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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: イギリス

『セブン・シスターズ』 -七姉妹がシェアするアイデンティティが壊れる時-

Posted on 2018年7月28日2020年2月13日 by cool-jupiter

セブン・シスターズ 60点

2018年7月26日 レンタルDVDにて観賞
出演:ノオミ・ラパス グレン・クローズ ウィレム・デフォー
監督:トミー・ウィルコラ

原題は”What happened to Monday?”、「月曜日に何が起こった?」である。時は2073年、人口の爆発的増加により、水や食料、エネルギー資源のシェアが困難となり、戦争や紛争が頻発。それにより国家は衰退したものの、科学技術は進歩。より生産性の高い農作物を創り出すことに成功した。しかし、それは両刃の剣で、それを食べた女性は多胎児を妊娠するようになってしまった。ヨーロッパ連邦は人口管理の重要性を唱え、「一人っ子政策」を厳密に実施していた。二人目以降の子どもはクライオ・スリープにより、資源問題が解決される未来に目覚めることになっていた。そんな中、テレンス・セットマン(ウィレム・デフォー)は疎遠になっていた娘の出産に立ち会っていた。娘は七姉妹を出産、そのまま死亡した。残されたテレンスは秘密裏に孫娘たちを育てる。一人が指の先端を切断する怪我を負ってしまった際には、心を鬼にして残りの六人全員の指先を包丁で切り落としたほどである。そして娘たちが30歳(ノオミ・ラパス)に成長した時、祖父はもはやいなくなっていたものの、それぞれがその世界では一人のカレン・セットマンとして銀行員として働いていた。そして月曜日がある日、帰ってこなかった・・・

古くは『ソイレント・グリーン』、やや古いものでは『マイノリティ・レポート』、近年では『ハンガー・ゲーム』や『インターステラー』に見られるようなディストピアは、ありふれてはいるものの、ユニークな世界観を構築することができていた。食糧不足、生体情報管理社会、独裁者による体制・権力の維持などと書いてしまえば陳腐そのものだが、七姉妹が各曜日ごとに一人の人間を演じきるという点に、本作の独自性がある。一卵性の多胎児なので同一の遺伝子を有しているにもかかわらず、この月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日はそれぞれに実に個性的である。ある者はコンピュータ・ギークであり、ある者は格闘技に精通している。ある者は便器に嘔吐し、ある者はシャワーを浴びながら官能的な台詞を口にする。それぞれが互いに反目することもあるものの、協力しながら日々を過ごしていた。しかし、月曜日が帰ってこなかった日を境に、彼女らは自分たちの身に何かが起きつつあることを知る。そして、月曜日に何が起こったのかを追究していく。

なぜ月曜日は消えたのか。なぜ姉妹の連帯は破られたのか。本作を観賞する前に、ここのところを考え抜けば、ひょっとすると本編を見ずして真相に迫れる人もいるかもしれない。というか、このレビューもこの時点で、すでに重大な情報をバラしてしまっているわけだが、果たして貴方もしくは貴女は気付いただろうか。なにはともあれ本作を観賞してほしい。Jovian自身もシネマート心斎橋で観賞をしたかったが、スケジュールが合わずに劇場で観賞できなかったことに悔いが残る作品だった。『プロメテウス』以上のセクシーシーンから、『アンロック/陰謀のコード』並みのアクションシーンまであり、決して観る者を飽きさせない。あまりの気温の高さに外で遊んでいられないという向きは、レンタルやネット配信でどうぞ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SFアクション, アメリカ, イギリス, ウィレム・デフォー, ノオミ・ラパス, フランス, ベルギー, 監督:トミー・ウィルコラ, 配給会社:コピアポア・フィルムLeave a Comment on 『セブン・シスターズ』 -七姉妹がシェアするアイデンティティが壊れる時-

『月に囚われた男』 -月という二面性の表象-

Posted on 2018年6月15日2020年2月13日 by cool-jupiter

月に囚われた男 65点

2018年3月10日 レンタルDVDにて観賞
出演:サム・ロックウェル ケビン・スペイシー
監督:ダンカン・ジョーンズ

この5年だけでも、人類の月に関する知識やイメージはどんどんと再構成されていっている。月の空洞、月の発光現象、月の誕生にまつわる仮説(ジャイアントインパクト説が書き換えられる日もそう遠くなさそうだ)、極地の氷の存在・・・ 月は最も身近な天体にして、いまだにその正体がよく分かっていない地球の兄弟姉妹、もしくは子どもなのだ。しかし、月に関して確実に分かっていることもいくつかある。大きさや質量、その組成などだ。非常に興味深い事実、または常識として、月は常に地球に同じ麺を向けている。自転と公転の周期が一致しているとも言えるが、とにかく地球から月の裏側が決して見えない。月には隠れた領域がある。つまり、月は二面性の象徴である。これが本作のテーマであろうと思う。

サム・ロックウェル演じる3年契約の派遣労働者サム・ベルは月面基地に住みながら、黙々と資源採掘と地球への輸送業務に従事していた。相棒は人工知能のガーティ(声はケビン・スペイシー)。ところがある日、事故に遭い、気がつくと自分と瓜二つの男が基地内にいる。あいつは俺なのか・・・?

 この謎そのものはそれほど長く引っ張られるわけではない。恩田陸の小説『月の裏側』みたいな精神的・心理的なホラー展開も無いので、そちら方面に耐性の無い方でも楽しむことができる。ただ、何を以ってホラーと呼ぶべきか、その定義は曖昧模糊としていることは認めなければならないが・・・

月というある意味では究極の極限環境に独り。そこに現れた異物が自分だったら?人は人と分かり合えなかったり、傷つけあったり、それでも良好な関係へと改善させていったりということができるが、相手が自分なら?自己と非自己の境目はどこにあるのだろうか。主に西洋哲学が二千年に亘って発し続けてきた問いである。目に見えているもの、感覚が捉えられるものの向こう側の領域、それを《超越》と哲学では呼ぶが、この映画はまさに超越の領域がどんどんと顕わになってくるその過程に真髄がある。見えなかったものが見えてくる。それこそまさに「月」の《表象》だからだ。

そこに人工知能のガーティの存在である。今年で製作50周年記念の『2001年宇宙の旅』を思い浮かべずとも、我々は人工知能が決して協力的な存在ではないことを知っている。しかし、この映画のガーティは、ケビン・スペイシーの非常に抑えた Voice acting の効果もあり、非常にユニークな、もっと言えば親しみを感じる、融通が利くキャラクターとして、卓越した存在感を発揮する。我々が知覚できない人工知能の奥底の領域でどのような演算が働いたのか、ガーティの言動に我々は人間らしさを見出す。月面に存在する機械の人間らしさと、地球でのうのうと暮らしている生身の非人間性。その鮮やかな対比は、二人のサム・ベルの対立と協力よりも、圧倒的に衝撃的に個人的には感じられた。

この映画の欠点というか、創作品全般に言えることだが、もっと受け手を信用してほしい。エンディングのあのナレーションなどは完全に不必要、蛇足だ。哲学的な思考を促す作品だからといって、その観賞者が必ずしも浮世離れしているわけではない。そこだけが少し残念な、SFの佳作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SF, イギリス, ケビン・スペイシー, サム・ロックウェル, 監督:ダンカン・ジョーンズ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『月に囚われた男』 -月という二面性の表象-

スリー・ビルボード ー予想外の展開と胸を打つエンディングー

Posted on 2018年6月14日2020年2月13日 by cool-jupiter

スリー・ビルボード 85点

2018年2月3日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:フランシス・マクドーマンド ウッディ・ハレルソン サム・ロックウェル ルーカス・ヘッジズ
監督:マーティン・マクドナー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180614225012j:plain

妻と一緒にこの映画を劇場で観たのだが、すでに結婚していて良かったと思えた。なぜならこの映画の放つ強力なメッセージの一つは、”人は人を傷つける”だからだ(ちなみに、独身時に観て、「独身で良かった」と思えたのは『ゴーン・ガール』だった)。しかし、本作が観る者の心に強烈に焼き付けてくるものは”人は変われる”、”人は人を赦せる”ということでもある。

原題は“Three Billboards Outside Ebbing, MIssouri”である。ミズーリ州にはエビングという地名は無いようだが、マーティン・マクダナー監督が意図したのは、架空の空間を創り上げることで、そこが現実にはどういう場所なのかをより強く浮かび上がらせることだったのだろう。この系列の事件で最も有名なのはトレイボン・マーティン射殺事件であろう。映画で例を挙げるなら『 フルートベール駅で 』(主演はマイケル・B・ジョーダン)や『 デトロイト 』か。『 私はあなたのニグロではない 』でも、横暴という言葉では描写しきれない暴力警官への恐怖が語られたが、それこそがアメリカ市民の紛れもない本音なのだろう。

エビングの片田舎のミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、娘をレイプされ、殺されてしまった母親である。夫とは離婚済みで、あちらは若い女と付き合っている。警察は捜査はしつつも、犯人逮捕に至る気配は無い。業を煮やしたミルドレッドは大枚をはたいて町はずれに3つの巨大立て看板(ビルボード)を出す。そこには警察のウィロビー署長を詰る言葉が書かれていた。これによって、警察や地元住民とミルドレッドとの間に溝が生まれてしまう。現代でこそ、各種のデジタルデバイスやICT技術の発達で情報へのアクセスは、田舎でも都会でもそれほどの違いなく行えるようになった。しかし、一度でも日本の田舎(それも日本昔話級の)に住んだことがある者であれば、そこは公共性が高く、閉鎖性が低い都市とは全く異なるコスモロジーが支配する土地であることを認識できるだろう。このエビングという町も同じである。全くの偶然だが、この映画を劇場で観た時、すぐ前の座席にアメリカ人夫婦(アクセントから判断)と思しき2人が座って鑑賞していた。物語の序盤から、登場人物たちがとんでもない言葉遣いをすることに苦笑したり、絶句したりしていた。そして第二幕に差し掛かろうかという時に、2人して退席してしまった。もしも英語に堪能な知人、もしくは英語のネイティブスピーカーの友人がいれば、ぜひ一緒にこの映画を観てほしい。恐ろしいほどの汚い言葉が飛び交う。これはアメリカに特有の話でもなく、日本の片田舎でも同じだ。Jovian自身の経験からも言える。田舎における情報の伝播速度、そして容赦の無い言葉遣い、それはすなわち秩序に対する異物排除の論理の強さの表れでもある。もちろん、そこで観る者が予想するのは、対立の解消と融和である。しかし登場人物の行動や心情、物語の展開が、あまりにも現実離れというか、映画製作、物語製作の文法からかけ離れている本作では、先を読んでやろうなどと意気込むことに意味はない。その最も良い(悪いとも言える、それは人による)例はウッディ・ハレルソン演じるウィロビー署長とミルドレッドが公園のぶらんこで二人きりで話すシーンだ。ここで署長は自身がすい臓がんで余命幾ばくもないことをミルドレッドに告げる。普通なら署長に何らかの同情を示すだろう。しかしミルドレッドは「あんたの病気のことは分かっていてビルボードを出した」と言ってのける。いくら娘を亡くしてしまったからといっても、この態度はないだろうと観る者は思うが、ミルドレッドの暴走はこれだけにとどまらない。トレイラーでも見られるが、火炎瓶で警察署を燃やすところまで行ってしまうのだ。

もちろん、ビルボードの出現をきっかけに警察や地元住民とミルドレッドの間に、軋轢が生じる。そこではサム・ロックウェル演じる人種差別主義者が服を着て歩いているかのような無茶苦茶な警察官ディクソンもいる。ある事件をきっかけにそのディクソンがビルボード管理会社の社員ら(白人)にしこたま暴行を加えていく。このシークエンスは『 バードマン 』ばりのワン・ロングショットで映されており、その迫力と結末も相俟って、恐るべき仕上がりになっている。このようにエビングの町で、秩序が混沌としていく中で、ミルドレッドの家族の秘密というか背景も明らかになって来る。Jovianは以前に父にも母にも言われたことがある、「祖父ちゃんや祖母ちゃんには必ずあいさつしとくんやぞ」と。いつ突然会えなくなるか分からないからだ、と今は理解している。ミルドレッドが娘を亡くしてしまう直前に持った会話は、確かに悔やんでも悔やみきれない類のものだ。しかし、だからと言って色々な人の好意を無下にしたり、警察署を燃やすことの理由にはならない。観る者がミルドレッドに共感することができないまま、しかし、物語はこれまた予想外の方向に火事を、ではなく舵を切っていく。これは書き間違いではない。ちなみにこの火事を引き起こすキャラクターの一人は、『 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー 』では鍛治になっていた。

もうここまでの展開で、頭がストーリーを処理していくのにも一苦労するのが、ここからさらに予想外の展開へ進んでいく。それが何であるのかは実際に体感するしかないが、人は人を傷つけはするが、人は人を赦すこともできるのだと強く確信させてくれる。CHAGE & ASKAのYAH YAH YAHを何故か無性に歌いたいという気持ちで映画館を後にすることになった。『 女神の見えざる手 』を上回るような予想外の展開。スローン女史が近年の映画キャラクターで最も輝く女性であるとするなら、本作のミルドレッドは最も深い闇を抱えたキャラでありながら、もっとも包容力のある女性でもある。このような作品との出会いは、人生を豊かにしてくれる。フランシス・マクドーマンドとサム・ロックウェルのオスカー受賞もむべなるかな。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, イギリス, ウッディ・ハレルソン, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, 監督:マーティン・マクドナー, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on スリー・ビルボード ー予想外の展開と胸を打つエンディングー

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