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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:東映

『 小さな恋のうた 』 -プロモ映画としても何か足りない-

Posted on 2019年6月9日2020年11月11日 by cool-jupiter

小さな恋のうた 40点
2019年6月8日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:佐野勇斗 森永悠希 山田杏奈 
監督:橋本光二郎

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MONGL800の歌には不思議なインパクトがあった。事実、『 小さな恋のうた 』は平成を通じて男性がカラオケで歌った曲としては一位という集計データもあるらしい。そしてJovian機体の橋本光二郎監督がメガホンを取ってこの名曲の誕生秘話をドラマ仕立てにしたというのだから、期待も高まる。Alas, I did it again. Don’t ever get your hopes up.

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あらすじ 

沖縄の高校生、リョウタ(佐野勇斗)とシンジ、コウタロウ(森永悠希)はバンドを組んで、真摯に音楽に打ち込んでいた。しかし、シンジとリョウタが交通事故に巻き込まれてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

山田杏奈は頑張っていた。山田は『 わたしに××しなさい! 』の頃より少しふっくらしたように感じたが、存在感も増していた。良いことである。前半はほとんど台詞もないが、それが爆発する終盤手前のシーンは見事の一語に尽きる。

 

森永悠希にも感銘を受けた。『 カノジョは嘘を愛しすぎてる 』ではドラムを叩き、『 羊と鋼の森 』ではピアノを弾きこなし、本作でもドラマーを演じ切った。楽器を弾ける役者は希少価値がある。もちろん、音は後からプロが入れ直しているだろうが、主要キャストの中では森永の演奏シーンが最も迫真性が感じられた。

 

世良公則のキャラクターも良かった。不可解な言動を取る大人が数名存在するこの世界で、子どものまま素直に大きくなったような大人の存在は一種の清涼剤であった。

 

ネガティブ・サイド

 

以下、マイルドなネタばれ記述あり

 

沖縄を舞台にするのはよい。それがモンパチの出身地なのだから。しかし、そこで描写すべき沖縄成分が圧倒的に不足していた。米軍基地の軍人相手に商売するバーは構わない。しかし、沖縄の空と海、沖縄らしい料理、方言をもう少し、時間にして2分で良いから描写して欲しかった。このあたりは『 洗骨 』から学ぶべきだろう。

 

不可解なのは、バンドのメンバーたちが東京の方角に向かって叫ぶシーン。しかし、そこには夕陽が。沖縄のどこの地点でも、いつの時点でも、夕陽の方角に東京は無い。何故こんな初歩的なミスを犯すのか。まさか朝日なのかとも思ったが、放課後のシーンなので夕陽で間違いない。滅茶苦茶もいいところだ。

 

全体的には物語のトーンとテーマに統一感が感じられない。楽曲の素晴らしさを売りにしたいのか。それとも友情の強さ、美しさを前面に押し出したいのか。それとも国境を超えた少年少女の心温まる交流劇を見て欲しいのか。監督の意図が分かり辛い。楽曲の素晴らしさを売りにしているわけではなさそうだ。何故なら、もしそうであるなら学園祭の屋上ライブをあのタイミングでストップしてしまうのは理にかなっていないからだ。全曲披露して、その上で教師にしこたま説教を食らえば良い。男同士、バンドメンバーの結束や友情、絆がメインテーマというわけでもなさそうだ。もしそこに焦点を当てるなら、ヴォーカルがドラマーに向かって「お前はただ叩いているだけでいいよな」などと言えるわけがないからだ。Jovianがドラマーなら相手を20発はぶん殴るだろうし、Jovianがヴォーカルでポロっとこんなことを口走ってしまったなら、20分は土下座する。そういう描写こそが必要なのだ。佐野の演じるリョウタが、この瞬間から甘ったれたガキンチョにしか見えなくなってしまった。米軍基地内に暮らすリサとの交流がメインというわけでもないようだ。沖縄の現実と米軍基地の問題を切り離すことはできない。デモ隊と基地の対立、デモ隊と主人公らの関係が特に強く描かれるわけでもなく、そこにさらに親子の葛藤という対立軸まで放り込まれても、こちらはとても消化しきれない。

 

他にも、序盤のシーンではシンジに影がなく、終盤のシーンではシンジに影があるという具合に、演出面でも統一を欠いた。影云々は、製作者側の意図的なものかもしれないが、ただでさえ色々な面でとっちらかってしまっている作品に、これ以上を混乱をもたらすような演出は不要である。

 

総評

高校生がバンドを組んで学園祭でパフォーマンスをするという映画なら『 リンダ リンダ リンダ 』の方が一枚も二枚も上手である。だが、Jovianが嫁さんと鑑賞した劇場内では、かなりの人数の女子が泣いていた。「もう2時間ずっと泣きっぱなしやったわ」という声も聞かれた。当たり前田は広島カープであるが、一レビュワーが低く評価しているからといって、作品の質が低いというわけではない。作品とそれを鑑賞するものの間には、波長のようなものがあり、それが合うと評価が高くなりやすいのだ。モンパチのファンであるなら、劇場鑑賞も一つの選択肢として検討しても良いのではないか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 佐野勇斗, 山田杏奈, 日本, 森永悠希, 監督:橋本光二郎, 配給会社:東映, 音楽Leave a Comment on 『 小さな恋のうた 』 -プロモ映画としても何か足りない-

『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』 -いっそのことシリーズ化しては-

Posted on 2019年4月14日2020年2月2日 by cool-jupiter

L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 40点
2019年4月11日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:上白石萌音 杉野遥亮 横浜流星
監督:川村泰祐

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少し前までセレブ社長とラブラブだった剛力彩芽が演じた西森葵を、上白石萌音が引き継ぎ、山崎賢人演じた久我山柊聖を杉野遥亮が引き継ぐ。杉野は山崎に似せようと努力しているが、そもそも原作キャラとそこまで似ていない。そして上白石は悪い役者ではないが、剛力にも似ていないし、かといって漫画原作のキャラにも似ていない。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』でオールデン・エアエンライクがコテンパンに叩かれたのは、彼がそもそもハン・ソロおよびハリソン・フォードに似ていなかったからである。

あらすじ

西森葵(上白石萌音)と久我山柊聖(杉野遥亮)は周囲に秘密の同棲生活を続けていた。そんな時、アメリカから柊聖の親戚、久我山玲苑(横浜流星)がやってきて、柊聖をアメリカに連れ帰ろうとする。葵を理由にそれを拒む柊聖に納得いかない玲苑に、葵の良さを教えるためと同居を勧める柊聖。かくして奇妙な一つ屋根の下生活が始まった・・・

ポジティブ・サイド

スレンダーな剛力から、ちんちくりんの上白石へのバトンタッチは英断だった。無愛想なモテ男が、愛情をストレートにぶつけられることで陥落するプロットは少女漫画の王道だが、そうした愛情の深さ、包容力は上白石の方が表現者としては上手である。同時に根っこの部分に強さと弱さを併せ持つところも良い。無礼千万な玲苑に対して毅然と立ち向かうところ、そして柊聖と離れ離れになることの苦しさを素直に吐露できる弱さの中にある強さ。この子(と言っては失礼か)のハンドラーには、舵取りを誤らないで頂きたいと思う。

メイクアップ・アーティストやヘア・スタイリスト、衣装などの裏方さんはかなり頑張られたことと思う。杉野は顔の輪郭はそれなりに山崎に似ているが、その他の部分はそうでもない。それを、ここまで違和感少なく同一のキャラであると観る側に思わせるように仕上げるのは一方ならぬ労苦であったと思う。彼ら彼女らの仕事に敬意を表したい。

ネガティブ・サイド

杉野と横浜の演技力は何とかならなかったのだろうか。もちろん山崎や剛力の演技が優っていたなど言うつもりは毫もないが、それでももう少し本人たちの努力や周りの指導が必要だろう。特に主演の杉野。『 あのコの、トリコ 』から成長していない。笑い方、怒り方、泣き方。発声と発音の練習。これらを日頃から練習しているとはとても思えない。

横浜にしても同じで、アメリカ帰りで英語ができない日本人を見下す役を演じるなら、それを演じ切りなさいと言いたい。『 シン・ゴジラ 』で叩かれまくった石原さとみをJovianは一貫して擁護してきたが、それは彼女の発する帰国子女的な雰囲気と気宇壮大な夢を誰はばかることなく語るところに説得力を認めたからだ。加えて彼女の英語。これは可もなく不可もなく。だが、横浜のキャラはアメリカ育ちとは思えない、少なくともこの物語世界におけるアメリカという国のポジティブな価値観を受け継いでおらず、悪い方の価値観を受け継いでいる。「二ヶ国語を話すのをバイリンガル、三ヶ国語をトリリンガル、一ヶ国語しか話さないのはアメリカンと言う」というジョークがある。もしアメリカ的な属性を強調したいのなら発音にはもう少し注意した方がいい。“Don’t take it out on me just because your English sucks!”の sucks が sex という発音に近かった、というかセックスだった。それが横浜なりの女子ファンへのサービス精神、そして川村監督の意図した演出であるならば仕方がない。だがそれは、英語指導・監修としてクレジットされていた2名の方に disrespectful だろう。

物語自体も残念ながら破綻している。学校という場所は噂が生まれ、拡散される場所であるが、なぜAという出来事に対しては大きな噂がすぐに広まるのに、Bという出来事にはそれが起きないのか。また、なぜXというキャラのAという(失礼極まる)行動は周囲に波風を立てない一方で、YというキャラのAという行動はそうならないのか。漫画のエピソードを数十分に一気に圧縮しようとして失敗したのだろう。脚本段階で瑕疵があったとしか考えられない。キャラたちの行動原理がよく分からない。なぜ体育館でバスケをするのに下足なのか。またデパルマ・タッチでスローで見せるべきは、シュート時の身のこなしであって、ボールがネットに swash するところではない。そういうのはバスケ映画の技法であって、キャラにフォーカスする本作のような映画の撮影技法ではない。

総評

残念ながら様々な意味で駄作である。しかし、見方を変えれば、テレビドラマではなく映画、特に邦画の世界でも、数年後に異なるキャストで異なるエピソードを作ることが可能ということを示したとも言える。原作ファンの支持を得られれば、数年後に再映画化企画が持ち上がるかもしれない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 上白石萌音, 日本, 監督:川村泰祐, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』 -いっそのことシリーズ化しては-

『 翔んで埼玉 』 -私的2019年度日本アカデミー賞作品賞決定!-

Posted on 2019年3月11日2020年1月10日 by cool-jupiter

翔んで埼玉 80点
2019年3月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:GACKT 二階堂ふみ
監督:武内英樹

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漫画『 パタリロ! 』の魔夜峰央が原作で、漫画『 テルマエ・ロマエ 』の映画化を成功させた武内英樹が、これまた見事な映画を世に送り出してきた。私的2019年度日本アカデミー賞作品賞受賞作は、これでほぼ決まりである。面白さだけではなく、映画的な技法の面でも非常にハイレベルなものがある。それほどの会心の傑作である。

あらすじ

かつての武蔵国から東京と神奈川が独立、その余り物で構成された埼玉県人は、通行手形なしには東京に入ることもできないという迫害を受けていた。そんな時に、東京都知事の息子の壇ノ浦百美(二階堂ふみ)の属する高校に、アメリカから謎の転校生、麻実麗(GACKT)が転校してくる。始めは反目しあうものの、麗の都会指数の高さに徐々に魅せられた百美は、麗との距離を縮める。しかし、麗が卑しい埼玉の出であることを知った百美は東京と埼玉の間で引き裂かれるような思いに・・・

ポジティブ・サイド

『 テルマエ・ロマエ 』にも共通することだが、ギャグ漫画を映画化しようとするならば、製作者は至って真面目にならなければならない。阿部寛演じるルシウスが現代日本の温泉テクノロジーやデザインに度肝を抜かれる様が面白いのは、その姿に我々がギャップを感じるからだ。ギャップとは認識のズレのことで、このズレ具合が笑いを呼び起こす力になる。駄洒落が好例だろう。

「隣の家に囲いができるんだってねえ」

「へえ、かっこいい!」

というのは、へえ=塀、かっこいい=囲い、という駄洒落になっている。同じものでありながら、それを捉える時の認識の違いが面白さの源泉である(上の例が面白いかどうかはさておき)。本作の面白さは、第一に役者陣の大真面目な演技(≠素晴らしい演技)から生まれている。真面目にアホなことを語り、真面目にアホな行動を取る。特に百美が麗に完敗を喫する某テストは、その好個の一例である。学校という舞台で序列が決まるのは、往々にしてこのような出来事なのだが、本作はそれをギャグという形であまりにも端的に描いてしまった。この学校という舞台装置が曲者で、ここの生徒たちは誰もかれもが劇団四季のオーディションもかくや、と思わせるほどに大仰な演技および発声をする。詳しくは後述するが、それは東京都、特に山手線内部に象徴される、いわゆる「東京」という空間の虚飾性および虚構性とパラレリズムを為している。東京の富、およびそれを生み出す生産力、労働力は一体どこから供給されているのか。それは埼玉であり、千葉である。東京という中心の繁栄は、周辺の協力なしには絶対に実現しないのである。百美が父から離反し、麗のもとに走ることを決断したのは、この「経済学的に不都合な真実」を知ったからである。

埼玉や千葉の人間が東京に対して潜在的にどのように感じているかについては『 ここは退屈迎えに来て 』のレビューで指摘したことがある。本作の面白さの第二は、まさにこのような彼ら彼女らの意識が、極端なまでに肥大化された形で表現されているところだろう。本作に描かれる埼玉は、一漫画家の想像や妄想の産物ではない。彼が観察した埼玉県人に共通する、普遍的な埼玉県人性とでも呼ぶべき性質を、とことんリアルにパロディ化したものなのである。だからこそ本作は埼玉県で驚異的なヒットになっているのであろう。これは差別の逆構造である。『 グリーンブック 』のレビューで「差別とは、その人の属性ではないものを押しつけること」と定義付けさせてもらったが、この映画は埼玉についてのネタ的なあれやこれやを執拗に描写する。これはレッテル貼りではない。逆に、自己の再発見、再認識になっている。劇中での埼玉ディスのピークは、「ダサいたま、臭いたま・・・」とエンドレスで続く駄洒落であろう。驚くべきことに、これが Motivational Speech として抜群の効果を持つのである。なぜなら、外部からそのような属性を押しつけられれば、それはすなわち差別であるが、こうした属性を自分で自分に付与していく、そして自分にそのような属性が備わっていると知ったことで、それを乗り越えようとする意志が観る者の胸を打つ。これはJovianがヒョーゴスラビア連邦共和国の住人だからなのだろうか。

本作の面白さの第三は、語りの構造のギャップにある。百美と麗の物語は、都市伝説という形でラジオ放送されている。それが、劇中のキャラクター達とそれを車中で聞くとある家族という、もう一つのパラレリズムを形成している。我々は百美と麗の物語にいちいち反応するキャラクター達を見て、無邪気に笑う。しかし、映画は最終盤で一挙に我々の生きる現実世界を飲み込んでしまう。この物語の構造と展開には唸らされた。映画を観ている我々は、実はもっと高次の存在に見られていたのか。まるで『フェッセンデンの宇宙 』のようだ。散々笑った後に、思い返してちょっぴり怖くなる。それが現実を鋭く抉る批評的映画としての本作の素晴らしさである。

エンドクレジットでも絶対に席を立ってはならない。はなわの歌に耳を傾けながら、この作品を世に送り出したスタッフの一人ひとりに感謝の念を捧げ、精一杯の敬意を表そうではないか。

ネガティブ・サイド

東京都庁の攻囲戦がやや間延びしていた。また、このパートのみアクションが真面目で、もっと振り切ったバトルシーンを観てみたかった。また、埼玉vs千葉の、それぞれ輩出した有名人合戦は、もう何名か繰り出せたはずだ。編集で泣く泣くカットしたのだろうか。

もう一つだけ気になったのは、Jovian本人は本作を観ながら、そこかしこで笑いをこらえるのに必死になったが、生粋の大阪人である嫁さんは「さっぱり意味が分からない」という態であったことだ。これはJovianが東京都在住10年半の経験を持っていて、嫁さんは生まれも育ちも全部大阪だからという背景の違いのせいでもあるだろう。しかし、それ以上に大阪という、東京には遥かに及ばないものの、それでも強力な重力を有する土地に生まれ育った者には、マージナルマンのパトスは理解できないという民俗学的、文化人類学的な理由もあるだろう。ぶっちゃけて言えば、生まれも育ちも東京(≠東京都)です、というハイソな人、あるいは児童相談所の建設に頑なに反対する、一部の南青山の住人などには、刺さるものが無いのではないか。充分に現実を批評する力を持った作品だが、もっと東京を刺すような演出があれば85点~90点もありえたかもしれない。それだけがまことに悔やまれる。惜しい。

総評

2019年もわずか3カ月しか経過していないが、本作は年間最高傑作候補間違いなしである。エンターテイメント性とメッセージ性を併せ持つ、近年の邦画では稀有な作品に仕上がっている。カジュアルな映画ファンから、ディープな映画ファンまで、幅広い層を満足させうる傑作である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, GACKT, コメディ, 二階堂ふみ, 日本, 監督:武内英樹, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 翔んで埼玉 』 -私的2019年度日本アカデミー賞作品賞決定!-

『 覚悟はいいかそこの女子。』 -社会派要素を交えた異色ロマコメ-

Posted on 2018年11月11日2019年11月22日 by cool-jupiter

覚悟はいいかそこの女子。 55点
2018年11月8日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:中川大志 唐田えりか 小池徹平 伊藤健太郎
監督:井口昇

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おそらく誰もが食傷気味の少女漫画の映画化を何故観ようと思い立ったのか。それは『 食べる女 』にチョイ役ながら出演することで映画sceneに帰って来た小池徹平を観るために他ならない。決して唐田えりか見たさではなかった・・・はず。

 

あらすじ

自他共に認める愛され男子の古谷斗和(中川大志)は、実はただのヘタレ男だった。彼女を作った友人に「鑑賞用男子」と揶揄されたことに発奮、彼女を作ろうと意気込んで三輪美苑(唐田えりか)に「俺の彼女になってくれない?」とイケメンオーラ全開で臨むも、あっさりと撃墜されてしまう。それでも懲りずに猛烈アタックを続ける斗和は、ある出来事をきっかけに美苑の住む部屋の隣で一人暮らしを始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

単なる少女漫画ものと思うなかれ。意外にも社会派の側面を持った作品である。具体的には貧困問題と一人親家庭である。後者はかつては欠損家庭とも呼称されていた。離婚もしくは片親・両親の死などによって、子が親以外の血縁者と暮らす世帯は“欠損”していると看做された時代が、ほんの十年、二十年前までは確かにあった。ヒロインである美苑を取り巻く環境は、主人公の斗和のそれとは違い、重く暗い。それをどう取り除くのか。言い換えれば、斗和がどれだけ三枚目になれるのか、または汗水垂らして頑張れるのかが見所になる。ただのイケメンでは貧困も寂しさも紛わせないからだ。そして中川大志は予想を超えるとはまでは言わないが、期待を裏切らない仕事をした。特にある決意を固めるときの表情と、三枚目に「堕ちる」時の表情は味わい深く良かった。中でも『 ハナレイ・ベイ 』のサチのありがたい教えの一つ、「美味しいものをたくさん食べさせてあげる」を実行したのはポイントが高い。

 

本作は『 センセイ君主 』や『先生! 、、、好きになってもいいですか? 』と同じく、女子高生が教師に恋心を寄せる話でもある。その相手の教師・柾木隆次(小池徹平)がとある事情から舞台を去る理由も、極めて社会的である。こうした事情を受け入れられる背景には、日本の社会の成熟と国民の意識の変化(向上と呼んでも差し支えは無いだろう)があるからなのだが、それ以上に柾木先生の抱える事情が美苑の抱える事情と表裏の関係にあるからだ。同時に、虎が死んで皮を残すように、美苑の父は娘に絵画の才能を遺していった。柾木はその才能を豊かに花開かせた。子どもには positive male figure が必要になる時期があるが、美苑にとっての positive male figure の役割をすべて引き受けようとする斗和は見事である。これこそが本作が単なる少女漫画とは一線を画す理由である。好きな女を、その女が好きな男のところに敢えて連れて行ってやる男というのは、漫画『 スクールランブル 』を始め、いくつかの先行テクストが既に存在する。しかし、恋人以外の属性を積極的に担おうとする男を描く作品はあまり生産されてきていない。この点に本作の新しさが認められる。

 

ネガティブ・サイド

まず声を大にして言いたいのは、あんな漫画的な借金取りは存在しないし、存在してはならない、ということだ。というよりも普通に法律違反だ。Jovianは昔、信販会社にいたから分かる、というか誰でも知っていることだ。ちょっと見ただけでもドアの鍵を破壊する=器物損壊、関係のない住人宅に踏み込む=住居不法侵入、その他、恐喝、脅迫や大声で借金をしていることを周囲に知らしめてしまう、借金に全く関係ない高校生に支払いを促すような声かけなどなど、脚本家や監督、さらには原作者も何を考えているのか。『 闇金ウシジマくん 』ではないのだ。もちろん社会派の物語であるからには百歩譲ってこのような描写の数々を許容するにしても、その後に借金取りが人情味のある言葉を美苑にかけるシーンは必要か?散々に相手を痛めつけておきながら、ちょろっと優しさを見せるというのは、『 追想 』のレビューで指摘した「女をこれでもかといたぶったヤクザが、情感たっぷりに涙を流しながら「ごめん。ホンマにごめん。でも、お前のことを愛してるんやからこうなってしまうんや」という構図と本質的には同じである。映画の最後にでも、「借金の取り立てシーンは違法ですが、ドラマチックな演出のためのものです」という文言を入れておくべし。動物愛護の観点からの注意書き、但し書きはあるのだから、こうしたことももっとアピールをすべきだ。闇金の恐ろしさを過小評価したいのではない。闇金には関わってはいけないし、もしも闇金に関わってしまったら、ホワイト・ナイトを待って耐え忍ぶのではなく、適切に対処しなくてはならない。20万人の中高生が本作を観たとして、そのうち2,000にんぐらいが何らかの間違った理解をしてしまわないことを願う。

 

他に指摘しておくべき細かい点としては、タクシーを使えということ。最後くらいは呼び捨てをやめなさいということ。まあ、高校生というのは昔も今もこのようなものなのかもしれない。

 

総評

個人的思考および嗜好に合わない部分があることから辛めに点をつけたが、存外に見どころのある作品である。父と息子のペア、または母と娘のペアなどで鑑賞すれば、親子の対話を促進させる材料になるかもしれないし、日本社会の不都合な真実というか現実に対する関心も高められるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 中川大志, 伊藤健太郎, 唐田えりか, 小池徹平, 日本, 監督:井口昇, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 覚悟はいいかそこの女子。』 -社会派要素を交えた異色ロマコメ-

『 走れ!T校バスケット部 』 -スポーツものとしても青春ものとしても中途半端-

Posted on 2018年11月6日2020年1月15日 by cool-jupiter

走れ!T校バスケット部 40点
2018年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:志尊淳 椎名桔平 佐野勇斗 早見あかり
監督:古澤健

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監督が古澤健ということで不安はあった。この人はスリラーは作れても、漫画を映画化するとイマイチになってしまうからだ。では、実話ベースの映画作りはどうか。随所に光るものは見えたが、色々なものを追求しようとしたせいで、どれもこれも中途半端になってしまったような印象を強く持った。

 

あらすじ

子どもの頃からバスケが大好きだった田所陽一(志尊淳)は、母親を早くに亡くしたために父親(椎名桔平)と二人暮らし。特待生としてバスケ強豪校に入学したものの、ふとしたきっかけから陰湿ないじめの標的に。バスケを辞め、ただの高校・・・ではなく、多田野高校、通称T高に転校してきた。バスケはもうしないと誓っていた陽一だったが、自分に真摯に向き合ってくれる大人や級友たちのおかげでバスケを再開。しかし、そのことを父親にはなかなか打ち明けられず・・・

 

ポジティブ・サイド

もしもこれが少年漫画あるいは少女漫画なら、母親不在という設定は編集者によって強硬に反対されていただろう。息子という存在を際立たせる親は、何よりも母親だからだ。ごくごく最近の映画に限ってみても、『 ハナレイ・ベイ 』、『 エンジェル、見えない恋人 』、『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』など、息子に寄り添うのはたいてい母親だ。それは『 ビブリア古書堂の事件手帖 』にも共通していた。父親が息子に真剣に向き合う物語は、これまではありそうでなかなか作られてこなかったのではないか。本作の事情とは異なるが、日本の離婚率もまあまあの水準まで高まってきている。性差によって役割を固定せず、家庭内の仕事をするべき人間が行うということを明示してくれているのは非常に貴重なことであると思う。椎名桔平の演技および演出も良かった。佐々木蔵之介のテレビ映画『 その日のまえに 』で、酒の力を借りて子に語り掛けようとして、逆に一喝されてしまうというシーンがあった。父は息子相手に高圧的になっても、へりくだっても、ましてや真正面からではなく搦め手で攻めようなどとはかんがえてはならないのだ。そうした父と息子の厳しくも理想的な関係を本作は描き出す。この部分がしかし、本作のハイライトになってしまった。

 

ネガティブ・サイド

本作をどのジャンルに分類すべきかと尋ねられて、悩む人は多いだろう。ヒューマンドラマであり、スポ根物語であり、ビルドゥングスロマンであり、社会派でもあるからだ。しかし、タイトルにバスケット部とあるからにはスポーツものの要素が最も強いはずだし、実際にはバスケットボールをプレーしているシーンは、いくつか合成やCGがあったように見えたが、役者たちがかなり練習してきたことが見て取れた。それでも、いくつかのシーンには???となったことを覚えている。NBAは確かフリースローは10秒以内に放らないとバイオレーションとなるが、日本の高校の試合では何秒だ?また、フリースローはジャンプしながら放ってはならないはず・・・

 

終盤前にサプライズキャラが登場し、バスケに関するアドバイスをくれるシーンがあるが、これが全くもってちぐはぐだった。それは助言の内容ではなく、その助言が物語の展開や進行にまったく影響を及ぼさないことだ。陽一と他のチームメイトの間に実力的なギャップがある。それは分かっている。だからこそ、試合では仲間を活かそうとするよりも自分の力だけで決めに行くような決断も必要になる。一瞬の迷いが命取りになる。というアドバイスは、全く生かされなかった!白瑞高校を倒すために、非情とも言える個人技連発を予感させるような前振りをしながら、見事に伏線を回収せず。これはスポーツものでは決してない。そうそう、シュートの角度とスウィッシュの方向が一致しない描写もあった。左45度からシュートしたのに、ボールは右45度からスウィッシュしてくるとか、編集はいったい何をやっているのだ?

 

いまさら言っても詮無いことだが、T高の田所陽一にフォーカスするのではなく、日川高校の田中正幸にフォーカスするべきだった。もちろん、日大アメフト部の超悪質タックル問題を思わせるような描写もあり、時代の要請に上手く答えられている面もあったが、肝心の物語があまりにもテーマを拡散させすぎて、一貫性を欠いてしまっているという印象はどうしても否めない。実話ベースではなく、バスケ漫画を原作に映画を作るべきだったのではないか。まあ、この分野には『フライング☆ラビッツ』という珍作があるので、一定以上の水準ならどれでも良作に見えてしまうものだが。

 

最後に、志尊淳に英語くらいは喋らせよう。吉田羊に英語指導した先生を連れてきて猛特訓すれば、モーガンさんともっとスムーズにコミュニケーションが取れたはずだ。バスケの練習で忙しかったなどというのは言い訳だ。これからの世代の役者も、英語くらいある程度使えて当然にならなくてはならない。福士蒼汰が英検2級合格をネタに使うようでは、日本のエンターテイメント業界の先細りは見えている。

 

総評 

悪質ないじめ描写から、予定調和的なエンディングまで、最後まで観る者を引っ張る力はある。しかし、楽しませる力はない。特に細部のリアリティと全体像との整合性、一貫性にこだわるようなうるさい映画ファンには非常に物足りなく映ることであろう。椎名桔平ファンなら要チェックと言えるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, 佐野勇斗, 志尊淳, 日本, 早見あかり, 椎名桔平, 監督:古澤健, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 走れ!T校バスケット部 』 -スポーツものとしても青春ものとしても中途半端-

『食べる女』-愛情を表現したくなる、優しさ溢れる作品-

Posted on 2018年9月24日2019年8月22日 by cool-jupiter

食べる女 70点

2018年9月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:小泉今日子 鈴木京香 沢尻エリカ 広瀬アリス シャーロット・ケイト・フォックス 前田敦子 壇蜜 ユースケ・サンタマリア 間宮祥太朗
監督:生野慈朗

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派手なアクションや手に汗握るスリル、背筋が凍るような恐怖感や息もできなくなりそうなサスペンスを求める向きには全くもってお勧めできない作品である。映画とは、何よりもまず、一般家庭では享受できないような大画面と大音響を楽しむための媒体で、そうした文字どおりの意味でのスペクタクルはこの作品には全く盛り込まれていないからである。だからといって本作には劇場鑑賞する価値が無いのかと言えば、さにあらず。充分にチケット代以上の満足感は得られるだろう。

餅月敦子(小泉今日子)ことトン子は、古本屋と文筆業の二足のわらじを履いている。同居人は猫の“しらたま”である。古本といっても料理に関連するものばかりで、トン子自身もかなりの腕前の持ち主。そんなトン子の編集者の小麦田圭子(沢尻エリカ)ことドド、トン子の親友にして割烹料理屋の女将、鴨舌美冬(鈴木京香)、ドドの飲み友、テレビドラマ制作会社のアシスタントプロデューサー白子多実子(前田敦子)らは、定期的にトン子宅で料理に舌鼓を打ちながら、男や仕事について語り合うのであったが・・・

まずエンドクレジットの特別協力だったか特別協賛だったかの、

 

      sagami original

 

というデカデカとした表示に我あらず笑ってしまった。もちろん、商品そのものは映らないのだが、それを使っているであろうシーン(使ってなさそうなシーンも)しっかり用意されているから、スケベ視聴者はそれなりに期待してよい。最もそういったシーンが期待できるはずの壇蜜     と鈴木京香    にそれがなく、逆にシャーロット    が体を張ってくれたことに個人的に拍手を送りたい。

さて、冒頭に記したようにドラマチックな展開にはいささか欠ける本作であるが、ドラマがないわけではない。実は非常に深いテーマも孕んだドラマがある。それは「人間は変わりうる」ということである。変わると言っても、何も宗教的回心のような、それこそ劇的な体験のことではない。日々の生活の中で得るほんのちょっとした気付きがきっかけになったり、人間関係の変化であったり、経済的な変化であったり、身体的な変化であったりもする。我々は普段、そうした変化があまりにも静かに進む、もしくは起きることが多いために、そうした変化を見過ごしがちである。しかし、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの言葉「万物は流転する」を引くまでもなく、変化しないものはない。仏教にも≪諸行無常≫と言うように、人間の本質は古今東西においても変化なのである。そんな変わっていく自分、変わっていく他者に愛情を注ぐことができれば、それは自分という存在そのものを肯定することにもつながる。なぜなら、繰り返しになるが人間存在の本質が変化であるからだ。こんな自分は嫌いだという人は変化を求めれば良いし、こんな自分が好きという人は、そのように変化していく自分をそのまま楽しめば良い。なにやらニーチェの永劫回帰思想やゲーテの『ファウスト』にも通じるものがありそうだ。

印象的なプロットを紹介すると、ドドとタナベの出会いが思い浮かぶ。これなどは正に、“袖振り合うも多生の縁”を地で行くような Story Arc である。もう一つは、あかりの受動から能動への変化である。詳しくは本作を観てもらうべきだろう。一見すると下半身がだらしない女のように見えてしまうが、貞操概念に欠けるのではなく、愛情を注がれることに快楽を見出す女なのだ。それは例えば料理をおいしそうに食べてくれたり、あるいはベッドで自分を愛撫し、動いてくれることだったりする。そうではなく、愛情をストレートに自分から表現しにいくシークエンスは、昨今の少女漫画原作の映画化作品に見られる、ヒロインが走っていくのを横から車で並走しながら撮影していく、アホのような画の再生産ではなく、本当に真正面からのものだった。非常に新鮮で、『巫女っちゃけん。』あたりから既に変化の兆しは見られていたが、広瀬アリスという役者の大いなる成長を目の当たりにしたかのようだった。最後に、シャーロット・ケイト・フォックスである。そそっかしいという自覚のある人は、彼女の Story Arc を決して早合点しないようにしてほしい。ダメな女の成長物語と唐竹割の如く切って捨てるように評するのはたやすい。しかし、そうした見方をしてしまう時、我々は既に自分の中に「ダメな女」像と「できる女」像を抱いてしまっていることを自覚せねばならない。人間というものを変化する主体ではなく、固定されたキャラクターであるかのように見てしまう癖が、どうしても我々にはあるようだ。しかし、古代中国の故事に「士別三日、即更刮目相待」とある。三日で人は変わりうるし、我々も見る目を変えねばならない。割烹料理屋での無音の中でのやりとりに、静かな、それでいて非常に力強いドラマが進行していることを、本作は感じさせてくれた。こここそが本作のハイライトで、凝り固まった頭の男性諸賢は心して観るように。

反面で指摘しなければならない粗もいくつかある。ジャズバーのシーンでは明らかにBGMが編集されたものだったが、ここは店内の雰囲気をもっと濃密に醸し出すために、それこそLPレコード音を背景に撮影するぐらいでも良かった。デジタル全盛の時代ではあるが、古い写真に味わいが出てくるように、レコードにも味わいが出てくるものだ。そういえば古さを賛美する印象的なシーンが『マンマ・ミーア! ヒア・ウィ―・ゴー』で見られた。” Sir, in your case, age becomes you. As it does a tree, a wine… and a cheese.”という、コリン・ファースへの台詞だ。映画の醍醐味には音という要素もあるのだから、ここを生野監督にはもっと追求してほしかった。また、ネコが前半で大活躍するのが、名前がしらたまというのはどうなのだろうか。稲葉そーへーの某漫画を連想したのはJovianだけではあるまい。

弱点、欠点はいくつか抱えているものの、それでも本作は秀逸な作品である。十数年前になるか、某信販会社にいた頃、20~30代女子向けに“自分にご褒美”キャンペーンとして、週末のホテル宿泊を推していたことがあった。おそらく2000年代あたりから、モノの消費から、コトの消費へと個の快楽の追求はシフトし始めていたが、本当にそれが根付き定着したのはごく最近になってからではなかろうか。失われて久しい、皆で卓を囲んでご飯を味わうという体験の歪さと新鮮さを『万引き家族』は我々に見せつけたが、本作の女たちの食事シーンは、ある意味での人間関係の最新形と言える。愛情は男女間だけのものではなく、自分で自分に向けるものでもあるし、ほんのちょっとしたことで知り合う他者にも大いに注いで良いものなのだ。それが実践できれば、愛しいセックスをしている時と同様に、人は暴力や差別から遠ざかることができるのだろう。その先に、“修身斉家治国平天下”があるのだろう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 小泉今日子, 広瀬アリス, 日本, 沢尻エリカ, 監督:生野慈朗, 配給会社:東映, 鈴木京香Leave a Comment on 『食べる女』-愛情を表現したくなる、優しさ溢れる作品-

『パンク侍、斬られて候』 ―実験的な意欲作と見るか、製作者の自慰行為と見るか―

Posted on 2018年7月1日2020年2月13日 by cool-jupiter

パンク侍、斬られて候 30点

2018年7月1日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:綾野剛 北川景子 東出昌大 染谷将太 浅野忠信 國村隼 豊川悦司
監督:石井岳龍
脚本:宮藤官九郎

まず30点というのは、Jovianの個人的感覚であって、この点数が他のサイトやレビュワーさんの点数よりも正確であるとは思わない。また観る者全員が傑作もしくは駄作であると一致した意見を見る作品は比較的少ないはずだ。Roger Ebertのようなプロの映画評論家の意見であっても、必ずしも賛成する必要は無い。自分の感性を信じるとともに、他者の感性も尊重すべきだ。現に映画館では、Jovianの嫁とその右隣のお客さん、さらには右側少し下のお客さんは映画のかなりの部分を熟睡していた。一方で、映画のちょっとしたギャグシーンで「クスッ」「ハハハ」「ワハハハ」というような声も聞こえてきた。彼ら彼女らはこの映画を楽しんだことだろう。重畳である。問題は、何故自分が楽しめなかったのか、というよりも、この映画のどのあたりが自分と波長が合わなかったのかを考えた方が建設的かもしれない。

まず、人によっては開始1分でずっこけるだろう。どうみても江戸時代で日本人にしか見えない綾野剛がルー大柴のようなカタカナ交じりの日本語を話す。それ自体は見る人によっては面白いのかもしれないが、リアリティを重視する自分としては全く面白くなかった。むしろ興醒めだった。また主要キャストに女性は北川景子しかいないのだが、そのせいでその登場シーンの印象が薄れるというか、「いや、このタイミングでこの登場の仕方をするってことは、冒頭のあのキャラが北川景子で決定やないか」と、キャスティングそのものがプロットをばらしてしまっているも同然なのだ。脚本のクドカンは何をやっているのか。

もちろん評価すべき点もある。家老として対立関係にある國村隼と豊川悦司は邪悪な笑みでその演技力の高さを見せつけるし、北川景子も無表情に清楚に踊る。反対にクスリでもやっているんじゃないのかというトリッピーな目で踊る染谷将太は、エキセントリックな役を演じさせれば同世代のトップランナーの一人であることをあらためて証明した。『新宿スワンⅡ』で綾野剛と共演した浅野忠信は今回は肉体派の演技に加えて、イカれたメンタルの持ち主を違和感なく演じることができることを教えてくれた。役者の面々には褒めるところが非常に多いのだが、これが映画全体を通して見ると、エンターテインメント性を思ったよりも持っていないのだ。

それは細部への過剰なこだわりによるものであろう。観賞中にやたらと気に障ったのは、アクションに対して効果音を多用しすぎであるということ、その効果音もやたらと大きく、音そのものが前面に出しゃばっていることだ。またCGの多用も文字通り目についた。『不能犯』の松坂李桃の目を覗き込んだ時の視覚効果もそうだったが、あまりにカクカクした、あるいはきれいすぎる曲線や、人工的にしか見えないクリアに色分けされた領域など、製作者側が限られた予算でこんなビジュアル、あんなビジュアルを使いたいと張り切った結果が、面白さに反映されないのだ。

本当に、これは観る側と作る側の波長の問題で、あらゆる作品について認識の乖離は起こりうる。シネマティックな作品は必ずしもドラマティックではないのだ。それだけはどうしようもない。ただし、これだけは言わねばなるまい。

パンク侍、斬られずに候!

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, コメディ, 北川景子, 日本, 監督:石井岳龍, 綾野剛, 配給会社:東映Leave a Comment on 『パンク侍、斬られて候』 ―実験的な意欲作と見るか、製作者の自慰行為と見るか―

『 ママレード・ボーイ 』 -ダメ映画の作り方を学びたければ本作を観るべし-

Posted on 2018年5月14日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:ママレード・ボーイ 15点
場所:2018年5月3日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:桜井日奈子 吉沢亮
監督:廣木隆一

本来ならこの映画のレビューをもっと早くすべきだったのかもしれない。なぜなら、よほど原作もしくは俳優陣に思い入れのある方でなければ、この映画を観賞することはお金と時間の浪費になるからだ。もしくはダメ映画の教材として、大学の映画サークルなどがDVD/ブルーレイ、その他デジタルメディアであーだこーだと分析しながら観る分には良いのかもしれない。

主役の二人の演技は可もなく不可もなくといったところ。吉沢亮の方は随所にポテンシャルを感じさせる若さゆえの脆さや弱さ、不安定さを感じさせるところもあった。彼の女性ファンならその点だけでも観る価値はあるかもしれない。

この映画を駄作にしている要因は主に2つ。第一に、意図の読めないカメラワーク。3~4か所ほどかなり長めのワンショットを使っていたが、カメラが無意味にズームイン、ズームアウトを行っていた。主役2人しかそこにいないということを強調したかったのかもしれないが、そこで映す=見せるべきは2人の表情や息遣いであって、監督や撮影監督の自己満足ではない。

第二に、前後のつながりを一切欠いた杜撰な脚本。主役2人がどのタイミングで相手に好意を持ったのか、そんなものは一切描かれないまま突如、2人が付き合うようになる。また朝と思わせて昼、昼と思わせて夕方だったというシーンがあったり、わずか数分で季節を一つ二つ飛ばしたシークエンスもあった。登場人物の服装や街並みのちょっとしたワンショットなどから受け手に季節の移り変わりや時間の経過を見せるのは当たり前過ぎる手法だが、今作はそれらをほぼ一切拒否。非常に斬新だ。惜しむらくはこのメソッドを取り入れよう、と思う同業者は皆無であろうと予想されること。またクライマックスの真実が明らかになるシーンでは、明らかにそこに言及する必要のない人名や人間関係が語られる。両親が語るその内容は観客に向けてのもので子どもたちに必要なものではなかった。監督、脚本家、編集担当者の誰もこのことに気づかなかったのだろうか。

とにかく脚本が致命的に悪い。そしてところどころで使われるロングのショットが物語の進行を異様にスローテンポにし、さらに主役2人の心の動きを観る者に一切読み取らせないようにするという誰も得しないカメラワーク。努々この作品を映画館で観るなかれ。時間とカネを浪費するだけに終わってしまうであろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, F Rank, ロマンス, 廣木隆一, 日本, 桜井日奈子, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 ママレード・ボーイ 』 -ダメ映画の作り方を学びたければ本作を観るべし-

『 孤狼の血 』 -円熟期を迎えた役所広司の面目躍如-

Posted on 2018年5月13日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:『孤狼の血』 75点
場所:2018年5月13日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:役所広司 松坂桃李 真木よう子
監督:白石和彌 

役所広治 の刑事役で印象的なものと言えば個人的には『 CURE キュア 』と『 渇き 』を挙げるが、今作でそれらを超えたと評しても良いだろう。広島を舞台にしたやくざ同士の抗争前夜、と聞けばそれだけで実録シリーズの高倉健が想起されるが、白石監督がそれらを言わば先行テクストとしたのは明白だ。ちょうど2016年の『シン・ゴジラ』が『日本のいちばん長い日』のオマージュだったように。刑事なのかヤクザなのか見分けがつかない二課の暴れん坊ガミさんに、なぜかタッグを組まされる松坂桃李 演じる新米刑事の日岡のコントラストがまず観る者を物語世界に引き込んでいく。何がガミさんを駆り立てるのか、そのガミさんに振り回される日岡の狙いは・・・ というところまで話は一気に進んでいく。組同士の対立構造を初めのうちに頭に入れておかないと、あまりのテンポの良さにヤクザ映画を見慣れていない人は戸惑ってしまうかもしれない。ただ見るべき個所は対立の構図ではなく、ガミさんの行動原理。ガミさん自身が語る”正義”と”法”の在り方は今現在の日本の闇を実に開けっ広げにえぐっている。

脇を固める役者陣では真木よう子 が白眉。『 新宿スワン 』の山田優の役をそっくりそのまま受け継いで再撮影できないだろうか、とまで思えた。そして滝藤賢一は安定の滝藤賢一。『 SCOOP 』での人情味と激情の両方を宿した副編集長役も良かったが、この男の本領は顔芸と狼狽にある。阿部純子は今作で初めて目にしたが、何という色気だろうか。セクシーさではなく色気。特に最初に日岡をアパートに連れ込んだところで、日岡の方を一瞬振り返るシーンがあるのだが、あれは相当監督に指導されたか、そうでなければ本人の勘の良さか。とにかく非常に印象に残る場面の一つだった。

反対に残念だったのは、中村獅童の新聞記者と竹野内豊のヤクザ。前者のポジションに獅童を持ってくる必然性は無かったし、後者の役どころは残念ながら開始2分でショボさが際立っていた。同じ白石作品の『彼女がその名を知らない鳥たち』ではクズを無難に演じてはいたが、ヤクザを演じるには本人に声の張りやそもそもの迫力が足りない。

それにしても、このところの松坂桃李の出演作はすべて彼自身のビルドゥングスロマンになっているものが多い。『 娼年 』然り、『 不能犯 』然り、『 ユリゴコロ 』然り。俳優として脱皮を目指そうという心意気やよし。しかしやや方向性を見失いつつあるような気がしないでもない。エキセントリックな役もしっかりモノにできるということは『ピースオブケイク』で証明済み。そろそろ松坂桃李というキャラの映画を観てみたい。

 

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