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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:スターサンズ

『 ヴィレッジ 』 -ムラ社会のダークサイド-

Posted on 2023年4月23日 by cool-jupiter

ヴィレッジ 75点
2023年4月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:横浜流星 黒木華
監督:藤井道人

藤井道人監督ということでチケット購入。

 

あらすじ

片山優(横浜流星)は、死んだ父の犯した罪と母親の借金のために、故郷の霞門村で肩身を狭くして生きていた。ある日、ゴミ処理場で働く優は、東京から帰ってきた昔馴染みの美咲(黒木花)と再会することになり・・・

ポジティブ・サイド

能の場面、そして『 三度目の殺人 』を彷彿させる火から始まるオープニングに、剣呑な空気が充満している。

 

村で生きる優の能面のような表情と、その内に封じ込められた激情の対比が序盤と中盤の分かれ目。霞門村のシステムに取り込まれることで豊かな表情を取り戻していく優の姿に、観る側は非常にアンビバレントな気持ちにさせられる。

 

この「閉鎖社会から出ていこうにも出ていけない」あるいは「出ていったはいいものの、結局帰って来るしかなかった」というジレンマは、大都市の人間には分からないのではないか。過去数十年の日本の行政の地方創生戦略が機能したためしがないのは、都市の人間がムラに関する施策を決定するという構図が原因ではないか。地方に交付金やら補助金やらを恵んでやる一方で、ゴミ処理場や原子力発電所などを押し付けるのは大きな間違いだったということは、過去10年を見れば分かることだ。

 

Jovianは霞門村ほどのド田舎に住んだことはないが、それでも30年以上前に住んでいたO県B市ぐらいの田舎だと、同級生だった市長の孫が中学校でむちゃくちゃデカい面していて、教師も腫れ物に触れるような扱いをしていたものだった。その市長の苗字が、本作の村長と同じで笑ってしまった。こういう閉鎖社会の権力者とその一族あるいは取り巻きは、その依って立つ基盤が砂上の楼閣とはいえども、周囲に多大な影響力を行使することはある。その点を藤井道人はよくよく見抜いている、あるいは取材しているなと感じた。

 

横浜流星以外で目立った役者は一ノ瀬ワタル。『 宮本から君へ 』同様の暴力キャラが良く似合う。「この村にはハラスメントなんか存在しねえ」という台詞はリアルだった。仕事で奈良や滋賀のかなりの田舎の学校にまで教えに行くこともあるが、そうしたところはコロナ禍真っただ中でも隣近所の人間とノーマスクで話していることなどザラだった。中央や都市部があーだこーだ言っても、本当の田舎は大昔から何も変わらないものである。

 

環境センターという昼の顔と不法投棄現場という夜の顔が、そのまま村および村民たちの二面性になっているのが興味深い。エンドロール後のラストショットに仮託されているのは、希望なのか絶望なのか。それは是非、自身の目で確かめて頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

中村獅童演じる刑事が無能すぎる。杉本哲太演じるヤクザも無能すぎる。ここら辺のキャラにはリアリティが欠けていた。

 

最大のツッコミどころは「そこにそれを捨てるか?」というものと、「なんでそれを破壊しないの?」というもの。後者はクラウドが云々かんぬんというのがあるかもしれないが、前者についてはお粗末すぎる。『 藁にもすがる獣たち 』を見習えと言いたい。

 

総評

『 デイアンドナイト 』と同工異曲の秀作。共同体の伝統を壊そうとする者は排除するか、あるいは共同体に取り込んでしまうのが日本社会のお家芸。つまりはダイバーシティなどというものはお題目に過ぎないのだ。自国の闇をエンタメに仕上げられるのは、問題意識とクリエイター意識の両方を併せ持った人。藤井道人は邦画界に置ける数少ないそのような作り手の一人、かつ第一人者だろう。ぜひ鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

History repeats itself.

歴史は繰り返す、の意。優の父の犯した罪や、村長の「そうやってこの村は続いてきたんだ」という発言が印象的。歴史はいつでもどこでも繰り返されるものだが、日本の地方は特にその傾向が強いようである。History has repeated itself. や Will history repeat itself? のようにも使うことがある。英語中級者なら既に知っている表現だろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ザ・ホエール 』
『 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー 』
『 聖地には蜘蛛が巣を張る 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, 日本, 横浜流星, 監督:藤井道人, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズ, 黒木華Leave a Comment on 『 ヴィレッジ 』 -ムラ社会のダークサイド-

『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

Posted on 2021年9月30日 by cool-jupiter

空白 75点
2021年9月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:古田新太 松坂桃李
監督:吉田恵輔

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邦画が不得意とする人間の心の闇、暴走のようなものを描く作品ということで、期待してチケットを購入。なかなかの作品であると感じた。

 

あらすじ

女子中学生の花音は万引を店長の青柳(松坂桃李)に見つかってしまう。逃げる花音だが、道路に飛び出したところで事故に遭い、死んでしまう。花音が万引きなどするわけがない信じる父・充(古田新太)は、深層を明らかにすべく、青柳を激しく追及していき・・・

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ポジティブ・サイド

何の変哲もない街の何の変哲もない人間たちに、恐るべきドラマが待っていた。トレイラーで散々交通事故のシーンが流れていくが、あれは実は露払い。その後のシーンと、その結果を渾身の演技で説明・描写する古田新太が光る。

 

この物語で特に強く感銘を受けたのは、善人もおらず、さらには悪人もいないところ。いるのは、それぞれに弱さや欠点を抱えた人間。例えば松坂桃李演じる青柳は、父の死に際にパチンコに興じていて、死に瀕していた父に「電話するなら俺じゃなくて119番だろ」的なことを言い放つ。もちろん、心からそう思っているわけではない。しかし、いくらかは本音だろうし、Jovianもそう思う。古田新太演じるモンスター親父の充は、粗野な性格が災いして、妻には去られ、娘とは没交渉。他にも花音の学校の、人間の弱さや醜さをそのまま体現したような校長や男性教師など、善良な人間というものが見当たらない。それがドラマを非常に生々しくしている。

 

一方、一人だけ異彩を放つ寺島しのぶ演じるスーパーのパートのおばちゃんは、これこそ善意のモンスターで、仕事熱心でボランティア活動にも精を出す。窮地にあるスーパーの危機に、非番の日でもビラ配り。ここまで大げさではなくとも、誰しもこのようなおせっかい好き、世話焼き大好きな人間に出会ったことがあるだろう。そしてこう思ったはずだ、「うざい奴だな」と。まさに『 図書館戦争 』で岡田准一が言う「正論は正しい。しかし正論を武器にするのは正しくない」を地で行くキャラである。寺島しのぶは欠点や弱さを持つ小市民でいっぱいの本作の中で、一人だけで善悪スペクトルの対極を体現し、物語全体のバランスを保っているのはさすがである。

 

本作はメディアの報道についても問題提起をしているところが異色である。ニュースは報じられるだけではなく、作ることもできる。そしてニュースバリューは善良な人間よりも悪人の方が生み出しやすい。『 私は確信する 』や『 ミセス・ノイズィ 』は、メディアがいかに人物像を歪めてしまうのかを描いた作品であるが、本作もそうした社会的なメッセージを放っている。

 

追い詰める充と追い詰められる青柳。二人の関係はどこまでも歪だが、二人が花音の死を悼んでいるということに変わりはない。心に生まれた空白は埋めようにも埋められない。しかし、埋めようと努力することはできる。または埋めるためのピースを探し求めることはできる。それは新しい命かもしれないし、故人の遺品かもしれない。『 スリー・ビルボード 』とまではいかずとも、人は人を赦せるし、人は変わることもできるだと思わせてくれる。間違いなく良作であろう。

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ネガティブ・サイド

花音の死に関わった人物の一人がとんでもないことになるが、その母親の言葉に多大なる違和感を覚えた。謝罪根性とでも言うのだろうか、「悪いのはこちらでございます」的な態度は潔くありながらも、本作の世界観には合わない。小市民だらけの世界に一人だけ聖人君子がいるというのはどうなのか。

 

藤原季節演じるキャラがどうにも中途半端だった。充を腕のいい漁師だが偏屈な職人気質の船乗りで、人付き合いが苦手なタイプであると描きたいのだろうが、これだと人付き合いが苦手というよりも、単なるコミュ障中年である。海では仕事ができる男、狙った獲物は逃がさない頑固一徹タイプの人間だと描写できれば、青柳店長を執拗に追いかける様にも、分かる人にだけ分かる人間味が感じられだろうに。

 

総評

邦画もやればできるじゃないかとという感じである。一方で、トレイラーの作り方に課題を感じた。これから鑑賞される方は、あまり販促物や予告編を観ずに、なるべくまっさらな状態で鑑賞されたし。世の中というものは安易に白と黒に分けられないものだが、善悪や正邪の彼岸にこそ人間らしさがあるのだということを物語る、最近の邦画とは思えない力作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

do the right thing

「正しいことをする」の意。do what is right という表現もよく使われるが、こちらは少々抽象的。親が子に「正しいことをしなさい」とアドバイスするような時には do the right thing と言う。ただし、自分で自分の行いを the right thing だと盲目的に信じるようになっては棄権である。 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, 古田新太, 日本, 松坂桃李, 監督:吉田恵輔, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

『 ヤクザと家族 The Family 』 -家族観の変遷を描く意欲作-

Posted on 2021年2月4日 by cool-jupiter

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ヤクザと家族 The Family 80点
2021年1月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:綾野剛 舘ひろし 尾野真千子 豊原功補 磯村勇斗
監督:藤井道人

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『 新聞記者 』の藤井道人がまたしても秀作を届けてくれた。『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』は見逃してしまったが、おそらくこの監督は2020年代の邦画を支える存在に成長していくことだろう。そう思わせてくれるだけの力量を本作から感じ取った。

 

あらすじ

山本賢治(綾野剛)は父を亡くした。覚せい剤中毒だった。街中で偶然に目にした売人からクスリと金を奪った賢治は馴染みの料理屋に向かう。そこにやって来た柴咲組組長・柴崎(舘ひろし)の危機をたまたま救ったこと、さらに売人の属する組の者から追われていたことから、賢治は柴咲と親子の杯を交わす。そして賢治はやくざ稼業で徐々に頭角を現していくが・・・

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ポジティブ・サイド

本作は現時点での綾野剛のキャリア・ハイである。『 新宿スワン 』の演技も良かったが、あちらは漫画のキャラクター、つまりは原型が存在していた。対して本作は映画オリジナル、つまりは一から監督兼脚本家の藤井道人と共に作り上げたキャラクター。この差は大きい。前者は極端な表現をすれば物真似で、後者こそ演技と呼べる。

 

2005年で25歳ということは、賢治はJovianと同世代である。20歳から39歳までを演じ切った綾野剛の演技の幅には唸らされた。少年期の無軌道なチンピラぶりと、寺島しのぶの切り盛りする焼肉屋での無邪気な会話のギャップ。柴咲組の構成員として夜の街を仕切る若手。そしてお務めを終えて嗄声気味になってしまった中年の入り口。タバコの吸い過ぎ、および肉体的な衰えを声だけで表してしまった。クリスチャン・ベール演じるバットマンとは一味違う、というよりもそれ以上に巧みな声の演技だと評したい。綾野剛が時代と共にどん底から絶頂へ、絶頂からどん底へという人生を送るのだが、すべての時代において強烈な生き様を見せつけている。

 

親分である舘ひろしや敵対する組の豊原功補など、役者としての先輩や大御所級が古いヤクザ、そして新しい時代に適合しようとするヤクザを熱演。法に照らして良いか悪いかを判断するなどというのは野暮というものである。昭和を古き良き時代と回想できるかどうかは人による、あるいは時代に拠るのだろうが、昭和から平成、そして令和となった今の時代、高齢ヤクザは間違いなく昭和を古き良き時代と回想するだろう。本作が描くのは平成から令和の世である。つまりは、本作に描かれるヤクザ者たちも、没落していく、絶滅していくという大きな時代の流れに飲まれつつあるのである。そうした時代に雄々しく生きようとする男たちに、何故これほど胸を揺さぶられるのか。Jovianはヤクザが嫌いであるし、中学生や高校生の頃に父親と一緒に観た高倉健の任侠映画の討ち入りだとか、自分を慕ってくれる人のための敵討ちだとか、そういう浪花節には心を動かされなかった。しかし、本作の賢治の生き様には不覚にも感動を覚えた。俺も年を取ったということかな・・・

 

賢治と尾野真千子演じる由香のロマンスも良い。意味なく夜の海へとドライブに行くシーンが印象的だ。周りには誰もおらず、二人きり。それでも賢治はヤクザという鎧を脱ぎ捨てることができない。このシーンがあるがゆえに、その後に賢治がヤクザではなく一人の弱々しい男として由香の前に現れる場面で、由香の包容力がよりいっそう際立つ。『 影踏み 』でも感じたが、尾野真千子の母性の表現には脱帽である。

 

令和の時代、ヤクザの凋落っぷりと半グレの台頭、そして元ヤクザに対する世間の風当たりの強さ。面子や体面に命をかけるヤクザには生きづらい世の中だ。と言うよりも、生きていくことが許されない世の中だ。このように映し出される“今”という時代に我々は何を見出すべきか。コロナ前に撮影されたであろう本作は、驚くほどコロナ禍の今を映し出している。自粛警察やマスク警察が跋扈し、飲食店に無理な休業をさせた政府に「補償と休業はセット」と言いながら、実際に休業あるいは時短営業した店に補償を行うと、今度はそれらの飲食店を叩く時代である。元ヤクザの家族というだけで退職や転校を余儀なくされてしまうところに、コロナ感染者叩きと全く同根の社会病理を見る思いだ。実際にJovianの同僚の娘さんの小学校では、とある生徒の親がコロナ陽性となり、その子も濃厚接触者認定され、学校を休んだ。結果としてコロナいじめが発生し、転校せざるをえなくなった事例があったという。未成年はかなり高い確率で大丈夫と判明しつつあった2020年に日本各地の学校で学年閉鎖(学級閉鎖ではない)が頻発したのは、誰がコロナ陽性あるいは濃厚接触者であるかを分からなくするためという目的もあったのだ。

 

決してハッピーエンドではない本作であるが、それでもヤクザが家族を持つこと、そしてヤクザという疑似家族関係について、大きな示唆を与える問題作となっている。2020年の邦画のトップ3に入るだろうと2月の時点で予言しておく。

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ネガティブ・サイド

舘ひろし演じる柴咲の親分があまりにも無防備すぎる。「俺の命、取れるものなら取ってみろ!」と敵対する組に凄んでおきながら、ろくにボディガードもつけずに釣りに出かけるとはこれ如何に。クルマも防弾仕様にしておきなさいよ。実際に銃を持った相手に襲われるのは、初めてではないのだから。

 

寺島しのぶは在日のオモニやね。序盤で、店内に飾られている人形がチョゴリを着ていたが、もうちょっと分かりやすく在日アピールすべきだったかもしれない。家族という血のつながりそのものの関係よりも強い関係が、たとえば外国人とも結べるのだというサブプロット的なものが欲しかった。日本社会の底辺あるいは周辺に生きる者たちの連帯=疑似家族関係が描かれていれば、成長した翼が率いる半グレ軍団の結束などにも説得力が生まれたかもしれない。

 

総評

現代日本において血のつながり以外で家族的な関係を生じさせるものというと、職人の世界が思い浮かぶ。寿司職人や大工、お笑い芸人や噺家の世界には親方や兄貴分が存在する。もう一つは政治の世界か。派閥の論理でポストが決まり、国民ではなくお友達だけを優遇厚遇する政治家連中は今でも派閥の領袖を「親父さん」などと呼んでいる。家族と言う閉じられた関係性は美しいものであると同時に「反社会的」にもなりうるというアンチテーゼまで、見えてくる気がする。非常に優れたヒューマンドラマであり、社会的なメッセージも内包した傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

start over

「やり直す」、「もう一度最初から始める」の意味。劇中で舘ひろしが綾野剛に「お前はやり直せる」と言葉をかけるシーンがある。その私訳は“You can start over.”となるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 尾野真千子, 日本, 監督:藤井道人, 磯村勇斗, 綾野剛, 舘ひろし, 豊原功補, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 ヤクザと家族 The Family 』 -家族観の変遷を描く意欲作-

『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

Posted on 2020年11月25日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

泣く子はいねぇが 75点
2020年11月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:仲野太賀 吉岡里帆 柳葉敏郎 余貴美子
監督:佐藤快磨

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20代後半ではフロントランナーの仲野大賀、そして『 見えない目撃者 』で大いに株を上げた吉岡里帆。舞台は地方で、モチーフがなまはげ。これは観るしかないだろうとチケットを買った。鑑賞後は「何か凄いものを観た・・・」と感じた。何がどう凄いかを言語化するのは難しいが、以下でそれにトライしてみる。

 

あらすじ

たすく(仲野太賀)とことね(吉岡里帆)は女児のなぎが生まれたばかり。「酒も飲まずにすぐに帰ってくる」と約束したたすくは、しかし、泥酔して全裸で街中を走っていくところをテレビカメラに映されてしまう。ことねに愛想をつかされ、逃げるように秋田から東京へ逃げたたすくだが、やはりことねと娘のなぎのために生きたいと思い、秋田へと返ってくる・・・

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ポジティブ・サイド

邦画は往々にして東京もしくはその周辺で物語が展開するが、これは地方、それも秋田の男鹿という本当に狭い範囲にフォーカスしている。『 小さな恋のうた 』、『 ハルカの陶 』や本作のように、地方を舞台にした映画がその地方でなければ描けない物語を見せてくるのは本当にありがたい。もちろん東京都の対比もある。劇中にたすくの悪友が繰り返し言う「東京に無いものがこっちにはある」という台詞がそれを表している。それは恵みの海であり、ゆっくりと流れる時間である。そうした地域の人間関係は都市部のそれよりも暖かく、そして厳しいものである。

 

仲野大賀の演技がキレッキレである。過剰に演じているのではなく、自然に演じているが、それが恐ろしくハマっている。冒頭で出生届を出しに役所に来るが、時間外窓口で居眠りしているおっさんに大きな声で呼びかけることもできないという小物っぷりに、「こいつ、大丈夫かな?」と思わされるが、全然大丈夫ではなかった。妙なタイミングで出る薄ら笑い、話している相手となかなか合わない目線、自分を棚に上げての他人(友人)の論評など、ダメな男の特徴をこれでもかと備えている。最悪なのは、酒を飲まずに早く帰ってくるという妻との約束をあっさりと反故にするところ。こんなブログを読んでいる10代20代の健全な男子がどれだけいるのかは知らないが、諸君らに言っておく。女子との約束は破ってはならない。1度2度ならお目こぼしをもらえるかもしれないが、それは許してもらっているのではない。彼女らは怒りを静かに貯金しているのである。もちろん金利は単利ではなく複利計算だ。その怒りの貯蓄が一定額を超えると、もうダメである。たすくは若さゆえにそのことを分かっていない。それが中年のJovianには非常にもどかしい。何故か。たすくに過去の自分を思い起こすからだ。この男は自分が怒らせて逃してしまった女に償えるのか、縒りを戻せるのか。たすくの物語の行く末に強く関心を抱いてしまう。

 

結局たすくはことねに見限られてしまい、自らの大失態により地元にも居場所をなくし、東京へ逃げることになる。そこでもどこか周囲に溶け込めないたすく。フットサル仲間の女子をなりゆきで一晩部屋に泊めて、その女子にあけすけに誘惑されて「自分には子どもがいる!」と叫んで拒絶する。なんと情けない男なのか。それを機に、別れた妻と成長したであろう娘に会いたいという気持ちから帰郷するが、そこでもなかなか地元に溶け込めない。結局、悪友と共に shady business に精を出すのだが、そんなカネを誰が喜んでくれるのか。このあたりの思考がたすくが大人になれていないことの証拠である。夜の街で接待を伴う飲食店で働くことねとそのパートナーのことを知って、「あんなところで働かせる奴にことねを渡したくない」って、それはお前が原因だー!!!!と、Jovianがたすくの兄ならば鉄拳でもって分からせてやったことだろう。ことほどさようにたすくは未熟なのである。

 

そのたすくがどのように自分の人生に向き合っていくのか。物語の大きな岐路に、海辺に停めたクルマの中でのことねとの対話がある。いや、対話というよりは演説、決意表明といった方がいいか。『 きばいやんせ!私 』でも、仲野太賀は夏帆を相手にクルマの中で“仕事の価値とはどれだけ真剣に打ち込めるか”だと熱弁を振るっていた。そのシーンを彷彿させる渾身の芝居を披露する。大声を張り上げるわけではなく、淡々と、しかし力強く、自らの生きる決意、働いていく熱意をことねに切々と訴えかけていく。それに対することねの返答は・・・ 観る側はここで、「たすく、やっとひとつ成長できたな・・・」と複雑な心境になる。また、とある行事の場でのたすくの涙もポイントが高い。父親というのはなるものではない。母親は無意識に自分の子どもを産むことはまずないが、父親は場合によっては子どもに父親だと認識されないと父親になれない。同時に自分も子どもを認識しないと父親になれない。アホだな、たすく。そんなことも分からんのか。と、子どものいないJovianが思ってしまうわけだが、それほどにこのシーンのたすくの涙は観る者の胸を打つ。

 

この芝居を受けて立つ吉岡里帆も見事の一語に尽きる。この女優は「かわいい」だとか「スタイルがいい」だとか「濡れ場を演じられる」などの点で評価すべきではない。『 見えない目撃者 』のように、追い詰められた状況でこそ真価を発揮する。怒って金切り声を上げる演技なら、そこらの中学生にでも出来る。しかし、不信、怒り、疲労、悲しみ、安堵などの様々な感情がないまぜになったところを、大袈裟なアクションや発話ではなく、その表情やたたずまいで表現できることこそがこの女優の強みである。彼女のハンドラーは、くれぐれも少女漫画や恋愛小説の映画化作品のヒロインに彼女を推さないようにして頂きたいものである。

 

母親、兄、悪友に良い意味でも悪い意味でも支えられるたすくの物語は、大みそかの夜で閉じる。この結末は途中ですぐに思い浮かぶ。たすくは少しは成長できたものの、まだまだ未熟なままである。キャッチフレーズの如く、カネもないし、仕事もない。自分に自信もない。だから愛する娘に会わせる顔もない。『 シラノ恋愛操作団 』のテウンのようにはなれたものの、愛娘への思慕はいかんともしがたい。「会うのはこれが最後」と言ったことねの言葉を振り切り、過去の自分の過ちに向き合い、たすくは乾坤一擲の勝負に出る。たすくの魂の咆哮を聞け。柳葉敏郎が言うように「なまはげは人生の意味や家族の絆を考えさせてくれる存在」なのだ。たすくは父親にはなれない。しかし、なまはげにはなれる。娘の記憶と人生に残るためにたすくが選んだ方法に、どうしたって胸を締め付けられずにはいられない。

 

「泣く子はいねぇがーーー!!!」

 

Jovianは少し泣いてしまった。

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ネガティブ・サイド

たすくが男鹿にいられなくなった理由には説得力がある。ただテレビカメラが映すか?ちらっと一瞬だけカメラの前を横切ったのは仕方がないにしても、かなり長い間、たすくの尻を映し続けたのは、はっきり言ってプロカメラマンにあるまじきミスだと感じた。

 

たすくとことねの歴史は色々とほのめかされるだけで終わるが、この二人が結構な幼馴染で色々なドラマを紡いできたことは想像に難くない。であれば、なぜことねは大晦日の男衆に、あるいは世話役である柳葉敏郎に電話なり何なりをして、「たすくに飲ませないでほしい、早めに帰らせてほしい」と伝えなかったのか。たすくのダメ男加減はことねが一番わかっているはずではないか。そうしたことねの根回しも虚しく、たすくは酒で大失敗してしまう。その方がストーリー展開をもっと明快に分かりやすくできたように思う。

 

総評

観る者を幸せにしてくれる作品かと言われれば、決してそうではない。けれども不器用な男の不器用なりのビルドゥングスロマンに、多くの男性が勇気づけられるのは間違いない。コロナ禍で閉塞感が漂っているが、年末に向けて出来るだけ多くの人、特に若い男性に本作を鑑賞して何かを感じ取ってほしいと願う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Any crybabies around?

YouTubeのこの動画で「泣く子はいねぇが」=Any crybabies around? だと学んだ。厳密には頭に Are there をつけるのだが、決まり文句にそこまで杓子定規になることはないだろう。Any movie buffs around? 映画マニアはいねぇが?

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 仲野太賀, 余貴美子, 吉岡里帆, 日本, 柳葉敏郎, 監督:佐藤快磨, 配給会社:スターサンズ, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

『 MOTHER マザー 』 -Like mother, like son-

Posted on 2020年7月14日 by cool-jupiter

MOTHER マザー 70点
2020年7月11日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:長澤まさみ 奥平大兼 阿部サダヲ 夏帆
監督:大森立嗣

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3歳娘を自宅に放置して脱水、そして餓死に至らしめたとして母親が逮捕される事件が世間を賑わせている。個人的にはどうでもいいことだ。そんな母親はどこの国や地域にも、いつの時代にもいる。そして、それは父親であっても祖父母であっても、血縁のある保護者であっても血縁のない保護者でも同じこと。にもかかわらず、なぜ我々は母親という存在に殊更に「子を愛せ」と命じるのか。本作を鑑賞して、個人的に何となくその答えを得たような気がしている。

 

あらすじ

秋子(長澤まさみ)は仕事も続かず、男にもだらしのないシングルマザー。息子の周平を虐待的に溺愛しながら、周囲に金を無心して生きている。そんな時に、秋子はとあるホストとの出会いから家を空けて・・・

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ポジティブ・サイド

長澤まさみのこれまでのイメージをことごとく破壊するような強烈な役柄である。年齢的に少々厳しい(若すぎる)のではないかというのは杞憂だった。日本の女優というのは、キャンキャンと甲高い声を出すことはできても、怒鳴り声の迫力はイマイチというのが定例だったが、長澤まさみはその面でも非常にドスの利いた声を出せていた。また、息子の横っ面をまさにひっぱたく場面があるが、これがロングのワンカットの一部。自身の顔のしわを気にしながら、口答えする息子に一発お見舞いし、また何事もなかったかのようにコンパクトを覗き込みながら顔のしわを気にする様子には震えてしまった。

 

全編にわたってロングのワンカットが多用されており、それが目撃者としての自分=観客にもその場の展開への没入感を高めている。冒頭の秋子の家族の大ゲンカや、阿部サダヲとのラブホの一室での取っ組み合いの大ゲンカなどはその好例である。物を投げたり、あるいはベッドシーツが乱れたりするので、テイクを重ねるのはなかなかに大変だっただろう。一発勝負で撮ったにせよ、複数回のテイクから良いものを選んだにせよ、こうした絵作りに妥協しない姿勢は高く評価されてしかるべきだ。昨今の邦画の演技力の低下を見ると、尚のことそう感じる。

 

周平役の奥平大兼の演技もなかなか良かった。自分で考えたのか、それとも監督の演出・演技指導なのか、まともな教育やしつけを受けてこないままに大きくなったという感じがありありと出ていた。その最も印象的なシーンは、夏帆演じる市役所職員に喫茶店に連れていかれるシーン。周平の箸の持ち方がめちゃくちゃなのである。幼稚園児の頃から、箸の持ち方を誰にも教わってこなかったことが容易に察せられる。事実、小児の周平がカップラーメンもお湯でもどさず、固い乾麺のままバリボリと手で持って食べるシーンが序盤にある。青年期と小児期の周平はあまり似ていないのだが、それでも同一人物なのだということが、この橋の持ち方ひとつで強く印象付けられた。

 

本作は鑑賞する人間の多くを不快にさせる。それは徹頭徹尾、秋子を救いのない人物として描いているからだ。だがそれ以上に、我々が無意識のうちに抱く「母」という存在のイメージ、もっと言えば固定観念が本作によって揺さぶられるのも、不快感の理由に挙げられはしないだろうか。これが例えば父親なら『 幼な子われらに生まれ 』のクドカンのようなキャラなら、「まあ、そういうクズはたまに見るかな」ぐらいの感覚を抱かないだろうか。育メンなる言葉が生まれ、一時期はもてはやされたが、「育メンと呼ぶな、父親と呼べ」という強烈かつ当たり前すぎるツッコミによって、この新語はあっさりと消えていった。対照的に母にまつわる言葉や概念のあれやこれやには、「母性」、「母性愛」、「聖母」、「慈母」、「母は強し」、「母なる大地」、「母なる海」、「母なる星」、「母なる故郷」など、往々にして愛、包容力、受容、癒し、庇護などのイメージと不可分である。それが高じると「母源病」などという、非科学的かつ差別的な言葉や概念が生まれる。だが、そうした母に対する迫害的な意識は我々には希薄なようだ。今でも書店に行けば、子育てや受験、果ては就職や結婚に至るまで、この人生の節目における成功と失敗の多くを、母親の功績あるいは責任であると説く書物は山と存在する。それは我々が母親に愛されたいという願望を隠しきれていないからだろう。ちょっとしたボクシングファンならば、本作を観て亀田親子をすぐに思い浮かべたはずだ。亀田三兄弟の母親がパチンコ屋でインタビューを受けながら「自分の子のボクシングの試合は見ない」と答えていた番組を見たことのある人もいるだろう。ちょっとリサーチすればわかることだが、亀田三兄弟の母も秋子ほどではないが、母親失格(という表現を敢えて使う)の部類の人間である。だが、そんな母に対しても長男・興毅は「お母さん、俺を産んでくれてありがとう」と疑惑のリング上で吠えた。はたから見れば、自分を愛してくれない育ててくれない母親に、である。また次男・大毅は内藤大助戦で父親に反則を教唆され、それを忠実に実行した。のみならず、マスコミからの「父親からの指示ですか?」という質問に対して「違います、僕の指示です」という珍回答を行った。どこからどう見ても真っ黒な父を、それでも健気にかばったのである。秋子と周平の関係を歪だと断じるのはたやすい。だが、そんな親子関係はありえない、極めてまれなケースだと主張するのは、実は難しい。『 万引き家族 』によって揺さぶられた日本の家族関係・親子関係は、本作によってもう一段下のレベルで揺さぶられている。このメッセージをどう受け取るのかは個々人による。だが、受け取らないという選択肢はないと個人的には思っている。多くの人によって見られるべき作品である。

 

ネガティブ・サイド

長澤まさみは確かに体を張ったが、いくつかのラブシーン(?)には、はなはだ疑問が残る演出がされている。たとえばラブホテルの一室での仲野大賀との絡み。ベッドの上でゴロンゴロンしているだけで、長澤まさみが上を脱ぐのを嫌がったのだろうか。大森監督は『 光 』で橋本マナミを脱がせた(とはいっても、乳首は完全防御だったが)実績があるので、期待していたが・・・ いや、長澤の裸が見たいのではなく、迫真の演技が見たいのである。『 モテキ 』では谷間を見せて、胸も一応軽く触らせていたのだから、それ以上の演出があってもよかったはずだ。やっぱり長澤まさみの裸が見たいだけなのか・・・

 

真面目に論評すると、『 “隠れビッチ”やってました 』の主人公ひろみと同じく、本当にアブナイ男、それこそ『 チェイサー 』の犯人のような男に出会わなかったのは何故なのか。その男癖の悪さから、本当にやばい相手だけは見抜ける眼力、もしくは女の勘のような描写が一瞬だけでも欲しかった。

 

メイクにリアリティがなかった。あんな生活でこんな肌や髪の質は保てないだろうというシーンがいくつもあった。このあたりは取材やリサーチの不足、もしくはメイクアップアーティストの意識の欠如か。最終的には監督の責任だが。

 

これは個人差があるだろうが、BGMが映像や物語と合っていない。特にクライマックス前の神社のシーンのBGMはノイズに感じられた。全体的に音楽や効果音が使われていないため、余計にそう感じられた。ただし、このあたりの感性は個人差が大きい。

 

少々残念だったのは、ラストか。以下、白字。呆然自失の長澤まさみを映し続けるが、その表情が崩れる瞬間を見たかった。それも、泣き出すのか、それとも笑い出すのか、その判別がつかない一瞬を捉えて暗転、エンドロールへ・・・という演出は模索できなかったか。『 殺人の追憶 』のラストのソン・ガンホの負の感情がないまぜになった表情。『 ゴールド/金塊の行方 』のラストのマシュー・マコノヒーの意味深な笑顔。こうした表情を長澤まさみから引き出してほしかった。

 

総評

こうした映画はテアトル梅田やシネ・リーブル梅田のようなミニシアターで公開されるものだった。だが、長澤まさみという当代随一の女優を起用することで全国的に公開されるに至った。多少の弱点がある作品ではあるが、それを上回るパワーとメッセージを持っている。母の愛、母への愛。自分と母との距離を見つめなおす契機にもなる作品だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bring up

「育てる」の意。直訳すれば「持ち上げる」となるように、小さな子どもの背丈がぐんぐん伸びる手伝いをしてやるイメージで、「体が大きくなるまで育てる」のような意味である。名詞のupbringingには「養育」、「生い立ち」、「しつけ」のような意味があり、やはり幼少から成人に至る時期ぐらいまでを指して使われることが多い。劇中で秋子が叫ぶ「私が育てたんだよ!」は、“I brought him up!”となるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 夏帆, 奥平大兼, 日本, 監督:大森立嗣, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズ, 長澤まさみ, 阿部サダヲLeave a Comment on 『 MOTHER マザー 』 -Like mother, like son-

『 宮本から君へ 』 -非力で不器用で我武者羅な男の人生賛歌-

Posted on 2019年10月12日2020年4月11日 by cool-jupiter

宮本から君へ 70点
2019年10月6日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:池松壮亮 蒼井優
監督:真利子哲也

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あらすじ

宮本浩(池松壮亮)は極めて不器用。しかし純真さと折れない心の強さを持っていた。中野靖子(蒼井優)の交際を開始したばかりの頃、靖子の自宅に元カレが現れ、靖子に暴力を振るう。「この女は俺が守る!」と言い放った宮本は、晴れて靖子と結ばれる。しかし、そんな二人の幸せにさらなる試練が迫って・・・

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ポジティブ・サイド

とにかく池松演じる宮本という男が良い。宮本の優しさ、暑苦しさ、芯の強さは男性の共感を呼ぶことは間違いない。何故か。それは上述した宮本の属性、特性が男が普遍的に備えているものだからだ。ここで大事なのは、ポジティブな属性や特性を肥大化させて描くことだ。男には当然ダメダメな属性も同じくらいか、あるいはポジティブ属性よりも多く備わっている。そうしたネガティブ属性に焦点を当てた作品は文学的な意味では成功することはあっても、映像芸術としては往々にして失敗に終わる。近年では例えば『 先生! 、、、好きになってもいいですか? 』、『 ナラタージュ 』などが挙げられる。いずれも男の普遍的にダメなところ、すなわち「相手を傷つけたくないと配慮することで相手を傷つけてしまう」というやつである。ちなみに先生と生徒の恋愛もので近年では突出した面白さだったのは『 センセイ君主 』である。また男の普遍的にダメなところを別の角度から捉えた秀作に『 奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール 』がある。

 

Back on track. 宮本はヒロインの靖子を持ち前の猪突猛進の暑苦しさで救い、そして大いに傷つける。そこには確かに男が最も苦手とする共感や思いやり、配慮が欠けている。だが、できないことはできないのだ。できないことをウジウジと悩むよりも、できることを全力でやる。そして当たって砕ける。本作のストーリーには目を背けたくなるようなシーンがあるが、悩んでいても問題が解決するわけではない。かといって当たって砕けても問題は解決しない。しかし、宮本はそこに突っ込んでいく。はっきり言ってアホである。だが、それがたまらなくカッコイイのである。男がアホになるのは、女絡みであることは古今東西の歴史が証明する通りである。この男のアホさ、それをポジティブに言い換えれば芯の強さになるわけだが、それをとことんまで突き詰めたのが宮本である。演じた池松に拍手を送れるかどうかで、その男の精神年齢が分かる。拍手を送れるのは、自分はそうなれなかったし、これからもそうなれないと悟っている中年以降の衰えゆくだけの男である。Jovianがまさにそうである。宮本に嫌悪感を抱けるとすれば、それはその男が宮本と適切な距離を取れない、つまり宮本に近いところにいるからである。逆にうらやましい。

 

ヒロインの靖子を演じた蒼井優も円熟期を迎えたと言えるだろう。劇中でもおそらく30歳手前ぐらいの年齢であると思われるが、男女の交際や結婚に幻想と現実的な感覚の両方を抱いているというキャラクターで、何かあるとコロッと落ちてしまう高校や大学の小娘とは一味もふた味も違うキャラを熱演した。『 彼女がその名を知らない鳥たち 』にも準レイプと言えるシーンがあったが、あちらはヨボヨボの老人、こちらは本格的なレイプシーンで相手は屈強なラガーマン。正直、正視に堪えないシーンである。その前に準・和姦(?)的な宮本と靖子のセックスシーンがあるせいか、余計に凄惨に映る。ベッドシーンそのものも魅せる。『 光 』の橋本マナミや『 無伴奏 』の成海璃子のように、不自然に乳首を隠すのではなく、自然に見えない、見えそうだけれど見えない、という非常に際どい撮影術を駆使しているところも見逃してはならない。絵コンテの段階から、監督、撮影監督、役者の間でこのシーンについてはかなり詰められていたのだろう。プロの仕事を称賛すべし。

 

宮本が立ち向かう敵は強大だが、相手が強い弱いを勘定に入れずに行動するところに強い憧れを抱く男は多いだろう。漫画『 DRAGON QUEST -ダイの大冒険 』のとあるキャラが「相手の強さによって出したりひっこめたりするのは本当の勇気じゃなぁいっ!!!」と喝破するが、この意味では宮本は本当の勇気を持っている。卑怯だとかどうこうとかは関係ない。殺るか殺られるかなのである。Kill or be killed なのである。宮本のような男になれるか。靖子のような女に出会えるか。人生とはままならないものであるが、宮本のような“芯の強さ”を少しでも持てれば、それだけで人生は少しだけ豊かになるのだろう。

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ネガティブ・サイド

宮本の骨折した指の描写はあったか?ギプスや添え木にJovianが気付かなかっただけか?さらに靖子の家族も、怪我人にアルコールをどんどん飲ませてどうする?ビールをコップ一杯ぐらいならまだしも、アルコールは飲めば飲むほど感覚がマヒしたり、判断力を低下させたりするわけで、怪我をしている部分に無理な力を入れてしまい、治癒が遅くなったり、最悪の場合は怪我が悪化するではないか。靖子の母は、宮本に含むところがあるキャラクターなのではないかと勘繰ってしまったではないか。

 

ピエール瀧が病院で「書くもの寄こせ」と言って宮本に教えた住所がタクマの女のヤサであるのはどういうわけか。ピエール瀧の自宅の住所ではなく、タクマの一人暮らししている家でもなく、なぜタクマの女の住所なのか。何か複雑な事情があるにしても、それを最低限の台詞はショットで説明してくれないことには意味が分からなかった。

 

個人的な願望であるが、ピエール瀧の同僚二人に天誅が下らないことも残念。そこは原作をいつか確認してみたいと思う。

 

総評

これは怪作である。いや、快作である。宮本という1990年代のキャラクターを現代に蘇らせた意味は何か。それは取りも直さず、現代人が忘れつつある熱量を取り戻すべしという真利子哲也監督からメッセージに他ならない。ゆとり世代にさとり世代などと揶揄される若い世代に、それよりも上の世代は熱量を以って接してきたか。宮本というキャラにどれだけ共感できるか、あるいはできないかで、観る者の精神的な老け具合が測られてしまうという恐るべき仕掛けが込められている。純粋に中年オヤジを応援したいという向きには『 フライ,ダディ,フライ 』をお勧めしておく。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Marry me!

 

「靖子、俺と結婚しろよ」という台詞があまりに強烈だ。学校ではよく get married to 誰それと学ぶと思うが、受け身になっているのは公式に結婚することを意味しているから。つまり、聖職者なり役所なりに、夫婦であるということを「認められる」必要があるからだ。そうではなく当事者間だけで結婚を論じる時には能動態でOKである。小難しい理屈はよく分からないという人は Bruno Mars の“Marry You ”を100回聴くべし。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ラブロマンス, 日本, 池松壮亮, 監督:真利子哲也, 蒼井優, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 宮本から君へ 』 -非力で不器用で我武者羅な男の人生賛歌-

『 新聞記者 』 -硬骨のジャーナリズムを描く異色作-

Posted on 2019年7月4日2020年8月29日 by cool-jupiter

新聞記者 75点
2019年6月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:シム・ウンギョン 松坂桃李
監督:藤井道人

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映画大国のアメリカでは『 JFK 』を始め、政治の腐敗を鋭く抉る作品が数多く生産されてきた。近年でも『 バイス 』、『 記者たち衝撃と畏怖の真実 』、『 華氏119 』、『 ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』などが製作、公開されてきた。翻って日本はどうか。『 主戦場 』が話題を呼び、そして本作である。日本の映画界も、遂に物申すことができるうようになってきた。

 

あらすじ

新聞記者の吉岡エリカ(シム・ウンギョン)は、不気味な羊の絵をカバーページにした、大学新設計画に関する膨大な資料を受け取った。その周辺を取材する吉岡は、やがて国家的な陰謀の構図に迫っていき・・・

 

ポジティブ・サイド

日本の政治は危機的な状況にある。何を以って危機的と言うかは各人によってことなるだろうが、市民を権力者側の都合で逮捕拘束できるような共謀罪なる法案が成立し、特定秘密保護法などどいう権力者の保身のための法律が存在し、にも関わらず公文書の改竄が行われ、その省庁の監督者である大臣が辞職すらしない国家とその政治状況を指して、危機的という認識を持たない人がいれば、お目にかかりたいものである。そういえば、この大臣、『 主戦場 』で十数年前の国会中継が映し出された時も、堂々と居眠りをしていた。これが我々の選良なのか。暗澹たる気分になってくる。

 

本作は東京新聞の望月記者や元文部科学次官の前川氏などを冒頭の討論番組に出演させることで、スクリーンの向こうとこちら側が同一の世界であるとの認識をより強固にしてくれる。いや、既に各所で指摘されていることだが、大学の新設が総理のお友達事業者ありきで進むこと、レイプ事件のもみ消し、公文書の改竄をさせられた財務省の役人の自殺など、すでに民主国家の腐敗のあり様を極めた感がある日本だが、それを支える組織としての内閣情報調査室にスポットライトをあてた作品はこれまでにあっただろうか。漫画『 エリア88 』の最終盤に内調がちょろっと出てくるぐらいしか思い出せない。この内調なる組織のやっていることのせこさには、新鮮な驚きと落胆、そして呆れがある。詳しくは本作を観てもらうとして、日本の言論空間の大きな一角を占めるようになったインターネットおよび既存メディアへの政治の介入具合には、言いようのない不安を掻き立てられる。そうした仕事のお先棒を担がされる杉原(松坂桃李)は、官僚でありながらも、信頼を寄せる元上司がおり、妻がおり、子どもが生まれる直前であるという極めて私人性の高いキャラクターを上手く表出した。官僚も一皮むけば人間であるということは『 響 -HIBIKI-   』でも指摘した。内調の上司からの「お前、子どもが生まれるそうだな」という言葉を杉原はどう受け取るのか。観客たる我々にその言葉がどう響くのか。思いやりの言葉であると同時に、聞く者の心胆を寒からしめるこの言葉が発されるシーンは、国家の側に属する人間の人間性と非人間性の両方を同時に描き切った名場面である。

 

シム・ウンギョン演じる記者には硬骨の精神を見出すことができる。彼女のバックグラウンドに仕込まれたサブプロットは些か行き過ぎではないかと感じるが、中盤の回想シーンで取り乱す演技、最終盤の電話を受け取るシーンでの恐怖と気概の両方を宿す演技には圧倒された。様々な事情があってシム・ウンギョンがこの役を引き受けたのだろうが、政治への忖度以上に、この役を演じられる俳優が日本の映画界に存在しなかったというのが最大の理由なのかもしれない。それほど圧巻のパフォーマンスである。シム・ウンギョンと大谷亮平の共演がいつか観たい。

 

Back on track. 『 主戦場 』でも感じられたことであるが、日本の政治状況は危機的水準にある。それは、国民が権力の監視を怠ってきた結果に他ならない。税金を公的資金と言い換えていた頃よりも、さらに表面を糊塗するだけの言葉遊び政治と、権力者とそれに追従する者だけへの便益を図る密室政治がより発達してしまった。それは違うと声高に叫ぶ人が現れた。本作は娯楽作品であり、秀逸なサスペンスであるが、同時にノンフィクションとして観られるべき作品でもある。多くの人が本作を鑑賞することを願う。

 

ネガティブ・サイド

やはり、シム・ウンギョンではなく日本人の俳優がキャスティングされなければならなかった。韓国人のシムが駄目だと言っているのではなく、日本の政治の腐敗を撃つのなら、日本人がそれをするべきだ。それも愛国心の一つの形だろう。そうした気骨、気概のある役者または事務所がいなかったということに慨嘆させられる。

 

また、シムの英語は石原さとみよりも立派であったが、agreeの発音のアクセントだけは頂けなかった。まあ、『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』の横浜流星などに比べれば月とすっぽんではあるが。

 

また巨悪の存在が示唆されるばかりで、ここに弱さを感じた。宣伝段階で「官房長官の天敵」というキャッチコピーを使っていたのだから、誰がどう見ても令和おじさんのパロディであると思わせることができる人物を仕立て上げられたはずだ。それぐらいのサービス精神はあってもよかった。『 シン・ゴジラ 』でも中村育二を甘利明そっくりに化けさせたのだから、菅義偉のそっくりさんキャラを生み出すのもお茶の子さいさいだろう。

 

総評

ラストの杉原の台詞を何と聞くか。いや、見るか。それによって鑑賞後に残る余韻が変わる。これは意図した演出だろう。気になる人は是非とも劇場へ。Jovianは本作鑑賞後、すぐさま『 銀河英雄伝説 』のヤン・ウェンリーの言葉、「 人間の行為のなかで、何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは、権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか 」を想起させられた。命よりも大切なものがあるというキャッチコピーで始まるのが戦争で、命より大切なものはないというキャッチコピーで戦争は終わると言われる。個人を自殺に追い込んでおきながら何の自浄作用も働かない今の政治権力の構造には空恐ろしさを感じざるを得ない。願わくば、本作が描くプロットが単なる杞憂、絵空事であらんことを。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, シム・ウンギョン, 日本, 松坂桃李, 監督:藤井道人, 配給会社:イオンエンターテイメント, 配給会社:スターサンズ『 新聞記者 』 -硬骨のジャーナリズムを描く異色作- への2件のコメント

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