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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:ハーク

『 FPU 若き勇者たち 』 -中国の国策映画-

Posted on 2025年1月13日 by cool-jupiter

FPU 若き勇者たち 65点
2025年1月10日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ワン・イーボー
監督:リー・タッチウ

 

年末から始まった謎の感冒症状がなかなか治らない。が、本作は少し気になったのでチケット購入。

あらすじ

反政府武装勢力と政権との内戦が続くアフリカ某国に、国連からの要請でFPUが派遣されることになった。任に当たる中国警察の面々は個々の能力には秀でるものの、チームワークに難があった。その中には若き狙撃手ヤン(ワン・イーボー)の姿もあり・・・

ポジティブ・サイド

アフリカの部族間抗争の延長線上の内戦を描いている。そうした抗争の根っこはほとんどすべて欧米列強のアフリカ支配で、勝手な国境線の取り決めや特定部族の優遇や特定部族の排除の歴史が今につながっている。中国はそうした歴史とは無縁(アフリカでは、という意味。他地域はまた話が別)なので、実際にPKOを行ったり、こうしたプロパガンダ映画を作りたくなるのもむべなるかな。

 

アクションのビルドアップが良い。最初は小競り合い、そこから投石や火炎瓶にエスカレートしていき、そしてスナイパーによる狙撃まで。赴任の Day 1 から打ちのめされるFPUと、そこから徐々に現地住民になじんでいく過程はシンプルながら興味深かった。自衛隊もイラクでこんな感じだったのだろうと想像が膨らんだ。

 

中国語だけでなく、フランス語や英語も飛び交い、近年の韓国映画的でもある。とあるキャラの言う “Justice knows no border.” はまさに cinematic な台詞で、邦画もこれぐらいは頑張ってほしいもの。

 

主役のワン・イーボーと隊長の間に因縁が用意されているのも、ベタではあるがプロットには活きていた。

 

ネガティブ・サイド

『 ボーン・トゥ・フライ 』の隊長や『 熱烈 』のコーチのような、暑苦しいオッサンキャラがいなかった。FPUの隊長が本来そのポジションなのだろうが、ヤンの父親の相棒だったわりには若すぎる。オヤジというよりもアニキというキャラで、隊の中でもプロットの面でも浮いていた。

 

エンドロールが長かった。いや、インド映画だと思えばそれも許容可能だが、メイキング映像と本編の補完映像を同時に流すのはいかがなものか。見せるのならどちらかに統一を。

 

総評

こういうのは往々にして反政府側が善に描かれるものだが、本作はそうではない。中国共産党の国策映画なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、それなりに新鮮な視点が提供されていた。ハリウッドのドンパチとは毛色の違うB級アクションだが、深く考えなければ気軽に楽しめる作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

presidential house

大統領官邸の意。presidential palaceとも言うが、これは外装・内装ともに煌びやかなものを指す。ちなみに日本の総理官邸は Prime Minister’s office となる。英字新聞には割と出てくる表現である。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 #彼女が死んだ 』
『 アット・ザ・ベンチ 』
『 港に灯がともる 』

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, C Rank, アクション, ワン・イーボー, 中国, 監督:リー・タッチウ, 配給会社:ハークLeave a Comment on 『 FPU 若き勇者たち 』 -中国の国策映画-

『 SNS 少女たちの10日間 』 -並みのホラー映画より怖いので注意-

Posted on 2021年7月25日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210725113818j:plain

SNS 少女たちの10日間 75点
2021年7月21日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:テレサ・チェズカー アネジュカ・ピタルトバー サビナ・ドロウハー
監督:バーラ・ハルポバー ビート・クルサーク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210725113833j:plain

シネ・リーブル梅田での公開時に見逃してしまった作品。ドキュメンタリー好きのJovianは意気揚々と劇場に向かったが、凡百のホラー映画よりもはるかに怖い映画を観てしまった。

 

あらすじ

チェコで、18歳以上の童顔女性3人に、SNS上で12歳の少女に成りすましてもらうとどうなるのかという実験が行われる。そこで起きたのは、少女たちを性的に搾取しようとする男性たちからのおぞましいコンタクトの数々だった・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210725113852j:plain

ポジティブ・サイド

ドキュメンタリー作品は、しばしばプロの俳優ではなく普通の人間が主役になるが、本作もごく普通の女性に焦点を当てている。ユニークなのは、その女性が「少女」を演じるところ。しかも、その演技を見せる対象がFacebook上でコンタクトしてきた相手という点が独特だ。スタジオ内に巨大な子ども部屋セットを組み、リアリティを感じさせる小物を配置していくという念の入れよう。演者たちの話し方も、チェコ語が分からない人間にも、どこか舌足らずで幼く聞こえた。迫真の演技と評してもいいだろう。

 

次々にコンタクトを取ってくる男性たちには漏れなくモザイクがかけられている。しかし、目と口以外の部分がぼやけていることで、逆に彼らの不気味さや醜悪さが際立っている。これは狙った演出なのだろうか。それとも個人情報保護の思わぬ産物なのだろうか。まあ、前者だろう。ホラー映画の怖さは、幽霊やら怪物やらの実在しないものから生み出されるのではない。それに恐怖する人間の姿に共感することから生まれる。ただ、これは二流のホラーのテーマであり手法。本当のホラーとは、たとえば『 悪魔のいけにえ 』のように、恐るべき人間が存在すると知ること、そしてそのような人間に遭遇してしまうことだ。そうした意味で、本作はホラー映画の様相を呈している。ホラーに出てくる人間の何が怖いかというと、人間を残酷に殺すからではない。他の人間を徹底的に「物象化」するからである。人間同士の人間らしい交流ではなく、人間存在の属性(例えば女性性あるいは女性機能)だけを他者に求めるようになる。これは怖い。我々は「カネさえもらえりゃ、別に仕事はなんだっていいんだ」という投げやりな態度になってしまうことがある。これは人間と仕事の関係である。しかし「セックスさせてくれさえすれば誰でもいい。なんなら相手が未成年でも、ローティーンでもOK」という姿勢は、空恐ろしさを感じる。Child predatorだから怖いというのもあるが、それ以上に相手を人間として見ていないという点で、PC画面上に次から次へと現れる男たちが、だんだんと「人間」に見えなくなってくる。

 

本作の怖さとしてもう一つ挙げられるのは、ネットを介してコンタクトしてくる人物が自分の知り合いである可能性があるということだ。事実、スタッフの知人が少女役の一人にコンタクトしてくる。これは怖い。ネット上での交流というのは、どこかフワフワしたところがある。つまり、現実的な感覚が弱いのだが、この変態を「直接に知っている」という感覚は恐怖以外の何物でもないだろう。

 

救いがあるとすれば一人だけ「聖人君子か、この男は」という男性が登場すること。もちろん、聖人君子でも何でもなく、ごく普通の男性なのだが、まるでモンスターが徘徊する廃墟となった世界でまともな人間に巡り合えたかのような錯覚にすら陥ってしまう。この男性の何が良いかと言えば、性を否定しないところ。性的なことに蓋をかぶせないのだ。結構あっけらかんと「ネット上には無料でポルノがいっぱいある」と語ったりするところが逆に好感を持てる。

 

クライマックス前はモンスターたちご対面。公共の場でも臆面なく、いきなり相手をセックスに誘おうとする男たち。少女役たちの電話上でのとある一言で、そそくさと退散していく様は滑稽千万であるが、これはチェコに限らす日本でもロシアでも中国でもメキシコでも、世界中どこでも同じだろう。そしてラストではスタッフの知人モンスターと対面。

 

本作を観て「チェコは怖い国」、「チェコ人男性、やばい」などの印象を受けたとすれば、それは間違いである。だからといって「SNSやばい」という反応も正解とは言えない。引き出すべき教訓は「大人は子どもを守らなくてはならない」という原理原則だろう。自分で自分を成熟した大人であると認識できるかどうか。自分を含めた多くの人が、本作を他山の石にしなければならないだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210725113912j:plain

ネガティブ・サイド

やっていることはsting operation = おとり捜査なので、これが合法か違法かで、警察に通報できるかどうかが変わってくる。そういったチェコ国内の事情を最初に知らせておいてくれると親切だった。

 

エンディングあるいはポストクレジットのシーンで、本作によりチェコ国内で何がどう変わったのか、あるいは何をどう変えていかなければならないかが議論されるようになったというナレーションなどが欲しかった。『 トガニ 幼き瞳の告発 』公開後、韓国ではトガニ法という法律が新たに制定されたというが、チェコでも同じような動きがあったのか、それとも動きが生まれつつあるのか。そういったところを知りたかった。

 

総評

猛暑酷暑の夏であるが、本作を鑑賞すれば、老若男女問わず背筋が凍る思いをすること請け合いである。このようなシリアス一辺倒のドキュメンタリー作品が大ヒットするチェコという国の市場(=映画ファン層)は素晴らしいと思う。インドにおける『 パッドマン 』、韓国における『 トガニ 幼き瞳の告発 』のように、自国の暗部をさらけ出し、なおかつそれを力を持った作品に仕上げるクリエイター、およびそうした作品をしっかりと受け止める客層の存在というのは、残念ながら日本に欠けたものである。劇場でなくともよいので、機会があれば多くの人に鑑賞してほしい。

 

Jovian先生のワンポイントチェコ語レッスン

Ahoj

「アホイ」と発音する。意味は英語でいうところの”Hi”に相当する。ビデオチャットの開始時に全員がこう言うので、軽めのあいさつなのだと分かる。あいさつだけは何か国語を覚えても損はしないだろう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アネジュカ・ピタルトバー, サビナ・ドロウハー, チェコ, テレサ・チェズカー, ドキュメンタリー, 監督:バーラ・ハルポバー, 監督:ビート・クルサーク, 配給会社:ハークLeave a Comment on 『 SNS 少女たちの10日間 』 -並みのホラー映画より怖いので注意-

『 サッドヒルを掘り返せ 』 -神話に迫る感動的ドキュメンタリー-

Posted on 2019年3月31日2020年3月23日 by cool-jupiter

サッドヒルを掘り返せ 80点
2019年3月28日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:セルジオ・レオーネ エンニオ・モリコーネ クリント・イーストウッド
監督:ギレルモ・デ・オリベイラ

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ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアを追い求めて、ついに発見したシュリーマンの気持ちとはこのようなものだったのだろうか。それほどの圧倒的な感動をもたらすドキュメンタリー映画である。本作は映画という芸術媒体の持つ力、その物語性、神話性を追究しようとした野心作でもある。

あらすじ

『 続・夕陽のガンマン 』のクライマックスの決闘の場面となったサッドヒル墓地。撮影から50年になんなんとする時、地元スペインの有志がサッドヒル墓地の復元に乗り出した。彼らはやがてSocial Mediaを通じて、世界中からボランティアを募る。そしてサッドヒルを復元させ、そこでの『 続・夕陽のガンマン 』の上映会を企画する・・・

ポジティブ・サイド

映画製作にまつわるドキュメンタリー映画には、『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』がある。スター・ウォーズ製作者のジョージ・ルーカスとファンの対立、意見の相違に焦点を当てた傑作である。また『 すばらしき映画音楽たち 』も忘れてはならない。ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーといった錚々たる映画音楽家から近現代ロックスターと映画音楽の関わりまでもを描く大作だった。本作もこのような優れた先行ドキュメンタリー作品と同じく、様々な関係者や当事者の声を丁寧に拾い上げ、映画製作の裏のあれやこれやを観る者に教えてくれる。だが、この『 サッドヒルを掘り返せ 』がその他の映画製作ドキュメンタリーと一線を画すのは、ファン達が『 続・夕陽のガンマン 』を神話に類するものとして扱うところである。というと、「スター・ウォーズも充分に神話じゃないか」という声が聞こえてきそうだが、Jovianの意見ではスター・ウォースは「おとぎ話」である。おとぎ話は、当時および各地の社会・文化的な要請から民話に超自然的な要素が加えられたものだと理解してもらえればよい。もしくは、スター・ウォーズは昔話である、もしくはジョージ・ルーカスを作者にした童話と言っても良い。子育て経験のある人なら分かるだろう。子どもは同じ話を繰り返し繰り返し聞くのが好きなのだ。「おじいさんは川へ洗濯に・・・」と言えば、たいていの子どもは不機嫌になって訂正してくる。児童心理学にまで切り込む余裕はないが、新旧スター・ウォーズのファンの対立、旧世代のファンとジョージ・ルーカスの対立の背景にあるのは、童話や昔話への子どものリアクションと本質的には同じなのである。

しかし、本作のファンは子どもではない。彼ら彼女は皆、一人ひとりが、伝説になってしまった物語に確かに描かれた舞台装置を探し求めるという点において、シュリーマンなのだ。スペインの荒野にひっそりと佇立する無数の墓標。それらを復元することに血道を上げることに何の意味があるのか。意味などない。ただただ、その世界に触れたい。その世界に浸りたい。自分という存在を確かに形作ってくれたものを自分でも形作りたい。それは生命の在り方と不思議なフラクタルを為す。『 続・夕陽のガンマン 』は、そのストーリーやキャラクター、映像美やその音楽の圧倒的なインパクト故に、何かを足したり、もしくは引いたりする必要が一切ない。それは神話である。ディズニーが、機は熟したとばかりに、次から次へと昔話やおとぎ話を実写映画化しているが、そこには必ずと言っていいほど現代的な読み変えが行われている。それは『 くるみ割り人形と秘密の王国 』でも指摘したようなフェミニスト・セオリーであることが多い。物語をその都度、作り変えていくのはディズニーだけではない。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ったことがある人もない人も、ユニバーサル・スタジオは元々はフランケンシュタインの怪物やドラキュラ、狼男、透明人間などのおとぎ話や昔話を現代風に作り変えてきたということは知っているだろう。USJはゴジラやドラクエやモンハンまで取り込んで、最早何が何だか分からないテーマパークになっている。ディズニーもテーマパークを持っている。しかし、本作に登場する市井の人々はサッドヒルのテーマパーク化を一切望まない。それは繰り返すが『 続・夕陽のガンマン 』が神話だからである。キリスト教徒が創世記を書き変えたいと思うだろうか。作中で、ブロンディ(および『 荒野の用心棒 』のジョーと『 夕陽のガンマン 』のモンコ)の身に着けていたポンチョが、トリノの聖骸布=The Shroud of Turinの如く扱われているというエピソードも、このことを裏付けている。この信仰にも近い彼ら彼女らの純粋な想い故に、スペインの大地に神が舞い降りる瞬間のエクスタシーは筆舌に尽くしがたいものがある。Jovianは、「人生で最高の10分間だった」と振り返るシーン、神が降臨するシーン、そしてエンドクレジットでそれぞれ大粒の涙を流してしまった。何がこれほど人の心を揺さぶるのか。それを是非、劇場でお確かめ頂きたいと思う。

ネガティブ・サイド

『 続・夕陽のガンマン 』の一瞬一瞬を切り取るだけで絵になるのだから、変に静止画をいじくって動かしたりする必要は無かった。

また、セルジオ・レオーネやエンニオ・モリコーネのインタビュー映像があるにもかかわらず、イーライ・ウォラックやリー・ヴァン・クリーフのそれが無いのは何故だ。無いはずがないだろう。それとも編集で泣く泣く削ったとでも言うのか。とうてい承服しがたいことだ。

総評

異色のドキュメンタリーである。インディ・ジョーンズに憧れて鞭を振るったり、ジェダイに憧れてチャンバラに興じるのではなく、ただただ墓地を復元したいという人々の物語が何故これほど観る者の心を激しく揺さぶるのか。きっとそれが生きるということだからだろう。Ars longa, vita brevis. 芸術は長く人生は短い。Art is never finished, only abandoned. レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉とされる。けれど、もしもうち捨てられた芸術の復活に関わることができれば、神話を追体験できるのだ。そのような人々の生き様をその目に焼き付けることができる映画ファンは、きっと果報者である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190331013537j:plain

 

Posted in 映画, 海外Tagged :ギレルモ・デ・オリベイラ, 2010年代, A Rank, エンニオ・モリコーネ, クリント・イーストウッド, スペイン, セルジオ・レオーネ, ドキュメンタリー, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:ハークLeave a Comment on 『 サッドヒルを掘り返せ 』 -神話に迫る感動的ドキュメンタリー-

『死の谷間』 ―孤独と交流の狭間に人間の本質を垣間見る―

Posted on 2018年7月3日2021年1月17日 by cool-jupiter

死の谷間 55点

2018年7月1日 シネ・リーブル梅田にて観賞
出演:マーゴット・ロビー キウェテル・イジョホー クリス・パイン
監督:クレイグ・ゾベル

原題は“Z for Zachariah”、ZはゼカリヤのZ、という意味である。映画ファン、特にヒューゴ・ウィービングもしくはナタリー・ポートマンのファンという方であれば、即座に『Vフォー・ヴェンデッタ』を思い浮かべることだろう。これもVは復讐(ヴェンデッタ)のV、という意味である。また古いSF小説ファンであれば、レイ・ブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』(R is for Rocket)や『スは宇宙(スペース)のス』(S is for SPACE)を思い起こすだろう。本作の原題の意味は、ZはゼカリヤのZ、である。ゼカリヤと聞いてゼカリヤ・シッチンの名前を挙げる人はかなりのオカルトマニアであろう。またゼカリヤと聞いて「ああ、聖書のゼカリヤ書ね」と分かる人はかなりの博識であろう。作中で一瞬だけではあるが、核戦争を生き延びた人類最後の女性と思われるアン(マーゴット・ロビー)が、”A for Adam”という本を手に取るシーンがある。AはアダムのA、ということだ。このアダムは言わずと知れたエデンの園のアダムである。ゼカリヤという名がここで暗示するのは、それが人類最後の男であるということだ。

そのようなPost-Apocalypticな世界において、人類最後の女として生き延びているのがアン・バーデン(マーゴット・ロビー)である。相棒にして愛犬のファロと共に、狩猟採集生活を送っている。非常に興味深いのは、アンは物語冒頭で対放射線の防護服を身にまとって、街の図書館らしきところから本を頂戴してくるところ。もちろん、食糧や日用品をあらかた失敬した後のことであろうと思われるが、これはサバイバルにおいて実に重要なことだ。貴志祐介の小説の『クリムゾンの迷宮』という佳作がある。シチュエーション・スリラーに分類されるであろう物語で、広大無辺の大地に突如取り残される男女複数名のサバイバル・ゲームを描く。その中で、主人公ペアはゲーム主催者から支給されるものの中から、食糧や武器ではなく、「情報」を選択する。これが決定的に重要な決断で、情報≒知識こそが、長い目で見たときに最も生存に資するリソースなのだということを示している。本作も同じく、アンの住む家には数多くの書籍があり、アン自身も農家で生まれ育ったことから、大自然の中で生き抜く知恵、そして孤独に耐えうる強い信仰を備えていた。一人と一匹の生活は、それなりに上手く回っていた。

そこに闖入者のジョン・ルーミス(キウェテル・イジョホー)がやって来る。科学者にして、黒人で、無神論者であり、酒に飲まれてしまうこともある。アンとは非常に対照的な属性の持ち主である。この二人が協力して、ガソリンを調達するシーンは、知恵が自然を克服する好個の一例である。人間の無力さは、力の欠如ではなく知識の不足から来ることを端的に証明している、非常に印象的な場面である。さらに一歩進んで、ジョンは核汚染されたエリアから来た水で構成される滝を使っての水力発電を思いつく。そのためには木材、それも数年から数十年単位で乾いた木が必要となる。それを調達するために、アンの心の拠り所であり父の遺産でもある教会を解体するか否かで、意見が分かれてしまう。将来ここにやってくる人間のためにも、食糧が保存できるように冷蔵庫などを稼働させなければならないというジョンと、別の人間など来ないと思うアン。信者と無神論者の穏やかな対立を描いた場面であると同時に、子を作るに際して能動の男と受動の女という対極的な姿をも描いた名シーンである。結論を急がずに暮らしを続ける二人の前に、しかし、ケイレブ(クリス・パイン)という若い炭鉱夫だという白人男性が現れる。物語はここから大きく動き始める。

とはいっても、アンを巡る男2人の仁義なき戦いというわけではなく、信仰の有無、肌の色の違いなど、この「死の谷間」を除いて荒廃してしまった世界で果たしてどれほどの意味を持つのか疑わしいことにも、人間は拘泥してしまうのだという、究極的な人間ドラマが描かれる。ケイレブ=Caleb=カレブである。聖書に描かれるカレブは神への信仰を生涯揺るがせにせず、荒涼としたエジプトの大地を脱出し、約束の地へたどり着いた男である。このことを知っていて映画を観る(あるいは原作小説を読む)のと、予備知識なしで観ることで、おそらく違う感想を抱くだろう。それは自分ならばどうするだろうかという主観的な見方と、この名前のキャラクターに込められた運命はこうであるという、運命論的な見方に二分されるのではなかろうか。もちろん、女性目線で分析することも大いに奨励されるべきであろうし、実際に理性と欲望の狭間でアン自身が翻弄されてしまうようなシーンもある。あらゆる場面で自分なりの解釈が可能であるし、創世記の如く、すでに誰もが知っている物語の再解釈と見ることもできる。スペクタクルには欠けるものの、思考実験として大いに知的好奇心をくすぐってくれる作品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アイスランド, アメリカ, キウェテル・イジョホー, クリス・パイン, スイス, スリラー, マーゴット・ロビー, 監督:クレイグ・ゾベル, 配給会社:ハークLeave a Comment on 『死の谷間』 ―孤独と交流の狭間に人間の本質を垣間見る―

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