地獄でも大丈夫 70点
2024年12月14日 第七藝術劇場にて鑑賞
出演:オ・ウリン パン・ヒョリン チョン・イジュ
監督:イム・オジョン
風邪でダウン中のため簡易レビュー。
あらすじ
いじめに苦しむナミ(オ・ウリン)とソヌ(パン・ヒョリン)は、修学旅行に参加せず、二人で心中をしようとするも断念。死ぬ前に、いじめグループのリーダーだった、現在はソウルにいるチェリン(チョン・イジュ)に復讐するため、2人だけの修学旅行へと旅立つが・・・
ポジティブ・サイド
韓国や中国、アメリカの映画はいじめを真正面から描くことが多いが、本作はいじめっ子に立ち向かう過程にロードムービーかつバディものの要素を取り入れたところが新鮮。
復讐しようとした対象が、思いがけない姿に変わってしまっていたというところも意外性があり、面白い。そして、そんな相手に対峙した自分の心境がどう変わったのか、あるいは変わらなかったのかを素直に吐露する場面の緊迫感も素晴らしかった。
ナミとソヌの女の友情の中にもとんでもない爆弾が仕込まれていたりと、どうしてなかなか練られた脚本。物語の行き着く先は韓国アニメ映画『 フェイク 我は神なり 』や、日本では『 星の子 』あたりと同じく宗教的な方面へ。信じる者は救われると言うが、救われるべきは信じる者とは限らない。日本でも宗教二世の問題がやっと認知されつつあるが、歴史上の宗教戦争の99%が経済的搾取が目的だったように、歴史上の不況の99%はビジネスなのである。
いじめとは異なる地獄を体験するナミとソヌだが、そんな二人が旅路の果てに見出した真理は陳腐ではあるが尊い。願わくば、二人が『 ソウルメイト 』のようにならないことを祈るばかりである。
ネガティブ・サイド
序盤の自殺失敗シーンだが、あれでは実は助けられないのでは?重力とは上から下向きに作用するので、本当に助けるためには真下から真上に力を与えなくてはいけない。
楽園とは何だったのだろうか。いや、想像はつくが、もう少し明示的にしてくれてもよかったのではなかろうか。
総評
イム・オジョン監督はこれが長編デビュー作だという。ビジュアル感覚や役者の表情の切り取り方などで、すでに自分のスタイルを確立しているように感じられた。インディー映画のように撮影して商業映画のように成立させる監督というのは、韓国にはちらほらいるが、日本ではほぼ見当たらない。そういう意味でもお国柄および国のバックアップ体制の違いが見て取れる作品。シスターフッドものが好みなら、ぜひ劇場鑑賞を。
Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン
チャムカンマン
「ちょっと待って」の意。ただし「待つ」という動詞はここにはなく、「ちょっと」という副詞だけがある。英語にすると Just a minute あたりだろうか。 日本語同じく、不可解な状況などに接した時にも発せられる。英語で言う “Wait a minute.” と同じ。
次に劇場鑑賞したい映画
『 他人は地獄だ 』
『 レッド・ワン 』
『 ライオン・キング:ムファサ 』