mid90s ミッドナインティーズ 70点
2020年9月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:サニー・スリッチ キャサリン・ウォーターストン ルーカス・ヘッジズ
監督:ジョナ・ヒル
アメリカのテレビドラマ界では80年代が花盛りである。それは80年代に幼少期~思春期を過ごした世代が、テレビ業界でイニシアチブを取れるようになってきたからだと言われている。しかし、そうこうしているうちに90年代にノスタルジーを抱く、次の世代が台頭してきた。監督・脚本・制作のジョナ・ヒルは1983年生まれ。90年代は彼にとって7歳から16歳。これは私小説ならぬ私映画なのだ。
あらすじ
スティーヴィー(サニー・スリッチ)は暴力的な兄イアン(ルーカス・ヘッジズ)とシングル・マザーのダブニー(キャサリン・ウォーターストン)と暮らしていた。ふとしたことからスケボーを通じて、ルーベンやフォース・グレード、ファック・シット、そしてレイと知り合ったことで、スティーヴィーは新しい世界を知るようになり・・・
ポジティブ・サイド
オープニングからナイキのバッシュなど、90年代を彩った様々なガジェットが画面に映し出される。不思議なことに、ただそれだけのことで空気が変わる。それは予告編でもたびたび映し出された“Stay out of my fucking room, Stevie.”という兄の台詞にも触発されるからなのだろう。年の離れた兄の部屋。それは異世界のようなものだ。最も身近な大人の世界とも言える。そして、兄が使わなくなったスケボーに一人のめり込むところから、ストリートのスケボー連中に合流し、変わっていくという、思春期のビルドゥングスロマンである。
主演を務めたサニー・スリッチは、まるでジェイソン・クラークがそのまま子どもになったような雰囲気である。つまり、ヒールともベビーフェイスとも判別がつかない顔とでも言おうか。何色にも染まりうる危うさを秘めた面持ちをしている。そんなスティーヴィーがルーベンと知り合い、その伝でレイやファック・シットらと出会い、“サンバーン”というニックネームを奉られ、ともにストリートに繰り出してスケボーに酒、その他の乱痴気騒ぎに興じる。『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』と正反対のstreet smartな成長過程を見せていく。その何とも言えない、危うさに痛々しさよ。
縁あっていくつかの大学で英語の授業を担当させて頂いているが、それこそ2000年前後生まれの学生たちは、程度の差こそあれ、とても真面目で勉強熱心だし、ボランティアに精を出すし、インターンシップにも意欲的だ。Jovianの幼少~思春期は80年代から90年代にかけてだが、その頃の中学高校生の喫煙率やヤンキー率など、今日の若者からすれば眉を顰めざるを得ないだろう。日本でも米国でも、90年代は明るく荒んでいたのだ。そうした青春の光と影、そこにある緩やかで、しかし確実に存在する家族との紐帯。そう、これはある意味でアメリカ版『 はちどり 』とも見なしうる物語なのだ。親友だと思っていた相手との関係性のねじれ、自分よりも恵まれない人々の存在への気付き、兄からの暴力、家族を亡くした者の魂の慟哭・・・ スティーヴィーもまた、いつか新天地を目指して飛び立つ『 はちどり 』なのだ。だが、彼は確かに90年代半ばという地平にその存在を刻み込んだ。かけがえのない仲間と共に。
ネガティブ・サイド
仲間内でルーベンとスティーヴィーの立ち位置、力関係が逆転する出来事がかなりのご都合主義であるように感じた。プロのボーダーを目指すレイが、ルーベンやスティーヴィーに「飛べ!」と促すだろうか。腑に落ちない。
またファック・シットが酒とパーティーに溺れていく過程の描写が不十分にも思えた。破滅的な性向の男であることは見た瞬間から分かる。問題は、ファック・シットの陰口を叩くのがパーティー・ガールたちだけというところだ。スケボー連中たちからも「あいつはちょっと頭ヤベー奴だぞ」のような忠告がスティーヴィーの耳に入るシーンがあれば良かったと思う。裁判所前でホームレスの男性とレイがひとしきり言葉を交わすシーンはよく練られたものだったが、その裏ではスティーヴィーが仲間の悪口を聞いて激怒する、または動揺するといったミニドラマがあっても良かったはず。
総評
決してハッピーな気分になれる映画ではない。懐古趣味的であるが、それを無条件に良しとするような風潮にはっきりと異議申し立てをしている作品である。だが、90年代を嫌悪しているわけでもない。青春の1ページ、それは時に痛く、時にまばゆい。そんな一瞬を見事に切り取った一作である。30代から40代なら、何かを感じ取れるのではないか。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
You feel me?
「(俺の言っていることが)分かるか?」の意。スラングである。下品ではないが、フォーマルでは決してない。友人や同僚相手に使うにとどめよう。Jovianの友人かつ元同僚もこの表現をしばしば使っていた。彼のYouTubeチャンネルには、外国人には日本文化や日本人がどう映るのかを知るための、なかなか興味深い動画がそろっている。