65点
2022年3月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ピーター・ディンクレイジ ヘイリー・ベネット ケルビン・ハリソン・Jr.
監督:ジョー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220308225446j:plain

『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のシラノが、現代風に換骨奪胎されたミュージカル。期待に胸膨らませて劇場へ赴いたが、Don’t get your hopes up. 

 

あらすじ

騎士のシラノ(ピーター・ディンクレイジ)は、自身の体躯や容姿に劣等感を抱いており、ロクサーヌ(ヘイリー・ベネット)に想いを打ち明けられずにいた。ある時、ロクサーヌは新兵のクリスチャン(ケルビン・ハリソン・Jr.)に一目惚れし、隊長であるシラノに二人の恋を取り持ってほしいと依頼する・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220308225504j:plain

ポジティブ・サイド

ピーター・ディンクレイジ演じるシラノには賛否両論あるだろうが、彼の意外な(と言って失礼か)歌唱力の高さには驚かされた。渋い良い声をしているのは知っていたが、歌声もなかなかのもの。また殺陣もいける。舞台の上でのチャンバラは割と普通だったが、夜の階段で複数の刺客に襲われるシーンはワンカットに見えるように編集されたものだろうが、かなりの迫力だった。目の演技も素晴らしく、パン屋の個室でロクサーヌに恋の相談を持ちかけられるシーンの目の輝き、そしてその目から一瞬にして輝きが消えて虚ろになってしまうのは凄かった。目でこれほど雄弁に語れるのはジェームズ・マカヴォイぐらいだろうか。

 

ロクサーヌを演じたヘイリー・ベネットも feminist theory に則って現代的な女性に生まれ変わった。この変化は肯定的なものと受け止めることができた。理由は二つ。一つには、貴族あるいは素封家との愛のない結婚は悲惨だと高らかに宣言したこと。経済格差が広がり、ブルジョワジーとプロレタリアートに二分されつつある現代社会を間接的に批判している。もう一つには、イケメンだから好きという単純な恋愛観を超えているところ。もちろんクリスチャンはイケメンなのだが、器量良しというだけで惚れ続けてくれるほど甘い女ではないところがポイントが高い。

 

別にフランスだから云々ではなく、それこそ一昔前までは恋愛とは言葉だったのだ。それこそ日本でも平安貴族は顔云々ではなく和歌の巧拙で相手にキュンとなったり、ゲンナリしたりしていたのだ。顔など見ない。噂で美しいと聞いて、御簾の向こうのまだ見ぬ女性(ここでは「にょしょう」と読むべし)に恋文を送っていたのだ。それが日本古来の伝統だったのだ。イギリスでもイタリアでも同じである。不朽の名作『 ロミオとジュリエット 』で感じるのは、圧倒的な修辞の技法である。ロミオは確かにイケメンであったが、顔はきっかけに過ぎず、気品と教養ある言葉の力でジュリエットを攻略したのである。とにかく言葉を尽くすというローコンテクスト言語の特徴がよく出ており、そのことが不細工ながらも詩文の才に恵まれたシラノというキャラクターにリアリティを与えている。

 

ハイライトの一つはバルコニーのジュリエット・・・ではなくロクサーヌと、クリスチャンを手助けするはずのシラノが、いつの間にか自分の言葉でロクサーヌと語り合う場面だろう。この「愛しているが故に姿を見せられない」というジレンマは、男性の90%を占める非イケメンの共感を呼ぶ。だいたい顔面や容姿にコンプレックスのある人間は、恋をすると臆病になる。そしてその臆病さを思いやりにすり替える。「こんなしょうもない男があの子と付き合っても、向こうがかわいそうだ」という認知的不協和を起こす。シラノも同じで、ロクサーヌを愛し、かつ自分のことを愛しきれないが故に、ロクサーヌの幸せのためにクリスチャンの恋路に手を貸してやる。しかし、自分の恋心は隠せない。このシーンで胸が打たれないというなら禽獣だろう(というのはさすがに言いすぎか)。

 

最後のシラノとロクサーヌの語らいの穏やかさと、そこに潜む想いの強さのコントラストが胸を打つ。シラノの健気さ、愚直さ、一途さ、朴訥さに気付いたロクサーヌの涙が、悲恋の悲しさに拍車をかける。散ってこそ桜というが、たまには成就しない恋の物語を味わうのも良いではないか。現実の恋も、上手く行かないことの方が圧倒的に多いのだから。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220308225519j:plain

ネガティブ・サイド

古典作品のリメイクなのだが、シラノのコンプレックスの原因を鼻ではなく、身長にしてしまうのは賛否両論だろう。Jovianはやや否よりである。手塚治虫のキャラクター、猿田から芥川龍之介の禅智内供、映画で言えば『 エレファント・マン 』や『 グーニーズ 』のスロースや『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』のあの男まで、顔が醜いキャラというのはたいてい良い奴である(中には『 オペラ座の怪人 』のような例外もいるが )。ストレートにキモメン俳優をキャスティングしても良かったのではないか。某プロゲーマーが「170cm以下の男性に人権はない」と発言して炎上したことで身長というファクターが思いがけず注目を集めているが、やはり顔の美醜の問題こそがシラノとクリスチャンの最も際立つコントラストであるべきだと思う。

 

楽曲とダンスに決定的な力が不足しているように思う。例えばアンドリュー・ロイド=ウェバーの『 オペラ座の怪人 』のような圧倒的な楽曲の力や、『 ウェスト・サイド物語 』のダンス・パーティーのシーンのような圧巻のパフォーマンスはなかった。これはちょっと、直前に観た作品に引きずられすぎた意見か。

 

物語全体のペーシングに難ありでもあった。微笑ましい舞台のシーンから、シラノに迫る危機とクリスチャンの登場までの序盤、シラノがクリスチャンを陰日向なく甲斐甲斐しく世話を焼いてやる中盤までは良かったが、シラノたちが戦地に赴くことになってからの終盤が異様に長く感じられた。ド・ギーシュ伯爵が戦場でもあれこれ動いたり、あるいはシラノがこそこそと、しかし悲愴な表情で筆まめにしている描写などがあれば、戦地のシーンも少しは締まったはずだと思う。

 

総評

ミュージカル好きにはややパンチが弱いが、超有名戯曲の実写映画化という面では標準以上のクオリティに仕上がっている。シラノ・ド・ベルジュラックなんか知らないよ、という人はこれを機に鑑賞してみるのも一興かと思う。現代日本版にもアレンジできそうに思う題材である。恋する女子をめぐって、イケメンだが口下手という男と、キモメンだがSNSやブログでは雄弁能弁という男がタッグを組んで・・・というロマコメがパッと構想できるが、どうだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

volunteer 

日本語でもボランティアという言葉は定着しているが、本作では志願兵あるいは義勇兵という意味で使われていた。時あたかも三十年戦争の時代。この戦争の講和のために結ばれたウェストファリア条約によって、ヨーロッパ諸国の輪郭が定まり、個人の自由という概念が生まれた。そして今、ロシアがウクライナに侵攻、世界中から義勇兵 = ボランティアがウクライナに駆けつけている。歴史に学べないのも人か。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, イギリス, ケルビン・ハリソン・Jr., ピーター・ディンクレイジ, ヘイリー・ベネット, ミュージカル, ラブロマンス, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 シラノ 』 -ややパンチの弱いミュージカル-

『 ルース・エドガー 』 -多面的な上質サスペンス-

Posted on 2020年6月10日2022年3月7日 by cool-jupiter

ルース・エドガー 70点
2020年6月7日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ケルビン・ハリソン・Jr ナオミ・ワッツ オクタビア・スペンサー
監督:ジュリアス・オナー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200610213235j:plain
 

“Black Lives Matter”の抗議運動は止まりそうもない。もちろん、良い意味で止まってほしいと切に願う。『 ハリエット 』で描かれた「地下鉄道」が黒人と白人の両方によって運営されていたように、差別する側が廃止する運動を起こさないことには、問題は解決しない。そしてかの国の白人大統領は市民に銃口を向けることを厭わぬ姿勢を鮮明に打ち出している。そんな中、アメリカからまたも秀作が送り出されてきた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200610213303j:plain
 

あらすじ

ルース(ケルビン・ハリソン・Jr)は裕福な白人家庭に養子として育った優等生。だが、高校教師のハリエット・ウィルソン(オクタビア・スペンサー)はルースの書いたあるレポートをきっかけに彼の心の闇を嗅ぎつけて・・・

 

ポジティブ・サイド

物語の振り子があっちこっちにすごい勢いで振れていく。白人vs黒人というような紋切り型の対立軸はここにはない。あるのはできる黒人と落ちこぼれの黒人の対立軸、白人とアジア系の対立軸、血のつながった家族と養子縁組をした家族、とにかくそこかしこに火種・・・と言っては大げさだが、人間関係を緊張させる要素が潜んでいる。そうした人間関係の中心に位置するのがルースであり、彼の言動は学校や家庭といった水面に良い意味でも悪い意味でも常に波紋を呼ぶ。この見せ方は上手い。巧みである。日本の少女漫画を映画化した作品でも、完璧超人な男子キャラが学校の外ではトラブルや心の闇を抱えていることが多い。だが本作のルースは、その闇の深さや濃さを容易に周囲の家族や教師に悟らせない。いや、映画を観る者すらもある意味では彼に翻弄される。いったいルースは善量なのか、それとも悪辣なのか。彼が善だとすれば、様々な対立軸の総てにおいて善なのか。そうした観る側の疑問がそのまま劇中でサスペンスを盛り上げる。

 

見た瞬間に分かることだが、主人公ルースは黒人、両親は白人。ああ、養子なのか、ということがすぐに察せられるが、interracial marriageやinterracial relationshipsという言葉が存在するように、人種と人種の間には越えがたい壁、埋めがたい溝がある。そして戦争・紛争の絶えない地域で幼少期を過ごしたルースが、アメリカという“一見すると平和な国”に順応するのはたやすくなかったであろうことも容易に想像がつく。Jovianは両親に「子育てに見返りなんかないで。親からしたら、子どもが一人で歩いたり、言葉をしゃべったりしただけで満足や」と言われたことがある。このあたりが血のつながりと養子の差、違いなのかと少しだけ思う。無償の愛を注ぐ母エイミーと父ピーターが、実子ではないルースに対して疑念を生じさせていく過程には、胸が締め付けられるような悲しみと、怒りの感情が呼び起こされるような身勝手さの両方がある。両親、特に母エイミーの視点からルースの行動を見ると、思い通りにならない我が子への苛立ちの気持ちが、血がつながっていないからこそ増幅される、だからこそエイミーはそれを必死で抑え込もうとする、という二重の苦悩が見えてくる。いやはや、なんとも疲れる映画体験である。

 

だが最も我々を披露させるのはオクタビア・スペンサー演じるハリエットである。彼女自身、黒人として様々な経験を経て教師という職業に身を捧げている。同じ教育に携わる者としてJovianはハリエットの善意が理解できる。黒人にはそもそもチャンスがあまり巡ってこない。だからこそ、そのチャンスを確実につかめそうなルースをさらに引き上げるために、劣等生の黒人生徒を排除した。ハリエットはそれを善意で行っている。Jovianは映画を鑑賞しながら、岡村隆史の「コロナ後の風俗を楽しみにしよう」という旨の発言、そしてその発言の擁護者たちを思い起こしていた。「岡村は女性を貶めたのではなく、一部の人間を励まそうとしていた」という論理である。ちょっと待て。善意に基づいた言動なら、その結果が苦痛をもたらしても正当化されるというのか?これではまるで戦前の大東亜共栄圏建設のスローガンと同じではないか。そしてこのようなエクストリームな論理がある程度幅を利かせているところに、戦後75年にして、日本がいまだに“戦争”を総括できないという貧弱な歴史観しか持たないことを間接的に証明している。

 

Back to track. 教師たるハリエットの誤りは明白である。だがそのハリエットが、自身だけではなく身内に苛まれていることを、とてつもなくショッキングな方法で我々は見せつけられる。ハリエットの教育方法は本当に誤りなのか、ハリエットが一部の生徒に厳しく接することは彼女の罪なのか、と我々は自問せざるを得なくなる。

 

最終盤のルースの行動によって、我々は彼の本当の姿はこうだったのか!と、これまたショッキングな方法で見せつけられる。だが、ラストのラストで彼が取る行動、そして見せる表情には『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』のように自分から逃げようとしているかのようである。だが、彼が逃げようとしている自分とは誰か?善良な優等生ルースなのか、それとも狡知に長けた怪物なのか。その解釈は観る者に委ねられているのだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200610213500j:plain

 

ネガティブ・サイド

D-runnerの正体が明かされない。かなり高い確率でデショーンなのだろうと思われるが、もう少しD-runnerがいったい誰なのかを示唆してくれる描写が欲しかったところ。この文字面だけでは drug-runnerに思えてしまい、かなり剣呑である。そういう効果を狙ってのことだろうが。

 

ステファニー・キムというキャラクターは素晴らしかったし、演じた役者も見事の一語に尽きる。だが、彼女にこそルース並みの演出を求めるべきではなかったか。本作は視点によって、また対立軸のこちらかあちらかで善と悪がころころと入れ替わる。そのことにキャラクターだけではなく観る側も振り回される。だが、ステファニー・キムのようなキャラクターこそ、劇中登場人物は振り回されるが、観ている我々は「ははーん、こいつは本当はこうだな」と思わせる、あるいはその逆で、登場人物たちは一切振り回されないが、観ているこちらはステファニーの本性、立ち位置について考えが千々に乱れてまとめようにもまとめられない、そんな工夫や演出があってしかるべきだったと思う。

 

本作は珍しく校長が無能である。いや、『 ワンダー 君は太陽 』や『 ミーン・ガールズ 』でも分かるように、アメリカの校長というのは有能、または威厳の持ち主でないと務まらない。なぜこの人物がこの学校で校長をやっているのか、そこが腑に落ちなかった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200610213533j:plain
 

総評

秀逸なサスペンスである。現代アメリカ社会の問題がこの一本に凝縮されている。こうした作品を鑑賞することは、現代日本人にとって決して無駄なことではない。日本の小学校では両親の片方が日本人、もう片方がフィリピン人、ブラジル人、イラン人という生徒が増加傾向にある。そのこと自体の是々非々は問わない。しかし確実に言えることは、いずれそうしたinterracialな出自の子たちの中から超優等生が生まれてくる、ということである。日本の学校、そして社会・国家はそうした子をどう受容するのか。本作は一種の教材であり、未来のシミュレーションでもある。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

keep ~ in the loop

常に~を情報共有の輪に入れておく、のような意味である。作中では母エイミーが息子ルースに「私たち、最近keep each other in the loopができてなかったでしょ」と言っていた。日常生活で使っても良いが、どちらかというとビジネスの場で使うことが多いように思う。単にin the loopという形でも使われることが多い。実際にJovianの職場でもイングランド人が“Why am I not in the loop?”と立腹する事案が先日発生した。同僚や家族、友人とはkeep each other in the loopを心がけようではないか。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, オクタビア・スペンサー, ケルビン・ハリソン・Jr., サスペンス, ナオミ・ワッツ, 監督:ジュリアス・オナー, 配給会社:キノフィルムズ, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ルース・エドガー 』 -多面的な上質サスペンス-

最近の投稿

  • 『 ラブ・イン・ザ・ビッグシティ 』 -自分らしさを弱点と思う勿れ-
  • 『 近畿地方のある場所について 』 -やや竜頭蛇尾か-
  • 『 脱走 』 -南へ向かう理由とは-
  • 『 JUNK WORLD 』 -鬼才は死なず-
  • 『 リライト 』 -小説をまあまあ上手く改変-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme