Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: アメリカ

『 ドント・ウォーリー 』 -車椅子エンターテインメントの佳作-

Posted on 2019年5月17日 by cool-jupiter

ドント・ウォーリー 70点
2019年5月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス ジョナ・ヒル ルーニー・マーラ
監督:ガス・ヴァン・サント

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190517003722j:plain

原題は“Don’t Worry, He Won’t Get Far on Foot”である。つまり、「心配無用。あの男は遠くまでは歩けない」ぐらいであろうか。障がい者を扱う作品は近年、特に増えてきている。本作はしかし、アルコール依存など諸々の別テーマも放り込んでくる興味深い作りになっている。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190517003743j:plain

あらすじ

ジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)は常に酒びたりのアルコール依存症。酒屋で酒を買うときにも手の震えが隠せない末期症状だ。そんな自堕落な男がとあるパーティーの帰り道、同乗者の飲酒運転で事故に遭い、胸から下が不随になってしまう。しかし彼は、新たに手に入れた車イスと風刺画の才、そしてアルコール依存脱却を目指すグループの人間関係で、第二の人生を歩んでいく・・・

 

ポジティブ・サイド

ホアキン・フェニックスの熱演よりも、ジョナ・ヒル演じるドニーの度量の大きさ、その器の大きさと小ささ、慈しみとその源泉たる悲しみ、語り口、表情などが圧倒的な迫力で迫ってきた。これは本当にジョナ・ヒルなのか。彼のファンならば決して見逃してはいけない。そう断言できるほどの会心の演技を披露してくれた。

 

主演のホアキン・フェニックスも魅せる。我々は障がい者に何らかの清い属性を投影しがちである。そのことは『 アイ・アム・サム 』や『 フォレスト・ガンプ 』などの作品を観ればよく分かる。一方で実在の障がい者を描いた作品は、彼ら彼女らの苦悩や人間的にごく自然で基本的な欲求を満たせないことから来るストレスなどを真正面から描く。『 ブレス しあわせの呼吸 』や『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』が好例であろう。ジョン・・キャラハンという主人公が自分では酒瓶を開けることができず、満足に動かせない手でボトルを掴み、コルクに齧りつく姿は滑稽以外の何物でもない。しかし、その姿に我々が見出すのは酒に溺れた憐れな男ではなく、生命力にあふれるしぶとい男なのである。食欲、性欲、睡眠欲は三大欲求と言われるが、キャラハンの飲酒欲は、彼が確かに生きていることの証明になっている。

 

そしてセックス方面もしっかり経験するから、スケベ映画ファンはそれなりに期待してよい。『 ドラゴン・タトゥーの女 』のレイプ/被レイプのような滅茶苦茶なベッドシーンではなく、非常にマイルドな描写なのであくまでも期待はほどほどに。それにしても、ルーニー・マーラは不思議な女優だ。ある作品では包容力ある大人の魅力ある女性を演じたかと思えば、別の作品ではパンクで過激な一匹狼を演じたりもする。我々にはもっとこういう女優が必要なのである。

 

そして、疾走するキャラハンの車椅子のスピード感よ。車イスと同じく、物語もテンポよくスイスイと進んでいく。ホアキン・フェニックスの近年の作品では白眉だろう。『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』には及ばないものの、ヒューマンドラマの佳作になっている。

 

ネガティブ・サイド

キャラハンとルーニー・マーラ演じるアンヌの関係の深堀りが見たかった。障がい者のロマンスには、常にサスペンスとスリルとドラマがある。トントン拍子ではないベッドシーンが見たかったと個人的には思う。

 

キャラハンが車イスに適応するまでがかなり短く感じられた。そこはそんなものかと納得できないこともないが、彼の車椅子生活への順応と、周囲の人間のキャラハンへの順応の過程も見たかった。馴染みの店や学校以外の場所でもキャラハンが生き生きとしている描写があれば、彼という人間のリアリティがもっと生み出せたはずである。不世出の天才物理学者スティーブン・ホーキングが車イスで街中を散歩するのが馴染みの光景になっていたように、キャラハンもコミュニティの重要な風景の一部になっていれば、彼の人生の迫真性がもっと増したはずである。

 

総評 

障がいと向き合うというよりも、人生における不運、アクシデントにいかに向き合うのかというストーリーである。アンヌとジョンの関係にもっと迫った作りのストーリー、つまり障がい者のロマンス、またはセックスが見たいという向きはベン・リューイン監督の『 セッションズ 』、松本准平監督の『 パーフェクト・レボリューション 』などもお勧めである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190517003805j:plain

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ジョナ・ヒル, ヒューマンドラマ, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, 監督:ガス・ヴァン・サント, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ドント・ウォーリー 』 -車椅子エンターテインメントの佳作-

『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

Posted on 2019年5月13日 by cool-jupiter

The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 50点
2019年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニコール・キッドマン キルステン・ダンスト エル・ファニング
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190513003135j:plain

The Beguiledとは、魅了された者の意味である。同時に、騙された者という意味にも解釈可能である。無理やり日本語にするなら、「 落とされた者 」にでもなるだろうか。誰が誰に騙されたのか、誰が誰に魅了されたのか。これは何とも心憎いタイトルである。

 

あらすじ

南北戦争中のアメリカは南部のミシシッピの女子寄宿学園に、傷ついた北軍兵士が舞い込んでくる。園長のマーサ(ニコール・キッドマン)や教師のエドウィナ(キルステン・ダンスト)、年長のアリシア(エル・ファニング)らは、兵士マクバニー(コリン・ファレル)を介抱するうちに、精神的な変化を自覚するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

立ち上がりから非常に静かな映画である。音響的な意味でも静かであるし、台詞も特に多いわけではない。またドラマチックな展開になるまでにそれなりの時を要する。しかし、白を基調にしたドレスに身を包んだ婦女が、薄暗い屋敷兼校舎の中を楚々と動く様は色々な想像を掻き立てる。女の園というと、韓国の歴史宮廷ドラマの『 宮廷女官チャングムの誓い 』や『 トンイ 』が思い出されるが、これらのようなドロドロの暗闘や露骨な権力闘争などではなく、逆にこれらのドラマではほとんど触れられることの無かった、邦題で付された“欲望への目覚め”が大いに予感される。ソフィア・コッポラ監督の美意識というか、作家性なのだろう。これは心憎い。そしてこの監督の作家性は非常に露骨な形で終盤に爆発する。亀とキノコが重要なガジェットとして用いられることに笑わずにはいられようか。ここでは男性諸賢に大いに笑って頂きたいと思う。と同時に、冒頭からさりげなく小道具を仕込んでいる脚本にも拍手である。

 

女性陣ではキルステン・ダンストが特に良かった。うら若き乙女には出せない色気を出していた。というか、色気を出さないようにしようとすること自体が色気になっているという、非常に重層的な演技を見せてくれた。妖艶さとはまた違った妖しさがあり、無垢な(しかし悪女の素質にも恵まれた)スパイダーマンのメリー・ジェーン・ワトソンの成長した姿の一つの可能性の結実を見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

原作の男性視点バージョンを未見のため何とも言いかねるが、マクバニー伍長の魅力がもう一つ伝わらなかった。確かにナイスガイではあるが、兵士としての力強さや泥臭さには欠けていた。早い話、同じ男性として、男性ホルモンがたくさん出ているような男には見えなかった。少なくとも中盤までは。女性目線で見ると異なるのだろうが、あいにくと嫁さんは未鑑賞・・・

 

Jovian期待の星の一人、エル・ファニングの見せ場が足りなかった。濡れ場ではない。見せ場である。繰り返すが、濡れ場ではない。見せ場である。濡れ場だけが見せ場ではない。期待した自分が悪いのだ。濡れ場だけが見せ場ではない。スケベ心を抱いて本作を鑑賞しようという向きは、決して過度な期待を抱くべからず。

 

総評

初回鑑賞中に痛恨の寝落ちをしたために、あらためて見直した作品である。盛り上がるところでは恐ろしいぐらいに展開が盛り上がる。だが、そうではないところでは至って静かな、噴火前の火山がゆっくりじっくりとマグマを溜めこむような趣がある。そこを楽しめるかどうか、ソフィア・コッポラ監督の美意識と波長が合うかどうかで評価ががらりと変わる作品だと言えよう。

 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エル・ファニング, キルステン・ダンスト, サスペンス, ニコール・キッドマン, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

ゾンビランド 70点
2019年5月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115650j:plain

夏の風物詩といえば、ゾンビ映画かサメ映画である。おそらく商業ベースで全世界で毎年、数百本、インディものまで含めれば、おそらくは数万本のオーダーで製作されているであろうジャンルである。ということは、文字通りに玉石混交な分野なわけで、リバイバル上映されているということは、面白さはある程度保証されているという意味である。そして、それはその通りであった。

 

あらすじ

世界にはゾンビが跋扈していた。内向的な青年コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は厳格なルールを自らに課すことで生き延びていた。彼は故郷のオハイオを目指す途上で屈強なゾンビハンター、タラハシー(ウッディ・ハレルソン)と出会う。そして、旅を続ける二人はウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロックの姉妹に出会うのだが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115713j:plain

ポジティブ・サイド

2009年製作ということは、今からだと10年前になる。にもかかわらずジェシー・アイゼンバーグもウッディ・ハレルソンもエマ・ストーンもトップシーンにあり続けているというのが良い。豪華なものを観た気分になれる。劇中でアイゼンバーグが、ゾンビ・ワールドを指して「フェイスブックを更新する必要が無くなった」というのには、思わずニヤリ。未見の人で、なおかつFacebookアカウントを持っている人は『 ソーシャル・ネットワーク 』を視聴されたし。

 

ゾンビと相対した時に、人間は人間らしさの欠如に恐怖することは『 イヴの時間 劇場版 』でも述べた。もう一つ、ゾンビの存在によって浮きあがってくるものに、ルールや秩序の存在もしくは非在がある。そのことをコロンバスは見事に体現してくれる。DOUBLE TAPは見事なギャグになっていると共に、秩序の存在しない世界では、秩序を自ら生み出す者が生き残るということのメタファーにもなっている。コロンバスは人間社会ではある種の人間嫌いとして引きこもり体質の童貞オタク青年だったが、ゾンビ世界では有酸素運動と銃の扱いに長じた非常に外交的なファイターに変身した。そんな彼が、エマ・ストーン姉妹に翻弄される様は滑稽でもあり、切実でもある。ゾンビに対してはイケイケの青年が、生身の妙齢の女子に対しては奥手になる。そのギャップに、人間の本質が潜んでいる。

 

ビル・マーレイが本人役で出演するが、この間のスキットはギャグであり、シリアスである。ゾンビ世界にあって、既存の人間社会の価値観がどれほど不安定で危ういものかを大いなる笑いの力で見せてくれる。同時に、タラハシーというキャラクターの底浅さと深みの両方が開陳される。このシークエンスには唸らされた。

 

クライマックスはまさにゾンビランドである。ディズニーランドではなくゾンビランドである。遊園地で遊戯のごとくゾンビをぶち殺しまくる末に、爽快感以上に手に入るものとは何か。それはストリーミングやレンタルビデオでお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

ウッディ・ハレルソンのアクションシーンに少々切れが足りない。巨大剪定ばさみのシーンなどは特にそうだ。ゾンビ映画の文法の一つに、時に華麗に、時に残虐にゾンビを退治するというものがある。序盤ではこのあたりにもっとフォーカスをしてほしかった。

 

中盤にも少々中弛みがある。ネイティブ・アメリカンの土産物店を破壊していくシーンは、既存の人間社会の価値観の破壊とそれへの決別宣言、さらにこの奇妙な男女四人組の絆の形成のためでもあっただろうが、カット可能であるように思う。88分というかなり短めな映画だが、もう3~5分短縮することができたはずだ。

 

総評

ゾンビ映画と敬遠することなかれ。豪華キャストでホラー映画の王道的展開を次々と守って行きながら、同時にぶち壊していった『 キャビン 』のゾンビ映画バージョンである。ゾンビ映画のお約束を呵呵と笑い飛ばす本作は、コアなゾンビ映画ファン、ライトな映画ファンの両方にお勧めすることができる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115817j:plain

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

『 名探偵ピカチュウ 』 -まさかの実写化成功!?-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

名探偵ピカチュウ 70点
2019年5月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジャスティス・スミス ライアン・レイノルズ 渡辺謙 
監督:ロブ・レターマン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507004330j:plain

日本が世界に誇るコンテンツといえば、ドラゴンボール、キャプテン翼、ONE PIECE、ゴジラだろう。それらに次ぐものとしてポケモンが来るだろうか。Jovianは、はっきり言ってポケモンは、大まかなあらすじや世界観ぐらいしか知らない。しかし、皮相な知識しか有していなくても本作を楽しむことはできた。

 

あらすじ

ティム(ジャスティス・スミス)は疎遠になっていた父ハリーが、職務中に死亡したとの報を受け、人間とポケモンが共存するライムシティに向かう。そして父の自宅で、人語を話す名探偵ピカチュウと出会う。だが、ティム以外の人間にはピカチュウの言葉は「ピカピカ」としか聞こえず・・・

 

ポジティブ・サイド

2018年の海外クソ映画オブ・ザ・イヤー次点だった『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』でピーピーキャーキャーと騒がしいだけだったジャスティス・スミスがまともな演技をしている。それだけで評価をしたくなるのだから、クソ映画に出演することも肥やしになるのだろう。

 

しかし何と言っても、ピカチュウの声を務めたライアン・レイノルズを称えたい。同国人のカナダ人からも“Most of his movies are garbage.”と言われてしまう不遇の役者だが、『 デッドプール 』に次ぐ代表作を手に入れたかもしれない。さらに、本作は彼の過去の出演作を意識した作りになっていると思われる。ネタばれを避けるために白字にするが、

 

『 セルフレス 覚醒した記憶 』

『 白い沈黙 』

 

この二つを事前に観ていれば、本作の味わいがさらに増すことだろう。日本では本職ではない俳優が声優をすることについて賛否両論があり、それはアメリカやカナダでも同様だと思われる。『 グリンチ(2018) 』でもB・カンバーバッチがグリンチの声優を務めてそれなりに良い仕事をしたように、今後は海外でもこうした傾向が拡大していくのかもしれない。幸い、Voice Actingという意味ではレイノルズはデッドプールで経験済みであるし、彼の語りの面白さは、その声の微妙な甲高さに同居する絶妙なオッサン臭さである。本作は、吹替えではなく字幕で鑑賞して欲しい。そしてピカチュウの声を堪能して欲しい。

 

CGの美麗さも素晴らしい。ピカチュウというモフモフ系のクリーチャーがこれほど可愛らしく表現されること、そしてそれ以上にその他のポケットモンスターたちが自然や建造物といった背景に違和感なく溶け込んでいるに驚かされる。CGはどれほど精巧でもCGであると分かってしまう。しかし、それを認識する我々は、CGを不自然なものではなく、自然なものとしていつの間にか受け取りつつあるのではないか。『 シン・ゴジラ 』で初めてゴジラというキャラクターが着ぐるみではなくフルCGとして再現された頃から、我々のCG認識に変化が生じてきているのかもしれない。そんなことさえ考えてしまうほど、美麗にしてナチュラルなCGである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507004401j:plain 

ネガティブ・サイド

一応、ヒロインらしきキャラクターが存在するが、プロット上で欠かせない役割を演じるわけではない。このキャラについては、よりしっかりした活躍をする脚本を採用するか、あるいはばっさりと切り捨ててしまうぐらいで良かったように思う。

 

またティムの職業である保険の営業員というバックグラウンドも、ストーリー上で何も有効に作用していない。また、友達作りが下手だというキャラ属性も同様である。ヒロインとの距離の取り方および縮め方にぎこちなさがあり、そこをピカチュウに適宜に突っ込まれるも、特にトラブルも何も生じないからだ。要するにバディムービーのお約束が果たされないのだ。これはちょっと物足りない。

 

最後に、映画そのものではなく邦題について。原題のPokemon Detective Pikachuのdetectiveを名探偵と訳しているが、ストーリー展開から考えるに、これは刑事の方だろう。刑事のバディなら、普通は刑事だろう。邦題をつけた担当者には、もう少ししっかりとストーリーを見てもらいたいと思う。

 

総評

熱心なポケモンファンではない人間からすれば、この映画は面白い。改善点は残すものの、長所の方が目立つ作りになっている。『 プーと大人になった僕 』、『 アリータ バトル・エンジェル 』でもそうだったが、CGと実写がもはや違和感なく共存する時代になってきた。本作がヒットすれば、さらに多くの類似のコンテンツが大スクリーンを彩ることだろう。大いに期待したい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507004415j:plain

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SFアクション, アメリカ, ライアン・レイノルズ, 渡辺謙, 監督:ロブ・レターマン, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 名探偵ピカチュウ 』 -まさかの実写化成功!?-

『 シャザム! 』 -新時代の異色スーパーヒーロー誕生-

Posted on 2019年5月1日2019年5月2日 by cool-jupiter

シャザム! 70点
2019年4月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ザカリー・リーバイ アッシャー・エンジェル マーク・ストロング ジャック・ディラン・グレイザー
監督:デビッド・F・サンドバーグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190501232624j:plain

MCU(Marvel Cinematic Universe)が『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』をもって一旦は完結したが、一方でDCUE(DC Extended Universe)はやっとジャスティス・リーグが結成されて、ようやくスタンドアローンの『 アクアマン 』がリリースされたところ。そこへもってきて、異色のヒーロー、シャザムがやってきた。暗くもあり、明るくもあるヒーロー。DCの風向きも変わってきたか。

 

あらすじ

母親とはぐれ、里親のもとを転々としてきたビリー・バットソン(アッシャー・エンジェル)は、ある時、魔術師に召喚され、彼の力を受け継ぎ、シャザム(ザカリー・リーバイ)となる。同じ里親のもとに暮らすフレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)と共に能力を無為にテストするだけの日々を送っていた。しかし、彼の身には、かつて魔術師シャザムに拒まれ、悪魔の力を追求するDr.シヴァナ(マーク・ストロング)が迫っており・・・

 

ポジティブ・サイド

ヒーローは往々にして暗い背景を有している。バットマン然り、アイアンマン然り、スパイダーマン然り、アクアマン然り、キャプテン・アメリカ然り、スーパーマン然り。シャザムとなるビリーも母親との別離を経験している。しかし、そのことが彼をして正義の使者や代弁者、執行者たらしめていない。名前こそバットソン(Batson)であるが、彼はブルース・ウェイン/バットマンとは、そこが決定的に違う。いや、そもそもアメコミ世界のスーパーヒーローは、歴史的にアメリカという国の国力(=軍事力と言っても良い)を健全な意味でも不健全な意味でも擬人化してパロディにしたものであった。だが、現実のアメリカがイラク戦争のように正義の無い戦いに身を投じたところから(実際には朝鮮戦争やベトナム戦争にも正義などは存在しなかったと考えられるが)、アメコミの実写映画化にも変化が生まれてきた。それが『 シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ 』のようなヒーロー同士の戦いであったり、『 デッドプール 』のような無責任ヒーローの爆誕にも見て取れる。

 

それでは本作の呈示するヒーロー像とは何か。それは友愛ではないだろうか。友情、絆、家族愛・・・ 言葉にすれば陳腐であるが、そうしたものが本作のユニークさであろう。もちろん、アベンジャーズやジャスティス・リーグにそうした要素がないわけではない。しかし、映画『 アベンジャーズ 』でも描かれていたように、最強ヒーローチームは、絆ではなく協力した方がより機能的であるという実用的な理由からチームとなり、『 ジャスティス・リーグ 』も個々の力を一つにまとめた方が得策だというブルース・ウェインの判断によって結成されたものだった。そこが本作と先行するヒーロー達との違いであろう。このシャザムというヒーローに一番近い、もしくは似ているのはトム・ホランドverのスパイダーマンであるように思う。

 

真面目に考察してしまったが、本作はエンタメ要素もてんこ盛りである。トム・ハンクスのファンなら、『 ビッグ 』の親友ビリーを思い出すだろうし、ビリー/シャザムの親友フレディとスーパーパワー実験をする時のBGMがQueenのフレディ・マーキュリー歌唱の“Don’t Stop Me Now”なのである。そして、舞台はフィラデルフィアで、フィラデルフィアといえばロッキー。ロッキー・ステップスを舞台にしたシークエンスもあり、それ以外の「おいおい」というシーンもある。また、悪役Dr.シヴァナが使う悪魔の力からは、どうしたって『 ゴーストバスターズ 』を想起させられる。同じDCEUの先輩キャラを茶化す楽しい場面もあるので、劇場が明るくなるまで席を立ってはいけない。

 

ヴィランのマーク・ストロングも良い仕事をしたが、一番に称えたいのはシャザムを演じたザカリー・リーバイである。幼稚な大人ではなく、子どものままでかくなってしまったキャラを良く体現できていた。そんな彼が、太っちょな里親パパや、白人女子高生、脚に障がいを持つ同世代、黒人の妹たちと育む友愛の物語を、是非とも多くの人に堪能して欲しいと思う。

 

ネガティブ・サイド

シャザムというキャラおよび原作の知識があれば異なる感想を抱くのかもしれないが、街の人々のシャザムに対するリアクションがあまりにも普通であることに当初は強烈な違和感を覚えた。物語がある程度進んだところで、これは本格的にDCEUの一部、つまりスーパーヒーローが実在する世界であると分かったことでその違和感は消え去ったが、『 デッドプール 』のように、ある世界の一部であることを一発で観る側に理解させるような仕掛け、もしくは仕組みがあれば良かったのかもしれない。劇中でもスーパーマンやバットマン絡みのガジェットが登場するが、それをもっと早めに露骨に出して、なおかつ「波動拳」などの完全別世界のワードは禁句にしてしまうぐらいで良かったのではないか。

あとはコンビニ強盗を退治するシーンだが、シャザムはよいとしても、銃口がフレディに向けられていたらどうなっていたのだろうか。銃弾をものともしない防御力を示したいのなら、もっと別の描写方法があったはずである。

 

総評

『 アクアマン 』もホラーの名手ジェームズ・ワンが手掛け、本作も『 ライト/オフ 』や『 アナべル 死霊人形の誕生 』を監督したデビッド・F・サンドバーグが手掛けている。一部にジャンプ・スケア的な手法も使われているが、暗くないヒーロー、明るいヒーロー像は、今後はホラー映画の作り手たちが新境地を切り開いていくのかもしれない。コメディ的な要素もありながら、本作はかなり真面目なヒーロー像を模索する試みでもあり、DCEUの切り札的存在にもなりうるポテンシャルを秘めている。続編の製作にも期待が持てそうである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190501232742j:plain

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, ザカリー・リーバイ, マーク・ストロング, 監督:デビッド・F・サンドバーグ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 シャザム! 』 -新時代の異色スーパーヒーロー誕生-

『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

Posted on 2019年5月1日 by cool-jupiter

スイス・アーミー・マン 75点
2019年4月29日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ダニエル・ラドクリフ
監督:ダニエル・シャイナート ダニエル・クワン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190501020031j:plain

ダンだらけの映画である。全編ほぼP・ダノとD・ラドクリフだけで話が進むが、監督の二人も忘れてはいけない。このキャスティング、つまり似たような名前の人間が二人で芝居を演じるは偶然なのか必然なのか。それは観る者によって意見が分かれるところかもしれない。

 

あらすじ

孤独に絶望したハンク(ポール・ダノ)は無人島で首吊り自殺をしようとしていた。しかし波打ち際に人影が。思わず駆け寄るもそれは死体(ダニエル・ラドクリフ)だった。だがハンクは気付いてしまった。その死体は、スイス・アーミー・ナイフの如く、万能のツールであることに・・・

 

ポジティブ・サイド

本作は多くの映画ファンを惑わせるだろう。だが、意味の分からない混乱をもたらすのではなく、心地よい刺激、「これはひょっとしてこうなのか?」という思考を刺激するような作りになっている。日本の映画人たちにも是非見習ってほしい姿勢である。

 

それにしてもダニエル・ラドクリフは、何故これほどに死体役がハマるのか。死人はある意味で最も演じるのが難しい。なぜなら、お手本がないからだ。誰も死体になったことがないし、死者と話したことがある人もいない。では、なぜ我々は彼の死体の演技に魅了され、そこに説得力を認めてしまうのか。それは我々が死を生の欠如と認識しているからである。言い換えれば、生きていないものは死んでいるものだという論理、認識が存在するということである。例えば、ハンクは死体=メニーが息をしていないことから死んでいることを確認するが、彼はおならという形で外界とガス交換を行っている。これは生命の定義の一つを満たしていることを意味する。またメニーは尾籠であるが、勃起もする。リビドーである。これが性および生への欲求でなくて何であろう。対照的にハンクはデストルドーに苛まれて自殺をしにきたではないか。

 

死亡に直面してこそ見えてくる命の形を描いたものに、『 ALONE アローン 』がある。シリアスなトーンをあまり好まない向きには、ユーモアたっぷりの本作を推したい。だが、本作の面白さはコメディックなユーモアだけにあるのではない。ちょっとしたミステリもある。メニーとハンクの対話は、まるで『 キャスト・アウェイ 』のトム・ハンクス演じるチャックとウィルソンのようである。おっと、いささか書き過ぎてしまったようだ。といっても、本作は解釈が分かれるように意図的に作っている作品であるからして、様々な人が思い思いの解釈を楽しむのが正解である。Jovianはダンだらけ、そしてハンクとハンクスにはきっと意味があると思っている派である。

 

ネガティブ・サイド

無人島からの脱出が少しトントン拍子すぎるように感じた。序盤のハンクの孤独をもっとねっとりと描いてくれていれば、その後の海岸や山、森林のシーンでの対話や生活がより際立ったのではないか。

 

また不法投棄されたゴミは、何かもっと違うアイテムで代替できなかったのだろうか。あんな生活感あふれるゴミがそこらじゅうに散乱しているということは、取りも直さず人里がかなり近いということだ。にも関わらず、なかなか故郷を目指そうとしないハンクには何かがあると分かってしまう。

 

総評

これは傑作である。もしかしたら駄作かもしれない。間違いなく言えるのは、珍品または怪作であるということだ。まるで個々人の面白センサーがどういう方向を向いているのかを測ってくれる、どこかリトマス試験紙のような映画である。ダニエル・ラドクリフの新境地を切り開いた作品としても長く記憶に残る作品となっているし、弱々しい男を演じさせればいま最も旬なポール・ダノの安定の演技力を堪能することもできる作品である。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ダニエル・ラドクリフ, ブラック・コメディ, ポール・ダノ, 監督:ダニエル・クワン, 監督:ダニエル・シャイナート, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

『 アナイアレイション 全滅領域 』 -難解SFの佳作がまた一つ-

Posted on 2019年4月29日2020年1月28日 by cool-jupiter

アナイアレイション 全滅領域 70点
2019年4月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ポートマン オスカー・アイザック
監督:アレックス・ガーランド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190429235034j:plain

『 エクス・マキナ 』のアレックス・ガーランド監督作品で、Netflixオンリーでしか視聴できなかったものが、満を持してDVDその他媒体でavailableになった。ということで、さっそく近所のTSUTAYAに・・・行くと既に全滅であった。仕方なく、電車で数駅先のTSUTAYAで無事に借りてくることができた。

 

あらすじ

シマーと呼ばれる謎の領域が突如、出現した。軍は偵察隊を送り込むも帰還せず。唯一帰ってきたケイン(オスカー・アイザック)は重体。妻の分子生物学者レナ(ナタリー・ポートマン)は、真実を明らかにするため調査隊に志願する。レナ達がシマー内部で見たものは、遺伝子の屈折により、異様に変化した動植物たちだった・・・

 

以下、ネタばれに類する記述あり

ポジティブ・サイド

20世紀最大の科学的発見は、アインシュタインの相対性理論とワトソン、クリック両名による遺伝子の二重らせん構造の発見であろう。『 ジュラシック・パーク 』のイアン・マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)の言葉を借りるならば、“Genetic power is the most awesome force the planet’s ever seen”なのである。遺伝子の変異により異形のモンスターと化したクリーチャーと戦うだけならば、これまでに何千本と製作されてきた。本作のユニークさは、恩田陸の小説『 月の裏側 』的なところにある。生き物が、その生き物らしさを保持しながらも違う生き物に変化してしまう不気味さ。人間が人間的でありながら人間ではなくなることの不気味さ。そうした雰囲気が全編に漂っている。かなりグロい描写があるので、耐性の無い人は避けた方が無難かもしれない。しかし、本作が最も際立っているのは、クリーチャーの鳴き声だろう。これにはJovianも怖気を振るった。

 

本作は序盤から生物の細胞分裂の話が繰り返される。基本的には細胞が分裂したことで新たに生まれる細胞は、元の細胞と同じである。しかし、そこに何らかのコピーエラーが生じるのが変異であり、シマーはどうやら非自然的な変異を促すものであるということが、映像や語りを通じて伝わってくる。それがリアルタイムで進行するところも恐ろしい。漫画『 テラフォーマーズ 』でも進化を強制する仕組みのようなものが火星に存在することが示唆されているが、あちらは数十年から数百点のスパンの話であるが、本作は調査隊チームのメンバーの身体の変化がリアルタイムで進行する。思わず吐き気を催すような変化もあり、やはりかなり観る人を選ぶ作品であると言えるだろう。

 

終盤に登場する宇宙生物は、おそらくミクロレベルでの遺伝子の振る舞いを生物というマクロレベルの行動に反映させているのであろう。変化は模倣から始まるのだ。『 旧約聖書 』の「 創世記 」にも、“我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう”というImago Dei=神の似姿という思想が見られる。そうか、これは宇宙人による回りくどいパンスペルミア・プロジェクトなのか。レナだけが生き残ることができたのも、他のメンバーには生に執着する理由が薄い一方で、レナは大学の同僚と不倫してセックスに耽るなどの生殖の能力と意思がある(ように見える)。Annihilationという原題の意味するところ、それは既存の遺伝子の緩やかな消滅=新しい遺伝子の繁栄だろうか。レナとケインは、同じく聖書から引くならば、新たなアダムとイブになるのだろうか。何とも不思議なSFを観た。そんな感覚が鑑賞後に長く続く映画である。

ネガティブ・サイド

レナの不倫相手が黒人学者というのは良い。遺伝子のミックス具合がその方が高いからである、であるならば、原作どおりに調査隊チームのメンバーも民族的に多様多彩なメンバーは揃えられなかったのだろうか。

 

また科学者で結成されたチームであるにもかかわらず、目の前にある重要な情報源に飛びつかないのは何故なのか。科学者を科学者たらしめるのは旺盛な好奇心と批判精神のはずである。それらがこのチームのメンバーには決定的に欠けている。先遣隊が残した情報を全て検証することをしないとは・・・ 著しくリアリティに欠ける行為で、個人的には納得がいかなかった。

 

総評 

極めて晦渋な作品である。系統としては『 2001年宇宙の旅 』や『 ブレードランナー 』、『 惑星ソラリス 』に属する、難解SFである。しかし、考察の材料はおそらく全て作品中で呈示されている。Jovianも初見では消化しきれていない部分があることは自覚している。いつかrepeat viewingをして、更に考察を深めて見たいと思う。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SF, アメリカ, イギリス, オスカー・アイザック, ナタリー・ポートマン, 監督:アレックス・ガーランド, 配給会社:Netflix, 配給会社:パラマウント映画Leave a Comment on 『 アナイアレイション 全滅領域 』 -難解SFの佳作がまた一つ-

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

Posted on 2019年4月28日2020年1月28日 by cool-jupiter

アベンジャーズ / エンドゲーム 80点
2019年4月27日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロバート・ダウニー・Jr. クリス・エヴァンス クリス・ヘムズワース ジョシュ・ブローリン
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190428110831j:plain

全宇宙の生命の半分を消し去ったサノス。半分が消えたスーパーヒーロー達。彼ら彼女らが復讐者(The Avengers)となって、サノスに戦いを挑む・・・というストーリーではない。これはアイアンマンやソー、キャプテン・アメリカがヒーローとしての生き方以外を模索し、その上でヒーローたることを決断する物語なのだ。少なくともJovianはそのように解釈した。

 

あらすじ

 サノス(ジョシュ・ブローリン)に大敗北を喫したアベンジャーズ。アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)は宇宙を漂い、地球への帰還は絶望的。キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)は何とか前に進もうとしていたが、ソー(クリス・ヘムズワース)は自暴自棄になっていて、初期アベンジャー達は打倒サノスに団結できずにいたが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190428110902j:plain

  • 以下、シリーズ他作品のマイルドなネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

 『 キャプテン・マーベル 』は正にMCUの繋ぎ目であった。冒頭の20分で「第一部、完!」的な超展開が待っている。これは笑った。いや、本作の全編にわたって、特に前半はユーモアに満ちている。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』と『 ターミネーター 』という、タイムトラベルものの優れた先行作品に大いなる敬意を表しつつ、それらへのオマージュを見せつつ、新たな物語世界を創り出し、完結させた。

 

アクション面で語ることはあまりない。何故なら褒め言葉に意味など無いからである。これだけの映像を構想した監督、それを現実のものにした俳優陣や演出、大道具、小道具、衣装、CG、VFXなどを手掛けた裏方さんたち全てに御礼申し上げる。

 

キャプテン・アメリカやソーについても多くを語りたいが、自分が最も打ちのめされた、そして最も素晴らしいと感じたのは、トニー・スターク/アイアンマンだった。彼が人の子として、人の親として、一人の男として、そしてスーパーヒーローとしての全ての生き方を全うできたことが、これ以上ない迫真性と説得力を以って伝わってきた。彼はある意味で常に父のハワード・スタークの影にいた。そのことは『 アベンジャーズ 』でも『 キャプテン・アメリカ / シビル・ウォー 』でも明白だった。父と息子の対話というのは、母と娘のそれとは何かが異なる。そのことを非常に大げさに描き切ったものに『 プリンセス・トヨトミ 』があったが、今作におけるトニー・スタークは、息子、父親、夫、ヒーローとしての生を成就し、全うしたと言える。彼が娘にかける母親に関する言葉、妻にかける娘に関する言葉の簡潔にして何と深いことか。世の男性諸賢は彼なりの愛情表現に見習うところが多いのではないか。彼は社長という一面はなくしても、技術者としての顔は残していた。そしてヒーローとしても。思えば全ては『 アイアンマン 』のラストの記者会見での“I am Iron Man.”から始まったのだ。滂沱の涙がこぼれた。

 

ネガティブ・サイド

前作『 アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー 』で全世界の映画ファンが最も度肝を抜かれたのは、冒頭のロキの死亡と、ハルクがサノスとガチの殴り合いで完敗を喫したことだったのではないか。であれば、本作に期待するのはインクレディブル・ハルクの捲土重来がまず一つ。しかし、どうもそれが個人的にはイマイチだった。もちろん大きな見せ場はあるのだが、『 アベンジャーズ 』で“I’m always angry.”と不敵に言い放ってからのパンチ一撃でチタウリをKOしたインパクトを超えるシーンはなかった。

 

スカーレット・ウィッチとドクター・ストレンジの共闘も予想していたが、それもなかった。ヴィジョンは復活の対象ではないのだから、誰かがそこをスポット的に埋めるだろうと予想していて、それができるのはドクター・ストレンジだけだという論理的帰結には自信を持っていたがハズレてしまった。しかし、真面目な話、ヒーローが多すぎて見せ場が分散されすぎている。というか、キャプテン・アメリカの強さのインフレと、キャプテン・マーベルの素の強さがおかしい。生身のブラック・ウィドウはお役御免(トレーラーのような、射撃を練習するシーンはあったか?)、ホークアイも基本的には走り回る役というのに、キャプテン・アメリカのこのドーピング、優遇っぷりと、キャプテン・マーベルのストーンの運搬役には不可解さすら感じた。マーベルなら楽勝でストーン使用のインパクトに耐えられたのでは?

 

個人的にもうひとつピンと来なかったのはタイムトラベル理論。ブルース・バナーによれば、時間とは、小林泰三の短編小説『 酔歩する男 』の理論のようであり、また哲学者アンリ・ベルクソンの純粋接続理論のようなものでもあるらしいが、それはエンシェント・ワンが劇中で説明したマルチバース理論(と基にした因果律と多世界解釈)と矛盾しているように感じた。最大の謎は、なぜアントマン/スコット・ラングはタイムトラベル実験で年を取ったり若返ったりしたのか。時間の流れが異なる量子世界内をトニー・スターク発明のGPSを使って、時空間上の任意の点を目指すのがタイムトラベルであれば、トラベラー自身の年齢が上下するのは理屈に合わない。いや、それ以上にキャプテン・アメリカの最後の選択。それは美しい行為なのかもしれないが、論理的に破綻している。インフィニティ・ストーンを使って現在を修正し、その上で過去にストーンを戻し、過去の世界線はそのままに、現在の世界線もそのままに、そして人々の記憶や意識はそのまま保持する、というのはギリギリで納得がいくが、それもこれも全てを吹っ飛ばすキャプテン・アメリカの選択は美しいことは間違いないが、パラドクスを生んだだけのように思えて仕方が無かった。

 

総評

これはフィナーレであると同時に、新たな始まりの物語でもある。そのことは劇中のあちこちで示唆されている。しかし、それ以上に本作はトリビュートであり、様々な先行作品へのオマージュにも満ちている。そうしたガジェットを楽しむも良し、純粋にストーリーを追うことに集中しても良し、ここから先に広がるであろう新たな世界を想像するのも良し。連休中に一度は観ておくべきであろう。

 

そうそう、ポストクレジットの映像は何もない。トイレを我慢しているという人は、エンドクレジットのシーンで席を立つのもありだろう。しかし、映像はないのだが、興味深い音が聴ける。その音の意味するところを想像したい、という向きは頑張って座り続けるべし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190428111013j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, クリス・ヘムズワース, ジョシュ・ブローリン, ヒューマンドラマ, ロバート・ダウニー・Jr., 監督:アンソニー・ルッソ, 監督:ジョー・ルッソ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

『 ウォールフラワー 』 -青春の甘さと苦さを思い出す-

Posted on 2019年4月27日2020年1月29日 by cool-jupiter

ウォールフラワー 70点
2019年4月25日 レンタルDVD鑑賞
出演:ローガン・ラーマン エマ・ワトソン エズラ・ミラー
監督:スティーブン・チョボウスキー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190427022401j:plain

日本であろうとアメリカであろうと、学校には冷酷非情な生態系が存在する。スクールカーストというやつだ。高校生という、ちょうど大人と子どもの中間にある存在は、時に非常に脆く、時に非常に危うく、時に非常に強かで逞しい。そんな時期を追体験させてくれるのが本作である。

 

あらすじ

チャーリー(ローガン・ラーマン)は高校入学初日に、誰とも友達になれなかった。国語教師のアンダーソン先生(ポール・ラッド)にはポテンシャルを認められるも、生徒達とはどうしても距離が生まれてしまう。しかし、ある時、フットボールの試合で上級生のパトリック(エズラ・ミラー)とその義理の妹サム(エマ・ワトソン)と知り合い、友達になる。しかし、チャーリーにはある秘密があって・・・

 

ポジティブ・サイド

上級生にして親友となるパトリックを演じるエズラ・ミラーの演技。これは素晴らしい。『 ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 』、『 ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 』では完全なるダウナー系(にしてマグマをため込むタイプ)を演じ、『 ジャスティス・リーグ 』ではフラッシュという天然アッパー系キャラを演じていた。次代のハリウッドを牽引する可能性を秘めた役者であり、アダム・ドライバー並みか、それ以上に活躍できるポテンシャルがありそうだ。本作でも優しさと包容力がありながら、自分なりの闇や負の側面をも抱えたキャラを見事に体現した。登場の瞬間から観る者に違和感を抱かせるのだが、そそっかしい人は妙な演技と勘違いしてしまうかもしれない。それは妙なのではなく、分かりにくい分かりやすさ、もしくは分かりやすい分かりにくさなのだ。特に珍しい属性ではないので、慣れた人ならすぐに見抜くだろうし、慣れていない人でもすぐに納得できるだろう。このあたりの演技のさじ加減が絶妙なのである。

 

エマ・ワトソンも魅せる。なぜかダメ男とばかり付き合ってしまう女性は、往々にして良い女なのだ。いや、女が器量よしだから、そばに立つ男のダメさが余計に際立つのだろうか。本作にはハーマイオニーの面影は無い。ダニエル・ラドクリフが『 ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館 』や『 ヴィクター・フランケンシュタイン 』でハリーのイメージを払しょくしたのと同じく、今作はエマ・ワトソンは非常に racy なバックグラウンドを有する slutty なキャラを具現化した。これらの英単語の意味を調べるのが億劫な人は是非本作を鑑賞しよう。

 

原題の The Perks of Being a Wallflower とは、壁の花でいることの利点、ぐらいの意味か。パーティーなどで部屋の中央に陣取る花形ではなく、壁に背をつけて時間をつぶす、いわゆるはみ出し者キャラのことである。ローガン・ラーマンもそうしたキャラを説得力ある形で体現した。彼にはとある秘密(というか特徴)があり、まるで『 君が君で君だ 』の尾崎豊的なところがある。というか、普通の男であればこうした特徴を大なり小なり有しているものであるし、Jovianはこのキャラクターがいたく気に入った。学校でまともに話せるのが先生だけ、という状態から同世代の友人を得て、恋の素晴らしさを知り、また恋の恐ろしさを知る(それは自分の弱さや残酷さを知ることでもある)というビルドゥングスロマンが、心の琴線に触れるのだ。詳しくは観てもらうしかないが、チャーリーの“理屈”に賛同しする、あるいは同じように感じたことがあると思い当る男性連中は多いはずだ。

 

そうそう、国語教師のポール・ラッドも良い味を出していた。千万言を費やすよりも、自分の愛読書を読んでもらう方が、思いやりや尊敬、信頼の気持ちをより強く表すことができる。そんな理想的な教師像を彼の姿に見た。俺もこんな風になりたいなと思えた。

 

ネガティブ・サイド

チャーリーに仕込まれたトリックというか、とあるトラウマの秘密が、ややありきたりである。極端な話、漫画『 ベルセルク 』のガッツの抱えるトラウマと同質のものの方がよりインパクトがあり、なおかつパトリックという兄貴キャラとの整合性というか、相性の面でもより良かったのではないかと思う。

 

また、チャーリーの家族との触れあい、交流の場面がもっと欲しかった。チャーリーという主人公が、どのように変わり、また変われないのかを最もよく知るのは、やはり家族だからだ。

 

もう一つ、チャーリーの恋の始まり方の説得力が弱かった。この恋の終わり方がハチャメチャなので、始まりもある意味ではもっとぶっ飛んだ、若気の無分別で良かった。ここでの無分別というのは性欲と恋心を混同するというような意味ではなく、周囲に遅れているのではないかという焦燥感や異性への純粋な好奇心、そうしたものから偶発的に始まってしまった関係だったほうが、チャーリーというキャラによりマッチしていたように思う。

 

総評

青春ものとして佳作である。日本で同じテーマを描こうとしても、様々な意味で難しいだろう。しかし、こうしたはみ出し者たちの心温まる交流風景や衝突、断絶を経ての成長物語は普遍的なテーマであるはずで、誰が観ても何がしかのメッセージを受け取ることができるし、共感を呼び起こされるはずである。高校生以上なら充分に理解ができるはずだし、青春のほろ苦さを予習もしくは追体験することができる。お勧めの一作である。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エズラ・ミラー, エマ・ワトソン, ヒューマンドラマ, ローガン・ラーマン, 監督:スティーブン・チョボウスキー, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ウォールフラワー 』 -青春の甘さと苦さを思い出す-

『 シンデレラ 』 -CG臭さを除けば良作-

Posted on 2019年4月25日2020年1月28日 by cool-jupiter

シンデレラ 70点
2019年4月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:リリー・ジェームズ ケイト・ブランシェット
監督:ケネス・ブラナー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190425134714j:plain

2015年に大阪ステーションシティシネマかどこかで観たんだったか。リリー・ジェームズの可愛らしさとケイト・ブランシェットの憎たらしさが素晴らしいケミストリーを生み出していた。なんとなく手持ち無沙汰だったので、仕事帰りにふらふらとTSUTAYAに吸い込まれ、借りてしまった。

 

あらすじ

エラ(リリー・ジェームズ)は優しい父と母のもと、幸せに包まれて暮らしていた。しかし、母はエラに「勇気と優しさを忘れないように」言い残して急死してしまう。父娘で生きていきながらも、父は再婚を決意。その相手のトレメイン夫人(ケイト・ブランシェット)と連れ子たちと何とか一つ屋根の下で暮らしいたが、旅先で父までもが急死してしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

なんと言ってもシンデレラを演じたリリー・ジェームズの魅力が大きい。『 おしん 』もかくやという虐待を受けながらも健気に生きるエラの姿に、万感胸に迫る思いである。だが、本作のオリジナリティ、つまり貢献はシンデレラ以前のエラとその父と母との精神的に円万で豊かな家庭に育っていたことを短い時間で過不足なく伝えてくれたことである。もちろんシンデレラのストーリーは世界中の誰もが知っているわけだが、だからこそシンデレラというキャラクターに感情移入することが容易い。ただ、追体験できるキャラの感情の深さは、必ずしも感情移入の易しさとは相関しない。むしろ逆だろう。シンデレラというのは可哀そうな少女であるという我々の先入観を一度壊してくれた本作の脚本は、非常に優れたものと評価したい。

 

またシンデレラというキャラの味付けも評価できる。動物とコミュニケーションが取れるというのはいかにも童話チックであるが、このエラというキャラクターは行商の旅に出る父に、最初に肩に触れた木の枝をお土産にしてほしいと願うような娘なのである。つまりは花鳥風月を愛し、動物と話す娘という、ファンタジー世界の住人なのである。こうしたキャラの背景への肉付けがあってこそ、かぼちゃの馬車やトカゲの御者などへの違和感が生じない、もしくは最小限に抑えられるのである。文字で読む、あるいは絵本で単純なビジュアルを消化するだけであれば、このような細工は不要である。しかし、映画という芸術媒体は、時に暴力的なほどに観る者の視聴覚に訴えねばならない。ネズミたちとエラのほのぼの交流はプロットの面でしっかりと機能していたし、だからこそフェアリー・ゴッドマザーの魔法にも説得力があった。

 

それ以上にキャラを具現化していたのはケイト・ブランシェット。意地悪な継母をシンクロ率400%で演じていた。シンデレラを虐げるだけではなく、自らの娘たちを王子に見初めさせようという財産目当て丸出しの根性がしかし、母親らしい愛情の発露でもあるというところがいじましい。この人にも哀れな面はある。人の価値を強さ、それは賭け事で測られるような胆力であったり、もちろん財力であったり、当然のように権力でもあるわけだが、そうした「強さ」で人の価値が決まると思っている。それはエラの母の教えとは真逆を行く。だからこそシンデレラの勇気と優しさの放つ光がその輝きを増す。単純なコントラストだが、シンデレラが光り輝くのは、トレメイン夫人の心の暗黒面の深さ故であると思えてならない。演技派ケイト・ブランシェットの面目躍如である。

 

ネガティブ・サイド

全編にCG臭が強烈に漂っている。無限の財力を誇るディズニーなのだから、花火ぐらいは本物を使おうよと言いたい。それともCGの方が、もはや本物の花火よりも安いのだろうか。安いのだろうな。肖像画を描かれるのは苦手だというキット王子の台詞は、そのままディズニーアニメーターの「手描きはどうも苦手で・・・」という心境の代弁だったのであろう。そう捉えさせて頂く。

 

ボール(舞踏会)の時の青いドレスは良いとして、エラの衣装はやや胸元が開き過ぎではないか。個人的には眼福に思うが、ファミリー向けの映画なのだから、もう少し普通のコスチュームで良かったのではないかと感じた。

 

総評

ディズニーらしい丁寧な作りで、ストーリーやキャラクターの背景をしっかり描けている、あるいは受け手側の想像力を適切に刺激するような描写ができている。CG多用がどうしても目に付くが、『 くるみ割り人形と秘密の王国 』ほど酷いものではない。大人でも安心して鑑賞できる作品に仕上がっている。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ケイト・ブランシェット, ファンタジー, リチャード・マッデン, リリー・ジェームズ, 監督:ケネス・ブラナー, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 シンデレラ 』 -CG臭さを除けば良作-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 宝島 』 -エンタメ性がやや不足-
  • 『 蔵のある街 』 -ご当地映画の佳作-
  • 『 侵蝕 』 -サイコパスをいかに受容するか-
  • 『 8番出口 』 -平々凡々な脚本-
  • 『 Osaka Shion Wind Orchestra ドラゴンクエストコンサート in 伊丹 』  -DQ Ⅳ, Ⅴ, Ⅵ-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme