Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: アメリカ

『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

Posted on 2019年5月23日 by cool-jupiter

アメリア 永遠の翼 65点
2019年5月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヒラリー・スワンク リチャード・ギア ユアン・マクレガー
監督:ミーラー・ナーイル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190523123812j:plain

Jovianは時々、英語のテストであるTOEFLを教えるが、過去問や問題集に決まって出てくる人物が何名かいる。おそらく女性で最もフォーカスされているのは、20ドル札に載ることが決まっていて、映画『 Harriet 』が2019年11月1日にアメリカで公開予定のハリエット・タブマンと、(アメリカでの)女性パイロットの先駆けであり、2018年に機体および遺体の一部が発見されたとされるアメリア・エアハートである。本作はそのアメリアの伝記映画である。

 

あらすじ

1937年、飛行家のアメリア・エアハートは世界一周を達成すべく飛び立った。二度と着陸することなく、彼女は消息を絶った。彼女の人生とは、いかなるものだったのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずビジュアル面でのアメリア・エアハートの再現度合いが素晴らしい。ヒラリー・スワンク以外に誰が彼女を演じられようか。メイクアップ・アーティストの助けがあれば、サム・ロックウェルもジョージ・W・ブッシュを、クリスチャン・ベールもディック・チェイニーを演じられることは『 バイス 』でも証明された。しかし、本当に求められるのは、外見ではなく内面からにじみ出てくるものを再現することで、その意味でもヒラリー・スワンク以外に適任はいなかっただろう。溢れる自信、しかしその心の奥底にある満たされなさ、結婚という因習に囚われない自由な精神、その一方で誰かをひたむきに愛する心も忘れない。このアメリアの、いわば二重性を帯びた性格や行動が、夫となるパットナム(リチャード・ギア)との関係とクライマックスの対話で最もドラマチックな盛り上がりを見せる。Jovianの先輩には自衛隊の輸送機パイロットをしていた方がいるが、その奥様はいつもその仕事を辞めてもらいたがっていた。航空業界では「空を飛ぶのが危険なのではない。墜落するのが危険なのだ」と言われるらしいが、そんなことは一般人からすればどうでもいいことだ。しかしアメリアのような飛行家にとっては、空を飛ぶこと=生きること、パットナムのような実業家にとっては彼女を支援すること=生きることだった。この二人の愛の形がすれ違う様には、哀愁とそれゆえの普通の夫婦にはあり得ない深い愛情が感じられる。趣もプロットも媒体も異なるが、先へ進もうとする女とそれを追いかけてサポートする男という構図に興味のある向きは、小川一水の小説『 第六大陸 』をどうぞ。

 

Jovianは1995年にアメリカ旅行をした時、グランド・キャニオン上空をセスナ機で遊覧飛行したことがある。その時のパイロットは、おそらく40歳前後の女性だったことをよく覚えている。彼女も、アメリアの遺児で後継者だったのだろう。そんなことを、本作を観て、ふと思い出した。

 

ネガティブ・サイド

劇中で何度かチャールズ・リンドバーグが言及されるが、彼が妻アンと共にがソビエトで受けた衝撃、すなわち女性パイロットがごろごろいて、彼女たちは男性並みにガンガン空を飛んでいた、という描写はさすがに入れられなかったか。興味のある方は、アン・モロー・リンドバーグを調べて頂きたい。

 

飛行シーンのいくつかがあまりにも露骨に合成およびCGである。空を飛ぶ飛行機の描写こそが本作の映像美の肝になるところなのだから、このあたりをもっと追求して欲しかった。『 ダンケルク 』の最終盤でも燃料切れのプロペラ機がまっすぐに滑空するシーンがあったが、あれよりも酷い合成だと言ったら、お分かりいただけるだろうか。

 

不謹慎かもしれないが、劇中で飛行機がトラブルを起こす、もしくは墜落するような描写が極めて少ない。航空機は最も安全な乗り物であることは知られているが、その一方で最も悲惨な事故を起こす乗り物でもあり、また最も捕捉が難しい乗り物でもある。航空機に関するあれやこれや、計器類の多さ、それらを読み解く難しさ、天測の重要性と困難さ、機体バランスを保つための工夫(メモ用紙のやり取りなどは好例である)の数々などを、もっと描写してくれていれば、アメリアの悲劇的な最後にもっとサスペンスとドラマ性が生まれたものと思う。

 

総評 

2017年は大型旅客機の墜落事故が世界でゼロだったことが話題になった。一方で、同じ年にはオスプレイなる機が度々事故を起こしていた。空を飛ぶということの素晴らしさと怖さを我々はもう一度、知るべきなのだろう。奇しくも昨年2018年に、アメリア・エアハートの遺骨が発見されたとの報がもたらされた。本作製作からちょうど10年。あらためて再評価がされても良い作品なのではないだろうか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, ヒラリー・スワンク, ユアン・マクレガー, リチャード・ギア, 伝記, 監督:ミーラー・ナーイル, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

Posted on 2019年5月22日2020年2月8日 by cool-jupiter

アメリカン・アニマルズ 50点
2019年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エバン・ピーターズ バリー・コーガン ブレイク・ジェナー ジャレッド・アブラハムソン
監督:バート・レイトン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190522013508j:plain

シネ・リーブル梅田で始めたチラシを手にした時、これは面白そうだと予感した。しかし、Hype can ruin your experience. 『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』の水準を期待すると拍子抜けさせられる。本作の見せ場は、罪を犯した本人たちの回想録的なドキュメンタリーを含むところであって、本編の犯行のレベルの高さではない。

 

あらすじ

ウォーレン(エバン・ピーターズ)とスペンサー(バリー・コーガン)は、大学に進学したものの、キャンパスライフに馴染めずにいた。ある時、ウォーレンは大学の図書館に18世紀に書かれた稀覯本があるのを知り、それらを盗み出す計画を立てることに・・・

 

ポジティブ・サイド

犯罪にも色々ある。警察や法律家に言わせれば違うのだろうが、立ち小便は犯罪、少なくとも重犯罪ではないだろうし、盗んだバイクで走り出すのも若気の無分別で済ませてもらえるかもしれない。しかし、チャールズ・ダーウィン直筆の書物を盗み出して、闇マーケットで売り払い、大金を儲けてやろうというのは、どう考えても重犯罪だ。それを敢えてやろうというのだから、その意気やよし。存分にやってくれ。事実は小説よりも奇なりと言うが、大馬鹿と馬鹿と馬鹿と小利口者が計画をあれこれと練っていくシーンはそれなりに楽しい。また、役者たちの演技シーンと本人たちへのインタビューシーンが交互に切り替わるタイミングが絶妙で、重要文化財窃盗を決意する過程、そして何故それを実行に移してしまったのかという心情が赤裸々に語られるのがありがたかった。Jovianはビジュアル・ストーリーテリングを重要視するが、複雑な入れ子構造の映画も好きなのである(『 メメント 』みたいな晦渋過ぎるのは勘弁だが)。

 

本作は、アメリカの片田舎のアホな大学生がアホなノリでアホなことをやらかしてしまったという意味だけで観るべきではないだろう。内輪の仲間だけでシェアするつもりだったバイト先での愚行・・・というのとも少し違う。話を超大げさに拡大して受け取るならば、大日本帝国が第二次世界大戦に揚々と参戦していったのと同じような思考の過程、行動様式、組織構造を見出すこともできるのではないか。事前の調査不足もさることながら、これで上手く行く筈がないと誰もが思いながら、なかなかそれを言い出せない。それをようやく言い出せても、声がでかい奴に押し切られる。まるでどこかの島国のかつての軍上層部とそっくりではないか。そして、このアニマルズが服役を経ても、芯の部分では藩政をしていないのではないかと思わせるところに本作の妙味がある。あの窃盗事件の真実とは何か。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、事実ではなく真実を追求しているということを鑑賞中は念頭に置かれたし。

 

ネガティブ・サイド

『 オーシャンズ11 』や『 オーシャンズ8 』、『 ジーサンズ はじめての強盗 』のような華麗にして緻密な組織犯罪を期待するとガッカリするだろう。というよりも、計画のあらゆる部分に無理があり過ぎる。アホな扮装をした中年ジジイ4人組が図書館に入ってくれば、何をどうやっても注目を集めてしまうし、よしんばそれで学生たちの目を欺けたとしても、逆にそれだけ強い印象を残してしまえば、警察がしらみつぶしに在校生のアリバイを調べていけば、捜査線上に自分たちが浮上してくるということに気付かないのか。神風など、そうそう吹くものではないのだ。

 

再現ドラマパートと本人たちへのインタビューによるドキュメンタリーパートを混在させるのは、非常に面白い野心的な構成だが、本編ドラマでもっと凝ったカメラワークが欲しかった。なぜ自分たちは満たされないのか。なぜ自分たちは特別になれないのか。自分たちと特別な人間の境目は何か。逆に、自分たちは凡百の人間ではない、あいつらとは違うんだ、という中二病全開思考を表すようなショットが欲しかった。キャンパスの芝生に寝そべって、他愛もないおしゃべりに興じる大学生たち、といった平凡な、しかし色鮮やかなショットが効果的にちりばめられていれば、アニマルズのダメさ加減や哀れさがもっと際立ったであろう。

 

総評

高く評価できる部分と、そうではない部分が混在する作品であり、評価は難しい。しかし、鑑賞後のJovianの第一感は「何じゃ、こりゃ?」だった。シネ・リーブル梅田推しの作品でも時々ハズレはあるのである。しかし、単なる物語の再構築以上に、危険な思考の陥穽、まとめ役あるいは諌め役の欠如したチームの末路など、教訓を引き出すには良い作品であるとも感じられるようになった。マニア中のマニアであれば、『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』と比べてどっちが f**k という言葉をより多く使ったか調べてみるのも一興かもしれない。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190522013532j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, エバン・ピーターズ, クライムドラマ, ドキュメンタリー, バリー・コーガン, 監督:バート・レイトン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

コレット 70点
2019年5月19日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ
監督:ウォッシュ・ウエストモアランド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190519223735j:plain

『https://jovianreviews.com/2018/09/05/movie-review-tully/ タリーと私の秘密の時間 』で描かれた男という生き物の生活能力の低さと、『 天才作家の妻 40年目の真実 』で晒された男という生き物の病的に肥大化しやすいエゴが、本作によってまたも満天下に晒されてしまった。Jovianが鑑賞した劇場でも、お客さんの7割5分は女性であった。男は本能的、直観的に本作を避けているのだろうか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190519223922j:plain

あらすじ

 

自然豊かな地方で育ったガブリエル・コレット(キーラ・ナイトレイ)は、物書きのウィリーとの結婚により、花の都パリに移り住む。ウィリーはコレットの文才を見抜き、彼女に「クローディーヌ」シリーズを代筆させる。しかし、浪費家な夫と才能豊かな妻は徐々にすれ違い・・・

 

ポジティブ・サイド

フランスの作家で読んだことがあるのは、マルセル・プルースト、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、セバスチャン・ジャプリゾ、ジョルジュ・ランジュラン(彼は少し違うか)ぐらいだろうか。シドニー=ガブリエル・コレットという作家は始めて知った。ディズニーは作品の映画化に際して盛んにフェミニスト・セオリーを実践しているが、世界にはまだまだ発掘されるべき女性がいるものである。

 

キーラ・ナイトレイは、言葉は悪いが薹が立ってきたなと感じていた。しかし、本作では片田舎の純朴そうな少女から、パリのサロンでも堂々と立ち振る舞う淑女に、そして年上の夫を容赦なく怒鳴りつける芯のある妻に、そして自らの才能と能力を駆使し、心が命じるままに寝るべき相手や仕事を共にする相手を選ぶという強かさを備えた個人を見事に具現化した。ジェニファー・ローレンスが『 レッド・スパロー 』で我々の度肝を抜いたほどではないが、久々に胸も晒してくれる。彼女は色気、色香、艶というものをボディライン、スタイルの良し悪しではなく、大げさな言い方をすれば生き方そのもので体現してくれる。

 

それにしても、ダメな男、ダメな夫をあらゆる意味で具現化するドミニク・ウェストの芸達者ぶりよ。飴と鞭ではないが、折檻と愛情の両輪で、金のなる木である妻をコントロールしていたはずが、いつの間にか自分という人間の醜さ、弱さ、至らなさというものがどんどんと浮き彫りになってくるという展開には、昭和や平成の初め頃まで量産されていた、ヤクザ映画、任侠映画にそっくりだなと思わされた。どういうわけか女性という生き物には、男がふとした弱さを見せると、そのギャップにコロッといってしまう傾向がある。一方で、本作のコレットはそうした女性性を持ちつつも、女性であることを軽々と超えていく強さと自由な精神も有している。この男女の奇妙な夫婦関係は最終的に破局に終わるわけだが、結婚という奇妙な因習の限界と奥深さを表しているとも言える。共働きの夫婦で鑑賞して観れば、自分達の新たな一面に気付かせてくれるかもしれない。または、性生活、もしくは子どもを作る作らないで互いの考えに微妙な齟齬がある夫婦で鑑賞するのもありだろう。そう、子どもである。パリの文壇を席巻するのみならず、一般女性の偶像にまで昇華されたクローディーヌというキャラクターは、コレットの子どもなのだ。娘なのだ。冒頭で描かれるコレットの両親の関係、コレットとの親子関係に是非とも注目をしてほしい。そして、親にとって子とは何か。子を産み育てるのに、男はどこまで必要なのかという根源的な問いに、コレットの生きざまは一つの示唆的な答えを与えてくれる。クライマックスのキーラ演じるコレットの内面の吐露をしっかりと受け止めて欲しい。本作を観たからと言って夫婦関係に亀裂が入るようなことはない。むしろ、夫婦の対話、向き合い方について学べるはずだ。独身はパートナーと、既婚者は配偶者と観るべし。

 

ネガティブ・サイド

なぜフランス映画界は、ガブリエル・コレットその人の映画化を英米に委ねてしまったのだろうか。フランス人が脚本を作り、フランス人が演じ、フランス人が監督した「コレット映画」を観てみたかったと思うし、フランスversionが製作されるなら、喜んでチケットを買わせてもらう。立ち上がれ、フランス映画界よ! This begs for a French remake, c’mon!

 

クローディーヌというキャラクターもの以外の作品が当時のパリおよびフランスでどのように受け止められたのかを、劇中でもっと知りたかったと思うし、コレットの華やかにして異端児的な恋愛遍歴についても、もっと描写が欲しかった。というか、このような立志伝中の人物を描写するのには2時間ではそもそも不足だったか。パントマイムや両刀使いの描写をばっさりと切って、「クローディーヌ」シリーズの生みの親としての顔にフォーカスしても良かったのではないかと思う。さあ、フランス映画界よ、リメイク製作の機運は高まっているぞ。It’s about f**king time for a remake, French cinema!

 

総評

『 天才作家の妻 40年目の真実 』と同じスコアをつけさせてもらったが、エンターテインメント性では本作が優る。女性という生き物が生物学的に優れている(=子どもを産める)ことのみならず、個としての強さと弱さの両方を併せ持ち、それでいて夫婦というものの在り方についても教えてくれる、貴重な伝記映画である。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、真実を事実の集積以上の意味で映し出している。単なる女性のエンパワーメント映画ではないので、男性諸氏も臆することなく劇場へと向かうべし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190519223854j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ウォッシュ・ウェストモアランド, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

『 ドント・ウォーリー 』 -車椅子エンターテインメントの佳作-

Posted on 2019年5月17日 by cool-jupiter

ドント・ウォーリー 70点
2019年5月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス ジョナ・ヒル ルーニー・マーラ
監督:ガス・ヴァン・サント

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190517003722j:plain

原題は“Don’t Worry, He Won’t Get Far on Foot”である。つまり、「心配無用。あの男は遠くまでは歩けない」ぐらいであろうか。障がい者を扱う作品は近年、特に増えてきている。本作はしかし、アルコール依存など諸々の別テーマも放り込んでくる興味深い作りになっている。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190517003743j:plain

あらすじ

ジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)は常に酒びたりのアルコール依存症。酒屋で酒を買うときにも手の震えが隠せない末期症状だ。そんな自堕落な男がとあるパーティーの帰り道、同乗者の飲酒運転で事故に遭い、胸から下が不随になってしまう。しかし彼は、新たに手に入れた車イスと風刺画の才、そしてアルコール依存脱却を目指すグループの人間関係で、第二の人生を歩んでいく・・・

 

ポジティブ・サイド

ホアキン・フェニックスの熱演よりも、ジョナ・ヒル演じるドニーの度量の大きさ、その器の大きさと小ささ、慈しみとその源泉たる悲しみ、語り口、表情などが圧倒的な迫力で迫ってきた。これは本当にジョナ・ヒルなのか。彼のファンならば決して見逃してはいけない。そう断言できるほどの会心の演技を披露してくれた。

 

主演のホアキン・フェニックスも魅せる。我々は障がい者に何らかの清い属性を投影しがちである。そのことは『 アイ・アム・サム 』や『 フォレスト・ガンプ 』などの作品を観ればよく分かる。一方で実在の障がい者を描いた作品は、彼ら彼女らの苦悩や人間的にごく自然で基本的な欲求を満たせないことから来るストレスなどを真正面から描く。『 ブレス しあわせの呼吸 』や『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』が好例であろう。ジョン・・キャラハンという主人公が自分では酒瓶を開けることができず、満足に動かせない手でボトルを掴み、コルクに齧りつく姿は滑稽以外の何物でもない。しかし、その姿に我々が見出すのは酒に溺れた憐れな男ではなく、生命力にあふれるしぶとい男なのである。食欲、性欲、睡眠欲は三大欲求と言われるが、キャラハンの飲酒欲は、彼が確かに生きていることの証明になっている。

 

そしてセックス方面もしっかり経験するから、スケベ映画ファンはそれなりに期待してよい。『 ドラゴン・タトゥーの女 』のレイプ/被レイプのような滅茶苦茶なベッドシーンではなく、非常にマイルドな描写なのであくまでも期待はほどほどに。それにしても、ルーニー・マーラは不思議な女優だ。ある作品では包容力ある大人の魅力ある女性を演じたかと思えば、別の作品ではパンクで過激な一匹狼を演じたりもする。我々にはもっとこういう女優が必要なのである。

 

そして、疾走するキャラハンの車椅子のスピード感よ。車イスと同じく、物語もテンポよくスイスイと進んでいく。ホアキン・フェニックスの近年の作品では白眉だろう。『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』には及ばないものの、ヒューマンドラマの佳作になっている。

 

ネガティブ・サイド

キャラハンとルーニー・マーラ演じるアンヌの関係の深堀りが見たかった。障がい者のロマンスには、常にサスペンスとスリルとドラマがある。トントン拍子ではないベッドシーンが見たかったと個人的には思う。

 

キャラハンが車イスに適応するまでがかなり短く感じられた。そこはそんなものかと納得できないこともないが、彼の車椅子生活への順応と、周囲の人間のキャラハンへの順応の過程も見たかった。馴染みの店や学校以外の場所でもキャラハンが生き生きとしている描写があれば、彼という人間のリアリティがもっと生み出せたはずである。不世出の天才物理学者スティーブン・ホーキングが車イスで街中を散歩するのが馴染みの光景になっていたように、キャラハンもコミュニティの重要な風景の一部になっていれば、彼の人生の迫真性がもっと増したはずである。

 

総評 

障がいと向き合うというよりも、人生における不運、アクシデントにいかに向き合うのかというストーリーである。アンヌとジョンの関係にもっと迫った作りのストーリー、つまり障がい者のロマンス、またはセックスが見たいという向きはベン・リューイン監督の『 セッションズ 』、松本准平監督の『 パーフェクト・レボリューション 』などもお勧めである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190517003805j:plain

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ジョナ・ヒル, ヒューマンドラマ, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, 監督:ガス・ヴァン・サント, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ドント・ウォーリー 』 -車椅子エンターテインメントの佳作-

『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

Posted on 2019年5月13日 by cool-jupiter

The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 50点
2019年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニコール・キッドマン キルステン・ダンスト エル・ファニング
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190513003135j:plain

The Beguiledとは、魅了された者の意味である。同時に、騙された者という意味にも解釈可能である。無理やり日本語にするなら、「 落とされた者 」にでもなるだろうか。誰が誰に騙されたのか、誰が誰に魅了されたのか。これは何とも心憎いタイトルである。

 

あらすじ

南北戦争中のアメリカは南部のミシシッピの女子寄宿学園に、傷ついた北軍兵士が舞い込んでくる。園長のマーサ(ニコール・キッドマン)や教師のエドウィナ(キルステン・ダンスト)、年長のアリシア(エル・ファニング)らは、兵士マクバニー(コリン・ファレル)を介抱するうちに、精神的な変化を自覚するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

立ち上がりから非常に静かな映画である。音響的な意味でも静かであるし、台詞も特に多いわけではない。またドラマチックな展開になるまでにそれなりの時を要する。しかし、白を基調にしたドレスに身を包んだ婦女が、薄暗い屋敷兼校舎の中を楚々と動く様は色々な想像を掻き立てる。女の園というと、韓国の歴史宮廷ドラマの『 宮廷女官チャングムの誓い 』や『 トンイ 』が思い出されるが、これらのようなドロドロの暗闘や露骨な権力闘争などではなく、逆にこれらのドラマではほとんど触れられることの無かった、邦題で付された“欲望への目覚め”が大いに予感される。ソフィア・コッポラ監督の美意識というか、作家性なのだろう。これは心憎い。そしてこの監督の作家性は非常に露骨な形で終盤に爆発する。亀とキノコが重要なガジェットとして用いられることに笑わずにはいられようか。ここでは男性諸賢に大いに笑って頂きたいと思う。と同時に、冒頭からさりげなく小道具を仕込んでいる脚本にも拍手である。

 

女性陣ではキルステン・ダンストが特に良かった。うら若き乙女には出せない色気を出していた。というか、色気を出さないようにしようとすること自体が色気になっているという、非常に重層的な演技を見せてくれた。妖艶さとはまた違った妖しさがあり、無垢な(しかし悪女の素質にも恵まれた)スパイダーマンのメリー・ジェーン・ワトソンの成長した姿の一つの可能性の結実を見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

原作の男性視点バージョンを未見のため何とも言いかねるが、マクバニー伍長の魅力がもう一つ伝わらなかった。確かにナイスガイではあるが、兵士としての力強さや泥臭さには欠けていた。早い話、同じ男性として、男性ホルモンがたくさん出ているような男には見えなかった。少なくとも中盤までは。女性目線で見ると異なるのだろうが、あいにくと嫁さんは未鑑賞・・・

 

Jovian期待の星の一人、エル・ファニングの見せ場が足りなかった。濡れ場ではない。見せ場である。繰り返すが、濡れ場ではない。見せ場である。濡れ場だけが見せ場ではない。期待した自分が悪いのだ。濡れ場だけが見せ場ではない。スケベ心を抱いて本作を鑑賞しようという向きは、決して過度な期待を抱くべからず。

 

総評

初回鑑賞中に痛恨の寝落ちをしたために、あらためて見直した作品である。盛り上がるところでは恐ろしいぐらいに展開が盛り上がる。だが、そうではないところでは至って静かな、噴火前の火山がゆっくりじっくりとマグマを溜めこむような趣がある。そこを楽しめるかどうか、ソフィア・コッポラ監督の美意識と波長が合うかどうかで評価ががらりと変わる作品だと言えよう。

 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エル・ファニング, キルステン・ダンスト, サスペンス, ニコール・キッドマン, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

ゾンビランド 70点
2019年5月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115650j:plain

夏の風物詩といえば、ゾンビ映画かサメ映画である。おそらく商業ベースで全世界で毎年、数百本、インディものまで含めれば、おそらくは数万本のオーダーで製作されているであろうジャンルである。ということは、文字通りに玉石混交な分野なわけで、リバイバル上映されているということは、面白さはある程度保証されているという意味である。そして、それはその通りであった。

 

あらすじ

世界にはゾンビが跋扈していた。内向的な青年コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は厳格なルールを自らに課すことで生き延びていた。彼は故郷のオハイオを目指す途上で屈強なゾンビハンター、タラハシー(ウッディ・ハレルソン)と出会う。そして、旅を続ける二人はウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロックの姉妹に出会うのだが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115713j:plain

ポジティブ・サイド

2009年製作ということは、今からだと10年前になる。にもかかわらずジェシー・アイゼンバーグもウッディ・ハレルソンもエマ・ストーンもトップシーンにあり続けているというのが良い。豪華なものを観た気分になれる。劇中でアイゼンバーグが、ゾンビ・ワールドを指して「フェイスブックを更新する必要が無くなった」というのには、思わずニヤリ。未見の人で、なおかつFacebookアカウントを持っている人は『 ソーシャル・ネットワーク 』を視聴されたし。

 

ゾンビと相対した時に、人間は人間らしさの欠如に恐怖することは『 イヴの時間 劇場版 』でも述べた。もう一つ、ゾンビの存在によって浮きあがってくるものに、ルールや秩序の存在もしくは非在がある。そのことをコロンバスは見事に体現してくれる。DOUBLE TAPは見事なギャグになっていると共に、秩序の存在しない世界では、秩序を自ら生み出す者が生き残るということのメタファーにもなっている。コロンバスは人間社会ではある種の人間嫌いとして引きこもり体質の童貞オタク青年だったが、ゾンビ世界では有酸素運動と銃の扱いに長じた非常に外交的なファイターに変身した。そんな彼が、エマ・ストーン姉妹に翻弄される様は滑稽でもあり、切実でもある。ゾンビに対してはイケイケの青年が、生身の妙齢の女子に対しては奥手になる。そのギャップに、人間の本質が潜んでいる。

 

ビル・マーレイが本人役で出演するが、この間のスキットはギャグであり、シリアスである。ゾンビ世界にあって、既存の人間社会の価値観がどれほど不安定で危ういものかを大いなる笑いの力で見せてくれる。同時に、タラハシーというキャラクターの底浅さと深みの両方が開陳される。このシークエンスには唸らされた。

 

クライマックスはまさにゾンビランドである。ディズニーランドではなくゾンビランドである。遊園地で遊戯のごとくゾンビをぶち殺しまくる末に、爽快感以上に手に入るものとは何か。それはストリーミングやレンタルビデオでお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

ウッディ・ハレルソンのアクションシーンに少々切れが足りない。巨大剪定ばさみのシーンなどは特にそうだ。ゾンビ映画の文法の一つに、時に華麗に、時に残虐にゾンビを退治するというものがある。序盤ではこのあたりにもっとフォーカスをしてほしかった。

 

中盤にも少々中弛みがある。ネイティブ・アメリカンの土産物店を破壊していくシーンは、既存の人間社会の価値観の破壊とそれへの決別宣言、さらにこの奇妙な男女四人組の絆の形成のためでもあっただろうが、カット可能であるように思う。88分というかなり短めな映画だが、もう3~5分短縮することができたはずだ。

 

総評

ゾンビ映画と敬遠することなかれ。豪華キャストでホラー映画の王道的展開を次々と守って行きながら、同時にぶち壊していった『 キャビン 』のゾンビ映画バージョンである。ゾンビ映画のお約束を呵呵と笑い飛ばす本作は、コアなゾンビ映画ファン、ライトな映画ファンの両方にお勧めすることができる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115817j:plain

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

『 名探偵ピカチュウ 』 -まさかの実写化成功!?-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

名探偵ピカチュウ 70点
2019年5月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジャスティス・スミス ライアン・レイノルズ 渡辺謙 
監督:ロブ・レターマン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507004330j:plain

日本が世界に誇るコンテンツといえば、ドラゴンボール、キャプテン翼、ONE PIECE、ゴジラだろう。それらに次ぐものとしてポケモンが来るだろうか。Jovianは、はっきり言ってポケモンは、大まかなあらすじや世界観ぐらいしか知らない。しかし、皮相な知識しか有していなくても本作を楽しむことはできた。

 

あらすじ

ティム(ジャスティス・スミス)は疎遠になっていた父ハリーが、職務中に死亡したとの報を受け、人間とポケモンが共存するライムシティに向かう。そして父の自宅で、人語を話す名探偵ピカチュウと出会う。だが、ティム以外の人間にはピカチュウの言葉は「ピカピカ」としか聞こえず・・・

 

ポジティブ・サイド

2018年の海外クソ映画オブ・ザ・イヤー次点だった『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』でピーピーキャーキャーと騒がしいだけだったジャスティス・スミスがまともな演技をしている。それだけで評価をしたくなるのだから、クソ映画に出演することも肥やしになるのだろう。

 

しかし何と言っても、ピカチュウの声を務めたライアン・レイノルズを称えたい。同国人のカナダ人からも“Most of his movies are garbage.”と言われてしまう不遇の役者だが、『 デッドプール 』に次ぐ代表作を手に入れたかもしれない。さらに、本作は彼の過去の出演作を意識した作りになっていると思われる。ネタばれを避けるために白字にするが、

 

『 セルフレス 覚醒した記憶 』

『 白い沈黙 』

 

この二つを事前に観ていれば、本作の味わいがさらに増すことだろう。日本では本職ではない俳優が声優をすることについて賛否両論があり、それはアメリカやカナダでも同様だと思われる。『 グリンチ(2018) 』でもB・カンバーバッチがグリンチの声優を務めてそれなりに良い仕事をしたように、今後は海外でもこうした傾向が拡大していくのかもしれない。幸い、Voice Actingという意味ではレイノルズはデッドプールで経験済みであるし、彼の語りの面白さは、その声の微妙な甲高さに同居する絶妙なオッサン臭さである。本作は、吹替えではなく字幕で鑑賞して欲しい。そしてピカチュウの声を堪能して欲しい。

 

CGの美麗さも素晴らしい。ピカチュウというモフモフ系のクリーチャーがこれほど可愛らしく表現されること、そしてそれ以上にその他のポケットモンスターたちが自然や建造物といった背景に違和感なく溶け込んでいるに驚かされる。CGはどれほど精巧でもCGであると分かってしまう。しかし、それを認識する我々は、CGを不自然なものではなく、自然なものとしていつの間にか受け取りつつあるのではないか。『 シン・ゴジラ 』で初めてゴジラというキャラクターが着ぐるみではなくフルCGとして再現された頃から、我々のCG認識に変化が生じてきているのかもしれない。そんなことさえ考えてしまうほど、美麗にしてナチュラルなCGである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507004401j:plain 

ネガティブ・サイド

一応、ヒロインらしきキャラクターが存在するが、プロット上で欠かせない役割を演じるわけではない。このキャラについては、よりしっかりした活躍をする脚本を採用するか、あるいはばっさりと切り捨ててしまうぐらいで良かったように思う。

 

またティムの職業である保険の営業員というバックグラウンドも、ストーリー上で何も有効に作用していない。また、友達作りが下手だというキャラ属性も同様である。ヒロインとの距離の取り方および縮め方にぎこちなさがあり、そこをピカチュウに適宜に突っ込まれるも、特にトラブルも何も生じないからだ。要するにバディムービーのお約束が果たされないのだ。これはちょっと物足りない。

 

最後に、映画そのものではなく邦題について。原題のPokemon Detective Pikachuのdetectiveを名探偵と訳しているが、ストーリー展開から考えるに、これは刑事の方だろう。刑事のバディなら、普通は刑事だろう。邦題をつけた担当者には、もう少ししっかりとストーリーを見てもらいたいと思う。

 

総評

熱心なポケモンファンではない人間からすれば、この映画は面白い。改善点は残すものの、長所の方が目立つ作りになっている。『 プーと大人になった僕 』、『 アリータ バトル・エンジェル 』でもそうだったが、CGと実写がもはや違和感なく共存する時代になってきた。本作がヒットすれば、さらに多くの類似のコンテンツが大スクリーンを彩ることだろう。大いに期待したい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507004415j:plain

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SFアクション, アメリカ, ライアン・レイノルズ, 渡辺謙, 監督:ロブ・レターマン, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 名探偵ピカチュウ 』 -まさかの実写化成功!?-

『 シャザム! 』 -新時代の異色スーパーヒーロー誕生-

Posted on 2019年5月1日2019年5月2日 by cool-jupiter

シャザム! 70点
2019年4月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ザカリー・リーバイ アッシャー・エンジェル マーク・ストロング ジャック・ディラン・グレイザー
監督:デビッド・F・サンドバーグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190501232624j:plain

MCU(Marvel Cinematic Universe)が『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』をもって一旦は完結したが、一方でDCUE(DC Extended Universe)はやっとジャスティス・リーグが結成されて、ようやくスタンドアローンの『 アクアマン 』がリリースされたところ。そこへもってきて、異色のヒーロー、シャザムがやってきた。暗くもあり、明るくもあるヒーロー。DCの風向きも変わってきたか。

 

あらすじ

母親とはぐれ、里親のもとを転々としてきたビリー・バットソン(アッシャー・エンジェル)は、ある時、魔術師に召喚され、彼の力を受け継ぎ、シャザム(ザカリー・リーバイ)となる。同じ里親のもとに暮らすフレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)と共に能力を無為にテストするだけの日々を送っていた。しかし、彼の身には、かつて魔術師シャザムに拒まれ、悪魔の力を追求するDr.シヴァナ(マーク・ストロング)が迫っており・・・

 

ポジティブ・サイド

ヒーローは往々にして暗い背景を有している。バットマン然り、アイアンマン然り、スパイダーマン然り、アクアマン然り、キャプテン・アメリカ然り、スーパーマン然り。シャザムとなるビリーも母親との別離を経験している。しかし、そのことが彼をして正義の使者や代弁者、執行者たらしめていない。名前こそバットソン(Batson)であるが、彼はブルース・ウェイン/バットマンとは、そこが決定的に違う。いや、そもそもアメコミ世界のスーパーヒーローは、歴史的にアメリカという国の国力(=軍事力と言っても良い)を健全な意味でも不健全な意味でも擬人化してパロディにしたものであった。だが、現実のアメリカがイラク戦争のように正義の無い戦いに身を投じたところから(実際には朝鮮戦争やベトナム戦争にも正義などは存在しなかったと考えられるが)、アメコミの実写映画化にも変化が生まれてきた。それが『 シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ 』のようなヒーロー同士の戦いであったり、『 デッドプール 』のような無責任ヒーローの爆誕にも見て取れる。

 

それでは本作の呈示するヒーロー像とは何か。それは友愛ではないだろうか。友情、絆、家族愛・・・ 言葉にすれば陳腐であるが、そうしたものが本作のユニークさであろう。もちろん、アベンジャーズやジャスティス・リーグにそうした要素がないわけではない。しかし、映画『 アベンジャーズ 』でも描かれていたように、最強ヒーローチームは、絆ではなく協力した方がより機能的であるという実用的な理由からチームとなり、『 ジャスティス・リーグ 』も個々の力を一つにまとめた方が得策だというブルース・ウェインの判断によって結成されたものだった。そこが本作と先行するヒーロー達との違いであろう。このシャザムというヒーローに一番近い、もしくは似ているのはトム・ホランドverのスパイダーマンであるように思う。

 

真面目に考察してしまったが、本作はエンタメ要素もてんこ盛りである。トム・ハンクスのファンなら、『 ビッグ 』の親友ビリーを思い出すだろうし、ビリー/シャザムの親友フレディとスーパーパワー実験をする時のBGMがQueenのフレディ・マーキュリー歌唱の“Don’t Stop Me Now”なのである。そして、舞台はフィラデルフィアで、フィラデルフィアといえばロッキー。ロッキー・ステップスを舞台にしたシークエンスもあり、それ以外の「おいおい」というシーンもある。また、悪役Dr.シヴァナが使う悪魔の力からは、どうしたって『 ゴーストバスターズ 』を想起させられる。同じDCEUの先輩キャラを茶化す楽しい場面もあるので、劇場が明るくなるまで席を立ってはいけない。

 

ヴィランのマーク・ストロングも良い仕事をしたが、一番に称えたいのはシャザムを演じたザカリー・リーバイである。幼稚な大人ではなく、子どものままでかくなってしまったキャラを良く体現できていた。そんな彼が、太っちょな里親パパや、白人女子高生、脚に障がいを持つ同世代、黒人の妹たちと育む友愛の物語を、是非とも多くの人に堪能して欲しいと思う。

 

ネガティブ・サイド

シャザムというキャラおよび原作の知識があれば異なる感想を抱くのかもしれないが、街の人々のシャザムに対するリアクションがあまりにも普通であることに当初は強烈な違和感を覚えた。物語がある程度進んだところで、これは本格的にDCEUの一部、つまりスーパーヒーローが実在する世界であると分かったことでその違和感は消え去ったが、『 デッドプール 』のように、ある世界の一部であることを一発で観る側に理解させるような仕掛け、もしくは仕組みがあれば良かったのかもしれない。劇中でもスーパーマンやバットマン絡みのガジェットが登場するが、それをもっと早めに露骨に出して、なおかつ「波動拳」などの完全別世界のワードは禁句にしてしまうぐらいで良かったのではないか。

あとはコンビニ強盗を退治するシーンだが、シャザムはよいとしても、銃口がフレディに向けられていたらどうなっていたのだろうか。銃弾をものともしない防御力を示したいのなら、もっと別の描写方法があったはずである。

 

総評

『 アクアマン 』もホラーの名手ジェームズ・ワンが手掛け、本作も『 ライト/オフ 』や『 アナべル 死霊人形の誕生 』を監督したデビッド・F・サンドバーグが手掛けている。一部にジャンプ・スケア的な手法も使われているが、暗くないヒーロー、明るいヒーロー像は、今後はホラー映画の作り手たちが新境地を切り開いていくのかもしれない。コメディ的な要素もありながら、本作はかなり真面目なヒーロー像を模索する試みでもあり、DCEUの切り札的存在にもなりうるポテンシャルを秘めている。続編の製作にも期待が持てそうである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190501232742j:plain

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, ザカリー・リーバイ, マーク・ストロング, 監督:デビッド・F・サンドバーグ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 シャザム! 』 -新時代の異色スーパーヒーロー誕生-

『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

Posted on 2019年5月1日 by cool-jupiter

スイス・アーミー・マン 75点
2019年4月29日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ダニエル・ラドクリフ
監督:ダニエル・シャイナート ダニエル・クワン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190501020031j:plain

ダンだらけの映画である。全編ほぼP・ダノとD・ラドクリフだけで話が進むが、監督の二人も忘れてはいけない。このキャスティング、つまり似たような名前の人間が二人で芝居を演じるは偶然なのか必然なのか。それは観る者によって意見が分かれるところかもしれない。

 

あらすじ

孤独に絶望したハンク(ポール・ダノ)は無人島で首吊り自殺をしようとしていた。しかし波打ち際に人影が。思わず駆け寄るもそれは死体(ダニエル・ラドクリフ)だった。だがハンクは気付いてしまった。その死体は、スイス・アーミー・ナイフの如く、万能のツールであることに・・・

 

ポジティブ・サイド

本作は多くの映画ファンを惑わせるだろう。だが、意味の分からない混乱をもたらすのではなく、心地よい刺激、「これはひょっとしてこうなのか?」という思考を刺激するような作りになっている。日本の映画人たちにも是非見習ってほしい姿勢である。

 

それにしてもダニエル・ラドクリフは、何故これほどに死体役がハマるのか。死人はある意味で最も演じるのが難しい。なぜなら、お手本がないからだ。誰も死体になったことがないし、死者と話したことがある人もいない。では、なぜ我々は彼の死体の演技に魅了され、そこに説得力を認めてしまうのか。それは我々が死を生の欠如と認識しているからである。言い換えれば、生きていないものは死んでいるものだという論理、認識が存在するということである。例えば、ハンクは死体=メニーが息をしていないことから死んでいることを確認するが、彼はおならという形で外界とガス交換を行っている。これは生命の定義の一つを満たしていることを意味する。またメニーは尾籠であるが、勃起もする。リビドーである。これが性および生への欲求でなくて何であろう。対照的にハンクはデストルドーに苛まれて自殺をしにきたではないか。

 

死亡に直面してこそ見えてくる命の形を描いたものに、『 ALONE アローン 』がある。シリアスなトーンをあまり好まない向きには、ユーモアたっぷりの本作を推したい。だが、本作の面白さはコメディックなユーモアだけにあるのではない。ちょっとしたミステリもある。メニーとハンクの対話は、まるで『 キャスト・アウェイ 』のトム・ハンクス演じるチャックとウィルソンのようである。おっと、いささか書き過ぎてしまったようだ。といっても、本作は解釈が分かれるように意図的に作っている作品であるからして、様々な人が思い思いの解釈を楽しむのが正解である。Jovianはダンだらけ、そしてハンクとハンクスにはきっと意味があると思っている派である。

 

ネガティブ・サイド

無人島からの脱出が少しトントン拍子すぎるように感じた。序盤のハンクの孤独をもっとねっとりと描いてくれていれば、その後の海岸や山、森林のシーンでの対話や生活がより際立ったのではないか。

 

また不法投棄されたゴミは、何かもっと違うアイテムで代替できなかったのだろうか。あんな生活感あふれるゴミがそこらじゅうに散乱しているということは、取りも直さず人里がかなり近いということだ。にも関わらず、なかなか故郷を目指そうとしないハンクには何かがあると分かってしまう。

 

総評

これは傑作である。もしかしたら駄作かもしれない。間違いなく言えるのは、珍品または怪作であるということだ。まるで個々人の面白センサーがどういう方向を向いているのかを測ってくれる、どこかリトマス試験紙のような映画である。ダニエル・ラドクリフの新境地を切り開いた作品としても長く記憶に残る作品となっているし、弱々しい男を演じさせればいま最も旬なポール・ダノの安定の演技力を堪能することもできる作品である。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ダニエル・ラドクリフ, ブラック・コメディ, ポール・ダノ, 監督:ダニエル・クワン, 監督:ダニエル・シャイナート, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

『 アナイアレイション 全滅領域 』 -難解SFの佳作がまた一つ-

Posted on 2019年4月29日2020年1月28日 by cool-jupiter

アナイアレイション 全滅領域 70点
2019年4月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ポートマン オスカー・アイザック
監督:アレックス・ガーランド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190429235034j:plain

『 エクス・マキナ 』のアレックス・ガーランド監督作品で、Netflixオンリーでしか視聴できなかったものが、満を持してDVDその他媒体でavailableになった。ということで、さっそく近所のTSUTAYAに・・・行くと既に全滅であった。仕方なく、電車で数駅先のTSUTAYAで無事に借りてくることができた。

 

あらすじ

シマーと呼ばれる謎の領域が突如、出現した。軍は偵察隊を送り込むも帰還せず。唯一帰ってきたケイン(オスカー・アイザック)は重体。妻の分子生物学者レナ(ナタリー・ポートマン)は、真実を明らかにするため調査隊に志願する。レナ達がシマー内部で見たものは、遺伝子の屈折により、異様に変化した動植物たちだった・・・

 

以下、ネタばれに類する記述あり

ポジティブ・サイド

20世紀最大の科学的発見は、アインシュタインの相対性理論とワトソン、クリック両名による遺伝子の二重らせん構造の発見であろう。『 ジュラシック・パーク 』のイアン・マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)の言葉を借りるならば、“Genetic power is the most awesome force the planet’s ever seen”なのである。遺伝子の変異により異形のモンスターと化したクリーチャーと戦うだけならば、これまでに何千本と製作されてきた。本作のユニークさは、恩田陸の小説『 月の裏側 』的なところにある。生き物が、その生き物らしさを保持しながらも違う生き物に変化してしまう不気味さ。人間が人間的でありながら人間ではなくなることの不気味さ。そうした雰囲気が全編に漂っている。かなりグロい描写があるので、耐性の無い人は避けた方が無難かもしれない。しかし、本作が最も際立っているのは、クリーチャーの鳴き声だろう。これにはJovianも怖気を振るった。

 

本作は序盤から生物の細胞分裂の話が繰り返される。基本的には細胞が分裂したことで新たに生まれる細胞は、元の細胞と同じである。しかし、そこに何らかのコピーエラーが生じるのが変異であり、シマーはどうやら非自然的な変異を促すものであるということが、映像や語りを通じて伝わってくる。それがリアルタイムで進行するところも恐ろしい。漫画『 テラフォーマーズ 』でも進化を強制する仕組みのようなものが火星に存在することが示唆されているが、あちらは数十年から数百点のスパンの話であるが、本作は調査隊チームのメンバーの身体の変化がリアルタイムで進行する。思わず吐き気を催すような変化もあり、やはりかなり観る人を選ぶ作品であると言えるだろう。

 

終盤に登場する宇宙生物は、おそらくミクロレベルでの遺伝子の振る舞いを生物というマクロレベルの行動に反映させているのであろう。変化は模倣から始まるのだ。『 旧約聖書 』の「 創世記 」にも、“我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう”というImago Dei=神の似姿という思想が見られる。そうか、これは宇宙人による回りくどいパンスペルミア・プロジェクトなのか。レナだけが生き残ることができたのも、他のメンバーには生に執着する理由が薄い一方で、レナは大学の同僚と不倫してセックスに耽るなどの生殖の能力と意思がある(ように見える)。Annihilationという原題の意味するところ、それは既存の遺伝子の緩やかな消滅=新しい遺伝子の繁栄だろうか。レナとケインは、同じく聖書から引くならば、新たなアダムとイブになるのだろうか。何とも不思議なSFを観た。そんな感覚が鑑賞後に長く続く映画である。

ネガティブ・サイド

レナの不倫相手が黒人学者というのは良い。遺伝子のミックス具合がその方が高いからである、であるならば、原作どおりに調査隊チームのメンバーも民族的に多様多彩なメンバーは揃えられなかったのだろうか。

 

また科学者で結成されたチームであるにもかかわらず、目の前にある重要な情報源に飛びつかないのは何故なのか。科学者を科学者たらしめるのは旺盛な好奇心と批判精神のはずである。それらがこのチームのメンバーには決定的に欠けている。先遣隊が残した情報を全て検証することをしないとは・・・ 著しくリアリティに欠ける行為で、個人的には納得がいかなかった。

 

総評 

極めて晦渋な作品である。系統としては『 2001年宇宙の旅 』や『 ブレードランナー 』、『 惑星ソラリス 』に属する、難解SFである。しかし、考察の材料はおそらく全て作品中で呈示されている。Jovianも初見では消化しきれていない部分があることは自覚している。いつかrepeat viewingをして、更に考察を深めて見たいと思う。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SF, アメリカ, イギリス, オスカー・アイザック, ナタリー・ポートマン, 監督:アレックス・ガーランド, 配給会社:Netflix, 配給会社:パラマウント映画Leave a Comment on 『 アナイアレイション 全滅領域 』 -難解SFの佳作がまた一つ-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来 』 -絶対領界音域&字幕版鑑賞-
  • 『 もののけ姫 』 -4Kデジタルリマスター上映-
  • 『 羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来 』 -吹き替え鑑賞-
  • 『 プレデター バッドランド 』 -Clan Over Family-
  • 『 羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~ 』 -劇場再鑑賞-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年11月
  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme