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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 監督:武正晴

『 アンダードッグ 後編 』 -画竜点睛を欠く完結-

Posted on 2020年12月7日 by cool-jupiter

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アンダードッグ 後編 70点
2020年12月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:森山未來 北村匠海 萩原みのり
監督:武正晴

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『 アンダードッグ 前編 』はかなりの出来栄えだった。森山未來と北村匠海の激突に否が応にも期待が高まった。そこに至るドラマは文句なしだったが、肝心のトレーニングのモンタージュと試合シーンが・・・ これぞまさに「画竜点睛を欠く」である。武正晴監督にはもう一度、ボクシングを勉強していただきたいものである。

 

あらすじ

芸人ボクサーの宮木とのエキシビションマッチを終えた末永(森山未來)は、ついにボクシングから足を洗い、家族との時間を取り戻す決断をするが、妻には離婚届を突きつけられる始末。勤め先のデリヘルも開店休業状態に。そんな中、デビュー以来破竹の快進撃を続けていた大村龍太(北村匠海)があるアクシデントに襲われ・・・

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ポジティブ・サイド

物語冒頭から暗い。ひたすらに暗い。まるで末永のキャリアや人生そのものに暗雲が立ち込めていることを映像全体が示唆しているようである。事実、彼にはボクシングを続ける理由も、家族を幸せにする甲斐性も見当たらない。まるで八方ふさがりである。あたかも『 哀しき獣 』のハ・ジョンウのごとく、もはや野垂れ死ぬしかない。そのような予感だけしかない。ドン詰まりに思えた物語が、一挙に動き出すきっかけとなる事件も、たしかに伏線はあった。北村演じる大村龍太に闇を感じると前編レビューで書いたが、その勘は正しかった。自分で自分を褒めてやりたい。

 

本作はボクシングドラマでありながら、上質な人間ドラマの面も備えている。デリヘルという社会の一隅のそのまた一隅で、決して日の光を浴びない仕事に従事する人間たちの関係は、実に細く、それでいて時に強く太い。どこまでも孤独に見える人間たちの、実はしたたかで豊かな連帯が胸を打つ。序盤に見られる凍てついた人間の心の闇の深さゆえに、その温もりは一層強く、また感動的だ。特に少々遅滞気味のデリヘル店長は、そのまっすぐさ、ひたむきさ、裏表のなさゆえに、社会的には許容できない行動に打って出るが、しかし人道的にはそれもありではないかと思わせてくれる。「けじめをつける」とはそういうことで、世間様が決めたルールに唯々諾々と従う一方で、己が己に課したルールを粛々と守るのがけじめのつけ方だろう。元ライバルで元世界王者に「お前、もうボクシングするんじゃねえ」と言われようと、ジムの会長に匙を投げられようと、己の生き様を全うしようとする。末永の生き方は社会的にも常識的にも受け入れがたいものであるが、一人の男として向き合った時に、まるで矢吹ジョーのごとく「まっ白な灰」になることを望んでいるかのように映る。そのことに魂を揺さぶられない者などいようか。

 

末永と大村の因縁も、まるで昭和の日本ボクシングの世界そのままで説得力がある。というか、漫画『 はじめの一歩 』の木村と青木が鷹村のボコられてボクシングを始めたのとそっくりではないか。実際に尼崎のボクシングジムでは1970~80年代は、街で暴れている不良の中から見どころのある者をジムに連れてきて、練習生にボコボコにさせていたという話もあったようだ。ケンカ自慢のアホな不良ほど、ボクシングでやられたらボクシングでやり返そうとして、練習に励みケンカをしなくなるというのだから、かつての日本には面白い時代があったのである。実際に本作にも登場する竹原などは、そうした時代を体が覚えているだろう。また、そうした社会のルールを守らないアホほど、ボクシング(別にスポーツでも何でもいい)によってルールを守るようになる。萩原みのりが語る大村の過去と、『 あしたのジョー 』で描かれる、力石とジョーの試合に熱くなった少年刑務所受刑者たちが、順番を守らずにリングに上がろうとする者を集団でボコボコにするエピソードには共通点がある。ルールを守らなかった奴らが、ルールを守らない奴らを叩きのめすところに更生が見て取れる。実際にリングに復帰すると決め、大村と対峙した瞬間から、末永は煙草も女も断っている。ヒューマンドラマとボクシングドラマが一転に交わる瞬間である。

 

トレーニングのモンタージュは『 ロッキー 』シリーズから続くボクシング映画の中心的文法で、末永が仕事の合間にサウナでシャドーボクシングをする姿は、砂時計という小道具の演出もあって、リアリスティックかつドラマチック。朝の街をロードワークに出かける様もロッキーそのままだ。ジムのミット打ちで左フックの軌道を念入りに確かめるところが玄人はだし。背骨を軸に腰を全く上下動させることなく、ナックルがしっかり返っていた。

 

大村との因縁の対決。決着。勝ち負けではなく、自分の生きる道を見定めるための戦い。最後にまっすぐと駆けていく末永の姿にパンチドランカーの症状は見られない。陽光を全身に浴びて一心不乱にまっすぐと走る男の姿は、「俺も頑張ろう」と背中を押されたような気持ちにしてくれる。

 

ネガティブ・サイド

『 百円の恋 』ではあまり気にならなかった、ボクシング界のあれやこれやの厳密なルールや不文律的なものが本作では忠実に描かれていなかった。これは減点せざるを得ない。まず、いくらデビューから連続1ラウンドKOを続けても、フェザー級で日本ランクにすら入らないだろう。というか、新人王戦へのエントリー資格を得た程度ぐらいだろう。そんな戦績で、怪我からの復帰後、2階級上のライト級で6回戦を飛び越して8回戦???ボクシング関係者やボクシングファン全員が漏れなく首をかしげることだろう。また末永の所属ジムの会長がインターバル時にタオルで末永をパタパタと扇いでいたが、これはアメリカやメキシコのリングならいざ知らず、日本では禁止事項。制作協力にJBCがあったが、審判やリングアナを紹介しただけなのか?ちゃんと仕事しろ。というよりは脚本家の足立紳の取材不足だろうか。『 百円の恋 』や『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』のような傑作をものすことができたのはフロックなのか。ボクシング界OBやプロボクシングのライセンス持ちの芸人なども出演していながら、この荒唐無稽な設定の数々は一体何なのか。

 

前編に引き続き北村のボクシングシーンがファンタジーだ。特に試合では猫パンチの連発で、まさか前編でデリヘル店長が発していた「ミッキー・ローク」という言葉がここで意味を持ってくるとは思わなかった。またセコンドの「足を使え」という指示に従ってサークリングを見せるが、これがまた下手すぎる。前編で北村のシャッフルの下手さを指摘していたのは多分、映画レビュワーの中でもJovianくらいだったが、後編でもそれは改善されていなかった。サークリングする時はリズミカルに飛び跳ねて一方向に回ってはダメ。すり足気味に、時に前足(オーソドックスなら左足、サウスポーなら右足)を軸にピボットを交えないと、高レベルのボクサー相手には間違いなく一発を入れられる。なぜかこのシーン、末永視点のPOVになっているが、大村陣営がサークリングを指示したのは末永の片目がふさがっているから。にもかかわらずカメラ・アイは北村の全身を映し続ける。視界の片側を消すなどの演出はできなかったのか。編集中に誰もこのことに気が付かなったのか・・・ そして、このシーン最大の問題はレフェリーの福地がさっぱり動かないこと。元々Jovianは福地のレフェリング能力は高くないと思っているが、そこは監督がもっと演出しないと。サークリングする大村を追って末永視点でリングを360度見渡すと同じところに福地が立ち続けている。これがどれだけ異常なことであるかはボクシングファンならばすぐにわかる。

 

試合の最終盤のスーパースローモーション映像も、あそこまで行くと滑稽だ。アマチュアボクシングならジャブであごがポーンと跳ね上がるとそれだけで負けを宣告されることもある。ボクサーはあごを引くことが本能になっていて、あんな光景はKO負け直前か、もしくはヘビー級ぐらいでしかお目にかかれない。

 

その他、銭湯で働く末永は絵になっていたが、仕事の合間に体重計に乗るシーンが欲しかったし、末永と大村の両者が計量に臨むシーンも欲しかった。撮影したが編集でカットしたのか。だとすれば、その選択は間違いであると言わせてもらう。また前編の殊勲者の勝地涼の出番が激減とは、これいかに・・・

 

人間ドラマ部分は満足できる仕上がりだが、総じてリアルなボクシングの部分がパッとしない。本当は65点だが、ボクシング映画ということで5点はオマケしておく。

 

総評

かなり辛口に批評させてもらったが、これは熱心なボクシングファン視点でのレビューだからである。普通のスポーツファンや映画ファンなら、そんな鵜の目鷹の目でボクシングを観る必要はない。『 ロッキー 』の物語文法そのままに、うだつの上がらない男でも何者かになることができる、ボクシングでそれを証明してみせる、という点を評価すれば本作は十分に良作である。前編を観たら後編を観よう。後編から観始めるなどということは絶対にしないように。2時間半の長丁場、体内の水分はできるだけ排出してから臨まれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

retire

一般的には「引退する」「退職する」で知られているが、実際には他動詞「引退させる」という意味でもよく使われる。特にボクシングの世界では。劇中で大村が末永に「俺ら、引導を渡し合うしかないっしょ?」と言うが、その私訳は“We must retire each other, mustn’t we?”だろうか。引導を渡すなどという慣用表現は、逆にスパッとその意味だけを抽出して訳すべきだろう。

 

雑感

もしも末永が何かの間違いで世界タイトルマッチを戦ったら、こういう試合もしくはこんな試合になるだろう。興味がある向きは鑑賞されたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ボクシング, 北村匠海, 日本, 森山未來, 監督:武正晴, 萩原みのり, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 アンダードッグ 後編 』 -画竜点睛を欠く完結-

『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

Posted on 2020年12月1日2021年4月18日 by cool-jupiter
『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

アンダードッグ 前編 70点
2020年11月28日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:森山未來 北村匠海 勝地涼
監督:武正晴

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ボクシングはJovianの好きなスポーツである。自分では絶対にやらないが、見ているのは楽しい。『 お勧めの映画系サイト 』で徳山昌守、ウラディミール・クリチコなどの“塩”ボクサーを好むと述べたが、もちろんスイートなボクサーも好きである。しかもタイトルがアンダードッグ、負け犬である。これは興味をそそられる。

 

あらすじ

かつての日本ランク1位、末永晃(森山未來)はタイトルマッチでの逆転負けを引きずり、咬ませ犬としてボクシングを続けていた。そんな末永はひょんなことから大村龍太(北村匠海)というデビュー前のボクサーと知り合う。また宮木瞬(勝地涼)は、大御所俳優の父の七光りで芸人をやっているが全然面白くない。そんな宮木にテレビの企画でボクサーデビューし、末永とエキシビション・マッチを行うという企画が浮上し・・・

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ポジティブ・サイド

森山未來の風貌が、まさに負け犬である。悪い意味ではない。良い意味で言っている。激闘型のボクサーはキャリアを積むにつれて“良い顔”になっていく者が多い。近年の日本のボクサーだと川嶋勝重や八重樫東の顔が当てはまる。打たれまくったおかげで顔が全体的に扁平になり、目からもパッチリさが失われてしまった。森山の顔もまさに歴戦のボクサーのそれで、ポスターの写真だけで「これはボクサー、それもアルトゥロ・ガッティのような激闘型だ!」と確信できた。まさにキャスティングの勝利である。

 

この末永が過去のトラウマに囚われている様が物語を駆動させている。ここに説得力がある。かの赤井英和は「ボクシングはピークの時の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語り、吉野弘幸も「(金山戦の時のように)もう一回はじけてみたい」と語るわけである。同じように世界のボクシング界には「メキシカンは二度引退する」という格言がある。いずれも過去の栄光を忘れられない、脳内麻薬の中毒者である。末永は違う。漫画『 はじめの一歩 』の木村と同じ、日本タイトルマッチであと一歩のところで敗れた経験を引きずっている。日本タイトルが欲しいのではない。『 あしたのジョー 』の矢吹ジョーのごとく、燃え尽きてまっ白な灰になりたいのである。後編を観ずともそれがこの男の結末であると分かる(と勝手に断言させてもらう)。

 

ボクシングシーンもなかなかの迫力。末永vs宮木のエキシビションでは、素人相手にはウィービングやスウェー、ダッキングで充分、仕留めるために距離を詰める時にはブロッキングという、まるでF・メイウェザーvs那須川天心のような展開。この脚本家と演出家(=監督)はボクシングをよく知っている。『 百円の恋 』はフロックではなかった。

 

前編で一番優遇されていたのは勝地涼。はっきり言って現代版お笑いガチンコファイトクラブなのだが、ボクシングの巧拙は問題ではない。圧倒的に不利な立場の負け犬が、それでも雄々しく立ち上がる姿が我々の胸を打つのである。邦画のホラーは貞子の呪縛に囚われているが、ボクシング映画やボクサーの物語はいまだに『 ロッキー 』の文法に従って描かれている。この差はいったい何なのか。

 

ここに北村匠海演じる新星、大村が絡んでくることになる後編が待ち遠しい。施設上がりで、妻が妊娠したことを知った時の闇を感じさせる台詞に、末永、宮木、大村の三者三様の物語が交錯し、燃え上がり、まっ白な灰へと変わっていく様を観るのが待ち遠しくてならない。

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ネガティブ・サイド

北村匠海も体を作ってきたのは分かるが、深夜のジムに潜り込んで末永相手にスパーを提案する際のアリ・シャッフルがヘタすぎる。単なるフットワーク?いや、単にシャッフルの練習不足だろう。日本のボクサーというのはそうでもないが、世界的にも歴史的にもボクサーは減らず口をたたいてナンボ。その減らず口をたたくだけの実力を証明した者が名とカネを手に入れる。北村のキレの無いステップは、将来を嘱望されるボクサーのそれではなかった。

 

末永のジムの会長の目が節穴もいいところだ。どう見てもグラスジョーになっていることが分からないのか。「ジムの経営も楽じゃないんだ」とぶつくさ言う前に、己のところのボクサーをしっかり見ろ。

 

末永の働くデリヘルの常連客である車イスの男が気になる。まさか「クララが勃った立った!」ネタの要員ではあるまいな。普通にEDで良かったのではないか。

 

総評

前編だけしか観ていないが、後編を観るのが楽しみでならない。12月5日(日)には観に行きたい。ボクシングに造詣が深くなくとも理解ができるのがボクシングの良いところである。そういう意味では『 三月のライオン 』や『 聖の青春 』、『 泣き虫しょったんの奇跡 』といった将棋映画は、何が凄いのか一般人にはよくわからないが、ボクシングは観ているだけで痛さが伝わるし、アドレナリンが出てくる。この前編は勝地涼の代表作になったと言ってよい出来栄えである。勝地ファンのみならず、普通の映画ファンにこそ観てほしい作品だ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a peek

「覗く」の意である。しばしばtake a peek at ~ という形で使われる。My wife took a peek at my LINE.のように使う。最近、ロイ・ジョーンズ・Jr.とエキシビション・マッチを行ったマイク・タイソンのピーカブースタイルはpeek-a-boo styleと書く。いないいないばあスタイル、つまり両のグローブの隙間から相手を覗き見るスタイルである。Don’t take a peek at your partner’s smartphone!

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, スポーツ, ヒューマンドラマ, ボクシング, 勝地涼, 北村匠海, 日本, 森山未來, 監督:武正晴, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

『 ホテルローヤル 』 -細部の描写に難あり-

Posted on 2020年11月20日2022年9月19日 by cool-jupiter

ホテルローヤル 40点
2020年11月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:波瑠 安田顕 松山ケンイチ
監督:武正晴

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武正晴監督は、基本的に可もなく不可もない作品を量産する御仁であるが、時に『 百円の恋 』のような年間最優秀作品レベルの映画を時折送り出してくる。本作はどうか。やはり可もなく不可もない出来栄えであった。

 

あらすじ

雅代(波瑠)は大学受験に不合格したことから、家業のラブホテル経営を手伝うことに。しかし、頼みの母が不倫相手と出て行ってしまい、父と二人でホテルを切り盛りすることに。雅代はホテルで働く従業員や、ホテルの客の人生の様々な一面に触れていくことになり・・・

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ポジティブ・サイド

役者陣はいずれも頑張っている。安田顕のオーナーっぷりは堂に入ったものだし、出番こそ少ないものの夏川結衣は milfy なオーラを発していた。余貴美子が呆然自失とした表情で歌う様は、とてもサブプロットとは思えない迫力があった。

 

ラブホテルに来るお客もユニークだ。特に中年夫婦の風呂場での語らいとまぐわいには大いに説得力を感じた。Jovianはとある受講生だった産婦人科の先生に「妊娠は通常ではないけれど正常で、決して異常ではない」と教わったことがある。これを少々言い換えさせてもらえれば、「セックスは日常ではないけれど正常で、決して異常ではない」となるだろうか。若者の恋愛やセックスよりも、中年夫婦のセックスの方が見ていて癒される。これはむずがゆくも新しい発見であった。

 

波瑠は『 弥生、三月 君を愛した30年 』と同じく、高校生から大人までを演じ切った。常にアンニュイなオーラを醸し出しながら、優しさもありならが激情も秘めていた。父親に対してのみ気持ちを言葉にして発するが、それ以外は基本的に表情や立ち居振る舞いで表現しているところが好ましく映った。ラスト近くで服を脱ぐ所作もGood。長回しのワンカットだったが、カメラの距離やアングルを完璧に把握して、“期待させる”シーンを生み出していた。

 

踏切で過去と現在が交錯する演出も面白かった。性とは生であり正なのかもしれないと、ほんの少しだけ感じた。

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ネガティブ・サイド

ラブホのバックヤードにリアリティが感じられない。Jovianには岡山県でラブホをいくつか経営している親戚がいる(岡山県でこの映画のタイトルっぽいホテルを見かけたら、ぜひご利用いただきたい)。なので、親戚を尋ねた時に2度ほど舞台裏をのぞかせてもらったことがある。まず、声などは絶対にバックヤードまで漏れ聞こえてこない(隣の部屋の声が聞こえることはあるが)し、もし構造上それが可能であるならばただちに是正されているはずだ。親戚に言わせると年に1回ぐらい警察がやってきて、ホテルの隅から隅まで見て回るのだ。おそらく仕事をしているふりなのだろうが、行政指導、下手をすれば営業許可の取り消しを食らいかねない建造物の欠陥を何年も何十年も放置するか?信じがたいことだ。

 

またオバちゃん連中の仕事がベッドメーキングばかりで、ラブホの仕事で一番大変とされる泡風呂の後始末については何も描かれなかった。観客のかなりの数がラブホユーザーの生態に興味があると同時に、ラブホを経営・運営する人間に興味があって劇場に足を運んだはず。そうしたラブホを支える仕事人たちのプロフェッショナリズムが映し出されなかったのは残念である。

 

火災報知機のシークエンスは場面のつなぎがおかしかった。廊下に客が溢れ出してきたのに、雅代が携帯で通話し始めると全員がパッと消えた。編集の時点で奇妙さに気が付かなかったのだろうか。

 

メインキャストは頑張っていたが、一部の俳優はミスキャストであるように感じた。特に伊藤沙莉の女子高生役は無理があるし、キャバ嬢の真似事も妙に似合っているせいで、逆にシラケてしまった。というか、武監督は何をどう演出してリアルなキャバ嬢を伊藤に演じさせたのだろう。馬鹿な女子高生が馬鹿なことをやっているという絵を撮りたければ、リアルにキャバ嬢を演じさせる必要はないだろう。上手な演技ではなく下手な演技を指導することも時には必要である。

 

その伊藤沙莉とホテルにやってくる岡山天音の演技・演出面はもう一つ。嘔吐したなら最後に「ペッ」とやりなさいよ。そして口ぐらい拭いなさい。すぐ目の前にトイレットペーパーがあるのだから、それを使えばいいのに、何をダラダラとセリフをしゃべっているのか。仮に酔っぱらって吐いたという経験がなくとも、それぐらいの演技はできるだろう。それとも武監督の手抜きだろうか。

 

雅代が最後にボソッと呟く「あまりに久しぶりなので忘れてしまいました」という台詞も引っかかった。ご無沙汰なのは良いとして、では最後の経験はいつ、どこで?少なくともそれを感じ取らせるようなシーンは必要だったと思う。八百屋の同級生の言う同窓会がそれにあたるのかもしれないが、だったら同窓会で酒を飲んでため息をつく雅代のシーンを挟んでおけば、観る側が脳内で保管できる。手間がかかるのは百も承知だが、そうしたちょっとしたひと手間が作品のクオリティを高めるのである。

 

総評

コメディかと期待して劇場に行くと面食らうだろう。様々なヒューマンドラマが展開されるが、ちょっと非日常感が強めで、そこを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかは観る人による。ただし、細部のリアリティについては神経が行き届いているとは言えないし、物語が放つメッセージも極めて不明瞭である。波瑠のファンなら鑑賞しても損はないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I no longer have a home to return to.

伊藤沙莉演じる女子高生の言う「もう帰る家がない」という台詞の私訳。a home to return toで一種のセットフレーズである。どういうわけか a home to go back to だとか a home to get back to という言い方はほとんどしないし、a home to return to という表現も、おそらく九分九厘は否定形で使われる。a moment of glory を求めてのone night stand の結果、“I no longer have a home to return to.”となる人間が一定数生まれるのも人の世の常であろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 日本, 松山ケンイチ, 波瑠, 監督:武正晴, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ホテルローヤル 』 -細部の描写に難あり-

『 きばいやんせ!私 』 -主題にもっとフォーカスを-

Posted on 2019年3月21日2020年1月9日 by cool-jupiter

きばいやんせ!私 50点
2019年3月17日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:夏帆
監督:武正晴

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『 百円の恋 』は、ボクシングシーンにいくつかケチをつけたくなったが、それ以外の面では文句なしに名作であった。その武正晴監督の作品で、舞台挨拶もあるというからには出陣せねばなるまい、とチケットを購入。しかし、作品の完成度はこちらが期待したほど高くはなかった。

あらすじ

アナウンサーの児島貴子(夏帆)は、自身の不倫騒動のせいで華やかな表舞台ではなく、裏番組で細々と活動することを余儀なくされていた。しかし、プロデューサーから日本全国の奇祭特集を成功させれば、花形番組への復帰の道も開けてくるとの言葉に、嫌々ながらも小学生の頃に一年だけ過ごした鹿児島に飛び、かつての同級生らを通じて祭りの取材をしていくが・・・

ポジティブ・サイド

まず何よりも、俳優陣が披露してくれた見事な鹿児島弁に最大限の敬意を表したい。Jovianは鹿児島に行ったことがなく、鹿児島出身の同級生は大学にいたものの、鹿児島弁は喋らないというポリシーの持ち主だったので、鹿児島弁なるものをまるで知らない。反対に関西弁は良く分かる。関西弁ネイティブなのだから当たり前だ。その関西弁も、播州弁や神戸弁、大阪弁、河内弁や泉州弁、京都弁などは微妙に異なるので、おそらく鹿児島県民の話すネイティブ鹿児島弁にも微妙な違いがあるに違いない。それでも本作で役者陣が話す鹿児島弁が堂に入ったものであることは直感的に分かる。その素晴らしさ、迫真さは称賛に値する。舞台挨拶で監督や役場職員の田村正和を演じた坂田聡氏が語っていたが、仕事でなければこんなことはしない。それは太賀や岡山天音にしても同じで、仕事でなければあんな神輿を担いだり、幟を立てたりなどはしない。

本作は監督自身が語る通り、「仕事とは何か」を追求する作品である。それを語り合う印象的なシーンが二つある。一つは貴子と不倫相手との会話。もう一つは貴子と幼馴染の太郎(太賀)の会話である。前者で仕事とは他人の期待に応えること。後者では仕事とは好き嫌いではなく一生懸命さの度合いで決まるということが貴子に諭される。上映後の舞台挨拶で武正監督は、「 この作品を見て、若い人たちが色々と考えてくれると嬉しい。多くの人がこの作品を愛してくれると嬉しい 」と語っていた。説教臭い話ではあるが、そうしたメッセージは確かに作品から伝わってきた。そこは評価しなければならないと思う。

ネガティブ・サイド

本作の最大の弱点は、フォーカスがどこに当たっているのかが初見ではよく分からないことである。というよりも、たいていの映画は一期一会だ。映画を見て、すぐさまそれを見返す、何度も劇場に足を運ぶ、DVDやBlu Rayを買うという人はそれほど多くないだろう。映画の完成度は、初見でどれほどの、あるいはどんな種類の印象を残せるかで決まると言ってもいいだろう。無論、中には例外的な映画もある。何度も何度も見ることで、やっと解釈できるような作品もある。『 2001年宇宙の旅 』は3回、『 ブレードランナー 』は4回鑑賞して、Jovianはようやく自分なりに納得できた。しかし、このように何度も観たくなる、観ねばならないと思わせる映画は例外なのだ。

【 「クソ女」のまんまじゃ終われない 】と言うなら、貴子がクソ女から脱却する流れを丁寧に描写するべきなのだが、祭りと神輿運びに余りにもフォーカスが行き過ぎていた。軽いネタばれになってしまうが、貴子が女人禁制であるはずの祭りに堂々と参加し、神輿を担いでしまうシーンに対して、伊吹吾郎演じる地元のボスキャラが不覚にも心動かされてしまうような描写がなくては説得力が生まれない。彼らが頑なに守ろうとしてきた伝統の形式は、実は金科玉条視されるべきものではなく、それによって自分たちがゲマインシャフトを創出し、維持してきたのだということを確認するためのものであったことを知るからだ。自分が必死になって行っているものではなく、昔から続いているから続けている。誠に日本的な仕事観であるが、それを覆されたと御崎祭りの担い手が感じること。それこそが貴子の成長であり、変身ではないのか。監督自身が舞台挨拶で語っていたのが、撮影当日に雨が降り始め、足場は悪くなり、とにかく事故や怪我が心配になったということ。期せずしてドラマチックな絵が撮れたわけだが、その棚ぼた的な絵をあまりに前面に押し出しすぎたせいで、物語が貴子の成長物語なのか御崎祭り特集による町興しなのか、その焦点がぼやけてしまった。もうもうと煙を吹く桜島をほとんど映さない画作りから、「なるほど、焦点は土地ではなく人なのだな」と受け取ったのだが・・・

もう一つ、現実世界を舞台にして、実在の有名人の名前をポンポン使うのなら、Googleもほぼそのまま使ってもよいのでは?gggleというネーミングセンスはいかがなものかと思う。

総評

役者陣は皆、素晴らしい仕事をした。弱点は監督と編集、そして音楽だろうか。「仕事とは何か」というテーマと、劇中の事件のドラマティックさのバランスでは『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』の方が遥かに面白い。興味のある向きは、ぜひ鑑賞されたい。

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写真を取るマスコミをパシャリ

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 夏帆, 日本, 監督:武正晴, 配給会社:アイエス・フィールドLeave a Comment on 『 きばいやんせ!私 』 -主題にもっとフォーカスを-

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