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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 音楽

『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -フレディ死すともクイーンは死せず-

Posted on 2018年11月19日2019年11月23日 by cool-jupiter

ボヘミアン・ラプソディ 85点
2018年11月17日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ラミ・マレック ルーシー・ボーイントン グウィリム・リー ベン・ハーディ ジョセフ・マッゼロ トム・ホランダー マイク・マイヤーズ
監督:ブライアン・シンガー

 f:id:Jovian-Cinephile1002:20181119012956j:plain

原題もBohemian Rhapsody である。葛城ユキあるいはCHAGE and ASKAの楽曲‘ボヘミアン’を思い起こす人は多いのだろうか、それとも最早マイノリティなのだろうか。意味は放浪の人、流離う人、旅人、定住しない人などである。ラプソディとは、一曲の中で転調が見られる壮大な音楽を指す言葉である。そう考えれば、ボヘミアン・ラプソディというフレーズ、そして楽曲はQueenというバンドの定義にして本質であると言えるのかもしれない。

 

あらすじ

インド系の青年ファルーク(ラミ・マレック)はヒースロー空港で荷物の仕分けで日銭を稼ぎながら、夜な夜なパブに足を運び、バンドのライブを楽しんでいた。ある日、お気に入りのバンドのメンバーに声をかけたところ、リード・ヴォーカルが抜けたという。ファルークは歌声を披露し、その高音域を買われ、メンバーに加わる。そして伝説の幕が開く・・・

 

ポジティブ・サイド

20世紀FOXの定番ミュージックがエレキサウンド!『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』でも採用されていた手法で、今後はこのような形で観客を映画世界に招き入れるのが主流になっていくのかもしれない。歓迎したいトレンドである。

 

本作を称えるに際しては、何をおいてもラミ・マレックに最大限の敬意を表さねばならない。はっきり言って、長髪の頃のフレディにはあまり風貌は似ていないのだが、短髪にして髭をたくわえ出したあたりからは、シンクロ率が400%に達していた。架空のキャラクターを演じるのは、ある意味で簡単だ。監督、脚本家、演出家などが思い描くビジョンを忠実に再現する、もしくは役者が自身のテイストをそれにぶつけて醸成させていけば良いからだ。しかし、世界中にファンを持つ伝説的なパフォーマーを演じるというのは、並大抵の技術と精神力で達成できることではない。彼の持つ複雑な生い立ちとその時代や地域におけるセンシティブなパーソナリティ、その苦悩、葛藤、対立、軋轢、堕落、和解、そして真実へと至る道を描き出すその労苦を思えば、マレックにはどれだけの賛辞を送ってもよいだろう。何か一つでもヘマをすれば、数十万から数百万というオーダーの映画ファン、音楽ファンから批判を浴びることになるからだ。史実(と考えられているもの)とは異なるシーンも散見されるようだが、そこは事実と真実の違いと受け入れよう。前者は常に一つだが、後者は見る角度によってその姿を変える。たとえば Wham! の名曲、“Last Christmas”は失恋を歌ったものであるが、ジョージ・マイケルのセクシュアリティを知れば、歌詞の解釈がガラリと変わる。フレディ・マーキュリーについても同様のことが言えるのだ。

 

本作はクイーンがいかに楽曲の製作や録音、編曲にイノベーションをもたらしたのかを描きながら、同時にバンドにありがちな衝突も隠さずに描く。Jovianの知り合いにプロの作曲家・音楽家・サウンドエンジニアの方がいるが、「バンドの解散理由っていうのは音楽性の違いが一番ですよ。ギャラの配分とかで揉めることの方が少ないです」とのことだった。クイーンの面々のこうした側面も描かれるのは、クイーンファンには微妙なところかもしれないが、人間ドラマを大いに盛り上げる要素であり、なおかつクライマックス前の一山のためにも不可欠なことだった。そうした描写に加えて、『 ダラス・バイヤーズクラブ 』のマシュー・マコノヒーよりも乱れた生活を送るフレディが家族のもとに回帰していく様は、夜遊びに興じるファルークが父と母のもとに回帰していく様を思い起こさせた。

 

ラストの21分間は圧倒的である。本作鑑賞後に、是非ともYouTubeで同ステージの映像を検索して観て欲しい。その場にいられなかったことを悔い、しかしその場にいたことを確かに実感させてくれるような作品を産み出した役者やスタッフの全てに感謝したくなることは確実である。本作を送り出してくれた全ての人に感謝を申し上げる。

 

ネガティブ・サイド

 

ほとんどケチをつけるところが無い作品であるが、フレディの過剰歯は本当にちょっと過剰すぎやしないか。

 

またバンドの結成からメジャーデビュー、さらにはアメリカツアーまでのトントン拍子の成功が、ややテンポが速すぎるというか、トントン拍子に進み過ぎたように思う。その時期のバンドのメンバーの関係やマネジメントとの距離感にもう数分だけでも時間を割いていれば、中盤以降の人間関係のドラスティックな変化にもっとドラマが生じたかもしれない。

 

あと、これは作品に対する complaint ではないが、本作のような映画こそ発声可能上映をするべきではないだろうか。‘We Will Rock You’や‘We Are The Champions’を、好事家と言われようとも、スノッブと言われようとも、映画館で熱唱してみたいと思うのはJovianだけであろうか。

 

総評 

レイトショーにも関わらず、かなりの入りであった。上映終了後、客が退いていく中、4~5組みの年配カップルの、特に男性の方が放心状態という態で席から立てずにいたのが印象的だった。『 万引き家族 』のリリー・フランキーではないが、「もう少しこの余韻に浸らせろ」と言わんばかりであった。似たような現象は『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』でも観察された。奇しくもそちらも同劇場でのことであった。近年でも『 ベイビー・ドライバー 』で‘Brighton Rock’が、『 アトミック・ブロンド 』のトレーラーでも‘Killer Queen’が使用されるなど、その音楽の魅力は全く色褪せない。フレディ・マーキュリー、そしてクイーン。彼は死に、彼らは最早かつてのバンドではない。しかし、その功績と遺産、輝きは巨大にして不滅、音楽ファンからのリスペクトは無限である。小難しいことは良く分からないという人でも、‘We Will Rock You’や‘We Are The Champions’を聞いたことがないということは、ほとんど無いだろう。トレーラーでもポスターでもパンフレットでも、何かを感じることがあれば、チケットを買うべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, アメリカ, ラミ・マレック, ルーシー・ボーイントン, 伝記, 監督:ブライアン・シンガー, 配給会社:20世紀フォックス映画, 音楽Leave a Comment on 『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -フレディ死すともクイーンは死せず-

『はじまりのうた』 -やり直す勇気をくれる、音楽と物語の力-

Posted on 2018年9月14日2020年2月14日 by cool-jupiter

はじまりのうた 65点
2018年9月12日 レンタルDVD観賞
出演:キーラ・ナイトレイ マーク・ラファロ ヘイリー・スタインフェルド アダム・レヴィーン ジェームズ・コーデン キャサリン・キーナー
監督:ジョン・カーニー

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原題は“Begin Again”、「もう一度始めよう」の意である。もう一度、というところが本作の肝である。

音楽プロデューサーのダン(マーク・ラファロ)は、かつては敏腕でグラミー賞受賞者もプロデュースしたこともあるほど。しかし、ここ数年はヒットを出せず、酒に溺れ、妻のミリアム(キャサリン・キーナー)とは別居。娘のバイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)を月に一度、学校に迎えに行くだけの父親業も失格の男。ある日、娘を職場に連れて行ったものの、あえなくその場で解雇を宣告されてしまう。失意のどん底のダンは、しかし、とあるバーでシンガーソングライターのグレタ(キーラ・ナイトレイ)の歌と演奏に聴き惚れる。必死の思いで彼女を説得し、ニューヨークの街中を舞台にゲリラレコーディングを敢行していくことで、ダンの周囲も、グレタと恋人のデイヴ(アダム・レヴィーン)にも変化の兆しが見られるようになる。

『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』でも触れたが、アメリカという国は≪セカンド・チャンス≫というものを信じている。本作は、音楽の力を通じで、そのセカンド・チャンスを人々がものにしていくストーリーなのである。燻っていた情熱の残り火を、もう一度完全燃焼させたいと願っているサラリーマンは、日本には大勢ではないにしろ、それなりの数が存在しているはずだ。そんな人にこそぜひ見てほしい作品に仕上がっている。また、娘が難しい年頃になったことで、距離の取り方に難儀するようになった中年の悲哀に対しても、本作は一定の対応方法を提示してくれる。洋楽はちょっと・・・と敬遠してしまうような中年サラリーマンにこそ、観て欲しい映画になっているのだ。

一例を挙げよう。ダンはグレタのギターと歌唱を聴きながら、伴奏のピアノやバイオリンによるアレンジを生き生きと思い描き、歌に命を吹き込むビジョンを抱く。そんな creativity は自分には無縁だと思うサラリーマンも多いだろう。だが待ってほしい。街の中で空き地を見つけて、アパートかオフィスビルが駐車場にならないかと想像を巡らせたことが一切ないという不動産会社や建築・建設会社の社員がいるだろうか。ダンと我々小市民サラリーマンの違いは、スキルや能力ではなく、何らかのポテンシャルに巡り合えた時に、自分を信じられるかどうかである。何らかの可能性ある投資先を見つけられるかどうかではない。小説および映画の『何者』にあった台詞、「どんな芝居でも、企画段階では全部傑作なんだよ」という言葉が思い出される。当たり前といえば当たり前だが、我々はくだらないことよりも素晴らしいものの方を想像しがちだ。その想像を創造につなげていく勇気を持つ人間のなんと少ないことか。そんな小市民たる我々は、ダンとグレタに救われるのだ。

印象的な点をもう一つ。ダンとグレタが互いに素晴らしいと認めるミュージシャン、アーティストを挙げていく酒場のシーンがある。「どんなものを食べているかを言ってみたまえ。君がどんな人間であるのかを言い当ててみせよう」とはジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランの言葉であるが、これは「どんな音楽を聴いているかを言ってみたまえ。君がどんな人間であるのかを言い当ててみせよう」と言い換えることも可能であろう。ダンとグレタは、互いのプレイリストを二股のイヤホンを使ってシェアするが、これなどは我々が互いの本棚や映画のライブラリを見せ合うのに等しい。我々は普段からスーツに身を包み、自分を偽装することに抜け目がない。しかし、自分が普段から聴いている音楽を人にさらけ出すというのは実は非常に勇気がいることだ。もし、この例えがピンと来ないのであれば、あなたのPCやスマホのブラウザのお気に入りを誰かに見せるということだと思ってみてほしい。ダンとグレタの男と女とは一味違う、もっと奥深いところで響き合う関係に感銘を受けるだろう。

それにしてもキーラ・ナイトレイの歌の意外な上手さに pleasantly surprised である。Maroon 5のアダム・レヴィーンが本職の実力と迫力を見せてくれること以上に、彼女の歌う“Like a Fool”に哀愁と力強さが同居することに感動のようなものを覚えた。恋人もしくは元彼がいかに約束を守ってくれなかったかを詰る歌は無数に存在する。Christina Perriの“Jar of Hearts”、Diana Rossの“I’m Still Waiting”など、枚挙に暇がない。それでもJovianがキーラの歌う“Like a Fool”に殊更に魅了されたのは、単にBritish beautyが個人的な好みだからなのだろうか。

いずれにしても、これは素晴らしい作品である。サラリーマンとして、父として、または夫として、とにかく人生に何らかの行き詰まりを感じている男性はここから何らかの「やり直す勇気」を受け取ってほしい。切にそう願う。そうそう、早まってエンドクレジットが始まった途端に再生を止めたり、画面の前から離れたりせず、最後まで観るように。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, キーラ・ナイトレイ, ヒューマンドラマ, ヘイリー・スタインフェルド, マーク・ラファロ, 監督:ジョン・カーニー, 配給会社:ポニーキャニオン, 音楽Leave a Comment on 『はじまりのうた』 -やり直す勇気をくれる、音楽と物語の力-

ピッチ・パーフェクト2 -女子寮のノリの女子大生成長物語-

Posted on 2018年8月19日2019年4月30日 by cool-jupiter

ピッチ・パーフェクト2 65点

2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:アナ・ケンドリック ヘイリー・スタインフェルド ジョン・マイケル・ヒギンズ
監督:エリザベス・バンクス

前作が女子高生のノリなら、今作は女子大生、特に女子寮(sorority)に暮らす若者のノリが強く出ていた。大学時代に寮で暮らした人、特に相部屋や共同トイレ、共同風呂を経験した人ならば、同じ屋根の下で暮らす者に家族以上の親近感を抱くあの感じを理解できるだろう。同じようなことは大学のサークルにも当てはまる。寮は往々にして24時間活動しているサークルだったりする。ベラーズはこの両方を兼ねた、歌って踊って恋してケンカする、洗練されたお下品女子大生たちの物語なのである。キャスティングは前作を引き継いでいるため、ここから観始めることは決してお勧めできない。必ず『ピッチ・パーフェクト』から観るように。

ゲロ吐きオーブリーは卒業してしまったが、ベラーズはその後も強豪アカペラチームとして君臨。ついにはオバマ米大統領の誕生日に本人の前でパフォーマンスをするに至った。完璧な歌唱、完璧な振り付け、そして太っちょエイミーが空中ブランコさながらにリボンを体に巻きつけて天井から舞い降りようとする時、それは起こった。エイミーのユニフォームが裂け、大統領夫妻に下腹部およびそれ以外の場所をモロ見せしてしまったのである。さあ、『ピッチ・パーフェクト ラストステージ』のオープニングではどのようなハプニングが起こるのか、期待は否が応にも高まるばかりである。

このお下劣アクシデントにより、ベラーズはコンテストへの出場を認められなくなってしまう。天の計らいによって何とか大会出場は果たせうようになったものに、コペンハーゲンでの世界大会では、ドイツのDSM=ダス・サウンド・マシーンに、その圧倒的な実力を見せつけられてしまう。ベッカも負けずに挑発するものの、なぜか「汗がシナモンの臭いなのよ!」と褒めてしまう(シナモンが一体何なのかを知りたい人はUrban Dictionaryで調べるか、『ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中』を観てみよう)。ベラーズは本調子ではなく、一枚岩でもなくなっていた。なぜなら、4年生になったベッカは、ベラーズでの活動よりも敏腕音楽プロデューサーの元でのインターンシップに精を出しながら、そのことはメンバー達には秘密にしていた。一方で前作から引き続き登場しているクロエは、ベラーズでの活動を続けたいがために2回も留年をしているという始末。まるで漫画『げんしけん』の斑目のようだ。斑目は留年していたわけではないが。オーブリーは無事にグループからも大学からも卒業したものの、こんな牢名主のようなキャラがいては現役はやりにくくて仕方がない。そんなロックボトム状態のベラーズに新戦力が加入する。ヘイリー・スタインフェルド演じるエミリーである。母親がベラーズOGという、何とも頼もしい新戦力である。

チームをリセットするにはどうするか。古今東西を問わず、ここは合宿である。そして合宿所にいるのは、ゲロ吐きオーブリー。ビシバシ指導するのが好きなので、合宿所の経営/運営を仕事にしたという。ここでは女子寮的な要素がさらに濃く出てくる。詳しくは観てもらうとして、面白いのはベッカの恋愛模様がややマンネリ状態であるのに対し、太っちょエイミーと、宿敵トレブルメーカーズのお騒がせ男のセックスフレンド関係が、いつの間にかシリアスな関係にまで発展していくこと。この時のエイミーのパフォーマンスは『マジック・マイクXXL』のリッチーのとあるパフォーマンスに匹敵する。『マジック・マイク』、『マジック・マイクXXL』は男子寮のノリだな、と書きながら気がついた。いつかこれらも紹介したい。

Back on track. もちろん、新加入のエミリーも、爽やかとは言えない相手と爽やかな関係を結ぶようになるのが、これが成就するのかどうかは次作まで待たなくてはならないようだ。そして、このエミリーの持つ才能がベッカの夢を後押しする。そしてベッカの夢が動き出すことで、ベラーズは逆説的に強くなる。このあたりは前作と同じ構造なのだが、4年生になっても就職活動もあまりせず、サークルやら何やらに血道を上げる先輩や、一方でしっかり将来を見据えながら、仲間と微妙な距離を保つ先輩、そうした少しぎくしゃくした人間関係の修復模様が一気にラストのパフォーマンスに結実する様は圧巻である。さあ、これで10月の『ラストステージ』への準備は万端。『マンマ・ミーア!』の続編も公開間近というわけで、ミュージカル一色で夏の終わりと秋の始まりに備えよう。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, ヒューマンドラマ, ヘイリー・スタインフェルド, ロマンス, 監督:エリザベス・バンクス, 配給会社:東宝東和, 音楽Leave a Comment on ピッチ・パーフェクト2 -女子寮のノリの女子大生成長物語-

ピッチ・パーフェクト -女子高のノリの女子大生成長物語-

Posted on 2018年8月18日2019年4月30日 by cool-jupiter

ピッチ・パーフェクト 65点

2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:アナ・ケンドリック ジョン・マイケル・ヒギンズ
監督:ジェイソン・ムーア

バーデン大学への新入生ベッカ(アナ・ケンドリック)は、DJ志望の今時女子。父親とは微妙な関係で、ルームメイトとも打ち解けられそうにない。しかし、ひょんなことからオール女子で構成されたアカペラ部のバーデン・ベラーズに入部するベッカ。ゲロ吐きオーブリーやらファット・エイミー、セクシー美っち(誤変換だが採用)のステイシーら個性的すぎる問題児らと共にアカペラに励むようになっていく。同大の男子アカペラグループのトレブルメーカーズとは悪い意味でのライバル関係を築いており、ベラーズ加入に際してはトレブルメーカーズの男子とは肉体関係を結びませんという宣誓までさせられる。女子、特に日本映画の典型的な女子高生というのは親友=仲間、仲間=親友と捉え、その関係を男に乱されることを極度に嫌う傾向がある。それは『虹色デイズ』でも『君の膵臓をたべたい』でも、変化球であるが『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』でもそうだった。それと同じノリで展開するのが本作である。ベラーズは元々強豪で知られていたのだが、全国大会のパフォーマンス真っ最中に盛大に嘔吐してしまったオーブリーのせいで、一挙に全国レベルで笑い草にされるようになってしまった。そこから新入生勧誘に力を入れるようになって入ってきたのがベッカというわけである。

ストーリーは、まさに女子高のノリで進む。禁断の恋あり、笑いあり、涙あり、友情あり、ケンカあり、仲直りありのローラーコースター映画である。その瞬間瞬間に歌と踊りが効果的な彩りを加えてくれている。個人的に強く印象に残ったのは太っちょ(ファット/Fat)エイミー。『パティ・ケイク$』のパティを、その体型から思わせるが、肥満と歌い手であるという以外の共通点は見当たらない。ピッチ・パーフェクトとは「まったくもって完璧」という意味だが、それは個々人の在り様ではなく、ベラーズというチームの上がり下がりの仕方のことだ。テレビドラマ的な展開と言おうか、よくこれだけの要素をてんこ盛りに出来るなと感心する。女の友情の美しさと醜さを的確に描写し解説するのは自分の手には余ることなので、そのあたりは他サイト、ブログを参照されたい。

本作であらためて勉強になると思ったことは『パティ・ケイク$』でも描写があったストリートでのラップ対決さながらの、riff-offというアカペラバトル。互いに歌を歌い合うのだが、その途中の歌詞と同じ語を引き継いで、別の歌に即座に歌い替えるという非常に広範囲な知識と瞬発力が要求されるバトルだ。日本のストリートでも実際にこんなバトルが行われているだろうか。ブレイクダンスさながらの対決だ。日本では漫画『ヤスミンのDANCE!』ぐらいしか思いつかないが、アカペラとなると寡聞にして何も思いつかない。個人的にわずか10分弱のこのシークエンスをハイライトに挙げておきたい。

Jovianはこういう作品に触れるたびに英語の勉強になると思っているが、向こうの若い世代(アナ・ケンドリックが若いかどうかはさておき)にスポットライトを当てた映画は、往々にしてトンデモナイ英語を喋る。ベッカがオーブリーに言い放つ”You are not the boss of me!!”はその最たる例であろう。本当は、文法的には破綻していても、状況とセットで聞けば(読めば、ではないところがポイント)自ずと意味が理解できるような教材、つまり映画こそ、日本の公教育に取り入れていってほしいと思っている。それは英語だけではなく、社会や理科、道徳についても当てはまることだと思っているし、本ブログでも何度かそういった指摘や提言をしてきた。今後も、文科省のお歴々の耳には絶対に入らないと確信しつつも、意見だけは述べ続けていこうと思う。

この映画のもう一つの私的な見どころは、アカペラの実況解説の二人組。『ピッチ・パーフェクト2』にもしっかり登場して存在感をアピールしてくれる愉快なデュオだが、特に男性の方はアメリカ人的な価値観をめちゃくちゃ露骨に、露悪的と言えるほどにあっけらかんと開陳してくれる。彼の実況をよくよく聞いてから『チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』を観賞してみよう。大谷翔平のキャンプ中の評価とシーンズ開幕後の評価のギャップに戸惑った多くの日本人が、なるほどと納得できるだろう。

青春映画の王道で、ミュージカル映画としても佳作である。トリロジーの最後を飾る作品が2018年10月には日本でも公開される。復習観賞するなら今がベストのタイミングである。さあ、近くのレンタルショップかネット配信にゴーである。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, ヒューマンドラマ, ロマンス, 監督:ジェイソン・ムーア, 配給会社:武蔵野エンタテインメント, 音楽Leave a Comment on ピッチ・パーフェクト -女子高のノリの女子大生成長物語-

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス 60点

2018年8月8日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:オマーラ・ポルトゥオンド マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール バルバリート・トーレス エリアデス・オチョア イブライム・フェレール
監督:ルーシー・ウォーカー

 

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我々がキューバと聞いて思い浮かべるのは、アマチュア野球の強豪国、アマチュアボクシングの超強豪国、サトウキビ、葉巻、レーニン、サパタ、ゲバラに並ぶ革命児カストロぐらいであろうか。しかし、そうしたキューバに関するパブリックイメージは1990年代終盤に突如(のように当時は思えた)、塗り替えられた。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のリリースであった。彼ら彼女らはすでに老齢で歌手やエンターテイナーとしてのピークは過ぎていたが、非典型的なlate bloomerとでも言おうか、第三世界のスターが一夜にして第一世界で脚光を浴びたのであった。本作はそんな彼らの文字通りの晩年を振り返るドキュメンタリーである。

キューバといえば近年カストロを失ってしまったが、革命家と言って人々の心にぱっと浮かんでくるのはレーニン、サパタ、カストロの御三家であろう。革命の根底には往々にして民衆の熱狂的支持がある。ソンに代表されるキューバ音楽とアフリカ音楽の混淆が、キューバ文化に深みと、陽気な絶望を歌う民族性のようなものを加えている。革命には音楽のバックアップがあるのだ、ということを我々は最近、「アラブの春」から学んだところであるが、キューバ革命の背景にもそうした要素はあったことだろう。しかし、本作監督のルーシー・ウォーカーは冒頭にキューバ史の概要とカストロの死のニュースを簡潔に挿入するのみで、そうした要素を前面に押し出そうとはしていない。音楽そのものの力とそれを奏で歌う人々の力により注目してほしいということだと受け取った。

Jovianはどういうわけか、イブライムが左卜全とオーバーラップして見えることが多かった。歌唱力も寿命もイブライムの方が上だが、なぜかイブライムは左を彷彿させた。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの面々が成し遂げたこと、我々に及ぼした影響は巨大で一口には語れない。もしも彼らがいなければ、つまりキューバという要素が世界で受け入れられるという土壌が90年代後半に生まれていなければ、ボクサーとしてのホエル・カサマヨルやユリオルキス・ガンボアやギジェルモ・リゴンドー(日本に来たこともあるので、テレビで見たことがある人もいるかもしれない)らの超絶テクニシャンボクサーはアメリカに亡命しプロに転向しなかったかもしれないし、英雄ホセ・コントレラスもヤンキースには来れなかったかもしれない。少なくとも、彼らに勇気が与えられたのは間違いない。

『私はあなたのニグロではない』に見られたような悲痛としか形容し得ない叫びを、ある意味で音楽に昇華した彼ら彼女らは、キューバ人だけではなく、観る者たちにもほんの少しの勇気を与えてくれる。音楽愛好家やキューバ史もしくは優れたドキュメンタリーに興味があるという方であれば観賞しようではないか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, イブラヒム・フェレール, ドキュメンタリー, 監督:ルーシー・ウォーカー, 配給会社:ギャガ, 音楽Leave a Comment on 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

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